1998 年12月の日記



ノーム達が大好きな朝日に輝く枝上の水玉
(1998-12-06 am 07:15 八岳晴耕 撮影)

    

1998-12-03(木)  曇のち雪  ヒュッテ

昨日、午後6時半、5日振りにヒュッテに帰ってきた。
いつもの事だが、月に一度、中野に帰ると、とても忙しい。
今回の5日間も、
  家内と二人で秋葉原に出掛けて、壊れたテレビの買い替え。
  年賀状の図案 2種(家内と僕用)を考え、 印刷をする。
  近くの掛かり付けのお医者さんに出掛け、先月の検査の結果を聞いてくる。
  区役所にでかけ、扶養家族申請に必要な書類を取り揃える。
  過去一カ月間に送られてきた、郵便物のチェック。
  川越市の老人ホームに入居中の母親の見舞。
  散髪。
  その他雑用。
・・・・・・をしたら、アッと言う間に五日間が経ってしまった。

ある日の午後、家内に
「僕が、長野に行っていて困ることはない?」と訊くと
「何−んも・・・・家ン中が広くていいわよ・・・・!」
と明るく言っていた。
「ホント?」と、訊くと
「ホントよ、どうして・・・・・?」
と、逆に訊かれてしまった。


庭のポーチには、花が一杯で、如何にも花好きの家内らしい。
・・・・でも、女の人って、どうして、こんなに花が好きなんだろう?

話しは変わるが・・・・昨日午前、大工の瀬野さんがきて、家内と三人で話しをしたが、猫の話しでは大笑いをした。
・・・・話しはこうだ。
・・・・以前、我家の庭の土の部分に近所の猫共がやって来て、フンをして臭いものだから、大工の瀬野さんに頼んで、猫の出入り口を全て塞いだら、今度は、我家に来ていた猫達が隣家の庭に通い始めた。
・・・・そこで、ネコの糞(ふん)の悪臭公害に悩んだ隣家でも、瀬野さんに頼んで猫の出入り口を塞いだら、最近は、二軒先のアパートの庭に猫達が通い始め、今ではそのアパートの大家さんが頭を抱えている・・・・と言う事なのである。
・・・・でも、これは笑い話では済まされない!!

「そうだ、庭に土があるから猫が来るんだよ。庭を全面コンクリにしちゃおうか・・・・」
・・・・と、僕が名案を出すと・・・・
「いやだあ、そんなのお・・・・お花が植えられなくなっちゃうわ!!」
・・・・と、家内に一蹴されてしまった。
「そうかア・・・駄目かア・・じゃあ、入ってきた猫をゴムのパチンコで撃(う)ってやろうか?」
・・・・と、次なる名案を上程すると、大工の瀬野さんが
「でも、昭雄さん・・・猫がいつ入ってくるのか分りませんぜ・・・・」
・・・・と、言って首を傾しげた。
「そうだよなあ、猫のために一日中、庭をブラブラしてる訳にはいかないし・・・」
・・・・等々。
その対策を色々と考えたが、どうも名案が浮かばない。
・・・・結局、
「でもさあ、ペット飼うのはいいけど・・・・買い主達が、猫のトイレを作って世話をしなくちゃいけないよねえ!」
・・・・で、この話しはチョンでした。

今日の八ケ岳山麓は、朝から曇空。
午後3時過ぎに、チラチラと雪が降り始めた。
現在、時刻は午後5時。
雪は 6cm ほど積もっている。
もう外は、真っ暗である。

   

    
1998-12-04(金) 曇のち晴  ヒュッテ

06:00 起床。
階下におりて雨戸を開けると、昨夜降った雪で庭一面の銀世界。

「ウワア、真っ白だあ!!」
・・・・僕は、手早くパジャマを着替えると、早速、デジカメをもって外に出掛け、ヒュッテの前の道・ヒュッテの全景・庭のカフェテラスの写真などを撮って来た。

・・・・この中で印象的だったのが、ハンノキの下のカフェテラスの写真。

・・・・今は、こんなに寒々としているけど

・・・・つい3ケ月前には、桂花・雅美・好美ちゃま・本間兄達とワイワイ駄弁りながら、同じ場所で楽しい食事をしたばかりなのに・・・・

・・・・本当に、時というものは移ろい易いものである・・・・

・・・・こんな感傷に浸りつつ、部屋に戻って来た僕であるが、テレビのスイッチを入れたトタン、僕は
「オヤッ!!」
と思って、聞き耳を立てた。
・・・・と言うのは、テレビで、昨日の日記に書いたばかりの猫の糞(ふん)公害のニュースが流れていたからである。


曰く。
「横浜市磯子区では、野良猫に近隣の住民がエサをよく与えたため、野良猫の数が大幅に増加し、ネコがよく集る場所の「ネコの糞(ふん)の悪臭公害に悩まされた」住民が、市役所に働きかけ、この程、野良猫に対する条例が制定されました・・・・」
との事である。
・・・・さらに曰く。
「その条例によりますと、家庭で飼われているネコと野良猫を識別するために、磯子区では、飼い主が自分の家のネコの首に、識別用の首輪を付けるように指導して行くと共に・・・・」
「一方では、野良猫にエサを与えないように、住民に指導をしていく・・・ことになりました」
・・・・というニュースである。

「ナルホド・・・・うまい考えだ!!」
「そうだ、中野区もこの方式を採用すればいい・・・・そうだよ、われわれ中野区の住民達も、そうするように、中野区役所に働き掛ければいいんだ・・・・」
僕は手を打って喜んだ・・・・
「・・・・でも、識別用の首輪を付けていないネコはどうするんだ??」
・・・・僕はここで考え込んでしまった。

が・・・・・・すぐに、僕はニュースの後半の名案を考え付いた。

曰く。
「尚、識別用の首輪を付けていないネコに就いては、保健所を介して、野良犬と同様に全数を捕獲し、引き取り手を区民の中に探すと共に、引き取り手のないネコについては、これを処分して三味線の太鼓に貼り付ける・・・・ってえのは、ドウダロウ????」
「なぬ、可哀相だあ・・・・??」
「それならばあ・・・・こう言うのはどうだ??」
「・・・・野良猫にエサを与えたい人は、公園や他人の家の庭の付近でエサを与えるのではなく、自分の家の玄関や庭でエサを与えること!!」
「ハハハハ・・・・こりゃあ名案だ。そうすれば、その家に野良猫が集まるようになるさ・・」
・・・・でも、これも、何んとなく中途半端だなあ・・・・
「と言うのはだねえ・・・・マンションに住んでて、通りに面した玄関と庭が無いネコ好きの人は、どうやってネコにエサを与えたらいいかってえ問題が残ってる・・・・・!!」
・・・・この問題、考えれば考える程、もう頭の中は支離滅裂・・・・!!
「エーイ、面倒臭え!!・・・・もう、考えんのは止めだあ!!」
・・・・と言う訳で、今日もこの問題には決着が付きませんでした。

