1997年11月の日記

   

1997-11-01(土) 快晴 自宅 10,622歩(万歩計)

昨日、帰京。
今日は、一昨日、佐久室内オーケストラのチェロの名手、小池公夫さんに頼まれた

Beethoven : Piano concerto No. 3 (C minor) & NO. 4 (G major)
    Piano : Vladimir Ashkenazy
    The Cleveland Orchestra

の CD を新宿高島屋 12F の HMV に探しに行く。
DECCA の輸入盤が見付かったので、ワクワクして帰る。こんど聴かせて貰おうーーっと!!

   

1997-11-02(日) 晴 自宅 7,739歩(万歩計)

久方ぶりに、中野桃園教会の礼拝に出席する。
懐かしい教会の方々。
皆さんに
「元気だった??」
「死んじゃったのかと思ってたあ!!」
等々と、声をかけられた。
牧師夫妻とも、いろいろと話しをする。
この二人と話しをしていると、本当に旧友と話しをしているようなホッとした気分になるから不思議だ!!

午後、久方ぶりに会った S さんとサンジェルマンで 1時間ほど話しをする。
彼女と話しをしていると、時間がアッと言う間に過ぎてしまう。

本当は、早く家に帰って、あした松原湖に行く準備をしなくていけないのに・・・!!!

「俺って、どうして、こう女性に弱いんだろう??」と、思う。

お陰で、今夜は日記を書く時間がなくなってしまいました。

バイバイ。

     

1997-11-07(金) 快晴 ヒュッテ 12,356歩(万歩計)

小春日和の一日。
朝、松原湖を一周する。
落ち葉の敷き詰められた小道を歩くと、小鳥達が驚いたように僕を眺め、カサコソと鳴る葉音があたりの静けさを呼び醒ます。
木漏れ日の中、一頭のシータテハ(蝶の一種)が眠たげに近くを舞い、けだるそうに湖岸へと飛び去った。
・・・・山の中の湖岸にあって、本当に幸せなひととき。
ふと、学生時代に好きだったアイヒェンドルフの詩の一節が口をついて出てきた。

梢よ、泉よ、鳴り響け
どんな激しい想いに駆られて遠い国へと旅しても
ついの憩いは何処にもない

今の場面に全く関係ない詩の一節を、なぜ、思い出したのか僕には分からない。

でも、心の中をよく探ってみると、今の心境のようなひとときが、ずっと昔にあったような気がする。
木枯らしの吹きすさぶ冬の日に、学校をサボッて、クラシックの音楽喫茶のストーヴのそばでヌクヌクと火に暖まりながら何回も読み漁った、手垢に汚れた古いポケット版のドイツ詩集。

あの青春時代の憧れと不安に満ちた、泣きたくなるような幸せなひとときを思いだしていたのかも知れない。

チチッと鋭く鳴いた小鳥の声に、我にかえり、あたりを見回すと一頭のリスが道を横切って走り去った。

あたりは本当に静かである。

兄から貰った、あの古いドイツ詩集は今でも、東京の自宅の本箱の「一番大好きな本」のコーナーに収まっている。

     
      

1997-11-09(日)晴 自宅 12,569歩(万歩計)

親類の法事に出席のために帰京。
玄関脇のセンリョウはすっかりと色付き、小さな赤い実が鮮やかな緑色の葉の座布団の上にちょこなんと座っている姿が実に可愛らしい。その赤と緑の色彩のコントラストが、なんとなくクリスマスが近づいて来たことを思わせる。10日振りの我が家だが、やはり我が家はいいなと思う。

Mid pleasures and palaces though we may roam,
Be it ever so humble, there's no place like home.

気が付くと、Home sweet home の歌を口ずさんでいた。

午前9時半、久方ぶりにワイシャツにネクタイを締め、家内と一緒に横浜の上大岡まで出掛けたが、なんてネクタイと言うものは窮屈なものなんだろうかと、改めて感じ入った。

つい、昨年の冬まで毎日のようにネクタイを締めて会社に行っていたのに・・・・と、わが身の変わりようにも驚かされた。

法事の後の席では、色々な人と顔を合わせ、皆さんの元気な姿を目にして、とても嬉しく思う。

明日は、大学受験の浪人生の数学を看たあと、松原湖にトンボ帰りである。

    
     

1997-11-11(火) 快晴 ヒュッテ

午前10時半、工藤さんと幼児を連れた初対面の峰尾さんが来訪。
工藤さんも峰尾さんも、小海に嫁いできた奥さん達で、仲の良い友達同士らしい。

事の起こりは、峰尾さんがインターネットの話しを聞きたいと言うことだったが、話しは色々な話題になり、たのしい半日を送ることができた。勿論、僕は喜んでインターネットの話しをしたが、途中で峰尾さんの子供のKちゃんが、愚図りだし「それじゃあ、散歩に行こう」と提案をし、4人で散歩に出掛けた。

