「それではねえ・・・・j-peg を立ち上げてえ・・・・そう、そう、その写真のアイコンを j-peg のアイコンに重ねてみて・・・・! ホラ、絵が出て来たでしょう」
先刻から、斉藤ユリ子さんは、付き切りで出来の悪い生徒に画面の操作の指導をして下さっている。 なにしろ、生徒は 61才。先生は生徒より 40才ほども若いウラ若き女性という奇妙な組み合わせである。・・・・よくもまあ、先生はこのドウシヨウモナイ生徒に腹を立てないものかと、感心のしっ放しである。
今日、僕がパソコン・ショップ「メビウス」にやって来たのは、午前中に引き続いて、これが 2度目である。今まで、僕のホームページには画面が 1枚もなく、読者からも「自然の風景の画面を入れるといいですね」というご指摘を頂戴していたところである。 何とかして、他の皆さん並に写真の 1枚くらいはページ上に載せたいものだ・・・・」というのが、メビウスに出掛けてきた理由である。
今まで、ベーシック、C言語、アッセンブラーなどをいじくったり、計算ソフトなどはかなり使ったことがありはしたものの、グラフィックスに関しては、全く赤子同然である。
パソコン・ショップに居る間は、分かったような積もりになっているが、いざ、家に帰って自分でやってみようとすると、上手く行かないのである。
「こりゃあ、ダメかいな??」
そんなことを呟きながら、どうやらこうやらディスクに入っている写真が画面上に出て来たのは午後の11時すぎである。「ヤレヤレ。やっと出たよ!!」
と、言うところ迄やっと来たが、とても眠くなったので、この続きは明日勉強することにして、今日の日記はこれにて終わりーーーーーーー!チョン!!!!!
今日は朝から、ホームページ作成ツールの「ページミル」と大奮闘である。
と、言うのは、昨夜の続きをやってみると、ページミル上では、昨夜準備した写真がキチンとホームページの画面上に出るのに、いざインターネット上にアップロードすると、その写真が出てこないのである。何が出てくるかと言うと、ホームページの写真が表示されるべき位置に、黒い枠が現れ、その枠の真ん中に破れた紙のアイコンみたいなものが出て来るからである。「何だいコリャア??」
慌てて、何回かアップロードをやり直してみたが、結果は同じである。
プロヴァイダーにも 10回ほど電話を入れてみたが、こりゃまた、いつも話し中!!「ええい、ヘッポコ電話機めえ!!」
と、腹立ち紛れに、電話機を蹴っ飛ばそうとしたが、ファックス電話器の重量感にフト気が付き
「ああ、此奴を蹴っ飛ばすと、こっちの足が参っちまう!!」
と思い、止めることにした。・・・・それに、よく考えてみると電話が話し中なのは、電話機が悪いのではなく、プロヴァイダーへの接続が混雑しているのだ、ということにも気が付いて来た。まったく、泣きっ面に蜂というのは、こう言ったことを言うのかも知れない。
「仕方がないな・・・・それじゃあ、ユリ子嬢にきいてみるか!」
・・・・メビウスに電話して斉藤ユリ子さんに繋いで貰うと、元気な声が返ってきた。
「どうしたの?」
「今、困ってるんだよ。じつはねえ・・・・」と、実情を話すと
「いいわよ。見てあげるから、ディスクに入れて持ってきてみて」と、言われたので早速、必要なファイルをディスクにコピーして、雨の中をメビウスに急行。「今、見てみるからチョット待っててね」
ユリ子大統領は、カチャカチャとキーボードを叩いて、いくつかのファイルを開き、画面一杯に拡がった html を読み始め、すぐに
「おかしなあ!ここが読めないわ・・・・ ねえ、もしかして写真が入っているフォルダーに日本語のネームをつけてない???」当ったりー!!
