1999-10-02(火) 快晴 自宅
午後 7 時。
ヤルヴィ・ホールでヴァイオリンの和波孝禧の演奏会があった。
和波孝禧は以前から、聴いてみたいと思っていたヴァイオリニストだったので非常に嬉しかった。曲目は ベートーヴェン スプリング・ソナタ
プロコフィエフ ヴァイオリン・ソナタ NO. 2
イザイ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ NO. 6
クライスラー 才たけき貴婦人
美しきロスマリン
前奏曲とアレグロ
マスネー タイスの瞑想曲
サンサーンス 序奏とロンド・カプリチオーソアンコール ドヴォルジャック ユーモレスク
ヴァイオリンとヴァンジョー
他 1 曲僕は室内楽を聴くときは、成るべく前の方の席で聴くのが好きである。
今日もまた一番前の席で聞くことができた。一曲目のスプリング・ソナタは楽章の間で拍手をする人がいたり、第一楽章が終わったところで人が入って来たりしたため、和波孝禧も少し落ち着かなかったような感じがした。
今日の圧巻は何んと言っても、プロコフィエフ。
繊細で力強い演奏が素晴らしかった。
イザイも素敵だったが、途中にダウンボーのスピッカートがあったのには、チョット吃驚した。・・・・とても難しいテクニックだけど・・・・よく、あんなものが出来るのものだと感心してしまった。
しかも、彼の場合には、全盲というハンディがあるだけに、全く頭の下がる思いがする。それから、アンコールのユーモレスクの優しかったこと!!
彼は、とても優しい人に違いない。演奏会が終わってホールに出たら、小池公夫さんがいたので
「ねえ、来年も和波さんに来て貰ってよ」
「絶対、頼んでよ!!」
・・・・と何回もお願いをした。暫くすると、和波さん夫妻がホールに出てこられたので、今夜の担当者数人と少しの間、夫妻と話しをしたが、その時、公夫さんをツツイテ、
「ホラ、早く!! 頼んでよ・・・・!!」
と言うと、公夫さんが
「来年も、是非いらして頂けると嬉しいんですが・・・・」
とお願いをして下さり、首尾よく和波さんに了承をして頂いた。素敵ッ!!
1999-10-04(月) 晴 ヒュッテ L = 3
昨夜、余りの寒さに今秋初めてストーブに火を入れたが、今朝の最低気温は 3 度だった。
寒い筈である。午後、美術館の中嶋実さんに手伝って貰ってプティリッツァ号の進水式を挙行した。
二人で、ヨットをキャリフール・センターから松原湖まで運び、ボート小屋の三次さんの OK を貰って、プティリッツァ号を水に浮かべ、送信機を使って舵と帆を操った。
・・・・もともと、僕は、東京商船大学時代はヨット部だったから、こんなラジコン・ヨットなんか屁のカッパである。
丁度、いい風が吹いていたので、走らせてみたら・・・・いやはや、その走ること、走ること!!!
兎に角、面白いくらいに自由自在に湖の上を走り回るのである。「ヨーシ、選手交代ッ!!」
と言って、実さんに送信機を渡すと、彼も艇を巧みに操って
「ウワーッ、これ、物凄くよく走りますねエッ!! ・・・・・イヤー、これ物凄く面白いですよ、八岳さん!!」
と、夢中になってプティリッツァ号を走らせている。彼の操船技術も可成りのものである。
それもその筈、彼もヨット部出身である。僕は夢中になってヨットを走らせている彼に声を掛けた。
「ヨーシ、そこでタックして風上に切り上げてよ・・・・写真を撮るから!!」
「こうですかあ?」
「うーん、アングルが悪いなあ・・・・よし、じゃあ、そこでジャイブして、一回りしてみてよ・・・・・」
「これでいいですか?」
「うん、OK, OK・・・・そのまま、真っ直ぐにステディー!!」
「合図して下さいよ、コース変える時わあ!!」
「うん、わーった、わーった。合図したら、僕の方にクロスで走って来てよ・・・・」
「はい」
「よーし、そのままステディー」
「・・・・」
「タック!!」
「はい、タック」
「そのまま、僕の方にクロスで切り上げて来てよ。写真撮るからあ・・・・よし、ハイッ」
と言って撮ったのが、この写真である。どうです・・・・美しいでしょう!!
1999-10-06(水) ヒュッテ
兎に角、忙しい!!
Ptylitza の商標登録が済み、ホッとしたのもつかの間。
気が付くと、いつの間にか季節は秋たけなわ・・・・
早く! 薪の整理を全部終わらないと、冬が来る、冬が来る。
・・・・しかも、先月の眼底出血以来、薪割りなどの激しい運動はなるべく控えないといけない・・・・とか!
