1998-02-02 (月) 晴 ヒュッテ
臼田の佐久総合病院に出掛ける。
受診科は整形外科で、診て貰うのは右肘である。この右肘の事の起こりはこうである。
昨年 11 月。町の公民館で卓球のフォアカットの練習をしていた時、相手がスマッシュした球をカットした瞬間、右肘にチカッと鋭い痛みが走ったのである。「別に大した事はないさ・・・・」と、たかをくくって放って置いたところ、その痛みはだんだんと拡がり、とうとう右腕関節まで痛み出したため、今日こうして臼田まで出掛けてきた次第である。
レントゲンの検査では、別段骨には異常がない由。
結局、テニスエルボウならぬピンポンエルボウと言うことで、一日 6 回塗布の塗り薬の処方を頂いて無事釈放された。帰途は、佐久市まで足を伸ばし、久方ぶりに小林宅を訪問。
積もる話に花が咲いて、爆笑につぐ爆笑に時間はアッという間に過ぎ去ってしまい、その後、おばあちゃんが作って下さった晩御飯を皆で楽しく戴いて、9 時過ぎに帰宅した。ところで、おばあちゃん宅での帰り間際、縁側で靴を履こうとしていたら、おばあちゃんが「これ、美味しいから持って行きな・・・・」と言って、奈良漬けと沢庵とキクラゲの佃煮を持たせて呉れた。
帰宅後、お茶を飲みながらおばあちゃんが持たせてくれた奈良漬けと沢庵を食べたら、その美味しいこと。本当に有難いことだと思う。
1998-02-04(水) 晴 ヒュッテ H = 2 dgs, L = -10 dgs
毎朝の事であるが、朝、目を覚ますと寝室の窓一面にビッシリと氷が張り詰めている。
僕は粘膜が弱くて、乾燥している空気にとても弱い。
だから、寝ている間、寝室で蒸発型の加湿器を使っているが、その蒸気が窓ガラスの冷気と触れ合って、ガラス窓一面の氷となる訳である。この窓ガラスの氷は、きれいに取り去っておかないと、毎日少しづつ氷の厚さが増していき、しまいには、春まで窓を開けることが出来なくなってしまう。
そこで、毎日氷取りをしなくてはいけないのであるが、バケツに熱目のお湯を用意しておき、雑巾を熱いお湯に漬け、よく絞ったあと、その雑巾で窓ガラスを拭くと氷がよく落ちることに気が付いた。
「ヘヘン、どんなもんだい!!」と、少し得意顔である。
・・・・・・・・・・・・
ところで、今日は立春だと言うのに、最低気温はマイナスの10 度である。
とは言っても、ここのところ毎日の最低気温はマイナス 12 度から 13 度であるから、今日の気温は少しは春らしいと言えないこともない。でも、まだまだ春は遠い!!!!
最近では、北国の人々が春を待ち焦がれる気持ちが本当に理解できるようになって来た。
それ程、冬の寒さが厳しいのである。
1998-02-05(木) 晴 ヒュッテ H = 0 dgs, L = -15dgs
午前中、宿泊承諾書を樹音の前の赤いポストに出しに行った帰り道、ワカサギ釣りを猪名湖に見にいったら、途中の凍った道でツルリと滑って尻餅をついた。
氷の上で、ツルリと滑って尻餅をついたのは今冬これで 3 回目である。
過去 2 回の時もそうであるが、尻餅をついた後、暫くの間すこし吐き気がした。
「なぜ滑ったんだろう??」などと考えていたら、3 回とも同じ靴を履いていて尻餅を付いたのを思いだした。「コンチクショーメー!!」
癪に触るので、帰宅後、その靴を下駄箱の一番奥にしまい込んで「バタン!!」と戸を閉めてしまった。・・・・そしたら、何となくスッとした。なーーーんて単純なんでしょっ!!!!!
1998-02-07(金) 晴のち曇 ヒュッテ H = 4 dgs, L = -11 dgs
62 才の誕生日!!
