1998-08-01(土) 曇 ヒュッテ
終業後、町まで出掛けた。
駅前のアルルに行き、ジーンズのチャックを直して貰うために、ズボンを小平洋品店に預け、隣の食料品店で野菜と魚を買い、車で帰ろうとしたら馬流の穂積橋まで来た所で、車がエンストをしてしまった。
「やばい!!後ろに車が詰まっている」
慌てて、エンジン・スイッチをいれたら
・・・・・・・・カーカカカカカカ、カーカ、カーカカカカカカ・・・・・・・・・
セル・モーターが回っても、ここ一週間ほど調子の悪かったエンジンがどうしても掛からないのだ!!
「○×・・・??△・・・!!」
こういった時、焦れば焦るほど、言うことを聞かないのがコンピューターと車のエンジンだ!!しかも、時刻は自動車が一番混みあう時間帯だ!!
・・・・・カーカカカカカ、カ、カ、カ、カーカカカカカ・・・・・
車は苦しげに身悶えするばかりだ!!
・・・・・カカカカカカ、カーカカカカ・・・・・・・・
それでもセル・モーターを回すと我がオンボロ車は、すこしづつ移動し、橋を渡った所で国道141号線の坂道を下り始め、10m ほど川下の柳田のガソリン・スタンドにやっとの思いで飛び込むことができ・・・・
「やれ、やれ!!」と、ひと息ついたところで、もう一度トライしてみる。
・・・・・・カカカッカッカッカカカカ・・・
「こんな事って初めてだよ!!」
「うへえ、電池がなくなったらどうしよう????」
「えーい、ヘッポコ車めえ・・・・!!」
僕は、嘆息して腕を止めた。「・・・・・八岳さーん、何にしただあ・・・????」
のんびりした声がすると、ここのガソリン・スタンドのマスターの敏ちゃんが僕の車の傍にやって来て、中を覗き込んだ。
「いや、参ったよ。どうしてもエンジンが掛からないんだよね」
「じゃ、チョットやらしてみて・・・・。下りて、下りて!!」
「うん、お願い!やってみてよ・・・」
敏ちゃんは、運転席に上がり、一度スイッチを入れた後、すぐに言った。
「八岳さん、こりゃあ、ガソリンが無えだよ!!」
「えーっっっ、ガソリンが無いいいいいい??だって、おととい入れたばかりだぜえ・・」
「何処で入れただあ??」
「ありゃあ、川越に行った日だ・・・・・・あ、そうか、あの日、ガソリン入れたあと、川越えまで往復してるんだ。うん、そうか、もしかしたらガソリンが無くなっていたかも知れない・・・・アア、ナンタルチア・・・・・」というわけで、敏ちゃんにガソリンを満タンにしてもらい、エンジン・スイッチを捻ったら
あーら、恥ずかしや・・・・・
「ブブブブ、ブーン、ブーン」
ですって!!
1998-08-02(日) 晴 ヒュッテ
07:40
朝食時、庭のドロヤナキの垂直な幹を、頭を下に向けて幹を下りたり、頭を上に向けて幹を上がったりしている野鳥を見付け
「あっ!!」と、一瞬緊張する。
・・・・慌てて、食器棚の上から双眼鏡を取出し、焦点を合わせる。
今まで、何回となく図鑑や写真で見たことのある特徴のある尖った頭と、同じように尖ったお尻。白い腹に、水色の羽と黄褐色のわき腹・・・・言わずと知れた
「ゴジュウカラ」だっ・・・・・・である。
・・・・それにしても、垂直な幹を、頭を下にして、よくも、あんなに早く下りる事ができるんだろう・・・・・と、感心をする。ゴジュウカラの実物を自分の目で実際に目撃したのは、今回が初めて・・・・・感動的な朝のひとときでした。
午前 10 時、美術館に出掛ける。
・・・・過去 2 ケ月の間、トミーと僕の二人はコンピューターのインプット作業に追われっ放しであった。 インプットの資料は、3年ほど前に僕が町に寄贈した SP レコードの詳しいデータ・・・・。リストの大きさは、縦 450 行、横 40 列。
使用言語は、英、仏、独、伊の 4 ケ国語。担当者はトミーが原語のインプット。僕の仕事はレーベルの外国語を日本語に翻訳することである。今までの人生で、語学好きの僕は、英、仏、独、露、西を少しづつ勉強してきたが、今回ほど、それらの勉強の成果が直接的に役に立った事は無かった。
今日も朝10時から、午後5時迄。
・・・・・あと一日頑張れば、全て終わるかも知れない。そうしたら、「遊ブゾー!!」
・・・・・・・・
・・・・・・・・
夕方、「まだ、Kei はアメリカにいるのかな・・・・?」と思いつつ、本当に久方ぶりに彼女の家に電話を入れてみた。
・・・・・・・プルルル、プルルル(これは電話の音だよ!!)、
「ガチャリ」と音がして、
「はい、佐・・・・」懐かしい Kei の声。彼女の声を聞いた瞬間、僕は大声で受話器に叫んだ。
「Kei!! 日本に居たんだ・・・・・いつ帰って来たの??」
「あら、八岳さん・・・・コンニチハ!! ・・・・3 日前に帰って来たの・・・・・」
「どうだった、アメリカ・・?」
・・・・・・・・・
僕と、Kei と、雅美と、本間さんの四人が電話で話すと、決まって、いつも長電話になる。
この時も、25 分ほど話してから
「ンじゃあね、雅美に電話するの忘れないでね、バイ、バイ!」と言って受話器を置いた。僕は Kei と雅美が大好きである。
Kei と雅美も僕のこと好きだといいんだけど・・・・・・!!!!!!!
1998-08-03(月) 曇ときどき晴 ヒュッテ
終わった。ついに終わった!!
