1998年の高原日記

From "Hutte" with Love ! !

Hoping this screen will find YOU fine..... ,and

I wish you " A Happy New Year ! ! "



1998 年 1 月の日記

   
1998-01-01(木) 晴 ヒュッテ

午後6時、東京よりヒュッテ着。
今日の元旦は、中野の自宅で雑煮を祝い、ドサッと届いた年賀状に目を通し昼食を済まして、ヒュッテに向け出発。東京から関越の上里 S.A. まで家内がハンドルを握り、残りの半分を僕が運転をする。

ヒュッテに着くと、いつもながらのヒュッテ。
夕食後は、家族 3 人でセブンブリッジをして楽しむ。

その後は、3人別々に好きなことをする。
・・・・僕は、大みそかにやっと Avisnet にアップロードできたホームページのアクセスカウンターの作成に取り掛かったが、どうもウマクいかない。何が、悪いんだろうか?

1998-01-02(金) 晴 ヒュッテ

ノンビリと一日を過す。
家内は、ヒュッテの掃除。朝からブンブンと掃除機を回している。
彼女は、アライグマのように何でもかんでもキレイにしてしまう。

僕は、相変わらずアクセスカウンターの作成に取り掛かっているが、どうもウマク行かない。

<img src="/cgi-bin/Count.cgi?dd=A|df=yatake.data">

の中の dd=A|df=yatake.data の「 | 」が、i の大文字なのか、数字の1 なのか、L の小文字なのかよく分らないのである。この 3 ツを色々やってみるのだが、どうしてもカウンターの形でアップロードできないのだ。
僕の知識だと、ここは dd=A and df=yatake.data とならなければイケナイのだが!!

1998-01-03(金) 晴 ヒュッテ

今日は一家 3 人で、リエックス・スキー場に出掛けた。

我が家では、北海道生れの家内が一番スキーが上手く、次が息子。悔しいけれど、僕が一番ヘタクソである。
家内は、どちらかと言うと、急斜面の方が面白いらしいのだが、僕とKRが緩斜面で滑っているので、僕達に合わせて、同じ斜面で滑っていた。

何回目かのリフトを下りて、ゲレンデを途中まで滑って来たとき、僕の右後ろから滑って来たスキーヤーが、僕を避けようとしてスピードを落したとき、更にその後方から物凄いスピードで下って来たスノーボードが、そのスキーヤーに打ち当たって、そのスキーヤーを弾き飛ばし、そのスキーヤーが今度は僕を弾き飛ばして、僕はゲレンデで一回転してしまった。

ゲレンデから立ち上がった僕は、そのスノボードの若者に大声で怒鳴った。
「バッカヤロー!!人を避けることができないんなら、なんでそんなにスピードを出すんだ!!気をつけろい!!」

暫くして、3人は思い思いにゲレンデを滑り出したが、すぐに僕は右手がおかしいのに気が付いた。
「おや、どうしたんだろう??」と、右手を見ると、右手に握ったストックが見事にクニャリと曲がっていた。

「おや、おや、おや」・・・・僕は、その曲がったストックを騙し騙しマッスグに伸ばすと、そのあと3、4回リフトに乗ったが、最後の頃は、スキーの人は殆ど上がってしまって、スノーボードの人が殆どになってしまっていた。

夜は、3人でセブンブリッジをした。・・・・トランプが終わると、3人は自分たちの好きなことを始めた。
家内はお茶を飲みながらテレビ。KRは居眠り。僕は、相変わらずアクセスカウンターに取り組んだが、今夜も上手く行かなかった。

1997-01-04(土) 曇のち雪   ヒュッテ

午前中。きのうの午後に続いて、今日もスキーに出掛けたが、なんと・・・・今日もスノーボードに追突されてしまった。

「なんで、スノーボードばかりに追突されるんだろう??」
不思議に思った僕は、ゲレンデの端に立って、目の前を滑って行く人達を眺め始めたが、ものの5分もしないうちに、僕は大きな声で独り呟いた。
「ナールホド。これは物騒だ!!」

気をつけて見ると、スノーボードはスキーと違って、スキーのボーゲンの様にユックリと滑るのが、とても難しいらしいのだ。

スキーの場合だと、まず最初にボーゲンなど、ユックリと滑ったりストップすることを習うのだが、スノーボードを後輩に教えているのを見ていると、とにかく立ち上がって滑ることを盛んに教えている。
「なぜ、ユックリ滑ることを教えないんだろう??」
・・・・いまだに、このことは不思議に思えてならない。