・・・・そして長野オリンピックの開会式の日。朝 5 時 50 分。
いつものように、目覚ましの音で目を醒まし、ベッドから飛び出した瞬間、驚きの声を上げた。
「ウワーッ、暖ったかーい!!」
驚いて、寝室の壁に掛けた寒暖計を見た。・・・・暖かいはずである。室温は摂氏の 4 度もある。いつもだと、起床時の室温は摂氏 0 度か 1 度。寒い日だと、マイナス 1 度かマイナス 2 度である。
大きなアクビをしてから、階下の居間に下りる。
室温 10 度。先月取り付けたすぐれ物のFF暖房機が、夜通しトロトロと弱火を燃やし続け、室温を 10 度に保っていてくれる。・・・・先刻の寝室の室温から推測すると、外の気温はマイナス 6 度くらいだろうか。暖房機の燃焼を通常燃焼に戻し、ポットのお湯でコップ一杯のぬるま湯を作ると、洗面所に行き、ウガイ薬をお湯に溶かして、時間をかけてウガイをする。なにせ、冬期の中信地方は空気の乾燥が激しいので、ウガイをしないと、咽喉はおろか鼻の裏側までが干からびて、粘膜の弱い僕などは直に風邪をひいてしまうからだ。
ウガイが終わると、テレビのスイッチを入れて、ニュースを見ながらパジャマから洋服に着替える。テレビを見ていると、今日のNHKは冬期オリンピックの予定を盛んに報道している。
ニュースによると、「今日、午前 11 時、善光寺の梵鐘の音を合図に、オリンピックの開会式が始まる」のだそうである。話しは変わるが、ここで着替える洋服のことにチョット触れておこう。
僕は、人一倍寒がり屋である。おまけに、粘膜が弱いから、ウッカリすると直ぐに風邪をひいてしまう。・・・・風邪をひくと、大概の場合、軽度ではあるが持病の蓄膿症の急性症状にに悩まされる。
・・・・だから、風邪だけは成るべくひきたくはない!!こんな気持ちが手伝ってか、僕は毎日、物凄く厚着をしている。
下は、ブリーフの上に薄いステテコをはき、その上に長いもも引きをはく。更にその上をトレパンで蔽ったあと、一番上には綿入りのズボンを履いている。次に、上衣はランニングシャツの上に長袖の肌着を着込み、その上に大好きなジーンズのシャツを、更にその上にトレーナーと毛糸のセーターを重ね着し、屋外に出るときには、更にこの上に厚手のジャンパーを羽織るわけである。
とにかく、「みっともない」「ださい」などと、キレイごとを言っていられない状態なのである。
と言うのは、通常の日の最低気温はマイナス 11 度。最高気温だって 0 度そこそこだし、寒い日などは、一日の最低気温がマイナス 20 度、日中の最高気温がマイナス 4 度、うっかりすると夕方のまだ明るいうちに気温がマイナス 10 度以下に下がっていることもある位だからである。
話しを元に戻そう。
普段なら、洋服に着替えた後で暖炉ストーブに火を焚くのだが、今日はとても暖かいので(と言っても、家の外はマイナス 5 度くらいだが・・・・)ストーブに火を入れないことにする。この時点で、時間は 6 時 20 分。外はようやく明るくなって来たところである。春から秋にかけての暖かい季節ならば、この段階でベランダ側の雨戸を開けて、外の景色を眺めながら朝食を作るのだが、厳冬期の今はそれどころではない。とにかく、室温を下げないことが第一条件である。・・・・朝日がベランダに当たり、ガラス戸をとおして暖かい日光が部屋の中に流れ込んでくる迄、雨戸は開けないことにしているのだ。
朝食のメニューは、一年中ほとんど変わることはない。
キャベツ、ピーマン、ニンジン、キューリの生野菜サラダに半熟卵(日によっては目玉焼きのこともある)、ヨーグルト、トーストに熱い紅茶・・・・という定番メニュー。この朝食のキーポイントは野菜サラダのドレッシングで、レモン、オリーブオイル、塩、ブラックペッパーをその場で、自分の好きな味にミックスするというものである。食事の用意ができるころ、ようやくベランダに日が射してくるので、シャッターを上げて、清々しい朝の日光を部屋一杯に入れる。一日の食事の中で一番楽しみにしているのが、この朝食で、庭にやって来るシジュウカラ、コガラ、ヒガラ、アカゲラなどを見ながら、バターを塗ったコンガリ焼けたバゲットをゆっくりと頬張るのは、最高の幸せである。
