1998-09-01(火) 雨ときどき曇 ヒュッテ
午後 11 時。
「しぇすて」で知り合ったMariにメールを送った。Mari ちゃま、今晩は!!
今日、「しぇすて」に電話したところ、えっちゃんに叱られました。
彼女の曰く。
「Mari が怒ってたわよ。八岳さんにメール出したのに、無視をして、返事も呉れないって!」
ご免なさい。決して無視をしていた訳ではありません。いつも、日記とメールを数日間溜めておき、一週間か ら10 日め位に日記をホームページにアップロードしたり、メールの返事を書いたりしているために遅くなってしまったのです。だから、今夜遅くか明日の夕方にアップロードするホームページの日記には、みっちゃんの事と貴女の事も載っています
************************************************************
遅ればせながら、貴女からのメールに返事を書いて置きます。
************************************************************bell wrote:
> こんにちは,みやさん
> 約束通り書きました。そちらはどうですか?まだまだ東京は、暑いです。Thank you for your nice E-mail.
It's sometimes still hot here, but I am sure autumn is just around the corner. Tree leaves are just beginning to turn their color.> ......ということで、私が誰だかわかりましたか?
Sorry ! I can't get who you are !
> ’みっちゃん’の娘です。
Oh, yes ! Now I can understand who you are.
You are Mitchan's cute and charming daughter but a little different type of young lady, who is very crazy for visiting INDIA which people are rather reluctant to visit.> 日記を読んでいて、間違いに気が付きました。
> ’しぇすて’は、ひらがなで、’シェステ’ではありません。
> (えっちゃんにかわって書きました。...笑)Thank you for your advice.
From now on, I will use "Hiragana" whenever I write the name of "Etchan's coffee shop".> ノ−ムは、森の妖精だと小さい頃聞いた事がありました。北欧には、沢山妖精がいます。かくいうム−ミンも北欧の人が、似ていると言って村を作ったのなら、やっぱりノ−ムは、いますね。
Yes, I am very sure that "GNOMES" are living here.
Do come and visit us, when you have time ! !
You can stay at my house here.> ’もののけ姫’見ましたか?まだなら、ぜひご覧になって下さい。
Sorry. I hav'nt seen it yet.
What is " MONONOKE-HIME" ?
ダッテ、「モノノケ」ッテ「オバケ」ノ事デショウ??>飲んだくれ’えっちゃん’の友達まりより
I am very happy that I happened to meet you at "Cieste".
We will always be goog friends.と言うわけで、まだこれから、たまったメールの返事を書かなくてはいけないの
で、この辺で失礼します。以上、取り急ぎ
Hoping this mail will find you fine,
From Nagano, with LOVE
Seikoh Yatake
1998-09-04(金) 曇のち雨 蓼科(たてしな)
午後 9 時半。
八ケ岳の反対側の三井の森にある高校時代の三好の別荘着。・・・・ドアを開けて、中に入ると、高校時代の 3 G(3 年 G 組)のクラスメート二、三人からすぐに声が掛かった。
「お、八岳だ!!」
「おーいおい、八岳じゃねえか・・・・」
「イヨー、暫く」
「お前、元気か・・」「元気、元気、お陰様で、ご覧の通りだよ」皆んなの挨拶に一度で答えて部屋の真ん中に歩いて行くと、またまた皆から声が掛かった。
「まあ、坐れ、坐れ、そうだ・・・・皆んなの真ん中に坐れよ!」
「ヨーシ、乾杯だ、乾杯だ・・・・・」
「今、どうしてる?」
「お前、いつからこっちに居るんだ?」
「お前、昔とぜんぜん変わんねえな・・・・」
「おい、皆んな見てみろ! 八岳の奴、こんな若い格好しちゃってよう。 お前達の中で、八岳みたいにジーンズの上下を着ている奴がいるかよ!!」と一人が言えば
「ちぇっ!! ジーンズが何んだってえんだよ。バッカヤロー、問題は中身だぞ!!」と、別の仲間。
「どりゃ、どりゃ、俺に見してみろってんだよ。なるほど・・・・よく似合ってやがるよ、こん畜生めえ!」などと好き勝手な事を言っている者も居る。と言う訳で・・・・いやはや、大変な騒ぎである。
ところで、今宵、ここに集まった半分飲んだくれた悪ガキ共は、年齢こそ 62 才か 63 才の大のオトナなのだが、口の悪さも、話す内容のレベルも 40 年前の高校時代と殆ど変わらないという 昭和 29 年卒の都立五商の3G(3 年 G 組)のクラスメートたちなのである。
この連中が、ここに集まるようになったのは、クラスメートの一人の三好が、3 年ほど前にこの三井の森のフォーレスト・カントリー・クラブのつい目と鼻の先に別荘を建てたのが始まりで、当初、クラスメートの中のゴルフをやっている連中が、10 人ほどで毎年集まっていたのであるが、僕が八ケ岳の反対側に住んでおり、趣味に蝶の採集をしていることがたまたま話題にのぼり、
「それならば、八岳のやつも此処に呼んでチョウチョでも採らしておけ!」という事になったらしい。「おい、ところで僕が来る前に皆で何をしてたんだい?」と、僕が聞くと・・
「奥村が歌を歌ってたんだ」という返事。
「よーし、それなら、奥村、もう一度歌え、歌え」僕がいうと、奥村はワインの入ったグラスを片手に立ち上り
「よーし、それじゃあ、もう一度行くぞう」
「よーし、やれやれッ!」
っと、言うわけで、彼はまた歌いだした。いつか或る日、山で死んだら
旧い山の友よ、伝えてくれああ、懐かしい歌。
すぐに僕と小林が合唱に参加した。母親には、安らかだったと
男らしく死んだと、父親には・・・・・・・・・・・・
歌い終わると、誰かが言った。
「よーし、八岳、今度はお前がやれー」
「よーし」僕が立ち上がると、また誰かが喚(わめ)いた。
「お前、スペイン語を話すんだって?」
「話すっつったって、ほんの少しだ!」と、僕。
「よし、じゃあ、スペイン語で挨拶してみろオ!」
「スペイン語オオオオオ?」チョットたじろいで言うと・・・・
「そうだ、スペイン語だあ・・・・」
「でたらめ言ったら承知しねえぞう」
「外語でスペイン語を専攻した小林が聴いてるぞオ!」
「馬鹿、俺が勉強したのはスペイン語じゃねえ。ポルトガル語だ!」と、小林。
「どっちでも、いいや、さあ、八岳、やれ、やれーーーーー!!」
「挨拶が終わったら、その後でスペイン語の歌も歌エーーーーッ」
「よーし、ワアッタ、ワアッタ・・・・・・じゃ、いくぞオーー!!」と、ぜんぜん自信のない僕。(全く、神様、仏様・・・・・である。でも、これも余興の一つ、どうせ何か言わないと承知をしない連中である)
「よーし、小林よく聴いてろ。八岳がインチキ言うかも知れねえから・・・・」とヤジが飛ぶ。
「分かった!」と小林が聞き耳を立てる。「Buenas tardes, damas y cavallos !
Porque yo creo que la lengua espanola es muy bonita,me gustaria cantar una bonita cancion espanola qui s'ellama "la golondrina".
