2000 年 1 月の日記

  

2000-01-01

2000 年という年を迎えて。

藤沢行き

  

2000-01-03(月)   自宅

午後 11 時。
いつものように、メールボックスを開けたら、今迄メールの交換をしたことのない人から、一通のメールが届いていた。

「ハテ?」
と思いつつ、メールを読んで行くと・・・・

A very happy new year and millennium from Vancouver, Canada!

I owe your website and e-mail address to Mr. Gus Sato.
Going through your web pages, one can certainly be assured that there IS life after SONY.

八岳晴耕様、

新年おめでとうございます。
元外国部の中島です。小生も貴兄と同様サラリーマン生活から足を洗い現在はこ
こブリティッシュコロンビア州の僻地で引退、陰遁の暮らしをしています。山に
雪があればスキーに、海に風が吹けばセーリングに、と言ったお天気しだいの気
ままなものです。近くには鮭が上ってくる川があり、上空には白頭鷲が飛ぶ自然
たっぷりで文化から遠いの場所です。

夏場にはさらに奥地の海の近くに別荘を持つオーディオの永見さんが毎年釣り三
昧の時間を過ごすためにやってきます。そこでは、海岸の砂をちょっと掘ればア
サリがざくざく、牡蛎はそこらにごろごろ、カレイやヒラメは雑魚扱い... そ
れらを食材に大鍋にグツグツと漁師料理がたまらないところです。

八ヶ岳の山の人達に海辺の暮らしを報告するために一度取材にお出かけください。

お元気でご活躍のようす何によりです。

中島 尚

  
「・・・・?」
・・・・メールを読み終った僕は、スッカリと考え込んでしまった。
・・・・と言うのは、差出人の中島さんと言う人の顔がどうしても思い出せないからである。
メールには確かに
「元外国部の中島です」
と書かれている・・・・・!!
「ハテ?・・・・僕が定年退職した時、ソニーの海外輸出部門は海営(海外営業部)と呼ばれていたし・・・・外国部と言うのは、それより、ずっとずっと昔の古い呼び方だったから・・・・?」
・・・・と考えて行くと、この中島さんという人は、ずっと昔に外国部から他の部門に異動になった人か、さもなければ、その当時にソニーを退職した人に違いない・・・・!!」
・・・・こんな事を考えながら・・・・僕は、ずっとずっと昔の外国部の人達の顔を思い浮かべてみた。
・・・・佐藤さん、石田三兄弟、田八岳さん、四元さん、堀江さん、鈴木さん、奥村さん、藤村さん・・・・等々。
・・・・だが、どうしても中島さんという人の顔が思い出せないのである。

勿論、佐藤さんにメールを入れたり、鈴木昭男さんに電話を入れて聞いてしまえば、事は簡単なのであるが・・・・
(何日くらいしたら、思い出せるかな?)
・・・・と興味深々な気持ちで、そのままにしておくことにした。

  

2000-01-04

ショック!!
松井さんのお父さんが、自動車の中の財布を盗られた。
・・・・アロウムにて。

  

2000-01-06

仕事始め。

  

  

2000-01-07 (金)  曇のち雨   L = 1°C,   H = 12°C

暖い一日。

午後。
役場に行き、ハーちゃんと話している時に、室内の空気が乾燥していたのだろうか・・・・喉を傷めたらしい。
・・・・僕は喉が非常に弱い。
空気の湿度が 35% を切るとすぐに苦しくなるし、ナフタリンやパラソールの匂いをちょっと嗅いだだけでも、すぐに喉が炎症を起こしてしまうからだ。
・・・・駐車場に戻る途中、喉と鼻のつけねが、とてもヒリヒリし始めた。

夕方、家に帰ってから何回かイソジンでウガイをする。
喉の痛みはが、益々ひどくなって来たからである。

夜になると呼吸も苦しくなってきたが、別にどうという事も無いだろう。
(・・・・今夜はあたりがとても静かだから、よく眠れるだろう)
と思いつつ、メールボックルを覗いてみたら
マリから
「ご希望のあった写真お送りします」
という英文のメールが届いていた。
(・・・・マリって、いつも、どうしてこんなに優しいんだろ?)と考えつつ
「どうも有り難う。写真、楽しみに待ってるよ!・・・・(お蔭様で)今夜は、とてもよく眠れそう!!」
って、これも英文で書いて、返事を出し、早めに寝床に入る。

ところがである
(・・・・よく眠れるだろう!)
と思いつつ、寝床に入ったものの、暫くすると、また喉がとても苦しくなって来た。
(おやおやおや・・・・これはいけない!)
とボヤいたり
(・・・・そうだあ、うがいをすれば何んとかなるかも・・・・)
と、思い直し、ベッドからモソモソと這いだして、何回かウガイをしてみたが、呼吸は苦しくなるばかり。
・・・・・・
・・・・・・
こんな事は生まれて初めての事であるが・・・・ウトウトとして、眠りに入った瞬間、息が吸えなくなるのである。
・・・・・・
そこで、モガキながら目を覚ますと・・・・再度、階下に降りてウガイをしなおし・・・・
「まあ、そんなに心配しなさんな! 少し経てば、何んとか眠れるだろう・・・・!」
と、考えて目をつぶるが、ウトウトして眠りかかると
「クッ!」
と、・・・・・・息が吸えなくなる。

こんな事は、本当に生まれて初めてのこと・・・・!!!

こんな経験を何回か繰り返しているうちに、
どうした事でしょう!!
・・・・とにかく、どんな所でも、すぐに寝付いてしまうこの僕が
ナンと、眠るのが不安になってきたのである!!

  

2000-01-08 (土) 曇      L = 00°C,   H = 00°C

・・・・兎に角、ウトウトとして、眠りに入った瞬間、息が吸えなくなる。

気が付くと、喉から鼻にかけて、ネバネバとしたものがまつわりついて、それが、喉と鼻の付け根につまって息が出来なくなるらしい。

自分でも分かるが、やけに鼻がヒューヒューと音をたてる。

とにかく苦しい。

午前 3 時。
兎に角、喉がヒリヒリと痛んでとても苦しい。

余りの苦しさに、こんな真冬の真夜中であるが、とにかく小海日赤病院に電話をして、先生に診て貰うことにする。

病院に着くと、看護婦さんの小出ジュンコさんが熱を計って下さったが、平熱。

・・・・その後で
検診して下さったのは年齢が 35 〜 40 才くらいの比較的若い男の先生。

「・・・・こんな事は生まれて初めての事なんですが、ウトウトと眠りにはいると、息が吸い込む事が出来なくなりとても苦しいので、兎に角、病院に参りました」
と今夜の状況を何回か話してみた。

・・・・先生は、喉を見て下さったが、
「喉は全く腫れていません・・・・」との事。
・・・・その結果、
「ウガイをして下さい・・・・」
と言って、診察を終る。

・・・・先生が、別に聴診器を使う事もなく、
「ウガイをして下さい」
と、言われただけなので、僕の喉は、全く何んともないと言う事なのだろう!
(・・・・これは、すぐに直るかも・・・・)
と嬉しく思う。

・・・・だが、それにしても、何故、こうも喉が痛むのだろう!!
受付に向かう間も、とても喉が痛むし、とても苦しい。

とにかく、お医者さんが
「ウガイをするように・・・・」
と言って下さったのだ!

