1998-04-01(月) 雨 自宅
西から来た低気圧と、北から来た上空の寒気団がぶつかって朝から冷たい雨。
18:00
阿佐谷駅前のロッテリア前で英語学校の仲間達と待ち合わせ。
最初の話しでは、当初 5, 6 人が出席予定だったが、天候不順のため 4 人に減ってしまった由。ロッテリアに着くと、本間兄とmasami が傘をさして笑いながら立ち話をしていた。「やあ!」声を掛けると、
H 「暫くです。お元気ですか?」
M 「アラッ、八岳さーん、暫くでーす!」2人は同時に、返事をした。
「うん、有り難う。本間さんも、元気そうじゃない!」と語尾を上げて言った後、masamiに
「その服、可愛いじゃないか・・・・」と言うと
M 「ねえ、聞いて聞いて。ほんとは、ちゃんとオメカシして来ようかとおもったんだけど、雨が降っちゃって」
「どうしてえ・・・! それ、とっても素敵だよ!!」
M 「そうかなあ」
・・・・masami はしぶしぶ洋服の前を見下ろしている。
「ところで keika は?」
H 「もうそろそろ来ると思いますよ。ア、来た来た・・・・」僕より、3cm も背が高く姿勢のいい keika が、ニコニコしながら近づいてきて、
K「今晩は!」・・・・チョット含羞んだように言った。レインコートがよく似合う。H 「今晩は!」
「やあ、keika!」男性二人が同時に返事をしたあと、masami が少し遅れて
M 「元気そう!」
K「ウン・・・・」
masami と keika は楽しそうに話し始めた。・・・・少女らしさが残っている大柄な二人が仲良く話しているのを見ると、チョット嫉妬に似たものを感じる。MK「あら、ご免なさい。さあ、行きましょう」
1,2 分話しをしたあと、手持ち無沙汰な男性二人に気が付いた masami と keika の声に4 人は連れだって歩き始めた。そして・・・・・
かねて本間兄が予約しておいた中華料理店に着き、4 人が向き合って座り、乾杯をすると、もう後はオシャベリと爆笑の連続である。英語学校時代の先生の癖、クラスメートの笑い話、試験のことから始まり、今までの人生のこと、彼や彼女との出会いの話し、恋愛、結婚、親の離婚、男と女、愛情、友情、人生で何が一番大切か、等々・・・・午後9時半ころ、サヨナラを言うまで、僕達の話しは本当に尽きることがなかった。
「人間の幸せって何だろう?」
・・・・最近の僕は、こんなことを時折考えることがある。
この問いに対して、最近の僕は、「自分に与えられた人々と、その立場立場に於て、対等に愛し合えることが、一番の幸せではないだろうか?」と考えるようになって来ている。
・・・・例えば、時おり小さな言い合いをすることがあっても、家内は僕にとってこの世の中で一番大切な人であり、僕が最も愛している人でもある。そして、一人っ子の長男は、僕と家内にとって世界中で一番可愛い家族で、長男も我々夫婦を「この二人が、自分のことを一番よく知っている」と思っているようである。それと同じように、masami と keika と本間兄は僕にとって素晴らしい愛すべき友人達であり、この 3 人も、僕を自分たちの友人だと考えているようである。
勿論、この 3 人の外にも、rie、yuri、tomoko、nobuko、大谷兄、小郷兄、等々素晴らしい友人達がおり、僕達はお互いに仲良くしたり、尊敬したり、大好きだったりしているようである。
だから、最近の僕は「僕は何と素晴らしい家族や友人に恵まれた幸せな人間だろう!!」とよく感じさせられることがある。
神様に感謝している毎日である。
1998-04-05(月) 晴 ヒュッテ
朝起きて、階下に下り、居間の出窓のカーテンを開けたトタン、僕はびっくりして息を飲んだ。
だって、出窓のすぐ下の所で、大きくて色の美しい雄の雉(きじ)が盛んに餌を拾って食べていたからである。まったく、「あーっ、ビックリ下谷の高徳寺」である。
1998-04-07(火) 曇 ヒュッテ
案内所の受付のお手伝が始まる前に、日課になっている湖畔の一巡をしている時、諏方神社の近くで地元の健康そうな男性に出会った。
「コンニチハ!!」大きな声で挨拶をすると、その男の人は僕に近づいてきて顔をほころばせて言った。
「きょうは、あそこに行かねえのけ?」と観光案内所の方を顎でしゃくった。
「ええ、これから行くんですが・・・・、掃除をしてるんですか?」と僕。
「いや、ミツバチの巣をかけてるんじゃが・・・・」
「あ、あの丸太の上下に四角い板の打ち付けてあるアレですか?」
「そう、今あそこに一つ置いてきたところじゃに」
・・・・指さす方を見ると、なるほど新しい巣箱が倒れた大木の根っ子の上に乗っている。(そうか、この人があの巣箱を掛けている人なのか・・・・・!!)
