2005 年 09 月の高原日記
2005-09-01(木) 晴 ヒュッテ 気温(最低= 15℃、最高= 25℃)
今日、サイトのトップに、こんな事を書いた。
バンザ----イ!
120 メガバイトのサイトの引越しが
やっと終わったョ〜〜〜!!
気が付けば・・・・・・
高原は既に秋の空でした・・・・・・・
1997年の今日、このサイトは、八ヶ岳の山麓で小さな産声を上げた。
でも・・・・・・それ以来、このサイトは、何回、引越しをした事だろう?
Avis net, Sonet, Angel net, Nifty.ne.jp・・・・・・それに、今回の Janis で、都合5ツ目である。何故そんなに何回もプロバイダを代えたかと言うと、いつも、サイトが使用できる最大許諾容量が、足りなくなってしまったからである。
その最大許諾容量を列挙してみると・・・・・・・
Sonet...................20M byte
Angel.................100M byte
Nifty..................150M byte・・・・・・ってな具合である。
ぼかの皆さんは、どうなすっているのか分からないけど・・・・・・僕は、一度アップロードしたものを、削除する気には、どうしてもなれない!!何故かと言うと、日記でも、詩でも、写真でも・・・・・・創るときは、全精力を傾けて一生懸命に書いているからである。
だから、このサイトの容量は、いつ迄たっても、頭打ちになることが無い!
言葉を変えて言えば、いつまでも増え続けて行くことになってしまうのである。こんな時に現れたのが、長野県のローカルプロバイダの Janis net である。
・・・・・・その最大許諾容量は何ンと、無制限 だとか。電話で Janis の担当者と話しているとき、この単語を聞いた僕は思わず受話器に向かって、叫んでしまった程である。
「・・・・・・エ? 無制限って、ホントですか・・・・・・?」そして、それがホントだと分かった時の僕の驚き・・・・・・!!!!
良寛さんの 「これがまあ ついの棲家ぞ 雪五尺」
・・・・ならぬ 「これがまあ ついの棲家ぞ 無制限」
である。
2005-09-03(土) 晴 ヒュッテ
9月に入ると、ヒュッテの周りは急に静かになります。
夏休みの子供達親子の姿は消え、あんなに鳴いていた夏蝉の声もまばらになって来ます。
・・・・・・そう、たった2〜3匹だけが鳴いていると、かえって静かに聞こえるから不思議です。
そして・・・・・・気が付けば・・・・・・
生い茂っている白樺の葉ッパの色にも、ウッスラと黄色が差し始め、あんなに元気のよかった真夏の入道雲も、絵具筆の先で、サッサッと描いた
爽やかな巻雲に代わっていました・・・・・・サア、それでは、僕も・・・・・・
秋の夜長のホームページの更新に力を入れましょう・・・・か・・・・・
2005-09-04(日) 曇のち雨 ヒュッテ
120M byte のサイトの引越しと言うのは、一度、縺れだすと本当に手のつけようがないものらしい。
・・・・・・毎日のように、「ああ、サイトの中は、これで全部きれいになった・・・・・・!!」
と、思ってホッとするけど、次の日になると、ヒョットした拍子に、又、リンク崩れの箇所が見付かり、その度(たび)に
「エ? ホントかよ? ・・・・・・まだ、リンク崩れがあるなンて・・・・・・・・・」
と、舌打ちをする。正直な話、今日も、「ヒュッテの紹介」のページの中に、15ヶ所くらいのリンク崩れの箇所が見付かった時は、またまた
「エ? ホントかよ? ・・・・・・まだ、あったなんて・・・・・・!」
と、思わず舌打ちをした。・・・・・・しかも、その数たるや 15 ケ所である。
120M というサイトが如何に大きいか・・・・・・という事である。
2005-09-08(木) 曇のち雨 ヒュッテ
今朝、ヒュッテのベランダに突然の珍客がやって来た。
標高 1,000m 以上の高原に多く見られる貴婦人、タテハチョウ科のキベリタテハである。
どうです・・・・・・?
英国王室の貴婦人にも喩(たと)えられるこのシックな装いは・・・・こんな珍客の棲んでいる
素晴らしい土地に棲んでいられるなんて、なんて幸せな事でしょう!
