1999 年 8 月の高原日記

            

1999-08-02(月)  快晴   ヒュッテ  L = 12, H = 28

夜遅く、電話が鳴った。
時計を見ると午後 11 時。
「もしもし・・・・」
受話器をとると、若い女性の声がした。
瞬間、眠くて半分朦朧(もうろう)としていた頭が、急に冴えて来た。
「はい、八岳ですが・・・・」
と返事をすると
「今晩は、S***** です・・・・」と若い女性の声。
(はて、聞き覚えのある声だけど・・・・・?)と訝り(いぶかり)つつ
「S***** さん・・・????」
と言うと
「はい、S***** です。・・・・分からないんですか? S***** ですけど・・・・」
・・・・僕はもう必死。
片っ端から、S***** という名前の女性の顔を思い出そうとするのだが、どの S***** さんの声も、受話器の向こうの S***** と名乗る女性の声と一致しない!!

「 S***** さん? ハテ?」
と言うと、可笑しさを堪えた(こらえた)声が
「マリです・・・・・・ S***** マリです・・・・・」と言って、ハハハハと笑った
「何んだ、マリかあ・・・・!!」
つられて、僕も大声で笑った。
十分に間を取ると
「・・・・今、シェステからです・・・・」とマリは言った。
「何に? シェステ・・・・????」
「そうなの・・・・エッちゃんが、八岳さんからメールが来るはずよ・・・・って言ってるんだけど、来ないでしょ。 それで、こっちからメール出したら、ハジカレてしまって駄目なの!!・・・・それで、じゃあ電話しちゃおうって電話した訳!!」
「ああ、そうか・・・・悪い、悪い。今年の 4 月 1 日にプロバイダの名前が、avisnet.or.jp から avis.ne.jp に変わったもんだから・・・・・」

マリは
「八岳さんの別荘が涼しいって言うから・・・・」と途中で言い淀んだ。
「ああ、その件なんだけど、僕は原則的に月・火・水が休みだから、是非いらっしゃい」
「ホント、いいの?」
「うん、いいよ。 でも、お盆の時は来たいって言う人が何人かいるから、それ以外の月火水だったらいいよ。・・・・でも、またメールで相談しようよ・・・・」
「でも、八岳さんのアドレス分かんない・・・・・」
「あ、そーか、じゃあ、この電話切ったらすぐに出すよ!!」
等々と、話したあと、
「じゃあ、お休みなさい」
「ンじゃあねっ、お休みなさい・・・・」
と言って、僕達は電話を切った。

電話を切ると、僕は大至急、マックのパワーブックを立ち上げ、マリ宛てにメールを送った。

マリ、今晩は!!

S***** なんて言うから、頭がクルクルパーになっちゃうじゃん!!
一体、どの S***** さんかとホントに悩んじゃいました。

早速、マリが家に帰る前にメールを送ろうと、キーボードを叩き始めました。
さっき電話で話したように、基本的に僕の休みは毎週月〜水曜日です。
どの週にマリとエッちゃんに来て頂くか、メールで相談しましょう。

今夜は、僕の新しいメールアドレスを伝える事にします。
・・・・メールとHPのアドレスは文末の署名の欄をご覧下さい。

ンじゃあ、マリが家に帰るまえに発信するために、これで失礼します。

バイバイ

Seikoh Yatake

追伸

エッちゃんにヨロシクねっ!!

ンじゃあねっ!!

  

  

1999-08-03(火)  快晴   ヒュッテ  L = 12, H = 34

今日、日課になっている、湖周遊歩道のゴミ拾いをしたら、諏方神社下社の近くで、猟銃の実弾 1 発を拾ってしまった。
全く、何てえ事だ?

意外な経験に驚いていると、今度は遊歩道の路上でヒオドシチョウを1頭手づかみにしてしまった。
「オヤオヤオヤ・・・・!!」
・・・・これも又、チョットやソットではお目に掛かれない経験である。
と、言うのは、これが小海町のなかで捕まえた 2 頭目のヒオドシチョウだったからである。

「へえ、今日は何んという日だろう??」と思っていたら、
今度は「乳母のフトコロ」で、オオヒカげが1頭飛んでいるのを目撃した。
最近、めっきりと数が少なくなったオオヒカゲである。
久方振りの旧友に会った様な気がして、僕はとても嬉しかった。

夕方、日化サービスのサービスマンが来て、ヒュッテのボイラーを修理してくれた。
飯田さんがボイラー修理のため、ヒュッテにやって来たのは、これで 3 回目。
今回は、故障した基板を取り換えてくれるという話。
・・・・これでスッカリ直ってくれるとイインダケド!!

夜。
汗だくで卓球から帰ってきて、お風呂に入り、シャワーを使おうとしたら、警報器が
「ピピッ、ピピッ、ピピッ・・・・」と鳴り、またまたまた、ボイラーの調子がおかしくなってしまいました。
「ウッソー・・・・・!」
僕は、風呂場の中で、思わず大きな声で叫んでしまいました。

全く、ナンテエ事でしょう!!!

また、明日、日化サービスに電話しなくちゃあ!!

  

  

1999-08-04(水)  快晴   ヒュッテ

日化サービスに電話したら、明日の朝一番で来てくれる由。

深夜、午前 1 時過ぎ、家内とKRがヒュッテにやって来た。
お風呂は沸かして置いたのだが、シャワーが使えなくて可哀相!!

  

  

1999-08-05 (木)  曇   ヒュッテ

午前 10 時。
日化サービスの飯田さんが、ヒュッテに 4 回目の修理にやって来て、40 分ほど掛かって修理を終えて、帰って行った。

故障の原因を聞いてみると
湯温調節の機構は、下記の 3 ヶ所に分かれているとか・・・・
 ●1 ガスが燃えている事を関知し、信号電流を送る基板
 ●2 ガスの炎の大きさを調節するノズル機構
 ●3 ノズル機構を動かす機構部
で・・・・・・
   ●1 は先回、取替済み
   ●3 は正常に作動している為、取替不要と言うことで、今回は
   ●2 の部分を、今回、取り換えた由。

これで、正常に動くとイイんだけど・・・・・!!

午後 10 時、シャワーは正常に動いている。
有難い!!

  

  

1999-08-06(金)  曇ときどき晴   ヒュッテ   L = 12, H = 24

午前 7 時起床。
起き抜けに洗面所に行き、給湯栓を捻ってみた。
凄い!! 給湯器は今朝も元気である。
・・・・当たり前の話であるが、体や機械が正常に動くという事は、何んと気持ちが良く、素敵な事なんだろう・・・・!!
・・・・バンザイ! バンザイ!
・・・・・・・・
続いて起きてきた家内に
「ねえ、ねえ、給湯器チャント直っているよ! お湯が出るモン・・・・」と言うと
「あら、ホント? 嬉しいわ・・・・」
と、これまたホッとしてニコニコ顔!!
わが家は、皆んなナンテ単純なんでしょ!!!!