彼女の言うとおり、僕は写真が入っているフォルダーに日本語のネームをつけていたのでした。
・・・・と言うわけで、本件も無事一件落着。お陰様で、このウエブ・サイト発足以来、初めて皆さんの前にお目見えしたのが、ホームページのトロッコの写真です。
今朝、午前零時ヒュッテ着。気温13度。
そのあと、午前 2時 20分。ユリが彼と到着。
お互いの紹介が終わると、3人で朝の 4時までお喋りし・・・・目を覚ましたのは、午前 10時すぎでした。少々寝不足のせいか、少し頭が重かった。朝食のメニューは、牛乳、バゲット(フランスパン)、サラダ(キャベツ・人参の)、ヨーグルト、いり卵、紅茶・・・・気が付くと、バゲットの固い端っこが無かったが、ユリが捨ててしまったらしい。
朝食が終わると、ユリの夫君は持参のダンボール箱の中から、ごそごそと可愛らしい発信機を取りだし、アンテナをベランダの手摺りに取り付けると、何人かの人と交信を始めた。
「はい、こちら、ナントカ、カントカ・・・・・・」
「はい、チンプン、カンプン、分かりました。ドーゾ!!」
聞いていると、実に面白い。
あとで、聞いてみると彼は無線技師 1級(?)とかいう物凄い資格を持っていて、ラジオなどの放送局などを開局することも出来るらしい。「はい、こちらオッタマゲーションの 3乗」でした!!!
夕食が終わると、山を 300メートルほど下りてアッコちゃんの店にお茶を飲みに出掛けた。
アッコちゃんは東京都出身で、笠置シズ子そっくりさんのの喫茶店「樹音」のママである。
「樹音」には、カラオケがある。・・・・そして、ユリもカラオケが大好きである。
ここまで言えば、もうお分かりの通り、帰って来たのは、翌日になってからでした。
朝食時、パンを温めながら、ユリが僕に声をかけた。
「フランスパンの尻尾(しっぽ)、召し上がります??」
「うん。あれ、僕の大好物なんだよね」
「あら、私もそうなんです」
「ヨシ、じゃあ、ジャンケンだ!!!」
「エーッ、チョット、チョット、私、ケッコーです」
「エッ!! ドーシテ???」
「実は、きのう頂いたからです。普通、皆さん召し上がらないもんですから・・・・」
「アッ、ソーカア!! 道理で、きのう、なぜ無いのかと思ったよ・・ユリが食べちゃったのかあ!」
「失礼しました」・・・・ユリは蚊の鳴くような声で言った。
「アッハッハッハ!!」 2人は、顔を見あわせて大声で笑った。朝食が済むと、僕はすぐに山を下ることにした。この日も、僕は松原区の人と会ったり、ほうぼうに出掛けたりせねばならずで、とても忙しく、午後、ユリ達と 3人で松原湖の周りを散歩する時間を見付けるのが、やっとであった。
おまけに、夕刻になると、佐久市の人と相談しなければならない事が持ち上がり、夕食をユリ達と一緒にすることが難しくなってしまった。
・・・・「ご免なさい!!」僕はユリに謝った。「いいんです。いつもいつも、楽しませて頂いていますから・・・」
ユリがヒュッテにきたのは、今回が 4回目か 5回目である。
「本当にご免なさい。その代わり、また来てよね」
「ええ、絶対に来ます!!」
・・・・2人は、暮れなずむ夕暮れの中を愛用の 4駆で東京方面に帰って行った。夜、10時過ぎ、その日の予定が全て終わり、ホッとしていたら電話が鳴った。
受話器を取ると、元気なユリの声がした。
「さっき、家に着きました。教えて頂いた様に、下仁田から高速に乗って・・・・」
「あ、そう。それで・・・」
相槌を打ちながら、ふと胸が締めつけられる思いがした。
S社に在職中、課長だった僕の下に配属になったガキンチョのユリ。
あのユリが、結婚をして、彼を見せに松原湖まで来て呉れたなんて・・・!!僕は、とても嬉しかった。