そんな事を考えながら、
「んじゃあ、上手い人はどうしているんだろう??」
こんな事を考えながら、改めて、スイスイと走っているスノーボードを眺めてみると、こは如何に!!
・・・・ハワイのサーフィンのように、体をクネらせて、格好よく滑っている連中も、スキーの初心者がおっかなびっくりヘッピリ腰でゲレンデを斜めに滑っていくのに、ぶつかりそうになっても上手く避けることが出来ず、ボードを斜面に直角にしてザザーッとブレーキをかけても上手くいかず、尻餅をついている連中がかなりいて、時々あちこちでスキーや他のスノーボードとぶつかったりしている。
スノーボードとは、どうもあまり安全な乗り物ではないようである。

ゲレンデを滑り下りて、リフトの最後列に並んで暫くすると、あとから来た中年の女性のこんな会話が耳に入った。
「なぜ、スノーボードとスキーのゲレンデを分けないのかしら?危ないわよ・・・・」
「そうねえ、スノーボードが禁止っていうスキー場もあるんですって・・・・」


夕食後、今日もアクセスカンウターに挑戦する。
問題の dd=A|df=yatake.data | が、どのキーなのかを考える。
そこで、もう一度、アクセスカウンターの注意書きを読んでみる。
「パラメーターが 2 つ以上の場合、縦バー "|" またはアンパサンド "&" で区切って下さい」とある。

この場合のパラメーターとは dd=A, df=yatake.data らしいから、「もしかすると、| は縦バーかも知れない」と考えて、問題の個所に縦バーを入れて、アップロードしてみると、キレイにアクセスカウンターが表示されたではないか!!!

分ってみれば、バーカミタイ!!・・・・である。

それにしても、あの注意書きは・・・・・・「パラメーターが 2 つ以上の場合、縦バー "|" またはアンパサンド "&" で区切って下さい」などと分りにくいことを書かないで、単純に「 dd=A|df=yatake.data の "|" は縦バーです」とだけ書いて置くほうが、ずっと分り易いのに!!

でも、バンザーーーーイ!! である。

1998-01-08(木) 大雪 ヒュッテ H=4dgs L=-6dgs

朝の天気予報通り、午前中にチラチラと降りだした雪は午後になると激しさを増し、夕方になるともう 30cm ほども積もった文字通りのドカ雪!!!!
この大雪の中、山口自動車に行き、昨日パンクしスペアタイヤと取り換えた左後輪の新品を受取に行き、その後で、帰りにファックス用紙を買ってこなければならない。

141 号線を調子に乗って下って行き、本間部落の近くまで来たとき、タイヤを轍にとられて車体がグラリと傾いた瞬間、「ヤバイ!!」とばかりにブレーキを強く踏んだら、そのままズルズルとタイヤが滑って反対車線に頭を突っ込んで、車体が道路に直角になってストップ!!・・・幸い対向車が居なかったために事無きを得たが、本当にヒヤヒヤの一瞬だった。

クワバラ、クワバラ!!

帰宅後、30 分かけて雪掻きをして、車を庭に入れる。

大型の物置の薪を使い終わる。

夜の不気味さ。

1998-01-09(金) 晴 ヒュッテ

朝日を見ると、ホッとする。

午前 7 時より雪掻き。積雪 53cm。
午前 11 時、案内所の手伝いに出掛ける。

1998-01-10(土) 晴 ヒュッテ

長湖のワカサギ釣り解禁。

ヒュッテのバスタブ凍結。大騒ぎ。

水廻りの凍結防止には、経費をケチってはいけない。

夜の心細さ。

北欧の人が春を待ち焦がれる気持ちが良くわかる。




1998-01-12(月) 大雪 ヒュッテ

朝から午後 11 時まで大雪。

カネトに FF 暖房機を発注。

1300m の寒冷地に独りで住む時の不安。

食事が偏らないか?

水廻りの凍結を起こさないか?

春まで薪は足りるだろうか?

大雪の時に、病気になったら、どうしたらいいんだろうか?

大雪の朝、時刻通りに観光案内所を開ける事ができるだろうか?

