1997年12月の日記

         

(すっかり葉を落した松原湖遊歩道。12月18日)

        

1997-12-03(水) 雪 ヒュッテ 10,973歩 H=5, L=-10

 昨夜から降りだした今年の初雪は、今朝までに 20cm ほど降り積もった。
 「ヨーシ、一丁、写真撮ったる!!」・・・・愛機のカメラを引っ掴むと、僕はこう叫んだ。

 まず、 ベランダの写真を何枚か撮ったあと、表の車道から我が家の写真を撮ることにした。
 「人の足跡があると、面白くねえなあ!!」と考え、
 「ンじゃあ、遠回りをすべえか・・・・」とばかりに、長靴をはき家の裏手に廻りカラマツ林の中を抜けて、エッチラオッチラ家の前に出てカメラを構えた。
 ・・・・ファインダーをとおして、我が家の入り口を眺めると足跡が一つもない玄関へのアプローチがとてもキレイだ。 このアングルで何枚かシャッターを押し、
 「ヨーシ、別のカットをもう一枚・・・」
 と、心の中でつぶやいて、カメラを少し右に移動し、愛車の姿をグッと手前に引き寄せてクローズアップしたとき、僕は思わず大きな声で叫んだ。
 「アーッ、やばい!!」

 今もチラチラと降っている雪がこのまま夜まで降り続くと、車が雪に閉じ込められるかも知れないことに、突然気が付いたのであある。

 僕の車は、93 年型の Volkswagen Golf Cabriolet である。
 ・・・・もちろん、この機種の後にも、VWからは 2ツ目オープンカーの後継機が発売されているが、僕は93 年型以前の 4ツ目が気に入っているので、買い替える気持ちは毛頭ない。
 ルーフカヴァーも 5 重のシートだし、スピードも 130km/h あたりで最高の性能が出るような気がする。後部座席も Dog's seat でないのが素晴らしい。
 ・・・・でも、この車にもどうにもならない泣き所が一つあるのだ。
 それは、地上最低高が 12cm と低いことなのだ。

 お陰様で、山の中の林道や凸凹道では苦労するし、雪が積もるとラッセル車になってしまうのだ!!
 「今のうちだ・・・!!」

 僕は、車を標高差 200m ほど下の安全な場所に移すと、4km の道をテクテクと歩いて帰って来た。
 「これで安心」
 ・・・・僕はホッと一息ついた。
 このあと、高原の雪の中を走るのには、もう一台の軽の 4 駆で走ればいい。
 本当に、高原の冬の生活には、色々な落とし穴がある。

 これからの事を思うと、このまま冬を越すのが何となく心細い気がする。

     
    

1997-12-04(木) 晴 ヒュッテ

 ヒュッテの生活で僕が一番苦労するのが、料理である。
 ・・・・当初、インスタントラーメン、カップヌードル、インスタントカレー、ピラフ、チャーハン等々、色々なインスタント食品を食べていた僕だが、次第に飽きが来たことと、インスタント食品に使用されている油の使用料が多いことが気になり、自分で料理をしたいと思うようになってきたからである・・・・エヘン、エヘン。

 だが・・・・いざ、自分で料理の本を片手に、このご飯作りなるものをやってみると、この料理というものが、なかなか思うように行かないことが分ってきた。つい先(せん)だってもアナアキステーキを作ったばかりだが、昨夜のシチューも悲惨の極みであった。

 ・・・・きのうのスープの事の起こりはこうである。
 僕は、ここ松原湖高原で一人で生活をしているが、町のスーパーに行って野菜を買うと、皆パックになっているから、買いたい「一人分」の分量の 4〜5 倍も買う羽目になってしまう事がよくあるのである。

