2004 年 6 月の高原日記
2004-06-01(火) 雨 自宅(都内)
とにかく忙しかった 5 月・・・・・・余りの忙しさに、日記を書いたのは、たった2日間のみ・・・・・・
あとは殆んどと言っていいほど、日記を書く事ができなかった。まあ、後はデジカメで撮った写真を元にして、少しずつ 5月の日記を、ポツリポツリ と書き足して行く事にしよう。
2004-06-02(水) 晴 自宅(都内)
最近、卓球で傷めた右肘の腱鞘炎が痛み通しなので、卓球の練習を少なくして、ビリヤード(4つ球)を習う事にした。
始める前は、ビリヤードなどという物は、幾何と力学の知識がかなり役にたつに違いない・・・・・・と思っていたが、いざ、実際に始めてみると、幾何と力学の知識なんていうものは、殆んど、役に立たない・・・・・・という事をイヤというほど知らされた。
今日も午前中から正午にかけて、2時間ほど練習をしてみたが、まあ、兎に角、やればやるほど一筋縄では行かないものだと・・・・・・という事を、改めて、沁み々々と感じさせられた次第だ。ところで・・・・・・僕が通い始めたのは、山手線 T 駅近くの ビルの5階にある大きなビリヤード店の 「4つ球」 教室だが・・・・・・或る日の事、その店に、僕達が教室の先生からレクチャーを受けている間、三つ球の台で、いつも一人で黙々と練習をしている一人の女性が居るのに気が付いた。
スラッとした長身に、髪が長く、明るい目付きの素敵な女性である。
・・・・・・僕は、時々、彼女のやっていることを興味半分に、ポケッと突っ立って見ているが、見ていると、兎に角、彼女はビリヤードが、滅茶苦茶にうまい事にも気が付いた。 もしかすると、僕は・・・・・・彼女の自己練習を見ている間 じゅう、口をポカンと開けているのかも知れない・・・・・・と、後で思う程、彼女は上手いのである。
・・・・・・ところで、この彼女は、こうして午前中は独りで自分の練習をしているのであるが、午後になると決まって、僕達の教室の O さんという、これまたクラスの中では、非常に上手な女性と、2人でビリヤードを始めるのを習わしとしている。
この O さんという人も、素敵な明るい女性であるが、この2人のビリヤードを見ていると、僕は、改めてビックリした。
・・・・・・僕達に比べると、ずっとレベルの高いクラスメートの O さんが、この学問を司る女神アテネの様な女性の前に出ると、大学生の前に出た中校生か高学生(ちなみに、僕は幼稚園新入生です!)みたいに見えてしまうのである。 それほど、このアテネお嬢様はビリヤードが上手いのである。・・・・・・そんなこんなの今日の午後、練習を終えた僕が彼女たちの台の所に行って2人のゲームを見ていると、たまたま、ひとゲームが終って彼女達が休み始めたので、僕はそのアテネお嬢様に声を掛けて幾つかの事を聞いてみたのである。
「ねえ、ねえ、ねえ・・・・・・貴女がやるのを見てるとサア・・・・・・いつも、球が1個しか動いていないように見えるんだよね! あれは何故かな・・・・・・だって、ほら、こうやって、あたりを見回して皆さんがやっているのを見ていると、自分の球と突かれた球の2個が台の中を動いているのに、貴女がやると、球ッコロが1個しか台の中を動いていないんだよね・・・・・・・アリャア、どうしてだろう・・・・・・・?」
と・・・・・・僕は、いつもの通りのガラッパチな言葉遣いで彼女に話し掛けてみた。
すると、彼女は僕の眼の中を真っ直ぐに見詰めてこう言った。
「あら、それに気付くって、すごい事よ・・・・・・・私も、習い始めて暫く経ってから、それと同じ質問を、上手な人に質問したけど・・・・・・もっと、ずっと後の事だったワ・・・・・・!! それはねえ・・・・・・」
・・・・・・と言って、彼女はその理由を、物凄く素直に説明してくれたあと
「とにかく・・・・・・ピアノでも、テニスでも、それからビリヤードでもそうだけど・・・・・・一番基本になる練習をイヤという位に繰り返し、繰り返し、する事が一番早く上達する最短距離なのヨ・・・・・・」
と、付け加えて、もう一度、僕の眼の中を覗きこんだ。
ここで、僕がチョット驚いたのは・・・・・・この時ぶつかった彼女の目の色の静けさと澄んだような心の暖かさである。 普通、僕と彼女くらいに力量の大きさが違うと、人間って、どこか尊大な所が出て来るものだし・・・・・・まして、女性が男(僕のことでアリンス)の眼を見る時って、往々にして、何か警戒するような・時には皮肉っぽい視線を感じさせられることがあるのに・・・・・・この時の彼女の視線は、本当に、ごく自然な 『みずうみ』 のような視線だったのである。
