1998 年 10 月の日記




1998-10-02(金)  晴  ヒュッテ  万歩計 10,316 歩

19 : 30 小海塾出席。
小海塾は、小海町の中高年を中心とした男女の集まりで、これからの小海町をどのような町にするか・・・・を考え、討論をする会である。

僕は、この集まりで、今まで
「町を良くするということは、一朝一夕に出来ることではなく、20 年、30 年、・・・・場合によっては50 年のスパンで考えるべき事である」
・・・・と言うことを、再三再四唱えてきたが、僕がこの小海塾で何回にもわたり話して来た事を総合すると、僕の言いたい事は、概(おおむ)ね次のような話しの趣旨に落ち着くのではないかと思う。

(1)
長い年月をかけて、この町を良くしていこう・・・・・と、言うことの意味は、30 年後、50 年後にこの町が、「こういった町になっていて欲しい」と願っていたような町になるように、少しづつ・少しづつ努力を重ねて行く事である。

(2)
町を良くするということは、ちょっと見には、
「やれ、美術館ができた」
「ほれ、市庁舎ができた」
・・・・などと言う風に考えられ勝ちであるが、本当はそんなに単純な事ではあり得ない。
どんなに瀟洒な美術館ができても、また、どんなに立派な市庁舎ができても、駄目な町は駄目な町であり続けるのである。
・・・・それが証拠に、現在の東南アジアの幾つかの国々を見てみても分かるように、いろいろと立派な官公庁・公共施設・会社・工場ができても、為政者の親族だけが金持になったり、一部の金持ちだけが優遇されたり、どこかの国のように役人天国ができあがったりしていては、国民に不満がたまる一方で、このような国は決して「よい国」とは言えないのである。

・・・・そして、それと同様の事が町についてもいえるのである。

(3)
町を良くするということは、 建物や施設を整える事よりも前に、本来は心の問題なのである。
・・・・この最も大切な事を忘れる事なく、遠い未来の理想的な町の実現に向かって、一歩一歩地に足のついた努力を重ねていくことが、本来の意味の町作りである。

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たまたま今夜も、話題が「町作り」の話しになり、私見を述べるチャンスが与えられたので、またまた再度、「息の長い町作り」の必要性に触れ、
「・・・・これは、全く僕個人の意見にしか過ぎないけど・・・・・」
と前置きした上で、20 年後、30 年後の理想の町作りに必要なものとして、パッパッと思い付いたものを幾つか取り上げて話して来た。

  ●この町の素晴らしい自然を、大切にし、愛していく心を育てる。
  ●町の開発は、自然の美しさを損なわない・ゆるやかで調和のとれたものとしていく。
  ●開発は、お金と力にまかせて行なうのでなく、自然を愛する心の開発から出発する。
  ●観光開発は、軽井沢・清里・白樺湖の愚かさを絶対に見習わない。
  ●今は苦しくても、10 年、20 年後には、必ず素晴らしい観光地になる事に自信を持つ。
  ●町の重要課題は、万機公論に決すること。裏取引をしない。
  ●千曲川を挟む両側の対立を霧消するような教育を幼児時代から子供達に施す。
  ●ゴミの分別処理意識を高める。ゴミの問題は町の最重要課題と位置づけてもよい。
  ●駅周辺は、駅のトンガリ帽子より高い建物を建てない。
  ●駅周辺の町並みは、トンガリ帽子を引き立てる町並みにする。
  ●馬流の旧道は、品田さんのいう「女性にやさしい町並み」を時間をかけて作っていく。
  ●全ての電線・電話線は地中に埋設する。
  ●美術館は、良識ある公立美術館として運営されること。私有品の常設展は行なわない。

僕以外のメンバー達は、僕が繰り返し繰り返し「くどい程に」話している事をどのように捉えているのだろうか・・・・?????

    
       

1998-10-04(日)  晴ときどき曇  ヒュッテ

美術館のことで、I 議員宅に電話をした。
一昨日の小海塾にて、
「もし、須田剋太の絵画の持ち主が、町に対して要求している月々 50 万円の生活費支払いの要求を取り下げるなら、現在収蔵庫に入っている同氏の絵画をまた、美術館の C ホールに展示することを検討中している」
という発言が、同議員からあったからであり、・・・・この話しを聞いてから二日間、僕は色々と考えてみたけれど、なぜ今頃になったこの時期に、そんな事を改めて議員連中が、検討しているのかが、僕にはどうしても分からなかったからである。

同議員との電話での会話によると、
「須田剋太の絵画の持ち主が、町に対して要求している月々 50 万円の生活費支払いの要求を取り下げるなら、現在収蔵庫に入っている同氏の絵画をまた、美術館の C ホールに展示する」
と言うことは・・・・「町の意向である」とのことであった。
「ホントですか?」
・・・・会話の途中で、僕は思わず大声をだしてしまった。

と言うのは、今まで僕が聞いていた話しでは、
「町の上層部の殆どの人が、再展示に反対している」
と言うことだったし、町の意向と言う場合には、必然的に町民の過半数が
「再展示に賛成」している事を意味することになると思うのだが、僕自身が多くの町の人と雑談をした折りに談たまたま美術館の話しになっても、「須田剋太の絵画の再展示に賛成」している人には、今日まで、誰一人としてお目に掛かっておらず、逆に「あの絵は町から出ていってくれた方がスッキリする」という意見が多く聞かれたからである。

電話を切ったあと、何人かの人と話してみたが、同議員の言う「町の意向は・・・・間違いじゃないの?」と言うひとばかり・・・・・

だとすると・・・・I 議員は何故あんな事を言ったのだろうか?

