2003 年 2 月の高原日記
居間にて
午前10時。
この間から、何んとなく風邪気味だったせいだろうか
朝食のあと気が付いたら、ひとり居間でボンヤリと突っ立っていた。
いつもだったら、次から次へと・・・・・・やらなくちゃいけない事が頭に浮かぶのに
今日は駄目・・・・・・!
頭の中に、靄(もや)が掛かったみたいに
考えがまとまらないし
体中に力が入らないでだるく疲れている
そばにあった籐椅子に腰を下ろし大きな欠伸(あくび)を一つファ〜ッとすると
アッと言う間に眠ってしまったようである
どの位、眠っていたのだろうか目を覚ますと・・・・・・・
飛び込んで来たのはいつもの居間の風景
ビビンガの木のテーブルがあって
オリズルランやシンビジュウムやチャランの緑があって
ナイトテーブルに載った陶器の電気スタンドの傘が懐かしい
気が付くと・・・・・・隣のダイニングからビートルズの音楽が聞こえて来る・・・・・・
CDかと思って、ボンヤリと聞くともなく聞いていると
突然、都内の交通情報が流れ出したので
「おや? これはラジオだよ・・・・・・」と気が付いた
(そうだ、さっき家内が油絵をかいていたっけ・・・・?)家内が油彩を画く時、
よくラジオをかけているのを思い出した僕は
先刻、彼女がダイニングテーブルの上に
ドッサリと油彩絵の具のチューブを運んでいたのを思い出した
・・・・・・そして・・・・・・思い出したように大きく息を吸い込んで、画材の匂いを嗅ぎとろうとした
・・・・・・そんなことは出来る筈もないのに・・・・・・
こうして、静かにラジオを聞いているととても素朴で単純なこの雰囲気を
ふと・・・・・・「いいな!」・・・・・・と思ってしまう
庭に面した大きなガラス戸に掛かった
昔ながらの白いレースのカーテンに
淡く斜めに差し込んでいる朝の陽光
いつも見慣れた朝のひとコマではあるけれど良く見ると・・・・・・
今朝の光は、今までに見た事のない
新しい朝の光であることに、ふと、気が付いた・・・・・・
「そうか・・・・今朝は今迄になかった新しい朝だったんだ!」
そう気が付いたトタン、僕は心の中で小さく小さく呟いていた「いいなあ!・・・・・・また、新しい朝が来たんだ!」
「・・・・・・そして、又・・・・・・新しい僕がいるんだ!」
って・・・・
2003-02-06(木) 晴 自宅(都内) 気温 (最低=2度、最高=9度)
昨日に比べると、今日は一段と冷え込んでいる。
・・・・・・でも、最低温度は2度だから、寒さはそんなに大したことはない筈だ。
それでも、こんなに寒くかんじるのは、風邪の所為なのだろうか?
午後、掛かり付けの福田内科に行き、風邪の薬と胃の薬を戴いて来た。
・・・・・・今日の夕食後から、薬を飲み始める事に致しましょう。夜10時。
近くのコンビニに コピーをとりに行った帰り道、家の前で立ち止まって、空をながめてみた・・・・・」
澄み切った空の下、風が強いのだろうか・・・・・・千切れ雲が、足早に通り過ぎていく。
その雲の遥か彼方・・・・・・南西の空にオリオン星座が、美しく輝いていた。
そして・・・・・・北東の天頂近くには乳白色の木星が鈍く光っていた。普段、余り、ユックリと落ち着いてお星様を眺めることはないけれど、気が付けば、こんなにも美しい星々が毎晩のように天空に輝いているのを知ると、もっともっと・・・・・・ユッタリとした人生を、何故、送れないのだろうか?・・・・・・と、フト思ってしまう・・・・・・
世の中は、全てこれ色即是空・・・・・・もっと無に徹した生き方をしたいものである。
2003-02-07(金) 晴 自宅(都内) 気温 (最低= 2度、最高= 9度)
風邪引きの誕生日。
気が付けば・・・・・・僕も今日で67歳・・・・・・常識的に言えば、人生の半ばは、とうの昔に通り越している。
・・・・・・でも、現実にはどうだろう?