「おお、golondrina かあ」と小林大明神・・・・
「どうだあ、小林・・・・このスペイン語インチキじゃねえかあ?」
「いや、分かる、分かる。かなりよく分かる」
「そうかあ」と、このオチャメな連中はチョット残念そうである。
・・・・僕は大好きなこの歌を歌いだした。A donde ira veloz y fatigada
La golondrina que de aqui se vaすると、小林も一緒に歌いだした。
Mas cien el viento, se aya la estraviada
Buscando abrigo y no ・・・・・・・終わると、
「よーし、今度はドイツ語の歌をやれっ」と、またまた注文がついた。
「シューベルトでいいか?」と、聞くと
「Winterreise から何かできるか?」と奥村。
「Wasserflut じゃ・・・どうだ」
「溢るる涙かあ・・・・いいぞ!」
・・・・と言うわけで怪しげな「あふるる涙」を歌いだす。Manche Tran aus meinen Augen ist gefallen in den Schnee,
Seine kalten ・・・・・歌い終わると
「今度は・・・・」とまたまた別の言語に飛び火しそうなので
「バッカヤロー、今度は誰か別の奴がやれー!!・・・・そうだ、お前まだ歌ってねえじゃねえかア・・・・じゃあ、今度はお前の番だあ」と矛先を別の仲間に向ける
・・・・もう、飲めや歌えの大騒ぎである。その間にも夜はどんどんと更けて行く。
公認会計士、弁護士、会計事務所経営、会社役員、自営業、僕のような定年退職「プー太郎」組・・・・高校卒業以来、それぞれの道を歩み、しっかりした社会的地位を築いた連中だが、こうして皆で会うと 40 年前の高校時代に戻ってしまう。
・・・・・かなり酩酊して、半分怒鳴りあって話しをしている者、日本の税制についてまくし立てている者、歌を歌っている連中・・・・はては、酔い潰れて手足を持たれて寝床に運ばれる者等々・・・・いやはや大変な騒ぎである。でも、高校時代の仲間はいいものである。
いつまで経っても「俺」「お前」だし、何を話しても警戒する必要もない。寝床に入ると、これまた寝相百態である。
轟々とイビキをかいている奴、天使みたいに可愛くなっちゃう奴、横になって丸まっている奴、フラフラと人の顔を踏みそうになりながらトイレに出掛ける奴・・・・最後まで駄弁っていた 4 人(その中の一人は僕でした)が寝床に入ったのは、午前 3 時でした。
1998-09-05(土) 曇のち晴 ヒュッテ
午前 6 時。
トイレに行きたくて目が覚めた。
・・・・まだ、グースカ、グースカ眠っている連中を起こさないように、抜き足差し足でトイレに行ってくると、酒寄(さかより)とタンクの関根の二人が起きているのに気が付いた。昨夜、
「バッカヤローお前え!」
「何言ってやんでえ・・・・」
をさかんに連発していた酒寄は、とうとう 11 時頃にダウン。
「ヨイショ、ヨイショ」
と仲間達に手足を持たれてフトンの中に寝かされたが、このヤンチャ坊主・・・・高校時代はわれわれのクラスで最も優秀だったグループの一人で、外語のドイツ語に進んだ男である。
一方、当時タンクと呼ばれていた関根は、運動にかけてはずば抜けており、何事にかけても、タンクのような馬力をもっていた為に、仲間達からこの愛称で呼ばれていた。当時、彼は五日市線の大久野から、石炭を焚いて走っている蒸気機関車に乗って通学していた、健康で明るい学生であった。「おい、また寝るのか?」と二人に聞くと
「駄目だ、俺いつも 4 時に起きるから、もう寝られねえよ」と酒寄。
「俺も、毎朝 5 時起きだから、酒寄と同じだ・・・・」と関根。
「ンじゃあ、これからどうする?」
「二人で、散歩に行こうと思ってたところだ」
「そんじゃ、三人で行くか・・・・僕も行くから!」
と言うわけで、昨夜の雨でまだシットリと草が濡れているゴルフ場や別荘地の中を三人は歩き回った。
・・・・三人の話題は当然の事ながら、思わず爆笑するようなクラスメートの失敗談、美人の女子学生の話、教師達の色々な癖・・・・・等々であったが、いくら話しても話の種は尽きず、三人は遠い昔を思い出しながら、爆笑のし続けであった。一時間ほどして、三好の別荘に帰ってきてみると、もう殆どの仲間は起きており、歯を磨いたり、顔を洗ったり、ビールを飲んだり、昨夜の話の続きをしていた。
・・・・ホールから見ると、庭の芝生がキレイなのでガラス戸を開けて外を覗くと、弁護士の後藤がセメント鏝(こて)を使って、ペタペタと捏(こ)ねたセメントを石の塊に塗りたくっている。
「おい、何やってんだい、後藤?」僕が聞くと
「これかあ? これは俺の本職だ・・・・・!!」
「なに? お前の本職? じゃあ、何かい・・・・弁護士はお前の副業って訳か?」
「そうだ」
・・・・僕の隣にノッポの関根(タンクの関根とは別人・・・・この男も剽軽な楽しい男である)が立っていたので
「おい、関根! 後藤の奴、何してんだい、アイツ・・・・?」と、聞くと
「アイツなあ、三好がきのう持ってきた燈篭を”俺が組み立ててやる”・・・・って言ってあの仕事を買って出たらしいぞ・・・・」
「アイツ、あんな趣味あったっけ?」
「なんだか知らねえけど、庭いぢりが好きなんだってよ・・・・・」
「ふーん、アイツがねえ・・・・」
「おい、八岳!! 後藤は大地主の息子だったって事だぜ・・・・」僕の後ろで誰かが言った。
「ああ、それなら知ってるよ!」
・・・・大学受験が終わり、外語と商船大に受かった酒寄と僕が、一橋大に受かった後藤の家に遊びに行った時の、遠い遠い昔の水彩画のように淡い過去の一こまを思いだしながら、僕は言った。(そう言えば、あの時の後藤の家はとても大きくて立派で、庭なんかも手入れがよく行き届いていたっけ!! もしかすると、後藤の親爺さんも庭いじりが好きだったのかも知れない・・・・・・・)
ふと、そんなことを思いだしていると、
「八岳さん、朝御飯ができたわよ!!」と三好会計事務所の女子職員の高雄さんの声。
・・・・・今回集まった悪ガキ 11 人の中で、きょう仕事に出掛けるのは僕一人だけだ。
その事を知っている彼女が、早起きをして、僕の朝食を皆より早く用意してくれたのである。
「どうも有り難う」
食前の祈りを済ませてから、僕は美味しい食事を戴いた。50 分後。
僕は、麦草峠を越え、八ケ岳の東麓のクニャクニャ道を松原湖めがけて下(くだ)っていた。
「じゃあ、又な・・・・!」
「元気でな!」
「また、会おうぜ・・・・」
・・・・僕が「サヨナラ」を言った時の、皆んなの言葉が今でも耳に残っている。ハンドルを握りながら、今回、三好の別荘で久方ぶりに会ったクラスメート一人ひとりの顔を思いだしていると、不意に涙が込み上げてきた。
(だって、だって、だって・・・・皆んなが、とても優しかったもの!!)
美しかった高校時代は、今でも続いている。そう思った瞬間、自動車の中で僕は大声で叫んでいた。
「バッカヤロー! お前らあ、元気でいろよーー!!」
午後 4 時。
(今頃みんな、どの辺に居るんだろ?)
・・・・・そう思いながら
「020 のお 844 のお ・・・・ 」と
僕は口の中で携帯電話の番号をつぶやきながら、電話機の番号ボタンを押した。プルルル・・・プルルル・・・プルルル・・・
「ガチャリ!」と音がすると
「もしもし」女性の声がした。
「あ、雅美 ------ イ! 僕、八岳だけど・・・・」
開口一番、僕は今日ヒュッテに来ることになっている英語学校のクラスメートの名前を呼んだ。
「はい・・・・?????」
・・・・・聞きなれない声。
(あ、これは雅美の声ではない。・・・・そうか、これが雅美のお姉さんの声かも・・・!!)
そう、思った瞬間、
「ちょっと、お待ち下さい」
と、前置きをしたあと 5 秒ほどすると、受話器から雅美の明るい声が聞こえて来た。
「あ、八岳さーん!! 先程はどうも・・・・」
「やあ、雅美、さっきはこの携帯電話の電話番号を有り難う。 早速だけど、この電話使わせて貰ったよ。 ところで・・・今、どこに居るんだい?」
「今ねえ、エート、花園インターの所にいるのオ・・・・!」
「ええっ、ハナゾノオ --------!! 何んで、まだ、そんな所に居るんだよお?」
・・・・もう、てっきり下仁田峠を越えた辺りまで来てると思った僕は驚きの声をあげた。しかも、インターの所に居る・・・・・と言う意味が分からない。
「ちょっ、ちょっ、ちょっとお・・・・何んでインターの所に居るんだい????」
僕は、雅美に矢継ぎ早に質問をした。ちょっと、複雑になるが、今日のスケジュールの今までの所を説明しておくと・・・・
今日のもともとの予定では・・・・・東京の町田に住んでいる本間さん(本間さんは男のクラスメートである)が、朝 4 時起きで車を飛ばし、埼玉県朝霞市の雅美の家までやって来て、雅美姉妹をピック・アップし、その足で今度は入間市の桂花をピック・アップ。そのあとで、川越インターから関越に入り、藤岡を経て下仁田インターで上信越自動車道を降り、国道 254 号線を利用して下仁田峠を越えたあと、午後 2 時頃ヒュッテに到着する予定であった。
・・・・ところがである。
午前 10 時ころ、雅美から電話があって
「さっき、本間さんから電話があって、東名が大変に混んでいるので大分遅れる・・・・・って言ってました」との事。
だから、皆んながヒュッテに着くのは、早くて 4 時。遅くて 5 時半・・・・・と思っていた僕である。
午後 4 時の今頃になって、なんで花園にいるのかが・・・・どうしても分からないのである。
雅美の言葉によると、こうである。
・・・・東名の渋滞で大幅に遅れた本間兄が、朝霞市の雅美姉妹を・・・・・続いて、入間市の桂花をピックアップし、川越インターから関越自動車道に入ったのが、午後の 2 時半ころ。ところが、関越に入ってみると、台風 4 号の余波を受けてか、高速道路上で、滝のような大雨が降りだし、ワイパーを使っていても、前が見えないほど・・・・・!!
