1999年6月の高原日記

  

1999-06-04(金)  曇   ヒュッテ

午後7時半。
旧中部電力事務所で開かれた小海塾に出席。
今日も、P・・・・の話題が時間の大半を占めた。
この P・・・・の話は、もともとチョットした事で、僕が言いだした事なのだが、こんな風に話の裾野が広がるとは夢にも思ってもいなかったから、世の中は不思議なものである。

しかも、勝っちゃんとハーちゃんの二人が、他の人に抜きんでて一生懸命に P・・・・の輪を拡げようと努力しているから、更に世の中は不思議に思えてくる。

・・・・と言うのは、P・・・・の話は・・・・・・当初、この二人によって、一番最初に一笑に付されるのではないかと思っていたからである。
勝っちゃん、ハーちゃん、ホントにどうも有り難う!!!!!!!

(註)
この P・・・・に就いては、いづれ、この日記に書く機会もあるかと思うが、残念ながら現時点においては、これ以上の事を書くことができない
・・・・というのは、現段階に於いては、この P・・・・の問題は、もう僕個人の問題ではなくなっているからである。

  

1999-06-05(土)  曇   ヒュッテ

牧師の塚田先生から分厚い封筒が届いた。
開いてみると、中から、散髪用のレザーカットと手紙が出てきた。

レザーカットの方は、塚田先生が自分でご自分の散髪をなさることを知っていた僕が、東京の先生に電話をして
「・・・・僕は、いつも家内に髪の毛を刈って貰うんですけど、松原湖高原にズーッと住んでいる今は、もう・・・・髪の毛が物凄く伸びちゃって困ってるんです。・・・・ところで、先生は、前に、自分の髪は自分で刈るって仰言ってましたよね。・・・・それって、どうやって刈るんですか????」
と聞いたところ
「・・・・僕は、ピーコックで売っているレザーカットを使ってやってるんですよ」
と言われたので
「ピーコック、ピーコック、ピーコックっと、こっちでピーコックって何処にあるのかな??」
と、言うともなく、電話口に向かって独り言を言うと、すかさず
「あ、いいですよ。ピーコックで買ってきて送りまから・・・・」
と仰言って、送って下さったのが、このレザーカットである。
・・・・レザーカットはベッコウ色をした可愛らしいスイス製の製品である。
・・・・僕はとても嬉しかった。

それから、もう一つ
「このレザーカットは、毎日を楽しく送りつつ自然を美しく守っていて呉れる、山の友へのささやかなプレゼントです・・・・!!」
と書いてあった手紙の一行を読んだとき、僕は思わず、涙がこみ上げて来たのを押さえることが出来なかった。

僕は、どうして、こういう素晴らしい人達に恵まれているのだろう!!

この瞬間、このレザーカットは、僕の宝物の一つになってしまった。

***************

深夜。
パソコンのメールボックスを開いたら、和市さんからメールが届いていた。
・・・・長いメールだったが、読んで行くうちに、何んとなく心の中がホノボノと暖かくなってくるのを感じた。
・・・・とても、素敵なメールだったので、和市さんに断り無く今日の日記に取り上げさせて頂くことにした。
・・・・和市さん、ゴメンナサイ!!


八岳さん
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
(前略)
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
今度お目にかかる折にはとりあえずモミの木の話を伺おうと思っております。拙宅でも40年前に植えたモミ多数が日陰を作りどうしようか、と悩んでいた所です。平岡さんと青木さんとの打ち合わせでは13日日曜日に東京を出て軽井沢に1泊、翌月曜日の昼前に松原湖到着予定で八岳さんを訪問しよう、と言う事になっております。願わくば八岳さんのご都合とマッチせん事を、と言うところです。


仕事から引退後は家内と二人で旅行でも楽しもう、とつねずね二人で話し合っておりましたが今迄の所実現しておりません。
理由の1は当家の犬が今年で17歳、いわば寝たきり老犬で夜も交代でそれこそ添い寝をしている始末である事。そして2番目は私自身の予定です。昨年度から前に話した聖イグナチオ教会聖チェチリア聖歌隊の委員長をさせてもらっておりますが、これがなんだかんだ、と結構時間をくいます。
昨日も今年のクリスマス用ミサ曲を決めるため手持ちのミサ曲の整理をしに教会まで出かけましたが結局一日がかりでした。過去50年の楽譜の整理をしましたが何と今迄殆ど手つかずのミサ曲が40曲もほこりをかぶっておりびっくりしました。今度は早急にこの40曲全部に目を通し1曲だけ選びださなければなりません。


それからイタリア語の字引引きです。しばらく前から聖書をイタリア語で読んでおります。このクラスは毎週木曜日、新約はマルコ福音書、旧約はイザヤ予言書を目下日本語の出来ないイタリア人の先生の解説で聞いておりますがなにしろイタリア語のからっきし出来ない私の事です。字引と毎日首っ引きです。ほっとするのは金曜日だけ。土曜になるとそろそろ字引の姿が頭をよぎりそわそわします。結局本格的に字引引きをはじめるのは毎週月曜日になってからですが。。。昔ソニー時代に八岳さんなどと一緒に鈴木さんを先生にイタリア語をやった事を思い出します。こんな事になるならあの時もっと鈴木さんの能力を盗んでおくべきだった、と悔やんでおりますが後の祭りです。


