2003 3 月の高原日記

    

2003-03-01(土)     雨      自宅(都内)     気温(最低=1度、最高=5度)

 一日中雨模様の寒い一日。
 ・・・・・・昨日の午後以来、また風邪がブリ返した模様。 体が何んとなくダルくて、頭も重い。
 こんな日は、暖かくしてボンヤリと過ごす事にしよう。

 ・・・・・・ところで・・・・・・
 午後のニュースで聞いた事だが、最近、IP電話というのが注目を浴びているとか・・・・・・・
 インターネットを利用する電話だ!・・・・・・とかで、国内の何処の電話にかけても、3分間で8円。 ・・・・・・この新しい IP 電話同士だと、何時間話していても0円・・・・・・要するに、お金は掛からないとか。
 あと、他にかかるのは基本料だけ・・・・・・という夢のような話である。
 その為か、もう加入者は数百万人に登っているらしい。 

 それでは、この IP 電話で出来なくて、従来の電話だけが出来るのは何かと言うと、110番、119番に通報する事だと言う。
 でも、そんな問題は、直ぐに解決されてしまうだろうから、今後、従来の電話の存在意義は無くなってしまうのではなかろうか?
 他人事(ひとごと)ながら、聊(いささ)か気に掛かる問題であります。

   
 午後8時50分。
 電話が鳴ったので受話器をとると、若い女性の声で
 「K ですが・・・・・・今晩は!」
 という。
 (はて・・・・・?)と思って、
 「K さんて・・・・・・?」
 と言うと
 「今晩は・・・・・・Hitomi です!」と、急に言葉が崩れた。
 「おい、何んだよ・・・・・・Hitomi かあ!」
 僕も、思わず言葉が普段着になってしまった。
 「アノ〜〜、結婚式たった今、終わりました。 とにかく、お知らせだけは直ぐしようと思いまして・・・・・・」
 と、弾んだ声が受話器の中から聞こえて来た。

 「あ、そ〜だ! 結婚式今日だったよな〜!」
 僕も嬉しくなって、思わず大きな声で受話器にガナリたてた。
 Hitomi は 3年前、友達の Masayo と2人連れで、僕みたいな男がひとり住まいをしているヒュッテに、2泊3日で遊びに来た女の子である。
 そして・・・・・・その3日間がとても楽しかったからと言って、その翌年も、また2人で 2 泊して行った素直な女性である。
 ・・・・・・僕は、物凄く嬉しかった。
 「いいか、これからは、誰が何んと言おうと2人の生活を大事にしろ・・・・・・! とにかく、Hito にとって一番大事なのは彼で、彼にとって一番大事なものは Hito だぞ! それがオレ持論だけど・・・・・・分ってるな?」
 と言ったら
 「はい、分ってます・・・・・」
 と、とても嬉しそうだった。

 ・・・・・・そのあと、代わって出た Masayo とも、10分ほど話して、受話器を置いたが、本当に僕は物凄く嬉しかった。

 ホントに、 Bravo.......... ! ! である。 

     

     
2003-03-02(日)     晴      自宅(都内)      気温(最低= 4度、最高= 15度)

 今朝の夜明け前、何時頃だったろうか・・・・・・ふと、目を覚ますと、サ〜〜〜ッと、物凄い雨の音がした。
 フトンの中でヌクヌクと丸くなりながら
 (あ、雨だ・・・・・・!)
 と思っていたら、遠くの方でゴロゴロと雷が鳴り出した。
 (あ、春雷だ・・・・・・いいな!)
 と思っていたら、又、ウトウトと眠ってしまった。
 ・・・・・・春眠暁を覚えず・・・・・・と言うが、本当に春の惰眠は気持ちがいい!!

     
 今日は、カタオカスポーツ・ウイニング・ジュニアの年度末の総会。 
 KR は、6月の大会を控えて、LYPP の中西コーチの所にでかけたので、父兄として、僕一人が出席をした。
 総会に継いで、子供たちと一緒のお楽しみ会。
 ・・・・・・楽しいひと時を過ごす事が出来ました。

     

      
2003-03-03(月)    雨     自宅(都内)    気温 (最低=4度、最高=7度)

 午後11時、高田馬場で電車に乗ろうと思ったら、切符を買うのに100円玉一個がどうしても足らない。
 ・・・・・・仕方がないから、駅前の交番に行って事情を話し、お巡りさんから100円を借り、切符を買って電車に乗って帰って来た。

