2000 年 2 月の高原日記

   

  
2000-02-01(火)   快晴    ヒュッテ    L = -15°C,   H = 6°C

朝 7 時、外に出てみると、一昨夜の夜降ったと思われる雪がとても美しかった。
・・・・特に隣家の成松さんの手作りのログハウスの佇まいが素敵だったので、デジカメで撮ってホームページに載せる事にした。


美しい佇(たたず)まいの隣家の手作りのログハウス

午前 8 時半、浅間住設の与田さん宛に電話を入れ、今回は 5 日間の帰京を 2 日間に短縮し、昨日ヒュッテに帰って来た事を告げる。
その後で、
「大変、恐縮なんですけど、この次は 2 月の中旬頃、また 4 〜 5 日のあいだ東京に帰らなくてはいけないんですけど、それ迄に、ボイラーの不凍栓を修理して頂けますか・・・・」
と聞いたところ
「・・・・大変、申し訳ありませんが、 4 月位まで、引き渡しの予定がつまっている為、その頃まで、チョットお伺い出来そうもないんですが・・・・」
と言う電話の向こうからの返事。
・・・・兎に角、浅間住設さんはメッチャ忙しいらしい。
そこで仕方なく
「ナルホド・・・・それは、お宅の方も大変でしょう。・・・・それでは、大変恐縮ですが、こちらの地元の水道屋さんに、修理をお願いしても宜しいでしょうか?」
と聞くと
「あ、そうして頂けると、こちらも大変に助かります・・・・」
という返事。
「分かりました。それでは申し訳ございません・・・・そのようにさせて頂きますので・・・」
と言って電話を切った。
(・・・・さて、では、どうしよう・・・・?)
と思ったら・・・・すぐに協友工業の名前が閃いた。

協友工業は、昨秋、開発公社を通して浄化槽を作って貰った会社である。
・・・・電話をして事情を話し、
「なるべく早く修理をお願いしたいのですが・・・・」
と頼んでみると、すぐに
「折り返し、こちらの方から電話致しますので、暫くの間、お待ち下さい・・・・」
という返事。
・・・・そして・・・・待つこと約 10 分。
電話の呼出し音がなり、受話器を取ると
「・・・・それでは、あしたの夕方、現場を見に行き、よろしければ明後日、工事に入りますが・・・・」
との事。
・・・・寒冷地に於ける給水不凍対策は待った無しである。
このような即断即決は、兎に角有り難い。
・・・・どうして、これを喜ばずにいられよう・・・・!!
「とにかく・・・・よろしくお願い致します」
と言って受話器を置いたが、正直な話し、本当にホッとした次第である。

午後、二階の書斎の窓際に机と椅子を置き、久方振りに 2 時間ほど「色即是空」の原稿を打ち続けた。
僕は、この窓際が大好きである。
暖い室内。
美しい窓外の景色。
・・・・ふと気が付いて、キーボードを叩き過ぎた指先を休める時、僕は窓の外の素晴らしい景色に思わずウットリとする。
・・・・気が付かぬまま、僕は夕方までキーボードを叩き続けたが、気が付くと、夕方の空に美しい星が静かに瞬いていた。

夜、中学校の前の、町の公民館で卓球の練習。
きょう初めて、小林さんと練習をした。

午後 10 時、帰宅。
風呂に入って休む。

  

2000-02-02(水)   快晴     ヒュッテ    

 夕方、現場の状況を見に来ると言っていた協友工業の方は、更埴市での仕事に手間取り、ヒュッテに着いたのは午後 7 時。 懐中電灯の明かりを頼りに、この協友工業の方にボイラーの不凍栓の故障状況の説明をする。
 ・・・・明日の仕事は、電動ドリル・シャベルで行う予定との事。

   

2000-02-03(木)   快晴     ヒュッテ     L = -9°C,   H = 4°C

  朝 9 時少し前から、不凍栓の故障工事が始まった。
 今日、修理に来て下さったのは、昨秋、浄化槽を作った時の東条さんと今回初めての小林さんと言う方。
 東条さんが電動ドリル・シャベルで玄関前の不凍栓の周囲を掘っている間に、小林さんが追加修理をお願いした風呂場のカランとシャワーの水栓の修理を、僕の目の前でやって見せて呉れました。
 ・・・・お湯と水の蛇口をスッカリ分解した小林さんが、鉄管の中を覗き
 「おや、ゴミだ!!」
と言いながら、鉄管の中に人差指を突っ込むと、親指の爪の切りかす位の大きさの白いプラスチックが出てきた。
 ・・・・こいつが挟まって、今迄、シャワーをしっかりと止める事が出来なかったようだ。

 午前 10 時少し前、いつもの通り、僕は案内所に出掛けたが、その時までに東条さんは、もう 25cm ほど地面を掘り返していた。
・・・・が、まだ地面はガチガチに凍っている。
 小林さんの言葉によると
 「40cm 位までは凍っていると思いますよ・・・・」
との事。

  ・・・・・ここで、小林さんに
 「裏のボイラーの不凍栓の方も、穴を掘らなくちゃいけないから、大変ですね?」
 と、言うと、
 「・・・・もう、裏は掘っちゃいましたよ・・・・!!」
 という小林さんの返事。
 「えエッ?・・・・もう掘っちゃったの?」と僕。
 「ええ、八岳さんが、養生しておいてくれたものですから・・・・」
と言う。・・・・小林さんが、”養生”と言っているのは、浄化槽に通ずる下水管の点検孔が凍結しないように稲束を被せてビニールで覆った、例の凍結防止処置の事を言っているのである。
 「ええ、本当? どれどれ?」
 と言って家の裏手に言ってみると、なるほど、もう大きな穴が 1mちかくも掘ってある。
 ・・・・と、小林さんが
 「ところで、八岳さん、不凍栓は 90 度廻って締まる様になりましたけど、どうします? 新しいのに取り換えますか? それとも、今迄のを、そのままお使いになりますか?」
 と言う。
 「えっ? 90度締まるようになったの?」と僕。
 「ええ、ちゃんと掘って腰と手に力が入るようになったからでしょう・・・・いいですか? 今迄は、ほれ、地面の上からかがみこんで、狭い不凍栓の穴の中に指を突っ込み、管の中が狭いから、5本の指を延ばして不凍栓のネジを回さなければ駄目だったけど、こうして、穴を掘ると、不凍栓の高さが腰の位置になり・・・・不凍栓のネジも、こうして手の平で握る事が出来るから、ウンと力が入るでしょう・・・・だから、こうして、廻るようになったんだと思いますがね・・・・・・」
 ・・・・と言った後、小林さんは、その辺の事を丁寧に説明して下さった。
 「うーん、取り換えかあ・・・・どうしようかな?・・・・でも、ここ迄やったんだ、もう、この際スッカリ全部取り換えちゃって下さい。・・・・って言うのは・・・・どうして、不凍栓が45度しか廻らなかったのか、物凄く興味がありますから・・・・・」
 「分かりました。じゃあ、表の止水栓で水が止まるようになったら、この不凍栓を取り換えてしまします」
 と、言うような会話をしたあと、僕は案内所に出掛ける事にした。