週に3〜4回、合計8時間近くも卓球台の周りを飛び回り、暇があればパソコンのキーボードを叩き続け・・・・・・
夏がくれば蝶や蛾を追いかけ、ラジコン模型や釣りに夢中になったり、
すれ違ったキュートな女性からデイオリッシモの爽やかな匂いが漂って来ようものなら・・・・・・思わずドキンとして深呼吸をし、胸一杯にその匂いを嗅ぎ取ろうとしている僕!考えてみると、二十歳(はたち)台から何ら進歩していない、この自分・・・・・・である。
でも、こんな自分が僕は大好き!
特に好きなのは・・・・・・昔の僕より、今の僕のほうが・・・・・・お金に執着しなくなった事かも知れない!
夕方、家内とひとり息子の KR が、僕の誕生日を祝ってくれた。Happy birthday to you
Happy birthday to you
Happy birthday, dear Papa...........皆で歌って、紅茶で戴いたマロンの載ったチョコレートケーキ・・・・・・!
小さな小さなバースデーケーキだったけれど、家族が祝ってくれたケーキは本当に美味しかったです・・・・・・・!!
今日は次の2ツのページを立ち上げた。ピングポング
ワンダフル・バタフライ
前から気になっていたこの2ツのページである。
ピングポングの原稿は、原稿用紙にして300枚くらいのものが、我が家のどこかに転がっている筈だし、ワンダフル・バタフライは、昆虫雑誌 「月刊むし」 に約5年半にわたり連載された、原稿用紙にすると450枚程の読み物である。
・・・・・・どちらも原稿を打ち直せばいいだけの状態だが、クソ忙しい毎日のスケジュールである・・・・・・いつになったら終わるのかは、皆目見当が付かない。それにしても、オレって何故・・・・・・こんなに夢中になって、ホームページを作っているんだろう?
・・・・・・と思うことがある。本当に、何が面白くって、ホームページを作り続けているんでしょう?
2003-02-08(土) 晴のち雨 自宅(都内) 気温 (最低=4度、最高= 11度)
風邪の調子は余りよくない。
今日は、次の2ツのページをスタートさせた。
小海塾非公式ページ落ちこぼれの 集団疎開回想録
新しいページを開く事は簡単だが、それをどのように作り上げて行くかが重要な事だと思う。
2003-02-09(日) 晴 自宅(都内) 気温(最低=5度、最高=15度)
久方振りに、教会に顔をだした。
礼拝のあとの昼食後、皆で雑談をしている時に、H さんからアメリカ人の男の子と結婚した娘さんの夏帆ちゃんが、ホームページを作っているという話を聞いて、URL ( http://tisthammer.netfirms.com )を貰ってきた。帰宅後、早速覗いてみると、ペットの猫の話だとか、2人でタイに行った旅行記などのページの他に、
「妊娠しました」というページがあり、病院で撮って貰った超音波の体内写真が載っていて、
「ホラ、これが赤ちゃんなの!」
「これが足よ!」
「今、赤ちゃん下を向いているの!」
・・・・・・等など、英文の解説が入っているのには、正直言って、少しビックリした。
何せ、こういった写真は今迄に数回見たことはあるけど・・・・・・それ等は全て、今迄、全く知らなかった人のものだったし、しかも、それらの写真が全て単発的な写真ばかりだったので、余り、気にも留めなかったが・・・・・・今回は、夏帆ちゃんという、身近な存在の女性の追跡的連続写真だったので、本当に身近な現実的なものとして、この一連の写真が僕の心に迫って来たからである。
「・・・・・・これは、面白い・・・・・・!」
僕は、内心、思わず唸ってしまったが、
「これから、このお腹の中の子は、どのように成長していくんだろう?」
と、本当に興味を抱いた次第である。夏帆ちゃん、これからも時々、覗きに参ります。
・・・・・・では、又・・・・・・ネ!
2003-02-14(金) 晴れ 自宅(都内) 気温(最低=3度、最高=17度)
日中は、とても暖かい一日だった。
・・・・・・それもその筈、今日の最高気温は17度。
しかも、温度計というのは、普通は直射日光の当たらない所に置くわけだから、陽の当たる所だったら、20度以上は行っていたのではないかと思う。ところで、今日、掲示板を開いたら、naho ちゃま (No. 159) と pipi ちゃま (No. 162) から、グリーティング・カードとチョコレートが届いていた。
そう・・・・・・考えてみたら、2月14日はバレンタインデーである。
嬉しくなった僕は、naho ちゃまを豪勢な昼食に誘い、pipi ちゃまにはお店一杯の果物を送っちゃったよ・・・・・・両方とも jpeg チェーン店(?)のものだけどサ〜〜!
