2012 年 04 月の高原日記
2012-04-01 (日) 晴 仙了庵(@Tokyo) 気温(最低= ℃、最高= ℃)
Suomi Kirkko の礼拝に出席。
礼拝後、久方振りに顔を合わせた I ちゃんと話をする。
彼女は今年、上智大に入学し化学を専攻する事になったキュートで素敵なお嬢様。
『ホント? じゃあ、訊きたいんだけどサア・・・・・』
目下、化学の初歩を独学中の僕は、嬉しくなって彼女に色々な化学の質問をし、なぜ僕がこの歳になってから化学などを勉強し始めたかを話した。
すると、彼女は
『・・・・お話を聞いてて思ったんですけど、それだったら、きっと福岡伸一っていう人が書いた“動的平衡”っていう本を読まれたら、きっと面白くてお役に立つと思いますけど・・・・・』
とアドバイスして呉れた。
・・・・その後で、今日は、これから中野駅経由で、お家に帰るので、途中、あおい書店でその本をご覧になったら・・・・と言って呉れたので散歩がてらにあおい書店まで2人で出掛け、その本を覗いてみたら、面白そうなのでその本を購入し、その後で、今日はまだ30分位なら時間は大丈夫です・・・・と言ってくれたのを幸い、近くの喫茶店 Veloce に入って、その30分の間、彼女を化学の質問攻めにしてしまった。
なんて言う事!
この歳になって、こんなに素敵な勉強の友達に会えるナンテ・・・・・
人生ってホントに素敵で面白いと思っちゃいました。 チョン!
2012-04-06 (金) 晴のち曇 仙了庵(@Tokyo) 気温(最低 = 4℃、最高 = 13℃)
(この日記は3月30日の続きの日記で〜す!)
・・・・午前10時、Casio の お客様サポートセンターの N氏が、3月30日の家内のデジカメのトラブルの件で来訪。
非常に懇切丁寧に、トラブルの応対をして下さった。
まず・・・・・・
僕はN氏が席に就き、ひとわたり、お互いの挨拶が終ると、僕は、問題の家内のデジカメを N氏に手渡しながら言った。
『このカメラですよ・・・・問題のカメラは! ですんで、ここの蓋(ふた)を開けてみて下さいヨ。』
僕は N氏が開けるのに苦労をするだろうと予想していたが、アニハカランヤ・・・・
『こうですか・・・・?』
と言いながら、N氏が小さな裏蓋にツメを立てると、先週の金曜日に、アンナにも開かなかったフタがあっという間に開いてしまったじゃアリマセンカ・・・・・!!。
これには僕もビックリ・・・・・!
『えっ? ホント・・・・・? チョット僕にもやらせてみて下さいよ・・・・』
と言いながら、カメラを N氏から受け取り、自分でやってみると、何んとマア?! アッサリとあんなにも固かった蓋がアッサリと開いてしまったじゃアリマセンカ・・・・・
・・・・そこで、そのカメラを家内に渡し
『チョット、チョット・・・・・あなたもヤッテミテヨ!』
と言うと、家内も自分で開いてみて
『アラ、不思議?! ・・・・あんなに固かったのに・・・・・!』
とキツネに化かされたような不審顔・・・・・
その後で、ひとわたり先週の大変だった状態を、われわれ2人で N 氏に説明し、彼も分かって下さったみたいだが、問題が無くなってしまったら、後には何の問題も残らない・・・・・
等々、20分ほど雑談を交わした後、全ての問題が解決したのを見届けた N氏は
『・・・・それでは、次の予定がありますので、差支え無ければ、この辺で失礼しても宜しいでしょうか?』
『どうぞ、どうぞ・・・・・色々と有難うございました。』と我々2人。
・・・・と、N氏は
『あ、それから、新しいカメラを持参して来ているんでが、宜しければ置いて参りますが・・・・』
との事。
と、言われても、現在のカメラに何の問題も無い事が分れば、新しいカメラと交換する必要は全く無い!!
『・・・・いいえ、このままでも大丈夫です。』と、家内。
『問題が無い事が分れば、ソレデイインデスヨ!・・・・だって、勿体無いじゃないですか?!』と私。
『色々とご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした。 特に、奥様には本当にご迷惑をお掛けしてしまって・・・・』
と恐縮して、家内に見送られて門を出て行かれました。
・・・・・っていう訳で、本件は一件の落着と相成りました。 チョン!!
2012-04-15 (日) 晴 仙了庵(@Tokyo) 気温(最低 = 7℃、最高 = 17℃)
今年も、中野通りの桜が
美しく咲きました。
ことしの冬は寒い日が続いたので
桜の開花は遅れると思っていましたが
去年の記録を覗いてみると
ナント・・・・・・
たったの1日の遅れでした。
この桜の開花と時を同じくして
僕の周りには
素晴らしくて楽しい事が・・・・
次々に起きています。
そんな事を考えていると
生きているって
本当に素敵だって・・・・・・
思っちゃいます・・・・
アハハハ!!