午前11時ころ、朝からどんよりと曇っていた空が、突然、晴れ上がった。
「ヨーシ、洗濯だ!!」
洗濯機のフタを開けると、30分ほどかかって、洗濯機 2杯分の衣類やシーツを洗った。今日は、東京に帰る日である。
自分が使ったものは、なるべく自分で整理する。
それが、僕が僕自身に課したヒュッテの大まかなガイドラインである。晴れた日の、松原湖高原での洗濯はとても気持ちがいい。
パリパリに乾いたジーンズ・シャツやズボンの肌触りもさることながら、高原の太陽と秋の林を吹き抜けてくる風を一杯に含んだ洗濯物は、とてもいい匂いがするのである。正午過ぎに、松原湖高原美術館にピカソ展を見に行った。
展示場には・・・・最近、ますます好きになってきたピカソの作品約30点ほどが飾られていたが、今日のピカソの絵画も、とても伸び伸びとして面白く、思わず「ハハハハ・・・」と、笑いだしてしまったことも、2、3度あったほどである。ところで、8月にこの美術館に来た時には、須田こくた(字をわすれた)の絵だけが展示されており、その時は、須田こくたの作品にもそれなりの興味を持ったものだったが、今日あらためて、ピカソを見てみると、僕にとっては、やはりピカソの方が格段に面白かった。
さて、このピカソ先生であるが、以前、ピカソの絵を初めて見たときには、何でこんな絵を描くのだろうと、思ったものだったが、その後、彼の若き日のデッサンを目にしたときは、その素晴らしさに思わず「ゲエッ!!」と、息が止まる思いがしたものである。
それ以来、折りに触れて、箱根の彫刻の森美術館やその他の美術館で見ているうちに、いつしかピカソも好きになり、いまでは、ゴッホ、モネ、マネ、シスレー等と同じくらいに好きになってきている。・・・・そして、中でも、僕がピカソが好きな理由のひとつは、彼の画が持っているとてつもない明るさとエネルギーである。
・・・・ところで、話しは再度かわるが、この松原湖高原美術館の入場料 \800.- は、他の美術展に比べて、どうしてこんなに高い値段をつけたのだろうか??・・・・と思う。
例えば、今年 7月から 8月にかけて、新宿の小田急デパートで開かれたピカソ展には、圧巻154点ほどの作品が展示されていたが、それでも松原湖高原美術館の入場料 \800.-と同額である。
なるほど、松原湖高原美術館には、ピカソ、須田こくた、島岡達三の作品が展示されているが、二つの美術展の面白さと作品点数を比べてみると、松原湖高原美術館の入場料は \400.- が適当ではないかと思う。この入場料だって、ピカソがあるからの入場料であって、ピカソが無ければ、\300.- が相場ではないかと思う。
8月上旬に、この高原美術館を訪れた東京・新宿区に住んでいる僕の友人の 1人は、
「イヤー、参ったサン。参ったサン。この美術館、僕は、もうリピート(再訪問)しないよ!!」
と、言い残して東京に帰って行った。19:00 中野に帰る途中、佐久市の信(のぶ)ちゃんの家による。
僕が信ちゃんの家に立ち寄ったのは、僕が大好きなジャガイモと家内が好きなナシを、東京に持って帰るようにと、彼女が言って呉れたからである。信ちゃんは、フカフカの焼き立ての食パンのように、優しくて温かい女性である。
そして、信ちゃんの旦那さんの泉さんも、実に真面目なクリスチャンで、僕のようなクリスチャンもどきとは、おお違いである。この日の夕食は、信ちゃんと、泉さんと、泉さんのお母さんと、僕の4人で色々な事を話しては大笑いをしながら、楽しく戴いた。皆さん、有り難うございます。
20:30 佐久市発。
23:00 中野着。ミナサン、オヤスミナサイ!!