       
     

1998-10-05(月) 曇のち晴  ヒュッテ 万歩計=11,012歩

やっと、ベランダに防腐剤を塗ることができて、ホッとする。
9月は一週間くらい晴れただけで、あとは雨の日ばかり。
10月に入ってからは4日間、晴天に恵まれたが、全てが出勤の日ばかり・・・・!!
・・・・と言う訳で、今日になってやっと防腐剤塗りができたと言う訳である。

まったく、ヤレヤレの一日でした。

      
     

1998-10-06(火) 快晴   ヒュッテ  13,121 歩

大きい方の物置の整理をする。
・・・・これも、天気になったおかげである。
お陰様で、前から気になっていた、草刈り用の前掛けズボンを洗うことが出来ました。

     
       

1998-10-07(水) 雨    ヒュッテ  4,711 歩

また雨である。
雨だと外の仕事ができないので、午前中は洗濯をしてストーブの傍に洗濯物を干したりする。

午後、黒沢ギャラリーに紅茶を飲みに行き、窓際のテーブルで手紙を 2 通書く。
帰途、本屋に立ち寄り、料理の本を一冊買う。
・・・・・美味しい晩ご飯を作りたいからである。

夜、メールボックスを開けたら、トミーからメールが届いていた。
・・・・「今日は、八岳さんのホームページを3時間以上読みっぱなしだったので、仕事になりませんでした・・・・・・」ですって!!!!

「えっ、3時間以上だって・・・・・?!」
「どこを、そんなに読んでいたのかな?・・・・・日記のページだろうか?」

そんな事を考えたりしているうちに、眠くなったので、
午後11時就寝・・・・・!!
なんと、今夜は早いこと!!

      
       

1998-10-10(土) 快晴 ヒュッテ  10,919 歩 L=5, H=19 Rs=308

今日から、また最低温度(L)と、最高温度(H)を記すことにした。
それから、運動不足になりがちなので、アルバイトのかたわら、縄跳びを始めることにした。
・・・・できれば、毎日 30 分ほどしたいのだが、結構つかれるので、いつまで続くことやら?
表記の方法は、毎日の縄跳びのうち、縄に引っ掛からないで続いた最高の回数を Rs=XXXX の形で表すことにした。 
  Rs = Rope skipping ようするに縄跳びのことである。
・・・・ちなみに、今日の連続跳びの最高回数は 308 回という事になる。

夜、長いこと気になっていた、インターネットとメールのアドレス変更をした。
・・・・これは、プロバイダーの or.jp が ne.jp に移行されたことにおもなう、加入者の変更手続きである。
・・・・終わったあと、(間違いないだろうか?)と気になったので、プロバイダーの次のようなメールを発信した。

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いつも大変お世話になっています。目下、avisnet.or.jp --------> avis.ne.jp への移行を行なっていますが、今までのところ、下記 5 項目(1。より 5。まで)の変更を行なって来ました。・・・・枝葉のことはべつとしまして、来年の 4 月 1 日に、下記の 3 点が出来なくなる事だけは絶対に避けたいと考えています。

   ●インターネットへのアクセス
   ●サイトのアップロード
   ●メールの送受信

以上の観点より、今回の移行に伴い、小生が今まで変更してきました事を下記に列挙いたしますので、抜けていることをご指摘頂ければ幸いです。なお、小生が使用しておりますパソコンは・・・・Macintosh Power Book 540c です。

 1。config PPP
    特に変更せず。

 2。TCP/IP
    コントロールパネル内にTCP/IPが見当たらぬ為、何も変更せず。

 3。Mac TCP
    PPPの「詳しく 」(more) を開き、Domain 上段の
    avisnet.or.jp -------> avis.ne.jp に変更。

 4。Netscape Navigator

    オプション>メールとニュースの設定>サーバー(タブ )にて
       メール送信サーバーの
         nag.avisnet.or.jp ---------> nag.avis.ne.jp に変更
       メール受信サーバーの
          nag.avisnet.or.jp ---------> nag.avis.ne.jp に変更
       ニュースサーバーの
          news.avisnet.or.jp -------> news.avis.ne.jp に変更

    オプション>メールとニュースの設定>個人情報(タブ)にて
       電子メールアドレスの
          yatake@avesnet.or.jp ---> yatake@avis.ne.jp に変更

    オプション>全般の設定>表示(タブ)にて
       ブラウザ開始時の「ホームページのある場所」の
          http://www.avisnet.or.jp/~yatake を
          http://www.avis.ne.jp/~yatake に変更

