1999 年 12 月の高原日記

      

1999-12-03(金)  雪のち晴   ヒュッテ   L = -9°C, H = 2°C

 夕方、小海塾の忘年会に出掛けようと思ったら、電話が鳴った。
 「モシ、モシ・・・・・」
 受話器を取ると、トミーの声がした。
 ・・・・彼の声なら、僕にはすぐ分かる!
 「やあ、トミー、今晩は、今何処から・・・・?」
 僕は、大声で受話器に話しかけた。
 「・・・・六本木からですよ・・・・・!」
 「いいなア、遊んでるの?」
 「遊んでなんかいませんよ・・・・・仕事ですよ!」

 トミーはレッキトした日本人である。
 ・・・・そして・・・・彼の名字「富谷」から取ったトミーと言う愛称が、ピッタシと合うレコード関係の仕事をしているチョット怪しげな感じのする男である。

 「オヤ、オヤ、オヤ・・・・それで、何かあったの・・・・?」
 と言うと、突然、トミーの声が嬉しそうな声に変り
 「見付けたんですよ、とうとう・・・・・」
 と、受話器の中から聞こえてきた。
 「え、何を・・・・?」
 「例のヤツですよ・・・・・」
 「え? 何んだっけ、その例のヤツって?」
・・・・瞬間的に、意味が分からなかった僕は、こう聞き返した。
 「ローズマリー・クルーニーのハーフ・アズ・マッチがあったんですよ・・・・!」
 「えっ、ホント・・・・?」
 トミーの言葉を聴いた僕は、受話器を落とさんばかりにビックリした・・・・!
 「ホントですよ。・・・・ちゃんと、ここにありますよ!」
 ・・・・その言葉に、僕は大きな声を張り上げた。
 「凄ッゲー!!!! それって何あに・・・?  LP?・・・・CD?」
 「CDですよ・・・・!」
 受話器の向こうでニヤニヤ笑っているトミーの顔が浮かぶ・・・・
 ・・・・でも、そんな事はどうでもいい、僕は更に大きな声で受話器に向かってガナリ立てた。
 「うわー、有り難う! トミー、俺、モッノ凄ごーく嬉しいよ・・・!!」
 「そうでしょう・・・・?」
 ・・・・僕の嬉しさがトミーに伝わったようである。
 「うん、有り難う! ホント、モッノスゴーク、ウレシイヨ・・・・!」
 「アハハハハ・・・・・」
 トミーは受話器の向こうで嬉しそうに笑った。

  

・・・・ところで、
 トミーがレコード関係の仕事をしている事は先刻もホンノ少しだけ紹介したが、トミーは実に不思議な男である。
 何故かと言うと、内面的には非常に真面目な男なのだが、外面的にはどことなく胡散(うさん)臭い雰囲気があるからである。
 彼に言わせると、自分の仕事は色々な音楽ソフトを流通業界に紹介をする事だと言っているが、彼の仕事ぶりを見ていると・・・・何故か分からないけど、いつも遊んでいるような感じしかしないのである。
 それでいて、約束をした事は大ざっぱではあるが、可成りキチンと守る方だから、この「遊んでる」という感じは、彼が後天的に獲得した律義さよりも、生来持って生まれたラテン民族的な性格の方が勝(まさ)っているためではないか・・・・と最近の筆者は考えている。
 ・・・・・・・・
 さて・・・・ラテン的と言うとすぐに思い当たる事だが、彼も兎に角「惚れっぽい」ところがある・・・・
 トミーが、どのくらい女の子に惚れっぽいのか、僕には分からないが、こと音楽に関する限りは可成り「惚れっぽい」ところがあると言っても、決して過言ではないだろう。
   
 もともと、トミーは隠岐島で生まれた男なのだが、若いときに、たった一枚のレコードがどうしても欲しくて、東京まで出て来て、そのまま東京に居着いてしまったというから、もともと風来坊的な性格を持っている男なのだろう。
 ・・・・ちなみに、彼が目下一人で経営している会社には「ロービンツ・スピリッツ」という、ちょっとロマンチックな響きの社名が付けられているが・・・・何んの事はない!・・・・日本語に訳してみると「風来坊精神」というトボケた社名である。

 さて、このトミーなのだが、こういったタイプの人間によく有りがちなように、仕事の上でたまたま見付けたCD とか演奏家に興味を持つと、全身全霊をかけて全力投球をするのであるが、御多分に漏れず、彼が夢中になった仕事というのは、殆どがいつも赤字である。

 ・・・・たとえば・・・・つい、一昨年の事だったが、スペインはバルセロナの何んとかという大きな寺院の裏通りを歩っている時に、たまたま出会ったチリ生まれの女性ギター弾き「ティタ・アヴェンダーニョ」が道端で弾いていたギター音楽にいたく感銘したトミーは、彼女が自費で制作している CD を日本の市場に紹介をしたのだが、どうも最終的には赤字を出してしまったらしい・・・・・
 そうかと思うと、次にトミーは・・・・またまた自分が惚れ込んだ日本音楽演奏家グループの演奏会を、或る北欧の在京大使館のプールサイドで開催したそうだが・・・・当日は最初の予想に反し、立ち見の人達が出るほどの盛況ぶりだったとかで・・・・珍しく「これは、もしかすると・・・・黒字になるかも?」と胸を躍らせたが、演奏会後の収支決算では、この音楽会もまたまた最終的には 5 万円の赤字だったと言う事である・・・・!

 ことほど左様に、このトミーという男は、自分がぞっこん惚れ込んだ仕事はすべて赤字にしてしまうという程の、どうしようもない勘定音痴の男なのである。

 ちなみに、トミーが確実に収入を得られる仕事と言うのは、
 どちらかと言うと、彼自身にとっては面倒臭い種類の
 「出来上がってナンボ・・・・!!」
 の請負仕事だけのようである。
 ・・・・こんな一見「怪しげな」トミーであるが、意外や意外、仲間うちでは、皆んなから非常に好かれている男なのである。
 それは何んと言っても、彼の心の優しさが皆に愛されているからだと思うが、その他にも、外面的な「胡散臭さ」とは裏腹の・・・・他人を騙して金を儲けるということが絶対に出来ない・・・・という、一種、透明とでも言えるようなトミーの少年らしさが、周囲の連中から親しみを以て迎えられているからだと・・・筆者は思っている。
 最後に・・・・このトミーと話していて、内心いつも笑いだしてしまうのは・・・・この男が、時折り見せる言い訳の論法で・・・・毒にも薬にもならないドウデモイイヨウナ事ヲ、一生懸命に理論付けて相手に話そうとする事である。・・・・と言うのは・・・・トミーが話し掛けている相手は、トミーがそんな事をしなくても、トミーの気持ちがもうスッカリ分かっているからである・・・・!!

  

 ・・・・さて、ここで今日の日記の続きになるのであるが・・・・
 このトミーに、僕が
 「ローズマリー・クルーニーが吹き込んでいるハーフ・アズ・マッチという歌の CD があったら、是非、手に入れたいんだけど・・・・何んとかならないかな・・・・!」
 という e-mail を発信したのが、今年の 9 月のことである。

 ・・・・実は、このローズマリー・クルーニーのハーフ・アズ・マッチという歌は、今から 44 年も昔に、当時大学の 2 年生だった僕が、ホンの 2 回だけ聴いたことがあった歌なのだが

If you love me half as much as I love you,
You wouldn't worry me half as much as you do........

という、その歌詞がロマンチックだったのと、ローズマリー・クルーニーの歌い方が素敵だった為に、その後 44 年間、その LP なり CD を手に入れたいと思いつづけて来た歌だったのである。

 ところで、今日の日記をここまで読まれてきた読者の皆さんは、多分、何故、たかが一曲の歌を探すのに 44 年もの歳月が必要だったのだろうかと不審に思われるのではないかと思います。
 ・・・・それは実に当然な疑問でして・・・・筆者自身も、
 「どうして、歌詞が分かっているのに、この歌のLPが見付からないの?」
と、随分ながい間、思い続けて来たものでした。

 そんな或る日のこと・・・・ふと、飲み屋で知り合った歌謡曲ファンに、この間の事情を話し、
 「・・・・ってな訳で・・・・このローズマリー・クルーニーのレコードを探すのには、どうしたらいいのかな?」
って訊くと、このバッカス先生
 「・・・・歌謡曲の場合だったら、とにかく、その歌の題名を探すことですよ!!・・・・これは、英語の歌の場合でも、同じだと思うけど・・・・・」
 との事。
 「よーし、しめたあ!!・・・・そんならば・・・・」
という訳で、ポップスとかジャズの好きな連中に
 「ねえ、ねえ・・・・ローズマリー・クルーニーが歌っている

If you love me half as much as I love you,
You wouldn't worry me half as much as you do........