僕は、もと来た道を家に向かって走り、家に帰って、ウガイをして、寝床に入った。
だが・・・・兎に角、喉が痛むし、呼吸が苦しい。

寝床に入っても、なかなか眠れないので、2 時間程のあいだ体をあっちこっちに動かして、寝やすい位置を捜しているうちに、いつの間にかウツラウツラとしだしたものらしい・・・・!!

とにかく、壁の時計が 5 時半を指していたのは憶えている。

 

2000-01-09 (日)  晴     L = -7°C,   H = 5°C

8 時半起床。
喉は益々、痛んで来て、とても苦しい。
・・・・と言っても、僕には、ウガイをする以外に、どうしようもない。
仕方なく、苦しくなってきたら、ウガイを励行した。

・・・・
NHK の朝の番組で、国際パガニーニ音楽コンクールで優勝した庄司沙矢香さんのインタヴューが放映された。
彼女の背丈は 156cm 程らしいが、N 響とパガニーニのV響を演奏しているのを画面で見ると、そんなに小柄には見えないのが不思議である。

画面で放映されたのは、第一楽章のカデンツァの部分。
見ていると、その正確さと美しさが、とにかく飛び抜けている。
(何んという素晴らしさ・・・・・!)
たった、15 秒程の間だったけど、僕はすっかりと感動してしまい、暫くの間、涙を止めることが出来ませんでした。

近々、彼女の CD が発売になるそうだが、是非、手に入れて全曲を聴くつもりでいる。

・・・・でも、僕が本当に聴いてみたいのは、彼女が、国際パガニーニ音楽コンクールで優勝した時のビデオ・デープである・・・・!

  

2000-01-10 (月)  晴     ヒュッテ    L = 2°C,   H = 12°C

朝、目を覚ました直後に、外国部の中島さんの顔を思い出すことが出来、思わず
「分かった・・・・あの人だっ!!」
と叫んでしまった。

1 月 3 日以来、ずっと中島さんの顔を思い出す事が出来なかった僕であるが、
今朝、目が覚めて、ベッドの外に出たトタン、どうした弾みか、ふとソニー時代の香川参与の事を思い出した時、その香川参与が・・・・時折り
「・・・・外国部の中島が、電気の言葉(電気用語英単語)をよく知っているから、分からなかったら中島に聞きなさい・・・・」
と、言ってらしたのを思い出したのである。

・・・・そう、確かあの人が中島さんだったような気がする。
背丈は、僕と同じ位だったろうか・・・・?
机の上に、いつも茶カーキ色の表紙の電気用語辞典が載っていた、あの人・・・・・
少し小柄で、スポーツマンらしい・・・・痩せぎすで精悍な顔つきをした人・・・・
中島さんってあの人じゃなかったろうか?
そう思ったら、とても、ホッとした気持ちにさせられた。

今度、メールを出して、訊いてみることにしよう・・・・!

でも、人違いだったら、どうしよう????

まあ、いいや、その時は、その時だ・・・・!!
ゴメンナサイって言いましょう。

  
喉は、今日もひどく痛んでいるが、今日は「成人の日」
一日中、苦しくなるとウガイをして過す。

夜、・・・・黄色い痰と黄色い鼻汁が出るようになってきて、頭も、モヤモヤとして来た。
いやな感じ!!
寝る前に、洗面所の鏡と懐中電灯を使って、喉の中を覗いて見たら、よく見えなかったけど、喉の奥の方が赤くなっていた。
  

  
2000-01-11  (火)  晴    ヒュッテ

余りにも苦しいので、小海赤十字病院に出掛ける。

診察をして下さった先生の話によると
「喉は、かなり赤く腫れています・・・・!」
との事。
消炎剤と風邪薬を戴いて、臼田の佐久総合病院の耳鼻科で受診する。

「鼻の奥と喉が可成り炎症を起こしており、右の耳の鼓膜も色が変わっています!!」
との事。
・・・・ここでも、二種類の薬を戴いて帰宅する。
帰り際に、先生より
「もしかすると、高い熱が出るかも知れませんが・・・・」
とコメントされる。

・・・・それにしても、今回、つくづくと思うのであるが、
病院というのは・・・・症状が起きてからでないと、薬を処方して呉れないものなのだろうか?

言い換えると・・・・今回、1 月 8 日の早朝、日赤に行った時、先生が、
喉が痛いと僕が訴えている段階で、ウガイ薬一本だけでなく、喉の炎症の予防をする薬を処方して下さる事が出来なかったのだろうか?
あの時点で、キチンとした対応がとれたなら、僕はこんなに不愉快な思いをすることもなく、また、余計な出費をする必要もなかったのではないかと思う。

今回の一件にかんしては、病院のありかたというものに・・・・何か、とても割り切れないものを感じさせられるが、読者の皆さんは、どう考えられますか?

   

2000-01-12  (水)  曇     L = -9°C,   H = 2°C

午後 4 時。
「ホビーショップ とみおか」で、ラジコン・カーフェスティバルの打ち合わせをしてくる。

風邪がひどくて、何もする気にならない!

夕食を食べてから、早めに寝床に入る!!

「さあ、寝よう、寝よう!」

  

2000-01-13 (木)   雨     ヒュッテ   L = 0°C,   H = 11°C

兎に角、暖い一日。
この時期に雨が降るなんて、一体、どうなっちゃっているんだろ。
お蔭様で、猪名湖の氷は大きく溶けたため、猪名湖のワカサギさん解禁は、何時になるか全く分からない状態である。

風邪は相変わらず・・・・最低の、最低の、真っ最低!!!!

午後 7 時半。
松原の集会所で、観光協会の役員会。
僕は、もちろん役員なんだではないが、昨日午後、ホビーショップ「とみおか」で打ち合わせてきた事を、説明し、今後は青年部のクリちゃんに引き継ぐようにお願いしてきた。

午後 9 時半、帰宅。
・・・・体調悪し!!

***************************  

午後 11 時。
メールボックスを開いたら、美女の Yoshimi ちゃまから風邪のお見舞いのメールが届いていた。

相変わらずの彼女からのメール。
・・・・でも、彼女からメールが届くと何となく胸がドキドキするから不思議です。
俺って、一体、どうなっちゃってるんだろ・・・・?

  

  1998 年秋、ヒュッテに遊びにやって来た Yoshimi ちゃま。

その三日間、筆者は悩まされ通しでした!!