すると、オンブをせがんだKちゃんは、すぐにお母さんの背中で眠ってしまった。Kちゃんはお昼寝がしたかったらしい。散歩道は下り坂あり、上り坂ありの白樺と落葉松林の約2キロ。峰尾さんが重そうなので、僕と工藤さんが交代でKちゃんをオンブする。我が家にかえってきてから、間もなくKちゃんは目を醒ましたが、見慣れない家の中に驚いて「ココ、ドコ??」と言ったときの目付きと言ったら!!!・・・・ほんとに綺麗で可愛らしい瞳だった。

14:00 3人は帰っていったが、
「また、遊びにきてよ!!」と言うと
「ええ、うちの方にも来て下さい」と二人。
「ウン、有り難うチャンスがあったら、絶対に行くよ」
本当に、また会いたい人達である。

    
     

1997-11-11(水) 快晴 ヒュッテ 10,669歩(万歩計)

とても暖かい小春日和の一日。
午前中は、洗濯をしたり、ベランダの上の樋から丸樋に落葉松の葉っぱが流れ込まないように金網を張ったり、大好きなシューベルトのピアノソナタ「幻想」(D839)を聞いたりしてのんびりと半日を過ごす。

午後2時過ぎ、以前から E-mail でやりとりをしていたMさんとMさんの二人の上司が来て下さった。Mさんには、前々から会いたかったので、とても嬉しかったが、3人が話す日本語がとてもキチンとして折り目正しいので、言葉使いの出鱈目なガラッパチの小生には、冷や汗をかき通しの1時間30分だった。でも、Mさんと会うことができたので、今後のメールのやりとりが、一層楽しくなりそうな気がする。

皆さんが帰られたあと、フト思った。
「日本語を勉強しなくちゃア!!」(陰の声)
・・・・すると、誰かが囁いた。
「バーカ、お前にそんなこと、出来るわけねえだろ!!」(陰の声の陰の声)
「エッ?」と言ったら、極楽浄土から親父の声がした。
「おめえなあ、蛙の子は蛙って言葉があるだろ。おめえは、もともとが米屋の次男坊じゃねえか。だからってんだ、おめえみてえな奴が格好つけて、蛙が鶴になろーたって、そうは行かねえ!!おめえは、いつまで経っても蛙っちゅう訳だ。そんなことできる訳きゃあねえのは、自分でも分かってんだろ!!この薄馬鹿(うすばか)!!」だって!!
クシュン!!!!

   
1997-11-13(木) 雨 ヒュッテ 6,727歩(万歩計)

本当に久しぶりの雨。
気象庁の発表によると、昨日までの天気は観測史上初めての雨無し記録だったとか。
今日は一転して、静かな雨の一日。

朝食を、1時間位かけてユックリと攝る。
現在の僕が一番楽しみにしている食事は朝食である。Olive oil をタップリと使ったサラダが、とにかく美味しいからである。
ガラス戸越しに聞こえるベランダを打つ雨垂れの音。庭先に黒々と聳えるヤマハンノキの梢。部屋の中に流れるアルツール・グリュミオーが奏くバッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ。
この曲は、僕が一番好きな曲であるが、どうしてこんなに美しいのかと思わずにはいられない。

暫く、ぼんやりとヴェランダを眺めていたら、小さな小鳥の影が、目の前を横切って手摺りにとまった。・・・・見るともなく見ていると、その小鳥はスズメより小さくて、尾がピンと立っていて、物凄く敏捷・・・・

「えっ、ミソサザイ・・・・????」

僕は、とにかくビックリしてしまった。
小鳥が飛び立ったあと、僕は鳥類図鑑を持ってきてしらべてみたところ、体全体の色が暗褐色なので一番近いのはカワガラスかも知れない・・・・と思い始めていた。それにしても、尾の立ち方は、図鑑で見るミソサザイのようだし、体の大きさもカワガラスよりもずっとちいさかった。

もう一度、あの小鳥ははやって来ないかなと思う。

   
    

1997-11-14(金) 雨 ヒュッテ

一昨日の夕方、快晴の空がとても美しかったので散歩に出掛けた。

冬枯れの白樺の梢の上に、夕日を浴びて流れていく雲はとても素敵だが、どの別荘にも人影はなく、あんなに賑やかだった真夏の面影は今は全くない。8月の夏の真っ盛り、青々とした豊かな葉っぱを誇らしげに纏っていたミズナラの大木も、初冬の今は疲れきった老人のように、陰うつで何か物寂しい。・・・・見上げると、今日も純白の飛行機雲を引きながら、大型ジェット機が西の方に飛んで行った。
「あの飛行機は、何処に行くのだろうか?」と、思う。

・・・・こんな感傷に浸りつつ、町営貸別荘のコテージ・エリアの付近に差掛ったとき、遠くのコテージの蔭から女子高生くらいの女の子が小さな犬を連れて半ば走るように出てきたので、僕はビックリした。・・・・先が細くなった黒い毛糸の帽子を被り、可愛らしいハーフコートを着て、黒いタイツとブーツを身に付け、チョコチョコと走る犬の歩調に合わせて、半ば駆け足で歩く姿はどう見ても、女子高生である。