・・・・ところで、話は代わるが
8 月 2 日から 9 日迄、静岡県立袋井高校 3 年生の皆さんが、松原湖高原学生村で勉強に励んでいる。

学生村と言っても、特に学生村という村が存在するのではなくて、116 名の学生さんが幾つかの民宿などに分宿し・・・・・・・勉強をする時は各民宿・公民館・キャリフールセンターのホール等を利用するという一種の夏期講習である。
・・・・今、僕がこの原稿のキーボードを叩いている間も、隣りのホールでは、英語の授業が進行中で・・・・
白墨で黒板に字を書くカタカタという音に混じって、昔々の 45 年も前に、何回も何回も耳にした「接続詞」とか「過去分詞」とか言う、懐かしい言葉が時折り聞こえて来る。
・・・・本当に懐かしさにかられる午後のひとときである。

  
午後 6 時半。
草木染の渡辺さんと、小海塾の暑気払いに出席する。
出席したのは、僕、渡辺さん、ハーちゃん、拓ちゃん、美代治さん、品ちゃん、勝っちゃん、憲一郎さん、尚登さん、クリちゃん、技工士の??さん、等の面々。
驚いたのは、紅一点の渡辺さんのアルコールの強い事!!
・・・・「月華」での一次会も、「ホルン」での二次会も、渡辺さんが仕切ってしまった程!!
特に面白かったのは、勝っちゃんと渡辺さんのホルンでのやりとりで
・・・・何かの事で・・・・
「バッカヤロー!!」と、勝っちゃんが彼女の頭をピシャリとやると
「何によう、このヤロー!!」と言い返して、渡辺さんが、彼の頭をピシャリとやり返す。
見ていた僕は、もう大声でゲラゲラと笑いだす始末。
この二人が、今夜、初めて会ったばかりの二人とは・・・・!!
小海塾って、ホントに気持ちのいい連中ばかりの集まりである!!!!!

  

  

1999-08-07(土)  快晴    ヒュッテ   L = 14, H = 34

朝、案内所に出掛けようと、ポンコツ車で家を出たところで、 w192 番地の広い芝生の庭を歩いている吉松さんの姿を見付けたので
「吉松さーん!!」と声を掛けてみた。
・・・・僕が吉松さんに声を掛けるのは、生まれてこのかた、今日が初めてである。
一瞬、吉松さんはビックリしたようであるが
「お早うございます。近くの八岳でーす・・・・」
と、大声で言うと
「あ、お早うございます・・・・」
と言って、広い芝生の庭を僕の方に向かって降りて来た。

僕も車を降りて、吉松さんの近くまで歩いて行き
「初めまして、八岳です・・・・」
と言うと、彼も
「初めまして、吉松です・・・」
と言った。・・・・静かな落ち着いた声の持ち主である。
・・・・吉松さんが自分の家の芝を、草刈り機で刈っている姿を、遠くの方から何回か見たことはあったが、近くで見ると、吉松さんは目の澄んだ、若々しい感じの男性である。
年の頃は 33 〜 34 才という所だろうか?

ところで・・・・・・
・・・・僕は、人と話す時に、回り道をせずに単刀直入に話をする変なクセがある。
今日も、お互いの挨拶が済むと、いきなり
「別荘の管理棟で聞いたんだけど、吉松さんは飛行機のパイロットなんですって??」
と切り出してしまったのである。
「ええ、そうです」
吉松さんは、理科系の人間によく見受けられる素直さで、そう答えた。
・・・・臆する所も・気負いもない態度が、とても清々しい・・・・・

そのあと・・・・
二言三言(ふたことみこと)言葉を交わしたあと
僕が・・・・
「貴方がパイロットだと言うんで、一度話してみたかったんです。・・・って言うのは、むかし僕は船に乗っていたからなんです。・・・・大学は東京商船大学です」
と言うと、吉松さんも
「そうですか、うちの会社にも商船大出身の人がいますよ・・・」
と言うことからはじまって・・・・
「町の音楽堂・・・・あのフィンランド・ヴィリッジの隣りの”ヤルヴィ・ホール”で、二三回八岳さんにお会いしたことがありますよ・・・・」
等々と、気さくに話して下さったのである。

・・・・ここで、話に夢中になっていた僕がフト、時計を見ると時間は間もなく 10 時になんなんとしているではないか!
(ヤバイ、遅刻しちゃうよ!!)
僕は慌てて、吉松さんに言った。
「ご免なさい、僕の方から話し掛けたのに・・・・僕、これから観光案内所に行かなくちゃいけないもんですから・・・・」
「あ、こちらこそ、邪魔をしてしまって・・・・!!」
「いいえ、僕の方から声を掛けたんですから、貴方は悪くありませんよ」
「でも・・・・」
「あ、それよりも、又、チャンスがあったら、お話しませんか?」
「そうですね、・・・・」
「あ、そうそう・・・・それから・・・・大変恐縮なんですけど・・・・吉松さんチの電話番号戴けませんか?・・・・チャンスがあったら連絡致しますから・・・・あ、それから電子メールをお使いでしたらメールのアドレスも・・・・」

僕の厚かましいお願いを快く受け入れて、僕の手帳に電話番号とメールアドレスを書いて下さった吉松さんに、僕は言った。
「ご免なさい・・・・先を急ぐもんですから!!・・・・わが家の電話番号とメールアドレスは、必ずメールでお送り致しますから・・・・」
そう、言い残すと、僕は、ポンコツ車のエンジンを掛け直し、まっしぐらに、案内所を目指して山を下った。

素晴らしい!!
今日も又、新しい出会いがあった・・・・
僕の心は、大きく弾んでいた!!!!


午後 5 時半。
案内所からの帰り道、オートキャンプ場の方に回り道をしたら、途中の崖の上で、突然、大きな虹が目の前に現れた。
「あっ、スッゲエ虹だ!!」
叫ぶが早いか、僕はデジカメを片手に車の外に飛び出した。

・・・・それは、とても大きくて美しい虹だった。

虹の左半分は左手の山の陰に隠れ、ハッキリと見える右半分は下のカラマツ林の向こうで姿を消している。
・・・・余りの美しさに、暫くの間、僕はボンヤリと虹を眺めていたが、そのうち、我に還ると、昔の事を想いだして思わずクスリと笑い出してしまった。

それは、それは、ずっとずっと昔の事であったが・・・・
悪餓鬼の一人から、虹の橋が降りている地面の下を掘ると、宝物が一杯埋まっているという話を聞いたのである。
・・・・それから・・・・何年か経った或る夏の雨上がりのこと。
自転車に乗って、復興間も無い東京の焼け跡に出掛けたところ、大きな虹が真ン前に見えて来たのである。
しかも、虹の橋のたもとの地面がハッキリと見えているではないか!!
「シメタッ!!」
・・・・僕はペダルを踏む足に力を入れると、その現場に急行した。
だが、どうだろう?????
僕が虹に近づこうとすると、虹も同じようなスピードでどんどんと向こうに遠ざかっていくのである。
「・・・・????」
結局、僕が宝物が埋まっている場所に着く前に、虹は消えてしまったが、今から思うと、何かとても懐かしい気がしてならない・・・・!!