それから最後の一つはvoice trainingです。聖歌隊の末席を汚している以上あまり隊員に迷惑はかけられないと思い一念発起、定期的にtrainingに通い始めました。もともと自分では低い声だと思っておりましたがしかしバスの厚みはなく、やはり日本人にありがちのうすっぺらなバリトン的な声のようです。となれば少し上の方も出せなければ商売にならない、とばかり声を出しつずけておりますが最近までDが上の限界だった筈なのに昨夜はGまでいきましたよ、と先生にいわれました。
勿論出た、というだけで聞かれた音質ではありません。いわば豚が悲鳴を上げたような音、といえば良いのでしょうか。それでも豚の悲鳴はそれなりにクリアな音ですから多分もっともっとひどい音だとおもいます。まあ、どうなります事やら。他人様に耳をふさがせる様なまねだけはやめようと思っております。


13、14日は晴天を望んでおりますがでも晴雨決行、としてあります。

再会が可能な事を望みつつ、

佐藤和市

・・・・・このメール読んで行くうちに、和市さんの人柄が感じられ、「何んていいメールなんだろう」と思い始めていた。
特に、時間ばかりくって、一銭の得にもならない合唱隊の委員長をなさっている・・・・と言うあたりの個所は感動的で、和市さんのような善意の人によって、美しいものが支えられている・・・・・ということを沁み沁み(しみじみ)と、感じさせられた次第である。

それから、メール最後の「豚の悲鳴」の一行(ひとくだり)。
・・・・もう、吹き出しそうになるやら、可笑しいやら・・・・そして、先刻からの感動やらとで、ホントに涙がボロボロ・・・・!!

和市さん、これからも宜しくねっ!!

  

1999-06-06(日)  快晴  ヒュッテ

朝食を食べ始めてふと気が付くと、外は物凄い蝉しぐれ・・・・・・・!!

食後、庭に出てみると、もう耳がツンボになる位の蝉の声である!!

初夏の鮮やかな緑と、目が眩む様な朝の太陽。
このキラキラと輝く高原の光の中に立って、
体中に、蝉時雨を浴びていたら、
突然・・・・本当に突然・・・・
からだ全体がワクワクと燃え立って来て・・・・
居ても立ってもいられなくなり・・・・

「神様あ、こんな素晴らしい庭をありがとうございます!!」

僕は、突然、大空に向かって叫んでしまった。

もう、僕の顔は涙でグッシャグシャ!!

・・・・・・どうしたの?
・・・・・・どうしたの?

誰かが覗き込んでいるような気がした・・・・・

・・・・・家内かな・・・・・・?
それとも、長男のKRかな・・・・?

東京にいる大好きな、家内とKR・・・・

「神様、こんな素敵な家族も与えて下さって
ホントに有り難うございます!!」
・・・・こう心の中で呟いたあとで、
・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・
ふと、ほんのチョッピリだけど、
心配になってしまった・・・・・・

「僕って、まともな人間なんだろうか?」って・・・・

  

1999-06-10(木) 快晴  ヒュッテ  L = 4, H = 22

午前 9 時。
デザイナーの勝っちゃんと役場のハーちゃんが案内所にやって来た。
松原湖を一周する遊歩道の何処に、案内標識を立てたらいいかを、三人で調べる為である。
・・・・三人は課外授業の小学生のように、喜々として、二時間ほど掛かって湖の周囲を一周して来たが、その間に10枚ほどの案内標識を立てる場所と案内標識のおおよそのデザインを決めて来た。
あとは、勝っちゃんが、一枚一枚の標識の細かいデザインをし、ハーちゃんがレーザー彫りをして出来上がりという事になる。

もともとは、この案内標識は僕が手彫りで作る予定であったが、文字の方はいいとしても、P・・・・の画を手彫りで入れるのが難しいところから、レーザー彫りをすることになったものである。

これが切っ掛けとなって、小海町の看板美化が進むといいのだが・・・・・

  

午後、町まで切手を買いに行ったら、町ン中は結構な暑さだった。
・・・・アルルの食料品店で、ちょっと汗ばんだ顔をハンカチで拭いたていたら
「上の方も、けっこう暑いずらあ・・・・」
と、顔見知りの買物客に言われた。
「いや、こんなに暑かねえだよ。・・・・上の方じゃ、へえ・・・・朝晩、ストーブ焚いているだから!!」
と言ったら
「そうかい、やはり上は気温が低いだなあ・・・・」
と言って感心をしていた。

小海町は、同じ町の中でも標高によって毎日の気温がかなり違う。
・・・・なにせ、一番標高の低い大石川と国道 141 号線の交差点付近が標高 800m.
小海駅付近が 860m.
松原湖付近が 1100m.
わがヒュッテが 1300m.
リエックス・ホテルが 1600m.
・・・・白駒池の青苔荘のあたりになると、標高 2100m ほどになるのだから、その気温の差というのは、かなり大きなものがある。
・・・・ちなみに、わがヒュッテの今朝の最低気温は摂氏 4 度。
東京で言えば、冬の朝の気温である。