午前中、ハローアカデミーにて、日本地理と日本史の授業に出席。
この 2科目を勉強するのは、実に40年振りである。E 先生の話しはとても面白く、結構、夢中になって聞き耳をたてた。
帰途は、阿佐谷から中野まで歩いて帰ったが、途中、エゾ、ムツ、リクチュウ、ウゴ、ウゼン・・・と、「もしもし、亀よ」の節に合わせて、昔の国の名前を口ずさみながら、帰ってきた。午後は、F 医院に行き血液検査のための採血をしてもらう。
最近、ときどき体がダルイことがあるので、もしかして、GPTとやらの値が、またあがっているのではないかと、思ったからである。夕食後、一家三人で、松原湖にむけ出発。
21:07 中野発。
21:46 練馬 IC 通過。
23:16 下仁田にて、高速を下り254 号線へ。
00:41 ヒュッテ着。快晴。満天の星。気温8度。今日から、毎日歩いた歩数も記録することにする。
朝食の時、家内が僕にいった。
「きのう、岸波さんの家の近くでウラギンシジミを見たわよ」
「えっ、ウラギンを・・・・?」僕は、思わず身を乗りだした。
ウラギンシジミとは、9月から10月にかけて見られる表面が雄では橙褐色、雌では黒褐色、裏面は雄雌とも銀色をした、美しい蝶である。
今まで、小海町の中では 46種ほどの蝶が確認されているが、その中にはウラギンシジミは含まれておらず、しかも、この町にウラギンシジミがいても、少しも不思議ではないと思われていた蝶だからである。
・・・・僕は、とても嬉しかった。というのは、小海町の宝がまた一つ増えるからである。閑話休題。
帰途、樹音に立ち寄った時、「東」の別荘にお住まいの U さんと言うご夫婦と知り合いになる。二人とも面白い方である。
話しの行きがかりで、別荘地内の植木泥棒の話題に、暫くの間、討論が加えられたが、また、今度お会いできるといいのだが・・・・・
冬が来る。冬が来る。
東京に居るかぎり、冬が来ても別にどういうことはない。
体に着ける洋服の枚数が多くなり、空気が乾燥し、悪い風邪が毎年のように流行るだけだ。ところが、ここ松原湖高原ではそうは行かない。
特に、わが家あたりの標高は 1,300m 程もあるため、厳冬期の屋外では気温もマイナス15度位まで下がるので、それなりの準備をしておかないと、ひどい目に遭う。うっかりすると、家の中の水道の鉄管を凍らせていまうし、面倒臭いからといって、屋外の凍結対策を怠ると下水用の雑排槽をも凍らせてしまう。暖炉ストーブで使う薪なども、今のうちに割っておかないと、凍り付いた薪はコンクリートのように固くなってしまう。
と、言うわけで「急げ、急げ。冬が来る。冬が来る」と、なるわけである。
ところで、今までに作った薪の量は、W165cm X H190cm X D70cm の物置に一杯と、同じくらいの大きさの薪小屋に半分ほどである。
今までの様に、冬季ときどきスキーに来る程度なら、これで十分過ぎるほどだが、今年の冬は(エヘン)松原湖高原で冬を越すのだ!!