朝食が終わると、食器を洗って拭き、戸棚にしまってから歯を磨いて洗面をする。
それが終わると、お湯を入れたバケツと雑巾をもって 2 階に駆け上がり、寝室の窓ガラスに張った氷をキレイに拭き取り、ガスの元栓を閉め、暖房機に 17:30 のタイマーをかけ、パソコン、書類カバン、弁当、貴重品入れを自動車に積むと、玄関の戸締まりをして、自動車のエンジンをかけて、いよいよ案内所のお手伝に出掛ける。
普段なら、このまま観光案内所に直行するのであるが、今日は僕の誕生日なので「高原のパン屋さん」にお弁当のパンを買いに行った。
おいしいパンを作って入ることで有名な「高原のパン屋さん」は、面白いパン屋さんである。
お客さんが誕生日にパンを買いに行くと、自分の年のパーセントだけまけてくれるのである。
・・・・例えば、今日は僕の 62 才の誕生日なので、今日買いにいくとパンが 62% 引きになるのである。「買いに行こ、買いに行こ」
我家のポンコツ車を駆って国道 141 号線まで山を下り、目指す「高原のパン屋さん」で焼きそばパン、カツカレーパン、オニオンチーズパン、えびフライパン、それに大好物のバゲット 1 本を買ったら 364 円であった。安い、安い!!さて、午前 10 時から午後 5 時半までは観光案内所で受付のお手伝である。
昼御飯は、いつもならお手製の弁当を食べるのだが、今日は「高原のパン屋さん」のプレゼントの昼食を食べる。紅茶を沸かして、テレビの娯楽番組を見ながら食べた「高原パン」の昼御飯はとても美味しかった。帰宅後は、早めに夕食を済まし、時々コックリ・コックリと舟を漕ぎながら今日の日記のキーボードを叩いた。
静かな夜。
家の中では石油ストーブがトロトロと燃え、外では雪がしんしんと降っている。
部屋の中はヌクヌクと暖かく、時折、轟と風の音がして、ガタリと家が鳴る。
暖かくて、お腹が一杯で、静かで、眠くて・・・・・とても幸せ!!でも、何となく、物淋しい!!
心地よい暖かさと、気が遠くなるような眠たさの中で考えているうちに
「あ、そーか! ココタとKRが居ないんだ!」と、不意に思った。家内と長男のKRは、今頃なにをしているだろうか??
暫く、二人のことを考えていたが、気が付いたらキーボードの上に両手をおいたまま眠ってしまっていた。「ファーーーーーッッッッッ!!」大きなアクビをひとつすると、「さあ、寝るか・・・・・」と呟いてフラフラと立ち上がった。時間は、午前零時近い。
家の中の片付け物は、全て終わっている・・・・・・
ガスの元栓を閉め、暖房機のカートリッジに石油を一杯入れ、暖房機を10 度のセーブ運転に切り替え、歯を磨いてウガイをし、パジャマに着替えて 2 階の寝室に上がり、加湿器のスイッチを入れてベッドの中に潜り込む。ベッドは電気式敷毛布で暖められてヌクヌクと温かい。敷毛布のスイッチをパチンと切ると、枕の上に頭をのせ、もう一度
「ファーーーーーッッッッッ!!」と、大きなアクビをしてから耳を澄ませた。枕元では、加湿器が煮え立つ音をたて、屋外の風のせいだろうか、窓ガラスが「ガタリ」と鳴った。・・・・その後は何も憶えていない。
アッと言う間に、僕は眠ってしまったようだ・・・・
幸せな、誕生日だった!!
奥さん、KR、有り難う!!!!!!
1998-02-08(日) 曇のち雪 ヒュッテ
お昼頃、若者 4 人が観光案内所を訪ねてきた。
僕が応対に出ると、
「何処か、キャンプできる所がないでしょうか?」と言う。
・・・・僕は、我が耳を疑った。いくら物好きとは言え、この厳寒期にキャンプとは!!