・・・・・・そんな事を感じた所為だろうか、僕は瞬間的にこんな言葉を彼女に向けて発していた。
「僕は貴女を尊敬しちゃうなア!! そして・・・・・・貴女が羨ましいヨ! ・・・・・・それから・・・・・・僕も、貴女みたいになりたいヨ! ・・・・・・それには一体、どうしたらイインダロウ・・・・・・??」
・・・・・・すると、何を思ったのだろうか彼女は
「それなら・・・・・・」
と言うと、美しい仕草で・・・・・・サッと台に向うと、3個の球を台の縁から直角に一直線に並べ、真ん中の白球に棒の先を近づけると、その白球に逆スピンをかけ、一番遠い赤球に当てたあと、一番手前の黄球まで白球を引いて、止まる位のスピードで静かに当てたあと、
「いい? こうやって、真っ直ぐに球を引く練習を繰り返し繰り返しするといいワ! いい? ・・・・・・ゲームでは、いくら負けたっていいの!・・・・・・兎に角、こんな風に真っ直ぐに引く練習を、もう本気になってするといいわ! だって、真っ直ぐに引けなかったら、コッチ (黄球の右側を指差して )にも、コッチ (黄球の 左側を指差して) にも引けるようにはならないわ ・・・・・・!! いいこと? ゲームには負けたっていいの・・・・・・兎に角、真っ直ぐに引けるようになる事。 それが、上達への一番の近道だワ・・・・・・!!」
・・・・・・そう言って、彼女はもう一度、僕の眼の中を覗き込んだ。
その言葉を受けて、僕が
「ホント・・・・・・?」
と、聞くと・・・・・・彼女は静かだけど、しっかりと落ち着いた言葉遣いで
「ホントよ・・・・・・! ゲームには負けたっていいの! とにかく、真っ直ぐに引けるようになる事。 それが、上手になる、一番の早道なの・・・・・・」
・・・・・・と、もう一度繰り返した。
だが・・・・・・その瞬間、僕は、彼女の瞳からジリジリッと青白い稲妻のようなものが流れるのを感じた。
( アッ! この人は、今、僕の方に真っ直ぐに向って話をしている・・・・・・!!)
・・・・・・そう思った瞬間、嬉しくなった僕は、思わず口走っていた。
「ヨ〜シ! じゃあ、やるぞ・・・・・・オレ!!」・・・・・・僕は、兎に角、嬉しかった。
こんなにもビリヤードが上手で素敵な女性が、ヘタクソな僕に向って、こんなに真面目に向き合って呉れたのである。そう言えば、僕には、かって、これに似たような経験をした事が一度だけあるのを思い出した。
・・・・・・今から 20 年ほど前、当時、行きつけのバー 『ラムプ』 で、都内でも卓球の盛んな中野区のオープン戦で、常時ベストエイト以内にランクされていた左腕カットの名選手大谷さんにたまたま出会い、それが切っ掛けとなって、それからの 7 年間、その大谷名選手が、卓球を始めたばかりのヒヨッコの様な僕を 、ずっとずっと、教え続けて下さったことを・・・・・・
もし、あの時、僕が、あの大谷さんに 「ラムプ」 で出会っていなかったなら、今のように、下手糞ながらも未だにカットマンを目指して練習を続けている僕はあり得なかった筈だし・・・・・・ましてや、知的障害の我家の一人っ子の KR が、一昨年のスペシャルオリンピックスの日本大会の卓球部門で優勝し、その後の昨年6月・・・・・・アイルランドで開かれたスペシャルオリンピックス世界大会の卓球部門で銅メダルを貰って来る・・・・・・なんていう事も無かった筈である。
そう・・・・・・あの大谷名選手が、卓球技術の上では格段の差がある、下手糞な僕に正面から向き合って下さったような感動を、今日の午後のこの瞬間に、僕は、たまたま一人の女性から感じさせられたのである。
・・・・・・
・・・・・・
僕は本当に嬉しかった。
そして、今日の一日を本当に素敵な一日だったと思うし、こんな素敵な出会いを持てた自分を、本当に幸せなヤツだと思わずにはいられない気がするのである。
だから・・・・・・今度、彼女に会ったら素直に今日のお礼を言うことにしよう。
閑話休題
・・・・・・ビリヤードというのは、今迄、僕が夢中になってきた、卓球や将棋と大分違ったマナーがあるらしい。
・・・・・・と、言うのは・・・・・・現在の教室に入ってから、まだ 4回しか教室に顔を出していないのに、もう何回か皆さんから注意をされているからである。その注意の大要は、下記のようなものであるが・・・・・・どれもこれも、僕と言うガラッパチのお里を示すものばかり・・・・・・!!