その後、大きくなってから、物理の「光の屈折」の時間に、水滴からなる虹の仕組みを勉強し、虹の橋のたもとに立つという事が不可能だという事を知るのだが、今から思うと、本当に楽しいひとときだったような気がしてならない・・・・・・


夜。
今朝、吉松さんから戴いたアドレス宛てにメールを発信した。

  

  

1999-08-08(日)  快晴   ヒュッテ

夕食後、家内と息子のKRが東京に帰って行った。
また、来週、ヒュッテに来ると言っていたが、今回は僕の休みが一日もなかったので、殆どKRと遊んでやることが出来なかった。
何んか、チョット可哀相!!
でも、来週は連休だから、楽しく遊んで上げることにしよう。

  

  

1999-08-10(火)  曇のち雨  ヒュッテ

午前中、隣家の猿谷さんの入口付近のモミノキ、カラマツ、アカマツなどの木を 12 〜 13 本切り倒した。お陰様で、大分、隣家の門のあたりがスッキリとしたようだ。

お昼御飯を、猿谷宅で戴く。
昼食のメンバーは、猿谷夫人、お姑さん、兄嫁の伊藤夫人、僕の四人。
特に伊藤夫人が明るく開けっ広げの人なのが、可笑しかった。
二人の奥様達が話しているのを聞いていると、女学生が話しているようで、笑いが絶えなかった。

午後、先月ヤナショーで買ってきた可愛らしい物置を組み立てた。

午後 11 時。
メールボックスを覗くと、吉松さんからメールが届いていた。
メールによると、シカゴからとの事。
・・・メールの後半に簡単な自己紹介があって、747 - 400 型機の機長をなさっているとか・・・!
素敵!!
・・・・僕も昔は球面三角法に夢中になった航海士の端くれ・・・・
邪魔にならなければ、聞きたいことが山ほどある・・・・
でも、船よりヒコーキの方が難しいよね・・・・
だって、船はどちらかと言えば二次元の世界だけど、ヒコーキは三次元の世界だもの!!

  

   

1999-08-11(水)  曇   ヒュッテ

午後 9 時過ぎ、電話が鳴った。
受話器をとると家内の声がした。
「・・・・どうしたの? 何にか用?」と聞くと
「これから、こっちを出ますから・・・・」と言う返事。
「えっ、どうして? だって、今度来るのは、お盆だって言ってたじゃない・・・・!」
「あら、嫌だ・・・・あしたは 12 日でしょ。あさっては、もうお盆でしょ・・・・?」
「えっ、あっ、そーかあ! アラララララ・・・・ホントだよ!!」
「明日、仕事?」
「うん、あした迄・・・・」
「あ、そう・・・・! じゃあ、寝てていいわよ・・・・鍵開けて入るから・・・・。・・・・それから・・・・玄関の外灯は点けておいてね。 鍵は掛けて置いていいけど、鎖だけは外しておいて!! アレだけは、合鍵で開けることが出来ないから・・・・・」
との事。

ウヘエ・・・・サア、大変!!
寝耳に水の「 アライグマ女王陛下」のお出まし・・・・・である。
それから 2 時間。
流しの食器をキレイに洗って片付け、床にカッ散らかっている下着類を洗濯篭にいれ、洗面所の流しを洗い、風呂場の床をキレイにして・・・・等々
全てを終わりホッとして寝床に入ったのは、もう真夜中過ぎでした。
ああ、疲れた・・・・・!!

・・・・チョン・・・・!

  

  

1999-08-12(木)  曇のち夕立   ヒュッテ

午後 2 時過ぎ、湖周のゴミ拾いに出掛けた。
途中、下社から少し上がった所で、二人づれの女性に出会った。

普通だったら、そのまま行き過ぎてしまうのだが、突然、一人の女性が何かを見付けて
「アラ、綺麗!!」
と言って遊歩道の真ん中にしゃがみこんだ・・・・
「アラ、ホント・・・・」
連れの女性も、その脇にしゃがみこんだ。
彼女達がしゃがみ込んだ地面の上には、何か水色のものが落ちていた。

「あ、それ蛾だよ・・・・」
仲良く並んでしゃがみ込んでいる女性達に近づき、それがオオミズアオだと分かると僕はそう言った。
「蛾なの、これ?」
そう言うと、一人の女性がしゃがんだままゴミ篭を背負っている僕を見上げた。
とても、素直な目付きだ。
その目付きに誘われて僕も彼女達の前に、蛾を挟んでしゃがみ込んだ。
「うん、これオオミズアオって言うんだよ・・・・」
「オオミズアオ?」
「うん、大きくって水色っぽい青色をしているでしょう、ホラ・・・・」
そう言って、翅を拡げて見せると
「あら、ホントとても綺麗・・・・」
若いほうの女性が、僕が翅を拡げた蛾を手にとってシゲシゲと眺めた。
・・・・普通の女性だったら、気持ち悪がって手を引っ込めるのだが、二人ともホントに子供みたいな好奇心を丸出しにして、オオミズアオを眺めているのだ!!
「これ、生きているのかなア?」
年上の女性が言った。
年齢は 27 〜 28 才くらいだろうか?
薄いブルネット色の髪の毛がとても素敵だ。
「これ、死んでいるよ。・・・・だって頭が無いもの・・・・!」
「ホント?」
若い方の女性が言った。
年齢は 22 〜 23 才だろうか、物おじしない素直さがとても清々しい。
「うん、ホントだよ。・・・・どら、貸してご覧よ・・・・」
と言って、その女性からオオミズアオを受け取ると、首の付いていた胸部を二人に見せて
「ほら、ここに頭があったんだよ・・・・ね、ホラ、目も触角もないでしょう!!」
と言うと、
「あ、ホントだ・・・・」
「あら、ホント・・・・」
二人は異口同音に声を上げた。
・・・・子供のような素直な声に、僕は笑い出してしまった。

「ねえ、貴女達どこから来たの?」
と、二人に聞くと
「東京から・・・・」
と、これも素直な答えが返って来た。
「東京の何処?」
と僕。
「世田谷区」
・・・・年上の女性が答えた。
「えっ、ホント? 僕は、中野区に住んでんの・・・・」
「じゃあ、こんな所で何してるんですか?」
・・・・二人は、僕が背負っている背負い篭が不思議らしかった・・・・
「うん、僕はこの松原湖が大好きで、年間 10 ケ月くらい住んでいるんだよ」
「それって、もう退職しているっていう事ですか・・・・?」
「うん、現在 63 才」
「ウッソー、全然、そんな風に見えない・・・・ねえ?」
年下の女性が、年上の女性に応援を求めた
「うん、ホント、ずっと若く見えるわ・・・・」
・・・・
「どうも有り難う・・・・・・・・それでね、この松原湖が大好きなもんだから、こうして、毎日、ゴミを拾って歩いてんの。可笑しいでしょう・・・・?」
「ウウウン、可笑しくない・・・・とっても素敵・・・・」
「ハハハハハ・・・・素敵ねえ?」
・・・・僕は思わず笑いだしてしまった。
・・・・それから、暫くの間、僕達三人はオオミズアオを挟んでしゃがんだまま話をした。
蛾のこと、蝶のこと、自然のこと、自分達の生き方のこと、友達の素晴らしさのこと、彼女達が別荘地内の「松原湖少年探偵団」の山小屋に来ていること・・・・・等々。