でも、この問題は、あした以降、本当にどうしたらいいか、真面目に考えて見ることにしよう。

09:40
案内所に出掛けようと思い、自動車のエンジンをかけたところ、オートチョークが効かず、一度は掛かったエンジンが直に止まってしまい大変苦労をする。
・・・・山口自動車に持っていったら、社長さんが色々と丁寧に以下の事を教えて呉れた。
● この車は、ゴルフの様な高級車(ここで社長さんは、僕が家内にあげてしまったゴルフ・
  カブリオレの事を言っている・・・・)とは違うから、次のようなことを続けていると
  チョークがこわれてしまうことがある。
● 「毎日、短時間の通勤しかしない・・・・たとえば、5分ほど乗ったあと、
  直にスイッチを切る事」を長期間続けていると、「エンジンが温まる前に
  スイッチを切る事が続く事になる」ので、チョークが壊れてしまうことがある。
  ・・・・また、マフラーの中に非常に汚れたガスが溜まり、エンジンが掛かり難くなる
  原因ともなるので、この様な短時間の使用はなるべく避ける事。
● エンジンが冷えきった時に、エンジンを掛ける時は・・・・
1、 クラッチをニュートラルにする。
2、 クラッチ・ペダルを一杯に踏み込む。
3、 クラッチを踏み込んだまま、アクセルを3回ほど、一杯に踏み込む。
   (こうする事により、車にエンジンを掛けるという信号を与える事ができ、
    車はオートチョークが入った状態になる・・・・ナルホド!!)
4、 この状態で、エンジン・スイッチを入れる。
5、 様子を見て、必要ならば、アクセルを少し踏み込み、20秒ほど、エンジンが
   暖まるまで、回転数を(1,500 回転)にしておく。
●  こうすれば、よく走るようになる。
・・・・との事。
・・・・社長さん、親切に教えて戴いて、有り難うございます。
僕も、一生懸命勉強してみます。
また、分らない事があったら教えて下さい。


午後8時。
「高原のパン屋さん」の社長の品ちゃんの家で開かれた「小海塾」に出席。
出席者は 7 名。
色々な議題に花が咲いたが、途中、品ちゃんに
「八岳さん、看板の話しをしたら・・・・」
と促されて、看板の話しをした。

・・・・と言っても、話しの内容は、11月25日に、看板やの「工房あらい」の大将に会った時に、大将に話した内容と大して変わりはない。

すなわち・・・・
・・・・小海町はとても素晴らしい所であるが、町全体がなんとなく雑然としている。
・・・・それは「どうしてだろう?」とズット考えていたら、個人や各種の組織が無統一に作っている看板や道路標識が、この町の美しい自然景観を大いに損ねているからだ・・・・!!と言う事に気が付いてきた。

それならば、自分でこの町のイメージに合う標識や看板を作ってやろうじゃないか!!
・・・・と考え始めたのが事の発端である・・・・という事から話し始め

「別にそれで金儲けをしよう等とは全く考えていない!」
「こんなに美しい自然があるのに、それを看板がブチ壊しているなんて口惜しいじゃないか!!」
「時間は、10 年掛かるか 20 年掛かるか知れないけど、ぜひ本件はやってみたいんだ!!」
・・・・そういった事を、夢中になって話した後、

「実は、この事に関しては、品ちゃんの紹介で、もう既に、拓ちゃん家(ち)の先の千曲電子
の裏手にある”工房あらい”の大将に会って来たんです。・・・・んで、大将にいま皆さんにお話したと同じ内容の事を話したら・・・・”面白い・・・・・!!  自分は自分の生活があるから、なりふり構わず協力することは出来ないけど、出来る事は全面的に協力する。・・・・看板作りの技術は全部オープンするし、当面、自分の工房の一部を使って貰っても構わない”・・・・て、言ってくれたんです」
・・・・と言う趣旨の事を話したら、

品ちゃんが
「看板のサイズ・文字・デザイン・規格統一に関しては、勝っちゃんが全面的に協力するって言ってるから大丈夫・・・・」
と言って、本件に関する新しい動きを紹介してくれた。

・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・

また、今後の動きについても、品ちゃんが出席者の皆に言った
「・・・・この問題は、八岳さんが一人でやると物凄く大変だから、小海塾の分科会の一つとして捉えた方がいいんじゃねえだかい・・・・な・・・・だから、勝っちゃんと八岳さんが規格統一を考えて、その結果を皆で検討すればいいずらあ・・・・なあ、八岳さん」
と言われたので、
「うん、そうそう、特に規格の立案は、勝っちゃん一人に任せてえだよ、俺らあ・・・・。
・・・・んじゃあねえと、船頭多くしてフネ山に登っちまうだから・・・・!! それで、その立案の結果が出来たら、ここに持ってくるだから、皆で検討して・・・・な・・・・これでいいとか悪いとか・・・・それで、いいとなりゃあ・・・・今度は、僕がその規格に従って看板を作るだよ・・・・」
と、僕が言ったのを受けて、座長の美代治さんが
「そう、看板作りは、作りやすい所から始めればいいだよ。松原湖の周りの案内標識みたいに個人の物じゃないところから・・・・」
と言ったのを受けて、品ちゃんが
「だから・・・・それが、ある程度軌道に乗れば・・・ほう・・・さっき言ったように町から予算をとって来る事は、出来るんじゃねえかと思うだ・・・・」

と、いうような訳で、僕が言いだした看板作りは、出席者の承認を受けた形になってしまったが、
「・・・・こんな事を言い出して、ホントに大丈夫なんですかいねえ・・・・????」
日記を書いてて、フト不安になって仕舞いました。
・・・・午後11時半、帰宅。

      

1998-12-05(土)  雨    ヒュッテ

温かい気団が来たとかで、朝から雨。

Pluvas kaj pluvas kaj pluvas kaj pluvas
 (雨が降る、雨が降る、お止みなく、雨が降る。)
・・・・・・・
・・・・・・・

お茶を飲みながら、観光案内所の窓から外に降る冷たい雨を眺めていたら、ふと、ザメンホフが作ったエスペラント語の詩の一節を口づさんでいた。

Pluvas kaj pluvas kaj pluvas kaj pluvas
・・・・・
・・・・・

なんて美しいんだろう!!