アハハハハハ・・・・・・・
それから、3日まえから登録を申請していた、「やつねっと Web リング」は、チップトップの清水さんの協力で、今日、登録が正式に認可されちゃいました。
この件では、本当にチップトップさんのお世話になりました。
・・・・・・って言うのは、僕が html のタグを全く知らないために、清水さんのアドバイスに従い色々とやってみたけど上手く行かず、最終的には、清水さんにアップロードをお願いする始末!
清水さん・・・・・・色々とお世話になりました。
これからも、ヨロシクお願い致します。
2003-02-15(土) 快晴 自宅(都内) 気温(最低=4度、最高=14度)
午後1時、東陽町の YMCA で、SON-Tokyo の総会と懇親会があった。
・・・・総会の方は、まず会長の挨拶に始まり、議長の選出、総会の定足数の確認など・・・・・・定款にのっとり一連の議事が進み、続いて2002年度の全体活動の総括ならびに2003年度の計画が事務局長より説明され、そのあと、スポーツプログラムの2002年度の総括と2003年度の計画が、新任のポーツプログラム委員長の中西さんから説明された。中西さんの顔を見た時、僕は、自分がデジカメを持ってきたことを急に思い出し、あたふたとリュックサックからカメラを取り出し慌てて何枚かのシャッターを切った。
中西さんは、SON-Tokyo 卓球の高田馬場練習場でいつも顔を合わせている人である。 それだけではない・・・・・・僕流に言うと、中西さんは実に不思議な人なのである。
・・・・・・とにかく、卓球に関しては滅茶苦茶に造詣が深く、世界的にも名の通った人であり、初心者を含め卓球ファンの技術指導に関しては・・・・・・兎に角、神様みたいな人なのに・・・・・・1対1でつきあってみると、全く偉振ったところが無いごく普通のピンポンジジ的な人としか思えないからである。
例えば、高田馬場の SON の練習場で中西さんがメグちゃんや、タッちゃんと・・・・・時によっては栄太君や我が家のひとり息子の KR とピンポン球を打っている時の中西さんの姿を見ると、兎に角、もう、本当に相手と一緒にピンポン球を打つのを楽しんでいるとしか思えないのに、時々、手を止めてアスリートの所に行って手をとり足をとりして与えるアドバイスが実に、壷を得ているからである。
・・・・・・僕が、慌ててカメラを彼に向けたのは、背後に、そういった事情があったからである・・・・・・!・・・・・・話が横道にそれてしまったが・・・・・・
その後、会計報告で 2 〜3 の質問、組織と運営の報告では・・・・・・ファンド・レイジングなど分かり難いカタカナの織名を、分かり易い日本語の組織名に変更してはどうか?・・・・・・などの質問が提出され、2時少し回ったところで総会は終了した。2時からの World game に出場するアスリート・コーチの壮行会を兼ねた懇親会では、司会者の紹介に引き続き、アイルランドの世界大会に参加する選手の入場と自己紹介・・・・・・
合唱団 ”ヴォイス オブ ハート”の皆さんの合唱・・・・・
いつも高田馬場で一緒に卓球の練習をしている日野君のオカリナ演奏・・・・・・
今回、初めて目にした森田赳人君の日本舞踊が披露された。
モーニング娘の曲に合わせたダンス・・・・・・が披露された。
一方の僕は、6月のアイルランドでホームステイをする N さんはじめ何人かの人達と知り合いになった。
いつも思う事だが、色々な人との出会いは、僕の人生をとても豊かにしてくれる。・・・・・・ホール中央のテーブルの上には、果物、鳥のから揚げ、フライドポテト、シュークリーム・・・・・・などが沢山並んでいたので、僕もKRも大好きなから揚げとポテトをたくさん食べて来ました。
2003-02−17(月) 晴 自宅(都内) 気温(最低=3度、最高=17度)
気が付くと、いつの間にか梅の盛りが終わっていた。
ここの所・・・・・・また寒暖の差が激しい日々が続いている。
ウッカリして、又、この間のように風邪を引かないように注意をする事。午後4時。
今日が原稿の締切日になっている「小海町の蝶」の原稿をメールで公民館宛てにメールで送り、ホッと一息をついた。
・・・・・・何せ、この頃、色々な雑用の為に、次から次へと時間を取られ、ホームページの更新も思うように捗らない。余りにも色々なことに頭を突っ込み過ぎているのだろうか?
