1998 年 6 月の高原日記

    

    
1998-06-01(月) 快晴  自宅

「ねえ、ねえ、もう少こーし上よ。そう、そこの枝に真黄色の実があるのよ。パパの所からはみえない?? 私の所からはよく見えるんだけどもな・・・・」
今日は、我家の初夏の行事のアンズの実の取り入れである。

18 年ほど前、中野の自宅を建てた時、記念にと思って植えた小指の太さほどの幼木も、今では幹の直径が 30cm の大きな木になっている。

小一時間ほどの間、僕と家内はワイワイ騒ぎながら、アンズの実を取っていたが、先刻から我々が大騒ぎをしているのを離れた橋の所から(我家は桃園川という川の暗渠のすぐ隣にある)眺めていた青年が、ツカツカと僕のそばにやって来て僕に声を掛けた。
「さっきから見てるんですけど、何んの実を取っているんですか?」
「あ、これ? これはアンズですよ・・・・」
「そうですか・・・・いいですねえ! 東京の真ん中でこんなことが出来るなんて・・・・」
「うん、こいつ真黄色に熟れてくると、甘くて美味しいんだよね。どうです・・・・一つ上げましょうか?」
「ええ、ぜひ一つ下さい」
「おーい、ママ、この方に一番黄色いやつを一つ上げてよ・・・・!!」
塀の中にいた家内に声を掛けると、アンズの入ったザルを持った家内が外に出てきて、
「いいわよ。どれがいいかなあ?・・・・あ、これ、これがいいわ! ハイ、どーぞ!」
などと言って、その青年に家内がアンズの実を渡している。
その姿が、小さな子供にお菓子を与えているお姉さんのようで、とても微笑ましい。

ひとわたり、アンズ取りが済んだ時、僕は今年はまだアンズの木から、シジュウカラの巣箱を外してないのを、思い出した。我家のアンズの木にかけた巣箱からは、毎年必ずと言っていいほど 3, 4 羽のシジュウカラの雛が巣立っていく。・・・・たしか、今年の雛はもう巣立ったと家内が言ってたっけ!!

「ねえ、今年のシジュウカラの雛はもう巣立ったって、あなた言ってたよねえ??」と家内に念を押すと
「うん、先週、親鳥が若鳥を 3 羽連れてアンズの木に遊びに来てたわ」
「ヨーシ、それじゃあ、巣箱を外して消毒しておこう・・・」
梯子(はしご)を掛けてアンズの木にのぼり、幹から巣箱を外して、下に降りようとしたが、巣箱を持っていると、何となく不自由である。そこで、梯子の近くにあるアジサイの枝に巣箱を引っ掛けようとしたところ、アジサイの枝が撓(しな)って、巣箱は庭の柔らかい土の上に、もんどり打って落っこちてしまった。
「まあ、いいさ。どうせ巣箱には、何も入っていないのだから・・・・・」
そんなことを考えながら、梯子を下りて巣箱を拾い上げ、ドライバーで巣箱の屋根の木ねじを外し、屋根を外して巣箱の中を覗いたとたん、僕は大声で家内を呼んだ・・・・・
「ママ、大変だ。早く来て!!」
僕の声に、家内が裏から飛んできた。
「どうしたの? 大きな声で・・・・」
「巣箱の中に、シジュウカラの赤ちゃんがいる!!」
「えっ、本当?・・・・どれどれ・・・・あら、本当!! あら、目がとっても可愛いいじゃない・・・」
怖々(こわごわ)と巣箱の中を覗き込んだ家内は、巣箱の中にちょこなんと坐っている雛のつぶらな瞳に見とれている。まったく、オヤオヤである。
「ねえ、ねえ、ねえってば・・・・今、そんな事をしている場合じゃないんだよ!!」と僕。
「あら、そうよね。大変、大変!! 巣箱をもとに戻してあげて・・・・ お母さんが心配しているわ、ほら・・・・」
なるほど、気が付くと、親鳥が突然に巣箱がなくなった幹の周りを飛び回りながら、盛んにギャーギャーと鳴きわめいている。
それは、「大変だ、大変だ。我家とうちの子が、突然どこかに行っちゃった」とでも、言っているようである。

僕は、再度、梯子にあがると、巣箱をもとあった場所にそっと戻してやった。

こんな事があったせいか、今日のお昼御飯は、火の消えたような静かなゴハンでした。
「ねえ、シジュウカラの赤ちゃん大丈夫かなあ?」と僕。
「そうよねえ、とても心配だわ・・・・」と家内。
「でも、もう起こっちゃったことだから、仕様がないよ。僕はこんや長野に帰っちゃうけど、あとは、よく見ててやってよね・・・」
「いいわよ。・・・・でもねえ、可哀相よねえ・・・・」家内はなかなか諦(あきら)めきれないらしい。

昼食後、和室の縁側に行って、巣箱を見ると、親鳥が巣箱の近くの枝にとまり巣箱の入り口に向かって、盛んにピーピーと鳴いていた。・・・・それは、
「大丈夫だったかい? 怪我はなかったかい? 元気かい?」とでも訊(き)いているような感じだった。

    ******************************

午後 1 時。
僕は愛車のエンジンキーを捻り、40 分後には幌をオープンにして関越を軽快に走っていた。
「ハハハハ・・・・素敵なドライブ日和だ!!」僕は、太陽の光を全身に浴びながら、独り言を言った。
・・・・と、この時である。 突然、グオーッと轟音をたてて、大型トラックが僕の右側をすれすれに追い抜いて行ったが、その風圧でほんの少しではあるが、ハンドルが取られるような気がした。
「何んだって意地悪するんだよー」
僕は、こう叫ぶとアクセルを一杯に踏み込んだ。
ギューン!!
愛車のエンジンは、小気味よく回転数を上げ、1 分後には、そのトラックを追い抜き返し、3 分後にはバックミラーに写るトラックの姿は豆粒みたいに小さくなっていた。
「ハハハハハ・・・・・・」
燦々と輝く太陽のもと、僕は大声で笑った。

