1999年4月の高原日記
1999-04-01(木) 晴 ヒュッテ
本当に2ケ月振りにパソコンがなおり、また今日から高原日記を続けることができるようになった。
・・・・こうして、久方ぶりにキーボードを叩いていると、古い古い友達に会ったような気がして、何となくホッとした気分にさせられるから不思議だ。ただ、このパソコンのトラブル続きの 2 ケ月の間の日記が、いまだに手付かずのままになっているのが、聊か心に重くのしかかっているが・・・・いずれ、手帳のメモを参考に、2 月と 3 月の日記を書かなければ、と思うと何となく気持ちが重くなってくる。
・・・・ホントに毎日毎日やりたい事が目白押しの今日この頃、いつになったらその間の日記が書き上がるかチョッと不安である。ところで、今回、小海町の将棋好きに呼び掛けて、将棋クラブを結成することにしたが、
クラブの名前は、なるべく強そうなのがいいと思い将棋クラブ「王手飛車小海」
と独断と偏見で決めることにした。
・・・・現在までに集まったメンバーの数は 14 人。
本間下の山口洋さんのお父様が、4人ほどの仲間を紹介して下さった為に、急に賑やかになってきたような気がする。・・・・有難いことである。
1999-04-02(金) 晴 ヒュッテ
ここ三日ほど、観光案内所の事務所にとても可愛らしい女性のお客様が僕を訪ねて来るようになった。
・・・・と言っても、心配ご無用。
この珍客は小学校一年生の土村の工藤美愛ちゃんだからである。美愛ちゃんは、将棋が大好きなお嬢ちゃんで、
お母さんの喜美子さんの話しによると、兎に角、お姉ちゃんやお父さんに
「将棋をしよう」
「将棋をしよう」
と盛んにせがんでいるそうである。
・・・・・
「ところが皆に適当にあしらわれているので、いささかご機嫌ななめなの・・・・」
とは喜美子さんの弁。・・・・・・・・
「よし、それならば・・・・」
・・・・・・・・
・・・・小海町初の将棋クラブ「王手飛車小海」のメンバー集めに奔走していた僕が、このチャンスを見逃すハズがない。
・・・・僕は思案顔の喜美子さんに言った。
「そりゃあ、グッドタイミングだ・・・・今度、この町に将棋クラブを作ろうとして、メンバーを集めているので、美愛ちゃんも入ったらいいよ!!」
「でも、うちの子はまだ小学校1年生なんだけど・・・・」とお母さんの喜美子さんは心配顔。
「え、どうして? 将棋に性別・年齢の制限は無いよ。大丈夫、大丈夫。是非、入ってよ」
「・・・・でもお・・・・うちの子以外はぜんぶ大人なんでしょう・・・・?」
「そうだけど、そんなの関係無いって・・・・・!!」
・・・・流石に僕は、現在の最年少者は 33 才である事は言いそびれた。
「えー、本当? いいのかしら?」
「構わない。構わない。皆んな喜んで相手にしてくれるよ」
「皆さんのお邪魔虫になっちゃうんじゃないかしら・・・・」
「大丈夫。大丈夫。・・・・皆さんが忙しかったら、僕が相手をしてあげるから」
「ホンとにいいのかしら?」
「いいって、いいって・・・・何んだったら、明日からでも案内所に連れていらっしゃいよ。僕が見てあげるから・・・・」と、言う訳で、美愛ちゃんは「王手飛車小海」の最年少のメンバーになり、僕はこのリトル・レディーの将棋の相手をすることになったのである。
美愛ちゃんはとても可愛らしい女の子である・・・・
瞳がとても明るくて、からだ全体が出来立ての食パンみたいにフカフカしていて、何となくギュッと抱きしめたいような感じに誘われる。
・・・・目は真ん丸で、人を見つめる時の顔付きと言ったら・・・・・!!
余りの可愛らしさとあどけなさで、僕はいつも笑いだしてしまう。そして・・・・
将棋(ハサミ将棋ではありません・・・・ホン将棋ですぞ!!)をしていて大駒を取られたときの
「キャッ!!」という無邪気な悲鳴が、とてつもなく可愛らしい!!この悲鳴が聞きたくて、僕は時折、王手飛車などの両天秤(りょうてんびん)をかけ、美愛ちゃんの王様が逃げ出すと、僕は・・・・
「ウッヒッヒッヒッヒ・・・・」と言いながら、わざとユックリと飛車の方に手を伸ばして行く。
その時になって、自分の飛車がピンチになっていることを初めて知った美愛ちゃんは
「キャッ!!」と例の可愛らしい悲鳴をあげるのだが、
・・・・その可愛らしさと言ったら、
この悲鳴を聞くと、僕はいつも大声で笑いだしてしまう・・・・!!「ワハッハッハッハッハ・・・・・!!」
本当に楽しいひとときである!!
*****************
夜、Masami にリターンメールを出す。
Masami は、ハロー英語学院のクラスメート。
とても、チャーミングで可愛らしい、僕が一番弱いタイプの女性である。
僕はキーボードを叩いている間、ストーブの燃える音を聞きながら Masami と友達になることができてホントによかったと、沁み沁みと感じていた。僕は Masami が大好きである!!
1999-04-03(土) 快晴 ヒュッテ
夜、Yoshimi ちゃまから貰ったメールに返事をだす。
Yoshimi ちゃまは昨夜、メールを出した Masami のお姉ちゃまで、美女タイプの美女。
去年の秋、Masami が彼女をヒュッテに連れてきて僕に紹介した時、
僕は思わず
「ウワア、凄っげえ美人だあ!!」
と叫んでしまったほどである。Yoshimi ちゃまは、底抜け明るくて、話をしていると、とても楽しい。
だけど、この人の事を考えていると、僕はいつも頭の中が少し混乱して、心が悩ましく掻き乱されるので、聊か(いささか)口惜しい思いをする!!ン〜ニャロメッ!!
1999-04-04(日) 快晴 ヒュッテ
明 4 月 5 日は、小海町の文化クラブとスポーツクラブの活動登録日である。
小海町で最初の将棋クラブの発起人である僕は、今日中に町の総合センター宛の書類を作っておかなければならない。それが終わったら、毎号、公民館報に載せている「小海町の蝶 (7)」の原稿を至急仕上げなくてはならない。
・・・・締め切り日が明後日に迫っているからである。
なんとなく忙しい今日この頃である。午後、立花屋旅館のご主人が、案内所に来たので、背負い篭はどこで売っているかを聞いたところ
「ヤナショーの大物のコーナーで売っていますよ」との事。
・・・・前から、欲しい欲しいと思っていた背負い篭を入手出来そうなので、僕はとても嬉しかった。
・・・・この背負い篭は、松原湖の湖周遊歩道のゴミを集めるの使う予定である。
1999-04-05(月) 晴 ヒュッテ
午後、豊里のヤナショーに背負い篭を見に行く。
店に入って訊いてみると、現在、注文を出している所で、入荷は 4 月 20 日くらいとの事。
・・・・お陰で、松原湖の遊歩道のゴミ拾いは、20 日過ぎまでお休み!!夕食後、総合センターで開かれた、この町の各種クラブの登録説明会に出掛ける。
この説明会で、我々の将棋クラブ「王手飛車小海」の定例会が第二・第四金曜日の午後 7 時半からに決まり登録を済まして、帰宅する。
●夜、Yosimi ちゃまからメールが届いていた。
・・・・ Yoshimi ちゃまは、メールで色々なものを送って来てくれる。
今夜のメールの中味は、最近流行の「ダンゴ3兄弟」の替え歌「鋳鉄管のダンゴウ」!!
まあ、こんな歌をどこのホームページから見つけて来るんだか知らないけれど、余程ヒマなんだろうか・・・・と疑いたくもなる!!
