2004 年 2 月の高原日記
2004-02-02(月) 曇のち雨 自宅(都内) 気温(最低= 3℃、最高= 8℃)
早いもので、もう2月である。
・・・・・・そして、あと50日ほどもすれば、暖かい春がやって来ることだろう!春・・・・・・何んて素敵な響きのある言葉だろう!
そして、何んと胸の膨らむ想いのする言葉だろう!
そう・・・・・・そんな春が、もう、そこ迄来ているんです・・・・・・
冬来たりなば、春遠からじ・・・・・・
この言葉も、また素敵である。
いいなア・・・・・・もうすぐ春なんだア!!
2004-02-03(火) 曇時々雨 自宅(都内) 気温(最低= 5℃、最高=12℃)
夜、Y 子ちゃんから電話があった。
Y 子ちゃんは、昭和19年、僕達と一緒に長野県上伊那郡東箕輪村の普済寺に集団疎開に行った女の子である。
・・・・・・チョットした雑談の後
「・・・・・・ところで、どうしたの?」
と聞いたら
「・・・・・・2月の中ごろ、S 子ちゃんと久方振りに会って、お屋敷町の中を歩ってみない? っていう事になったんだけど、その後で、お蕎麦屋さんの上野庵さんでお昼を一緒に食べるの・・・・・・もし、よかったらいらっしゃらない・・・・・・?」
との事。
「・・・・・・いいよ、お昼頃だったらスケジュール開いてるから・・・・・・久方振りに会おうか・・・・・・?」
という事になりました。素敵・・・・・・ Y 子ちゃんは、去年の7月にあったけど・・・・・・ S 子ちゃんと最後にあったのは、もう 20 年ちかくも前の事!
S 子ちゃんに会うのはとても懐かしいけれど、チョッピリ気後れする様な気もします。・・・・・・って言うのは、小学校時代、僕と同じクラスだった美人の S 子ちゃんには沢山の男の子の取り巻きがいて、いつも楽しそうに彼女と話していたけれど、両親が離婚をしていて(・・・・・・その当時は、両親が離婚をしている家って滅多にありませんでした・・・・・・)そういった男の子達に何んとなく劣等感を持っていた僕は、正直な話・・・・・・ S 子ちゃんと対等な立場で話をする事が出来なかったからである。
哀しいけれど、そんな思い出が残っている、素敵な彼女である。
・・・・・・ S 子ちゃんに会ったら、俺って一体、どうなっちゃうんだろう・・・・・・??
2004-02-04(水) 晴 自宅(都内) 気温(最低= 3℃、最高=10℃)
昨日が節分だったので、今日は立春。
とは言っても、今は冬の真っ盛り。
週末から来週に掛けて、また寒い日がやって来そうである。
話は変わるが、ここ1〜2週間ほど、やけに眩暈(めまい)がする。
・・・・・・そもそもの発端は 1月26日の日記にある通りであるが、昨日、今日あたりも、どうもスッキリとしない・・・・・・イヤなのは、時々、急にクラッと来る事である。
・・・・・・そんなこんな状態の最近だったので、今日の午後、K 美術館の学芸員の N さんに電話を入れて、明後日、僕が日帰りで録音する事になっていた現在製作中の映像作品のナレーションの吹込みを、急遽、何方かに交代して貰えないだろうか? ・・・・・・と連絡を入れた。直前になってからで、本当に申し訳なかったけど、急遽、お願いすることにした。
・・・・・・誰か、後を引き継いでくれる人がいるといいのだが・・・・・・
夜は、早めに寝床に入る事にしよう・・・・・・
2004-02-06(金) 晴 自宅(都内)
きのう川公園を川下に向って散歩したら、ビルとビルの間の小さな庭に、陽の光に当たって白梅がキレイに咲いているのに気が付いた。
早速、持っていたデジカメで写真を撮って来て、Top page に掲載したが、とてもキレイな花だったので、その写真を、この高原日記にも載せる事にした。
・・・・・・この梅の写真をみていたら、フイに、ずっとずっと昔の国民学校時代にの唱歌の時間に、先生がオルガンを弾き弾き教えてくれた、古い古い歌を思い出した。
学校帰りの近道を
通って来れば
何処からか
ほんのり匂う
梅の花
何んか、とても懐かしい国民学校唱歌である。・・・・・・でも、この歌を皆で歌った後しばらくして、僕達のクラス全員は大東亜戦争が激しくなって来た為、縁故疎開や学童疎開の政策の下、チリヂリバラバラになって、地方に解散して行ったのである。
そんな事を考えていると、あの頃一緒に勉強したクラスメート達はどうしちゃったのだろうか? ・・・・・・と、ちょっとセンチメンタルな気持ちになってしまう・・・・・・
過ぎ去った過去は、もとには戻らないけど、何人かの仲間達には、ふと会って見たい気持ちになるから不思議です。
ホントに皆んなは、どんな壮年になっているのだろう・・・・・・????