今更、氏素性(うじすじょう)は争えないけど、それにしても、チト恥ずかしいよねえ!!●@ ゲームの最中、相手のやる事を傍で見たいと思って、相手が構えている傍を動き回ったら、「相手のプレーヤーの気が散るから、動き回らないで、静かに、見守る様に・・・・・」と注意を受けた。 (先生より)
●A 自分の打った球が、思った通りに、動いてくれなかったので、「チックショーメエ・・・・・・」と言ったら、僕の声が大きいものだから、あたりに響いたようで、「気持ちは分かるけど、そういった言葉はなるべく、心の中で言いましょう・・・・・・」という注意を先生から受けてしまった。 ナルホド・・・・・ネエ!!
●B 上手な人達のゲームを傍で見ていたら、「よその台のゲームを見るときは、イスに坐って見るように・・・・・・」と注意されてしまった!!
●C よその台のイスの上に、自分の持ち物を置き忘れて来たら、「ご自分の物は、ご自分でお持ちになっていた方が安全だと思いますけど・・・・・・」というアドバイスを受けた。
我家でも、忘れ物の名手の僕。 気を付けなくちゃア・・・・・・!! 何せ、2日続きの卓球の試合で、1日目の試合が終ったあと、ラケットを体育館に忘れて来た事がある僕の事である。あの時、2日目の試合が無かったら、あのラケットは永久に僕の元には戻って来なかっただろうから・・・・・・ネ!!●D 自分の台でゲームをしている時、棒の先にチョークを塗るろうとしたが、自台の縁(ふち)の上に見当たらない。 チョット脇を見たら、隣の台の手近なところにチョークがあったので、「ア、これ、チョット貸して下さい」といったあと、承諾の返事が無いまま使おうとしたら、今日の日記に出てくる O お嬢様から 「よその台の持って行ったらダメ・・・・・・!!」 と、お叱りを受けた。 瞬間、(また、やっちゃったヨ・・・・・・)と思いながら、「ア、スイマセン!!・・・・・・ゴメンナサイ!!」と言ったら、僕の言い方が可笑しかったのだろうか、「アハハハハハ・・・・・・」と O さんが明るく笑いながら、僕の方をチラリと見た。 ・・・・・・でも、目が笑っていたので、物凄くホッとした。
●E (今日の日記の続き)
・・・・・・この 「アテネちゃま」 との会話が終ったあと、彼女が使っている玉突きの棒を見たら、とても立派だったので、
「・・・・・・貴女の棒は、僕達の棒より(値段の)高いものなの・・・・・・?」
って訊いたら、
「棒ですって・・・・・・」
と可笑しそうに言って、彼女は O さんの方をチラリと見た。
・・・・・・その後で、僕に
「じゃあ、あなたのを見せて下さらない?」
と、言ったので、僕のを見せると
「あら、これ、とてもいいものよ・・・・・・!」
と言うので
「ホント?」
と訊くと
「ホント、だって・・・・・・とても綺麗でしょう・・・・・・・」
と言ったので、
「・・・・・・そう? どうも有り難う・・・・・・。 ・・・・・・で?」
と、彼女の答えを促すと
「・・・・・・そうね、私の方が高いと思うわ・・・・・・」
と、彼女は悪びれずに素直に言った。
そこで、僕が
「・・・・・・やっぱりね・・・・・・!」
と言うと、直ぐ傍に立って僕達の会話を聞いていた O さんが言った。
「・・・・・・上手になったら、また、新しいのを買われたらいいわ・・・・・・」
と、優しくアドバイスをして呉れました。
「うん、どうも有り難う・・・・・・そうします・・・・・・」こんなやりとりを暫くの間した後、僕は、ビリヤード店を後にしたが、皆さんが親切に色々な事を教えて下さるのが、僕は本当に嬉しかった。
今日の日記は随分長い日記になってしまったが・・・・・・今日もまた、素敵な出会いがあった素晴らしい一日だったと、沁み々々と感じた次第でありンす。
皆さん、本当に色々と有難うございます。
2004-06-05(土) 晴 自宅(都内) 気温(最低= 16℃、最高= 28 ℃)
午後1時、小田急線の経堂まで出掛ける。
7月中旬の Finland Village の卓球ツアーの実行委員会の打ち合わせである。
集まったのは、女性の Yさん、Tさん、Sさん、それに男性の Mさんに僕の 5 人。
・・・・・・賑やかな農大通りの 「珈琲館」 という喫茶店に入って、ウインナーコーヒーを注文して、早速、本題に入って、時間と予算の全体的な見直しをした。
・・・・・・何せ、行く場所が場所だけに、交通費が高く、最終的には、交通機関はJR ではなく、中央高速バスに落ち着く事になった。
LYPP のメンバーは皆んな素敵な人が多い
だから、大変な打ち合わせもケッコー楽しく進行します・・・・・・
打ち合わせのエンディングは、矢張り、卓球の話。
・・・・・・経堂駅の改札口まで、戻って来るまで、アーデモナイコーデモナイ・・・・・・と、卓球技術の話に花が咲き、改札口の所で、
「サヨナラ、有難うございました」
「サヨナラ、ご苦労様でした」
「それじゃあ、又ね・・・・・」
・・・・・・と3方向に・・・・・・MさんとSさんは駅の北側に、YさんとTさんは南側に、そして僕は切符売り場にと分散して行きました。
でも、その一瞬は・・・・・・何か、往時の学生時代を彷彿とさせる様な、懐かしいひとコマでした。・・・・・・それにしても、皆さん、大学生の様に、素直で明るくて、本当に健康的で素敵な人ばかりです。
ワーーイ!!