  

2000-01-13 (Thu)      19:43:24 +0900 (JST)

八岳さん、こんにちは。
でも、送信するときには「おはよう」になっているかも・・・・・

風邪ひどそうですね。大丈夫ですか?
私はまずまず落ち着いたので、流行の半袖などを着ています。
仙台は夕べ雪だったのですが、起きたら雨になっていてびしゃびしゃ。
玄関前のスロープをすべってしまった。
スカートのスリットが裂けても転ぶのを回避した私。
どちらの代償が高かったのか?
しくしくしく・・・。
会社で手縫いをしました。帰ってからミシンをかけよう。

喉が痛いとのことですが・・・。
うがいの他にすーーーっとする軟膏というか薬とか塗ってみました?
私のおすすめはなんたって「ヴイックス・ヴェポラッブ」鼻づまりのときには鼻の下にこってりと塗り、喉が痛いときには喉にこってりと塗りタオルを巻いて部屋をうろついています。寝ている時に塗るとすーっとして呼吸が楽になる。
「ぬるだけでかぜによるせき・鼻づまりをしずめ、呼吸を楽にするユニークなぬる・吸うかぜ薬。」と製品紹介にもあるのでためしてみては?
メンソールのにおいが嫌い人にはおすすめ出来ませんが・・・・。
詳しくは「P&G」のHPを見てください。ドロップもオススメ。
http://www.pgjapan.co.jp/pgletter/

あ、それともクラッシックにねぎを刻んでガーゼに包んで喉に巻いてみる?
うーーーん。くさそう。
眠れないのならやっぱ「ヴイックス・ヴェポラッブ」がオススメです。

それでは、お大事に。

★***♪***♪♪***★***♪♪***♪***★

   にゃんこ & ダネー

★***♪***♪♪***★***♪♪***♪***★

  
Yoshimi ちゃま、メールどうも有り難う!!
とても、嬉しかったです。
でもね・・・・本当は、貴女に会えるともっと、もっと嬉しいんだけど・・・・・・・サ!!
  
チュッ! 

  

2000-01-14 (金) 曇ときどき雨    ヒュッテ

将棋クラブの例会の後、小海塾に出席。
僕が、顔を出すまえに、 Ptylitza T シャツの話が出され、僕が着いたときは、おおよその話が決まっていた。

「よかった・・・・!!」
・・・・これで、Ptylitza も、ようやく日の目を見ることになった。

帰宅 10 時半。
とにかく疲れたので、早く寝ることにする。

  

  
2000-01-16 (日)  曇のち雪      ヒュッテ   

今回初めて、松原湖観光協会のRC(ラジコン)氷上カーレースの打ち合わせが行なわれた。
参加者は、久里ちゃん、慶太さん、ひろしさん、僕の四人が案内所を利用して打ち合わせを行こなった。・・・・これで、やっと、観光協会青年部が自主的にRCカーレースの準備に取り掛かる事になったのである。

   

  
2000-01-17 (月)  雪のち曇    ヒュッテ    L = -5°C,   H = 4°C

朝、ユックリと目を覚ます。
風邪は少しづつ良くはなって来ているけど、まだまだという感じ。

大好きなバゲットの食事を済まし、紅茶を大きなカップに三杯も飲んだけど、体がダルくてどうしても、さっさと後片付けをする気にならない。

食卓の椅子に腰掛けたままウツラウツラとしたり、大好きなスペイン語の教科書をパラパラとめくったりしているだけ・・・・!

そのうち、気が付くと、頭の中で幾つかの言葉がグルグルと廻り始めたので、慌てて、傍にあったメモ帳を手にすると、デッサン用の 4B の鉛筆で小さな詩を書き始めた。

   

      
もう5 日も薬を飲んでいるのに

こじれた風邪は、まだスッカリとは、良くなっていない

静かに雪の降り積もる朝。

朝食を食べていたら、ストーブの灯油が・・・・・

残り少ない事を、フト思い出した。

  
   

風邪の朝は、何をするのもけだるく

部屋の中の空気さえもが、熱っぽく感じられる。

食卓の椅子の背にゆったりと体重をかけ

雪の庭をボンヤリと眺めている僕。

・・・・ティタのギターの音が、室内の静かな時を刻んでいる。

  
   
本当はそんな気もないのに

久方振りにスペイン語の教科書を開いて見ている僕。

Vocablario-expresiones, Preguntas,

Esquema gramatical, Ejersisios...............

・・・・僕はスペイン語の音が大好きである。

   
     
教科書をたどたどしく読んでいくと

・・・・スペイン語のあの美しさに目がくらみ

教科書を食べてしまいたい思いに駆られる。

そんな時、ティタのギターが大好きな ”Lagrima”に変わったせいだろうか

突然、「生きてるっていいな!」と涙が溢れてきた。

  

今迄、何度夢見た事だろう!

スペインの片田舎の石の家に棲み

ロバの通る狭い石畳をユックリと歩き

知りあったばかりの村の人に

”! Buenos Dias ! ”って声を掛けることを!

   

青い空、白い家・・・・・・・

僕の想いは遥かな遠(と)つ国へと飛んでいく。

・・・・でも、我に還ると、庭は静かな一面の雪。

僕は熱っぽい手でスペイン語の教科書を撫でながら、ふと呟いた。

「晴子ちゃまは、今頃、何をしているだろうか?」

  

・・・・彼女は、心優しいスペイン語の先生である・・・・!

  

僕は、詩を書くとき、何を考える事もせず、心に浮かんだままを一気に書いてしまう。
・・・・だから、殆どの散文詩は 20 〜 30 分。長いものでも、40 〜 50 分で書いてしまっているようである。

今日もそうである。
書き始めてから、書き終わるまで、30 分くらい掛かったのではないだろうか?

書き終わると、いつものように、もう一度読み直して、僕の心にピッタリしているかどうかを・・・・ちょっとの間、考えてみて・・・・そっと、「風邪の朝」と題名を付けてから席を立った。

  

  
2000-01-18(火)    快晴     ヒュッテ    L = -9°C, H = 4°C

朝。
珍しく、ダイニング・テーブルの上に置いてあったパソコンをいじっているうちに、何んとなくメールボックスを開いてみたら、何んとヴァン・クーヴァーの中島尚さんからメールが届いていた。読んでみると、1 月 10 日の日記の中で僕が書いた中島さんと思(おぼ)しき人物が間違いなく自分である・・・・と言う内容のメールである。
・・・・嬉しかったので、中島さんからのメールを以下に、記入して置く事にします。

*************************

このメールで注意すべき事は、発信日が「Sun, 16 Jan 2000 12:24:43 -0700」となっていることです。曲者 (くせもの)は、この中の12:24:43 -0700 の個所で、これは、このメールが Van Couver 時間で 1 月16 日の 12 時 24 分 43 秒に発信され、そのVan Couver は西経 7 時間(15度 x 7 = 105 度 ) である事をしめしているという事です。いうなれば日本は +0900 ですから、中島さんがこのメールを発信したのは、日本時間で言うと、12:24:43 + 7:00:00 + 9:00:00 = 28:24:43 すなわち17 日の午前 4時 24 分 43 秒という事になるわけです。