だから・・・・この付近では、夏になってもエアコンは一台も売れないし、
東京の連中が
「暑い、暑い!!」
と騒いでる 7, 8 月が最も爽やかで過ごしやすい季節なのである。

今、まさに・・・・ヒュッテではベスト・シーズンを迎えようとしているのである。

   

1999-06-14 (月)  快晴    ヒュッテ

午前 11 時少し前、和市さんと平岡さんと青木さんが遊びにやって来た。
和市さんは英語の達人で、ソニー時代のもとの上司。 平岡さんは、同じくソニー時代の社内報の先輩で・・・・・・青木さんは四ツ谷のイグナチオ教会の合唱隊で、和市さんの同僚とのことである。 そして、青木さんと僕が顔を会わせるのは今回が初めてである。

到着早々、和市さんは大きな荷物をヨイショ、ヨイショとヒュッテに運び入れ、部屋の中に入ってくると、大きなザックの中から鮮やかな黄色い色をした大きなフライパンを取りだし左手に持つと、ニコニコしてよく透る声で僕に声を掛けた。
「八岳さん、八岳さん・・・・ケータリング・サービス、ケータリング・サービス!!」

この瞬間、僕は先ず二つの事にビックリした。
まず、第一に、和市さんが左手に持っている例の黄色いフライパンの大きさである。
僕は、どこの家に行っても、個人の家で、こんなに大きなフライパンを見た事がないからである。
・・・・直径約 40cm、深さは 10cm 程もあるだろうか?
とにかく、大きなフライパンである。

それから、もう一つ驚いたことは、和市さんがニコニコして実に嬉しそうな顔をしている事である。
・・・・僕は少なからず呆気に取られてしまった。
だって、これから僕にとってはクソ面白くもない料理をするのに、こんなに嬉しそうな顔をしているのが・・・・とてもじゃないけどアンシンジラブル (un-SHINJIRU-able)だったからである。
・・・・そして・・・・これも・・・・その時フト気が付いて大変驚いたのであるが、この和市さんと言う人は、よく気を付けて見ると、テレビの料理番組などで時おり目にする、るフランス人とかイタリア人のシェフそっくりなのである。
チョット太めの体に、見事な白い髪とふくよかな顔。
もし、この和市さんに白っぽいヒゲを生やさせて、頭の上にあの食パンのような形をした帽子をかぶせたら、和市さんは東京の街角で時折り見掛けるケンタッキー・フライド・チキンやデニーズの店の前のシェフの人形そっくりになってしまうだろう!!!!!
(ハハハハハ・・・・・・)
僕は心の中で拍手喝采をした。

和市さんは、チラリと自分の腕時計をみると
「早速だけど、じゃあ、とり掛かりますか・・・・」
と言うが早いか、
「八岳さん、大きな皿があるといいんだけど・・・・」と言う。
スープ皿とそれよりも二回りほど大きな皿を出して、
「どちらがいいんでしょ?」と言うと、一番大きな皿を僕から受け取って
「うん、これがいいよね・・・・」と満足げ。
暫くすると、今度は
「八岳さん、何か大きな空き瓶ないかな?」と言う。
「えーっ、空き瓶ですかあ・・・・・?」と言うと
「うん、ビールの空き瓶でも何んでもいいんだけど・・・・」という返事。

「ハテ?・・・・僕はアルコールを飲まないし・・・・・」
と、考えた末、資源ゴミ用にキレイに洗ってよく乾かした大きなオリーブオイルの空き瓶を持って行くと
「うん、O.K. O.K.・・・・・・」と言ったかと思うと、その瓶をもう一度キレイに洗ってから、よく拭いたあと、まな板の上に大きなステーキ肉(?)を拡げ、その瓶でゴンゴンと肉を叩き始めたのである。
「ヘエ・・・・・・! %#$@@??!!!??」
「何たる食文化の違い・・・・!!」
本当に、アッケにとられて、僕は、和市さんのする事を暫くの間ポケーッと見ていた次第である。

その間、平岡さんと青木さんは、庭に出たり、テーブルの上の本を拡げたりして、一向に和市さんを手伝おうとしない・・・・と言うより、もうホントに和市さんを放って置きッパナシなのである。
・・・・もう僕は、気が気でない。
平岡さんの所に行き
「ねえ、和市さんを手伝わなくっていいんですか・・・・?」
と聞くと、平岡さんは涼しい顔をして
「え、うん、いいんだよ・・・・・喜んでやっているんだから・・・・」
という返事。
・・・・それならば、とばかりに今度は青木さんの所に行き
「佐藤さん(和市さんの名字)を手伝わなくていいんですか・・・?」
と聞くと
「いいんですよ。余計な事をすると、彼の気が散るから・・・・!! 何んか、言われた時だけ、その通りにすれば・・・・それで、いいんですよ・・・・」
と、これまた涼しい顔の二乗!!
「ヘエ・・・・?」
・・・・どうも、こんな事は二人には前もって経験済みの模様・・・・・
それならば・・・・・と、僕も有難く、二人の先輩を見習うことにしたが、何んとなく和市さんに申し訳ない気がしてならない。
でも、和市さんの方を見ると、彼はもう夢中になって料理に取り組んでいる最中!!
「ヘエ・・・・・・?!」
僕は、全く想像もしなかった和市さんの横顔を目にして、何んとも言えぬシンミリした気持ちに襲われていた。