・・・・でも、読んでみて大笑い・・・・!!***************************************
こんばんは。
ずっと探してたの。やっと今日見つけたから送ります。だんごう3会社
原曲名:だんご3兄弟
原歌手:速水けんたろう&茂森あゆみ管をつくってだんごう だんごう 3つそろってだんごう だんごう
会社連ねてだんごう だんごう だんごう3会社
一番上はクボタ 一番下は鋳鐵管 間にはさまれ栗本 談合3会社
3割シェアの栗田 1割シェアの鋳鐵管 シェアが一番クボタ談合3会社こんど製造するときも ねがいはそろっておなじシェア
できればこんどもマージンの たくさんついたダクダイル 談合
ある日入札けんか けんか 値段のことでけんか けんか
隙間の見えた談合 談合 でもすぐに仲なおり今日は公取手入 手入 3社そろって手入 手入
うっかり手抜りボロがでて 告発されました春になったら工事 工事 秋になったら予算 予算
一年通してだんごう だんごう だんごう3会社 だんごうだんごう だんごう だんごう だんごう
だんごう3会社 だんごう3会社 だんごう3会社 だんごう!----------------------------------------------------
解説
大ブームのだんご3兄弟。いろいろと推敲しているうちに、同時多発にあちこち
で歌が作られているようです。
やはり、だんご だんご...と談合談合...は替歌のセオリーにあったサビの部分でしょう。
だけど、自称替歌大王はそれだけじゃ終らない。
「だんごう3会社のひみつ」も作った(だんご3兄弟のCD買ったらついてくるおまけのカード)
だんごう3会社の本名> 株式会社クボタ 株式会社栗本鐵工所 日本鋳鉄管株式会社
だんごう3会社あこがれの人>ビル・ゲイツ(市場を独占して大儲けしているから)
だんごう3会社の親友>きせい3省庁(通産省・建設省・運輸省 どことも仲良くやっている)
だんごう3会社のライバル>二段構え (公正取引委員会&市民オンブズマン)From Yoshimi
●・・・・今日のメール、所々、チョット意味の分かりにくい所はあるけれど、読み終わったあと、
「 Yoshimi ちゃまって変な女の子・・・・!!」って暫らくの間、考え込んでしまった。
だって、こんな替え歌に興味をもつ女性なんて僕の周りにあまりいないし、ましてや・・・・思わず吹き出したくなるようなヘンテコリンな解説をつけてくる女性は、ますますもって数が少ない。
・・・・その上、数学が好きだとか!!
・・・・・・・・・・
エエイ、コンチクショウメー!!
・・・・また、今日も Yoshimi ちゃまのことで、悩んじゃったじゃないか!!!!
1999-04-07(水) 晴時々雪 ヒュッテ L = -9, H = +4
朝ご飯を食べているとき庭を眺めると、 10cm ほどの霜柱が所々にニョキニョキと立っている。
・・・・食事中だったが、霜柱が大きな顔をしているのが何んとなくシャクに障ったので靴をはいて庭にとびだし、思いっきり霜柱を蹴っ飛ばして帰ってきた。
今日は、一日中、よく晴れた日だったが、ひどい風が吹き、突如として何回も雪が降るという非常に変わった天気の一日だった。ところで、2カ月振りにパソコンが復旧してみると、モウ大変ッ!!
返事を書かなくちゃいけないメールが目白押し。
2月、3月の高原日記は全く手付かずの状態だし、ホームページのあちこちの手直しもしたい。・・・・おまけに、春が来て雪も殆ど溶けたので、庭の手入れもしなくちゃいけない!!
・・・・薪も積み直さなくちゃいけないし、白樺とライラックの幼木の消毒も待っている。
・・・・それから、松原湖でヨットレースを予定しているラジコンのヨットも製作途中だ。
・・・・それから、4月23日夜に発足する、将棋クラブ「王手飛車小海」用の将棋の駒と将棋板の用意もまだ終わっていない。
・・・・それから、アレも
・・・・それから、コレも・・・・ああ、もう忙しいったらアリャシナイ!!
・・・・デモ、トーーーーーーッテモ幸セデーーーーーース!!!!!!!!!!!
1999-04-09(金) 曇のち雨 ヒュッテ
夜、メールボックスを覗いてみたら、久方振りに英語の達人の和市さんからメールが届いていた。
・・・・内容はうんと縮めると、あす4月10日、宮中桃華楽堂で開かれる、天皇皇后両陛下のご成婚40周年記念音楽会で、聖イグナチオ教会の聖歌隊が合唱を披露する事にまりました・・・・というもの。
「・・・・おや、おや、おや、これは大変!!」
と、小さな声で呟(つぶや)いて、先を読んでいくと、次のパラグラフに今回の運びとなった理由が書いてあって、
「宮内庁の侍従によれば40年前当時の皇太子、皇太子妃のパレードが四ッ谷、聖イグナチオ教会前を通過する時耳にされた歌を両陛下が覚えておられ、是非もう一度聴きたい、と言われたのが話の発端だった様です・・・・」
との事。・・・・聖イグナチオ教会は、和市さんの出身校、上智大学付属の教会である。
・・・・メールの文面からだけでは、和市さんが、歌うのか、指揮をするのか、それとも合唱隊の責任者(・・・・多分、この責任者なのではないかと思うが・・・・)なのか、今ひとつクリアではないが、今夜あたりは、すこし緊張気味なのではないかと思い、
「トチった時は、トチった時!!・・・・いつもの練習の時と同じ気持ちで、合唱を楽しんで来て下さい・・・・」
と言うような内容のメールを発信した。発信時間は午後11時少し過ぎ・・・・
和市さんが、このリターンメールを読むのは、あした演奏を終わり、夕方、帰宅してからのことになってしまうかも知れないが・・・・!!・・・・ところで、今夜の日記をこうして書いているたった今の時点迄、僕は全く気が付いていなかったのであるが、和市さんは僕の人生において、色々な影響を与えた人だったようである。
僕は、1963 年から2 年ほど、ソニーの Visitors Bureau (主として、VIP および海外からの訪問客の応接をする部門)で、和市さんの下で仕事をしたことがあるが、今から考えると、その2年の間にホントに色々な影響を受けたようである。
・・・・ここで、「・・・・影響を受けたようである」としか言えないのが、ホントにたった今その事に気が付いた事を端的に表していると思うが、以下、思い出すままに、その影響の幾つかとおぼしきものを書き出してみよう。●兎に角、何んといっても、強烈な第一印象は、実に美しい英語を話す人だった事。・・・・ソニーには、当時、英語の上手な人が沢山いたが、その中にあっても和市さんの英語はとにかく美しかったことで・・・・
「この人の半分でもいいから、英語が話せるようになりたい!!」
と、いつも思っていた事。
●どんな人に対しても、いつもキチンと「〜さん」と、必ず「さん付け」で呼んだ事・・・・僕は和市さんが「〜君」と君ヅケで人を呼んだのを聞いたことがない。・・・・この時以来、僕は、和市さんほどではないが、この習慣を見習って来ているツモリである。
●フランス語を勉強する機会を与えて下さったこと。
・・・・この影響は、僕の人生において実に大きな影響を及ぼしている。当時、フランス語の知識が皆無だった僕達だったけど、和市さんの計らいで、会社の中で毎週 一回、2 時間づつフランス人の先生からフランス語を学ぶことができ(勿論、費用は会社持ちです!)、5 年後には、あの有名な Mauger の教科書の第三巻の中程まで行ったこと!!
・・・・そして、そのころになると、英語を話せないフランス語圏の人が会社に来ると、フランス語でカラーテレビやテープレコーダーの工場を案内することが出来るようになっていた事。
・・・・更に、あれから 30 年経った今でもフランス語の日常会話に、それほど困らないのは、この和市さんのおかげである。
●或る夏の一日、和市さんは僕達 5 人の部下を軽井沢の別荘に招待して下さったが、一夜を明かした翌日の朝の清々(すがすが)しかったこと。
現在、僕は、松原湖のヒュッテで楽しい毎日を送っているが、このヒュッテを建てることになった動機を探って行くと、心の奥の奥に、あの夏の朝の鮮烈な記憶が残っているような気がしてならない。
●社内の昼休みや終業後、和市さんが時折、フォーレのミサ曲のあの美しい終曲「エン・パラディズム」やアルベニスのタンゴを美しい声(・・・・そうか!! 今、分かった!! もしかすると和市さんは当時、聖イグナチオ教会の合唱隊で歌っていたのかもしれない・・・・・!!)で口づさんでいたのを思い出す。
・・・・その当時、僕もアルベニスが大好きだったが、和市さんが時折口づさんでいたためか、あの美しいタンゴを聞くたびに、和市さんを時々思い出したものである。・・・・和市さん、気が付いたのが、こんなに遅くなってスミマセン!!