・・・・ところで・・・・
 午後 2 時頃、美術館にチョット用事があって出掛けたついでに、・・・・少し足を伸ばして我が家に立ち寄り、工事の途中経過を覗いてみる事にした。

 車をお向かいの園部さんの家の前に止め、庭に入って行って見ると、東条さんが大元の止水栓を肩の高さ位まで掘ったあと大元の止水栓で水を止め、小林さんがボイラーの不凍栓を修理し終ったところだと言う。

 家の裏手に行き、小林さんに
 「どうですか?」
 と聞くと
 「ええ、少し前に、修理が終ったところですよ・・・・」
 と小林さんが言った。
 「え、ホント?・・・・それで、不凍栓が廻らなかった理由は何んだったの?」
 と言うと
 「それがですねえ・・・・」
 と言って小林さんは、取り換えたばかりの、まだ半分濡れている不凍栓を持ってくると、不凍栓とパイプの繋ぎ目をクルクルと回して、取り外すと
 「これが原因だったんですよ」
 と言って、中を見せて呉れた。
 パイプの中には、何かネズミ色のものが詰まっていた。
 「え? 何? これ?」
 と、聞くと
 「これはですね・・・・」
 といって、小林さんはポンポンと手のひらの上にパイプを軽く当てると、中から、ねずみ色のプラスチックの鉋屑みたいなものが、スポンと飛びだしてきた。
 「えーっ? なあに? これえ?」
 と言うと、
 「これは、何か、工事の時にパイプを削って繋げる時に出来た削り屑だと思うんですけど・・・よく分かりません・・・・・」
 との事。
 「うひゃあ、そうだとすれば、今朝、新しい不凍栓に取り換えて下さいってお願いしたのは正解だったですよね。もし、勿体ないからって、これを取り換えないで、そのまま古いのを使っていたら、また明日詰まってしまったかも知れないもの・・・・」
 「それは・・・・まあ・・・・そうですねえ・・・・」
 「いやあ、よかった。これで、頭の中がスッキリしましたよ」
と言ったあと、その場で小林さんから数分間説明を聞き、そのあとで表の東条さんの所に行き、
 「こっちは、何故、土があんなにつまっていたのか分かりましたか?」
ときくと、
 「もしかすると、これが原因かなあ?」
 と言って、まだ泥で汚れている、大きな部品を見せてくれました。
 「え? 何んですか? これは?」
 と僕は、またまた驚きました。
 ・・・・何故って、こんな形の物が、どうして使われていたのか、ど素人の僕にも瞬間的に、とても不思議に思われたからである。
 (つづく・・・・)

   
 ・・・・さて、そんなやりとりをしたあと、案内所にもどり、2時間ほどした午後 4 時少し前、工事を終った東条さんと小林さんの二人が、案内所に立ち寄り、工事の結果を話して呉れましたが、その時、改めて小林さんが僕に触らせて下さった、ボイラーの不凍栓に詰まっていたゴミの大きさを見て、僕はホントにオッタマゲーションの三乗でした。
 ・・・・そして、少しの間、ああでもない・こうでもない・・・・と我々三人は話をしていましたが、話しの種もつきかかった時、
 「これ、どうします?」
 と、小林さんが例のパイプと止水栓と塵芥を差し出して下さったので、この塵芥にとても興味のあった僕は
 「あ、よろしければ・・・・これ戴けますか?・・・・・・・・」
 と言って、その残骸を有り難く戴く事にしました。

 上の写真の給水管 (左)と不凍栓(右)の間にあるのが、不凍栓を 45 度までしか回させなかった張本人の大きなプラスチックの塵芥である・・・・

 ・・・・そして・・・・修理報告が終った、小林さんと東条さんは
「それでは、次の仕事が待っていますので・・・・」
と帰って行かれましたが、別のお客様がいたために、お茶の一つも出さなかったことに、二人の車が、発進したあとで、不意に気が付き・・・・本当に失礼な事をしてしまった・・・・と、チョット淋しい気がしました。

 ゴメンナサイ・・・・・・・!!

  

  
2000-02-04(金)   雪のち晴     ヒュッテ   L = -10°C,   H = 4°C

小海塾。
プティリッツァのシールの話、Tシャツの話など

今夜はプティリッツァ問題のオンパレードでした。

解散まえ、プティリッツァの大型カラーシールを貰って帰宅。
冷蔵庫の扉に貼ってやろうと思う。

家内に叱られちゃうかなあ・・・・???????

  

   
2000-02-06(日)   曇     ヒュッテ    L = -12°C,   H = 4°C

 ここ暫くの間、不凍栓のトラブルの為、生活が可成り引っ掻き回され、受け取ったメールの整理も殆ど出来ていなかった。
 ・・・・その不凍栓の修理も無事終ったせいか・・・・今日は、気持ちも何んとなくユッタリしている。
 そのせいだろうか・・・・
 「どうりゃ、久方振りにメールの整理でもやってみっか・・・・」
と呟きながら、Netscape mail を開いたトタン
 「そう言えば、この間、Yoshimi ちゃまから可笑しなメールが届いていたっけ?」
と、急に思いだした。

 そこで、その日の彼女からのメールを画面上に引っ張り出して、改めて読み直してみたら、これがまあ・・・・メッチャ、面白い!!!
 「ガッハッハッハ・・・・・・!!」
 僕は、何回、大声で笑ったことだろう・・・・!!
 アンマリ可笑しかったから、ついに、今日の日記でも、Yoshimi ちゃまの写真入りで、このメールを読者の皆様に紹介することにしました。
  (註、メール中、印を付したものは、筆者:八岳晴耕が大爆笑をした話です)
   

Date: Wed, 2 Feb. 2000     07:36:41 +0900 (JST)

 お風邪からの復帰おめでとうございます。
長い苦しみでしたね。
お疲れ様でした。

 さて、以前お世話になっていた学校の先生から届いたメールがちょっと面白かったので送ります。楽しんでください。

 幸福のメール

この文章は、東芝、NEC、富士通、松下等を回って来たメールだそうです。
だれしも、このメールを仕事中に読んで、大笑いをして、周りの人に変に思われたとのことです。
このメールを受け取った人は、このメールを知人に出して、回り回って、また、自分の所に戻ってくると、めでたく幸福になれるという事で、幸福のメールと呼ばれているそうです。

