1998 年 11 月の日記


ヒュッテに雪が降りました(11月23日)
(1998-11-23 am 09:36 八岳晴耕 撮影)

    

1998-11-02(月) 快晴  ヒュッテ  L=6, H=19

昨日午後、家内と長男がヒュッテにやって来た。
・・・・二人が来ると、ヒュッテはとても賑やかになる。
久方ぶりの親子の対面、夫婦の対面という訳だが・・・・家内が美味しい料理を一生懸命作って呉れるのが、とても嬉しい。

午前中は、薪小屋の整理、ベランダの防腐剤塗り・・・・など冬越しの準備。
午後 3 時、一家三人で千曲川を越えた宿渡(しゅくど)の谷本清光さんのアトリエに、個展を見に出掛けた。

    

   
1998-11-03(火) 快晴  ヒュッテ  L=5, H=25

朝、目を覚ますと、首をギュッと左にねじ曲げて寝ていた。
首の右側がとても痛い。
「おかしいな・・・・?」
と思いつつ、ベッドに上半身を起こすと、部屋全体が右へ右へと回っている。
「・・・・????」
・・・・不安に思いつつ、ベッドから出て、立ち上がろうとすると、かなりな眩暈(めまい)。おまけに、少し吐き気もする。

「・・・・・」
だまし、だましユックリと階下に下り、朝食の準備をしていた家内に
「ママ、眩暈がする」
と言ったと思うと、僕はトイレに駆け込んだ。
ひどい吐き気がしたからである。
・・・・でも、何も出ない。

部屋に戻ると、家内が心配して、色々と質問をした。
・・・・食欲は全く無い。
横になったら楽になるかと思って、横になったら今度はリビングがグルグルと回り出した。
(何んじゃ、コリャア・・・・内耳炎か?・・・・脳梗塞か?)

ゆうべ、
「あしたは、朝御飯を食べたらドライブに行きましょう・・・・」
と家内は楽しみにしていたのに・・・・とても可哀相!!
「ご免なさいね・・・・」と、言うと
暫く考えていた家内は
「いいわよ。コッチロがご飯を食べたら、私がドライブして病院に連れてってあげるわ・・・」
と言って、食後、小海日赤病院まで僕を連れて行ってくれました。
「・・・・でも、あなたがいて、ホントによかったよ・・・」
みちみち家内に有り難うを言うと
「そうね、本当によかったわよね・・・・今回、来てよかったわ」と、家内。
(本当に、どうも有り難う!!)
・・・・お陰様で、・・・・病院に着いた時は、もうメマイは大分楽になっていました。

ところで・・・・・今日は文化の日。
当番医の整形外科の先生が、体のあちこちを触ったり叩いたりして、色々と調べて下さったあと
「この眩暈は・・・・首をギューッと左に曲げて寝ていた為に、起きたんでしょう!・・・そんなに心配しなくてもいいでしょう・・・・」
と言って、薬の処方せんを書いて下さり
「念のため、明日でも明後日でもいいですから、必ず内科の先生に診て貰って下さい」との事。
・・・・ホントにホッとしました。
そのあとで、
「こんな風にひどく首を曲げた状態で寝ただけで、眩暈や吐き気って起きるんですか?」
と先生に聞くと・・・・・
「起きますよ。例えば、自動車で追突された”ムチ打ち症”の場合などでは、よくそんな事がありますよ・・・・・」との事。
そう言えば、今年の春、知人の一人が自動車の追突事故で、同じような症状を訴えていたのを思いだして、
「成る程・・・・」
と、ひどく納得!!
・・・・先生に、お礼を言って、病院を後にする。

人間というのは現金なものである。
病院での説明で納得をすると、急に元気になった僕。
「もう、大丈夫。さあ、ドライブに行こう、行こう!」
と言う訳で、一家 3 人でメルヒェン街道をドライブし、Re-ex で昼食をして帰宅。

途中、八千穂村の街道沿いのカラマツは燃えるような紅葉。
Re-ex では、とても楽しい昼食を 3 人で楽しむことが出来て、ホントによかったと思う。
・・・・だって、きょう半日、随分と家内に心配掛けちゃったもの!!
        

1998-11-04(水) 快晴  ヒュッテ  7,786 歩  L=5, H=19

昨夜、家内と長男は東京に帰って行った。
午後 11 時ころ、電話があり
「今、着いたの・・・」との事。
「随分遅かったじゃない・・・・・」
と言うと、練馬まではよかったが、目白道路と環七が工事、工事で大渋滞だった由。

今朝、電話すると
「ゆうべはよく眠れたわ・・・・」との事。 ヨカッタ!!

午後 3 時過ぎ、一昨日、一家 3 人で画を見に行った、宿渡の谷本清光さんの所に出掛け、
同氏の作品のうち「星座」を描いた油絵を、デジタルカメラに収めて来た。・・・・このサイトの「澄んだ星空」のページで紹介するためである。

話しは代わるが・・・・谷本清光さんの作品を撮り始めて、すぐ気が付いたのだが、ガラス張りの額縁に入った作品を撮影しようとすると、額縁のガラスに自分自身の姿が写ってしまい、とてもじゃないけど写真にならない。
仕方がないので、今回は、ガラス無しの額縁に入った 6 点だけを撮ることにした。

この撮影の続きは、また別の機会に譲ることにしよう。

       
       