2004-06-09(水) 曇 自宅
Billiard 場で、和田 さんが、地獄の戦場という本を貸して呉れた。
「1冊しかない本なので、呉れ々々も大事にして下さい・・・・・・」
と、念を押して・・・・・・・
2004-06-14(月) 晴 自宅(都内)
夜、メールボックスを開いたら、LYPP(Love Your Ping Pong)の M さんから、可愛らしいメールが届いていた。 月が開けたら、去年と同様・・・・・・僕達 LYPP のメンバーは、八ヶ岳山麓の Finland Village に泊まり、八千穂村の人達と卓球の練習試合をする事を・・・・・・皆んなで企画中なのだが、メールはその事に関してであった。
僕は彼女のメールを読んだ後、少なからず嬉しく思った次第である。
・・・・・・というのは、彼女のメールの文面からは、この卓球ツアーを楽しみにしている小女のような明るく屈託の無い気持ちがよく伝わって来たからである。しかも、メールを開くと同時に、可愛らしい音楽と、蝶々の動画が画面の中を飛び始めたから、2度、ビックリ・・・・・・!!
もともと、蝶の採集が趣味だった僕は・・・・・・暫く考えてから、今日の日記にコピーする事にした。ただ残念な事には、蝶の画面の取り込み方は分かったものの、音楽の取り込み方が分からず、そちらの方は、とうとう諦めざるを得なかったのがチト口惜しい次第である。
八岳さま
おはようございます。
今日は初秋を思わせる涼やかな、爽やかな天候で
365日、洗濯おばさんのわたくしには嬉しいかぎりです。
しっとり雨も、たまにはいいものですが、すっきりと抜けた青い青い空は
気持ちを前向きにしてくれます。
八ヶ岳の件では、八岳さんにとてもご尽力いただいて
お世話になっております。ありがとうございます。
初めての参加でまるで修学旅行生のようです。
空気のきれいなところで、ゆっくり、ぼんやりしたいな〜〜と
思いますが、なにかと忙しい日程になりそうですね。
よろしくおねがいします!
また、梅雨空に戻ると、寒暖があり体調のコントロールが難しくなります。
ご家族の皆さま、お体ご自愛ください。
残念ながら、香は出ませんが・・・音楽と動画を
しばしお楽しみ下さい。
2004-06-16(水) 晴のち曇 自宅(都内)
今朝、庭のアンズの木で、ミンミンゼミが鳴いているのに気が付いた家内が、朝食後のお茶を飲んでいる僕に言った。
「アラ、今年の蝉の初鳴だわ・・・・・・!」
・・・・・・そう言われてみれば確かにそうである。
「ホントだ・・・・・・初鳴きだよねエ・・・・・・」
と僕が言うと、彼女の曰く。
「・・・・・・去年も、アンズノキでミンミンゼミが鳴いていたわ・・・・・・我家に棲み付いているのかなア・・・・・・・??」・・・・・・今鳴いているミンミンゼミは、去年鳴いていたミンミンゼミの子供だと、家内は思っているのだろうか?