2004-02-07(土) 晴 自宅(都内)
・・・・・・2月7日は、筆者の誕生日!
家内と息子が僕の誕生日を祝ってくれました。
ローソクの数は、大っきいのが6本に小っちゃいのが8本
そう・・・・!
いつの間にか、僕も68歳になっちゃいました・・・・
2004-02-10(火) 晴 自宅 気温(最低= 3℃、最高=10℃)
この間から、パソコンの一部の調子が今一つヨロシクナイ・・・・・・!
・・・・・・試行錯誤的な事を色々とやってはいるのだが、どうもスッキリしない・・・・・GoLive 6.0、Paintshop Pro 7、Cakewalk Music Creator など、大きなプログラムが幾つか入っているのがイケナイのだろうか・・・・・・?
そんな事がチョット気になっている昨今でありんす・・・・・・!!
2004-02-12(木) 晴 自宅(都内) 気温(最低= 3℃、最高=13℃)
昨日、原稿を書き終わったので、「小海の蝶」 のアップロードに取り掛かった。
・・・・・・今迄、小海町公民館報に投稿した原稿は、46 通になるが、自分のサイトにアップロードしたものは、46 通の中の僅かに 20 通である。時間って、なかなか思うようには取れないものだなア・・・・・・
2004-02-13(金) 晴 自宅(都内) 気温(最低= 4℃、最高=14℃)
今日で 2 日続いて、最低気温と最高気温が共に 1 ℃づつ上がった。
・・・・・・これはもう、テッキリ春の訪れが間近か・・・・・・と思わず顔が綻んでしまう!「・・・・・・いいなア、春は、もうすぐそこまで来てるんだ!」
今日の投稿 : 宛先( English Zone #007 ⇒ 掲示板 )今晩は! 投稿者:八岳晴耕(やたけせいこう) 投稿日時:2004/02/14(Sat)00:52 No.761
依頼された原稿書きや、自分のサイトの更新(ラジコン、キノコ、蝶・・・・等のページの・・・・)に追われていて、暫くご無沙汰していました。
・・・・でも、その間も時間を見付けては、EZ の CD を聴いたりしていました。
・・・・そんな或る日のこと・・・・「桜井よしこ」の読み物を行きつけの Veloce で読んでいた時のこと、その記事の One phrase .......
In February 2003, the Tokyo High Court overurned a district court and ordered her to pay.....
を見た瞬間、「え、ホント?」と、その箇所に釘付けになってしまいました。
・・・・そして、その記事を読み直すこと2〜3回。
去年の 2 月と言えば、我家の息子が Dublin で開かれた Special Olympics World Game の卓球部門に参加する為に、コーチ、親子を含め、猛練習をしていた頃・・・・・この高裁の判決はしりませんでした。
・・・・そんな事もあったのでしょうか・・・・ Veloce からの帰り道、近くの書店に立ち寄った僕は、早速、記事の中で紹介されていた「エイズ犯罪、血友病患者の悲劇」を注文。1週間後に届いたその本を夢中になって読み、先刻、読み終わったところです。
この本の中味は、勿論、overturned に直結していませんが、この事件を一つ一つ丁寧に読みほぐしていくと、知人の non-Japanese friends の一人が言っているように、「この国の bureaucrats は哀しい位に overprotect されているよ!」と盛んに言っていた事を、フト思い出しました。
素晴らしい記事を有難うございました。
・・・・興味半分の記事を扱った雑誌が巷(ちまた)にはんらんしている中、この様に、自分達が置かれている社会を改めて見直す切っ掛けを与えられる(・・・・しかも英語で!!)幸せを沁み々々と感じている、ここ2〜3日です。
今後共、ヨロシクお願い致します。
陰ながら、声援を送っています。
●爆笑1題:
今号(#007)の CD 全体を10回ほど聞きましたが、いつもの通り、その中に、よく聞き取れない所が何箇所かありました。 ・・・・でも、今回は、その中の 1 箇所が特に聞き取りにくく・・・・それこそもう、何回聴いても、何んて言っているのか、どうしても分かりませんでした。
その箇所は、”What it takes to become the Beauty Queen of Shanghai.”の中の1節・・・・
・・・・この記事の中には、中国人の名前が沢山出てきますが、その箇所は明らかに中国人の名前ではないので・・・・ハテ? と考えて繰り返し聞いても、どうしても分からず・・・・とうとう、
「エーイ、こん畜生めエ・・・・!!」
と癇癪(かんしゃく)を起こして、テキストをのぞいて見たら、
ナント・・・・・!!