では、始まり、始まり...。

●先日、ぼくが友達とファミコンをしていると通りかかった母が、
「おまえたちはいいねぇ、毎日がエブリデイで」と言った。
母はいったいなにが、いいたかったのだろぅ・・・・。

●家族揃って夕食をとっているとき、何かの拍子に怒った父が、
「誰のおかげでメシが食えると思ってるんだ」と言おうとして、
「誰のためにメシ食ってんだ!」と怒鳴った。
私と姉は「自分のためだよ」と答えた。

夫婦ゲンカのとき、父が母に「バカモノ!」と言うのを、間違って、
「バケモノ!」と怒鳴ってしまった。ケンカはさらにひどくなった。

●うちの母は、頭が痛くなると氷でおでこを冷やします。
先日も夜中にかなり痛みがひどくなり、暗闇の中をフラフラしながら台所へ。
冷凍庫から、あらかじめビニール袋に入れてある氷を取り出して、
おでこにのせて眠りました・・・。翌朝、目が覚めてみると、
母の枕元には解凍されたイカが転がっていました。

甘味屋さんで、母は田舎汁粉を、私は御膳汁粉を頼みました。
店員さんが、
「田舎はどちらですか?」
と聞いたら、母はとっさに、
「はい、新潟です」
と答えてしまいました。

●先日、父は、男にフラれて落ち込んでいた姉をなぐさめようとして、
おまえ、人間は顔じゃないぞ」と言うところを、
「おまえの顔は人間じゃないぞ」と言ってしまった。

●妹が夕食にスパゲティを作ってくれることになりました。
妹は、「今日はカルボナーラを作るね」と母に言っていました。
 夕方、私が外から帰ると母が、
「うすぐボラギノールができるってよ」
と言いました。ソレって痔の薬じゃ‥‥‥?

●弟は、誰に似たのかとても勉強ができる。
それで、高校1年生のとき、アメリカに留学することになった。
そのとき、母は親戚や近所の人に、
「うちの息子をアメリカにホームレスにやるんですよ」
と言って、自慢して歩いていた。
ホームステイとホームレスを間違えていたのである。

●うちの父は、沖縄に向かう飛行機の中でエラソーに、
「沖縄は島全体が『さんしょううお』なんだぞ!」と言った。
それを言うなら、サンゴ礁だろ!!


  このメールの送り主、美女の好美ちゃま・・・・・

  <<<< 第 2 話 >>>>

●夕食後、テーブルの横でうたた寝をしていた父がうなされていたので、
私は母と、「悪い夢でも見ているのかな?」と話していると、突然、
「イダー、助けてっ!」と父が叫んだ。ちなみに父は56歳です。

うちの母がテレビを見ていると、美人のアナウンサーが出てきた。
母は、「こんな人が嫁に来てくれるといいわ」と言って
ニコニコしていたが、ウチの家族で男はお父さんしかいない。
母は、いったい誰の嫁がほしいのだろうか・・・・・。

●お風呂に入っていた父が、突然、大声でわめきだしました。
「大変、大変! どっかから鼻血が出てる!」
いったい、父のどこから「鼻血」が出たのでしょうか・・・・?

私の友達は仮免中に教官に
「はい、この先の赤信号の交差点を右折して」
といわれ、何の疑いも無く、信号が赤信号のままの交差点を右折した。

第3弾 はじまり、はじまり・・・。

酔っ払って帰宅した夫は、そのまま居間に寝てしまった。
重くてとても寝床まで運べない。
「這(は)って行ってよ」
と何度も声をかけたが、そのたびに夫は
「ハッ! ハッ!ハッ!」
と答えた。

(5.18朝日新聞)

阪急電車の中、3歳位の男の子がおしっこをしたがっている様子。
子供「ママおし」
ママ「どうしてもっと早く言わへんのっ!」
すると子供は何を考えたのか、早口で
「ママッおしっこ」。

(2月号Lマガジン)

大幅に遅れたバスにおじさんが乗り込みながら、
「バスってえのは遅れた時は待たにゃならんが、客が遅れた時は
1分だって待ってくれずに、ハイ、サヨナラだからな」
と言った時、あとに続く乗客全員がうなずいた。

(2.11朝日新聞)

某工場内の「おれがやらなきゃだれがやる」という看板が、「だれが」の
「が」の点が削られ、「おれがやらなきゃだれかやる」になっていた。
この会社の将来は…。

(10.27ぴあ:97秋第2位)

友人は入社試験の面接で、あまりに緊張してしまい、
「家業は何ですか」
との質問に
「かきくけこ!」
と答えてしまい、家に帰るまで、何で「カ行」を尋ねられたか分からなかったそうだ。

(11.23北海道新聞)

一人息子がちゃんと留守番できているかどうか、
公衆電話から他人のふりをして家に電話してみた。
「もしもし、お母さんいる?」
息子「いらない」。

(3.17北海道新聞:96春第2位)

電話で書店に本を注文した時のこと。住所と氏名を聞かれたので、
名前の「和英」を和は「ヘイワのワ」、英を「エイゴのエイ」と答えた。
後日送られてきた郵便物の宛て名は「和A様」となっていた。

(95.6.11毎日新聞:95夏第2位)

「水戸黄門外伝・かげろう忍法帖」の最終回で、事件がすべて解決し故
郷へ戻ることになった、由美かおるたちは、喜びのあまり「ヤッホー」を
連発していた。でもそれってもしかしてドイツ語じゃ…。

(ちなみにあの「水戸黄門」には、格さんが「おいハチ、ファイト!」
と言ってしまった前科があるらしい。)

(95.10.3ぴあ:95秋第3位)

国語のテスト前に問題を出し合っていた中学生の長男と次男。
長男の「擬音語にはどんなものがあるか」との問いに、
次男は「そうどすえ」と答えていた。

(9.21朝日新聞)

新鮮なお魚を「死にたてピチピチ」と言う私を、母はとても嫌がる。
だって本当のことじゃないの。

(9.29ぴあ)

理髪店で中学生が「少し長めにして下さい」と頼むと、
ご主人が「耳はどうしますか」と聞き返した。
中学生は少し考えていわく「切らないで下さい」。

(10.5週刊読売)

おはようからおやすみまで暮らしを見つめる 〓 ストーカ―。

(6.29週刊読売)

父が入院することになって、病院に予約を入れて自宅で待機していたら、
思わぬ早さで連絡が来て、「明日から入院して下さい」。
突然のことで、心の準備が出来ていなかった父は、思わず
「今、ちょっと体の具合が悪いので、少し延ばしてもらえませんか」
と言ってしまった 。
病院も何の疑問を持たず父の要望を受け入れた。

(6.15週刊読売)

「JUNKO」というデザイナーのネーム入りトイレマットを敷いた日、
夫は「J」の文字を踏んでいたらしく、トイレをでるなり、
「あのマットはなんだ」とのたもうた。

(1.18朝日新聞)