こんなものでは、足りない、足りない・・・・と、言うわけで、今日は朝 7時から薪作りである。と、行っても、事はそう簡単ではない。
なにせ、薪を作っても、薪小屋の残りの半分しか置き場所が無いからである。
「どうしようか? どうしようか?」
檻の中の熊のように、家の周りをグルグルと歩いているうちに、家の北側の外壁にフト目をつけた。
「ここなら、軒から落ちる雨垂れも当たらず、最高の場所である」
・・・・よーし、ここにしよう。そうと決まったら、後は実行あるのみである。
「ヨーシ、やっちまえ」
僕は、ポンコツの四駆をかって町に出掛け、 20cm角のコンクリート・ブロックを 8個と薪崩れ防止用のプラスチック製の杭 4本を買ってくると、1時間ほど掛かって薪置場を作ってしまった。「さあ、やれっ!! 冬が来るぞ!!」
全身、火の塊りのようになって、薪作りが始まった。
二年ほど前から、切り倒しては庭に溜めておいた雑木を、長さ 40cm にキチンと切って、本格的な薪作が始まったのである。
両手に持った電動チェーンソーは、一日中ブンブンと唸り通しであった。秋の陽もトップリと暮れ、冴え渡った夜空に満天の星が瞬く頃、庭の一番大きな薪用の雑木の山が薪となって、キレイに新しい薪置場に収まってしまった。薪用の雑木の山は、あと 4つもあるが、また来週ヒュッテに来たときにやればいい。
僕は、嬉しかった。
19:45 ヒュッテ発。家族三人で中野に向かう。
途中、高原野菜の畑の中の一本道を走ったとき、空気が澄んでいるせいか、遠く佐久市の街の明かりがとても綺麗だった。
昨日から4日連続で、午後10時からの ETV 特集で、「弁護士・中坊公平」のストーリーを放映している。中坊公平は「森永砒素ミルク事件」「豊田商法」「豊島産廃問題」「住専債権回収」などで活躍している弁護士であり、現存している日本人の中で、僕が一番尊敬している人である。
今日は、そのシリーズの第2回目を見たが、本当に感動的な 45分間であった。
それと共に、今日もまた日本の各省や県庁などの役人達が、如何に国民や住民のために当然なすべき事をしないか・・・・自分たちの保身や、目の前にブラ下がった利益のためには、「住民無視の企業寄り」としか言い様のない悪夢にも似たことを平気で行なうかを痛感させられ、いささかウンザリしてしまった。そして、今日も又、現在の日本人がそう言った事に、哀しいほどに無関心な政治音痴である事を改めて考えされられた。
と言うのは、僕の周囲には
「住専問題はケシカラン!!」
などと言いながら、いざ選挙になるとその「住専問題を一番後押ししてきたような」自民党に平気で投票して来るようなドウシヨウモナイ族(やから)がごまんと居るからである。
・・・・そんな事をするから、いつまで経っても日本の政治はよくならないのだと思う。夜、久方振りに卓球の練習に出掛けた。
卓球は本当に面白い。お陰で、今日の万歩計は約18,000 歩になってしまった。
昨日から、フランス人ミッシェルに描いて貰った僕の似顔絵と、僕が水彩絵の具で描いたヒュッテの絵をホームペーじに載せようとしているが、どうもなかなか上手く行かない。
と言うより、絵はキチンとホームページの中に出るのだが、画質がどうも気にいらないのである。
具体的に言うと、風景の写真などはグラフィック・コンバーターで或る大きさに切り取ってから、90度回転させても、画質に余り大きな変化が見られないのだが、手書きのイラストや水彩画などで同じことをすると、結構おおきな画質の低下が見られるからである。と言うわけで、夜、メビウスに出掛けて、店のマックで当該ページを見てみると、何と・・・・実に、綺麗にそれらのイラストや水彩画がモニター上に出て来るではないか!!
「ウーーーーーム!!」
・・・・僕は、大きく唸ってしまった。考えて見ると、僕のパソコンは Mac, Power book 540c である。
「そうか、液晶モニターのために、画質が悪くなるのか」とも思ったが
「いや、その考え方はおかしい」と、すぐに自分の考え方の間違いに気が付いた。
と言うのは、アップロード前のページミル上では、同じ絵が、とてもキレイに見えるからである!!夜、寝る前にこう思った。
「そうだ、近いうちに実験として、この 2点の画とイラストをもう一度、one sheet one picture で取り直して貰ってみよう。そして、結果がどうなるか調べてみよう」起立! 礼! 今日の日記はこれでオシマイ!!