ふだんの僕は高速道路でオートレースをすることは滅多にない。
・・・・・もし、僕の心理状態にいつもと違ったものがあったとすれば、それは今日の午前中シジュウカラの親子を悲しませてしまった事だったかも知れない。

「ハハハハハ・・・・・・」
意地悪トラックを抜き返し、大声で笑ったあと、メーターを見ると 150km 以上のスピードが出ているのに気が付き、
「いけねえっ!!」と叫ぶと、僕は静かにしかも確実にブレーキを踏んだ。 急ブレーキをかけると、車がスピンするかも知れないからだ。
話しは代わるが・・・・あとで考えると、もう、この時には、シジュウカラの事はすっかりと忘れてしまっていたようだ。
ブレーキを踏んだ丁度このとき、車は川越の IC に近づいていたので、僕はスピードを下げ、車線を左に変更して本線から分れて料金所に向かう迂回路に出た。
すると、その数秒後に、先刻のトラックが轟音をたてて、本線上を気狂いのように新潟方面に走り去って行った。

ところで、今日は、以前からの E-mail のやりとりの行き掛かりで、Hello Academy のクラスメートの Kei と久方振りに会う事になっていた日である。
・・・・僕は電話で聞いていた通りに、Kei の家の近くのスーパーストアのパーキングに車を入れると、彼女に電話を入れた。

「今、着いたけど、ここで待ってればいいの?」
「うん、そこで待ってて。2, 3 分で行くから・・・・」
・・・・スーパーに面した国道 16 号線をひっきりなしに走る自動車を眺めていると、ほどなく Kei が現れた。
「こんにちは!」
明るい声に振り向くと、大柄な Kei がにこやかに立っていた。袖無しの涼しげなブラウスに細身のジーンズのズボンがとてもよく似合う。・・・・とてもキュートだ。
「こんにちは!・・・・Kei、その服、とてもよく似合うよ」
「そうかな・・・・でも有り難う・・・・」
とすこし含羞み(はにかみ)ながら言うと、Kei は僕の車のそばに寄って来た。
「知らなかった。八岳さんの車、コンバーチブルなんだあ・・・・!」
「うん、言わなかったっけ??・・・・エート・・・・じゃあ、そっち側から乗ってよ」

と言って彼女をうながし、僕が先に左側の運転席に座ると、Kei が長い足を持て余し気味に右側の助手席に入ってきた。思わず吹き出したくなるような仕草である。
「ねえ、座席をウシロにさげたら・・・・長い足が可哀相だよ!」
「大丈夫。・・・・それよりも、コンバーチブルって分ってたら、自分のサングラス持ってくるんだったなあ・・・・」と、ちょっと残念そう。
「じゃあ、僕のやつを使えばいいよ。そこに入っているから・・・・」
・・・・エンジンのキーを捻りながら、そう言うと、Kei は僕のサングラスを手に取り
「エート、これかな? うわあ、これ「垂れメガネ」だ。パンダになっちゃうよ」
「どらどら、ちょっとこっち向いてみな。うん、とても似合う。・・・・でも、随分でっけえパンダだな・・・・・」
「ハハハハハ・・・・・・」Kei の笑い方は健康的だ。
「ところで、どっちに行くの?」
「右よ、右に行って・・・・」

Kei の案内で、新緑のストリートを 10 分ほど走った後、僕達はシックで素敵な喫茶店に着いた。駐車場に車を止め、電動カヴァーのスイッチを入れると、15 秒ほどで屋根ができる。
「うわあ格好いい。パークする時は、屋根をするんだ・・・・」
「うん、じゃないと不用心でしょ! それに、雨だっていつ降るか分らないし・・・・」
「そうよね」

感じのいいガラス・ドアを押して店の中に入ると、白いワイシャツに黒の蝶ネクタイ、黒ズボンのボーイさんが
「いらっしゃいませ」と言って礼儀正しくお辞儀をした。
天井が高い店内には、ベートーヴェンのヘ長調のロマンスが鳴っていた。なんだか、往時の音楽喫茶に来たような感じがして、とても懐かしい感じがした。

僕達は、と言うよりは僕が、素敵なテラスと外の景色がよく見える、分厚いガラス壁の脇の、丸いテーブルの席を選んだ。
僕は、喫茶店に入ると、必ず外の景色がよく見える席を選ぶ癖がある。
何故だか分らないけど、その方が落ち着くし、とても爽やかな感じがするからだ。

席に座ると、Kei はクリームの沢山入ったコーヒーとチーズケーキを、僕はブルマン・コーヒーとショートケーキを注文し、僕達はお喋りに夢中になった。

僕よりも 6cm も背が高く、指の先までノビノビと育ったような Kei は、長い脚を持て余し気味に、ユックリと落ち着いた声で、時折り男の子のような言葉使いを混ぜて、素朴で素直に話しをする。健康で、爽やかで、ちょっとボーイッシュで、物ごとに拘(こだわ)らない性格のせいだろうか、Kei と話していると、心の世界がどんどんと拡がって行くような気がする。

小さな事なんかにかまけることなく、ジーンズの上下に身を包み、ヒッチ・ハイクをしながら、何処かの大陸を横断してしまうような、健康とおおらかさと心の広さ・・・・・そう言ったものを僕は Kei から感じる。

そして、彼女と話しをしていた 2 時間ほどの間に、「この人は何て健康的な人なんだろう!!」と何回も思ったほどである。

時間が経つのは早い。
気が付いて時計を見ると、もう 5 時近くである。
「あ、もう帰らなくっちゃ・・・・ご免なさい。僕、これから長野に帰るもんだから・・・」
「私の方こそご免なさい。長いこと時間を取らしてしまって・・・・」