そんな事を考えていたら、何んとなく家内を可愛らしく思ってしまった。
卓球で、右肘を傷めてから、水曜日の午前中は・・・・・・ビリヤードの4つ球教室に通い始めた僕であるが・・・・・・僕が通っている、ビリヤード教室に和田さんと元気なご老人がいらっしゃる。
・・・・・・ある日のこと、午前中の練習を終わり、一緒にお弁当を戴きながら、話をした事があったけど・・・・・・談たまたま昔の戦時中の話になった時、和田さんが
「戦時中は、僕は海軍の軍人でした・・・・・・」
と言われたので、僕が
「イヤア・・・・・・そうでしたか・・・・・・僕は、戦時中は小学校の子供でしたが・・・・・・大きくなったら、絶対に海軍の軍人さんになろうと思っていましたよ・・・・・・ところが、戦争が終ったら、軍艦も、海軍も、海兵(海軍兵学校)もミーンナ無くなっちゃったじゃないですか! それでも・・・・・・どうしても船に乗りたかったものだから、東京商船大学に入り、とうとう船乗りになってしまいました・・・・・・」
と言うと、お互いに海の男と言う親しさも手伝ってか・・・・・・色々と話をするようになりました。
・・・・・・ところが、つい先週の水曜のことだが、その和田さんが
「ちょっと、これ読んでみて下さい・・・・・・」
と言って、紙袋に入った分厚い本を一冊貸して呉れました。さて、家に帰って、包みを開いてみると、中から出て来た本は
「丸] 別冊 ”地獄の戦場” A
ニューギニア・ビアク戦記 (昭和61年三月15日発行)
と言う 雑誌「丸」の 別冊
目次を開いてみると、成る程、和田喜一という名前で
サラワケット山系を越えたラエ海軍警備隊
という記事が掲載されていた。
・・・・・・ところが、それから一週間、色々な雑用に追われて、和田さんの記事を読む事が出来なかったけど、かねて懸案の 「小海町の蝶」 の原稿もやっとの事で仕上がったので、お風呂から上がった真夜中過ぎになって
「サア、それでは、和田さんの記事を読んでみようかな・・・・・・?」
・・・・・・という訳で、ヤット落ち着いた気持ちで、
「サラワケット山系を越えたラエ海軍警備隊」
のページを開いた次第である。Aところが、いざ読み始めてみたら、どうだろう・・・・・・!!
兎に角、面白くて、止める事が出来なくなってしまい、とうとう午前3時少し前まで掛かって全部読んでしまいました。
・・・・・・そして、そのあとも、幾つかの記事のアチコチを拾い読みなんかをしたものだから、眠りに就いたのは、もう4時を回ってからの頃・・・・・・雨戸を閉めようとしたら、東の空が、ホンノリと明るくなっているのを見て、聊かビックリした次第である。まあ、僕も今迄の人生で色んな人に出会って来たけど、こんなに物凄い経験をした人は余り居ないんじゃないかと思う。
・・・・・・そう思ったら、何か急に和田さんに親しみを感じました。
また、今度の水曜日に色々とお話を伺うことに致しましょう・・・・・・!!
それから・・・・・・以上の事とは別に、和田さんの記事のコピーをとらせて頂く事にしよう。
2004-06-19(土) 晴 自宅(都内) 気温(最低=22℃、最高=30℃)
立川の ARP 教室の見学をしたが、とてもいい参考になった。
ARP とは、卓球の打法の理論で、Axis(軸)、Rythm(リズム)、Posture(姿勢)、の3語の頭文字をとった打法理論である。見学をしてみて分かった事だが、
●Axis(軸)とは
球を打つ時には、常に上半身を垂直に立て、頭の中心からお知りの穴に抜ける軸を回転軸として体を回転させる。
●Rythm(リズム)とは、
打球時に、タン、ターン とリズムをとり、タンの時に両膝を軽く曲げて体を下に落としラケットを握った手のバックハンドをとる、ターンの時に、膝をのばして体を上にあげると同時にラケットをスイングする。
●Posture(姿勢)とは、
文字通り体の姿勢の事で、この一連の運動をする時に、上に書いた軸が前後や左右に振れない様に・・・・・・いつも、体軸を鉛直方向に保っている。・・・・・・別に説明を聞いた訳でもないので、詳しい事は全く分からないけど、僕が見た範囲では、この ARP 理論というのは、上記の一連の打法が、全ての場合に当て嵌まるという事を基に・・・・・・理論体系を形成したものらしい。
もし、上記のように明快な理論で、卓球技術が向上し、今迄以上に卓球を楽しむ事が出来るようになるならば、とても素晴らしいことであると思う。そして・・・・・・今日の1時間ほどにわたる見学を通じて・・・・・・この打法こそが、現在の我家の一人息子の KR が一番必要としている、卓球技術であると、沁み々々と感じた次第である。
帰り際に、馬場さんから、
「この ARP 教室は、ARP 理論によって開かれている教室です。・・・・・・ARP 理論は CD に入ったものが用意されているので、今度、機会があったら、是非、ご覧になって下さい・・・・・・」
と言われた。帰宅後、今日の見学後の感想を家内に話したら、家内も
「アラ、それ・・・・・・KRにトッテモよさそうじゃない・・・・・・? でも、一挙にガリガリガリッて取り入れると、嫌気がさしちゃうから、少しづつ少しづつやったらイイワヨ・・・・・・!!」
との事。
・・・・・・という訳で、我家でも、この ARP 理論を取り入れてみる事を検討中・・・・・・
そのうち、サウンド球貴に出掛けて行って、CD を買って来て、KR と一緒に見てみることにしよう・・・・・・カナ??