トミーと僕の二人で完成した、この 2 ケ月間の膨大な量のインプット作業。
これが嬉しくなくて、何が嬉しいだろうか?終わった瞬間、僕は美術館の研究室で
「ウワーイ、終わったあ・・・・!」と、精一杯の大声で叫んでしまった。
僕は、本当に嬉しかった。もう、明日からはインプット作業に追われる事はない。
さあ、明日からは遊ぶぞう!!
1998-08-05(火) 晴 ヒュッテ
開発公社で、農面道路の美術館付近のルートを聞いた。
それによると、八千穂村から上がって来た農面道路は、現在の美術館前に至る農道を二車線に拡幅して北側から美術館前に至り、リエックス通りに突き当たったら、左に直角に折れて現在のリエックス通りをそのまま利用して大月湖近くまで標高を下げ、それから後は、一案としてスケートセンターに至る道を右折し芦平に至るルートを辿るようになるらしい。
着工は二、三年後の由。
案は可なり具体化しているらしい!!
話しは、全く変わるが、今まで何処で売っているか、どうしても分らなかった「直径 3mm の草刈器のビニール紐」はビッグ・ベンの下の農機具の井出商会で売っている事が分った。
早速、井出商会に行き、紐と取り付け金具を買ってきた。
よし、これで大丈夫・・・・
とても、嬉しかった!!
1998-08-08(土) 晴 ヒュッテ
今日と明日、松原湖湖畔の水辺公園でクラフト・ファアが開かれる。
昼食後、観光案内所からデジタルカメラを持って、ホームページに載せる写真をとりに行く。行ってみると驚いた。
小海町の人はもとより、県内の他地域の人、山梨、神奈川、東京、千葉などの各県からの出品者が、水辺公園に集まっている。「おや、おや、これはオドロイタ!!」と思ったら、
「おやあ、誰かと思ったら八岳さんじゃない・・・」
「いよー、八岳さん!!」
「あらあ、お久し振り・・・」
・・・・・・たちまち、五、六人の人から挨拶をされた。「いやー、どうもどうも」挨拶を返していたら
「あらあ、今日はお休み・・・?」
千曲川の向こうに住んでいる女性から声を掛けられて、ギクリとする。
・・・・だって、本来ならば、案内所に居なければならない僕なのだ・・!
「イヤー、実はほんのチョット、そのー」と言ったら、
「Saboru, n'est-ce pas ?」いきなり、日本語と仏語のチャンポンが飛んできた。
「Oui, je m'interese a sluck...........」こちらも、英仏混合の変な言葉でへんじをする。
・・・・・変な会話!!「八岳さん、忙しい?」
・・・・・突然、ターバンを頭に巻いた男性に声を掛けられてビックリする。
よく見ると、山いも工房の大将じゃないか。
「何んだよう!そんな格好をしてるから、分っからねえジャン!」
「アハハハハハ」
「アハハじゃねえよう・・・・・・・、ッタク!」
話しをしているうちに、台の上に載っている彼の作品のオシドリのパズルが目にとまり、可愛らしいので買うことにした。
・・・・・・・・・・どうです。上の写真のパズルは・・・? 素敵でしょう。
でもさあ、作者の顔と作品の顔は、どうしてこんなにミスマッチングなんだろう??!!
・・・・ウッヒッヒッヒ!!
一昨日から、気違いみたいになって草刈りをしている。
例年ならば、もう2、3回は草刈をしているところだが、今年はまだやっと 0.5 回。それと言うのも、6、7月の2ケ月をSPレコードのデータ・インプットに取られてしまったからである。僕は草刈が大好きである。
・・・・と言うよりは、草刈を始めるまでは面倒臭いが、いったん始めると無我夢中になってしまう、と言った方が正確かも知れない。
草刈器でオープン・スペースの草を刈り、木の根元や草花の根元の部分を草刈鋏みでキレイにトリミングする。ただ、これだけの事であるが、草刈は薪割り・ペンキ塗りと並んでヒュッテにいる間の大きな楽しみの一つであると言わなければならないだろう。夕方。
知人の I 氏より Tel. あり。
トウモロコシと美味しい手作りのお味噌を戴いたので、お裾分けをして下さる・・・・との事。嬉しくて、卓球の練習に行く途中で、I 氏宅に寄らせて頂く。三日ほど前には、別の方から、ズッキーニとグリーンボールを沢山頂いた。
・・・・皆さんが、こんな僕にも色々と気を使って下さるのが、とても嬉しい。
Kei と雅美と本間兄が 9 月上旬に遊びに来ることになった。
・・・・その件で、雅美にこんな手紙を書いた。前略
過日、電話で話しましたこちらの地図、三部同封して送ります。・・・・もしチャンスがありましたら、本間さんとKei にお渡し下さい。今日は、もう 8 月 12日・・・・短い高原の夏も終わりに近づいています。蒸せ返るように咲いていた夏の花々も最盛期を通り越してしまいましたが、それでも・・・・短い夏を少しでも長引かせようと最後の力を振り絞って咲いているようです。
これで、お盆が過ぎ、萩の花を揺らせて一陣の風が野原を吹き渡ると、松原湖高原は一足飛びに秋になってしまいます。
北国の人々が、往く夏を惜しむ気持ちが、最近の僕にはとてもよく分ります。こんな事を考えていると、人生の半ばの峠をとうの昔に通り越した僕が、雅美と Kei という素敵な女性に出会うことが出来たことは、とても素晴らしい事だと思っています。
話しは変わりますが、ここ三日ほど、夢中になって大好きな(?)草刈をしていました。ヒュッテにいると、薪割り、草刈、ペンキ塗りは最大の楽しみで、いつも始めると夢中になってしまいます。
それで、昨日の夕方ベランダにテーブルをセットして、綺麗になった庭を眺めながら、一人でお茶を飲みましたが、美しい夏空がとても素敵でした。・・・・もう少し書き続けようと思いましたが、お客様がいらしたので、ここで筆を置くことに致します。
・・・・・・・尻切れトンボの手紙になってゴメンナサイ。 草々8月 12日。
(後記)
ホントに尻切れトンボの雑な手紙になってしまいましたねえ!!*********************
・・・・・じゃあ、又ねっ!