夕方、松原湖の周りを一週。
遊歩道の所々に、乾いた枯れ葉がいっぱい積もっているのに気が付き、「明日は、枯れ葉集めに来よう」と思う。明日は水曜日で、観光案内所の定休日だからである。
朝 6時。目覚し時計の音で目が覚めた。
「さあ、今日は枯れ葉を集めるぞ!!」
朝食後、勇み足で松原湖に出掛け、きのう枯れ葉を沢山みつけた場所に来た瞬間
「アーッ、なんだコリャー!!」
僕は思わず叫んでしまった。それもそのはず、昨日あんなにもあった枯れ葉が、所々に掃き集められ、それに火がつけられていたのである。
毎年、10月下旬の晴天が 4-5 日つづいた一日、僕は(50cm x 80cm) の大きさの砂袋で 60袋分の枯れ葉集めをする。この枯れ葉は下水を流す簡易雑排槽の凍結防止のために使うのであるが、その量はおおよそワゴン車一杯の量になる。
出来ることなら、枯れ葉がカラカラに乾いている間に、集めてしまいたい。・・・・雨が降ると、葉と葉がくっついて集め難くなるし、目方も重くなるからである。
僕は焦った。
車が止めてあった駐車場の周囲で 10袋ほどを集めたあと、松原湖の周囲を巡る遊歩道を歩ってみた。夏の間に目を付けておいた雑木林にも行ってみた。ヒュッテの近くの別荘地内も漁ってみた。・・・・だが、どうしても、あと30袋ほど足りないのである。こうなると、僕はもう枯れ葉乞食である。
僕は、自動車をグルグルと乗り回した。と、貸別荘の近くを通りかかった時、豊かな量の枯れ葉を見付けて、思わず喜んだ。
「ホホーッ、これは凄い!!!!!!」
慌てて車を止めて、枯れ葉の傍にやって来た僕は、もう一度、大声をだした。
「アーッ、何だこりゃあ!」その豊かな枯れ葉は、栗の枯れ葉で、枯れ葉自体はとても素晴らしいのであるが、とても痛そうな栗のイガも一面に散乱していたからである。・・・・僕は、栗の大木を見上げて嘆息をした。
辺りを見回すと、午後の陽射しも少し傾き始めている。
「そうだ、痛いなんて言っている場合じゃねえよ・・・・」軍手をはめ直すと、両腕をグルグルと回し、エイヤッとばかりに気合を入れ
「心頭滅却すれば火もまた涼しだッ!!」と、力んで枯れ葉集めを始めてはみたものの、ものの3分もしないうちに
「アタタタ」と叫んで、右手を振った。栗のトゲを人さし指の先に刺したのである。でも、人の一念は恐ろしい。1時間もしないうちに、30袋分の枯れ葉を集め、凱旋将軍のように 僕はヒュッテに帰って来た。
「ドンナモンダイ、ザマーミロッ!!」
帰宅後の第一声が、この言葉だったが、多分、僕はとてもホッと安心すると同時に、とても嬉しかったのではないかと思う。
僕が以前から憧れていた事の一つに原始人の生活がある。
それは、日の出と共に起き、日没と同時に寝床に入るという生活である。
東の空が明るんできたら、寝床から飛びだし、身支度をしてから朝食を攝る。
それが済んだら、森に入り木の実や小動物を漁り、日中は、山の峰に登って観天望気や木々の葉の色の移り変わりを心行くまで堪能し、夕刻、家に帰ってきたら、今日の獲物を蒸し焼きにして、腹一杯食べて、お日様が山の端に沈んだら、寝床に潜り込んでヌクヌクと丸まって寝てしまう。そんな生活がとてもしたかった。
それが、ここ松原湖高原のヒュッテに住むようになってから、或る程度ではあるが実現することになったのである。
朝5時50分。
目覚ましの音で目を覚ますと、僕は寝床からノコノコと這い出し、窓のカーテンをさっと開ける。日の出前の高原の朝は素晴らしい。