 交番に行った時、
 「ちょっと、大変にお恥ずかしいんですけど・・・・・・」
 と前置きをして、事情を説明し
 「・・・・・・という訳で、100円拝借したいんですけど・・・・・・」
 と言ったら、お巡りさんは
 「それでは、ここに住所と名前と電話番号を書いて下さい」
 と言うのでその通りにすると
 「あ、それからハンコはお持ちですか?」
 と訊かれ
 「あ、済みません・・・・・・ハンコは持ち合わせておりませんが・・・・・・」
 と答えると
 「あ、それでは済みませんが・・・・・・」
 と前置きした後、言われた通りにハンコの代わりに左手の人差し指の指紋を押捺したら 100円を貸してくれました。
 ・・・・・・交番でお金を借りたのは、今回が生まれて初めてだけど・・・・・・
 本当にあり難いと思いました。

 チョン!

      

     
2002−03-04(火)     快晴      自宅(都内)      気温 (最低=4度、最高=16度)

 兎に角、抜けるような青さの空の色。

 余りにも天気がいいので、ふと思い出して、シジュウカラの巣箱をアンズの木から外し、キレイに洗ってから居間のガラス戸の下に干した。
 ・・・・・・よく乾いたら、またアンズの木に戻して上げよう。
 また、今年も、あの可愛いヒナを育てて呉れるといいんだけど・・・・・・

 その後、庭先のボケの木を見ると、もう花の蕾が一面に大きくなって居るのに気が付いた。
 ・・・・・・つい、この間は、ほんの一つか二つしか、蕾が赤くなっていなかったのに・・・・・・

     
 

     
 (春だ・・・・・いいなあ!)

 僕は思わず心の中で叫んでしまいました。

   

    
2003-03-05(水)     雨     自宅(都内)     気温(最低=1 度、最高= 9 度)

 青色申告の領収書の仕訳け始め。
 毎年の事だけど、ふだん遊んじゃうものだから、この時期になると慌てるのが常である。
 まあ仕方がない・・・・・・少しづつ、領収書の整理から始める事にしよう。
 ・・・・・・それにしても、青色申告は本当に面倒くさいものである・・・・・・オヤオヤオヤ!

 夜、雪ちゃまからメールが届いた。
以前から、話題に上っていたお花見の話である。
 ・・・・・・彼女は、チャント憶えていて呉れたんだ!
 ・・・・・・とても嬉しく思いました・・・・・・

Hello, Mr.Yatake

How have you been? How are things going?

As a teacher in a small J, which academic year starts in March, I have been very busy preparing for new classes for the new academic year. At the same time it is a buoyant season when I will meet a lot of new students. Seeing young people gives me energy and power.

I'm going to tell you that the weeping cherry in R will be lighted up from March ** to March **. The date was annpunced by Tokyo Municipal, but I'm not sure the date will match up to the full blossom of the weeping cherry. Since the last year was very warm in the early March, blossom started earlier than the scheduled date the last year. R management office was upset and unofficially lighted up the cherry blossom a few days earlier. Let's see how things go this year.

How's your schedule? I will be busy March 27, but other days I can adjust my schedule to yours. Please let me know.

I'm looking forward to seeing you soon.

Yuki

    

    
2003-03-07(金)     雨のち晴     自宅(都内)

 N先生のメールの翻訳。
 ・・・・・・今年の初夏、アイルランドで開かれる・・・・・・ SO (Special Olympics) 世界大会の役員として招待されている N 先生と、ダブリンの世界大会事務局との間でやりとりされるメールや手紙の翻訳のお手伝いをさせて頂いています。

   

    
2003-03-08(土)     晴      豊橋

 身体障害者ジャパンカップ卓球大会に参加する KR の応援に一家3人で出掛ける。
 午前7時、自宅(都内)発・・・・・・12時半豊橋スポーツセンター着。
 午後1時に始まった団体戦の東京チームCは、6人の構成・・・・・・シングル、シングル、ダブルス、シングル、シングルの5試合。
 KRは、埼玉の松本君と組んで3番手のダブルスに出場した。

     
 

    
 予選の第1試合のダブルスは 3 - 1 で(KR-松本)組が勝ち、第2試合のダブルスは 0 - 3 で落としてしまいました。

     

    
2003-03-09(日)     晴     自宅(都内)