「エッ、何で今ころ高校生が、こんなに人気の無い所にいるの??」

そんな事を考えつつ、いつもの散歩道の角を曲がろうとしたら、チョコチョコと走る犬を見守りながらこちらの方に近づいてきたその女の子も、同じ角を曲がろうとした。

「一体、だれだろう?」僕は、立ち止まってその子を見つめた。

すると、犬のあとを追って地面を見つめながら急ぎ足で歩いてきたその少女は、そこで初めて僕に気が付いたようだった。歩速をゆるめて、僕の方をジッと見つめた。それは少女ではなく、れっきとした成人女性の顔だった。しかも、僕にはその彫りの深い顔に、どこか見覚えがあったし、彼女が連れている小さな犬にも見覚えがあった。

「ハテ、誰だっけ??」と、記憶のページを物凄い勢いでめくっていると、
「アラア!!」と、彼女の方から驚きの声をあげた。

その瞬間、その人が誰であるかが分かり、僕も大きな声を上げた。
「ヤア、貴方だったのかあ!!全然、分かんなかったよ。だって、女子高生くらいに見えたんだもの」
彼女が近づいて来るのを待って、僕はさらに声を掛けた。
「なんで、こんなところ歩ってんの??」

「エート、美術館のところまで行って、向こうをまわって来たんだけど、舗装道路よりこの草原の方が、足にいいから、この別荘の庭を通って来たの・・・・」
「歩き易いってこと?」
「うううん、犬の脚にいいのよ。土は軟らかいでしょ。だから、歩くのがとても楽なのよ。もちろん、人間の足にもいいわ」彼女の話し方は、本当に女子高生(と言っても、往時の女子高生であるが・・・・)の話し方に近かった。
「犬って、このワン公のこと??」・・・僕は驚いて、訊き返した。
「ええ」(どうして、そんな当たり前の事を訊くの?)とでも言うように、彼女は目で笑った。
「そうか、優しいんだあ!!・・・・ところで、彼は今日どうしたの?」僕は話題を変えた。
「主人?」
「うん」
・・・・彼女は、近くに住んでいる I 氏の奥さんである。
「ダンボール燃してるわ」
含羞み(はにかみ)ながら、彼女はクスリと笑った。
「なんだい?それって・・・」
「今まで使うかも知れないと思ってダンボールを取っといたんだけど、増え過ぎて場所塞ぎになったんですって」

僕達は、ごく自然な調子でこんな会話を交わしながら、ワン公を挟さみ、並んで彼女の家の方に歩いて行ったが、僕が彼女と話しをしたのは実に今回が初めてなのである。

彼女の旦那さんの I 氏と僕は、道で出会うとよく20分でも 30分でも立ち話をする。I 氏は、少し含羞み屋(はにかみや)で、カストロのようなモジャモジャ髭を生やした、とても優しい男である。
・・・・ごく稀にだが、そんな彼と連れ立って、この日、少女の様な感じがすると思ったこの奥さんが散歩をしているのを見掛けたことはあったが、彼女と話しをしたことは全くなく、せいぜい言葉を交わしても「コンニチハ」「サヨウナラ」などの、ごく短い挨拶だけであった。

ところが、この日、偶然にも道で出会って初めてこの I 氏の奥さんと話をしてみると、僕はずっと前から彼女を知っていたような気がしたので、とても不思議に思えた。

彼女の家に近づくと、I 氏はダンボールを盛んにもやしていた。
その彼の姿が潅木越しに見えたので、僕は大声で彼に声を掛けた。
「コンニチハーーーー!!」

道に出て来た彼は、僕達を見てちょっと驚いたように奥さんに聞いた。
「今までに話したことあるの??」
「ない、ない。ホントにきょう初めて話したんだよ、ねえ?」
僕は割り込んで、そう答えて奥さんの方を見た。
「そうなの・・・・」
彼女は、子供っぽく静かに笑ったが、その言い方のあどけなさに、今度は僕と I 氏がカラカラと笑った。

それから 20分ほどわれわれ三人は、冬の寒さのことを話しあったが、I 氏夫妻は僕の質問に答えて、
「大丈夫。そんなに心配しなくても・・・・」
と盛んに僕を元気付けてくれた。

その中で、とくに可笑しかったのは、彼女が
「・・・・朝、起きるでしょ。そうしたらストーヴを焚いてない寝室から飛び出して、一晩中暖めておいた居間に飛び込んで熱つーーーいコーヒーを飲むの!!」
と言った時のことである。・・・・その言い方がとても少女っぽかったので、僕は大声で笑った。
すると、彼女は自分の言った事を僕が信じていないとでも思ったのだろうか、彼女はもう一度同じ言葉を繰り返して言った。
「ほんとよ!!朝、起きるでしょ。そうしたらストーヴを焚いてない寝室から飛び出して、一晩中暖めておいた居間に飛び込んで熱つーーーいコーヒーを飲むの!!そうすると、体がとてもあったまるわ」
・・・・僕はもう一度おおきな声で笑ってしまったが、彼女も僕の声につられて小さな声で笑ったのが、とても印象的だった。

