1998 年 5 月の高原日記

     


1998-05-02(土)  晴のち曇  自宅

昨夕、受付の手伝いが終ってからに自宅に帰宅。

東京に向かう車の中で、僕は鼻歌交じりでハンドルを握っていた。
春が来た。春が来た。どこに来たあ。
春が来て何が嬉しいって言ったって、ヒュッテを留守にする時、水落しをしなくってもいいって言う事くらい嬉しいことはない。

春が来ると・・・・・・・・
「やれ、水道の蛇口だ」
「それ、洗面台のトラップだ」
「ほれ、風呂場のシャワーの金具だ」
・・・・などと水周りの凍結に神経質になる必要は全く無くなってしまう。
荷物を自動車に積んで、玄関のドアーに鍵をかけ、
「アラヨッ!!」
と自動車のエンジンを掛けて走りだせば、もうそれで全てオッケーである。正直言って、こんなに嬉しいことはない・・・・!!

今朝は、中野の自宅でその春の到来に「タイヤ交換」の最後の仕上げをかけることにする。
ジャッキで車体を持ち上げて、冬のあいだ履かしていたスタッドレス・タイヤをスタンダードに換える作業である。・・・・始めてから1 時間、汗ビッショリになって、やっと本格的な春がやって来ました。

いよいよ春。
スタンダード・タイヤを履いた愛車ゴルフ・カブリオレの滑らかな動き!!
思っただけでも、「イヤッホー!!」と叫びたくなります。

20:00
練馬の料金所に電話を入れて訊いてみると、今日の渋滞は解消したとのこと。
「ソレイケッ!!」
掛け声と共に荷物をゴルフ・カブリオに放り込むと、昨夜遅く東京に帰って来たばかりなのに、もう家族 3 人で松原湖にマッシグラ!!

環七も、関越も、上信越自動車道も、国道 254号線も、141号線も、スーベテ・ガーラガラのガーラーガラ!! 全くゆとりのドライブでした。 ただ一つ、残念だったのは上里のサービスエリアでソフトクリームが我々のすぐ前のお客さんで売り切れたことでした。

    

     
1998-05-03 (日) 快晴  ヒュッテ

KKR 2人(家内と長男のこと)がヒュッテに来たのは正月以来のことである。

KR(長男のこと)は嬉しくて朝から散歩に、AKK(家内と僕のこと)は庭木の手入れに余念が無い。
・・・・暫くすると家内が言った。
「今夜はお肉にするけど、何処かにクレソンがあるって言ってたわよね!!」
「うん、あるある・・・・取りに行く?」
「うん、一緒に行って呉れるんだったら、クレソン欲しいんだけどな!!」
「じゃあ、一丁出掛けるとするか・・・・」
「いいの?? 素敵・・・・!!」
・・・・と言うわけで、AKKR 3人(家内と僕と長男のこと)で大月川の向こうの部落の方に出掛ける。

現地に着いて 20分もしないうちに、新鮮なクレソンをドッサリとり、キレイなヤマブキの花もイッパイ採り、AKKR 3人は意気揚々と車の幌を開けて田舎道を帰ってきた。
・・・・と、ある農家の前を通り掛かると、日当たりのよい縁側で話しをしている 2人のオバアチャンの姿が目に入った。すると、その中の一人が急に大きな声で
「あれえ、寄ってきなよ。お茶あ入れるから・・・・」と、僕に声を掛けた。
「アレー、やす子さんじゃないか!! オッドロイタナ、コリャア!!」と僕。
・・・・やす子さんは、つい 2、3 日前にキャリフール・センターの写真展で初めて会った人である。

一瞬、どうしようかと考えたが、今日は家内と長男の 2人の連れがいる。
「有難いけどねえ・・・・今、家内と子供が一緒なもんだから・・・」と言って断ると。
「何言ってるだあ。そんじゃあ、皆んなで上がっていきゃあいいだに」
「じゃあ、ちょっと待って。相談するから」と言ってから KK に
「どうする?」と家内に訊くと
「楽しそうなオバアチャン。お邪魔じゃなけりゃチョットお話ししましょうよ」
・・・・と言うわけで、AKKR は突然 3 匹のオジャマムシに変身。遠慮無く座敷に上がり込むことになりました。