1998-12-08(火)  曇  ヒュッテ  L=-3, H=13

・・・・冬が楽しく過せたら、長野県ほど素晴らしい県はない。
これが僕の信条である。
だから、僕は、夏が終わると、冬を楽しく送るための準備を始める。
薪を割り、水周りが凍結しないように枯葉を袋詰めにして必要な個所に置き、冬に備えてペンキ塗りもする。

今年の冬支度は、大半が終わっているが、あと、トイレ周りと庭のバーベキュー用の竃(かまど)の凍結防止対策が残っている。

それで、今日はトイレのマンホールに凍結防止対策を施した。
・・・・冬期にマンホールの蓋(ふた)が凍って仕舞うと、バキュームカーが来ても、汲み取り屋さんが大変苦労をするからだ。
そこで、枯葉集めに出掛けたが・・・・ここ 2, 3 日続いた雨のため、乾いた枯葉を集めることが出来ず、仕方なく厚手の発泡ビニールシートとターポシートを利用することにした。
マンホールの蓋の上に、厚さ 2.5cm ほどのビニールシートを敷き、その上を四つ折りにしたターポシートで蔽った。
・・・・これで、冬が越せるといいのだが・・・・!!
もし、これでも凍るようだったら、PP マットを買ってきて、利用することにしよう。

夜、八千穂村にて卓球クラブの忘年会。
出席者は、男性 6 人・女性 1 人。
二次会は「港」にて・・・・・・

帰宅は真夜中でした。



1998-12-11(木) 晴  ヒュッテ   L=-9, H=4

現在、僕が住んでいる小海町とスイスの Wengen は姉妹都市である。
姉妹都市であるから、交流がある。
交流があると言っても、しょっちゅう往ったり来たりしている訳ではないらしく、2 年に1度くらいの割合で、小海の子供達が Wengen に出掛けているそうな・・・・。

・・・・どう言った経緯で小海町と Wengen が姉妹都市になったかを僕は知らないけれど、人と人がお互いに好きになったり、都市と都市が姉妹都市になったり、国と国が友好関係を結んだりすることは、そんなに悪いことではない。

Wengen には、どんな人達が住んでいて、どんな考え方を持っているのだろう?
・・・・こんな事に興味を持った数年ほど前から、僕はWengen を訪問するメンバーの何人かに
「Wengen に住んでいる人の中で、e-mail 通信に興味がある人がいたら、その人のメールアドレスを聞いてきて、頂けませんか・・・・・?」
・・・・等々と、お願いしてみたが、全然うまく行かず
「それならば、イッチョー、自分で探してやろうじゃないか・・・・」
と考えて、色々とやってはみたが、どうも上手く行かない。

Yahoo Japan で、
・・・・Wengen を検索してみても、
・・・・スイス大使館を検索してみても、
・・・・大使館を検索してみても、全然うまく行かない。
(ならば、手紙を書くか?)
とも、考えたが、住所も誰に出していいかも全く分らない。

ところが、今日の事である。
ボンヤリと、Wengen の事を考えていたとき、Yahoo USA で検索してみたらどうだろう?
・・・・と、フト考え、早速、実行してみると

「ジャーン!!」
出ました、出ました!!
・・・・アッと言う間に、10件ほどがズラズラズラッと画面に並んだではありませんか!!
僕はもう
「イヤッホー!!」
と、大喜び・・・・・

早速、その中の Tourist bureau のHPにアクセスしたあと
「ンじゃば、一丁、メールだ、メール・・・・!」
とばかりに、15 分ほどで、メールの原稿を書き

Dear sirs:

First of all, I would like to introduce myself.
I am Seikoh Yatake, male, 62 years old.
I am an inhabitant of Koumi town, Nagano prefecture, Japan.
As you probably know, Koumi town is a sister city of your Wengen.
In this meaning, we can say that we have already been friends to some extent.

The reason why I decided to send this mail to your bureau is that I have long been interested in communicating with people of Wengen by e-mail.

Would you please be kind enough to introduce any inhabitant of Wegen to me who would like to share the pleasure of the international friendship between "Wengen" and "Koumi" ?

Just for your information, I would like to give you a little further introdudtion of myself down below.

Seikoh Yatake, male, born in 1936 in Tokyo.
  Education: Navigation (major)
  Job history: Merchant ship navigator (2 years)
        Corporate Communicaions (34 years)
        Retired from Sony Corporation in Tokyo.
  Relationship with Koumi town
     1976:Visited Koumi for the 1st. time and was charmed by the               beauty of the nature
     1986:Purchased a small piece of land
     1988:Built a small house
     1997:Commenced to live in the town
  Hoby: table tennis, picture painting, butterfly collection, tourism,
     Japanese chess
  Family: wife and a son

Hoping I shall soon be hearing from you,

Best regards

Seikoh Yatake

・・・・と言う訳で、書いたばかりのメールを、相手のホームページのメールフォームを使って 2 回ほど送信してみたが、
「ポーン!!」
と音がして、2 回とも弾かれてしまったじゃありませんか。

「何んじゃあ、こりゃあ・・・・”書き込みました”っていうメッセージが出たのにい!!」
・・・・とボヤいてはみたが、どうしようもない。
暫くの間、(ああでもない・・・・こうでもない・・・・)と考えてはみたものの、もう時間も真夜中近くなっていたので、また明日にでも、考えてみる事にしました。


話しは代わるけど、今日の夕方、天頂付近のカシオペア座の南側にあるアンドロメダ座を生まれて初めて確認した。

一等星、二等星が無いため、どちらかと言うと暗い星座であるアンドロメダをかくにんできたのが、とても嬉しかった。

明日の夕方、晴れていたら、アンドロメダの隣にあるペルシウス座を見つけてみよう



1998-12-12 (土)  晴  ヒュッテ  L=-7, H=5

夕方、外に出て星座を探してみる。
アンドロメダ座はすぐに見つけられるようになったが、ペウセウス座はまだよく分らない。
船乗り時代・・・・こと座、獅子座、鷲座、白鳥座・・・・などの明るい星がある星座は、船の位置を計算するために、よく利用して、とても馴染みになっていたが、アンドロメダ、ぺルセウスなどとなると、もう全く見向きもしなかった星座である。

こんな山の中で、こう言った星座群の探索をしようなんて、以前の僕には本当に考えられもしなかった。
・・・・でも、星座の探索は本当に楽しい。
・・・・零下 4 度の屋外に出て、アンドロメダ座の隣にある、この星座を探すこと 20 分・・・・
「ああ、分った。分った」
HA レイの絵本の絵のとおりの星座を見つけて、僕は大声を上げて喜んだ!!
・・・・と同時に
「おお、寒む・・・!!」
と、コートの襟を立てて、家の中に飛び込んできた。
手足の先が、本当に凍えていたからである。

午後 6 時半。
出来上がった夕食を食べようとしたら、電話が鳴った。
・・・・出てみると、卓球の仲間の山口さんだった。
「この間は、八岳さんの家への案内地図をありがとうございました・・・・」との事。
「あの地図で分かる?」
「ええ、よく分かります・・・・・」
「その地図を頼りに、こんや遊びに来ない?」
「えっ、これから?・・・・・いいんですか?」
「勿論だよ、今これから晩ご飯食べるとこだけど、7 時半には終わってるから・・・・だけど、家ン中あ、カッ散らかってるよ!!・・・・それでよければ、どうぞ・・・・!!」
「じゃあ、7 時半から 8 時の間に伺います・・・・」と言う言葉を残して、電話は切られた。

7 時半すこし過ぎに山口さんはやって来た。
家の中を一通り案内したあと・・・・
「一番やるか・・・・?」と、僕が言うと・・・・
「やりますか・・・・」と、彼。
「よーし」
・・・・たちまち将棋盤を挟み、二人の間で、かねてから懸案の初めての将棋対決が始まった。
・・・・結果は、僕の 2 連勝のあと、3 戦目はあと一手というとこまで追い詰めておきながら、ポカをやって、逆転負け・・・・
「アチャー、負けちゃったよ・・・・畜っく生めえ!!」
と言った時には、後の祭り・・・・
山口さんは、10 時過ぎに帰って行きました。

その後、高原日記を書くために、コンピューターを立ち上げたら、
・・・・ナント、Wengen からメールが届いているじゃありませんか・・・・!!