っていう歌詞の歌の題名を知らない・・・・・・?」
って訊いてみても、
 「・・・・知らないなあ・・・・ローズマリー・クルーニーって、そんな歌を歌ってたっけ?」
 という返事がほとんど・・・・・

 ちなみに、近くのレコード屋さんに行って訊いてみても、
 「英語の歌詞じゃ、お手上げだねえ・・・! ・・・・日本の歌謡曲とか童謡だったら、歌詞の出だしと題名の対照表があることはあるんだけど、英語じゃねえ・・・・・!」
 というご託宣。

 「よーし、歌の題名だったら、すぐに見付けてやらあ・・・・!!!!!」
 とばかりに、勢い込んで飛びだした僕でしたが、この歌の題名の手掛かりが全く掴めず
 「・・・・いやー、参ったさん、参ったさん・・・・!!」
 ・・・・と、不本意ながらこの歌のLPやCDを見付けるのを、あきらめざるを得なくなった・・・・と言うのが、長い間、この歌の録音媒体が見付からなかった最大の理由なのである。

 ところがである!
 ・・・・今から 8 年ほど前の 1991 年頃、
 当時、私が勤めていたソニーの広報室に、商品情報室の室長として新しく異動して来た森部長に訊いたところ、いとも簡単に
 「あ、それは・・・・ハーフ・アズ・マッッチと言う歌ですよ!・・・・確か、ハンク・ウイリアムスが歌ってたと思うけど・・・・」という、いとも嬉しいご託宣。

 ・・・・この森部長の一言に、私がどんなに小躍りしたかは、容易にお分かり頂けると思いますが、もう・・・・心の中は
 「シメタ・・・・タカジャッポ・・・・ポンヤリ・・・・リクグンノ・・・・ノギサンガ・・・・ガイセンス・・・・スズメ・・・・メジロ・・・・ロシヤ・・・・」
 と大昔のシリトリ歌の鼻歌交じり!!

 早速、あちこちのレコード屋に電話を入れてみたのだが・・・・どんなに頑張っても、僕が手に入れたのは、日本で売られていたハンク・ウイリアムス盤とコニー・フランシス盤の 2 種類だけで、僕が学生時代に 2 回だけ聴いたことのある、あのローズマリー・クルーニー盤は、どう逆立ちしてみても手に入れることが出来なかったのである・・・・・!!

 「あの素晴らしかったローズマリー・クルーニーのハーフ・アズ・マッチ盤を何んとかして手に入れたい・・・・!!」
 と、思い続けていた僕は・・・・その後も・・・・大きな CD ショップを見付けるたびに、店の中に飛び込んでクルーニー盤を物色したのであるが、ついに見付けることが出来ないまま今日に至り、つい最近になって・・・・ふと、
 「そうだ・・・・トミーがいるのをスッカリ忘れていたよ・・・・!!」
 と、思いだして、彼宛てに次の様なメールを発信したのである。

****************************
トミー、今日は!!

もう何年も探しているCDがありますが、見付けることが出来ず、どうしていいのかサッパリわかりません。
ジャンルがクラシックじゃないので、全くお手上げです。
探している曲は、

●ローズマリー・クルーニーが歌っている「 Half as much 」という歌です。

 If you love me half as much as I love you,
 You wouldn't worry me half as much as you do ...............

という歌詞の古い歌なのですが・・・・
・・・・彼女が歌っているCDがあるかどうかも、分かりません!

コニー・フランシス盤とハンク・ウイリアムス盤のCDは見付けたのですが、学生時代に聞いたローズマリー・クルーニーのCD復刻盤を、どうしても見付けたいのです。
分かったら、教えて下さい!!!!!

ンじゃあ、又ねっ
*****************************

とメールを送ったのである。

・・・・すると、一週間ほどたってからトミーからメールが入り

・・・・・分かりました。
世界中のリストをチェックして、探し出してみるから、少し時間をください!!

・・・・・・・・・・と言ってきたのである。
・・・・そこで、僕は自分が持っている全ての手掛かりをトミーに連絡をしたものの・・・・・

「こりゃあ駄目だよ!・・・・とにかく世界中のリストなんて言ってるんじゃ・・・・(冨谷ミュージック探偵社)のトミー大統領でも・・・・まあ、お手上げだろうね・・・!!」

と、タカをくくり、この CD の事はスッカリと忘れていた矢先に、今日の日記の冒頭の電話があったのである。

  

・・・・僕は、本当に吃驚すると同時に、とても嬉しかったが、今は、忘年会に出掛けなければならない時間である。

トミーの言葉によると、彼はあした国道 254 号線で、北佐久郡丸子町のセカンドハウスにやって来ると言うことである。

「それなら、254 号線が通過する中込で会おうよ」
という事になり、
「・・・・今はとにかく、忘年会に出掛けなくちゃいけないから・・・・細かい会合場所は、また明日の朝にでも電話で決めようぜ」
と、言う事になり、今日のところは電話を切る事になったのである。

  

1999-12-04(土)   快晴    ヒュッテ   L = -9°C, H = 7°C

 午前 11 時半。
 長野自動車道・甘楽サービスエリアに着いたばかりのトミーから電話が入った。
 ・・・・僕達は電話で、中込(なかごみ)の駅前で落ち合う事を早々に決めて、5 分ほどで電話を切った。

 午後 1 時。
 中込駅前で落ち合った僕とトミーは、すぐに僕が知っていた、町の中の喫茶店「白樺」に向かった。

 喫茶店「白樺」は、国道 254 号線を東京方面からやって来て中込の町に入ったら、もうガムシャラに右にも左にも曲がらず・・・・「野沢橋」を渡り、さらに何処までも道なりに真っ直ぐに行き・・・・左側の角に天然記念物のケヤキの大木がある、国道 141 号線とのT字路に突き当たった所で、はじめて右に折れ・・・・右折してからホンの 50m ほど先の、道路の右側にある長野県信用金庫(けんしん)のすぐ左隣にある、古くて小さな喫茶店である。

 ・・・・車で白樺までやって来た僕とトミーは、信用金庫の裏にある駐車場に入り、エンジンのキーを捻って、車を止めた。

(★註、上記の説明の中の「野沢橋」は現在、工事中で渡る事が出来ないため、迂回の要あり)

 ・・・・ところで・・・・この喫茶店「白樺」に、僕が通い始めたのは、つい一月半ほど前からの事で・・・・そう、去る 10 月 24 日、我々夫妻が仲人さんをした中島夫妻の披露宴で、この白樺のママの直子さんに会ったことが、その切っ掛けとなっているのである。
 その時の直子さんの話によると、喫茶店「白樺」は新郎の実さんが高校生だった頃、新郎が当時かよっていた野沢北高の学生達の溜まり場になっており、その風習は、以前程ではないが、現在に至るまで続いていると言う事であった。

 
 ・・・・さて・・・・
 白樺の店内に入り、カウターの前の丸椅子に並んで腰掛けて暫くすると、トミーは持ってきたズックの鞄の中に手を突っ込み、少しの間ゴソゴソとやっていたかが・・・・
 ・・・・静かに僕の方に顔を向けると
 「はい、少し早いけどクリスマス・プレゼント・・・・!!」
 と言って、ビニール袋に入ったローズマリー・クルーニーのCDを僕に渡した。
 「え? クリスマス・プレゼント?」
 と言うと
 「そう、こう言った思い出の深いモノって言うのはねえ、お金を貰わない方がいいんだよ!」
 と言うトミーの言葉・・・・・
 「・・・・・・・・・」
 「・・・・・・・・・」
 (・・・・そうか、やっぱりトミーらしい・・・・!!)
 僕は、僕とこのCDとの出会いを大切にしている彼の気持ちが物凄くよく分かった。
 「・・・・そう・・・・トミー有り難う。じゃあ、ぼく代金を払わないよね・・・・その代り、このCD・・・・僕の宝物にするからね・・・・・・!」
 と、僕が言うと、トミーも
 「そう、喜んで貰えて、とても嬉しいよ・・・・」
 と言ったと思うと・・・・その後で、急に気が付いたように彼は付け加えた。
 「・・・・ところで、八岳さん、元気だった?」
 ・・・・このタイミング・・・・この気転・・・・!
 人に恩を着せまいとする、この言動・・・・!
 これが、本当のトミーの優しさなんだろう!
 僕は、トミーの優しさがとても嬉しかった。
 「ああ、元気だったよ・・・・メッチャ忙しかったけど・・・・!」
 ・・・・僕は何気なく口ではこう答えたが、心の中では別の言葉を呟いていた。
 (トミー、お前っていう奴は、何んて素晴らしいプレイ・ボーイなんだ!!)