暫くすると、平岡さんがシンラ(自然とアウトドアの雑誌)を読んでいた僕に声を掛けた。
「八岳君は、クリスチャンだから、アルコールを飲まないんでしょう???」
「ええ、アルコールは飲みません。・・・・でも、それはクリスチャンだからじゃなくって、お酒を飲み過ぎて体をコワシチャッタからですよ・・・・・・・・なにしろ、よく朝の3時とか4時までよく飲んだりしてたものですから・・・・・」
「へえ、じゃあ、あなたの前でアルコールを飲んでも、あなたは気にしないのかな?」
「アッタリマエですよ。・・・・どうしてですかあ?????」
と言うと、平岡さんは料理に熱中している和市さんに大きな声で
「ねえ、ねえ、ねえ、八岳さんの前でお酒を飲んでもイイんだって・・・・・!!!」
と、声を掛けた。
僕はオドロイて平岡さんにいった。
「一体、全体、ドーシチャッタンデス・・・・??」

「イヤア、和市君にオドカサレてね・・・・・?」
・・・・平岡さんは(ヤラレタッ!)と言うような口調で言い始めた。
「はあ、何んてです???」
「・・・・・八岳さんは、非常にマジメなクリスチャンだから、彼の前でお酒を飲む話をしちゃあイケナイって・・・・・!!」
「えっ、ウッソー!! ボカアそんなに真面目な人間じゃないですよ。・・・・だって、一生の間に、一度でいいから浮気をしたいって考えているくらいですから・・・・・」
「えっ、・・・・・・・・」
僕の言葉に、今度は平岡さんの言葉が詰まった。
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
・・・そして・・・平岡さんの言葉が詰まった事に、今度は僕がビックリしてしまったのである。
「ホントですよ。ホント、ホント・・・・ホントにそう思ってるんです・・・・」
・・・・僕は、慌てて、自分を弁護するために、そう付け加えてから、ふと僕は思った
(ハハハハハ・・・・・・ヘンな自己弁護・・・・!)
・・・・・・
(そして・・・・・全く、ナンタルチアのコンコンチキ!!)
・・・・・・
あとで、分かったことであるが、今日ヒュッテに集まった4人は、はからずしも全員がクリスチャンだったのである。
和市さんと青木さんがカトリックのクリスチャンで
平岡さんと僕がプロテスタントのクリスチャンである。
・・・・・・
・・・・・・
ハハハハハ、今日はクリスチャン A, B, C, D のオンパレードである。
面白い。 面白い・・・・!!
・・・・・・
さて、どうなりますやら今日の顔合わせ・・・・・!!

  
暫くすると、それまで料理に熱中していた和市さんがボンヤリとグータラを決めこんでいた我々に言った。
「・・・・もうすぐ出来上がるから、食器の用意をしてくれない・・・・?」
・・・・・・・
和市さんの言葉を聞くと、それまで日向の猫のようにグータラを決め込んでいた、青木さん、平岡さん、僕の三人はノッソリと体を起こすと
「よーし、それじゃあ、やるかあ・・・・」
「エート、何んと何を出せばいいの・・・・?」
「それーっとお!!」
三人三様に掛け声を掛けてノソノソと動き始めた。

  
 その時、フト気が付いた僕が
「・・・・ところで、食事は、ほら、庭のあのハンノキの木陰でも出来るんですけど、家の中と外とどちらにしましょうか・・・・?」
と言うと、和市さんと平岡さんと青木さんの三人は
「ああでもない」
「こうでもない」
と、いろいろと話を始めたのである。
・・・・聞いていると、この三人の話がなかなか面白い。
和市さんは
「料理が出来あがったら、熱いのを食べるのが一番美味しいから、調理台のすぐ傍の室内のダイニング・テーブルがいい・・・・」
と言い・・・・
平岡さんと青木さんは、
「・・・・あんなに気持ちの良い木陰があるんだから、外で食べよう....!!」
と意見が、真っ向から分かれている。

僕は
「どうなるんだろう?」
と興味半分で、傍で聞いていたが・・・・
以外に、両方とも折れないのである。
それは、小学校 5、6 年の少年時代の草野球のチーム分けで
「トミちゃんがそっちなら、カズオちゃんをこっちに呉れよ・・・・!」
「えーっ、何言ってんだよ・・・・それじゃ、俺達敗けちゃうよ!!」
などと言い合っている姿そっくりである。
ワイワイ言っているのは、大の大人 3 人なのだが、言い合っている姿はホントに少年そっくりなのである・・・・・

そのうち、平岡さんが急に言い方を変えて
「和市さんよ・・・・熱い料理が美味しいっていうのは、よく分かるけどさあ・・・・ベランダから庭に下りたら、あのハンノキだっけ?・・・・あの木の木陰まで行くのに、30 秒も掛からないじゃないか・・・・ちょっと、急げば 10 秒で行っちゃうよ。・・・・いくら料理が熱い方がいいからって言ったって・・・・10 秒を争う程じゃないんじゃない・・・・」
と言うと、青木さんも
「・・・・そうだ、そうだ・・・・」
と言うようにうなずいている。
2 対 1の・・・・・多勢に無勢。
この平岡さんの一言で、やむなく和市さんもヤマハンノキの下で食べることに同意した。