1998-08-13(木) 晴 ヒュッテ
美術館にSP レコード用のケースが搬入された。
ガラスの引き戸がついた美しいケースである。
惜しむらくは、このレコード・ケースの棚板と棚板の間が狭すぎるため、分厚いレコード・アルバムがこの棚板の間に入らない事である。従って、分厚いレコードアルバムをこのレコードケースに収める場合は、棚板を一枚はずし、間隙を 2倍にしてレコード・アルバムを入れなければならないようである。午後、ギャラリー黒沢にお茶を飲みに行った時、改めて池畑さんの二人展を見たが、素晴らしい置物の作品が目に入り、どうしても欲しくなり、買うことにした。
どうです、素晴らしいでしょう!!
これが、池畑さんから譲って頂いた素晴らしい作品であす。
1998-08-15(土) 曇ときどき晴 ヒュッテ
午後 3時。
ヤルヴィ・ホールにて草野さんのピアノ・コンサート。
とても面白かった。
中でも、素晴らしかったのは、「美しき青きドナウ」。
・・・・・今まで、オーケストラでもピアノでも、色々な演奏を耳にしたが、今回のピアノはその中でも出色の演奏であった。ところで、今日のピアノコンサートの後で、花村さんという、とても不思議な方と知り合いになった。
それは・・・・僕達二人が、本当に、人生で初めてというような、不思議な出会い方をしたからである。
・・・・・・・と言うのは・・・・・・・この花村さんと僕は、コンサートの後片付けが終わったロビーで休んでいる時に、音楽のチョットした話が切っ掛けになり、1時間半ほどの間、相手の素性も分からないまま、音楽の話やら人生観の話などを、夢中になって話し合い・・・・・・・・
・・・・・・・陽が大分傾いて来た時になって、はじめて、
「・・・・・ところで、お名前は・・・・・?」
と、自己紹介をし合ったという、大変な出会いをしたからである。
誕生日も S11-02-07 と S11-02-17 の 10日違いの二人。花村さんは、現在、夏の間だけ小海原で作曲活動をなさっていらっしゃるとか・・・・・!!
・・・・これからも、色々と話しをしたら、とても面白そうな方!!
ぜひ、また会いたい人である。
1998-08-16(日) 晴 自宅
午前中、三石さんが工事の見積書を持ってきた。
工事の依頼個所は、
(1) アルタイル通りから玄関に通ずるアプローチの砕石敷き、
(2) 庭のヤマハンノキの木陰に砕石を敷きお茶のテーブルと椅子が出せるようにすること、
(3) 一番新しい物置のしたをコンクリで固める
・・・・の三点である。早速、家内と相談し、お願いすることにした。午後 3 時、今日はヴァイオリンの山川奈緒子のコンサートが開かれた。
場所は昨日と同じヤルヴィ・ホール。彼女は、八那池小池公夫さんの息子さんのヴァイリンの先生だとか・・・
曲目は「カヴァティーナ」、「チゴイネルワイゼン」、「愛の悲しみ」、「愛の喜び」などの小品が沢山。とても楽しかったが、ヴィニアフスキーの「華麗なるポロネーズ」は、もっとアクセントをつけて、ガリガリ奏いてもいいんじゃないかと思う。僕の頭の中のイメージと余りにも懸け離れていたため、全く別の曲のように聞こえたのには、とても驚いた。
コンサートが終わると、その足で東京向けに出発。
途中、上里の SA で夕食。
練馬の料金所の 4km の渋滞以外は全て、スーイ、スーイのスイスイスイ!!・・・でした。
1998-08-18(火) 曇 自宅
夕方、新宿のクイーンズ・シェフ伊勢丹のすぐ近くのトミーの事務所に出掛け、一時間ほど「どうでもいいような雑談」をして来た。
・・・・僕は、60年近くも中野に住んでいるが、この辺に足を運んだのは今日が初めて。人通りが多くても、チョット淋しげで、ホッとしたような夕暮れの町並みを歩いていて、あんなにも東京嫌いの僕が
「東京っていいな!!」とフト思ってしまいました。
1998-08-19(水) 曇 ヒュッテ
午後 3 時 32 分東京駅発の長野新幹線で、ヒュッテに向かう。
鉄道が大好きな僕は、乗る前から子供みたいにワクワクしていた。
・・・・ところで・・・・、今回初めて、長野新幹線に乗ったが、東京駅 20 番線に入線してきた新幹線は、カモノハシみたいな流線型をしたオカシナ奴!!
早速、「カモノハシ」とあだ名を命名する。座席は、東海道新幹線と同じく通路を挟んで 2 席と3 席の一列 5 席スタイル。
前の座席との間隔は、昔の東海道新幹線のグリーン車と同じくらい。脚がウンと伸ばせてとても気持ちがいい。途中の停車駅は、上野、大宮、軽井沢、佐久平の 4 駅のみ。ベルが鳴り発車すると、とても静か!!
発車後、間もなくトンネルに入る。・・・・佐久平までの約三分の一程度がトンネルである。
大宮まで 25 分。大宮を過ぎると、僕は窓の外の景色の移り変わりを夢中になって目で追った。
今回の乗車中、どうしても見たかったのが、関越自動車道。
・・・・いつもは、関越自動車道を走るワーゲン・カブリオレの中から、矢のように高架鉄道を走り抜ける新幹線を見上げていたが、今日は新幹線の中から、関越自動車道を見下ろすのだ!!