喫茶店を出ると、僕は車をオープンにし、夏のような陽射しの中を Kei の家まで彼女を送って行ったが、喫茶店の駐車場を出る直前、車の前の歩道を歩いていた数人の男達の一人が、車の中に座っている僕と Kei を見て、僕に声を掛けた。
「涼しそうで、いいねえ・・・!!」
「うん、ありがとう」
僕がそう言うと、再度、チラと Kei の方を見たその男性は、とても穏(おだ)やかな目付きで、僕の目を覗き込むようにして、車の前を歩いて行った。
(いいな! 僕もああいった挨拶が出来るようになりたいな・・・・!!)
・・・・僕はフト、そう思っていた。

Kei の家に向かう途中、たまたま話題が英語の話しになったとき、僕は Kei に言った。
「もう、僕はガイド試験は受けないよ」
「どうして?」
「だって、学校で勉強して、一発で試験に通って、皆に・・・どうだ!!・・・と言って格好のいいところを見せたかった、と言うのが本音なんだ。だけど、その試験に失敗しちゃったもんだから、もう受ける理由がなくなっちゃったんだよね・・・・」
「あーあ、不純な動機だ・・・・」
「そうだ、確かにそうだよね・・・」
「ハハハハ・・・・・・」
「ハハハハ・・・・・・」
二人は、声を揃えて笑った。

Kei の家の前で、彼女を降ろすと僕達はサヨナラを言い、僕は車のアクセルを踏んだ。
・・・・50 メートルほど走ってから、バックミラーを見ると、 Kei はまだ道の真ん中に立って、こちらの方を見ていた。
幸い、車はオープンになっていた。
僕が、バックミラーの Kei を見つめながら、後方の彼女に手を振ると、バックミラーの中の Kei も僕に手を振り返した。
そして、曲がり角のところでハンドルを右に切ったら、バックミラーの中の景色も右に流れて Kei の姿も、見えなくなってしまった。



・・・・・・・・・・・・・


真夜中。
僕は、今日のスケジュールを全て消化し、また関越を西に向かって走っていた。
・・・・今夜中にヒュッテに帰り、明日は 10 時からまた仕事である。

僕は夜遅くなってから、関越を走るのが好きである。
特に、川越えから東松山にかけて、道の両側の橙色の夜間照明が緩やかなカーヴを描いて立っている中を、スピードを出して走るのがとても気持ちいい。

フィーン
金属的な音をたてて走る愛車のエンジンの軽快な響き。
体にぴったりとフィットするヨーロッパ車に特有な椅子の固さ。
110km/h 前後のスピードで走る日本車で屡々感じられる、あの不愉快な共振点が無いこと。
ゴルフ・カブリオレのうち、93 年以前のモデルでしか見られない「四ツ目」のフロント・スタイル。
130km/h 前後のスピードで走るとき、絶好調で最高の走りっぷりを見せる小気味よさ。
・・・・・・こんな事が理由で、僕は、現在乗っている左ハンドル/メタリック・グリーンのこの車が大好きである。

   コツコツとアスファルトに刻む
     足音を踏み締めるたびに
   俺は俺であり続けたい・・・そう願った
     ・・・・・・・・

スピーカーから流れてくる「とんぼ」を口ずさみながら、びんびんと素っ飛ばせる気持ち良さ!
高速道路の前にも後にも、車が一台もいない爽やかさ・・・・!!
・・・・・車の中で思わず・・・・・「イーヤッホー!!」と叫んでしまったほどである。

上里の IC で一休みし、藤岡の分岐点から上信越道に入り、下仁田で高速を降りると、あとは 254 号線の山道に差し掛る。

  ノロノロ車が居ません様に・・・・

峠道に差掛ると、こう心の中で念じながらクニャクニャ道を登っていく。
なにしろ、この峠道は七曲がりのカーヴが多い上に、センターラインも黄色の追い越し禁止車線になっているので、遅い車が前にいると、なかなか前に進めないのだ・・・
・・・・しかし、最初のうちこそは、調子良かったこの道も、下仁田峠の半分くらいの所で、とうとうノロノロ・トラックに前を阻(はば)まれてしまったのである。
「仕方ないさ、ユックリ行きましょう・・・」
こう言った所で、無理な追い越しをするのは、余り好きではありません。
テープを CD に変えて、ミルヴァのスペイン語の歌を聴きながらトンネルをいくつも抜けていくと、いつの間にか後から追い付いてきた大型トラックが、僕の車のすぐ後 2 , 3 メートルの所にピッタリと付きだしたのである。

僕は、この「人に脅しを掛けるような」マナーが大嫌いである。
暫くの間、そのまま走っていると、長い真っ直ぐなトンネルの中で、突然、後ろの悪ガキ・トラックが黄色のセンターラインを無視して、僕の車と僕の前のノロノロ・トラックを、轟音をたてて追い抜いて行ったのである。
「まあいいさ。お先にどうぞ・・・・」
と心の中で言ってノロノロ・ドライブを楽しんでいたが、そのあと、暫くしてから、やっとチャンスがめぐってきて、僕はやっとこさで前のノロノロ車を追い越すことが出来ました。・・・・まったく、ヤレヤレである。

でも、前に車がいなくなれば、もうこっちのもである。
「あーらよッ!」
と、スピードを上げて暫く走ると、おやまあ・・・・先刻の悪ガキ・トラックが前を走っているのに追い付いてしまったではありませんか。
「いやだな・・・・」
と思いつつも、カーナビで見ると、最高点の下仁田峠まであと 2km 弱。
確か、この辺に登坂車線があったはずである。
「そこで追い抜けばいいさ・・・・」
「でも、気を付けろ! あの登坂車線は短いから、意地悪をしようと思えばできるから・・・・」
等々と考えているうちに、おやおや・・・・いつの間にか、車はその登坂車線に差掛っていたのである。