・・・・遅れ駆せながら、感謝しています。
1999-04-10(土) 晴 ヒュッテ
長野市の小林さん来訪。
小林さんは、インターネットで知り合った人である。
或る日の夜、メールを覗いてみたら、見知らぬ小林さんからのメールが来ていた。
内容は・・・・僕のホームページの「高原の別荘生活考!!」を読んでいたら、エールを送りたくなって、メールを発信した由。
・・・・宜しくと言う文面とともに、美しい新築のログハウス別荘の写真が添付されていた。
・・・・その後、何通かのメールのやりとりがあり、今年に入ってから、電話で話すようになり、最近になってからは
「お互いの別荘の相互乗り入れをヤロウじゃん!!」
という流れになり、ついにご当人のご来訪と相成った次第である。今日は、八ケ岳中腹の本沢温泉に行ってきたとかで、小林さんは登山用の厚手のシャツにチョッキ姿。
聞いてみると、山登りが大好きとの事。
「上(本沢温泉のこと)は、まだ可成り雪がありましたよ・・・・」とか・・・・二人とも、後の予定があるため、一時間ほどで小林さんは帰られたが、僕も彼も実家が米屋なのには、お互いに目を見張ったものである。
最後に・・・・・下の写真は、ヒュッテのダイニング・テーブルで撮った小林さんの写真だが、バックライトのお陰で、人物が少し黒くなってしまったのがザンネンデシタ!!
午後 6 時・・・・・
仕事が終わってから山を下って、小海塾の新しい集会所のオープニングに出席。小海塾は、小海町の将来の発展を考える地元の青壮年の集まりで、毎月一回の会合をもっているグループである。
・・・・今迄は、「高原のパン屋さん」の品田社長の自宅の一室を開放してもらって例会を開いていたが、いつまでも品田家の言葉に甘えているのも気の毒だ・・・・という訳で、このほど、町が買い上げた中部電力の古い事務所を小海塾用に開放して貰い、そこを新しい例会の会場にすることにしたのである。今日は、そこでの第1回のミーティングの日で、4時からの大掃除に引き続き、お披露目を兼ね皆で一杯やろう・・・・という事になったのである。
まず、美代治会長の挨拶に引き続いて、各担当者から今後の活動予定の報告があり、それが終わると、いよいよ乾杯である。
ひとわたりアルコールが入ると、話は種々雑多な話題に移る。
・・・・4月に新しくなった役場の機構と人事の話。
・・・・つい最近起きた町の中の自動車事故の話。
・・・・町内に新しく開店した店の話題。
・・・・松原湖の湖水が最近すこし変わって来たという話。
等々、話しは活気を帯びてきた。
・・・・だが、その時、「松原湖」という名前を聞いた僕は、ふと、湖水周辺のゴミを拾う為の背負い篭のことを思いだして、皆に声をかけた。「チョット、チョット・・・・皆んなに聞きてえ事があるだけどサ・・・・」
「・・・・・?」
・・・・こちら半分のグループの連中が皆ぼくの顔を覗き込んだ。
「いや、大した事じゃねえだけどサ・・・・ショイッカゴ(背負い篭の事をこちらの人は、こう呼んでいる・・・・と、先週ある人が僕に教えてくれた!!)を幾つか探しているだけど・・・・」
と、僕が言うと
「ショイッ篭だったら、へえ、ヤナショーで売ってねえだかい?」と誰かが言った。
「ヤナショー? ・・・・・今は、売ってねえだよ。・・・・俺あ、きのうヤナショーに言って聞いて来ただけど、去年の秋あったヤツは、へえ、ミンナ売り切れちまったで、今、注文してるだ、と・・・・そいで、”じゃあ、いつ頃来るだかい”って聞いたら、4月の20日頃に入えって来るっちゅうこんだ」
「八岳さん、ショイッ篭なんか、何にするだい?」
「うん、あれえ担いで(かついで)松原湖の周りのゴミい拾いてえだよ。・・・・へえ、観光客が湖水の周りにゴミい捨てて行くだでな・・・・遊歩道のところをキレイにしてえだよ!!」
・・・・すると、勝っちゃんが言った。
「八岳さん、俺っちのオバアチャンが使っていたのがあるから、オバアチャンにきいて、2-3 日したら持っていきますよ・・・・!!」
「ホント? いや、アリガテエ!!・・・・でも、いいだかね?」
「大丈夫ですよ。うちじゃあ、もう使ってませんから・・・・」
・・・・勝ちゃんは、僕に話すときには折り目正しい標準語で話をする。・・・・僕はとても嬉しかった。
・・・・僕が、何か困っていると、松原の部落の人や、町の仲間達が、いろいろと助けてくれるからである。・・・・・・
・・・・・・
それから、2時間ほどがすぎ、小海塾は真夜中になって解散したが、帰途、何人かの飲兵衛を家の近くで下ろしてやり、最後の一人を下ろした後、たった一人ぼっちになった僕は心からこの町の素晴らしい仲間達にお礼を言った。「ホントに、どうも有り難う。僕は小海の町に来て、とても幸せです!!」
・・・・その後で、僕は小さな声でクスリと笑った。
というのは、皆でワイワイやっている時に、僕の隣に座っていた千代里本間の芳江さんが、小海弁で僕が話しているのを聞いていて
「八岳さんって、小海で生まれて、小海で育った人みたい・・・・!!」
と、笑いながら言ったのを思い出したからである。
1999-04-11(日) 晴 ヒュッテ
夜、
一昨日メールを貰った和市さんから、桃華楽堂での聖歌隊の本番合唱の模様を記したメールが届いていた。このメールによると、和市さんは指揮者ではないから、矢張り、合唱隊の責任者のようである。ところで・・・・以下の文面は和市さんから戴いたメールの一部であるが、こういった事は、普段の我々にはチョット経験できないことなので、私の一存で読者の皆様にも披露することにしたいと思います。
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・・・・10時に聖歌隊のメンバーが大手門に集合しましたがやがて宮内庁の担当者が桃華楽堂への 案内に現れました。控え室では声出しと最後の練習、そして宮内庁弁当をご馳走になり、1時にはステージ用の服に着替え待機の状態に入りました。やがて2時からコンサートの開始、皇宮警察音 楽隊の演奏、錦織健氏永井和子氏の独唱につずき我が聖歌隊も3曲歌わせてもらいました。やはり普段とは全く違った雰囲気のためか指揮者は多少あがりぎみで歌う順番を間違えそうになりましたが何とかとりつくろいました。コンサート後は別室で両陛下の謁見がありかなり長時間実際に両陛下と言葉を交わす事が出来ました。天皇様とは歌の話(コンサートで歌った1曲は天皇様が沖縄ご視察の折詠まれた詩に皇后様が作曲されたもの)そして皇后様とはロッシーニ作曲の真望愛の話、クリスマスに歌ったシャルパンテイエのミサ曲の話がおもでした。誠に得難い経験をさせて頂いた 、と感謝しております。
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夜、
9 時のニュースで、早々と石原慎太郎の都知事当選確実のニュースが流れた。
・・・・ところで、話は横道にそれるが・・・・20 才の選挙権を手に入れて以来、僕は日本に於ける二党政治を夢見て来た為め、自民党系の立候補者に票を入れたことがない。
今回の都知事選でも・・・・現在の日本の野党の中で、イデオロギー的にも組織的にも、一番野党らしいのは民主党である・・・・と思っているため、鳩山邦夫に不在者投票の一票を投じたが、結果は、残念ながら慎太郎に次いで 2 位に終わった。さて、今回当選した石原慎太郎であるが、当選しただけあって、事の善し悪しは別として、流石に言う事が非常にクリア・・・・この点が、浮動票者層に受けたのではないかと思う。
・・・・他方、自民党推薦の明石候補の論点は、まるきり不明瞭。
・・・・ただ、「国連の大組織を纏(まと)めてきた経験を生かして・・・・・」の部分だけがクローズアップされ、聞いていた僕は
「バカジャネーノカ、コイツ・・・・・!! コンナノニ都知事ヲヤラレタラ、タマンネーヨ・・・・」
とテレビの画面に向かって、何回か怒鳴ったが、結果はご覧の通り!!