partied with の後に続く Marylin Monroe and Liz Taylor の部分でした・・・・ウヒヒヒヒヒヒ!
2004-02-14(土) 晴 自宅(都内) 気温(最低= 5℃、最高=15℃)
今日もきのうにくらべると、最低最高温度共に 1 ℃づつ高くなった。
この様な温度上昇は・・・・・・もう、これで 3 日続き・・・・・・日に日に暖かくなって行く今日この頃である。 そして気温が高くなって来たせいだろうか、庭のボケの花が少しづつ綻び始めて来た。ところで、今朝の事であるが・・・・・・朝食後、ユックリと紅茶を飲みながら、新聞の将棋欄を読んでいたら、家内がやって来て・・・・・・
「ねえ、ねえ・・・・・・ヒヨドリが来て、ボケの蕾を片っ端から千切って捨てちゃうの!」
と、チョット不満気な声を漏らした。
「え? ヒヨドリが〜? ・・・・・・どりゃア〜〜・・・・・・」
・・・・・・と言いつつ、居間のレースのカーテン越しに、庭を覗いたら
成る程、2羽のヒヨドリが、盛んにボケの蕾の根元を嘴(くちばし)に咥えると、小刻みに嘴を震わせてから、その蕾を枝からもぎ取って、地面の上に落としている。
「分かったよ・・・・・・あれはねエ、花の蜜を吸おうとしているんだよ・・・・・・」
と言うと、
「そうかア〜〜、そう言えば、花が開くと毎年ヒヨドリが花の蜜を吸いに来るわよねエ!!」
と奥方様は納得したようでありんす・・・・・・
昼過ぎから風が出て来た。
・・・・・・その風も、けっこう強かったので、もしかして・・・・・・春一番かなア??
と思っていたら、夜の TVニュースで、
「今日は東京、神奈川など関東地方の広い範囲で春一番が吹きました・・・・・・」
・・・・・・・と解説していた。そのニュースによると、今年の春一番は、去年に比べると 18日ほど早いとか・・・・・・
・・・・・・でも、ホント・・・・・・いいなア・・・・・・春はもう、すぐそこ迄来ているんだア!!
2004-02-15(日) 快晴 自宅(都内) 気温(最低= 6℃、最高=19℃)
何んと、今日の最高気温は一挙に 19℃!
オロロイタナア・・・・・・あなた・・・・・・こりゃア、もうスッカリと春ですよ!!午後は、千歳船橋にて LYPP に出掛ける。
途中、中西先生からバックカットのコーチを受けたけら、まあ、強烈なスマッシュ、ネット際のストップ、そうかと思うと物凄いトップスピンがかかったロビング・・・・・・などが来るわ来るわ!!
でも、ナントカカントカ、夢中で返球したら、練習後の Tea Time に
「・・・・・・今日のバックカットよかったね〜〜!!」
と褒められてしまいました・・・・・・先生から、こんな事を言われたのは今日が初めて・・・・・・!!!!!!!
ウレシイッ・・・・・・!!
2004-02-17(火) 快晴 自宅(都内)
正午、僕は坂上の上野庵の前に立っていた。
百合ちゃんと幸子ちゃんと落ち合う為である。
・・・・・・僕達3人は、地域の小学校・・・・・・戦時中の「桃園第三国民学校」の同学年生で、3人共、長野県上伊那郡東箕輪村普済寺に集団疎開した仲間である。事の起こりはこうである。
・・・・・・10日ほど前、突然、百合ちゃんから電話が入り、
「17日の火曜日に、幸子ちゃんと 2人で、昔のお屋敷町あたりを散歩しようという事になってるんだけど、もし、時間があったら3人で、上野庵さんでお昼ご飯を一緒にしない・・・・・・??」
という連絡があったのである。勿論、僕は、
「ウン・・・・・・その日の午前中はスケジュールが入っているんで駄目だけど・・・・・・お昼あたりからだったらイイヨ・・・・・・!!」
という話になり、今日の運びとなった次第である。3人が揃ったところで、皆でお蕎麦屋さんに入ったら、上野庵さんの奥さんはビックリ・・・・・・!!