庭の草刈りもホッタラカシ。・・・購入した混合油だって、まだ草刈機の中に入ったままである。
この油も早く使いきってしまわないと、分離して、草刈機が動かなくなってしまう。
その他にも、ベランダのペンキ剥(は)がしもしなくちゃいけないし、三石さんに作ってもらった物置に防腐剤のキシラデコールも塗りたい。
このインターネット・サイトだって、トヴァルジャンカ・コーナーをプティリッツァ・コーナーに変更しなきゃいけないし、そのプティリッツァ・コーナーにイラストだって入れたい。
・・・・おまけに、この間から、「色即是空」の原稿を書き始めちゃったから、またまた大変!!
しかも、この色即是空の原稿だって、できれば、今年中に仕上げたい・・・・と思っているのだから始末に終えない!
・・・・あ、そうだ・・・・それから、もう一つ!
9 日の中嶋さんとひろみちゃまの結婚披露宴の仲人の挨拶も、第一稿ができたばかりで
・・・・これだって、あと、2 回ほど書き直さなくちゃいけないだろうまあ、よくも、こう次から、次へと、やりたい事ばかりが起きてくるのかと、不思議に思わずにいられないが、それでいて・・・・こういった事のどれ一つをとってみても、面白くてしょうがない事ばかり・・・・
僕は何んて幸せなんでしょッ・・・・・・・!!
お色直しでワインレッドのドレスに身を包んだひろみちゃま・・・・キレイッ!!
今日は、高原美術館学芸員の中嶋さんとひろみちゃまの結婚式の日。
・・・・そして、今日この日、僕と家内の二人が揃ってここにいるのは、我々夫婦が仲人さんをすることになっているからである。ところで・・・・昨夜は、ひろみちゃまのご両親のご厚意により、家内共々われわれ二人はリゾナーレ泊。
・・・・秋の夜長を、ご両親・ひろみちゃま・家内と僕・・・・の 5 人で、午後 10 時過ぎ迄雑談をする。・・・・話題は、二人の結婚に至る迄の経緯(いきさつ)から始まり、お互いの家族のこと、ワン公のこと、趣味のこと、家庭料理のこと等々・・・・最後には、家の中では旦那さんと奥さんのいづれが主導権を持ったほうが円満な家庭が築けるか?・・・・などの話題も飛びだす始末で、とにかく笑いの連続。
・・・・気が付いた時には、いつの間にか時間は 10 時をまわっていました。今朝の起床は、7 時半。
身支度を整え、朝食を済ませ、リゾナーレの中を散歩したあと、部屋に戻って時計を見ると時間は 9 時半。
「よし、まだ時間は十分にある!」
・・・・僕は家内と少し話しをしたあと、披露宴のスピーチの原稿に目を通す。・・・・一ケ所、何故か気になる所があったからである。
・・・・僕は話し下手である。
まして、スピーチなどになると、上がってしまったりすることがあるので、兎に角、原稿は時間を掛けて書くことにしている。
そして・・・・原稿が出来上がると、大きな声を出して何回も読んでみる。
そうすると、何ケ所か、毎回つっかえる個所があるのに気が付く。
・・・・こう言った所は、だいたい普段、自分が使っていない言葉を使っている個所である。
さもなければ、使うのが恥ずかしいような、バカ丁寧な敬語を使っている個所である。
こういった個所を見付けると
「バカ! 自分の言葉で話せ・・・・自分のオ!!」
とか何んとか言って、どんどんと直してしまう。だから、最初は、キチンとした敬語を使っていた原稿も最後の方になると、随分と、怪しげな原稿になってしまう。
・・・・でも、僕はそれでもいいと思っている。
というのは・・・・
「どれだけ非の打ち所がないスピーチをするか?」
という事よりも
「新婚のカプルと出席者が、素敵な友達になる為には、どんな話しをすればいいの?」
という事の方がずっと大切だと僕は思っているからである。11 時。
家内がヘア・セットと着付けに出掛けたあと、もう一度、誰もいない部屋の中で、大声で原稿を読み、一ケ所、原稿になかったアドリブを入れるメモを書いて、もう後は、原稿を見ないことにする。12 時。
両家の控室オープンの後、着付けから帰って来た家内と両家の控室に挨拶に行く。
・・・・可笑しかったのは、新郎側の控室に入ると、中ではホテル側が用意した桜茶が祝われていたが、それとは別に、もう缶ビールが開けられていて、半分お祭り騒ぎの雰囲気である。
「へえ、こりゃあイイヤ・・・!」
7 年前にアルコールで体を壊していた僕は、薦められたビールを丁重に断ったが、体さえ何んともなければ、その時、ビールを戴いてしまったかも知れない。
・・・・もっとも、そうなると、後のスピーチはどうなったか分からないけど・・・・・12時半。
新郎新婦、両家ご両親、媒酌人夫妻の 8 人だけで挙式リハーサル。
場所はリゾナーレのガーデンチャペル・・・・天気はビカビカの上天気。
端正な顔立ちの 40 才前後の牧師さんは、素晴らしいバリトンの声の持ち主。
牧師さんの後ろには、大型の金色の縁取りのある分厚い聖書。
左手奥の芝生の上にオルガン、我々参列者の左右前方に各 1 基のスピーカー。
・・・・こういったもの全てが、キレイに刈り込まれた芝生の上に並び、その芝生の一番奥の石の壁の上からは、常時、幅の広い水が流れ落ちている。
「なるほど・・・・絵になるねえ!」
・・・・僕は、今日の天気を心から神様に感謝した。
・・・・でも、もしかすると神様は、ときどき僕が可愛らしいコーラスの女性の豊かな胸に気を取られていたのを知っていて、
「この野郎!」
と、顔をしかめられていたかも知れない・・・・13 時。
参列者が新郎側と新婦側に分かれて着席し終わると、挙式開始。
まず、参列者全員が起立すると、オルガンの奏楽が始まって、新婦が父親に付き添われてヴァージン・ロードを通って入場。
・・・・燦々と陽光が輝く青空のもと、真っ白いウエディング・ドレスに身を包んだひろみちゃまの美しかったこと!!!!