「それ、そうと決まったら、急げ急げ・・・・」
とばかりに、イタリア製の真っ白な折畳みイスとテーブル、・・・・それから、大皿、スプーン、フォーク etc. etc. などを和市さんの言う通りに並べると、
「さあ席について、席について・・・・」
と、和市さんは我々三人を席につかせ、例の黄色い大きなフライパンに一人分ずつの出来上がった料理を入れて運んで来ては、我々の前の大皿の上に乗せ
「さあ、冷めないうちに食べて、食べて・・・・!」
と言いながら、何回も、家の中のガス台とハンノキの木陰の間を往復しているのである。
(・・・・成る程、これは大変だわい・・・・)
と、先刻、和市さんが、家の中の方がいい!・・・・と何回も言っていた理由が、この時点で僕にはやっと分かったが、平岡さんと青木さんは、和市さんが一生懸命、運んでいるのに
「さあ、食べよう。食べよう・・・・!」
と、子供みたいにハシャイデ、早速、パクつき
「うん、こりゃあ美味いや・・・・」
などと言って、食べ始めたのである。

「・・・・?」
僕は、和市さんが少し気の毒になって来たのだが、他の二人はそんな事はまるで無頓着で
「美味い! 美味い!」
と、もう夢中になって食べているのである。
「へえ・・・・!」
・・・・僕はもう、ホントにあきれ返って、平岡さん、青木さん・・・・それから和市さんの顔を見比らべた!

・・・・さて、
平岡さんと青木さんの大皿に、美味しそうなイタリア料理を運んできた和市さんは、三回目の往復で僕のお皿に熱々の料理を盛り付けると
「さあ、熱いうちに食べてよ・・・・!」と言う。
「・・・・でも〜!・・・・」
とチョット渋っていると、平岡さんと青木さんが
「いいの、いいの・・・・ああ言ってるんだから、いいんだよ・・・・」
と言う。
・・・・それでは・・・・と、ひと口戴くと、口の中にパッと広がる香りがとても素敵!
(うまいっ!)
と、心の中で僕は叫んだ。

さて、四回目の往復で自分のお皿に自作の料理を入れた和市さんは、席に着くと、食べ始める前に
「ミリンがなかったので、ちょっと味が薄くなっちゃったかな・・・・どう?」
と言う。
「美味しいですよ・・・・!」
と僕が言うと、今度は自分で一口料理を口に入れると
「うーん・・・・そうかなあ・・・・?」
と、今ひとつ納得が行かない面持ち。
・・・・すると、今度は平岡さんと青木さんが
「和市っちゃん、ウマいよ」
「美味しいよ・・・・美味しい!」
と異口同音に言ったので、和市さんもやっと安心したらしく、元気に食べ始めたが、それからの四人の会話の可笑しかったこと!

まず、和市さんが
「ねえ、八岳さん・・・・今、周りで鳴いているの・・・・これセミ?」
と、周りの林を見回しながら、僕に聞いた。
「ええ、そうですよヒメハルゼミだと思いますけど・・・・どうしてですか?」
・・・・
「いや、ね・・・・何しろ、物凄い数の鳴き声がするからですよ・・・・」
気が付けば、確かに、四人の会話をお互いに聞き取るのに支障を来す程のセミの鳴き声である。
・・・・でも、僕には、ここ一週間ほどの間、毎日、耳にしているから別にどうと言う事はない。
「いや、こんなの大した事はないですよ・・・・だって、つい一週間ほど前だったら、今日の三倍くらいのセミの声がしていたんですもの・・・!」
と言うと・・・・
「おいおい、八岳君、ホントかね・・・?」
と、平岡さんがアキレ顔。
「ホントですよ!・・・・毎日、聞いていると、別にどうって事はありませんよ!」
・・・・すると、和市さんが
「いや、軽井沢では、余り聞かない声だから・・・・一体、何んだろうと思ってね!」
「え? 軽井沢では、鳴かないんですか? だって、軽井沢って言ったって、ここから、そんなに遠く離れている訳じゃないじゃないですか?」
とは言ったものの・・・・
(和市さんたら・・・・”一体、何んだろうと思ってね!”・・・・なんて言ってるけど、これが、セミの声だって言うのは決まり切ってるじゃん!)
(これがセミの声じゃないとしたら、和市さんは、この声を何んの声だと思ったんだろうねえ・・・・?)
と、変なところに僕は興味を持ってしまいました。