暫くの間は、上野庵の奥さんも含めて、4人の間で話が弾んだ。
・・・・・・って言うのは、我々3人は、もともと、この商店街の子供達で、お客様があった時とか、大晦日とか・・・・・・何かの機会があると、いつも家人が天丼とかお蕎麦を、この上野庵さんから取っていたからである。それからの1時間半ほど、僕達は注文した美味しい蕎麦を戴きながら、本当に夢中になって思い出話しを続けた。
・・・・・・本当に、小さい時の話は、いくら続けてもキリが無い・・・・・・
我々3人は、当時の子供達に戻ったような気持ちで話を弾ませた。・・・・・・2時近くななって、話が少し途切れると、こんどは場所を我家に移し・・・・・・近くに住んでいる Otto にも参加して貰って、不二家のケーキを戴きながら・・・・・・今度は4人で、昔の話を始めた。
Otto は、集団疎開 「普済寺」 の仲間ではないけれど、小学校6年3組時代、Otto が級長で、百合ちゃんっが副級長だった間柄である。
しかも・・・・・・僕と幸子ちゃんは、6年5組で同じクラスだったから大変である。
もうこうなると・・・・・・それこそ、全員が立て板に水!!
誰かが、一つの話をすると・・・・・・もう大変!
「そう、そう、そう、そう・・・・・!!」
「それからサア、こんな事もあったじゃない・・・・・・??」
「そうよ、そうよ・・・・・・それからサア・・・・・・」
等々、本当に顎(あご)が外れるほど、大笑いをしたものである。
時間が経つのは早いものである。
・・・・・・気がつくと、時間はもう4時半近く。
部屋の中が、少し寒くなってきたので、午後も大分回ったことに気がついた我々である。「あら、もうこんな時間・・・・・・あたし、そろそろ帰らなくっちゃ・・・・・・!!」
という百合ちゃんの声に、今日のお話会は、終わりになったのである。それにしても、昔の仲間って、何んてイインダロ・・・・・・!!
そんな事を考えながら、今日の日記のキーボードを叩いていたら、突然、耳の置くの方で、中学2年生の時、体操の蛇の目先生が教えて呉れた、懐かしい歌が・・・・・・静かに鳴り出した!
昔の仲間も遠く去ればまた日頃、顔合わさねば
知らぬ昔と、知らぬ昔と
変わり無き、儚さよ
春になれば、草の雨三月さくら、四月・・・・・・
2004-02-18(水) 快晴 自宅(都内)
時々、このサイトの BBS に英語の書き込みをしている naotaka という男性の英語のカキコが今日もあった。 カキコによると、4月12日から1年間、work holiday でオーストラリアに出掛けて英語を勉強するとの事・・・・・・今の若者達は、本当に恵まれていると思う。
▼ Long time no see! [RES]
Naotaka ..2004/02/18(水) 19:02 No.623
Hello, Seikoh-san. This is Naotaka. I will leave Japan on April 12. I am going to stay in Australia for one year. I want to tell my life in Perthand send you some pictures. By the way, your English witing is very good and structure is very beautiful. How have you ever been studying English?? Please tell me. Oh, the soccer match between Japan and Oman will gebin soon. I am a big fan of soccer!! Talk to you soon. naotaka
2004-02-19(木) 快晴 自宅(都内) 気温(最低= 4℃、最高=19℃)
▼ Congratulations !
Seikoh ..2004/02/19(木) 15:37 No.624
Hello, Naotaka !
I would like to send you the words of congratulations in DOUBLE meaning !
Of course, one is for the date fixing for your stay in Australia and the other is for the exciting shooting into the Oman Goal at the final moment of the soccer game held last night !
Around that time, I happened to go in a small restaurant in Shinjuku with some of my friends for dinner, where the loss time game of four minutes was on TV. And the exciting moment came to us !
At that instance everybody in the restaurant roared in loud voice and some people stood up forgeting having meal !
It is sometimes said that we shouldn't give up anything till the last moment. The game of last night was a very good example of the above saying !
I was very happy to watch the game !
I bet you would have been much happier than I, since you are a big soccer fan.
Probably you can enjoy watiching soccer games in Australia, where the sport is more popular than in Japan.