一体、どんな風に見えるのだろう??僕は、幅の広い自動車道が近づいて来る度に、胸をワクワクさせた。
だが、・・・・
「違う、これじゃない!」
「これでもない!」
「これかな? いや、こいつでもない!!」
新幹線が自動車道を横切るたびに、僕は、「いま見たのは、関越じゃないよね!!」と、心の中で自分自身に確認をした。
・・・・そのうち、自動車が数珠繋ぎになって沢山走っている大形の自動車道が見えてきた、と言うより、左後方から近づいてきた。
「あれだ、あれに間違いない!!」
そばに来てみると、その自動車道は今まで見てきた道路に比べると、遥かにガッシリしたハイウエイである。
・・・・・片側 3 車線。上り下りを併せて 6 車線のハイウエイは、まさに王者の風格をもっている。
「ハハハハ・・・馬鹿だな俺は!! 関越が 6 車線なことは、前から知ってたじゃないか!」
・・・・・時計をみると午後 4 時14 分。東京駅を発ってから 42 分が経過をしたところである。
つづいて、上信越自動車道を横切ったのが、それから 3 分後の 4 時 17 分のことであった。午後 4 時 45 分、佐久平駅着。
佐久平駅で 4 時 52 分発の小海線に乗り換えたところ、これが何んとまあ「中込行き」。
「そうだ、これも神様の思し召し・・・・久方ぶりに教会に行ってみよう!!」と言うわけで、小海線を「北中込」で途中下車し、佐久中央教会に寄って、本当に久方ぶりに星子先生と1時間ほど話しをしてくる。
星子先生は、若い独身のチャーミングな牧師である。
・・・・時間は「アッ」と言う間に1 時間が過ぎて、次の「北中込」発午後 6 時 9 分発の列車に乗って帰宅する。ヒュッテに着いてみると、入り口の所にシャベルカーが止まっていた。
「あ、そうかあ・・・・三石さんは、もう工事に入っているんだア!!」
・・・・早速、玄関から懐中電灯を持ちだして、庭のヤマハンノキの下に行って見ると、ヤマハンノキの周囲が、不規則な多角形の形に土留めがしてあり、面白い「お茶のフラット」が出来そうな感じ・・・・出来上がったら、とても素敵な「お茶」が楽しめそう!!
1998-08-22(土) 曇 小淵沢
今日は小淵沢のウオーミング・アップ(ペンション)で桃園教会の一泊合宿。
案内所の来客が多かった為、案内所を出たのは午後 6 時半過ぎ。
7 時 15 分、ウオーミング・アップ着。夕食後、車で数分の所にある温泉に入浴にに行く。
物凄い人で、ちょっとゲンナリする。午後 11 時、消灯。
同室者は古川さんと清水さん。
二人とも、結構イビキをかいていたが、朝起きてきいてみると、僕も結構イビキをかいていたとか・・・・おや、おや、のおやでした。
1998-08-23(日) 晴ときどき曇 ヒュッテ
06:30 起床。
ペンション「ウォーミングアップ」から、車で数分の林の中で、聖日礼拝。
今日は僕の司会当番だったが、牧師先生の「今と私」のメーッセージがとても面白かったので、礼拝の後の「お知らせ」の時間に、司会者の特権を利用して、飛び入りで次の様な話をした。「これで今日の礼拝を終わりますが、ここで、ひとこと話しをさせて下さい。
(長文になるため、後日記入の予定)
・・・・・・・」
07:00 起床。
08:00 ヒュッテ発。
10:00 下仁田 IC 通過。
10:30 上里 SA にて朝食。余りの暑さにジーンズ・シャツをTシャツに着替える。
12:00 真寿園着(川越市在)。母親に面会。3 時間ほど話しをする。
15:00 真寿園発。
16:00 自宅(中野)着。
午後9時過ぎ、閉店間際の「しえすて」に出掛ける。
「しぇすて」は町内会の延長のような、JR中野駅南口にある丸井の隣のビルの地下にある可愛らしい喫茶店である。
町内会の延長の様な喫茶店であるから、会話の殆どがドウデモイイヨウナ「馬鹿っ話」である。
今夜は、牛乳屋のみっちゃん母娘が来ていた。みっちゃんは色白で焼き立ての食パンのようにフカフカした感じの、素直でとても優しくて、良く笑う女性である。彼女とはよく話しをするが、娘のマリちゃんは僕が「しぇすて」に行く時間帯には余り姿を見せないため、わずかに一、二度話しをしたことがあるだけである。
・・・・マリちゃんは、とても明るくて愛くるしい娘(こ)だけど、ちょっとヘンテコリンな娘(こ)で、半分ヒッピーみたいにして東南アジア(?)のどこかの国を旅行したりして、今はインド行きにお熱を上げているそうである!!・・・・そんなこんなで、色々な話しをしているうちに、話しがたまたまインターネットのことになり、僕が「”トヴァルジャンカと高原日記”というタイトルのホームページを開いているよ・・・・」と言うと、マリちゃんは「トヴァルジャンカ」に関する質問をしいくつかたあと、流石に現代っ子・・・・すぐに
「そのホームページを見たいからアドレス教えて下さい」と言う。
・・・・メモ用紙に URL を書いて渡すと、
「読んだあと、メール出します!!」だって・・・・マリちゃんは、とても人懐(ひとなつ)こい娘(こ)らしい。
1998-08-25(火) 晴 ヒュッテ
10:30 中野発。松原湖に向かう。
出発する少し前、「そうだ、今日は時間があるから、Kei に電話してみよう」と思って、久方ぶりに電話を入れてみた。
プルルル・・・・プルルル・・・・プルルル・・・・
「ガチャリ」受話器をとる音がすると
「はい、佐・・・」 Kei の声がした。
「あ、Kei! 僕だよ・・・・宮です・・・元気?」