「あら、これエンレイソウじゃない!!」
座敷に上がったとたん、部屋の片隅のテーブルの上の鉢植えの植物を見て、家内はオドロキの声を上げた。
「これ? そう、エンレイソウよ。 よくご存知ですね・・・」
「ええ、以前からこんな野草がお庭にあったら素敵だなって思ってたもんですから・・・・」
「野の草がお好きなんですか?」
「ええ、とっても!!」
「それじゃあ、お茶を飲んだら庭を案内しましょうかい?」
「ええ、お願いします・・・・・」
・・・・てな訳で、美味しい粕漬けとお茶を戴いた後、やす子さんは家内と僕に日当たりのよい庭を見せて呉れることになりました。

ところが驚いたことに、庭の綺麗な草花を見て、家内が
「まあ、素敵!!」とか
「あら、とっても綺麗・・・・!!」とか言うたびに
やす子さんは
「それじゃあ、ひと株もって行きなさるがいいだ・・・・」
と言って、移植ゴテで可愛らしい株を掘り起こしては、ビニールの袋に入れて呉れるのでした。
「うわあ、こんなに戴いちゃって宜しいんですか?」
・・・・家内は、アマドコロ、リンドウ、サクラソウなどの入ったビニール袋を何回か自動車に運びながら、子供のようにハシャイデいた。

ところで、話しは突然に変わるが、やす子さんはとても面白いオバアチャンである。
皆で、コタツに足を突っ込んで、お茶を飲んでいるときのことです。やす子さんは、長押(なげし)の上の神棚の脇に置いてある大谷石の猫の置物を指さして
「この猫の置物には、面白い話があるだよね」と言って、こんな話しをしてくれました。

・・・・何年か前のことです。
ある日の午後、やす子さんが日当たりの良いこの縁側で休んでいると、一人の骨董屋さんが庭先からフラリと入って来て、気軽にやす子さんに話しかけ、世間話をしているうちに、この骨董屋さんが、この大谷石の置物に大変興味を持ったそうな・・・・・
・・・・そして・・・・
「あの猫の置物を譲って呉れないかな?」という話しになったとか・・・・。
そこで・・・・
「いや、あれは我家の家宝だから、売れないよ!!」と、やす子さんが言うと、その骨董屋さんは
「オバアチャンが気に入ったで、高く買うから、ぜひ売ってくんろ」という話しになったそうな。
「いや、あれは我家の家宝だから、どうしても売れない」と言うと
「なぜ、あれがオバアチャンちの家宝なんだ?」
と、この骨董屋さんが食い下がって来たと。
「・・・・だから、あたしは言ってやったの・・・・」
・・・・やす子さんは半分笑いながら言った。
「ホレ、あの猫の目玉ア見てみな!! あの目玉ア金色しているだろ。あれは普通の目玉じゃないよ!! あれはね、この猫の置物があると、我家ではとても縁起の良いことが続くので、お礼の意味を込めて、わたしンチで純金を埋め込んだだよ。だから、この猫はひと様にはどうしても売れないよ!!・・・・って」
「そしたら、どした? その骨董屋さんは?」と、僕が聞くと
「そしたら、もう何回も何回も、売ってくれ・売ってくれって来たわよ」
と言ったあと、急に可笑しさを堪(こら)えながら、やす子さんは言った。
「でも、あの目玉ア本当は純金なんかじゃなく、普通の金紙(きんがミ)をマールク切って目ン玉の所にペタリと貼っただけのものなのよ」
「ワハハハハハハ・・・・」
「ワハハハハハハ・・・・」
「ワハハハハハハ・・・・」
われわれ 3 人は、子供のように大きな声で笑ってしまいました。

家内はイッペンにやす子さんが好きになってしまったようです。

     

     

1998-05-04(月) 快晴  ヒュッテ

今日は記念すべき日である。
・・・・と言うのは、僕の長年の夢であった小海町の蝶の愛好家の会が誕生したからである。
この町に始めてきてから 20 年。折りに触れて、色々な人に声を掛けたりして、やっとここまで辿り着いたのである。

全体の会員数は 7 名。
その内、第一回総会(会場は橋本や旅館の二階。11:00 開会)に出席したのは 5 人。
定刻より 30 分遅れて始まった懇談会は、自己紹介に始まり、話題は「集めた情報をどこまで公開するか」・「個体数が激減している種の保存をどうするか」・「国定公園内の採集規制について」等々へと、色々な分野に飛び、予定の 1 時間を大幅に越え、午後 3 時になって、やっと解散。何も用意していなかった初回としては、まあまあの出来だったような気がする。
次回は 8 月のお盆の頃の予定。
会の名前の命名、会則の青写真、会長の選出、等々の案件が提出された。

