2009 12 月(後半)の高原日記
       

2009-12-22 (火)   晴   ヒュッテ   気温(最低= -4℃、最高= 8℃)

 Ya buil v Bkry i razgavarival s presidentom.
 F kantse kantsov mui shouted at iichi azar.
A pochemu oni tak skazali ?
"Yuhannus a ete shifted tak kak solamente por que finnoj diris ke si la feste a ete shifted to la erst half de june, more finnoj povas perticipate in la fest !"

Patom ya buil f taun hool i razgavarival c mayorom.
"Ya skazal yemu shto ya vapshe ne znayu pachemu oni tak skazali. Ya dumal shto ili waned to protedt you !"

I toje skazal yemu shto ya khochelos' bui paroli al finnoj to okazi la fest en le me^me jour que finnoj. Kompromaid Ho skazal yemu n'emporte quel ans it may take, je voudrai continuer to appeal.............

 午前10時。
 山を降りて、町興しの正統派の一人と僕が目している会社の Z 社長に会いに出掛けた。 事務室に入り挨拶が終わると、僕は早速、話しを始めた。僕も Z氏 もいつも時間に追われている身だからである。
 論点は下記の 4ッである。

 ● 今まで、フィンランド夏至祭(Micsummer, Juhannus)という祝祭名で皆でお祝いして来た夏至祭が、実は『ヨハネ祭』とよばれる、キリスト教の大きなお祭である事が分かった来ました。これを機に、これからは、夏至祭を『ヨハネ祭』に変更し、フィンランドの伝統と文化を大切にした『ヨハネ祭』にしたいと思うが、どうだろうか?

 ●夏至祭を今年のように6月6日にして仕舞うと、それはもう、『フィンランド夏至祭』ではなくなってしまうのに、『フィンランド夏至祭』と言っているのは嘘をついているようなもの。町がそんな事をやっていてはいけないので、新たに発足する『ヨハネ祭』の開催日は、フィンランド本国と同じ日にしたいと思うが・・・・・・・。

 ● 6月6日への date shifting は、F 側からの希望によるものだと、町の中のアチコチで説明されているが・・・・・・あれは・・・・・・本当は、町側から企画決定されたものではないのか? ・・・・・・・何故なら、昨年の夏から秋にかけての頃だったと思うが、来年 (2009) の夏至祭は6月6日になったと初めて聞いた時、驚いた僕が知人のフィンランド人に電話を入れたところ、そのフィンランド人は、
 『その件に関しては・・・・・・昨日、役場の上層部のひとり (ortsebrux) から、私宛に <来年のフィンランド夏至祭は6月6日に決定しましたのでヨロシク> というメールが届いていますよ・・・・・・・』
 と、如何にも驚いたという声調で言っていたので・・・・・・本当は、町役場の上層部のひとり(ortsebrux) 及び、その人の協力者達が、6月6日にシフトする事を一番最初に考え出したのではないか・・・・・・と思うが如何?

 ●今回の問題点は、フィンランドに於ける夏至祭と異なるものに、フィンランド夏至祭という名称を冠することが問題なので、その様な心配のないもの・・・・・・・例えば、<松原湖高原ノルディック・ウォーク> 等とすれば、全く問題は無い筈なのに、何故、そうしないのか?

 ・・・・・・以上、4点に就いて、Z氏と始めた所、第1点 と 第2点 に関しては、フィンランドの国情・歴史・文化などが深くかかわって来るので、フィンランド側と話す必要があるという事で、2人の意見は一致したが、問題が 第3点 に差し掛かると、

 Z氏は 、突然、『そんな事、オレに言ったって、俺は返事のしようがないよ! だって、俺はそんな話まるで知らないし・・・・・・誰が何て言ったか?・・・・・・なんて・・・・・・オレは全く知らないから、オレに言われても困る!』と言い始めたのです。
 それに対して、私が
 『・・・・・・Zちゃんが知らないなんて・・・・・・だって、僕はこうみ塾の席上で、2回t氏がそう言うのを、この耳で聞いているんだから・・・・・・・』
 『・・・・・・でも、オレは知らねえよ。 tが言ってるんだか、kが言ってるんだヶ知らねえけど・・・・・じゃあ、kに訊いてみるか』
 と言って、携帯でy氏を呼び出し・・・・・・・
 『・・・・・・いま、ここに八岳さんが来ていて、夏至祭のことで色々訊かれているんだけど、オレにはよく分からないから、チョット八岳さんとはなしてみてよ・・・・・・』
 と前置きして、その携帯を僕に渡して呉れたのですが・・・・・・・雑音が入り、よく聞き取れないので
 『あ〜、チョット待って・・・・・・よく聞き取れないので、僕の携帯で掛けなおすから・・・・・・・・』
 と言って、自分の携帯でk氏との会話が、概略以下のとおり始まったのです。