 5。「サイトミル」(サイト管理ソフト)
    編集>環境設定>アップロードにて・・・・
       ホストの
          www.avisnet.or.jp --------> www.avis.ne.jp に変更

以上の通りの変更を行なって参りました。

この状態にて、上記●印の 3 点が出来なくなる事を避けることが可能でしょうか?
換言しますと、決定的なオチコボレがあるでしょうか?
お忙しい所、大変恐縮ですが、お知らせ頂ければと存知ます。

今日は平成 10 年 10 月 10 日・・・・10 が三つ並ぶ日である。



1998-10-12(月)  曇    ヒュッテ   9,803 歩    L=6, H=14

久方ぶりの雨の降らない休日。
お陰様で、今日は一日中、薪割りが出来ました。

僕は薪割りが大好きである。
木々の葉が色付き始めた静かな庭で、太い木の幹を
「キーン、ガガガガ・・・・・・・、パサッ」
・・・・と小気味よく電動チェーンソーで切り、更にその幹をパッカーンと薪割り楔(くさび)で割る爽快さが僕には応えられないのだ。

夢中で薪を割っている間に、手作りの薪置き場に可成りの薪が積み込まれ、
・・・・・気が付くと、もう薄紫色の靄(もや)が立ち篭(こ)める夕方になっていた。

夜、メールボックスを覗くと、雅美と好美ちゃまからメールが届いていた。
・・・・二人とも、とても元気そう。
嬉しくなって、早速、返事を書き始め、真夜中過ぎに二人宛のメールをディスパッチした。

    
     

1998-10-14(水)     雨     ヒュッテ     13,210 歩    L=15, H=19

終日、雨模様の一日。
午前中は、溜まった洗濯物を洗ってストーヴの傍に干し、ほんのチョッピリだけ音楽を聞いたら、すぐに 12 時になってしまった。
「やれやれ、休みの日って、どうしてこんなに時間が経つのが早いんだろ・・・?」
・・・・ぼやきながら、大好きなスパゲッティ(1.7mm)を 250g ほど茹で、ミートソース一缶を鍋で沸騰させ、お昼御飯にする。
料理上手の女性達は笑うかも知れないけど、これでも、僕にとっては結構なご馳走なのである。
・・・・お腹が一杯になると、もう、とても幸福。
午後はショボショボと雨が降る中を、黒沢酒造のギャラリーまでお茶を飲みに出掛けた。

黒沢酒造は、小海町の隣の八千穂村にある。
・・・・山を下り、千曲川を越えて、ギャラリーの喫茶店に着くと、今日はバンビはお休みで、小林さんが当番の日とか・・・・
小林さんは、静かで温かみがあり、話しているとホッとして、いつまでも話していたくなるような女性である。
・・・・・いつもの通り、紅茶を飲みながら彼女と駄弁っていると、話しの途中で彼女はときどき八千穂中学の体育館に卓球をしに行くという話しをした。
「えっ、卓球! ホントかよ・・・・・僕、卓球が大好きなんだよね・・・・」
「あら、それなら、いらっしゃればいいのに・・・・」
と、小林さんは考え深げに言った。
「うん、行きたい。物凄く行きたいよ。でも・・・・・小海の者が行ってもいいのかな・・・・と言うのは、僕は火曜日に小海で練習をしているんだけど・・・・・」
「いいと思いますよ。えーと・・・練習は・・・・木曜の8 時からですから・・・・」
「と言うことはさあ、今日は水曜だから・・・・あしたの晩もあるっていうこと?」
「ええ、そうですね。 あしたは練習のある日です」
「よし、それなら行ってみよう。・・・・・健康のために、前から週 2 回できればいいなって思っていたの・・・・・貴女は行かないの」
「そうですねえ・・・。 暫くやってなかったけど、私も行ってみようかな?」
「・・・・ねえ、それだったら、一緒に行こうよ。 だって、独りきりじゃ、なんとなく、きまり悪いもの」
「・・・・じゃあ、いいわ。8 時って言ってるけど・・・・皆さん、少し遅れてくるから 8 時半少し前に行きます」
「うわあ、よかった。じゃあ、あした僕も 8 時半頃行くからヨロシクネ・・・・!!」

嬉しくなって、僕は雨の中をポンコツ車に揺られながらヒュッテに帰ってきた。
帰途、時々するように高原野菜の畑の真ん中でエンジンを止め、10 分間ほど雨の音に耳を傾けていた。

今日も、畑に煙るような雨と、すぐ頭の上で鳴っている雨の音が、とてもキレイだった。

    
   

1998-10-15(木) 曇  ヒュッテ 10,266 歩  L=15, H=19

午後 8 時半過ぎ、八千穂中学の体育館に着く。
玄関から中に入ると、奥の方でバレーボール、その手前では卓球台が 3 台設置されて、男女数人が練習中である。
(小林さんは・・・・・?)と、見渡したが、何処にも見当たらない。
(どうしよう・・・?)瞬間的に、僕は戸惑った。
(・・・・もしかしたら、遅れているのかも・・・・・まあ、暫くここで皆さんの練習を見ていよう!)
・・・・そんな事を考えながら、すぐ目の前の卓球台で練習をしている、男女のフォア打ちを眺めることにした。
男性はドライブマンらしく、一球一球に可成りのトップスピンがかかっており、女性の方も、その回転のかかった球を良く返している。
女性が着ている紫色系のウエアが素敵である。