そのあと、われわれ三人は暫く話しを続けたが、彼女が
「わたし寒くなったわ・・・」
と、これもまた少女のように言った言葉を合図に、僕達はサヨナラを言ったが、家に着くまでの間、僕は不思議な感覚に包まれていた。

タイムスリップしたように、メールヒェンの中にでも住んでいるような雰囲気をもった、少女のような女性。
彼女は、今まで僕が出会ったことのない種類の女性だったが、何故か遠い昔に何処かで会ったような気がしてならなかった。

夜、寝る前に、いつものように寝室の窓を開けて、空一杯に拡がる星々・・・・リゲル、ベテルギウス、シリウス等々を眺めている時に、ふと、その女性に何処で出会ったかを思いだしたような気がしたのである。

「そうだ、堀辰雄だ・・・・」
学生時代に貪り読んだ堀辰雄の作品の何処かで、彼女の様な女性に出会ったことを微かに思い出したのである。

   

1997-11-15(土) 雨のち曇 ヒュッテ 10,852歩(万歩計)

日出 06:16  日没 16:34 (東京地方)

随分と日が短くなったものである。
午後の5時半には、もうあたりは真っ暗である。
    

1997-11-19(水) 曇 ヒュッテ 6,719歩(万歩計)

15日の夜に帰京したあと、先刻ヒュッテに戻って来た。

20:07 松原湖着。
ヒュッテに帰ってきたら、さっそく夕飯のしたくである。中野を出るとき、家内がアイスボックスに肉を入れながら
「肉を入れとくから、今夜はステーキにしたらいいわよ」
と作り方を説明してくれたのを思い出した。

「じゃあ、始めるか・・・・」と勇み立ったのはいいが、家内が説明してくれたことを殆どぜんぶ忘れてしまっている。わずかに「シオ、コショウ」という一言を憶えているに過ぎない。
「これはイカン!!」
と思って、中野の自宅に電話を入れたが、
「英会話に出掛けた」
という息子の一言。
「アチャー」 僕は溜め息をついた。

「さて、誰に訊いたらいいのだ??」
何人かの候補者をあげて考えて見たが、この時間だと皆さんに迷惑を掛けそうなので、どうも名案が浮かばない。いろいろ考えた揚げ句、八千穂村のペンション「北極星」のママに電話することにした。

「アラア、どうしたの?」
僕だと分かると、彼女は驚きの声を上げた。
それもそのはず、彼女とは喫茶店「樹音」で、何回も顔を合わせたことはあるが、電話をしたのは、今回が始めてだからである。
「ごめんなさい。忙しいところ・・・・じつはねえ」
と切り出して事情を話し、ステーキの作り方を教えて欲しいと言うと・・・・
「いいわよ。こうすれば、いいのよ」と次のように教えて呉れた。

1. 肉にシオ、コショウをする。
2. ニンニクをスライスする。
3. フライパンに油をしき、ニンニクが狐色になるまで炒める。
4. シオ、コショウをした肉をフライパンに入れ、フタをかぶせて強火で模様がつくまで焼く。
5. 表が焼けたら、肉を引っ繰り返して、弱火で自分のすきな焼き具合まで料理して、出来上り。
6. あとは、お皿にレタスを添えて盛り付ければ O.K.  との事。

「どうも有難う」お礼を言ったあと、
「ヨーシ、やるぞう!!!!」
と、腕まくりをし、家内が詰めてくれたアイスボックスからステーキ肉のパックを取りだし、サランラップをはずし、スライス肉をまな板の上に並べ始めた時、僕はギョッとして叫んだ。

「やばい!! 肉が腐っている」

見ると、肉のところどころが薄茶色や薄鼠色に変色しているではないか!!!
「おかしいな。今朝、買い物から帰って来た時、家内の奴、たしか "新鮮なお肉があったから買ってきたわ" とか言ってたけど、アイスボックスに入れといても牛肉というものは、こんなにも腐りやすいものなのかね??」
・・・・おっかな、びっくり、親指と人差指の先でその変色した牛肉をつまみあげ、鼻の先に持って行って、クンクンと匂いを嗅いでみた。
「おや、おかしいな。変な匂いは全くしないぞ。でも、お腹をこわすといけないから、腐っている部分を取り除こう」とばかりに、包丁で傷んだ部分をほじくりだしたが、変色した部分は実に複雑に肉の中に入りこんでいるではないか。