 『今まで、ここでZさんから訊いていたのは、今年の夏至祭が夏至の週から、6月6日にシフトされたのは、フィンランド側からの希望によるものだ・・・・・・っていう話を、2〜3回聞いたことがあるんだけど、もう少し詳しく訊きたいと思って、今、Zさんに尋ねたら、彼はしらなくて、貴方を呼び出したもんだから・・・・・・。 それでは、丁度、いい機会だから訊きたいんだけど・・・・・・・あなた、今年の夏至祭の少し前に、観光案内所で <今回、夏至祭が6月6日になったのは、フィンランド側からの希望によるものだ> って、話されましたよね?』
 『・・・・・・はい、確かに、そのように話しました。』
 『・・・・・・有り難う。でも、そのズッと以前の去年の事だったと思うんだけど、僕が一番最初に今度(2009)の夏至祭は6月6日になるって訊いた時、とても驚いて、フィンランド側のY氏に電話をいれて、 <実は、今こんな話を聞いたんだけど、何かしっている?> って訊いたらば、Y氏は <ええ、X氏(役場の上層部のひとり)より、<今度の夏至祭は6月6日になったので、ヨロシク> というメールを受け取ったんですよねェ・・・・・・と驚き声で言っていたんだけど・・・・・・だとすれば、フィンランド人のY氏でさえ知らなかったっていう事は、フィンランド側からの希望によるものだ・・・・・・っていうのは、少しオカシイんじゃないの?』
 『そんな事ないですよ。 だって、この話しはY氏は知ってる筈無いからです・・・・・・』
 このあたりから、携帯電話の中での2人の会話の声は大きくなり、おそらく私の大声は、Z社長と2人の女性事務員が仕事をしている事務室にガンガンと響き渡っていたに違いない・・・・・・!!
 『それって、どういう事?』
 『それはですねえ・・・・・・そのようなリクエストを出したのは・・・・・・・(フィンランド側の)
だからです。』
 『M・・・・・・?』
 『そうです。 しかも2年前です・・・・・・』
 『2年前に・・・・・・
さんから?』
 『そうです。2年前の夏至祭の夜で・・・・・・皆で酒飲みながらワイワイやっていた時の事です!』
 『・・・・・・成る程! 一昨年(おととし)の夏至祭の夜に
さんから・・・・・・成る程!・・・・・・ドウモアリガトウ!』
 『・・・・・・一体、どうしたんです?』
 『何が?』
 『だって、この件は八岳(やたけ)さんには、全く関係ないでしょう・・・・・・?!』
 と k氏が言った・・・・・・この一瞬・・・・・・!!
 ・・・・・・(今まで解けなかった疑問・・・・・・ <誰達が中心になって、今まで事を進めてきたか?> ・・・・・・という疑問) の一端が、一瞬のうちに バラバラッ・・・・・・! ・・・・・・と解けた思いがしました。