(きれいだ・・・・!)
僕は思わず心の中で唸ってしまった。
・・・・一方、説教壇近くに立っていた新郎が、ここで、ヴァージン・ロードに上がって新婦を出迎え、父親の幸宏さんから新婦を受取るのであるが・・・・この時、腕をほどいた幸宏さんが、少し緊張気味(?)のひろみちゃまの背中をチョット左手で押して、彼女を新郎の方に進ませたのが、とても微笑ましかった。新郎新婦が牧師の前に並んで立つと、参列者全員は起立したまま、余りにも有名な讃美歌 312 番
「いつくしみ深き 友なるイエスは・・・・・」
を合唱。
・・・・続いて、一同が着席すると牧師先生より
「それでは、ここで聖書を朗読致します。・・・・朗読致しますコリント人への第一の手紙 13 章の一部が、お手許の式次第の裏面にございますので、ご覧願います。・・・・ただ、お手許の聖書の言葉は文語体でございますが、ここでは、共同訳の聖書を朗読することに致します」
というコメントがあり、これもクリスチャンなら何回か耳にしたことのある有名な First Corinthian(コリント人への第一の手紙)の第 13 章の冒頭を牧師先生が朗読。続く説教では、パウロがコリントのクリスチャン宛てにこの手紙を書いた歴史的な背景と、この部分がなぜ今ここで読まれ、これから新しいカプルがどのように生きて行く事が、神様から望まれているか・・・・が分かりやすく話され、誓約式に移行。
誓約式では、式辞・勧めのあと
一同が起立の中、まず新郎が牧師先生の言葉
「中嶋実。・・・・貴方は野村ひろみを妻として迎え、その健やかな時も病める時も、変わることなくこれを愛し・・・・」
に従って、まず新郎が神様と参列者全員の前で、「ハイ、誓います!」と変わらぬ愛を誓い、その後で、今度はひろみちゃまが彼に対する「変わらぬ愛」を誓いました。
(でも、正直な話し・・・・「変わらぬ愛」というのは、守るのがホントに大変なんです・・・・ええ、だって、そりゃあもう、僕なんか、家内と言い合いになると、すぐに「オタンコナスメエ・・・・!!」なんて思っちゃうものですから・・・・!)ところで・・・・
続く指輪の交換では、彼の指に指輪をはめようとしたひろみちゃまが、思わずクスリと笑ったのにはチョットびっくり・・・・!!!!
「エ、どうしたの?」
・・・・と思って、牧師先生をみると、先生はただニコニコとしてらしたので、何事もなかったのでしょうけど・・・・いったい何があったのでしょうかねえ・・・・・??
(・・・・余談になるけど、夕方、リゾナーレから小海に帰ってくる途中、車の中で家内が僕に訊きました。
「ねーえ、今日、指輪交換の時にひろみさんが笑ったわよねえ・・・・知ってる?」
「うん、知ってる、知ってる」
「あれ、どうして笑ったのかしら・・・・?」
「・・・・うん、よく分かんないけど、大方、出す指を間違えたか、なんか、したんじゃないの・・・・」
「でも、そうすると変よね・・・・」
「何が?」
「だって、左の指って、一本だけ出すんじゃないでしょ?」
「うん、まあ、そりゃあ、そうだ・・・・」
「普通だったら、左手全部を出すでしょ・・・・!! ・・・・そうしたら、ひろみさんの事ですもの、ちゃんと、薬指にはめて上げるわよ・・・」
「あ、そうか!」
「・・・・でしょう。だから分かんないの・・・・」
・・・・・・・・)
てな会話が、帰りの車の中で交わされましたが、一体ぜんたい何があったんでしょうかねえ?・・・・チョット気になります。
(註、この日から 10 日後。
・・・・たまたま、用事があって美術館に行った時、学芸員の新郎と出会ったので
「ねえ、結婚式の日さあ、指輪交換の時、どうして、ひろみちゃまが笑ったの?」
と、訊いたら、新郎の曰く
「え、アレですか? ・・・・あれはですねえ、私が手を間違えて、右手を出しちゃったんですよ・・・・」
「エーッ! 左手じゃなくて、右手を出しちゃったのオ・・・・?」
「ええ、そうなんです・・・・咄嗟に、分からなくなっちゃったもんですから・・・・」
「ホントかよ・・・・おい、おい・・・・」
「そうなんですよ。・・・・そしたら、彼女が笑いながら・・・・ソウジャナイ!、ソウジャナイ!・・・・て、右手を左右に小さく振って合図をして呉れたので、”ああ、そうか!”って、慌てて手を入れ換えたんです・・・・」
という前代未聞の話しでした・・・・・!!!!!! ガッハッハッハ!!!)