 特に困るのが、人参とタマネギである。
 ・・・・冷蔵庫を開ける度に、人参とタマネギを見て僕は溜め息をつく。

 ところが、つい 10 日ほど前、家内と長男が家を留守にしていた時のことである。
 たまたま、ヒュッテに電話をくれた東京の女性にこの苦境を訴えると、彼女の曰く・・・
 「アーラ、簡単じゃない。ジャガイモとキャベツを買ってきて、スープを作ればいいのよ!」
 との事・・・・・!!
 ・・・スープなら、僕も大好きである。
 ・・・・・・
 僕は嬉しくなって
 「あー、そーか・・・・そうだよねえ!」
 と、受話器に向かって言った。
 ・・・・・・
 (でも、スープってどうやって作るんだったっけ?)
 僕は、自分が記憶しているレシピーの中にスープが無いのに気が付いて、ふと、不安になった。
 ・・・・というのは、以前、野菜スープが食べたくて、東京の家内に電話を掛けて、スープの作り方を教えて貰い、言われた通りにスープを作っては見たものの、最後の塩胡椒の所で、コショーを入れ過ぎて、激辛スープにしてしまった記憶があるからである。
 以来、スープに挑戦するのは、何んとなく避けて来た記憶が無いでもない。
 ・・・・・・
 (でも、もう一度、挑戦してみるのも悪くはなさそうだ・・・・!)
 そう気が付いて、僕はスープ作りに再挑戦してみる事にした。
 ・・・・・・
 僕は受話器の向こうの彼女に言った。
 「ねえ、ねえ、作り方教えて。大好きだから・・・・」
 「大好きって・・・・・わたしのこと? それとも、スープのこと?」
 「勿論、スープ・・・・・の作り方を教えて呉れる貴女だよ」
 「ハハハハハ、本音がまる見えよ。でも、私も・・・スープの作り方を知りたがっている貴男が嫌いじゃないから、教えてあげるわ・・・・」
 ・・・・てな訳で、いよいよ昨夜、作り方の実践に及んだ次第である。

 さて、まな板の前に立った僕は、以前アメリカの料理番組のナイトショーで世界的大ヴァイオリニストのイツァーク・パールマンが面白可笑しく、得意な料理の作り方の解説をしていたのを思いだしながら、スープを作りはじめたのである。
 「いいかい、このタマネギ、まず最初に桃太郎の桃のように 2 ツにパッカーンと割ってザクザクと大切りにするわけ。すると、中から出て来るのは、桃太郎じゃなくて涙ばかりだよ。おお、痛ててて・・・・・」
 ・・・・・・・・
 ・・・・・・・・
 「ホラ、こうやって、ジャガイモ、ニンジン、キャベツ、タマネギが煮えたってきたら、コンソメのもとを 2ツ削って、こうやって入れ、次に塩、コショーをパッパッと入れるのがコツだよ」
 ・・・・と言いながら、得意になってパッパッとコショーの壜を振ったけど、小さい四角な瓶の中でコショーが固まっているせいか、胡椒が外に飛び出して来ない。
 「いいかい! 瓶を振ってもコショーが出て来ない時は、瓶の中でコショーが固まっているんだよ!」
 「そんな時にはね、慌てちゃいけないよ・・・・いいかい? 錯覚イケナイ、ヨク見ルヨロシ・・・・! ホラ、こうして、コツコツとこの小さなコショー瓶をマナイタに軽く打ち付けて、瓶の中でコショーの塊りを柔らかくしてね・・・・こうしてパッパッと瓶を振ると、ホレ、この通り・・・・!」
 ・・・・ナント、今回も、鍋の中にドバーッとコショーが入ってしまったじゃありませんか!・・・・それでも、名調子(?)を、ここでやめる訳には行かない。
 「いいかい、コショーはおまけだよ。コショー(小姓)のこせがれ(小倅)コショー(胡椒)が大好き・・・・なーんちって!!」と前置きして
 「もう、いい匂いがプーンプン。ねえ、素敵でしょう、そこの奥様!! ほら、こんな風にグツグツ煮えてきたら、もう出来上がりだよ。そこで、最後の味の仕上げとござーーーい。と、こんな風にオタマでスープを掬って(すくって)味見をするんだよ。この時、大切なのは、オタマで掬ったスープは小皿に移してから味見すること。直接、オタマに口をつけて味見をすると、唇を火傷をしちゃうし、好きな彼にでも見られたら、もう・・・・百年の恋も色あせちゃいますよ。・・・・・さあ、どうかな味の方は・・・・・・こうっと、・・・・アワワワワワワ・・・・何んだい、コリャア!!」