If you happen to take the pictures of soccer over there, would you please paste them to this BBS ?
The manner how to past the pictures is intordeced in Japanese, if you depress the underlined "file" in the writing form of this BBS........
As for the English studying personal history of meine, I should to say that I traced rather unusual routine than the average people.
After the graduation from Tokyo mercantile marine college(東京商船大学), I became a naval officer on the merchant ship and I visited more than ten countries during 3 years.
At that time I found that language study would go very smoothly with my personal character rather than staying at sea for the rest of my life.
Then I decided to stop working on the ship, and I went home.
This was the very begining of my English study.
After one year study at a small interpreter school for one year, I happened to enter S company famous for electronic products, and I was in charge of taking care of VIP Guests vising that company, the visiting of whom was totally arranged by the Ministry of Foreign Affairs.
I was with the company until the retirement age.
Today, I read such books in English as novels, histories, text books for american senior high students (esp. algebra, calculus, trigonometry, chemistry and physics etc.) since I love math very much.
I deem that math is so pretty and clear like chrystals !
I have never studied abroad as you see above, and accordingly I envy you very much knowing that you can study Enllish for one year in Australia !
Could the above be the answer to your questions ?
OK! I have to leave my computer, since my wife is callin me for tea !
Hoping this writing will find you fine.........
Best regarads
2004-02-22(日) 晴のち雨 自宅(都内)
午後 10 時過ぎ、気が付くと外で雨が降っていた。
現在の時刻は真夜中少し前、耳を澄ますと雨戸越しに嵐のような風の音がゴーゴーと聞こえる。
・・・・・・僕は雨が大好きだから、こんな夜はとても気持ちが落ち着く。
現在の屋外の気温は 16 度。 ・・・・・・もう、すっかりと春である。
そうだ・・・・・・こんな夜は、早目に寝床に入って、ユックリと休む事にするとしよう・・・・・・!!
話は変わるけど、今年に入ってから、McAfee on line install の PC security を購入し、早速 Virus Scan と Fire Wall をインストールしたが、Fire Wall をインストールした直後からフリーズがひどくなったので、その後、アンインストールと再インストールを何回か繰り返した。
でも、毎回、Virus Scan をインストールした時は何等問題は起きないのだが、その後で Fire Wall をインストールすると、とたんにフリーズがひどくなり、その状況たるや、なかなか悲惨だったので・・・・・・正直な話、現在使用中の Win Me Machine は購入後まだ 2 年程しか経ってないが・・・・・・
「Win XP Machine に買い直さなければ・・・・・・」
と、密かにパソ新型機の購入を検討しはじめていたとこなのである。・・・・・・そして今日も、
「パソコンを 1 台買うと・・・・・安いものでも 14 〜 15 万円するからなア・・・・・・」
などとボヤキながら、それでもけっこう真剣にニューパソの購入の事を考えていたが・・・・・・ふと、以前、フリーズの事で McAfee に連絡をとった時、応対に出た一人のエンジニアが