その後で、ひろみちゃまのヴェールを静かに上げた彼の
「チュッ!」
があって、
(誰だ、うらやましようにポカンと口を空けてる奴は・・・・?!)
誓約書に署名するひろみちゃま・・・・牧師先生から祝福のお祈りを頂戴し、二人が誓約書に署名したところで、牧師先生より
「ここに、中嶋実と中嶋ひろみが夫婦となった事を宣言します。神が結び付けたものを、人がこれを割いてはいけません!」
と宣言があり、誓約式は滞りなく終了。あとは讃美歌 430 番
「妹背をちぎる 家のうち
わが主もともに いたまいて・・・・」
を全員で讃美し、祝祷を牧師から戴き、フラワー・シャワーを浴びて新郎・新婦が華やかに退場。という事で、挙式は全て終わったのですが、会場から出てくるとき、誰かが別の誰かさんに
「最後の歌の、妹背(いもせ)って何んのこと・・・・?」
と訊いているのを耳にして
「オットット、妹背って夫婦の事じゃなかったっけ?」
・・・・とインチキ・クリスチャンは我が事のように冷汗三斗。
家に帰って来るなり、辞書をひいてみて
「親しい関係にある男女。 夫婦。」
と辞書にあるのを見て、ホッとひと息ついた次第でありんす。
フウッ・・・・・!!
披露宴は午後 2 時からレストラン「La Vita」にて・・・・
新郎新婦・仲人さんの席は一番奥まった隅のところにあり、幸いなことに皆さんと同じ高さの床の上。
・・・・これは本当に有り難かったです。
開宴早々、先ずは司会者の紹介で媒酌人の挨拶。
室内の日除けはあるものの、今日の上天気で、室内の温度は暑く感じるほど。
・・・・その所為もあっただろうか、多少、上がり気味に感じつつも、例のアドリブ
「・・・・ところで、話しは余談になりますが、私は新郎に比べますと丁度 30 才年上えになります。 先程、司会の方から、”人生の大先輩”と私のことを紹介されましたが、私自身は、自分のことを二人の先輩などではなく友達だと考えています。・・・・幸い、私達の家はお互い近くにあり・・・・私自身も餓鬼ッポイ所がありますので、これからは新郎・新婦そして私ども二人、いつまでも少年らしさ・少女らしさを失うことなく、友達として元気に生きて行ければ(これ、本当に本音だよ!)・・・・と願っています」
を挿入して・・・・どうにかこうにか、仲人の挨拶を終了。続いて、新郎の恩師・拓殖大学の宮内教授、・・・・ひろみちゃまの往年のあだ名「パチクリ・アイズ」を紹介した以前の上司の光崎部長・・・・の両主賓の挨拶にひき続いて、ガッチリした体格の新郎の恩師・近畿大学の工藤教授のスピーチと乾杯が終わると、会場は一気に大宴会に変身。
可笑しな話しあり、歌あり、新郎が酔っ払った時の物真似あり、美声、爆笑、目隠しクイズ・・・・もう、何んでも来いの大宴会である。中でも、可笑しかったのが、新郎の餓鬼友が「新郎が酔っ払った時の物真似」を見た時の新郎の二言。
「チェッ、あんなの面白くねえや!!」
「ヨーシ、今度はお前ン時に、俺がやってやる・・・・」
と、
もう一つは・・・・目隠しクイズで一番若い女性の手を、ひろみちゃまの手だと勘違いしたときの彼の顔。
・・・・もう、僕はテーブルを叩いて大笑いをしてしまいました。
披露宴のお開き前に、謝辞を述べる新郎。
午後 5 時。
披露宴のお開きと同時に、新郎新婦、両家のご両親と我々の 8 人が、お見送りのレッド・カーペットの上に立った時の事である。
・・・・お色直しの時に着替えたワインレッドのドレスがとてもよく似合っているひろみちゃまに・・・・「物凄くキレイ!」と僕が言ったら、傍にいたレゾナーレの女性従業員が
「本当に、美しいですよねえ・・・・!!」
と感に堪えたように沁み沁み(しみじみ)と言ったのが、とても印象的だった。
・・・・中嶋さん、ひろみちゃま、いつまでも幸せにね!!