夕方。
AKKR 3 人でヒュッテの周りを散歩した。
普段はとても静かで、殆ど人影の無いこの別荘地も、ここ二三日は疎ら(まばら)ながらも人影が見受けられ、所々の家々にはポツリポツリと明かりがともり、どこか遠くの方では子供達の声がしていた。
・・・・この賑やか(????)さ!! さすがゴールデンウイークである。

   

   

1998-05-05(火) 快晴  ヒュッテ

上田の植木屋さんからハナイカダの幼木が届いた。
「うわあハナイカダだ!!」KK は大喜びである。

ハナイカダは不思議な潅木である。
花は葉っぱの真ん中に咲き、青い実も葉っぱの真ん中になる。

もう 15 年ほど前のこと、富士山麓は忍野村の近くを AKKR 3 人でハイキングした折り、偶然道端に植わっていたハナイカダの傍を通りかかり、その奇妙な姿にとてもビックリしたのが、この潅木である。

その時、3 人の先頭を歩いていた僕が、この奇妙な木を見付けて家内の方を振り返った。
「ねえ、ねえ、ねえ、早く来て、見てごらんよ。こんなに変な木がある」
・・・・僕の声に、急ぎ足でやって来た家内は、緑色の葉っぱの真ん中に青い色のキレイな実がなっているこの植物を見ると驚きの声を上げた。
「あら素敵!! ハナイカダだ・・・・!!」

「エッ、この植物を知っているの???」
「うん、ほら、見てみて・・・・ 緑色の葉っぱのイカダの真ん中に青い実の船頭さんが乗っているでしょう・・・・!!」
「なるほど、ウメエ名前を付けたもんだね・・・・」僕は、その印象的な植物とその名前をイッペンに覚えてしまったのである。

あれから 15 年。
僕達は、長いこと探し求めていたこのハナイカダが、やっと手に入ったのである。
僕達はとても嬉しかった。

早速、移植ゴテとスコップを持ってきて、「あそこでもない」「ここでもない」と大騒ぎをしたあと、やっとのことで、このとても小さな二本の幼木は玄関脇の白樺林の中と、庭先の隣家との境の小川の土手に収まることになりました。

メデタシ、メデタシ!!

夕方。
ベランダの手摺りに両肘を載せ、開いた手のひらに顎(あご)をのせて、遠くの雲をボンヤリと眺めていたら、そっと家内がやって来て、
「静かになっちゃったわね・・・・・・!!」と、小さな声で言った。
「うん」
「・・・・・・・・・・・・」
そのあと、二人は何も言わなかった。

ゴールデンウイークが終わったあとの松原湖高原。
昨日までの賑やかさ(?)にくらべると、今日は淋しいくらいに静かだ。
余りの静けさに、耳の奥が「ポワーン」と鳴っているような気さえする。

新緑に包まれたヒュッテの庭。
ずっと、ずっと、ずっと向こうの落葉松の梢の上のサフラン色の雲・・・・
あたりに匂う新鮮な草いきれ・・・・
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
何も言わないで、同じ雲を見ている家内・・・・

・・・・彼女が黙っているのが、とても有難かった。

そんな家内をとても可愛いと思った。

そして、そんな家内をとても愛していると思った。

      

      

1998-05-08(金) 雨  ヒュッテ

KKR 2 人が東京に帰る日。
「じゃあ、僕は案内所に出掛けるけど、雨の中の運転、気をつけて帰ってね!!」
「うん、パパも元気でね・・・・・」
・・・・こんな言葉を交わして、僕はキャリフールセンターに出掛けた。

夕方。
帰宅したら、美味しい晩ご飯が作ってあった。

夕食後。
二階の窓際の机の上にパソコンを載せて、この日記を打っている。
・・・・パソコンの左側の10 ワット のクリヤー電球がキーボードを淡く照らし、顔を上げるとガラス戸に自分の顔が微かに写っていた。
何気なく窓ガラスを開けたら、自分の顔が消えて、暗闇の中に樹々のシルエットが黒々と佇み、微かな雲が家内のいる東京の方に流れていくのが見えた。

静かな夜。
午前 0 時 10 分。
家内は今頃何をしているだろうか?