・・・・自民党支持者の 5% の票しか獲得出来なかった。さて、小渕首相としては、早速、慎太郎と話し合いをしたい所だろうと思うが、横田基地返還を公約に掲げた、慎ちゃんと、どう話し合いをつけるのか・・・・チョット見物である。
最後に、この慎ちゃんで心配なのは、一種ナショナリズムとも言えるような狂信的な所があることである。
なにせ・・・・慎ちゃんは、あの南京の大量虐殺問題について、崩壊した東ドイツ大使館から、ナチ時代に中国に駐在していた駐在官から、ヒットラーに宛てた書かれた”南京の大量虐殺に関する報告書”が出て来るまで、”南京大虐殺は虚構である!!”と言い続けていた人であるから・・・・
ウッカリすると、この人の口からは何が飛びだすか分からない!!!!
1999-04-13(火) 晴のち曇 ヒュッテ
立花屋旅館の奥さんから貰ったルドビキアとジキタリスを庭に植える。
ルドビキアは花期が初夏から秋まで実に 6 ケ月ほどにもわたる、美しい花。
ジキタリスは高さ 30〜40 センチ程の、ピンク色のスズランの形をした可愛らしい花。
・・・・白樺の根本の芝生の中から顔を覗かせたら、とてもキレイ!!・・・・と思い、ベランダの正面の白樺の根本に植えることにした。夜、
公民館で卓球の練習。
2 月 22 日、八千穂村で追突されてから、7 週間目。
ムチ打ち症の首の固定カラーもとれ、先週に引き続き、2 回目の練習。
・・・・今日は先週のオッカナビックリと少し違い、かなり思い切ってカットの練習ができたのが、とても嬉しい!!
・・・・まだまだ以前に比べたら調子は落ちているけど・・・・・!!
全快するのも、もう間もなくだろう・・・・早く、よくなって卓球台の周りを飛び回りたい・・・・・!!!!!!!!!!!!
1999-04-14(水) 快晴 ヒュッテ L = 2, H = 14
午後、八千穂村に近いコメリで、庭植えの植物を買った帰り道・・・・・
小海駅前アルルの「みや書店」の奥の書棚で本を物色していた僕は
「オヤ?」
と呟く(つぶやく)と一冊の本を手にとった。
その本の表紙に
雑草の数学「気紛れ数学」・・・・と印刷されていたからである。・・・・僕はパラパラと本をめくってみた。
「面白い・・・・」
わずか 150 ページたらずの本なのに、自然数から始まり、一次・二次方程式、三角関数、数列、円周率の求め方、微分・積分、積分計の原理、極座標系による求積、二重積分による求体・・・・などが、実に分かりやすく解説されている。
・・・・しかも、円周率の計算のページには、BASIC 言語の「 For 〜 next 文」を利用した計算プログラムまで書かれていて実に面白く、
「うん、成る程・・・・こいつは上手い(うまい)・・・!!」
と僕は何回も頷いた(うなずいた)次第である。僕は数学が大好きである!!
一番数学に熱中していたのは、高校から大学時代にかけてで・・・・商船大学の最初の 2 年間は、寝ても覚めても
「微積、微積!!」で、
昼間解けなかった問題の解法を、真夜中の全寮制のベッドの中で思い付き、ガバと毛布を蹴って起き上がると、同室の仲間達を起こさないように、ノートと鉛筆をもってトイレに行き、明るいトイレの電灯の下で、その問題を解いたことも何回かあった程である。・・・・現在の僕にとって、数学とは美しい”理論の芸術”である。
一般的に・・・・・・数学と言うと
「数学?」
の一言と共に眉を潜られるが、この数学も・・・・僕にとっては、透明なクリスタル・ガラスでつくったシャンデリアの様に、透き通った輝きを放つ理論芸術として、心を和(なご)ませるものの一つなのである。
こんな事を言うと
「キザな野郎だ!!」
と白い目で、見られるかも知れないが、僕にとって数学とはホントにそう言ったものなのである。
・・・・だから、家内と親類の法事に出掛ける時も、ヒョイとポケットの中に数学の本を忍ばせて電車の中で読んだり、トイレが混む朝の時間帯に、数学の本をトイレに持ち込んで、30 分近くも夢中になって読んじゃうものだから・・・・
「パパ、まだあ・・・????」
と、長男と家内の顰蹙(ひんしゅく)を買うこともある。閑話休題
・・・・さて・・・・この本の第一の特長は、何んと言っても一般の教科書の解説では、無味乾燥で面白くなくなり勝ちな数学の理論を、実に面白く分かりやすく解説している事である。「みや書店」で 30 分ほど立ち読みして、ザッとではあるが、一応粗筋(あらすじ)を読み終わった僕は、表紙の下の方の印刷を見て
「エーッ!!」
と、驚きの声を上げた。
・・・・そこには、「親沢:としあや」と・・・・著者名が書かれてあるではないか!!ナント、この人は親沢・・・・すなわち、小海町の人らしいのである。
「おばちゃん、この人知ってる?」
僕はそう言って、その数学の本を書店の奥さんに渡した。
・・・・少し遠視気味のおばちゃんは、本の著者名を目を細めて読むとこう言った。
「この人だったら、時々この店にも来るだよ・・・・背の小さい人でね。とても静かな人よ・・」
「何にしてるだい・・・・この人は?」と僕。
「宮大工だっちゅう話だよ、この人は。・・・・静かな人だでね、一番最初は店に来ても、余り話もしなかったけど、段々分かってくると色々勉強してる人らしいだよ・・・!」
「いくつ位の人、この人?」
「80 才くらいかなあ?」
「ハチジュウ???? オッドロイタナア!! 80 才のひとが BASIC でプログラム組むなんてえ・・・・・こんな人が小海にいるとはねえ?・・・・いや、オドロイタ、オドロイタ」
と、言うと、おばちゃんは
「八岳さん、私らには全く分からねえだけど、この本はそんなにもイイ本ですか・・・・?」
と、スットンキョウな声を上げた。
「うん、この本、今ここで大体読んじまったけど・・・・すごく面白れえだよ!・・・・ねえ、おばちゃん・・・・この人はねえ、・・・・数学がホントに分かってる人だよ」
「へえ、そうかね?」
「うん、数学がホントに分かってねえと、こういった本は書けねえだ・・・・」
「・・・・ねえ、八岳さんて一体ナニモノ?・・・・色んな言葉を話したり、町のコンピュータの先生をしたり、将棋をしたり、数学が好きだったり・・・・」
「・・・・別に、どういった人でもねえだよ・・・・・ごく普通の人間だよ」
「そうかねえ?・・・・何んか、普通の人と違うような気さするけど・・・・」
「そんな事ねえって!!・・・・ねえ、おばちゃん、僕、こんどこの人さ、会ってみてえだけど・・・・どうかな?」
「いいじゃねえですかい・・・・とっても優しそうな人よ・・・・!!」
「よーし、分かった!! じゃあ、近いうちに電話さ入れてみべえ・・・・」
「親沢よ・・・ねえ、八岳さん・・・・親沢よ、この人・・・・」
「うん、分かった。おばちゃん、俺ら、この本買うだで・・・・いくらかな?」
・・・・僕は、代金の 1,050 円を払うと、おお急ぎで駐車場に急行し、ダイハツのポンコツ車に飛び乗った。嬉しかった。
・・・・ついに、小海の町の中で見つけた・・・・数学の好きな人を!!