午後 6 時。
参列者の皆さんが帰られたあと、普段着への着替えに手間取っていた家内と、愛車「フォルクスワーゲン・カブリオレ」に乗って、八ケ岳山麓をドライブして、ヒュッテに帰って来た。
道々、僕達の話しは、今日一日の話題で、持ちきりであった。・・・・ヒュッテに着くと、僕より先に車の外に出た家内が空を見上げて言った。
「アラ、お星様が、あんなにキレイ・・・・!!」
「どらどら・・・・・・・うん、あれか・・・・・・・あれはね〜」空には、わし座と白鳥座の星が美しく輝いていた。
1999-10-11(月) 晴 ヒュッテ
東京都出身の 16 才の高校生 庄司さんがパガニーニ国際音楽コンクールで優勝したというニュース。
僕は手を叩き、小躍りして喜んだ。
・・・・グリーンの可愛らしいドレスを着た庄司さんがパガニーニの Vn 協の第三楽章をのびのびと奏いている姿を見ていたら、本当に涙が出てきてしまった。
しかも・・・・テレビで彼女がパガニーニを奏いているのを見ていたら、あの難曲が、とても易しそうに見え、しかも、とても優雅な曲に聞こえたから不思議である。
テレビの解説によると、庄司さんは過去 46 回のコンクールで、最年少の優勝者だったとか・・・・
エライッ!・・・・の一言につきる。
1999-10-17(日) 曇ときどき晴 ヒュッテ L = 2, H = 14
長野県出身の社民党議員の死去に伴う、参議院の長野県補欠選挙で、民主党の羽田雄一郎が二位の自民党候補に 11 万票の大差をつけて当選した。
・・・・バンザイ!! 長野県も捨てたもんじゃない・・・・と思う。
「自民党の上層部は、”あれは父親の羽田さんの知名度のお陰だ!!」
などと言っているが、自民党の支持者のやく 30% が羽田さんに投票しているし、無党派層の約 70% が羽田さんに投票している、との事。
・・・・だとすれば、矢張り民主党の勝利と言わざるを得ない・・・・と思うが・・・・・自自公の連立が、あんなに目茶苦茶な事ばかりやっていたら、誰だって頭に来るよねえ・・・・!!
1999-10-18(月) 快晴 ヒュッテ L = 2, H = 14
今朝の NHK のニュースによると・・・・
あのヨーヨー・マがニューヨークでタクシーの中に、大事なチェロを置き忘れたとか・・・・
彼が、慌てて、ニューヨーク警察に連絡すると・・・・ニューヨーク警察も「こりゃ、大変」と、何人もの警察官を投入して探したところ、ヨーヨー・マが乗ったタクシーのトランクの中から大事なチェロが無傷で見つかった、とか
・・・・メデタシ、メデタシ・・・・!!
ちなみに、彼のチェロは 1732 年作のストラディバリ、値段は 2 億 8000 万円だそうな!!夕方、三岡の「ホビーショップとみおか」からの帰り道、無線電話の鉄塔の近くで、突然、自動車が、いくらエンジンをふかしても、エンジンの回転が車輪に伝わらず、二進も三進も(にっちもさっちも)行かなくなってしまった為、自動車をそこに乗り捨てて、歩いて家に帰って来てしまった。
そう言えば、昨夜から、エンジンをふかすと、ヤケに焦げ臭い匂いがしていたけど・・・・
まさか、トランスミッションがイカれた訳じゃないとは、思うけど・・・・厄介なことになったものである。
幸い、今日、三岡からの帰り道、中込自動車でエアクリーナーを買って来たので、明日、早速、取り換えてみよう。
・・・・それでも、動かなかったら・・・・??その時は、その時だ!!
でも、あそこに来てからの故障で、ヨカッタと思う!!
1999-10-19(火) 曇のち雨 ヒュッテ
「自動車は大丈夫だろうか?」
・・・・朝御飯を食べながらも、気にかかっていた。朝食が終わると、免許証と道具箱とエアクリーナーを持って、昨夜、車を乗り捨てた所まで出掛けてみた。
近くまで行ってから、車を外から眺めると、別段、変わったことはない。
(・・・・バカ、そんな事は当たり前だ・・・・!)「問題は、中味だよね・・・・」
などと、ボヤきながら、運転席に座って、キーを捻り、アクセルを踏んでみると
・・・・ババババババ、キーン、キーン・・・・と、これも、全く問題が無い。
「では、問題のクラッチさん・・・・」
と、呟きながら、クラッチを切り換えてみると、
「アチャー!!」
これが全く言うことを聞かない・・・・・・・「ヨシ、それならば・・・・」
と、ばかりに・・・・どのギアーに切り換えてみても、エンジンの音ばかり大きくて、車はまったく言うことを聴かないのである。
・・・・それでいて、ベークライトが焼けるようなイヤな匂いがする。念のためにと、エンジンを切って、昨日、買ってきたエアクリーナーを交換して、再度、挑戦してはみたが結果は全く同じである。
「・・・・こりゃあ、イヨイヨかな?」
と思い、500m ほど歩いた所にある美術館で電話を借り、いつも色々と面倒を見て呉れる修理屋さんに電話を入れ、車の状態を説明すると、
「それは・・・・クラッチの摩擦板がすり減って来たんだと思いますだ。代車を持って行くので少しお待ち下さい・・・・・えーと、車を、ほかの車の邪魔にならない所に置いといて下さい・・・・」
との事。「アーア、またかあ・・・・また、ポケットマネーが無くなっちゃうよ・・・・!」
と、ミゼラブルのボヤきの三太郎でした。
八ケ岳に初冠雪!!