「キャンプですか??」と聞き返すと、「ハイ」と言って、平気な顔をしている。どうやら本気らしい!!
話しが長引きそうなので、
「そこじゃ寒いでしょう。中に入って紅茶でも飲みませんか?」と言うと、彼等 4 人は喜んでホールに入って来た。・・・・色々と話しを聞いてみると、東京のS区のボーイスカウトのリーダー達で、今月末のリーダーズミーティングの下見に来たとかで、雪の中に雪洞を掘って一夜を明かしてもいいと言う。いろいろ話しを聞いてみると、どうやら予算の問題もあるらしい。
僕も、教会学校の先生をしていたことがあり、予算のことでは、色々と頭を捻ったことがあるから、その辺の事情は実に手に取るようによく分る。
・・・・それに、彼等 4 人もそうであるが、遊びたい年頃に、他人の世話をするなんて、なかなか出来るもんじゃない。
僕は、自分で出来る限りの事を考え、彼等の相談に乗った。
最後には、フィンランドヴィレッジの自分のポイントを使うことまで考えた。残念ながら、彼等の希望する日のホンギュストは、既に予約が入っていて使うことは出来なかったが・・・・
小一時間ほどしてから真面目そうな4人の若者達は、週明けにでも開発公社に電話を入れて、「キャンプ場と貸別荘の問い合わせをしてみたいと思います」と言って帰って行った。
よい結果が出ればいいが・・・・・
今日の日記を書いている今のこの瞬間にも、心からそう願わずにはいられない。
1998-02-10(火) 雪のち曇 ヒュッテ H = 4 dgs, L = -10 dgs
朝、居間のカーテンを開けると、外は大降りの雪。
一昨夕から降りだした雪は、昨日の真夜中に至り小降りになったので、そのまま止むかと思ったが、今朝起きてみると激しい雪。
昨日朝、一時空が晴れたので雪掻きをしたが、もう一度雪掻きをしなければならないと思うといささかゲンナリする。2 時過ぎに雪が止んだので、改めて雪掻きのし直し。
新雪が凍らないうちに 1 時間半ほどかけて、雪掻きを終わる。以前、雪が降ったあと、暗くなってからでも地元の人達が直ぐに雪掻きをするのを見て、
「なぜ、あんなに急いで雪掻きをするのだろう?」
と、よく思ったものであるが、最近は僕も雪が降ると新雪のうちに雪掻きをするようになってしまった。と言うのは、新雪のうちに雪掻きをすると、雪が軽いため雪掻きがとても楽で、ホウキででも雪を掃くことが出来るが、時間が経つと雪が太陽熱で水っぽくなって重くなるし、その水っぽい雪が凍結するとゴチンゴチンの雪になってしまうからである。
ちなみに、地元では、「雪掻き」のことを「雪掃き」と呼んでいる。
・・・・なるほど、「雪掃き」とはウマイ表現である。
と、言うのは・・・・厳寒期のヒュッテの雪は、東京の雪と違いグラニュー糖のように非常にサラサラとしていて、簡単に箒(ほうき)で掃くことが出来るからである。
1998-02-11(水) 快晴 ヒュッテ H = 4 dgs, L = -14 dgs
深夜、気が付くとパソコンのキーボードに両手をのせたまま居眠りをしていた。
時計を見ると、2 月 12 日の午前 0 時 20 分。
・・・・はんぶん意識朦朧(いしきもうろう)としたまま、あたりの静けさに耳を澄ますと、突然、シジュウカラの雛(ひな)の囁(ささや)きのような微(かす)かな声が庭先から聞こえて来るのに気が付いた。
「おかしいな・・・・こんな真冬の厳冬期にシジュウカラの雛が育つ訳はないし!!」
そんな事を半分夢の中で考えていたが、次第にその声が托鉢修行僧が鳴らす澄み切った銀の鈴の音の様にも聞こえ、更には小さな子供達の密やかな忍び笑いの様にも聞こえ始めた時、僕はその声になんとなく聞き覚えがあることに気が付いた。
「はて、何処だっけ???」と、暫くのあいだ考えていたが、その小さな子供達の会話のようにも聞こえるヒソヒソ話しの中で、「トゥ・ディーヴ」と言うような単語らしき音を聞いたとき、「あ、ノームだ!!」
・・・・と、僕は心の中で叫んでいた。