「チョットお聞きしていいですか?」
僕は、今まで聞きたくてうずうずしていた質問を矢継ぎ早にこの男性に浴びせ掛けた。
すると、この人は別に嫌がりもせず、丁寧にひとつひとつ僕の質問に答えてくれた。曰く。
このミツバチは、ニホンミツバチで一般の養蜂家が蜜を集める為に飼っている、いわゆる西洋ミツバチとは種類が違う。
巣箱も、箱形ではなくて、中がウロになった太い丸太の中をくりぬいて作るので、作るのに大変な手間が掛かる。その他にも、巣箱を置く場所はこんな所がいい・・・・云々。とても面白い話を沢山してくれた。
本当は、もっともっと話しをしていたかったのだが、案内所を開く時間が迫っているので、そこそこで失礼をした。・・・・分れるのが残念で、チャンスがあったら、是非ヒュッテに遊びに来て下さいとお願いをした。
男性の名前は鷹野安良さんとか・・・・とても楽しい人だった。最近、松原地区の色々な人と次々に知りあいになってきた。
皆さんそれぞれに個性豊かな人々で、話しているととても楽しい。本当に素敵な仕事の手伝いをさせて頂いていると思う。
1998-04-12(日) 晴 自宅
昨夜、帰京。
今日のイースターの司会。何故か、少し上がってしまって、よく出来なかった。牧師先生には気の毒な事をしてしまった。ゴメンナサイ!!礼拝のあとの愛餐会では、本当に久方ぶりに会った I さんと話しをする。I さんは僕より 7, 8 才年上の女性で、数年前お友達 2 人と松原湖のヒュッテに来訪、2, 3 泊なさって頂いたことがある。残念なことに、その後彼女は脳梗塞を患われ、長いこと礼拝を休まれていたが、先週からまた礼拝に出て来られるようになったとの事であった。
「コンニチハ!!本当に暫くだけど、とても元気そう!!」
・・・・僕は彼女の両肩に手を掛けて言った。
「あら八岳さん、今日は、お会いできてとても嬉しいわ・・・・」
「僕もですよ・・・・貴女が元気そうなので、とても嬉しいです!!」その後・・・・・
彼女と一緒にヒュッテに来た仲間達を交えて、我々は思い出話に花を咲かせた。
いつもそうだけど、この人達と話していると、僕達は子供の様に無邪気になり、僕などは言葉も餓鬼丸出しになってしまう。勿論、彼女達の話し方も往時の女学生みたいになってしまうのだが・・小一時間ほどワイワイやったあと、我々は家に帰ることにしたが、帰り間際、僕が I さんに向かって
「じゃあ、お元気でね!今日はモッノスゲエ楽しかった・・・・・」
と言って握手を求めて右手を差し出すと、
「私も、今日はとても楽しかったわ!!」
と言って I さんは左手を差し出した。彼女は右手が不自由なのである。
「ア、ゴメンナサイ・・・」
僕は慌てて左手を差出し、彼女の手をシッカリと握った。
「今日はホントにどうも有り難う!! とても楽しかったわ。また、来るわね・・・・」彼女は僕の左手をしっかりと握り返し、その上に不自由な右手を重ねて、そう言った。元気になった I さんに会えて、そのあとの今日の一日、僕はとてもうれしかった。
夜。
パソコンを覗いてみたら、yuri と ハマチ からメールが届いていた。
yuri は僕がサラリーマンをしていた時の身長 168cm (僕は彼女の背の高さがとてもウラヤマシイ・・・・だって、僕は 164cm しかないんだもの!!)の心優しい部下(彼女については1997-10-04, 05 の日記参照)で、その yuri の友達のハマチは、ケロンパ(うつみ みどり・・・字を忘れた!!)に感じが似たファニーフェイスの女性で、僕と yuri が勤めていた会社を辞めてフランスに行ってケーキの勉強をしてきて、現在はケーキ・クッキング(こんな言葉ってあるのかな??)の先生をやっているという変わり種である。
メールはハマチが yuri の家に遊びに行き、二人でこのホームページを見ながら書いたものだとか・・・・とても、懐かしかった!!!!!!!