 ジャパンカップ2日目。
 今日の試合は個人シングルスの試合である。

 予選は福岡県の T 選手、福島県の K の3者によるリーグ戦。
 初戦の T 選手との試合は (12 - 14, 14 - 16, 13 - 15)と、3試合ともデュースで、惜敗。
 予選第2試合も (8 - 11, 11 - 9, 10 - 12, 8 - 11) と、よく戦ったが、これも惜敗。

   
 

予選第2試合、第3セット・・・・・
 スコアは 10 - 9 で KR がリードをしていたが、
 デュースに持ち込まれて惜敗。

 第2試合終了後、中学校の卓球部のこもんをしていらっしゃる、この先生が KR を気に入って下さり・・・・・・
 「・・・・今回は、私が勝たせて貰ったけど、とにかく上手なんでビックリしました。 あれだけ台のそばで戦って、こんなに上手に全ての球を返球できる人は見たことがない! あなたは、逆回転の球の処理が上手になれば、もっともっと強くなれるよ! いいかい・・・・台から下がったら絶対に駄目だよ・・・・それさえ守れれば、絶対に強くなる・・・・!!!!」と熱をこめて仰って呉れました。

スポーツって、ホントに素敵です!!

       

   
2003-03-14(金)     晴     自宅(都内)

 I さんより久方振りの電話。

    

    
2003-03-16(日)     晴のち雨      自宅(都内)

 今日は、毎年、東京原宿の表参道で恒例となっている、アイルランドの祝日「セント・パトリックス・デー」のパレードに息子と一緒に行って来ました。
 この祝日は、アイルランドにキリスト教をひろめたセントパトリックスの誕生日を祝う祝日で、この日のパレードは今では原宿の年中行事の一つになっているそうです。

 今年は、6月にアイルランドのダブリンでスペシャルオリンピックスの世界大会が開催されるため、東京在住で同大会に参加する予定のアスリートに、同国大使館からパレード参加のお誘いがあり、都合のつくアスリート達が参加することになりました。

 ・・・・・・ところで、このパレードの噂は以前から少しは耳にしていましたが、目にするのは今回が初めて・・・・・・・
 原宿の駅の改札口を出たトタンから、物凄い数の人々・・・・・・・・
 お誘いのファックスには、参加者1000名、観客約10000名と書いてあったけど、観客の数は、その2倍は居たのではないかと思います。

 午後1時、集合場所の神宮前小学校についてみると、もう大勢のパレードの人たちが集まり、各種の楽器の指ならしをしていて、その賑やかな事!

 アスリートとファミリーは去年の SON 東京大会のオレンジの T シャツに、セントパトリックスデーの印(しるし)の色のグリーンのバンダナを首に巻いて、パレードに参加しました。

 以下の写真は、そのパレードの何箇所かをデジカメに収めたものです。
 ・・・・・・本当は、これらの写真の他にも、まだまだ沢山の写真があったのですが、それら全てをこのページに載せると、このページが非常に重くなってしまいますので、そのなかから以下の写真を選んだ次第です。
      

アイルランドの民族楽器バグパイプバンドのパレード
あの独特の音色と旋律が素敵です
     

セントパトリックスデーの色はグリーン
 SON Tokyo のアスリート達もグリーンのバンダナを首に巻き
グリーンのクローバを頬っぺたにつけて参加・・・・
アスリート達が手に持っているのはアイルランドの国旗です。
     

黒ビールで有名なギネス社のパレード
大きなジョッキの気球が注目の的でした
            

グリーンの T シャツを着た外人グループ
国籍は分らないけど、笑顔が素敵でした・・・・・・・・
          

アメリカ陸軍の軍楽隊だったと思うけど
パレードの中では目立つ存在
・・・・・・って言うのは、音楽にガッツがあって迫力があるからだ・・・・・・
特に、あの「ブォッ、ブォッ、ボッ、ボッ、ボッ・・・・・!!」
と、腹に響く音を出すスーザフォンの存在意義は大きい・・・・・・

      

兎に角、可愛らしいインターナショナル・スクールの子供達・・・・・・!!
・・・・・・でも、皆んなチビのくせに、やけに英語が上手いんだよね!
・・・・・・当たり前・・・・・・か?