「あら、八岳さん。 わたし? ええ、元気」
「実はさあ、今、中野に来てるんだよね・・・・」
「あら・・・」
「うん、きのう、母親の所に来てさあ・・・・僕の母親がホームに入っているって貴女に話したよねえ?」
「えっ? 初めて聞いたわ」
「そうだっけ? あ、そうだ・・・・確か、メールで送ったんだ」
「ご免なさい。 メール壊れちゃってるもんだから・・・・」
「いいよ、そんでさあ・・・・今から長野に帰るんだけど・・・・ちょっと、会えないかなあ?」
「だって、これからあ?」
「うん、ちょっと渡したいものがあるんだよね。ほんの 10 分か15 分でいいんだ・・・・」
「でも、途中で高速降りるんでしょ・・・・?」
「そうだけどさあ・・・大丈夫。時間は沢山あるから・・・。今日なにか予定入っているの?」
「泳ぎに行こうかなって、考えていたの・・・」
「そうかあ・・・・じゃあ、悪いかな・・・・?」
「でも、いいわ」
「ホント、いいの?」
「いいわ、大丈夫」
「ウワーイ、ヤッタア〜!!」
・・・・そう言って僕は受話器を置いた。関越自動車道に入ると、窓から入る熱風で車内は少しは涼しく感じられた。
何せ、今日の自動車はダイハツ・ハイゼットの軽のワンボックス・カーである。全車鉄板張りの中古ポンコツの車体に照り付ける正午前の夏の太陽熱は相当なものである。
おまけに、標高 1100m の松原湖にいる間は絶対にクーラーを使わないから、いつの間にかクーラーは壊れてしまっている。ハンドルを握りながら、僕は盛んに独り言を言っていた。
「いや、参ったさん、参ったさん。兎に角、ひでえ暑さだよ、こりゃあ・・・」
「ナンタルチアのこの暑さ! ドシタラヨカベの関越道・・・」
「ここらでチョットひと休み。ウサギとカメの物語」
・・・・と、丁度この時、三芳 SA の案内標識が見えたのを機に
「来たかチョーサン待ってたホイ。ちょっと、ここらで小休止!」
・・・・と言う訳で、三芳のサービスエリアでトイレタイムをとり、食堂の給水器の冷たい水を飲んで腕時計を見ると、もう11:30・・・・・・「どうしよう?」と思ったけど、もう一度、Kei の家に電話を入れ、受話器に彼女の声が聞こえると、僕はすぐに言った。
「今、三芳の SA にいるんだけど、そちらに着いたら、お昼の時間になっちゃうんだ。・・・・僕、腹ペコなんだけど貴女をお昼に誘っちゃいけないかな?」
「あら、ご免なさい。さっき食べちゃったの・・・でも、私はお茶するから、心配しないで・・」
「有り難う。じゃあ、サンクスに着いたら電話するからね・・・バイバイ!」約束のサンクスに着いて、電話を入れると、5 分ほどで Kei がやって来た。
・・・・僕よりも 3cm も背の高い Kei 。
白いブラウスにクリーム色のスラックスが実によく似合う。
そして、手に持った同じクリーム色の小さくて丸いバッグも Kei らしい。
「やあ」
「こんにちは」
僕達は握手をしたが、その瞬間、健康的に張り出した Kei の胸を見て、僕は思わずクラクラと眩暈(めまい)がした。
(あ、やばい。変な気が起きたらどうしよう? ああ、イエス様・・・・!)・・・クリスチャンの端くれの僕は慌ててイエス様の名を呼んだ。
・・・・有り難いことに、当然の事ながら、何事も起こらなかった。(本当は、何か起きればよかったのにさ!)
「 Kei 、スッゴイ元気そう!」・・・・すぐに、僕はいつもの僕に戻っていた。
「八岳さんも、元気そう・・・」・・・・何も知らない Kei はとても素直である。
「あ、Kei 、ご免なさい。僕のポンコツ車、クーラー壊れてんだよね・・・・」車に向かって歩きながら、僕は言った。
「わたし大丈夫・・・・暑いのは・・・・」
僕達は、近くのドライブイン「ガスト(Gusto)」に行くことにした。ガストに入ると、僕はビーフシチューとアイスティーを、Kei はコーヒーとナントカ・カントカという難しい名前のケーキを注文し、二人はすぐに話しに夢中になった。
・・・・この前もそうだったけど、Kei と話していると、とても面白い。
話している内容は、日常生活のごく普通の事なんだけど、Kei は自分が経験した気持ちや考えや喜怒哀楽を、変に隠したり、格好をつけたり、言葉で飾ったりしないで、とても素直に表現する。・・・・それが幼児まる出しのぼくには、とても分かり易いのだ。
気が付くと、僕達の周りの席のお客様の顔触れはスッカリと変わってしまっていた。
「あ、いけねえ。もう、行かなくちゃア・・・・」腕時計を見ながら、僕は言った。
「あら、ご免なさい。すっかり時間をとらしてしまって・・・・」
「え、何故? 僕の方が謝らなくっちゃいけないのに・・・」
勘定を済ませ、外に出ると、物凄い暑さの中を、クーラーなしのポンコツ車(ご免なさい、こんな車で!)で Kei をサンクスまで送ると、握手をしながら僕は Kei に言った。
「じゃあ、サヨウナラ。今日はとても楽しかったよ・・・どうも有り難う。・・・・再来週は雅美と本間さんと 3 人で長野に来てよね! じゃあ、もう一度サヨウナラ」
「さようなら。再来週は楽しみにしています」
「さようなら」
アクセルを踏みながら、手を振ると、強い陽射しを浴びながら、Kei は眩(まぶ)しそうに明るく手を振った。午後 5 時。
八千穂村の黒沢アートギャラリーの喫茶店着。
中に入ると、コーヒーを飲んでいた陶芸家の池端さんが、僕の顔を見て軽く右手を挙げた。
「池端さん、こんにちは・・・・」
