2003 9 月の高原日記

    

     
2003-09-04(木)    曇のち晴      自宅(都内)

 昨夜の雷雨をもたらした、気団のせいだろうか・・・・・・今日は、涼しくて過ごしやすい一日でした。

  話は少し変わるけど・・・・・・
 何故だか分からないけど、おとといあたりから右足首が腫れてひどく痛かったので、総合病院に行って来ました。
 ・・・・・・レントゲンをとったけれど、骨には全く異常ナシとの事。
 結局・・・・・・消炎剤と鎮痛剤、それから胃壁を守る薬を貰って帰宅・・・・・・暫く様子を見ることにしましょう!

 真夜中過ぎ、パソで自分の HP を開いたら、何んとまア〜〜〜!!
 カウンターの数字が
 44,444 になっていました。

 それで、面白くなって、写真をパチリ!
 その写真を載せて、今日の日記を終わります・・・・・・チョン!
          

     

2003-09-05(金)    晴     自宅(都内)    気温 (最低=18度、最高=30度)

 最高気温は30℃を記録したが、湿度が低かったせいか、風がサラッとして爽やかで、とても過ごしやすい一日でした。
 我が家の窓から眺めた近所のマンションの上に輝く空も、青一色の素晴らしい秋の空・・・・・

    

         
  秋の空!・・・・・・と言えば、今日はいつも庭のアンズの木で鳴いているアブラゼミの声も、心なしか少し弱々しく聞こえるから不思議である。 きのうあたりは、ミンミンゼミとアブラゼミが、そのアンズの木の上で合唱して・・・・・・ミ〜ンミンミンミン、ジリジリジリ、ミ〜ンミンミンミン、ジリジリジリジリ・・・・・・・って、物凄くうるさかったのに・・・・・・!!

    
 夕方、八十二銀行に用事があって、新宿までマウンテンバイクで行って来ました。
 僕は体を動かすのが大好き・・・・・・爽やかな風に吹かれて、ペダルを踏むj心地よさは格別です。
 新宿まで出掛けたついでに、82銀の近くのヨドバシカメラに寄って、ヒサゴの名刺カードとインクジェット用のプリンタ用紙を買って来ました。
 寄って来たのは、あの高速バスのターミナルのまん前にある、マルチメディア館・・・・です!


ヨドバシカメラのマルチメディア館・・・・・・
 よく筆者が遊びに行くお店です。
 画面左側が、中央高速バスのターミナル・・・・・・
 今、諏訪湖方面に行くバスの後部が見えています。
 ・・・・・・このマルチメディア館はどこ迄続いているかっていうと
 右側手前の「パソコン」から始まる横1列のネオンサインが終わる所まで
 この1階に展示されているのは、パソ、携帯電話、デジカメ、電子辞書・・・・・・
 等の商品だけ・・・・・・僕の新しいデジカメも
 この1階で買って来ました。
今日、ソニー VAIO の旧製品入荷コーナーに、12万円の
 Win XP があったのを見て、喉から手が出そうになりました。

 ウヒョヒョヒョヒョッ・・・・・・!!

 Win XP モデル、1台、欲しいヨ〜〜〜!!

     
 真夜中過ぎ、Anti-virus の McAffee から更新情報が届いたので、早速、更新をかけようとしたが、何回やっても上手く行かない。
 ・・・・・・要するに、何回やっても、新しい Anti-virus をダウンロード出来ないのである。
 結局、午前3時まで色々な事を試行錯誤的にやってみたが、どうしても上手く行かないので、とうとう疲れて寝てしまいました。
 「もしかすると、ウイルスにやられたのかな・・・・・・?」
 と、チト心配になった次第。
 明日、Sourcenext 社に電話を掛けて聞いてみよう!!
 