僕は、暫くの間、その二人のフォア打ちを眺めていたが、少し不安になり
(どうしよう? きょうはこのまま帰って、また来週にでも顔を出してみようか・・・・)
などと考えていると、一番手前の台の二人が打つのを止めて、男性が
「チョット」と言って、遠くの方に姿を消した。
・・・・すると、彼とフォア打ちをしていた女性が、こちらの方を向いて
「今晩は・・・」と、声を掛けた。・・・・笑顔が素敵である。
(だれに声を掛けたんだろう?)
・・・・僕は後ろを振り向いた。
(誰もいないじゃないか・・・・・!!)
・・・・僕は不審に思って、その女性の方を見た。
すると、その女性はもう一度こちらの方を向いて
「今晩は・・・」と言った。
・・・・明るい笑顔が、きれいなウエアによく映えている。
・・・・僕は、(彼女は一体だれに声を掛けているんだろう)と不思議に思いながら、もう一度あたりを見回した。
(やはり、誰もいないじゃないか・・・・)
・・・・・
と思ったその時、その女性は、今度は 2, 3 歩こちらの方に近づいて来て、もう一度
「今晩は・・・」と声を掛けた。
(・・・・どうも、僕に声を掛けているらしい)と思って、ニコニコと笑っているその女性の顔をよく見た瞬間、僕は驚いて声を上げた。
「あ、貴女だったのかあ、ゴメンナサイ・・・・全然分らなかったよお!!」
・・・・何んと、その彼女こそ、僕が待っていた小林さんだったのである。

すぐに、小林さんは何人かのメンバーを僕に紹介して呉れたが、オメデタイ僕の性格が幸いしてか、それからの 1 時間半ほどの間、僕はたった今知り合ったばかりの新しい仲間達と色々な練習をしたり、試合をして、楽しいひとときを過ごすことが出来た次第。

中でも、面白かったのが、男女のミックス・ダブルス。
何せ、僕と組む女性は僕の戦型も癖もしらないし、僕にしても自分のパートナーの女性の事が殆ど分らない。
・・・・それでも、一戦目は 18 - 21 で負けはしたものの、パートナーの女性と相手コンビが交代した第二戦目では、リードされていた試合を終盤でどうにか・こうにか挽回し、 21 - 19 で勝った時は、
「よーし、やった、やった」
とパートナーの女性と思わず握手をしてしまった・・・・・。
・・・・こんな所にスポーツの醍醐味があるのかも知れない。

ともあれ、今夜の最大の収穫は何んと言っても、男性 3 人、女性 3 人の新しい卓球仲間達と知り合えたことである。・・・・またまた世界が拡がって、とても嬉しい!!
・・・・来週はお休みとの事。
また、再来週出掛けてみることにしよう。

     
     

1998-10-16(金)   雨   ヒュッテ   7,677 歩   L=14, H=16   紅葉度=55%

今朝のニュースによると、自民党が提出している金融破綻処理と景気回復を目指している・・・・とか言う「早期健全化法」が、公明・自由の同調により通過する見通しになったとか・・・・これで、又、金融破綻の責任を追及することなく、国民の税金が公的資金として導入される事になっちまった。
・・・・自民党が、ここまで、金融破綻の責任追及を避けさせようとしている陰には・・・・どこかの週刊誌じゃないけれど、責任追及をキチンとすると、自分たちの身の周りに飛び火して、自分たちが火傷(やけど)しちまう・・・・てえのも、まんざら嘘じゃないのかも知れないねえ!!

それから、もう一つ・・・・もし、公明・自由などが民主党に歩調を合わせていれば、責任追及なしの公的資金導入は避けられたんじゃないかと思うけどさあ・・・・・その意味から考えてもだよねえ・・・・今回の導入に際しての公明・自由の責任はトテツモナク大きい(この 2 党は野党なんかじゃねえよ!!・・・・ッて、釣りキチの大将が言ってたけど!!)んじゃないんすかねえ!!
・・・・全くの話し、「現在の日本で、本当に野党として機能しているのは、民主党ぐらいのものだぜ!!」って、友達の一人が息巻いていたけど・・・・ありゃあ、どう考えてもホントだぞな、もし。

そこで、筆者より読者の皆様にお願いがありまーーーす!!
良識ある読者の皆々様!!
特に、若き世代の人々・・・・更に、特に、特に ・・・・20 才台、30 才台の女性軍におかれましては、次の選挙では是非、民主党に投票して、本当の意味に於て「健全な野党を育てる」ことに、ご協力して下さるように、心からお願いしたいと思っていますウーーーーー!!
ヨロシクネ!!
それから・・・・もし、民主党がどうしてもイヤならば、共産党に投票しては・・・・と考えております。
その方が、外の野党に入れるより、まだマシだと思うんであるんで、あります。

「・・・・なーんちって、偉そうな事をいっちゃって・・・・・!!」
・・・・ちょっと、照れ臭いかな!
ハハハハハハ・・・・・!!

