1999-01-01 (金) 快晴 自宅
元日だというのに、一家でお雑煮を祝ったあと、パソコンに向いっ放しである。
昨年 12 月後半のの高原日記がまだ 4, 5 日分溜まっているのだ。本来の予定では、昨日の夕方までに仕上げる積もりだったのだが、年末に至り色々な雑用が入ってきた為に、新年まで持ち越しになってしまったのである。・・・・急げ、急げ!!
・・・・ところで話は変わるが、ここ一、二カ月ほどの間、僕の心の中で燻って(くすぶって)いた事がある。
初めのうちは、それが何んであるか余りよく分からなかったが、ここに来て、急にそれが何んであるかが見えてきたのである。・・・・
それは、僕自身の「生き方」の問題だったらしいのである。
この・・・・「らしいのである」と書かなければならないところに・・・・、この問題が自分でも「よく分かってない」事を如実に表しているのではないかと思うが・・・・
この世の中、自分を飾らないで生きて行けたら・・・・人生が、どんなに明るく、楽しいものになるだろうか・・・・と、ここ一、二カ月ほどの間、思い続けていたようなのである。もっと、ハッキリ言うと、僕の場合、
「人に自分のイイトコロを見せようとするからイケナインダ・・・・そんな事をしようとするから、自分を飾ったり、嘘をついたり、ついた嘘を憶えていなくちゃならないんだ・・・・こんなの面倒臭いよ!!」
・・・・・という事にやっと気が付いて来た(この年になって!!)らしいのである。・・・・・・
だから、ここ一、二カ月の間、
「チャンスがあったら、なるべく、自分を飾ったり、嘘をついたり、隠し事をしたりしないで、ありのままの自分で生きて行きたい」と思い始めていたようなのである。・・・・・・
でも、その間、
「おいおい、大丈夫かね、そんな事をしても・・・・・・????」とか、
「・・・・お前さんの”ありのままの姿”なんかに、誰も興味なんか持っちゃいないさ!!・・・・そんな事よりも・・・・醜い”お前さん”を人前にさらけ出して、人に嫌われたり、悪く思われたら、一体どうするんだい・・・・????」
・・・・と言うような、心の中の囁きが僕自身にも聞こえなかった訳ではない。・・・・・でも、
つい二、三日前のこと・・・・・
「・・・・もう、下手な小細工はヤメダア!! ・・・・この世の中、どう転ろんだって、なるようにしかナラネエ・・・・・!!」
と、風呂に入りながら、大声で怒鳴ったら、
「アラ、アラ、不思議、アーラ、不思議!!」
今までの心配は全て霧消。
やっと、心の落ち着きを取り戻せるようになったのである。
そして、
・・・・・・・・・
年が明けて、今日の 1999 年元旦。
「飾らない生き方で、人生を楽しく!! ( Enjoy your simple life ! ! ) ・・・・・・」
を、いつ迄続くか分からないけど、これから暫くの間の生き方の基本にしてみようか・・・・と、やっとのことで、重い腰を上げる気になったのである。・・・・ここに至るまでの心の中の紆余曲折・・・・随分と思い悩み、
(ホントに大丈夫かね?)という疑問は、心の片隅に今でもあるが
・・・・こんな風に、生きて行きてみたいという気持ちには、聊かの動揺もない・・・・・そうだ・・・・兎に角、やってみよう!!
・・・・だって、やってみなくちゃ分からないもの・・・・「飾らない生き方で、人生を楽しく!! ( Enjoy your simple life ! ! ) ・・・・・・」
・・・・兎に角、このように生き始めてみようじゃないか!!
・・・・いつ迄、続くか分からないけど・・・・・・・・・たった一回しかない人生だもの
自分で好きなように生きてみようじゃないか・・・・・!!!!!ただ、家族がこの世の中で、お前にとって一番大切なものである事だけは絶対に忘れるな!!
・・・・それさえ忘れずに、又、家族・友人・知人を大切にする事を忘れなければ、お前がどんな生き方をしようと、イエス様から離れて、飛んでもない所に迷い込んで仕舞うことは、あんまりないのではないだろうか?兎に角、生きてみよう!!
飾らない、飾らない、飾らない!!
単純に、単純に、単純に !!簡単な事が一番スバラシイ!!
ハハハハハハハハ・・・・・・・・
1999-01-02(土) 快晴 自宅
藤沢にすんでいる家内の両親を訪問。
お父さん、お母さん、郁也さんも、万里ちゃんも、皆んな元気・・・・!!
ユックリとくつろいだ一日でした。真夜中、メールボックスを開けたら、英語の達人の佐藤和市さんからメールが届いていた。
・・・・メールに依ると、僕の「高原日記」を何時間も夢中になって読んでて、今日の予定を忘れてしまったとか・・・・・・・・・そう言えば、去年の秋、トミーも自分の事務所で僕の日記を読み始めたところ、矢張り夢中になって読み続けたとかで、
その翌日、
「昨日は、八岳さんの日記が面白くて読み続け、やった事と言えば、家内が作ってくれたお弁当を事務所で食べただけ・・・・結局、仕事はソッチノケでした」
とメールを送って来たことがあったのを思いだした。この「高原日記」・・・・僕も、一生懸命書いているけど、興味をもって読んでいて下さる人がいるのを知って、とても嬉しいと思う。
・・・・でも、今日メールを貰った、あのインテリの佐藤さんまでが
「面白い」
と言って来たのには、本当にビックリした。
1999-01-03(日) 快晴 自宅
僕の母教会、中野桃園教会の礼拝に出席。
塚田牧師をはじめとして、教会員の皆さんに会うのは何ケ月振りだろう?
庸子(なみこ)さん、玉置さん、浩子さん、明さん、真智子さんなど・・・・皆さん相変わらず、とても元気・・・・・ところで
去年の夏から「主の祈り」が新しい訳のものに代わった。天の父、私達の父よ
み名があがめられますように
あなたの国が来ますように
み心が天と同じく、地でも行なわれますように
きょうのパンをきょう、お与え下さい
私達の負い目をお許し下さい
私達も負い目を許しあいます
私達を誘惑におち入らせず
かえって悪からお救い下さい
国と力と栄えとは限りなくあなたのものです
アーメン・・僕は、今まで使っていた次の文語体の「主の祈り」より、こちらの方がズット好きである。
天に在す(まします)我らの父よ
願わくはみ名をあがめさせ給え
み国を来らせ給え
み心の天になるごとく、地にもなさせ給え
我等の日用の糧(かて)を今日も与えたまえ
我等に罪をおかすものを、我らが許す如く
我等の罪をも、許し給え
我等を試みにあわせず、悪よりお救い給え
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり
アーメン・・・・理由は最後の行の「汝(なんじ)」という言葉が、気に入らないからである。
僕が、洗礼を受けたのは、もうかれこれ 20 年ほど前のことであるが、
受洗すこし前から、この「汝」という言葉が僕の心の中では、実に大きな問題になっていたのである。と言うのは、当時の僕が知っていた、この「汝」という言葉のいくつかの使用例・・・・例えば、
「教育勅語」の中の「汝臣民、よく忠に、よく孝に・・・・」とか
「楠木正成」(?)の「汝(いまし)をここより帰さむは、我わたくしの為ならず・・・・」
とかにあるように、全ての使用例が、目上の者が目下の者に対して用いる使用例ばかりであったからである。(いったい、ぜんたい・・・・どうして・・・・神様に対して、「汝」なんていう言葉を使っているのだろう??)
こんな疑問を持っていた、当時の僕は・・・・だから・・・・「主の祈り」を祈るたびに、随分と戸惑ったものである。
・・・・そして、
「この「汝」という訳語は間違っているんじゃないの??」
と何回も思ったほどである。ところが、ある日のこと、
フトしたきっかけで、その時までに丸暗記していた英文の「主の祈り」Our father which art in heaven.
Hallowed be thy name.
Thy kingdom come.
Thy will be done on earth, as it is in heaven.
Give us this day our daily bread.
And forgive us our debpts, as we forgive our debptors.
And lead us not into temptation.
But deliver us from evil.
For thine is the kingdom and the power and the glory forever.
Amenを口の中で唱えた瞬間、内心
「アーッ、分かった」
と叫んでしまったのである。この問題の言葉「汝」は、もしかすると、親しみを表す希語の二人称単数の代名詞の訳語ではないだろうか?・・・・という考え方に、ふと、立ち至ったからである。
僕は、新約聖書が書かれたギリシャ語の知識は全く無いが、この英文の「主の祈り」では、「汝のものなればなり」の「汝のもの」の訳語には、英語古語の「thine」が用いられているのである。
・・・・と言う事は、新約聖書の原本のギリシャ語でも、二人称単数が用いられている可能性が高いのである。
・・・・だとすると、この「汝のもの」に相当するギリシャ語が他のヨーロッパ言語に訳された場合は、多分、二人称単数形の代名詞・・・・・thou(英語)、tu(仏語)、du(独語)、tu(西語)、t'i(露語)などの所有代名詞形にやくされたのではないだろうか?・・・・ここで、ひと言、注釈を入れると
この tu, du, tu, t'hi などの二人称単数形(thou については不明)は、親子、家族、夫婦、親しい友人の間などで用いられる代名詞で、強いて日本語に訳せば「お前」あたりが適語なのかも知れない。ところが、問題なのは、「汝」とか「お前」とか「お前さん」とか言う言葉は、夫婦、友人等の間では使えても、親子・師弟などの場合には、上位者から下位者に向かって「一方通行」的にしか使用できない言葉なのである。
・・・・それを知ってか知らずか、僕にはよく分からないけど、困った訳者(訳者の困惑には想像を絶するものがあったと思います)が「汝のもの」などと訳してしまったから、この僕なども面食らう羽目になってしまったのである。・・・・・・・・・
想像でしかないけれども、そんな事が分かった数年後の或る日こと、
何かのキリスト教関係の雑誌で、この
「汝のもの」
と言う訳は、間違っている・・・・という一文を目にしたときには、
「あ、僕と同じ事を考えている奴がいる!!」
と、心を強くした次第である。
・・・・・・・
そして、この日を境に、僕は家でも教会でも「主の祈り」を祈る時には、必ず
「国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり」
というところを、いつも
「国と力と栄えとは、限りなく”あなたのもの”なればなり」
と言う非常に坐り心地の悪い言葉(だって、全体の流れから言えば、”汝のもの”では無くて”御身のもの”とすべきなのかも知れないからである・・・・)に置き換えてお祈りをするようになってしまったのである。まあ、それでも個人的にお祈りをしている場合は、よかったのであるが、
教会の礼拝のときなど、ウッカリして
「国と力と栄えとは、限りなく”あなたの”ものなればなり」
などと声を出してお祈りをしようものなら、
周囲の人の
「国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり」
という声とがバッティングしてしまい、
周囲の人の耳がピクリと動くような気がしたことが、何回かあったように記憶している。
その時の、教会の中での居心地の悪さ・・・・!!
たらアリャアシナイ・・・!!・・・・・
だから、そんな心配が全く無い新しい訳の「主の祈り」の方が遥かに好きなのである。フーッ、疲っかれたア・・・・・!!
新年に届いた年賀状を読んだり、今回新しく年賀状を下さった方に、年賀状を書いたりして一日をノンビリと過す。
1999-01-05(火) 快晴 自宅
昨年末、新宿のヨドバシカメラで買って来たあと、インストールに失敗したNoroton Anti Virus の再インストールに挑戦する。
Symantech の Technial support に電話を入れ、イロイロと質問をしたが、長谷川さんという男の人が、実に丁寧に手を取り足を取り、教えてくれたのがとても嬉しかった。
長谷川さんに電話を入れたのは 5 回ほど。
指導を受けた総時間は 2 時間ほど。
そのあいだにも、何回も自分で試行錯誤をしたりした為、当初 2時間ほどで片付けようと思っていた、このインストールに 7時間ほどを掛けてしまった。このように時間が掛かった背景には、僕のコンピューターの中に沢山入っているソフトが色々とバッティングしている為ではないか・・・・とのこと。
こんど、いつか時間のある時にでも、ハードディスクをキレイに消去して、最初から全部のソフトを再インストールしてみたいと思う。
・・・・これで、Anti virus 対策の第一歩が踏み出せた。
1999-01-06(水) 快晴 自宅
今日は、僕が長野に帰る日である。
明日から、案内所のアルバイトがあるので、本来ならば昨日長野に帰っているのだが、今回は東京にいる間に、Sitemill の分からない所を勉強したいので、今日の出発となってしまった。午前 11 時。
家内とKKが旅行に出掛けた。
・・・・いつもそうだが、家内とコッチロを見送るのは・・・・たとへそれが今回のような楽しい旅行であっても・・・・やはり、チョッと淋しいものである。
・・・・角のタバコ屋さんの前まで一緒に送っていき、二人が見えなくなる迄その場で見送ってから、頭を振りながら、暖かい自分の部屋に戻って来た。・・・・幸いな事に、コンピューターの前に坐ると、僕はアッと言う間に余計なことを忘れてしまう。
それからの 2 時間余り、僕は夢中になって、Adobe systems 社の女性と電話で話したり、電話を切った後も、キーボードをカチャカチャと打ちっ放しだった。午後 2 時。
愛機パワーブック 540C をケースに収め、家の中の安全と戸締まりを全て確認をしたあと、
「ソレ、行けっ!!」とばかりに
一路松原湖へ・・・・!!