「・・・・・・もしかすると、システムリソースの残量が少ない為に、フリーズがひどくなったのかも知れませんネエ・・・・・・チョット、残量がどの位あるのか調べさせて下さい・・・・・・」
と言っていたのを思い出した。
確か、その時は・・・・・・受話器を通して聞こえて来たそのエンジニアの声を頼りにパソコンを操作すると、システムリソースの残量は 25% ・・・・・・
そこで
「システムリソースの残量は 25% ですが・・・・・・」と言うと、彼の曰く。
「ああ、そうですか? 出来れば、40% くらい欲しいんですがねエ・・・・・・」
と言っていたのを思い出した。その時は、システムリソースの残量を、どの様にして増やしたらいいか、全く分からなかったので、そのまま放って置いたが・・・・・・今日は
「・・・・・・そうだ、このまま新しいパソを買うなんて事しないで・・・・・・メーカーのテクニカルセンターに電話を掛けて、システムリソースの残量を増やすのは、どうやったらいいのか聞いて見よう!・・・・・・それでもうまく行かなかったら、その時点で新しい機械を買ったって、いいんだから・・・・・・」
と思い直して、富士通のテクニカルセンターに電話を入れて見ることにした。いつもそうだけど、富士通のテクニカルセンターの人達は、24 時間体制でとてもよく応対して呉れる。
電話の接続を待つこと 15 分ほどで(この電話は 0120 なので、待ち時間が長くなっても、電話代を心配する必要は全く無い・・・・・・)、やっと受話器に出て来たエンジニアに、今迄のトラブルの経歴と問題事情をかいつまんで話をし、
「・・・・・・ついては、システムリソースの残りの量を、少しでもふやしたいンですが・・・・・・」
と言うと、
「分かりました・・・・・・それでは、パソコンを立ち上げた時、自動的に読み込む常駐ソフトを出来るだけ少なくしましょう・・・・・・要するに、必要最低限のものだけを常駐にして、他のアプリケーションの自動読み込みを解除するんです! ・・・・・・でも、全く心配は要りません・・・・・・ パソコンが立ち上がった後だって、そのアプリケーションを使う時に、その常駐ソフト部分を読み込むようにする事が出来ますから・・・・・・・」
といって、20 分ほどの電話でのやりとりを通して、システムリソースの残量を 25% から 55% に迄、増やしてくれたのである。★★★ ここで、ひと言注意書きを入れて置くと・・・・・・システムリソースの残量を増やす前には、モニター画面右下隅のインジケーター(現在時刻が表示されている時計の左側の部分)に 9つあったアイコンが、システムリソースの残量を増やした後は、4 個に減っていた・・・・・・
★★★ 又、ウイルスソフト McAfee 製品の自動読み込みにかんしては、どのファイルにチェックを付けるかに就いては・・・・・・富士通のエンジニアの言葉に従い・・・・・・McAfee のテクニカルセンターに問い合わせた上で、これを処理した。
★★★ ここに説明されている方法の他にも、フリーズを防止する有効な方法が、もう一つあります。
それは・・・・・・パソコンを立ち上げたあと、一つの大きなアプリケーション・ソフトを使用した後に、もう一つ別の大きなソフトを使いたい時は、一度、パソコンに再起動を掛けてパソコンを立ち上げ直し、その後で、次の大型ソフトを使うという方法である。
この方法をしようすると、フリーズする回数がケッコー少なくなると思われます・・・・・・・・・・・・さて、システムリソースの残量を 55% に増やしたあとのパソコンの状態はどうなったかと言うと、
「・・・・・・え? こんなにフリーズしなくなっちゃうの?」
と、我が目を疑うほどに、パソコンの状態が良くなってしまったのである。
・・・・・・ホントにホント・・・・・・パソコンのフリーズが極端に少なくなった事にくわえ、キーボードからの入力も、以前に比べると格段に軽くなってしまったのである。ホントに・・・・・・ナーンダ、こんな事でよかったの?・・・・・・である!!!!!!!
これで、新しいパソコンを買う必要も全く無くなってしまったという訳。
ウワーイ、25万円、儲かっちゃったア〜〜〜〜〜!!
チョン・・・・・・!!
*************************************
付録:システムリソースの残量の調べ方(Win Me の場合)
*************************************@ マイコンピュータを右クリック
A プロパティをクリック
B 「パフォーマンス」タブをクリック
C 「パフォーマンスの状態」の欄の上から3行目に記入されている
2004-02-25(水) 晴 自宅(都内) 気温(最低=4℃、最高=12℃)
今日の午前中、家内が玄関ホールの脇に雛人形を飾った・・・・・・・
毎年、如月(きさらぎ→2月のこと)も下旬になると
我家の玄関にお目見えするのが、この雛人形である・・・・・・
このお人形さんは、家内がとても大切にしているもので
何か分からないけど、ケッコー古いものだそうである。
面白いのは、このお人形さんを飾る時の家内の姿で・・・・・・
とにかく、小ちゃな女の子の様になっちゃうのが
毎年、とても印象的です!
2004-02-26(水) 快晴 自宅(都内)
ここ4〜5日、暖かい日が続いていたと思っていたら・・・・
気がつくと、庭のボケの蕾がかなり膨らんで来ていました。
毎年、この時期になると決まって現れるのがヒヨドリとメジロ達・・・・・・
日がな一日、ボケの花の蜜を吸っています。
ホラ、こんな具合に、花の中に嘴(くちばし)を突っ込んで・・・・・
本当に長閑(のどか)な風景です。
TV の天気予報では、東京地方は、今夜から、又、寒くなると言ってましたが
ホントに、春はもうすぐそこまでやって来ているんです!!