1998-11-06(金) 曇  ヒュッテ

今朝の NHK の連続テレビ・ドラマ「やんちゃくれ」の一こまでの発言・・・・

渚の祖母「ハルさん」(八千草薫)が、嫁の京子を追いだした事を回想しながら
「あんな事をせんだかて、よかったのに・・・と思いますのや」
と言うと、番頭の松造が
「人間誰でも、生きてる間に間違うた事や恥ずかしい事をするもんや・・・・・それが生きてるちゅう事と違いまっしゃろか・・・・・」
と言ったひと言を聞いたトタン、僕は思わず目頭が熱くなったしまった。

僕の今までの人生を、振り返って見ると、「間違うた事」と「恥ずかしい事」がゴマンとある。・・・・・今まで、その事を考えてみて、いつも(ああ、恥ずかしい・・・!!)と言う気持ちにさいなまれて来たのだが、松造の此処での発言の意味は
「それが、生きていると言う事なのだ!!」と、言っているのである。

何んか、ホントにホッとした気持ちにさせられ・・・・・・ました。

       
        

1998-11-08(日) 快晴 ヒュッテ 

最近、或る英語学校のクラスメートのお姉様(仮にQ子さんとしておきましょう)と僕との間で、メールが比較的頻繁に往来してました。

・・・・ところが、何回か、メールのやり取りをしているうちに・・・・面白い事に、このQ子さんが、実は仕事の関係でアダルトのHPを見なくてはならない事がある・・・・と言う事が分って来たのです。
・・・・・一方の僕は、インターネットを 1 年半ほどやっていても、まだ、一度もアダルトHPを見たことがありません。

前から、アダルトのHPを一度は見てみたいと思っていた僕は、Q子さんに「アダルトのHPって、どうやってさがすの??」とメールを入れてみました。

すると、「ご質問にお答えします」という前文と一緒に、こんな返事が返って来ました。

*******************************
> ねえ、ねえ、ねえ、ねえ・・・・・アダルトのHPって、どうやってさがすの??

これは、YAHOOとかgooの検索の空欄の部分に「アダルト 画像」などのコメン

トを入力して検索サーチを働かせれば1発OK!!!
鬼のように出てきます。
この中からタイトルや内容なんかを選んで見るだけです。

*******************************

と、言う訳で、今夜、生まれて初めてアダルトHPにトライしてみました。

Q子さんの言う通りに、Yahoo の検索欄に「アダルト」と入れてリターンしたら、
「あらまあ」
・・・・ホントに、物凄い数のアダルト・タイトル!!
全く、あきれて口が塞がらないほど・・・・・・・しかも、どれを選んでいいか全然分らない!

そこで、いい加減に
「エイ、ヤッ」とばかりに、PAPEON (これって、フランス語なら PAPION だと思うんだけど・・・・・)と言うのを選んでみると、
「あなたは 18 才以上ですか?」という確認があり、
「Yes」と答えると、裏返しになったトランプが画面に沢山出てきたので、その中の一枚をチョッとクリックすると、オットットット・・・・全裸の美女の写真が画面一杯にジャーン!!
「ウヒョヒョヒョ・・・これは凄い!!」とばかりに、二三十分の間、トランプを次々に引っ繰り返していましたが、そのウチに目が疲れてきたので止めてしまいました。

でも、ビックリしたのは、そのHPのアクセス・カウンター・ナンバー!!

2 年少しで 33 万回以上!!!!
・・・・と言う事は、一日平均 450 人くらいがアクセスしてるって訳!!

世の中には、僕みたいにエッチな奴がスッゲエ・イッパイ・イルンダア!!

       


1998-11-10(火)  晴  中野

家内の油絵の出品作品に仮枠(かりわく)を取り付けるために帰京。
久方ぶりの我家は、いつもの通りに僕を迎えて呉れた。
門の両側に植わっているセンリョウも、シモツケも、ボクハンもいつもの通りだったし、勝手口のドアの扉止めの素焼きのレンガも、いつもの通りに二つ並んで立っていた。

居間の本棚の図鑑の位置も僕が出掛けた時のままだし、ダイニングのボンボン時計も相変わらずチクタクと時を刻み、階段脇の壁に掛かっているハト時計も時が来ると「ポッポー、ポッポー・・・・」とノンビリした鳴き声をたてている。

居間のテーブルの上に置かれた家内の油絵の具のチューブの匂いもいつものままだし、少し上気した顔で100 号の大作に取り組んでいる家内もいつもの通りだ・・・・・。
・・・・そう、変わった事と言ったら、キャンバスの中の人物くらいかも知れない。

「ねえ、ねえ、今度の画・・・・・とてもいいねえ・・・・」
キャンバスの中には、今年の初夏、家内がロシア旅行をした時、ペテルブルクのバレー学院を見学した時のバレーの練習風景が描かれている。
「そう・・・・?」
「うん、今迄の大きな作品の中では一番面白いよ・・・・」
「よかった・・・・!!」
・・・・等々、暫く話したあと、30 分ほどかけて、二人でこの大きな作品に仮枠をつけた。

「よし、これでよし・・・・と!!」
・・・・最後のビス留めを終わると
「どうも有り難う。今、すぐお茶を入れるわ・・・・」
と、言う家内の言葉で、お茶を飲みながら二人で色々な事を話したが、矢張り、最終的な話題は自分たちの「生き方」の話になる。
「・・・・ねえ、我家って、おかしいよね! だって、皆んなバラバラに好き勝手な事をやっているクセに、こうして仲良くまとまっているんだから・・・・・」
「そうね・・・・だから、皆んな元気なのよ・・・・!!」
「そうかあ・・・・じゃあ、これからも、皆んなで好きなことバリバリやろうじゃん!!」
「そうしましょう・・・」

有り難い事に、我家では、誰も「お金を神様にしていない・・・!!!!」

お金を神様にすると、脱税、詐欺、贈賄、収賄・・・・等々を平気でするようになる!!
・・・・まったく、悲しむべき事だが・・・・今の日本では・・・・政治家、代議士、金融界、官庁、等の「お偉いさん達」が・・・・・率先して、こう言った事件を引き起こし、毎日の様に新聞紙面を賑わせている。

・・・・どうして、あんなに「自分達さえよければ・・・・!!」と、思うんだろう!!