14:30 中野駅発。
15:44 東京駅発。(あさま 519 号にて)
17:03 佐久平発。
18:05 小海駅着。
・・・・小海で列車を降りると、夕暮れの駅頭にチラチラと雪が舞っていた。
何か、チョッと物悲しい感じ・・・・
ふと、ジェット機の中で、楽しそうに話しているKKと家内の姿が脳裏をかすめ、
「飛行機の中は暖ったかくて楽しいだろうな・・・!!」
と、雪の中の線路を跨(また)ぎながら、ふと思った。
改札口を出ると、ひときわ雪が激しくなって来た。
「寒い・・・・・・!!」
ブルリと身震いすると、僕は思わずコートの襟を立てた。
1999-01-08(金) 大雪 ヒュッテ 最低気温 = -9 度 最高気温 = 4 度
低気圧が日本列島を通過するとかで、日本海側、中部山岳地帯、東北地方、北海道に大雪警報が発令になった。
「来るぞっ!!」
テレビの予報通り、午後から夕方にかけて、雪がドンドンと降り積もった。午後 9 時。
15cm ほど積もった雪の雪掻きを終わり、ホッとして家の中に戻って来た。
・・・・雪掻きは、雪が柔らかいうちにすると、とても楽!!
去年の冬、イヤと言うほど知らされた自然の法則である。深夜。
玄関に出て、外を見たら、さっき掻いたばかりの家の周囲の通路が、もう半分雪に埋もれていた。
アーア、又かよ・・・・・え、おい・・・・・・!!
1999-01-09(土) 快晴 ヒュッテ 最低気温 = -14度 最高気温 =
-1 度
05:30
長野県中部地方の大雪警報が大雪注意警報に変わった。雪も止んでいる。
ヤレヤレと胸を撫で下ろすと同時に
「ヨーシ、朝御飯の後に、雪掃き(雪掻きの事です)をするぞおーーーー!!」
と気合をいれる。
豪雪の昨冬の経験が物を言う。
そして・・・・もう、信州の冬も二回目だ!!07:30
朝御飯の準備が出来て、いざ食べようとしたら、テレビの脇の電話がなった。
出てみると家内だった。
「今、関空なの・・・・・」と、家内の声・・・・
「エーッ、なんで関空なんかに居るの?」
「あら、言ったはずよ・・・帰りは、関空で国内線に乗り換えだって・・・・・」
・・・・そう言われてみれば、そうでした。
「あ、そうだったよね・・・・ごめん、ごめん・・・・ところで、S って楽しかった?」
「うん、モッノスゴーク楽しかったわ・・・・」
「風邪ひかなかった?」
「ええ、大丈夫・・・・とっても元気」
「デコ助は・・・?」
「KR・・・・・?」
「うん」
「あいつも、物凄ーく元気よ」
「よかったね」
ホッとして言うと
「どうも有り難う・・・・!!」と、家内。
「うん、じゃあね・・・・残りの道中、気を付けてね」
「はい・・・・じゃあね・・・・」
「ガチャリ!」
何の変哲もない、ごく普通の会話だが・・・・二人が、元気に帰ってきて呉れたのdが、とても嬉しい!!
・・・・その後で食べた朝御飯の美味しかったこと!!
庭の東側の白樺林から、ようやく顔を出した低い朝日が、部屋の奥までを明るく照らしている。
嬉しくなった僕は、朝食前の「主の祈り」をお祈りする前に、食卓の写真をとった。
(雪の朝の食卓・・・・1999-01-09 八岳晴耕 撮影)色々な雑用に忙殺されている今日この頃・・・・今日の日記を書き終わり、キチンとアップロードできるのは、いつの日の事だろうか・・・・????
1999-01-11(月) 快晴 ヒュッテ 最低気温 = -11度 最高気温 = 1度
午後 3 時半。
北相木村白岩(標高 1200m)の分校跡で手作り家具の仕事をしている峰尾さんのお宅にお邪魔した。
・・・・お邪魔した目的は、三日ほど前に、稲子の新開で木彫り細工の仕事をしている宮川さんから戴いた、太いヤマハンノキの輪切りの幹の上面と下面を平行に削ってもらう為である。
この輪切りの幹・・・・実は太さが約 35cm、高さが 40cm ほどのもので、買ったらば、けっこう高価なものだとおもうが、
「我家の暖炉ストーブのスツールに、とっても似合うので、譲って頂けませんか・・・・勿論、代金はお支払い致しますので・・・・」
と、聞いたらば
「ああ、いいよ。・・・・持って行きな!!!・・・・別に代金は要らないよ」
と言われて、呆気にとられた逸品である。ところで・・・・
峰尾さん一家は、白岩の分校跡をキレイに補修した住居兼仕事場で生活をしている。
・・・・ご主人はもともとが東京のジャスバンドでベースを弾いていた人で、奥様の伸子さんもジャズ・ピアノを弾いていたと言う異色の手作り家具屋さんである。
「なぜ、ベースを弾いている人が、家具やさんになっちゃったんですか?」
と聞いたら
「ホントはねえ・・・・楽器を作りたかったんですよ。でも、色々と木をいぢくっているうちに、家具のほうが面白くなっちゃって・・・・こっちに転向しちゃったんです」
峰尾さんは、人懐こい顔をほころばせて言った。
(ああ、この人はとても優しい人に違いない)
ふと、僕には、そんな気がした。
・・・・
標高 1100m の一月の北相木村・・・・。
外の寒さは、相当なものだが、ここ、教室を改造した峰尾家の居間には、薪ストーブがガンガンと燃えているため、ヌクヌクとして、とても居心地がいい。
・・・・僕達は、木のこと、山のこと、空気のこと、緑のこと、星空のこと、川のこと、草花のこと、春のこと、虫のこと、夏のこと、冬のこと、寒さのこと、凍結のこと、防寒対策のこと等々から・・・・最後には、人の生き方のこと、人生のこと、幸せのこと、人間の個性のこと迄・・・・本当に時間がたつのも忘れて、夢中になって話しをしていた。
・・・・
気が付くと、教室の窓ガラスの外は、いつの間にか薄暗くなっていた。
僕は、腕時計を見た後、少々慌てて声を上げた
「あれえ、ホントかよ、もう 6時だア・・・・ヤバイよ、早く帰らないと、道が凍っちゃうよ」
峰尾さんも、驚いて、僕に聞いた。
「ところで、ご用件の木は、どのように削るんでしたっけ?」
・・・・何んの事はない。
この時になって、二人は初めて、今日の本題に入ったのである。僕は言った。
「この木の幹・・・・ほんの僅かだけど、輪切りにした上の面と下の面の平行がとれてないもんだから、坐っていると腰のあたりが段々と痛くなってくるんです・・・・そいつを何んとかしたいんです・・・・」
「分かります。じゃあ、キチンとカンナを掛けてやってみましょう・・・」
と峰尾さん。庭に出て、問題の木の幹を渡したあと、僕達は、エンジンが暖まるまでの 2, 3 分間、立ち話をした。
冷たい夕暮れの外気。
冴え渡った夕暮れの冬の星座。
楽しかった 2時間ほどの会話。
・・・・僕は、沁み沁みとした気持ちでお礼をいうと、一目散に「ブドウ峠」からの西斜面を走り下りた。今日も又、素敵な一日だった。
僕って、どうして、こんなに素晴らしい人々に恵まれているんだろう???
1999-01-12(水) 快晴 ヒュッテ 最低気温 = -12 度 最高気温 = 4
度
朝食後、今年の年賀状を一枚、一枚、丁寧に読み返してみる。
・・・・普段、なかなかお目に掛かる事のできない人達からの一年に一度の近況報告である。
年賀状を手に取ると、差出人の顔が目に浮かんでくる。
便りとは、素敵な心の贈り物である。ところで、
今年の年賀状の中に、飛び抜けた 2 通の年賀状があった。一通は、去年の 9 月、ヒュッテに遊びに来た雅美の「お姉ちゃん」の好美ちゃまからのもので、もう一通は、昨秋ペンション・アルニコで開かれた「中本マリ」のジャズ・コンサートで美術館の中嶋兄から紹介された野村ひろみさんからの年賀状である。
まずは、一通目の好美ちゃまからの賀状であるが、兎に角、
「オモチャ箱を引っ繰り返したような年賀状」なのである。
・・・・去年の 9 月初旬の日記に写真がのっている、この好美ちゃま。
おおよそ、美しい顔からは想像できないような明朗・賑やかな性格の持ち主なのだが・・・・
年賀状も、その性格を反映して、兎に角
「オモチャ箱を引っ繰り返したような年賀状」なのである。
・・・・彼女からの年賀状を手にした瞬間、僕はゲラゲラと大声で笑いだすと同時に、思わず叫んでしまった程である
「エーッ、何んじゃ、コリャア・・・・好美ちゃまって、一体イクツなの・・・・・?」これに反して、
「ひろみ」からの年賀状は、かなり芸術性の高い作品である。
今年の干支(えと)の「卯」の「う」の字をウサギの顔に見立てて、可愛らしい耳と丸い目をバランスよく配置し、全体をピンクとホワイト・グレーの二色の筆で描いたこの賀状をジーッと眺めていると、不思議に気持ちが落ち着く為、とうとう額縁に納めて、寝室の壁に掛けることにしてしまった。
・・・・何んとなく、部屋の中が落ち着くからである・・・・!!いづれ、2 月にでも入って、少しは時間が取れるようになったら、この二人の年賀状をこのホームページにアップロードする事にしよう。
1999-01-14(木) 快晴 ヒュッテ 最低気温 = -12 度 最高気温 = 4 度
月曜日にお邪魔した北相木村の峰尾さんが、キレイに削ったヤマハンノキの幹を持って、キャリフールセンターに遊びに来た。
「うわあ、キレイ・・・・!!」
カンナで真っ平らに削られた、ツルツルの平面を手の平で叩きながら僕は言った。
・・・・年輪がキレイに浮き出ている。
「気持ちイイでしょう・・・・!!」と、峰尾さん
「うん、スッゴイ気持ちいい!! 何んて言うのかなあ、この感じ・・・・!!」
「手で撫でて下さい。もっと、生きてきますから・・・」
「いやあ、本当に素敵です。有り難うございました・・・・」
「喜んで頂けて、嬉しいです・・・・」
「いやあ、こちらこそ、とても嬉しいです。・・・・ところで、お代の方は・・・・いくらに?」
「いや、いいですよ・・・・」
「エーッ、でもお・・・・!!」
「いや、ホントにいいんです。お近付きの印です・・・・」
「そう言われても、困っちゃうな・・・・ホントに、いいのかな?」
「ホントです。心配なさらないで下さい」
「・・・・分かりました。それでは、有り難く頂戴します。・・・・とっても、嬉しいです」
・・・・僕は、本当に嬉しかった。
宮川さんが切りだしたヤマハンノキの太い幹の上面と下面を、峰尾さんが滑らかに削ってくれた素敵な暖炉ストーブ用のスツール・・・・これは、もう僕の宝物の一つである。それからの 1 時間半ほどの間、峰尾さんと僕は今日も、色々な事を話しあった。
中でも、二人が夢中になって話したのは、
・・・・お金になっても、他人が引いた青写真に従って物を作るよりも、自分の心の中に生きているイメージに従って、物を作る方が、たとへ実入りが少なくても・・・・どんなに幸せなことか!!・・・・と言う話題に就いてであった。正午少し過ぎに峰尾さんは帰って行ったが、別れ際に僕は言った
「・・・・それでは、今度デジタル・カメラを持って押しかけますから・・・・・」
(・・・こんなに素敵な人のページを僕のHPに加えたら、どんなに素敵だろう・・・・!!)
この瞬間に、僕はそんな事を考えていた。
「では、又お話ししましょう・・・・!!」
・・・・爽やかに、こう言って、峰尾さんは帰って行った。後には、爽やかな厳寒期の玉雪のように、純白でサラサラした感じだけが残った。
峰尾さんって、そう言った人なのかも知れない・・・・!!