2004-02-27(金) 晴 自宅(都内) 気温(最低= 4℃、最高=10℃)
午前11時15分。
息子KRと僕は、有楽町の電気ビル20Fにある外人記者クラブで受付を済ませると、通路にあったソファーに腰を下ろした。
今日は、米国第 35 代大統領 John Fitzgerald Kennedy の実妹で、Special Olympics の創始者である Eunice Kennedy Shriver さんが、今夜から 3 日間にわたり、長野市でが行われる Special Olympics Naitonal Games の開会式に参加されるために来日。その Mrs. Shriver を囲んで開かれた外人記者クラブの昼食会に KR と我々夫婦(家内は別スケジュールが入っていたため欠席・・・・・・)が招待されたからである。
約2時間に渉り行われた昼食会及び記者会見は、その殆んどが英語のみ。
KR は、言葉がよく分からないので、途中、ほんのちょっぴりコックリコックリをしてしまったが、それでも、起きている間はまわりの雰囲気と交わされる会話が全て英語なのが面白いらしく、興味深く記者会見の流れを眺めていた。
基本的には、KRは英語が嫌いではないようである。我家の朝食時に交わされる朝の挨拶も英語だし、暇な時間もよく英語の 「絵でひく辞書」 ”I see all” をよく眺めている。
記者会見が終わったところで、シュラいバーさんはアスリート達と一緒に写真を撮って下さったが、その後で、KR が英語で
” How do you do ? My name is K******* ******. I am twenty nine years old. My hoby is table tennis and swimming. I was happy in Ireland ! Thank you very much !”
・・・・・・と挨拶をすると、彼女はとても喜んで下さり、僕の方を向いて
”Is this your son ?” と訊き、僕が ”Yes” と答えると、一緒に写真を撮ってくれました。
ケネディ大統領の妹の ユーニス・ケネディ・シュライバー さんと
KR は緊張の為か、顔から笑顔が消えちゃいました
でも、とても素晴らしい記念写真です。
・・・・こんな素晴らしい出会いも、Special Olympics のお陰です・・・・!!
(有楽町電気ビル 20F の日本外国人記者クラブにて)
寒い一日。
今日は、父子別々の場所で卓球の試合に参加。
KR は、調布の体育館で開かれた東京都主催の障害者卓球選手権大会の中上級のクラスに出場・・・・・・
僕は、新井小で開かれたウイニング・ジュニアの親子卓球大会に参加。
・・・・・・と言っても、息子の KR が調布の会場に行っているので、僕は親子で組む事が出来ず、カタオカさんが組んで下さった N 君という中学生のカットマンとカット/カットのペアを組んだ。最初の対戦は可愛らしい女の子のおチビさん2人のペア。
・・・・・・ダブルスは問題なかったが、続くシングルスで当たったおチビさんとの試合は、元気のいい試合運びに思わず苦戦。 フルセットの末にやっと 3 対 2 で、辛うじて勝ったという有様。
ウヒヒヒヒヒヒ・・・・・・・つづく第二試合は、カットマンを含む高校生ほどの男の子2人のペア。
各チームは、2人のペアとなっており、試合は初戦がダブルス、残り2試合がシングルスのチーム戦となっている。
僕と N 君のチームは、僕が N 君の足を引っ張って、初戦のダブルスを落としてしまったので、続くシングルスの試合では、 N 君と僕の 2人は、何が何んでも勝たなければならない。
・・・・・・という事で、僕が当たった相手は高校生のカットマン!
・・・・・・始めの内は僕が何点かリードしていたが、そのうちに段々と追いつかれ、結局、1セット目は 14 - 16 で相手の勝ち。続く2セット目も、9 - 11 で相手の勝ち。
「じゃあ、3セット目は何んとかしなくちゃア」・・・・・・と思いつつ、第 3試合を始め、カウントが 2 - 3 くらいになった時、相手が突っ突いた球を思いっきり突っ突いたら、突然、右の肘関節とそのすぐ下の筋肉に激痛が走り、右腕のコントロールが効かなくなってしまったのである。驚いたのは、僕である。
試合中にこんな事が起きたのは初めてである。
隣の台では、相棒の N 君が相手の選手と捻りあいの試合をしているので、何んとかしなくちゃ・・・・・・と思うのだが、痺れるようなその痛みは、ドンドンとひどくなる一方。
結局、僕がその試合を落としてしまった為に、僕達は2位で、トーナメントに上がったのだが、僕の右腕は、本当にどうしようもない位に痛み出して、腕を真っ直ぐに伸ばす事も出来ないくらいになっていた。仕方なく、僕は、 N 君に自分の右腕の状態を伝える事にしたが、トーナメントで次に当たった、M さん母子との試合中、この N 君という中学生は、何回となく
「腕、大丈夫ですか・・・・・・?」
と訊き、僕の腕の故障の分だけ、自分が頑張ろうとしてくれたのである。
本当に優しかった彼!!