  
2000-01-16 (Sun)      12:24:43 -0700

八岳晴耕 様、

思い出していただけて光栄です。そうです、香川さんの所によく出入りしていた中島です。
1966年にロスアンゼルスに出て以来北米各地を転々とし、もう引っ越しは止めた(引っ越し3回は火事1回に匹敵する損失と言われています!)と、ここバンクーバーを引退、永住の地と決めたわけです。

貴信にある佐藤さん、石田三兄弟、田八岳さん、四元さん、堀江さん、鈴木さん、奥村さん、藤村さん・・・・皆懐かしい名前です。奥村さんはトロントを今後の活動の場とされたので時々コンタクトがあります。昨年4月に大賀さんがバンクーバーシンフォニーを指揮したときには奥村さんと現役組に会うことができました。

もう流感は良くなりましたか? 小生は昨年の暮れにワクチンを注射してもらったので(老人は無料)今の所大丈夫のようです。先週10何年ぶりにCEショー(Consumer Electronic Show) を見にラスベガスに行って人ごみに入りましたが何ともありません。CEショーで特に目立ったのは台湾と中国勢の活躍です。スマートカードやPCカードをメディアにしたMP-3プレーヤー(ソニーのメモリースティックウオークマンと同様なものからカーステまである)、超小型ビデオカメラ、それに付属させる超小型マイクロウエーブ送受信機, etc. etc. また、ハイファイマニア向けの真空管アンプが数多く彼等から出されていました。

ラスベガスはすっかり変貌しており、ニューヨーク、パリ、ベニス等をテーマにしたホテルがあり、世界各地のバーチュアル観光ができる仕掛けです。悪趣味もここまで徹底すれば立派なものです。そのうちに金閣寺、奈良の大仏などもできるのでは...

お元気で!

中島 尚

  
いやはや、このホームページも西経の人物まで登場するようになってしまったとは!!

全く・・・・ホントに・・・・オドロキ、モモノキ、サンショノキ・・・・です!!     

************************************
   
午前中、小海日赤の内科で風邪を診て貰う。
先生は、懐中電灯で僕の喉の中を診て
「・・・・もうスッカリ、喉の腫れはなくなっていますね!・・・・お薬は、これでやめて、あとはトローチとウガイ薬にしましょう・・・・」

(大丈夫かね?・・・・ぶりっ返しでもしたら?)
とも考えたが、素直にウガイ薬とトローチを貰って帰宅する。

夜。
喉が少しチカチカしたが、体を動かしたくなって卓球の練習に出掛けた。
・・・・4 ケ月半振りの練習。
やはり、体を動かすととても気持ちがいい。

10 時、帰宅。
久方振りに入った風呂も何んと気持ちのよかったこと!

真夜中過ぎ、寝床に入る。

  

  
2000-01-19 (水)   快晴    ヒュッテ    L = -6°C,   H = 4°C

起床、7 時半。
よく眠れた。
だが、喉はまだ少しチカチカする。
・・・・昨日の卓球が効いたのか、少し、右肩が痛む。

午後、風邪の後遺症だろうか、何んとなく、心にデカダン的な陰りを感ずる。
・・・・そして、そんな憂鬱な遣る瀬無さを厭いつつも、その無気力さの中に甘味な憂愁を嗅ぎ付けている僕自身。

・・・・こんな不安定な精神状態の時に出来たのが、散文詩「42. メランコリックな午後」である。
・・・・だから、いつものように一気に書き上げはしたものの、何んとなくこの詩が気に入らず、今でも
(・・・・健康じゃないよね、この詩・・・・!)
と思っています。

チョン・・・・!!

  

2000-01-20(木)   快晴    ヒュッテ   L = -9°C, H = -1°C

昼過ぎから、急に冷え込みだした。
お陰で、今日の最高気温はマイナス 1 度・・・・要するに真冬日である。
こう言った日は、家の中をストーブで暖めて、ユックリと夜を過すのが一番いい。
暖炉ストーブで燃やす薪の炎の揺らめき・・・・を見ていると、本当に気持ちが安らいでくる。

今日はヤナショーで買ってきたインテリア・クロック 2 個をキッチンとリビングの壁に付けた。
・・・・これで、ヒゲを剃っていても、いちいちダイニングまで、時計を見に行かなくてもよくなった。

  

  
2000-01-21(金)    曇     ヒュッテ   L = -14°C,   H = -4°C

午後、品ちゃんから僕のボランティア先に電話があった。
電話に出てみると、用件は二つで
「・・・・今度、南牧村の連中が小海塾に参項に参加したいって言ってるんだけど、どうだろう?」
もう一件は
「今度、臼田に ”高原のパン屋さん”の新しい店を出そうと思ってるんだけど、何かいい名前を八岳さんに考えて欲しいんですよ・・・・その店は、コレコレ、シカジカで、シカジカ、ウンヌンのような特長をもたせようと思っているんだけど・・・・」
との事。

一件目の問に対しては
「・・・・いいんじゃないの?」
二件目の問に対しては、電話を切ったあと、その店の雰囲気を頭の中で想像し、10 分くらいしてから、品ちゃんに電話を掛け直し
「今、さっき聞いた店の特長を頭の中で想像していて思ったんだけど・・・・△△△△って言う名前はどうだろう?」
と言うと
「あ、八岳さん、それ、すごくいいですよ。明るい響きがあって、軽くって爽やかで・・・・それに決めますよ。・・・・どうも有り難う御座いました」
・・・・ですって!!

でも、ホントにいいのかね????

**********************************

真夜中、メールボックスを開いたら、和市さんからメールが届いていた。

このメールの書き出しにある宛名の「尚(ひさし)さん」とは、今月の日記の 1/3, 1/10, 1/16 に出場した、現在、Van Couver にお住いの中島尚さんで、その隣の「靖子さん」というのは、多分、中島さんの奥様(勿論、筆者は会った事がありません)ではないかと思います。

さて・・・・
このメールは佐藤和市さんが、小生宛に発信したメールではなく、和市さんが中島夫妻宛に発信したメールのコピーを、佐藤さんと中島さんが勤めていた Sony の同年配の社員であった筆者宛に、送って下さったものです。

ところで・・・・
以下のメールの本文中に、香川さんという人が出てくるボールドタイプ(太字部分)の部分がありますが・・・・この話は、昭和 40 年前後のソニー外国部員が聞いたら大爆笑をするほど可笑しな話なのです。
その可笑しさを読者に味わって頂くために、少しだけ、解説を加えさせて頂く事に致します。

このメールの筆者、佐藤和市さんは、当時、英語力の高かったソニーの外国部の中でも屈指の英語の達人で、メールの宛名の中島尚さんは、確か、佐藤さんの部下だった外国部員で、とにかく電気関係の英単語に強かった人です。
・・・・さて、ここに出て来る香川さんなる人物は、ハワイ出身二世の米国法の弁護士なのですが・・・・その香川さんの職責柄、当時のソニーでは、殆ど全ての重要な英文資料は、この香川さんの検閲を受けていた訳です。