「フウ、骨折らせやがる。大体、こんなヘッポコ包丁じゃ役に立たねえよ!!」
と、ご自慢の外国製の鋭利なナイフを持ちだして、丁寧に悪い部分を取り去った。

「やれやれ、骨折らせやがって・・・・」
ボヤきながら、出来上がった肉をつまんでみると、形は縁にギザギザがあったり、あちこちに穴ボコが開いたりで、まるで破れ長屋のペナペナ障子そっくりである。でも、いい・・・・
僕は、北極星のママから聞いた通りにステーキを料理し、出来上がったのを一切れ口に放り込んだ
「ハフ、ハフ、ハフ、ハフ、あっちっち」
と火傷をしないように大きく息を吸い込んだが、その味の美味しかったこと!!!!!それは、まさに天下一品のステーキだった。

そして、やっとのことでの夕御飯。
冷ややっこ、漬物、みそ汁、それに今できたばかりの特製アナボコ・ステーキ。
お腹が空いていた所為か、とにかくこの日の晩御飯のおいしかったこと。
夕食を食べ始めて暫くすると、ポッポ、ポッポ、ポッポ・・・・と、壁の鳩時計が10時を打った。
僕は、とっさに一枚のステーキを箸でつまみ上げ、真ん中の穴ボコを通してポッポ、ポッポと鳴いている鳩を眺めた。
「ハハハハハ、見える、見える!!!」
・・・・本当に楽しい晩ご飯でした。

夕食が終わって、暫くすると家内から電話があったので、
「肉が腐っていた」
と言って、事情を説明すると、
「アラ、勿体ない」
と言ったあと、
「牛肉はしばらく置くと、色が変わることがあるのよ。でも、まったく大丈夫なの・・・・」
と言って、家内の笑うこと笑うこと。

「あら、よくやったわね」と、褒められると思っていたのに・・・・・!!!
クシュン!!

という一日でした。 チョン!!
    
    

1997-11-21(金) 曇 ヒュッテ 11,037歩(万歩計)

午前 9時。いつものように、松原湖の周囲を一周する。
昨日は、雨模様の天気だったが、雲の中でボンヤリと霞んでいる八ケ岳を見ると、横岳・硫黄岳・天狗岳などがウッスリと雪化粧をしているのが目に入った。八ケ岳に初雪が降ったのである。
・・・・いよいよ冬である。

夜、松原区の集会所でダンスの講習会があったので参加してみた。
集まったのは 25人ほどだったが、男性は 10人ほど。50才・60才台のひとも半分近くいたため、 61才の僕も仲間に入って楽しい一時を過すことができた。

むかしむかしの大昔。今から 35年ほど前のこと、いち日に 5時間も 6時間も夢中になってダンスを踊ったものであるが、久方ぶりに踊ってみると、今でも体がダンスを憶えているのがとても面白かった。
・・・・今回のダンスの講習会は、松原では初めてだったが、女性達は、先生が教えてくれたステップを真面目に練習している。「練習しませんか?」と声を掛けると、素直に練習してくれるのが嬉しくて、10人ほどの女性とお近付きになるこたができた。

どんどんと、人の輪が大きくなって行くのが、とても素敵だ!!

     

1997-11-22(土) 雨 ヒュッテ 8,366歩(万歩計)

僕が、時折り、受付のお手伝をしている松原湖観光案内所は、松原湖の岸から 50m ほどのキャリフール・センターという瀟洒なコンクリートの建物の中にある。窓から眺めると、道路を隔てて湖の一部が見えるのが、とても嬉しい。

ところで・・・・今の時期、天気が崩れると、この界隈の人通りは極端に少なくなる。
今日の午前中も、ホールの窓辺に肘をつき、手の平の上に顎(あご)を乗せて、30分ほど湖面に輪を描く雨の模様を眺めていたが、前の道路を通ったのは数台の車だけで、人間はとうとう一人も通らなかった。

      
     

1997-11-24(月) 晴 ヒュッテ 8,970歩

午前中、稲子の井出幸江さんに連れられて高野町の N 商事に出掛けた。
Nさんが、落葉松林を雑木林に変える運動をしていると言うことなので、その話しをぜひ伺ってみたいと思ったからである。というのは、松原湖高原で僕が一番手掛けたいと思っていることが、この「落葉松林を雑木林に変える」ことだからである。

高野町では40 分ほど N さんの事務所で話しを聞いた後、N さんに実験場の花岡の雑木林に連れていって戴いた。
そこは、もともと落葉松林だった所だが、N さんはその林を雑木林に変更する実験をしているというこであった。木の一本一本には、木の名前を記した板が結び付けられていたり、間引きをしないとどうなるか等々、話しを聞いたり説明を受けたりしていて、参考になることが沢山あった。

更に、感動的だったのは、春が来ると、林床一面にカタクリの花が開花するということであった。楚々としたカタクリの花は僕の大好きな花の一つである。開花時期は 4月中旬ということなので、来春その時期に見に行ってみることにしよう。

午後は、いつものように松原湖を一周したが、その途中、珍しく湖畔館の喫茶店に電灯が点もっていたので、中に入ってコーヒーを飲んできた。・・・・香りの高いコーヒーを飲みながら、湖畔館の若い主人と初めて話しをしたが、とても話しの面白い人であることが分かった。