「気を付けろ! 事故だけは絶対におこすなっ!」
ギアーをセカンドに落し、件(くだん)の悪ガキ・トラックが登坂車線に入ったのを見て、ユックリと僕はアクセルを一杯に踏み込んだ。それと同時に、峠道のずっと先までをざっと見て、反対車線に対向車が一台も居ないことを確認しておく。

でも、どうだろう!!
僕が追い越し体制に入ると同時に、この悪ガキ・トラックも猛然とスピードを上げ、追い越されまいとするではないか!!
・・・・しかも、この登坂車線は 10 秒ほどで終わってしまう短い登坂車線なのだ・・・・。
そして、道はかなりの急坂ときている。
この短い登坂車線が終わるころ、彼我二台の車の鼻はほぼ一直線に並ぶくらいになっていたが、驚いたことに、このトラックは更にエンジンを噴かして、左手の登坂車線から僕の車の前に出ようとするのである。でも、ここで追い抜いておかないと、また、いろいろな嫌がらせをするかも知れない。

「そんなら、いいよ」
僕は、先刻、反対車線に対向車がいないことを確認しておいたことを思いだして、ハンドルを右に切って対抗車線に飛び出し、一気にこのトラックを追い抜いてしまった。そして、バックミラーで後ろを見ると、このトラックはエンジンを気狂いのように噴かして、後を追って来るのである。

僕も大人気ないけど、このトラックも随分と意地悪である。

こんな時、僕は
「ああ、日本人てイヤだな!!」
と、どうしても思っていまう。そして、自分も日本人であることを思いだして、
「ツスススス・・・・」と苦笑してしまう。
・・・・こんな時、あの伸びやかな桂花だったら、どう思うのだろう??

車は、いつの間にか下仁田峠のトンネルを抜けていた。
例の悪ガキ・トラックのヘッドライトも豆粒のように小さくなってしまった。

ホッとして、いつの間にかシルヴィ・バルタンの歌に代わっていた CD を止めて、僕はカーステレオをテープに切り替えてみた。

   ああ、幸せのトンボよ何処へ
       お前は何処へ飛んで行く
   ああ、幸せのトンボが、ほら
       ・・・・・・・・・・・・

突然、スピーカーから流れてきた歌に合わせて、僕も大声で歌を歌った。

そして、ずっとずっと昔の 30才台の頃、この歌のリズムによく似たリズムに合わせて、仲間達と、夜遅くまで、タバコの煙とウイスキーの匂いと人いきれでムンムンとした新宿のディスコで、踊り狂っていた当時のことを、ふと思い出した。

S 君がいる。H 君もいる。ボインの Yuka もいるし、もっとボインの Eri もいる。
「えっ、でも、どうしてここに Kei が居るの・・・・?」
昔の仲間達の間から、急に現れた Kei の姿に驚いて、僕はテープを止めてしまった。

午前 2 時。
車は佐久平に向かって、コスモス街道をずんずんと下って行く。
山や、森や、家のシルエットが、どんどんと後方に飛んでいく。
目につく限り、この街道を走っている車は、僕の車が一台だけである。
静かな黒々とした夜。
快調なエンジンの音。
僕は、ふと思った・・・・・・
・・・・・今日の午後会った桂花は今頃なにをしているのだろう??
こう思った瞬間、僕は自動車の中で、大声で叫んでいた。

「 Kei 、あなたって健康で、何んていいヤツなんだ!!・・・・又、今度、会おうよねっ!!」

力一杯、こう叫んだら、今日の午後 Kei に会ってから、何となくモヤモヤしていたものが、一度にスッキリとしてしまった。

「ハハハハ・・・・・・今夜はよく眠れるよ、こりゃあ・・・!!」
僕は、車の中で大声で笑った。
そして、助手席側の右窓のガラスを一杯に下げた。
夜気と草の匂いを含んだ空気が、火照(ほて)った頬に気持ちいい。

突然、前方の左カーヴの陰から、上向き照射にしたヘッドライトが現れたと思ったら、ブーンと物凄い音をたてて、背の低い高速車が対抗車線を走り去り、アッという間に赤いテールランプが豆粒のように小さくなってしまった。

独特のエンジンの音からすると、あれは多分ポルシェではなかったかと思う。

午後11時。
川越、佐久、臼田等々、色々な所を回って、ヒュッテ着。
・・・・シートベルトを外し、自動車の外に出ると、標高 1,300m のヒュッテの空気は、冷んやりと心地よい。

静かな夜。

空には、満天の星。

・・・・シジュウカラの親子はどうしているだろうか・・・・????

    

1998-06-10(水) 曇のち雨  ヒュッテ

起床 7:30。
久方振りのヒュッテでの休日。

カーテンを開けると、庭一面がひどい霧。
ゆっくりと朝食を作り、霧と緑に包まれてしっとりとした静かな食事を楽しむ。

食事中、ベランダをぼんやり見ていると、昨夜来の雨で、ベランダのペンキがふやけていることに気が付き、朝食後はペンキ落しをすることにする。・・・・そこでワイヤーブラシを持ってきて、力まかせにゴシゴシやってみたが、中々、ペンキガハガレナイ。暫くやってみたが飽きが来て、Give up !
・・・・やむなく、今はがしたばかりのペンキのゴミをホースの水で洗い流し始めると、ベランダに吹き付ける水圧の高い水で、古いペンキがよく剥がれることを偶然に発見。 今度はこれが面白くなって、1 時間ほどをかけてベランダの 5 分の 1 の古ペンキ剥がしを終了。 夢中になりながらも、ヤレヤレと一息をつく。

午後は、杉尾の部落の近くの、雑草が一面に生えた休耕田に生えている綺麗な花を掘りにいった。・・・・この花は、ホタルブクロの花の半分位の大きさの、鮮やかなピンク色をした釣鐘形の花が、スズランのように可愛く並んだ、とても素敵な花である。丁度、人に踏まれて花茎が無残に折れた小さな株があったので、小さなスコップで掘り起こしてきた。

その帰り道、去る 5 月 28 日、昭ちゃんと二人で蝶の幼虫の引っ越しをして来た、蝶のコロニー 2 ケ所を 2 週間振りに訪ねることにした。行ってみると、僕達が小さな幼虫をたけてやった食草の株のひとつに、蛹になる直前の大きな終令幼虫が 1 頭だけたかっているのを見て、ホッとしてヒュッテに帰ってきた。この幼虫以外の幼虫は、もうとうの昔に蛹になってしまったのだろう!