・・・・・・
「ああ、もっと話をしていたいけど、もう行かなくちゃ・・・・」
10 分ほども話をしていただろうか・・・・時計を見て、僕は立ち上がった。
「あら、ごめんなさい。・・・・お邪魔をしてしまって・・・・・」
立ち上がった二人の女性は、もうずっと前からの知り合いのように思えた。
「いいや、全然構いません。・・・・でも、不思議だよねえ・・・・」
「あら、なぜ・・・・?」
「だって、もし、このオオミズアオがここに落ちていなければ、僕達はこうして話をしていなかった訳だもの・・・・」
「そうよねえ」
「うん、そうなんだよ。・・・・だって、そうじゃない・・・・もし、このオオミズアオがここにいなかったら、僕達はここで出会っても、たぶんここですれ違っただけだったでしょう?」
「そうねえ・・・・」
「だから、不思議だと言ったんだよ。・・・・でも、僕達、また何処かで出会うかも知れないよ。・・・・そしたらさあ、その時また、お話ししない・・・・??」
「ええ、又お話しましょう・・・・」
「じゃあ、その時までご機嫌よう・・・・サヨウナラ!!」
「ご機嫌よう、サヨウナラ・・・・!!」
僕達は、お互いの名前を尋ねることもなくサヨウナラを言った。
・・・・今日は松原湖の水辺公園で恒例のクラフト展が開かれているせいだろうか、湖の上でボートに乗っている若い男女の声がいつもより賑やかだった。

この大好きな松原湖畔を暫く行ったところで、僕はフト思った。
「あの人達に、また何処かで会えるといいナ・・・・!!」
って・・・・

  

  

1999-08-14(土) 大雨   ヒュッテ

僕の仕事は昨日から連休に入っているが、大雨が降っているために、大好きな庭仕事が全く出来ないでいる。

今日も朝からひどい雨。
午前中、ヘッセを読んでいたが、疲れたので階下に降りたら、暖炉ストーブの前で家内が椅子に腰掛け、ハンノキのスツールに足をのせて野草事典を楽しそうに読んでいた。

二階では、KRがロッキングチェアに腰掛けて、「星座を探そう」の本をよんでいる。・・・・今日は、わが家は全員、読書日和の一日である。

午後 5 時。
・・・・ユックリとした気持ちで、このページを書いている所・・・・
たまには、庭仕事の全く出来ない雨の一日もいいものである。

  

  

1999-08-16(月)  快晴   ヒュッテ

昨日、東京に帰る予定だった KKR(家内と息子KRのこと)の二人は、上信越自動車道の下仁田 - 富岡間が土砂崩れのため帰京することが出来なかったが、今日もまだ復旧作業が終わっていないために、仕方なく厄介な中央道経由で中野に帰って行った・・・・ゴクロウサマです。

午前 10 時。
静かになったヒュッテで、小海町公民館報に載せる小海町の蝶 (10) の原稿を書き始めた。
・・・・昨夜遅くになって、突然、その原稿の締切日が、実は、今日である事に気が付いたからである。

午後 1 時半。
小海町の蝶の原稿を書き上げて 5 分ほどしたら、玄関のチャイムが鳴った。
・・・・玄関に出てみると
「吉松です・・・・」
と、つい一週間ほど前に初めて言葉を交わした、ジャンボジェットの機長の吉松さんと奥様が立っていた。
「やあ、いらっしゃい!!」
・・・・大きな握手を彼と交わしたあと、僕は、
「立ち話で大丈夫ですから・・・・」
と遠慮勝ちな吉松さんと、一緒にいらした奥様を、少し無理気味に家の中に招じ入れた。

「いや、実は今夜の花火大会のことなんですけど、天気が雨模様なもんですから・・・・」
・・・・ダイニングテーブルに座ると吉松さんは、例の落ち着いた声で話をし始めた。
彼の話を要約すると・・・・現在、天候は雨模様であるが、このままの天候が続くと、今夜は雨がひどくなるかも知れない。・・・・子供たちが大変楽しみにしているので、是非、花火大会に連れて行きたいのだが、雨が降った場合、どこか屋根のある所で花火を見られる場所があるだろうかという質問である・・・・・

僕達三人は、この花火大会の雨対策について色々と話しあったが・・・・そのあとで、今度は草刈り機や芝生のこと・・・・などを吉松さんと 20 分ほど話をした。
・・・・・・・・・
僕は、人と話をするのが大好きである。
・・・・いつもそうであるが、放っておくと、僕の話はいつまで経っても止どまる所を知らない!!
・・・・・・
だが、僕のお喋り(おしゃべり)を遮るように、その時、またまた大粒の雨が降って来だしたのである。
・・・・・・
この雨を見ると、子供たちが散歩に出掛けている夫妻は
「・・・・それでは、夕方のジャズ・コンサートで・・・・」
と、大急ぎで帰って行った。

  
午後 4 時。
ジャズ・ピアニスト今田勝のコンサートを聞きに、ヤルヴィ・ホールに出掛ける。
・・・・話は変わるが、中野のわが家には、おおよそ400 枚ほどの CD がある。
その殆どがクラシックで・・・・ジャズの CD は、MJQ を中心にやっと15 〜 20 枚くらいがある程度である。
それでも、僕はジャズが大好きである。

ヤルヴィ・ホールに来てみると、今日は約 70% の入りである。
おおよそジャズなんかにあまり関係なさそうな小海町にしてみれば、まずまずと言う所だろうか??
演奏会の途中のインターミッションと終演後のひととき、僕は一家で来ていた吉松さんと少し話をしたが、その間に、近くにいたヴァイオリンの和枝さん、デザイナーの勝っちゃん、映像エンジニアの小郷ちゃん夫妻、中嶋学芸員などを彼に紹介した。
・・・・中でも、面白かったのは・・・・中嶋さんを吉松さんに紹介した時のことである。
僕が中嶋さんに
「吉松さんは、ジェット・パイロット、747-400の機長なんだよ・・・・」
と言うと
「どちらの航空会社ですか?」と中嶋さん
「日本航空です」と言う吉松さんの答えに
「僕の友人も、JALでパイロットをしているんですが・・・・」と中嶋さん。
「何んという方ですか?」
「花里って言いますが・・・・」
「あ、私と同じ職場で仕事をしていましたよ」
「えーっ?」中嶋さんと僕は思わずオドロキの声を上げた。
・・・・すると
「体の大きい人でしょう・・・・?」
・・・・と言って吉松さんは、自分の頭の上 15cm 位のところに右手の手のひらを水平に上げ、その男性のおおよその背の高さを示した。
「ええ、そうです!!」
と、中嶋さん。
・・・・その後、暫くの間、二人は話を続けていたが、本当に世の中とは不思議で面白いものである。