 ・・・・・・でも、会話は、まだ、その先にと続いて行きます。
 『そんな事はありません。 関係は大有りなんです。』
 『何故です?』
 『何故って・・・・・・・フィンランド人達が、夏至祭のことを “Midsummer” (ミッドサマー)とか “Juhannus” (ユハンヌス)とかってよんでいるけど、その “ユハンヌス” の意味が分かったからです。』 
 『それがどうしたんです?』
 『“ユハンヌス” の意味が分かった時、ア・・・・・・・これは大変だ!・・・・・・・と思って、インターネットで色々と調べてみたんです。・・・・・・もしかしたら、貴方もインターネットで調べたかも知れませんが・・・・・』
 『 ・・・・・・ええ、私も、インターネットで調べてみましたよ!』
 『そうですか?』
 『そうです・・・・・・』
 『じゃあ、インターネット上で、“ユハンヌス” は何て出てましたか・・・・・?』
 『 <夏至祭> って出てました。』
 『ホントに <夏至祭> って出てましたか・・・・・・?』
 『ホントです!』
 『それは、間違いです!・・・・・・インターネットの何処を探しても、“ユハンヌス” が <夏至祭> だ、なんて出ている筈がありません!』
 『何故です?』
 『何故なら・・・・・・・ユハンヌスっていうのは、人の名前だからです!』
 『・・・・・・?』
 『ユハンヌス っていうのは、キリスト教の聖書の中に出てくる “バプテスマのヨハネ” っていう聖人の名前で、僕みたいなキリスト教徒にとっては、とても大事な名前なんです! ・・・・・・って言うのは、そのヨハネが、イエス・キリストに洗礼を施したからなんです。もし、祭の名前で出ていたとすれば、Midsummer は“夏至祭”って出ているかもしれませんが、“ユハンヌス”は“ヨハネ祭”って出ている筈ですよ・・・・・』
 『知らなかった・・・・・・』
 『僕だって、最近まで知りませんでした。・・・・・・でも、あなたはインターネットで調べて、知ってたって言ったじゃないですか?』
 『・・・・・・』
 『でも、もうイインデス!・・・・・・・そんな事より、もっと大切な事があるんです!』
 『何ですか?』
 『それは、6月6日に日にちをずらした夏至祭を文字って、なんで <フィンランド夏至祭ノルディック・ウォーク> なんていうモットモらしい大会名をつけたんです? いいですか? フィンランド本国の “ミッドサマー” は6月24日に近い土曜日って、国会の条例で決まっているんです。』
 『・・・・・・』
 『だから、6月6日の夏至祭は、もう <フィンランド夏至祭> じゃないんです。 いいですか? ・・・・・・この町の行事に、そのような嘘をつかしちゃイケナインデスよ! ・・・・・・もし、それでも、どうしても6月6日に <ノルディック・ウォーク大会> をやりたければ・・・・・・例えばですよ! <松原湖高原ノルディック・ウォーク大会> ってすればいいじゃないですか? そうすれば、それは全く嘘ではなくって、ホントの事になるじゃないですか? もし、そうだったとすれば・・・・・・僕だって、喜んで、皆んなと一緒に参加しましたよ! でも、何んで、6月6日に <夏至祭> を持ってきて、それに <フィンランド夏至祭ノルディック・ウォーク> なんていう、もっともらしい名前をつけるんです?』
 『・・・・・・ <ノルディック・ウォーク> っていうのは、フィンランドが発祥のスポーツなんです。 だから <フィンランド> っていう名前が付いている <フィンランド夏至祭> を前に付けたかったんです・・・・・・・』
 『エ-----ッ? たった・・・・・・・それだけの為に?』
 『・・・・・・』
 『だとしたら・・・・・・他に (嘘をつかない) 方法は、何か絶対にあった筈です! ・・・・・・僕もこれから考えてみるけど・・・・・・絶対に何かイイ方法・・・・・・嘘を付かない方法はある筈です!』
 『・・・・・・』
 僕達は、それから・・・・・・二言三言(ふたことみこと) 言葉を交わして、携帯電話を切った。

 携帯電話を切ると、僕は Z社長に言った。
 『聞いてて、分かって頂けたと思うけど・・・・・・そういった訳です・・・・・・』
 『・・・・・・ウン、夏至祭っていうのは、八岳さんが始めてくれたけど・・・・・・俺たち、皆んなで楽しいものにしたかったもンだから・・・・・・・少し違った方向に行っちゃったかも・・・・・・』
 『ねえ、ねえ・・・・・・そこん所を間違えないでよ! イイ? ・・・・・・僕はさあ、楽しいものにしちゃアいけない・・・・・・・なんて、ひと言も言ってないよ! だって、オレだって楽しい方がイイモン! 僕がここで言っているのは・・・・・・嘘やインチキを町の行事に言わしちゃイケナイって事だけですよ・・・・・・!』
 『ウン・・・・・・』
 『だから、オレ、あなたに言って置きたい事があるんだけどサ・・・・・・オレは、これから先・・・・・・ <フィンランド夏至祭> をフィンランド本国と同じ様な伝統と歴史を大切にした “ミッドサマー(★シェークスピアの <真夏の夜の夢> にならって <真夏祭> と訳すべきだと思うが)” とか “ユハンヌス (これも <フィンランド・ヨハネ祭> って訳すべきだと思います)” っていう名称にし、祝祭日はフィンランド本国と同じ日にする・・・・・・っていう方向で・・・・・・フィンランドの人達と話してみたいと思っています!・・・・・・そう、これはもう、何年かかっても、そうする積りです! 何故なら、小海町の行事に嘘をいわしちゃイケナイからです。 ・・・・・・宜しいですか?』
 『よし。分かった・・・・・・』
 『有り難う! じゃあ、そうします。 ・・・・・・これは、もう、何年かかっても、やり続けますから・・・・・・本当に有り難うございました!!』
 僕は、Z社長に丁重に御礼を言い、事務所の女性スタッフに
 『本当に、色々とご迷惑をお掛けしました・・・・・・』
 と失礼を詫び、建物の外に出て、車に乗り込むと、エンジンをかけた。

