2003 4 月の高原日記

    

2003-04-03(木)     晴     自宅(都内)

 午後7時、かねてからの約束通りに、駒込駅で H さんと待ち合わせて、六義園の枝垂れ桜を見に行って来た。 H さんは面白いバックグラウンドを持った人で、もともと国内の大学でドイツ文学を選考した後、ご主人の仕事の関係でアメリカに移住。 現地でさる有名な音楽家に出会った事と、小さい時から、習っていたピアノが縁で、現地でもう一度大学に入り、作曲理論を専攻し卒業したという才媛である。
 面白い事に、彼女とのメールのヤリトリは全て英語であるが、英語でメールを書くと漢字変換が無い為に、和文で書くよりずっと早く書く事が出来る・・・・・・
 六義園の庭を散歩している時、その話が出た時、彼女は屈託なく僕に言った。
 「・・・・・・ねえ、私のメール結構文法的な間違いがあるでしょう? あれはねえ、ワインを飲みながらキーボード叩いているからなの・・・・・・書き終わってから、もう一度、目を通せばいいんだけど・・・・・・それが出来ないのよね!」
 そう言って、ハハハハ・・・・・・と屈託なく彼女は笑った。
 「そりゃあ、僕だって同じさ! あとで読み直すと、スペルは間違っている・・・・・・前置詞は間違っている・・・・・でも、書くのに時間が掛からないから、どうしても英語でかきたくなっちゃう・・・・・・」
 「そう、そう・・・・・・そうよねえ! 全く同感だわ・・・・・・」
 「貴女の場合は英語で卒論を書いたくらいだから、基礎は実にシッカリしているよ・・・・・・だって、メールを読んでて、素直に文意がとれちゃうもの・・・・・・! それで、いいんじゃないの?」
 「そうよねえ・・・・・・そう言われればそうだわ・・・・・・・!!」
 そう言って、彼女は、もう一度、明るく笑った。

 話はすっかりと横道にそれてしまったが、ピアニストライトアップされた桜は、滝を落ちる水のように、とてもキレイでした。

 六義園を出たあと僕達は近くの店に入って、話の続きをしたが、ナント3時間近くも、口角泡を飛ばして、音楽・語学・人生の生き方・・・・・・等々を、閉店間際まで話し合ったものである。 

 その話の中で、彼女が言った次の言葉に、僕は本当にビックリした。
 「八岳さんのホームページで一番面白かったのは、色即是空のページだったわ!」
 その言葉をきいた瞬間、僕は鸚鵡返しにこう言った。
 「え? ウッソー! 貴女がア~~~?」
 「嘘じゃないわよ・・・・・・・18章くらいあったかな~? 兎に角、最後まで全部読んだんだから・・・・・・! ホントよ! でも物凄く面白かったわ・・・・・・! 八岳さんのサイト、色々なページを読んだけど・・・・・・あのページが一番迫力があったわ! ホント! ねえ、教えてよ! あのページって、一番力をいれて書いたんじゃない? だって、迫力が全然違うんだもの・・・・・・・!!!!」
 ・・・・・・ですって!
 でも、彼女の言った事はホントです!
 ・・・・・・って言うのは、あのページは僕の生き方の基本だからです・・・・・・・

 そう言えば、もう一人、別の女性のピアニストも、あのページを読んだって言ってたけど、あのページを読むのは、女性のほうが圧倒的に多いのにはホントに信じられない!

 僕の最初の予想では、読むのは男性ばかりで、女性は読まないものだと思っていたのに・・・・・・いざフタを開けてみたら、全く、逆の現象が起きているのである。

 これって、どういう事なんだろう???????

   

    滝が流れ落ちるような六義園の夜の枝垂れ桜
 本当にキレイでした!!

     

2002-04-05(土)     雨     自宅(都内)      気温(最低=5度、最高=10度)

 この3日間、Special Olympics 関連資料の翻訳にスッカリ追われていた。
・・・・そして、たった今、その訳文を依頼者に Fax して、ホッとした所である。 今日は一日中雨の寒い日だったけど、雨好きの小生にとっては、シンミリとした静かな一日だった。

 イラク戦争は、米英側がバグダッドの国際空港を制圧した模様。
 ・・・・・・イラク側は、空港から米英軍を空港から撤退させた・・・・・・と盛んに報道しているが、かなりの打ち合いがあった模様である。

 今迄、米国の報道も結構誤報が多かったので、どちらを信用していいのか分らない状態である。

     

      
2002-04-06(日)     快晴      自宅(都内)     気温(最低=9度、最高=19度)

 中野通りの桜祭りを自動車で見に行ってきた。
 桜は中野通りから新青梅街道にかけての 2km 程にわたって満開だったが、朝の時間が少し早かったせいか、場所によっては光線の加減が今ひとつという感じだった。
     

新井薬師付近の商店街では桜祭りの提灯が賑やかだ・・・・・
でも、朝の時間が早い為、この辺では、桜の色がいま一つ!
       