         

ナントカ(名前を聞き漏らしました)・ダンシングチームのパフォーマンス
・・・・・・とても楽しいダンスを披露してくれました。
 でも、彼女達はあんなに薄着で寒くないんだろうか?
寒がり屋の筆者は、思わず(寒くないんだろうか?)って、心配をしちゃいました。

     

いつも世田谷区の卓球同好会で一緒にプレーをしている A さんが
息子さんと一緒に見に来ていました・・・・・・

         

これは大使館関係の人たちでしょうか・・・・・・?
 キチンと背広を着た紳士の多い一団でした・・・・
         

殿(しんがり)を努めていた、これはもう明らかにアイルランドの一行・・・・・・!!
先頭の男性の笑顔がとても素晴らしかったです!!
今回のパレードでは、写真に収めなかったグループがまだまだ沢山ありました。

       

パレードを終わって神宮前小学校に戻ってきた
SON Tokyo のアスリート達
6月の世界大会を目指して、このあと、熊本と千葉で強化合宿があります
 皆さん、元気に頑張って下さい・・・・・!!

   

    
2003-03-17(月)     雨のち曇      自宅(都内)

 青色申告提出

 高田馬場 SON のコーチミーティング

   

    
2003-03-18(火)     晴    自宅(都内)    気温 (最低=●度、最高=●度)

 青色申告の計算からやっと開放された。
 今、気が付いてみると丁度2週間ほど、この高原日記をおやすみしていた事になる。
 時間がある時にでも、少しづつ、過去の日記を書き足して行く事にしたいと思う。

 テレビでは、ブッシュ大統領がフセイン大統領に対して最後通牒・・・・・・

Saddam Fsein and his sons must leave Iraq within 48 hours.......

 を発したことを盛んに報道している。

 ・・・・・・どうなっちゃうんだろう????

    

     
2003-03-20(木)     晴     自宅(都内)

 午前10時(日本時間)、ブッシュの最後通牒の時間が切れた。

 テレビをつけたまま、今日の日記を打っていたら、10時35分・・・・・・バグダッド市内の画面から爆発音が聞こえ、上空でジェット機が飛ぶ音が聞こえ、対空砲火がピカピカと何十発も光るのが見受けられた。

 ・・・・・・画面に見えた大きな爆発煙からみて、米軍のミサイルによる第一撃ではないかと思う。 米軍は、市内の何処を狙ったのだろう?

 ついに、アメリカ軍のイラク進攻が始まった。
 ・・・・・・午後、米英によるイラク空爆の号外が出た。
 又、人々の命が奪われるのを思うと、戦争の空しさを、沁み々々と感じさせられる!!

    
 

   
 今回の米英の空爆を支援しているのは、日本を含む45ヶ国・・・・・・仏独露中などは・・・・・・空爆に踏み切るのではなくって、イラクの大量破壊兵器の査察を続けるべきだと・・・・・・反対を表明している。
 ・・・・・・特に、フランスの反対には強烈なものがある。
 それに平行して、色々な国や地域で、米の軍事侵攻に反対するデモが行われている。

 ただ、素朴な疑問として残るのは、こんな事になる前に、どうしてもっと早い時期から、シッカリと大量破壊兵器の検査をしなかったのだろうか・・・・・・と言うことである。
 国連の査察委員会が、もっとキチンと対応機能していれば、こんなに大事なことにならなかったかも知れないのに・・・・・・?
 と・・・・・・残念に思う事シキリである。

   

     
2002-03-21(金)      曇      自宅(都内)

 今日から3日間、KR 達(6月のアイルランド世界大会に参加するアスリート達)は熊本県に出掛けた。
 ・・・・・・世界大会に向けての強化合宿を受ける為である。

 出発前の集合場所は、羽田空港の ANA の出発カウンター前ということだったので、行ってみると、これは又どうだろう・・・・・??
 トニカク物凄い人の数である。

       

 

     

  「うへ〜〜何んだあ、こりゃア・・・・・・??」
  と思っていると、暫くして、場内アナウンスがあり、
  「今朝、4時半ころ・・・・・当社(ANA)のコンピューター・システムに異常が発生したため、皆様方に大変なご迷惑をおかけしおります・・・・・!!」
 との事。
 その他にも、昨日からのイラク戦争により、空港警備のチェックが強化された為、荷物検査などに時間が掛かることも影響しているようである。  

  最終的に、KR達の乗った ANA641便(8時35分出発)は午後1時半好き過ぎ・・・・・・定刻より5時間遅れで、羽田を飛び立った模様。

  お陰様で、僕は、とても疲れました。

   

 

でも、子供達は皆とても元気でした・・・・・

    
 
夜、テレビのニュースを見ていたら、急に、最新情報として、昨日の空爆の第一劇により、フセイン大統領が死亡したか負傷した可能性がある・・・・・・という報道が流れた。 もし、そうだとしたら、イラク側の打撃は非常に大きなものだろう・・・・・・!!