1999-01-16(土) 晴のち雪 ヒュッテ 最低気温
= -10 度 最高気温 = 4 度
午前 9 時。
リビングルームの電話が鳴った。
受話器を取ると、家内だった。
「何んだい・・・・こんな時間に?」
「・・・・あのお、駅前の H 様が亡くなったの・・・・」
「エーッ、H さんがあ・・・・?」
僕は絶句した。
いづれは、来るべき事だとは思っていたけど、何か突然の感じがする。
つい先月には、元気な姿を見たようなきがするのに・・・・お通夜と告別式の時間を聞いた僕の頭の中では、帰京の段取りのスケジュールが唸りを上げ始めていた。
・・・・厳寒期の今・・・・段取りを間違えると、一発で上下水の配管とか、その他の「水まわり」の何処かを凍らせてしまう。
しかも、突然の帰京だと、何処かでポカをやりかねない。でも、明日の夕方、仕事が終わってから、出発するためには、どうしても今から、準備に取り掛からなければならない。
・・・・チョッとの間、考えていた僕は突然、
「ヨーシ、やるぞう・・・・・!!」と
大声を上げると、すぐさま帰京の準備に取り掛かった。今日のうちに、水落しだけでも済ませておくと、明日がとても楽である。
まず、地中の給水栓を全て締め
給湯ボイラーの器体についている排水バルブ 3ケを開け
家の中の水栓を全て開け、等々
・・・・・・・・
・・・・・・・・
そして、水落しの 1 時間後に凍結防止帯のスイッチを切り、
「ヤレヤレ、やっと終わったよ・・・・」と、ひと息ついたあと
バイト先の観光案内所に出掛けた。さて・・・・
夕方、家に帰って来ると、僕は一番最初に、冷蔵庫を開けて、明日の昼までに食べてしまうものと、冷凍庫に入れて東京から帰って来るまで、保存しておくものとに分別した。今回の帰京は、全くの無防備状態における、突然の帰京である。
「間違いないか・・・?」
夕食後、スケジュールを再点検したあと、僕は何回となく、こう自問した。と、その時、テレビの明日の天気予報を伝えるアナウンサーの声が聞こえてきた。
「長野県中部の明日は晴れますが、今夜から明朝にかけて山間部では雪が降りやすいでしょう」
「オトットット・・・・」
・・・・アナウンサーの声に、慌てて玄関のポーチに出た僕は闇に向かって大きな声を上げた。
「うわあ、雪だあ・・・・」
・・・・雪は、もう既に 5cm 程も積もっていた。
1999-01-17(日) 雪のち晴 自宅
起床 05:30。
簡単な「お茶漬けのリ」の朝御飯をたべ終わると、僕は帰京の準備に取り掛かった。急げ、急げ・・・・
食器を洗い、
2 台の加湿器の水を全て捨て、
風呂場の排水溝の水を雑巾で拭き取り、
ポット、薬罐、鍋の水を全部捨て、
流しの排水溝のトラップの水を雑巾で絞り取り、「ヤレヤレ」
と言う気持ちで、トイレの水タンクの水を拭き取ろうとして、タンクの蓋をとり、中を覗き、タンクの中のオーバーフロー・パイプの中を見ると、中に水が入っているのに気が付いた。
「エッ、何故、こんな所に水が溜まっているの・・・・?」
瞬間的に、何か段取りにミスをやらかしたのでは・・・・と、胸がドキンとする。
(ああ、やばい・・・・・!!)
頭の中で、昨日からの段取りを大急ぎで、思い返してみた。
・・・・・と、急に
「あ、いけねえ! 給湯器の地中の排水バルブを開くのを忘れたていたかも・・・・???」
不安な気持ちで、給湯器の所に飛んでいき、地中の排水バルブに触ってみると、いつもなら、決して間違える事のない排水バルブが閉まったままになっているではないか!!
「アーッ、開くのを忘れていたあ・・・・!!」
僕は・・・・思わず、大声で叫んでしまった。・・・・「でも、何んとかしないと面倒臭いことになる・・・」
呟くと同時に、これから何をすべきかを大急ぎで考え始めた。
(今朝のマイナス 10 度の気温で、ボイラーが凍結しなかったろうか?)
(給湯器の地中の排水栓を開かないまま給湯管が凍結すると、何がパーになるんだ?)
(兎に角、僕一人で考えていてもダメだ!!)
(我家を建てたミサワホームに連絡を入れてみよう・・・・)
(・・・・駄目だ、今日は三連休だから、誰も出勤しちゃあいないだろう)
(でも、兎に角、電話を入れてみよう。誰も居なければ、それから次の事を考えればいい)
・・・・と、言う訳で、新津組ミサワホームに電話を入れてみた。「はい、新津組ミサワホームですが・・・・」
単調な呼び出し音が 10 回ほど聞こえた後、非常に落ち着いた男性の声がした。
「三ツ石監督は今日いらっしゃいますか?」
「申し訳ございません。今日は休みをとらせて頂いています・・・・」
「そうですか・・・・監督の所に、至急、連絡を取りたいのですが、何か方法はございませんか?」
「申し訳ございません。多分、今日は不在だと存じます。何か、私で、お役に立つことがございましたら・・・・」
・・・・こういった時の落ち着いた声と言うのは、とても安心感が持てる・・・・!!
僕は、昨日から自分がしてきた事を順序立てて説明をしたあとで、こう言った。
「・・・・と言う訳で、ボイラーが凍結して破裂しているんじゃないかと気掛かりなんです」
「わかりました・・・・それでは、次のようになさってみて下さい・・・・」落ち着いた声の主は、次のような指示を出した。
●すぐに、凍結防止帯の電源を入れる。
●ボイラーの電源を入れ、ボイラーのサーモスタットを働かせる。
●台所、風呂場、洗面所など屋内の水道・シャワーの栓を全て閉める。
●ボイラーの地中の排水栓を閉める。
●同じく、ボイラーの地中の給水栓を開く。
●そのまま、2 時間放置し、2 時間後に、台所・風呂場・洗面所の給湯栓を開いてみる。
●その時点で、お湯が出れば、全く問題なし・・・その場合は、再度、水落しをすること。
●再度、水落しをする時、こんどは、給湯ボイラーの地中の排水バルブを必ず開く事。
●・・・・もし、2 時間後に、台所・風呂場・洗面所のお湯が出なかったら、連絡を下さい。
との事。「分かりました。・・・・すぐに、そうします」
今、聞いた事のうち、すぐに出来ることを大急ぎで済ますと、超特急で昨夜降った雪の雪掻きをし、10 時少し前に僕は案内所に仕事に出掛けた。正午。
・・・・僕は大急ぎで、ヒュッテに舞い戻ってくると、台所の給湯栓を捻ってみた。
「お湯が出るか出ないか・・・・?」
緊張の一瞬である。
・・・・給湯栓は、ゴボッ、ゴボッ・・・・・と咳き込んでいたが、暫くすると、勢いよくお湯が出始めた。
「ヤッター!!」
僕は、大喜びで、洗面所、風呂場のお湯を出して廻った。
「お湯よ出ろ。ウンと出ろ」
僕は、子供のようにはしゃぎながら、お湯遊びをした。
・・・・たぶん、余程うれしかったのだろう・・・・!!
暫くしてから・・・・僕は、我に返ると、再度、水落しをし、何回もボイラーの地中の排水バルブが開いていることを確認してから、案内所に戻り、新津組ミサワホームの落ち着いた声の主の中嶋さんに、事後報告をした。「よかったですねえ・・・」
中嶋さんの声は、とても嬉しそうだった。
「本当に有り難うございました・・・」
・・・・でも、当然の事ながら彼以上に、僕の方が、ずっと嬉しかった!!
・・・・・・・
だって、ボイラーが壊れると、すぐに 10 万円近くのお金が飛んでしまうし、
そんな事をしたら、一生懸命、僕を支えていてくれる家内がとても可哀相だもの・・・・!!「よかった!!」
・・・・僕は、本当にホッとして、暫くの間ボンヤリと、案内所のホールの窓から松原湖の湖面を眺めていた。
湖面では、今日も大勢の人達がノンビリとワカサギ釣りを楽しんでいた。夕方。
僕はダイハツの軽自動車で東京に向かった。
1999-01-18(月) 快晴 自宅
正午。
H 寺にて、H さんの告別式。
告別式が済むと、全員で堀の内の火葬場に移動して、遺体を火葬に付す。変な話であるが・・・・遺体を荼毘に付す時、いつも思うことがある・・・・
・・・・坊さんの読経が終わり、全員のお焼香も済み、いよいよ遺体が燃焼室にガラガラと音を立てて運び込まれるとき、僕はいつも心の中で、こう呟いている・・・・
(・・・・本当に、中の方は、亡くなっているんだろうか・・・・?)
(・・・・まだ、生きていたら大変な事になる・・・・・)
(・・・・だって、中の方が、もし、目を覚ましてしまったら、周りじゅう火の海じゃないか!!)
(・・・・心配するな、医者が死亡していると判断しているのだから、間違いはない・・・・)
(・・・・本当に、大丈夫か・・・・?)
(・・・・大丈夫だ! だって、専門の医師が、医者が死亡していると判断しているのだから!!)
(・・・・・・・・・・)
(・・・・・・・・・・)
この一連の心の中の会話は、必ずと言っていいほどに、毎回繰り返される会話である!!!
・・・・・・・・・・
・・・・こんな事を考えるのは、僕一人だけなのだろうか?????
・・・・・・・
・・・・・・・
しかし、この心の中の呟きも、よく考えてみると、それなりの理由があることに、たった今気が付いた次第である。
・・・・・・・
・・・・・・・
その理由と言うのは
・・・・・・・
・・・・・・・
ずっと、ずっと、大昔の小学校の時代まで遡らなければならない・・・・・・が
・・・・・・・
・・・・・・・
そう、学校から帰ってくると、庭の太い柿の木に登り、大きな声で歌を歌っていた頃の昔に・・・
・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・それは、今を去ること 52 年程前のこと
僕がまだ小学生の 5, 6 年生のことだったと思う。
当時、僕達が通っていた中野区立桃園第三小学校の或る自習時間でのことである。
・・・・何かの理由で、担任の先生の代りに、横山先生という教頭先生が、一時間だけお話しに来て下さったことがあった。
その時、横山先生は、戦前の日本と戦後の日本の違いや、先生の若いときのお話などをして僕達を楽しませて下さったが、その話の中にこういう話がありました。・・・・「ねえ、君達は信じないかも知れないけど、先生はねえ、一度、死んだことがあるんだよ・・・・」
と言って、こんな話をしてくれました。こまかい事はハッキリと覚えていないけど、その話の内容は
・・・・・・先生が、17, 18 才のころ、先生は何かの病気にかかり、高熱を出されたが、看病の甲斐なく死亡したと診断され、親戚の人などが大勢集まって、坊さんの読経などが始まったが・・・・その時になって、先生が息を吹き返した・・・・・と言う話なのである。
・・・・・・話の終わりに先生は、こう言われた。
「それで、先生が気が付くと、大勢の人達が上から先生の顔を覗き込んでいるんだよ・・・・先生がね・・・・・皆に "どうしたんだ?" と聞くと、皆んなが言うんだよねえ・・・・"お前は死んでいたんだ"って・・・・・」
こんな話をしたあと・・・・横山先生は、話の終わりをこう締めくくられた。
「だからね・・・・皆んなには信じられないかも知れないけど、先生は一度死んでいるんだよ」
・・・・その時の先生の顔が余りにも真面目だったために、僕はこの横山先生の話を今日まで、ホントの話として、信じて来ているのである。
・・・・・・・・
・・・・・・・・
そして、この話をホントの話して記憶しているために、先刻書いたような心の中の会話が為されるのではないかと思う・・・・!!!!!
ところで・・・・
今日は、本当に思い掛けない人に出会ってしまった。
・・・・・・・・
燃焼室から火葬場の待合室に移動した時のことである。
僕のすぐ斜め前を、一行の中の一人の中年の男性が歩いているのに、フト僕は気が付いたのだる。「・・・%&@=$#・・・・???」
・・・・その男性の横顔を見た瞬間、僕は
「アッ」
と、心の中で小さな声を上げ、瞬時
(・・・・どうしようか・・・・??)