    
    

1998-10-17(土)      曇のち雨       ヒュッテ

ペンション・アルニコにて中本マリのジャズ・ヴァーカル・コンサート。
マスターの憲一郎さんによると、100 席のチケットは全部売りきれ、その後、20 席分を追加発行したとか・・・・
全席、自由席との事なので、コンサート気狂いの僕は開演約 1 時間前の 6 時 40 分にアルニコ着。
中に入ると、もう 20 人ほどの先客が居たのにはビックリ!!

(おい、おい、小海町にこんなにもジャズ・ファンがいたとは、ちょっとオドロキだよね!)
僕は心の中でつぶやいた。

さて、コンサートに行くと、僕はなるべく前の席に座る。
・・・と言うのは、演奏者の顔の表情、楽器の上を走る指の動きが見えないとイヤなのだ!
てな訳で、前の方の席を探したら、幸いのことにヴォーカル・マイクのすぐ前の席が一席だけ空いてるじゃないですか・・・・・!!
(シーメタッと!!)
僕がその席に座ったのは勿論である。
・・・・すると、
「ウワア、こんな前の席、緊張しちゃうわ!!」
と言ったのは、たった今、駐車場で出会ったバンビである。
・・・・彼女は、僕が一番前の席を取ったのを見ると、オドロイた顔で、後ろの席に退散してしまった。

「なんで、後ろの方に行っちゃうの? 同じお金を払うんだったら、前の方がすっと良く見えるのにさ・・・・」
・・・・すぐに女性の後を追い掛けたくなる僕だけど、この時ばかりは口の中で、ブチブチと呟きながらも、その特等席に腰を下ろしてしまった。

さて、席に座って、自分の周りを見回すと、僕の周囲のジャズ狂(きち)達は、町で今まで一度も見た事のない顔ばかり。

「エッ、こんな顔・・・・今まで小海じゃ、見たことがないよ!!」
不思議に思いつつ、僕の隣に座っていた 20 才台の青年と目が合ったのを切っ掛けに、
「ねえ、ねえ、ねえ・・・・貴方はどこからいらしたの??」と聞いてみると
「僕ですか、僕は諏訪からです」との事。

「ジャズコンにはよく行くんですか?」
「ええ、よく行きますよ・・・だから、今夜も来たんです」等々。
7 時半の開演まで、僕はこの若者と話しをしたが、彼はとても好感の持てる青年でした。

・・・・・・・・・

さて、コンサートが始まり、何曲かのイントロに続いて、中本マリのヴォーカルも始まり、コンサートが最高潮に達した頃から、後ろの方の座席が段々とウルサクなってきた、イイトコに差し掛かると、拍手ならまだいいのだが、
「イヨーッ」
「ヨッ」
「ソレッ」
等々、掛け声をかける奴が出てきたのである。・・・・この御仁(ごじん)、どうも、どこかで一杯キコシメシテ来たようである。
(うるせえなあ・・・・!! 津軽ジャミセンの演奏会じゃあるまいし・・・・!)
・・・・こんな事を考えて、隣の青年の方を見ると、彼も僕の方を見、目が合うと彼はチョッと肩をすくめた。
それからも・・・・暫くの間、僕達は我慢をしていたが、そのうちに、だんだんと頭に来だして来た僕・・・・
(イッチョウ、文句言ッタロカ?)
と思ったら、タイミングよく 30 分間の休憩に入り、アッと言う間に僕はそんな事を忘れてしまった。

この 30 分間の休憩も、僕にとっては演奏と同様にとても楽しいひとときだった。
・・・・エレキの秋山一将と言葉を交わしたり、黒人ドラマーのセシル・モンローから彼の音楽歴の話しを聞いたり、果ては、ビールの大好きなベースの岡田勉の左手の小指に触らせて貰ったり・・・と全く言う事なし!!
・・・・その一方で、僕は町の色々な人ともあちこちで挨拶を交わした。
大工の井上一郎さん、鷹野美智子さん、役場の井出智善さんと美女の新婦・・・・etc. etc.

暫くして・・・・自分の席に戻ると、こんどは後ろから肩を叩かれた。
(誰かな?)と思って、後ろを振り向くと、佐久室内オーケストラのトップチェリストの小池公夫さんである・・・・!
「ウワア、貴方だったの!」と僕。
「いつも、一番前ですね・・・・」と公夫さん。
「うん、演奏者の顔の表情や指の動きなどがよく見えたほうがいいからね!」
「僕も、どちらかと言うと前の方が好きですよ」
「そうだよねえ・・・・ところで、貴方がなんで、こんな所にいるの?」
「僕、ジャズも好きなんですよ・・・・」
「おい、おい、おい、おい・・・・・ホントかね?」
「ええ、MJQ なんかは、特に好きでしたね!」
「MJQ かあ! MJQ はイイヨなあ!」
「・・・でしょ?」
「うん、いい。 でもさあ、貴方はこんなものを聞いてていいのかよ・・・・チェロが駄目になっちゃうぞーーー!!」
「大丈夫ですよ。とてもいいリズムの勉強になりますから・・・・!!」
・・・・公夫さんの隣にいた中年の男性がこう言った。
なんとなく、彼もオーケストラのメンバーの雰囲気を持っている。
・・・・さもなければ、瞬間的にこう言った助け船を出す事はできないんじゃないだろうか?
「ハハハハハ・・・・」
僕達は、顔を見あわせて楽しく笑った。
僕も家内もそうだけど、クラシックとジャズの両方が好きな連中というのは意外に多いのかも知れない。