大雪の夕方、アルタイル通りに雪がウンと降り積もり、家に帰ることが出来なくなったら、どうしよう。

1998-01-13(火) 晴 ヒュッテ

午前中、自宅にて雪掻き。

午後、カブリオをキャリフール・センターへ移動。

22:00 バスタブの給湯口の上方 11cm 迄、お湯を張り 31 度までお湯の温度を上げる。明日の朝は、何度まで冷えているだろうか?????

1998-01-14(水) 晴 ヒュッテ H=2dgs, L=-9dgs

カブリオを山口自動車へ移動。ホッとする。

昨夜、温度を上げておいたバスタブのお湯の温度の変化は、下記の通りである。

  22:00   31.0 dgs  
  07:00   22.0 dgs  ( -1.0 dgs/h)
  17:00   15.0 dgs  ( -0.7 dgs/h)
  21:30   12.5 dgs  ( -0.6 dgs/h)

  気温の低い夜間は、毎時 1 度。気温の高い昼間は、毎時 0.7 度くらいづつ湯温は下降する。

21:30 バスタブが凍結しないように温度を上げる。燃焼時間と温度の変化は下記の通り。

    0 min.  12.5 dgs
   10min.  18.0 dgs
   20min.  24.0 dgs
   30min.  30.0 dgs

  風呂は10 分焚く毎に、湯温は 6 度づつ上昇する。

1998-01-15(木) 大雪 ヒュッテ

本州南岸近くを低気圧が 2 ツ通過し、湿った南方の空気が北方の冷たい空気に触れるために雪が降り、しかも低気圧が 2 ツ通過するのに時間が掛かるために、関東甲信越地方は大雪になるという天気予報だ。

05:50 起床。
玄関に出てみると、35cm の積雪。
朝食を終わり、8 時から 2 時間ほど雪掻きをしたが、とてもじゃないが案内所に出掛ける状態じゃない。仕方なく、パートナーで先輩のヒトミさんに電話して、出掛けられる状態になったら、出勤すると伝える。

午後も 3 時間ほど雪掻きをしたが、降り続ける雪がすぐにまた積もってしまう。

午後 4 時、疲れきって雪掻きを中止する。昨夜からの積雪は 50cm だ。

ヒュッテへの入り口に置いた軽ワンボックスカーはすっかり雪に覆われてしまった。

完全に雪に埋もれた車高 2m のワンボックスカー
(1998-I-16 八岳晴耕撮影)

とにかく、物凄い雪である。

ところで、明後日の 17 日から 5 日間、東京に帰る予定である。このままだと、積雪 50cm の道路は、車輪の直径 50cm の四輪駆動では、とてもじゃないけど歯が立たない。そこで、仕方なく開発公社に電話して、いつごろ除雪車が来てくれるかを聞いてみた。
ところが、町の方もこの大雪の対応に追われているらしく、我々の地域は早くても明日の午後早々とのことである。受話器から聞こえてくる声の調子で、相手が緊張している感じがよく分るので、とにかく「ヨロシク」とお願いして電話を切った。

さて、明後日、東京に帰ると言うことは、明日の朝、水抜きをしておかなければならない。

そのためには、今夜のうちに明日の朝食・お弁当を用意しておいた方が、安全である。
夕方からは、この 3 食の準備に取り掛かり、全てが終わったのは午後 10 時であった。
今日は本当にクタクタの一日でした。

1998-01-16(土) 大雪 ヒュッテ L=-9 dgs, H=3 dgs

05:50 起床。
居間の石油ストーブは 05:20 に自動着火しているが、30 分たった部屋の温度はまだタッタノ 6 度のため暖炉ストーブに火をつける。
ついで、お湯を沸かして昨夜のうちに用意しておいた朝食を食べ、食器の後片付けをしてから長靴を履いて玄関を出る。

外に出てみると、昨日の朝から降り積もった雪は、なんと57cm にも達している。
この状態を見て、大きな溜め息が出たが、そんなことを言っている場合じゃない。
「ヨーシ、掛かれっ!!」
一言、叫ぶと早速、ラッセルに取り掛かった。

玄関から、家の裏手までの約 12 メートルの積雪 60cm を除雪をし、不凍栓・排水バルブの蓋・ボイラーの排水栓等を掘り当てた。
つぎに、給水不凍栓を閉め、排水バルブを開け、ボイラーの排水栓をすべて開放する。
これが終わると、今度は家の中に入り、全ての蛇口を開け放ち、トラップの栓や水抜き用のすべての栓を開いて水を抜き、風呂のお湯を流して捨て、トイレの水洗用タンクの水を流し、雑巾をもってきてタンクや水槽の底に残っている水気をすべて取り去って終わりである。
口で言うのは、ごく簡単であるが、この間、僕の弱い頭はフル回転している。
それほど、この水抜きと言う作業は、僕にとっては面倒なものなのである。

しかも、一発間違えると、修理代に 10 万や 20 万円のお金は軽く飛んでしまう!!
・・・・兎に角、ポカをしないように、どうしても緊張気味になってしまう!!

