2003 年 1 月の高原日記
2003-01-01(水) 雪のち晴 自宅(都内) 気温 (最低=4度 最高=7度)
「ファ〜〜〜ッ!」
大きな欠伸をして、寝返りを打ち、それから片目を開けて、電話台の上の目覚まし時計を見る。
「ン・・・・・・・?」
ホントはもっと寝ていたいのだが
「おいおい、もう10時を回っているぜ・・・・」
・・・・・・独り言を言いながらボソボソと上半身を起こし、それから、もう一度
「ファ〜〜〜ッ!」
と大きな欠伸をして、両腕を天井の方に力一杯引き伸ばす。
・・・・・・・・
そしたら、肩の関節が小さな音でポキリと鳴った。これが元旦の朝の目覚めである。
パジャマを着替えて階下に降りると、家内はもう、とうの昔に起きてお雑煮の準備をしていた。
「やあ、お早う・・・・・!」
「あら、お早うございます」
・・・・・・今年は喪中なので、僕も家内もお互いにオメデトウは言わない。
と、急に思い出したように家内が言った。
「今はもう止んじゃったけど、今朝、雪が降っていたわよ・・・・・・」
「え? ホント?」
「うん、ホント・・・・・6時くらいから、9時くらいまでかなあ? ・・・・積もらなかったけど・・・・・」
・・・・・・
家内の声に合わせるように、テレビでも
「元旦に雪が降ったのは45年振りです」
などと、盛んにいっている。・・・・・・
・・・・・・
それから暫くして起きてきた息子を交えて、お雑煮を戴く。
・・・・・・僕は、お餅が大好きである。
「美味しいねえ・・・・・!」
家内の心づくしのお雑煮と、お正月の料理を戴きながら
(・・・・・静かで、素敵な元旦だ!)
心の中で沁み沁みと思う。本当に静かなお正月・・・・・・・
午前中はお正月のテレビ番組などを見て過ごし
遅い昼食後は、一家三人で、セブンブリッジでトランプを楽しんだ。夕方近くになって、僕が去年の手紙やら写真を持ち出して、整理を始めたら
「そうだ・・・・・・私もやろう・・・・・・っと!」
と家内も、写真や書類を持ち出してきたので
二人で、ワイワイ言いながら書類の整理をする事2時間余り・・・・・・・・・・・・・こんな風にして、新しい年の元旦は過ぎて行きました。
別に取り立てて言う程の事も無い、静かな元日。
でも、こんなお正月が、本当に幸せなお正月なのかも知れない。夜、メールを覗くと、ヒュッテの近くでよくお会いする青木さん、写真家の青山さん、それからマリなどからメールが届いていた。
本当に、オレって幸せな男だとおもう・・・・・・・
2002-01-03(金) 曇一時雪 自宅(都内) 気温 (最低=0度 最高=2度)
兎に角、寒い一日だった。
午前中、箱根駅伝の復路のTV番組を見ていたら、我が家の庭に雪が降り始めた。
と・・・・・それと時を同じくして、TVの画面の駅伝ランナーの上にも、チラチラと雪が降り出した。
・・・・・・驚くなかれ、今日の最高気温は、摂氏2度!見ていたTVの画面でも、雪がますます盛んになって、見るからに寒そう!