ご覧の通り、4車線の通りも桜で覆いつくされていました
 

新青梅街道も桜のトンネルになっていました!
      

 イラク情勢は、米英軍が国際空港を完全に制圧し、バグダットの手前 10km 地点まで迫り、市を殆ど包囲した模様。・・・・・・しかも、昨日の戦闘では、イラクの最精鋭武装部隊が壊滅され戦死者が 2,000 名程も出たとか・・・・・・・
 また、軍需品を作っていた工場を占拠したので、その工場を前線部隊への補給基地にするため、改修工事をしている・・・・・・という報道が、映像と共に放映された。
 テレビの画面を見ている限りでは、上記の報道は、かなりの信頼性がある模様である。
 イラクのサハフ情報相は、
 「アメリカの報道はウソで固められている・・・・・・米英軍は、イラク軍の攻撃で撤退させられ、今でも空港はイラク兵により守られている。 もし嘘だと思うなら、空港にいって見て来たらいい・・・・・・」
 「大勢のイラク人が周辺諸国からバグダットに戻ってきて、戦闘に参加している。我々の勝利は間違いない・・・・・・!!」
 等と、テレビで盛んに報道している為か、周辺諸国から、数千人のイラク人がバグダットに戻って来ていると言う。

 この報道合戦は、現時点に於いては、イラク側の報道にかなりの差で信憑性が見受けられない・・・・・・・!!
 と、すると、今、バグダットに戻って来ているイラク人達は、死ぬためだけに戻って来ているようにしか思えない。

 「何んという馬鹿げた事を・・・・・・!!」
 ニュースを見ていた僕は、思わず、こう呟いてしまった。

     

   
2003-04-10(木)    雨     自宅(都内)

 回戦以来、21日。
 バグダッド中心街のフセイン大統領の銅像が倒されて、フセイン政権は崩壊した。

    
 

     
 現在、フセインについては、潜伏先、生死など・・・・・・は全く不明である。
 それにしても、ナチのヒットラー、ソ連のスターリン、ポーランドのチャウシェスク、そして現在のお隣の国・・・・・・等々、独裁政権による政治は、どうしていつも自国民をあのように虐待してしまうのだろう・・・・・・??

     

    
2003-04-12(土)     晴      自宅(都内)

 この頃、Special Olympics Ireland とのメールのやりとりの翻訳に終われっ放しである。正直な話し、けっこう疲れるが、人生の中にこんな事もあってもいいのかも知れない。 ・・・・・・それにしても、Official Police Certificate of Good Character 等という妙チキリンなものの為に、何んと苦労するすることか?
 全く、嫌気がさしてしまう・・・・・・思いである。

 話は変わるが、気が付くと玄関のト伴はいつの間にか満開になっていた。

    
 

    
 今日の最高気温は20度、真夜中の現在でも屋外で14度の暖かさである。
 お陰様で、今日はとうとう殆どストーブを焚かなかった。
 ・・・・・・まさに春爛漫の一日だった。

 夜、栄ちゃんから集団疎開の普済寺の集いの件で電話があったので
 「・・・・塚さんが来たいって言ってるんだけど・・・・”日曜じゃなくちゃ駄目だ!”って言ってるんだよね! どうする?」
 と言って、ああでもない、こうでもない・・・・・・と相談して、7月12日(土)を7月6日(日)に変更する事にした。
 ・・・・・その後で、塚さんの家に電話を入れ
 「7月6日の日曜だったら塚さん来られる?」
 と聞くと
 「うん、大丈夫だと思う・・・・・出来るだけ、行くようにする!」
 と言ったので
 「駄目だ! 塚さんが来なくちゃ・・・・・だって、塚さんが日曜じゃないと駄目だって言うから、7月6日(日)にするんだもの・・・・・変えた後で、塚さんが来られないナンテ言ったら、皆んなに顔向けが出来ない!」
 というと
 「チョット待ってよ! キチンとスケジュール調べて来るから」
 といってから2~3分すると、
 「うん、大丈夫! もう手帳に入れたから・・・・・!」
 と言ったので
 「よ~し、じゃあ、栄ちゃんともう一度相談するけど、塚さんが来なかったら罰金だからね・・・・・・!」と言うと
 「分った、分った・・・・・・との事!」
 その後で、20ほど雑談をしたが、例のシジュウカラ騒動の話をしたら
 「え? オレが? ・・・・・・へえ、そんな事やったの・・・・・オレが?・・・・・・」
 との事。
 僕なんか、こんなにもよく憶えているのに・・・・・・!