澄み渡った空気は、ピリリと頬に心地よく、コバルト色の空とサフラン色の雲が絶妙なコントラストを醸し出している。階下に下りると、僕は真向法の体操を20分ほどやって体の筋肉を伸ばし、テレビで朝のニュースを聞きながら(あまり画面は見ない)朝食の準備にとりかかる。朝食のメニューは、いつもおおむね同じである。
トースト、サラダ、フライドエッグ、ヨーグルト、それに紅茶である。
しかし、困った事に、・・・この中で、僕はサラダのドレッシングには、人一倍好き嫌いが強いようなのである。以前は出来合いのドレッシングを使っていたが、なかなか気に入ったものがなく、最近では、家内が教えて呉れた方法・・・・(野菜に新鮮なレモンを絞ってかけ、それにオリーブオイルと塩と胡椒を自分の好きな味に合わせてかける)のが、一番気に入っている。塩はサラサラの食卓塩よりは、天日で干した塩のほうが美味しいことも分かってきた。
朝食が終わると、食器を洗って始末をし、気が向くと、弁当を作り松原湖の周辺で、一日を楽しく過してくる。
このひとときが実に楽しい。
カサコソと落ち葉を踏み分け、森の匂いを嗅ぎ、小鳥や美しい昆虫の姿を目で追い、木々の葉の色の移ろいを心行くまで堪能する。まさに、値千金である。夕方になると街に買い物に出掛け、帰宅後、家内が揃えてくれたレシピを見ながら、覚束ない手付きで夕食を作る。以前はあんなに嫌いだった料理が(と、言うより料理の面白さがまるきり分かっていなかったのかも知れない)とても面白い!!!
夕食の後片付けが終わると、部屋の片付けをしたり、テレビを少し見たりしたあと、風呂を作り入浴を済ませ、寝室の窓から夜空に輝く星座の位置を確認し、午後11時に寝床に飛び込み、グッスリと眠ってしまう。
とにかく、単純な生活である。
前述の原始人の生活には、遥かに及ばないが、それでも以前の宵っぱりの朝寝坊型の生活習慣に比べると、とても考えられない健康的な生活である。
松原湖は素晴らしい!! これも、松原湖のお陰である。
キーン、キーン、ガガガガ、キーン、キーン
電動のチェーンソーが唸りをあげる。今日は朝から、薪切りである。去年の秋から家の前の道路脇に置かれ、ビニールシートが被せてあった白樺と松の薪材。今日は先刻から、この薪材を40cmの長さにキチンと切り、美しく積み重ねているのだが、この「美しく」という行為が、別荘生活には、欠かせないものだと僕は思っている。
どうせ薪は燃やして、無くなってしまうものである。
だからと言って、薪をぞんざいに扱う気には、僕はどうしてもなれない。薪をキレイに積み上げると、薪はよく乾いてくれるし、よく燃えてくれそうな気がする。
冬の夜、暖炉ストーブの中でトロトロと燃えてくれる薪たち。薪を大切にすると、薪達はいい香りを放ち、美しい音でパチパチとはぜ、部屋の中を心地よく暖め、その炎は優しく僕に話しかけて呉れるような気がしてならい。薪の太さは、平均で直径が 15cm 程。太いものは 40cm 位のものもある。
チェーンソーがあるから、30cmくらいの薪材も 1-2分で切ることができるが、もしチェーンソーがなく、鋸(のこぎり)でこの材を切ったら1時間近く掛かってしまうかも知れない。
お陰で、お日様が山の端ちかくまで傾く頃までには、あんなにあった丸太もおおよそ片付いてしまった。・・・・気が付くと、時刻は4時半をまわっていた。
「いけねえ。今夜は音楽会だっけ」
慌てて、道具を片付け、軽い食事をして臼田のコスモホールに出掛けた。
途中、道路工事の渋滞に3回巻き込まれ、会場に着いたのは開演 5分前。
「フウ」・・・・席に着くと、僕は大きくため息をついた。今日は、佐久室内オーケストラの定期演奏会である。