2004-06-20(日) 晴のち曇 自宅(都内) 気温(最低=24℃、最高=31℃)
朝、9時過ぎ、突然、ピーポ、ピーポ!と小さなサイレンの音がして、
「ただ今より、消防訓練を行いますので、防災公園にお集まり下さい・・・・・・」
と声が掛かったので、本当に何十年振りかで、消防訓練に出掛けてみた。
・・・・・・そしたら、消防署員に混じって、タキタ自動車の社長、リーチャン、正明ちゃん・・・・・・などなど、普段、顔馴染の連中が何人かいたので、
「やあ、やあ・・・・・・」
・・・・・・という事になってしまったが、普段は、こんな所に顔を見せない僕が、出て来たので、皆さんは聊か驚いたようである。この訓練では、全員が赤い筒の我家にもある家庭用の消火器の使用法の訓練をさせられたけど、この消火器を実際に使ってみたのは、僕も生まれて初めてのこと。
その意味では、とても有意義だったと思います。午後は、3時半から千歳船橋で LYPP の卓球練習。
・・・・・・前以て、KR に ARP の事を話して置き
「・・・・・・チョットこうやって打ってみな・・・・・・!!」
と言って、打たしてみたら、結構、キチンと打ったのには聊かビックリ・・・・・・!!もしかしたら、ARP 打法によって、今迄の前屈みのフォームが矯正されるかも・・・・・・
2004-06-21(月) 台風 自宅(都内) 気温(最低=●℃、最高=●℃)
4〜5日前から、西日本に近付いていた台風は、昨夜から四国の高知県に上陸し瀬戸内海を横切って、北北東に北上中。
今朝方から、ドンヨリと曇って南風が吹き込んでいた東京地方は、午後3時過ぎに、突然、ひどい雨が降り出した。
・・・・・・と同時に、デコ助が雨に降られて家の中に飛び込んで来た。デコ助は、今日から新しい職場の外資系の CB に務め始め、今日がその第一日。
ピカピカの新入社員がひとり誕生しました・・・
・・・・・・家内が藤沢に出掛けて家に居ないので、早速、スーツ上下を脱がして、雨をタオルで拭き、ハンガーに掛けてつるしてやる。その後で、色々と聞いてみたら、一生懸命に Y ジョブコーチと一緒に、実習をして来たようである。
「どう、疲れた?」
と聞いたら
「ウウウン、ソーデモナイ・・・・・」
との事。そこで
「・・・・・・じゃあ、緊張した・・・・・?」
と聞いたら
「ウン、緊張した・・・・・・」
との事。
デコ助は、デコ助なりに一生懸命に努力したのだろう・・・・・・ご苦労さまでした。
2004-06-22(火) 快晴 自宅(都内) 気温(最低=23℃、最高=32℃)
今日は冬物の洗濯と整理片付けに追われた一日だった。
その合間を縫って、サウンド球貴に行って、ARP 理論の DVD を買って来た。
帰宅後、早速、ARP DVD を見てみたが、とても分かりやすく出来ているので、KR も楽しみながら卓球の技術を身に付けて行けそうである。今度、KR と2人で、このDVD を見てみようと思う。
2004-06-24(水) 晴 自宅(都内) 気温(最低=24℃、最高=36℃)
今日は今年に入ってから最高の気温 36℃ を記録したが、湿度が低い所為か家の中にいたら結構居心地がよかったので、溜まった書類や郵便物の整理をした。
我家では、毎日の様にかなりの数の郵便物が送られて来る。
・・・・・・各種の DM 、ガス代、電気代、水道料、それに車環境の車検や保険の案内・・・・・・などなど、放っておくと、アットいうまに郵便物がたくさん溜まってしまう。
だから、出来るだけコマメニ書類を整理しておかないと、やるのが本当に面倒臭くなってしまうからだ・・・・・・
静かな家の中で、ユックリと郵便物や書類を整理していると、本当にユッタリと満ち足りた気持ちになるから不思議である。
二日ほど前、東北の親類から、立派なサクランボが沢山送られて来た。
サクランボはメキシコマンゴーと並んで、僕の大好物。
今日の昼ご飯のデザートも、サクランボだったけど、その色合いが余りにも素敵だったので、途中で食べるのを中断して、デジカメでサクランボの写真を撮った。
今、この写真を見ていたら、戦時中の国民学校の夏休みの算数の宿題に、サクランボの絵が描いてあって、足し算の答えの数だけ、サクランボに色を塗る問題があった事を思い出した。
懐かしい、ズットズット昔の頃の思い出・・・・・・
ふと、鼻の奥のほうがキューンと痛くなるような気がした。サクランボは初夏の風物詩である・・・・・・!!