  

 それからの僕達は、いつもの通りのお喋りになった。
 そう・・・・トミーと僕が会うと、二人ともいつも物凄い冗舌になる。
 ・・・・と言っても、二人の話題は、その殆どが音楽の話である。

 トミーも僕も音楽が目茶苦茶に好きである。
 トミーが好きなのは、ジャズ、ポップス、ロック、映画音楽、サウンド・トラック、歌謡曲、それにクラシックの順である。
 ・・・・逆に、僕が好きな音楽は、クラシックを筆頭に、ジャズ、ポップス、歌謡曲・・・・などの順である。
 だから、我々二人が音楽の話を始めると、話題が次から次へと飛び、留まる事を知らない。
 ・・・・しかも、今日は我々二人の外に白樺の直子さんがいる。
 まず、一番最初のお互い同士の近況報告がひと渡り済むと、もう次の話題からは、全て音楽の話ばかり・・・・・!!
 今夕、トミーが聴きに行く臼田町で開かれる胡弓のコンサートの話に次いで、
 あのバルセロナの裏通りで知り合ったティタが、ギターCDの新盤を吹き込んだという話。
 ・・・・それに関連して
 「ねえ、今度チャンスがあったら、ティタのコンサートを日本でやろうかと思ってるんだけど、どう思う・・・・?」という話題。
 その次が・・・・何んだか忘れてしまったが、何んとかと言う、今まで聴いたこともない名前の楽器のコンサートの話。
 直子さんから出た、越路吹雪の「雨垂れのナントカ」と言う歌とこれまた「ナントカ」というシャンソンのCDの話。
 ジャズの MJQ やケニー・ドリューの話。
 ・・・・・etc........... etc..............もう、音楽の事なら何んでもあり・・・・の会話である。
 そのうちに、ふと、トミーが話題を変えて
 「ところで、八岳さんが寄付したレコードの中にミッキーマウスのレコードがあったでしょう?」
 と僕に聴いた。
 「うん、あのアルバムになってた奴?」と僕。
 「そう、そう、そう・・・・・あれ、あれ!」
 と、トミーが言うと、直子さんが言葉をはさんだ
 「何んの話ですの?・・・・それって?」
 するとトミーが、
 「八岳さんって言うのはねえ・・・・変わった人なんですよ!」
 「あら、どして・・・・?」
 「自分が持っていた、昭和 10 年くらい迄の貴重なSPレコードの輸入盤 1,200 枚ほどを小海町に寄付しちゃったんですよ・・・・」
 「あら・・・・」
 「・・・・でしょう! そのレコードは、僕がスッカリ黴(かび)を落として、高原美術館のガラス・ケースに入れて整理をしたんだけど・・・・その中に、さっき言った、アルバムになったミッキー・マウスのレコードがあったんですよ」
 「・・・・あのレコードがどうしたの?」と僕。
 「あれが、この前、テレビでやっている ”お宝鑑定団”に出て来たんですよ?」
 「・・・・あの、火曜日の夜の番組の・・・・?」
 「そう、あの番組ですよ」
 「へーえ?」
 「それで、いくらの値がついたと思います?」とトミー。
 「いや、分からないねえ・・・・全く!」と僕が言うと、
 「いくらでしたの?」と直子さん。
 「・・・・20 万円ですよ!」
 「へーえ、そうかねえ・・・・あんなモノがかねえ?」と僕。
 「あら、凄いじゃない・・・!」と直子さん。
 「・・・・しかもですよ・・・・・!!」とトミー。
 「え、どうかしたの・・・・?」
 「いや、僕がテレビの番組で見た奴より、八岳さんが町に寄付した奴の方が、ズット保存状態がよかったんですよ・・・・・」
 「あら、凄いじゃない・・・!」と改めて直子さん。
 「そうでしょう! だから、あのレコードを出したら、もっと高い値段が付くって訳ですよ・・・・・」
 「でも、あれは、もう僕のモノじゃない。町のモノだよ・・・・!!」
 ・・・・と言うと、トミーは直子さんに
 「ね、八岳さんって、変わってるでしょう・・・?」
 「そうよねえ・・・・普通だったら、もっと違った風に考えるわよねえ!」
 「・・・・そうかな、それよりさあ、トミー!」
 「え?」
 「このクルーニー盤、どうやって見付けたの?」
 「あ、それですか? それはねえ・・・・六本木の量販店が店じまいしたんですけど、その時に、レコード関係者を集めて、バーゲンを開いたんです!!」
 「へえ、関係者だけのバーゲンって・・・・・そんな事ってあるの?」
 「ええ、あるんですよ・・・・」
 「それで・・・・・?」
 「ええ、それで・・・・会場についたら、大勢の人が居たんだけど、モウなりふり構わず ”ローズマリー・クルーニーを皆んな俺に見せろオオオオ・・・・・”って、引っ掻き回したら、この輸入盤が出て来たって訳ですよ」
 「・・・・でも、おかしいな?・・・・輸入盤にしても、どうして今まで見付からなかったんだろ?」
 「・・・・さあ、そこなんだけど、多分、これは、もともと、ローズマリー・クルーニーのLPのアルバムに入っていたものじゃなくって、アメリカでは、シングル盤として出たものじゃないかと思うんですよ」
 「へえ、どして?」
 「・・・・そうじゃないと、見付けるのがこんなに大変じゃないんですよ・・・・!! だから、誰かが、ローズマリー・クルーニーのシングル・ヒット盤を集めてこのCDを作ったんだと思うんですよ・・・・・」
 「そう、でも、トミー、本当に有り難う、オレ、物凄く嬉しいよ・・・・」
 と、改めてお礼を言うと
 「でも、よかったですよ・・・・そんなに喜んで貰えて・・・・」
 「有り難う。ホントに・・・・」
 ・・・・と言ったあと、直子さんに
 「直子さん、このCD、かけて貰えるかな?」
 と言うと、彼女は言った。
 「はい、結構です。お掛けいたします・・・・」
   

 
      

 ・・・・僕は、今しがたトミーから受け取ったばかりのCDのセロファンの封を切り、
 「おっ、凄げえ! ハーフ・アズ・マッチは一曲目だ・・・・!」
 と言いながら、そのCDを直子さんに渡すと、直子さんは店の片隅にあるプレーヤーにCDを挿入し、スタート・ボタンを押した。
 と・・・・すぐにスピーカーから、流れ出して来たハーフ・アズ・マッチの歌。

If you love me half as much as I love you,
You wouldn't worry me half as much as you do.
You are nice to me when there's no one else aroud.
You only build me up to let me down.

If you miss me half as much as I miss you,
You wouldn't stay away half as much as you do.
I know that I would never be this blue,
If you only love me half as much as I love you.....................

 ハンク・ウイリアムスともコニー・フランシスとも全く違う、ローズマリー・クルーニーの「ハーフ・アズ・マッチ」!!

 生まれてから、三回目に聴くクルーニーの「ハーフ・アズ・マッチ」
 44 年振りに聴く、クルーニーの本当に寂しげな、細く訴えるような、美しい声・・・・!!

 ・・・・聴いているうちに、僕は、大学 2 年当時の商船大学の学生寮を、
 青空の下、オールのブレードを綺麗に揃えて漕ぎ返す、カッター訓練のことを、
 白鳥のように優雅に水面を走るヨットのセールの影を、
 トイレに入って迄も、考え続けた微積分や球面三角法の問題の解法ことを
 夜遅くまで、譜面台のうえに載せて読んだトルストイやロマン・ロランなどの名作のことを
 ・・・・そして、将来、出会うであろう爽やかな恋人を夢見たことを・・・・・

 ・・・・このローズマリー・クルーニーの「ハーフ・アズ・マッチ」を聴きながら・・・・僕は、こういった、当時の数々の懐かしい場面を思い出していた・・・・・!!

 懐かしい学生時代!
 懐かしい声!
 懐かしい発音!
 ・・・・そして懐かしいローズマリー・クルーニー・・・・!!

 聴いているうちに、僕は本当に、懐かしくて、淋しくて、悲しくて・・・・そして・・・・嬉しくて・・・・トミーと直子さんの前で泣き出してしまっていた・・・・!!