・・・・・・心の中では、とても口惜しかっただろうと思うけど、半分あどけないくらいの素直な顔に、そんな表情は何ひとつ見せなかった彼の優しさと心の温かさが、僕にはとても嬉しかった・・・・・・・!!結局、その段階で僕達のチームは敗退したのであるが・・・・・・・
自分の不調を本当に申し訳なく思っていた僕は
「本当にどうも有り難う! 腕がいう事きかなくなっちゃって・・・・ゴメンナサイね!」
と言って手を差し出すと、
「・・・・・・どうも有難うございました。腕は大丈夫ですか・・・・・・?」
と言いつつ、はにかみながら僕の手を握り返した彼の顔がとても素敵だった!!さて・・・・・・親子卓球大会が終ったあと、一行は、新井小から、小中学生を送り出す「お別れ会」が開かれるカタオカスポーツに移動したが・・・・・・・
たまたま、僕は、N 君のお母さんと一緒になったので
「今日は、本当に、ゴメンナサイ・・・・・・緒戦の段階で、僕が腱鞘炎を起こして仕舞ったので、息子さんにご迷惑を掛けてしまいました・・・・・・・スミマセン!!」
と言うと、お母様の曰く
「試合が終った時、チョット話したんですけど・・・・・・お母さんと組むより、ずっと面白かったよ・・・・・・って言ってましたから、楽しかったんじゃないですか・・・・・・・でも、大変だったですね! 大丈夫ですか?」
と、ここでも心配されてしまいました。
その後、道々歩きながら話を伺っていると、N 君はここ 1 年ほどの間、急に 20cm ほど背丈が伸びた(N 君は、僕よりもずっと背が高いんです・・・・・・)為、背骨の成長と背丈の成長のバランスが少し崩れたため、腰に少し痛みが出て来ているんです・・・・・・と、お母様は僕に説明してくれました。
「・・・・・・・!!」
それなのに、自分の腰の痛みを押さえて、あんなに僕の不調を補おうとした彼・・・・・・・!!僕は、改めて、N 君の優しさを噛み締めた次第である。
それにしても・・・・・・ウイニング・ジュニアの子供達って、どうして、こんなに明るくって、素直で、優しいンダロ!!
きっと・・・・・・K コーチ、A子コーチ、M コーチ、m コーチ、それから子供達のファミリーの取り組みがいいと、こう言った子供達が出来るんじゃないかなア!・・・・・・と思えて仕方が無い!!
イイナア!!!!・・・・・・スポーツって・・・・・・・・・・・
**********************夜、帰宅後、息子の KR と息子の応援に出掛けた家内に
「・・・・・・・ところで、今日の試合はどうだったの・・・・・・?」
と訊くと、家内の曰く。
「予選リーグは、2位で勝ち上がったの・・・・・・・そして、決勝トーナメントの初戦で当たった人と、KR は物凄い試合をしたの! それは、ホントに物凄い打ち合いになって、とにかく凄かったの! ・・・・・・そして、1 セットは取ったの KR が・・・・・・・そーして、もう 1 セットはジュースまで行ったの・・・・・・ホントよ! あのセットを取ってれば、とても面白かったのに・・・・・・・」
・・・・・・・その家内の声は、半分興奮して、半分チョッピリ残念そう・・・・・・・!!
「フーン、そう・・・・・・・誰だい、その人って・・・・・・・?」
と言いながら、調べてみると The 21 の O さんじゃありませんか・・・・・・!!
「エーーーッ、この人、メッチャ強い人なんだよーーーーーー!!」
と言うと、家内も
「そう、物凄く球の強い人で、上手な人だったわ・・・・・・」
と言って、盛んに相槌を打っている。瞬間、僕は KR が O さんとの試合で 1 セットを取り、もう 1 セットはジュースまで行ったなんて、ホントに信じられなかった。
でも、家内の興奮振りを見ていると、確かに、その O さんに対して KR が、よく戦ったのは明々白々である。
「そ〜か、お前、よくやった! オイ、握手、握手・・・・・・!!」
僕は嬉しくなって、思わず、KR の手を握り締めてしまった。イヤ〜、素晴らしい!!
今夜の僕は、2重の意味で、とても嬉しかったで〜〜〜〜ス!!