帰宅後の残りの時間は、庭いじりをしたり、夕食を作ったり、乾いた洗濯物を畳んでしまったり、メールをかいたりして、ユッタリとしたひとときを過ごした。

夕食は、まだ明るいうちに作り、ガラス戸越しに見慣れた景色ではあるが、鮮やかな緑をながめながら清々(すがすが)しい食事をする。・・・・東京には素晴らしい家族がおり、東京にも小海にも素敵な友人・知人が沢山いる僕は本当に幸せな男だと思う。

夜、分厚い植物図鑑を調べたが、今日掘り起こして来た植物の名前はとうとう分からなかった。
  この草花の名は、その後、ジキタリスだという事がわかりました。(2001-05-17 記)

23:30 就寝。 本当に健康な一日でした!!

    
     

1998-06-13(土)  曇    ヒュッテ

09:30高原美術館に寄って、富谷さんから名演奏家辞典を借りて観光案内所に向かう。

最近、事務所では、SPレコード・コレクションのデータ・インプットと外国産蝶類のリスト作成に追われて、結構忙しい。

午前中は、きのう湿潤器に入れておいた、今年の春つかまえたミヤマカラスアゲハの標本の作成をする。・・・・まず、湿潤器に入れておいた蝶の標本に熱湯を注射して、翅がある程度開くようにし、 4 号の虫ピンを垂直に刺し、小さな木台の上に寝かせて筋肉を破壊し、展翅板(てんしばん)の上で翅(はね)を拡げて整形をし、テープで抑えてピンで止める。久方振りの標本作りに、思わず少年の昔にタイムスリップしたような錯覚に襲われる。「楽しい!!」の一言である。

3 頭目の雄の標本は、黒地にメタリック・グリーンの色がキラキラと輝き、「エッ!」と驚くほどの見事で美しい標本・・・・余りの美しさに暫くは、我を忘れて見入ったほど。もしかすると、これは異常形かも・・・・と思ったくらいである。

昼食後は、外国産の標本のうち、フィリピン産と台湾産の蝶類のリスト作りを進める。
一頭、一頭(蝶仲間の間では、蝶は一匹、二匹・・・・・・と数えるのではなく、一頭、二頭・・・・と数える習わしになっている)の標本の名前を図鑑で調べて、リストを作って行く作業。 楽しいことは楽しいが、長く続けていると、とても眠くなる。
静かな事務所で少し(??)居眠りをしてしまうこともあるが、居眠りをしても、勿論、文句を言う人は誰もいない。

*******************

午後 3 時。
僕はいつものように、誰も居ない案内所のホールで大声を上げて歌を歌い出した。

      お菓子の好きなパリ娘
         二人揃えばいそいそと
      角(かど)の菓子屋へ・・・・・・・・・・

ここまで歌うと、机の上の 500 円玉を握り、歌の続きを歌いながら外に飛び出す。
行き先は、角(かど)のムッちゃんの店。買い物はソフト・クリームである。

僕はアイスクリームが大好きである。
夏でも、冬でも、大好きである。
特に、冬の空気が乾燥して、咽喉がカラカラに乾くころ、暖炉ストーブに赤々と火を燃やし、ストーブの前に腰掛けて食べるアイスクリームは最高である。

店に入ってソフトクリームを注文すると、ムッちゃんは、今日もソフトクリームを買いに来た僕に、釣り銭とソフトを渡しながら言った。
「八岳さんは、うちのソフトクリームのいいお客さんよ・・・・」
「だって、ムッちゃんちのソフト美味しいから・・・・」
「皆もそう言うわ・・・・」
「・・・・でも、こんな雨の日にも、買いに来る人は、余り居ないかもね・・・・」
「そうねえ。ここらへんの人は余り居ないわねえ・・・・でも、都会の人は皆アイスクリームが好きみたいね・・・・!!」
「えっ、都会の人???」
ムッちゃんが、僕を都会の人と定義付けているらしいのを知って、僕は驚いてこう聞き返した。
と言うのは、僕はとうの昔に自分を都会人だとは、考えなくなっていたからである。
「うん。八岳さんのほかにも、うちの前を通ると、いつもアイスを買っていく東京の人がいるわ」
「へーえ、そう??」
「そうよ」
「そうかあ、・・・・都会人ねえ、僕がねえ・・・・こりゃあオドロイタ・・・・」
と前置きして、僕はムッちゃんに言った。
「・・・・・じゃあ、また来るからね!!」
そう言って、外に出ると、外は先刻より、少し本降りになっていた。

雨の中を、傘も差さずに、ソフトクリームを食べながら僕は先刻の歌の続きを小さな声で歌った。

      傘も差さずにムシャムシャと
         食べて街行くパリ娘・・・・・

そこで、ふと気が付いて、大声で笑った。
「・・・・ずいぶん汚ったねえパリ娘だなあ!!ハハハハ・・・・・」
すると、偶然にすれ違った民宿のおばあちゃんが、驚いた顔をして、ポカンと口を開けているのに気が付いて、僕はまたもう一度笑った。
「ハハハハハ・・・・・・・」

    