 ・・・・だって・・・・だって・・・・ロースマリー・クルーニー!!
 「・・・こんなにも、僕は貴女のハーフ・アズ・マッチに会いたかったんだもの」って・・・!

  
 ・・・・歌が終わると、僕は、
 「トミー、本当に有り難う。 物凄くクルーニーがキレイだったよ・・・・!!」
 と言って、トミーの頭にてを延ばすと、彼の頭の髪の毛をグシャグシャにしてしまった。

 すると、どうだろう・・・・?

 トミーったら
 「このくらいのCDが見付からなけりゃ、”冨谷ミュージック探偵社”の名前が泣きますよ・・・」
と言って、涙にグシャグシャになっていた僕を爆笑させてしまったのである!!

 ・・・・だって、「冨谷ミュージック探偵社」って、さっきまでトテモ胡散(うさん)臭い社名だと、思ってたからなんだもの・・・・・!!

 

 それから 1 時間ほどしてから、僕達は喫茶店「白樺」を出て、トミーは丸子町へ、僕は三岡のラジコン・ショップに出掛けたが、夕方、ヒュッテに帰ってきた僕は、夕食を作りながらこのローズマリー・クルーニーの「ハーフ・アズ・マッチ」のCDを「一曲リピート」にして 25 回ほど聴きました・・・・・・。

 ・・・・今日は、本当に最高の一日でした・・・・・!!

(★ Back to " E-mail exchanges with Mari !)
 

1999-12-8(水)  快晴    ヒュッテ   L = -9°C, H = 4°C

久方振りのユックリとした休日。

午前中は、洗濯をして、掃除機をかけて、部屋の掃除をしたあと、大好きなヘルマン・ヘッセの水彩画集のページをゆっくりとめくり・・・・

お昼御飯は、「高原のパン屋さん」で 141 号線沿いの美しい景色を眺めながら昼食を済ませ、それから臼田町の佐久総合病院の眼科に出掛け、帰り際に、喫茶店「白樺」に寄って、直子さんとトミーの話をして帰って来た。

彼女の曰く。
「富谷さんと八岳さんって、とても似たところがあるわよ・・・・!!」
・・・・ですって・・・・

「そうかなあ・・・・僕あ、あんなに胡散臭くないと思うけどなあ・・・!」
と言ったら、彼女の笑うこと・・・・!!

この席に、トミーがいたら、きっとトミーもいった事だろう・・・・
「いや、直子さん・・・・僕だって、八岳さんみたいにガキっぽかあないですよ・・・・!」
・・・・って!!

  

1999-12-10(金)   快晴    ヒュッテ   L = -9°C, H = 7°C

午前 11 時。
来年度開催予定のラジコン・フェスティバルの打ち合わせをキャリフール・センターにて行なう。

その結果は下記のとおり内定した。
氷上カー・レース       :2000 年 2 月13 日(日)
ヨット・ボート・フェスティバル:2000 年 5 月 14 日(日)

出席者:ホビーショップ「とみおか」、宮本屋さん、立花屋さん、八岳
    (役場の井上係長は、災害対策の打ち合わせの為、急遽、欠席した)

・・・・これで、ようやく 3 年越しの夢だった松原湖上でのラジコン・ヨットのフェスティバルが実現する事になった。

  

1999-12-12(日)   快晴     ヒュッテ   L = -9°C, H = 00°C

午前 7 時半。
いつもの様に、ベランダの手摺りと庭の餌台にヒマワリの種を入れてやる。
長靴を履き、ヒマワリの種の入ったザルを持ち、バリバリに凍った庭に出て、

  ピー、ピー、ピー、ピー、ピー、ピー、ピ〜

と口笛を吹くと、小鳥たちは僕のことを、もうスッカリ憶えていて

  チー、チー、チー、チー

と、囀りながら、近くの白樺の小枝に飛んできて、僕を見下ろし
・・・・僕が、餌台から離れると、すぐに餌台に飛んで降り、代わる代わるヒマワリの種を食べ始める。

僕も、食事の用意を済ませ、朝食を食べながらガラス戸越しに、ベランダの餌台を見ていると、小鳥たちが次々にやって来て、餌場の奪い合い盛んにやっている。

 シジュウカラ、ゴジュウカラ、コガラ、ヤマガラ・・・・・・

一番、威張っているのがゴジュウカラで、一番要領が悪いのが、シジュウカラの幼鳥である。

・・・・こう言った小鳥たちは、僕が傍で食事をしていても、殆んど気にしないし、こういった小鳥たちを眺めながら、朝御飯を食べると、ご飯が本当に美味しい!!

そう言えば、今年の夏、家内とコッチロがヒュッテにやって来た時、ベランダの餌台のすぐ近く・・・・そう、距離にして 50 〜 70 cm の所で、家内が洗濯物を干していても、小鳥たちは平気な顔をして、餌を食べて居たのがとても印象的だった。

・・・・その後で、家内が言ってたっけ・・・・

「小鳥たちって、ホントに可愛いわね! ・・・・ホントよ!・・・・もう手で触れる位の所で洗濯物を干しても、チットモ怖がらないないんですもの!!」
・・・・って。

   

1999-12-14(火)   曇     ヒュッテ    L = -4°C, H = 2°C

 午前中、ノンビリ過す積りで居たが、洗濯を終わったところで、ふとテレビのスィッチを入れたら、日栄の松田社長の「暴力的取り立て問題」の国会に於ける証人喚問が丁度始まるシーンが目に飛び込んできた。

 ホントは、洗濯の後で、各部屋に掃除機をかける予定だったが、僕は、そのまま、テレビの画面に釘付けになってしまいました。

 ・・・・それからの、人に会う約束のある小一時間の間、自民党の女性議員、民主党議員 2 名、公明党の議員・・・・計 4 名の代表質問のやりとりを見ていたが、ハッキリ言って、こんなに世間一般が関心をもっている事柄に対して、この 4 人の事前準備の程度に大きな違いがあるのには、とても驚いた次第である。

 ・・・・議長からの注意、証人の宣誓など、一連の手続きのあと・・・・

 まず、自民党の女性議員からの質問があったが、質問の内容は、
 「道義的責任についてどう思うか?」
 というような内容のものがメジロ押し。
 ・・・・これに対して、松田社長の
 「エー、当社は業界のリーディング・カンパニーでございますから、会社ぐるみで暴力的な取り立てを、行うはずがございません・・・・・」
 と、いう時ような間稼ぎの、答弁がメジロ押し。
 ・・・・見ていた僕は腹が立って
 「バーカ、そんな時間稼ぎの答弁を許さずに、イエスかノーで答えろ・・・・って、どうして迫らないんだ・・・・!!」
 と、画面に向かって怒鳴る場面が何度かありました。
 ・・・・ハッキリ言って、証拠を挙げないで、いくら倫理的な質問をしたところで、答弁をする証人にとっては痛くも痒くもないし、そんな質問に対しては、いくらでも都合のいい言い開きが出来てしまう。
 正直言って、そんな事も分からないのかと、この女性議員の質問には聊かアキレてしまった・・・・と言うのが偽らざる感想。

  
 次いで、代表質問に立った民主党の議員 2 名。
 ・・・・この二人の質問は、実に迫力があるものでした。
 まず・・・・「ノー!」で答えられないような質問で松田社長に「イエス」と答えさせ、その「イエス!」を基にした質問で更に狭義の「イエス」を引き出すという、論理的な質問戦術。
 ・・・・困った松田社長が
 「エー、当社は業界のリーディング・カンパニーでございますから・・・・・」
 等と逃げようとすると、
 「いえ、そこの所は結構です! イエスかノーでお答え下さい」と迫る迫力!!
 ある時などは、別途入手した日栄の内部資料を、
 「これに、見覚えがありますか?」
 と、迫り
 「・・・・部長名の書類などは、私の、知らない所で出されてしまう事がある・・・・」
 と、弁明すると、その民主党議員は、もう一枚の内部資料を取りだし
 「この書類は、社長名で出されていますが、これは、ご存じですね・・・・」
 と迫り「イエス」の答えを引き出した上で、暴力的取り立ての事実の確認に迫って行く。
 ・・・・たまりかねた社長が弁護士と相談して、
 「もう、何年も前の資料を持ち出されても、現状にそぐわない・・・・・」
 と弁明しようとすると
 「いや、それはおかしい!・・・・これは、今年の(或いは去年だったかも?)資料ですから・・・・」
 と、間髪をいれずに切り返す!!
 ホントに迫力のある、民主党議員の代表質問でした。