・・・・・
・・・・・
暫くして・・・・今度は僕が
「ところで、佐藤さんさあ・・・・これ、とっても美味しいけど、イタリア料理でしょ?」
と聞くと、和市さんは
「うん、この料理は・・・・ペラペラのピートロントカラントン(正しい名前は忘れてしまいました!!)っていう名前なんだけど・・・・その日本語の意味は ”娼婦のナントカ”(このナントカが何んであったかが、又、どうしても思い出せません・・・・残念!)っていう意味なんですよ・・・・」
と言う。
・・・・と、平岡さんが急に僕の方を見て言った。
「ホホホホ・・・・娼婦のねえ・・・・! でもさ、八岳君なんかは真面目だから、娼婦なんていっても分かんないんじゃないの?」
「・・・・いや・・・・実際に、面と向かって話したことはないけど、椿姫とかマノンレスコウとかの本で読んだことがありますよ・・・・でも正直な話、物ッノ凄ゴーク、興味ありますよ・・・・一度でいいから・・・・そう言った人に会って話がしてみたいです!」
と僕が言うと、青木さんが
「・・・・ハハハハハ・・・・!」
と、明るく、健康そうに笑った。
よく分かんないけど・・・・青木さんって、とても素直な人らしい・・・・!!

それからの小一時間・・・・僕達は、料理の事、自然の事、別荘の事、ソニーを辞めたあとも和市さんと平岡さんがどうして付き合っていたのか・・・・等々、色々な言を夢中になって話つづけていた・・・・・。

・・・・と、急に和市さんが
「ちょっと、失礼・・・・」
と言って、家の中に引き返したかと思うと、しばらくして
「出来た、出来た・・・・!」
とニコニコしながら、紫色の炎を上げた柄付き鍋を持って出て来て
「おお、アッチッチッチ・・・・はい、デザート」
と言いながら、僕達各人の前に置かれた果物皿に
今しがたまで、紫色に燃えていたブランディーが載った、大きなアイスクリームの塊をドーンと入れてくれたのである。
「え? 何あに、これ・・・・?」
と、僕はビックリしたが
「溶けないうちに、食べて、食べて・・・・」
という和市さんの言葉に押されて
(どりゃ・・・?)とばかりに
そのアイスクリームをスプーンですくって食べが、アイスクリームが舌の上に載ったトタン、僕は思わず
「ウワーッ、これは美味しい・・・・!!」
と、大きな声で叫んでしまった。

僕はアイスクリームが大好きである。
夏は勿論のこと、春でも秋でも、真冬でも大好きである。
・・・・だが、正直な話・・・・今迄の人生の中で、こんなに美味しいアイスクリームを食べた事がないのである。
・・・・ブランディーが燃えた後の香りと甘さが、アイスクリームの甘さと冷たさに微妙に溶け合い・・・・本当に得も言われぬ、美味しさを醸し出しているのである。
・・・・僕は瞬く間に、その大盛りのアイスクリームを食べてしまったが
「いやあ、美味しかったなあ・・・・こんなに美味いアイスクリームって、今まで食べた事がなかったですよ」
と言うと、和市さんは
「このアイスクリームは、ナントカのナントカ(この名前もスッカリ忘れてしまいました!)っていう名前が付いているんです・・・・」
と言って、その名前を僕に教えて呉れました。
・・・・そこで、
「そうですか・・・・いやあ、ホントに美味しかったですよ」
と、僕がもう一度言うと
「そう・・・・じゃあ、まだ、アイスクリームが残っているから、もう一回作って来ようか?」
と和市さん。
「えっ、ホント? 佐藤さん、作って、作って・・・・!」
と言う僕の言葉に
「じゃあ、ちょっと、待っててね・・・・」
佐藤さんはこう言って、家の中に引き返した。

  
・・・・あとに残った、我々三人。
「いやあ、こんなに美味しいアイスクリームを食べた事はありませんよ・・・・!」
と、僕が誰に言うともなく言うと
「そうですよねえ・・・!」
と、青木さんが相槌を打った。

だが、この時である。
「おい、八岳君・・・・!」
と、平岡さんが語気鋭く僕の名前を呼んだ・・・・
「はあ?」
・・・・僕は驚いて平岡さんの顔を見た。
平岡さんは、遠視用の度の強い凸レンズの眼鏡を掛けている。
だから、普段から少し大きめの目が一層大きく目に写る。
・・・・その目が、全く笑っていないのである。
その平岡さんが
「いいか?・・・・デザートはこれがいいって言ったのは、俺だからな・・・・!」
・・・・と言ったのである。
「はあ?」
・・・・瞬間、僕は、我が耳を疑った。
平岡さんが言っている意味が、全く分からなかったからである。
困った僕が、青木さんを見ると、青木さんもキョトンとしている!
・・・・その平岡さんが言った次の言葉は
「・・・・”デザートはこれがいい”って言ったのは、俺だからな・・・・! いいか、和市一人だけに威張らしといちゃイケネエ・・・・!!」
・・・・・・
このひと言を聞いた瞬間、僕はもう、何か目茶苦茶に可笑しくなって、心の中で大笑い!!
でも、平岡大先輩の前で、大爆笑をする訳にもいかず・・・・困った僕が、青木さんの方を見ると、彼の目もクスクスと笑っている。
その笑い顔を見ると、何にか僕はとてもホッとして
「はい・・・・」
と、言葉少なに返事をした。