    

     
2003-09-06(土)    晴     自宅(都内)    気温(最低=22度、最高=32度)

 午前10時になるのを待って、Sourcenext 社に電話を入れてみたが、もう既に話し中!
 ・・・・・いつもそうだけど、兎に角、この Sourcenext 社の電話はかかり難い!
 「コン畜生メエ・・・・・!!」
 と息巻いてみたけれど、気長に待つ意外はどうしようもない。
 ・・・・・・それでも、小一時間も経つと(・・・・ゴクロウサマデシタ!)、やっと繋がったので、電話に出て来た担当者に「アップグレードが上手く行かないんですけど・・・・・・」と聞いてみると
 「只今、当社のホームページにも、書いてありますけど・・・・・・明後日まで、定期点検中ですので、大変申し訳ありませんが、暫くの間、ご辛抱下さる様お願い致します・・・・・」
 との事。
 「えっ? ホント?」
 と思って、ホームページを開いてみたら、小さなタイトルが出ていて、それをクリックすると、説明は書いてあるが、あのタイトルでは、これほど大きな障害が出ているとは思われないような・・・・・・感じがする!
 何処かのプロバイダーと同じように、メールでも呉れればイーノニサ!・・・・と思うこと仕切りでした。

 午後、家内と高円寺の福祉交流会館で開かれた SO 関東大会の説明会に行って来た。
 林さんの説明によると、僕の担当は試合の進行係りとの事。
 組み合わせ、試合結果のまとめなど、結構、大変な仕事である。
 幸い、前競技委員長の反畑さんがバックアップして下さるという事なので少しはホッとしたが、当日の運営はうまく行くのだろうか? ・・・・・・チト不安である。

 夕方、中西先生と一緒に、新井小学校にウイニング・ジュニアの練習を見に行き、帰途、2人で食事をして帰宅。 今日は、結構忙しい一日でした。

     
 

    

     
2003-09-07(日)     曇      自宅(都内)     気温(最低=21度、最高=28度)

 午後1時、千歳船橋で開かれたLYPPの練習にKRと2人で出掛ける。

 練習に入る前、幹事の水谷さんから、昨日朝、Oさんが逝去された事を伺ったトタン、体育館の中はシーンと静まり返ってしまった。
 ・・・・・・ウォーミングアップの体操に入る前、皆で黙祷を捧げたが、閉じた目の裏側に・・・・・・目がクリクリと大きく、いつも優しい笑顔で談笑していた彼女の面影が・・・・・・又、ついこの間まで、僕達と一緒に体育館の中を走り回っていた彼女の姿が浮かび上がって来て・・・・・・本当に、さめざめとした悲しみに包まれた次第である。
 享年 73 歳。
 お通夜は、明後日、9日の夕方の由。
 午後6時に東北沢の改札口に集まり、皆で一緒に斎場のお通夜に行く事にしました。 
     

 今日の練習は、ミックスダブルス10組に分かれての試合・・・・・・・
 初めて、吉岡さんと組んで、カット&カットのペアで戦うことになりました。
 でも、結果は意外とよく戦えて、2勝1敗(1敗は馬場・門岡組!)という好成績でした。
 全く、オッドロイタネ〜コリャ〜である!!

 話は変わるけど・・・・・・最近、分厚い取り扱い説明書と首っぴきで、携帯電話の使い方を勉強中。
 今日も、電話番号の登録のところを読んだけど、今ひとつ、やり方がよく分からない。
 そこで、マルイデパート1階の Docomo shop に行って訊いてみたら、この間と同様、若い女性が丁寧に教えてくれました。
 聞いてみると、手が空いている時だったら、ご自由にお出掛け下さい・・・・・・と言う事なので、これからは、取説を読んでも分からないところがあったら、出かけて行って、色々と聞いてみる事にしたいと思います。

    

     
2003-09-08(月)    曇     自宅(都内)

 朝、6時50分、トイレに行きたくて目が覚めてしまったので、そのまま服を着替えて起きてしまったが、その後、フト気がついてパソコンのスイッチをいれ、McAffee のアップグレードをしてみたら、キレイにアップグレードが出来てしまいました。・・・・・・これで、ここ3日ほどの間、ひっきりなしに画面に出てきていたアップグレードの案内が出てこなくなったので、ホッとしました。

    

     
2003-09-09(火)     晴     自宅(都内)

 午後6時、東北沢の改札口で LYPP の皆さんと落ち合った。
 O さんのお通夜に参列するためである。
 皆が揃った所で、代々木上原に移動し、駅前からタクシーで斎場へ・・・・・・