 
 その次に立ったのが、公明党の議員。
 この議員の開口一番のオドロクべき発言は、
 「・・・・先刻から、色々な質問が出されていますが、状況は、全く変わっていないのは残念です・・・・!」
 というような主旨の・・・・証人喚問の席上、今の今までどのような迫力のある遣り取りがされていたかが、全く分かっていない・・・・民主党議員の迫力の素晴らしさをわざと無視するようなトンチンカンな発言。
 ・・・・それほどの発言をする自分は、どんな質問をするかと思えば、
 「日栄の取り立てには道義的にケシカランところがあると思うが、社長は自分でどう思うか?」
 というような、馬鹿げた質問ばかり・・・・!!
 (そんな質問じゃあ、何んとでも言い返せらア・・・・!)
 と内心思っていると・・・・案の定、松田社長より
 「エー、当社は業界のリーディング・カンパニーでございますから・・・・・」
 と、時間稼ぎの答弁を好き勝手にされても・・・・それを中断もできない能無し振り!
 ・・・・しかも、そのうちに、松田社長のことを
 「・・・・この様な老獪な証人にあっては・・・・私はどうにもならない」
 と言うような、自分の無力をさらけ出すような発言があったり、言う事に困って
 「現在のような会社のあり方を、厳重に改めてこれからの業務に当たって欲しい・・・・」
 などと言うものだから、松田社長から・・・・
 「・・・・ご指導有り難うございます・・・・!!」
 と、感謝までされてしまう有り様!
 ・・・・・全く、この議員は何んのために代表質問に立ったのか・・・・・?
 見ていた僕は、
 「これは、日栄再起の壮行会じゃねえんだ・・・・!」
 と思わず、テレビに向かって怒鳴る一幕もあった程です。

 
  さて・・・・ここまでテレビを見ていた僕は、ここで外出をしなければならず、あとの代表質問は聞くことが出来ませんでしたが・・・・考えて見ると、こんな調子じゃあ、いつまでたっても日本はよくなる訳がないよ・・・・と、思わざるを得ない気持ちにさせられました。


 さて・・・・
 ・・・・ここに記したこの「テレビ中継に関する私の感想」は、聊か、誇張した点があるかも知れません。
 しかし、私はこの番組を見て代表質問に立った議員の批評をしようと手ぐすね引いて待っていた訳ではないし・・・・たまたま、スイッチを入れたら、目に飛び込んできた中継を見ていて感じた素直な感想をここに記したにすぎません。だから、正直な話し・・・・これらの議員さんの名前は一人も憶えてはいません。
 ・・・・・・・
 しかし、世の中の人々の考え方は千差万別。
 今回のテレビ中継に対する反応も、また千差万別だと思います。
 ・・・・しかし、今回の中継に関する私の感じ方は、そんなに大それたものではないと、私は考えています。
 もし、私の感じ方がおかしいとおっしゃる方がいらっしゃるなら、改めて NHK より、この中継番組の再放送をしていただき、大勢の一般の視聴者に見て頂き、その意見のアンケートを取ってみれば、面白いと思います。
 ・・・・多分、・・・・どんなに少なくとも 30 〜 40% の方々が・・・・多い場合には、60 〜 70% の方々が、私の感じ方に賛意を示して下さると思っております。
 

 ところで・・・・
 今回の証人喚問の代表質問でみられるように、民主党のようなハッキリした理念と透明性を持った党が自民党の対抗勢力になるような二大政党による政治に落ち着かないと、日本はいつ迄たっても、よくならないのではないかと思います。

 私は、「ここで民主党のような」という表現を使いましたが、自民の対抗勢力が民主党でなくてはいけない・・・・等とは、毛頭考えてはおりません。

 民主党の代りに公明党であってもいいのです。
 ・・・・しかし、今回の代表質問で見られたような、「国民不在の政治音痴」的な代表者を立てる党では、誠に、首筋が寒くなるような気さえ起こさせます。

 
 以上、政治には拘り(かかわり)たくない「東京の落ちこぼれ!!」の一言でした!!

 チョン・・・・!!!!
     




1999-12-15(水)   曇時々雪    ヒュッテ   L = -7°C, H = 4°C

今週の休みも今日で終わりである。
・・・・最近の僕の休日の過し方は、以前と少し違って来ている。
と言うのは、今年の夏・・・・下水用の大型の浄化槽と本格的な薪小屋を作って貰い、薪小屋にはひと冬分の薪を蓄えたために、今までに比べると、冬への準備が圧倒的に楽になっているためである。

冬に備えて十分の薪があると言うことが、どんなに心強くて、人の気持ちを暖かくするかという事は、どんなに口を酸っぱくして力説してみても、北国で生活をした経験の無い人には、絶対に分からないだろう・・・・!!

そんな事があってか、今年の年末は、冬がやって来るのが何んとなく楽しいような気さえする。

「・・・・さあ、冬よ来い・・・・!」

こう思える事が、どんなに嬉しい事か・・・・これも経験したことのない人には、矢張り分からない事ではないかと思う。

・・・・こんな、心のユトリが少しは出来て来た所為か、最近の僕の休日の過し方は、本当にノンビリしたものになって来てしまった。

朝は 8 時近くになって寝床から這いだし、こんがり焼けたバゲットに冷たいバター、熱い紅茶にキャベツ・ピーマン・キューリ・プチトマトを刻んだ新鮮はサラダ、半熟卵にヨーグルト・・・・という定番メニューの朝食。
そして、この大好きな朝食を、ベランダの小鳥達をすぐ近くで眺めながら、一時間近くもかけてユックリと楽しむ・・・・この幸せ!!

  
・・・・そう言えば、この頃、今まで殆ど見たことのないヘンテコな野鳥がやって来て、ヒマワリの種を独占するようになってしまった。
どんな顔をした奴かと言うと・・・・!
・・・・こんな顔をした奴である

コイツに会うと、ふだん幅をきかせているゴジュウカラも、眼付け(がんづけ)られて一発で退散である。
・・・・ほかの野鳥達は、ヒマワリの種が入った容器の縁に止まって餌を食べるのであるが、コイツだけは、上の写真のように、ドップリと餌の中に入って陣取り、外の小鳥達を皆んな追っ払ってしまうのである。

ちなみに、野鳥図鑑で、この鳥の名前を調べたら、イカルに一番近いのであるが、目のんわりがどうも今ひとつピッタシ来ないのである。

誰か、ご存じの方がいらしたら、是非、この野鳥の名前を教えて下さるように、お願い致します。

 

1999-12-16(木)   快晴    ヒュッテ    L = -8°C, H = 4°C

 午前 10 時。
 アルバイト先の観光案内所に着いたら、国立音大の花村先生より手紙が届いていた。
「わあ、嬉しい !」
 ・・・・12 月 24 日、母親がお世話になっている老人ホームで披露することになっている「思い出の歌」に先生が伴奏をつけて下さり、その伴奏をピアノで弾いたものを MD に記録をして送って下さるとおっしゃってた、その花村先生からの手紙である。

 分厚い封筒を開けてみると、はたして先生からの手紙と、MD であった。
 ・・・手紙には、気候の挨拶に続いて、先生のお宅で・・・・今年の夏、先生の別荘で僕も会った事のある、あの可愛らしい女子学生の田中さんと瀬尾さんがピアノで MD 録音した時の状況と・・・・それから、2 〜 3 の録音上の変更点と注意点が書かれており、手紙のほかには、手書きの楽譜のコピーと一枚の MD が入っていた。

 「うわあ、この楽譜のコピーは、額縁に入れて、僕の宝物にしよう!!」

 僕は、楽譜にザッと目を通すと迷う事無く、そう叫んだ。

 
 午後。
 用事があって外出したついでに高原美術館に立ち寄り、美術館の MD プレーヤーで二人の学生さんが吹き込んでくれたピアノ伴奏を聞いてみた。
 (あ、面白い! これならすぐに歌えそう・・・・!)
 (・・・・途中の ”お月様”の部分もとても入りやすいし・・・・)
 ・・・・そんな事を考えながら、一回目は、全部を流して聞いたあと、もう一度、再生をお願いし、前奏が鳴りだすと、僕は急に立ち上がり・・・・伴奏に合わせて歌を歌いだした。