急いで開いてみると

Dear Seikoh

Thank you very much for your E-Mail. Unfortunately we do not know the E-Mail addresses from the local people living here in Wengen. I can only give you a few business addresses and maybe you'll be able to find someone through that.

Magazine (-----------)
Taxi (------------)
Magazine (-------------)
Caf・Restaurant (-------------)

The EMail Addresses from all the hotels you'll find on our home page www.wengen.com.

I hope you'll be successful and find someone who is willing to write to you!

Best regards, TOURIST OFFICE WENGEN, B------


「いやあ、これは素晴らしい!! ゆうべのメールは Wengen に届いていたんだあ・・・・!!」
「よし、直ぐにお礼のメールを出さなくっちゃあ・・・・」
・・・・と言う訳で、10 分後には、B------- 宛てのメールが発信されました。


Dear B--------:

Thank you very much for your quick responce.
I think I'll be following your suggestion.

Thank you ............again ! !

Seikoh Yatake

P.S.
Would you please help me, when I happen to have other quesions concerning Wengen ?
I'd like to know more about your Wengen.


寝床に入ったのは、午前 0 時 40 分でした。



1998-12-13 (日)  晴  ヒュッテ  L=-8, H=8

昨日 Wengen から mail address を入手した雑誌社とレストラン宛てに、
”E-mail friend になって下さる人いませんか?”のメールを発信することにした。

ところで・・・・おととい、観光事務所宛てに出したメールを読み直してみると、持って回った言い方が多かったので、次のように書き直してから発信した。

Dear sirs:

First of all, I would like to introduce myself.
I am Seikoh Yatake, male, 62 years old.
I am an inhabitant of Koumi town, Nagano prefecture, Japan.
As you probably know, Koumi town is a sister city of your Wengen.

The reason why I decided to send this mail to your office is that I have long been interested in communicating with people of Wengen by e-mail.
Would you please be kind enough to introduce me to any inhabitant of Wegen who will be an e-mail friend with me ?

Just for your information, I would like to give you a little further introdudtion of myself down below.

Seikoh Yatake, male, born in 1936

 Final education: Navigation (major)
 Job history: Mercantile marine navigator (2 years)
  Corporate Communicator (34 years)
  Retired from Sony Corporation in Tokyo (1996)
Hoby: table tennis, picture painting, butterfly collection, tourism,           Japanese chess
Family: wife and a son

Hoping I shall soon be hearing from you,

Best regards

Seikoh Yatake

・・・・素敵な E-mail friend が見付かるとイインダケドな・・・・!!

話しは代わるけど、今夜も、星座探索をしたが、あのペルセウス座が、東の空にある時と、天頂近くに来たときとでは、まるきり違って見えるのには、とても驚いた。




1998-12-14(月)  晴   ヒュッテ   L=-5, H=5

とても暖かい一日。
小春日和とは、今日のような日のことを言うのだろう!!

この暖かさを利用して、長い間、気になっていたトイレのマンホールと庭のバーベキュー用の竃(かまど)の凍結防止の処置をした。
・・・・トイレのマンホールについては、先週、マンホールの蓋の上に置いた発泡スチロールの下に 180cm x 180cm の PP マットを四つ折りにしたものを挟み込み、庭の竃については、180cm x 180cm の PPマットで竃を包んだ後、更にその上を180cm x 180cm のターポマットでカヴァーした。
・・・・これで、今年の凍結防止対策は全て終わり、ホッと一息ついたところだが、去年の方法と違うところが一部あるため、これで全てがうまく行くかどうか不安なところがなきにしもあらず・・・・である。

夕方、きのう山口さんから聞いた、八千穂村のハーモナイズにお茶を飲みに行った。
・・・・とても感じのよいカフェ・レストランだった。

お茶を飲んでいたら、後から男性が一人入ってきた。
「ハテ、何処かで会ったことのある人だ・・・・・」と考えていたら、
先方のほうから、
「どこかで、お会いしましたよね・・・・・」と声を掛けてくれた。
「そうですよね・・・・何処でしたっけ・・・・?」
と、二人で考えてみたら、どうやら樹音だという結論にたっした。

話してみると、とても面白い人である。
年齢の話しがでた時に、
「僕は62才です」と僕が言ったら
「えっ、じゃあ昭和11年・・・・?」と鸚鵡返しに彼が聞いた
「ええ、そう、昭和11年です・・・・」
「何月?」
「2月・・・・」
「・・・・ああ、じゃあ僕より少し早いんだ・・・・」
「どうして・・・・????」
「僕も11年なんです・・・」
「ええ、本当???・・・・・・何月????」
「6月です・・・・いやあ、握手、握手・・・・!!」
と言って、先方から手を出して来た。
「いやあ、オドロイタなあ・・・・」
と、言って、そのあとも色々と話したら、何んと彼は東中野の明大中野出身・・・・・!!
「・・・・僕の家は、中野3丁目です・・・・・」
と言ったら、またまた
「やあ、やあ・・・・」
と言う事になり、一時間以上彼と話し込んでしまった。

その後、お互いに自己紹介をしたら、彼は民宿八千穂山荘の名刺を僕に下さった。
名刺を見ると、インターネットの URL が印刷してある。
・・・・・聞いてみると、息子さんがHPを開いているとか・・・・
「じゃあ、今夜見てみます・・・・そしたら、メールおくりますよ・・・・僕もホームページやっているもんですから・・・・・」

・・・・と言う訳で、ついさっき志村さん宛てに、メールを送ったところである。

今夜ノ日記ハ、コレニテ終わり・・・・と、致します。


1998-12-15(火)  晴  ヒュッテ  L=-1, H=11

今日は八千穂駅前の「たかとんぼ」にお茶をのみにいった。
カウンターの高椅子が坐り心地がよかったので、何処で買ったのかとママ(?)にきいたら、ポーランド製の椅子だとのこと・・・・・
「たしか家にカタログがあると思うので、分かったらご連絡します・・・・」とのこと。
早速、メモ用紙に住所と電話番号を書いて
「宜しくお願いします・・・・」
と言って、お願いしてきた。
・・・・ママは、とっても話しやすいタイプの人でした。
また、こんど行ってみよう。

屋号の「たかとんぼ」は、秋に高い所を飛ぶ黄色いトンボのことだとか・・・・
和名を忘れてしまったが、どの蜻蛉かは、よく分かる!!
東京にかえったら、和名を調べてみることにきよう。

夜、公民館で卓球の練習。
・・・・シングルス 2 試合、ダブルス 1 試合・・・・
全てに勝って、全勝でした・・・・!!