 僕は N さんと一緒にお焼香を済ませたが、素敵に撮れていた O さんの笑顔が LYPP でいつも見せていた笑顔と同じだったので、何故かとても嬉しかった。
 ・・・・・・その後の、お清めの席での話題は当然の事ながら、O さんと卓球の話ばかり・・・・・・
 その途中、
 「ご家族の話では、Finland Village に行く事を、O さんはトテモ楽しみにしてたんだって・・・・・・!!」
 という、ひと言を聞いた時、企画者の僕は、本当に涙が出そうになってしまった。
 って言うのは、彼女が一緒だったら、キットとても喜んで呉れるだろうな・・・・・・と当初から考えていたからである。

    
 
斎場からの、帰り道、僕はタクシーに乗らないで、代々木上原の駅まで、歩いて帰りたいと駄々をこねた。
 ・・・・・・僕が、この駅の改札口を出たのは、今から35年程もまえの事。
 電車から見えるイスラム寺院のドームに興味をひかれて、尋ねて行った時の事だったからである。

勿論、その時、僕はその建物がイスラム寺院だと知っていた訳ではない。
或る月夜の晩に、小田急線であの寺院の近くを通過した時、銀色の月の光を受けて輝いていたドームとその先端にある、三日月型の彫刻を、とても美しいと思ったからである。
・・・・・その日、その建物の傍まで恐る恐る行ってみると、荒れ果てた建物の中には、人影は見られず、チョコレート色に塗られた木製のドアに、「トルコ大使館文化部」という木札がブラ下がっていただけであrった。

 僕には変わった癖がある。
 普段、滅多に行かない所に行くと、決まって、その辺りを歩き回りたくなることである。
 そして、何処かの喫茶店に入って、ユックリとお茶でも飲んで来たくなるのである。
 ・・・・・・今日もそうだった。
 LYPP の皆さんは、バスか何かで早く家に帰りたかったのかも知れない。
 でも、僕が、駅まで歩いて帰りたい・・・・・・と言い張った為に、全員が僕に付き合って下さり、その後で
 「何処か、喫茶店でお茶を飲んで帰りたい」
 と、またまた僕が駄々をこねたら、
 「そう、それもいいわね・・・・・・」
 と、言って下さった女性がいたりして、結局、全員で駅のアーケードの中の、McDonald で、お茶を飲む事になってしまったという訳。

   
 

   
 この席での話も、Oさんの話からはじまり、卓球や、終戦直後から今日に至るまでの、この辺りの風景の移り変わり、皆さんの家族や家庭の話題まで、色々な話に花が咲きました。

 でも・・・・・・誰かも言っていたけど、LYPP の人達って、ホントに素敵な人達ばかり・・・・・・

 こんなに楽しい人達の仲間の一人に加えられている僕は、ホントに幸せ者だと思います。 

    

     
2003-09-09(火)〜12(金)    晴     自宅(都内)     気温(最低=22度、最高=32度)

 3日ほど前、横浜のこすもすちゃまが、BBS「麦わら帽子」に、日本丸1世の写真を添付して、こんなカキコを残してくれた。

   
 

八岳さん こんにちわ!

先日は「こすもす刺繍物語」に来ていただきありがとうございました

今日は懐かしい画像持って来ました

桜木町の「日本丸」です

若かりし頃この船で訓練されたんでしょう?

ランドマークの5階から写しました。

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それに対して、こんな Res を書いた。

▼ Re:こんにちわ〜♪

八岳晴耕(やたけせいこう) [URL] ..2003/09/09(火) 15:24 No.424




コスモスちゃま、有難う!!

・・・・

そうです! まさに、この船です!

当時の日本には、海国日本のシンボルとして、全く同型の2帆船「日本丸」と「海王丸」がありました。 そして、この2隻は・・・・僕達、海の男(おのこ)の青春のシンボルでもありました。

僕が乗船していたのは、この「日本丸」の Sister ship の「海王」でしたが、当時(今もそうか!)の我々にとっては、どちらでの船でも一緒という感覚でした。

コスモスちゃま:

ここに貼り付けるのは、太平洋上を走る「海王丸」の美しい姿ですが、僕達、海の男にとっては、帆船はこの地球上で最もロマンチックな乗り物なのです!

・・・・どうです、洋上を飛ぶ純白のカモメの様に美しいでしょう!!
   