      

      

1998-05-10(日) 晴  ヒュッテ

昨日と今日は、松原の諏方神社の御柱(おんばしら)祭で、松原の部落は大賑わいである。
ラッパ隊のラッパの音が、チテチテター、トタテテタテターと鳴ると
「ワアーーー!!」と、勢子の掛け声があたりの森に響き渡る。

僕は、案内所の手伝いをしているので、遠くの神社の森の方を窓から覗いたり、玄関まで出て行ってそこから眺めたりしているだけであったが、あまり、楽しそうなので、15 分ほど受付を失敬し、デジタルカメラを持っていって、御柱の現場に行き、写真を 2, 3 枚とってきました。それが、下の写真です。

        

        

1998-05-14(木)  曇ときどき晴  ヒュッテ

最近、町に寄贈した蝶の標本の整理に追われている。
お陰様で、ホームページの更新はなかなか捗(はか)が行かない。
・・・・ま、仕様がないか!

玄関前のレンゲツツジの蕾が、かなり膨らんだのに、今日の寒さで、またツボミが縮こまっちゃったみたい。

    

     
1998-05-20(水) 快晴  ヒュッテ

今夕、 S 市の Yoneko さんが、物凄い量のポテトサラダと色々なご馳走を持って我家に陣中見舞いに来てくれました。
「ウワア、すっげえ!! どうも有り難う・・・・」大好物のポテトサラダを前にして、僕は歓声をあげた。・・・・しかも、美味しい食パンとレタスとハムとブロッコリーも持ってきてくれたので、素敵なサンドイッチが直ぐに食べられるのだ!!
しかも、その外にも素敵なご馳走が食卓の上に並べられているではないか。

腹ペコの僕は、大急ぎでムニャ、ムニャ、ムニャと「主の祈り」(僕はクリスチャンです)を唱えると、
「イタダキマー・・・・・・」と最後の「・・・ス!!」を発音する暇もあらばこそ、ポテトサラダがいっぱい入ったサンドイッチにガブリとかぶりついた。
「美味い!!」
素晴らしいポテトサラダの味に、僕は思わず大きな声で叫んだ・・・・・・!!

僕が夢中でサンドイッチや色々なご馳走を頬張るのを見て、クスリと笑うと Yoneko さんは
「私も一緒に晩ご飯を食べようかな・・・・」
と言って、竹を編んで作った容器からオニギリを出すと、
「私ってね、和食の方が好きなの・・・・」
と言って、テーブルをはさんで僕の前で静かに食べ始めた。・・・・なんとなく、電話で聞くいつものお喋りな彼女とは違った雰囲気である。
「あのさア・・・・あなたの家の前の川で、ホタルが出て来るのはいつ頃なの?」
と、前から訊きたいと思っていたホタルの質問をすると、
「え? あ、ホタル? 6 月の後半から 7 月にかけてかな・・・・物凄くキレイよ、とにかく!」
あとは、いつもの彼女に戻って、彼女は一瀉千里(いっしゃせんり)に自分の家がある集落の話しをしてくれた。

Yoneko さんと僕は、顔を合わせるのは今日が 2 回目である。もともとは、ある知人を介して電話で話すようになったのであるが、3 週間ほど前に初めて会うまでに、僕達はもう既に 7, 8 時間近くも電話で話しをしていたのである。・・・・だから、初めて会った時も、ずっと前からお互いに知っていたような気がして、最初から色々な話題に話しが飛び、話題がたまたま食べ物の話しになった時、僕が
「盛り蕎麦(そば)と茹(ゆ)でたジャガイモが大好き・・・・」と言うと
「じゃあ、ポテトサラダは?」と訊かれ
「すっげえ好き!!」と言うと
「じゃあ、こんどポテトサラダのサンドイッチ作って持っていって上げる・・・・」と言う訳で今日の陣中見舞いに相成った次第である。

それからの 3 時間ほど。
僕達は色々な話題に花を咲かせて、子供のように笑ったり、哲学者のように深刻な顔をしたりしていたが、
・・・・突然、ハッと気が付いたように腕時計を眺めた Yoneko さんは
「あら、大変、9 時 10 分の列車で帰らなくっちゃ・・・・」と言って席を立った。
「あ、ほんとだ! じゃあ、駅まで送って行くよ。 でも、まだ大丈夫。時間は十分にあるから・・・・」と言ったその時である。

ベランダに面したガラス戸の外側で、何かハンカチのような白いものがパタパタと動いているのが目にとまった。
「あれ、何んだろう?」
よく見ると、それは大型の蛾(が)のようである。
「あ、もしかすると・・・・」
と、更によく見ると、翅(はね)の白い色は淡い水色を帯びているではないか。もう、まぎれもない・・・・
「凄い、オオミズアオだ!!」