      


1998-11-11(水)  晴  ヒュッテ  L=-1, H=14

午前 10 時、中野発。
午後 6 時、ヒュッテ着。
ヒュッテに帰って来る途中、川越の老人ホームに居る母親の所に小一時間ほど立寄ってくる。

ホームに着いてみると、今日は「菊祭り」とか・・・・・・
入園中のお年寄り達が皆ホールに集って一緒にご馳走を食べていた。・・・・皆さんに挨拶をして、母親の隣に座ると、
「お母さんとご一緒に召し上がって下さい・・・・」
と、僕の所にもご馳走が運ばれてきた。
「・・・・じゃあ、母さんと一緒に食べようか・・・・・」
と言う訳で、母親の隣でご馳走を戴く。

ホールの中では、入園中のお年寄り達が回ってくるマイクを手にしては交代で色々な歌を歌っている。
皆さんとても元気である。
・・・・暫くすると、母親の所にもマイクが回って来た。
「Tさん、何か歌う・・・・?」
ヘルパーさんと、司会をしていた事務員さんが母親に聞いた。
・・・・Tさんとは、僕の母親の苗字である。
母親は僕が小学一年生の時に、親父と離婚をして実家に戻ってしまったので、僕とは苗字が違うのである。・・・・そのご、僕達兄弟は祖母と父親に育てられていた。
「母さん、歌う?」
・・・・僕が聞くと、母親は微かに首を横に振った。
「・・・・それじゃあ、僕が歌ってもいいですか・・・・?」
と、僕はマイクを持ってきた事務員さんに聞いた。
「・・・は?」
・・・・・事務員さんは瞬時ぼくの目を見つめたが、意味が分ると、
「ええ、勿論いいですとも。田中さんも喜ばれますよ・・・」
と、僕に言ったあと、母親に
「ねえ、Tさん・・・・息子さんが歌を歌って呉れるって・・・・よかったよねえ?」
と言うと、母親は微かに首肯(うなず)いた。

僕はマイクを持って立ち上がると、話し始めた。
「それでは、僕の隣にいる母親が歌いませんので、僕が代わりに歌います・・・・」
・・・・僕が話し始めると、ホールで色々な仕事をしていたヘルパーさん達が、ちょっとの間、手を休めて、物珍しそうに周囲に集って来た。
「・・・・ただ、これから私が歌います歌は、皆さんの中ではどなたもご存知ない筈です・・・・・。 と言いますのは、これから歌う歌は、歌詞もメロディーも全部わたしが自分で作ったからです。 題名は”お月さんの歌”といいます。
・・・・・・・・・・・・
・・・・多分、皆さんも昔、小さかった頃に

     お月さまいくつ、十三ななつ・・・・・

と言う歌を聞かれたり、歌ったりしたことがあると思います。
・・・そう・・・・我家でも・・・・この歌を・・・僕達、子供達が小さかったとき、今、僕の隣にいる母親がよく歌って呉れたものでした。
これから歌う歌は、この”お月さまいくつ・・・”の歌を中心にして作った歌です」

こう前置きしてから、僕は歌い始めた。

   真夏が来ると、思いだす。
       小さい僕らを見下ろしながら
   母さんが釣ってたあの蚊帳(かや)の色
       窓辺の風鈴も夢見てた

   七夕さまに、思いだす。
       田舎に帰ったお土産に
   母さんが持って来た、あの虫カゴの
       ホタルのあかりの青白さ

   雨の降る日は、思い出す。
       一年坊主のドシャ降りの日に
   母さんが届けた、あの迎え傘
       小さな傘の柄の温(ぬく)もりを

   眠れぬ夜は、思いだす。
       麻疹(はしか)の僕らに、添い寝しながら
   母さんが歌った、あの古い歌
       太郎ドンの犬の懐かしさ

      お月さまいくつ
      十三ななつ
      まだ年ゃ若いね
      あの子も産んで
      この子も産んで
      誰に抱かしょ
      お万に抱かしょ
      お万は何処行った
      油買いに、茶買いに
      油屋の前で
      滑って転んで
      油一升ごぼした
      その油どした
      太郎ドンの犬と
      次郎ドンの犬が
      みんな舐(な)めてしまった
      その犬どした
      ・・・・・・・・
      ・・・・・・・・

僕が、この歌を作ったのは、もう 10 年近くも前のことである。
それ以来、人の前で歌った事は一度もなかったし、当然のことながら、母親にも、こんな歌を作ったなんてことは、一言も話したことはなかった。

しかも、今日だって、この歌を歌おうと思って真寿園に来た訳ではない。
・・・・・たまたま、家内に頼まれて東京にやって来た帰り道、時間が少しあるから母親の所に寄ったら、・・・・・これまた、たまたま「菊祭」とかで、母親の隣でご馳走を戴いている時に、・・・・・又、又、たまたまマイクが回ってきて、母親が歌わない・・・・・と言ったので、僕が代わりに歌っただけのことである。

母親は目を真っ赤にして、涙を流していた。
殆どのヘルパーさん達も目を真っ赤にしていた。
・・・・中には、
「私、もう駄目・・・・!!」
と言って、ハンカチで目を拭っていたヘルパーさんもいた。

歌い終わって、暫くしてから、僕は真寿園を後にしたが、
何人かの人達に
「また、今度なにかあったら来て歌って下さい」
「楽譜があったら下さい。さんに歌ってあげますから・・・・」
等々、励まされて、松原湖に帰って来た。

人生って、ホントに不思議なものだと思う。
・・・・だって、10 年前に作った歌が、思いもかけない時に、こうして皆さんに喜んでもらえたんだもの!!