「よし、こんどはいつか、町の中に”数学の愛好家クラブ”を作ってやろう!!」
・・・・帰り道、山道を上る県道を運転しながら、僕はホントにワクワクしていた。
バンザイ、バンザイ・・・・
やっと、数学クラブが出来そうだ!!**********************************
帰宅後、コメリで買って来たシバザクラ、ノイチゴ、ユキヤナギを庭に植えた。
そして・・・・夕方、外に出てみると、先刻植えたユキヤナギの白い花が、あるかなしかの風に清楚に揺れていた。
1999-04-15(木) 晴のち曇 ヒュッテ L = -2, H = 13
金融と財政の分離問題に揺れていた「大蔵省」の名称が「財務省」に変わることになった。
・・・・いい事である!!!!
だが、その後がいけない。
去年の自民、民主、公明、間の金融・財政完全分離の公約違反の烽火(のろし)をまず自民党が掲げ、これに真っ向から反対する民主との間をとり、公明党改革クラブが
「金融の破綻処理は、金融・財務の共同作業で行い、主導権は金融が持つ・・・・!!」
という折衷案みたいなものを提案し、代わりに自分たち公明の政策を自民に認めさせる戦術に出た。・・・・僕は、当初から
「公明は、そのうち裏切るよ・・・・!!」
と思っていたが、いつもの通り、案の定・・・・・である!!まったく、イヤな党だ・・・・!!
1999-04-16(金) 快晴 ヒュッテ L = 5, H = 18
ここ、二三日 Avis の佐久ポイントに繋がりが悪かったが、今朝、突然、PPP パスワードが認識されなくなってしまった。
・・・・つい二三分前までは正常に動いていたのだkら、僕は慌てた。
「アチャー、またパソコンの調子がオカシクなっちゃった・・・・・」
僕は、何回も Config PPP の Authentification に ID とパスワードを入れ直した。
・・・・Config PPP の新しいページを開いてもみた。
だが、どうしてもウマク行かない!!
・・・・思い余って、Avis に電話をいれてみると
「今朝から、上田と佐久のアクセスポイントが正常に作動しなくなっています」との事。
「何んだよ・・・・僕のパソコンがおかしいのかと思っちゃうじゃないか・・・・!!」
・・・・僕は、思わず呟いてしまった。それにしても、佐久のアクセスポイントは、ここ何日かの間、何か調子がおかしい。
とくに、サイトのアップロードが上手く行かない。
・・・・僕は、もう三日もハジカレテしまった。
もう、回線が一杯なのだろうか?***************************
一昨日、アルルの「みや書店」で見つけた「気紛れ数学」の著者井出敏章(いで としあや)さんと電話で話をした。
成る程、本屋のおばちゃんが言ってたように、とても静かに話をする人である。
・・・・話の途中、僕はとても気になっていたことを聞いてみた。
「本の中に、BASIC で書いたプログラムが幾つかありましたけど、あれは、何処で勉強されたんですか?」
・・・・・答えは、意外や意外。
「自分で勉強しました。私が勉強した当時は、まだマイコンの時代でしたから・・・・」との事。
「えーっ?」
僕は思わず驚きの声を上げてしまった。
・・・・・もし、それが本当なら、敏章(としあや)さんは、僕なんかよりズットよくパソコンの事を知っている筈である。
僕が初めてパソコンに触ったのは、今から 15 年ほど前のこと。
・・・・・成る程、僕は BASIC 言語、C 言語、それからアセンブラーを少々憶えたが、マイコンの時代と言うのは、それよりも更に、2 世代も、3 世代も前の時代である。
本当に何もかも手作りの時代。
・・・・その頃の人には、コンピューターの基本を知っている人が多い。
要するに、敏章さんはそう言ったパソコンの草分け時代に、パソコンのことを勉強した人なのである。僕達は、それから 5 分ほど話をしてから、
「こんど、松原か親沢で是非会いましょう・・・・!!」
と、話し合って電話を切ったが、その日が来るのが、とても楽しみである。生きてるって、ホントに素晴らしい!!・・・・・と思う。
***********************
午後、美術館の中嶋さんがショイッ篭をもってきてくれた。
何人かのひとに、
「松原湖の周りのゴミ拾いに使いたいから・・・・」といって頼んだアレである。一昨日は、勝っちゃんが
「八岳さん、これヒモが切れちゃってるけど、直して使ってよ・・・・」
と言って、大きいのと小さいのを二つ持ってきてくれたから、これで三つになった訳である。「有難い・・・・・!!」
勝っちゃんから、貰ったやつは、いずれヒモを直すことにして、
今日、中嶋さんから貰ったやつを背負って、早速、ゴミ拾いに出掛けてみた。
・・・・いや、ゴミと言うのはけっこう遊歩道に落ちているものである。
そして、けっこう重い物でもある。40 分ほどで、僕は一周してきたが、楽しかった事!!
明日から、毎日出掛けよう。
今日も湖周のゴミ拾いに行こうと思った矢先に、雨が降り始めた。
仕方なく、暫くの間、案内所の窓から雨に煙る湖面を眺めていたら、 4 日ほど前に池端さんから面白いメールが届いていたのを思い出し、もう一度読んでみることにした。池端さんは、この小海町の杉尾に住んでいる理論物理専攻の異色の陶芸家である。
・・・・そして・・・・つい、二カ月ほど前、イタリアのファエンツァで開かれた、ヨーロッパで一番権威のある陶芸展で銀賞を受賞した優秀な陶芸家でもある。
(・・・・ちなみに、今回のファエンツァの陶芸展は隔年で第 51 回・・・・ようするに、この陶芸展はもう 100 年以上も続いているのである。これに対し我が日本に於ける最も権威ある陶芸展は、隔年で 15 回・・・・まだ、30 年ソコソコにしかならないそうである!!)閑話休題
・・・・四日ほど前の夜。
池端さんから届いた、このメールを読み始めたトタン・・・・僕は飲みかけの紅茶を
「ブーーーッ、ファッ!!」
とテーブルの上に吹き出してしまったほどである。
・・・・今日も、こうして、読み直してみても、また笑いだしてしまう!!だから、このメールもここに引用して置くことにしよう。
***********************
面白い話がきました。
かつてビル・ゲイツはこんなことを言ったそうです。
「もしGMがコンピューター業界のような絶え間ない技術開発競争にさらされていたら,私たちの車は1台25ドルになっていて,燃費は1ガロン1000マイルになっていたでしょう。」これに対し,GMは次のようなコメントを出したと言われています。
「もし,GMにマイクロソフトのような技術があれば,我が社の自動車の性能は次のようになるだろう。」1.特に理由がなくても,2日に1回はクラッシュする。
2.ユーザーは,道路のラインが新しく引き直されるたびに,新しい車を買わなくてはならない。
3.高速道路を走行中,ときどき動かなくなることもあるが,これは当然のことであり,淡々とこれをリスタート(再起動)し,運転を続けることになる。
4.何か運転操作(例えば左折)を行うと,これが原因でエンストし,再スタートすらできなくなり,結果としてエンジンを再インストールしなければならなくなることもある。
5.車に乗ることができるのは,Car95とかCarNTを買わない限り,1台に1人だけである。ただその場合でも,座席は人数分だけ新たに買う必要がある。
6.マッキントッシュがサンマイクロシステムズと提携すれば,もっと信頼性があって,5倍速くて,2倍運転しやすい自動車になるのだろうが,全道路のたった5%しか走れないのが問題である。
7.オイル,水温,発電機などの警告灯は「general car fault」という警告灯一つだけになる。
8.座席は,体の大小,足の長短等によって調整できない。
9.エアバッグが動作するときは「本当に動作して良いですか?」という確認がある。
10.車から離れると,理由もなくキーロックされてしまい,車の外に閉め出されることがある。ドアを開けるには,1.ドアの取っ手を上にあげる,2.キーをひねる,3.ラジオアンテナをつかむ,という操作を同時に行う。
11.GMは,ユーザーのニーズに関わらず,オプションとしてRand McNally(GMの子会社)社製の豪華な道路地図の購入を強制する。もしこのオプションを拒否すると,車の性能は50%以上も悪化する。そして司法省に提訴される。
12.運転操作は,ニューモデルが出る毎に,はじめから覚え直す必要がある。なぜなら,それ以前の車とは運転操作の共通性がないからである。
13.エンジンを止めるときは「スタート」ボタンを押すことになる。
では。
**************************
・・・・今日も、読み直したら、とても可笑しくて、目から涙が出て来てしまった。
池端さん、どうもアリガトウ!!