僕は、とても嬉しかった。
と言うのは、僕は長い間、ヒュッテのベランダにオオミズアオが飛んでくるのを、心待ちにしていたからである。
数年前、ヒュッテのすぐ前の外灯の所で、美しい大型の蛾(が)のムラサキシタバを捕まえたことがあったが、その時以来、「ヒュッテにオオミズアオが飛んで来たら、どんなに素敵だろう!!」
と、考えていたのである。

その日が、突然やって来たのである。

・・・・車で Yoneko さんを小海の駅まで送って行く間も、僕はとても嬉しかった。
なにしろ、オオミズアオがヒュッテに飛んで来たのである。

・・・・・・・・・
駅に着くと、 Yoneko さんは、
「どうも、有り難う。今夜はとても楽しかったわ。それに、あなたと話してとても気持ちが休まったわ・・・・・今夜はよく眠れそう」と言ってくれました。
Yoneko さんは、友達の重い病のことで、ここ暫くの間、落ち込んでいたらしいのである。
「僕の方こそ、美味しいご馳走を沢山戴いちゃって、とても嬉しかった・・・・」
「ホント?・・・・じゃあ、また今度なにか作ってあげる」
「有り難う」
「じゃあ、さようなら」
「さようなら、気をつけて帰ってね」

車に乗り、エンジンのキーを捻ると、僕は一目散にヒュッテに向かって走りだした。
「オオミズアオ、オオミズアオ・・・・!!」
ハンドルを握りながら、僕は小さな声で何回となく呟いていた。

・・・・・・・・
僕は、Yoneko さんが初めてヒュッテに訪ねて来て呉れた日に、初めてオオミズアオが我が家に飛んで来たことを、とても印象的だと思った・・・・。

でも、人生って何んて不思議で面白いのだろう!!
だって、つい 2 ケ月前まで、Yoneko さんは全く顔も知らない女性だったのだから・・・・

    

     
1998-05-24(日) 晴  ヒュッテ

暮れなずむ畑の真ん中の急な農道を駆け上がって来ると、僕は一番近くにあった民宿「湖月荘」に飛び込み、電話を借りると旅館「宮本屋」の電話番号を回した。そして、若旦那の声を聞くや否や、僕は大きな声で受話器に叫んだ。
「久紀(ひさのり)さーん、助けてえ!!」
「えっ、どうしたんですか?」
「自動車が、急な坂道の泥濘(ぬかるみ)にはまり込んで、出られなくなっちゃった・・・・」
「何処でですか?」久紀さんの声は落ち着いてはいるが、少し緊張気味だった。
「エートね、・・・・・・・」僕が場所を話すと、
「今ね、刺し身をやってるとこなんですよ。それが、終わったら、すぐに行きますよ・・・・」
時刻は、旅館のお客様のお腹が空き始めた頃である。
「お願いーーー!! それからで結構ですうーーー!!」
受話器を置いて外に出て、庭先にいた湖月荘の奥さんに電話のお礼を言うと、奥さんは僕に言った。
「うんと慌てて、何にしただあ?」
「実はねえ・・・・」と、かいつまんで、自動車の現状を話すと
「それは、大変でねえだかい。うちの四駆で引いてあげましょうか・・・・」
その言葉を聞くや否や、僕は蛙が潰されるような声で叫んだ。
「げえっ、イケネー!!! 車あ、四駆にしてなかったあ!」

大急ぎで現場にとって返すと、僕は車のギアを四駆のローに切り替え、もう一度やってみると、何んの事はない・・・・泥濘からすぐに出られてしまったではないか。

「ウッヒッヒッヒ・・・・」このばつの悪さ!!

・・・・・僕の後から、息子さんに四駆の軽トラを運転させて、心配そうに様子を見に来た湖月荘の奥さんに
「僕の車、四駆なんだけど、四駆に切り替えてなかったんですよ。四駆にしたら、すぐに上がれました。あー恥ずかしい・・・・・」と言うと、奥様
「そら、恥ずかしいわな・・・・」と大笑い。

早速、久紀さんにも電話を入れて事情を話すと
「でも、よかったですな! ワッハッハッハ・・・・」ですって!!

あー、恥ずかしい!!