夜、寝る前に、ヒュッテの庭の最高最低温度計を見たら、今朝の最低気温はマイナス 1 度(今冬最初の零下!!)であった。

いよいよ、来たぞ−−−−−冬があ!!!

    
     

1998-11-12(木) 快晴   ヒュッテ

黄色い大型の封筒に入った美しい筆跡の分厚い郵便物が届いた。
「あれ・・・・?」
封筒を引っ繰り返して差出人を見ると、物凄く綺麗な文字で Masu...... と書かれている。
「あ、M さんだ・・・・」
僕は、今年の 8 月 15 日、ヤルヴィ・ホールで開かれた、ピアニスト草野政真のコンサートで僕の隣に座って、録音をしていた清楚な彼女の姿を思いだした。

その日、仕事の関係で、開演時間に間に合わなかった僕は、コンサートの第一部をヤルヴィ・ホールの後方の席で、爪先立って、ピアニスト草野政真の演奏を見ていた。僕は自由席のコンサートに行くと、兎に角、前の席に座りたくなる。
できることなら、何んとしても演奏者の表情や指の動きなどを見たいのだ!!

ヤルヴィ・ホールの後ろの席にいると、ちょっと反響が良すぎて、音がこもって聞こえることがある。・・・・それも気に入らない!!

と言う訳で、第一部が終わった Intermission の間に、最前列の空いてる席に移動して第二部を聞いたのであるが、後ろの席で聞くのとは大違い。
兎に角、この若いピアニストの演奏は、その一つ一つの音がキラキラと輝く本当に素晴らしい演奏だったのである。
(・・・・本当は、こんな事を言うのはとても恥ずかしいのであるが・・・・この日、草野政真氏のピアノを聴くまでは・・・・正直な話し、僕はピアノ曲よりも弦楽合奏の方が圧倒的に好きだったのである。・・・・だから、この時、僕が、これほどピアノ演奏に夢中になったのは、生まれて初めての事だったのである)
僕は、一曲一曲を夢中になって聞き、曲が終わる度に夢中になって拍手をした。
ところで・・・・初めの中は、気が付かなかったのであるが、そのうち、僕は僕の右手の座席に座っている清楚な感じの女性が一生懸命、草野政真の演奏を録音しているのに気が付いたのである。
・・・・プログラムが進み・・・・2 曲のアンコールが終わり、コンサートがお開きになった時に、僕はテープレコーダーを片付けようとしていた彼女に声を掛けた。
「録音してたんですか?」
「はい、%&$x#j&? のデジタル・テープレコーダーですけど・・・・・」
・・・・彼女はメーカーの名前らしきものを言ったが、僕にはよく聞き取れなかった。
「デジタルかあ、いいなあ・・・」
「・・・・・・」
「あのお、お願いがあるんだけど・・・」
「何んでしょう?」
「これ、コピーとって貰えないかな?」
「・・・・・・」
彼女は、瞬間、僕の目をじっと見つめた。
「いや、あの、そのー・・・・エヴラーの”美しき青きドナウ”が素晴らしかったもんだから・・・・・今迄、ピアノの演奏で色々なドナウを聴いたことがあるけど、あんなに美しいの今迄聞いたことないんだよ。 どうしても、もう一度聞きたいもんだから・・・・・!!」
・・・・・美しい目で見つめられて、僕はもうしどろもどろ・・・・・・
(ああ、ヤバイ!!・・・・・俺みたいなガラッパチに声を掛けられて・・・・このお嬢さん困ってるんじゃないかな!! ヤッパ、俺なんかが声を掛けるような人じゃないんだよ・・・・バカだな俺って・・・・どうしよう??)と思っていると・・・・・
案に相違して・・・・
「はい、いいと思いますけど・・・・先生に聞いてみないと・・・・でも、多分いいと仰言ると思いますけど・・・・・」との事。
・・・・彼女は、僕の目を真っ直ぐに見つめて丁寧に発音をした。
(ああ、とても素直な人なんだ・・・・!!)僕はフトそう思った。
「エッ、ホント、有り難う・・・・!!」
「・・・・・ええ、でも最終的には、先生にお聞きしないと・・・・・すぐに先生にお聞きしてお知らせします・・・・・」
「どうも有り難う・・・・宜しくね」

・・・・と言う訳で、ロビーに出て、色々な人と話していると先刻の清楚な美女がやって来て
「先生が、いいと仰言って(おっしゃって)ましので、コピーしてお送りします」
との事。
「うわあ、物凄くうれしいよ!!」
・・・・僕は、すぐに自宅の住所を書いて彼女に渡した。

それから、3 週間ほどしてから、草野政真氏みずからがコピーして下さったという、音質のいいテープが(・・・・本当に、CDかミニディスクにも匹敵するくらいに素晴らしい音でした・・・・!!)例の清楚な感じの女性から送られて来た。
・・・・その封書小包の差出人の名前を見て、僕はその時はじめてその女性の名前が M......... さんだという事を知ったのである。