・・・・・・ふと、そんな思いが頭を横切る今日この頃である。
色々な事に頭を突っ込み過ぎると、自分の周囲の事どもをサラサラと流す事が出来難くなることに気が付き始めて来ている。簡素に、簡素に、生きなくては・・・・・・そんな囁き声も聞こえる昨今でもある。
午後6時、高田馬場の SON-T の卓球練習場着。・
着いてみると、千葉県の安藤君、鈴木さん、難波コーチがもう到着していた。
安藤君、鈴木さんも今年6月にアイルランドに遠征をする仲間である。
安藤君はシェーク(裏・裏)。
鈴木さんはペン(表一枚)。
・・・・・・中西コーチが安藤君、鈴木さん、KR の3人のコーチに当たって下さった。後半、3人の総当たり戦をやったが、僕が思った通り、KRは鈴木さんのナックル系のボールが少し処理しにくかったようである。
・・・・・・ところで、今日も3人がコーチを受けるのを薄着のままズッと見ていた為に、体をスッカリと冷やしてしまい、マタマタ、ひどい風邪模様!
これからは、他人の卓球を観戦するときの服装に十分注意することにしよう!!
2032-02-18(火) 曇時々雨 自宅(都内) 気温(最低=5度、最高=6度)
何んという一日!
最低気温が5度で、最高気温が6度などという・・・・・・冷え込んだ一日!朝起きたら、案の定、ヒドイ水っ洟!
・・・・・・もう完全なお風邪さんである。午前中、福田先生に診て貰って、風邪薬を戴いて来た。
本当に、寒さに弱い、こんな自分が情けない!!
今夜、卓球の練習に行く (if possible, though !) 時の服装には、十分に注意をしましょう!
・・・・・・ところで、このお薬は先生に訊いてみたら、抗生物質ではないとの事!
安心・・・・・・しました。
2003-02-19(水) 晴 自宅(都内) 気温(最低=3度、最高=8度)
相変わらず寒くなったり暖かくなったりの天気が続いている。
・・・・・・でも、着実に春は近づいている。気が付くと、我が家のボケにも花がつき始めていた。
俳句に梅一輪、一輪ほどの暖かさ
というのがるが、ここ2〜3日は、まさに、そんな風情の日々である。
話は変わるが、我が家では、家族3人とも体を動かすのが好きである。
たとえば今日などは
10am 〜 2pm 僕が沼袋のカタオカ・スポーツで卓球を
4pm 〜 6pm 家内が Tac でエアロビックスを
6pm 〜 9pm KR がカタオカ・スポーツで卓球をやって来た。
・・・・・・僕なんかは、チョット風邪気味だが、それでも体を動かさないと気持ちが悪い。そう、確かに3人3様・・・・・・家族全員が、元気に明るく毎日を動き回っている。
・・・・・・このひと事だけをもってしても、あり難いと言わなければならないと思う。
神様、有難うございます・・・・・・チョン・・・・・・!!
2003-02-20(木) 曇 自宅(都内) 気温(最低=3度、最高=8度)
生まれて初めて、国会(衆議院)のやりとりを傍聴席で見学した。
傍聴席というのは、天井桟敷みたいな所にあるが、今日は生中継も行われるとあって、各社のTVカメラ、写真機等が傍聴席の前のほうに陣取っているため、傍聴席からの視界は余りよくない。
本日の議題は「政治とカネの関わり」について・・・・・・
質問者は、民主党の長妻昭代議士ほか・・・・・・いつも思う事だが、ことカネの事になると、自民党の先生方の答弁はどうも明快さが欠けている。
やはり、僕の長年の夢である「2大政党政治」を、日本でも花開かせる為に、更に一歩民主党の先生方に頑張って頂きたいと心から願っている次第である。
・・・・・・僕は、最近の民主党が益々好きになって来ている。
管直人、橋口、長妻昭・・・・・・など、とても分りやすい議員が少しづつだが増えてきているからである。
つい、この間、民主党を飛び出して自民党に里帰りした議員さんがいるが、ああ言った輩が、民主党から居なくなって・・・・・・正直言って、本当に有難かったと思っている。話は変わるが、僕は長妻昭という代議士が物凄く好きである。
・・・・・・何故?・・・・・・かと言うと
物凄く分りやすいからである。
企業献金は、全く貰っていないし、何事もよく勉強しているからである。何年か前、中野駅前で演説をしている彼のいう事を聞いていて、色々と興味を持ち、後援会にも顔を出して話を聞いてみると、言ってる事と・やってる事が、兎に角、綺麗に一致するからである。
僕は単純な人が好きである。
表と裏のない人が好きである。
誤魔化さない人が好きである。
明るくて健康な人が好きである。
人の痛みが分る人が好きである。
自分の事しか考えない人は大嫌いである。・・・・・・だから、長妻昭が大好きなんでアリンス!