「落ち着け!!」
「静かにしろ!!」
「音を立てるな!!」
・・・・・・・・・・・・早鐘のように高鳴る心臓の鼓動を押さえて、僕はソッと 2 階に上がった。・・・・そして、寝室の窓のカーテンを細めに開けて、ソッと外を覗いたが、その瞬間、僕は危うく「アッ!!」と声を上げそうになった。
僕がそこに見たもの・・・・それは銀色の月光を浴びて、ゾッとするほどに青白く輝やく庭の雪であった。・・・・月齢は 14 日くらいだろうか、真っ白な雪に銀色の月光が当たり、一面の雪は氷山の様に青白く輝き、あたりは真昼のように明るい。僕は寒さを忘れ、なかば茫然としてガラス窓を透して庭の雪を眺めていた。
・・・・・耳を澄ますと、あの秘めやかで忍び笑うような話し声は確かに聞こえてくる。
「何処から聞こえて来るんだろう?」
こう思いつつ、なお暫くのあいだ息を殺していると、どうやら、その声は庭先の白樺の木陰から聞こえて来るようだが、声が小さいため、今ひとつよく分らない。「ガラス戸を開けたら、もう少しよく分るだろうか?」と思い、窓枠に手を掛けて、開けようとしたが、昼間は簡単に開くガラス戸が思うように動かない。
「凍っているかな?」と思って、もう少し力をいれたところ・・・・「ジョリッ!!」
凍てついた窓ガラスが、突然大きな軋み音をたてたのである。
「アッ!!」と、思った瞬間、秘めやかな話し声は、ピタリと止まってしまった。
僕はその後、15 分ほど同じところに立っていたが、あの秘めやかな話し声は二度と聞こえてこなかった。
あれって、ノームの話し声だったのだろうか?
僕にはよく分らないが、ノームがこの近くに住んでいる様な気がしてならないのだ。
1998-02-12(木) 雨 ヒュッテ H = 8 dgs, L = -8 dgs
終日、雨模様の一日。
長野オリンピック八方尾根のノーマルヒルでは、気温が上がり風が吹き荒れ霧が発生し視界が悪くなった為、男子複合のジャンプは明日に延期になってしまった。昼過ぎから夕方に掛けて、雨は一段とひどく、仕事から帰宅すると、ヒュッテの北側の屋根に積もっていた 50cm ほどの雪がドサリと地面の上に落ちていたのには、とても驚いた。
お腹はペコペコだったが、この雨を含んだ雪がこのまま凍ってしまったら一大事である。
夕食の準備は後回しにして、さっそく雪掻きを始めた。
雨を含んだ雪はとても重い。小一時間ほど掛かって、雪を掻き終えたときは、もう空腹と疲労でクッタクタ!!夕食のカレーライスのジャガイモの皮むき始めたのは午後の 8 時過ぎ。
夕食を終わり、食器を片付け終わったのは、もう11 時過ぎだった。ホッとして、マッキントッシュのスイッチを入れたら、後は無我夢中。
パソコンのスイッチを切り、2 階に上がったのは午前 3 時近かった。ベッドに入り、枕の上に頭を載せ目を閉じると、頭の中心が痛いくらいに眠いのがとても気持ちいい。
・・・・・外では轟々と春一番が吹き荒れ、部屋の中は生ぬるい位に暖かい。学生時代からそうだったが、春一番が吹き荒れる夜は、何かしら遠い存在に憧れ、叫びだしたくなるほど生きてる事の幸せを感じる事が多い。
今夜もそうだ。窓の外で轟々と鳴る風の音はとても美しく、生暖かい風に吹かれると自分の気持ちが遥かな水平線より拡がるような気がしてならない。
・・・・・そして、こんなに幸せでいいんだろうか?・・・・・とも、思ってしまう。
1998-02-15(日) 雪のち曇 ヒュッテ H = 4, L = -8
朝、目が覚めて外を覗くと、予想もしていなかった 30cm の積雪。
「あー、ビックリしたや(下谷)の高徳寺・・・・・」
「恐れいりや(入谷)のきしぼじん(鬼子母神)」
・・・・いくらボヤいても、仕方がない。朝食後 2時間かけて、家の周りと自動車がアルタイル通りに出られるように雪掻きをする。
やっとの思いでヒュッテの周りをキレイにして、観光案内所に着くと、ここもドバーッと一面の雪(当たり前だけど)!!