そして、関越に入って小 1 時間ほど走った所で、突然ワイパーが動かなくなってしまった・・・・と言うのである。
・・・・さあ、そうなると大変である。
なにせ、ワイパーを使っていても前が見えないくらいの大雨である。
ワイパーが故障したら、全くのお手上げ状態。
・・・・仕方なくノロノロと路肩に避難し、どうしようもなく暫くの間、路肩でそのままジット我慢の子。と、そこへ運良く通り掛かったのが、黄色い灯をピカピカと点滅させて台風の見回りに来た道路公団のパトーカー。
・・・・「やれ、たすかった。渡りに舟」と、
いろいろと相談をしたが、パトカーの後に付いて車修理のサービスステーションまで行こうとしても、全然前が見えず、全くのお手上げ・・・
「それじゃあ、牽引するか・・・・・?」と言う話まで飛び出たほどの物凄い雨。それでも、不幸中の幸い。
・・・・話しあっている中に、雨脚が少し小降りになって来たので、やっとの事で、点滅ランプのパトカーに先導してもらって花園インターで高速を降り、今すこし前に修理工場に着いたところだと言う。「ゴメンナサーイ!! 今日一日を無駄にしてしまって!!」
電話機の向こうで、雅美がさかんに恐縮している。
「いや、そんな事はいいんだけど・・・・これから、どうなるんだい?」と僕。
「いま、車を診てもらっているので、原因がわかったら、また電話します・・・」との事。20 分くらいしたら、また雅美から電話が入った。
「八岳さーん。本間さんの車、ワイパーが壊れてたんですけど、部品が無いので、部品を取り寄せるんですって・・・・・」
「ええっ、じゃあ車はどうなるの?」
「車は明日まで、この工場に入院するんですって・・・・」
「それで・・・・?」
「私達は、これから桂花さんの家まで戻って、桂花さんの車で八岳さんの家に行きます。桂花さんの家までは、 1 時間くらいですから、すぐに行けると思います」
「チョッ、チョッ、チョッと−! じゃあ、桂花の家までは、どうやって行くのお?」
「もう、本間さんと桂花さんがレンタカー屋さんを探しに行きました。それで、私と姉がここで荷物の番をしているんです・・・・・」
「分かった。いいかい、大切なことは絶対に事故を起こさない事だからね。楽しい旅行が台無しになっちゃうよ、事故を起こしたら・・・・。それに、皆んなの方が、僕よりずっと疲れているはずだからね・・・・。あ、それから・・・・・僕の方のことは、全く心配しなくていいよ・・・・だって、僕は寝転がって本でも読んでいればいいのだから!」
「分かりました。じゃあ、また電話しまーす」
雅美は明るい声でそう言うと、電話をガチャリと切った。ところで、この話には、まだ続きがあったのである。
・・・・と言うのは、皆が車を借りたレンタカー屋さんは、トラックをおもに扱っている小さなお店だったので、川越に車の乗り捨てが出来ず、結局、それからの行動は・・・・・レンタカーで桂花の家まで全員でもどり、今度は桂花の車とレンタカーで又花園のレンタカー屋まで舞い戻り、レンタカーを返してから、花園インターから関越に入り、我家に向かったと言う事なのである。
やれやれ、全くご苦労さま・・・・である。・・・・と言う訳で、この 4 人が我家についたのは午後 8 時少し前であった。
ヒュッテの玄関前で、自動車を降りると、皆は次々に挨拶をした。
「八岳さーん、コンバンハー!!」雅美の明るい声。
「コンバンハー、お世話になりまーす」少し含羞(はにか)んだ桂花の声。
「今晩は、色々とご心配をお掛けしました」と本間兄。
「ハハハハ・・・・だいぶ大変だったようだね」と本間さんに言うと・・・・
「いや、参りましたよ。今日は 13 時間クルマに乗ってましたよ」
「そりゃあ大変だったよねえ・・・・ンで、ここまでは誰が桂花の車を運転してきたの?」
「桂花さんです」
「そうか、桂花、ご苦労さま」と桂花の方を見ると
「いえ、でも、本間さんの方が大変だったと思います」桂花は、本間さんをいたわった。
「ハハハハ・・・・もう、今回は本間さんは桂花に頭が上がらないな!!」と言うと
「いや、全くです」本間さんは悪びれずに頭を掻いた。
一瞬、
「八岳さーん、姉でーす!!」
・・・・雅美の無邪気な声と共に、薄暗がりに居た女性が、少し前に出て
「お世話になります」と頭を下げたが、
・・・・玄関の灯に照らし出されたその女性を見たとき、僕はスットンキョウな驚きの声を上げた。
「ウワア、すっげえ美人だあ・・・・!!」
これには、当の美女がビックリしたらしい。
「・・・・・・」
僕自身も、自分の言葉にビックリした。
・・・・でも、考えてみれば、雅美のお姉さんである。
どう転んでも、失礼なことにはならないだろう。
・・・・僕はホッとして、皆に言った。
「さあ、早く、荷物を中に入れて・・・・お茶でも飲もうよ!!」荷物を運び入れて、部屋の中に入ると、開口一番・・・・
「うわあ、キレイ!!」と雅美が言った。
「あらあ、素敵!!」と美女。
「いいなあ・・・こんな所で生活できるなんて・・・・」と本間さん。
「・・・・でも、生活感が無いなあ・・・・」と桂花。
「それって、どういう意味?」僕が聞くと
「だって、ぜんぜん散らかってないんだもの。誰かが住んでいるって感じがしないわ・・・!!」
「ナールホド・・・・・・・!!」僕は桂花の言葉をとても面白いと思った。
・・・・・・そして、ふと(こんど桂花が来るときは、もう少しカッチラカシテおくか??)と考え、自分ながらとても可笑しいと思った。5 分後、僕は皆んなに言った。
「荷物は、ぜんぶ片付いたのかな?」
「ハーイ」皆は、幼稚園児のように声を揃えて返事をした。
「じゃあ、お茶にしようよ。・・・・皆んな疲れたでしょう。ケーキが買ってあるから・・・」
「ワーイ、ヤッター!!」・・・・雅美は、羨ましい位にアケッピロゲだ!!「ところでさあ・・・・ケーキを取る順番だけどさア・・・・」
一瞬、皆は僕が何を言いだすのかと思ったようである。
「桂花が一番最初に取っていい事にしよう・・・・だって、ここまで運転してきたから・・・」
「じゃあ、そのあとは・・・?」と雅美。
「本間さんが、一番ビリ。・・・・だって、皆んなが大変だったから・・・・・」
「でも、あれは本間さんが悪いんじゃないんです・・・・」雅美が本間さんをかばった。
「・・・・でも、普段の整備点検の不備はケーキを最後にとる厳罰に値する。それに、そうしないと、本間さんは皆んなに頭が上がらなくなる!!」
「そうです、そうです。おっしゃる通り・・・・」と本間さん。
・・・・・本間さんが僕の言う事を認めたので、僕は得意になって言った。
「な、ソウズラア!!」
「あらあ、八岳さん・・・・それ何処の言葉ア??」と雅美。
「え、何んのこと?」・・・・僕は、瞬間、雅美の言ってる意味が分からなかった。
「今、何んか変な言葉使ったわよ・・・・・」
「そうかな?」
「言った。言った!!」
「エーと、”な、ソウズラア”・・・・て言ったかな?」
「あ、それそれ・・・・」
「これはねえ、こっちの言葉だよ・・・・”な、ソウダロウ”・・・・って言う意味になるのかな・・・・僕は上手に使えないけど、地元の言葉って、とても綺麗だよ」
「でも、面白イ-----!! 八岳さんが使うと特に面白い」・・・・雅美は盛んに面白がった。
「そうかな? エート、何んの話しだっけ? そうだ・・・だから、桂花と本間さん以外の残りの 3 人はジャンケンでケーキを取る順番を決めるんだ!」
「いいわよ」と雅美。
「よーし」と美女が腕まくりをした。美女は明るく無邪気な性格らしい。
「負ッケルカイ」と僕も腕まくりをした。
「ジャン、ケーン、ポン」
「アーイ、コーデ、ショッ!」
「ヤッタア、イッチバーン」・・・・と、雅美。
「チックショーメエ、雅美の奴! よーし、じゃあ、次は貴女とだ・・」
・・・・・僕は美女の方に向き直った。
「ジャン、ケーン、ポン!・・・・ほーら、勝ったア!!」と僕。
「あらあ・・・・・」美女は少し悔しそう!!