     
 

      

      

2002-03-22(土)     曇のち雨      自宅(都内)     気温 (最低=4度、最高=12度)

 今日はお彼岸の中日。
 家内と2人でお墓参りに行って来た。

 僕は、お墓参りに行き、淀橋のオジサン家のお墓に行った時には、必ずといって良いほど、義郎さんのお墓の墓碑を読むことにしている。

 陸軍大尉 ○○義郎之墓

      陸軍大将 土肥原賢二書

 ・・・・・・正面の墓碑には、上のように記してある。

 墓石の横に回って見ると、次のような説明が彫られている。

  大東亜聖戦マレーゲータ州タンガニーカ飛行場西方
  一キロにて、昭和△△年十月十四日戦士す。
                     享年 二十三歳

 僕は、この墓碑を読む度に、とても淋しい気持ちに襲われる。

 まず、陸軍士官学校を銀時計(2番)という優秀な成績で卒業した義郎さんが戦死した年齢が、 23 歳という若い年齢であるという事。
 陸軍大将 土肥原賢二という人がA級戦犯である事。
 大東亜聖戦の「聖戦」という言葉は、現在のイラクなどで盛ん使われる「ジハード(聖戦)」と同義語であること。

 そんな事を考えていると、当時の日本が現在のイラクや北朝鮮とダブって見えて来る為に、そこはかとない寂しさを感じさせられるのかも知れない。

    
 ・・・・・・ここで話は代わるが、今日の朝刊に、フセイン大統領が20日のミサイル第一号の着弾点にいた可能性が高いという記事が載っていた。

      
 

      
 又、午前10時のニュースの最新情報でしったのだが、上記のミサイル攻撃により

    イブラヒム革命指導評議会副議長
    ラマダン副大統領
    マギド元国防相(フセイン大統領の従弟)

 の3人が死亡したというニュースが米 ABC 放送から流れた・・・・・・という事である。
 ・・・・・・この3人は、フセイン大統領の次に位置する No. 2 という事なので、もし、これが本当だとすれば、イラクの上層部は、可也の混乱を来たしている筈である。

    

      
2003-03-23(日)     晴     自宅(都内)     気温 (最低=5度、最高=15度)

 気候は日一日と暖かくなり、アチコチで梅が満開だが、僕の風邪のほうは相変わらずグチュグチュして、何かスッキリしない。
 それから、これは最近気が付いた事だが、暖かい暖房の風など、人工の風に当たっていると、喉の奥のほうが痒くなり、しきりに咳が出始めて来る。
 ・・・・・・僕は何かのアレルギーなんだろうか?

 夜、イラク TV の放映によると、昨日死亡説が流れたラマダン副大統領は無事だったとの事である。 又、併せて同大統領の写真が流された。

 一体、どうなっているンだろう・・・・・??


2003-03-25(火)    晴    自宅(都内)    気温(最低=9度、最高=19度)

 今日はとても暖かく、風邪の調子は急によくなった。
 ・・・・・・と思ったら、今度は、家内が風邪にやられてしまった。
 可哀想に、僕が彼女に風邪をうつしてしまったらしい・・・・

     
 

    
 我が家ではボケの蕾が膨らんで来ると、メジロやヒヨドリが花の蜜を吸いに来る。・・・・・・まして、花が満開になるとメジロは日がな一日、2〜3羽が蜜を吸っている。
 今日もそうである。

   

     
2003-03-26(水)    晴    自宅(都内)    気温 (最低=8度、最高=18度)

 ここ二三日の暖かさで、アンズが一気に満開になった。
    

     
 アンズの花はとてもキレイだけど、花期がとても短い(3〜4日)のが玉に瑕・・・・・・・
 きのうから風が強いので、もう明日になったら、だいぶ散っちゃう事でしょう。

    
 イラクの戦況は、依然、不透明である。
 最近では、フセイン大統領がしばしばテレビに顔を出しているので、大統領死亡説はどうやら、誤報だったようだ・・・・・・

     