駅伝の結果は、1位:駒沢大 2位は山梨学院大 ・・・・・・・でした。
この雪の中、ランニングシャツとパンツで 21km を走る選手の皆様、本当にご苦労様でした。さてさて・・・・・ここで、パソコンの方は、Yahoo に登録してあったサイトの URL を
http://www.avis.ne.jp/~yatake
↓
http://www.angel.ne.jp/~ptylitza
・・・・・・に変更して下さるように、新しいプロヴァイダ宛にメールを発信し、その後、更に 2 つのプロヴァイダ Goo と Infoseek に、新たにサイトの登録をした。
夜、メールを覗くと、八ヶ岳山麓在住の陶芸家池端さんよりメールが届いていた。
池端さんは、このサイトの「高原の芸術家達」のコーナーでも紹介されている、大学時代は理論物理を専攻し、数年前にヨーロッパの陶芸展で Silver Plate を受賞した有名な陶芸家なのである。
送られて来たメールは下記の通り、愉快なメールである。昨年来何回か電話しましたがお留守みたいですが、東京でしょうか。
今年の冬は特に寒いようで、薪木の消費も例年になく早いようです。春まで心配です。
電話しましたのは、近頃電動ラジコングライダーを始めまして、これがとてもおもしろいので
お誘いの話です。元旦に電線に翼を引っかけただいま修理中ですが直しましたら又連絡します。
本年もよろしく
このメールを読んだトタン、僕は嬉しさのあまり大声で笑い出し、早速、同氏に返信を発信した。
メール有難う御座います!
RCグライダー、大変興味あります。
今年は、色々な事情があり、新年を東京で迎えています。
暖かくなったら、そちらに行き、グライダーを2機作成の予定です。
1機は小型、もう1機は中型機です。
どこで飛ばしているんでしょうか?
1飛行、何分間くらいですか?
上昇気流は順調なのでしょうか?
・・・・・そのうち、小海町でRCグライダー大会を始めませんか?
目下のところ、それが夢です!
最新の飛行情報をお待ち致しております。
正直な話・・・・・・僕はまだ1機も作った経験はないが、池端さんは、もう3〜4機を作って飛ばしているはずである。
そして・・・・・・彼も又、未だに少年らしさを失わない、僕の素敵な友人の一人である。
ブラヴォー!!
2002-01-04(土) 晴 自宅(都内) 気温 (最低=1度 最高=12度)
午後、何年振りかで一家3人で、雑司が谷の鬼子母神に初詣に出掛けた。
僕はクリスチャンなので、初詣に出掛けても、具体的にお参りはしなが、初詣の雰囲気は大好きだからである。
家内と息子は、3人で出掛けるのが嬉しいらしい。
・・・・・・そんな2人を見ていると、改めて家族の絆を感じさせられる。
地下鉄東西線で、早稲田まで行き、都電荒川線で鬼子母神前下車。
都電を降りると、駅の近くから太いケヤキ並木の表参道が鬼子母神まで続いている。
その雰囲気が好きで、写真を何枚か撮ってきた。帰途、我が家の近くの不二家で生シュークリームを買って来て、帰宅後、紅茶を飲み、団欒しながら戴いた。
・・・・・こんな事もささやかな一家の幸せである。来週、Paint Shop Pro をインストールしたら、今日取ってきた写真を日記に載せることにしよう。
2002-01-05(日) 晴のち曇 自宅(都内) 気温 (最低=2度 最高=9度)
今日、掲示板「麦わら帽子」に、Angel.ne.jp の自然コーナーに登録されている HP 「三千子の部屋」 (No. 551) の作者の書き込みと、写真の貼り付けがあった。
もとはと言えば、一昨日僕が彼女のHPを偶然に訪問をした際、彼女のHPを素敵なHPだと思い、その旨のコメントを彼女の掲示板に書いて置いたことが、そもそもの切っ掛けとなっているのである。
・・・・・・彼女のHPは、僕のHPと違って、性格的にもずっと素直で人の心を癒すような雰囲気を持っている。明日の仕事始め以降、僕のHPがこのカテゴリー内に登録されると、多分、彼女のHPと僕のHPは「お隣さん同志」か「ご近所さん同志」になるのではないかと思うけど、もしかすると、これから先、素敵な「お隣さん」になって頂けるかも知れない・・・・・・等と、獲らぬ狸の皮算用的なことを考えている昨日(きのう)今日である。
ところで、話は変わるけど・・・・・・Win XP にアップグレードして以来、僕のPCは本当にフリーズしなくなってしまったが、その所為だろうか、最近はHP作りが以前に比べると、また一段と楽しくなって来ている。