それにしても、平沢議員みたいな人がもっと増えないと、自民党は本当にダメになっちゃうよ〜!!
2002-02-21(金) 晴 自宅(都内) 気温(最低=3度、最高=15度)
世の中は広いようで狭い!
・・・・・・こんな事を思い出させるようなことが1日の内に2回起きた今日の一日でした。伊藤さんと、教会幼稚園!
伊藤さんは最近、SON-T 高田馬場の卓球教室に新しいコーチとして参加されたかたである。 もともとは新聞記者だが、難病を3ツも抱えた娘さん「麗ちゃん」との21年間の闘病記録を、芳賀書店刊の「この子と生きる」(二十一年間の笑顔をありがとう)という本にまとめられた方である。
・・・・・過日、上記高田馬場の卓球教室の中西コーチが僕の所にやって来て、
「この本、物凄い本だよ・・・・・・あなたも読んでみてよ」
と言って、伊藤さんから戴いたという本を、僕に貸して下さった。
・・・・・次の日から、暇を見つけては、少しづつ同書をよんでいるが、その途中、何回僕は涙を流した事だろう・・・・・・というのは、我が家でも ID (知的障害)の一人っ子 KR の事で、色々な苦労があったからである。 しかも、伊藤家の麗ちゃんの場合は、我が家の KR にくらべると、遥かに大変なご苦労をなさったことが、よく分るからである。・・・・・・ところが、今日のことである。
この本の P.78 を読んでいた僕は、桃園教会幼稚園に麗ちゃんが1年ほど通園した事を知って、思わず
「アッ・・・・・!」とオドロキの声を上げてしまった。
・・・・・・というのは、我が家のひとり息子 KR も、この幼稚園で3年間を過ごし、小・中・高を経て現在にいたるまで、ズ〜ッと桃園教会の礼拝に出席して来たからである。
「何んたる偶然・・・・・・!!」
この次、伊藤さんに会ったら、その事を話してみよう・・・・・
それにしても、世の中・・・・・・は、広いように見えて何んと狭い事だろうか!!
それから、もう1件・・・・・・・
午後8時過ぎに、八千穂村の黒澤信夫さんから電話があった。
今年の夏、僕がお世話になっている世田谷区の卓球同好会 LYPP (Love your ping pong)の皆さんが小海町のフィンランド・ヴィレッジに一泊旅行をする事を企画中であるが、この旅行が実現した暁に・・・・・・八千穂村の卓球クラブと LYPP の皆さんとの親善試合をしませんか?・・・・・・という事を僕は八千穂村側に提案にして来たが、今回の電話は、提案に対する答えを伝えて下さる為の電話だった。
黒澤さんの答えは前向きのもので・・・・・・面白いからやりましょう!・・・・・・という嬉しい返事で、日にちについても、幾つかの選択肢を伝えて下さっていた。・・・・・・さて、その話の後のチョットした雑談のあと、黒澤さんが電話越しに言いました。
「実は、3日ほど前に、用があって東京の五反田に行ってきたんですよ・・・・・・」
・・・・・・
五反田と言えば、以前、僕が勤めていたS社の本社があった所である。そこで僕は黒澤さんに聞いてみた・・・・・・」
「・・・・・・また、何んだって五反田なんかにいらしたんです?」
「いえ、私の会社の本社があるもんですから・・・・・・」と黒澤さん。
「え〜〜っ? ホントですか? 実は、僕が以前勤めていた S 社の本社も五反田にあるんです? 黒澤さんのお勤めの会社は何んていう会社なんですか?」
「西口にある T という会社なんです・・・・・!」
「エ〜〜〜〜ッ? 西口にある T 社ですかあ〜? オッドロイタな・・・・・・コリャ〜ッ・・・・・・もう! じゃあ大楽っていう男がいませんか、その会社に・・・・・・?」
と言うと・・・・・ビックリした黒澤さんの声が受話器から聞こえた・・・・・
「エ〜〜〜ッ? 居ます、居ます! でも・・・・・・どうして知ってるんですか、大楽さんを?」
黒澤さんの声は、明らかに驚愕そのものを表していた・・・・・・
「イヤ〜・・・・・・彼はねエ! 高校時代のクラスメートなんですよ!」