 そして、電話を切る前に言った彼のひと言
 「うん、俺ゼッタイに行くよ・・・・・・60年振りだよ・・・・・・でも、楽しみだなあ!」
 が素敵でした。
     

      
2003-04-13(日)    晴     自宅(都内)     気温(最低=13度、最高=23度)

 とても暖かい1日。
 現在、夜の10時半だというのに、外気温が18度もある。

 今日の礼拝で、信任の高柳牧師にお目に掛かった。
 頭の良さそうな人である。

 午後は Special Olympics の中根さんがお世話して下さっているアスリート会に、KR と2人で出席、帰り際に喫茶店 Renoir に寄って、皆でお茶を飲んできた。

 夜、8時過ぎに敦子ちゃんより電話があり
 「前に途中まで作り掛けた、普済寺に疎開した子供たちのリストが見付かったの・・・・・・お役に立てばと思うので、Fax するから、よかったら使って下さらない?」
 との事。
 「・・・・・ホント? 送って、送って!」
 と言って送って貰って、便箋5枚に書いてあるリストを見た僕は驚いた。
 普済寺に疎開した殆ど全員の氏名が載っているではないか?
 しかも、その半数以上の人たちの連絡先が載っているのである!

 僕は物凄く嬉しかった。
 リストに載っている人の名前を見ながら、敦子ちゃんと話すこと20分ほど・・・・・・
 ・・・・・・その間に、塚さんのシジュウカラ騒動の話をしたら、敦子ちゃんの笑う事、笑う事・・・・・・!!
 そして
 「・・・・・・そう? 男の子達って、そんな事もやってたんだ・・・・・・」
 が、とても懐かしげでした・・・・・・
 ・・・・・・と、その後、急に集まる日の変更の事を思い出して
 「・・・・・・ところで、塚さんが土曜日は都合が悪いので日曜にして欲しいっていってるんだけど・・・・・・7月6日の日曜にしたらダメ・・・・・・? だって、塚さんと敦子ちゃんが来れば、出席者が多くなると思うから・・・・・・・」
 と言ったら
 「突発事故が無い限り、絶対に行くから大丈夫よ・・・・・・・!!」
 との事、僕は本当に嬉しかったです!!

     

     
2003-04-15(火)     曇時々雨     ヒュッテ     気温 (最低=5度、最高=19度)

 午前9時半に出掛ける予定だったヒュッテ行きは、次から次へと持っていくものが増えて、愛車 VW Cabrioret のエンジンキーを捻ったのは、午後の2時過ぎ・・・・・・・

 兎に角、今年初めてのヒュッテ行きなので、スピードを出して明るいうちに着きたいのだが、家内からは絶対にスピードを出さないように釘を刺されている。
 ・・・・・っていうのは、僕が帰郷する 19 日に、入れ違いに家内が南米の P に出掛けてしまうからだ・・・・・・
 そこで、拙者が事故でも起こそうものなら、皇太子殿下の KR に負担が掛かる・・・・・・という読みである。
 (ナルホド・・・・・・そう言われてみりゃ、そりゃそうじゃ・・・・・・)
 という訳で、時速 90km ~ 100km のノロノロ運転で関越をはしり、アチコチ寄り道をして午後6時に、ヒュッテ着。

 早速、水道栓を開き、ストーブを焚いて部屋を暖める。

 陽がトップリと落ちると、流石、標高 1,300m の高知である。
 外気温は、摂氏5度・・・・・・・

 東京に比べると、気温は圧倒的に低い。
 今日は着いた時、もう薄暗かったので、何も見られなかったけど、明日はよく庭の状態を調べて見ることにしょう!