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
でも、困ったことに、その事に関して
「・・・・・・ホームページ作りが、ドウシテこんなに楽しいのだろう?」
・・・・・・と、何回か大真面目に考えてみた事があるのだが、その理由が、今ひとつ・・・・・・どうもハッキリしないのである。
別に、そんな事は突き詰めて考える必要もない事なのかも知れないが、そんな事もあってか、ここ暫くの間、何んとなく座り心地の悪さみたいなものを感じ続けていたのである。ところが・・・・・・たった今、今日の日記を書き始めたところ、急にその意味がハッキリして来たのです。
そう・・・・・・それは、ひと言でいってしまうと・・・・・・
ホームページ創りの最高の幸せというのは・・・・・
素晴らしい友達に出会える可能性に、いつも恵まれている!・・・・・・という事に、遅まきながら気が付いたからではないかと思います。
今、僕は、彼女はどう思っているか知らないけれど・・・・・・お隣さんに出会えた事を、とても嬉しく思っています。
その理由を、これから正直に書いてみたいと思います。・・・・・当初 1997 年当時、僕が、このHPを開いた一番大きな理由というのは、周囲の友人達の驚く顔が見たいという茶目っ気が半分・・・・・・残りの半分は、今はやりのインターネットなるものが、どんなものであるかを知りたい・・・・・という好奇心ではなかったかと思います。
しかし、HP開設後、色々なHPをサーフしているうちに、今度は、アクセスカウンターの数字が増えて行くスピードに興味を持つようになって来たのです。
でも正直な話し、この興味は長くはつづきませんでした。・・・・・・と言いますのは、ヘアヌードやアダルト関連のHPのアクセス数ときたら一晩のうちに、500 〜 1,500 位のヒット数は極く当たり前・・・・・・と言うことが分って来たからです。
そんな事が分って来ると、カウンターの数に対する興味は一挙に半減し、代わりに
「いい HP とは、どんなHPなんだろう?」
と、考えるようになって来たのです。でも、その設問は無理な設問だという事がすぐに分りました。
・・・・・・と言うのは、
そもそも、HPの性格などと言いますものは、人間の性格と同じように、十人十色、千人千色・・・・・・であり、人間を「いい人間」、「悪い人間」と簡単に割り切る事が出来ないのと同様、HPも「いいHP」と「わるいHP]に簡単に分けられないものである事が直ぐに分って来たからである。
ホントは、もっと書きたいのだが、
もう夜も遅くなって来たので、また明日つづきを書くことにします・・・・・!(明日につづく!)
2002-01-06(月) 晴 自宅(都内) 気温 (最低=0度 最高=8度)
今日は、一日を掛けて GoLive6.0 の FTP で、サイトをプロバイダー ( Angel.ne.jp ) のサーバーにアップロードしようとしたが、残念ながらうまく成功しなかった。
去年の年末の27日の日記にもあるように、FFFTP を使えば、自分のWEBサイトをサーバーにアップロード出来るのであるが、僕としては GoLive6.0 でホームページを作っている関係上、出来れば、GoLive のFTPを使って、アップロードをしたくて仕様がないのである。!・・・・・・・・・・・
プロバイダの Angel net の言うところによると、「ユーザ名、WEBサーバー、ホームページディレクトリィ、パスワードがキチンと入っているので、アップロードはキチンと出来る筈である。 だから、タイムアウトのエラーメッセージが出ないように設定をし直せば、GoLive でもアップロードが出来る筈ですが・・・・・・」
と仰るし・・・・・
GoLive 側は
「FFFTPでアップロードできるのに、GoLive で出来ないとすれば、GoLive の設定と FFFTP の設定の何処かが違っているはずである。その違いをプロバイダさんに聞いてみて下さい」
と仰る。
ただ、GoLive の方々は、
「お客様のユーザ名、WEBサーバー、ホームページディレクトリィ、パスワードを使って色々と実験をしてみましたが、Angel さん以外の他社のサーバーには繋がるんです。 ・・・・・・でも、Angel さんには、どうしても繋がらないんです。 それから、MAC と Fetch を使って同じ事をやってみたのですが、これでもつながらないんです・・・・・・・!!」
との事。
一体、これは、どういう事なんだろう?