2012-04-17 (火) 晴 仙了庵(@Tokyo) 気温(最低 = ℃、最高 = ℃)
午後2時半、東京商船大航海科6回生 16名が、東海道線清水駅改札口に集合。
今回のクラス会は、昔懐かしい折戸の商船大学跡を皆で散策しようという企画のクラス会。
●→ : 我々が昭和29年に入学した時の商船大は、清水市折戸にあり、大学の名は 東京商船大 ではなく、まだ商船大学でした。 この地で我々は2年間をすごした後、全学が東京の深川越中島に引越し、東京商船大学と改名・・・・・・要するに、我々は 商船大学 に入学し、東京商船大学 を卒業した事になるという訳。
その思い出の清水市折戸の地を訪れるというのが、今回のクラス会の企画である。
我々の航海科2クラス40名の学生(現在、76〜78歳)の現況は:今回の出席者 16名、普通欠席者 7名、病欠者 6名、物故者 8名、であるが、我々がこの折戸の地に集まるのは今回が多分最後になる事だろう・・・・・・と思う!
午後6時に、宴会の始まり・・・・・・
我々クラスメートが集まると、兎に角、昔の馬鹿ッ話で皆が大爆笑をする!
話は、本当に次から次へと話題には事欠かない!
・・・・・・何しろ、4年間、朝から晩まで一緒に住んでいる全寮制だから、もう全て手の内は明かされている。
毎日の授業中に起きた馬鹿話。
部活や寮生活の腹を抱えて笑うようなたわいもない、大真面目で素直な話。
・・・・・・そうかと思うと、週末の外出日に、上級生が酒に酔った勢いで、町からの帰り道、 2km の道程を青と赤と白のグルグル回る床屋の看板を寮まで担いで持ち帰った為、床屋のオジサンが寮事務所に苦情を言いに来たとかで、担当教官が平謝りに謝って、アトでその上級生が、その担当教官にコッピドク叱られた、という武勇伝・・・・・etc. etc.
そうかと思うと、今度は各学科の教官たち・・・・・・数学の三木教官。 物理の『吉ちゃん』こと清水吉之助教官。 船舶運用学の菊谷教官。 天文航海学の上坂教官。 信号術の屋代教官。etc. etc.
・・・・・・本当に笑い続けた 3時間でした。
2012-04-18 (水) 晴 仙了庵(@Tokyo) 気温(最低 = ℃、最高 = ℃)
午前9時、興津のクア・アンド・ホテル発。 懐かしの折戸の旧校舎跡に向う。
実際に、かっての折戸に行って見ると、アレから54年の年月が経過している為、当時の面影を残すものは、僅かに正門の中にあった円形の花壇のみ・・・・・・ 皆で、『ここには本館があったよね〜』、『ここら辺は教官の官舎があったぜ!』、『そうだそうだ、吉ちゃんの家はあの辺だったと思うけど・・・・・』などなど、今は東海大学のキャンパスとなっている往時の両地域を思い出深く皆で散策。
その後で、これも思い出深い三保の松原 昔懐かしい 三保の灯台近辺を感慨深く静に散歩。
100年前に建てられたという、小チャナ三保の灯台だけが、昔と変わらぬ姿を留めていました。
東京商船大学寮歌
嗚呼、月明は淡くして 北斗の星の冴ゆる時
燦めく波に塵の世は 我が住む里にあるじとぞ
潮の香浴びし海の児が 慨世の意気天を衝く
高濤萬浬波越えて 往くや南瞑椰子の蔭
船橋凍る海遠く 飛沫(しぶき)は白し北氷洋
正義の航路一筋に 進まんかなや諸共に
男児一度海に生き 海に死なんと誓いては
聖なる剣抜き放ち 誘う迷夢切り放ち
高き理想に奮い立ち 船出の朝誓うかな
今回の昔懐かしい・・・・・・
静岡県清水市折戸1000番地 の商船大学旧校舎跡を訪れる企画の、
東京商船大学航海科6回生2クラスのクラス会に参加して、本当にヨカッタと沁み々々と思います。
・・・・・・こんな事でもない限り、昔の面影が全く無くなってしまった、
この地を訪れるナンテ事は全く考えられないからである。
そして、この日に再開したかっての素晴らしき海の若人達
そう・・・・・本当に久方振りに会っても(卒業以来55年振りに会った奴もいました)
何んの気兼ねも無く 『お前』 『オレ』 と声を掛け合い、
至極当然に、苗字呼び捨てで呼び合える昔の連中達・・・・・!!