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その後で、こんな Res を追加した。


▼ Re:こんにちわ〜♪

八岳晴耕(やたけせいこう) [URL] ..2003/09/09(火) 15:32 No.425




それから、この写真は、当時、この「海王丸」に乗り組んでいた士官と学生たち全員の写真です。 もう、写真が古くなっちゃったので、学生一人一人の顔は、分かり難くなっちゃいましたが、左端上段で、ボートに足をかけ腕組みをしているのが僕です・・・・

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さらに昨日は、こんな Res を追加した

▼ Re:こんにちわ〜♪

八岳晴耕(やたけせいこう) [URL] ..2003/09/11(木) 17:11 No.431




そして最後に、今でも僕の手元に残っている、古い写真をもう一枚だけアップして置きます。 

・・・・この写真は、同じ海王丸のデッキの上で、友人の一人が自分の兄さんから借りてきた写真機で僕を撮り

「お前らしくて、いい写真だから大切にしろよ!」

と言って、僕に呉れたものでした。 ・・・・って言うのは、昭和33年当時、写真機というものは、とても高価なもので、写真を撮る機会というのは、そんなにも無かったからです。

今でも、こうして、この当時の写真を眺めていると、皆で蛮声を張り上げて歌った古い寮歌が心の奥から流れて来るのを感じます。


      ああ月明は淡くして

        北斗の星の冴ゆる時

      さざめく波に塵(ちり)の世は

        我が棲む郷(さと)にあらじとぞ

      潮の香(か)浴びし海の子が

        慨世(がいせ)の意気天を衝(つ)く

      

      高騰万里(こうとうばんり)波越えて

        往くや南冥(なんめい)椰子の陰

      船橋(せんきょう)凍る海遠く

        飛沫(しぶき)は白し北氷洋

      高き理想に揮(ふる)い起ち

        船出の朝(あした)誓うかな


      男児ひと度海に出で

        海に死なんと誓いては

      聖なる剣(つるぎ)抜き放ち

        誘う(いざよう)迷夢切り放ち

      正義の航路ひと筋に

        進まんかなや諸共(もろとも)に


・・・・ヘッセの作品に「青春は美わし」という作品がありますが、

カッター訓練や、ヨットのセーリングに夢中になっていた、その当時はまさに青春そのもの・・・・

そして、今でも、この「19世紀」のロマンチックな 4本マストの大型「バーク型帆船」が、僕自身の若き日々の心の故郷になっているのを、心から嬉しく思うと同時に、今回のコスモスちゃまのように・・・・改めて自分の通って来た道を振り返らせて下さるような、爽やかな女性の友人(?)がいる事を、本当に嬉しく思っています。

  Once I passed along this path ..........

    (この道は、いつか来た道 ........)

素敵な友人達に囲まれている、今の自分を本当に幸せだと感じさせられている今日この頃です・・・・・・

 本当に有難う御座いました。

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日本丸の話が出て来て、本当にうれしかったんだろうか?
今日は、こんな Res を書き加えた。

▼ Re:こんにちわ〜♪

八岳晴耕(やたけせいこう) [URL] ..2003/09/12(金) 23:21 No.439

コスモスちゃま:

貴方の写真と、小生の写真を眺めている内に、貴女の写真がカラーで、僕の写真が白黒だという事に気が付きました。

・・・・そうです! 僕の学生時代は、カラー写真なんて見たくても見られなかった時代でした。 

そんな事を考えていたら、貴女がポンマル(商船大学の学生の間で使われている「日本丸」の愛称です)の写真をここに載せて下さった事が本当に嬉しく・・・・貴女に心から、お礼が言いたくなりました。

コスモス様、本当に有難うございました。

  

   
2003-09-13(土)     晴      自宅(都内)     気温 (最低=26度、最高=35度)

 午前11時、中野体育館で、9月20日に杉並体育館で開かれる Special Olympics の関東大会の説明会があったので、それに出席。 その席上で、今日の午後1時半から、杉並区体育館で Special Olympics Tokyo 事務所主催の、説明会がある事が分かり、急遽そちらの方にも出席する事にした。

 帰宅、午後5時。
 今日話した人の中で印象に残っているのは、SOTの佐野さんと、もとS社で一緒に仕事をした橋本敏ちゃんの2人でした。

   

    
2003-09-14(日)    晴時々雨     自宅(都内)     気温(最低=31度、最高=22度)