1999-04-19(月) 快晴 ヒュッテ
パソコンが直ってから、溜まりに溜まったメールの処理に追われている毎日である。
今夜も、数通のメールを出したが、時間がどうにも足りなくなって、ついに従弟の Y さんには英文でメールを発信してしまった。
・・・・これは、深夜などで時間がどうしても足りなくなった時とか・・・・送信相手が「英語大好き人間」で・・・・その上、英語で書く内容が込み入っていない平易な場合にだけ、僕が時々使う奥の手である。
・・・・と言うのは・・・・英文でメールを出すと、あの面倒臭い漢字変換をしなくて済むため、メールの原稿を書く時間が半分くらいで済んでしまうからである。
・・・・正直な話、受信した人には、はなはだ迷惑な話であるが、今までの所、幸いなことに苦情が出た事は一度もない。・・・・送信した後、何日か経ってから読み直してみると、時々、ヘンテコリンな文法上の間違いをしていることに気が付くが、もう後の祭りである。
・・・・それでも、読み手の語学力が優れているせいか、それらのメールにたいして戴く返信はすべてキチンと辻褄があった返事なので、僕はホントに恵まれた人間であると言わなければならないであろう。
皆様には、ホントに感謝しています。Y さん宛ての英文のメールは下記の通りである。(4 月 22 日記)
*****************************
Y さん、こんばんは!!
ごめん、英語で書きます!
Sorry that I'm writing in English!
Simply becase I do really hate using 漢字変換, I usually communicate in English with my friends who understand English.
Writing mails in English is double quicker for me than doing in Japanese.As for the " Self-publishing" , I transferred all the information given by you to one of my friends who is interested in publishing his own self-biography.
I havn't so far received any further intention from him.
In case he is really interested in the publishing, he will surely get in touch with me, when I think I'll contact you right away.・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日の日記は、これでオシマイ!!
1999-04-20(火) 快晴 ヒュッテ
午前 10 時。
武市さんと友人の関さんが、僕が小海町に寄贈した蝶の標本を見るために来訪。
武市さんは、とても気さくな人である。
・・・・・武市さんと僕が初めて出会ったのは、今年の 3 月末に佐久市で開かれたボランティア・センター会議。
たまたま、隣り合わせで座ったのが切っ掛けで、僕が順番に従って自己紹介をした後、武市さんが僕に声を掛け、5 分ほど話したら、お互いに何となく気が合ってしまった。
・・・・・「会社を出たら、人間、どんな人でも唯の人・・・・!! どんなに大きな会社で、高いポシションにいても、一歩外に出たら、そんなのは全く関係無え・・・!!」
と言うのが、その時の二人の意気投合の理由!!
・・・・あとで洩れ聞いた所によると、武井さんは、あの有名な TDK という会社の、もと社長さんだったとか・・・・・彼の言葉通りに、全くそんな事を感じさせない人であった。
・・・・ところで・・・・今日は、20〜30 分わが家でお茶を飲みながら話をした後、我々三人は喜々として山を下り、キャリフールセンターで小一時間ほど蝶の標本を見たあと、二人は帰って行った。午後 1 時、薪小屋の見積書の受取。
午後 3 時、浄化槽設置の打ち合わせ。
午後 6 時、夕食。
午後 8 時、卓球の練習。
・・・・追突事故の後、今日で 3 回目の練習。
体の調子は、殆ど以前の通りに復調してきているが、何せ・・・・練習不足が祟っていて、今一つカットのコントロールが思う様に出来ない!!
・・・・でも、体調は決して悪くない。帰宅後、真夜中過ぎに、パソコンを立ち上げた時、
4 月 5 日に Yoshimi ちゃまから貰ったメールに、まだ、返事を出してなかった事を思い出した。
・・・・そこで、僕は、早速、次の様なメールをだしたが、途中で色々と道草を食ったり、余計な事を考えたりしていたせいか、メールを発信したのは、午前 3 時少し前であった。*************************
Yoshimi ちゃま、こんばんは・・・・
●長いこと返事をしないで、ゴメンナサイ!!
・・・・この間、戴いたメールに返事を書きます。▲marucyan wrote:
●ねえ、ねえ、ねえ・・・・・何故、貴女はマルチャンって言うの??▲
> こんばんは、八岳さん。
> お元気ですか?
> 私は風邪をひきつつのどがはれている状態ですが、体が元気なもので誰も病人あ つかいしてくれません。
> というのも、こんな風に夜更かしをしつつ、メールを出しまくっているからでしょう。●風邪はよくなりましたか?
・・・・・夜更かしをしてはイケマセン!!
夜更かしをするんだったら、もっと僕にメール下さい!!!!!▲> 先日紹介しました、ポストペットなのですが、なんと英語版もあるんです。
> メル友が教えてくれたのですが、これがおもしろい。(^0^)
> ぜひ、ダウンロードしてみて。
> 体験版は無料で30日間遊べます。
> 専用アドレスが必要となりますが、
> 無料メールアドレスももらえるところがあります。(*^-^*)> ぜひぜひためしてください。
> ペットが英語で日記を書きます。
> 読んでいる飼い主は辞書を引いています。(あたしのことです。・・悲しい)(T_T)
> そして、私たちはメールのやり取りをメモ帳に日本語で書いて貼りつけるという手間隙のかかるやり方でメールをやり取りしています。> なんのことはない。
> 英語ではメールのやり取りがそっけないことになってしまうから。
> ボキャブラリーが・・・・・( ̄□ ̄;)>
> ポストペットはソニーの商品です。> 英語版ポストペットダウンロード用URL
> http://www.sony.com.sg/postpet/
> ダウンロードには30分ぐらいかかります。
> 無料アドレスのURL
> http://www.yabutomo.com/
> 送信すると、2,3分で確認のメールがきて送信すればすぐつかえます。
> ポストペットにはドイツ語版もあるんだそうです。
> HPに書いてありました。
> お試しなくてもたのしいのでHPだけでも読んで見てください。
> それだけです。●ダウンロードしてみましたが、例に依って、例の如し!!
何かがオカシイようです・・・・・僕のMacintosh が古すぎるのでしょうか?
・・・・そう言えば・・・・このパソコン、48 万円を支払って買った機械です
が、高いだけあって、今日まで物凄く使いやすいパソコンでした。・・・・でも、買ってから丸 5 年も経つと、パソコンとしては、もう白髪のオジイサン。
(・・・・僕を思いださないで下さい!!・・・・陰の声)
そのために、OS のバージョンが古すぎ最近のソフトには、合わないのかも知れません。
・・・・さもなければ、いくつものファイルをダウンロードしてきたために、ソフト同士がバッティングしてしまうのかも知れません。・・・・そこで、お奨めのHPだけは見てきました。
中に入ってみると、まあ、これがオトギの竜宮城のような感じ。アット言う間に
小一時間が過ぎ、時計を見ると1時半過ぎ。
次の日は、6時起きで仕事があるため、慌ててベッドに潜りこんだ次第です。・・・・また、何か面白いHP(できれば、ダウンロードしなくて済むヤツがいいです・・・・)があったら教えて下さい。▲> 今回も自分の趣味を押しつけてしまいました。
> 興味がない話でしたら流してください。
> いま、ちょっと盛り上がっているもので・・・
> お騒がせいたしました。> それでは、また。
> by好美
>
> ♪★♪♪★♪♪★♪♪★♪♪★♪にゃんこ&dダネー
> ♪★♪♪★♪♪★♪♪★♪♪★♪
●・・・・ねえ、ねえ、ねえ、
・・・・・考えてみると、とてもオカシイよね・・・・
だって、もともとは、僕と Masami がハロー学院のクラスメートなのに
メールのやり取りは、圧倒的に Yoshimi ちゃまとの方が多いんだもの!!そういえば、Masami が中野の家に遊びに来たとき、家内が
「とっても可愛い子ね・・・・!!」って言ってました。
僕が、得意になって
「ね、とってもイイ子だろ・・・・!!」って言ったら
「パパが好きになるタイプの女性よね・・・・」ですって!!・・・・スッカリお見通しでした・・・・
貴女が、遊びにきたら、わが家の奥様は何んというでしょう?????