青春時代にこの様な仲間達と4年半の全寮生活(全校生480名のチッポケな大学でしたけど)
・・・・・・を送ったひと時は、今にして思えば
・・・・・・我が人生の黄金の一時代だったと沁み々々と感慨に耽る今日この頃!!
こんな素敵な仲間がいるオレって、本当に仕合せなヤツだと思えます!!
その後、これも昔懐かしい日本平に皆でのぼり、山頂から清水港〜折戸湾を眺め・・・・・
午後3時に静岡駅で解散!
このアト、知多半島に住んでいる航海科6回生1クラスの親友 『廉ちゃん』 こと K兄に、35年振りに会うために名古屋に向った事に関しては、何れ時間のある時にでも、追記したいと考えている次第です!
2012-04-20 (金) 曇 仙了庵(@Tokyo) 気温(最低= 11℃、最高= 16℃)
あわただしいしい一日。
夜、風呂から上がってバスタオルで体を拭いていたら、ポコチンの右上のあたりがヤケに盛り上がっているのに気がついた。
『あれ、ナンジャ これ〜?』
僕は、フト 心の中で 首を傾げた。。
・・・・・・そして・・・・・・その後で、もう一度その膨らんでいる所を触ってみた。
そう・・・・おおよその感じでは、傷(?)の部位・・・・・・盲腸と同じ位の位置なのかも?・・・・・・の皮膚の内側に、普通の大福餅の 1.5倍くらいの大きな大福餅が入っているような感じがするのだ。その部分を手のひらで押してみると、ニュルニュルと体の奥の方に入って行くような感じがするのが奇妙な感じ!!!!。
その後で、フトこれが脱腸といわれているものなのかと考えてみた。
しかし、すぐに、こう言って脱腸説を否定した。
『違う!違うぜ!・・・・だって、むかし、近所の子供達が脱腸になったのを、憶えているけど、脱腸になったのは皆、ガキンチョ達だけだったぜ』。
・・・・・・いずれにせよ、自分で考えていても仕様がない。 いちど、お医者さんに見てもらうのが一番!
と思い、あしたにでも、何処かの病院に行ってみる事にした。
でも・・・・・何処の病院に??
と、次の瞬間・・・・僕は
『それだったら、東京警察病院に入ってみればイイジャン・・・・・』
と自問自答していた。
その理由はこうである。
じつは、私という人間は・・・・ド〜モ、喉の粘膜と胃の粘膜が弱いらしいのである。
だから、冬が来て、空気が乾燥し出すと、当然の事ながら風邪をひき、薬を飲まなくちゃいけなくならないように気を遣うようになる。 その上、万が一、風邪をひいた場合も、内科の先生に診て貰うのではなく、耳鼻科の先生の所に出掛け、喉と鼻の痛いところを診て貰い、喉と鼻の吸入をして貰って帰って来るのがいつものルーチンになっているのである。・・・・そうすると、風邪が初期のうちならば、この吸入を4〜5日続けると、殆どの場合、薬を飲まずに治ってしまうからである。
その様な事が慣例となっている数年前の或る日の午後こと・・・・マタマタ、喉と鼻の奥の方がヒリヒリと痛み始めた事があったのである。
当然の事ながら、私は、スグにいつもの耳鼻科の予約をとろうとして電話をかけたところ、その曜日の午後は休診であることに気がついた次第。
という訳で、もう一軒、別の耳鼻科に電話を入れてみたところ、そこの耳鼻科さんも休診ダッタッチュ〜ワケ!!