「八岳さん!」
・・・・公夫さんと暫く話したあと、席を立って 2, 3 歩あるいたら右手の座席から声が掛かった。・・・・声を頼って、そちらの方を見ると、美術館の中島さんがニコニコ笑いながら手を振っていた。
「なんだ、なんだ、なんだ・・・・貴方も来てたのか?」
座席の中に入っていき、こう彼に声を掛けながら僕は彼の前の座席に座った。
「はい」彼は嬉しそうに答えた。
「あなたも、ジャズが好きなんかね・・・・?」と僕。
「ええ、まあ好きなほうです」
・・・・と言って、彼は自分の前、すなわち僕の右手に座っている女性の方をチラリと見た。
・・・・僕も彼の視線を追って、そちらの方に目を移すと、いきなり青いくらいに目の澄んだ美しい女性の瞳にぶつかった。
「・・・・・・」
(あ、この人は頭がいい・・・・!)
瞬間的に僕はそう思った。
僕が瞬間的にそう思う女性はそんなに多くはいない。
と言うのは、今までの人生の中で、瞬間的に僕がそう思った女性の数は五指にも満たなかったからである。

・・・・中島さんから聞いた所によると、彼女は、以前、彼が名古屋の職場で仕事をしていた時に知り合った女性とか・・・・・
(・・・・あとでフト気が付いたことであるが・・・・彼女は、つい先月、ヒュッテで知り合った雅美のお姉さんの「好美ちゃま」にどことなく感じがにている彫りの深い顔立ちをしていた。)

・・・・ところがである。 ここで、はっきり言うと・・・・大変恥ずかしい話なのであるが・・・・実は・・・・僕は・・・・以前は・・・・こう言ったタイプの女性が一番苦手(にがて)だったのである。
・・・・と言うのは、このタイプの女性と話しをしていると、何んとなく心の中までが見透かされているような気がして、いつも(ボロを出さないように・・・・・ボロを出さないように)と、神経をすり減らしたりしていて、おおよそ会話なんかを楽しむことが出来なかった・からである。

ところがである。
・・・・世の中と人生は、変われば変わることがあると言うもの!!
・・・・その後、僕は・・・・「自分を飾ったり、よく見せようとさえしなければ・・・・」、こう言ったタイプの女性が、一番、僕という人間を細かく分析してくれるらしい・・・・分りやすく言うと、僕という人間をいちばん理性的に見てくれるらしい・・・・と言う事に気が付いてきたのである。
そして・・・・そう・・・・更に、もっと踏み込んで言うと、自分の気持ちを素直に伝えれば、彼女達は、例えどんな事を話しても、僕をあまり軽蔑しはしないし・・・・少なくとも、僕を毛嫌いするということはなさそうだ・・・・・と言う事にも気が付いてきたのである。

だから、今夜も初対面の彼女に、結構いろんな事を話して来たような気がするし・・・・彼女が僕のことをどう思おうと・・・・(バカと思おうと、ウスラトンカチと思おうと、ノータリンスと思おうと)・・・・それは、それで仕方のない事だとも思うのである。

・・・・コンサートの第二部が始まる少し前、彼女は
「メールを出してもいいですか?」と、僕に聞いた。
・・・・彼女は、中島さんの紹介で、僕のホームページを読んでいたらしい!!
「どうぞ、どうぞ・・・・ところで、ねえ、ねえ、ねえ・・・・僕ってね、女性からメール貰うと、ホントは物凄く嬉しいんです」
・・・・・僕は、つい本音が出しまった。
「ハハハハハ・・・・」
彼女は、阿佐谷のドトールで知り合った由香のように明るく爽やかに笑った。
素敵な彼女!!
・・・・中島さんと彼女は・・・・とてもお似合いだと思うけど・・・・
そう・・・・素敵なカプルになって呉れるといいんだけど!!

と、・・・・ここまで書いて来て、僕はふと呟(つぶや)いた。
「イケネエ、あれだけ話したのに、彼女の名前を聞くのを忘れてた!!」


第二部も、On a clear day. など、素敵な曲ばかり・・・・・!
ところが、例のウルサイ連中は、第二部に入っても「合いの手」を入れるのが嬉しいらしく、盛んに掛け声を掛けていたが、とうとう
「音楽って、どんな聞き方をしてもいいんですけど・・・・・」で始まる、非常に気を使った柔らかく優しいお小言(おこごと)を中本マリから頂戴し、その後は、とても静かに聞く事が出来るようになった次第。
・・・・僕の隣に座っていた青年は、僕の顔を見て
(よかったよね・・・・言って貰って!!)
と、言いた気に盛んに目配せをしながら、首肯(うなづ)いていた。

それにしても、中本マリって、何んて美しくそしてキレイに年をとっているんだろう!!