と、思ったが、懐かしさに駆られて・・・・・僕はその男性の傍に近づくと、彼の左肩を指先でチョンと突ついた。
「・・・・・」
後ろを振り返り、僕を見た彼の顔に、微かな驚きと困惑の表情が走ったような気がした。
・・・・が、それよりも一瞬早く
「K ちゃん・・・・でしょ??」
・・・・僕は、彼に声を掛けていた。・・・・・・・
「ちょっと、ご免なさい・・・・実は、母が・・・・・」
・・・・・・・
そう言うと、彼は、自分の前でヨロけそうになった母親の方にとっさに飛びだして体を支えてやり、母親が大丈夫なのを確かめると、また僕の方に戻って来て、今度はまともに僕の顔を見詰めた。
・・・・・・・
「お母さんが、どうしたんですか?」と、僕。
「去年の 12 月に転んで、足を傷めてしまって・・・・」
・・・・・・・
・・・・その声を聞いたトタン、僕は、ずっとずっと昔に戻ったような気がして、急にくだけた口調で、言葉を継いだ。
・・・・・・・
「ホント?・・・・それは、大変だよねえ・・・・」
「ええ、色々と気を使います」
「・・・・」
「・・・・」
K ちゃんは、丁寧な言葉で話をしていたが、僕はもう五十数年前の昔に戻ったような気がして、そのまま、くだけた口調で話を続けた。
「ところでさあ・・・・僕達って、最後に、話しをしたのって、いつだったっけ?」と、僕。
「えーと・・・・」
・・・・暫く考えている彼の様子に
「小学校に上がるまえだったよねえ・・・確か? 違ったかなあ・・・」
・・・・と、折り畳んで言うと
「そうです・・・・たしか、小学校に上がる前でした・・・」
と、K ちゃん。
・・・・このあたりから、僕達二人の会話は軌道に乗り始めた。
「じゃあ、五つか六つだったんだね・・・・きっと・・・・」
「そうです・・・・そんなものですよ・・・・」
「そうかあ・・・・じゃあ、僕達は今日、50 年振りに話しをしたって訳なんだ・・・・」
「そういう事になりますか・・・・」
・・・・感慨深げに、彼はそう言った。
「うん、そうだよ・・・ヤッパリ 50 年振りだよ・・・オッドロイタな、こりゃあ、もう・・」
「・・・・」
「・・・・」
・・・・それから、僕達二人は、ごく当たり前の事のように、過去 50 年間にお互いの身に起こった事どもについて、話しを始めた。
ところで・・・・
K ちゃんの母親の Y さんと僕の親父はイトコ同志だから、僕と K ちゃんはハトコ同志と言う事になる。
・・・・ここで
「K ちゃん」
「K ちゃん」
と、僕が呼んでいる・・・・K 氏は、幼い時、ガラッパチの僕と違って、とてもオトナシイ子供だったように記憶している。そして・・・・
幼い頃、僕と K ちゃんが顔を合わせたのは、今回他界された親父のイトコの「H ちゃん」が開いていた荒物屋の店先である。
・・・・僕の家は、通りを隔てて、この荒物屋の反対側の米屋だったから、K ちゃんが母親に連れられて、母親の実家であるこの荒物屋にやって来ると、僕の家からはすぐに分かった。・・・・ところで・・・・
物静かな K ちゃんと違って、餓鬼ンチョだった僕は
親父の米屋の店先では、ホンとに厄介者で・・・・
・・・・いつも・・・・
「ほら、危ないよ。俵が崩れて来たら、下敷きになって死んじゃうよ・・・・」
「ほら、邪魔だ、邪魔だ・・・・!! 外に行って、遊んどいで!!」
「危ないったら、もう・・・・外だ、外だ!!」
等々、いつも邪魔者扱いされていたから、K ちゃんの姿をチラリとでも目にすると、すぐに荒物屋の店先に行って、
「K ちゃん、遊そぼ・・・・」
と、大きな声で、荒物屋の店先から、奥に向かって怒鳴ったものである。・・・・だが・・・・
・・・・非常にオトナシかった彼は、ホンの10 分か 20 分ほど、申し訳け程度に僕と遊んではくれたが、暫くすると、母親の Y さんに連れられて、また自分の家に帰っていったから、当時の僕にとっては、コータロちゃんは、何んとなく、性格も、遊ぶ世界も、僕とは大分違った子供だと感じていたようである。
・・・・・・・
そして
・・・・・・・・
僕と K ちゃんが、話をしたり、遊んだりしたのは、この小学校に上がる前の僅か 1, 2 年の間だけだったのである。
・・・・・・・・
・・・・その後、僕が高校生、彼が中学生の頃に、或る年の初夏、本屋の推理小説のコーナーで、本を漁っている彼の姿をチラリと見たりしたことはあったが、・・・・これまた、推理小説などには、全く無縁だった僕は、
(コータロちゃんは、矢張り、僕のようなガラッパチとは違うんだ・・・・)
と、一種、インフェリオリティ・コンプレックスみたいなものを、彼に対して感じたまま今日に至ったという訳である。・・・・そして
先刻、僕が声を掛けたのが、この K ちゃんだったという訳である。
・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・もし、これが普段の街の中だったら、多分、僕は彼に声を掛けていなかったし、彼も亦きょうのように僕と話をしていなかったのではないかと思う。
・・・・それは、まさに一瞬の出来事だったのである。
彼の姿を見付け、幼い頃の思い出が、脳裏を横切った瞬間に、僕は彼の左肩を指先でチョンと突ついていたのである。だから、僕自身も・・・・ましてや、K ちゃんにとっては、尚更のこと・・・・こうして並んで歩きながら、話しをするなんて事は思いも掛けなかった事なのである。
・・・・でも、僕にとっては、彼とこうして話していることは、全く不自然ではなく、つい昨日の幼かった頃の話しの続きを今日しているという感じだったのである。
・・・・僕は、続けて言った。
「でも・・・・K ちゃんてさあ・・・・とっても、オトナシイ子だったんだよね!!」
僕がそう言うと
「そうですか・・・・?」
と、彼は尻上がりの口調で、聞き返してきたが・・・・その尻上がりの口調には、僕が言った事が、「意外だ」という意味が込められている様な気がした。
「そう、ガラッパチの僕なんかとは違って、とにかくオトナシイ子供だったよ」
「そうかな?」
・・・・彼は、まだ不審そうに言った。と、丁度、この時、我々は休憩室に着いたので、僕は彼に言った。
「ねえ・・・・いい機会だから、一丁、上にあがって、話さない・・・?」
「いいですよ。・・・・そうしましょう」
彼は、僕に続いて座敷に上がると、僕の隣の座布団に胡座(あぐら)をかいた。
そして、テーブルの上の茶飲み茶わんを二つ取ると、僕と自分の前に置き、茶碗にお茶を注いでくれた。それから、次のお焼香の時間まで、僕達二人はズット話しづくめだったが、驚いたことに、K ちゃんも話し好きで、自分の方から、学生時代のこと、就職をしてからのことなどを話してくれたりした。
そして・・・・・・・可笑しな事があると、二人は大声で笑ったりした。「お待たせ致しました」
・・・・小一時間したとき、次の案内があり、人々はザワついて席をたったが、その時、僕は彼に言った。
「今度、僕の家に遊びに来ない・・・・? そして、今日の話しの続きをしようよ・・・!!」
「お宅は川のそばのアソコですよね・・・・・」
「・・・・そうそう、あの川のそばです。 分かるよね・・・・」
「ええ・・・・じゃあ、こんど・・・・」
「ホント・・・・是非いらしてよね・・・」
「はい・・・・」僕は、とても嬉しかった。
幼いときの遊び友達が帰って来たような気がしたからである。
・・・・考えように依っては、今回他界した、H さんが僕達二人を再会させて呉れたのかも知れない・・・・!!!!!
1999-01-19 (火) 快晴 自宅
夜、メールボックスを開けたら、キュートなQ子からメールが届いていた。
・・・・新年にQ子から初めての年賀状を戴いたので、1月10 日過ぎに、お礼を兼ねて、遅すぎた年賀状らしいものをQ子宛に出したのだが、その僕が出した年賀状に対するQ子からのメールである。
Q子の曰く (いわく)・・・・
「明けましておめでとうございます。
年賀状いただきました。
ウケていただけたみたいで・・・
ここ2、3年の私のマイブームは「ピカチュウ」なのでした。
おかげさまで友達の子供たちに“ばかうけ”なのです。
毎年楽しみにしてくれているみたいで・・・
(ちなみに私のパソコンのスクリーンセーバーは
ピカチュウがポケモンボールでお手玉をします。)
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・云々 (うんぬん)」
僕は、彼女からのメールを読むなり、悲鳴をあげた!!
「何んだ、何んだ、何んだ・・・こりゃあ????」
「何んの事だか、サッパリ分っからねーよ・・・・」
「何んだい・・・・このピカチュウとかポケモンボールってえのは・・・・???」
Q子のメールはギリシャ語みたいに不可解なメールだったが、相手はキュートなQ子である。
・・・・・・・僕は、すぐに返信メールを発信した。
「Q子さま、今晩は!!
メール有り難う・・・・
・・・・いつも、そうだけど・・・・貴女からメールを貰うと、少しドキドキします。
・・・・どうしてかな?・・・・ナンテ考えてたら
突然
"そうか、Q子って、僕の弱いタイプなんだ・・・・!!"
・・・・って気が付いたからです・・・・・・・・・
(ヤバイヨ、俺って、メッチャ女の子に弱いからあ・・・・)
・・・・今度、貴女に会ったら、まともに顔を見られないかも・・・・?
ちょっと、心配です。
・・・・
・・・・ウヒヒヒ・・・・・」
・・・・Q子宛のメールを出してから、ふと思った。
僕は非常に女性に弱い!!
性格の明るい女性を見ると、もう駄目・・・・
大体、落ち着きがなくなって、目の焦点が合わなくなってくる。
ハハハハハ・・・・・・でも、まあいいか・・・・・??!!!
1999-01-20(水) 快晴 ヒュッテ
午前 10 時。
中野発、松原湖に向かう。今日は天気も好く、風も暖かだ。
途中、上信越自動車道「松井田妙義 I C」の少し手前で、高速道路の路肩に自動車を止めて、暫くの間、妙義山の美しい姿を眺めていた。
・・・・荒々しい山肌と男性的な姿。
この山並み全体を一望できる小高い丘の上に、小さな山小屋を建て、この素晴らしい景色を眺めながら生活出来たら、どんなに素敵だろう・・・・と思う・・・・!
・・・・こんど時間のある時にでも、「松井田妙義 I C」で高速を降り、この辺を自動車で散策しながら、素敵な場所を探してみよう・・・・!!
1999-01-24 (日) 雪 ヒュッテ 最低気温 = -4 度 最高気温 = 2 度
一時期に比べると、随分と、日照時間が長くなったものだ。
つい 3 週間ほど前までは、仕事が終わる午後 5 時半ともなると、もう陽がとっぷりと暮れて、辺りは真っ暗だったのに、最近では太陽の光は見えないにしても、辺りはまだまだ明るい状態である。将に、これから真冬の厳寒期を迎えようとしているこの最中(さなか)に、もう日一日と日照時間が長くなっている事を考えると、何かとても不思議な気持ちがする。
・・・・ところで、
松原湖に住み始めて 2 回目の冬となる今年の冬は、去年の冬に比べると、ずっとずっと過しやすい・・・・と言うのが、実感である。
・・・・それと言うのも、去年の冬、たびたび見舞われた大雪に懲りたため、今年は前以て、色々な準備をしておいた為、大まかのところは、その準備したもので対応できている・・・・ためではないかと思う。・・・・その意味では、初めての冬が非常に厳しい冬だったことが、かえって幸いしているのかも知れない。
(以下は手帳のメモにより 2 月 4 日記)夜。
メールボックスを開けたら、知らない人からメールが届いていた。
・・・・・・??????
「誰だろう・・・・????」
と思いつつ、メールを読んでみてビックリ・ギョーテン!!!!
・・・・・・・
・・・・・・・
メールの中身は
「すいません。
私、Q子なんて人ではありません。
匿名希望の中学生です。
勝手にアドレス使われてるんですか?
見たことも聞いたこともない人からメール来るのは
ちょっと気味悪いです。では。」
って書いてあるじゃ、ありませんか・・・・・!!!
「何んじゃ、こりゃーーーーッ?????」
・・・・と、呟く(つぶやく)と同時に
「えっ? この間 (1月19日)、Q子宛に出したメールがQ子に届かないで、この匿名希望の中学生に届いちゃったのお・・・・・・何故エ????」
瞬間、僕は何が何んだか、分からなくなりました!!「でも、ホントかよ・・・・これって・・・・????」
・・・・・ぼくは、もう・・・・(これって、一体、どういう事??) と、何回も考えてみたが、
この間、Q子宛にだした僕のメールが、この匿名希望の中学生の所に届いてしまったのは、どうも、確からしいのだ・・・・・!!!!