 9月13〜15日の3日間は、我が家近隣の秋祭りである。
 以前は、この3日間は、毎日、出し物がでたのであるが、最近では、子供の数が少なくなって来たので、14〜15日の2日間しか出し物は出ないという。

 しかも、今日あたりは、午後になってやっと太鼓が近所を小一時間グルグルと廻った程度。
 もともと、お祭りが大好きだった筆者が、心楽しみにして待っていると、我が家の方に太鼓の音が近付いてきたので、慌ててデジカメ片手に外にとびだしてみると、驚いた事に、太鼓を引っ張っている人の半分ちかくがお母さん達・・・・・・!!

    

   

  しかも、その次に、太鼓が近付いて来たので、よく見てみると、太鼓叩いている子供たちが全員・・・・・・これが何んとまあ!! ・・・・・・全てが女の子達じゃありませんか?

   

         
  夕暮れ時、スピーカーから流れ出てくるお囃子の音に誘われて、神酒所に行ってみると、神酒所のそばの屋台で、焼ソバとかウインナーを売っているのは顔見知りの近所の奥様たち・・・・・・


    
 町のお祭りも、僕が小さかった時のお祭りと大分違って来てしまったようである。

 今や、日本は高齢者社会に突入したと言われているが、こんな所にも、その兆しが見えているのだろうか?

    

    
2003-09-16(火)     曇      自宅(都内)

 9月20日のSpecial Olympics の東京大会が近付いてきた為か、ここのところ暫くの間やけに忙しい。
 今日も午後6時半から、高円寺のトリアノン(喫茶店)で林、佐野、野沢、八岳の4人で打ち合わせ。
 家に帰って来たのは10時近かったが、卓球の競技委員長の林さんは、スコアシートを作っている林さんは本当に大変だと思う。

     

     
2003-09-19(金)     晴      自宅(都内)

 午後4時、あした Special Olympics 東京大会が開かれる上井草スポーツセンターと井草中学の体育館の様子を見に出掛けた。 ・・・・・・別に、誰かに 「来てくれ!」って言われた訳じゃないけれど、林さんとか野沢さん達が一生懸命にやっているのを見ていると、何か放って置けなくて・・・・・・ と言うより、あした司会進行をまかされている身としては、前以て会場を見ておきたいという気持ちが根底にあったのかも知れない。

 行ってみると、卓球のスコアボードが足りなかったり、表彰台をどの位置に置いたらよいか、音響の担当者な等との打ち合わせなど・・・・・・現場に行ってみないと分からない事が沢山あり、行ってみて本当によかったと思う。

 帰宅8時。
 いよいよ、あしたが本番である!

    

        
2003-09-20(土)     雨

 台風 16 号が房総沖を通過したため、朝方に降り出した雨は一日中続いていた。
 お陰様で、杉並区上井草スポーツセンターで開かれた 「Special Olympics 東京大会」 の開会式は小ぶりの雨の中。陸上もサッカーも、テニスも全て雨の中で行われる始末。 屋外スポーツのアスリート達には、聊か大変な一日になって仕舞った。

 我が家の息子 KR が参加した卓球競技は、井草中学校の体育館で行われたが、忙しい進行のスケジュールの合間を縫って、アスリート達の試合振りを見ていると、高田馬場のタッチャンやメグちゃん、それから名前は知らないけれど千葉県の何人かのアスリートなど・・・・・・この1年間にとても上手になったアスリートが何人もいて、Special Olympics というこの組織の素晴らしさを、沁み々々と感じさせられてしまう。

 特に、タッチャンの場合などは・・・・・・高田馬場の教室に連れて来られてから、暫くの間、卓球台に向っている事自体がとても大変だった事を考えると、個人技能で金メダルを貰ったのを見た瞬間、僕は思わず目頭が熱くなったのを感じた次第である。

 ・・・・・・ところで、今日の大会を通して痛感させられたのが、今迄の大会の反省資料の積み重ねが少なかった為・・・・・・各分担の担当内容が、明確に検討されていなかった事である。
 勿論、今回のスタッフの殆どがズブの初体験者だった事を考えると、今回の準備には本当に素晴らしいものがあったが、それでも、進行係りの人数が少なかった為に・・・・・・今日の大会当日になって、記録係の人達が選手の対戦表を大急ぎで準備しなければならなかった等・・・・・・幾つかの問題点が無かった訳では無い。