結婚した教え子から年賀状が来た。
「性が変わりました」と書いてあった。

(2.8朝日新聞)

某デパートに行ったときのこと。
買い物が終わり外に出ると自転車に乗ったおっさんがコで
「だだだだ!うっ!やられたぁぁ」
銃撃戦を繰り広げていた・・・
こんなとこでやらなくてもいいのに・・・

(7.28岐阜新聞)

 以上です。

 それでは、では。

                    from 好美

★***♪***♪♪***★***♪♪***♪***★

   にゃんこ & ダネー

★***♪***♪♪***★***♪♪***♪***★

   

  
2000-02-07(月)  快晴     ヒュッテ     L = -4°C, H = 5°C

非常に暖い一日。

午前 11 時。
大畑団地の中にある「工房あらい」に出掛け、プティリッツァのシールの今後のことや、プティリッツァ・ストーリー作成のことで、1 時ちょっと過ぎ迄、大声でワイワイと話し合って来た。

彼も僕も、プティリッツァの話しになると、兎に角、思わず夢中になってしまう。

・・・・大のオトナ二人が、こんなたあいの無い事で、こんなに夢中になるなんて、とても素晴らしい事である!!・・・・と思う。

その素晴らしさの陰には、
「プティリッツァは個人のものではない・・・・町のものである」
という共通認識があるためなのかも知れない。

・・・・そして・・・・夕方近くなって、一カ月ほど考え続けて来たストーリーの出だしの数行を、やっとの事で、どうやらこうやら纏めることが出来、キーボードを叩いて入力出来たことも、とても嬉しい事でした。
でも・・・・さあ、これからが大変です!!

ところで、気が付いてみたら、今日は僕の誕生日・・・・!!
・・・・64 才までこんなに元気で生きることが出来・・・・こんなにも素晴らしい家内と子供に恵まれ・・・・こんなにも素晴らしい友人達に恵まれ・・・・こんなにも楽しい毎日を送る事が出来るなんて、僕は何んて幸せな人間なんだろう!・・・・と沁み沁みと思います。

神様、有り難うございます!

  
話は変わるけど、新井公男さんが作った Ptylitza のシールを・・・・昨夜、

    

居間の入り口のガラス戸と

冷蔵庫にペタペタと貼ってみました。

・・・・そして内心思いました。
 (ウヒャー、素敵・・・・!!)

・・・・でも、こんど家内がヒュッテに来た時、これを見て何んと言うか?
が、・・・・チョット心配です!!

   

2000-02-08(火)   曇のち吹雪     ヒュッテ    L = 00°C,   H = 00°C

午前中、小海町で初めて歯医者さんに行く。
・・・・この間、ボイラーの不凍栓が壊れたため、中野のジョージ歯科に行けず、そのあと風邪をひいてから、右下奥の歯が痛んでいたからである。
歯医者さんは小海線の高架橋のすぐ脇の渡辺歯科医院。
・・・・右奥下の被せてある歯の、内部が虫歯になっていて、空ッポになっているとか・・・・
「チョット様子を見て、どうしたらいいか考えます」
・・・・との事。次は来週の月曜日午後 2 時半からの予定。

夕方、物凄い吹雪になる。
・・・・見ていると、見る見るうちに雪が積もって行く。
あまり見事なので、デジカメに収めてみた。
・・・・うまく感じが出ているといいんだけど・・・・・


これじゃ、吹雪の感じが出ないよねえ!

今夜は大分積もるでしょう!!

  

  
2000-02-09(水)   快晴     ヒュッテ   
L = -12°C,   H = -1°C

 別荘の管理棟にある開発公社に出掛け、不凍栓に詰まっていたプラスチックの削りかすを見せに行く。
 ・・・・止水栓の事だと、一応、開発公社にも報告しておいた方がいいと思ったからである。・・・・事情を話して、詰まっていたプラスチックの削り粕を見せると、畑さんもビックリ・・・・・
 「別荘を作って下さったミサワさんにも、話して置こうと思って・・・・」と言うと、
 「・・・・その方がいいと思いますよ・・・・」との事。

 その足で、松原湖まで降り、ワカサギ釣の取材を済ませ、「高原のパン屋さん」で昼食をし、大畑団地の「工房あらい」に、プティリッツァのホームページの print out を届ける。

 午後、駅前の公衆電話からミサワホームに電話を入れ、この間からの事情を説明し、
 「・・・・という訳で、今日は、佐久市の方面に出掛ける予定があるものであすから、そのついでに、よろしければ、この不凍栓に詰まっていた塵芥をお持ちしようと思っているんですが・・・・」
 と言うと、電話に出られた高浦さんは
 「申し訳ございません。今日は定休日なので、当番の私しかおりませんが、それで宜しければ、品物をお預りさせて頂いて、また明日でも、担当の方にお事伝を伝えるように致しますが・・・・」という丁寧な応対・・・・・
 「それでは・・・・今日はお届けするだけに致します・・・・!」
 と言って、電話を切り、佐久市に直行、ミサワホームさんに顔を出したのはいいが、ここで僕は大失態をやらかしたのである。

 ・・・・と言うのは、事務所のロビーで出迎えて下さった高浦さんに、・・・・おおまかな経緯を説明したあと、
 「・・・・それで、これが中に詰まっていた塵芥なんですよ・・・・!」
 と言いながら、給水管と不凍栓の境のねじ込みをクルクルと回し、中の塵芥を出そうとしたら、給水管の中に塵芥が無いのである・・・・・・!
 「ありゃりゃりゃ・・・・無いよ、こりゃあ・・・・!」
 ・・・・僕は、スットンキョウな声を張り上げた。
 (・・・・そんなバカな・・・・)
 僕は給水管の中を覗いてみた・・・・不凍栓の中も覗いてみた・・・・乗ってきたポンコツ車まで歩いて行き、車の中を探してみた。
 ・・・・だが、例のプラスチックの塵芥は影も形も無いのである。
 僕はハタと困惑をしてしまった!
 だが、ホームページに写真を載せた事を思いだし、
 「・・・・本当に申し訳ございません。・・・・もう一度、もとに戻って探して見ますけど、この給水管と不凍栓とこの塵芥の写真は、私のホームページの日記に載っていますから、ご覧になってみて下さい」と説明をし、ホームページのアドレスをメモ用紙に書いて渡し、給水管と不凍栓も同時に高浦さんに渡して、小海に舞い戻ってきた。
 ・・・・この時は、
 (早く、開発公社の事務所に戻り、例のプラスチックの削り粕を見付けなけりゃあ)
 と思っていたものだから、白樺の直子さんの所に寄る事も、カインズホームで灯油を買わなくちゃいけない事もスッカリと忘れてしまったという訳・・・・!!