と言うのは、この中学生は、
「私、Q子なんて人ではありません」
と、Q子の名前を知っているからである。僕は、慌てた・・・・
なぜ、こんな事が起きたんだ?その真相を、Q子に聞いてみたいけど、僕は彼女の電話番号を知らない。
じゃあ、メールで聞いてみようか・・・・とも思ったが
オットコ、ドッコイ
Q子にメールを出したら、又、この中学生に届いてしまう。「どうしよう??」
と、思ったが、この中学生にしてみれば、やはり、僕と同様・・・・大変に驚いていることだろう
「可哀相に・・・・!!」
などと考えていたら、とても気の毒になり
・・・・僕は、とりあえず、この中学生に返事を書くことにした。
「匿名希望の中学生さま、今晩は
貴方のメールを読んで、ホントにビックリしました。
(えっ、何故・・・僕が出したメールが、全然ちがう人の所にとどいちゃったの?)・・・・て
でも、貴方にしてみても、とても気味の悪い事だよね
・・・・どうして、こんな事になっちゃっ たのか、調べてみたいと思います
なお・・・・僕がメールを出したQ子さんのメールアドレスは rapu....@geo......でした」
このような趣旨のメールを、この中学生宛に発信したのであるが、この直後に大変困った事が、僕のコンピューターに起きたのである。・・・・と言うのは、この匿名希望の中学生のメールの最後に、ホームページのURLが 載っているのを見つけた僕は・・・・
「この中学生は、どんなホームページを作っているのだろう?」
と考えつつ、この URL をクリックしたトタン、
「アッ」
と言う間もあらばこそ、僕のパソコンの画面がグシャグシャになると同時にフリーズしてしまい、もう、それ以後・・・・・ホントに、もう・・・・それこそ、何をしても、プロバイダー のavis.ne.jp にアクセス出来なくなってしまったのである。ホンとに、これからが、苦労の連続となってしまったのである・・・・・
1999-01-27 (水) 快晴 ヒュッテ L=-9, H=4
(手帳のメモにより 2 月 6 日記)
昨夜、壊れてしまった Netscape を救おうと、色々な事をやってみたが、どうしても上手く行かない。自分のホームページを更新できないのはイイとしても、メールの送受信ができないはコタエル。
・・・・すぐにでも、ハードディスクを全消去して、全ソフトを再インストールしたいのだが、ヒュッテには、CD-ROM Drive もソフトのディスクもないので、どうしようもない。それにしても、僕のコンピューターに何が起きたのだろう??
1 月 19 日、僕はQ子から貰ったメールにそのまま返信を出したのだから、絶対にメールアドレスを間違える可能性はないのに・・・・・・??まあ、そう慌てるな、その内、何んとかなるから・・・・??
でも、どうして・・・・??
いや、止めよう!!
午後。
長野市在住の小林さんと、初めて電話で話をした。
D社の営業部長さんである小林さんとは、インターネット上で知り合ったが、話していてとても爽やかな感じのする方である。
・・・・小林さんと僕の間には、4 通ほどのメールが往復しているだけだったが、初めての電話だと言うのに、仕事の事、家族の事、ホームステイに関する考え方・・・・に至るまで、色々なことについて話をしたのが、後で考えると、とても可笑しかった。
・・・・最後の方になると、お互いの家・・・・我がヒュッテと小林家のログハウスの相互乗り入れの話題も飛びだすほど・・・・
電話をして、本当にヨカッタと思う!!!
・・・・小林さん、今後も宜しくお願いします。
1999-01-28 (木) 快晴 ヒュッテ L=-4, H=5
夜。
星空がとても澄んでいたので、アルタイル通りを散歩してくる。
懐中電灯を持って出たが、晴れ渡った空にお月さまが出ているので、あたりは真昼のように明るかった。
気温は、零下 3 度と、この辺の冬にしては、とても暖かい・・・
途中、タヌキの親子に出会った。
顔が丸くて、富士額 (ふじびたい) で、顔の周りに黒い部分があって、漫画のタヌキにソックリだったのが、とても可笑しかった。
1999-01-29 (金) 快晴 自宅
(手帳のメモにより 2 月 6 日記)
僕のパソコンが壊れている為に、Avis に新着情報を送ることが出来ない。
仕方なしに・・・・ 今朝、アルバイトに行く途中、高原美術館の研究室に立ち寄り、Mac を借りて、Avis 宛てに下記の新着情報を発信させてもらった。「高原と湖と星空の生活!!」
「東京の落ちこぼれ」のパソコンがこわれ、avis にアクセスできなくなりました。
東京に帰って、パソコンを修理してきますので、暫く更新が出来ません。
その間、よろしければ、散文詩集「白樺色の風」や「高原日記」などをご覧になって下さい。夕方。
アルバイトが済んでから、帰京する。
18 時 37 分、小海発の列車に乗ったら、夜 10 時過ぎに自宅に着いた。
新幹線は有り難い!!夕食後。
一休みしてから、早速、Mac Power Book 540C に向かい、外付け HD に、内蔵 HD のバックアップコピーを取ったあと、内蔵 HD を初期化した。
・・・・パソコンの中身をクリーンアップし、また、Netscape で、インターネットにアクセスする事が、出来るようにするためである。
1999-01-30 (土) 快晴 自宅
午後。
1 月 18 日に、55 年振りに話をした K ちゃんが我が家に遊びに来た。
遊びと言っても、特別な事はない。
最近のお互いの家族のことや、子供達についての話をすることが、やはり一番多くなってしまう。
・・・・ K ちゃんは、小一時間してから帰っていった。
「ご免なさい。・・・・本当は、もっとユックリ話をしたかったんですけど、つい最近、同級生が亡くなり、これからお葬式に行かなくてはいけないので・・・・」との事。午後一杯。
過去のインストール記録を整理した後、Mac OS 漢字 Talk 7.5.1 をインストールする。
7.5.1 と言えば、大分前の OS だが、僕の Power Book 540C と合性がよくて、いまだに、漢字 Talk 7.5.1 を愛用している。
一時期、Version up kit により、漢字 Talk 7.5.3 にアップグレードした事もあったが、余りにトラブルが多くて、再度、7.5.1 にダウングレードした事があったからだ・・・・・
・・・・Avis の AP にアクセスしたくて、無我夢中になっている僕。
僕の友人達は、僕の事を「パソコンオタク」と呼び、僕はそれを否定しているけれど、
今、こうして無我夢中になっている僕自身を省みると、彼等が言っている事の方が正しいのかも知れない。
夜。
Y さんの家に出掛ける。
Y さんは、僕の従弟 (いとこ) で、大手出版社の局次長というポシションにある。
局というのは、部の上の組織らしいから、幸さんは「課長職で定年を迎えた」僕より、サラリーマンとして、ずっと成功をした事になる。
・・・・用件は、僕の友達の何人かが、
「自費出版をしたい」
と、言っていたので、自費出版というのは、どうやってするのが一番いいのかを聞きたかったからである。
・・・・考えてみると、Y さんと、こうして二人だけで話をするのも、子供の時以来、何十年ぶりの事かも知れない。
真夜中過ぎまで、パソコンの修復に取り組む。
・・・・一つ一つのソフトをインストールした後で、いちいち環境設定やら各種の設定があるから、けっこう面倒臭いし、神経もつかう。
・・・・・・・・
・・・・・・・・
・・・・それにせても、Q子宛に出したメールが、匿名希望の中学生の所に、なぜ届いてしまったのかが、どうしても分からない・・・・・!!
二人の人が同じメールアドレスを持たない限り、そんなことは起こらない筈なのに、現実に、この事件 (????) は、今、目の前に起きていることなのだ・・・・
・・・・・・・・
そう考えたら、何故、こんな事が起こりうるのかを、解明する事に興味が湧いてきた!!
1999-01-31 (日) 晴 自宅
昼食後、散歩がてらに立ち寄った喫茶店 P で、同じく、お茶を飲みに来ていた顔見知りの K 夫人と、今朝がた放映されたテレビ番組の事で、珍しく議論になってしまった。
スペイン人をご主人に持つチャーミングな K 夫人は、当然の事ながら西語と英語が堪能である。
ご主人が日本語が苦手だとかで、普段、西語ばかりを話している夫人は、僕が挨拶をして彼女の傍に坐ると、いつもそうだけど、機関銃のように日本語を話しまくって来る。「やはり日本語が、一番話し易いわ・・・・・・」
とは彼女の弁。
ある時、 その彼女が
「・・・・・・それに、八岳さんと話していると、何んでも言えるような気がして・・・・・・」
と、嬉しい事を言って下さったけど・・・・・・・
・・・・・・・ここで喜んだら大間違い。
なにせ、インテリの彼女は・・・・・話し相手の僕が話した事に、理論上の一貫性が無いと、ちっとやそっとじゃ、見逃して呉れないからである。
今日も、そんなこんなで、結構、絞られてしまいました・・・・・・・
・・・・・・さて、今日の事の起こりは、今朝の関口弘主催のTBSの番組「サンデーモーニング」で、
テーマ「なぜ、援助交際がいけないの?」が取り上げられ、ゲスト達が色々な意見を述べていたのだが・・・・・・・その事が、たまたま、 K 夫人との間で話題になり、
・・・・・・・・話している最中に・・・・・・・・僕が、ウッカリ
「・・・・・でもさあ・・・・・・援助交際って、なぜ悪いのかな??」
と、口を滑らせた事が引き金になっちゃたのである。それを聞いた K 夫人は、美味しそうに飲んでいた紅茶のカップをテーブルの上に置くと
(まあ、アキレた!!) という顔をして言った。
「・・・どうして? 決まってるじゃない・・・・援助交際って、絶対に良くないわよ!!」
・・・・よく見ると、額のあたりに怪しい妖気が漂っている。
・・・・男性から見ても、援助交際とやらは決して褒めた事じゃないけど、至極、真面目なご夫人方から見ると、この種の事柄に関しては、一種、特別な感情が湧くものなのかも知れない。
瞬間・・・・
(アチャー、やばい・・・・議論にならなければいいけど・・・・) と、思いつつも
次に自分の口から出てきた言葉
「そうかなア? なぜ、良くないのかなア・・・・??」
がイケなかった。
この不用意な発言が、この美しき K 夫人の逆鱗 (げきりん) に触れたらしい・・・・!!