コンサートのあと、中嶋さん、ひろみちゃま、両家のご両親などと食事をしたあと、松原湖の花火大会をみたが、今夜は、嘘のように空が晴れ渡ったために、素晴らしい夏の花火を楽しむことができた。

・・・・ところで、花火大会の間も、役場のハーちゃん、智善さん、Re-ex の川瀬社長、開発公社の祐ちゃん・畑さん等に呼び止められたり、町の助役さんに紹介されたりして、楽しいひとときを過ごす事ができたが・・・・・・・中でも素晴らしかったのは、先刻のコンサートでコンバスを奏いていた佐藤慎一さんとたまたま弁天島の近くで出会い、コンバス、チェロ、ヴァイオリン、ヴィオラなどの弦楽器の話をしたり、アメリカに音楽留学した話などを色々と聞かせて頂いたことである・・・・
話の途中で
「・・・・ところで、佐藤さんはパソコンを使ってませんか・・・・?」と聞くと
「ええ、よく使います・・・・」
との事。
・・・・更に・・・・
「じゃあ、インターネットも?」
と聞くと
「ええ、やってます。・・・・自分のホームページも作ってます・・・・」
「うわあ、凄い!・・・・僕も自分のホームページを持っています・・・・」
等々、今度はインターネットの話に話題が飛び
最終的には、
「今後はメールでお話をしましょう・・・・」
という事になり、彼のメールアドレスを貰ったことである。

  

  

1999-08-18(水)  快晴    ヒュッテ

所用で、長野市の工業試験場まで往復する。
長野市は、今から 15 〜 16 年ほど前に、一度だけ旧特急で行った事があるだけ・・・・
・・・・今日は、愛車のポンコツ車で出掛けたが、とても楽しいドライブだった。

帰途、三岡のホビーショップ「とみおか」に寄って、7 月 25 日に預けたラジコン・ヨットの不良部品の新品交換部品を受け取って来た。
・・・・これで、3 週間ほど中止されていたラジコン・ヨットの組立が再開することが出来ることになった。・・・・出来れば、9 月中旬までには仕上げたいものである。

  

  

1999-08-20(金)   曇ときどき雨    ヒュッテ

テレビのニュースで、盛んにトルコ西部の地震の報道をしている。
20 日夕方現在で、死者 6,700 名、負傷者 30,000 人・・・・との事。
現地に於ける救助活動は、遅々として進まず、まだ瓦礫の下に 20,000 〜 30,000 人くらいの人が取り残されているとの事。
・・・・今回の地震は、トルコに於ける観測史上最大の地震だとか・・・・

5 月に僕達のツアーを案内してくれたデニーズさんは大丈夫だろうか????
とても、気になっている。
・・・・何んとか連絡を取りたいが、分かっているのはイスタンブールの旅行会社のアドレスだけ・・・・・
一体、どうしたらいいんだろうか・・・・・・・?????????

夜。
メールボックスを開けてみたら、久方振りに Yoshimi ちゃまからメールが届いていた。
読んでみたら、可笑しくて爆笑の連続・・・・!!
余り可笑しいので、今日の日記に収録することにする。
・・・・特に可笑しかったのが、行儀のいいワン公のくだりである。

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こんにちは、お久しぶりです。
Masami 姉です。

 HPを拝見すると本当に毎日忙しくすごしているみたいですね。
私は相変わらず暇です。(笑)

 仙台はまだまだ残暑が厳しく、夜も蒸し暑かったりして結構つらいです。
おととい、朝起きたら旦那様がいなくて「何処へいったんだ?」と思っていたら
茶の間の畳の上に転がっていました。(爆笑)

あまりに暑かったので、涼しいところをもとめて転がって見たら茶の間になった
んだそうです。(それも本当にすみの方)

まるで涼しいところを求めて歩く犬のよう。
犬といえば先日犬がおすわりをしていたので、「お行儀のいい犬だね」と言った
ら「あそこが一番涼しいからしょうがなくてお座りしているんだよ」と旦那が言
っていたのを思い出してばかうけでした。

あまりに面白かったので会社でも教えてしまった。

 私は今家を建てているの。
本物の。
ミニチュアじゃないのよ。
来月にはできるかも。
客間もあるからお泊まりにきてくださいね。
でも、遊ぶところがないなーーーー。

 あ、今HP作っているの。
でも、画像の取込みが面倒で止まっています。(笑)
ソフトを使うと簡単なんだけど、応用がきかなくて大変です。
掲示板はうまくいったけど、カウンターがうまくいかない。
ま、なんとかなるでしょう。

 長くなりました。
それでは、また。

*****************************

 勿論、返信メールはすぐに出したのは、言う迄もない・・・・・!!
・・・・・とっても短い返信だったけど・・・・・

  

  

1999-08-21(土)  曇ときどき雨    ヒュッテ

昨日から、ラジコン・ヨットの製作を再開している。
・・・・毎日、説明書の 1 ページ分づつ製作を続けているが、一日に製作量としては、これが丁度いい分量である。
今日は、舵と重りを取り付けた。
そのせいか、少しづつだが、ヨットらしくなってきている。

・・・・どうです、キレイでしょう・・・・!!

  

  

1999-08-22(日)   曇ときどき雨    ヒュッテ

先々週、わが家と隣家(W363)の成松さん 宅の間にあるモミノキ 4 本を切り倒したお陰で、庭がとても広くなったような気がする。
・・・・それと同時に、景色がとてもよくなり、吹く風もとても爽やかな感じがする。
・・・・そして、そのせいかどうかは分からないけど、成松さんの庭のカラマツ林を抜けてわが家にやって来るミヤマカラスアゲハの数も、心なしか増えて来ている様な気さえする。

・・・・そして今日、切り倒したモミノキの枝落としをしている時に、ふと見ると、モミノキが無くなって、気持ち良く日光が当たるようになった我家のキハダに、何んとミヤマカアスアゲハが、産卵に来ているではないか!!!!

これが幸せではなくて、何んだろう・・・・?????
僕は、思わず心の中で
「ヤッタア・・・・・!!」
と、叫んでしまった程である。

嬉しい、嬉しい・・・・今まで何回、この光景を夢見た事だろうか・・・・!!!
「やった、やった・・・・遂にやった・・・・!!」

僕は本当に嬉しかった。

  

  

1999-08-25(水)   晴    ヒュッテ


今日の午後、町の総合センターで役場職員を対象にした「町おこし」の講演行なわれたが、午後 6 時半からは・・・・レクチャラーの早稲田大学地理学科の八岳口教授と小海塾のメンバーを交えた懇親会が・・・・昇月の座敷で開かれた。

出席者は、八岳口教授を含め 15 人ほどであったが、20 分ほどの町おこしの講話があった後、「多自然居住」、「標高 1,000m 以上の地に親沢のような住宅密集地が出来るのは珍しい」、「レクチャーというものは同じレクチャーを 5 回ほど聴かないと本当に理解出来ない」・・・・等々、色々なやりとりが、我々と教授の間で、行なわれた。

・・・・そのあと、小一時間ほど経ってから、小諸から駆け付けた品ちゃんのアドバイスで、僕から 教授にP******* と Tvarjanka の話をしたが、教授が少なからず興味を持たれたようなので、僕のサイトのURL を差し上げたところ、
「・・・・これは面白そうだ・・・・帰ったら、アクセスして覗いて見よう・・・・」
と、何回か呟いておられた。

・・・・P******* も段々と市民権を得て来たようである。
エヘン、エヘン・・・・・・!!