 さて、大急ぎで、開発公社まで戻ってきた僕が、今朝ほど、畑さんたちに例のプラスチックの削り粕も見せた所まで来てみると、あの塵芥は、丁度、僕が今朝ほど立っていたあたりの床の上に落ちていたではありませんか・・・・!!

 「あ、あった!!!」
 僕は、その塵芥を拾い上げると、その経緯を公社の人達に説明した。
 ・・・・それを聞いた畑さんと受付の女性は大笑い・・・・
 理事長の小池さんも、可笑しそうにクスクス笑いながら、こう言った。
 「・・・・じゃあ、何かい? カラ足になっちまっただかい・・・・」
 

 「ええ、そうなんですよ・・・・ンもうっ!」
 と改めて悔しそうに言ったもんだから、公社の人達全員が、爆笑。
 「・・・・でも、飛んで帰って来てよかったですよ・・・・これが、それが見付かって!」
 と畑さん・・・・
 「そうですよねえ、確かに・・・・」
 僕はそう言った後、皆さんにお礼を言い、また、町まで引き返し、色々な買物をすませた。

 ・・・・その買物の間に、ミサワの高浦さんに電話を入れ
 「あ、先程は大変失礼しました。・・・・帰ってきて、調べてみましたら、開発公社の土間の上に、例のプラスチックの塵芥は落ちていましたから・・・・」
 と、伝えたのは勿論である。

 高浦さんは
 「明日、担当のほうに話した後、お宅宛てに電話を致します・・・・」
 と仰言って下さいました。

 全く・・・・何んという今日の一日だったのでしょう!!

 ンもう、バカみたいっ・・・・・・・!!!!!!!

 

   
2000-02-10(木)  快晴    ヒュッテ   
 L = -14°C,   H = -1°C

長電話と来客に追われた今日の一日・・・・
お陰で、今日は殆ど何も出来なかった!

チョン・・・・・・・!!

  

  

2000-02-13(日)   曇     ヒュッテ     L = -9°C,   H = 4°C

いよいよ今日は、松原湖高原史上初めての氷上 RC(ラジコン)カーレース開催の日である。
・・・・この日のために、去年から今年に掛けて、何回アチコチに電話を入れたり走り回ったりしたことだろう!!
・・・・と言ったって、僕の懐に、一銭のお金が入る訳でもない。
と言うより、一銭のお金が入って来ないから、こんなに楽しく色々な事が出来るのかも知れない。

午前 6 時起床。
歯を磨き、ヒゲを剃り、顔を洗い、トイレに行き、身支度をスッカリ整えてから山を下りて松原湖へ・・・・
着いてみると、氷の上のレース会場では、ハーちゃん、勝っちゃん、久利ちゃん・・・・等が色々と準備を進めている。

早速・・・・立花屋さんで、朝食を戴いたあと、8 時半過ぎからエントリー・デスクで手伝いを始めた。
仕事の内容は、エントリー希望者から 2000 円を徴収し、氏名とラジコンのバンドをカードに記入してもらい、ノートに住所・氏名・電話番号を記入して貰う・・・・と言うもの。

9 時半までに、29 名がエントリーを終了。
会場を見ると、レーサー達は10 時までの 30 分間のウォーミング・アップに余念が無いが、見ていると、とても面白い。
・・・・彼等は、高さ 1m 程の高さの台(コントロール台)の上にあがり、その上から、会場を見下ろしながら迷路のような複雑なコースを何周もして、タイムをきそうのだが、そのコースの途中にジャンプ台があったり、急な山を上り下りする障害物があったりする上に、コースがツルツルの氷の上だから、とにかく操縦が大変である。

「アチャー、曲がろうとしたら、カーブが切れないで真横に走っちゃってるよ」
「ジャンプ台の下に入っちゃって、出られなくちゃっちゃったよ」
「あ、やばい・・・・又、ひっくり返っちゃったよ」
「何んだよう、これえ! 土の上を走るのと全然違うじゃん・・・・」

等々、レーサーの口から漏れる言葉はまちまちである。

そして、いよいよ、午前 10 時。
松原湖氷上RCカーレースの火蓋は切って落とされたが、レースとなるとまた一段と力が入るのは当然の事。
見ていると、コースエンドの角材にぶつかったり、タイヤが外れたり、ひっくり返ってアンテナが飛んでしまったり・・・・結構、ホントのカーレースに近い雰囲気が出て来るものである。




・・・・ひっくり返っただけなら、コース内の所々にいる世話係に自動車を起こしてもらい、又レースを続けることが出来るが、どこかにぶつかって自動車が破損すると、リタイヤする事になり、これは本物のカーレースとまるで一緒。

一番激しかったレースは、6 台でスタートしたが、ゴールしたのはたったの 1 台・・・・と言うレースもあったほどである。

さて、リタイヤした車わどうなるかというと、これがまた物凄い!

ご覧のようにレース会場の脇に設けられた、修理工場で可成り重傷なものまで、キレイになおしてしまうのである。

だから、その修理工場も、かなり本格的なものである。




・・・・どうですか、この設備!!

興味があったので
「ちなみに・・・・年間、どの位の費用が掛かるんですか、この趣味は?」
って聞いたら、
「人によって違うけど、大体、100 〜 150 万円くらいじゃないですか・・・・」
との事。

・・・・これって、本物の小型自動車が毎年一台づつ買えるくらいの金額!

まったく「ウヒャー」である。

ところで、11 時過ぎの事である。
ホームページようにスタートの写真を撮ってやろうと、デジカメを持ってスタートのほうに歩く途中、ツルツルなリンクの上で、僕自身がツルリと滑って腰と後頭部をイヤと言うほど、ひどく打ち、ハーちゃん達が心配して小海日赤に急行する羽目になってしまいました。

何んと!
僕自身がリタイヤする事になってしまいました。

・・・・ってな訳で、今日の日記はこれにて・・・・

チョン

と相成りましてございます。

  

   
2000-02-14(月)   晴     ヒュッテ

午後 05:30
Re-ex の隣の Boulogne に遊びに行く。
集まったのは、品ちゃん、色平さん、放送作家のK氏と僕の 4 人。

Boulogne のご主人の上松さんが、盛んに色平さんの事を、
「素晴らしい人だ・・・・!!」
と褒めていたけど、本当に嫌みがなくて、素晴らしい人である。

彼から、タイのお坊さんの話しをもっと聞きたかったけど、彼が、K氏とずっと話していたので、余り話しを聞く事が出来なかった。

また、何かの切っ掛けがあった時にでも、色々と話しを聞いてみよう。

帰りがけ、ビリヤードをすこしやった。
ビリヤードはキチンと勉強をしたら、面白いゲームだろうと思う。

帰宅、午前 0: 30

  