「ンもうーーーー、イヤッ!!」
・・・・と言ったところで、ラチが開かない。結局、午後の3 時間も、雪掻き。
考えてみたらば、今日はトータル5時間の雪掻き。
とにかく、今日は一日中、雪掻きばかりしていたようなきがする。これじゃ、卓球エルボーがよくなる訳が無いヨネエエエエ・・・・・・!!
雪掻きのお陰で、長野オリンピック・ノーマルヒル・ジャンプの船木和喜の金メダルと日曜日午前の NHK 将棋トーナメントの番組を逃してしまった。ザンネン!!
1998-02-17(火) 晴のち曇ときどき雪 ヒュッテ H = 4, L = -10
日本中が白馬ラージヒル・ジャンプ団体の金メダルに湧いた一日。
今日もキャリフール・センター前の雪掻きをしてて、本番を見ることが出来なかった。
僕も原田選手の嬉し泣きに、思わず涙ぐんでしまった。
スポーツは素晴らしい!!
1998-02-19(木) 晴 ヒュッテ H = 10, L = -11
朝起きて、ウガイをしようと思ったら、水が出ない。
外に出て、温度を調べてみたら、今朝の最低温度は -11度なので、特に寒かった訳ではない。
給湯器は異常ないので、「オカシイナ」と思い、いろいろ調べてみたら、地面から立ち上がった給水管の排水バルブが凍結しているらしい事が分った。「なんで、こんな所が凍結したんだろう?」
・・・・と考えたが、「馬鹿の考え休むに似たり」・・・・早速、棟梁のMさんに電話を入れた。
「今日の夕方、水道屋さんに連絡をとって、なるべく早い機会に調べに行きます」との事。・・・・・それまでに、管が破裂しなければいいが・・・・!!23:15
Site mill でサイトをアップロードしようとしたが、「FTP接続に失敗しました」というメッセージが出て、何回やっても、上手く行かなかった。コンピューターに何か問題がおきたのかも知れない。
何となく嫌な予感がするが、・・・・実は、それに関しては、今日ひとつ不安なことが起きていたのである。
今日の午前中、キャリフールセンターで、愛機のマック・パワーブックを使っていたとき、液晶画面の下のカヴァーが「パカン」と音をたててはずれ、パソコンの本体と同じ色をした小さなプラスチックの破片が、出てきたのである。・・・・僕は、受付のお手伝に行くとき、パワーブックを車に積んで持っていくが、その往復の車中で平らでない所にパワーブックを積んでいたのが祟ったらしい。
そこで、パワーブックの機能を色々と調べてみると、インターネットへの接続と、E-mail の発信と、Site mill によるサイト・フォルダーの読み込みには問題がないことが分ったが、いざ、Site mil でアップロードをしようとすると、上手く行かない事が分ってきた。・・・・このアップロードも一昨日迄は、何等問題がなかったのに・・・・・・である。
何回かやってみたが上手く行かないので、明朝もう一度やってみることにしたいと思う。
それにしても、今日は水道の凍結と言い、Site mill の動作不良といい、まさに「泣きっ面に蜂」とは、こういう事を言うのかも知れない。
けさ凍結した給水管は、夕方までに解凍した。
棟梁によると、今夜も昨夜と同じ状態にしてみて様子を見て下さいとのこと。
了承する。
1998-02-20(金) 雨 ヒュッテ H = L = -3
昨日朝、凍結した給水管は今朝は凍結しなかった。
今朝の最低気温がマイナス 3 度だったためだと思う。
今までの経験によると、ヒュッテで配管が凍結するのは、マイナス 4度のようである。06:00
昨日失敗した Site mill のアップロードを、もう一度やってみたが上手く行かなかった。
何が原因だろうか?