  

  

1999-08-26(木)  曇   ヒュッテ

午後 7 時。
・・・・小海原にある国立音楽大学の花村教授の別荘にお邪魔をした。
「私のゼミの学生達が 5 人ほど遊びに来てるので、もし・・・・宜しければ、いらっしゃいませんか・・・・?」
と、昼間、教授からお誘いを受けたからである。

もちろん、僕は二つ返事で花村宅に出掛けていった。
・・・・と言うのは・・・・この 5 人の学生達が、全員素敵な女性達だという事が分かっていた事と、音大の女子学生達と話をするなんていう事は、生まれてこの方(かた)、今日が初めての事だったので、
「音大の女子学生って、一体、どんな考え方を持っているんだろ・・・・????」
と、興味深々だったからである。

花村宅は、遠方に浅間山、近くには小海原の部落を見下ろす緑深い山の中腹にある。
普段ならば、とても静かな佇まいのこの山荘も、今日は若い女性の笑い声とエネルギーに包まれて、明るく華やいだ雰囲気に包まれている。

さて、玄関で挨拶を交わし・・・・案内された畳の部屋に胡座(あぐら)をかいて座ると、僕はすぐに近くにいた女子学生に声を掛けた。
「ねえ、ねえ・・・・皆んなは、前にここに来たことがあるの?」
「いいえ、今日が初めてです・・・・」
学生達は、明るく屈託なく答えた。
「じゃあ、この辺は・・・・?」
「全く、初めてです」
・・・・話していると、実によく目が合う。
そして、とても素直な感じがする。
僕は、嬉しくなった。
「そう? ・・・・ところであさあ、皆んなは国立音大の学生だよね」
「はい・・・・」
「じゃあ、何にを勉強しているの?」
「教育学です・・・」
「えっ、教育う・・・・じゃあ、楽器はやらないの?」
「もちろん、やります。でも、専攻は教育です」
・・・・等々、ここで、ひとしきり、ピアノ科をはじめとする各科についての質問と答えがやりとりされた後、
「ふーん、じゃあ、花村先生のゼミでは、音楽教育を研究しているの?」と、僕が聞くと。
「エエ、具体的にはリトミックですけど・・・・」と、学生の一人が答えた。
「リトミック????」
・・・・と、聞き返したトタン、キッチンで学生の夕食を作っていた花村先生の大きな声が座敷に飛んできた。
「八岳さんは、リトミックという言葉を聞いた事がありますか?」
「ええ、前に聞いた事がありますけど・・・・」
・・・・そう答えた瞬間、僕は、その単語が音楽の学習方法の一つで、指先と譜面から音楽を学ぶのでなく、そう・・・・確か、からだ全体・・・・もっと、幅広い人間の感覚を通して音楽を学習する方法ではなかったか・・・・ということを、おぼろげながらに思いだした。
・・・・僕は、隣りに座ってた黄色いTシャツを来た可愛らしい学生に言った。
「それってさあ、確か、からだ全体で音楽を習得する方法じゃなかったっけ・・・・?」
「そういうのも入ります・・・・それから・・・・」
・・・・座敷にいた三人の学生が、一生懸命、僕にリトミックの何んたるかを説明し始めた。
それは、多分、僕自身もリトミックに興味を持ち始めていたせいではないかと思うが・・・・僕がどんなにトンチンカンな質問をしても、彼女達は根気強く、僕の質問に答えてくれたのである。
(初対面なのに、どうしてこの女性達は、物怖じすることなく、素直に僕の質問に答えてくれるんだろ・・・・・?)
と、僕はとても不思議に思ったが・・・・ともあれ、それから 30 分程が過ぎ、花村教授が
「さあ、出来たよ。バンゴハンだよ・・・・」
と、キッチンから大きな声で呼びかけたころには、僕達はもうスッカリと打ち解けていたような気がする。

・・・・・・・
・・・・・・・
さて・・・・花村教授の料理になるヤキソバとレタス・サラダの夕食が始まると、食卓はもう爆笑の連続。
まず最初に僕が食事前にお祈りをしたあたりから、爆笑の第一ラウンドが始まった。
・・・・僕がお祈りを終わり、箸を取って
「イタダキマース!!」
と、大きな声で言うと、すかさず教授が
「八岳さんは、クリスチャンですか・・・・?」
という質問をした。
「ええ、そうです・・・・」
と、答えると
「僕もクリスチャンです。・・・・セイコウ会ですが・・・・」
という先生の答え。
「えっ、そうですか?・・・・でも、僕の場合は先生と違ってひどいインチキ・クリスチャンですから・・・・」
と言うと、
「いや、僕だって同類項ですよ・・・・!!」
という教授の答え。
「えっ・・・・そうかなあ・・・・じゃあ、聞きますけど・・・・」
と、前置きをして、
「先生はポルノ小説を読んだことがありますか・・・・?」
と、単刀直入に聞くと
「ええ? どうしてです・・・・? 勿論ありますよ・・・・」
と、女子学生を前にしての教授の正直な答え。
「先生は、とても正直ですね・・・・」
と言うと
「だって、八岳さんだって読んだことがあるでしょう」
「はい・・・・もう夢中になって読みました」
「ハハハハ・・・・正直で大変ヨロシイ!!」
「ところで、先生はファニー・ヒルというポルノ小説を読んだ事がありますか?」
「ファニー・ヒル・・・・いや、知りませんね。それが、どうしたんです?」
「ファニー・ヒルっていうのは、英国の格調高いポルノなんですけど、とても可笑しいことがあったんです・・・・」
「どんな?」
「いや、このポルノが日本語に全訳された時のことなんですけど、出版後わずか 2 週間後に発禁本になってしまったんです・・・・」
「ハハハハ・・・・昔、よくあった奴ですな・・・・?」
「そうなんです。例のあれですよ・・・・ところが、発禁になったことを知らない僕が、発禁後半年くらいしてから友達に”とても面白いよ”と言われて本屋で買って読んでみたけど、余り面白くないんです・・・・と言うのは、肝心な場面がみんなカットされてしまっているからなんです」
「オヤオヤオヤ・・・・」
「・・・・でしょう。・・・・そうなってみると、余計に読んでみたくなるのが人情というもの・・・・」
「分かりますね・・・・」
「・・・・ところが、或る日のこと・・・・会社の用事で、ホテルオータニに行ったんですが、仕事が終わったあと、ホテルの地下のブックコーナーで偶然英文のファニー・ヒルを見付けたんですよ」
「なるほど」
「それで、発禁本ではカットされている肝心な場面とおぼしきあたりをパラパラと拾い読みをしてみると、これが、全くオリジナルのままで、物凄く迫力があるんです・・・・」
「ふむふむ・・・・」
「それで、その本を買って帰ってから、もう夢中になって、その本を読みまくった・・・・と言うわけです」
「なるほど・・・・」
「可笑しかったのは、家内なんですが・・・・普段、余り家では英語の本を読まない僕が、或る日、当然、狂ったように英語の本を読み始めたものですから、もう目を丸くしてしまって・・・・”凄いじゃない、この頃・・・・英語の勉強が!!”などと言って、すっかり喜んでいるんです・・・・!!」
「ハハハハ」
「可笑しいでしょう!!・・・・ところが、或る日のこと、我家に遊びに来た彼女の友達か誰かに聞いたらしくて、会社から帰った僕を捕まえて、家内が ”この本、ポルノじゃないの”と言うんです・・・・」
「ギョッ・・・・オドロイタでしょう!!」
「驚いたどころの騒ぎじゃないですよ・・・・もう、すっかり面目失墜ですよ・・・・」
「ハハハハハ・・・・」
「ハハハハハ・・・・」
等々、これから始まった、教授と僕の掛けあい漫才の会話に学生達は、キャアキャア、ゲラゲラ・・・・と爆笑の連続。
そして・・・・それからの話の内容はもう千差万別・・・・・
クラシック音楽、ポピュラー、カラオケ、演歌、別れ、恋愛、結婚、離婚、人生、夫婦の喧嘩、浮気、お金、神様、家族、自殺、趣味、お小遣い、学費、勉強、英語、語学、読書、小説、ポルノ小説、インターネット、コンピューター、
本当に、何んでもありの 3 時間でした。
そして、その間に、彼女達が知らず知らずのうちに発した健康な女性美・・・・明るく、素直な清々しさ・・・・知的な愛くるしさ、そして・・・・ちょっぴりセクシーな大らかさ・・・・それらは、63 才の僕自身を 40 年も前の 20 才代に立ち返らせる様な本当に素敵でチャーミングなものでした・・・・!!