 こういった事を考えると、今後の大会に資する為に、このあと行われる反省会では、十分な検討がなされる事がとても大切だと思われます。

 最後になったけど、今年初夏、アイルランドの世界大会に一緒に出掛けた千葉県の安藤君と、我が家の KR が共に、金メダルを2ケづつ貰った事を付記して今日の日記を終わる事にしましょう・・・・・・

   

    
2003-09-23(火)   秋分の日    晴のち曇    自宅(都内)

 おととい台風15号が八丈島付近を通過した際、北方の冷たい空気が台風の渦に巻き込まれて南下し、日本列島を覆っている為、ここ2〜3日気温の低い日が続いている。
 きのうの最低気温は 12℃ だったし、現在の外気温だって 22℃とこの時期にしてはかなり低めの気温である。

 午後、息子と2人でお墓参りに出掛けた。
 ・・・・・・・
 息子と2人で車で出掛けると、環状6号線の参宮橋付近で、結構な渋滞になり、オヤオヤどうしてかな?・・・・・・と思っていると、遠くの車道の上に、お神輿の金の鳥冠が見えたので、
 「・・・・・・オヤマアお祭りですか・・・・・・それじゃあ、マア仕様が無いか・・・・・・?」
 と、何となく懐かしい気持ちさえ起き、ちっともイライラしなかったのが、とても不思議な気がしました。
 お神輿の傍を通った時、担いでる人達の顔を見てみると、4人に1人くらいが女性だったのには、ちょっとビックリ!!
 ・・・・・・それを見た瞬間、マリが掲示板に、自分がお神輿を担いでいる写真を貼って呉れたのを思い出したが・・・・・・今や、日本は高齢者社会になって来たとかで、若い人たちの数が減っているために、女性がお神輿を担ぐようになって来たのかも知れない・・・・・・!!
 でも、それはそれで、とても素敵な事だと僕には思われる。
 ・・・・・・一部の政治家達は、
 「あと150年もすると、日本列島には日本人が居なくなってしまう・・・・・・!!」
 等と馬鹿みたいな事を言ってギャ〜ギャ〜騒いでいるが、それはそれでいいじゃないか!
 ・・・・・・と僕には思われて仕方が無い。
 大体、日本列島の面積から考えると、現在の人口の四分の一あたりの人の数が、日本列島に一番適した人口だと僕は思っているからである。

 話が横道にそれてしまったが、初めて息子と2人だけで済ませたお墓参りは、何かシンミリとして素敵な尾墓参りでした・・・・・・

      

     
2003-09-25(木)     雨     自宅(都内)    気温(最低=15度、最高=20度)

 ここ暫くの間、携帯電話の使い方を夢中になって勉強している。
 というのは、この携帯電話という代物・・・・・・使い方が分かって来ると、大変便利な機械だという事が分かって来たからである。
 電話による通話は、勿論のこと!!・・・・・・インターネットによるメールの送受信、アドレス帳管理、スケジュール管理・・・・・・等々、何処かで聞いたことがあるなあ、と思っていたら、何んの事は無い、この携帯電話はポケットに入る程の小さなパソコンなのである。

 もともと僕は、パソコン大好き人間だから、余り抵抗は無いが・・・・・・問題は、その使い方が、パソコンと大変に違う事なのである。
 それさえ、克服すれば滅茶苦茶に便利な機械に違いない!
 そう思って、毎日毎日、時間があると取り扱い説明書を読みながら、少しづつ勉強することにしている。
 ・・・・・・今は、早く、メールが打てるようになること・・・・・・と言うよりも、送受信したメールの整理、アドレス帳の整理、アドレスの変更・・・・・・等、携帯電話の中をどのように整理するか・・・・・・自分なりの方法を確立する事が一番大切なのである。

 ・・・・・・っていう事は、矢張り、携帯電話はパソコンっていう事なんだヨ・・・・・・コリャ〜!!
 ハハハハハハハ・・・・・・!!