冬が来る、冬が来る・・・・雪は、もうすぐ目の前までやって来た!!
「オーイ、薪の準備は終わったかい・・・?」
誰かが、こう挨拶しているようだ。
1999-10-24(日) 快晴 ヒュッテ L = -2, H = 14
朝、ベランダ側のカーテンを開けたら、霜が降りていた。
遅まきながら・・・・今秋の初霜である。
・・・・これで、一挙に、樹々の葉が赤くなるかも知れない!!
ところで、今日は、10 月 9 日に小淵沢リゾナーレで結婚式を挙げた、中嶋実兄と宏美ちゃまの小海町での披露宴である。
・・・・一回の結婚式に、何故、披露宴を二回もするの?
正直な話し・・・・一番最初、僕はそう思ったものである。
しかし、その理由は、直ぐに分かって来た。
・・・・何せ、ひろみちゃまは、はるばる遠隔の地「名古屋市」から、小海町にやって来たのである。
・・・・名古屋〜小海の直線距離は、そんなに大したものではない。
が、・・・・しかし、列車で来るとなると、結構大変な時間が掛かるのである。
中央西線〜中央東線と乗り継いで、小淵沢までやって来てヤレヤレと思うと、今度は、小海線に乗り換えるのであるが、小淵沢に於ける接続があまりよろしくない。ひどい列車になると、一時間以上の待ち合わせなどというものもあるくらいである。
・・・・しかも、乗り換えたあと、小淵沢から小海までやって来るのに、さらに一時間ちかくがかかるのである。
この大変な道のりを、何十人もの新婦側の参列者がやって来るのは、実に大変なことである。・・・・そこで考えたのが、小海町在住者以外の出席者を対象にした披露宴(約 70 名)と結婚式とを10/9 に小淵沢で行い、小海町在住者を対象にした披露宴(約 170 名)を、小海町で 10/24 に開きましょう・・・・という事に相成った次第であります。
・・・・という訳で・・・・開宴は今日(10/24) の午後 2 時。
さて、この小海町総合センターで開かれた披露宴であるが、ハッキリ言って、このような披露宴は、今まで経験したことがない・・・・というのが正直な感想。
とにかく、余りに可笑しくて、仲人をつとめた筆者も、もう笑い通し!!
最後のほうに行くと、これはもう、披露宴と言うよりは・・・・宴会とお祭りと学芸会が一緒くたになったようなもの・・・・・
・・・・筆者は、そのバイタリティーにつくづくと、この町を見直したのであるが、あとで聞くところによると、この披露宴などは、まだまだ、非常にまともな方だそうな・・・・
普通だったら、もっと凄い大宴会になっちゃうらしい!!
「・・・・じゃあ、何んで今回はマトモな部類の披露宴なの?」
・・・・不思議に思った筆者が聞くと、答えた人の返事がまた振るっていた。
「・・・・だって、町や役場のエライ人達がいるじゃないですか・・・・」
ナルホド・・・・ところ変われば品変わる・・・・である!!
それでは、その、オーソドックスとも言われる、その披露宴のあらましを追ってみることに致しましょう!午後 2 時開宴。
●新郎・新婦の入場(今回は新郎・新婦とも和服姿である)
●司会者挨拶
●媒酌人挨拶(仲人役の筆者の挨拶)
●来賓挨拶 (町の新井助役のオーソドックスで紳士的なご挨拶)
●恩師祝辞 (実兄の小学校時代の担任の碓井先生の丁寧な心温まるご挨拶)・・・・と、ここまでは、普通の披露宴であったが、ここからが、少しづつ変化が入ってきたのである。
●鏡割り
・・・・今まで、披露宴に出席した事があるが、披露宴で鏡割りが祝われたのを見たのは今回が初めての事!!
・・・・モチロン、鏡割りは新郎新婦により行なわれました。●寄せ書き達磨目入れ
出席者が新郎新婦宛ての祝辞の寄せ書きを記入した白色の達磨に、新郎新婦が目玉を記入する祝いの行事・・・・これも、筆者には初めての事でした。
達磨の目入れをする新婚カプル
●乾杯(土橋前町長のご祝辞とご発声による乾杯・・・・)
●余興
新郎の高校時代の同級生による応援練習風景●余興
新郎が加入している無尽のメンバー達が演ずる世界の名画と贋作のレクチャー。
・・・・これは、新郎が小海町高原美術館の学芸員をしている事にちなんで、メンバー一同が新郎に名画と贋作の見分け方のレクチャーを贈るという嗜好の一幕。
ヴィーナスの誕生
演ずるのは自動車修理工場「新和オート」の大将・・・・武川長男社長
このほか・・・・写真が無いために、ここにはアップロード出来なかったミレーの「落ち穂拾い」の贋作と本物の比較展示。
「贋作」は、同じくこの額縁の中で演じられた、原画に近い演技。
「本物」は、メンバー達が演ずる、夫婦が観客側にお尻を突きだして、向こう側を向いて落ち穂を拾っている場面。
・・・・しかも、夫婦の旦那さんの股の間にぶら下がっている、ボール 2 個が入ったミカンの網袋が可笑しい!!