挨拶をして、彼の傍の椅子に座ろうと歩いていくと
「あら、八岳さん、いらっしゃい」
今日の当番ママのバンビが、声を掛けた。
バンビはビデオ・アーティストの小郷ちゃんの奥さんで、何んとなく往時のアメリカの名作漫画の主人公「ブロンディ」に似た雰囲気を持っている。
・・・・バンビと言うのは、彼女に対して僕だけが使っているあだ名で、理由は・・・・・面倒臭いから、書くのを止めることにする。「どうしたの、今日は? こんな時間に・・・・・・ 買物?」と、池端さん。
「うううん・・・・東京から帰ってきて、今、着いたところ・・・・」
「東京、暑かった?」
「うん、スッゲエ暑かった。でも、もっと大変な事があったんだよね・・・」
「どうしたの?」
「下仁田峠の頂上付近でエンストしそうになった」
「ええっ? 何あに、それって?」
「この間っから、エンジンの調子がおかしかったんだけど、今日は最悪で、下仁田の頂上付近でいくらアクセルを踏み込んでも、プスプスいってるだけで、ぜんぜん馬力がでなかったんだよね・・・・」
「それは、多分、エア・フィルターが汚れてんだよ。フィルターは、いつごろ取り換えたの?」
「そんなの、分かんないよ。だって、自動車屋さんがやってんだもの・・・・」
「えっ、フィルター交換も自分でやらないの? あんなの物凄く簡単なのに!」
「じゃあ、あなたは自分でやるの?」
「勿論ですよ。エア・フィルター、オイル・フィルター、エンジン・オイル・・・・全部、自分でやりますよ。しかも、自分でやると、とても面白い・・・・」
「信じられねえなあ! あんな、難しいもの・・・・!」
「あれ、そうだ・・・・八岳さんはもともと船乗りじゃないですかあ! だったら、内燃機関のこと勉強したでしょう?」
「内燃機関かあ、すごく懐かしい言葉! でも、内燃機関の事を勉強してたのは、機関科の連中なんだよね。僕は航海科だったから、勉強しなかった」
「それにしたって、八岳さんなら、勉強してなくたって、すぐ出来ますよ!僕だって、特別に勉強した訳じゃないから・・・・」
「本当? じゃあ、どうやって憶えたんですか?」
「試行錯誤ですよ」
「取扱説明書を見ながら?」
「そう、その通り・・・・一度、自分でやってごらんなさいよ。病み付きになっちゃうから・・」「はい、どうぞ!」
バンビが僕の注文したミルクティーを持ってきて、机の上に置きながら言葉を付け加えた。
「二人が話しているのを聞いていると、とても楽しそう。まるで、子供みたい・・・・」
「楽しいですよ」と池端さん。
「バンビだって、子供みだいじゃないか・・・・!」と僕。
「そうかな、アハハハハ」
バンビも明るくて健康な女性である。バンビがカウンターの中に入ると、池端さんと僕は、又ああでもない・こうでもないと話しに夢中になり、閉店間際の 6 時近くまで話し込んでいた。
6 時の閉店時間になると、僕達 2 人はバンビに「さようなら」を言って、それぞれの車に乗り込んだが、それから 5 分後、吸気の悪いエンジンを噴かしながら、国道 141 号線を走っていた僕は、突然、大声で喚(わめ)いた。
「ヨーシ、僕もやるぞう!!!!!!!」ヒュッテに着くと、三石建設の工事は全て終わっており、庭のヤマハンノキの枝の下には、素敵な「午後のお茶」のスペースが出来ていた。
家内 の気に入りそうな形に仕上がったので、とても嬉しい!!
1998-08-26(水) 曇 ヒュッテ
「今日は美味しいスパゲッティを作ろうっと・・・・!!」
昼御飯が近づいた正午少し前、ふと心の中でそう思った。
僕は、あの少しコリコリとした歯触りのある、細身の (1.6mm) スパゲティが大好きである。
・・・・だけど、このスパゲティを自分で作ろうとすると一番むずかしいのが、スパゲティの茹で加減である。・・・・いつも苦労する事だけど、自分の好きな茹で加減になった時、サッと上げないと美味しいスパゲッティは出来ないような気がしてならない。少し大袈裟に言うと・・・・もし、その瞬間から 10 秒遅れたら、フニャフニャの余り美味しくないスパゲティを食べなくてはならなくなってしまう。それほど、僕にとっては、スパゲッティの茹で方は、微妙なものである。
お陰様で、今日も美味しいスパゲティを戴くことが出来ました。
午後、ダイハツ・ワゴンのエアクリーナーを買いに行く。
何処で売っているかを確認せずにヒュッテを飛び出したものだから、さあ大変。あちらこちらで聞いたけど埒が明かず、最終的には佐久中央教会のノブちゃんちに電話を入れて、中込自動車部品の店名とロケーションを教えて貰い、やっとのことで、エアクリーナーを手に入れることが出来ました。
午前 10 時半。
池端さんが大きな陶器の作品を持ってキャリフール・センターにやって来た。
何事かと思ったら、
「八岳さんのデジタル・カメラでこの作品の写真を撮ってみて頂けませんか? その写真を僕のコンピューターで綺麗に開けたら、僕も一台買いますから・・・・」
「いいですよ。 お安い御用です!・・・・でも、いけねえ! カメラの電池がなかったんだ! 30 分くらい充電すれば、何とかなると思うけど・・・・・」
「30 分? いいです・・・・待ってますよ!」
「よし。じゃあ、やってみましょう。すぐ、充電の準備をしますから・・・・」と言うわけで、充電の準備を始めたら、数人の女性がキャリフール・センターに入ってきて、展示物を見学し始めた。でも、女性達って、数人集まると、どうして少女みたいになっちゃうんだろう?