初対面なのに、ぜんぜん飾ろうとしない所が、とても素敵だ!!
・・・・と言う訳で、桂花が大好物のチーズケーキ、雅美が苺のショートケーキ(残念、僕は苺のショートケーキが一番すきなのに!)、僕がフルーツショートケーキ、美女が生シュークリーム、本間さんがチョコレートケーキを、それぞれに自分たちのお皿に取った。・・・・さて、お茶ケーキが始まると、まあ、何んと賑やかなこと・・・・まるで、小学生か幼稚園児のジャリンコの集まりである。
暫くすると、雅美が言った。
「ねえ、八岳さん、聞いて聞いて!!」
「何んだい?」
「さっき、私達が花園の工場にいたとき、八岳さんが電話を下さったでしょう。・・・・あのとき、皆んなで相談してたの・・・・八岳さんのおうちに、電話するウ?・・・・どうするって」
「それで・・・・?」
「した方がいいんじゃない・・・・って言ってたの。だって、遅くなったら八岳さん、とても心配するでしょう・・・・って」と、桂花。
「そうそう・・・・そしたら、突然、電話が鳴ったの」と美女。
「で、電話とったら・・・・ウワッ、八岳さんだーーーーって、とてもビックリ!」
「・・・・じゃあ、タイミングが良かったんだあ」と僕。
「そう、あんまりタイミングが良かったから、八岳さん聞いてたんじゃない・・・・って言ってたの!!」
「ハハハハハ」
「ハハハハハ」
「でも、雅美さんのお姉さんがいたから、本当に助かりましたよ」と本間さん。
「携帯電話があったから?」と僕。
「それもそうですけど・・・・とても話が面白くて、皆が笑いッパナシだったから、誰もがメゲなかったんです」
「そうそう、あれが私達だけだったら、絶対に落チコンジャッテルわよね!!」と桂花。
「いやあ、ホントに有り難たかったですよ」と本間さん。
「・・・・じゃあ、僕からもお礼を言います。・・・・・でもさあ、雅美!!」
「はい」
「貴女の美人のお姉さまは何んていう名前なの?」
「姉ですか?」
「うん」
「失礼しました。ヨシミって言います」と雅美。
「どういう字を書くの?」
「スキって書きます」
「スキって?」
「オンナ偏にコドモのコです」と美女。
「あ、分かった。コウ(好)っていう字ね?」
「はい」
「でもさあ、雅美、さあ・・・・好美・・・・ちゃま・・・・って面白いよね・・・・」瞬間的に、僕は彼女の名前に「ちゃま」を付けて、雅美に話し掛けた。
「姉がですか?」
「うん・・・・だってさあ・・・・」
・・・・と好美ちゃまの方に向き直って、僕は話しを続けた。
「実はねえ、昔、好美ちゃまに感じがよく似た美人がいたんだけど・・・・僕はその人が余り好きじゃあなかったんだよ。だって、物凄く取っ付きにくい人だったからなんだけど・・・・こう、何んて言うのかなあ・・・・お高く止まっているって言うか、いつも人を軽蔑してるって言うか、自分の周りに物凄いバリケードを築いているって言うか・・・・とにかく、自分を正当化できるような事しか言わない人で・・・・とても話しづらい人だったんだよ」
「・・・・・・」生シュークリームを食べていた好美ちゃまのフォークの動きが遅くなった。
「だからさあ、さっき、玄関のところで会って暫くしてから、その人の事を思いだして、同じようなタイプだったら、どうしよう・・・・・と思ってた」
「・・・・・・」好美ちゃまのフォークが完全に止まってしまった。
「でもさあ、物凄く安心した。・・・・だって、好美ちゃまったらバカみたいな可笑しな事も平気で言うしさあ・・・・なんてったって、好美ちゃまと話してて一番いいのは、”こんな事を言ったら、軽蔑されるんじゃない?”って、用心しなくてもいいって事なんだよ・・・・!!」
「ハハハハハ・・・・・八岳さん、姉は余計なことは一切言わない・・・・なんていうタイプじゃありませんよ。 逆に、余計なことしか言わない・・・・ようなタイプなんです」
「ハハハハハ・・・・」雅美の言葉に、皆が笑った。
「ハハハハハ・・・・」好美ちゃまも屈託なく笑った。笑顔がとても可愛らしい。
「でもさあ、雅美と好美ちゃまって、随分性格がちがうよね・・・・」と僕が言うと
「顔も随分違うでしょ。ホントに姉妹(きょうだい)ですかって、よく言われるの」と雅美。
「・・・・・おとう様似と、おかあ様似ですか?」と本間さん。
「そう・・・・・雅美さんはセイコさん似よね」と好美ちゃまは雅美の同意を求めた。
「そう、お姉ちゃんはアキオさん似よね」と雅美。
「何んだい・・・・それ? セイコさんとアキオさん・・・・・って?」と僕。
「父と母です」
「えっ、あなたの家では、お父さんとお母さんを名前で呼ぶの?」
「その時によって違いますけど・・・・お父さん、お母さんて呼んだり、名前で呼んだり・・・」
「へえー、面白い家だねえ・・・・!!」等々、色々な話に花が咲いた。とにかく、話題は豊富だった。
雅美と好美ちゃまの名前の由来。
桂花という名前は中国語で「キンモクセイ」を意味しており、桂花のお父さんとお母さんが中国語を通して知り合った・・・・という話。
雅美が小さかった時、彼女には何んでも物の匂いを嗅ぐという癖があり・・・・或るとき、燃えているビニールの匂いを嗅いだところ、解けたビニールが鼻の先に付き、大慌てで水道のところに駈けて行った・・・・という話。
本間さんのお父さんが工場を経営していた時の話。
ヒュッテで僕が夢うつつで昼寝をしていた時、カッコーの鳴き声によく似た音を出すダイニングの壁の鳩時計が時報を14 も打ち鳴らしたので、ビックリして目を醒ますと、本当のカッコーが鳴いていた話。
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
夕食をはさんで、話の種が尽きることはなかった。
台風 4 号が過ぎ去ったあとの雨の夜に、下は 20 才台から上は 60 才台迄と、ヒュッテに集まった年齢もバラバラな男女 5 人。
・・・・・素晴らしかったのは、この 5 人の男女が昔の少年らしさと少女らしさを失うことなく、青春時代の爽やかさにも似た心のペン先で、自分たちの人生の1 ページに、水彩画のように淡く清々(すがすが)しい今日という日の日記を記入している事であった。パッポー、パッポー、パッポー
・・・・鳩時計の音に
「ええっ、もう朝の 3 時イッ??」と本間さんの驚き声。
「ホントかよ! まだ 11 時頃かと思っていたのにい・・・・!」と僕。
「・・・・もっと、お話していたいのにイ・・・・つまらない!」
「でも、もう寝よ寝よ・・・・体に良くないよウ・・・・」と僕。
「そうしましょう」
「ねえ、明日は何時に起きるのお?」
・・・・等々、寝床に入る前の雑談が暫く続き、歯を磨いたり・顔を洗ったり寝る前の準備をしたあと、30 分後にはヒュッテの中は真っ暗になっていた。さて、この日のことで一番僕の印象に残っているのは、夕食の準備をするとき、
「ここら辺は、東京とは違うの!! 皆んながここに着いた午後 8 時近くでは、もうスーパーなんかは皆んな閉まっているから、買いだしには行けないの! だから、今夜は皆んなが持ってきた物とそこの棚の下に入っているもので、晩ご飯を作らないといけないの・・・・・」
・・・・と僕が言うと、好美ちゃまが直(すぐ)に立ち上がり、我家の食料棚と自分たちが持ってきた食料品の袋を調べ、暫く考えたあと、
「ヨーシ、じゃあ、ヤルワヨーー」と腕まくりをしながら、スパゲッティを中心とした、美味しい晩ご飯を作り始めた事である。その時の彫りの深い彼女の横顔と、右手の人差指に巻かれていた小さなバンドエイドが、とても印象深かったのを今でもハッキリと憶えている。
1998-09-08(火) 快晴 ヒュッテ
朝、目を覚ますと物凄くいい天気。
朝食後、ふと気が付くと雅美がテーブルに向かって雑誌を夢中になって読んでいた。
シンラを夢中になって読む雅美・・・・可愛いでしょう!!「何、読んでるの?」と聞くと、
「そこのマガジンラックに入っていたシンラです」・・・・シンラは僕の愛読書である。
「へええ、雅美ってそういった雑誌って読むんだ!!」
「これって、とっても素敵な雑誌ですよね」
「うん、面白い雑誌だよね」
「写真なんかも、よく撮れているし・・・・」
「ピントもよく合っている」
「前に、この雑誌を母に一年分プレゼントしたことがあるんです」
「雅美って優しいんだあ!! お母さん、喜んだでしょう?」
「ええ」
雅美は、ごく当たり前のように答えた。
(なんて優しい子だろう・・・!!)