この時送られてきたテープの面白さ・・・・・!!
改めて聴くエヴラー編曲の「美しき青きドナウ」の個所では、編曲と演奏の素晴らしさに、何回も鼻の奥がツーンとなったり・・・・・
2 曲目のアンコールとして弾かれた、このテープ最後の曲:ミットラーの「オルゴール」の個所では・・・・あのヤルヴィ・ホールのグランド・ピアノを「ぎごちない」音楽を奏でるバカデッカいオルゴールにしてしまった草野政真氏の知識の深さに感心すると同時に、本物のオルゴールそっくりの氏の演奏に何回も腹を抱えて爆笑したものである。

10 日ほどしてから、僕は M......... さんにお礼の手紙を出し、その手紙の中で、この「オルゴール」の曲に触れ「氏(草野政真氏)が弾く”オルゴール”が本物のオルゴールそっくりなのは、”本物のオルゴールから出て来る音というのは、オルゴールの構造上どうしても一つか二つの音だけが大きくなってしまう”のだ・・・・と言う事を、彼がよく知っているからなのです」と言うような趣旨の事を書いたことを記憶しているが、今日はその増沢さんから改めて新しい郵便物が届いたのである。

きょう送られて来た郵便物も、先便と同様の黄色い中型の封筒の分厚い郵便・・・・・
「何だろう・・・・・?」と思って開いてみると美しい筆跡の手紙とテープが一巻!
まず、手紙を読んでみると、丁寧な書き出しの後に、
「以前お話しした(草野政真氏の)ヴィルトゥオーソのCDをテープにコピーしたのでお送り致します・・・・・」との内容。
慌てて、テープのケースの裏側を見ると曲目は

  リスト:ピアノソナタ(ロ短調)
  シューベルト = リスト編曲 若者と小川
                きけきけヒバリを
                魔王
  ・・・・・・・・
  ・・・・・・・・

ここまで読んだ時、僕は大声で
「ワアーッ、シューベルトだあっ!!」
と大声で叫ぶと、そのテープケースにキスしてしまったほどである・・・・・

シューベルト!!
彼は、古今東西の作曲家の中で、僕が一番好きな作曲家だったからである。

でも、暫くして、ふと僕は不安になってしまった
・・・・と言うのは、今迄の僕はリストが余り好きでなかったからである。

・・・・この時、僕が不安になった理由と言うのは・・・・・・
●一つには、40 年も前の学生時代に読んだリストに対する批評の中に、「色々とリストを批判した」ものが散見された・・・・という事実があったことである。これらの批評との不幸な出会いの為に、その後は、どちらかと言うとリストを敬遠していた事。
●二つには、・・・・だから、シューベルトの作品もリストが編曲すると「どんな風になっちゃうんだろう?」と言う聴かず嫌いの不安。
・・・・という二つの理由の為である。

(・・・・でも、草野政真氏が弾いてるテープならぜひ聴いてみたい・・・・!!!!)
・・・・と思いつつ・・・・暫くしてから、僕はこのテープをヒュッテのプレーヤーにかけて聴いてみた。
・・・・まず第一曲がリストのロ短調のピアノソナタ。
(・・・・リストのピアノソナタかあ・・・・!  リストが何曲のピアノソナタを作曲しているのか、僕ア知らないけど・・・・リストのピアノソナタと名の付くものを最後に聴いたのは、ありゃあ確か15 年くらい前だったよなア・・・! ・・・・だから、あのとき聞いたリストのソナタがこのロ短調のソナタだったかどうか、よく分らないけど・・・・何んとなく面白くない曲だったなあ・・・・・・!!)
・・・・そんな事を考えつつ、テープの第一曲のロ短調のピアノソナタを 20 小節ほど聴いた時、僕は心の中で叫んでいた。
(エーッ、リストのソナタって、こんなに綺麗なんだあ・・・・???)
・・・・そうなると、後はもう夢中である。

リストのソナタが終わった時は、ひとり部屋の中で、大きな拍手をし、
二曲目のシューベルトの「若者と小川」を聴いている最中も、
(ああ、美しい!・・・・リストって、僕が今迄考えていたリストと全然違うよ!)
(・・・・リストがこんなに素晴らしかったなんて・・・・今迄、随分と勿体ない事をして来てしまった・・・・!!)
(・・・・でも、どうして(草野政真氏は)、こんなに(この「若者と小川」を)素直に歌えるんだろう??)
等々、色々な思いと感想が頭の中を横切ったものである。


・・・・ところで、8 月 15 日の演奏会当日もそうだったし、今回のテープもそうであるが、
僕には、草野政真氏の演奏が、今日に至るまで僕が聴いてきた数多くのピアニスト達の一種「荘重」「重厚」とも言えるような演奏スタイルとは、何か・・・・こう・・・・非常に違った感じのものに感じられるのである。

・・・・僕のような、ズブの素人がこんな事を言っていいのか、悪いのか、よく分らないけど・・・・
言うなれば・・・・そう・・・・この現代に生きている・・・・今と言うこの瞬間に大空に向かって両腕を拡げて、生き生きとして喜び輝いている・・・・そう・・・・あの夏の日に、入道雲の下で麦わら帽子を被ってトンボやセミを追いかけている少年のような・・・・それでいて、非常に垢抜けしたロマンチックな・・・・傲(おご)り高ぶらない演奏スタイル・・・・として僕には受け取れるのである。

