「森の小人」展がなぜ開かれるようになったかを説明するのは、とても難しい事です。
・・・・・と言いますのは、この展示会は誰かが「 ”森の小人” 展をやろうじゃないか・・・・・!」
と声を掛けて出来上がったものではないからです。
強いて、その源を尋ねて行きますと、筆者の知る限りでは、2001年の春ころ、松原湖高原観光案内所で、月一回ひらかれる”キャリフールを考える会”のミーティングの席上で、宮本屋旅館の奥さんの比佐子さんが
「・・・・・・あの〜、この町のシンボルの小人のプティリッツァの展示会が出来るといいわよね!」
と、小さな声で、ひと言いった事に端を発したような気がしてなりません。
と言いますのは、2001年12月17日。
第一回の「森の小人」展の飾りつけが終わった時に、筆者が比佐子さんに
「・・・・・・今回の小人展が、こんなに素敵なイベントになったのも、もとはと言えば、貴女が ”プティリッツァの展示会が出来るといいわよね!” って、今年の春ころに言ったからだったよね・・・・・・・?」
と言ったら、比佐子さんが
「・・・・・・ウ〜ン、そうだったかしらねえ? 私も言ったかも知れないけど、皆さんの間で、誰言うとなくそうなっちゃったんじゃないかしら・・・・・・・むしろ、八岳さんか誰かが言ったんじゃないかしら?」
と言ったので、筆者はビックリ
「エッ、俺? ・・・・・・オレが言う訳ないよ! だって、今迄だって、色々と皆さんにご足労お掛けして心苦しく思ってるんだもの・・・・・・・!! とてもじゃないけど、僕から言い出せないよ・・・・・・」
と言ったら、彼女の曰く。
「そ〜よねえ? でも、チョット不思議よね・・・・・・何んで、こうなっちゃったのかしらネ??」
ですって・・・・・・・!!
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ソンナこんな具合ですから、きっと誰言うとなく、こうなっちゃったのかも知れません!!そう言えば・・・・・・・プティリッツァが町のシンボルになったんだって、 町の人は誰一人として、そうしようなんて言ったわけじゃありません。
たまたま、町興しの小林章先生がそう言った為に、プティリッツァが小海町のシンボルになっちゃったんです。そう考えてみますと、こんどの 「森の小人」展だって、ホントに不思議ですよね・・・・・!!
・・・・・・そう言えば、何かのときに、誰かが言ってましたっけ・・・・・・・・「プティリッツァの事が、皆、ウマク行っちゃうのは・・・・・・それは、プティリッツァがやってるからだよ・・・・・」って。
そしたら、その場に居合わせた人達が皆、
「ソウダ、ソウダ・・・・・・」って、頷いていました・・・・・・
本当に、不思議な話ですよネ・・・・・・!!