真夏が来れば、思い出す

小さい僕らを見下ろしながら

母さんが釣ってた、あの蚊帳(かや)の色

窓辺の風鈴も夢見てた

 
雨の降る日は、思い出す

一年坊主のドシャ降りの日に

母さんが届けた、あの迎え傘

・・・・・・

 
 途中から、拍子が 3 拍子から 4 拍子に変わる、あの・・・・・

 
お月さんいくつ、十三ななつ

まだ年ゃ若いね

あの子も生んで、この子も生んで

・・・・・・

 
 ・・・・の部分も、ポンパ、ポンパ、・・・・という伴奏に乗って、楽しく歌う事ができ・・・・ホッとっして、僕が歌い終わると、三浦さんが手を叩きながら言って呉れました。
 「八岳さん、素敵!!・・・・」
 「うん、有り難う・・・・」と僕。
 「これで、お母さまの所に行く前に練習が出来ますね・・・・?」
 ・・・・と言われて、初めて気が付いたのであるが
 「いや、駄目なんだよ・・・・」
 「アラ?」
 「いや・・・・ネ、僕の家には MD プレーヤーがないから、テープに落とさないと・・・!」
 「それじゃあ、CD に落としましょうか?」
 「えっ、ホント? CD にイ〜・・・・そんな事って出来るの? CD プレーヤーだったら、我が家にあるから、いくらでも練習出来るよ! それに、CD の方が音がいいからさあ・・・・テープより・・・・」
 「ねえ、いいですよねえ? 中嶋さん・・・・?」
 と言って、「ひろみちゃま」のご主人の実さんの許可を貰うと、彼女は MD の音を CD に焼き直して呉れました。

*******************

 
 ・・・・しかし、考えてみると、僕という男はナンと幸せな人間なんだろう!!

 ・・・・だって、そうでしょう!!
 「・・・・母親の老人ホームで去年歌った ”思い出の歌”という自分で作った歌を、今年も歌って欲しいとホームがら頼まれ、出来れば伴奏付きで歌って上げたいものですから、簡単で分かり易い伴奏を付けて頂けると有り難いんですが・・・・・?」
 と頼んだら、あの多忙を極める国立音大の花村教授が
 「ああ、いいですよ!・・・・メロディーの楽譜をもっていらっしゃい・・・・」
 と、快く引き受けて下さり・・・・さらに、その上、
 「母親のホームでは、ピアノを目にしたことがありませんので、多分ピアノは無いんじゃないかと思いますけど・・・・・・」
 と、言うと、
 「では、学生達と音のキレイな MD で録音しましょうか・・・・」
 とおっしゃって、二人の女子学生さん達と一緒に録音をしたものをお送り下さり・・・・・

 それを受け取った僕の家に、MD プレーヤーが無いと分かると
 その MD を CD に焼き直しをして呉れる人が現れる・・・・

 これを幸いと言わないとすれば、ほかに何んと言ったらいいのだろう?

 僕は、本当に幸せな人間だと思う・・・・!!

 ・・・・こんなに、好き勝手で、我が侭な事しかしちゃいないのに・・・・!!

     
花村教授、田中さん、瀬尾さん・・・・ホントにどうも有り難う!!

  
1999-12-18(土)  曇のち雪   ヒュッテ    L = -5°C, H = 2°C

昼過ぎから降りだした雪は夜半迄に 8cm ほど積もった。
三日ほど前に少し雪が降り、日陰にはその雪がまだ残っているせか、日中の最高気温も 2 度までしか上がらなかった。

午後 11 時過ぎ、2 階で洗濯物を畳んでいたら、自動車の音がした。
「おや、こんな夜更けにだれだろう?」
と思って、窓をあけて外を見たら、ラッセル車だった。

  
1999-12-20(月)   快晴   ヒュッテ    L = -8°C,   H = -1°C

久方振りのユックリした休日。
今日は、日中の最高気温がマイナスの・・・・今年始めての真冬日だった。

午後 11 時。
家内から電話があって
「ヒュッテの 2 階にあるブルーフレームのストーブを、今度、帰ってくるときに持ってきて頂戴・・・・!」て言う。
「どうしたの、今頃、石油ストーブなんか?」
って訊いたら
「コンピューターの 2000 年問題で電力会社の電気が止まったら、FF 暖房機が使えなくなっちゃうもの・・・!」
・・・・だってさ! 苦労性だなあ!!

  

1999-12-22(水)   快晴   ヒュッテ    L = -12°C, H = -2°C

今冬、始めて最低気温がマイナス 10 度を下回った。
寒いけど、ピリっとしていい気持ちである。

午前 10 時。
役場第一会議室に集合。
小海町商工観光業振興審議会の第一回委員会が開かれたためである。
今回、町から委嘱された観光関係の委員は、松原湖観光協会会長の邦人さん、青年部部長の栗ちゃん、ブローニュの上松夫人、それから僕の 4 人。
商工会の委員には、品ちゃん、ヤナショーの社長、など顔見知りの人が何人かいた。

会議の時間は約 2 時間。
町長の挨拶、審議会議長の選出、自己紹介にひき続き、馬流橋の掛け替え、温泉掘削の議題紹介など・・・・町の中の色々な状況が分かり、とても面白かった。

  

1999-12-24 (木)   快晴    八岳

明日、母親のホームで、花村教示が伴奏を付けて下さった歌を歌う為に、中野の家に帰宅。
帰ったトタン待っていたのが、親父の従弟の英雄ちゃんが亡くなったというニュース。
「エーッ、どうしてえ??」
・・・・僕は驚いて大声を上げた。
・・・・話を聞いてみると、心臓の発作で亡くなられたとの事。
「ついこの間まで、あんなに元気だったのにい・・・・!」
僕には、ホントに信じられないような話だった。 

・・・・でも、現実には、もう 15 万秒ほども昔の事。
現在という時点は、物凄い勢いで、過去へ・過去へと変貌している。
「仕方がないよ・・・・もう起きちゃった事だもの・・・・!」
僕は話を聞き終ると同時に、仕事の予定を変更する段取りを頭の中で模索し始めた。
「アレとアレをああやって、コレとコレをこうやって・・・・」
・・・・僕の今までの人生には、ホントに色々な事が起きて来たけど、また一つ淋しいことが起きてしまった。
暫くして、気が付くと・・・・何にか、とても疲れていた。

朝から、食事・洗濯・薪の整理・水落とし・4 時間のドライブ・・・・・etc. etc.

  
夕方。
シェステに行ったら、会長がいたので、どうでもいいような話をポツリ、ポツリとして帰って来た。・・・・でも、友達って、とてもいいもんだ・・・・と思う。

  
1999-12-24(金)   晴     自宅

忙しい一日だった。

朝起きて着替えを済ますと、家の周りの道路と隣のアパートの周りの掃除をすまし、朝食を食べたあとは、今度は食器洗い。
そのあとで、ストーブの石油を入れたり、裏木戸の表札を手直ししたり・・・・普段、家にいないで勝手な事ばかりやっている罪滅ぼしではないが・・・・自分で気が付いたり、家内から言われた事をセッセと片付けた。

10 時。
松原湖観光案内所と宮本屋旅館に長距離電話を入れ、
「・・・・親戚に不幸があり、明日の告別式に出席したいものですから・・・・」
と事情を話して、明日の仕事を休ませて頂く事にした。

11 時半。
早めの昼御飯をすまして、母親のホームに出掛ける。

午後 2 時。
特別老人ホーム「真寿園」のクリスマス会に参加。
・・・・僕は、国立音大の花村教授が譜面に起こし、女子学生田中理恵子さんと瀬尾香織さんが連弾で入れて下さったピアノ伴奏の MD の音をバックに、自分でメロディーと歌詞を作った「お月様の歌」を歌った。
・・・・実は、この「お月様の歌」を人前で歌ったのは、これで 2 回目である。
この歌を始めて披露したのは、今日と同じく、この真寿園であった。

その模様は、この高原日記の 1998 年の 11 月 11 日の日記に細かく記されているが(当日の日記をお読みになりたいかたは、 ここをクリックなさって下さい!、今回も前回と同じく、僕がこの歌を歌い始めると、車イスに乗った母親は目を真っ赤にしていた。

歌い終ると、大勢の人達が、母親に
「田中さん、よかったよねえ! 昭雄さんが歌って呉れて・・・・」
と、喜んでくれたのが、僕にはとても嬉しかった。

・・・・でも、中でも、一番嬉しかったのは、一人の若いヘルパーさんが
「去年、歌って下さった時もヨカッタけど、今日のように伴奏が入ると、ずっとよくなりますね・・・・!!」
と、言ってくれた事である。

花村先生、田中理恵子ちゃま、瀬尾香織ちゃま!!
・・・・今日、このように素晴らしい午後を送る事ができたのは、本当に皆様のお陰です。
・・・・また、チャンスがありましたら、小海でお会いできたらと考えています。
その時は、是非、我が家にもお出掛け下さい。
本当に、何時までも、皆さんと友達でいられたら・・・・と考えております。

クリスマス会の全てのプロクラムが終ったところで、腕時計を見ると、何と、もう 4 時近くである。・・・・しかも、英雄ちゃんの告別式は午後 6 時からである。

僕は、事情を話し、早々に真寿園をおいとますると、急いで中野の自宅に帰り、大急ぎで喪服に着替え、家内と宝仙寺に着いて時計を見ると、6 時 5 分前。

お焼香をすませ、皆さんに挨拶をして、30 分ほど昔話をしたあと、上高田 2 丁目の交差点の近くの桃園教会のクリスマスのイヴ礼拝があるのを急に思いだし、
「エーイ、家に帰る暇なんかないや・・・・」
とばかりに、そのまま喪服のままで、出席をする事にした。

教会での礼拝後、僕の顔を見ると何人もの教会員が
「あれ、八岳さん、どうしたの・・・・?」
とスットンキョウな声を上げ、僕が、黒ネクタイを締めているのを見ると
「えっ、何があったの?」
と、更にビックリ・・・・!