その一方で、実際に彼の演奏の音を耳にしている時、僕はこれとは全く違った印象を与えられるのである。
その印象を言葉に出して言うのは、大変むずかしいのであるが、強いて言うならば・・・・そう・・・・磨き抜かれた自動車のエンジンと言う感じなのである!!
・・・・むかし商船士官・・・・いまフォルクスワーゲン・ゴルフ・カブリオレ(オープン)の愛用者である僕にとって、美しく整備されたピカピカのエンジンはとにかく魅力ある存在である。

・・・・設計図通りにピシっと円筒形が決まった、美しく輝くピストンとシリンダー!!・・・・その両者の間のミクロン・オーダーの隙間に流れる琥珀色をした飽く迄も透明なエンジン・オイル・・・・!!  こびり付いた油かすは何処にも見当たらず、エアフィルターは清浄、点火プラグは炭素かすや錆びで汚れていない・・・・!!
氏の演奏を実際に耳にしている時、僕は決まって、この正確なリズムを刻むエンジンが「フィーン!!」と軽快な金属音をたてながら、キラキラと輝く音符を周囲の空間にまき散らしているのを感じるのである!!


・・・・今日、送られてきたテープだって、そうである。
僕はもう夢中になって立て続けに、このテープを 3 回ほど聴いたが、この印象は全く崩れなかったのである。

・・・・と、此処まで書いてフト気が付いたのであるが、今日の日記にはオマケが付いていたのである!!!
・・・・と、言うのは、その 3 回目が終わる頃までに、僕はもうすっかりリストが大好きになっていたからである。

    草野政真氏との出会いが、全く新しいリストとの出会いを可能にしてくれた。

・・・・草野政真、バンザイである!!!!!!!


1998-11-13(金)  晴  ヒュッテ  L=-2, H=14

今朝、今冬の初霜が降りた。
ベランダは斜めの朝日を浴びて、真っ白に輝いていた。

今日で、北海道拓殖銀行の業務は終了。
明日からは、同行の業務は、北洋銀行と中央信託銀行に分割されて引き継がれるとの事。

・・・・・・色々とお世話になった銀行だったから、チョット淋しいような気がするが・・・・・・・・・
      これも、仕方が無い事なのだろう!

国連の日本人職員が、コンピューター用の UNL という言語の開発をすすめている・・・・とか。この UNL の開発が完成すれば、翻訳をする時に、各言語から UNL に訳しておけば、何語のサイトでも、日本語で読むことが出来るようになります・・・・との事である。
・・・・主要国言語から UNL に翻訳できるよになるのは 2006 年頃の事とか・・・・

コンピューター技術は、本当に日進月歩である。 

     
       

1998-11-16(月) 晴のち曇  ヒュッテ  L=5, H=24

ヤナショーホームで買ってきたレベルグラインダーでベランダのペンキ落しをする。
北側の手摺りをキレイにするのに 3 時間ほど掛かってしまった。

キレイになったのはいいが、ペンキの粉と木屑で全身まっ茶色!!
次回は、どの作業服を着たらいいか、よく考えること・・・・

片付けを終わって暫くしてから、左脚のひざ頭がチクチク傷むので、調べてみたら真鍮ブラシのワイヤーが、ジーンズともも引きとステテコを通して 5mm ほど肉に突き刺さっていた。
途中で、ためしにベランダの床板のペンキを落したが、弛んで床板の上に頭を出していた釘に真鍮ブラシが当たり短く切れたものが、ひざ頭に突き刺さったもらしい。

これからは、よく注意しよう!!

目にでも当たったら 100% 失明しちゃうよ、クワバラ、クワバラ、クワバラ!!

     
        

1998-11-18(水)  快晴  ヒュッテ   L=-2, H=10

午前 2 時半、起床。
起きると直ぐにストーブに火をいれ、着替えをする。
なにしろ、外は氷点下だ!!

パジャマを脱いでパンツ一丁になると、
まず、ランニング・シャツとステテコに手足を通し
その上に、長袖シャツと冬用のモモヒキを履き
更にその上に、アンゴラの下着の上下を身に付け
それから、アクリール製のツナギを着込み
トレーナーと厚手のズボンに身を包み
その上から、コットンのセーターと Kneissl のスキー・ウエアを羽織り
足を 3 重の厚手のクツ下でくるんだあと防寒靴を履き
スリー・シーズン用の厚手のシュラフ(寝袋)を脇に抱えて、僕は自動車に乗り込んだ!

行き先は、西風吹きすさぶ真っ暗やみの高原野菜畑のど真ん中・・・・!!

現地に着き、懐中電灯の明りをたよりに屋外用の毛布とシュラフを地面に敷くと、僕はシュラフの中にスッポリと潜り込んだ。・・・・そして、防寒靴をシュラフの下に入れて枕にすると、道路の上に仰向けになって、西風が轟々と唸る上空を見上げた。

今日は獅子座流星群の観察日である。

まず、一番最初に星座の位置を確認する。
天頂に近い位置に双子座のカストールとポルックスが見え、その西側にはオリオン星座のリゲルとベテルギウス・・・・オリオンの三つ星の延長線上には、大犬座のシリウスが青白く輝いている。
「キレイだなあ。本当にキレイだ・・・・!」
・・・・僕は、シュラフの中で小さく呟いた。