『アチャ〜、参ったサン、参ったサン・・・・ンジャバ、どうしたらヨカッペエ・・・・・?』
と困り果てていると、フト、私が住んでいる所から数分の所にある中野駅の反対側の北口に、東京警察病院という大きな病院が、比較的最近、オープンした事を思い出したのである。
その瞬間
『よし、それじゃ〜、あの病院に行ってみようか?』
と考えたものの、次の瞬間
『エエ〜? オレがァ〜? だって、オレ警察官でもOBでもないぜ〜! 行って駄目だって分ったら、損しちゃうジャン・・・・・!』
と、一度は思ったものの、いつもよく出掛ける喫茶店の Veloce で、以前、隣の席でコーヒーを飲んでいた女性グループの中の一人が、“北口の東京警察病院って、普通の人でも行けるのよ・・・・・!” と話していた事をフト思い出し、兎に角、行くだけ 行ってみる事にしたのである。
その結果、予約ナシの初診だった為、時間的には随分待たされはしたものの、耳鼻科の先生に診て頂いた際にも、上に書き記した従来の自分自身の慣例を話した後で、
『・・・・という訳で、今日も喉と鼻の奥がいたくなったので、いつもの耳鼻科医院に連絡をとったのですが、休診日である事がわかりました。・・・・という事で、コチラの病院に伺ったのですが、喉と鼻の吸入をして頂けると、大変有難いのですが・・・・・』
等々、今から考えると大変に失礼なお願いをしたにも拘わらず、その先生が親切に吸入をして下さった為、兎にも角にも、喉と鼻の吸入をして頂いて、事の無事無きを得た経験があった事を思い出したのである。
多分、その時の印象が、とても良かった所為だと思うけど・・・・
『ヨシ、ンジャア〜、このポコチンの右上の腫れも、あしたは土曜日だけど、先回と同じ様に診て貰えるかも知れないから、あの東京警察病院にあした出掛けて行ってみよう!』
という訳で、今回のポコチン右上の腫れの件も、翌土曜日の朝、出掛けてみることにしたのである。
2012-04-21 (土) 晴 仙了庵(@Tokyo) 気温(最低= 13℃、最高= 20℃)
午前10時過ぎに、愛用の MTB (マウンテンバイク) で東京警察病院に出掛ける。
持ち物は、健康保険証、診察券。それに、待ち時間の間に読む化学の本とフィンランド語の会話の本である。
ところで・・・・・・
現在、中野駅周辺は、北口も南口も、公共施設の目を瞠るような大幅改装改築を中野区が行ないつつある。
その為、東京警察病院も、大改装中の中野駅北口改札口から 200m 位の所に昨年度から新設中の 美しい 『中野四季の森』 を抜けたついその先の、素晴らしい街中に位置する事になってしまった。 しかも、駅から歩いて、7〜8分の近さである。
とは言っても・・・・・・駅南口にあるわが家から歩いて行くと、20分程もかかるので、面倒臭がり屋の僕は、東京警察病院に出掛かるときは、いつも愛用の MTB に乗って行く。
南口の住宅街のわが家を出ると、これも、目下、大幅に道路拡張を進めている南口五叉路から中野通りに入り、駅のガードをくぐり抜け、上述の通りの、『四季の森』 の脇を走り抜けると・・・・もう、病院は目と鼻の先である。
ところで、今日、何ヶ月振りかに病院に来てみると、今朝は駐輪場脇の花壇に咲いているピンク色のサツキの花が、目を引いた。
・・・・・・そして、駐輪場に自転車を置き、僕は病院の玄関に向かってユックリと歩き始めたが・・・・・・ここで、フト、思い出した事がある。上述の通り、現在、中野区は目を瞠るような中野駅周辺の一大改装を行なっている最中であるが、その素晴らしさに刺激されて、僕は2〜3年前から何回か中野区役所を訪問して、中野駅周辺の将来の改装計画を聞きに行った事がある。
その折々に伺った、区役所の担当者の話によると、将来の計画は数年くらい先きまでの予定は出来ていて、将来の計画の一つに、中野駅の高円寺よりの先端辺りに、南口の桃園商店街の大通りと、北口の電電ビル付近の通りを結ぶ陸橋を作る計画があるという事であった。 (その折りに戴いて来た A3版数ページの説明用の印刷物があるから、ある程度実現性のある話ではないかと思うけど・・・・) もしその話が本当に実施されるような事があったら、中野駅の高円寺よりの先端から、その陸橋に出られる中野駅の西口改札口みたいなものが出来たら、桃園商店街も活気付くと思うし、この警察病院に電車を利用して通院する患者さん方にも、今迄以上に更に一層便利になるのではないかと思うが如何なものであろうか・・・・?
話が横路にずれてしまったけど、この警察病院に来る度にいつも感ずることがある。
それは、この病院の敷地内を歩いていても、病院の中を歩いているという風に余り感じないということである。・・・・・・言うなれば、病院の中というよりは、何かユッタリとした公園か散歩道を歩いているという風に、いつも僕は感じてしまうのである。 それは、多分、病院の中の雰囲気全体が、その様な雰囲気を持っている所為ではないかと思うけど・・・・そう・・・・そんな事を言ったら、病院に対して失礼なのかも知れないけど・・・・・本当に病院の中にいるという風には余り感じないのである。・・・・・・例えば、院内の受付フロントにも、こんな風に大きな植物が在ったりして・・・・・
なんか、今までに経験したことの無い、不思議な感じの病院である。
こんな雰囲気のせいだろうか?
・・・・・・もしかしたら、手術になっちゃうんじゃないかな・・・・・と緊張しつつ広々とした玄関から院内に入った今朝の僕だったけど、とにかく、この雰囲気に触れてホッと一息ついたのを憶えている。
でも、一体、僕は何処に行ったらイインダロウ?