1998-04-13(月) 雨 自宅
午前中、お茶の水の下倉楽器に出掛けてポケット・トランペットを買って来た。
ところで、
・・・・62 才になった僕が、トランペットを始めると言うと、行き付けの喫茶店「シェステ」の常連客は一様に
「エーーーッ!! 何でまたーー??? サキソフォーンやってたんじゃなかったっけ??」
と、驚きと言うよりは、むしろアキレカエリの声を上げたものであるが、事の起こりはこうである。実は、2 年前に会社を定年退職したときの事、これを機会に何か新しいことを初めてみようという気になり、楽器の好きな僕は今までに触ったことのない楽器を始めてみる気になったのである。
「弦楽器は、今もヴァイオリンを引っ掻き鳴らしているし、ギターも家内のがあるし・・・・」
「鍵盤楽器も我家のエレピアンで遊んでいたし・・・・」
「笛やブロックフレーテやオカリナも二階の机の上に転がっているし・・・・」
「太鼓も、お祭りの時にサンザッパラ叩いて、飽きちゃったし・・・・・」
・・・・等々、色々と考えた末
「そうだ、金管楽器にはまだ触ったことがない!!」と、一気に金管楽器にのめりこんでしまったのである。さあ、そうなると大変である。
寝ても覚めても、立っても座っても、トランペット、コルネット、トロンボーン、ホルン、サキソフォーン、チューバ等々、金色でピカピカに輝く金管楽器の姿がいつも頭の中に渦巻くようになってしまった。「さあ、どれにしようか?」
「ああでもない・・・・こうでもない!!」
「ド、レ、ニ、シ、ヨ、ウ、カ、ナ? テ、ン、ジ、ン、サ、マ、ノ、イ、ウ、ト、ウ、リ!」
・・・・・・などと、一週間ほどの思案の末、
「そうだ、トランペットに決いーーーめたっと!」
と、突然に決めてしまったのである。
・・・・・理由?? そんなものはない!
しいて言えば、ある日の午後、むかし何回かテレビで耳にしたことのある「北の国から」のトランペットのテーマ音楽が、突然「パーパーパパパパ・パーパパー・パパーパパパパパー」と頭の中に鳴り響いたたからである。だが、その決心もその翌日には、もろくも崩れ去ってしまった。
と言うのは、その次の日に、定年退職の手続きと挨拶の為、もと居た会社に出掛け、たまたま行きあった若い女性の一群に
「今度、トランペットを始めようと思うんだ・・・・!」と言うと、その中の一人に
「アラー、八岳さんだったらサキソフォーンの方がよく似合うわよ」と、一言いわれたためである。僕は、自分でも呆れるくらいに女性に弱い。この声を聞いたトタンに、僕の気持ちは
「そうだ、もしかすると、僕はサキソフォーンを習いたかったのかも知れない!!」
・・・・と変わっていたのである。その日の晩、僕は定年のお祝いに楽器を買ってくれると言っていた家内にこう言った。
「ねえ、ねえ、サキソフォーンを買ってもいいかなあ?」
「あら、トランペットじゃなかったの?」事情を知らない家内は、驚いてこう言った。
「うん、・・・・今日、会社に行った時、女の子達に出会っちゃってさあ〜。いろいろ立ち話をしたんだけど、その時、退職したらトランペットを始めようかと思うって言ったら、その子達に、八岳さんはトランペーットよりもサキソフォンの方が似合うって言われちゃってねえ・・・・」
と言うと、家内は
「あら、パパでも相手にしてくれる若い女性が居るんだあ!!・・・・ハハハハ・・・・!」
と可笑しそうに笑ったかと思うと
「いいわよ。そのかわり、私がいるときには余りウルサクしないでね!」
と付け加えた。
「うん、大丈夫」僕は、何んとなくホッとして、そう言った。
「それから、ご近所の事も考えてあげてね・・・・!」
「モーチロンダヨーーー!!」
「でも、驚いたわ・・・・!」
「何がさあ?」
「・・・・パパでも相手にしてくれる若い女性が居るなんて!!・・・・ハハハハ・・・・!」
家内は、もう一度そう言うと、可笑しそうに笑った。
さて、お墨付きさえ貰っちゃえば、もうこっちのものである。