1998-12-16(水)  快晴   ヒュッテ

テレビで「税制調査会の案による減税を行なうことが決定したこと」を盛んに報道している。
が、現在のこの不景気の時期に、高額所得者の所得税の最高累進税率を 65% から 50% に減らす一方、年収 800万円以下の一般庶民にとっては増税となる今回の税制の変更を平気で行なうところに・・・・いつまで経っても、高額所得者(金持ち)寄りの政治から、抜けきれないでいる自民党政府の・・・・「人間の欲の業の深さ」を、沁み沁みと感じさせられる。

自民党税調では・・・・「金持ちよりの税制改革」の批判をかわす為に、子供のいる家庭に対する補正を行なうことを決めており、「夫婦と子供二人の年収 800万円の家庭では、少し減税になる」ことをアピールしているが、これとても、子供が一人もしくは子供がいない家庭では増税になる一方、金額的に見ると、年収 800万円クラスの子持ち家庭よりも子供を持つ高額所得者の方にこの補正が有利に働くことを見ると、「矢張り、自民党政府・・・・!!」と、微笑まざるを得ない・・・・!!

ところで・・・・税率の変更・・・・は、支払う額が大きいと、その効果は驚異的である。
例えば、これは僕がよく知っている或る男(仮にQ氏としておこう・・・・・)の例であるが・・・・JR 中央線 N 駅から徒歩 6分以内の地域に約 800 坪の土地を持っていた彼の親父が他界したとき、その総遺産に課税された相続税はおおよそ 2 億 5000 万円であったと言う。

さて・・・・この相続税であるが・・・・これなども、ほんのチョッと・・・・たとえば、たったの 1% 変えるだけでも・・・・遺産相続額が大きい場合には、納税者の負担が随分と軽減されることになるのである。
・・・・例えば、上記Q氏の父親の総遺産に課税された相続税 2 億 5000 万円を弾じきだした計算式の根拠となる税率をホンのチョッと、1% だけでも少なくすれば・・・・単純計算でも、たちまち 250 万円・・・・の税負担が軽減されることになるのである。
まあ、この話は相続税の話であるから、今回の所得税とは直接結びつかないが・・・・・・それでも、課税対象の金額が大きいと、その算定式をホンの少しだけイジクッたとしても、その効果は本当に大きなものになるのだ・・・・・という事は容易に理解頂けるものと思う。

だから、今回の所得税の最高累進課税を15% も引き下げると言うことは、たとえそれが累進部分に関することだとはいっても・・・・この税制の変更の恩恵を受ける所得層にシミュレーション試算を施してみると、彼らが受ける税制上の恩典は・・・・・・・・すぐに中堅サラリーマンの年収もしくは 2 倍くらいの税金が軽減される事になる・・・・というカラクリがすぐに分かって来るのである。
・・・・自民党税調では、この批判をかわす為に、
「この恩恵をうけるのは、納税者の 0.2% に過ぎない・・・・!!」と、0.2% と言う数字を盛んに強調しているが・・・・チョッと考えてみるとすぐ分かることだが、0.2% という数字は約 20万人・・・・と言う人数を表すのである。
・・・・この人数を多いと考えるか、少ないと考えるか・・・・は別として、この人達の所得税を大幅に軽減する為に、今回、年収 800万円以下の人々の所得税が、人によっては大幅に引き上げられる事になったのである。

これは、何を意味するか?
・・・・ハッキリ言ってしまえば、これからの日本社会は、貧富の差がどんどんと拡がって行くことが十分に予想されると言う事なのである。

・・・・この批判を回避するために、税制調査会あたりでは、「今回の税制改革は各国並み・・・・!!」などと宣伝してはいるが、その裏では、先進各国で導入されつつある「納税者番号制度・・・・!!」には素知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいるのである。
本来ならば、今回の最高累進税率の「各国並み」への引き下げと納税者番号制度の「各国並み」の導入とは、セットにならなければならないのに、税調では、その事を十分に承知しつつも、知らん顔をしている。
・・・・と言うのは、この制度が導入されると、隠れた預金や所得などが明るみに出てきてしまう為、ガラス張りが大嫌いな金持連中から政府に対して、猛烈な突き上げがあることが予想され、自民党政府の基盤を揺るがしかねないからである。

だから、「自分たちさえ良ければ・・・・」と言う意識の強い高額所得者や上層部自らが汚職に走っている官僚と密接な関係を保っている自民党政治が変わらない限り、日本では低額所得者にもフェアな政治が行なわれる可能性は非常に小さいと言わなければならないでのである・・・・!!

ところで、ここでひと言断っておかなければならないが・・・・
僕は、お金を儲けることを罪悪視しているわけではない。
・・・・いや、それどころか・・・・清々(すがすが)しいお金ならば、お金儲けを後押しさえしたいと思っている。
ここで言う「清々しい金儲け」とは
・・・・経済的弱者を踏み台にしたり、人前にさらす事を隠したくなるようなドロドロしたものが背後に無く、どちらかと言うと、人々が喜ぶ事をしているうちに「儲かっちゃった!!」と言えるようなお金・・・・そして、お金をたくさん集めた人が「自分は偉いんだ・・・・!!」と思わないような・・・・金儲けのことである。
・・・・・
・・・・・
僕が、このように考えるのには、それなりの理由があるようである。
・・・・・・・・・・もう可成り以前の事になるが、僕は自分に近しいひと二人を不幸な死に方で失っている。
・・・・そして、その不幸の原因をよく考えてみると、どちらかと言うと、お金や資産に対する「考え方」が、根本的に間違っていたということに気が付いたからである。

・・・・そして・・・・ここまで書いてきたような事が、今日までの僕に直接間接的に作用して来たせいあろうか・・・・・・
今迄の僕は・・・・・自民党が拭い切れないでいる政官癒着のドロドロとした体質がイヤで(週刊誌や新聞で取り沙汰されていることによると、各省庁の権益に群がっている自民党の国会議員の多くは、各省庁の課長クラスにペコペコと頭を下げっぱなしで平つく這り、その為だろうか・・・・・・・アノ本当にどうしようもない位に、国民の税金を滅茶苦茶に食い荒らしている「官僚の天下り禁止」に指一本も持ち上げられないでいるのが現状であると言う!!!!)・・・・徹底した自民党支持の父親の下にあっても、・・・・20 才で選挙権を手にして以来・・・・僕は一度も自民党に投票したことがないのである。


そして、更にもう一つ付け加えると
・・・・小さい時から、僕の周囲の人達の自分中心の生き方に、疑問を抱き
「お金を神様にすると、人間・・・・何でもあり・・・・に、なっちゃう!!」
・・・・と、思い続けて来た為に、僕の生き方と言うのは、いつの間にか、自民党の体質と嘔吐感を感じるほどにソリが合わなくなって来てしまっているようである・・・・!!!!!!!