  
・・・・・・・   
・・・・・・・
「八岳さん、出来た、出来た・・・・」
・・・・丁度、この時、和市さんがベランダから、例の柄付き鍋を持ってニコニコと笑いながら芝生の上を歩いてきた。
「ウワア、素敵、素敵!」
・・・・それを見て、僕は大声を上げた。
・・・・・・・
ペチョ、ペチョ、ペチョ、
・・・・・・・
僕がこのアイスクリームを美味しく戴いたのは、勿論である。

  
・・・・更に、それから 30 分後。
ハンノキの下の食器とテーブルとイスを片付け終ると、
僕は家の中で青木さんから、彼が飼っていた、2 匹のセントバーナードの話を聞いていた。
「・・・・あんな大きな犬が 2 匹も居たら大変でしょう」と僕。
「ええ、そりゃあもう・・・・給料もボーナスも、みんな餌代で無くなっちゃいますよ!・・・・それが無かったら、今頃、別荘を建ててる事が出来たかも知れません!!」
「でも、どうして、2 匹も飼ってたんですか?」
「ええ、僕は山登りがとても好きで、ヒマラヤ(もしかすると南極だったかも? いや、それも違ったかな?)に行くときに犬達を連れて行くと、物凄く、助かるんです」
「・・・・でも、あんなにデッカイ奴を、普段、散歩に連れて行くのも大変なんじゃないんですか?」
「・・・・」
「いや、ね・・・・我が家にも、昔、ゴールデン・レット・リーバが居たんですけど、散歩に連れていくと、もう引っ張られちゃって・・・・家内なんか、もう、大変でしたよ・・・・!」
「そう、犬もなかなか力がありますからね・・・・」
「そうなんですよ・・・・それで、家内がそのワン公を連れて散歩に行くと、見ていた子供たちが ”ねえ、パパ、パパ、見て、見て! あのワンちゃん、とっても利口だよ”って、自分たちの父親に向かって言うんですって・・・・」
「へえ、また、そりゃあ・・・・どうして?」
「ね、そう思うでしょう? ・・・・その子供たちのパパだって、子供たちが何故そう言うんだか分からないわけですよ・・・・!」
「なるほど・・・・」
「そこで、そのパパが子供たちに言うんです ”どうして、あのワンちゃんがお利口なの?”って・・・・・」
「で・・・・?」
「すると、子供たちが言うんです。 ”だって、あのワンちゃん、叔母ちゃんを散歩に連れて歩るってる”って・・・・・」
「ハハハハハ・・・・・」
「可笑しいでしょう?」
「ええ・・・・でも、それって、犬の躾けの問題なんですよ・・・・!」
「はあ? 躾けの?」
「そうなんです。・・・・生まれた時からキチンと躾けると、犬は絶対に、飼い主より前に出ないようになるんです・・・・!」
「ホントですか?」
「ええ、ホントです・・・・そうすると、絶対に引っ張られなくなるんです」
「大きくなってからじゃあ、駄目なんですか?」
「駄目ですね。 生まれたときから、すぐに始めないと・・・・」
    

・・・・この時、流しで食器を洗っていた和市さんが僕と青木さんに声を掛けた。
「平岡さんは・・・・?」
「さあ・・・?」と僕。
「さっき近所を廻って来るって、出掛けて行きましたよ・・・・」と青木さん。
「そう・・・・!」
・・・・和市さんは、そう言うと、また食器洗いを続けた。
・・・・ところで、この食器洗い・・・・
・・・・本来ならば、僕と青木さんがしなくてはいけないのだが・・・・僕達が
「食器洗いは僕達がしますよ・・・・」
と申し出ても、和市さんは
「いいよ。それよりも、二人で話をしててよ・・・・だって、今日、二人は初めて会ったんだから・・・・・・」
と言ってくれたので、
「それじゃあ・・・・」
と言うわけで、僕と青木さんはこうして二人だけの話をしていたのである。

 
・・・・その和市さんの横顔が、(ちょっとセントバーナードに似ているな!)と考えながら、僕は青木さんにいった。
「そう言えば、さっき、平岡さんたら可笑しかったよね・・・・」
「そう、そう、そう、そう・・・・」
突然、青木さんは顔をクシャクシャにしながら相槌を打った。
「ね、憶えてる・・・・あの時、平岡さんが言った言葉?」と僕。
「うん、うん、憶えてる、憶えてる・・・・」と青木さん。
・・・・そこで、僕が平岡さんの真似をして・・・・
「・・・・いいか、・・・・和市ひとりだけに威張らしといちゃ・・・・」
と言ったあと、
「イケネエ!」と僕が言うと
青木さんも声を揃えて
「イケネエ!」と言い
・・・・その後で、二人の目が合うと
「ハハハハハハ・・・・・」
「ハハハハハハ・・・・・」
二人は大笑いをした次第である。

  
・・・・・・・
・・・・・・・
それから、暫くして、午後の太陽が西側の林に大分近づくと、三人の少年達は、暮れなずむ陽の光をバックに、和市さんの車に乗って軽井沢に帰って行った。

今日の一日は・・・・ホントに悪ガキ 4 人が集まったと言いたくなるような一日でした。

大晦日の日記に戻る!!