2004-06-26(土) 曇時々雨 ヒュッテ
昨夜、午後11時過ぎにヒュッテ着。
今朝、カーテンを開け庭を見渡したトタン、思わず溜息が漏れた。
思っていた通り、庭一面が雑草で埋めつくされている・・・・・・しかも、その雑草たるや 50 〜 60cm 位に伸びている始末だ。
まったく、オヤオヤである。
でも、それ以外は・・・・・・白い幹と深い緑に覆われたシラカバの林、木と草の香りに包まれた清々しい空気、淡いネズミ色のホッとするような梅雨空・・・・・・等々、ヒュッテの周囲の全てが素晴らしい!!全く、こうしていても、思わず外に飛び出して
「やっほ〜〜〜!!」と、
・・・・・・空に向って叫びだしたくなるような、今日のヒュッテの佇まいである。
・・・・・・さて、今回、僕がヒュッテにやって来たのは・・・・・・26日が今年のユハンヌス( Juhannus )夏至祭に当るのだが、一昨日、東京の自宅に長距離電話が入り、
「・・・・・・ちょっと、急用が出来てしまったので、オープニングセレモニーの司会を途中まで、代って頂けませんか・・・・・・?」
と、こうみ塾塾長の美代治さんから頼まれていたからである。ところで、ユハンヌス夏至祭というのは、フィンランドではクリスマスに継ぐ大きなお祭りなのだが・・・・・・たまたま、小海町にフィンランド・ヴィリッジ (Finland Village) というフィンランド人達の素敵な休暇村がある事が切っ掛けとなって、一昨年より、小海町で開かれるようになった新しい国際的なお祭りなのである。
午後、5時半・・・・・・定刻になると
井出教子さんのイントロで始まった夏至祭・・・・・・
・・・・・・教子さんのイントロの後、急用が出来たこうみ塾塾長のピンチヒッターとして、マイクを握ることになった僕・・・・・・
いきなり、日本語と英語の司会になってしまたので、聊か、緊張気味のひと時でした。・・・・・・そして・・・・・・
第一部 の
● 日・フィ 双方の代表者のフォーマルスピーチ
◎ 松原湖観光協会 加藤邦人氏の祝辞
◎ フィンランド大使館
ヴァラスキヴィ女史の素晴らしい日本語のご挨拶
● Mr. Bystedt の 「Kippis !」(乾杯)のご発声
● 本日参加のフィンランド人全員の紹介
● コッコ (Kokko.......Juhannus 夏至祭の時に燃やす馬鹿でかいキャンプファイア) の点火
・・・・・・が終ると、司会のマイクを教子さんに戻して、
Juhannus のシンボル ”Kokko” のファイアの前で・・・・・・
夏至祭に集まったフィンランドの人達と・・・・・・!