矢張り、僕が好きなのは・・・・
政治家では・・・・民主党の菅代表
弁護士では・・・・中坊公平弁護士
金融界では・・・・あの北洋銀行頭取である


1998-12-17(木) 快晴  ヒュッテ  L=-4, H=12

06:30 起床。
階下に下りてきて、テレビのスイッチを入れると、いきなり米英両軍がイラクの大量破壊兵器施設に対して攻撃を開始したというニュースが飛び込んできた。
「・・・・なんだ、なんだ、なんだ・・・・こりゃあ・・・・!!??」
・・・・本当は、朝食の準備をしなくてはいけないのだが、それどころの騒ぎではない。
僕は、テレビの正面にイスを持ちだして、テレビの前にドッカと坐り、テレビ画面とアナウンサーの声に耳を全神経を集中した。

・・・・アナウンサーの解説によると
フセイン大統領は、前回の湾岸戦争以来、色々な難癖を付けては、国連の査察チームによる査察を、なし崩し的に無力化してきたが、ついに査察に限界を感じた査察チームより
「査察チームによる、これ以上の査察は不可能になった」
・・・・と言う報告が、国連常任理事国委員会宛に提出され、以前から「国連・イラク間の約束通り、国連による無条件の査察を受け入れなければ、予告無しに攻撃を開始する」と再三再四警告していた警告通りに、クリントン大統領率いるアメリカと英首相率いる英国が、ミサイルと戦略爆撃機を用いて、イラクの大量破壊兵器およびフセイン大統領の親衛隊組織に対して攻撃を加えた・・・・と言うことらしい。

この攻撃に対し、イラクの対空砲火は全く無力だった由。

・・・・さて、このようにあっさりと米英軍による攻撃を可能にしてしまったイラク側の無防備の裏には
「司法研修生モニカさんとのセックス・スキャンダルの件で、米野党共和党と与党民主党の綱引き状態にある最中(さなか)、よもや、クリントン大統領が攻撃指令を出すことはあるまい・・・・」
と考え、何も準備していなかったフセイン大統領の誤算が感じられなくもないが、今後、この問題はどういった経過を辿るのだろうか??
・・・・あのフセイン大統領の事だ・・・・何回でも、同じことを繰返さずにはおかないだろう!
それにしても、このような事態を何回も繰返していたら、フセイン大統領はイラクの中で、段々と支持基盤を失って行ってしまのではないだろうか??

19:00、松原湖高原ホテルにて合唱団「リトル」の忘年会。


1998-12-19(土)  快晴  ヒュッテ  L=-3, H=11

午前 10 時、土村の工藤さんがドイツ人の Sabine さんと一緒に、キャリフール・センターに話しにやって来た。
・・・・工藤さんは英語の上手な女性で、以前から知っていた方。
Sabine さんは、今まで何回か町の中で美しい姿を見掛けた事があるが、話しをするのは今回が初めて。

ホールのテーブルに向かって三人が坐り、お互いの紹介が終わったあと、
「ねえ、二人はいつも何語で話しているの?」と工藤さんに聞くと
「私達?・・・・日本語で話しているの・・・・でも、八岳さんはドイツ語で話したら?」
・・・・と工藤さん
「えーっ、ドイツ語オーーー? ・・・・Wenn ich war studient, ich ......... 駄目、駄目、・・・・もうすっかり忘れちゃってるよ・・・・・」
と言った瞬間、Sabine が
「・・・・Mais vous parlez francais ? ・・・・そう・・・・工藤さんが、八岳さんはフランス語を話すって、言ってましたから.........」
と、日本語とフランス語 で話しかけて来た。どちらの言葉も、発音がとってもキレイだ・・・・
" Oui ......... mais pas tres bien. Ou est-ce-que vous havez etudi'e francais ? "
・・・・と、僕。
" En France. 'A Paris. "
" Oui ? Votre pronunciation est tres belle. "
" Merci. Vous parlez Francais trez bien. "
" Merci. Combien de langues parlez vous ? "
" Moi ? Je parle almand.......bien sur.....ha,ha,ha.........et......... "
" Anglais et japonais et eusuite.........? "
「うわあ、八岳さんってフランス語がとっても上手なんだあ・・・・尊敬しちゃうわ!!」
僕達の会話に耳を傾けていた工藤さんが、スットンキョウな声をあげた。
工藤さんは、話すのはそんなに得意ではないらしいが、話していることは可成り分かるらしい!

僕と Sabine は、20 分ほどフランス語で話していたが、途中で工藤さんが英語で僕に質問をし、僕が英語で彼女に答えたのが切っ掛けで、今度は三人で英語の会話になってしまった。

それからの 1 時間半ほど、僕達三人は・・・・言語のこと、趣味のこと、スポーツのこと、町のこと、キリスト教のこと、聖書のこと・・・・を英語で話し合った。
・・・・その間、色々な話題に花が咲き、可笑しなことがあると三人は子供みたいに笑った。

正午近くに、二人の女性は
「八岳さん、今日はとても楽しかったわ、どうも有り難う・・・・」
「ドウモ有リ難ウゴザイマシタ。トッテモ面白カッタデス・・・・」
と明るい笑顔を残して帰って行った。
車が動きだした時
" Auf wieder sehen ! "
ドイツ語でいうと、車の中の二人も手を振りながら言った・・・・
" Thank you..........Bye ! "
" Auf wieder sehen ! "
助手席に乗っていた Sabine が振った白い手が印象的だった。


19:00
フィンランド・ヴィリッジのホンギュストにて「小海塾」の勉強会と忘年会。
集まったメンバーはこの小海町の将来の発展を考えている淙々(そうそう)たるメンバー達。
座長の美代治さん、「高原のパン屋さん」の社長の宗ちゃん、役場水道係の拓ちゃん、議会事務局の晴正さん、ペンション「アルニコ」の憲ちゃん・・・・・等々。

・・・・話しはチョイト脱線するが・・・・この辺の人達は、お互いを名前で呼ぶことが多い。
昔からの顔馴染みのせいもあるらしいが、ザックバランに言っちまうと、どうやら・・・・同じ苗字の人がやたらと多い・・・・と言うのが本音らしい。
・・・・なにせ、我がヒュッテの下の、そのまた下の「八那池」という部落に行くと、部落全体の世帯数 100 軒の中の80 軒前後が「小池」という苗字だそうである。・・・・だから、そんな部落に行って「小池さん」などと言っても、どこの誰だか全く分かりゃあしない・・・・と言うことが現実に起きるらしいのだ!!