・・・・・
・・・・・
僕は本当に時間が経つのを忘れて、花村教授と 5 人の女子学生との会話に夢中になっていました・・・・が、ふと気が付いて時計を見ると、ナンと時刻は午後の 11 時半・・・・!!
「アチャー、いけねえ!!」
僕は慌てておいとまをしたが、驚いたことに、あんなに話をしたのに、僕はその 5 人の女子学生の名前を誰も知らない事に気が付いた。
・・・・でも、それから皆んなの名前を聞いたところで、どうせすぐに忘れてしまう。
そこで
「皆んな、E メール って使ってる?」
と聞いてみると、3 人ほどが使っていると言う。
「それじゃあ、僕のメールアドレスをあげとくから、これから、メールでお話をしようよ」
と言うと、
「分かりました・・・・」
という明るい返事。
「ところでさあ・・・・今日、まだ皆んなの名前を聞いてなかったよねえ・・・・?」
と言うと
「さっき、皆んなで取った写真に名前を書いて送りまーす!!」
という嬉しい返事。
・・・・早く、その写真が届くといいんだけど・・・・・・・・

という訳で、今夜も、また新しい友達が 5 人も出来てしまいました。

  

1999-08-27(金)  曇    ヒュッテ

きのうの午後、家内とKRがヒュッテにやって来た。
二人が来ると、ヒュッテの中はとても賑やかになる。
・・・・って言うのは、家内と僕がペチャクチャ、ペチャクチャと、どうでもいいような事を 1 時間でも、2 時間でも話をしているからだ・・・・

その話が終わると、今度はKRが僕のところに来て、これ又どうでもいいような事をひとしきり話をするからだ・・・・

KRも家内もヒュッテが大好きだ!!
・・・・その意味からも、ヒュッテを作って本当にヨカッタと思う。

************

話は変わるが、今夜、夕食後、洗面所で顔を洗い、頭を上に持ち上げたときに、視界の中に黒い小さな点が見えるのに気が付いた。
目をパチパチとしばたいても、その黒い点はなくならない。
家内に
「右目の視界の右側に黒い小さな点が見えるんだけど・・・・」と言うと
「もしかしたら、ゴミが入ったんじゃないの?」との事。

それでは・・・・と、もう一度洗面所に行き、目を水で洗ってみたが相変わらず、黒い点は無くならない。
一体、どうしたんだろう?

  

1999-08-28(土)  晴    ヒュッテ

朝、目が覚めてみたら、例の視界の中の黒い点は無くならずにいる。
・・・・この黒点は一体何んなのだろう?
別に痛くも痒くもないが、時を読むときに少し邪魔になるのがウットウしい。
・・・・本来ならば、今日、眼科に掛かりたいのだが、小海町の病院には眼科が無く、しかも今日は土曜日のため、全くどうしようもない。
まあ、いいや。来週、東京に帰った時にでも、小尾先生に診てもらうことにしよう。

正午。
w192 号地のジャンボジェット機長の吉松さんの家で、お茶をご馳走になる。
吉松さんの家は小高い岡状になった芝生の庭の上にあるが、家の中に入ってみて驚いたのは、下の通りから庭をみあげるのと、家の中から庭を見下ろすのとでは、庭の感じがマルで違うのである。

これには、家内も驚いたらしく
「不思議よねえ? 下から庭を見上げるより、家の中から庭を見下ろす方が、木の数がズット多い感じがするもの・・・・」
と、盛んに首を捻っていた。

一番最初は、4 人で話をしていたが、暫くすると僕と吉松さんとの間では草刈機やパソコンの話に、家内と吉村夫人との間では料理や草花や子供の教育の話に花が咲き、瞬く間に 1 時間半が過ぎ去ってしまった。

我々四人が、こうして顔をあわせるのは今回が初めてであるが、間も無く夏休みが終わると、子供たちの学校が始まるため、こうして、また四人が顔を合わすことが出来るのは、だいぶ先の事になってしまうのかも知れない。

そう考えると、チョット淋しい気もするが、それはそれでトテモ素敵な事のような気がしてならない・・・・!!
・・・・だって、今日の思い出がトテモ素敵だったんだもの!!