    

     
2003-04-16(水)     晴     ヒュッテ

 兎に角、暖かい一日。
 今回のヒュッテ来訪の一番の目的は、キクイムシの殺虫剤を庭木の根元に撒くことである。



話は変わるけど、ヒュッテの庭先の雪解け水が流れる幅 2m くらいの流れの写真をお送りします。この川では、家内が面白がって植えたクレソンが増えて来て、やっとこさっとこサラダに使えるようになりました。

あたりは本当に静かです!!



     

    
2003-04-17(木)     晴      ヒュッテ

 雪の重みで折れた白樺の枝の切り落としをした。

 気が付くと、庭のカラマツ林の林床に、フキノトウが25ケくらい芽をだしていた。      

       
2003-04-18(金)     曇      ヒュッテ

 ヒュッテの中の片付け。

    

    
2003-04-19(土)     曇のち雨     自宅(都内)

 午後6時、井出民宿にて、Ptylitza の話をした。

 終了後、帰京。

     

     
2003-04-20(日)     曇時々雨      自宅(都内)

 午後、千歳船橋に LYPP の卓球練習に出掛けた。

     

    
2003-04-24(木)     晴      自宅(都内)

 ギックリ腰になる。

    

    
2003-04-25(金)     曇       自宅(都内)

 総合病院に出掛ける。
 レントゲン撮影をしたあと、先生から滑り出し症(?)とかと言われた。

 お陰様で、今夜はロイヤルホストで、息子と食事。

 ビーフドリアが大好きな息子は大喜びでした。

 ちなみに、トマトが大好きな僕が注文したのは、マルガリータのピザとシーザースサラダ・・・・結構、僕もご機嫌でした(ロイヤルホストの階段の上下gた大変だったけど・・・・)

 

    

   
2003-04-26(土)     晴       自宅(都内)

 体の自由が効かないので、洗濯とか家の中の片付けをする。

 マリが湿布薬とイチゴを届けて呉れた。

    

    
2003-04-27(日)     晴      自宅(都内)

 ギックリ腰は、まだ完治してはいないが、教会に出掛け、今日初めて高柳牧師の話を聞いた。

 Ma famme est revenu de Peru de Sud Amerique.

   

    
2003-04-28(月)     晴      自宅(都内)      気温(最低=17度、最高=26度)

 ここ2~3日、とにかく素晴らしい春の日が続いている。
 居間の籐椅子に座り、庭のボケとアンズの新緑に包まれていると、思わず心が洗われるような気がする。
 気温は暑くもなく寒くもなく、湿気も少ないために、朝から晩までサッパリと洗った木綿のシャツ姿で気持ちよく過ごしている。

 午後2時、余りの気持ちよさに、家の中に居るのが余りにも勿体無くて、ついフラリと川公園の散歩に出掛けた。
 ・・・・・・柔らかい日差しの中、清々しい風に吹かれて、沁み々々と歩いて行くと、緑の風がとても爽やかだ・・・・・・
        

    
 途中、住宅地の中にある喫茶店アロウムに寄って、本当に久方振りにママと小一時間ほど話をして来た。

 いつも思うけど・・・・・・このママも、物事に執着しない素晴らしい人である。

 だからだろうか?
 ・・・・・・ママと話していると、どうでもいい様な話も、とにかく今日の風の様に、とても爽やかな話になってしまうから不思議だ・・・・・・!!
 また、今度、暇な時にでもいってみる事にしましょう・・・・・・

    

     
2003-04-29(月)    快晴      自宅(都内)     気温(最低=16度、最高=23度)

 今日も素晴らしい気候の一日。

 午前中、家内が庭に咲いたコデマリの花を小さな花瓶に入れて窓辺に飾ったが、改めてこうして眺めていると、爽やかな花である事に気が付いた。
     

     

     
 その後、昼食を挟んで、千歳船橋の LYPP に卓球の練習に出掛けた。

 行く前に、もう5日も締めているコルセットを外してみたが、今こうしてキーボードを叩いていても、腰のほうは全く何も痛んだりはしない・・・・・・・!!

 「エッ? ホント? ・・・・・・いつの間にか・・・・・・ギックリ腰は、もう治ってしまったんだろうか?」

 ・・・・・・それにしても、今日の気候の素晴らしさはどうだろう?
 今、こうしてキーボードを叩いているが、時刻はもうすでに午前2時を回っている。
 それなのに、今日の気候の気持ちよさが格別で、ベッドに入るのが勿体無くて仕様が無い位なのである・・・・・・!!

 ・・・・・・いいなア!・・・・・・生きてるのって・・・・・・!!