こう前置きしてから、僕は、この旧い友人の事を、こう説明した。僕は、船乗りになりたくて東京商船大学を卒業したけど、高校は都立五商なんです。
・・・・・・彼、大楽兄も、同じ高校から私立大学を卒業後、高見沢サービスに就職したが、僕と彼は昭和29年卒業の3年G組のクラスメート同士。
現在、彼は、毎年7月に開かれるクラス会の永年幹事をしているので、今年も、間もなく彼から連絡が入る事と思うが・・・・・・等など・・・・・・と説明をしたら、受話器の向こう側にいる黒澤さんのオドロクこと!勿論、僕自身も本当に
「・・・・・ア〜、ビックリシタヤノコウトクジ(あ〜、ビックリ下谷の高徳時)・・・・・・」である!世の中は何んて狭いんでしょう!!
2002-02-22(土) 雨 自宅(都内) 気温(最低=4度、最高=7度)
ホテル・ニューオータニのガーデンコートにて、SON (Special Olympics Nippon) の総会が開かれた後、感謝状の贈呈式があり、我が家のKRを含めたアスリート達が感謝状の授与のお手伝いをしました。
そのあとで、赤坂飯店で、懇親会が開かれ僕とKRも参加させて頂いた。
僕達のテーブルは8人ほど、色々な話題に花が咲いて楽しい夕食会でありました。
この席で、僕の左隣に座っていたのが KR 、更にその左隣に座ってらしたのが日本アムウェイ社会貢献本部副本部長の岩城さんと仰る、美しい妙齢のご婦人。
・・・・・・僕の右隣は空席だったため、僕は、いきおい、KR と2人で岩城さんと話をすることになりましたが、今日は、何かとても不思議な夕べでした。大体、こういった席上では、我が家の KR は黙々とご馳走を食べるのが普通なのだが、今夜は、その KR が隣の岩城さんと一生懸命に話をしているのである。
「・・・・・・・・??」
・・・・・・僕は驚いて、時おり二人の話に耳を傾けていたが、その間の事情は、どうもこんな具合だったらしい。
当初、岩城さんが
「卓球、面白い・・・・・?」
と、 KR に聞いて下さったのが切っ掛けとなって
「はい、面白いです・・・・・・・」
と答え、その答えに興味を持った岩城さんが、又、次の質問をなさり、それに KR が
「はい、・・・・・・です」
と返事をする。途中、僕が別の人とチョット話をして、 KR の方を見ると KR は、テーブルクロスの上に人差し指で、何やら図面を書きながら岩城さんに一生懸命説明をしているのである。
「だから・・・・・・ここの所で、右や左に体を移動するときには瞬発力が必要で、そのエネルギーはナントカカントカに比べると、70%くらいになるんです。 そして・・・・・・」
と、体力エネルギーの話を夢中になって岩城さんに説明しているのである。
(ウワッ・・・・・・弱っちゃったな、コリャ〜、岩城さんに迷惑掛けちゃうよ・・・・・・!)
と、半ば匙を投げ出していると、岩城さんは、そんな事をきにする事も無く、 KR に質問を続けていらっしゃる。
(ホントにどうしよう?)
と思っていたときに、彼女と目が合うと、岩城さんは目を丸くして
「こんなに色んな事、お子さん、どこで勉強なさったの・・・・・?」
と、聞かれたので
「イヤ〜、百科事典や、色々な医学関係の書物から集めて来るらしいんでよ・・・・・・! そして、その話をお世話になっているお医者さんの診察を受けるとき、その話を全部、その先生に話すんです。 ところが、先生が ”オッ! それは先生が、学生時代に勉強した事と同じだよ・・・・・・! よく勉強したネエ!” などと仰るものだから、息子は増す々々、一生懸命にレポートを作っちゃウンですよ!! スミマセン、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
と言うと、
「いや、オドロキマシタわ! ・・・・・・卓球から出発して、こんなに色々な事を、ご自分で勉強なさってるなんて・・・・・・!」
と仰って下さいました。お蔭様で、普段、自分の研究(?)の成果を聞いて貰えなかった KR は、こんなにも沢山聞いてもらえてベリーハッピー!