「これでよし・・・・・と」
充電の用意をし、充電開始のイエロー・ランプが点いたのを確認したところで、僕はもう一度池端さんに声を掛けた。
「ねえ、ねえ、ねえ、池端さんさあ! 待っている間に、僕の自動車を診て頂けませんか?」
「いいですよ。・・・・ついでに、エア・フィルターの取り換えもやっちゃいますか・・・」
・・・・・池端さんの知識は素晴らしい。
エンジン・ルームを開けると、5 分程でフィルターを交換してしまった。
しかし、不思議な事に、その途中で「二人が首を捻って考え込むような事」が一つありました。
・・・・・と、言うのは、池端さんがエア・クリーナーの中から取出した真っ黒に汚れたフィルターと僕が昨日買ってきた、真新しいエア・クリーナーの大きさを比較したところ、直径の寸法はピッタリ同じだが、昨日買ってきた新品のフィルターの厚さが古いフィルターの厚さの倍近くあるのである。
「八岳さん、これ間違ったフィルター買ってきたんじゃないの?」と、池端さん。
「いや、部品屋さんは、キチンと調べて、これを呉れた筈ですよ。だって、一生懸命調べていたもの。これが間違った部品だなんてチョット考えられないなあ!」
「でも、ほら、見て下さいよ。ほら、こんなに違う」
「ありゃ?本当だ・・・・おかしいな。じゃあ、駄目かな」
「でも、ちょっと、ちょっと・・・・もしかすると、入っちゃうかも知れないよ。・・・こうやって、と。 あれ、キチンと入っちゃったよ」
「あれ、本当だ。・・・・ってえ事は、どういう事なんだろう?」
「と言うことは、今まで入っていた部品が間違った部品だったって事ですよ」
「あ、そうか! だから、いままでエンジンの調子がよくなかったんだ!!」・・・・と、言うわけで、エア・フィルターの取り換えも無事終了。その後、10 分ほど、試乗をしてみたが、エンンジンの調子のいいこと!・・・・やはり、前のフィルターは池端さんのいうとうり、間違った部品だったのかも知れない。
さて、試乗を終わり、事務所に戻ってみると、デジタルカメラの電池もかなり充電出来たので、さっそく、池端さん本人と、彼の作品を撮ることにした。
・・・・まず、大きな花瓶の作品を撮り、続いて、池端さん本人の写真を撮っていると、先刻、ホールに入って来た、5 人の女性客の一人が、冗談半分に
「私達も撮ってくれないかしら・・・?」と言った。
「いいですよ。お撮りしましょう」と、僕が言うと、池端さんも
「一緒にとりませんか? これ、デジタル・カメラですから、すぐ画が見られますよ」と付け加えた。
・・・・すると、この女性達の賑やかな会話が、一度にパッと花開いた。
「これデジタル・カメラなんですって・・・・」
「普通のカメラと何処が違うの?」
「フィルムの代わりに、ディスクを使うのよ?」
「そうそう、よくコンピュータの写真に使うカメラでしょ・・・・」
「ホームページにもよく使うカメラよ」
「僕も、自分のホームページに、このカメラをよく使いますよ」と、僕が付け足すと
「あら、ご自分のホームページお持ちなんですか?」
「ええ、持ってます。そこの机の上にあるのが、僕のコンピュータです」
「あら、ホームページなんて面白いじゃない」
「写真を撮って、ホームページにのせましょうか?」
「あら、ほんと?」
「いいですよ。今夜にでも載せましょうか?」
「そしたら、横浜に帰ったら、すぐ見られるわよ」
「ちょっと待って下さい。今夜は無理か・・・・4, 5 日したら載せますよ」
「あら素敵、じゃあ皆で撮って頂きましょうか・・・・・」
「本当に、いいの?」
「いいですよ。一緒に撮りましょうよ」と、池端さん。
「さあ、並んで、並んで・・・・・いいですか?」と、僕。
「これで、いいかしら?」
「あ、ちょっと待って。そう、もう少し寄って呉れない?・・・そうそう」
「これで、いいかしら?」
「オッケー、オッケー。いいですか?」と、いうわけで一枚。
「あら、もう撮っちゃったの?」
「そうですよ。でも、念のために、もう一枚撮っておきましょう」と、いう訳でもう一枚。
さて・・・・写真を撮ると、すぐに見たくなるのが人情である。
「この写真がすぐに見られるんですか?」
「勿論です。じゃあ、すぐにお見せしましょ」
と言う訳で、デジタル・カメラから取出したフロッピー・ディスクをパソコンに入れ、キーボードをカチャカチャとやったら今とったばかりの彼女達の写真が、モニター上に現われた。
「あら、もう見られるんだわ・・・・!」
「どれどれ・・・・あら、本当!」
「これって、紙に焼けるんですか?」
「プリンタがあれば紙に焼けるけど・・・・今は、プリンタが無いから駄目です」
「あら、残念だわ」
「でも、ホームページには、載せていただけるんでしょう?」
「勿論です」
「きっとよ・・・・」(こうなると、もう言ってる内容は、小ちゃな女の子が言ってるのと同じレベルである・・・・!!)
「ええ、きっとです」
「じゃあ、うちのパソコンで見てみます・・・」
「分かりました」
「四、五日じゅうにっておっしゃってたわよね」
「ええ、遅くても一週間以内に載せます(このひと言を言っておいてヨカッタ!!)」
「横浜の美女五人組ってタイトルがいいわ!」
「じゃあ、Yokohama five beauties・・・・としましょう」
「きっとね」
「はい、僕はきっと載せますから、見たらメールを下さい。僕のメールアドレスは表紙ページの一番下の方に書いてありますから・・・・!」
「メール出します・・・」
「きっとだよ!」
「きっと、出します」
・・・・と、このとき一人の女性が
「それでは、皆さん、宜しいですか? では、行きますよ・・・・」と言ったので、美女のお嬢様達は、車に乗り込んで次の目的地に向かって行きました。ホールの窓から見ていたら、その車のナンバーは
「横浜●●●さ98-9●」
と、なっていました・・・・
夜、メールボックスを覗いたら、メールが 2 通届いていた。
2 通とも、とても素敵なメールなので、発信者本人の許可なく、読者に披露することにいたしましょう。
●一通は懐かしい有里(ユリは僕よりも 4cm も背が高い)からのメール
(・・・・文中「つまり、現在妊婦生活6ヶ月目なのです。きゃ〜〜〜!!」
は有里マルダシの文章である)
こんにちは、有里です。
ご無沙汰しておりますが、松原湖と中野での日々をいかがお過ごしですか?