・・・・筆者は、これを見た瞬間、頭を抱えて大爆笑・・・・いや、その発想の突飛さがナントモ可笑しかったこと!!
・・・・大きな額縁の中に、無尽のメンバーが繰り広げる、爆笑の名画と贋作の数々。
そのバカバカしさと、無邪気さが混じりあった暖かい友情がジーンと胸に来て、筆者は、大爆笑をしたり、涙ぐんだり・・・・
・・・・こんな素敵な、披露宴の仲人さんが出来て、筆者は本当に幸せでした。
●結婚式ビデオ上映(小淵沢リゾナーレの結婚式のビデオ上映・・・5 分間)
●余興
教育委員会メンバーによるしり振りダンス「愛しちゃったのよ」
全員、ステージに後ろ向きに並んでの熱演。
可愛らしい女の子のお尻から、教育長+井出泰輔さんまでのデッカイけつまでのオンパレード。
・・とくに、泰輔さんのお尻の動きがエッチだ!・・と言われつつも、爆笑を誘っていました。●新郎新婦入場
洋装にお色直しをしたカプルが入場。
拍手のうちに、各テーブルを回ってキャンドルサービスを・・・・
キャンドル・サービスで一番大きなローソクに点火中の新郎・新婦!!
●花束贈呈(子供たちから新郎新婦へ)
●花束贈呈(新郎新婦から両親へ)
●新郎父謝辞
●両家万歳(小池教育長のご発声による)
●新郎新婦謝辞
・・・・新郎と新婦ひろみちゃまからの謝辞。
・・・・ひろみちゃまの挨拶が終わると、会場から
「ヒロミ〜〜〜!!」と、酔っ払った男性の掛け声!!
・・・・全てが、爆笑のうちに終わりました!!
披露宴終了後、われわれ一家三人は、家内が今朝のうちに用意をしておいた夕食をたべ、一休みしたあと、家内とKRが東京に車で帰って行った。帰り際・・・・車のエンジン・キーを捻ってから、家内が言った。
「ジャアねっ!!」
「うん、気を付けてね・・・・」
「はい・・・・パパも無理しないでね」
「うん、気を付けるよ・・・・・・・今日は疲れなかった?」
「ううん、大丈夫。・・・・今日の披露宴、とても楽しかったわ」
「そうだね・・・・楽しかったよね」
「あの二人、どうしてるかしら・・・・?」
「バカだな・・・・あの悪餓鬼連中が二人を放って置く訳が無いじゃないか!!・・・・今ごろは、もう何処かに繰り出しているよ・・・・・」
「・・・・そうね!」
「うん・・・・・・・じゃあねっ!」
「じゃあね!」
・・・・そういうと、家内はアクセルを踏んだ。
・・・・赤いテールランプが曲がり角に消え、ちょっと間を置いてから、隣家の白樺林の向こうをヘッドライトの白い光が左に走って行き、その先の雑木林に消えて行った。いつも、そうだけど・・・・家内が居なくなると、いつも急にしんみりしてしまう!!!!
・・・・何故かな?