もう一度、よく考えてみよう。08:40
棟梁に電話を入れ、今朝の状態を伝え、「明日以降、給水管が凍結したら、すぐに連絡を入れます。凍結しなければ、連絡は致しません」とつたえる。午後
今日も、昨日はずれたパワーブックのカヴァーがはずれた。
中を覗いてみると、ほかにも二三個所ヒビの入っているところが見付かった。
出来れば、修理をしたいが、アップルに修理依頼を出すと、液晶ごと全取っ換えになるんじゃないかとイヤな予感がする。もし、そうだとすると軽く 10万円はかかりそう・・・・・。
・・・・ヤバイヨーーーーーー!!!
1998-02-21(土) 曇 ヒュッテ H = 8, L = -5
朝、キャリフールセンターに着いてから、パワーブックの応急処置をする。
カヴァーが脱落しないようにビニールテープで貼り付けてみた。
こんな方法が、どの程度役に立つか分らないが、やるだけの事はやってみよう・・・・という訳である。応急処置が終わってから、改めて Config PPP とMac TCP を調べてみたら、コントロールパネルの中から TCP/IP が消えていることが分った。
今月末、東京に帰ったときにでも、 Config PPP とMac TCP をもう一度インストールしてみようと思う。
夜、サイトのアップロードが出来ないので、久方ぶりにユックリと寛いだ時間を過ごした。
たまに、こうしてホームページの事を考えないでいると、なんとなくホッとした気持ちがする。
僕の最大の欠点は、何事にも夢中になり過ぎることだと思う。・・・・もっとハッキリ言うと、「夢中になり過ぎる」というよりも、「何事も短時間のうちに一気にやってしまおう」というセッカチな気持ちが強すぎるのかも知れない。
もっと、ユッタリとした気分で毎日を過ごせたらと思う。
1998-02-21 (日) 晴 ヒュッテ H = 10, L = -3
長野オリンピックの最終日。
チェコとロシアのアイスホッケーの決勝戦が見物だった。チェコのゴールキーパーの物凄さ。ロシアが何回シュートをしても、全部おさえてしまい、最終的には 1 : 0 でチェコが優勝。1983年の独立以来はじめての金メダルを勝ち取った。
ソ連時代、全てのことでソ連に牛耳られてきたチェコ。
その意味からも、ソ連に勝った事は二重、三重の喜びに違いない。
ロシアに必死に食い下がるチェコ選手の活躍を見ていて、僕は何回も涙が出そうになった。
1998-02-22 (月) 晴 ヒュッテ H = 9, L = -9
今朝、また給水管が凍結した。
サンダルを履いて今朝の最低気温を見に行くと、 マイナス 9度であった。早速、棟梁に電話をすると、「水道屋さんに、急いで行って貰いますから・・・・」とのこと。
10時過ぎ、水道屋さん来訪。
30分ほどで修理完了。
「原因は、サーモスタットの一つがこわれていました・・・・」との事。
・・・・水が使えるようになって、本当にホッとする。
1998-02-25(水) 曇ときどき雪 ヒュッテ H = 5, L = -3
午前中は、昨夜降った 15cmほどの積雪の雪掻き。
午後、長靴を履いてアルタイル通りの散歩に出掛ける。
今どきアルタイル通りを歩く人なんか殆どいないが、家を出ると、直に犬と人間のペアが 2 組み雪の上を散歩した足跡を見付けた。面白半分に跡を目で追っていくと、岸波さんと今井さんの二人だということが分った。帰宅後、久方ぶりに3 時間ほどアンナ・カレーニナをよむ。
今日はアンナが鉄道自殺する第 8 編を読み終わった。・・・・アンナが自殺するシーンは描写がとてもリアルで、思わず首を縮めて目をつぶった程である。
・・・・アンナ・カレーニナを読むのは、今回が 2 回目であるが、1 回目の学生時代の時より今回の方が遥かに面白い。・・・・いつも思うことだが、トルストイはいつ読んでも素晴らしい!!
・・・・きょうアンナ・カレーニナを読み始めたときは、まだあんなに明るかった屋外の景色も、読み終わった時はもう真っ暗で、ガラス戸を通して漏れる電灯の明かりに、ベランダの雪が仄白く暗やみの中に微かに浮かんでいただけであった。