僕も、ああいう風に、年を取りたいものである!!


1998-10-18(日)  晴   自宅

一昨日からヒュッテに来ていた KKR と一緒に中野に帰る。
佐久平より上信越自動車道に乗ったら、碓氷軽井沢の先で自動車事故があり通行禁止とのこと。
仕方なく、碓氷軽井沢で高速を降り、下仁田・軽井沢線で国道 254 号線に出、下仁田からまた高速に乗って中野の家に帰宅したが、今夜はじめて走った碓氷軽井沢 - 254 号線の区間の急勾配・つづら折りの道は、とても印象深かった。・・・・こんどは、一度あかるい昼間にぜひ走ってみたいと思っている。

あとで分った事であるが、254 号線に出るのでなく、国道 18 号線に出て、次のインターから乗ったほうが、ずっと早道だったらしい!!

今夜のあの峻険な路の運転は家内の KK でした。


1998-10-20(火) 曇  自宅

ホームページの管理ソフト「サイトミル」の使い方で分らない事があったので、ソフト会社に電話をして色々と質問をしてみた。

電話の応対に出て下さったのは、川上さんという若い女性。
・・・・トラブルの原因は、リンクの張ってある 1 枚のページを僕がゴミ箱に捨ててしまった事に起因している事が分ったが、それが分るまでの 25 分間、彼女はジット我慢をして、分りにくい僕の説明を聞いたり、僕のHPを開いたりして色々と調べて下さったが、その辛抱強さと心の温かには、本当に頭が下がる思いだった。

彼女がソフトを立ち上げている間などに、色々と質問をして分ったのであるが、彼女のコンピューター歴はたったの 4 年程とのこと。
・・・・それにしても、わずか 4 年程の間に、どうしてあれだけの事を勉強できたのだろうか?? とても不思議である。


1998-10-22(木) 曇  ヒュッテ  6,944 歩  L=5, H=10

昨日、中野の自宅からヒュッテにやって来た。
室内の温度は 10 度ほど。やはり、東京に比べると 5, 6 度は低いようだ!

今朝、天狗岳周辺に今冬の初冠雪を観測。
早速、デジカメで撮影して、ホームページにアップロードした。


1998-10-24(土) 

コスモホールにて、佐久室内オーケストラの演奏会。
曲目はヘンデルの「水上の音楽」とモーツァルトの交響曲 38 番など。

僕は、演奏会当日に自分が長野にいる限り、このオーケストラの演奏会を楽しみにしているが、現在のオーケストラの実力から考えると、オーケストラはこの 2 曲の大曲を実によく奏いていたと思う。
勿論、少し注意してみれば・・・・水上の音楽は、ところどころでテンポの乱れが見受けられ、モーツァルトは透明な曲だけに、少しでも音を外すとすぐに分ってしまう・・・・などの難点はあったにしても。
アンコールの「ラデツキー行進曲」は、以前のアンコールにも登場したのではなかっかな?・・・と首を傾げた。

帰途、ホールの出口のところで池端さんから声を掛けられ、急に池端宅にお邪魔をさせていただく事になったが、池端夫妻と三人で、真夜中近くまで口角泡を飛ばして議論をした、その内容の面白かったこと!!
・・・・中でも面白かったのが、「理科系の人間と文科系の人間の思考形態の違いについて」の議論!
池端さんも僕も理科系の人間だから、「理科系の人間の思考形態のほうが、文科系の人間の思考形態よりも透明感があるよねえ・・・・・!」と言うところで、大いに気炎をはいたものである。
話していて分ったことであるが、池端夫妻は共にインテリジェンスが非常に高いカプルである。・・・・だから、今夜の議論も、あれだけ透明感があり分りやすかったのではないかと思う。
・・・・今夜の演奏会については、「今回の演奏会よりも、前回のベートーヴェンの”田園”の方が良かった」と言うのが、三人の一致した意見だった。


1998-10-26(月)  曇  ヒュッテ  10,497 歩  L=4, H=19

「冬が来る、冬が来る!」
毎年、今頃の時期になると、いつも心の中でこう囁く声が聞こえてくる。
この囁きは、東京にいると全く聞こえないのであるが、ヒュッテにいると、この囁きは晩秋から初冬にかけて日ごとに大きな声になって行き、それと同時に、僕はヒュッテの庭や周囲の林の中をあちこちと歩き回るようになるのだ・・・・

  薪集め、薪割り、枯れ葉集め、防腐剤塗布、凍結防止・・・・・・etc. etc.

大急ぎでしなければならない事は沢山ある。

・・・・と言う訳で、今日は簡易雑排槽の凍結防止のための枯れ葉集めである!!