・・・・もともと、僕は雅美が大好きだったけど、この瞬間、僕は雅美が今まで以上に、もっともっと好きになってしまった。
「あのさあ・・・・」
次の言葉を雅美に掛けようとしたら、誰かが言った。
「朝食の後片付けが終わりましたけど・・・・・」
「ヨーシ、じゃあ近所の散歩に行くか?」僕は、その声に向かって大声で言った。今日のスケジュールは、夏が終わり人気(ひとけ)の無くなった初秋の別荘地内の散歩から始まった。
次いで、キャリフール・センターで僕が今まで集めた蝶のコレクションを見たあと、フィンランド・ヴィリッジの見学をした。・・・・(株)フィンランド・ヴィリッジは元フィンランド大使館の商務官だったビューステッド氏などが中心になって作ったフィンランド風のレクリエーション施設である。
利用者は一般の人でも利用できるが、中心となっているのは、株主となっているフィンランド及び日本企業の従業員と両国の個人株主達である。
かく言う僕も個人株主の一人であるが、出来れば広い範囲の僕の友人達に利用して欲しいと思い、機会あるたびに友人達をこの素晴らしい施設につれてきている。さて、このフィンランド・ヴィリッジの立地条件であるが、流石に日本在住のフィンランド人達が日本国中を歩き回って、「故国フィンランドの景色に一番近い」という条件で最終的に選んだ場所だけあって、その景色が抜群である。
森と草原の緑に囲まれた静かな長湖(ちょうこ)と、その奥に拡がる八ケ岳の一大パノラマ・・・・を一望できる 2 棟のフィンランド式ログハウス。建物の作りから暖炉・サウナ・部屋の広さ・内装・家具・食器戸棚に至るまで、すべてがユッタリとした心休まるフィンランド風・・・・以前、この施設の「ムスティカ」に泊まったことのある 20 才台の男の子や女の子達もこの施設が気に入ったようだったけど、今回の一男三女の来客達もこのフィンランド・ヴィリッジに可なり興味を持ったようである。
・・・・面白かったのは、主棟「ホンギュスト」の多人数部屋にクラスメート 4 人が入った時のことである。
好きな椅子に好きな格好で坐ったり、天窓から空を眺めながらシングルベッドに寝そべっているうちに、皆んなウツラウツラしはじめて、
「動くのがヤンナッチャッタ」
「ヌクヌクして気持ちいいからだよ」
「眠くなってきちゃったー」
・・・などと言い始め、本当に眠ってしまった大らかな人も出てしまったほど・・・・!!一方、(好美ちゃまはどうしているかな?)と思って・・・・ソッと階下に降りてみると、これも絨毯の上に気持ち良さそうに寝そべっている子犬よろしく、顎(あご)と咽喉(のど)を椅子のレザー(皮)に載せてソファーのうえに腹這いになり、子供のコリー犬のような顔をしてまどろんでいる!!
「シメシメ・・・・」
カメラを構えて抜き足・差し足・忍び足・・・・ピントを合わせて、シャッターを押すより一瞬早く、彼女はムクムクと上半身を起こしてこちらの方を見た。
「カチャッ!」
(アチャーッ! 駄目かア・・・・)
・・・・物凄く面白い写真が出来るとおもったのにい・・・・・・・残念でした!!
筆者の心を魅惑・悩まし続けた好美ちゃま・・・・!!その後で、ログキャビン「ムスティカ」に全員で移動。
・・・・この小さく見えるログハウスの中が意外に広いのに、彼女達は少し驚いたようである。
「外から見るとそんなに大きく見えないけど、中に入ると以外と大きいんだ」
「天井も高いし・・・」
「これって、矢張りフィンランド人の感覚よね」
「わあ、この調理台の高さがいいなあ。日本の家の調理台の高さってもっと低くって、このくらいでしょう・・・・ナンカ使いにくいのよね・・・・」背の高い桂花は、手のひらを水平にして高さを示した。
「見て、見て、これ可愛い・・・・!」戸棚の脇に掛かっていた栓抜き(だったと思うが)の柄の人形を手に取って言う者。
・・・・矢張り女性達である。
戸棚を開けて食器類を眺めたり、引き出しを引いて中のフォークやスプーンを手に取って
「この重さがいいわよねえ・・・・」などと感心したり、部屋の中を歩き回って
「この余裕がある広さがいいなあ・・・・」
等々、感想さまざまである。「外の景色もとてもキレイ・・・・・」
入り口の柱に寄り掛かって、外を見ていた桂花に
「ちょっと、こっちを向いてよ・・・・・」
・・・・・・・と言って撮ったのが
心も体もノビノビと育った桂花の健康美は素晴らしい!この写真である。
暗い室内から撮ったので、ちょっと逆光になってしまったが、桂花の大らかさがよく出ている写真だと自写自賛。その後で、フィンランド・ヴィリッジの敷地内で写真を撮ったり
女性達に囲まれて幸せ一杯の筆者松原湖の周囲を散歩したり
松原湖を一周する遊歩道にて・・・・・・・・しているうちに、一日がアッと言う間に終了。
夜は、庭でバーベキューを楽しんだが、途中、
「灯を消したら、お星様がよく見えるかもね・・・・」
と言う桂花の声に、白樺の枝に掛かっていた電灯を消すと、白鳥・鷲などの星座の星達が美しい姿を現し始め、
「わあ、とてもキレイ・・・・」
「お星様をこうやって見るのって、何年ぶりかなあ」
「東京のお星様と、ぜんぜん違うわ・・・・!」
「あの大きなお星様は何かしら?」
「あれは木星だよ」
「ねえ、ねえ、ねえ・・・・お星様って、いろいろな色のお星様があるんだあ・・・・」
・・・・等々、首が痛くなるのも忘れて、子供のように無心に空を見上げている姿がとても印象的だった。
1998-09-09(水) 快晴 ヒュッテ
トイレに行きたくなって目を覚ますと、カーテンの影から朝日が細く室内に流れ込んでいた。
時計を見ると、午前 8 時をかなり回っている。
「フワアアアアーーーーー」
まだ寝足りない体をベッドの中でモゾモゾと動かして、寝返りを打つ。
(雅美ったらオカシイよ!!)
昨夜・・・・と言うより今朝 4 時までワイワイ言いながらやっていたトランプの事を考えて、僕はクスリと笑った。このトランプのゲームは、我家に皆で来る日にちが決った頃から、雅美が電話で
「・・・・こんど八岳さんチに行ったとき、新しく覚えたトランプをしたいんですけど、いいですか????」
・・・・と言って楽しみにしていた「大貧民」というゲームである。「ねえ、聞いて聞いて、こうやるの・・・!!」
昨夜、外でのバーベキューが終わり、後片付けも済んで、僕達全員がテーブルの周りに集まると、雅美は、半分得意になって「大貧民」の説明を始めた。
桂花と好美ちゃまは、このゲームを何回かはやった事があるようであるが、僕と本間さんは全く初めてのゲームである。
僕は、将棋・碁・チェス・・・などのゲームが大好きである。
雅美の説明のあと、幾つかの質問をしておおよその自分なりの方針をたて、いざゲームを始めてみたら、僕の成績が結構よくて、雅美と本間さんが交代でどんビリの感じ・・・・
・・・・可笑しくなって、僕は雅美に言った。
「ねえ、雅美、さあ。やりかた教えてやろうかあ・・・・」
・・・・皆が爆笑した。
・・・・でも、何んと言われても明るいのが、雅美の素敵な所である。
「わあ、言われちゃったあ。でも、普段こういった事に頭を使ってないでしょう。だから・・・」
・・・・瞬間、僕の心の中で小ちゃな悪魔が囁(ささや)いた。(さあ、いじめちゃえ、いじめちゃえ!!)