2005-09-11(日) 曇のち雨 ヒュッテ
今日は、第45回衆議院選挙の日。
愛車の Jimny で山を下り、松原の集会所で投票を済ませて来たが、その会場の出口近くで、つい先月、僕の家に遊びに来た袈裟敏さんと出会った。彼はニコニコしながら、僕の近くに来ると、手に持っていた本を僕の方に差し出して
「こんな本知ってる?」
と言いながら、美しい白い歯を覗かせて、ニッと笑った。
表紙には・・・・・・”しらびそ小屋 45 年のわが半生”・・・・・・と書いてあった。
「いいや、知らないけど・・・・・・」と言うと
「ここの親父さんを知ってるんだけど、こんど一緒に行きませんか?物凄くいい所ですから・・・・・・稲子湯から、そう、2時間くらいのものですよ」
と、明るい声でつけ加えた。
もとより、僕には反対する気持ちなんかコレッパカシもある筈がない!ほんの 1 ~ 2 分ほど、立ち話をしたあと
僕達はお互いに、「さようなら」「ご機嫌よう」 と声を掛け合って、別れたが・・・・・・普段の日常会話の中に、まるで、隣の家にでも行くような気軽さで、「しらびそ小屋に出掛けようか?」 とか言う話が出て来るのが、この小海町の自然の豊かさを示しているのではないかと思う。一日でも早く、この 袈裟敏さんと しらびそ小屋 に出掛ける日が来ればよいのに・・・・・・と思うことしきりである。
話は変わるが・・・・・・
今朝ほど、オフトークで熊の目撃情報が流れた。
「・・・・・・町の産業建設課からのお知らせです。今朝ほど、稲子(部落)の民宿 ”いで” さんのテニスコート付近で、クマが目撃されました。 ご近所の方は十分にご注意下さる様お願い致します」まあ、こんな内容の放送であったが、クマが里に下りて来るのは、越冬前に十分に食べ物を食べておかなければならないのに、山の中には十分な食べ物が無いために、人間の住んでいる地域まで、食べ物を求めてクマが入り込んで来るからだと言う事である。
2週間ほど前には、箕輪から小海原に抜ける町道の脇で、クマが目撃されたという放送が流れたけど、箕輪と稲子は、千曲川を挟んで5 〜 6km もはなれているから、別の固体だとしか考えられない。 どうも、最近は、クマにとっても世知辛い世の中のようである。
2005-09-17(土) 晴 ヒュッテ 気温(最低=13℃、最高=23℃)
午前中は、北牧小学校と小海小学校の運動会に、議員一行が二手に分かれて出席。
僕が出掛けたのは北牧小学校の運動会。
・・・・・・久方ぶりに触れた運動会の雰囲気。
来賓の魚釣り競争に出場したりして、楽しいひと時を過ごしたが、途中、僕の座っていた椅子に、ウラギンシジミが飛来して止まったのを、右手の人差し指と親指で静かに摘んで採集した。
この個体は、この町で採集した最初のウラギンシジミだったので、とても嬉しかった。 次回の町の公民館報の誌上で、紹介する事にしよう。・・・・・・ところで、運動会の午前中のプログラムが終わると、茨城のゆう子さんから僕の携帯電話に連絡が入った。
聞いてみると、たった今、小海町に車で入ったところで
「・・・・これから、高原のパンやさんで、食事をしようと思っているの!」
という事なので、お願いをして、僕もその仲間に入れて貰うことにした。赤木夫妻に会うのは、今回で2回目。
高原のパンやさんで、楽しく食事をしながら、これからの予定を尋ねると
時間があれば、あそこに行って、ココに行って、その後でここにも行きたい・・・・・・などという忙しいスケジュールを伝えられたので、僕は案内役を買って出る事にした。 ・・・・・・って言うのは、そのコースなら、かなりの時間を節約できる近道を知っていたからである。午後2時半。
野辺山のお店屋さんから、赤木夫妻と共にクッキーママ宅に到着した。
その経緯の長い話を、手短に話すと・・・・・・
先刻、昼食を食べた高原のパンやさんで、いつも僕達とインターネットの掲示板上で話をしている、クッキーママちゃま一家が野辺山の近くにある別荘に来ている筈だと、、ゆう子さんから聞いたので、
「エ? ホント? ・・・・・・じゃあ、電話しちゃおうか?」
と言うが早いか、ゆう子さんが呆れているのを尻目に、僕はさっさとクッキーママさん宅に電話を入れてしまったのである。
・・・・・・って言うのは、これから僕達が行こうとしているお店の近くに、クッキーママちゃま宅があるからである。呼び出し音が数回鳴ったあと、聞き覚えのある美しい女性の声が、受話器の中から聞こえると同時に、僕は早い口調で、受話器の声の主に話し掛けた
「今日は〜〜! Kさんのお宅ですか?? ・・・・・・エート・・・・・・僕、八岳晴耕ですけど、今、高原のパンやさんに、貴女もご存知の茨城のゆう子さんご夫妻と一緒に居るんです。 で、これから貴女の家の近くにあるお店に出掛けるンですけど・・・・・・もし、よかったら、そこでの用事が済んだら、何処かで皆んなで会いませんか? ・・・・・・って言うのは、そのお店は、貴女のオウチの直ぐ近くにあるからです・・・・・・!!」
・・・・・・その僕の声を聞いた時の、彼女の驚きようと言ったら・・・・・・!!