・・・・水抜き作業が終わると、今度は物置の屋根の雪落しをし、ベランダに70cm も降り積もっていた雪をすべて庭に放りだし、それが終わって、やっと自動車に手が回り、自動車の堀だし作業に 25 分を費やして、ひと段落。

もう、ここまででもかなりバテ気味である。と、言うのも連日「雪掻き、雪掻き!!」に追われているからである。

時計を見ると、間もなく正午の時刻。
改めて、開発公社に除雪車の件で電話を入れてみると、別荘地内では 4 人のひとが家の中に閉じ込められているので、除雪車を 1 台手配してこちらに向かわせた、とのことである。それから待つこと 3 時間半。4 時ちかくなって、やっと大型のシャベルカーが我家まで道を附けにやって来た。
「何故、大型のシャベルカーが・・・・???」と思ったが、聞いてみると、こんなに沢山の雪が降ると片寄せ型のラッセル車ではどうしようもなく、結局、シャベルカーを出動させないと、との事であった。

16:30 雪のヒュッテを脱出。老人ホームでお世話になっている母親を見舞って、21:00 中野の自宅着。

ああ、疲れた!!

1998-01-17(日) 雨  自宅

午後 8 時過ぎに、ヒュッテの近くの 楠本 さん宛てに長距離電話を入れて聞いてみたところ、今日はずっと雨で、雪はだいぶ溶けたとのことである。
「ワーッ、よかった。今夜また雪でも降ったら、屋根の上の雪は 1 メートルにも達し、屋根が落ちるのではないか・・・・と、少し心配していたんですよ!!」僕は思わず受話器に向かって、喜びの声を上げた。
「八岳さんのお宅の屋根は勾配が急ですから、大丈夫ですよ」
受話器の向こうで彼女は可笑しそうに笑っていた。

1998-01-20(水) 晴  自宅

ヒュッテで痛かった咽喉がとても良くなって来た。
松原湖の方が、東京よりずっと空気がキレイなのに・・・・・冬期、松原湖に行くといつも僕はノドに炎症を起こして悩まされる。

今まで、その原因は冬期の松原湖高原の空気がとても乾燥しているためと思っていたが、実はヒュッテで使っているファンヒーターに原因があるらしい事が分って来た。・・・・ファンヒーターの構造は、室内で灯油を燃やし、暖まった排気ガスを室内に送風して部屋を暖めるという形式のものだから、部屋を暖めれば暖めるほど、結果的に室内の空気が汚れてくることになる。

しかも、よく考えてみると、現在ヒュッテで使っているファンヒーターは、標高 50m の中野区で購入したものを標高 1300m の松原湖に持って来たものである。当然の事ながら、空気中の酸素の量は、大分違うはずである。(ちなみに、長野県でストーヴを買うと、ストーヴを使用する場所の標高にあわせて、「高地使用」の調整をするのが常識である
・・・・だから、「高地使用の調整ができない」東京生れの我家のファンヒーターは、十分な量の酸素を燃焼のために利用出来ず、かなりの不完全燃焼をおこしているはずである。

もともと呼吸器系の粘膜が弱い僕が、この汚れた空気を吸い続けているのだからタマラナイ。冬期のヒュッテにいると、常時、咽喉がヒリヒリしているというわけである。

この不完全燃焼が、慢性的な咽喉の痛みの原因になっているらしいと、考える様になったのは、つい最近のことである。

と言う訳で、このたびヒュッテに FF暖房機を取り付けてみることにした。
だが、 FF暖房機はファンヒーターに比べると、圧倒的に値段が高い。

この高かな暖房機を入れても、咽喉のヒリヒリが取れなかったらドウシヨウ???