・・・・フト、立ち止まって僕は考えた・・・・
脱腸だとすると、腸だから 消化器科 かな?
ポコチンのすぐ傍だから泌尿器科なァ?
手術をするんだったら外科かなァ?
・・・・・・そんな事を考えてはみたが、どうも分らない。
(エエイ、面倒臭い! それならば、案内所に行って訊くのが、一番手っ取り早いや・・・・)と思って、正面案内所に行って、自分の情況を説明し出したが、話しているうちに、その下半身の膨らんでいる箇所を説明する直前になって、チョット言葉に詰まってしまった。 そもそも、“ポコチンの右上”という言葉の中の、ポコチンという言葉を正式に口にした事のない僕である。 エ〜〜ッ、男性器? 陰茎? ペニス? ピーナス(pennis の米語発音)? など、など・・・・・
・・・・でも、僕が最終的に選んだ単語は、仲間内でいつも使っている ポコチンであった。
そこで、僕は、正面受付の年配の男性にオズオズと説明した。
『昨日の夜、風呂に入ったあと、体を拭く時にフト、気が付いたんです。 エ〜〜ト、ポコチンの右上の盲腸の辺りがマンジュウみたいに膨らんでたんです・・・・ それで、ビックリして今朝病院に来たんです・・・・ エ〜〜ト、私が行く科は何処でしょうか・・・・?
瞬間、男性の顔は心なしかニッと微かに微笑んだような気がしたけど、帰って来た言葉は、事務的だけど暖かい言葉だった。
『・・・・・・それでは、この先の外科の受付に行って訊いてみてください・・・・』
と言って、同じ階の外科の受付のある場所を教えて呉れました。
その言葉に従って外科の受付に行くと、『ハイ』と言ってカウンター越に目で迎えてくれた白衣の女性に僕は声を掛けた。
『エ〜ト、昨日の夜、風呂に入ったあと体を拭く時に気が付いたんですが、ポコチンの右上の盲腸の辺りがマンジュウみたいに膨らんでたんです・・・・ それで、ビックリしてコチラに来たんですが・・・・』
一度使ってしまえば、用語の選択は、全くスムースである。ここでは、僕はスムースに自分の来院の意を告げる事が出来た。
一方、僕が用語を用いた瞬間、用語の意味を考えようとした表情がチラとその女性の若く美しい顔に走ったが、一瞬の後に、以前の表情に戻ると、その女性は半ば事務的に、半ばいたわる様に、優しく僕に言った。
『分りました。それでは、ここに紙と鉛筆がありますので、質問に沿って答をお書きになって下さい。それから、体温を計って下さい。』
と言って、筆記用具と体温計を私に渡した。
その記入用紙の “どうしましたか?” 欄に
昨日の夜、風呂に入ったあと体を拭く時に、ポコチンの右上の盲腸の辺りが膨らんでいた為。と記入し、その他の “今迄にかかった大きな病気は?”、“薬のアレルギーはありますか?” などの欄に必要事項を記入し、36.2度(だったと思う)と表示されている体温計を返却すると、その女性は、テキパキと事後の処理を済ましたあと、
『この3桁がソチラの表示板に表示されたら、右手の通路を入って A9 の診察室の前でお待ち下さい。』
と言って、3桁の数字と A9 と朱書きしたフォルダーに入った紙を僕に渡した。
その紙を受け取ると、僕はその受付の前に並べられた椅子の一つに坐ると受付カウンターの右手の壁にしつらえた掲示板を見上げた。 そこには 診察室の番号と そこで待っている患者さんの番号の一覧が表示されており、時おりピンポーンと音がすると、次の順番の患者さんと診察室名が大きく表示され、その番号の患者さんが椅子から立ち上がって自分の診察室に向うのに気がつくと、僕は自分が持って来た アシモフの化学の本を夢中になって読み始めた。 ・・・・このシステムは本当に素晴らしい! 何故かと言うと、どんなに夢中になって読書に没頭していても、そのピンポーンという音は耳の遠い私にも十分に聞こえるので、今日は予約ナシのため待ち時間が長くなる (★ 予約の入っている患者さんの待ち時間は10〜30分位ではないかと思う・・・・)僕にも、殆ど苦にならなかったからである。
そう、それから 1時間か1時間半ほど経った時、やっと、僕のピンポーンが鳴ったので、僕は A9 の診察室の前に移動したが、その入口のドアーの上にも小さな番号表示板があり、現在、順番を待っている2人の患者さんの番号が表示されていた。 その2人目の患者さんの番号は、勿論、僕の番号である。