     
1998-06-14(日)  曇  終日霧  ヒュッテ

午後 9 時過ぎ、電話がなった。
受話器を取ると、小郷ちゃんの声がした。
「今まで美術館で仕事をしていたんだけど、これからハイビジョンでサッカーのアルゼンチン戦を見ようと思うんです。・・・・もし、よかったら来ませんか?」
「ハイビジョンって、あの大画面の??」
「ええ」
「行く、行く、20 分したら行くよ」
こう答えると、洗いかけの食器を大急ぎで片付け、外に飛び出すと、いつも林道の中を走っている小型の四駆のエンジンをかけ、雨と霧の中を美術館に向かった。霧雨を照らす二条のヘッドライトの光が、遠くの樹木を淡く照らし出す。いつもそうだが、霧の木立の中を走ると、何となくしんみりした気持ちになる。

美術館のハイビジョン室に入ると、小郷ちゃんとトミーがいた。
「今晩は」
「今晩は・・・・・」
勝手知ったる悪ガキ三人組のことだ。簡単な挨拶を済ませると
「さあ、見よう、見よう」と思い思いの場所に陣取って、間もなく始まったワールドカップの試合に夢中になる。
なにしろ、135 インチの大画面だ・・・・迫力のあること天下一品である。
「そうだ、そこだ。 やれッ!!」
「気を付けろ、後ろに回ってきたぞ・・・・」
「そこだ、シュートだっ!! あーあ、だめかあ」
「やばいっ。気を付けろ。チックショー、やられちゃったよ・・」
「やれえ、そこだ! シュートだっ! ウオーッ! 惜しいなあ・・・・」
こうなると、中年の三人組も小学生か、中学生のガキと一緒である。

前半 45 分が終わったところで、15 分の休憩。
「みんな、どうする。このあとは」と小郷ちゃん。
僕は、トミーの両肩に手を置いて、小郷ちゃんに
「この人は、これから遠くまで帰らなくちゃいけないから、解散かな・・・・」
と言うと
O「八岳さんは・・・・??」と聞くので
M「僕?? 僕はアイスクリームが食べたい!!」
T「いいなあ、アイスクリームかあ。僕もたべたいな・・・」
O「じゃあ、決り、決り。行こう、行こう。僕も食べたいから」と小郷ちゃん。
M「よし、行こう、行こう! ところで、アイスクリーム何処で売ってるの? だって、こんな時間だぜ」と僕。
O「セブン・イレブンにありますよ」
M「えーっ、冗談じゃねえよう。買ってから家に帰ったら 15 キロになっちゃうよ・・・」
T「じゃあ、このまま家に帰っても、後悔しない? 行けばよかったって・・・」
M「後悔する。決り、決り。じゃあ、行こう、行こう!!」
・・・・そこで、悪ガキ三人、自動車三台をつらねて、7 キロ先のコンビニへ・・・

セブンイレブンに着き、僕がアイスクリームを抱えてレジに行くと、小郷ちゃんが僕をみてゲラゲラ笑いだし
O「えーっ、そんなに食べるのお??」
M「どうして? これが、これからたべるやつ。こいつが夜中に食べるやつ。それから、これは明日食べるやつ・・・・それから、こいつが・・・・」と言って
トミーの方を見ると、彼もアイスクリームを沢山抱えている。
M「ねえ、ねえ、ねえ、ねえ、僕は近いからいいけど、あなたはこれから遠い所まで帰るんでしょう。 途中で、みんな溶けちゃうよ・・・・・」
T「いやあ、大丈夫ですよ」トミーは澄ましたものである。彼もアイスクリームが好きらしい。
本当に、小学生のガキンチョのように可笑しな悪ガキ三人組である。

「じゃあ、サイナラ」
「さようなら・・・又ね・・・」
「お休みなさい」
三人三様の挨拶をして、アイスクリームを抱えて、それぞれの方角へと散って行った。
・・・・トミーは 60km 先の丸子町に、小郷ちゃんは千曲川の向こう側へ、そして僕は今来た道を逆戻りして、高原の上に・・・・

もちろん、このあと僕は、ヒュッテに戻ってから、アイスクリームをなめなめ、サッカーの試合を最後まで見たのは言うまでもない。

そして更にそのあと、メールを見たり、書いたりしているうちに時間が経ち、ベッドに入ったのは午前 2 時半でした。

  

    
1998-06-21(日) 晴  自宅

午後、息子と二人でゼロホールの「中野おんがくかんしょうかい」に出掛けた。・・・・この「中野おんがくかんしょうかい」はクラシック音楽を生演奏で聞くことを目的とした知的障害者へのチャリティコンサートである。過去 17 回の寄贈額は841 万円に上る。

この音楽会の・・・・
第一部は中野区職員コーラスによる合唱。
   シューベルト:ます
   シベリウス :希望の歌
   スメタナ  :河の歌 etc. etc.

第二部は志村泉によるピアノソロ
   ベートーヴェン:エリーゼのために
           ピアノ・ソナタ「悲愴」全楽章
   ドビュッシー :「月の光」
   林 光    :「とぅっくいぐゎ」etc.

第三部は歌とピアノとマリンバ
   日本民謡   :そーらん節
           八木節
   ビゼー組曲「カルメン」より
           アラゴネーズ
           町の少年の合唱 etc.