「あら、じゃあ、援助交際がいい事だって仰言る(おっしゃる)んですの・・・・?」
と、逆襲に転じてきたのである。
ああ、ヤバイ・・・・議論の戦端が開かれてしまった。
「いい事だなんて、言っていませんよ。なぜ、良くないのかな・・・って言っただけなんです・・・・」
・・・・こちらも、乗り掛かった船だ・・・・逃げる訳にもいかない・・・・
「・・・・でも、良くない事だと思いません・・・・??」
K 夫人は柳眉を逆立てた。
「そうかなア??」
・・・・当社としては、なるべく穏便に願いたいんだけど、ご夫人は追及の手をゆるめない。
「そうですよ・・・・お金を目当てに若い女性が交際するのって、良くない事じゃないと思いますけど・・・・?」
「そうかなア・・・・・・・・でも・・・・・・・・・・そんな事を言ったら、世の中がオカシクなっちゃうかも知れませんよ。だって、お金の為に交際したり、結婚する人だって、沢山いるでしょ・・・」
「そんな事ないわよ・・・・」
「そうかなア・・・・・? ・・・昔から、貧しい家族を救うために、金持ちと結婚したナンテ話はゴマンと思うんですけどねえ!! かの有名な金色夜叉の話もそうだし〜・・・・・・」
「・・・・・・」
「それに、戦国時代なんかに至っては、お互いの利益を守るために、大名が自分の娘・・・・いや、お姫さまって言うんですか・・・・を平気でアッチコッチの大名に上げたり貰ったりしている・・・・あれだって、広い意味で考えれば、お金や力を目当てに、お姫さまを上げたり貰ったりする事になると思いませんか? 一方のお姫さまにしたって、それを十分承知の上で、嫁入りしたりしている・・・・じゃないですか・・・・・ だから、あなたの論法で言うと・・・・ああ言うのも良くない事になっちゃうんじゃないですか・・・・?」
「でも・・・・それとこれとは話が違うわよ・・・・」
「いや・・・・同じですよ・・・・お金目的・ちから目的という点では・・・・そうじゃないですか・・・・?」
「違うわよ・・・・」
・・・・・・・ K 夫人は、どうも、援助交際をしているギャル共に、「フシダラ」とか「ダラシガナイ」とかのレッテルを貼りたいらしい。
・・・・・・・一方の僕の考えでは、あのように可愛らしくて可哀相なギャル達を作り出したのは・・・・・・・個人的な理由はあるにしても、そんな事は小さなことであって・・・・・・・・そのような個人的考え方を創りだしている、一番の張本人は・・・・・官僚とグルになって、国民の税金を思い切り利己的な目的のために使いまくっている、自民党の国会議員・・・・・・それから、自分達の権益・天下り先の確保・自分達の遊興費の捻出に明け暮れている官僚共であるとしか思えないのである。
「そうかなア・・・・?」
「だって、援助交際は、いろいろな人と交際するわけでしょ・・・・?」
「いろいろな人と交際するのが、絶対的に良くない事だとは思えませけどね〜・・・・・」
「絶対に、良くないわよ!」
・・・・・夫人は、語気を強めて言い放った。
「そんな事いったら、男と女で立場は逆になるけど・・・・イスラム社会に行ったら、奥さんを 4 人まで持っていい事になっているけど・・・・あれだって、良くないことになっちゃうと思いませんか・・・?」
「・・・・・・」
「それに、世界的に見れば、つい最近まで、アフリカの奥地にいくと、一夫多妻、一妻多夫・・・・なんていうのは、結構たくさんあったようだし・・・・いわんや、歴史的にみれば、そういった制度は、あちこちにあった・・・・しかし、人々は、それにたいしては、何も言わないし、極めて当然という顔をしていますよ」
「・・・・・・」
「もし、複数の男女と交際するのが良くない事だとするならば、そう言った時代や地域は間違っている・・・・と言わなきゃいけない事になりますが・・・・そんな事を言う人は、今の日本には殆どいません・・・・!!」
「そんな事を言ったら、子供の教育なんか出来なくなっちゃうじゃないの・・・・」と奥様。
「・・・・・?」
瞬時、僕がその語気に押されて言葉に詰まった時である。 M 夫人はは更に追い打ちを掛けてきた。
「いい事はイイ、悪い事はワルイ・・・・と言わなくちゃ・・・・駄目じゃない????」
「そうかなア・・・・?」
「そうですよ・・・・じゃあ、子供がスーパーで万引してきたら、八岳さんはどうするんですか・・・・?」
「どうする・・・・って??」
「だって、人の物を盗るのは、悪いことでしょう?」
「まあ、あまりイイ事じゃないとは思いますがね・・・・」
「・・・・でしょう?・・・・だったら、良くない事は・・・・良くないと言わなくちゃいけないわ」
「チョッ・・・・・・チョット、待って下さいよ。僕が、子供だったら、完全に憤慨しちゃうね・・・・親が頭ごなしに---ひとの物を盗るのは良くない事だから、止めろ---なんて言ったら・・・・・」
「どうして・・・・」
「じゃあ、あなたは・・・・どう思うんですか、こんな事は・・・・・・?」
「・・・・・?」
「今、あなたはスーパーで万引きをするのは良くない事だと仰言ったけど、強欲杜撰 (ずさん) な経営で不良債権を発生させた金融界の大物たちの責任をなんら追及することもなく、景気浮揚対策とか貸し渋り対策とかというイイ加減な名目を付けて、政府自民党が何十億、何百億という国民の税金を銀行業界にタレ流しをしているのと、どっちが罪深いと思いますか・・・・・??」
「うーん・・・・・・・・自民党のしている事の方が、どう考えたってオカシイワヨね・・・・あれは、!!」
「じゃあ、ここ暫くの間、新聞や雑誌の紙面を賑わした岡崎大蔵事務次官や、防衛庁の調達業務部長・・・・それから、少し前の厚生省のエイズの件で首になった課長のことは、どう思いますか??」
「・・・・どうして、そんな事を聞くの・・・・いい事じゃないのに決まってるじゃない!!」
「・・・・だからさ・・・・僕は言いたいんですよ。 もし、僕が子供だったら、政府や官僚達がしているズット・ズット大きな良くない事に対しては、親は何も言わないで・・・・ヒドイ親になると、その官僚目指して東大に行けなんていう、どうしようもないのもいるくらいだから・・・・ホンの小さな万引きなんかに目くじらを立てて---良くない事だから止めなさい---なんて言うのは、おかしいんじゃないかと、憤慨しちゃうって・・・・・」
「そう言われてみれば、そうよね・・・・・」
「ね、そう思うでしょう・・・・・・貴女だって?」
「うん・・・・でも、何んだか八岳さんに誤魔化されてるみたい・・・」
「いや、誤魔化しちゃなんかしてないですよ・・・・キチンと考えていくと、僕の頭では・・・・・・どうしても、そういった結論に達しちゃうんです・・・・・・・・」
「・・・・・・フーン、そうかなあ? ・・・・・・でも、おかしいなあ・・・・・・自分では、自分の考え方が、もっと整理されていると思ってたんだけど、八岳さんと話していたら、何んだか分かんなくなってきちゃった〜・・・・」
「そりゃあ、分からなくなるの当たり前ですよ!・・・・だって、貴女は、もともと基準がないもの・・・・何処から何処までが良いことで・・・・何処から何処までが良くない事かという、非常に曖昧模糊 (あいまいもこ)としたとした事に・・・・絶対的な基準をつけようとしていたからですよ・・・・」
「そうかなあ・・・・?」
「そうなんです・・・・世の中にはねえ・・・・絶対的に良い事とか、絶対的に悪いこと、なんていうものはないんだと思いますよ・・・・」
「じゃあ、人殺しは・・・・?」
「人殺し・・・・と言うと、すぐに強盗殺人やサリン事件を思い出して、悪いことだ・・・・というけど、あの有名なマッカーサー・・・・総指揮官として色々な指示を出して何万人という日本人を殺したマッカーサーを悪人だと言う日本人は、ほとんどいない・・・・」
「そうかあ・・・・!!」
「ネ・・・・・そうでしょ・・・・・・?」
「じゃあ、おかしいわね・・・・今の世の中の善悪はどうやって決まるのかしら?」
「あ、それ?・・・・物凄くカンタン!! 殆どの事が多数決で決まっちゃう。・・・・その最たるものが国会で、非常に極端な話が、”万引きは罪にならない”と言う事が両院で議決されれば、万引きをしても、罪にならなくなっちゃう」
「ウッソー!!」
「ホント、ホント・・・・・いくら何んでも”万引き無罪”が決議されることはないと思うけど、でも、極端な例かも知れないけど、もしホントに議決されれば、そういう事になっちゃう訳よ」
「・・・・だから、各党は自分の党の議員数を増やすことに執着するという事?」
「正に、おっしゃる通り・・・・だから、今迄、やりたい放題同然に色々なことをやってきた自民党あたりは、ナリフリ構わず、以前の選挙方法では勝てないと思うと、小選挙区制にし・・・・小選挙区制では不利になると思うと、今度は中選挙区制に変えてやろう・・・ということになるんだと思いますよ!」
「じゃあ、なぜ皆は自民党に投票するの?」
「皆じゃないですよ!! 自民党は、大企業、銀行、金融、医師、宗教、資産家・・・・など高額所得層の擁護者であるから、利にさとい、こういった連中の大半が自民党に投票する・・・・」
「じゃあ、所得の低い人達はどこの党に入れるの?」
「そこら辺のカラクリが分からないし、メンドクサイから投票に行かない人が沢山いる!・・・・だから、いつも自民党が安定して選挙戦に勝つわけ・・・・」
「いつもじゃないでしょ・・・・」
「そう、そう、いつもじゃないよね!!・・・・自民党が、何か低所得者層の気に入らないことをすると、投票率が上がり、そういった人達が野党に投票するので、前回の選挙みたいに橋本首相の首が飛んだりするわけ!!・・・・・だから、正直な話・・・・ほとんどの場合、自民党や高額所得者層は投票率が高くなるのがコワイというのがホンネなんですよ!!」
「私、何んだか頭ン中がコンガラがってきちゃったわ・・・・!!」
「エッ、どうして〜? 物凄くクリアじゃないですか・・・・!!」
「・・・・そんなに分かりいい事ないわよ!!・・・・ねえねえ、それじゃあ、八岳さんに訊きますけどネ、八岳さんはご自分の子供が、万引きをしたら何んて言うの?・・・・良くない事だから、止めなさい・・・・て言わない?」
「うん・・・・そうだな・・・・言うね、万引きは良くない事だから、止めなさいって・・・・」
「ね、・・・・・そうでしょう!!」
「うん、確かに、そう言う。・・・・でもね、それはねえ・・・・万引きが絶対的に、良くない事だから、止めなさい・・・・なんて言う事じゃあないんですよ!!」
「・・・・って、どういう事?」
「・・・・僕は、子供を前にして言うだろうね! お父さんは、今、万引きすることは、良くない事だと言ったけど、それは、絶対的に良くないことだという意味でいったんじゃないんだよね・・・・って」
「それで・・・・?」
「お父さんが、良くないって言ったのは、人が悲しんだり、淋しがったりすることは・・・・しない方がいいよ・・・・と言う意味で言ったんだよってね・・・・・!!」
「フーン」
「そう言うでしょうね〜・・・・うん・・・・そう・・・・多分、そう言うでしょうね。 いいですか、さっきも言いましたけど、この世の中の物ごとには、絶対的な善とか絶対的な悪とかと言う物がないのですから、どんな事でも、もっともらしい理由をくっ付けると、良い事にも悪い事にもなっちゃうってわけですよ・・・・!!」
「うん・・・・そこら辺のこと、少しは分かってきましたわ・・・・」
「そう?・・・・じゃあ、もうあんまり言いませんけど・・・・だから・・・・本来ならば政府が、目茶苦茶な不良債権の焦げ付きを放置しておいた銀行の上層部を、裁かなくてはイケないのに、それをすると自分たちのところにお金が入ってこなくなっちゃうから、景気浮揚・貸し渋り対策・・・・など、さも中小企業を救うような理論をデッチ上げて・・・・公的資金を大チョンボをした銀行にガバガバとバラ撒き、収支のバランスをとらせるんですよ・・・・全く、中坊公平じゃないけど、ホントにおかしな事と思いますよ!」
「うーん・・・・そうよねえ・・・・でも、あれって・・・・ナントカ救済法っていう法律が国会で通過して、承認されたから出来たんでしょ・・・・?」
「よく知ってるじゃん。正にその通り。・・・・だけど・・・・一番最初は、銀行の幹部連中は公的資金の導入をノーサンキューと言って、断っていたんです・・・・」
「あら、どうして?」
「公的資金は欲しいけど、自分達の責任を追及されるのが物すごくコワカッタ!!」
「当たり前じゃないの、そんなの・・・・ねえ」
「当たり前だと思いますよ・・・・僕だって! だけど、政府自民党が言い始めたのは・・・・銀行の責任を追及しないから、お前ら公的資金を、各銀行横並らびで導入しろ・・・・だった」
「そうそう・・・・そうよ。思い出したわ!!」
「・・・・・・・と言うわけで、富士銀をトップに総額 6 兆円。 ロクチョウエンだよう!!!」
・・・・僕はひと息ついて、更に続けた。
「だから・・・・政府が本当に考えているのは、中小企業の事よりも、どちらかと言うと・・・・金を自由に扱える銀行の上層部と政治献金を沢山してくれる金持ち連中のことなんだよ」
「・・・・そうかあなあ。・・・・でも、改めてそう言われてみると、そうかも知れないって気もしないでもないわね。・・・・でも、どうして皆さん、それに気が付かないのかしらね・・・・?」
「それはねえ・・・・もともと善悪の絶対的な基準がないのに、大多数の人達が、絶対的とも言える程の善悪の基準があると誤解しているからなんだよ・・・・」