しかも、この香川さんに、自分たちが書いた手紙や発表文、カタログなどの原稿を見て貰うと、これが又・・・・どうしてかと思う位に、文法上のミスやミススペリングを見付けられ、頭ごなしにガミガミと叱られてしまう・・・・兎に角、始めて叱られた新入社員なんかは 2 〜 3 日寝込んでしまう位に・・・・オッカナイ人だった訳です。

筆者なんかも、この香川さんに何百回叱られたか分からない程でしたが・・・・何年か経つと、この香川さんの善良性と優しさが分かるようになり、とても親しみを感じて来るようになったから不思議です。

・・・・でも、それは何年も経ってからのことで、最初のうちは、もう側にいくのもオッカナイくらいの人だった訳です。

だから、このボールドタイプの個所の話にあるような話を聞き、泣き笑いをしているチン(あのクシャクシャな顔をしたワン公です)に似た、香川さんの憮然とした顔を想像すると、香川さんを知っている我々は、とにかく体を二つに折って爆笑をしたくなるような可笑しさを感じるのです。

・・・・そんな事を想像しながら、以下のメールをお読み下さい。

  
2000-01-21 (Fri)      14:01:09 +0900

尚さん、靖子さん

ご無沙汰しておりますがお元気そうですね。
昨日ひさしぶりで八岳さんの高原日記を開けましたら貴兄の事が書いてありましたので懐かしく読ませてもらいました。
BCの雄大な自然を見ながらのスキー(そう言えばその昔高峯で一緒にすべりませんでしたかね)、そして夏になればヨットに釣り、まさに極楽極楽の生活ではないですか。いつか永見さんがそちらの別荘にお出での時ご一緒させて頂いてbouillabaisseでも作って食べたいものです。

八岳さんの取材旅行、これももし八岳さんにchanceがあればお願いしたい所です。でもその前に貴兄が八岳さんのhome pageに寄稿されては如何ですか。八岳さんもきっと快く載せてくれると思いますし読者も喜ぶのではないでしょうか。

八岳さんが貴兄を香川さんと結び付けておもいだしたくだりは特に懐かしい思いにかられました。香川さんには何かにつけ叱られましたが私にとっては忘れ得ぬ人です。

いつだったでしょうか、仕事の合間、品川のPrince HotelにJoe Tushinskyと香川さんが昼食に出掛けた事がありました。その折私もお供をした時の事です。

香川さんが例によって例の如く食事中に”I have no appetite. I can't eat! ”と言い出しました。

それを聞いた Joeは、

” Mr. Kagawa! You always say "I have no appetite." But you certainly eat like a horse. Ga ha ha ha hahahaha. ”

と笑い出した時の香川さんの憮然とした顔は40年たった今でも忘れられません。

こんな話をすると40年の月日がどこかへ飛んでいってあたかも昨日の事のような気がします。今は二人ともこの世にはおりませんがまだまだ長生きをされて今の様な話をする事が出来ればどんなに良かったか、とつくずく感じさせられます。

我家では17年間一緒だったDachshundの老衰がひどくなり最後は夫婦交代で1ケ月間夜の看病をしましたがとうとう昨年のJuly 4th(記憶力の衰えた私にも覚えやすい)天寿をまっとうしました。家内はもう二度とPetは飼わない、と言っておりましたが昨年暮れ読売ランドのわんわん、にゃんにゃん村に遊びに行ったおり同犬種の子犬をみつけ、一緒に遊んでいるうちにとうとう家に連れてくるはめに陥りました。さて、それからが大変。毎日家の中で運動会です。おかげでそれまでのsenior citizens' homeがいっぺんにnurseryとkindergartenを合わせたような騒ぎになってしまいました。”これから旅行する時はどうするの”と家内はまだぶつぶつ言っております。

e-mailは有難い、と思わされた出来事が最近ありました。その昔の上智大学国際学部の同級生から突然mailが舞い込んだのです。当時彼は進駐軍の軍人でしたが同時に学生として国際学部に通っておりました。当時日本は食糧難の真っ最中でしたが彼はクラスのたびに何か食料を持参してくれましたので私は勿論助かりましたが私の住んでいた学生寮の連中もおすそ分けをあてにして私がクラスから帰るのを待っていたものでした。その彼から何十年ぶりでmailをもらったのです。驚きました。写真も送ってきましたが昔の美男子も今は初老の顔をしており年月を感じさせられました。”
母親と妹が昨年暮れに他界し更に自分も心臓病をわずらっておるしまつだが何とか都合をつけて今年の夏にでも遊びに来ないか”との事でした。彼の住まいはWisconsinのIron Riverなる所にあります。私は勿論行った事はありませんが話ぶりでは小さい、しかし落ち着いた田舎町の様な印象を受けました。その他にも米国各地の友人から声がかかるので家内に”動けるうちに一度連中の顔を見に行こうか”と話し掛けてみましたが今の所何とも反応がありません。はたしてどうなりますか。

四ッ谷の聖イグナチオ教会聖チェチリア聖歌隊の委員長選挙が先週日曜日に行われ2期勤めたpositionを次の人にバトンタッチする事が出来ました。新しい人は辞退の意向が強かったものの何とか話し合いがつき少しほっとしています。この2期はいろいろありました。いちいちここに書く事は避けますが大袈裟に言えば動乱を乗り越えやっと落ち着きを取り戻した所です。この様な状態の聖歌隊を後任者に渡す事が出来るのは私としては大きな喜びです。日本のカトリックを代表する教会の聖歌隊ですから今後精神的には勿論の事技術的にももっともっと充実した聖歌隊に育ってくれれば、と願っております。

聞くところによれば米国ではfluが随分流行しているとか、そちらは如何ですか。貴兄も靖子さんも健康には充分留意なされ充実した毎日を御過ごし下さい。機会に恵まれれば又お目にかかりたいものです。

和市

  

  
2000-01-22 (土)  快晴    ヒュッテ    L = 00°C,   H = 00°C

朝、朝食のサラダ用のキャベツを洗おうと思って、温水の蛇口を捻ったが、お湯が出ない!
「おや・・・・?」と思って
慌てて、洗面所と風呂場に飛んで行き、給湯栓を捻ってみたが、ウンともスンとも言わない。
「・・・・アチャー、ヤバイ!・・・・凍っちゃったよ」
と言う訳で・・・・早速、外に出て、ボイラーを点検してみた。

さて・・・・
ボイラーの水落とし用の空気抜き栓を緩めてみると、水が噴き出した・・・これは、問題なし!
つづいて、給水用の空気抜き栓を緩めてみると、これまた、水が噴き出し特に問題はない。
・・・・それでは・・・・と給湯用の空気抜き栓を緩めてみたが、水が噴き出さない。
瞬間(あ、これだ!)と思った。
・・・・本当に、こんな寒冷地に棲んでいると、色々な事を憶えるものである。

午前 8 時半。
新津組ミサワホームに電話を入れ、状況を伝えると
「それでは、後刻、浅間住設さんの方から連絡を取らせますので・・・・」との事。
9 時ぎになると、浅間住設の与田さんから電話が入ったので、再度、現状を説明する。
彼が
「・・・・それでは、午後になってから点検に参りますから・・・・」
と言うので、宜しくお願いをした。
・・・・ところがである・・・・10 時近くになり温水栓を再度捻ってみると、こんどは見事にお湯が出たではないか!!