第一部の合唱曲は全て知っている歌だったのには驚いた。とくに、シベリウスの「希望の歌」が讃美歌でよく教会で歌っている歌だったのが印象深かった。

第二部の「悲愴」は圧巻だった。久方ぶりに聞いた「月の光り」も美しかった。「とぅっくいぐゎ」は初めて聞いた変奏曲だったが、面白い曲だった。

第三部は一番気楽に聞けた朗らかな演奏だった。特に、佐藤優子のマリンバの演奏が素晴らしく、
「なんだ!! マリンバって、こんなに歌える楽器じゃないか!!」
と思った次第である。
今まで、何回か、マリンバの演奏を聴いたことがあり、その度に面白いと思いはしたものの、「マリンバは打楽器!!」と言う印象しかもてなかったが、今日の佐藤優子のマリンバは
「えっ、これヴァイオリンか胡弓じゃん!!」
と思ったほど素晴らしかった。・・・・それと同時に、ピアノ、歌と合わせたときのリズムのよさ・・・三つの楽器(僕にとっては、声も素晴らしい楽器である)の支えあいがとても面白かった。もしかすると、この三つの楽器の組み合わせのために、マリンバがあんなに光ったのかも知れない。

途中の20分間の休憩時間に、ロビーに下りるとピアニスト志村泉のCDと著書「ピアノの不思議」が売られているのが、目についた。・・・・余り買う気もなく「ピアノの不思議」を手にとってパラパラとページをめくって拾い読みをしてみると、とても面白い。
「・・・・・・ん??」と思って、前の方に戻ってページを開くと、次の文章が目に飛び込んできた。

「・・・・・・小学校三年生の時、このピアノでモーッツァルトのソナタを弾いている録音があるのですが、聴いてみると、ギョッとするほど私自身の音でびっくりします。楽器は古いアップライト、録音はもちろん旧式、弾き手もまったく無心に弾いているのに、まぎれもない「私の音」がしているのです。学生時代はもちろん、仕事を始めてからも、自分の音色をほんとは好きなのに、どこかで否定してしまっていた私は、最近このテープを聴いて、善くも悪しくも私が持って生まれた音だ、だいじにしようと思うようになりました」

この文章を目にしたとき、ワッと目頭が熱くなり、鼻の中がツーンとしてしまって、目を伏せて慌てて代金を払い、もう一度、ロビーの片隅に行って、今の個所を読み直してみた。

やはり素晴らしい!! ほんとに素晴らしい!!

・・・・と言うのは・・・・
もし、この個所を・・・・・
「学生時代はもちろん、仕事を始めてからも、自分自身がほんとは好きなのに、・・・・こんな自分は嫌だ・・・・と、どこかで否定してしまっていた私は、最近、小さい時からの自分の人生を沁み沁みと振り返れるようになって、これは、善くも悪しくも私が持って生まれた自分自身なのだ、だいじにしようと思うようになりました」
と、書き直したら、これこそ、
「人前で、自分自身をよく見せようとするのは止めにしよう!!・・・・だって・・・・そんな事をしていたら、疲れて疲れてしょうがねえ!!」
と言う、今の僕の心境そのものだからなのである。

しばらくして、涙が収まるのを待って、再び、販売コーナーに行き、
「ねえ、これってサイン貰えないの??・・・・どうしても、サインして貰いたいんだけどな・・・・!!」と言うと、そこに居あわせた先刻の合唱の女性メンバーの一人が、
「あら、それだったら、私、行って頼んでみてみますわ・・・・」と、明るい声で言ったあと、もう一度、
「行って、頼んでみますから、ここから動かないで下さいね!!」と、僕に念を押して人込みの中に消えて行きました。

10分くらいすると、彼女が戻ってきて、
「今、大急ぎで着替えて頂いて、来ていただきました・・・・」と、言ってまぎれもない、先刻、ベートーヴェンの「悲愴」を弾いたピアニストを僕に紹介をしてくれたではありませんか。

僕は彼女に言った。
「この本、いまパラパラめくってみたら、とても面白かったので買っちゃいました。もし、よかったらサインをして下さい」
「はい、汚い字ですけど・・・・・」
爽やかにそう言うと、彼女は巻頭のピアノを弾いている、自分の写真のしたに「志村 泉」と綺麗な字でサインをし、「1998. 6. 21」と今日の日付を入れてくれました。

志村さんと 1、2 分話したら、チャイムが鳴ったので、彼女の方に握手の手を出し(以前、何かのエチケットの本に、握手の手は男性から出してはイケナイ・・・と書いてあったが、この際そんな事は言ってられない!!)
「楽しかったです。どうも有り難う・・・」と言うと
「こちらこそ、どうも・・・・」と言って、握手をしてくれました。(イヤッホー!!)
・・・・手が壊れない程度に、ギュッと握ると、(えっ、これが、あのベートヴェンのソナタを弾いた手なの??)と思ったほど、僕の手に比べると、小さく可愛らしい手でした。

・・・そして、自分の席に戻ろうとして、後ろを向くと、客席で僕の前の座席に座っていた母娘連れの二人が志村さんのCDを買っているのが、目に入ったので、
「ハハハハ・・・・・・サイン貰っちゃった」と言うと、娘さんが
「あ、いいな・・・・・私も!!」と言って、志村さんの前に、CDを持って並ぶと、たちまち、数人の列が出来てしまいました。
ハハハハハハ・・・・・・・

帰途、息子に
「今日の音楽会、何が一番面白かった??」と訊くと、意に反して
「ベートーヴェンの悲愴」と答えたのには、こっちがビックリ・・・・・
・・・・・そういえば、奴(やっこ)さん、僕のCDで「カルメン」をよく聴いていたけど、「悲愴」もよく聴いていたっけ・・・・と、ひとりしずかにCDを聴いていたコッチロの姿をふと思い出した。

僕自身は、志村泉のピアノをとても素敵だったと思うが、面白さの点から言うと、今まで聴いたことのないような佐藤優子のマリンバが一番面白かったけど・・・・・・

     

    
1998-06-23(火)  曇ときどき雨  自宅

午前中、高円寺の河北病院の診療センターで胃カメラの検査。

検査終了後、検査をしたお医者さんより
「空気を胃に入れたけれど、胃がよく膨らまなかった」と、聞かされた
・・・・以前の検査でも、「胃がよく膨らまない」と言われたことがあったが、
(それって、どういう事なの?)と思って訊いてみると
胃が膨らまないと言うことは、胃壁が固くなっている(これって、癌のこと??)を意味すると聞かされ、少し心配になる。
でも、そんな事を今から心配しても仕様がない。
検査の結果がわかるのは、1, 2 週間後とのことである。
とにかく、あとは結果を聞いてからの話しである。