・・・・そして・・・・
天頂より少し東北側には北斗七星が堂々と・・・・そのすこし北側には、こぐま座と北極星がつつましやかな光を放ち、・・・・天頂のやや南東側には、2, 3 時間前に昇ったと思われる獅子座が悠々と大空に浮かび上がっている。
「いいなあ! ・・・・・本当に素晴らしい!」
・・・・こう呟いた時、僕はフト 40 年も前の商船の青年士官時代を思いだした。

そう・・・・あの頃・・・・23 才か 24 才の頃の僕は、とても星が好きな三等航海士だった。 毎晩のように、これらの美しい星々を眺め、水平線がハッキリと見えるときには、六分儀と時辰儀と天測表を使っては船の位置を計算したものだった。
・・・・懐かしい・・・・本当に懐かしい青年士官時代・・・・

と、その時、スーっと、流れ星が光った。
「おっ、光った!・・・・ひとーつ!!」
待つこと 4, 5 分。また、流星が尾を引いた。
「ふたーつ」
僕は、ひゅうひゅうと唸り声をあげる風に向かって大声で叫んだ。
・・・・でも、僕の声は口からでると同時に寒風がもぎ取って遠くの方に投げ捨ててしまう。

・・・・・・・
シュラフの中では、防寒靴を脱いだ足だけが冷たかった。
体はポカポカして温かく、眠たくなるほど気持ちがいい!!
空に鳴る木枯らし。
顔を撫でる寒風。
微かに匂うコンポスト肥料・・・・でも、今では、この匂いも懐かしくさえ思える。
・・・・そして、夜空に舞い立つ巨大な星座群・・・・!!
この美しさ!!
そして、この幸せ!!
「そうだ、また来よーーっと」
僕は、木枯らしに向かって、また大声で叫んだ。
・・・・もちろん、その声はアッと言う間に、吹き飛ばされてしまったけれど・・・・

流れ星を 15 くらいまで数えた時である。
シュラフの表面がパチパチ鳴りだしたので
「何んじゃあ、こりゃあ??」
と、上半身を起こして周囲を見ると、音をたてていたのは何んとサラサラとした雪である。
・・・・でも、この雪は東京の雪とはまるで違う。
今夜の雪は、気温が低いせいか、食卓塩のようにサラサラとしていて、シュラフを濡らすどころか、小さな粒が風に吹かれてコロコロと畑の上を転がって行く。
(・・・・おかしいね、雪が舞ってても、お星様があんなによく見えてるなんて・・・・)
僕は、安心して、また地面の上に横になった。

30 分・・・・1 時間・・・・1 時間半・・・・と時間が経ち、間もなく 2 時間近くが経とうというのに、流れ星の数は未だに 35 ケほどである。
(おかしいね、こりゃあ? テレビでは、もっと沢山見えるようなことを盛んにいってたのに・・・・)
時計を見ると間もなく 5 時である。
東側の山並みもかなり明るくなってきた。
間もなく、夜が明けるのだろう・・・・

その時、また一つ電球のように大きな奴が、夜明け間近の空を横切って行った。
(そうだ、今の奴も大きかったけど、4 時過ぎの奴が一番大きかったな!)
・・・・「バチッ!!」と音がしそうな位に大きかったその流れ星の事を思いだしながら、僕は、ファーッと大きな欠伸(あくび)をした。

・・・・昨夜は、まだ 2 時間くらししか寝ていない。
「そうだ、もう帰ってねなくちゃ・・・・!」
・・・・これを最後に僕はヒュッテに帰ることにした。

寝袋から出てみると、外は寒風が吹き荒れているため、体感温度はマイナス 4 度くらいだろうか・・・・・・。
「うわあ、早くしないと、手がかじかんじゃうよ・・・・・!!」
・・・・僕は、一気に毛布とシュラフを自動車に積むと、自動車のエンジン・キーを右に捻った。

ヒュッテに舞い戻ると、僕は熱ッッツーーーーイ紅茶を沸かし、砂糖を多めに入れると、フウフウ言いながら、その紅茶を飲んだ。
・・・・その紅茶の美味しかった事!!
もしかすると、この紅茶が今迄の僕の人生の中で一番美味しい紅茶だったかも知れない!!

「ファーッ!!」
・・・・暫くすると、僕はまた大きな欠伸(あくび)をした。
「そうだ・・・・もう早く寝なくちゃ・・・」
・・・・僕は湧かしてあった風呂に飛び込むと、20 分程よく暖まり、バスルームから飛びだすとパーッと 2 階に駆け上がって、スッポンとベッドに潜り込み
「ヌクヌクヌクヌク・・・・」
と言いながら、チョッとの間、手足や体の向きをアチコチに動かして、寝やすい位置を探り当てると、アッと言う間に眠ってしまった。

・・・・あとで考えると、そのときには、もうカーテンの隙間から、斜めの朝日が室内に流れ込んでいたような気がする。

高原の生活って、何んて楽しいんだろ!!!!

     
       

1998-11-19(木)  快晴  ヒュッテ  L=-2, H=10

昨日以来、大陸方面から寒気団が南下してきたため、日本列島は全般的に気温が低くなっている。特に東北地方から北海道にかけての上空にはマイナス 50 度の冷たい空気が流れ込んでいるため、この地域を通過した寒冷前線による大雪は相当なものらしい。

札幌は 132cm の積雪。
秋田県の本庄市は観測史上最高の 93cm とか・・・・!!

幸い、松原湖高原では、殆ど雪が降らず快晴の日が続いているが、それにしても毎日の様に吹き荒れている木枯らしはどうだろう!!