「アリャリャリャ、有り難いけど、こりゃどうなっちゃってんの・・・・?」
という訳で、今度は逆にこちらから与田さんに電話を入れて、状況を伝えた。

与田さんと話していて分かった事だが
「もしかすると・・・・ボイラーと給湯管の間の空気抜き栓が付いている部分が約 4cm がむき出しになっている為、温度が -15 度以下に下がるとその部分が凍結し、結果として、お湯が出なくなるのではないかとの事。

今度、ヤナショーに行って、保温テーピング材を買って来て、巻く事にしましょう!

夕方、ヤナショーに出かけて、高志店長から保温チューブの切れっ端を貰って帰宅。
懐中電灯の明かりを頼りに、ボイラーと給湯管の間の空気抜き栓が付いている部分を保温する。

  

2000-01-23(日)   晴     ヒュッテ

真夜中、眠い目をこすりこすり、Avis の小林さんに「助けて!!」のメールを出す。
Netscape mail のフォルダーが削除出来なくなったからである。

  
Mon, 24 Jan   00:18:11 +0900

小林さん、今晩は!

お宅の職場の Mac ご担当の方に Netscape Navigator の使い方につき、お伺い
して頂きたい事があるのですが、お願い出来ますか?

小生、Netscape Navigator 3.0J を使って、メールのやり取りをしていますが、
●「Netscape メール」ウィンドウの画面(自分のHPにアクセスした後、ウィ
ンドウ右下の角封筒のアイコンをクリックすると、このウィンドウにアクセス出
来ます)で、画面左側のメールフォルダの中の一つを削除するために、そのフォ
ルダをアクティブにしたあと、「編集メニュー」→「フォルダを削除を削除」を
選ぶと
「フォルダ内のメッセージを削除する前にフォルダを削除することはできませ
ん」という注意書きが画面に現れ、当該ファイルの削除を行うことが出来ません。

そこで、今度は、前もってフォルダの中にあったメッセージを全部ほかのフォル
ダに移動をして、そのフォルダを空っぽにしたあと、再度、上記の方法でそのフ
ォルダを削除しようとしても、又
「フォルダ内のメッセージを削除する前にフォルダを削除することはできません」
という、注意書きが出てきて、どうしてもメールフォルダを削除できません。
・・・・どのようにしたら、メールフォルダを削除出きるのかをお教え下さい。

お忙しいところ、大変恐縮ですが、そのご担当の方にお伺いして頂ければ幸いです。
宜しくお願い致します。

  

  
2000-01-24(月)   晴    ヒュッテ     L = -1°C,   H = 5°C

今朝、初めて見た野鳥がヒュッテにやって来ました。

早速、デジカメで撮って野鳥図鑑で調べてみたら

「ウソ」と言う名前の野鳥だと言う事が分かりました。

これウソではありません。ホントの話です。

 

ヒュッテ野鳥図鑑に初めて登録されたウソ

  
昨夜、Avis の小林さんに出した返事が、今夕戻ってきた。

  
Mon, 24 Jan       14:47:53 +0900

八岳さん こんにちは! 小林@avisです。
ご挨拶が遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。

"yatake@avis.ne.jp"さんは書きました:

> そこで、今度は、前もってフォルダの中にあったメッセージを全部ほかのフォル
> ダに移動をして、そのフォルダを空っぽにしたあと、再度、上記の方法でそのフ
> ォルダを削除しようとしても、又
> 「フォルダ内のメッセージを削除する前にフォルダを削除することはできませ
> ん」
> という、注意書きが出てきて、どうしてもメールフォルダを削除できません。
> ・・・・どのようにしたら、メールフォルダを削除出きるのかをお教え下さい。

返事が遅くなり、申し訳ありませんでした。
(自宅のPCがトラブッています・・)

私も個人用にはNetscapeのメールを使っていますが、フォルダーを
空にすれば問題なく削除できますが・・・。
もっとも、私の場合はMacではなくWindowsです。

新しいフォルダーを適当に作り、ごみ箱から数件移し再度削除してか
らフォルダーの削除を試してみて下さい。
それでもダメでしたら再度ご連絡下さい。

以上ですが、どうぞよろしくお願いします。

  

2000-01-25(火)   雪のち曇   ヒュッテ    L = -12°C,  H = -2°C

朝起きたら雪だった。

洗濯。

卓球。
帰宅後、お風呂を湧かそうとしたら、給湯設備が凍結していた。

すぐにボイラーを点検。

  ●一番下の水抜きバルブは問題なし。
  ●中段の給水水抜きバルブも問題なし。
  ●最上段の給湯水抜きバルブだけが凍結していた。

お蔭様で、卓球で汗を掻いて来たと言うのに、シャワーもお風呂も使えない。
「クソッ」と呟いたが、いくら息まいたところで、どうしようも無い。
・・・・
気温はマイナス 12 度だった。

  

真夜中過ぎ、寝る前にメール・ボックスを覗いたら、メールが何通か届いていた。
その中の一通に発信人 Miki と言うのがあったが、発信時間を見ると、昨夜の真夜中過ぎ
「アチャ、新婚の美樹がこんな時間にどうしたんだろ? 彼と喧嘩する訳はないし・・・?」
・・・・と思いつつ、メールの本文を開いてみると、これが全くの人違い!!

Tue, 25 Jan      00:02:47 +0900

こんにちは。私は22日に長湖でワカサギ釣りをしていた中野区沼袋のものです。
23日に家に戻ってきて、HPを見てびっくりしました。まさか本当に写真を載せて
頂けるとは・・・。なんだかこっぱずかしいような、うれしいような、くすぐったい
感じです。
今年は、松原湖で釣ることは出来ませんでしたが、良い出会いがあったので、そ
れで良し、です。本当にありがとうございました。中野ですれ違うこともあるかもし
れませんね。
それでは・・・・。

M. K. waya-m@jf6・・・・

「ア、そーか、あの時のお嬢さんかあ・・・・!!」
確か、土曜日 (1/22) に長湖にワカサギ釣りの取材に行った時、若い女性二人が仲良くテントの中で釣糸を垂れているのが可愛らしい絵になりそうなので、その二人の写真をデジカメで撮らせて頂き、その日の晩に、このホームページに転載させて頂いたのである。

今夜メールを貰った Miki ちゃま(左)とお友達

(そうだ、あの時のお嬢さんが、僕の家がある東京の中野区から来て、お家が沼袋にあるって言ってたっけ?)
・・・・という事を思い出した。

今は、給湯管が凍結したので、その復旧に追われて、とても忙しいけれど、それが終ったら Miki ちゃまにメールを出す事に致しましょう!!
  