「そうかなあ?? ホントはさあ・・・・」
・・・・僕は雅美の言葉に追い打ちをかけた。
「頭、使えないんじゃないの・・・?」
・・・・僕の言葉に皆が爆笑した。
・・・・雅美は持ち前の可愛らしさで、大真面目に応対した。
「・・・・でもホントなの。こういった事に頭使ったことないんだもの・・・・」
・・・・雅美の言葉に、僕は更に追い打ちを掛けた。
「ホントは、使えなかったんじゃないの?????」
・・・・皆は、大爆笑をした。
「わあ、お姉ちゃんが聞いたら、とっても喜ぶう・・・・」
・・・・丁度、雅美のお姉さんの好美ちゃまが席を外していた時だったので、雅美はこう言って、皆をもう一度爆笑させた。・・・・こんな事をベッドの中で思いだしていたら、目がハッキリと覚めて来たので、階下のトイレに行ったあと、居間で、伸びをしたり腕をグルグルと回したりしていると
「お早うございます」
と台所の方から本間さんの声がした。
「あ、本間さん・・・・お早うございます。 でもさあ、何故こんな所に居るの?」
「いえ、ちょっと目が覚めたら、眠れなくなっちゃったもんですから・・・・」
「あ、そう」
「それで、カップ・ラーメンを一つ戴きました」
「いいよ、いいよ。一つでも、二つでも・・・・・でも、どうしたの??」
「実はですねえ・・・・」
「うん」
「朝、目が覚めたとき、時々眠れなくなっちゃう事があるんですよ」
「へえ」
「そんな時、何か食べると又眠れるもんですから、きのうの夕方、皆で買物に行った時、インスタントの天ぷらウドンを買って来たんですよ」
「あ、知ってる、知ってる。あの大きなヤツでしょう?」
・・・・僕は、昨夕、買物に行ったとき、彼がニコニコしながら(これ、あとで食べるんだ!!)と言って、大きな発泡スチロールのインスタント天ぷらうどんの入れ物を抱えていたのを思い出した。
「そう、そう、あれです。あれが、何処にも無いんですよ」
「えっ、そんなバカな事が・・・・」
「いえ、ホントなんです」
「そこの戸棚は?」
「ないんです。もう一度見てみましょうか? ほら、やっぱり無い!」
「他は探した?」
「ここも、ここも、それから・・・・ここも」
「おかしいな・・・・あ、そーか、自動車の中に置いてきたんじゃない?」
「いやあ、そんな・・・・じゃあ、チョット見て来てみましょうか?」
・・・・と言って、玄関から出ていったが、すぐに戻って来て、本間さんは言った
「やっぱり、無いです」
「おかしいな・・・・あ、分かった。じゃあ、お店に置いて来ちゃった・・・とか?」
「いえ、そんな事はありません。自分で確かに自動車の中に入れたんですから」
「そうかあ。でも、女の子達が食べちゃったって事もないよね・・・・」
「そうなんですよ。少なくとも、僕が買ったのを女性達は知っている筈ですから」
「そうだよね。あ、チョッと待って・・・・」
・・・・と言って、ゴミ箱の中をのぞいてみてから、僕は言った。
「女の子達が食べた事は絶対にないよね。だって、発泡スチロールの丼が捨ててないもの」
「そうなんです。だから、おかしいんです・・・・」
「待てよ! そうだ・・・・女の子の誰かさんが、天ぷらウドンと一緒に発泡スチロールの丼も食べちゃったんだ!! ね、そう考えれば、物凄く辻褄(つじつま)が合うでしょう」
「まさかあ!!」
・・・・僕達二人は、(ああでもない)、(こうでもない)と言っては、台所と居間の中をウロウロと歩き回っていたが、若しこの姿を誰かが見ていたら、とても可笑しかったに違いない。
「・・@??X#・・・・! &」
「・・**! ! @5%・・・」
「駄目だ。何処にもない」
「もう、いいですよ」
・・・・暫くしてから、二人は、あきらめて椅子に腰を下ろしてしまった。それから小一時間後、着替えをスッカリすまし、髭を剃って顔も洗い、本間さんと雑談をしていると
「お早うございます」
柔らかい声がした。
振り返ると、薄いピンク地に白のチェックのパジャマ姿の桂花が立っていた。可愛らしい。
「あ、お早う。よく眠れた??」
「ええ、とっても・・・」
「よかった、よかった。ところでさあ、桂花・・・・」と、言ったあと僕は続けた
「本間さんの天ぷらウドン知らないよねえ・・・・」
「あら」
「八岳さんが一緒になって探してくれたんだけど、何処にも無いんですよ」と、本間さん。
・・・・瞬間、
「ごめんなさい」蚊の鳴くような、小さな声で言うと
・・・・桂花は、台所に行ったが直に戻ってきて、
「これでしょう・・・・」と言って、件(くだん)の天ぷらウドンを持って来たのである。
「エーッ、何処にあったの、それえ・・・・」
「何んで知ってんのお?」本間さんと僕は同時に叫んだ。
「ご免なさい、雅美さんのお姉さんと私が隠しといたんです。ホントにご免なさい・・・・」
「アーッ、ソウカ!!」
「ヤラレターッ!!」
・・・・僕と本間さんは顔を見あわせると、大声で笑いだした。話を聞いてみると、こうである。
昨夕、買物から帰って来て、女性軍が食料を整理していたら、この天ぷらウドンが出てきたとか・・・・・
そこで、桂花がこの天ぷらウドンを手に持って、好美ちゃまに
「ねえ、これ隠しちゃおか・・・?」と言ったら
「うん、隠しちゃお、隠しちゃお・・・・!!」と、好美ちゃまは二つ返事だったとか・・・・
女性達は皆、本間さんがニコニコしてこの天ぷらウドンを抱えていたのを知っていたのである。「でもさあ、何処に隠しといたの?」と僕が聞くと
「ここよ」と、桂花は背の高い冷蔵庫の上の今は使っていない大きな果物カゴを指さした。
・・・・すると、本間さんは、その言葉を引き継いで
「あ、そうかあ。ホントの事を言うとね、一人で探しているときに、このカゴを見て、”もしかすると、この中かなあ”・・・・って思って、途中まで手を伸ばしたんだよね。でも、こんな所にあるハズがない・・・・って、手を引っ込めちゃったんだけど、もう少しだったんですよね」と言って、ボヤクことしきり!!「ハハハハ・・・」
・・・・大笑いをした後、僕は言った。
「ねえ、ねえ、桂花が言いだしたってえのが、ホントに可笑しいよね。だって、桂花が一番そんな事をしそうじゃないんだもの・・・・」
・・・・でも、桂花って、何て茶目っ気があって、いい子なんだろう!!!!さて、
全員が部屋の片付けと帰京の準備を済ませたのは、もう 10 時半過ぎ。
それから、朝食の準備を始めたが、朝食というよりは、時間的にもうブランチの時間である。
・・・・一方、午前の強い光が部屋の中を照らしているので、気温もグングンと上がって来て、部屋の中の暑さも相当なものである。
「暑いわねえ・・・・」と女性軍。
「ねえ、それじゃあ、外で食べようか?」と、僕。
「でも、ウチん中も外も、同じくらいに暑いんじゃないの・・・・」と、雅美。
「外の方が涼しいと思うよ」と、本間さん。
「そうかなあ?」と雅美は不審顔。
・・・・ティーシャツのベティーさんの漫画が、いかにも雅美らしい。
「じゃあ、こうしよう・・・・ほら、あそこの木の下に平らな所があるでしょ・・・あれはねえ、よく家内が ”あの木の木陰でお茶が飲めるといいんだけどナ” と、言ってたので、建築屋さんに作って貰ったカフェテラスなんだよ。でも、まだ一回も使ってないから、きょう皆んなに柿(こけら)落としに使ってみて欲しいんだよ。もし、あそこに行って暑かったら、又ここに帰って来ればいいじゃん・・・・」と僕が言うと
「そう、そう、それがいいですよ。でも、僕は部屋の中よりあの木陰のほうが絶対に涼しいと思うけど・・・・」と本間さん。
「じゃあ、行ってみない?・・・・行ってみたら、すぐ分かるわよ!」と言う好美ちゃまの声に、全員が外に出て木陰に来たが、木陰に入ったとたん、皆んなは驚きの声を上げた。
「エーッ、こっちの方が全然涼しい!」
「ホント!」
「でも、どうしてエ? 同じ日陰なのに、家の中の日陰より木陰の方がこんなにも涼しいなんてエ?」
「よく分からないけど、兎に角うちの家内が一番最初それに気が付いたんだよね。・・・・それで、ここにカフェテラスを作りたいって言い出した結果、このスペースが出来たって訳さ・・・・・」
「でも、とっても素敵! いいなあ・・・・・これって!」
「また、来たい!」
「いつでも、どうぞ・・・・でも、さあ、それよりもゴハン、ゴハン・・・・さあ、テーブルとイスを持って来よう・・・」・・・・と言う訳で、涼しい木陰のカフェテラスで、柿(こけら)落しのブランチが始まったが、この席でも、主役はいつもの通り好美ちゃまで、熱してくると、例の「男の子」とも「女の子」とも判断しかねるような独特な話し言葉で、盛んに皆んなを笑わせていた。
・・・・一方、僕は時折り席を立って、皆んなの写真のシャッターを押していたが、ファインダーを通して見る 4 人の仕草に、時として少年少女のような爽やかさが見受けられ、その度に僕は心の中で(何んて素敵なんだろう!)と呟(つぶや)いた。
ヒュッテのカフェテラスで!!