家に、帰ってきても
「今夜は、ご飯もとても美味しくて、とても楽しかったです!」
を連発していました。岩城さん!
本当に有難う御座いました・・・・・・!又、何処かでお目に掛かれたら・・・・・・と願っております!
2002-02-23(日) 曇 自宅(都内) 気温(最低=5度、最高=9度)
東京都障害者総合スポーツセンターにて、東京都障害者卓球選手権大会に参加。
予選リーグDを2位で通過、決勝トーナメントへ。
予選リーグG1位のカットマンと対決、0 - 3 で敗退。予選リーグでフルセットの末に破った2人の選手も、どっちが勝ってもいい位に上手な人達だった。
KRは本当によく戦ったと思う。
2002-02-24(月) 雨 自宅(都内)
高田馬場、山の手卓球にて、SON-T の練習日。
今日は新しいアスリートが1人参加した。
試合も出来そうな、とても元気な子。
僕がサーブの構えをして
「ヨーシ、行くぞ・・・・・!」
と言うと、
「ヨーシ、やるぞ!」
と大きな声で言うような子。
その子が来たため、練習場が急に賑やかになりました。最近、栄太君がドンドンと上達してきている。
つい先々回までは、全然ソッポの方向に打っていたのに、今では、やさしくこちら側のコートに返球して来る。それから日野君、めぐみちゃん、博君もラリーが続くようになって来ている。
本当に素晴らしい。練習後、男性4人で、一杯やりながら話をする。
話に花が咲いて、気が付くと真夜中少し前。
慌てて解散したが、家に帰ってみると、メールが10本近く届いていて、至急連絡を・・・・・・というのが数本あった。
これからは、遅くても11時くらい迄には、帰宅するようにしよう。
2002-02-25(火) 曇ときどき晴 自宅(都内)
とにかく、この頃は、雑事に追われて高原日記も、まともに書くことが出来ない。
今日もそう。
気が付くと、食卓の上に、未整理の郵便物がうず高く溜まっているので、整理を始めたら、瞬く間に、時間がどんどんと経過、アッと言う間に半日が過ぎてしまった。
その中の、一通に、何回、読んでも意味のよく分らない郵便物が1通あった。1時間ほど時間を掛けて読み直した結果、その意味は
「金融機関 T 行が倒産し、別の金融機関 C行が、その後を引き継いだ・・・・・」と言うことを言っているのだ。
・・・・・という事にしか過ぎない・・・・・・というが分って来た。全くオヤオヤである。
2002-02-26(水) 晴ときどき曇 自宅(都内) 気温(最低=6度、最高=13度)
朝から春のように暖かい一日。
今日も朝から、雑事の多い一日だった。
息子と一緒に、眼科に出掛け、その後で、今度は別の科の医院に・・・・・・
その他、銀行に2回出かけ、帰り掛けに 100円ショップに立ち寄ったり・・・・・・本当に雑事に追われた一日でした・・・・・・!!
話は変わるけど、今年もシジュウカラがアンズの木のエサ台にヒマワリの種を食べに来ている。
・・・・・・あんまり可愛いので、一枚写真を撮ってみた。
その後で、掲示板に、この写真を載せ、こんな書き込みをしました。
pipiちゃま!
naho ちゃまンチの掲示板に、貴女のカキコが無いので、いたずら書きをしてきました。 ・・・・でも、怒らないで下さい!
貴女のカキコが無いと、何故かチョッピリ淋しいからです・・・・クシュン!!
皆様へ:
最近、我が家のアンズの木につるした、ヒマワリの種を食べに来るシジュウカラの写真を紹介致します・・・・
このシジュウカラは、毎年、2〜3羽のヒナ鳥を、同じアンズの木に掛けた巣箱の中で育てて行きます。
でも、この幼鳥を狙ってやって来るのが、近所の野良猫たち・・・・
その頃になると、筆者と野良猫たちとの知恵比べが始まります・・・・今迄に、何回かヒナ鳥が猫に捕まった事があります。
そんな時は、涙がでる位に悔しいです!!