彼の曰く、「電気が点いていなくても店はやっていますから、またお茶でも飲みに来て下さい」とのこと。・・・・また今度、行ってみよう。

    
     

1997-11-25(火) 晴 ヒュッテ 4,993歩(万歩計)

 いつもの通り朝 6時に起きて、真向法体操をしていると、淡い朝日が白樺の梢の向こうにゆっくりと昇って来た。今朝の日の出は 6時 20分位ではないかと思う。朝食を作り、食卓に座り、食事を始める前に、これも又いつものように主の祈りをお祈りする。

天に在します我らの父よ、願わくはみ名をあがめさせ給え。
み国を来らせ給え。み心の天になる如く、地にもなさせ給え。
・・・・・・

 とても静かで幸せなひとときである。

 ベランダ越しにガラス戸を通して、水平に室内に流れ込んでく来る冬の朝の弱い光。
 窓ガラスに露結する細かい水滴。
 冬枯れした庭先のマユミの木の頂部を橙色に染めているツルウメモドキと、小さな実を沢山つけ黒々と立っているヤマハンノキ。
 出窓のガラス越しに見える、霜で真っ白になった愛車のゴルフ・カブリオレ。
 この静かな朝のひとときの中で、テレビのニュース解説の単調な声が、いっそうの長閑けさ(のどけさ)を醸し出す。

 このニュースを聞くともなく聞いていると、相変わらず山一証券の自主廃業と公的資金導入の可否についての解説を行なっていたが、最近の金融不祥事のニュースを聞いていると、不愉快な事に、いつも段々と腹が立ってくる。

 それにしても、大蔵省の連中の厚かましさはどうだろう????
 最も大切な事は何もしないで、自分たちの利益に繋がることは、意地汚く権利を守ろうとする。その上、やるべき事はズルけてばかり!! 銀行とか大企業とかに都合の悪いことには目をつぶり、結果としていつも国民の税金を食い荒らしているだけである!!!!

 「キッタネーなあ大蔵省の野郎達!!!! 省内にマシンガンを持ち込んで、彼奴等(あいつら)片っ端からブッ殺してやりてえよ」
とは、友人の一人の言であるが、こんなに強烈ではなくとも、これと似た気持ちを持っている人達は、結構な数いるのではないだろうか?

 ・・・・書いているうちに、とても不愉快になってきたので、今夜の日記はこれで終わり。

 チョン!!

    
     

1997-11-26(水) 雨。風強し。 ヒュッテ 6,429歩(万歩計)

 朝 7時 20分、目覚ましの音で目を覚ます。
 温かい朝、半分寝ぼけた状態でフトンの中でヌクヌクしているのが、とても気持ちいい。
 耳を澄ますと、窓の外でポチョ、ポチョと大好きな雨の音がしている。
 「雨かあ、いいな」
 言うが早いか、また 20分ほどウトウトとしてしまう。

 そんなこんなで、寝床を出たのは 8時近く。

 遅い朝食をすましたあと、臼田の佐久総合病院に出掛けることにする。
 僕には以前から軽い蓄膿のけがあり、毎年、2、3回ほどだが風邪気味のときに、急性症状が出ることがある。今回もそうである。・・・・3、4日前から鼻の調子がおかしくなり、昨夜から蓄膿の急性症状が出てきたのである。

 雨模様の中、10時半ころ佐久総合病院着。小一時間ほど待ったあと、女医さんに診てもらう。
 「頭部のレントゲンを撮ってみたけど、大したことはないようです。薬を 2週間分だしておきますから、症状が良くなっても、最低 1週間はキチンと薬を飲んで下さい。慢性の副鼻腔炎になると、厄介ですから・・・・」とのこと。

 帰途、Axe Okusa で最高最低温度計を 2,900 円で購入した後、土砂降りの中、一昨日立ち寄った松原湖の湖畔館に寄ってコーヒーを飲む。
 今日もマスターと中部横断道路や町のことなど色々な話しをしたが、とても素直な感じの人なのが楽しかった。

 17:00 帰宅。
 夕食の準備をしながらテレビのニュースを聞いていたら、長野県中部地方に大雨注意報・洪水注意報・雷雨注意報が発令されていることが分かった。

 今夕のメニューは子持ちカレイの煮付け・生野菜サラダ・豆もやしの油漬け・もずく・茄子の味噌汁・ それにご飯である。最近は、一日三回の食事を自分で作ることが面白くなってきて、食事のほとんどを自分で作るようになってしまった。その方が自分で好きな味付けができるし、まず第一に、とても経済的に食事を準備することができるからである。

 今、午後の10時半。
 先刻から、コンピューターを取出してホームページの高原日記の原稿をかきはじめた。
 キーボードを叩きながら耳を澄ますと、ベランダを打つ雨が眠たげな音をたてている。・・・・時折、「ゴウ!!」と森が大きくきしんだかと思うと同時に、雨戸がガタガタと揺れ、大粒の雨がバラバラと雨戸を叩く音がする。・・・・部屋の中はとても静かで、シューベルトの「美しき水車小屋の乙女」のリートが流れている。

 外は大雨だが、家の中はヌクヌクと暖かい。
 そして、その家の中で、大好きなシューベルトとこれまた大好きな雨の音を聴いていられる歓び・・・
 ・・・・とても幸せなひとときだ!!