「どんな・・・・・?」
「一般的に言うとね、政府、官庁、銀行、大企業のしている事は--- まあ、間違いがない---と言う、一番安易な善悪基準。それから、商社に多い---金は正義なり!---という金銭指向の価値基準。 それから、既存制度に反論を加えることは、美徳じゃない---という昔からの事なかれ主義。 今の日本人には、余りにも自分の頭で考えない人が多すぎます・・・・」
「何んとなく、分かるようなきがするわ・・・・・」
「そして、他人が考えた、善悪の基準をソックリそのまま仕入れて、さも自分の考えだというような顔をしている人がゴマンといる。本当に、日本人にはフィロソフィーがないと思いますよ・・・・」
「・・・・・・・八岳さんの批評は、分かったわ。じゃあ、八岳さんはどういった善悪基準で---或る事をしようか、するのを止めようか、を---決めている訳???」
「そう言われると困っちゃうねえ・・・・」
「でも、何かあるでしょう!! 物事の良い・悪いを決める判断基準が・・・・」
「物事の判断基準ねえ・・・・・困っちゃったねえ・・・・ウーンと、どう言えばいいのかな? そうだ、じゃあ、この説明で分かって貰えるかなあ・・・・実は、僕にはねえ・・・・・僕には・・・・或る行為をするか・しないかを決定するような・・・・善悪の基準ていうのが無いんだよね・・・・」
「それって、どういうこと・・・・?」
「え? うん、分かりやすく言うと、これはイイ事だからしよう・・・・悪いことだから、するのを止めよう・・・・という風には考えないって事さ・・・・!!」
「じゃあ、どういう風にかんがえるの・・・・?」
「えーと、分かって貰えるかどうか分からないけど・・・・新しい事でも、重大な事でも、何んでもいいんだけど・・・・何か或る事をするか・しないかを決める時にはねえ・・・・自分の気持ちを素直に考えてみて、その事をすることが淋しければやらないし、淋しくなければやると・・・・いう風な説明で分かって貰えるかな・・・・?」
「よーく、分からない・・・・・わ」
「うーんと??? じゃあ、何か例を挙げて見ようか? えーと、どんな例がいいかな?」
「・・・・・?」
「そうだ、じゃあ・・・・浮気の話にしよう・・・・」
「え? ウワキイー???」
「ウン、そう・・・・浮気の話・・・・」
「じゃあ、いいわ・・・・その浮気がどうしたの?」
「いや、どうって事ないけど、僕は一生の間に一度でいいから、浮気をしたいと思っているんだよね・・・・」
「本気・・・?」
「うん、本気、本気・・・・大本気!!」
「あら、前にも、何か・・・・そんな事言ってたわよね!! それで・・・・?」
「今、ここに凄っごーくチャーミングな女性がいたとしよう。そして、僕が誘ったら付いてくるかも知れない・・・・」
「アハハハハハ・・・・・駄目、駄目・・・・八岳さんじゃ絶対に駄目よ!!」
「あ、そーか、駄目かあ!! じゃあ、チャーミングじゃなくてもいいや・・・・まあ、その女性をラブホテルに誘おうとして・・・・声を掛けようか、掛けるのをやめるか・・・・なんてえ時の・・・・するか、しないかの判断基準だ・・・・」
「それなら、よく分かるわ・・・・それで・・・・?」
「それで・・・? 別に、どうって事ないさ! 彼女に声を掛けるのが淋しければ、声を掛けるのを止めてしまうし・・・・声を掛けるのが淋しくなければ、声を掛ける・・・・って言う事さ!」
「何よ、それ!! その位、私だって分かるわよ・・・・ じゃあ、淋しいって、どういう事なの・・・・?」
「まあまあ、そう急き立てなさんなって!! いいかい・・・・僕が浮気をしたとしよう。 すると、何が起こるか?・・・・と言うより、僕はどう言った事後処理をすると思う??」
「ハハハハ・・・・当然、隠そうとするわよね!!」
「・・・・だろう? ところが、あなたも知っての通り、僕は・・・・」
「隠すのがヘタだから、すぐに奥さんに分かってしまう・・・・」
「・・・・だろう? すると、多分家内はオツムに来る・・・・でしょう!!」
「そうよねえ!! 自分の旦那さんが浮気をしても、平気でいられる人なんていないもの・・・・」
「な・・・・そうだろう。 そうすると、家内と僕が言い合いをする、ケンカをする、家の中が暗くなる・・・・そうすると、誰が一番被害を被るんだい??」
「そうね、八岳さんよりも奥様かな? いや、違うわ・・・・息子さんかな? そうよ、息子さんだわ・・・・きっと・・・・・」
「僕もそう思いますよ・・・・・自分の親達がしょっちゅうイガミ合っていたら、子供は堪った (たまった) もんじゃないよね〜。 そんな状態が長く続いたら・・・・自分の子供がどんなに淋しく思うか・・・・! 考えただけでも、涙が出そうになる・・・・」
「そうよねえ・・・・」
「そんな事を考えていくと、とても、心の中が淋しくなっていく」
「そうよねえ・・・・」
「だろ?」
「うん、淋しいと思うわ・・・・お子様は!」
「分かる?」
「うん、分かる」
「だから、浮気をしない!!!!!!!」
「アラ!」
「えっ、どうしたの? ・・・・・アラって?」
「そこに、つながってくるの?」
「うん。だから、最初に言ったでしょ。僕が或ることをするか・しないかを決めるのは、イイ・ワルイじゃなくて・・・・淋しいか、淋しくないか・・・・だって」
「うん、凄く説得力ある!! 悪い事だからしない、って言うより・・・・淋しくなるからしない、って言うほうが・・・・どうしてだか分からないけど、よく分かるわ」
「僕も、そう言った方が気持ちが楽だよ・・・・!」
「そうかもね・・・・・」
「じゃあ、もう一つの・・・・或る事をするとき、よく考えてみて・・・・淋しくなければ、その事をするってえヤツだけどさあ・・・・」
「ねえ、それってさあ・・・・楽しければ、その事をする・・・・って、言い直しちゃイケナイの? だって、淋しくないって言うことは、楽しい事でしょ?」
「駄目だね・・・・」
「あら、どうして?」
「だってさあ・・・・その論法で行くと・・・・浮気って楽しいな・・・・って考えたら、浮気をしてもイイ事になっちゃうじゃない!!」
「えっ?」
「楽しければ、してもよし・・・・っていうのを認めると、バブル期の銀行と一緒だよ・・・・担保不足の貸しだしオッケー、身内企業への融資オッケー等々・・・・もう、何んでもあり・・・・になっちゃう!!」
「あ、そーか、ホントだ・・・・ホントに何んでもありになっちゃう!!」
「・・・・でしょう? だから、何か新しい事を始める時には、あらかじめ自分の心の中を色々と探ってみて・・・・奥さんや子供たちに淋しい思いをさせない・・・・又、心の中にもヤマシイ事が無い・・・・そして更に、自分の心が淋しくなるようなことがない・・・・って確信出来た時になって、初めて・・・・じゃあ、その事をしようか・・・・て言うのが、僕の行動の基準になっているんだよ・・・・」
「ふーん、そうなのお・・・・??」
「うん、ソウナノ・・・・これで、お分かり頂けましたでしょうか、お嬢様??」
「え? お嬢様〜? ウフフフフフ・・・・・・有難う・・・・・・・・・・でもさあ・・・・」
「えっ、まだあるの・・・・?」
「うううん、違う・・・・でも、よく考えられるわね、そんな風に冷静に・・・・」
「・・・・・???」
「普通の人って、そんな風に考えていないわよ・・・・八岳さんみたいに・・・・!!」
「そうかも知れないね・・・・そう、少なくとも、こんな非論理的な考え方はしないよね〜〜・・・・」
「うん・・・・でも、とても正直な感じがする・・・・」
「有り難う・・・・」
「政治をやる人たちが、八岳さんみたいに考えるといいのにね・・・・」
「アハハハハ・・・・それは無理だね・・・・」
「あら、どうして?」
「どうして?・・・・って、分からない?」
「・・・・分からない」
「それはね、神様が違うからだよ・・・・」
「エッ? カミサマア????」
「そう、神様・・・・」
「そんな事言ったって、皆さん八岳さんみたいにクリスチャンじゃないわよ・・・・」
「いや、いや、そうじゃないんだよ。実はねえ、僕に言わせると・・・・人間と言うのは、どんな人でも神様を持っているんだよ・・・・」
「そうかしら・・・????」
「うん、そうなんだ」
「それって、どういう事なの・・・・?」
「えーとねえ、どう言ったらいいのかな・・・・うん、そうだ・・・・こんな風に説明してみようか・・・・いいかい・・・・ではね、どんな人でもいいから・・・・自分の心の中を誠実に見つめたとしてみよう」
「・・・・それで?」
「その時、どんな人でも、自分の心の中で一番大切なものって言うのがあると思うんだよね」
「うん、あるある!」
「分かりやすく言うとね、その一番大切なものがその人にとっての神様なんだよ・・・」
「えーっ、そんなのお・・・・」
「いや、そうなんだよ」
「じゃあ、聞くわ・・・八岳さんの神様って何よ?」
「僕の神様あ・・・・僕の神様は、勿論イエス様だよ」
「・・・・て言うことは、奥様とか息子さんよりイエス様のほうが大事っていうこと・・・・」
「えーと、そういう事になるかな?」
「そういう事になるわよ!! ・・・・・・だって心の中で一番大切なものがイエス様なんでしょ?」
「あ、そーか? そう言われてみれば・・・・そうなっちゃうかも知れないね〜」
「それじゃあ、もう一つお伺いしたいんですけど・・・・八岳さんにとっては、家の中の事より教会の事のほうが大事っていうことになっちゃうんですか〜?」
「おやおやおや・・・・どうして、直ぐそうなっちゃうの?」
「だって、そうじゃない!」
「ちょっ、ちょっ、ちょっとー・・・・僕が言ったのは、イエス様が僕の神様だって言ったんだよ。・・・・教会が僕の神様だなんて言ってないでしょ・・・・」
「だって、神様は教会の中に住んでいるんでしょ?」
「まあ、そう言えないこともないけど・・・・でもさあ、教会って人間が作り、人間が守っているわけだから、教会は神様そのもの、イエス様そのものでもない」
「だから・・・・?」
「だから、・・・・事にもよりけりだけど・・・・殆どの場合、教会の事よりも、家の中の事のほうが大事だと僕は考えている・・・・」
「なら、イエス様が八岳さんの神様だっていうことは、どういう事になるの?」
「うん、それはねえ、イエス様が神様だっていう事さ・・・・」
「何よ、それ、それじゃあチットモ答えになってないじゃないの!」
「あ、そうか・・・・それじゃあ、イエス様は、聖書の中に書いてある通りの神様だっていったら分かってもらえる??」
「旧約聖書もふくめて?」
「まあ、そういうことになるかな・・・・」
「イエス様は、処女マリア様から生まれた?」
「勿論、その通り・・・・」
「イエス様は、復活された・・・・も当然、信じているわよね?」
「おっしゃる通り・・・・」
「じゃあ、神様が、天と地と昼と夜を創られた・・・・は?」
「はい、信じます、お嬢様!」
「ハハハハハ・・・・・何よ、それ?・・・・・・じゃあ、神様は空を飛ぶ鳥、水の中を泳ぐもの、地の上に生きるもの・・・・そして、土で人の形を創り、鼻から息を吹き込んで命を与え、人を創られた・・・・は?」
「はい、その通りに信じます、お嬢様!」
「じゃあ、おかしいわ・・・・八岳さんは理論的に間違っているわよ!!」
「どうしてさ・・・・?」
「だって、以前、子供達に聞かれて、生物の進化の話をしていたじゃない」
「エッ・・・・?」
「ホラ、地球は 45 億年前に誕生し、古生代・中生代・新生代を経て今日の我々に至っている・・・・と言う、アレヨ・・・・!・・・・じゃあ、あれは嘘っていう事?」
「あれかあ・・・・あれはホントの事だよ!」
「じゃあ、人間の起源にかんする二つの考え方が、正面からブツカッチャウじゃない・・・・それは、どう説明するの・・・・?」
「説明も、ヘッタクレもないよ・・・・僕の中では、全く、ブツカラナイんだよね・・・・」
「エーッ、変なのお!!!・・・・どうしてえええええ・・・・?」
「いいかい・・・・進化論の話は、今まで、多くの科学者達が現在棲息している動物の分布だとか地中から掘り出した化石だとか・・・・を基にして、学術の各方面から研究を加え、こうとしか考えられないと推論付けた事実を、”こう・・・・としか考えられない”事実として認定した事である。これはいいよね・・・・」
「うん」
「一方、創世記・福音書の中の事は信仰の問題である。・・・・これは、分かるかな?」
「私はクリスチャンじゃないから、よく分からないけど・・・・まあ、いいわ・・・・」
「実は、今の質問が実感として分からないと、チョット分かって貰えにくいんだけど、・・・・進化論は事実認識の問題、創世記の生物の創造は信仰の問題・・・・」
「だから・・・?」
「だから、僕の心の中では、この二つは何んの支障もなく、全く自由に共存しているし、コレッパカシの矛盾も感じることもない・・・・分かるかな・・・・?」
「ゼーンゼン、ワカンナイ・・・・!!!!!!」
「これだけは、僕が貴女をどんなに素敵な女性だと思っても・・・・どうにもならない・・・・」
「ふーん、どうして、それが八岳さんの心の中で矛盾しないんだろ・・・・何んか誤魔化されてるみたい!!」
「実はねえ・・・・僕もかっては、今あなたが感じている矛盾みたいなものを他人の中に感じたことがあるんだよ・・・・」
「ふーん、そう?・・・・いつ頃の話、それって?」
「うーんとねえ・・・・僕が商船大の一年生の時だったかな?・・・・哲学の教授で、佐々田良勝というクリスチャンの先生が、聖書研究会というのを毎週水曜日の放課後に開いていて、僕は分からないながらも毎週出席していたんだよ・・・・!!」