2000-02-15(火)   雪    ヒュッテ

明け方から降りだした雪は 8 時を過ぎると、ひどくなって来た。

11 時過ぎ、韓国大使館に電話を入れて聞いてみた。
「韓国の子供達が憶える、掛け算の九九は、日本と違って、19 x 19 迄だという話しをきいたのですが、本当ですか・・・・・・???」
すると、電話に出た女性の大使館員は即座に、
「いえ、そんな事はございません・・・・韓国の九九は、日本の九九と全く同じです」
との事・・・・・

暫くしてから、昨夜、色々と話しをしたK氏宛に
「韓国大使館に聞いたところ・・・・韓国の九九は、19 x 19 迄ではなく・・・・日本の九九と全く同じで・・・・9 x 9 迄だと言うことでした」
と言う内容の FAX を発信した。

昨夜の話しの中で、K氏が
●韓国の九九は、日本と違って・・・・19 x 19 迄である。
●コンピューターの話しになったとき、
 円周率パイの計算は、1 万桁までのアウトプットは人間の方が早く、それ以上はコンピューターの方が早い。
●上杉謙信には、影の女性が大勢いた。

・・・・と言う、内容の話しを盛んにしていたからである。

 ・・・・この話しに関しては、正直な話し
 「ホントかな?」
 と少なからず興味を持ったものである。
 ・・・・と言うのは
●まず、韓国人が、なぜ、19 x 19 迄を暗記するのか、その意味が分からない。
●円周率の計算をするのに故人がどれほどの智恵を絞ったか・・・・昔、胸をワクワクさせながら、数学の本を読んだ記憶があるからである。
たしか、16 世紀ころ・・・・ドイツ人が、パイの値は、
円の外接多角形と内接多角形の間にあるはずだと・・・・という、理論の元に、一生掛かって、35 桁まで計算をしたのを切っ掛けに、円周率の計算競争が始まり
19 世紀になると、シャンクが何年か掛かって 707 桁までを計算したのはいいが、コンピューターの出現後・・・・たしか 528 桁目に間違いが発見された。
などなど・・・・を読んでいたし
ギネスブックに載っている、あの友寄さん(ソニー時代、将棋と碁を戦わした)の話しでは、4 万桁を憶えるのに、2〜3 年掛かった上、何処かの、テレビ局(?)だかで・・・・それを立証するのに、靴下を脱いで精神を集中させ 6〜8 時間ほど掛かった・・・・と言う事を沁み沁みと聞かされていた・・・・・からである。
●上杉謙信には、影の女性が沢山いた・・・・
と言う話しをK氏がしたとき、ブローニュのご主人の上松さんが
「上杉謙信って、そんな人だったんですか・・・・私のイメージでは、全然、違ったイメージをもっていたもんですから・・・・」
と 2〜3 回、K氏に聞いていた・・・・
が、僕自身も、そんなイメージを持っていたので、その点にも興味をもった次第である。

・・・・今日、K氏に FAX を発信した背景には、そんな事があったのかも知れない。

この後、その他の 2 点についても、追々調べてみようと思う。

話は変わるが、この頃の忙しさ・・・・と言ったら、どうだろう?

とにかく、メッチャ忙しいというのが実感である。

    
   

2000-02-16(水)   曇のち雪    ヒュッテ

放送作家のK氏に今日も FAX を入れた。

理由は、昨夜、深更・・・・昼間、K氏に送った FAX を読みなおしてみたら、非常に、乱雑な文章だった事を改めて知り、気恥ずかしく思った所為である。

韓国大使館に問合せた事も、九九に関する誤謬を指摘したことも、ごく普通の事だと僕は思っているが・・・・
言葉遣いの荒っぽさと・・・・傲慢ともとれる言葉遣いが・・・・大変失礼だったと思ったからである。

このあと、僕とK氏の間が、どうなるか・・・・僕にはよく分からない。
良くなったら、とてもイイコトだと思うし、悪くなったら・・・・それは、それで仕方がない事だと思う。

  

   

2000-02-17(木)  曇     ヒュッテ      L = -16°C, H = -1°C

今朝の最低気温はマイナス 16 度・・・・今冬の最低気温である。

・・・・ところで・・・・
今、ふっと思いだしたのであるが、先々週、Yosimi ちゃまから、また、可笑しなメールが届いていたので、それを、以下に紹介する事にしましょう。

  
 おはようございます。 Yoshimi です。

なんか今日から寒気団がやってくるらしいですけど、ボイラーの調子はどうですか? この時期大変みたいですね。
やっぱり信州は寒いんだと思いました。

 
> そいで、今日はユックリできたので、戴いたメールを読んだところ、これがまたメッチャ面白い。

  
 面白かった?

私も一人で楽しむにはもったいないので、ついついいろいろな人にメールで送りまくってしまったのでした。
特に「死にたてピチピチ」はマイブームになりつつあります。♪d(⌒o⌒)b♪

> これからも、可笑しなことがあったら、教えて下さい。

 がんばって探します。(^O^)g

> あ、それから、貴女の新しい写真があったら、送って頂けませんか?
> 皆さん、貴女に興味があるみたい・・・・!
>
> モチ、僕だって、とても興味があります。

  
しゃ、写真ですか?(;^_^A
ないです。
最近はデジカメとVTRしか撮ってないので。
というかいつも自分がカメラを持って歩いているので自分が写っていないのでした。(-o-; 
と一応言い訳をしてみました。

  
 あ、最近のおばかな話をひとつ。
うちに「百日紅」の木があるんですけど、大きすぎてちょっと小さめに挿し木でもして形を整えましょうということになって百日紅の枝を1mぐらいのところで切ったの。
旦那さんが。

どうするんだろうと思ってみていたら穴を掘って切った枝をざくっとさして「挿し木完了」だって。(@o@)

旦那「だって挿し木だよ」
私 「だから、刺した?(挿した)でしょ」
旦那「あの・・・・土台の木は?」
私 「土台って何?」

えーーっと( ̄□ ̄;)・・・・・
まじギャグだったらしい。

そんな切った木をそのまま挿したって根がつくかどうか。
挿し木をしらない旦那さんと本屋に行って本当の「挿し木」の意味を知るのでした。

旦那「俺がやったような方法も載っていたよ」
私 「ちがーーーーーう。10〜15‡p位に切って植木鉢に植え付けるんでしょうに。小学校の時理科で   ならったでしょ」
旦那「習ってないもん」
 1歳しか違わないのに習わないわけないでしょ。

やれやれ・・・・・・。

びっくりでしょ。

 長くなりました。

それでは、また。

                   by Yoshimi

★***♪***♪♪***★***♪♪***♪***★

   にゃんこ & ダネー

★***♪***♪♪***★***♪♪***♪***★

  
   