いささか心配である。

1998-01-21(水) 晴  ヒュッテ

5 日間の休暇を終って、ヒュッテに帰って来る。
途中、面白かったのは、佐久市から国道 141 号線を登ってくるにつれて、屋根の雪が段々と多くなってくることであった。小海町に入ってから、用事があってカネトに寄ったついでに、スノーダンプを買ってヒュッテに戻って来た。

ヒュッテに着いてみると、この間の雨で雪が可なり溶けていたが、それでも、自動車を玄関前まで入れるためには、雪を小一時間ほど掻かねばならず、いま買ったばかりのスノーダンプを使ってみた。結果は、上々の首尾であった。

1998-01-22(木) 晴  ヒュッテ H=4dgs, L=-10dgs

午後、リエックス通りの近くで、スキー場の方から車で降りてきた小郷ちゃんに声を掛けられた。
「八岳さーん。よく出会いますねえ!!」
「ホント、ホント。今日はどこに?」
「リエックスでスノーボードに乗ってきました」
「ナヌ、スノーボード??」
「ええ、スノーボードです。でも、スノーボードがどうかしましたか?」
「うん、お正月にスノーボードに 2回ぶつけられたから・・・・」
「エッ?」
「リエックスにスキーに行って、2 回やられた・・」
「大丈夫でしたか?」
「うん、でも・・・・バカヤローってどなってやった。ところでさア、スノーボードってユックリとスピードを落して走れないの?」
「走れますよ。ストップだって出来るし・・・・」
「そうかなあ? ぶつけられたあと、ゲレンデの脇に立って見ていたら、どいつもこいつもスピードを出して走っているけど、結構うまそうな奴も止まるときに、転んでいたぜ。スキーの場合だと、一番最初にボーゲンのようにユックリ滑ったり、止まったりすることから習うけど、スノーボードの連中を見ていると、とにかく滑ることから習っていたよ。あれじゃあ、ぶつかる訳だよ」
「そうですねえ。僕はスノーボードを始めたとき、ちゃんとスクールに入ってならったけど、やはりユックリ滑ったり、ストップすることから始めましたよ。でも、ゲレンデで仲間達からならっている連中を見ていると、とにかく立ち上がって滑ることから、習っているようです。たしかに、あれはアブナイ」
「それにさア、クネクネと体をクネらせて格好よく滑っている連中も、止まる時には、転んだりしている!!」
「そうそう、格好よくたって、ユックリ滑ったり、うまくストップ出来ない奴がたくさんいますよ」
「あなたは大丈夫なんだろうね??」
「ええ、大丈夫です。ユックリ滑るのも、ストップするのも自由自在です」
「それなら、いいけど・・・・」
・・・・・・てな、会話のあった午後でした。


本日午後、いよいよ待望のFF暖房機がヒュッテの居間に取りけられた

早速、試運転をしてみたが、やはり思った通り咽喉は全く痛くならなかった!!!!

素晴らしい!!

万歳! 万歳! 万歳!

これからは、あの不愉快なノドの痛みとはオサラバである!!

僕は嬉しくて、何回もFF暖房機の前を往ったり来たりしたり、ためつすがめつ色々な角度から暖房機を眺めまわした。・・・・・自分でも可笑しくなるくらい嬉しかったに違いない。

木製薪小屋の下段の薪を使い切る!!

1998-01-23(金) 雪  ヒュッテ  H = 4 dgs,  L = -10 dgs

終日雪のチラつく一日であった。

今日は、松原湖(猪名湖)のワカサギ解禁日の問い合わせの多い一日であった。
その解禁もいよいよ明日午前 6 時に迫ってきた。

雪のチラつく午後、窓から雪を眺めているのも結構楽しいものである。

でも、今日の午後は何回もアクビをしたり、時々ウツラウツラしたりしたが、昨夜 1 時過ぎまで起きていたのが祟ったらしい。その原因は、ホームページの管理ツールのサイトミルである。

サイトミルはとても便利なホームページの管理ツールである。
とくに、サーバーにアップロードする時など、変更を加えたファイルだけを自動的にアップロードするなど、多いに手間と時間を省くことができるというわけである。
ただし、そのためにはサイトミルの環境設定をするなど、いくつかのオマジナイをしておかなければならない。

過日、東京に帰ったとき、環境設定のことでアドビーシステム社に電話を入れ、「ホスト、ユーザー、パスワードに次ぐディレクトリー名には、どのディレクトリー名を入れるのか?」を問い合わせたところ、僕の「ホームページのサイトが入っているフォルダー名を入れて下さい」と言うので、「僕のコンピューターの中のサイトが入っているフォルダー名ですね?」と念を押したところ、「そうです」という返事が返って来たので、その通りやってみたが、まったくうまく行かないのである。