松原湖高原の紅葉はすっかりと散ってしまい、寒々とした幹を剥き出しにした林が、確実にやって来た冬の到来を告げている。

冬を楽しく過ごそう!!

そう・・・・冬をどのように過すかで、松原湖高原での生活が「楽しいものになるか」、「苦しいものになるか」が決ってしまう・・・・と言っても過言ではあるまい。

そうだ・・・・・・いい事を考え付いた!!

「冬を楽しく!!」
「冬を楽しく!!」

”Enjoy winter ! ! ”
”Enjoy winter ! ! ”

これを、ヒュッテでの合言葉にしよう!!

”Enjoy winter ! ! ”

・・・・・・・うん、とても素晴らしい!!

     
      

1998-11-21(土)  快晴  ヒュッテ  L=-2, H=14

家内と長男の2 人がヒュッテに来訪、3 週間振りの一家団欒である。
・・・・いつも、松原湖高原で一人で生活をしているせいか、(家族ってこんなにいいものか)と思ってしまう。

でも、その反面・・・・二人がくると、トタンにこの日記帳に書くことがなくなってしまうのが現実。
今日の日記もそうである。
もう、何も書くことがありません。

いや、一つだけありました。

夕食時、家内が
「冷蔵庫に入っていた、パパが作ったスープ・・・・とても美味しく出来ていたわよ。だから、今日の晩ご飯は、パパのスープと鯵のマリネと肉煮にしたわ・・・・」との事。
「味付けは大丈夫だった?」と訊くと
「とてもいいわよ。・・・・だから、何んにも味付けはしなかったわ」とのこと。

ご飯を食べ始めた時、家内が長男に言った。
「ねえ、コウチャン、このスープ・・・・パパが作ったのよ。おいしいでしょう!!」
「うん・・・・・・??」
息子が実に不思議そうな顔をして、僕の顔を見ていたのが、とても印象的でした。

     
      

1998-11-23(月) 快晴  ヒュッテ

08:20 目を覚まして、階下に降りると、庭一面の銀世界。
昨夜降った初雪が、斜めに射し込む朝日にキラキラと輝いている。
・・・・でも、この雪はお昼くらい迄には、スッカリ溶けてしまうだろう!!
僕は、愛用のデジタルカメラを持ちだして、スナップを一枚撮った。
あとで、早速ホームページに載せよう。

食卓には、もう朝食の用意が出来ていた。
僕の大好きないつものメニュー・・・・
・・・・だけど、パンだけは、家内が食パンで僕がバゲット・・・・・
僕が、バターを塗ってカリカリ食べてたら、家内が言った。
「私にも、一枚、食べたいな・・・・!」
「うん、いいよ。・・・とても美味しいから!! でも、こいつ焼き方にコツがあるんだよ」
「どの位焼くの?」
「1 分 10 秒か 20 秒・・・・・」
・・・・と言いながら、トースターにパンを入れて、時間をセットする。
暫くすると、家内が言った。
「パパ焦げちゃう、焦げちゃう・・・!」
・・・・と同時に
「チーン!」と音がして、トースターが止まった。
「あら、凄いじゃない! 丁度、一番いい所でとまったわ・・・・!」
「うん、よく焼けてると思うよ・・・・はい、どうぞ!」
と、言って、家内のパン皿にバゲットを載せて渡すと・・・・
カリカリと音を立てて、食べ始めた家内が言った
「本当、とても美味しいわ!!」
「そう? じゃあ、よかった・・・」
・・・・部屋の中では、加湿器がブツブツと眠たげな音を立て、息子はまだ、二階のベッドの中で、よく眠っている。
別に、どうと言う会話でもないけれど、とても長閑(のどか)なひととき。
・・・・こう言うのを、幸せって言うのだろうか?

午後 2 時。
家内と息子が東京に帰って行った。
二人が居なくなってしまうと、さっきまで賑やかだったヒュッテが急に淋しくなってしまった。
そんな事を考えていたら、また新しいヘッポコ詩「間の抜けたヒュッテ」が出来てしまった。

そのうちにサイトにアップロードすることにしよう。

     
     

1998-11-25(水)  晴   ヒュッテ  L=-5, H=14

午後 4 時。
「高原のパン屋さん」社長の品ちゃんの紹介で「工房あらい」の大将に会って来た。

僕が看板制作の技術を身に付けたいと言ったからである。

・・・・小海町はとても素晴らしい所であるが、町全体がなんとなく雑然としている。
・・・・それは「どうしてだろう?」とズット考えていたら、個人や各種の組織が無統一に作っている看板や道路標識が、この町の美しい自然景観を大いに損ねているからだ・・・・!!と言う結論にいつの間にか到達してしまった。

それならば、自分でこの町のイメージに合う標識や看板を作ってやろうじゃないか!!
・・・・と考え始めたのが事の発端である・・・・という事から話し始め

「別にそれで金儲けをしよう等とは全く考えていない!」
「こんなに美しい自然があるのに、それを看板がブチ壊しているなんて口惜しいじゃないか!!」
「時間は、10 年掛かるか 20 年掛かるか知れないけど、一丁、やってみたいんだ!!」
・・・・そういった事を、夢中になって話していたら、大将が
「面白い・・・・・!!  自分は自分の生活があるから、なりふり構わず協力することは出来ないけど、出来る事は全面的に協力する。・・・・看板作りの技術は全部オープンするし、当面、自分の工房の一部を使って貰っても構わない」
・・・・と言ってくれたのには感激した。

初対面なのに、素晴らしい仲間に会えたのが、とても嬉しい!!

品ちゃん、アリガトウ!!

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