    

     
1998-05-26(火) 雨  ヒュッテ

お昼前、アルルのモニター会議の日程のことで品(しな)ちゃんに電話を入れた。
品ちゃんは、美味しいことで評判の「高原のパン屋さん」の社長である。

話しの途中で、品ちゃんが言った。
「こないだ、カズエちゃんに会ってさあ・・・・」
「えっ、和枝ちゃんて誰だっけ?」
「八岳さーん!! カセちゃんだよ。加瀬ちゃん! 和枝ちゃんじゃねえよー!! もう・・・」
「あーっ、ご免なさい。だって、カズエちゃんって聞こえたんだものお・・・」
「もう・・・八岳さんは女の名前のことしきゃあ考えないからなあ・・・・」ですって。
「アワワワワ・・・そりゃあ、誤解だよ。誤解・・・」
とは言ったものの、どうして品ちゃんには、僕が大の女性ファンだって分るんだろ????

とても、不思議な気がします!!

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今日は午後から寒くなったので、ずっとストーブを焚(た)きっ放しです。

    

     
1998-05-28(木) 快晴  ヒュッテ

05:00 起床。
昨夜のうちに作っておいた朝食を食べ、受付の手伝いに出掛ける準備を全て整えてから、昭(しょう)ちゃんと示し合わせておいた約束の場所に出掛ける。古い田圃の休耕田を見下ろす現場に着いてみると、昭ちゃんはもう長靴をはいて待っていた。聞いてみると、昭ちゃんは少し前に現場に着いたとのことだった。

蝶の幼虫騒動。
僕と昭ちゃんがこの現場に集まったのは、昨夜の彼からの電話連絡に端を発する。
昨夜の電話によると、
「今朝、釣りに出掛けたところ、昨年さがし当てたた蝶の食草に沢山の毛虫がたかっているのをみつけたんですよ!! それが、本当にお目当ての蝶の幼虫なのかどうか、見て頂けませんか・・・・?」
と言う電話があったのである。

さて、僕も長靴を履き、二人で・・・・・食草が自生している場所に向かい、コロニーの近くを探してみると、食草にたかっていた毛虫はまぎれもなく目指す蝶の幼虫であったが、その数はほんの数匹にしか過ぎなかった。
「おかしいな、きのうはあんなに沢山いたのに、あいつら何処に行っちゃったんだろう??」
昭ちゃんは、盛んにボヤきながら、あちこちと歩き回っていたが、そのうち、地面すれすれに顔を近付けたと思ったら、驚きの大声を上げた。

「アーッ、別の草の葉っぱの裏側に沢山居るけど、みな食草以外の草の葉にたかっている・・・・なんだ、こりゃあ??」

どれどれと、僕も地面すれすれに顔を近付けて、周囲の野草の葉っぱの裏側を見回すと・・・・なるほど、沢山の幼虫達が、食草以外の草にたかっているではないか!!

「昭ちゃん、分ったよ。こいつら自分たちがたかっていた食草の葉っぱを食べ尽くしちゃったので、食草を求めて、他の場所へ移動中なんだよ!!・・・・こりゃあ困ったな・・・・・だって、こいつらが移動した場所の近くには食草がないもん。このままだと、こいつらは全員餓死しちゃうぜ!!・・・・・・・待てよ、そうだ昭ちゃんの麦わら帽子を貸してよ。いいかい・・・・こうして帽子を地面の上に置いて、迷子の幼虫達を帽子の中に集めるんだ。そして、そのあとで、集めた幼虫たちを別の食草にたけてやるんだよ!!・・・・ヨシッ、掛かれっ!!」

という訳で、20 分位の間に二人で集めた幼虫の数は、約 40 匹。

「ヨーシ、今度はこいつらを別の食草にたけてやるんだ・・・・・」
と言って二人で今集めたばかりの幼虫達を、遠くの食草にたけてやったが、どうしても半数の 20匹分の食草しか見当たらず、あと20匹分の食草がどうしても足らない。

「ヨーシ、仕様がねえ!! 今日の夕方、仕事が終わったら、別の場所探しを僕がするよ。それまで、この麦わら帽子を貸しといてよ」
と言うわけで、今日の夕方 2 時間ほどを掛けて、別の食草の自生地を見付け、幼虫達を自然界に返して来ました。・・・・ヒュッテに戻って来たのは、午後の 8 時前。もう、とっぷりと日も暮れて、あたりは真っ暗でした。

と言う訳で、とても忙しかった一日でした。

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