午後、新宿のヨドバシカメラにパソコンソフト「すぐれ筆 '98」を買いに行く。
帰途、京王デパートの近くで、定年まで勤めていた会社の OB の姿を遠くの方に見付け、
「あっ、そうか・・・・ 僕は、定年退職以来、会社に遊びに行っていなかったっけ?」と、昔の職場の事を急におもいだし、定年後二年目にして、初めてS社に遊びに行った。

昔の職場に入ってみると、
「あーっ、八岳さん、久し振りーっ・・・・・とっても、元気そう!!」
懐かしい昔の仲間達の声がアチコチから掛かって来た。

優しい庶務の小島ちゃん、前の上司で素晴らしく美しい英語を話すハンサムなイタリア人のアルドー、判断力が的確で優秀な部長の原ちゃん、その他、弾じけるように明るくて素敵なママの山口さん、もうこれこそ「バッチシ」の滝沢君、左腕利きのイラストレーターのカッシー、Excel 5.0をこよなく愛している小笠原さん、グラマーで可愛らしいチーちゃん、とにかくもの静かな美女の橋本さん、五分の一ほどドイツ人で底抜け明るい OL 課長の西部ちゃん、自動車マニアの部長の森さん・・・・・etc. etc.
こう言った、懐かしい人達と話していると、本当に時間が経つのを忘れてしまう。

・・・・・そして、
もう一つの最近できたばかりの新しいビルのロビーでは、男性の中でも大好きだった韓国人の Geneと会った。 それから、アメリカで教育を受け、ハッキリと物を言うけど、とてもサッパリとした fine lady のミカ・・・・・このミカと会ったときは、とても懐かしくて、思わず ハグしまったほど・・・・!!

Gene とミカと三人で話していると、会話はいつの間にか英語になってしまう。
・・・・・夢中になって話していると、窓の外が少しづつ暗くなって来たのに気が付いた。
"By the way, what time is it now ?" と訊くとミカは時計を見て、
"Six thirty."
"Oh, that late ? I must be going home now. .........O.K. Let's see sometime in the future again."
"Yes, please visit us anytime when you come back to Tokyo."
"Yes, I will. Bye !"
"Yatake-san, bye bye"

ミカと分れると、僕は大急ぎで大崎駅へと向かった。

懐かしい昔の仲間達・・・・
今日も本当に素敵な一日だった!!!!!

   
     

1998-06-27(土) 晴 暑し  自宅

本当に、久方ぶりにゼロホールのスペイン語のクラスに顔を出す。
もともとスペイン語の音が大好きな僕だったが、改めて聞き直してみると、やはり僕にとっては、スペイン語の音は英語・フランス語・ロシア語の音と比べると圧倒的に美しい。
・・・・まさに、
   Yo creo que la pronunciacion de la lengua espan~ola es muy bonita. である。

1 時間目の授業が終わったところで、帰ろうとするとこのスペイン語のクラスの発起人である La sen~ora Honda に声を掛けられた。
「2時間目も出席されませんか・・・・・?」
「エーッ、僕があ・・・・?!。 2時間目は上級のクラスでしょう。僕の実力じゃあ、周りに迷惑を掛けちゃうから・・・・」
「大丈夫ですよ。八岳さんだったら、十分付いていけますよ・・・・今、教科書のコピーを撮って来ますから・・・・」
・・・・美しく素敵な笑顔で彼女に言われると、思わずクラクラとする。

Keika もそうだけど、この本田さんも、とても素直に僕の目を覗き込む。
僕は、こう言った女性に物凄く弱い・・・・!!!!!

「本当は、とても出たいんです。でも、今日はこのあとスケジュールが入っているものですから・・・・」と言うと、本田さんはハッとして
「あら、それじゃあ仕方ありませんわ・・・・じゃあ、今度また都合のつく時にでもお出掛け下さい」
「勿論です。だって、本田さんがとても素敵だから・・・・」と言うと、
「・・・・・・・・・」
少し含羞ん(はにかん)でニッと笑った。
その笑い方が、小さな女の子みたいだ。
とても、あどけなく可愛いらしい。

・・・・とにかく、素敵な彼女である。

  

1998-06-30 (火)  晴   自宅

今日は、松原湖に帰る日だ。

朝から、家の前を掃いて、ゴミを出して、歯医者さんに行って、コンピューターのメールを覗いて・・・・やらなくちゃいけない事が沢山ある。

中でも、気に掛かっていたのが、シジュウカラの巣箱の取り外しである。
6月1日の日記にもある、シジュウカラの雛を仰天させてしまった、あの巣箱である。
・・・・僕は、アンズの木から巣箱を取り外し、祈りながら、巣箱の屋根を外した。

「無事に巣立っていますように!!」
こう心の中で祈りつつ、巣箱の中を覗くと
・・・・ジャーン!!
可愛らしく、丸く編んだ巣の中は空っぽではありませんか・・・・・
「ママ、ママ、ママ・・・・」僕はすぐに大声で家内を呼んだ。
「なあに? どうしたの?」家内は、驚いてすぐに飛んできた。
「ねえ、ねえ・・・・・シジュウカラの雛は無事に巣立ったらしいよ。巣の中が空っぽだもん」
「あー、よかった。そう言えば、あの次の日、親鳥が若鳥を一羽連れて、アンズの木にいたわよ」
・・・・・責任を感じていたらしい家内の喜び方は、とても明るかった。

僕も、とても嬉しくなり、切れなくなっていた台所の包丁を、ピカピカに研いでから、松原湖に帰って来た。

中野発・・・・22 : 30
松原湖着・・・26 : 30 (これって、7月1日の午前4 時半ってことです)

   

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