ですから、ホウキで野良猫のお尻を叩いたときの気持ちよさ・・・・
全く、ヤッホーです!
2002-02-27(木) 晴 自宅(都内) 気温 (最低=●度、最高=●度)
昨日、N 先生から頼まれた英語の手紙を訳そうとしたら、見慣れない単語にぶつかった。
事の経緯を話すと、とても長い話になってしまうので、その筋書きは伏せて置くが、いずれにせよan official Police Certificate of good character
なるものを至急に用意して提出して欲しい・・・・・・という内容である。
今迄の人生で、色々な事にぶつかった事はあるが、警察が証明するこんな証明書を要求されたなんて言う話を聞いたのは、これが初めてである。
時おり、ビザの発給に、この種のものが必要になるケースはあるが、N 先生が出掛ける相手国はビザを必要としない国である。
いずれにせよ、
「・・・・・・今迄に、法律に触れるような事はしたこともないし、危険な思想も持っていない・・・・・・ようするに善良なる市民である事を、警察が公式に認めた証明書」みたいなものを至急に送って欲しいと言う内容の手紙であった・・・・・・ところで・・・・・・分らない事があったら、すぐに、誰でも良いから分りそうな人に聞くのが僕の得意とするところ!
早速・・・・・・昨夜おそく、事情を書いて英語の達人の S 氏にメールを送っておいたら、今朝の11時少し前に、同氏から電話があり、
「・・・・・・久方振りだから、お昼ご飯を食べながら話をしない? お昼ごはんを作っておくから・・・・・・」
との事。
「え? いいんですか? じゃあ、お伺いします・・・・・・」
と、受話器を置いて、正午少し前に S 氏宅にお邪魔しました。待っていたのは、僕の大好きなボルシチにカリカリのバゲット!!
・・・・・・僕はトマト料理が大好きである。
お陰で、僕は3杯もお代わりをしてしまいました。その間、英語の手紙の分らないところを伺ったり、S 氏の軽井沢の別荘の話をしたりしてたら、瞬く間に2時間ほどが過ぎてしまい、2時過ぎに我が家に舞い戻ってきて、2通の手紙の翻訳に取り掛かり、6時過ぎには訳文を N 先生宛てにメールで送信する事ができました。
明日は、残りの 和文→英文の手紙の翻訳をしましょう。
2002-02-28(金) 晴のち曇 自宅(都内) 気温(最低=4度、最高=13度)
春のように暖かい一日。
午後2時、桃三にて集団疎開懇談会に出席したが、出席者は 16 名ほど。
出席者は、昭和19年当時の国民学校 6 年生から 2 年生まで・・・・・・現在の年齢でいえば 70 〜 65 才という年齢層の人達である。
ところで、この集会に出席するたびに、町内の顔見知りの人達が、こんなにも沢山いろいろなお寺に分散して集団疎開してたなんて!・・・・・・という思いを抱いたものだったが、今日もまた改めて、その感じを持った次第。
僕の右隣に座った、僕と同学年だった女性の I さん(旧姓 O さん)も無量寺に集団疎開をしていた事が分って、本当にビックリ。さて・・・・・・懇談なかばにして、座長の西村さんから
「ちょっと、インターネットの話を説明して頂けませんか?」と、声が掛かったので、この HP の
「落ちこぼれの集団疎開回想録」
の構想を話したら、何人かの人達が興味を持ったようだった。
・・・・・・特に、最年長の旧 6 年生の人達に興味を持った人達が多かったのは、ホントに意外でした。午後4時、解散。
解散後、何人かの人達が僕のところにやって来て、HP とインターネットの事について質問をしていった。
帰宅後、直りかけていた風邪がまたブリ返した感じ・・・・・・
今日の懇談会では、風邪引きの人が多かったようだったが、その関係もあるのかな?夜。
N 先生から頼まれた日本語の手紙を英語に訳して、午後11時過ぎにメールで送信をした。
なんか・・・・・・この2〜3日、英語ばかり触っていたような気がするけど・・・・・・午前2時。
今日は、何か、とても疲れた感じで寝床に入りました。
・・・・・・そう言えば・・・・・・話は変わるけど・・・・・・今日で2月は終わりなんだ〜!!