「何故だ????」
昨夜のこと深夜まで、僕は「ああでもない」「こうでもない」と、何回となくアップロードを繰返した。
ところが、どうしても変更したページがインターネット上に反映されないのである。

「だめだ、どうしても上手く行かない!!」
「これは、以前使っていた Fetch でやるしかない・・・」と思って、Fetch を立ちあげサーバーの中を覗いてみたところ、本来ホームページのサイトをアップロードする「プロヴァイダーが用意したディレクトリー名」の下に、「僕のコンピューターの中のサイトが入っているフォルダー名」がアップロードされて、その中に僕のホームページのサイトがそっくりそのまま入っているではないか!!!!

「オタンコナスメエ!!」
僕はパソコンの前でひとり唸った。
「だから、念をおしたじゃねえか・・・・あのディレクトリー名は "僕のサイトフォルダーのディレクトリー名" ではなくて "プロヴァイダーが用意したサイトフォルダーのディレクトリー名" じゃないか・・・・!!!!」と、言う訳で、無事解決をした次第であるが、お陰様で今日は寝不足の一日でした。

ファーーーーーーッッッッッ、眠い・・・・・・!!!!!

1998-01-24(土)  ヒュッテ  H = -4 dgs, L = -19 dgs

昨日は、この冬一番の寒気団が日本海と東北地方を通過したために、ヒュッテは物凄い寒気に襲われた。
・・・・-19度。ヒュッテで経験した最低の気温である。

お陰様で、台所と洗濯機の水が出なくなってしまった。

今まで、気温が低くなりそうな日は、台所の湯栓と洗面所の水栓から水をチョロチョロと出していれば、水管が凍結することはなかったが、昨日はとうとう台所と洗濯機の水が出なくなってしまったのである。

今朝、さっそく大工のMさんに電話をいれたところ、明日か明後日に水道やさんと行ってみます・・・とのこと。本当に、来て呉れるとよいのだが・・・・・・・

午後、小郷ちゃんに電話を入れて聞いてみたところ、彼の家のパイプヒーターはガッチリと巻いてある由。聞いてみて色々と参考になった。

なお、パイプが凍結して破裂すると、凍っていても物凄い水が噴き出すとのこと・・・・水が噴き出してなければ大丈夫・・・・との事であった。

Mさんが来るまで、持ちこたえて呉れるといいのだが・・・・!!!!!!!

1998-01-26(月) 晴 ヒュッテ  H = -2 dgs, L = -11 dgs

きのう凍結した給水栓は、今日も凍ったままである。

11:00
大工のMさんと、水道屋さんが来訪。水道屋さんから 2, 3 質問を受けた。

Q1.現在の状況は?

昨夜、寒波が来ると言うので、蛇口から水をチョロチョロ出しておいたが、凍結して台所と洗濯機の水がでなくなってしまった。

Q2.今までの概況は?

この家は 9 年前に建てられたが、その年の冬から気温がマイナス 4 度位まで下がると、凍結のためお湯とか水が出なくなることが屡々あったので、気温が零下になりそうな時は、必ず給湯口と給水口の両方からチョロチョロと水を出していました。

Q3.それでは、冬なんかは殆ど毎晩のように水をチョロチョロ出していたんですか?

そうです。

水道屋さんは浮かぬ顔をして、台所の床の収納庫を外ずし懐中電灯とテスターを持って床下に入ると、しばらくゴソゴソやっていたが、すぐに床下から顔を出して言った。
「こりゃあ駄目です。凍るはずですよ、だってコンセントに電気が来ていないんですから・・・・」
「エッ?・・・・コンセントに電気が来てないって??」
瞬間、僕は我が耳を疑った。
大工のMさんも、ビックリしている。

「そうかあ!! これで分ったよ。・・・・気温がマイナス 4 度くらいまで下がると、殆ど例外なく、パイプが凍ってお湯や水が出なくなる訳が・・・」、余りにも単純な結末に、僕はホッとするやらアキレルやらで、暫くのあいだ拍子抜けしてしまっていた。