  

2000-01-26(水)    快晴     ヒュッテ    L = -15°C,   H = -2°C

浅間住設に電話。
与田さんに状況を説明。
09:45 与田さん来訪。
凍結防止帯をテスターにて点検。問題ない模様。
防止帯のサーモスタットを外に露出させる。

暫くすると、給湯水抜きバルブが太陽光線で暖められ、氷が溶けて来たので、左回りにまわしてバルブを外せるようになった。
・・・・それでも、お湯は出てこない。

次に、ボイラーの蓋を外して、螺旋状になった温水加熱パイプをドライヤーで暖める。
10 分程したら、ボイラーが給湯動作をし始めました。

与田さんの説明によると、温度が -12 度以下になると、ヒーターの近くは暖められるが、二つのひーたーの間まで、熱が廻りきれぬため、その部分が凍結するのではないか?
との事。
・・・・二人で、日化サービスに電話を入れる。

与田さんが帰ったあと、早速、湯船に水を張り、お風呂を湧かし入る。
なにしろ、夕べは卓球から帰って来てからシャワーも浴びてないのだ!
とにかく、気持ち良かった。

銀行に行き、現金を下ろして、佐久総合病院の皮膚科に出かける。

帰途、久方振りに白樺に寄って来た。

  

2000-01-27(木)   快晴    ヒュッテ    L = -14°C,   H = 1°C

昨夜から今朝に掛けては、ほぼ 3 時間おきに、お湯を使ったので給湯管が凍ることはなかったが、今朝 07:20 にお湯を出すと、最初はザーッと水が出たが、すぐに水の出が細くなり、2秒ほどすると、又もとの通りに水の出がよくなった。
・・・・と言う事は、少し、パイプが凍り始めていたのかも知れない。

午後、日化サービスの飯田さんがボイラーの修理に来て呉れた。
飯田さんは、去年の夏も、ボイラーの修理に来て下さった方である。

早速、飯田さんに、この三日間の状況を説明すると、
「分かりました・・・・では・・・・」
と言いながら、昨日の、与田さん同様、ボイラーの全面パネルを開け、
「ここは温ったかい・・・・ここも、いいと・・・・」
と言いながらアチコチ触っていたが、昨日、凍結していた給湯水抜きバルブの近くのヒーターに触ったとき
「あれ、ここのヒーターが温ったかくないぞ・・・・じゃあ、このサーモスタットかな?」
と言いながら、その部分のサーモスタットのソケットから + - のリード線を外し、テスターを当てると、すぐに言った。
「あれ、サーモスタットは生きているよ・・・・じゃあ、線かな?」
と言いながら、リード線にテスターを当てると
「おや、リード線も大丈夫だ・・・・と言うことは、ヒーターが切れているのかな?」
と言い、別の個所にテスターを当てると、スットンキョウな声を上げた。
「あれー、ヒーターも大丈夫だよ・・・・どうしたんだろう?」
と言いながら、パチンパチンとサーモスタットに先程はずしたリード線をはめて、元に戻した後、暫く内部を点検していたが、そのうち、先刻のヒーターに触った飯田さんは、またまた、オドロキの声を上げた。
「あれえ?・・・・さっきはあんなに冷めたかったヒーターが熱くなっているよ!」
そこで
「どれどれ、触らしてみて下さい・・・・」
と僕が言って、触ってみると、ナルホドとても熱いではないか?
そこで、
「ねえ、飯田さん、先程、パチンパチンてリード線をはめた時、今迄、接触が不安定だったここン所が、キチンと接触するようになったんじゃないんですか?」
と言うと、飯田さんは
「それしか考えられませんよねえ・・・・」
と言って暫く考えていたが
「実は、この部品を今日は持って来てないんですよ・・・・って言いますのは、八岳さんとこのこのモデルは型が古いものですから、最近では、部品の数がとても少なくなっていて、いつも持っている訳では無いんです・・・・以前は、いつも、持って歩いていたんですけど・・・・どうしようかな?」
「・・・・何が心配なんですか?」と僕。
「ええ、出来れば早く新しい部品と取り換えた方がいいと思うんです・・・・ええと、八岳さんはいつ東京に行かれるんでしたっけ?」
「え、僕? ええと、あさってです」
「それでは、こうしましょうか? 今現在このサーモスタットは正常に動いていますから、兎に角、社に帰ったら、工場の方に部品があるかどうか調べてみます。・・・・それで、部品があったら、すぐに取り換えに来ることに致します。八岳さんは、いつ、こちらに戻られますか?」
「来週の水曜です」
「分かりました。それまでには、部品があれば何んとかなると思います」

・・・・と言う事で、飯田さんは帰って行かれました。

いつも、色々と心配して下さる彼!
どうも有り難う!!!!


夜。
「松原湖高原穴釣情報」に29 日に解禁になる猪名湖のデータをアップロードする。

兎に角、僕って、いつも、どうしてこんなに忙しいんだろ?

  

2000-01-28(金)    快晴     ヒュッテ    L = -14°C,   H = 2°C

昨夜から今朝にかけて、2 回ほど、洗面所の給湯栓をボイラーが点火しないように、うんと細めに水を出して、凍結しているかどうか調べてみた。

今朝まで、異常無し!

嬉しかった。

飯田さんが触ってくれたサーモスタットが正常に機能しているのである。

  

2000-01-29(土)   快晴     ヒュッテ    L = -15°C,   H = 4°C

ヒュッテの冬は水とお湯と暖房との戦いの連続である。

・・・・それにしても、今年の冬は、何んだって、こうも水回りの故障が続いて起こるのだろう?

今日の話はこうである。
・・・・実は、今日の午後、僕は中野に帰る予定になっていた。
だから、僕は、今日は朝からとても嬉しかったのである。

大好きな家内にも会えるし、息子のKRにも会える。
・・・・明日の日曜は教会で、これも大好きなマリと会う事にもなっている。

正直な話、これが嬉しくないなんて言ったら、バチが当たる!!

だから、僕は朝 7 時すこし前に起きると、すぐに帰る準備をはじめた。

パジャマの上にナイトガウンを羽織り、階下に降りると、薪ストーブに火を入れる。
(・・・・なにせ、部屋の温度ときたら、もう、1 時間以上も石油ストーブを焚いているって言うのに、まだやっと 7 度である!)