話しを元に戻そう・・・・
まず、今夜の予定の第一部・・・・ホンギュストの二階の会議室で、何十年来いろいろな町や村の「町おこし」を手懸けてらした埼玉県の小林章先生から「本当の町おこしとは・・・・?」に就いてのレクチャーがあり、その後、階下のダイニングで第二部の懇談会を兼ねた忘年会が行なわれることになっていた。

・・・・第一部の小林先生によるレクチャーの中身は、「毎日一人づつの宿泊観光客がこの町に来てくれるならば・・・・その効果は、この町の人口が 6 人増加したのと同じ経済効果をもたらす」・・・・と言う話しから始まって、他地域の成功した「町おこし」の例や、色々なタイプの地域開発のこと・・・・等々、話題が多岐にわたり、結構面白い内容のものであった。

・・・・僕を除く他のメンバー達も、興味をもって先生の話しを聴いていたが、レクチャーが終わりに近づいた時、先生が
「今までの話しをどう思われますか・・・・?」
と言って、皆を見回した瞬間に、僕が皆に言った
「・・・・でもさあ・・・・先生の話とても面白かったけど、こういった話しを何回聴いても、聞いただけじゃあ町は絶対によくならないんだよねえ・・・・」
「・・・・」
何人かの目がパチリと瞬(まば)たいた。
「だって、そうじゃん・・・・話しを聴いただけで、町がよくなるんだったら、先生にシリーズもののレクチャーを何百回かして頂いたら、物凄くいい町が出来ちゃう・・・・ってえ事になっちゃう・・・・」
・・・・僕はひと息ついて後を続けた
「でも、現実に町はよくなる訳ではないし、先生だって、町のために何かをして呉れるって訳でもないんだよね。・・・・もっとハッキリ言うと、先生はここで話しをして下さったけど、それは、仕事として話をしているだけであって、町が現実に良くなるかどうかって事には全く関係がないんだよね。・・・・ねえ、先生、そうですよねえ・・・・?」
・・・・僕は先生に水を向けた。
「そうです・・・・仰言(おっしゃ)る通り・・・・」
と言った先生の・・・・その言葉を聞いて、僕は更にが鳴り立てた。
「先生は、今までの話の中で、こんな手がありますよ・・・・と言って、”町おこし”の手札のトランプを僕達に配っただけなんだよ。・・・・だから・・・・問題は・・・・僕達が、いま目の前に配られたトランプを手にとってゲームをするか・・・・それとも何もしないでゲームを下りちまうか・・・・と言う事なんだよ・・・・!!」
「それと・・・・」と、僕は息をついた。
「・・・・それと・・・・こう言った仕事ってえのは、ジックリ時間をかけて楽しくやらないと絶対にうまく行かないってえ事なんだよ。・・・・じゃないと・・・・途中で色々なストレスが溜まって来てさあ、その内にだんだんと嫌気がさして来て、最終的には、腰砕けになっちまうんじゃないかと思うんだよ・・・・。 だから・・・・2, 3 年でパアーッとやろうとしないで、10 年、20 年、と少しづつでいいから・・・・時間を掛けてやって行かなくちゃあ!!・・・・と思うんだよねえ・・・・そうすりゃあ、その方が絶対に楽しいし・・・・少しづつだけど、町は絶対によくなって行くと思うよ・・・・!!」
・・・・と、大声でここ迄まくし立てて来た僕は、ここで不意に自分が興奮しているのに気が付いた・・・・
「・・・・と、一人で息巻いて見てもショーネエカア・・・・アハハハハ・・・・」
と言うと・・・・高原パン(これは、僕だけの”高原のパン屋さん”の略称である)の大将の宗ちゃんが沁み沁みと言った。
「そうだよなあ・・・。やっぱ、ジックリと本気になって取り組まねえと、うまく行かねえよなあ・・・・」

・・・・この宗ちゃんの言葉が切っ掛けとなって、色々な発言が次から次へと飛びだして来るようになり、第一部は興が乗ったところで終了することになった!!

第二部は・・・・フィンランド・ヴィリッジ.ホンギュスト一階で小林章先生を囲んで懇談会と忘年会。
内容は、第一部に引き続き「町おこし」のテーマを中心に、色々な事柄が討論された。
・・・・途中で、先生が
「八岳さんと小郷さんが地元の人の中にスッカリ溶け込んでいるのを見て、大変おどろいています。・・・・と言うのは、殆どの場合、東京の人が地元のサークルに入る事は上手く行かないからです・・・・いやあ、これはオドロキました」
とのこと。

・・・・討論会と言っても、酒を飲みながらの話しあいである。
二時間ほどすると、大分アルコールも回ってきて、眠くなった人達も出てきた為、「一応ここでお開き」にすることにして、あとは自由な飲み会となる。
・・・・僕は皆から少し離れた所で、三石建設の三石さんと、12 時すぎまで「人生の生き方」「家族」の事などを話しあった。
心優しい三石さん・・・・色々な事を話しあって、とても気持ちの休まる一時を持つことが出来、本当にヨカッタと思う。
・・・・僕は最後の最後まで、美代治さん、勝っちゃん、三石さん等と暖炉の前で話しをしていた。
「ファーッ!!」
皆が一斉に大アクビをしたのを契機に
「さあ、寝るかあ・・・・」
という事になったが、時計を見るともう午前 4 時を廻っていた。

フィンランド・ヴィリッジ泊。

  


1998-12-20 (日)  快晴   ヒュッテ

昨夜はフィンランド・ヴィリッジ泊。
・・・・今朝、目を覚ました時に気が付いたのだが、昨夜、僕の向かい側に寝ていたのは、「高原パン」の品ちゃんでした。
・・・・ノコノコとフトンから這い出してきた彼の顔ったら・・・・目がキラキラと輝いていた色白の顔は、少年のような明るい雰囲気を持っていた。
(・・・・何んてイイ奴なんだろう・・・・!!)
無邪気そうな顔を見た瞬間、僕は思わず、そう思ってしまった・・・・


アメリカ・イギリス両軍によるイラク攻撃終了宣言。

今回の米英両軍によるイラク攻撃に対しては、ただ一ケ国・・・・日本だけが攻撃支持を表明した。
これに対し・・・・ドイツは
「イラクはこう言った事態を、避けようと思えば、避けることが出来たはず・・・・!!」
という、微妙な言い方のコメントを出しただけ・・・・。

・・・・これに対し
中国、ロシア、フランス・・・・は米英のイラク攻撃を避難し、「国際法違反」を表明した。

・・・・ところで、今ひとつ、僕によくわからないのが、ロシアと中国が伝統的に(ロシアはソ連時代から)イスラム原理主義のイラクと協同歩調をとって来たことである。

イスラム原理主義と共産主義は、全く性質を異にするものと僕には思えるのだが、この両大国がイラクよりの姿勢をとるのは、伝統的に「敵の敵は我が味方」という所から来ているのだろうか?