でも、二言三言を言葉を交わすと、我々に時間的余裕が余りない事を理解したママちゃまは、直ぐに、こう言った。
「・・・・・・分かりました。 それでは、恐縮ですが、そのお店でのお話が終わったら、もう一度、お電話戴けませんか?」という前置きがあったので、ゆう子さんの用事が全て終わった後、再度、僕がクッキーママちゃま宅に電話を入れると、受話器の中から、ママちゃまのソフトな声が聞こえてきた。
「・・・・・・ゴメンナサイ!・・・・・・実は、今、主人がクルマで出掛けてしまっているので、ソチラに行く事が出来ないんです。 ・・・・・それで、もし宜しければ、私共の家にいらっしゃいませんか・・・・・・?!」
というお誘いのお言葉・・・・・・
「ウワア、素敵! ・・・・・・勿論、喜んでお伺いします! エ? 道順ですか? ・・・・・・以前、お留守のときに一度、番地を頼りに、伺ったことがあるので分かってます! それに・・・・・・僕は、美女の家のアリカは絶対に忘れないという特技をもっていますので、ご心配は要りません。絶対に大丈夫です!」・・・・・・人生とは、企らまなければ、本当に素晴らしい事が起きるもので・・・・・・
ナント!
・・・・・・そんなヤリトリがあった後で・・・・・・突然の、素晴らしい off 会が、クッキーママちゃま宅で開かれる事になってしまったのである・・・・・勿論、僕もゆう子さんも、クッキーママさんに会うのは、今回が初めてである。
でも、僕達は以前から、インターネット上で、もう何回も会っていたので・・・・・・実際に会ってみても、全く初めての様な気がしなくて、クッキーママちゃま宅のベランダで美味しいティーを戴きながら、ワイワイと3家族の間の話が弾み、アッと言う間に1時間以上が経過してしまったのである。
・・・・・・ところで、この世の中での事というのは、どんな事でも、必ず終わりがやって来るものである。・・・・・・というのは、これから茨城県まで帰らなければならないゆう子さんが、突然、時間に気が付いて、
「・・・・・・アラ大変、もうコンナ時間だわ・・・・・!」
と言ったあと、残念そうに
「ホントは、もっともっとお話をしていたいンですけど・・・・・・また明日お仕事があるので・・・・・・もうお邪魔しなくては・・・・・・!!」
と言ったからで・・・・・・このひと言で、突然の嵐のような大騒ぎの off 会に終止符が打たれることになり、皆で、クッキー(ママちゃま宅のワン公の名前です)とお兄ちゃんと弟君(おとうとぎみ)に、サヨウナラの挨拶をして、僕達は、クッキーママ宅を後にしたのである。本当に楽しかった今日の半日!
・・・・・・南牧村で、ゆう子さんご夫妻の車を見送ったあと数分してから・・・・・・僕は彼女の携帯に電話を入れて、二言三言ことばを交わした。
「今、走っている道をそのまま10分ほど走って行くと、今日、昼ごはんを食べた高原のパンやさんの前を通るからね! そんで、そこから佐久インターチェンジ迄は40分くらいです。・・・・・・じゃあ、気を付けて・・・・・・ネ!」
「・・・・・・今日は、本当に楽しい一日を有難うございました。ではサヨウナラ!」
「こちらこそ、素敵な一日を有難う! ・・・・・・では、又ね!」先刻も書いた通り・・・・・企まないと、人生って、本当に素敵な事がおきるものである!!