(左より本間さん、桂花、雅美、好美ちゃま)・・・・・・・
・・・・・・・
それから、2 時間後、僕は自分のポンコツ車を運転してコスモス街道に向かっていた。
僕の隣の助手席には本間さんが坐っている。
・・・・これから東京方面に帰る 4 人を、渋滞を避けて、コスモス街道まで送るためである。
僕の車の後からは、雅美姉妹を乗せた桂花の車が着いてくる。運転しているのは、もちろん桂花である。
・・・・田圃の中を走る自動車道には明るい太陽光がはじけ、道の両側は遠くまで見渡す限りが黄金色に輝いている。田圃の上には沢山の赤とんぼが舞い、真っ青な秋空を背景に高圧線の鉄塔が鈍く鉛色に輝いている。
こんな日は、山に向かって大声で叫ぶと、きれいな木霊(こだま)が帰ってくるに違いない。
・・・・始めのうちこそ、僕と本間さんは話をしていたが、コスモス街道が近づいて来るにつれて、二人とも無口になっていった。
と、突然、本間さんがしんみりとした口調で口を開いた。
「八岳さん、ホントに有り難うございました。この数年の間で、こんどの三日間ほど、楽しかったことはありませんでした・・・・」
「有り難う。僕もとても楽しかったよ・・・・お陰様で。 でも、さあ・・・・雅美と桂花っていい子達だよねえ!」
「ええ、桂花さんも雅美さんもお姉さんも皆んないい人達です」
「そう、そう・・・・好美ちゃまもだよ。 でも、あの人ってオッカシナ人だよねえ。 いつも笑わされる・・・・」
「そう、どちらかと言えば、余り居ないタイプですよね」
「うん」
・・・・それきり、別れの「さようなら」を言うまで僕達は黙りこくっていた。国道 254 号線の「平賀」の交差点が「さよなら」の地点であった。
右に行けば、コスモス街道を経て内山峠へ、真っ直ぐ行けば佐久牧場へ、左に行けば国道 141 号線に出る。桂花達は右のコスモス街道へ、僕は真っ直ぐ行って佐久の山田電機に注文しておいたコーヒーメーカーの部品を受取りに行く。
・・・・この交差点で、僕達は「お別れ」をした。
「さようなら、また来てよね」
好美ちゃまの手を握りながら、僕は言った。
・・・・思っていたよりずっと華奢(きゃしゃ)な手である。
「ごめんなさい。私ばかりがズーッと一人で話しちゃって・・・・」
「うううん、そんな事ないよ。とても楽しかった・・・・又、来てよね」
「うん、ホントに来ようかなーっと!」
「うん、どうぞ、どうぞ」サングラスのレンズをみつめながら僕は言った。
・・・・好美ちゃまの隣に立っていた桂花の前に行き、
「サヨナラ、桂花」
・・・・と言って、手を出すと、桂花は僕の手を握り返しながら、いつもの少し含羞む(はにかむ)ような声で言った。
「また淋しくなっちゃいますね・・・・・」
・・・・彼女の手を握りながらフトおもった・・・・(桂花って、どうして、いつも太陽の匂いがするんだろ?)
「うん。・・・・でも、この三日間とても楽しかったよ。 だから、また来てよね。・・・・もう、道を知っているから、いつでも来られるよね。彼とでも、お母さんとでも・・・・あ、それから雅美とでもいいからさ!!」
「有り難うございます」
「じゃあ、元気でね・・・・」
「八岳さんも」
・・・・手をはなした時、チクリと心が疼(うず)いた。
・・・・雅美の前に立つと
「姉共々、ホントにお世話になりました。とっても楽しかったでーす」
持ち前の明るさで雅美は言った。・・・・サラサラした手の平の感触が、とても健康的だ。
「とても楽しかったよ。・・・・また来てよね。彼とでも、好美ちゃまとでも、桂花とでもいいから・・・・・・」
「有り難うございまーす。ホントに来ちゃいます・・・・」・・・・笑顔が可愛らしい。
瞬間、(でもさあ、ホントは一人で来て呉れるのが一番嬉しいんだよね!)と冗談を言おうとしたが、不意に胸が込み上げてきて、一言だけ言うのが精一杯であった。
「じゃあ、気を付けて帰ってね」
「はい、では又・・・・」
「又ね・・・・」僕は、雅美の手をギュッと握ってから、ソッと離した。
・・・・本間さんの方を向くと、僕の方に手を差し出しながら本間さんは言った。
「八岳さん、ホントに有り難うございました。とても楽しかったです」。
「来て呉れて、有り難う。これからは、いつでもいいから来てよね。道は分かってるんだから・・・・」
大きな手が、僕の手を力強く握っている。
「そうします」
「じゃあね」
・・・・手を離そうとしたら、彼の手が僕の手をまだガッチリと握っている。
僕は、物凄く力を入れて彼の手を握ってから、彼の手を離した。
瞬間、本間さんも力を入れて僕の手を握り、それからユックリと手を離した。「さようなら・・・・気を付けてね!」
ユックリと走りだした車に手を振ると、車の中の 4 人も手を振った。
「お元気でー!」
「有り難うございましたーっ!」
「また、連絡しまーす」
「さようならあ!!」
・・・・それから、車はスピードを上げると、コスモス街道方面へと走り去った。・・・・桂花の青紫色の小型車が視界から消えると、僕はゆっくりと自分のポンコツ車に戻り、エンジンをかけてから、アクセルを踏みながら呟いた。
「チックショウメエ・・・・あいつ等、なんていい奴なんだ!!」
・・・・そしたら、急に涙が出てきて、鼻の奥のほうがツーンと痛くなってしまった。
1998-09-15(火) 台風 5 号通過 ヒュッテ 万歩計:10421
台風 5 号通過のため終日ひどい雨。
何も出来ないため、部屋の片付けをしたり、読書をしたりして一日を過す。
1998-09-16(水) 雨のち快晴 ヒュッテ
久方ぶりの雨上がり。
三岡のホビーショップにラジコン・ヨットを買いに行く。
山を下りると、千曲川は物凄い増水。(大丈夫かな?)と不安になる。
・・・・ラジコン・ヨットは松原湖に浮かべて、立花屋旅館の息子さん達とラジコン・セーリング・レースを楽しむ予定。 将来は、松原湖で大々的なレースができれば楽しいだろうな・・・・と思う。午後 9 時半頃、土村の少し上流の千曲川縁(へり)で、濁流のため舗装道路の一部が崩れ、南牧村の母娘が亡くなったというニュースが流れる。
悲惨で気の毒なニュースに胸が詰まる。
1998-09-22(火) 曇ときどき雨 ヒュッテ
母親が川越市で使っていた電子レンジをヒュッテに持ってきた。
「イヤッホー、これで冬になっても温ったかいご飯が食っべられるぞー・・・ウヒヒヒ!」
・・・・嬉しさも手伝って、電子レンジをピカピカに磨き、続いて(ヤッコラサ!)と重たいレンジを冷蔵庫の上に持ち上げ
「よしよし、これで良し、これで良し!!」
と、首肯いて(うなずいて)から冷たいご飯を中に入れ、ツマミを右に廻して「1 分」に合わせたところ・・・・いきなり
「ビビビビビ・・・・・!!」と物凄い音がした。
「なぬ・・・・??!!」
とは、思ったものの、(今まで、埼玉県で使えたものが、長野県で使えないわけが無い!!)と、そのまま放って置いたら、1 分後に、ホッカホカのご飯ができた。「な、そうずらあ・・・・音なんか気にするこたあ無えずらあ・・・・!!」
僕はいささか得意であった。
・・・・ところがである。次に、焼き肉を暖めようとして電子レンジのツマミを 1 分半に廻すると、
「ビビビビビビビ・・・・・・・!」と、またまた大変な音がした。
その音が余りに大きな音だったので、(チョイやば!)とばかりに、スイッチを切り、取り扱い説明書が無いので、本体に貼られている表示パネルをよく読んでみた。
・・・・すると
「 50 サイクル専用機」と書いてあるではないか!!