   

  

1999-06-24 (木)  雨    ヒュッテ

三石建設にお願いしていた薪小屋がやっと出来上がった。
一口に薪小屋といっても、幅 4.5m、奥行 2.0m、高さ 1.8m の堂々たる薪小屋である。
エヘン、エヘン!!

・・・・ところで、この薪小屋は幅方向に三つに区切られ、二区画が薪の入れ場所に、残りの一区画が物置として利用される構造になっている。
・・・・これで、真冬の薪の心配が一挙に軽減すること・・・・それから、スノーダンプ、ママサンダンプなどの雪掃き道具や草刈機をしまって置く場所が出来たので、僕は嬉しくて仕様がない。
用もないのに、僕は何回も薪小屋を見に行き、これまた小さな子供よろしく、物置のドアーをギイギイと何回も開いたり閉じたりした。

さて、ここで話は変わるが、この小屋を三石建設にお願いする事になった理由をチョットここで記しておく事にしておこう。
・・・・この高原日記にも書いてある通り、僕は一昨年の 9 月から、二冬をこの地で過ごす事になった訳だが、この二年間の厳冬期の 2 月に、僕が一番恐れていたことは、薪が無くなることであったのである。
勿論、ヒュッテには、石油ストーブも入っているし、僕は夏の間に相当な量の薪作りにも専念していた。
・・・・だが、それでも冬の間には、随分と薪の心配をしたものである。
・・・・と言うのは、真冬の厳寒期ともなると、ヒュッテの朝の気温はマイナス 20 度くらいまで下がってしまうため、石油ストーブだけでは、とてもじゃないけど寒すぎて、どうしても薪ストーブを焚かないとやっていけなくなるからである。

「それならば、薪を持ってきて燃せばいいじゃないか!!」
と、誰でも考えるのであるが、それがそう簡単にいかないのである。
・・・・と言うのは、外に出ると常時雪が結構積もっているため、歩きにくい・・・・ということが、まず第一。
次に、自作の屋根付きの薪棚から薪を取りだすのは、そんなにむつかしい事ではないが、どうにもこうにも僕が作った薪棚である。・・・・どう転んでも、薪の貯蔵量は大目に見積もっても約 10 日分。・・・・そこで、庭に積んである薪を燃やす羽目になるのだが・・・・どうして、どうして・・・・ビニール・シートをかぶせ、ロープでガッチリと固定してある庭の片隅の薪を取りだすのは至難の技なのである。
・・・・というのは、厳冬期ともなると、このロープには雪と氷がガチンガチンに凍りつく為、ロープをほどいてからビニール・シートをゆるめ、更にその下の薪を取りだす等ということはとてもじゃないけど、出来ない相談だからである。
・・・・そこで、この薪を取りだすためには、ビニール・シートを固定しているロープを切ってしまう以外に方法がないことになるが、一度(ひとたび)このロープを切ってしまうと、地面側のロープの留め金が雪と氷の下に埋(うず)まっているため、再度ビニール・シートをロープで固定することが非常に難しくなってしまうからである。

だから、この薪を取りだす事は、いよいよ最後の最後にしかやりたくない事だったのである。

この不便さを解消するには、どうしたらいい・・・・・・・のか?
その解決案が、ビニール・シートを用いない、屋根付きの薪小屋を建てることだったのである。

こんな経緯があったものだから、僕は新しい薪小屋が出来上がって、兎に角嬉しかった!!
「ウレシイ、ウレシイ、ウレシイ!!」
僕は、心の中で、何回もこう叫んだものである。

・・・・でも、・・・・でも、・・・・でも
家内じゃないけれど、僕って、どうして、こう単純なんだろう????

こんな事を考えてはみましたが、その後で、すぐに僕は心の中でこう叫んでいたのである。
「でも、僕はヤッパリ薪小屋が出来上がって、とても嬉しいよ!!!!!!!」

ハハハハハ・・・・・・・
  

  
1999-06-26(土)  曇のち晴   ヒュッテ

6 月 5 日の日記の和市さんから貰ったメールに感想を付記する。
そう・・・・和市さんと知りあってから、もう、かれこれ 40 年近くが経つが、このような付きあい方をするようになるなんて・・・・一体、誰が想像できただろうか??

正に、「空即是色」である。

 

1999-06-28(日)  曇    自宅

昨夜、今秋結婚予定のMNさんとHNさんご両家の方々と素敵な夕食を戴く。
・・・・僕はこの二人に頼まれて仲人さんをする事になっているが、二人のご両親とは全く面識がないために、今夕の席が設けられたものらしい・・・・・・
・・・・僕は持ち前の性格から、食事の間中ホントに勝手な事をクッチャベッタが、そんな僕のたわ言を気にする事もなく、二人のご両親が気さくに僕と話をして下さったのがとても嬉しかった。
・・・・ところで、今年の秋から、この若い二人は一緒に生活をすることになる訳だが、一番大切なことは・・・・結婚生活が、とても楽しくなるような二人の間の関係を築き上げて行く事である・・・・と僕は思っている。
・・・・もっとハッキリ言うと、自分のパートナーが、この世の中で一番大切な神様からの贈り物だと思えるような夫婦関係を、二人で作り上げて行って欲しいと心から願っている次第である。
・・・・これって、ホントだよ!!!!!!!!!!


 

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