 ・・・・・・僕が、その次に向かったのは、役場である。 
会いに行くのは、2008年秋ごろ・・・・・・私の知人のフィンランド人に < 2009年の夏至祭は 6月6日になりました> とメールを送信した、役場の上層部の一人(ortbesrux) で、彼に面会する目的は

 ● 今日の日記の前半で、Y氏より <今年の夏至祭を6月6日にして貰えれば、より多くのフィンランド人が参加出来るので、そうして頂ければあり難い・・・・・・と最初に提案したのはフィンランド側で、その当事者は M氏である> 事を聞いた為、(もし、それがホントだとしたら)、思い違いをしていた事になるので、(申し訳ないと)謝ること。
 ● <フィンランド夏至祭> の “ユハンヌス” が、<バプテスマ(洗礼者)のヨハネ> であることが分かったので、今後は、<フィンランド夏至祭> を <真夏祭> もしくは <ヨハネ祭> として、フィンランド本国と同じ日(6/20 〜 6/26 の間の土曜日) にするという事で、フィンランド側と話しを進めて行きたい (← S氏承認すみ) のでヨロシクと事前の挨拶をする。

 の2点である。
 この 役場の上層部の一人 (ortbesrux) との面会時間は 15分くらいだったろうか?

★★ まず、第一点の件に関してであるが・・・・・・
 当初、今回のフィンランド夏至祭の6月上旬への変更に関して、誰が最初の引き金をひいたのかを (ortbesrux) に訊いても、彼は殆ど話したがらなかったが、・・・・・・私の方から、つい先刻、Z社長の事務室で、社長の携帯電話で、Y氏から 『一連のフィンランド夏至祭(ヨハネ祭)の6月上旬への祝祭日の移行は、フィンランド側の 
M のリクエストから始まった』 と聞きました。 その前に、『去年の事になりますが、私は、来年(2009)の夏至祭は6月5日にやるという噂をきいて驚いて、フィンランド側の B 氏に電話を入れて訊いてみたらば、そのB氏も、昨年のことでしたが、“私も驚きました。というのは、つい最近、2009年(来年)の夏至祭は、2009年6月5日(土)に決まったのでヨロシクというメールが ortsebrux (←この意味は、後日、公開します) から届いたので、とても驚いているんです!”ということを B 氏から聞いていたので、先刻まで、小海町の意向により、今回の夏至祭の祝祭日が 6月の上旬に移行したとばかり思っていましたが、先刻のY氏との電話の会話で、そもそもの発端はフィンランド側の M のリクエストから始まったと聞いて驚いています。正直なところ、もしかしたら、B氏から伺ったひと言もある為、町側の貴方とか、Y氏・K氏などが中心となって、今回のフィンランド夏至祭の祝祭日の前倒しが行なわれていたのかも・・・・・と思っていましたが、先刻の Y 氏との電話で、全ての原点は、フィンランド側の M のリクエストだったと聞いて驚いているんです。そうだとすると、私が思い違いをしていたのかも知れません。申し訳ないです。』
というと、ortsebrux は
『それでしたら、私も
M がそう言うのを聞いてますよ・・・・』
との事。イヤハヤ、世の中には色々と思いがけない事があるものです。でも★★