先日は(といっても数ヶ月前でしたね・・)、会社へいらした際に渉外のへ寄って頂いたのに休んでいて大変失礼しました。実は実は、ご報告があるのですが・・・・、なんと、この私!?が12月25日に母となることになりました。
つまり、現在妊婦生活6ヶ月目なのです。きゃ〜〜〜!!八岳さんが会社へいらした時は、丁度風邪をひいてしまい、薬が飲めないために1週間近く休んでいた時だったのです。その前にも、5月の連休明け後に妊娠がわかった直後にすごい風邪をひき、高熱と咳に悩まされ2週間弱お休みしたことがありました。
が、それ以降はすこぶる順調で、いわゆる悪阻もほとんど経験せず普段と変わらずモリモリバクバク食べられるし、動けるし・・・という感じで今に至って います。(自他ともに(行動が)妊婦らしくない・・・と認めている感じ)お腹の方は、最近少しずつ出てきた感じで、服装によってわかったりわからなかったりかなぁ・・・。最近、ピクピクと赤ちゃんが動くのを初めて実感した ばかりで、何だか不思議な感じです。
会社の方は、色々考えた結果、ひとまず辞めずに出産休暇と育児休暇を取って1年くらいお休みすることにしました。
(中略)
というわけで、10月中旬くらいから来年いっぱいまで会社生活とは暫しお別れです。1989年9月に入社して以来、丸9年、そのうち八岳さんと一緒にお仕事したのは丸5年、渉外へ異動してから4年経ち、来年以降は子供を育てていく生活に大きく変化することになりそうです。何だか八岳さんから大丈夫かな・・などと言われてしまいそうですが)
っと、ここまで私の近況を一気に書いてしまいましたが、八岳さんは、ホームページの日記によると、色々忙しく、楽しくお過ごしのようですね。
また、お会いしてお話したいですね。
今日はひとまずこの辺で・・・。
●2 通目は去る 8 月 24 日(月)の夜、中野駅南口近くの喫茶店「しぇすて」で
お話をしたマリからのメールである。
(文中、「えっちゃん」の事を「飲んだくれ」なんて書いているけど、この文章を読むかぎり、マリも僕と同様に「えっちゃん」が好きな事がよく分かります。だから、このメールも皆様に披露することにしました)
こんにちは,みやさん約束通り書きました。そちらはどうですか?まだまだ東京は、暑いです。
......ということで、私が誰だかわかりましたか?
’みっちゃん’の娘です。日記を読んでいて、間違いに気が付きました。
’しぇすて’は、ひらがなで、’シェステ’ではありません。
(えっちゃんにかわって書きました。...笑)ノ−ムは、森の妖精だと小さい頃聞いた事がありました。北欧には、沢山妖精がいます。かくいうム−ミンも北欧の人が、似ていると言って村を作ったのなら、やっぱりノ−ムは、いますね。
’もののけ姫’見ましたか?まだなら、ぜひご覧になって下さい。
飲んだくれ’えっちゃん’の友達まりより
●今夜は、とても疲れたので、二人への返事は、時間のある時にでもかくことにしよう・・・・・いつになるかわからないけど・・・・
1998-08-31(月) 雨 ヒュッテ
午後 8 時過ぎ、電話が鳴った。
「はい、八岳ですが・・・・・」受話器に向かって言うと
「八岳さん、こんばんワア!!」聞こえてきたのは、雅美の声。
・・・・雅美も、桂花と同じ英語学校の同級生である。もっと分かりやすく言うと、雅美と桂花と僕は、クラスメートという事になる。・・・・と言っても、僕は雅美と桂花より倍以上も年上なのであるが・・・・・!!
「あれー、雅美かあ! 久し振り、元気だった?」
「ええ、元気だったでーす。八岳さんは?」
「僕? 相変わらず、ガチャガチャやってるよ。所でなあに、今日は?」
「エート、今度みんなでお伺いする件なんですけどオ・・・・たまたま、その時期に仙台から遊びに来る姉に、’八岳さんて言う人の別荘に遊びに行くの’と言ったら、’一緒に行きたい’って言うの。行ってもいいですか?」
「えっ、ホント?・・・・雅美のお姉さんだったら、絶対いいよ。3 日でも、4 日でも、一生でもいい・・・・・」
「ハハハハ・・・・・有り難うごさいます。姉も喜ぶと思います。エート、それから・・・・」
一度、話し始めると、雅美も僕も話したいことが山ほどある。仕事の事、家族の事、友達の事、趣味の事、人生の在り方、人間関係の在り方・・・・等々。
30 分近く話したあと、
「じゃあね、来週は皆さんと気を付けていらっしゃい・・・・」
「楽しみにしてまーす」
と言う言葉で、長電話は終わったが、受話器を置いたあと僕は沁み沁みと思った・・・・僕は何て幸せなんだろう!
雅美にしても、桂花にしても・・・・倍以上の年齢の僕を敬遠することなく、対等に話してくれるし、同じクラスのクラスメートの本間兄も、雅美と桂花をとても大切にしつつ、僕とも何の隔たりもなくつきあってくれる。有里(ゆり)は有里で、今になっても「昔の有里マル出し」の「キャー」なんて言うファックスを呉れるし、最近JR 中野駅近くの喫茶店「しぇすて」で話すようになったマリも、人懐こいファックスを呉れた。
これが幸せでなくて何んであろう??
最近、本当にこう沁み沁みと思うようになって来ている。
そして、よく分からないけど
そして、余り確信を持って言うことも出来ないけど
「人生を豊かにするのは、素直で健康な好奇心である」
・・・・・と・・・・・沁み沁みと思う。