      
2003-03-30(日)    晴     自宅(都内)     気温 (最低=5度、最高=14度)

 今月末で、塚田先生は中野桃園教会を辞任される。
 ・・・・ということは、今日のお話が・・・・先生が中野桃園教会の牧師としてお話をなさる最後のお話である。
 先生のお話が始まってから、その事に気が付いた僕は、礼拝堂をソッと抜け出して家にとって返し、デジカメを抱えて慌てて教会に戻った。
 ・・・・・・先生が、当協会の牧師として最後に教団に立たれた姿をカメラに収めて置きたかったからである。

    
 僕が先生から洗礼を受けたのは 1982年のイースターの日・・・・・今から数えると 21年前の僕が 46歳の事である。
 ・・・・・・それは、僕にとっては本当に思いも寄らなかった事であった。
 と言うのは、先生に初めてお目にかかる直前まで、僕は、毎朝のように臨済宗のお寺に参禅をしていたからである。

 そもそも、この私という男は、たしか大学2年の時に、初めてキリスト教の新約聖書と仏教の般若心経をてにしたが、その時以来 46 歳になるまで、この新約聖書と般若心経の解説書を繰り返し繰り返し、何十回となく読み返し、色々なキリスト教会にお話を聞きに行っていたのであるが、ついぞ、牧師先生や神父様の話に心を動かされた事が無かったのである。
 ・・・・・・と言うのは、教会に行って色々な先生方のお話をきいても、色々な教会用語や宗教用語が分らなかったし、お話をする先生方の態度が権威的で、偉い先生方らしい事は分るのだが、何かいつも上から見下ろされているような気がしていたからである。

    

塚田先生のお話は 30 〜 40 分続くのは当たり前!
 時によっては、1時間近くも続く事があります。
でも、その話の内容は分り易いのが特徴である。
       

 ・・・・・・それと、あと一つ・・・・・・どうしても分らなかったのは・・・・・・パンとブドー酒を戴く聖餐式などでは、受洗者と未受洗者が厳然と分けられている事であった。
 と言うのは、聖書をみると、イエスはいつも誰とでも食事をし、(自分達の事しか考えていないパリサイ人や為政者を除くと)誰とでも親しく話をしたと書かれているからである。
 

塚田先生の話が、なぜ分り易いかと言うと、
まず第一に・・・・・・話の中で、難しい教会用語が殆ど使われない事
第二に・・・・・話の視点が、聞いている人と同じ高さである事
に寄るのではないかと、筆者は考えています・・・・
 

 ・・・・そんな事があった所為かも分らないが、僕はいつの間にか、キリスト教に興味を失い、臨済宗のお寺の参禅に参加するようになっていたのである。
 丁度、この頃だったのである・・・・・・僕が初めて塚田先生にお会いしたのは・・・・・・・

 それは、1981-12-24 のクリスマス・イブの事でした。
 ・・・・・・たまたま、我が家の一人息子が、この桃園教会の付属幼稚園のお世話になっていたという理由で、クリスマス・イブの荷三日前から
 「うちのボク(息子のことです)がお世話になっているんだから、パパも今度の教会のイブ礼拝に出席してよ・・・・・・!!」
 と言われていたのである。
 その当時の僕は、キリスト教会の持つ慇懃無礼で権威主義的な態度が、何んとなく気に入らない為に、教会から遠ざかっていたのですが、家内からの再三の要請に、ヤットコサットコ重い腰を上げて
 (・・・・・・どうりゃ、それでは・・・・・・ここの坊主は、どんな話をするんだか・・・・・一丁、お手並み拝見と行くか?)
 と、冷やかし半分で、クリスマスの礼拝に出席したのである。
       

塚田先生の話は、クリスチャンとしての形に囚われないのが特徴である。
 ・・・・・・しばしば、親鸞の話が出て来たり、
現代の形式的な日本のキリスト教の在り方を批判したり
どう考えてもオカシイと我々が考えるものは、素直にオカシイと言う事である。
       
 ・・・・・・さて、その日の夜、教会のクリスマス礼拝に参加した僕は、この教会が・・・・・・今迄見てきた、数多くの教会と全く違った教会である事を知って、とても驚いた次第である。
 まず、第一印象がとても雑音が多くてウルサイ教会である事でした。
 牧師が話しているのに、ガキが走り回って、ウルサイ事この上なかったからである。


   (つづく)