  注)、上記 ★★ 〜 ★★ の部分は、2010年11月下旬より rewrite し始めた(2009年12月頃より、2010年4月頃にかけて書いた)『夏至・ヨハネ祭の紹介』文中にその記載がある (→ 第1章 P.3 Q) ものの、目下の rewrite 中に、 この日記と当該紹介文を細かく照合している途上に於いて、上記の部分が、この日記中に不足しているのに気が付いた為、2010−12−09 pm に、現在 rewrite 中の 『夏至・ヨハネ祭の紹介』 より転載したものである事を、ここに注記致して置きます。

 全体的には比較的スムースに面会は終わったが、第2点 の話しを進めるうち、ご当人より・・・・・・ <真夏祭> もしくは <ヨハネ祭> を6月上旬にする訳には行かないだろうか・・・・・・という話があった時、僕は言いました
 『・・・・・・分かりました。 それでは、町民の皆さんに呼び掛けて、8月13 〜 15日のお盆を 8月6日 〜 8日の 3日間にしてみて下さい。 そうして頂ければ、僕も6月上旬にすることを考えてみますよ。』 
 と言うと、ご当人は
 『 イヤ〜、それは・・・・・・難しいですね・・・・・・だって、宗教の事ですから。』
 と言われたので
 『 実は、私の方も、本件は自分の宗教と信仰に関係するものですので』
 と返事をすると・・・・・・数秒間考えられて
 “ Compromise ? ”
 と言葉を継がれました。
 その英単語を耳にした瞬間・・・・・・瞬間的に英語で反応する癖のある私は
 ( You may think I am too stubborn, but.......... ) という言葉が胸中をよぎりましたが、日本語で・・・・・・
 『 アハハハ・・・・・compromise なんていう単語、何年振りかで聞きましたよ、でも、僕はどうも、可なり stubborn なのかも知れませんネェ』
 ・・・・・・と言い、お互いに何んとなく苦笑する一場面があったりしましたが、それを除けば、面会はスムースに終り・・・・・・この一幕を最後に、私は、自分のサイトに、 <ヨハネ祭の紹介> のコーナーを立ち上げることになったのです。



2009-12-23 (水)   晴   仙了庵  気温(最低= 8℃、最高= 9℃)

 兎に角、この頃の忙しい事と言ったら・・・・・・
 何故、こんなに忙しいのだろう・・・・・??
 お陰様で、11月中旬にアップした下記の写真も、やっと今日になって更新出来たほど・・・・・・

 全く・・・・・・ナンタルチア?・・・・・・である! 


    

10月末から11月初旬にかけて
ヒュッテの周囲は
所謂、ロシア語で言う "Zolotaya osen' "
(黄金の秋)の真っ只中

   
今年のカラマツの黄葉は
暖冬気味の所為か余り美しくありませんが
それでも、冬の訪れを
沁み々々と感じさせてくれえます。

    
 こんなに青空が透き通っている午後は
薪割には最高の午後です。
斧を振り下ろすたびにコーンコーンと響き
裏山から木霊が返ってくるときの
幸せはかくべつです。

    

2009-12-24 (木)   晴   仙了庵   気温(最低= xx℃、最高= xx℃)

 今日はクリスマスイヴ。
 むかしむかしの大昔、僕がまだ20歳代のころ・・・・・・クリスマスイヴなんていうと、悪友達と飲み屋に繰り出し、いつもドンチャンドンチャン大騒ぎしていたものだったが、42歳の時に洗礼を受けた後は、教会で行なうイヴ礼拝の準備の手伝いをしたりするようになり、それまでのイヴの過ごし方と大違いになり、まして、現在の様に 73才にもなると、更に静かになり、今夜のイヴは・・・・・・一家3人で桃園教会のイヴ礼拝に出た後、教会でお茶とケーキを戴きながら、教会員の皆さんと楽しい会話のひと時を楽しみ、家に帰って来てからは、チキン1羽の蒸し焼きを家族3人で取り囲み、家内の心尽くしの夕食を美味しく戴きました。

 刻一刻と生まれ変わっていくこの世の中は、時々刻々と全てが新しい。
 そんな事を思いながら、今まで過ごしてきたクリスマスイヴの夜のことを思うと、全てのイヴが美しかったように思えてならない。

 考えてみると僕自身も随分と変ったものだと沁み々々と思う今日この頃である・・・・・・