「イヤア、長野から中野に帰って来たトタン、叔父貴が亡くなったと言われて、僕もビックリしたんだよね・・・・」

と、皆に説明をし、皆さんがシンミリしないように、今迄のご無沙汰をお詫びし、積もる話を 10 時過ぎ迄続けた。

結局、家に帰って晩ご飯を食べ終ったのは、何んと、午後の 11 時過ぎ。

そのあとで、風呂に入り、メールボックスを開け、メールを読んで 3 本の返事を出し終ったのは午前 2 時過ぎでした。

今日は、本当にメッチャ疲れました。


  

1991-12-25(土)   快晴     中野

明けて 12 月 25 日。
今日は英雄ちゃんとのお別れの日だけど、クリスマスの日でもある!!
(・・・・クリスマスって、確か、何かの予定が入っていたはずだけど・・・・?)
と思って手帳を見ると、
「そうだ、今日は、松原湖のリエックス・ホテルの教会で Vn の音楽会があったんだっけ・・・・!」
と、思いだし、慌ててリエックスの小林努さんに長距離電話を入れた。

・・・・ホテルの電話受付嬢に小林さんをお願いし、電話に出た小林さんに
「宮ですけど・・・・」
と言うと
「あ、八岳さん、今夜いらしてくれるんですよね!・・・・お会いするのを楽しみにしてますから・・・・!!」
との事。
「あ、小林さんゴメンナサイ・・・・今、東京なんです!」
と言うと、彼はビックリして
「え、どうしてえ? お会いするのを楽しみにしてたのにい・・・・!」
と、鼻を鳴らした。
・・・・そこで、叔父貴が急逝したことをかい摘んで話し
「・・・・と言う訳なんだけど、川商の三浦康子さんにもゴメンナサイって伝えて頂けますか? あ、それから、川瀬社長さんにも僕の叔父貴の宮英雄が他界したとお伝え願えますか?」
「はあ? 社長にですか?」
「ええ、そうです。宮英雄っておっしゃっていただければ、お分かり頂けると思います。社長さんの話では、確か、この宮英雄っていう人は、ずっと昔、川瀬社長の上司だったという事なんです」
「ずっと、昔って言うと・・・・安宅産業時代って事ですか?」
「ええ、そうです。・・・・でも、何も心配しないで下さいって! ただ、そういった事があったって事だけを伝えて頂ければ、それでいいんです」
「すべて分かりました。ご心配なく・・・・」
「ホントに申し訳ございません。宜しくお願い致します・・・・」
と、言って慌ただしく電話を切った。

午後 1 時、宝仙寺にて英雄ちゃんの告別式。

午後 2 時半、堀ノ内の火葬場にて、最後のお別れをして、遺体を荼毘に付す。
・・・・その際
「ねえ、英雄ちゃんさあ、おじいちゃんにそっくりだったよねえ」
と、僕が安永のママに言うと
「おじいちゃんて、治三郎さんのこと?」
「うん・・・・」
「ホント、貴方もそう思った? ホント、そっくりだったわよ。まるで、生き写しって感じよねえ・・・・!」
と、しみじみと言った事である。
更に、印象的だったのは・・・・そのママが、遺体の廻りにお花を詰めるとき、親しい友達に向かって言うように
「サヨナラ、英雄ちゃん、サヨナラ! サヨナラね・・・・こんなに早く居なくなっちゃうなんて・・・・!」
と何回も言っていた事である。

午後 4 時半。
宝仙寺に戻って、初七日。
いつも思うことだけど、宮家の法事とかお葬式とかには、50 〜 60 人の人達が集まる。
今回、ホントに久方振りに会ったのが、英雄ちゃんの妹の順子ちゃんで、35 年振り位のことではなかっとろうか? ・・・・順子ちゃんが、その昔に話してくれた、「ソルベーグの歌」の物語はいつ思い出しても懐かしい話である。
・・・・それから、今回始めて話をしたのが、ムコヤマ(向うの山)の本家の章子さん・・・・
彼女との話題は、西山の曽祖母のキノさんのことから始まり、栄一さん、育代さん、紀夫ちゃん、博子ちゃん、安芸さん親子、加藤剛さん、福太郎さん、ツバメグリルの話・・・・等々、僕の小さい時からの思い出を色々と話すと、章子さんは少なからず驚いた様子で
「・・・・驚きましたわ! ホントに色々な事を憶えてらして・・・・」
との事。
 最後が、英雄ちゃんの娘さんとそのご主人と話したことで、斑尾と松原湖のハウスの相互乗り入れをしよう・・・・と言う事で、少なからず意気が上がったものである。
 ・・・・何れ皆さんとは、改めて連絡をとり、色々と話をしたいと思っている次第である。

午後 6 時。
皆さんにお別れの挨拶をして、一路、松原湖に向かう。
途中、横河のサービスエリアで夕食。
佐久平で高速を降り、喫茶店「白樺」で直子さんと暫く話をしてから帰宅。

ヒュッテについたのは、午後 10 時半でした。

正直な話、今夜も、とても疲れました。

  

1991-12-29(水)  快晴     中野

長湖のワカサギ釣り解禁。
解禁当日は、手付かずの状態の為か、上がる数もとても多い。
今日の最高は、正午過ぎに 500 匹だとか・・・・!!
夕方、お正月を東京で過す為に帰京。

  

1991-12-30(木)   快晴     中野

午後、ヨドバシカメラに IBM のホームページ・ビルダーの解説市販本を探しに行ったついでに、きのう電話で頼んでおいた本を受取りに紀伊国屋に立ち寄った。

紀伊国屋の 2 階の 9 番カウンターに行き
「きのう電話で頼んでおいた本を取りに来たんですけど・・・・」
と言うと、白いブラウスのユニフォームを着た非常に胸の大きな若い女性が言った。
「・・・・どちら様ですか?」
「宮と言います」
「ご注文の書籍は・・・・?」
「えーと、文春文庫の援助交際です・・・・」
と、言うと、
「は、はい・・・・少々お待ち願います」
と言って彼女は、奥に引き返したかと思うと、すぐに注文した本を持って現れ、クスリと笑って(笑ったような気がしただけかも知れないが・・・・)言った。
「これで、御座いますか?」
「そうです。それです・・・・」
代金を受取り、彼女は少し恥ずかしそうに釣り銭を僕に渡した。

代金を払い、外に出ると、僕は地下道を歩きながら、10 ページほどをすぐに読んでから呟いた
「こりゃあ、面白いや・・・・」
この本の内容は、この本の著者が、実際に援助交際をしている高校生などにインタビューをして書いた非常に真面目なドキュメンタリーである。が、それだけに、各種の週刊誌と違った、一種の迫真性がある。・・・・もし、時間があれば、皆さんにも、是非、一読をお奨めしたい本である。

  

1991-12-31(金)   快晴     中野

なんやかんや言ってるうちに、いつの間にか、大晦日になってしまった。
毎年、年末が来ると、お正月の準備は家族で手分けをして行う事になっている。
家内はお節料理。
KRが、お餅切りとガラス拭き。
そして、それがしが・・・・松飾りと玄関洗いである。

家族がみんな集まるのは、いいものである。
久方振りにユッタリとくつろいだ一家団欒。

珍しく、一家三人の年越し蕎麦が、盛り蕎麦であった。
今迄、毎年、僕だけが盛り蕎麦で、家内とKRが天麩羅蕎麦だとかの、丼物だったが、どうした事か、今年は、その二人も盛り蕎麦である。
訊いてみると、二人とも、どうやら盛り蕎麦が好きになって来たらしい。
僕の一番の好物は盛り蕎麦である。
・・・・だから、全くメデタシ、メデタシである。