 コショウの入れすぎで、口の中がヒリヒリして、体中からドバーッと汗が噴きだす感じなのである。
「アッチッチッチッチ・・・・水、水!!」
僕は慌てて、何杯も冷たい水を飲んだほどである。

と言った具合に、このシチューとても食べられる代物ではないのである。
「アー、ビックリしたや(下谷)のコウトクジ(高徳寺)。恐れイリヤ(入谷)のキシボジン(鬼子母神)」とは言ったものの、後はどうしていいのか全く分らない。
 ・・・・僕は、もう半分ヤケノヤンパチで・・・・
「そこで次郎は考えたあーーーっと」と、唸ってみたけど、名案が浮かばない。
「そこで次郎は考えたあーーーっと」と、もっと大きな声で、もう一度唸ってみたけど、やはり名案は浮かばない。
「そこで次郎は考えたあーーーっと」と、もっともっと大きな声で、もう一度唸った瞬間、
「なーんだ、かんだ(神田)の簡単事。うちの奥さんに訊けばいいんだ・・・」と、気が付いて中野の自宅に電話をしたら、長男が電話に出て
「お母さんは、秩父の夜祭りに皆んなと出掛けました」とのこと。

「アチャー!! そう言えば、そんな事言っていたっけ・・・・」と、ガックリ。
「さて、どうするかオサムライ・・・・」等々、色々考えてはみたものの、全くどうしたらいいのか、見当もつかない・・・!! さりとて、中型鍋いっぱいのジャガイモ、キャベツ、ニンジン、タマネギをそのまま捨ててしまうのも、何となく勿体ない。

最後には、腹立ちまぎれに
「ヨーシ、やけ(自棄)のヤンパチ!!・・当たって砕けろ!!・・水で薄めりゃいいかもしれない」と考えて、オタマに 2杯くらいのスープを捨てたあと、同量の水を足して煮立ててみた。
「どりゃあ、味加減はどうかな?」と、スープを小皿にとり、味見をしたが
「アチャー、全然駄目だあ」・・・コショーの辛さは、全く変わりないのである。

「ヨーシ、それならば、もう少し・・・・」と、更にオタマに 3杯くらい薄めてみたが、依然、辛さは殆ど変わりないのである。

「じゃあ、もう少し・・・」
「じゃあ、もうチョッともう少し・・・・」
「じゃあ、スープを全部入れ換えてみては・・・・」
「エーッ、これでも駄目なのオオーー?」
「ヨーシ、かくなる上は、是非に及ばず。スープを全部捨てて、材料を洗ってみよう」
と、ばかりに、スープを全部捨てて、ゆでた野菜すべてを水で洗い、もう一度鍋に水をはって煮立ててみた。・・・・・と、ようやくあのホットな辛さは少しは残っているものの、どうにか収まったのである。

「やれやれ、やっとかよ・・・・」とホッとしたものの、今度はスープがチットモ美味しくないのである。
「よし、それなら、最初からやり直しだよ! ・・・・お立ち会い!!」
・・・・・・・とばかりに、改めて電話で聞いた通りのことを最初からやり直してはみたものの・・・・今回はホントに、どうしようも無い位に、大量のスープが残ってしまいました・・・・だって、コショーの味はまだドウシヨウモナイ位に強かったからである。

・・・・それにしても、この間の「穴あきステーキ」と言い、今回の「激辛スープ」と言い、料理ってホントに難しいなアと思います・・・・!!

フーッ、疲れたあ!!