その間、水道屋さんは別の電源コードを持ってきて、屋外の別のコンセントに差し込むと、「これで上手く行くかな・・・・」と言いながら、その電源コードに凍結防止帯を接続した。・・・・すると、5 分もしないうちに台所の水道の蛇口から、突然水がジャーッと流れ出たのである。

「やったあ!!」
これが、嬉しくなくって何であろうか??
僕は、子供のように単純に喜んだ。

「ああ、これで今までのように、凍結の心配をしなくて済む・・・・」
僕は、本当に嬉しかった。

1998-01-27(火) ヒュッテ

昨夜は、給水・給湯の凍結の心配をせずに、兎に角よく眠った。

心配をしなくていいと言うことが、どれほど人の気持ちを楽にしてくれるか・・・・をしみじみと感じた一日であった。

今から考えてみると、過去 9 年間のヒュッテでの生活はけっこう大変なものであった。
・・・・と言うのは過去 9 年間、正常に作動していると思っていた我家の給水.給湯のパイプに巻いてある凍結防止帯が、実は全く作動していないという事が全く分っていなかったからである。

事の起こりはこうである。
9 年前の 1989 年の夏。新築のセカンドハウス「ヒュッテ」を受け取った時、大工の M さんは、こう言ったものである。
「縁の下の鉄管には、寒くなると自動的に電気が入り、その熱で鉄管の凍結を防止する「凍結防止帯」が巻いてあるので、冬場に凍結で水が出なくなることはありませんよ」
この一言がどんなに僕を安心させたことだろうか!!

ところが、冬が来て朝晩の気温がぐっと冷え込む頃になると、凍らないはずの配管が凍結し、蛇口から水やお湯が出なくなる事が、しばしば発生し僕を悩まし始めたのである。

それでも僕は、「凍結防止帯」が巻いてあっても縁の下の配管が凍るのは、長野県の気候が非常に寒いために起きるのだ・・・・くらいにしか考えず、「それならば、むかし東京でもよくやったように、蛇口から水をチョロチョロ出しておけばいいんだ!!」とばかりに、チョロチョロ戦術に頼るようになったのである。

そして、いつの間にか僕は毎晩のように、このチョロチョロ戦術の参謀総長になっていたのであるが、それでもこの現象をなんら不思議に思うことなく、「凍結防止帯が巻いてあっても配管が凍るなんて、長野県は寒いんだ!!」とうそぶいていたものである。

その後、2, 3 回軽度の凍結(幸いなことに全く無傷だった!!)を経験したあと、この参謀総長は以前より神経質になり、夕食後にチョロチョロ作戦を開始し、寝る前・夜中にトイレに起きた時などはすかさず台所の蛇口に飛んでいってチョロチョロ流水を確認し「凍っていないな・・・」と安心するなど、今から考えると実に涙ぐましい凍結防止作戦を展開するようになっていったのである。
そして、テレビの天気予報で「今夜は大分冷えるでしょう」などと報道されようものなら、その夜は、午前 2 時ころに「目覚まし」をセットしておき、いわゆる「草木も眠る丑三つ時」に階下の台所にチョロチョロ流水を確認しに行ったものである。

それでも、この参謀総長はその時迄の状況を何等不思議に思うことなく、実に 9 年間の間、この作戦を続行し今年の冬に至ったのである。

さて、僕は去年の秋からこの松原湖高原で半分ボランティア的な仕事の手伝いをするようになったのであるが、実際にこのヒュッテに独りで生活を始めてみると、毎晩のようにチョロチョロ凍結防止作戦を展開するのは、かなり神経をすり減らすことであり、連日の寝不足の原因にもなって来たのである。

「これはタマラン!!」
半分、音を上げた参謀総長があちこちの友人知人に電話をいれて聞いてみると、これらの友人知人宅で「チョロチョロ凍結防止作戦」を展開している家が殆ど皆無であることが分って来たのである。

「どうも、おかしい!!」
参謀総長は、町に行って「最高最低温度計」や普通の「温度計」を何本も買ってきて、いろいろ調べてみると、外気温が マイナス 4 度くらいまで下がると、凍結が起こることが分ってきたのである。

「ハハンのハハーの三年忌・・・・・」
・・・・「どうやら、こんなに凍結防止で苦労をしているのは我家だけらしい!!」と気が付いた 1 月 24日早朝にかなり深刻な給水管の凍結が発生し、翌々日、大工のMさんと水道屋さんが来て縁の下の配管を調べたところ、昨日の日記に記したように、縁の下のおおもとのコンセントに電気が来ていない事が判明したのである。