僕は翌日さっそくお茶の水の下倉楽器に行って、ピッカピカのアルトサックスを買ってきた。そして、一通り取扱説明書と速習ビデオを読んだ後、ブオー、ブオーと音を出してみた。
「ハハハハ、鳴る鳴る、鳴ります、鳴りますよー!」
・・・・嬉しくなって、僕は更にブオーブオーとやってみた。こうなると、もう山本リンダではないが、もう「どうにも止まらない!」である。
JR大久保駅前の音楽学校に通い始め、自分の家でも毎日毎日 5 時間ほどブオーブオーとやりはじめたのである。お陰で、2 ケ月もしないうちに、「アニーローリー」「A 列車で行こう」「ロンドンデリーの歌」などが吹けるようになったのである。ところがである。3ケ月目に入ったある日のこと、1時間ほど練習をしたあと、お茶を飲もうと思ってカップを持つために、左手の親指を曲げたら、ビクンと曲がったまま親指を伸ばすことができなくなってしまったのである。
「アタタタタ、こん畜生めえ!!」
たまりかねて、右手の親指と人差指を使って、左手の親指を真っ直ぐに伸ばすと、今度は左手の親指がビクンと真っ直ぐになったまま、親指を曲げることが出来なくなってしまったのである。
「アタタタタ、どうなっているんだ」
余りの痛さに、その日からの練習は暫く見合わせることにして、次の週のレッスンの日に、先生に事情を話すと、先生は僕の可哀相な親指を色々調べてみて、
「もう絶対に楽器の練習をしないで下さい」と、いきなり最後通牒を出されてしまったのである。それから、約 1 年半後の今月始め。
いつの間にか、この親指がスッカリ元に戻ってから、10ケ月が経っていた。
ある日の午後、急にこのサキソフォーンのことを思い出し、
「もう長いこと、左手の親指は何ともないから、チョット吹いてみるか・・・・!!」
と軽い気持ちで楽器を握ったのであるが、ものの30分もしないうちに、軽度ではるが、あの呪わしい左手親指のビクンを、再度経験したのである。「あっ、ヤバイ!!」
ぼくは、慌てて楽器の練習をやめることにした。
「やっぱり駄目かあ・・・・」
暫くの間、僕は考えていたが、急に
「そうだ、楽器を変えてみよう。左手の親指を使わない楽器に!!」
と、思い立ち、下倉楽器に電話をかけて事情を説明したところ、サキソフォーンの下取りは可能とのことなので、家内に今回の事情を説明して了解を得、ポケット・トランペットに買い替えることになったのである。さて、問題はこれからである。
僕は喜び勇んで、お茶の水の下倉楽器に出掛け、念願のポケット・トランペットを手に入れ、帰宅してから家内に「どうも有り難う!!」と言って、この素敵な可愛らしい楽器を彼女に見せたところ・・・・・
「アラ、この楽器、可愛らしくてとてもすてきじゃない!!」
と言ったあと、ひと呼吸おいて
「ねえ、この楽器、お部屋のアクセサリーにいいと思わない?」
と、トンデモナイ事を言い出したのである。
・・・・・・・・・それを聞いた瞬間、
「エーッ、それじゃあ、楽器が可愛そうだよ〜!!」
と、僕は鼻を鳴らした。
・・・・ヒュッテの白い壁の上に掛けられ、退屈そうに欠伸(あくび)をしているポケット・トランペットの姿が脳裏をかすめたからである。
1998-04-14(火) 雨 自宅
方南町の長島葡萄房にて日本フィルの楽団員 4 人よりなるカルテットの音楽会。
曲目はハイドンとブラームスのカルテット 1 曲ずつ。
最前列の特等席だったため最高でした!!
1998-04-19(日)晴 ヒュッテ
10 日ほど前に、中野の 100 円ショップで買ってきた金網の笊(ざる)にヒマワリの種を入れ、白樺の小枝に吊るしておいたところ、今日はじめてシジュウカラ 2 羽がやって来てヒマワリの種を食べていた。毎日きてくれるといいのだが・・・・・
1998-04-20(月)晴 ヒュッテ
もう数年前に営業をやめ廃屋になっていた旅館松原館の解体作業がスッカリ終了した。お陰様で、湖の周りはますますスッキリし、松原湖はますます美しい湖になってきた。
・・・・トーーーーーーッテモ嬉しいでーーーーーーーす!!