******************

10 時過ぎ、家内が紅白歌合戦を観ている間に、メールボックスを覗いてみたら、一通だけメールが届いていた。
その今年最後の E-mail は、(のちほど、今日の日記の終りに、掲げておきますが・・・・)和市さんからのメールでした。

和市さんとは、今年のお正月頃から時々メールのやり取りをするようになって来ましたが、以前の僕達には・・・・本当に、こんな事は思いもよらなかった事ではないかと思います。
    
その佐藤さんと僕の今年の出来事の中で、とくに可笑しかったのが・・・・
今年の 6 月 14 日に、和市さん、平岡さん、青木さんの三人がヒュッテに遊びに来て下さった時の事で・・・・その時のユーモラスな思い出は、今でも、目をつぶらなくても容易に目前に再現できる程です。
・・・・・・・
その日の青木さんが
「そう、そう、そう、そう・・・・」
この 6 月 14 日の日記をご覧になりたい方は、ここをクリックなさって下さい!!
と言った時のあの表情を思い出す度に、僕はいつも大笑いをしてしまうのである。

そんな事を思い出しつつ、今年最後の和市さんからのメールを次に掲げて置くことにしたいと思います。

  
1999-12-31(Fri)    16:02:19 +0900

友人各位
今年も残す所あといくらもなくなりましたが年の瀬ともなれば皆様はさぞかしお忙しい最中ではないか、と推察申し上げます。ふりかえれば今年中多くの皆様にご迷惑をおかけしましたし又、大変お世話にも相成りました。ここに改めて御礼申し上げますと同時に1999年最後のご挨拶を申し上げます。

かねてより歌仲間、と言うよりも遊び仲間の青木さんと今年最後のrough road drivingをやろうよ、と相談しておりましたが暮れもおしせまった29日、30日に決行する事に決まりました。この暮れの忙しい時に?とびっくりする方もおられるかもわかりません。しかし我々二人には共通点があります。それは暮れに家でごろごろしていると粗大ゴミ扱いをされると言う事です。それならばいっそ二人で出かけた方が両方の奥方がやりたいだけ掃除でも料理でも出来るのではないか。それが言わば思いやりであり相手に対する愛情の表現でもあろう、との結論に達したのです。

とりあえず軽井沢を拠点に動く事になり29日早朝中野を出発しました。何時に何処へ着かなければならない旅でもなし、有料高速道路はなるべく避け、昔からの一般道路をはしる事にしました。

高速道路をはしる時唯一目に入るものは道路の窪みカーブの状態のみですがそれに比し一般道路をはしると人々の生活が目にうつります。山並みと雑木林の美しさ、時間がかかる事などは目じゃありません。時間をお金で買っている現役の人々はともかく、我々の様な引退組の自動車旅行は一般道がおすすめです。

峠を登るにつれ空気がいわゆる寒冷地のそれになるのが良くわかります。それでも今年はやはり暖かいのか凍りつくような例年の冬の感じはありませんでした。山小屋に着くと室内温は丁度零度。外気温が10度でしたから一応小屋の保温性というか、気密性は保たれているのでしょう。
早速薪ストーブに火をいれました。室内が一旦暖まってしまえば薪の柔らかい熱が体をつつみオーバーを脱ぎ、セーターを脱ぎ、シャツを脱ぎやがてTシャツ一枚で丁度いい気持ち、まさに極楽、極楽。

さて、明日は何処をどう攻めようか、と作戦開始。そう言えば松原湖の八岳さんにしばらくお目にかかっていないのでとりあえず、第一目標は松原湖ではどうでしょう、と言う事になった。そこで土産は薪ストーブで作るオデンと決定。早速八岳さんに電話をしてみる。クリスマスの正月だし、それに最近読ませてもらった八岳さんの高原日記によれば八岳さんのおじさんが最近お亡くなりになったようなのでもしかしたらお留守かな、などと言いながら待つ事しばし。ハイハイと電話口に出たのはくだんの八岳さん。Luckyとばかり挨拶もそこそこに翌日の予定をたずねると案の定おじさんのご不幸のため丁度東京に出かける所だったとか。再会を約し電話を切る。ともかくも作戦会議続行。川上村から勝沼へ抜ける林道は今ごろ雪で走行困難が予想されるので丁度もっけの幸い、そのけもの道を走破しよう、と二人の衆議一決。おでんで前祝をしよう、とは青木さんの弁。おでんは一日置いたほうが美味くなるんだよ、と言っても腹のすいている青木さんは聞く耳をもたなかった。私も味をみてみたがやはりもう一つ。そのうち二人とも瞼が重くなってきた。時計を見るとまだ8時。こんなに早く寝ると夜中に目が覚めて困るぞ、とか何とかいうものの山の空気がそうするのか二人ともとても我慢出来る状態ではなく、ままよつ、とばかり布団をかぶる事にした。

翌朝時計を見ると7時。何と11時間も寝た事になる。くだんの青木さんは、と見ると陰も形もない。少し寝かせておこう、と朝食の準備にかかる。やがて時計の針は8時を指す。いくらなんでもおかしい。もしかしたら死んでいるのではないか、と心配になり部屋の戸を開けて声をかけるとややしばらくして理解不能な言葉が返ってきた。そのまま声をかけつずけるとさすがの青木さんも正気ずいた様子だった。ゆうべ寝る前には、(自分は一日5時間しか寝ない)とか何とか言っていたのに12時間も寝続けてそれでもなお、眠い、とは。何がどうなったのか良くわからない。

朝食には八岳さんへ持参する筈だったおでんを食べた。その美味かった事、特に大根は柔らかく、そして味がとことんしみていて絶品であった。あんなに美味いおでん。しかも朝っぱらから3杯も4杯もおかわりしながら食べた事は記憶にある限りなかったと思う。八岳さん。残念でした。

食後あとかたずけもそこそこに川上村を目指して出発。丁度松原湖付近まで来た時だった。誰言うとなく、(そう言えばこの付近に上智ヒュッテが有ったよね。行ってみようか。そうしよう。そうしよう。)と、行く先変更。やがて信州の秘境、稲子湯に到着。道を訪ねると、雪のため車は途中迄しか入れない、との事。ともかく行ける所まで行く事になりそのままドライブを続行したがまもなく走行不能となったので車を乗り捨て徒歩で行く事になった。(青木さん、道知っている?と佐藤が尋ねる。大丈夫まかせておいてよ。と青木さんは心強い。何分位かかるの?30分くらいかな。そのうち青木さんの首が曲がり出す。おかしいな。ちょっと景色が違う。何しろ佐藤が最後にヒュッテに登ったのが約45年前。青木さんとて10年20年のブランクがあるのではないだろうか。そういうわけで二人とも殆ど道不案内と言っていい状態であった。そこであと30分登ってもし見つからなかったら名誉ある撤退をしよう。その方が冷凍人間になるよりはましだから、と決まり登りつずけた。しかし、30分はおろか40分たってもそれらしいものを見る事は出来ない。こりゃだめだ。春になったら出直そう。

帰途ふと外をながめると何やら見慣れた風景が目に入る。もしかしたら八岳さんの家の近くではないの。八岳さんのお留守は分かっているが折角ここまで来たのだから表敬訪問をして行こう、となった。そして宮邸に入るやいなや異口同音、(こりゃすごい!)何がすごいかと言ってあの薪の切り口をきれいに揃え、太さに応じた整理整頓ぶり・・・・

左側の部屋の一番太い薪は直径 43cm 程あります。

  
すごい以外に表現がみつからなかった。そして庭は見事に手入れが行き届き樅の木を切ったあとに各種の苗木が植えられてあった。”八岳さん。長生きしますからやがて佐藤錦、ナポレオンの実がなったらご馳走して下さい。”

順番が前後するが12月20日にはイタリア語仲間の今年最後のCircolo del Bicchierinoの会があった。体調を考えここしばらく御無沙汰をしていたが今回参加をして本当に良かった。なつかしい顔、intelligenceに溢れる会話の数々。いつ行っても楽しい会である。ただいつの間にかbicchierinoがbicchieroniに化けてしまったのは話の種が尽きないせいであろうか。ちなみにbicchierinoとは可愛い小杯一杯。bicchieroniとはどんぶり並みの杯で何杯もとの意である。藤本さん、大串さん来年もよろしく。そしてお手やわらかにお願いします。

そして友人の皆様。CCNetの兄弟の皆さん良いお年をお迎え下さい。

佐藤和市

   

  

フロントページに戻る