ウワア、イケネエ・・・・
・・・・・・時計を見たら、もう2時過ぎだあ!!!
じゃあ、オヤスミナサイッ!!▲
1999-04-21(水) 快晴 ヒュッテ
午前中、小海日赤に行き、先生に首を見てもらう。
・・・・昨夜も、卓球をしたが、先週に引き続きガンガンやっても、何んの支障も来たさなかった。
ただ、練習不足のため、カットの切れが今一つよくないが、それは、もう時間の問題でしかない・・・・と言う感じ!!いつものように、先生が僕の首を、右に向けたり左に向けたり、後ろに曲げたり前に倒したり、少し体重を掛けて下に押さえたりしたが、今や何んの痛みや違和感を感じることもない。
「どう、何か痛みやツッパリを感じる?」と、先生。
「いいえ、何も・・・・」
「シビレはどうですか?」
「いいえ、全くありませんが・・・・」
・・・・シビレは最初から全く無かったから、何んの問題もない・・・・・・。「では、何かお聞きになりたいことはありますか?」
「・・・・ええ、一つだけ・・・・。こらから先、季節の変わり目に、首が痛んだり、ツッパッタリする事はありませんか?」
「少しはあるかも知れません・・・・・。 でも、あったとしても、少しづつよくなっていくと思いますが・・・・」
「分かりました。・・・・じゃあ、これで・・・・??」
「ええ、もう、大丈夫だとおもいますが。・・・・何かあったら、また、お出で下さい」
「どうも、有り難うございました・・・・」僕は、本当に嬉しかった。
首は、もう全く以前の通りに動き、すこぶる快調である。
・・・・大好きな卓球も、力一杯やってもナントモない!!
・・・・もう、いちいち時間を割いて、病院に来る必要もない。
・・・・こんなに嬉しい事が他にあるだろうか??
・・・・先生は、「何かあったら、また、お出で下さい」と言っていたけど、もう、この事で病院にやって来る事は無いだろうと思う。
僕は、本当に嬉しかった。************************
午後。
物置小屋の整理をする。
棚の上に乱雑に置いてあった剪定バサミや移植ゴテを、陽の当たるベランダの上に並べて干し、物置小屋のなかをキレイに掃除してから、また物置小屋の中に戻して行く。
・・・・カタン、カタン・・・・物を置く度に鳴る、乾燥した物置小屋の音。
その眠たげな響きが、春の午後の一層の静けさを引き立てる。
・・・・僕は、物を整理したり、片付けたりするのが大好きだ!!
そして・・・・キレイに片付けた部屋や物置小屋を眺めながら飲むお茶はとてもオイシイ!!
幸せな一時である。********************
夕方。
晩御飯の支度を始めたら、電話が鳴った。
受話器を取ったら、近所の楠本悦子さんだった。
・・・・受話器の奥から、彼女の明るい声が聞こえてきた。
「サンルームが完成したの・・・・! よろしければ、晩御飯を一緒にしません??」
・・・・これは、”工事中のサンルームが完成したら、僕にも見せてよ”と、僕が頼んでおいたからである。「ウワア、行く、行く・・・・何ん時に行けばいいの?」
料理が苦手な僕は、大喜びで返事をした。午後 7 時半。
約束の時間に、僕は楠本さんの家にお邪魔をした。
・・・・完成したばかりの素敵なサンルームを見せて頂いた後、おいしい晩御飯を頂く。
ダイニングの中には、いつものように我々二人の他に、コリー犬を一回り小さくしたようなナントカ・カントカ・シープドッグ一匹と”ドラ”と”シュガー”という名前の大きな猫が 2 匹がいた。
・・・・ところで、この三匹のペットのうち、僕が遊びに行くと、いつも怖がって傍に寄って来ないドラが、今日はめずらしく、僕の傍に寄ってきて、顔を見上げてニャーと鳴いた。夕食後、サンルームでデザートの苺を戴く。
・・・・気が付くと、先刻まで曇っていた空が急に晴れてきた。
「ねえ、ねえ、ねえ・・・電気を消しちゃダメ?・・・お星様がよく見えると思うけど・・・」
「どうぞ・・・そこの壁にスイッチがあるわ・・・・」
・・・・彼女の承諾を得ると、僕は室内の電灯を全部消してしまった。
このサンルームは、東側の壁がほぼ全面と、屋根についている大きな天窓 (1.5m x 2.0m) 2 基が強化ガラスで覆われている。
・・・・電灯が消えると、急に色々なお星様が夜空に浮かび上がってきた。
「うわあ、キレイだ・・・」
北斗七星が大きな天窓に・・・・その東側の小さな星達が東側の大きな窓ガラスを通して瞬いている・・・・
「そうだ、床に寝転がったら、首が痛くならないよ・・・・!!」
・・・・こう呟くと、ムチ打ち症で 2 ケ月間悩まされていた僕は、床の上にゴロリと横になった。
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
部屋の中は、本当に真っ暗で静かだった。
部屋の外では、美しい星達が夜空を飾っていた。
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
僕は、夢中になって大好きな星達を眺めていた。
・・・・・・・・
・・・・・が・・・・・・
「ウッヒッヒッヒッヒ・・・・!!」
・・・・・・・
突然、暗闇の中で、僕が漏らした奇妙な笑い声に
・・・・・・・
「どうなさったの?」
と、同じ暗闇の中で、少し怯えたような楠本さんの声が聞き返した。
・・・・・・・
「ウッヒッヒッヒ・・・・ウーワッハッハッハ!!」
「・・・・・・??」
「ワン公が・・・・ワン公が・・・・僕の顔をペロペロ舐めるんだよ、ワッハッハッハ!!」
「ハハハハ・・・・どうなさったのかと思ったわ!!」
安心した楠本さんの声が一緒に笑いだした!!それから 10 分後、腕時計が 10 時を指したのを機に、僕は楠本宅からおいとました。
・・・来るときには、まだ可成り高かったお月さまは、もう西の山の端にずっと近づいていた。
1999-04-23(金) 雨 ヒュッテ
午後 7 時半。
公民館 2 階の第一会議室で、待望の将棋クラブ「王手飛車小海」の第1回定期練習。
集まったのは、総勢 10 人。土村の美愛ちゃん(7 才)も出席した。最初、お母さんの喜美子さんが遠慮して
「ウチの子、見てます」と言ったけど
「人数が偶数だから、僕とヤリマショ・・・・・」
と、二人で盤を囲む。
・・・・例によって、駒の動かし方から始めて、2番やる。
戦績は一対一。
このごろは、駒を指定して
「この角をつかって、この飛車を取ってご覧」
と、言うとキチンと王手飛車が掛けられるようになって来た。
・・・・8 時半になると、
「それでは、今日はこれで失礼します」と、喜美子さん。
「美愛ちゃん、じゃあ、サヨナラネー!」と僕。
「ドーモ、アリガトウゴザイマシタ・・・・・」
と、美愛ちゃんは帰って行った。残りは、あと 1 時間。
見ると、駅前の本屋さんのご主人が戦い終わって、手が空いている。
「お願いします・・・・!!」
と、僕が先手で指し始める。
・・・・相手は、3 段の強豪。
(飛車を振るのか、居飛車で攻めるのか?)
まず、ここから考えなければならない・・・・・普通、先手を持った人は、居飛車でガンガン攻めるのが普通だが、僕は先に攻めるのが、どうも性格的に合わないようである。
それが証拠に、卓球の戦型なども典型的な守備型のカットマンである。
・・・・さて、今日の将棋、飛車を振ることにしたのはいいのだが、序盤でモタつき、相手が角利きの棒銀で攻めて来たのに対し、一手遅れの 3 間飛車石田流に組み直そうとしたのがイケなかった。
・・・・ 95 の歩を突かれて
「アッ!!」と驚くタメゴローーーー!!