     

         
2003-09-26(金)     曇      自宅(都内)      気温 (最低=17度、最高=22度)

 午後2時より、桃三の集団疎開の集い・・・・・・
 今日は塚さんが、初めて出席して呉れました。

 集会は、いつもの通りの流れだったが、中心になった人達は相変わらず、桃三の疎開史の年内の出版を盛んに主張している。
 ・・・・・・その人達の話している内容をよく聞いてみると、兎に角、桃三から疎開した9寺の合意の上で、年内に疎開史の出版をしたい・・・・・・という事に拘っているようである。

 それは、それで分からない話ではないのであるが、そのためには原稿が間に合わない他の寺に就いては、途中で、原稿の受け取りを打ち切るという態度が、今日あたりはケッコー強くなって来ているのが、我々にはよく感じられるのである。
 ・・・・・・要するに、年内出版を主張している人達は、もう何年も前から自分たちが用意してきた資料を9寺の総意の上で、出版をした・・・・・・という形を採りたがっているようにしか我々には思えないのである。

 過去、10ヶ月、栄ちゃんと僕は、皆さん方の意向に従って、疎開した皆さんとの集まりを持ち、当時の話を集め始めた所であるが、その矢先に、前以て年内出版という事は決まっているのだから、それに合致しない寺の原稿に就いては、これを打ち切るという態度が出始めてきたのである。

 こう考えてみると、その人達にとって一番大切な事は、自分たちが持っている資料を、年内に、9寺の総意で出版するという形式をとる事であり、協力を要請した相手の寺の進行状況などはどうでもよく、とにかく、「自分達の持てる資料を、9寺の総意とい形式の下に、年内に出版する事に焦点が置かれている」という風にしか僕には見えないのである。

 こんな事を言ったら叱られるかも知れないが・・・・・・何んとなく、何処かの省庁の官僚体質ソックリであるのが・・・・・・みていて、とても可笑しい!!・・・・・・・と思う。
       

       

2003-09-29(月)      曇      自宅(都内)

 午後2時、駅前のコーヒーロードで光久寺のSさんに会う。
 話の内容は、鹿児島のM教授からのメールの内容について・・・・・・
 Sさんの光久寺に於ける疎開生活。 光久寺の小林文成和尚の話。
 小学校卒業後も、S氏は光久寺にお世話になって彼地の中学校に通われた話。
 ・・・・・・さいごに、Sさんと桃三の集団疎開の会とのやり取りの概要等々。
 1時間ほど、色々と話をしてから帰って来た。

 ・・・・・・話は変わるが、これから「集団疎開を考える会」にどう接して行くか?・・・・・・を考えてみたが、この間のヤリトリの事を考えると、普済寺の連絡係のチームを解散する事にしたいと思う。 
 ・・・・・・というのは、当初、栄ちゃんから話があったのは、

 「アッキューさんよオ・・・・・・無量寺は、学童疎開児が集まって、”無量寺の会”とかいうのを作っていて、時々、寺を訪問したり、何かの機会に記念植樹をしたりしているんだってよ! それから、何かの機会に、その無量寺の会の連中が無量寺を訪問した帰り道に、普済寺に立ち寄って、色々と自分達のやって来た事をPRしたらしいぜ・・・・・・ そのせいだと思うけど、ブンチンさんから、”栄ちゃん、無量寺は色々やっているけど、普済寺も何かやらないかな?” って言われちゃったんだよね ・・・・・・それだから、アッキューさん、皆をまとめて、普済寺に出掛けてみるとか・・・・・・を、一緒に少しやってくんね〜かな?」

 という話でスタートした筈である。
 
・・・・・・ところが・・・・・・今や、その話は・・・・・・皆と会って旧交を温め、その後で志のある人達と一緒に普済寺に出掛けようじゃないか?・・・・・・どころの話じゃなく・・・・・・本の出版やら、出版期限がどうのこうの・・・・・・とか、気が付けば、初期の志とは全く方向の違った話になってしまっており、僕にとっては、何んのために奔走しているのか、全く分からなくなってしまっているからである。

 栄ちゃんは、どう思うか分からないけど、もう僕は「こんな馬鹿げた話」からは降りることにしよう・・・・・・!!

 ただ、7月に「普済寺の集う会」を開く為、皆と連絡を取った際、皆さんがとても喜んで下さった暖かい心だけは大切にして、今後共、ほのぼのとした触れ合いを続けて行きたいと思うだけである・・・・・・