2000-02-19(土)   曇のち雪    ヒュッテ   L = -14°C, H = -1°C

ふと気が付いたら、本当に日が長くなって来ている。

朝、目が覚めて階下に行くと、もう、辺りは明るくなっているし、案内所の手伝いが終る頃になっても、まだ外は明るい・・・・からである。

太陽の恵みが、どれほど大きなものか・・・・東京にいる間は、殆ど気が付かなかったが、ヒュッテに住んでみると、本当に太陽の有り難みを感じさせられる・・・・・・・

  

  
2000-02-21(月)  快晴     ヒュッテ    L = -12°C,  H = 1°C

テレビの料理番組を見ていたら、アスパルテームという砂糖に代わる甘味料の紹介をしていたので、早速、アルルの小海薬局に行って、買って来た。
・・・・僕は紅茶を飲むときにタップリと砂糖を入れる。
それを何杯も飲むものだから、以前から、砂糖の採り過ぎが気になっていた。
今迄、色々なものを使ってはみたが、毎回、何んとなく違和感があって、長続きがしなかったが、今回は、砂糖の食感と余り変わらないので、長続きがしそうである。
・・・・カロリーは殆どゼロという事なので、これからはホントにお茶を楽しめそう!!
ウワーイ!!

帰途、同じアルル内の「みや書店」で立ち読みしていたら

   呉 善花著    「スカートの風」

という文庫本が目に入った。
パラパラとページをめくってみると、日本で仕事をしている韓国人女性の色々な問題を取扱った内容の本である。
・・・・考えてみると、我々日本人の中で、自分たちの隣国の韓国についてよく知っている人というのは、そんなに多くないような気がする。
・・・・韓国に於ける女性の地位・韓国社会の一端などが窺えてとても面白そうな本なので、買ってきて、読み始めてみたら、本当に面白い。
読者の皆様にも、是非、一読をお奨めいたします。 

  

  
2000-02-22(火)   曇     ヒュッテ

腹痛。
初めて、佐久総合病院の小海分院に出掛けた。

  

  
2000-02-23(水)         ヒュッテ

朝食の後片付けをしていたら、ミドリ十字の歴代の社長三人に対する地裁判決のニュースが流れて来た。
結果は2 年、1 年半、1 年 4 カ月の実刑判決だった。
ニュースによると、三人はこの判決を不服として、東京高裁に即日控訴したとか・・・・
それを聞いて
「え? よく控訴なんか・・・・するよね!」
・・・・と、僕はあきれ返ってしまった。

・・・・以前のテレビ報道によると・・・・この三人は、たしか
エイズの輸入非加熱製剤を投与すると、投与された患者がエイズに感染する可能性があることを、十分承知していた・・・・と言う事であった。
・・・・それなのに、自社の利益を優先して、その非加熱製剤を出荷してしまったのである。
言うなれば・・・・
「自分たちの会社に金が入って来れば、他人がエイズにかかろうと・・・・俺達ァ、全く知らねえよ・・・・!!」
と言うのと、同じである。

・・・・しかも、
「厚生省からは、何んの指導もございませんでしたので・・・・」
とシャアシャアと言ってのける厚かましさ・・・・!
・・・・この一言でも分かるように・・・・自分達の我欲をむき出しにした卑劣な行為が、どれ程多くのエイズ患者を産み出したか・・・・そして、何人の人々の命を奪ったか・・・・が、哀しくなる位に分かっていない三人のエゴの塊り・・・・
この三人の澄ました顔を、遺族の方々それからエイズに感染した人々は、どんな思いで眺めただろうか?
・・・・だれかが「ブッ殺せ・・・・こんな奴!!」
と叫んだと言う気持ちが痛いほど、僕にはよく分かります。

さてさて、このニュースに関して、もう一つ!

 この判決を耳にした厚生省の幹部は・・・・
 「えつ、執行猶予が付かないんですか・・・・?」
 と沈痛な面持ちで言ったとか・・・・!
 全く、厚生省の連中は何を考えているのだろう?

 ・・・・大体、厚生省がこんな態度なものだから・・・・
 「金儲け・・・・やったモン勝ち・・・・」
 「人を殺したって、執行猶予がついてりゃあ無罪と一緒・・・・オラガ春!・・・・」
 ・・・・などと言うような連中がアトを断たないのである・・・・」
 こんな風に・・・・
 「自分たちさえよければ・・・・それでいい」
 という我利我利亡者達を支援している厚生省!

 全く、役人って、どうしてこう・・・・自分たちに裏金を回してくれそうな悪徳利得者の肩を持ちたがるのか・・・・を、改めて知らされた今日の一日でした・・・・!!
    

、        

       
2000-02-24(木)   雪     ヒュッテ     L = -9°C,  H = -1°C

終日、雪。

中野の福田医院に電話。
胃に鈍痛があり、ゲップがよく出た時に、何回か処方をして下さった薬の名前を聞く為である。
福田先生が下さる、この薬が僕にはとても相性がいいらしい。

   一日分として   ナウゼリン  10mg   3 錠
             アボビス 50        3 カプセル
             ガスコン    40mg   6 錠

電話の向こうで先生の声がした。
・・・・いつ話しても優しい先生・・・・電話を切ったあと、とても懐かしいと思った。


この頃、毎日がとても忙しい。
考えてみると、ホームページを更新するのに結構時間が取られている事がわかった。
・・・・そこで、フト考えた。
 「そうだっ! 毎日の高原日記を10 行以内に押さえることにしよう・・・・」
 って・・・・・
 僕にこれが守れるかなあ?
 ・・・・・今日だって、これが 15 行目だって言うのに・・・・・!

   

   
2000-02-25(金)   晴     ヒュッテ    L = -17°C, H = -4°C

今朝の最低気温はマイナス 17 度、今冬の最低気温を記録した。
勿論、日中だって真冬日である。

午後 1 時半。
松原の公民館で予定されていた今年の観光パンフの寄合いが案内所で開かれた。
集まったのは、
ハーちゃん、久紀さん、久利ちゃん、裕ちゃん、慶太さん、上松夫人、それから僕の 7 人。
従来、役場が窓口になっていた「キノコ狩り」 「山菜狩り」「ワカサギ・ツアー」は、今年は観光協会が窓口になる事になりました。

午後 7 時半。
町の公民館にて将棋クラブ。
久方振りにアメリカ人のハインツがやって来た。
見ると、手に、英文で書いた駒の動き方の資料を持っている。
・・・・僕と目が合うと
 「これ、前にメールで教えて呉れたホームページから取ってきたものです・・・・」
 と言って、明るく笑った。
手始めに・・・・開発公社の裕ちゃんと 6 枚落ちで指してみた。
もちろん、裕ちゃんが勝ったが、
・・・・一度、ハインツは歩で殺された自分の角の逃げ道を塞いでいた桂馬を跳ねて相手の王に「王手!」をかけ、王様が逃げた隙に、角が逃げるという素晴らしい手を指した。
・・・・もしかすると、上手になるかも知れない。