  

1998-12-21(月)  快晴   ヒュッテ  最低気温 = -9 度 最高気温 = 5 度

午前中、薪集めと薪割り。
東地区の別荘地に広葉樹の倒木があると言うことなので出掛けてみた。
行ってみると、直径 20cm から 30cm、長さ 2m ほどに切った倒木がゴロゴロころがっていた。
・・・・凍った土を踏んで、何本かの倒木をバンに運んでみたが、どれもこれも重さが 20kg から 30kg くらいのものばかりで、そう簡単に運べる代物ではないことが分かった。・・・・ギックリ腰になってもいけないので、残念だけど、二三本でギブアップ。
帰途、開発公社が切り倒した西地区の道路際の倒木をあつめてみたら、20 本ほどになった。
・・・・嬉しい!!

午後。
午前中、ヒュッテに持ち帰った倒木の中から数本を選び、長さ 50cm 程に切ったあと、更に十字に割って、薪作りをする。

本当に、薪割りは楽しくて気持ちがいい。
何も考えないで、ピリピリと頬が痛くなるような寒さの中で、パッカーン、パッカーンと薪を割る気持ち良さ・・・・!!

この楽しさは、何物にも換えがたい!!



1998-12-22(火)  快晴   ヒュッテ 最低気温 = -8 度 最高気温 = 4 度

この間、Sabine と一緒にキャリフールセンターに話しに来た土村の工藤さんが、卓球クラブの練習に参加した。

練習しているのを見ると、結構、ラリーが続いている。
聞いてみると、昔、学校の廊下の上でネットを張らないで、ピンポンをして遊んだことがあったとか・・・・
そう言えば、昭和 24 年ころの中学時代、僕達も学校の廊下の上でピンポンをして遊んでいたのを思い出した。
懐かしい、遥か彼方の少年時代のことである。


1998-12-27(日)  快晴   自宅

午前 6 時起床。
朝御飯を食べながら洗濯をする。
朝食後、水落し。
その後で、部屋の掃除から洗濯物干しまで、全ての帰京準備を終えてから、ヒュッテを後にした。 いつも思うことだが、ヒュッテの鍵を掛ける時の、あのガチャガチャいう音は、何んとも言えない淋しさと愛しさと甘さとが混じった音がするものである。

ヒュッテから松原の部落に下りると
・・・・猪名湖食堂で鍋焼きウドンの昼食を食べ、アチコチで今年いろいろとお世話になったお礼の挨拶をしたあと、15:30 分小海発の列車に乗って佐久平に向かった。
小海駅を出ると列車は休耕田の合間を縫って、佐久市へと下って行く。
いつも見慣れた山や川、それから白壁の田舎家が後ろへ後ろへと飛んでいくのを、車窓から眺めているうちに、いつとはなしに

   園の小百合、ナデシコ、垣根の千草
   今日は汝(なれ)を眺むる、終わりの日なり
   思えば涙、ひざを浸す、さらば故里
   ・・・・・・・・

と、昔よく女学生が歌っていた「故郷を離れる歌」を小さな声で口ずさんでいた。

ところで、今日乗った・・・・この 15:30 小海発のこの列車は「快速」とかで、普段は 1 時間ほど掛かる所を 39 分ほどで佐久平の駅に着いてしまう。
・・・・今までは、確か小海線に「快速」なんて無かったような気がするが、小海線も進歩したもんだと、今更ながら時の移り変わりを感じさせられた。

19:00 都内の自宅着。
・・・・久方振りの我家。
居間のペン立ても、蝶の図鑑も、いつもの場所でヒッソリと息をしている。
家内も長男も、とても元気。
・・・・家内が作ってくれたホカホカの晩ご飯を、家族三人で食べる美味しさ・・・・
「やはり、我家はいい・・・・!!」
と、改めて思ってしまう。

    
      

1998-12-28(月)  快晴   自宅

Symantec の Forton の Anti-virus をヨドバシカメラで購入。

帰宅後、早速インストールしてみたが、うまく出来なかった。
「これは困った」
と、大急ぎで、Symantec のカスタマーサポートに電話を入れてみたが、年末年始休暇のため、1 月 4 日まで休業とのこと。
また、1 月 5 日に電話を入れてみよう。


・・・・夕方、テレビのスイッチを入れたら、今日もまた「自殺のHP」のニュースが報道されていた。
・・・・・・札幌市の男性が「自殺の仕方」のHPを開き、それを見た杉並区の女性が、その男性にメールで連絡をとり、指定の銀行口座に現金 3 万円ほどを振り込んだら宅急便で青酸カリが送られて来たとか・・・・そして、それを飲んだその杉並区の女性が亡くなった・・・・と言うニュースである。
「・・・・なんで又・・・・!!」
本当に、涙がでそうになるニュースである。

      

              

1998-12-29(火)  快晴   自宅

Yahoo America で ”Gnome ” のHPを二つ見付けた。
大急ぎで、20 ページ程を読んでみたが、とても面白かった。
こんど、じっくりと腰を据えて読んでみることにしよう。

今日の午後、
大掃除の合間に、居間のテーブルの上に載っていたエルミタージュ美術館(ペテルブルク)の画集を、パラパラとめくっていたら、その中の一枚の油彩
  「Duel after masked ball」(仮面舞踏会の後の決闘)
が目に飛び込んで来たが、その画の持つ余りの凄惨さに、物凄いショックを受ける。

この絵を描いた画家は、この決闘の場面を見ていたのだろうか?

その余りのリアルさに、思わず背中がゾッとしたほどである。

・・・・それにしても・・・・オーム事件にしても、和歌山県の砒素混入カレー事件にしても、「自殺のHP」による青酸カリ自殺事件にしても、今日見た決闘の油彩にしても(勿論、きょう見た油彩の決闘が本当に行なわれたものなのかどうか、僕には全く分からないけれど・・・・)、どうして人はこうも他人を殺したがるのだろう・・・・・!!

と言うより、どうして人の痛みが分からない人ばかりの世の中になってしまったのだろう?
とても、暗い気持ちの半日を過す。
その所為かどうか分からないけど、夕方近くになって、ひどい腹痛と下痢に襲われた。
・・・・その余波は、真夜中近くの今になっても続いている。

     

              

1998-12-31(木)  快晴  自宅

・・・・・・・とにかく忙しい大晦日・・・・・・
一日がアッと言う間に、過ぎてしまいました。
    
午後 11 時、家族三人で年越しそばを食べる。

今年の一年は、本当に幸せな一年でした。


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