そこでの待ち時間は20分前後だったと思うけど、ふたたび、ピンという小さな音がして、その小さな掲示板に “下記の番号の方は中にお入り下さい” という表示の下に僕の番号が点滅したので、僕はチョッピリ恐る恐るドアを開けて中に入った。 すると、イスに坐った若々しい男の先生がニコヤカな目で僕を見詰め、
『・・・・さあ、椅子にお掛け下さい!』
といって、目の前のイスの方に手を差し延べた。
その声に誘われると、僕は
『失礼します!』
と言ってイスにり、その若い(と言っても、年の頃は40歳台か50歳台前半くらいの年齢だろうか?)先生の顔に目を移したが、その瞬間、僕は本当に久方振りに、驚くと同時にホッとしたものを感じた次第である。
・・・・って言うのは、その先生の目の奥に、小さな事に拘らない静けさと、一瞬、少年のような屈託の無い明るさとを感じたからである。
・・・・と同時に、何故かは分らないけど、(コイツは、来るぞッ!!)という確信に近いものを感じたのを今でも憶えている。
僕がイスに座り、先生の目と僕の目が合うと、先生は机の上にあった一枚の紙を手に取り、その紙を見ながら僕に声をかけた。 もしかすると、その紙は僕が先刻、記入した質問表だったのかも知れない。
『どうしたんですか・・・・?』
『はい、実は昨日、社交ダンスを 2〜3時間やった後、夕方、シャワーを浴び、シャワーから上がってから、体を拭いていたら、ポコチンの右上の盲腸のあたりって言うんですか・・・・その辺りの皮膚の下に、大福餅が入っているように膨らんでいたもんですから・・・・ビックリして、コチラの病院にやって来たんです。』
と言うと、先生は反対側の壁際あったベッドの方を手で指し示しながら
『では、その場所を見せて下さい・・・・』
と言われたので、僕は、ジーンズベルトをカチャカチャと外し、ズボンのジッパーを下げるとその硬いベッドの上に横になり、両手でズボンとパンツをポコチンの下まで下げると、その膨らんでいるところを右手の人差し指で触りながら
『ハイ、先生 ココです!』
と言った。 すると 先生は・・・・
『あ、ココね・・・・?!』
と言いながら、先生はその膨らんだ部分を、暫くの間、指とか掌とかを使って、色々なタッチで触りながら調べられたあと、部屋の奥の水道(だったろうか?)で、手を洗って来られたのち、ご自分のイスに戻られると、僕の目を静に見詰めながら・・・・
『ソケイヘルニアです。 コレは・・・・・・』
と、おっしゃられた。その単語を聞いた瞬間、僕は心の中で呟いた。
(ヘルニアって、どこかで聞いたぞ〜・・・・ホレ、脊髄の軟骨が潰れたりするのじゃなかったカナ・・・・んじゃあ、その前に付いているソケイって何だ?・・・・etc. etc. と考えたあと・・・・分らないので・・・・)先生に伺ってみた。
『先生、何ですか? その ソケイヘルニア って・・・・?』
『ソケイヘルニアって言うのは・・・・分かり易く言うと・・・・脱腸の事です!!!!』
『エ〜ッ、先生・・・・アノ〜・・・・脱腸っていうのは、ガキンチョしかならないんじゃないンですか・・・・? 私みたいな 76歳のオジンもなるんですか〜??』
『なりますよ・・・・勿論! 特に経ち続けの仕事をしている人とかに多いですネ・・・・』
と言われたあと・・・・ふと、思い出したように
『八岳(やたけ)さんは、若いですネ〜?』
と言われた。
『ハ? 僕がですか・・・・・?』
『ええ、そうです。 それは・・・・76歳という年齢にしては・・・・という意味ですけど・・・・確かに若いですネ! 好奇心が旺盛なのかなァ・・・・』
『成る程。 でも・・・・それでしたら、アチコチで、若い・・・・若い・・・・って、よく言われますけど・・・・』
『そうだと思いますよ・・・・』
と言われたあと、前記の1枚の紙に目を通しながら
『それでは、次にいろいろと伺いますけど・・・・質問に答えて下さい!!』
と言われたあと、先生はその質問表 (← だと思うけれど!!) を見ながら・・・・僕の過去の病歴・・・・薬のアレルギーのこと・・・・等々について、幾つもの質問をし、僕が先生の質問に答えると同時に、先生はデスクの上に載っていたノート型パソコンのキーボードをカチャカチャカチャと叩いて、僕に関するデータを、先生のパソに入力されて行ったが、その先生のインプット・スピードの・・・・もう、メ〜ッチャ早いこと・・・・・!!