  

1999-08-29(日)  快晴   ヒュッテ

臼田町のラージボール卓球大会に参加した。
小海町の団体戦の戦果は、全く振るわなかったが、とても楽しい一日を過ごすことができた。
・・・・僕も、殆どの試合を落としてしまったが、男子シングルスのトーナメントでは、八千穂村の 20 才代の男性に一回戦で勝ち上がり、二回戦で当たったのが望月町の大森さんという選手。

試合前のフォア打ちの後、いざ試合が始まってみると、これが何んとカットマン・・・・!!
僕もカットマンの端くれだから、彼がトップスピンをかけて打ってきた球を僕がカットをして返球しているうちに、彼がいつの間にかトップスピンを掛けるのを止めてしまい、二人の試合は、典型的なカットマン同士のツッツキ戦に入ってしまった。

カットマン同士のツッツキ戦はラリーが長く続く。
この時の試合も、一点一点がみな 10 本以上のラリー戦。
1セット目は、ジュースまで行ったが、惜しくも敗退。
2セット目も、3 点差で敗けてしまったが、試合が終わると彼の方から僕の処にやって来て
「イヤー、参りましたよ。あんなに粘られてしまって・・・・ もし、1 セット目を落としていたら、多分、そのままズルズルとやられちゃったと思いますよ」
と、言って暫くの間、僕と話をしていったのが、とても印象的だった。

今日の男子シングルスの優勝者は、この時の大森カットマンだったが、楽しい人と試合をすることが出来て、とても楽しかったと思う。

話は代わるが、昼食の時、となりに座った土村の花里さんに例の右目の黒点の話をしたら
「あら、私もそれ見えますよ。私の場合は、検査をしたら飛蚊症という事で、何んでもありません・・・・て言われたけど、眼底出血をしていることもあるから、早くチャンと検査をしてもらった方がいいですよ・・・・!!」との事。

1999-08-30(日)  快晴   ヒュッテ ---> 中野

12 : 30 一家三人でヒュッテ発、中野に向かう。
・・・・途中、川越で高速を降り、母親のホームで 2 時間程を過ごしす。
僕が、ホームに行くと色々な人が、僕に声を掛けて下さる。
・・・・園長さんを始めとして、事務員さん、看護婦さん、新居さん、ヘルパーさん等が母親にとても親切にして下さり、僕が行くとニコニコと迎えて下さるのがとても嬉しい。
園の皆さんの話によると、
「田中さんは昭雄さんが来るのを、とても楽しみにして待っているんですよ・・・・」との事。
母親の話しに 2 〜 3 時間もつき合っていると、ときどきヒドク疲れる事があるが、まあ、これも親子の因縁だから仕方がない・・・・
・・・・母親が少しでも喜んでくれれば、チッとは荷が軽くなるような気もする。

母親がベッドの中で眠ってしまいのを機に、ホームを失礼した僕達は、市内の Denny's で 夕食をとり、午後 9 時過ぎになって、やっと中野に到着したが・・・・この頃、とても忙しい日が続いていたせいか、とても疲れた感じ!!

明朝は 6 時に起きて、総合病院で大腸の内視鏡検査である。
今夜は、早く寝なくちゃあ・・・・・!!

  

1999-08-31(月)  快晴   中野

午前 6 時起床。今日は大腸の内視鏡検査の日である。
寝床を出たあと、歯を磨き、鬚を剃って顔を洗い、髪の毛を整えてから、中野総合病院に出掛けた。・・・・大腸の内視鏡検査はこれで 3 回目である。

60 才の第一回目の検査の時は、S字結腸の中に良性のポリープと悪性になりかけだったポリープが各 1 ケ宛てが見つかり、61 才の検査では良性のポリープ1 ケを電気で焼き切っている。
・・・・本来ならば、62 才の時も同じ検査をするはずだったが、何んやかやと雑事に追われていつの間にかやらず仕舞い・・・・!!

だから、今回は 2 年ぶりのチョット気になる検査だったのだが、検査が終わってみると
「・・・・八岳さん、今回は何もありませんでした。・・・・だから、これでオシマイです」
という嬉しいご託宣!!
今まで、何んとなく気になっていたので、いささかホッとしました。

・・・・・・・
・・・・・・・
ところで、今朝がた病院に出掛けた際、以前、和市さんから戴いた永井誠一著の
「わたしのいのちと人生」
の本を持参し、大変申し訳けないけど、静かな廊下での待ち時間にユックリと読ませて頂いた。

この本を送って下さった時の和市さんからの手紙によると
著者の永井誠一氏は、和市さんの上智大学時代の僚友で・・・・「長崎の鐘」「ロザリオの鎖」「この子を残して」の著者、永井隆博士のご子息との事。
永井博士は原爆で奥様を失い、ご本人も被爆をなされ、その後白血病で他界されますが、亡くなられる迄の間、上記の著書を含む数々の著書で、当時、放心状態だった多くの日本人を励まされた方である。

さて・・・・・・・・
本の内容は、著者の永井誠一氏の少年時代・・・・氏のご両親が長崎で原爆に被爆された前後から現在に至るまでの、著者と小鳥達との交友記録であるが、正直に言って
「ウヘエ、小鳥達とこんな付き合いがよく出来るなあ・・・・!!」
と、アキレる程の愛鳥家なのである。

成る程、僕も鳥達は大好きである。
ニワトリは、本当に何十羽となくヒヨコから親鳥に育て上げているし、親父の手伝いをして、クリスマス用の七面鳥を育てたこともある。
・・・・或る時は、悪餓鬼三人で、目の開いたばかりのヒヨドリの雛六羽捕ってきて一人二羽づつ分け合い、その二羽を成鳥にまで育て上げたこともある。・・・・
今でも野鳥は大好きで、ヒュッテの庭にやって来る小鳥達のためにモミノキを切り倒したり、エサ台を作ったり、鳴き声を真似してみたり、行動の観察をしたり、写真を撮ったりしてはいる・・・・
また、東京・中野の自宅では、毎年、春になるとメジロ・カワラヒワ・ヒヨドリ等が庭に遊びに来るし・・・・アンズの木に掛けた巣箱からは、必ずと言っていいほど 2 〜 3 羽のシジュウカラの幼鳥が元気に巣立って行く。
・・・・まあ、僕の愛鳥熱といったら、せいぜい、その程度だし、その程度で十分だと思って来た。

・・・・だが、永井氏の場合には、ペットの小鳥達とホントにもう家族同然の付き合いをしているのである。

・・・・エサやり、水やり、鳥カゴの掃除は勿論のこと、夜になるとペットのセキセイインコを部屋の中に放して小鳥達と遊んでやったり、「オハヨウゴザイマス」「コンニチハ」等々の挨拶をおしえたり、鳥カゴから逃げ出した時の事を考えて自宅の住所と名前が言えるようにしたり・・・・と、大変な愛情を掛けてペットの小鳥達を育てておられるのである。

永井氏も僕も、小鳥達が好きな事には変わりはないが、世の中にこれほど違ったアプローチの仕方がある事を知って、僕は大きなカルチャー・ショックを受けたような気がする。

もし、この永井氏と僕が、何処かで偶然遇ったとしたら、どんな会話が成り立つのだろうか?

そう、考えてみると、何んとなくこの著者に会って見たいような気もするが、会うのが怖いような気もするのである。

・・・・と言うのは、僕を野人(野蛮人と言った方が正確かも知れない)とすると、明らかに永井氏は文明人的な存在だと・・・・僕には感じられるからである。

・・・・とは言え、ペットの命を大切にする事は、必ずや人間の命を大切にする事に相通ずるものがあると僕は確信しているが・・・・家族に生命保険を掛けた後、その保険金を騙し取ろうなどという事が平気で横行する最近の日本の社会情勢を考えると・・・・小さな命に、これ程迄の愛情を注ぐことができるという「神様のような著者」の愛鳥記を、是非とも多くの人に読んで頂きたいと考えざるを得ないのである。



  

   

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