曲目は、ドヴォルザークの弦楽セレナーデ(G dur)とベートーヴェンの田園。美しくはあるが、奏(ひ)くとなると少々厄介なドヴォルザークの弦楽セレナーデは、今まで僕が聞いていたこのオーケストラの実力からすると、かなりよく奏いていたと思うし、とても楽しい35分間でもあった。終わった時、僕は手が痛くなるほど、夢中になって手を叩いた。指揮者が舞台裏に消えた後、もう一度、指揮者に拍手を送りたくて、僕は手を叩き続けたが、直に拍手は鳴りやみ、最後まで叩いていたのは僕一人だけ。仕方ないので、僕も手を止めたが・・・・
「ああ、なんで皆叩かないの??あんなに一生懸命奏いたのに〜〜〜〜」
正直な話し、ちょっと悔しい思いさえしたほどである。一方、ベートーヴェンの田園のほうは、重厚によく纏(まと)まっていた。
これも、楽しい45分間だった。ところがである、第5楽章が終わった時、「楽しかったよ。有り難う」と内心の気持ちを込めて手を叩いたら、手を叩いているのは僕ひとりだけ・・・・・
隣席の子供が、ビックリしたように僕の顔を覗き込んだので、
「エッ、どうして??」
今度は、僕が驚いてしまった。
「何か、いけない事をしたのかな・・・・」
と、瞬時とまどったが、そのまま一人で手を叩き続けていると、やっと周りの人も手を叩き始めたのでホッとした次第。ちょっと、恥ずかしい一幕でした。
松原湖高原では、晩秋の一日、突然、風が吹き荒れると一挙に寒い冬に入ることがある。
今日もそんな一日だった。
今日は朝から、この間集めた枯れ葉を雑廃槽の上にかけてやる仕事をしていたが、午後2時頃、突然空が轟々となり、風があたりの木々の枝を揺るがし、色とりどりの木の葉を空一面に舞いあげると、急激に気温が下がり始めた。美しい秋。
もっとユックリと留まればいいものを・・・・
今朝、雨戸を開けたらベランダ一面に銀白色の初霜。
屋外の気温も、0度近くまで下がっている。
いよいよ冬がやって来る。・・・・僕は無事この冬を乗り切ることができるのだろうか?
ふと、不安が心の中を横切る。朝9時。いつものように、松原湖の周りを一周する。
快晴の湖は今日も美しい。
最盛期を過ぎたとは言え、モミジ、ニシキギ等はまだまだ真っ赤だし、マユミはピンク色の実をつけ、赤褐色に色付いた樫類の葉はハラハラと遊歩道に落ちてくる。
きのうの朝見掛けたリスは今日は姿を見せなかったけれど、コガラ、シジュウカラ、ルリビタキは今日もミズナラの枝の上で日向ボッコである。湖の東側に行くと、八ケ岳が澄み切った空気の中にクッキリと浮かび上がり、湖岸の日溜まりでは、中年の男の人が三脚に載せたキャンバスに八ケ岳の油絵をのんびりと描いている。
この眠たげな風景の中にいると、今朝がた、あんなにもギンギンの霜が降り、冬はもう目と鼻の先まで来ているなどとは、どうしても信じられない。
でも、湖全体を見渡すと、紅葉は着実に色褪せつつあり、冬は確実に直ぐそこまでやって来ていることを静かに感じさせられる。
我が家では、薪切りと薪割りは意味が違う。
薪切りとは、薪材を 40cm の長さに切り揃えることを言い、薪割りとは 40cmの長さに切り揃えた薪材を燃やし易い太さに割ることを言う。今日は、先週の土曜日に切った薪材の薪割りをする。
なにせ、直径が15 - 25cmのものが沢山あったので、普通に鉈で割ったのでは、とてもじゃないけど歯が立たない。まず、チェーンソーで途中まで切り込みを入れ、その切り込みに薪割り用の楔を打ち込むという方法である。お陰で、太い薪を 30本ほど割ることができたが、一日掛かりであった。
残りの分、約 20本は来週にでも割ることにしよう。