少し距離が離れているので、何が書かれているのかわからないど、モニターを見ていると、先生が両手の指10本を使ってカチャカチャとキーをたたくと、モニター画面の左端から右に向かって、黒い線が ツツツツツツ〜〜ッと延びて行くのである。 勿論、その黒い線というのは先生が打ち込んだ、僕のデータである。
(ウヒャ〜〜〜!)
気が付くと、僕は思わず賛嘆の声を上げてしまっていた。
『ウワ〜〜・・・・先生のキーボードタッチ・・・・物凄い早さですね!!』
『はァ?』
『いや・・・・先生の キーイン のスピードが物凄いとビックリしたんです!』
すると、先生は、ごく当たり前のような調子で言われた。
『でも、これは私の仕事ですから・・・・』
『いや、それにしても見事ですよ。 私もパソコンに触りますが、先生のスピードには、とても敵いませんね? って言うのは、先生のスピートは僕のスピードの 1.5倍から2倍くらいの速さですもん・・・・!』
『・・・・って言う事は、八岳さんも指を見ないで、打ち込んでいる・・・・という事ですよね?』
( ↑ この、頭の回転の速さ!・・・・とにかく、会話のテンポが早いのが、実に素晴らしくて、面白い!!
『ええ、そうです。 ブラインド・タッチです。』
と言い掛けて、慌てて言葉を飲み込んだ。
・・・・って言うのは、最近の世相を反映して、ブラインド・タッチ という言葉は、禁句になっている・・・・とか・・・・という事を不意に思い出したからである。 そこで、僕は、言葉少なに (ハイ、そうです。) とだけ答え、言葉を継いで言った。
『ところで、先生、私はこれから、どうなるんです? ・・・・こうやって、脱腸の膨らんだ所を押さえると、ニュルニュルとへこんじゃもんですから・・・・』』
『・・・・ええ、その事を、これから話そうと思っていた所なんですが、出来れば、早目に手術をなさった方がいいんじゃないかとおもうんですけど・・・・』
『って言う事は、このままにして置く事も出来るんですか?』
『ええ・・・・でも、時間が経つにつれて、手で押さえても凹まなくなった時が問題なんです。 っていうのは、手で押さえても凹まなくなると、患部が猛烈に痛むんです。 そうなった時は、真夜中でも何時でも、大至急、病院に来て下さい。 ・・・・って言うのは・・・・それを、その儘にしておくと、場合によっては、その部分が壊疽(えそ)を起こすことがあるんです。
その言葉を聞いたトタン、僕は直ぐに言った。
『そうですか? それなら、先生、手術をして下さい。 その方が、コレカラ、悩まなくてイイじゃないですか?』
私は、友人達に時おり笑われるのだが、自分の体を、電気製品か何かの様に考えているみたいだからである。
体の何処かの調子がオカシクなれば修理をする。 それが、薬を摂取したり、手術をしたりすることだと考えているらしい。 歯や骨など、一部の部品の交換は以前より行なわれていたが、医学の進歩と共に、臓器・・・・各種の属器最近は、部品の交換も出来るようになって来た。
・・・・そんな事の為なのだろうか・・・・手術でも何でも必要で合理性のあるもの、なものは、ドンドンと済ませちゃったほうがイイと思っている。 この日の僕はまさに、その典型だったような気がする。
すると、先生は
『それでは、いつ、八岳さんの手術が出来るか、直ぐに調べてみます。』
と言ったアト・・・・
『あと、一つ、大切な事を決めて置きたいのですが、手術の際の麻酔は、全身麻酔にしますか、それとも部分麻酔になさいますか・・・・如何でしょう?』
と、淡々とした調子で、仰 (おっしゃ) られた。
先生のこの言葉を聞いたトタン・・・・(えっ、全身麻酔って? ・・・・ホン気?! ?)と驚き
『全身麻酔ですか?』
と、鸚鵡返しに先生の言葉を繰り返した。
ココで、僕がこんなに驚いた理由を、簡単に説明して置こう・・・・
私の年齢は現在 76歳だが、この歳になるまで、私は 5回の手術を受けている。
・・・・が、その時々の年号と年齢と、その時の 感想は次の通りである!