僕は、車に熊手、砂袋を積むと、「アラヨッ」とばかりに、松原湖まで山を下り、湖畔の「神様の厠」の近くで約 50 袋の枯葉を集めて来た。

「神様の厠」の近くには、直径 70 - 80 cm のトチノキが何本かあり、このトチノキの枯れ葉が防寒用としては、実に素晴らしい材料となるのである。

昨年も、一昨年も、45 袋の枯葉を集めるのに、もっと葉っぱが小さいミズナラやクリ等の枯葉を集めたために、半日近くの時間を費やしたが、今年はトチノキの大きな葉っぱを集めた為、約 1 時間で同じ量の枯葉を集めてしまったのである。

これも神様が与えて下さった「自然から学んだ知恵」である。


1998-10-29(木) 晴  ヒュッテ  12,509 歩

この時期になると、冬支度を始めるのは、あながち僕一人だけではない。
ヒュッテの近くの林では、リス達が木の実を集めるのに一生懸命だし、小鳥のシジュウカラやゴジュウカラ達だって、なにくれとなく厳寒の冬に備えて準備をしているようだ。

まあ、こういった可愛らしく温かい連中は、見ていてとても楽しいのであるが、冬支度が我々人間とかちあう生き物の場合は、いささか面倒なトラブルが起きることがある。

その代表的な小動物が、カメムシとテントウムシである。
・・・・と言うのは・・・・この 2 種類の昆虫たちは、我々が苦労をして冬支度を始めたヒュッテの中に何んの断りもなく、無断で侵入してきて、わが物顔でヒュッテの中を歩き回るのだ!!

そうすると、当然の事ながら、ヒュッテの持ち主の我家の家族と虫達の睨み(にらみ)合いが始まる。・・・・敵は、衆を頼んで大挙してヒュッテの中に侵入して来るから、我が軍もそうはさせじとハエタタキや電機掃除機で応戦することになる。

この 2 種類の昆虫軍団のうち、まだまだテントウムシは丸マッチイので可愛らしいが、癪に障るのがカメムシ軍団である。
・・・・大体、こいつらときたら、その容貌からが、まず我々の気に入らない。
どこかの横丁の脂ぎったオヤジよろしく、短足でずん胴あたりにギトギト・テラテラと脂がみなぎり、からだ全体が不潔に見えるのだ!!
・・・・気に入らないのは、それだけではない。
指で触ったり、爪弾きにしようものなら、何んとも不愉快な匂いを辺りに発散しくさるのだ!

その上、我々が居ない時には、大威張りで壁の上を歩き回っているくせに、いったん家主の我々と目が合うと物陰の狭い隙間にコソコソと逃げ込んだり、壁の上からポトリと床の上に落ちて死んだ振りをする!!
・・・・全く、その振る舞いの憎たらしい事と言ったらありゃしない!!

さて、そのカメムシ軍団であるが、我家に侵入してくる時は、晩秋のある晴れた日に、突然に大挙してやって来るのだ。・・・・と言っても、晴れた日ならば、いつでもいいという事ではなさそうである。
・・・・今日のように、冷たい雨が降ったあとの晴れた日が大好きなようである。

と言う訳で、本日午前、カメムシ軍団の空挺部隊は大挙して、我家の外壁に降下襲来して来たのである。・・・・その数、約 150 匹!!

僕はハエ叩きを片手に、家の周囲を巡回し、目に付く奴を片っ端から叩き潰したのである。
・・・・その数、約 120 匹。
こいつ等を叩き潰すと、悪臭を放つ脂ぎった体液が飛び散るが、冬になって乾燥してから雑巾で拭き取れば、なんとかなるだろう・・・・・!!

いよいよ、ことしもカメムシ掃討作戦開始である。
例年だと、この掃討作戦は約一週間掛かるが、今年はどうだろうか?

・・・・それにしても、今年は例年に比べると、彼奴らがやって来るのが、だいぶ遅かったんじゃなかろうか??

今年は、夏期の長雨で、発生数が激減し、やって来ないかも知れないと、喜んでいたのに!!

     
     

1998-10-31(土) 快晴  ヒュッテ   12,638 歩

・・・・いよいよ明日からは 11 月だ!!

快晴の一日、今日は以前から気になっていた簡易雑廃槽のクリーニングと枯葉掛けをした。
我家の簡易雑廃槽は大きさが小さいので、できれば三カ月に一回位はクリーニングをしたいのだが、前回やったのは去年の秋のこと。
・・・・年一回と言うのが我家の相場だろうか?

枯葉掛けの方は、雑廃槽の上蓋(うわぶた)が地表に露出しているため、今週の月曜に松原湖畔で集めて来た枯葉を上蓋の上に掛け、凍結するのを防ごうとするものである。

朝食後に始めたクリーニングは午後 1 時過ぎに終わり、昼食を挟んで、枯葉掛けが終わったのは午後 4 時過ぎ。
・・・・全てを終わってホッとする。
あとは、浸透桝と庭の竃(かまど)が残っているだけである。
初雪が降るまでに、ガッチリ準備すればいい・・・・と思う。

今日の準備でヒヤッとしたのは、上掛けのビニールシートを長めのペグで留めた時、危なく風呂場から出ている排水管に穴を開けてしまうとこだった事である。
・・・・来年からは、十分に注意しなければならない、と思う。




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