突然の事ですが・・・・・・
クッキーママ宅で、クッキーママ、ゆう子さん、筆者 3人の
Family off party が成立して仕舞いました。
今回の Off party は
本当に偶然で、3人とも、呆気にとられる様な
行き当たりバッタリの出来事でした。
今日の出来事は、いずれ・・・・
時間が出来たら、このサイトの日記で紹介致しますが
正直な話し・・・・・・
筆者には、何んで コーナッチャッタノカ
未だによく分かりません・・・・!!
それ程、不思議な出来事でした。
最後に、ひと言・・・・・・上段の写真中
ゆう子さんが腕を組んでいるのは、ゆう子さんのご主人です。
クッキーママさんのご主人ではありません。
念の為・・・・・・
(2005−09−17の、このサイトの
トップページより 八岳晴耕)
2005-09-25(日) 曇のち晴 ヒュッテ 気温(最低=15℃、最高=19℃)
今日は、とても懐かしい知人がヒュッテにやって来た。
僕がよく知っていたのは、このご夫妻の奥様の方である。
・・・・・・というのは、その当時、僕は都内の或るプロテスタント教会の、教会学校の先生をしており、その教会付属の幼稚園に通っていた、このご夫妻の子供さんが、僕が先生をしている教会学校によく顔を出していたからである。お二方がヒュッテに着いたあと、当然の事ながら、我々四人の会話は、いきおい、そんな事から発展して行った。
当時の幼稚園や教会学校の事。
子供達の事。
それから、お互いの家族の事。
そして現在のお互いの生活の事。
そして、お互いのセカンドハウスの事。
薪割りの事、草刈の事、季節の事、夏の涼しさの事、冬の寒さの事。・・・・・・放って置けば、いつまで経っても、話題の尽きる事はない。
今日もそうである。
アッと言う間に、昼食を挟んで、3時間ほどが経ってしまい、お互いに東京に帰らなければならない事を思い出すに至って、やっと、本当に久方ぶりだった再開パーティはお開きとなった次第である。友の遠方より来たるあり、また愉しからずや・・・・・
素敵な言葉である。
2005-09-30(金) 曇ときどき晴 ヒュッテ 気温(最低=8℃、最高=18℃)
気が付けば、今日はもう9月末日。
標高 1,300m のヒュッテのある高原は、もう朝晩はメッキリと冷え込むようになり、ストーブを使い始めてから、もう一週間が経つ。普段の年だったら、今頃までに、もう可なりの量の薪を割ってしまっているのだが、新人議員となった今年は、とかく何やかやとスケジュールが忙しく、まだ、一本の薪も割っていない。
その代わり、連日のようにある議会や協議会で出会う人は実に多様で、人間好きの僕にとっては、実に実り多い年である。今日もそうである。
3時から行なわれた、組合立中学校議会の後の懇親会で伺った近隣の村の方々の話は実に面白く、思わず、何人かの人達と、またお会いしましょう・・・・・・という話になってしまった。更に楽しかったのは、その後で出掛けたカラオケで、往時、僕が大好きだった
真白き富士の気高さを
乙女の強い盾として
み国につくす、女等(おみなら)は
輝く御世の山桜
樹に咲き匂う梅の花・・・・・・・という「愛国の花」を歌った人がいた事で・・・・・・その歌を聞いたトタン、僕が思わず手を叩いて・・・・・・
「いやあ、オドロイタナ! この歌は・・・・・僕が小学校の頃、我が家の近くの、セーラー服を着たキレイな女学校のお姉さん達が歌っていた歌で・・・・・・僕はこの歌が大好きでした!」
と言ったら、この歌を歌ったご当人が、
「この歌の価値を認めたのは、お前(めえ)が初めてだ、エライッ!」
と言われたのには拍手喝采・・・・・・時代錯誤も甚だしいと言われれば、それ迄の事だが、戦争は大嫌いな僕だけれど、今でも体に染み付いた、小さい頃の、お姉さん達への憧れというのは、何時まで経っても消えないものらしい・・・・・・・!!今日の一日も、又、素敵な一日でした・・・・・・チョン!