・・・・サイクルとは、今で言うヘルツの事である。
「アチャー!!」
・・・・・今頃になって、僕は長野県の電源周波数が 60 ヘルツであることを思い出したのである。・・・・と言ったところで、今日一日の労力を思うと、(ああ、そうですか・・・!)と引き下がるのも、チョイトばかり口惜しいではないか!!
・・・・しかも、僕自身は自分を理科系の人間だと思っているから始末が悪い。よせばいいのに、
「60 ヘルツ地域で、50 ヘルツ専用機を使ったらどうなるか・・・?」
と考えだしたのである。「フン、まずすぐに考えられるのは、時計である。・・・60 / 50 = 1.2 だから、時計は 1 分間に 1 分 12 秒進み、モーターの回転数も 20% 上がる事になる。 フムフム・・・・」
「時計が早く進むのはいいとして・・・・モーターの回転数が上がるのはよくないね・・・」「それにしても、あのビビビビ・・・という音は嫌な感じだね。 モーターの回転数が 20% 上がっただけで、あんな音がでるんだろうか???」などと考えているうちに、ふとリアクタンスの事を思い出した。
「そうだ、交流回路にはリアクタンスが発生したっけ・・・・リアクタンスは通過電流の周波数が関係し、交流回路内ではリアクタンスは抵抗として作用するんだったよな、確か・・・? そーか・・・・そうすると、これはチョットオ・・・!!」こんな事を考えているうちに、段々と不安になり、
「そうだ、それならば、60 ヘルツ用に部品交換をすればいいじゃん・・・・!」
と言うことで、メーカーに電話したところ、返ってきた返事は
「お客様がお使いになっていらっしゃるレンジは 12 年前の機種でございます。誠に申し訳ございませんが、メーカーでは部品はおおよそ 8 年間しか保有しておりませんので、変更は不可能でございます」
「ああ、そうですか・・・・わかりました。ところで、もし部品があったとすると、いくらくらい掛かったのでしょう?」
「 1 万円以上はしたと思います」とのこと。
「へえ、そんなに高いのかあ・・・・」と、しばし感心の面持ち!!夕方、佐久市の山田電機に電話したところ
「暖めと解凍だけのレンジでしたら、ハチ、キュッ、パー (\ 8,980.-) でご座居ます」との事。
「そうだ、それで十分だよ。だって、僕には、「暖め」と「解凍」以外の機能があっても、使いこなせないもの!! 決り、決り・・・・・これにしよう!!」
・・・・という訳で・・・・結局、ハチ、キュッ、パーの「暖め・解凍機」を購入し、旧いレンジはお払い箱になりました。はい、これにて一件落着・・・・・チョン!!
・・・・でも、とんだクタビレ儲けでした。
昨夕、公民館での卓球練習の後、野辺山の宇宙電波観測所に勤めている八那池の小池節子さんから
「あしたは観測所の公開日なので、よろしければ見学に来ませんか?」と、誘いを受けた。
小池さんは、色白の美女である。
聞いてみると、公開日は毎年、一年間を通して 9 月 23 日の一日のみとか・・・・・・・
・・・・もとはと言えば、僕も航海士の端くれ・・・・天文学には、少なからず興味がある。
「よーし、見に行くか・・・・!」と、思ってはみたものの、手帳のスケジュールを見ると、あいにくと色々な雑事の予定が入っている。・・・・今朝、起きたときも
「どうしようか?」
・・・・と、考えていたが
「ヤッパシ、行ーこ!!」
と、魅惑には坑し切れず、午前中に大急ぎで用事を済ますと、昼食を掻き込んでから野辺山に出掛ける事にした。
ところが、出掛けてはみたものの、観測所に着いたのは、何んと午後の 2 時。・・・・残るのは、「午後 4 時閉館」までのたったの 2 時間だけという最低の有り様。「ヨーシ、それならばザットでいいから駆け足で全部を見てやろう」
・・・・と思ってはみたものの、どっちを向いても興味のあるものばかり。
「ンじゃば、一番目立つ正面の 45m のバラボラから、見ることにしっか・・・・」
と、そちらの方に出掛けたが、いざアンテナの近くまできてみると
(ザットでいいから駆け足で全部を見てやろう!)どころの騒ぎではなく、アンテナの入り口の所で、説明員に色々と質問をしているうちに、いつの間にか貴重な 30 分を消費してしまう有り様。
・・・・しかも、アンテナを操作する内部のコントロール・ルームに入ると、そこでも、またまた 20 分を消費し・・・・更に、更に・・・・隣の建物の干渉計のところでは、更に50 分を使ってしまい、アッと言う間に手持ちの 2 時間を使いきってしまったのである。「こんな事なら、朝早くから来ればよかった!!」
と、思ったところで後の祭・・・・・
仕方なく、出口の所でイスに腰掛け、緩(ゆる)んだ靴ひもをなおしていると、すぐ傍に説明員らしい外人が一人立っているのに気が付いた。
(へえ、こんな所で外人さんが、仕事をしてんのかねえ?)と思いつつも、目が合ったのを幸い、彼に話しかけることにした。" Do you work here ?"
" Yes !"
" How long have you been here? "
" 4 years "
" And how many more years are you going to stay here from now? "
" I don't know.........it depends. "ちょっと聞くと警察官の尋問のようであるが、この男性は、とても気さくに答えてくれる。
しかも、非常にきれいな発音で英語を話す。面白い。" I see. By the way could I ask you where you are from ? "
" From Spain...... "
" ? Usted es espanol ? " スペイン語で聞くと、少し彼は驚いた様子で
" Si.......why do you speak spanish ? " と言う。
" Por que estudiar espanol es muy interesante. Yo creo que la pronunciation de la lengua espanola es muy bonita. " 怪しげなスペイン語で答えると
" Very interesting...... Do you like astronomy ? " と聞いてきた。この答えは、僕のスペイン語では難しいので、英語にスイッチ・バック。
" Yes, very much, simply because I used to be a navigator. "
" Navigator ? " とオウム返しに聞いてきた。
" Yes. I graduated from the University of Merchant Marine. And in the university we learned astronomical navigation quite a lot. "
" You speak excelent English. "
" Thank you. You do too. "等々、会話は 10 分くらい続いただろうか、気が付いて時計を見ると、もう閉館の 4 時間近である。
僕は驚いて、貴重な時間を僕のために割いて下さったこのスペイン人にお礼を言うと、建物の外に飛びだした。外に出てから、彼と名前を交換したメモ用紙を見ると、Vila-Vilaro, Ph. Dr. と書かれてあった。
「彼は理学博士なんだあ!!」・・・・僕は小さな声で呟(つぶ)やいた。さて・・・・・
外に出て、門の方に歩いて行くと、僕は
「オヤ」と言って立ち止まった。
顔見知りの女性が向こうから、こちらに歩いてくるのに気が付いたからである。
近くまでやって来た彼女に
「依田さん!」
と、声を掛けると・・・・僕の声に、こちらを振り返った彼女は、
「あら、八岳さん・・・・いらしてたんですか?」と、明るい声で言った。
依田さんは、松原湖高原の合唱団「リトル」のメンバーで、月に 2, 3 回一緒に歌うことがある素敵な女性である。彼女はアルト、僕はバスである。
僕達は、ほんの 2, 3 分話をしたが、彼女も忙しそうだったので、通り掛かりの人に二人一緒の写真を撮ってもらいサヨナラをした。・・・・ところがである。
門の所に待っていたシャトル・バスに乗り、席に坐ったトタン、僕は自分のジーンズの社会の窓が半分ほど開いているのに気が付いたのである。「ああああーーーどうしよう、今の写真!!!!」
「こんな写真、依田さんにあげられないよ」
・・・・僕は、何回となく心の中で大声で叫んだ。本当に色々なことがあった、今日の一日。
真夜中近く、ベッドに潜り込む少し前に、僕はごく簡単なお礼のメールを英語で書くと、Vila-Vilaro ドクター宛てに発信した。
1998-09-30(水) 曇ときどき晴 ヒュッテ
9 月 26 日、長野新幹線で帰京。今日は、また新幹線で松原湖にやって来た。
閑話休題。
・・・・今日、新幹線に乗る前、桂花と雅美と金川さん達と池袋駅で待ちあわせ、彼女達がよく行くというイタリアン・レストランで昼御飯を一緒にたべながら、 いつもの通りワイワイ駄弁ったり、このあいだ皆がヒュッテにやって来た時の写真を渡したりして、2 時間ほどを過したあと、17 時 06 分大八岳駅発の長野新幹線でヒュッテにやって来た。いつ会っても、楽しい連中である・・・・・・