      
       

1997-12-09(火) 雨 ヒュッテ H=12, L=5

日出/ 06:39 日没/ 16:27
テレビの解説によると、日没が一番早いのが今頃で、日出が一番遅いのは 1月中旬頃だそうである。 この時間のズレを勘定に入れた上で、日の長さが一番短いのが、冬至と言うことになるらしい。・・・・・それにしても、この 2,3 日の温かさはどうしたことだろう??
ds とは、とてもじゃないけど、この時期の気温とは思えない。テレビによると、10 月下旬の陽気とか・・・・・・でも、今夜から又さむく

今夜は、公民館で卓球。明日は、久方ぶりに東京に帰る予定。

     
         

1997-12-17(水) 曇のち雨 ヒュッテ H=4, L=-1 8,276歩(万歩計)

しばらくの間、日記をお休みしていたが、その間、いろいろなことがあった。
その中で、おも立ったものを 2, 3 記して置くことにしよう。

何と言っても、一番大きな事は、デジタルカメラを買った事だろう。
デジタルカメラは前から欲しかったものの一つであるが、ソニーだけが 3.5 インチのフロッピーディスクに直接記録できるデジカメを発売していたため、即座にそのカメラを買うことにした。

従来のデジカメは、 3.5 インチ・フロッピーとは違った各社独自の記録媒体に録画しているため、記録した画像を処理する為には、デジカメとコンピューターを線で繋いだりしなければならず、取り扱いが聊か(いささか)煩雑だったが、ソニーの MVC-FD7 では、カメラの中に挿入した 3.5 インチ・フロッピーディスクに撮影画像を直接記録することができるようになったので、(紙焼きした写真をスキャナーにかける必要がなくなり)、ホームページに画像を載せるための時間を、大幅に短縮することが出来るようになった。

次は、長野県のプロヴァイダーの avisnetが、都内に新しいアクセスポイントをスタートさせたニュースである。

今まで、僕はso-net に入会していたが、so-net は佐久にアクセスポイントがないため、中野の自宅に帰った時にのみホームページのアップロードを行なっていた(勿論、ヒュッテからだってアップロードをすることはできるが、毎回、ヒュッテから東京のアクセスポイント迄の長距離電話を使っていたら、お金が堪らない!!)が、avisnet が都内にアクセスポイントを作ったとなると、プロヴァイダーをavisnet に変更したほうが有利になる。
と言うのは、avisnet に加入すると、ヒュッテに居るときは佐久のアクセスポイントを利用できるし( 3 分間 10 円)、中野の自宅に居るときは都内のアクセスポイントでアップロードできるから(こちらも、3 分間 10 円)である。

今日は、夕方 7 時から、佐久町のカラオケボックスで卓球クラブの忘年会があった。
出席者は 10 人。普段は、ラケットを握っている仲間達がマイクを握って、真夜中まで大騒ぎをして年末の一時を楽しんだ。
会費は 3,000円だったが、その内容は東京都は大違い!!
オコノミヤキ、タコヤキ、ギョーザ、ヤキトリ、オニギリ、フルーツ等などは量も多く、最後には色々なものが残ってしまったほど。しかも、カラオケは 5時間みなで歌いっ放しである!!

・・・・僕は東京での事を考え、夕飯を軽く済まして行ったが、そんな必要は全くなし。かえって、勿体ない感じがした。

カラオケボックスを出たのは、真夜中近く。

外に出ると、今夜は南方から低気圧が近づいているとかで、気温は暖かく雪ではなく、雨がかなり降っていた。アルコールが飲めない僕は、雨の中を自分のポンコツ車で、千曲川を遡りながら Y さん、N さん、W さん、女性の N さんを自宅まで送って行った。

ヒュッテ着は 00:30。
自動車を降りると、ヒュッテの庭は霧で真っ白。
雨がショボショボと降って、気温は春のように温かい。家の裏手にまわり、屋外用の寒暖計を覗いてみると、気温はプラス 2 度・・・・温かいはずである。
でも、その後でクスリと一人笑いをしてしまった。
2 度と言えば、東京の 2 月の厳寒期の気温だからである。








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