2005 02 月の高原日記

  

2005-02-22(火)    晴    ヒュッテ    気温(最低= -6℃、最高= 5℃)

 午後2時、ヒュッテ着。
 着いてみたら、門はご覧の通り・・・・・・

    

    
 家の中に入るのがやっとの事・・・・・・画面中央に見える愛車 Jimny を掘り出すなんてもっての他・・・・・・トイレを使えるようにするのさえ、1時間ほど掛かった次第でアリンシタ・・・・・・!!

 ちなみに、この同じ場所が、夏にはどんなだったかを、参考比較の為に、ここにアップしておく事に致しましょう。
 アングルが少し違うので、チョット比べ難いかもしれませんが、場所は全く同じ場所なんです・・・・・・ハイ!!

     

 

     

    
2005-02-23(水)   曇ときどき雪    ヒュッテ    気温(最低= -5℃、最高= 7℃)

 午後 3時過ぎ、ヒュッテの電話が鳴った。
 「・・・・あ〜、モシモシ、八岳でございますが・・・・・」
 ・・・・・・僕は、いつもの調子で、電話口で早口に自分の名前を言った。

 すると、聞き慣れぬ女性の声が受話器から流れて来た。
 「・・・・・・八岳さんのお宅でしょうか・・・・・・?」
 「はい、八岳でございますが・・・・・・」
 ・・・・・・(はて? この人は誰だろう・・・・・・?)
 ヒュッテに電話を掛けて来る人なんて、そんなに沢山は居ない筈である。
 僕は、改めて、相手の声に耳を傾けたが、全く、初めての女性の声である。
 ・・・・・・すると、相手の女性は、ユックリと落ち着いた声でこう言った。
 「私は、近藤正子の姉の・・・・・・△△ △子と申しますが、正子は 2月19日、他甲斐致しました・・・・・」
 「エ〜〜〜ッ、正子ちゃんが・・・・・・」
 僕は、思わず大きな声で、聞き返してしまった。
 「ハイ・・・・・・」
 ・・・・・・それから,、およそ 15 分ほど、僕達は夢中になって話してから電話を切った。

 余りにも、突然の事だったので、僕には、とても信じられなかった。
 集団疎開のとき、よくピンクレッドの毛糸のセーターを着ていた優しかった正子ちゃんが・・・・・・
 ・・・・・・今でも、僕の事を 「アッキュー!」って、当時の綽名で呼んでいた正子ちゃんが・・・・・・
 今度、声を掛けて呉れたら、遊びに行くからね!・・・・・・って、何回か僕が言っていた、あの正子ちゃんが・・・・・・
 そう・・・・・・そのうち、妙子ちゃんと一緒に、ヒュッテにも遊びに来てよね・・・・・・って、何回か僕が誘っていた・・・・・・あの正子ちゃんが居なくなっちゃったナンテ・・・・・・!!
 話している途中、思わず、涙声になってしまった僕・・・・・・

 何か、僕はとても口惜しかった・・・・・・
 つい、一週間ほど前、彼女が桃三小の疎開史「伊那路」に書いていた思い出の手記を、彼女との約束通り、このサイトにアップする為に、「伊那路」を僕のパソコンの机の上に載せたばかりだったのに・・・・・・

 いま、この日記のキーボードを叩きながらも、約束を果たす事が出来なかった自分の不甲斐無さが・・・・・・僕は、本当に口惜しかった・・・・・・
 でも、どうして、こんなに早く、正子ちゃんはあの世に言っちゃったんだろう・・・・・・?
 以前よりも、ずっと元気になっていると思っていたのに・・・・・・!!

 なんか、物凄く哀しい、今日の半日でした。

    

    

2005-02-25

 冬真っ最中。
 ・・・・・・兎に角、寒い毎日が続いている今日この頃である。
 朝ご飯を食べながら、庭を見ていたら、突然・・・・・・何んて綺麗なんだろう!!・・・・・・って思ったら、何故か、突然、居ても立ってもいられず、二階に駆け上がって、デジカメを持ってくると、パチリと庭の写真を撮った。

 ご覧の通り、庭は一面の銀世界。
 ・・・・・・まだまだ、春は、ずっと先の事である。