1998-04-24(金) 曇ときどき雨
合唱団「リトル」の練習に今日から参加することにした。
練習会場はヤルヴィホール。
本日の出席者は、男性 4 人・女性 1 人の計 5 人。
曲目は「太陽がくれた季節」と「天までとどけ」の 2 曲でした。
1998-04-25(土) 雨 ヒュッテ
19:00
ヤルヴィホールにマリンバを聴きに行く。
演奏者は国立音大出身の打楽器奏者 2 人・・・・山崎美代子・田川絵里子という元気なお嬢さん。終わってから荷物を運び出す間、山崎さんに楽器のことを色々と質問をしたら、とてもよく教えてくれた。演奏曲目は黒鍵のエチュード(ショパン)、幻想即興曲(ショパン)、剣の舞(ハチャトリアン)など、聴いていてとても楽しかった。
1998-04-26(日) 曇 自宅
17:40 案内所の受付の手伝いが終わってから、中野に向けて出発。
途中、佐久市の常和の近くで田圃の中の一本道を走ったが、夕暮れの重く湿った空気の中で見たあたりの景色はとても素晴らしかった。
その後、国道 254 号線を走ったが、車道面の凹凸がひどく、パソコンがイカれるんじゃないかと心配になった。次回からは、なるべく長野自動車道を通ることにしよう。
21:30 中野着。
1998-04-28(火) 晴のち曇 ヒュッテ
11:00 中野発。
真寿園に寄ってから長野へ。18:30 佐久町のサウンドウェーブ・ピュアで開かれた、小海町卓球クラブのカラオケ・パーティに出席。出席者 6 人。とても楽しいパーティでした。
24:15 ヒュッテ着。
給水バルブを開いたり、荷物の整理、お米とぎなどをすまし、
26:30 就寝。
1998-04-30(木) 快晴 ヒュッテ
03:00 トイレに起きて、ションベンのあと手を洗おうと思ったら、水が出ない!!
「ヤバイ、凍ったか・・・・」一瞬ドキッとしたが、寒暖計を見ると室内で 13 度・・・・
「バーカ、この暖ったかいのに、凍るわけないだろ!!」と、自問自答する。でも、心配なのでガウンを着込み、懐中電灯を持って外に出てみた。
至極当然のことだが、あたりは真っ暗で人っ子ひとりいない!!
ほてった頬に湿った空気が心地よい。
・・・・・急いで、水まわりに異常が無いことを確かめたあと、ホッとして玄関前の暗闇の中にひとり立ち止まり、深呼吸をする。
薄曇りの空を見上げると幾つかの星がボンヤリとくすんでいる。
子供の時、よくやったように懐中電灯で暗闇の中をてらすと、丸い光の中に色々なものが浮かび上がってくる。
サラサドウダンツツジの新芽、モミの木の濃緑色のスカート、ニシキギの平べったい小枝、ヤマハンノキの太い幹・・・・暗い物陰には、コワーイものが隠れているかも知れない。
・・・・・半分怖くて、半分面白い!!
あの少年時代の遠い思い出が蘇ってきた。
10 分ほどしてから寝床に戻り、頭を枕の上にのせたらアッと言う間に寝入ってしまった。ジリジリジリ・・・・・
目覚ましに起こされて、目をこすりこすり階下におりて行き、水を飲もうと思って蛇口を捻ったら、水が出ない。
「そうだ、水が止まっていたんだっけ!!」と気が付いた。
ゆうべ、湧かしておいたポットに半分のお湯を小出しにして、歯磨き・洗面・野菜洗い等々を済ませ、紅茶を沸かして朝食をとる。食後、食器を洗おうとしたが、まだ水がでないので放ったらかしにして、もう一杯紅茶を飲む。
食器は水が出てから、洗うことにしよう。・・・・・その後、別荘の管理棟に人が来た頃を見計らって、事務所に電話を入れてみた。
すると、
「・・・・同じような苦情が、他からも届いているので、目下、原因を調査中です・・・・」
との事。
「ヤレヤレ、凍結したんじゃないのか・・・・」
・・・・何んとなく、ホッとした次第である。10:00 郵便物が届いた。
電気料引き落としの通知、文化財団からの催し物の通知。
その下から、いかにも女性らしい美しい筆跡の封書が一通。
差出し人は、yasuko さまでした。彼女は東京の会社に勤めている素敵な奥様。
知り合った切っ掛けはメールで、その後も今日までメールでのやりとりが続いている。
多忙な彼女と、会ったのは一回だけ。
彼女が、仕事の関係で松原湖の方に来たときに、仕事関係のお仲間と一緒にヒュッテに寄って頂いたことがあります。
そのときの第一印象は、「とても頭のよさそうな人」この yasuko さま、ときどきこの日記帳を読みに来て下さっているようで、僕がトルストイが大好きなのを憶えていて下さり、今回は「アンナカレーニナ」の関係資料を送って下さる事になった模様。
封筒を開いてみると、中身は、映画「アンナカレーニナ」のパンフと割引券。
パンフを読んでいるうちに、とても見たくなりました。この松原湖の僻地にいると、こういった情報はなかなか入って来ません。
Yasuko さま、本当に有り難う御座居ました。
午後、別荘管理センターの畑さんより電話あり。
今回の断水騒ぎの原因は、別荘地内 W156 と W157 の間の、本管が破裂したとのこと。
水道局の人も現場に急行しており、「間もなく復旧すると思います」とのこと。
ヤレヤレでした!!!!!!!