・・・・である。僕は、必死に考え、攻めあいに出ることにした。
95同歩、 同香、
88角、 98 歩打、
同香、 同香成、
79角、 95銀、
74歩、 86歩・・・・この 86 歩が相手のミスだったかも知れない・・・・
73歩成、 75歩打、
82と、 76歩、
65桂・・・・・・と飛んで、ひとまず危機を脱出。でも、この後が大変だった。
相手がこちらの 2 段目に竜を作ったのに対し、こちらも相手の 1 段目に竜を作って対抗。
組んずほぐれつの激戦の後、中盤の終わりになって、ようやく攻勢に転ずることができ、やっとの思いで相手玉を詰ますことができたのである。メデタシ、メデタシ・・・・と言うよりも
フウーッッッッ、疲ッカレターーーー!!
・・・・と言うのが、本音でした。午後 9 時半解散。
玄関の出口で、
「今夜はどうも有り難うごさいました。又、お願いします」
と、言った開発公社の裕ちゃんの目がキラキラと輝いていた。
・・・・かれは、今夜 4 人と対戦し、全勝したのである。午後 10 時帰宅。
一休みしたあと、
「そうだ・・・・今夜はプロヴァイダー Avis の佐久のアクセスポイントの回線が増設されるって言う話しだったっけ・・・・・・?!!」
と、急に思い出し、パソコンを立ち上げ、Config PPP を開いてアクセスを試してみた。ピーーーガガガガガガ・・・フンガー、フンガー、フンガー・・・・ピッ!!
と、順調な滑り出し。
・・・・そのあとで、サイトミルを立ち上げ、”サイトのアップロード”をクリック!!
待つこと 5 分で、自動的にアップロードが開始され・・・・何んと、12 分で アップロードの全ての作業が終わってしまったではないか・・・・!!!!!「ヤッターーー!!!」
僕は、思わずバンザイをした。・・・・そう、つい先週までは、佐久の Ap(アクセスポイント)でアップロードをしようとしても、毎晩の様に、アップロード開始後、15 分くらいしてから、弾かれてしまい、何回も
「また、オラホのパソコン、いたんだべか??」
と、疑ったものである。
・・・・ところが、或る時、ふと気が付いて、小諸の Ap でアップロードをしてみると、何んと一発でアップロードが完了!!
「ウッヒッヒッヒッヒ!!」
と、喜んだのはいいが、ふと、所要時間 25 分の通話料が全て市外電話であることに気が付くと
「ウーン?!?」と唸ってしまった。でも、もう大丈夫・・・・
これからは、快適なアップロードが楽しめることと思います。Avis の皆様、これからも宜しくお願い致します!!!!!!
1999-04-25(日) 曇のち雨 ヒュッテ
雨模様の一日。
僕は雨が好きである。
特に春の雨が大好きである。
寒い冬が去り、暖かい春が来て、フキノトウがカラマツ林の中に小さな頭を出し、タンポポの芽が庭や道端に鮮やかな緑を添える頃、静かに煙るように降る暖かい雨。
こんな雨が僕は大好きである。・・・・こんな事を考えていたら、ふと、国民学校 4 年生の頃、長野県上伊那郡の学童疎開先で、5 年生、6 年生の上級生たちが、時々歌っていた唱歌を思い出した。
降るとも見えじ春の雨
水に輪を描く波なくば
煙るとばかり思わせて
降るとも見えじ春の雨
俄かに過ぐる夏の雨
物干し竿に白露を
名残とばかり走らせて
俄かに過ぐる夏の雨
折々そそぐ秋の雨
木の葉、木の実を野に山に
色とりどりに染めなして
折々そそぐ秋の雨
今、この日記をつけながら、小さな声でこの歌を歌ってみると、この歌は今でもとても美しい。
・・・・いつまでも歌い続けたい歌のひとつである。午前 11 時。
昨夜の雨も大分乾いてきたので、湖周のゴミ拾いに出掛ける。
・・・・出掛けてみて直ぐに気が付いたのであるが、波打ち際にタクサン散らばっていたワカサギ釣りのゴミがスッカリ片付けられ、とてもサッパリしている。
・・・・きれいな湖周を散歩するのは、とても気持ちがいい。
・・・・あとで、聞いてみると、立花屋旅館さんのグループの人達が人足となって、湖周のゴミをキレイにしたとか・・・・・・・
この素晴らしい松原湖周辺の自然は、いつまでも清潔にしておきたいものである。
1999-04-28(水) 快晴 ヒュッテ
おととい、Yoshimi ちゃまからメールが届いた。
曰く、
「面白いホームページ見付けたから、お知らせします」という内容のもの・・・・・
「どれどれ・・・・・どんなページかな?」
と、思いつつメールを読んでみると、何か”着せ替え遊び”とかのページ・・・・・「ハテ?・・・・どんなページかな?」
と、思いつつページを開いてみると、とても可愛らしい女の子のグラフィックが画面に飛び出してきた。
・・・・肩まで房々と伸びた、カールのかかった見事な栗色の髪の毛。
可愛らしいセーラー服に似た上着に、ミニスカート。
大きな丸い目がとても、キュート・・・・・「ギョッ!!」
・・・・瞬間的に、僕は息を呑んだ・・・・
「何んじゃあ、コリャーッ??」
半分ビックリ・・・・半分ドキドキしながら、画面の下の方に目を移すと
「身に着けているものをドラッグすると、移動することが出来ます・・・・」
という解説がある。
「ドラドラ・・・・・?」
と、カーソルをセーラー服の上に持っていき、ドラッグすると・・・・ウヒョヒョヒョヒョ・・・・身に付けている洋服を脱がすことが出来るでないの・・・!!!
「あー、ビックリ下谷(したや)の高徳寺・・・」である。
それから暫くの間、僕は、ドラッグ作業に夢中になってしまった・・・・
そして・・・・・
その結果は、寝る前に Yoshimi ちゃま宛てに発信した今夜のメールに書いてある通りである・・・・・**********************
Yoshimi ちゃま:
メール有り難う。
・・・・こんなHPがあるなんて、とてもオドロキでした。
可愛らしい女の子の洋服を脱がすのに、つい夢中になってしまった僕。そして、最後の一枚を脱がすのに 5 分も挑戦していた”ぼく”・・・・!!
・・・・そして、この 5 分間の挑戦の後に、
「あーそうか、これは取れないんだ・・・・!!」
って、ヤッと分かったボク。その時の、僕のガッカリした気持ち・・・・分かる?
そして、
「オレってヤッパ、エッチなんだ!!」って再認識しました。「でも、その間、オレって、どんな顔をしてたんだろうか・・・・?」
・・・・って、考えてたら、突然
「チックショーメー!! また、Yoshimi にヤラレタア・・・!!」
と大笑いをしてしまいました。もし、貴女が今ここにいたら、おデコに”チュー”しちゃうかも知れません!
アハハハハハ・・・・・・じゃあ、又ねっ!!
・・・・・・・・・・・・・今夜の日記は、これでオシマイ!!!
1999-04-29(木) 快晴 ヒュッテ L = -6, H = ??
寒波が日本列島に押し寄せてきたとかで、昨日より気温がグッと冷え込んできた。
今朝の最低気温はマイナス 6 度と、この時期としては非常に低く、3 月下旬の気候とのこと。
・・・・昨日、観光案内所から帰って来た夕方 6 時の気温も 2 度だった。
以前、ゴールデンウィーク中にも、よく霜が降りたことを考えれば、別に驚くほどのことでもないのかも知れない。
しかし、気温が一挙に 8 度前後さがると、かなり肌寒く感じるようである。今日からゴールデンウィーク・・・・・
夕方、散歩に出掛けてみると、別荘地の所々に自動車が止まってました。
ゴールデンウィークと夏休みと紅葉の時期とお正月は、星見ケ丘一帯の人口が急激に増える時期である。