1999-10-26(水) 雨 ヒュッテ
雨の一日。
洗濯日和ではないけれど、洗濯物が溜まっていると気持ちが悪いので、洗濯をした。
・・・・こんな雨の日だから乾きは悪いと思うけど・・・・
「まあ、仕方がないさ!!」
・・・・そんな独り言を呟いていたら、突然、可笑しさが込み上げて来た。
「アハハハハハハ・・・・」
笑いながら、メモ用紙と鉛筆をてにすると、こんな詩を紙に書きなぐった。
アライグマ
結婚した当時、
よく家内と小さな言い合いをしたものである。
「イスの背に掛けといたジーンズのシャツ知らない?」
「あら、洗っちゃったわよ・・・・・アレ・・・・!!」
「何んで、アライグマみたいに、何んでもかんでも洗っちゃうんだよ!!」
「・・・・だって、汗臭かったんだもの・・・・?」
それから、30 年近くの月日が流れた。
・・・・その間に、ドブネズミのようだった僕は
サッパリと洗った木綿の肌触りの心地よさを
いつの間にか・・・・・・・しっかりと
肌を通して、憶え込まされていた。
最近の僕は・・・・朝、目を覚ますと
「さあ、洗濯、洗濯・・・・!!」と、
何んでも、かんでも、洗濯機に入れてしまう
雄のアライグマになってしまっていた。
・・・・そう思ったら、家内がとても好きな事に気が付いた。
1999-10-27(木) 快晴 ヒュッテ
ボクはメールを貰うと、なるべく、その日のうちに返事を書くようにしている。
今夜・・・・真夜中にメールボックスを見たら、メールが 2 通届いていた。・・・・それで、今夜もらった2 通のメールの返事のほかに、昨夜、かき切れなかったメールの返事も一緒に出してしまおうと、合計 3 通のメールを書いて発信した。
「ああ、ヤレヤレ・・・・これで、今日も終わった・・・・さあ、寝よう寝よう。 ・・・・でも、もう一度念のためメールボックスを覗いてみよう。 こんな、真夜中にメールを贈ってくるバカは居ないと思うけど・・・・」
・・・・などと、独り言をいいながら、メールボックスを覗いて見たら・・・・ナント、そんなオバカサンがいたんです。発信人は、Masami デシタ。
「エ〜〜〜、オッドロイタナ、こりゃあ!! Masami だよ・・・・!!」
と言いつつ、発信時間を見ると、28 日の午前 1 時 35 分。・・・・でも、僕は、もう、眠気なんかどっかに行っちゃって、直に返事を書いて出しました。
***********************
大好きな Masami 、お早う!!
●たった今、友達にメール3本を打ち終わったあと、モウ寝ようと思ったけど、
「こんな時間に、メールを送るバカはいないよね!!」
・・・・などと、独り言をいいながら、もう一度、メールボックスを覗いたら、
オバカサンが一人いたっていう訳。
●そのオバカサンが Masami だったので、大笑い!!
・・・・でも、こんな時間まで何をしてるの・・・・?
・・・・僕が Masami だったら、彼のオフトンの中に入っちゃうけどナ!!
masami wrote:
>
> お元気ですか?
> 11月の訪問の件ですが、残念ですが延期になりそうな予感・・・
> どうせなら皆で押しかけたいので。
>
> また、ご連絡いたします。
●残念だけど、ショーガナイヨネ!!
・・・・ Masami に会えるって、物凄く楽しみにしてたのにサ・・・・
> Kさんは10/20に無事3500gの男児出産なり〜。
> おめでとう!
●時間のあるときでいいですから、Kさんのメールアドレス教えて下さい。
お目出度うの、メールを出したいと思いますので・・・・
●ンじゃあ、又ねっ!
●おやすみなさい!!
・・・・・「お早う!」って、メールを書きはじめて、「おやすみなさい!!」
って、書き終わるのって、ヘンかなあ・・・・?
・・・・でも、ホントに「おやすみなさい!!」なんだよね・・・・・
だって、これから、ホントに寝るんだもの・・・・・
●ンじゃあ、今度こそ・・・・ホントに、おやすみなさい!!
・・・・チュッ!!
大好きな Masami へ・・・・
1999-10-31(日) 曇 ヒュッテ L = 6, H = 19
日帰りで、母親のホームに行って来た。
・・・・来年 4 月にスタートする介護保険の説明会があったからである。帰り間際に、顔見知りのヘルパーさんが僕に声を掛けた。
「・・・・あのう、田中さん、お願いがあるんですけど・・・・」
田中さんとは、母親の姓である。
「はい、何んでしょう?」
「ホラ、去年、私達、皆んなの前で歌って下さった歌があったでしょう・・・・?」
「えーと、僕が自分で作詞作曲した、あの歌ですか・・・・?」
「ええ、そうです」
「はい、あれは・・お月さまの歌・・っていう歌ですけど、あの歌がどうかしましたか?」
「あの歌を、もう一度、私達の前で歌って頂けませんか?」
「はあ、あの歌を・・・・・?」
僕は、不意のことなのだったので、鸚鵡返しに聞き返した。
「ええ、そうなんです。・・・・私は、あの時に、聞いたんですけど・・・・あの日に、非番だった人達が、チャンスがあったら、私達も聞きたいって言ってるんです」
・・・・僕は、瞬時、躊躇した。
・・・・・・・・・
でも、日頃、母親が大変お世話になっている方達が、そう言ってるというのだ
どうして、お断りする理由があるだろうか?
・・・・僕は、素直に返事をした。
「分かりました。お役に立てることでしたら、何んでも致します。・・・・でも、具体的に、私はどうしたら、いいんでしょう?」
「・・・・ええ、皆さんが居る日に歌って頂けるといいんですけど・・・・後ほど、浜田さんと相談して頂けませんか・・・・?」
「分かりました。 ・・・・それでは、後で浜田さんと相談してみます・・・・」・・・・と言う事で、浜田さんと相談した結果、12 月 24 日の午後、クリスマス・イブの前に「お月さまの歌」を歌うことになりました。
・・・・でも、10 年も前に作曲したこの歌が、今ごろになって役に立つなんて!!
人生って、どうして、こんなに不思議なんでしょう????
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