 「本当に幸せ!!」・・・・最近の僕は、よくそう思うことがある。

 でも、どうしてだろう??

 何日か前から、僕はその理由を考えてきたが、つい最近になって、自分なりにその理由が分かり始めてきたのである。

 それは他でもない、「自分自身の為だけにやっていることが皆失敗する」という小気味よい運命の計らいが、とても素晴らしいと感じ始めているらしいのである。

 「ガイド通訳の国家試験に一発でパスして、皆をアッと言わせてやろう!!」
 「人前で目立つ事をして、格好のいい所を見せてやろう!!」
 等々、自分自身の見栄や虚栄の為だけに、やろうとしていることの殆どが、小気味いい位に上手く行かないという嬉しい事実なのである。

 でも、それは、今からよく考えてみると、数年前から僕の心の中で培われ始めていた気持ちなのかも知れない。・・・・そう、3年ほど前に、蝶の標本と SP レコードのコレクション(もともと、このSPレコード・コレクションは家内の父親が収集したものであるが、その後、故あって我が家がその義父から譲り受けたものである・・・・)を小海町に寄付してしまった頃から、

 ・・・・そうだ、以前あんなに夢中になって集め、僕自身の自慢の種だった蝶の標本を小海町に寄付し、また後生大事に保管していた SP レコードも同じく町に寄付してしまった頃から・・・・

 蝶とレコードを寄付してしまった後に感じた、ドロドロとした自尊心を脱ぎ捨ててしまったような肩の軽さ・・・・首のまわりに寒い風が吹き過ぎるように感じたあの清々(すがすが)しさ!!・・・・を感じた頃から、僕の心の中で何かが変わりつつあったのかも知れない。

 では、僕が感じたものは何だったのだろうか??

 それは、多分、
 「一番単純で、一番分かりやすい生活を送れることが、一番幸せだ!!」
 という事ではないかと思う。

 一番単純で、一番分かりやすい生活・・・・深い森の中に住んでいたデルス・ウザーラのような人間が、世の中で一番幸せなのではないかと最近の僕には思えるのである。

    
    

1997-11-27(木) 晴 ヒュッテ 12,399歩(万歩計)


 今日は昨日と打って変わってビカビカの上天気で温かい一日。
 「これは願ってもない洗濯日和!!」
 早速、洗濯機をフル回転させた後、ベランダにロープを張って、今洗ったばかりの洗濯物をロープに掛ける。・・・・標高 1,300m の冬期の我が家では、洗濯物は乾きにくいし、うっかりすると洗濯物が凍ってしまうのだ。東京では、あんなに面倒臭い洗濯が、ここ松原湖高原ではとても楽しいから不思議だ。

 午後は、中野の教会から依頼されていた原稿を書こうかなと思い原稿用紙の前に座ったが、ベランダに躍る眩しい陽光を目にしたとたん・・・・
 「ヤーメタ、松原湖に行ってコーヒーでも飲んで来ようット」と叫ぶが早いか、ポンコツ車を駆って我が家より 200m ほど下にある松原湖に急行、湖畔館のカフェテラスに出掛けた。

 カラン、カラン・・・・
 湖畔館のカフェのドアを開けて中に入ったが、中には誰もいない。
 それもそのはず、シーズンオフのこの時期、平日に松原湖を訪れる観光客など滅多に居ないからだ。
 今週に入り、このカフェテラスにきたのは 3回目だが、いつも鐘の音がカランカランと鳴ると、奥からマスターが出て来る。

 今日もそうかと思っていたら、
 「いらっしゃいませ・・・」と言って出てきたのは、健康そうな美女。
 「コーヒーを下さい」と言って、僕はカウンターのいつもの席に腰掛けた。

 ・・・・僕は滅多にコーヒーを飲まない。そう、一年間で 10杯も飲めば多い方だ。だが、不思議なことに、この喫茶店では初日から僕はコーヒーを飲んでいる。
 初めて来た日に、僕がコーヒーを注文したのも極く自然だったし、普段は美味いと思わないコーヒーが、この店ではとてもオイシかったのも不思議だった。