ちなみに、7 時の NHK のテレビニュースでは
「けさは、東京は、この冬一番の寒さとなり、始めて氷点下になりました・・・・」
なんて言っているけど、このヒュッテでは 7 時の外気温はマイナス 12 度である。

次に、昨夜まで着ていた洗濯機一杯の下着ひと揃え(パンツ、すててこ、股引き、アンゴラの股引き、ランニングシャツ、半袖シャツ、長袖シャツ、アンゴラの長袖シャツ、指あり靴下、毛織り膝下脚半、毛織り靴下!!)を洗うと、すぐに室内用の物干しに掛け、庭の野鳥の餌台 3 台にヒマワリの種を置いてやる。

それが済むと、一年中変わらない朝食メニューの準備に入り、
大皿一杯のサラダ(キャベツ、キューリ、ピーマン、トマトのサラダにレモン・オリーブオイル・塩胡椒を掛けたもの)、半熟卵、ヨーグルト、高原のパン屋さんのバゲットのスライス 3 枚、紅茶(マグカップ 3 杯)を用意し、

大好きな音楽を聴き、雪の庭や小鳥達を眺めながら、ユックリと戴く。

それが済むと、食器を洗って拭くと、
今度は流しのトラップの中のヌルミまでキレイに洗って流し、
トイレの便器を細かい隅までピカピカにキレイにし、
ポットに一杯熱湯を沸かし、薬缶に一杯の水を取ったあと、洗濯機の洗濯槽に水を一杯張り(この一連のお湯と水の汲み置きは、水落としをした後、飲料水とトイレのフラッシュの為に使用するためのものである)

・・・・その後で、やっと、台所の給水栓とボイラーの給水栓を閉じるのである。

ところがである・・・・!

台所の給水栓を締めたあと屋外に出て、地中にあるボイラーの不凍栓を閉じようとしたら、90 度右に回して閉じるパルブが 45 度しか廻らないのである!
「・・・・あれ?・・・・おかしい!・・・・どうしたんだろ?」
・・・・僕は、何回も、このバルブを右に回したり、左に回したりしてみた・・・・

だが、結果は同じ。
このバルブは頑として 45 度しか廻らないのである。
(?&@#$x??&・・・・?????)
こんな事は、ヒュッテを建てて以来、10 年間、一度もなかった事である。
「ヤバイ・・・・!!」
・・・・僕は慌てた・・・・・・!!

それからが、大変なことになったのである!

まず、バルブが 45 度しか廻らず、水を止める事が出来なければ、水落としをする事が出来ないことになる。・・・・という事は、家を 5 日間も留守にする事が出来ないことになるのである。

僕はすぐにヒュッテを建てて呉れたミサワホームに電話を入れた。
すると
「お宅の水道関係の仕事をした浅間建設さんから連絡を撮らせます」
との事。
・・・・待つこと約 10 分。

建築現場にいる与田さんからの携帯電話で 30 分近く話をし、彼の言う通りに走り廻ってヒュッテのアチコチを調べたた結果、おおよそ次の事が分かったのである。
  ●バルブが45度しか廻らないのは、ボールに何か異物が引っ掛かったか、
   ボールに傷が付いたかの何れかである。
  ●このままの状態では、このバルブによる水落としは不可能である。
  ●さらに大もとの止水栓も、土が一杯に入っている為、いう事を利かない。
  ●・・・・この状態で、五日ほど留守にするためには
     1. 凍結防止帯の電気を入れっぱなしにする。
     2. ボイラーの電源も入れっぱなしにする。
     3. クリーンヒーターの電源は用心の為、切って置く。
     4. 屋内の水道栓が凍結しないように、タオルを巻いておく。
と言う事であったが、わがヒュッテは、冬季 2 日も留守にすれば、室内温度はマイナス 5 度くらい迄下がるので、とても心配である。

結局、家内に連絡を入れ、今回の帰京は
  ●今日からの 4 泊 5 日の帰京を、明日からの 1 泊 2 日の帰京に切り替える。
  ●その 2 日間のあいだに、母親のホームに見舞いに行くこと。
  ●2 日間の留守中は、全ての凍結防止用の電源を入れっ放しにする。
  ●クリーンヒーターの灯油カートリッジを一杯にし、暖房持続時間を最長にする為、
   温度設定を最低の10°Cにする。
  ●念の為、屋内の水道栓にはタオルを巻いて置く。
・・・・と、いう事にした。

でも、一体全体、どうして不凍栓が 45 度しか廻らないんだろう?
・・・・面倒臭い事になったが、その事だけには、非常に興味がある。

それとあと一つ、月曜日に東京から帰って来たら、なるべく早く、この不凍栓を修理して貰おう。・・・・さもないと、これから春が来るまで東京に帰る事が出来なくなってしまうから・・・・

  

    
2000-01-30(日)   快晴     ヒュッテ → 中野

午前中、帰京の準備をする。
水落としが出来ないまま、二日間家を空けるという片肺飛行的な帰京である。

途中、家の中の片付けにも飽きたので、ポンコツ車のガラス窓に Ptylitza のシールを貼ってみた。


ガラスが反射するので、下から上向きに撮っています

このシールは、この間、役場に顔を出した時、拓ちゃんが僕に
「八岳さん、これ、新井公男さんが作った Ptylitza のシールですよ・・・・」
と言って、2 枚譲って呉れたものである。
貼ってみると、結構、可愛らしいイメージである事に気が付いた。

午後 2 時、ヒュッテ発。

午後 6 時、中野着。
え家に着いてすぐに、買い物に出掛けようとしていた家内に
「ねえ、ねえ、僕のポンコツ車のガラス窓、見てみてよ・・・・!」
と言ったら、
「どれどれ、何があるの?」
と言いながら外に出て行ったと思ったら、すぐに家の中に戻って来て
「あ、あれ、可愛い・・・・! 私も欲しいわ!」
ですって・・・・
「え、ホントかね? でも、あんなもの、どうするの?」
ってきいたら
「みんな、ガラスに貼っちゃうの・・・・!!」
・・・・だって。
(ホントかねえ・・・・?)

  

2000-01-31(月)   快晴     中野 → ヒュッテ   L = -10°C,   H = 4°C

午前 10 時。
川越経由で、松原湖に向かう。

途中、川越で母親と 2 時間ほど話をしたあと、松原湖に帰ってきた。

佐久 IC で高速を降りたあと、国道 141 号線を走っている間は乾いていた道路も、松原湖高原を上り始めたあたりから路上にウッスラと雪が見え始め、ヒュッテに着いた時には、積雪が 10cm 程になっていたのには聊か驚いた。

家の中にはいってみると、石油のクリーンヒーターからはまだ温風が出ていた。
(・・・・有り難い!)
そう思いつつ、クリーンヒーターのカートリッジを見ると、石油の残りは、もう殆ど無かった。
早速、各所の最高最低温度計を見ると、その表示は下記の通りであった。

   ダイニング   L = 10°C,   H = 15°C
   洗面所     L = 10°C,   H = 14°C
   トイレ      L = 6°C,   H = 13°C
   2階寝室    L = 0°C,   H = 11°C
   屋外      L =-10°C,   H = 6°C

このデータは大いに参考になる。

・・・・でも、現在の状態は異常な状態である。
早くボイラーの不凍栓を修理をして貰わないと、2 月中旬の帰京に差し支える。
・・・・このままだと、全くお手上げ状態になってしまうから・・・・

   

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