● (部分麻酔)
扁桃腺除去 : 昭和28年、 17歳 (高校2年生)
於 : 自宅近所の耳鼻科個人医院。
大変に苦しい思いをした。 イスに腰掛け、口を開き、喉の扁桃腺の周囲に麻酔の注射をし、意識のある儘、目をつぶり、先生が器具を使って、扁桃腺を切り取るのを待っていたのであるが、麻酔をしたと言えども、結構、痛みは感じられ、本当に苦しかったのを憶えている。
●● 〜 ●●● (部分麻酔)
痔 (脱肛) 除去 : ●● 昭和41年、 30歳
: ●●● 昭和48年、 37歳
於 : 異なる都内の総合病院2院 (A) および (B)
手術用ベッドに横たわり、両足のふくらはぎを架台に載せ手両足を開く、先生は僕の肛門を眼前に見据えてイスに坐って、手術をされていたのだと思う。(← 先生の位置は、私からは見えなかったので、多分そうだろうという想像である。
全く痛さは感じなかったが、皮膚を引っ張ったりするのは感じられる。又、担当者どうしの会話は眠くなる様な意識の中で聞き取れていた。
●●●● (全身麻酔)
胆嚢除去 : 昭和63年、 52歳
於 : 都内総合病院 (C)
全身麻酔の為、全く痛さは感じられなかったが、麻酔の掛け始めに、『1,2,3、・・・・・』と声に出して数を数えつつ、ベッドの上に横たわったまま、眠りに落ちて行く時点 および 麻酔からだんだんと覚めるて来る暫くの間は、周囲の担当者同士の会話が段々と大きくなって聞こえて来るのが、物凄く不自然で気持 悪かった。。
この4回の手術の中の、最後の総合病院 (C) に於ける 全身麻酔 では・・・・寝入りばな と 目覚め時の、感じが・・・・なんとも言えず不自然で気持ち悪かった為・・・・前記の通り、少なからず ビビッて、
『全身麻酔ですか?』
と、鸚鵡返しに先生の言葉を繰り返した次第である。
・・・・・・そのビビリが先生にも伝わったのだろうか・・・・、先生はすぐに
『・・・・全身麻酔だと、手術を受けるのがとても “楽” (← 確か先生は、 “楽” : ラク と、言われたと思うけれど、もしかすると・・・・別の言葉場だったかも知れない!)なんです! そう、手術は1時間ほどで終わりますけど、手術を受けるホンの少し前に寝入り、 手術が終ってから15分後に目が覚めるンです。』
この時、先生がキッパリ と “15分後” と言ったのを聞いた瞬間、僕は、今回の手術では 前記の ●●●● 胆嚢除去手術の際の、寝入りばなと目覚め時の、“不自然さと気持ちの悪さ” は十中八九無いに違いない!! ・・・・と確信に近いモノを感じたので、反射的に・・・・
『・・・・そうですか、それでは 全身麻酔 に して下さい・・・・!』
と返事をしていた。
・・・・事実、この時の僕の直感と確信が見事に的中し、今回の全身麻酔の素晴らしさは6月18日の手術の際に実証され、眠りに入るときも麻酔から目覚める時も、ごく自然で何の苦痛も不自然さも全く無く、良く寝た後の清々しい目覚めソックリだったことは、本当に素晴らしく、この日誌の6月18日の手術の際に改めて、感想を記したいと考えています。
今日の日記は、意外と長い日誌になってしまったけれど ・・・・この後、先刻、関係各所に連絡を取ってくださっていた事前検査・入院・手術の予定が、それぞれ 6/12, 6/17, 6/18 決まり、本日の診察は全て終了しました。 その間の診察時間は 約20分前後ではないかと思うけれど、今日経験したことを、手帳のメモを参考にしつつ、思い出しながら、こうしてキーボードで打ったら、何日間かかかってしまったが、以後の日誌は、出来るだけ簡素に纏めたいと考えている。
最後になってしまったけれど、今日の日誌がこんなに長くなってしまったのは、ドクター Y. の人柄が素敵で楽しかった所為ではかったからではないかと思うが・・・・今回の手術は、このサイトを立ち上げてから始めての手術だった為に、今後も出来るだけ、僕が感じたこと・考えたことを中心に、書き続けて参りたいと考えています。
チョン !
2012-04-22 (日) 曇のち雨 仙了庵(@Tokyo) 気温(最低= 9℃、最高= 13℃)
肌寒い一日。 昨日の東京警察病院の外科の先生の話では、重いものを持ち上げたり、激しい運動をしないように気を付ければ、僕の趣味の 社交ダンスとか卓球くらいの運動だったら、しても構わないとの事。
それでも、何んとなく気になって、今日は終日家にいて、大人しく原稿下記に集中した。
次回の病院行きは、ゴールデンウィーク明けの 5月12日。
今週の木曜午後の社交ダンス・サークルには出かけてみようかと思う。
2012-04-26 (木) 曇 仙了庵(@Tokyo) 気温(最低= 18℃、最高= 20℃)
社交ダンス・サークル“サファイア”に出掛ける。
練習が始まる迄は、ヘルニアのことを気にしていたが、練習が始まると、アッと言う間にヘルニアの事は忘れてしまい2時間ほどの間、もう夢中になって動き回っていた。
それでも、ポコチンの右上の患部の部分は、膨らんではいるものの、痛さは無く快適其の儘・・・・!
有難い、と思う。