 「ご主人は?」と訊くと、
 「すぐ裏に居るとおもいますが・・・」うつむき加減にコーヒーを入れる手許を見つめる顔が美しい。
 「ひとつ訊きたい事があるんだけど・・・・」
 「何でしょう?」
 「この間から気になっているんだけど、・・・・」と前置きして、僕は自分が気になっている事を説明した。
 ・・・・それは、湖の西岸の切り立った崖の上のあちこちに置いてある、直径 40-50cm の丸太を 70-80cm の長さに輪切りにしたもので、上下の切り口のそれぞれに、一辺が 60cm 厚さ 2cm ほどの正方形の板を打ち付けたものなのである。
 「何だろうね、これは・・・・?」説明をしたあと、こう訊いてみたが
 「さあ、何でしょう?」と、全く見当が付かない様子。
 「でも、そういった物を見たことはあるでしょう?」
 「あまり、記憶にないものですから・・・・」
 「エエッ、だってこの店のすぐ傍にもあるんだぜ・・・・」等々、話していると奥の方からドサドサと男の足音が近づいてくると、カウンターの奥のドアーが開いて、もう顔見知りの若旦那が顔を覗かせ、僕に声を掛けた。
 「ヤア、ヤア、ヤア、いらっしゃい....」
 「ヤア、こんにちは。今日もまた来ちゃったよ。ところで、こちらの美女はあなたの奥さんなの?」
 「はあ?・・・・ええ、そうです」
 突然の質問に、一瞬、彼は戸惑ったが、僕の質問の意味が分かると、恥ずかしそうに彼はこう返事をした。
 「可愛い感じの人だよねえ・・・・・ところでさあ、今こちらの美女にも訊いてたとこなんだけどさあ、一つ教えて欲しいことがあるんだけど・・・・」
 と言って、僕は例の輪切りの丸太の説明をした。
 「あれはハチなんです」僕の説明を聞き終わると、彼はこう答えた。
 「ハチって、ミツバチの巣ってこと?」僕は驚いて、こう聞き返した。
 「そうみたいですよ。初め、自分も分からなくって、何だろうと思ってたんですがね、訊いてみたらハチだっていうことでした」
 ・・・・僕と彼が夢中になって話し始めると、奥さんはそっと席を外して奥に戻って行った。
 「へえー。でも、ミツバチの巣って、「巣箱」っていう、あの四角い箱じゃないのかな?」
 「普通はそうですよね、だから自分も最初は分からなかったんすよ」
 「そうかあ、どうも有難う。あいつが分らなくって、宮本屋の大将にも訊いたんだけど、あの物知り博士も知らなかった・・・・」
 「ありゃあ、普通は分らないですよね・・・・」
 「うん、分らない。だから、僕は崖を滑り降りてって、あのヘンテコナ物の傍に行ってみた」
 「それで・・・・」
 「一番最初、鳥の巣箱かと思ってまわりをグルッと回ってみたけど、巣穴が見付からなかった」
 「はあ」
 「それで、その次は、何かが祭ってある神様かと思ったんだよね・・・」
 「それで....」
 彼の目付きは、明らかに笑いを堪(こら)えている目付きである。
 「それで、もう一度まわりを回ってみたけど、どちらが前で、どちらが後ろだか、よく分らない。それで、これは神様じゃないと思った」
 「そいで、どうしたんです?」
 「それで??・・・・どうも分らないから、上の四角い板をバタン、バタンと叩いてみた・・」
 「ワハハハハハ・・・・」
 僕の手付きと目付きが可笑しかったのか、突然、彼は爆笑した。
 「ハハハハ、可笑しいよねえ。でもさあ、中のミツバチは、すっげえビックリしたろうなあ!」
 「ハハハハハ・・・・・」
 「ハハハハ、今は冬だから出て来なかったけど、夏だったらミツバチが大勢出て来て、あちこち刺されたかもしれない・・・・」
 「ワハハハハ」
 「ワハハハハ」
 ・・・・・たわいもない、午後のひとときの無邪気な会話。
 30分程してから、僕は腰を上げた。
 代金を払っていると、奥から奥さんが出てきて、
 「これ、お持ちになって下さい」と言って、美味しそうなリンゴの包みを差出した。
 「エッ??」
 「今日、長野の方に出掛けて買って来たんです。中に蜜が入っていていますから美味しいと思います」
 「でも・・・・」
 「いつも、店をご利用頂いているので」
 「でも・・・・」
 僕は困惑して、若旦那の方を見た。こんな事をしたら店は赤字になってしまう。
 「いや、いいんです。お持ち下さい」
 若旦那は至極当然な顔つきでそう言った。

 「じゃあ、頂きます。美女から戴いたリンゴは絶対に美味しいと思うよ。どうも有難う。とても楽しい午後でした・・・・、また来るからね!!」
 こう言って、僕はカフェを出た。
 店のドアを出る時、カラン、カランと鐘がなった。

 今、僕はそのとき戴いたリンゴを食べながら、この日記を書いている。
 ・・・・このリンゴには、本当にミツが入っていました。

 湖畔館の奥様、どうも有難う。

      
    

1997-11-21(金) 雨 ヒュッテ 7,854歩 H=14, L=4

 昨日の午前中、一昨日 Axe Okusa で買ってきた最高・最低温度計を家の北側の外壁に吊るしたので、今日から一日の最高温度と最低温度も日記に記入することにする。

 記入の仕方は下記の通りとする。

最高温度 14 度は、 H=14

最低温度 4度は、  L= 4

 また、一日の観測時間は、前日夜(日記記入時)から当日夜(日記記入時)迄とする。

    
    








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