「・・・・・・ハハハハハハ!!」
この日以来、この一件を思い出すたびに、いつも僕は大声で笑いだしてしまう。
「 9 年間、何てバカみたいな努力をしてきたんだろう!!」とも思う。
「どうして、9 年間もこんな簡単な事に気が付かなかったんだろう!!」とも思う。
「おおもとのコンセントに電気が来てないって分った時の大工さんの顔ったら!!」と可笑しくも思う。
「チックショウメエ・・・電気が目に見えりゃ、もっと早く気が付いたのに!!」とも思う。
でも、一番嬉しいのは、
「誰も傷つかなかった!!」と言う事である。
そして、ほんのチョッピリ誇りに思うのは
「この信州の標高 1,300m の高地で、凍結防止帯なしで 9 年間も凍結事故を起こさなかった」と言うことである。
・・・・・・でも、それだって別に大した事じゃない。
そんな事はもう 3 日も前に過ぎ去った事だから・・・・・ハハハハハハ!!

1998-01-27(火) 晴 ヒュッテ  H = -1 dgs, L = -16 dgs

今週は、昨日より 3 連休である。

ここ暫くは晴天続きのため、大分雪は溶けてきたがヒュッテの北側の屋根には、まだ 40cm ほどの雪が残っている。一時は 70cm 近くの雪が蔽い被さっていたため、家が潰れるんじゃないかと思ったほどである。

ンゴーーー、ンゴゴゴ、ンゴンゴーーー
深夜、真夜中近く、突然不気味な音がした。

腹の底に響くような今まで聞いたことがないような音である。
その音はアルタイル通りを我家の方に近づいて来る音である。
僕は、それまで打ち続けていたパソコンのキーボードの指を止めると、玄関の方に飛んでいって、窓のカーテンを半開きにして外を覗いて見た。

我家の前を、今まさに通過しようとしているのは、除雪用の大きなロータリー車であった。
今まで僕がこの町で見てきた除雪車は、雪を道の片側に押しのけるラッセルタイプのものであったが、今回の大雪の終わり頃には、雪の量が多すぎて、このタイプのものでは間に合わなくなり、「もう、ロータリー車でないと役にたたない!!」などと、言われ始めていたところである。

この初めてのロータリー車をもっとよく見たい・・・・と思い、僕が玄関の外灯を点けると、我家の明かりに気が付いたのだろうか、エンジンの音が小さくなりロータリーが止まると、運転席の誰だか分らないシルエットが我家の方を振り向いたようである。そして、我家の方を伺っていたようであるが、僕のシルエット(部屋の明かりを背中に受けている僕の顔が相手に見えるはずがない・・・)に気が付いたのだろうか、僕に向かって手を振りだしたのである。
「あ、手を振っている!!」僕も、右手をそのシルエットに向かって振ると、彼の手の動きが一段と大きくなり、暫くすると手を振るのを止め、車の前方に向き直り、すぐに轟々とロータリーエンジンの音を響かせ、もうもうと雪煙を上げながら、星明かりの中を黒い巨体がユックリと走り去った。

僕は、今の暖炉ストーブの前に座ると、チロチロと燃える火を見つめながら、「今のは、誰だったのだろうか??」と、暫くの間、考えていた。

とても、しんみりとした夜であった。

1998-01-29 (木)晴  ヒュッテ

案内所の受付の手伝いが終ったあと、湖畔館で大奥さんが打ったホウトウをご馳走になる。
以前から、話し好きの大旦那のオジイチャン(?)が、僕の顔を見ると「遊びに来いや・・・・」と誘っていてくれたのが、実現されたわけである。たぶん、この大旦那も僕が話し好きだということを、見抜いていたのかも知れない。
・・・・ところで、手打ちのホウトウというのは、生まれて初めて口にしたが、お餅みたいに腰が強くて、とても美味しいものであった。

酷寒の冬の夜。
大旦那と若旦那の 2 組みの夫婦に囲まれて戴いた夕餉は、独り住いの僕にとっては、本当に楽しいひとときで、われわれ 5 人は、最初から最後まで可笑しな話しに笑いっ放しであった。

2 時間ほどして、僕は重い腰を上げて失礼をしてきたが、ヒュッテの庭で車を下り立った時の天空の星々、リゲルやベテルギウス等は実に美しかった。




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