「へえ、八岳さんが?・・・・哲学の先生のねえ・・・・!!」
「気に入らんね・・・・その言い方は?」
「八岳さんと哲学の先生ねえ・・・・ハハハハハハ!!」
「バカモノ 何んだ・・・・その笑い方は!! こう見えても、倫理学と哲学はその先生から”優”を貰ったんだゾ・・・・!!」
「ホント・・・・・・? 」
・・・・M夫人は茶化すような目付きで、僕を眺めた。
縁無しのメガネが実によく似合う・・・・・・・
「ねえ、ねえ、ねえ・・・・言葉を返すようですが・・・・少なくとも、哲学の成績と言うのは、点数の問題じゃないんだよ!!・・・・要するに、フィロゾフィーレンする事・・・・哲学する事なんだよね・・・・分かりやすく言うと、既成の観念にとらわれる事なく、誤魔化しのない思考形態を自分の中に組み立てて行く事なんだよ!!」
「・・・・という事は、哲学する・・・・と言うことは、私達の今の生活にも当てはめられるっていう事?」
「勿論だよ? 実生活の中で哲学する人達の中には素晴らしい人がいるよ!!」
「例えば・・・・?」
「不良債権問題に取り組んでいる中坊公平なンかは、僕に言わせれば大哲学者だと思うよ・・・」
「そうだ、八岳さん、前にも何かそんな事言ってたわよねえ・・・・」
「うん、あの人の事を考えると、涙が出そうになる・・・・」
「そう?」
「僕もあの人のように、命をかけた透明なフィロゾフィーレンをしたいと思うよ」
「アハハハハハ、八岳さんには無理よ・・・・」
「そうかな?」
「八岳さんには、それだけのインテリジェンスもないし度胸もない・・・・」
「そうか、バレたか・・・」
「あら、素直じゃない?・・・・」
「ハハハハハハ・・・・」
「ハハハハハハ・・・・それで、その哲学の先生がどうしたの?」
「あ、そう、そう・・・・それで、ある日の聖書研究会で、今日の僕たちと同じように、旧約聖書の話から、進化論の事が話題に上ったことがある・・・・」
「それで?」
「その時、僕たちが先生に訊いたんだ?・・・・”先生は、旧約聖書を信じますか?”って」
「そしたら?」
「そしたら、先生は信じるって言うんだよね・・・・」
「今の八岳さんみたい」
「・・・・そうかな?・・・・そしたら、別の学生が訊いたんだよ・・・・”じゃあ、先生は進化論をどう思いますか?”って・・・・」
「・・・・・・」
「そしたら、先生は言ったんだ・・・・”進化論は立派な研究の成果だと思いますよ”って」
「そしたら?」
「そしたら?・・・・決まってるじゃないか!・・・・その学生は食い下がったね!・・・・”それでは、進化論と旧約の動物創造の話は先生の中で矛盾しないんですか?”ってね」
「そしたら・・・・」
「そしたら、先生は言ったんだよ。”私の中では、全く矛盾しない”って」
「今日の八岳さんみたい・・・・」
「うん、でも、そのあとの答えが少し違ってた。・・・・と言うのは、先生はそのあと”私の中には、実生活の世界と信仰の世界という二つの世界があるんです”ってね・・・・」
「ふーん、その言い方のほうが分かりやすいかもね・・・・そう?・・・・それで、その学生さんはどうしたの?」
「そいつ?・・・・うん、詭弁だとか、二重人格だとか言って怒ってたよ・・・・」
「八岳さんは、どう思ったの?」
「僕ウ?・・・・僕にはその学生の気持ちが物凄くよく分かったよ。・・・・それから、先生にちょっとハグラカサレタ様な気もしたし、”あの頭のイイ先生に、なぜ旧約聖書なんかが信じられるのだろう?”と、とても不思議な気もした。・・・・でも、一番不思議だったのは、一人の人間の中に、全く相反する二つの考え方が共存出来るって事だった」
「それも、今の八岳さんみたいじゃない!!」
「ウン、或る意味ではね・・・・」
「そしたらさあ、その・・・・”一人の人間の中に、全く相反する二つの考え方が共存出来る”っていう・・・・矛盾みたいなものを、分かりやすく説明できるんじゃない?」
「うーん・・・・そうだなあ・・・・できるかなあ・・・・ええと・・・と、やはり、むずかしいねコリャアア・・・・ウーン・・・・と・・・・ごめんなさい・・・・この二つの考え方が、どうして僕の中に共存出来るのかは、どうもうまく説明出来ないよ・・・・ゴメンナサイ!!・・・・と言うより、言葉でいくら説明しても、最終的には肌で感じられないんじゃないかと思うよ・・・・!!」
「それは、どうしてなの?」
「だって、貴女はキリストを信じていないもの・・・・!!」
「じゃあ、いいわ・・・・それは!・・・・それじゃあ、一つだけ教えてよ。・・・・八岳さんが日常生活を送っているとき、八岳さんは私たち人間が微生物から進化したものだと思っているの?・・・・それとも、神様が作ったものだと思っているの?」
「・・・・それって、僕がふだん心の中でどう思っているかって事?」
「そう」
「それはね、神様が人間を創ったと思っているよ・・・・」
「でも、私達が八岳さんに動物の質問をすると、八岳さんは進化の話をするわよね?」
「勿論だよ・・・・だって、皆さんが求めているのは、進化論上の答えだと分かるからさ・・・・」
「じゃあ、これから先、私達が信仰上の話で、”人間は神様が作ったの?”と質問をしたら、八岳さんは”ああ、そうだよ”って、答えるの?」
「・・・・その時になってみないと分からないけど・・・・その時の話の内容が、信仰のことだったら・・・・まあ、そんな様な返事をするだろうね・・・・」
「ふーん」
「ヨロシイデショウカ?」
「・・・・あのさあ」
「え?」
「その哲学の先生とは、卒業した後は会ってないの?」
「えーとねえ、40 才前後の時に1回。・・・・それから 50 才くらいの時に、もう 1 回会ったかな・・・・その後は年賀状が行き来していたけど・・・・・」
「・・・・その時、先生、何かおっしゃってた?」
「うーんとねえ、40 才の時に会った時はねえ、確か 2, 3 時間先生と話をしたと思うけど、先生は僕に、”私は、今でも八岳君に、哲学で優をあげますよ・・・・”って言ってくれたよ・・・・」
「嬉しかった?」
「いいや、そんなでもなかった・・・・だって、正しい生き方っていうのが、どうしても分からない時期だったから・・・・・」
「・・・そう言えば、いつ頃だったか・・・・一時期、毎朝、座禅を組んでから会社に出掛けたことがあったって話してたわよね?」
「うん、・・・・あれは。・・・・臨済宗の高歩院(こうほいん)という、幕末の剣士”山岡鉄舟”が開山した禅寺に毎朝出掛けて参禅していた。・・・・あれでも、一年くらい続いたのかなあ?・・・・確か、剣道の稽古着一枚を来て、夏も冬も座っていた・・・・」
「じゃあ、50 才の時、先生にお会いしたときは?」
「あ・・・・その時は、もう洗礼を受けた後だったから、どうと言う事はなかった。・・・・確か、先生とキリスト教の話を 1 時間ほどしてから、お別れをしてきた。・・・・でも・・・・あの時、先生はとてもニコニコしていたっけ・・・・」
「きっと、パパがクリスチャンになって嬉しかったんじゃない?」
「うん・・・・ホントに良心的な先生だった。・・・・英語とドイツ語とギリシャ語の原典をスラスラと読む素晴らしい哲学者だったよ・・・・」
「そう?」
「うん・・・・」
「・・・・」
「・・・・」
「ところで、私達、何んの話ししてたんだっけ?」
「えーとねえ・・・・僕、八岳晴耕という個人の行動の原点となっているのは、”絶対的な善悪じゃあなくって、淋しいか・淋しくないかだっていう事”・・・・それから、現在の政治を牛耳っている人達には僕と同じ視点に立って行動をすることは不可能だということ・・・・何故かというと、神様が違うからだという話が出て・・・・それから、どんな人でも必ず神様をもっているという話になって・・・・じゃあ、その神様って何かというと、心の中で、一番大切にしているものが、神様だっていう話じゃなかったかと思うけど・・・・」
「そう、そう、そうだったわよね」
「・・・・うん・・・・」
「そうするとさあ、八岳さんはどう思う?・・・・政治家の皆さんの神様って、何かしら?」
「えーっ? そんなの分からないよ・・・・でも、僕が持っている神様とは全然違うね」
「そうかしら・・・・?」
「当たり前だよ!!・・・・僕みたいな考え方してたら、あんな政治はしていられない・・・・!!」
「・・・・と言うより、国民の皆さんがついて来ない・・・・」
「アハハハハ・・・・参ったさん、参ったさん!・・・・全く、世の中、ガリガリ亡者ばかりだから・・・・!」
「何よ、それ?」
「えっ、世の中ア見渡すと、お金、財産、権力、地位、名誉・・・・なんかが、神様になっているのがゴマンといるって事さ・・・・」
「自分はどうなのよ、じゃあ?」
「えっ、・・・・オレ?」
「そう・・・・・」
「僕はモチロン・・・・ガリガリ亡者だよ」
「なかなか、正直でヨロシイ!!」
「アハハハハハ・・・・参ったさん、参ったさん・・・・いやはや、なかなか手厳しいね!!・・・・と、言うより、そう言わないと許して貰えないもの・・・・!!」
「ハハハハ、よく分かってるじゃない・・・・でもさあ、世の中って、不思議よね」
「・・・・ん、何が?」
「だって、お金でも、財産でも、権力でも・・・・たくさん持っている人の方が、もっと頂戴、もっと頂戴って、ズッと大きな手を拡げるんだもの・・・・」
「正に、その通り・・・・。そういった連中ときたら・・・・ちょっと、そこらのスーパーで、200円や300円のものをチョロマカシテ来る、どころの騒ぎじゃないんだよ・・・・エイズの阿倍や郡司、大蔵の岡光、ロッキードのピーナツ・何んピーシーズ等々・・・・上に行けば行くほど、物凄いのが出てくる。・・・・まったく、今の政治を牛耳っている連中と来たら・・・・あいつら政治家なんかじゃなくって詐欺師だよ!!・・・・ったく!!」
「そうよねえ・・・・」
「それから・・・・大蔵の金融・財政の分離の話にしたって、そうだよ・・・・あの官僚達のガメツさ!!・・・・もう、自分たちの権益をまもろうとして必死になって抵抗している。・・・・しかも、その官僚の権益の利益のお裾分けに預かっているのが自民党の族議員の連中と来るから、もうどうしようもないよ!!」
「でも、あれって、どこかの党が完全分離を主張しているんじゃなかったかしら?」
「うん、民主と公明だろ?・・・・でも、それだって、いつ公明が寝返りを打つか分かったものじゃない。・・・・過去の歴史を見ると、公明は水面下で不透明な動きをして、何回、野党としてはオカシナ動きをしたか分かりはしないから・・・・!!」
「そうよねえ・・・・」
「え? うん・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「それではね、最後に一つだけ聞いていい・・・・」
「何んだい?」
「八岳さんみたいに、イエス様を神様にすると、どうなるの・・・・?」
「えっ?」
「だからさあ、イエス様を神様にすると、何にしがみつくようになるの?」
「うーん・・・・そうだな、何にしがみつく様になるんだろう?・・・・うーんとお?・・・・そうだねえ・・・・変な話だけど、何事にも余りしがみつかなくなっちゃうんじゃないのかなあ?」
「えーっ? じゃあ、神様にもしがみつかなくなるの?」
「うん、そうじゃないかと思うよ。・・・・真面目なクリスチャンや牧師先生方、それからキリスト教学の大学者先生方からお叱りをうけるかも知れないけど、少なくとも、僕はイエス様には余りしがみつかないよ・・・・・!!」
「でも、八岳さんは人前でも何んでも、食事の前には必ずお祈りをしてるじゃない・・・・」
「うん、するよ・・・・でも、あれは、しがみつく為にしれるんじゃないよ・・・!!」
「・・・・?」
「あれは、ただ、神様に”アリガトウゴザイマス”って言ってるだけだよ」
「そう?」
「・・・・うん、そう。・・・・それにさあ、」
「・・・・?」
「神様って、しがみつかなくっても、僕達を可愛がってくれるんだよね!!」
「ふーん・・・・・」
「うん、そう・・・・よく思うことがあるよ、神様が僕の事を可愛がっていて下さるってね・・」
「・・・・八岳さんって幸せよね」
「うん、幸せなんだろうね、多分・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
二人とも、話疲れて、黙りこくってしまった。
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
すると、いま迄、黙って二人の話を聞いていたPのママがポツリと言った。
「Kさんも素敵だけど、八岳さんてホントに素直よね〜」
「うん、ホント・・・・・・憎らしいくらい!」
と、K夫人。
「オイオイオイ・・・・・・何んだよ、それ〜・・・・・・僕が、何んで憎まれなくちゃならないの・・・・・・」
・・・・・と言った僕の言葉に、ママが声を被せた。
「・・・・・・違うの・・・・・・・Kさんはね、八岳さんが好きだと言ってるのよ・・・・・・そうよねえ〜????」
・・・・・ママはK夫人の顔を覗き込んだ・・・・・・
「うん、そういう事になっちゃうかな〜・・・・・・でも、ホントにホントに、チョッピリよ・・・・・・」
・・・・・そう言うと、二人は目を見合わせて、
「ハハハハハハ・・・・・・・・・」
と屈託無く健康そうに笑った。
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