皆さん優しくて、素晴らしい人達でした。
そして・・・・・・この後、驚くなかれ、ログハウス「ホンギュスト」の中で
踊ったり午前3時くらいまで語りあかしました・・・・・・
第二部 皆様お待ち兼ねのミュージックフェア・・・・・・!!● パワフルな小海雲海太鼓、
● 清々しい合唱団 「リトル」 のコーラス、
● オリジナルの曲を沢山盛り込んだ教子夫妻の素敵なヴォーカル・デュエット
・・・・・・に混じって、
● 今年、初参加の
キュートなカオリンと彼氏のギター/ハーモニカの伴奏を伴った
2人 「カオリンとコゲ」 の素晴らしいデュデット・・・・・・
● フィンランド人ご持参の CD に合わせて
フィ・日 入り乱れての半白夜のダンスパーティ
● そして、シンガリの小海マージビートのエレキに乗って
クタクタになる迄、踊り狂った、Juhannus 祭のヒートアップ
・・・・・・という訳で、夏至祭の夕べを心行くまで楽しんだ我々だったけど・・・・・・
その後は・・・・・・ログハウスに場所を移し
第三部(??) ダベリング & ダンシング・タイム・・・・・・となりました。本来は、この第三部なるものは、最初から今日のスケジュールには入っていなかったのだけど、いつの間にか、自然発生的に付け加わったっていう追加タイム。
・・・・・・もともと、今日一日、ログハウス 「ムスティカ」 は参加者に開放されている為、ここで一夜を過ごす 日フィ 双方の仲間達でダベリングを始めたところ、話は延々何時間にも及び・・・・・・その間にも、ワイン・ウォッカ・日本酒を飲んだり、フィンランドの CD に合わせて踊り狂ったり、疲れてサウナに入って来る人達がいたりで、最終的に、僕が皆さんに 「オヤスミナサイ」 を言ったのは午前2時半過ぎ・・・・・・
それなのに、玄関の所には、フィンランドの若い人達が集まり、まだまだ・・・・・・元気に話に興じている様を見て、僕は本当にビックリ・・・・・・!!
この Juhannus 夏至祭 というものが、フィンランド人達にとって、どういったものなのかを、ホンの少しだけど垣間見たような気がしました。もともと、この夏至祭なるものは、折角、小海町に Finland Village というフィンランド人達を中心にした素敵な施設と集まりがあるのだから・・・・・・フィンランド・ヴィリッジで、フィンランドの人達を中心にした、フィンランドのお祭りを祝い、それに コーミャン ( 「小海町の人達」 の意・・・・・・八岳晴耕による新語 ) が参加したら・・・・・・面白いだろうな?
・・・・・・と、フト、ガラッパチの筆者が、気まぐれ的に考えたのが・・・・・・・そもそもの始まり!
そこで、町の人達や、何人かの外人さん達に話を持ち掛けてみたところ
「面白い・・・・・・!!」という意見と
「・・・・・・なかなか難しい・・・・・・!!」
・・・・・・という意見の二つが出てきたけど、
「ヘエ・・・・・・そりゃあ、面白れえじゃんかい・・・・・・!!」
という 「こうみ塾」 のメンバーの声を背景に、フィン・日 両方に声を掛け続け・・・・・・
とうとう・・・・・・フィンランド側 ⇒ Mr. Bystedt、井上一郎
小海町側 ⇒ 小清水拓、井上春正
( 通訳 : 八岳晴耕 )・・・・・・という集まりが、小さな火種となって発足。
性格温厚、実行力抜群、心優しき Mr. Bystedt の絶大な協力、また、こうみ塾メンバーの協力、更には松原湖観光協会の皆さんのご協力のもとに、この Juhannus 夏至祭は、年々、参加者を増やしつつ ( 2002年: 60人、 2003年: 94人、 2004年: 160人 )、今日に至ったのである。
小海町は、八ヶ岳の山並みと千曲川に挟まれた小さな過疎の町に過ぎないけれど・・・・・・それでも、この町の中には八ヶ岳の素晴らしい眺望と、澄み切った美しい長湖の景色に恵まれた、フィンランド・ヴィリッジという、メルヘンチックな小さな憩いの空間があり・・・・・・そこで、遠い北の国で生まれたフィンランドの人達と、素朴な山間(やまあい)のこの町の人達とが、少しギコチ無くはあるけれど、お互いの誠意と愛情を大切にしつつ ”Juhannus” という、遠い北の国の 「夏至祭」 の喜びを分かち合うようになって来た・・・・・・という事は、本当に、心の中をほのぼのと明るくする・・・・・・お伽噺 (おとぎばなし) のような風景だと、筆者には思われてなりません。生きてる!!・・・・・・・って、どうして、こんなに素晴らしいのでしょうネ!!
バンザーイ・・・・・・!!
2004-07-30(水) 晴 自宅(都内)
とにかく忙しい、ここの所の毎日。
今日の日記だって、何時になったら書けるものやら?一昨日、篠原アッちゃんから電話があったというので電話をしてみたら、白雲寺の跡の白雲荘を、色即是空のお話会の会場として使っていい事になったという事になったという事。
・・・・・・嬉しかった。
これで、色即是空のお話会も少しは軌道に乗ることになるだろう・・・・・・?そう!
・・・・・・少しづつ、少しづつ・・・・・・皆さんが喜んで下さりそうな事をやって行く事にしよう・・・・・・これで、又ひとつ、夢の一つが開くかも知れない・・・・・・そう思ったら、本当に嬉しかった。
(7/13 記)