   

   
2000-02-28(月)    晴のち雪    ヒュッテ    L = -12°C, H = -1°C

日帰りで、川越の母親の所に出掛けた。

出掛ける時のヒュッテの気温はマイナス7度だったが、ホームに着いてみると初夏のように暖いのには驚いた。

ところで・・・・母親の所に出掛けると、大体 2 〜 3 時間母親と一緒にいる事にしているが、
今日は、着いてすぐに浜田さんと 10 分ほど話しをしたが、話しの途中、
「田中さんは・・・・最近はとても落ち着いていますよ」
と言う彼女の言葉に、ホッとひと息をついた。

・・・・その後で、
母親と民謡の練習に出席、暫くの間、一緒に民謡や歌謡曲を歌った。
・・・・帰るころになったら、何を思ったか、母親が急に
「森永のミルクキャラメルが食べたい・・・・」
と言うので、来るまで一走りして買ってきた。
・・・・
・・・・
そして、そのキャラメルをとても美味しそうに食べている母親の姿が、とても印象的だった。

午後 4 時過ぎにホーム発。
日帰りで、川越まで行って来るのは少し大変である。
・・・・7 時間もドライブしていると、腰が結構痛くなってくるからである。
・・・・佐久インターを降りてから、佐久市の喫茶「白樺」で、小一時間ほど直子さんと話しをして帰宅。

・・・・・・・帰途
佐久市で、ほんのパラパラと降り始めた雪が、ヒュッテについてみると、もう 20cm ほど雪が積もっていたのには、ちょっとオドロかされました。

  

  
2000-02-29(火)    晴      ヒュッテ    L = -14°C, H = 0°C

雪の朝。
ヒュッテの前の新雪の道を、たった一台の車が通った跡があった。
・・・・とてもキレイだったので、早速、デジカメで撮って来た。


一体、誰が通ったのだろう?

   
NHK のニュースに依ると、うるう年の今日の日付(29 日)のため、気象庁のコンピューターが誤作動をおこし、一部の地域で降水がないのに 35mm の降水を記録したり、郵政省関連では、一部の郵便局で、自動引き下ろしが出来なくなったとか・・・・・

このニュースを聞いた時、僕は正直なところ
(どうして・・・・?)
と訝しく(いぶかしく)思った次第である。

事の起こりはこうである。
一年の長さは 365 日 5 時間 36 分 18 秒(・・・・たしか、こんな感じの数字だったけど?)のため・・・・
  ● 4 年に一度、うるう年を設け、2 月を 29 日とする。
  ● 100 年に一度、そのうるう年を、平年とする。
  ● 更に、400 年に一度、その解消した平年をうるう年とする。
・・・・という、規約がある(僕は知らなかったけど・・・・)そうな・・・・!!

 ところで、今年、西暦 2000 年は・・・・4 でも、100 でも、400 でも割り切れる為、上の規約によると、うるう年になるはずであるが・・・・気象庁と郵政省の一部のコンピューターで、400 年補正がほどこされていなかった為に、それらのコンピューターは今年を平年と認識してしまい、最初に書いたようなトラブルが発生したと言うことである。
・・・・まったく・・・・オヤオヤオヤ・・・・である・・・・!!

  
 今日の日記を上の行まで書いた所で、今日の分(ぶん)をアップロード。
 そのあとで・・・・確認の為にインターネット上の自分のホームページにアクセスし、ついでに、メールボックスを覗いたら、大好きな美女の Yoshimi ちゃまからメールが届いていた。

 なに、なに、なに・・・・
 Yoshimi ちゃまから、メールが届くと、僕の体中の血が逆流するから不思議である。
 ・・・・一体、俺は、どうなっちゃってるんだろう?

 ・・・・とボヤきつつ、メールを読み始めたトタン
 「ガハハハハハ・・・・」
 と、僕は大爆笑。

 余り、可笑しいので、すぐに、こうして Yoshimi ちゃまからのメールをアップロードする事にした。

   
Tue, 29 Feb. 2000    07:33:41 +0900 (JST)

 こんばんは。お久しぶりです。

 腰痛とのことですが、大丈夫ですか?
寒いですからねーーー。
暖かくして大事にしてください。

 HPに日記を1日10行にするということですが、つまんないでちゅーーーー。(;_;)
1週間に1回ぐらい拝見しているのですが、“へーーー八岳さん今週は大変だったんだーーー”とか行動がわかるから結構楽しいんですよ。\(^o^)/

HPぐらい自分でつくれって?
毎日HPを5時間ぐらいずーーーっと見ているので家に帰ってからまでなんかパソコンに向かう気にならないのでした。

うーーーーん。

何をすればいいのか構想も固まっていないしね。
 ということで、八岳さんのHPは結構楽しみにしてるんですけど・・・・・。
あ、私個人の意見です。(;^_^A

 挿し木をした話しましたよね。(この話しは 2/17 の日記にのっています!!)
あの、百日紅は倒れていました。
風が強い日の朝に。
朝、カーテンを開けて「なんか違うなー」と思ったら百日紅がななめになっていたのだった。
やっぱ、根はつかず腐ってました。
可哀想に・・・・・。
今度は上手に挿し木してもらおうね。
ということで土から抜いてあります。
抜いただけーーーーーーー。
どうなるんだろう。

 昨日の朝、焦りながらフライパンを洗っていたら「ジュッ」ていったの。
フライパンが。
腕が焼肉になってしまった。
まだ熱いフライパンの淵に気づかず触ってしまったの。
しくしくしく・・・・。
ためらい傷のようになってます。

夜にシャワーのお湯で「ぎゃーーーーー。痛いでちゅーーーーーーーー」雄叫びを上げた。
腫れが引いていたので忘れていたのだった。
危なく湯船に“ちゃぽん”するところでした。
危ない危ない。(-o-;
八岳さんもお料理の際には気をつけてね。
(私が言うなって)

 仙台は昨日一昨日と天気が不安定で雪が降ったり、霙になったりしていたんだけど、今朝はばりばりに凍っていました。
やく1名駐車場で転んだそうです。
車に傷をつけながら。
とっても落ち込んでいました。
私は爆笑しました。

 長くなりました。
それでは、また。

                    by好美

★***♪***♪♪***★***♪♪***♪***★

   にゃんこ & ダネー

★***♪***♪♪***★***♪♪***♪***★




気が付いたら、一日、10 行の高原日記は、わずか 4 日で大幅にくずれていました。

チックショーメエ!
Yoshimi のバッキヤロー・・・・・・・・!!!!

  

     
     

  

  

 フロントページに戻る