まあ・・・・・・・・FFFTP を使えば、何んとかアップロード出来るので、当面、FFFTP を使ってやって行く積もりだけど・・・・・それにしても、何か釈然としないし・・・・・なにか腑に落ちないところもある!まあ、時間を掛けて、暫くの間、様子をみる事にしよう!!
(昨日のつづき!)
「良いホームページ」、「悪いホームページ」の評価が簡単に出来ないとするならば、ホームページの評価というものは何を基準にして考えたらいいのだろう?
・・・・・・これが、僕にとっての次の問題であった。かなり長い間、僕はこの問題について考えていたが、ついに、この問題についても明確な答を得ることができなかったのである。
というのは、この問いは
「・・・・・・人間の存在意義を評価するとしたら、その評価基準は何によって裏打ちされるべきなのだろうか?」
という、問とほぼ同じ意味合いを持つ・・・・・・・という事にも気が付いて来たからである。ただ・・・・・・その間・・・・・・私がこの問いに対して、答えらしきものを得たとするなば、それは・・・・・・・
「ホームページの価値というのは、そのHPが読者に何を訴えようとしているのか?」・・・・・・
また、
「その読者が、そのHPから何を得たか?」
という事実によって、その評価が大きく分れるのである・・・・・・という事であった。換言すると
「その読者が、”ああ、こんな素晴らしい生き方をしている人がいる!”、とか、”ああ、自分もこんな生き方をしてみたい・・・・・”という様な、希望とか夢とかエネルギーを、そのHPから与えられるかどうか・・・・・・?}
という事が、一番だいじな事なのではないだろうか?・・・・・・と、私は考えるようになって来たのである。
その結果、「僕が一番好きなホームページ」というのは”見に来い、見に来い”と、肩に力を入れ続けているようなHP”でもなく
”物凄い勢いでカウンターの数字を増やしているようなHP”でもなく・・・・・・
”地位・名誉・財力・家柄・・・・・・などなどをヒケラカスようなHP”ではサラサラなく”過去の哀しい出来事の思い出や、未来に対する不安に引きずられる事無く・・・・・・今、与えられた、この現在という一瞬を何んの衒 (てら) いも、力みも傲慢さもなく、素直にサラサラと清流が流れるように生きたい! という気持ちを、沁み沁みと心の中に育ててくれるようなHP”・・・・・・が、僕の一番好きなホームページである・・・・・・と言えるのではないかと思う。
・・・・・・・・・
こんな風に思い始めてから、もう久しく永い事・・・・・・・僕は、色々なHPを眺めて来たけど、そういった気持ちを沁み沁みと沸き立たせて呉れるHPには、余りたくさん出会った事がない・・・・・・・というのが事実である。
・・・・・・ところがである、昨年の師走のこと、僕が新しいプロバイダ・・・・・・今、こうして接続している Angel Net に引越しをして来た時、その自然カテゴリーの中で見付けた「三千子の部屋」を読んで行くうちに
「あ・・・・・・こんなHPがあるんだ・・・・・・・!!」
と、思わず独り言をつぶやいたのである。そう・・・・・そのHPこそ、以前から、僕が(こんなHPがあったらいいのにな・・・・・・!)と思っていたようなHPだったのである。
静かで清楚な雰囲気のトップページから、リンクで案内される写真館・草花のページ・バドミントンのページ等など・・・・・・・!!
写真も素敵だけれど、各ページに(決して流れるような美文ではないけれど!)一生懸命に書かれた文章が、なかなか味わいのある素敵な文章なのである。
ホントに何んの衒いも、そして、何んの奢り高ぶりもない・・・・・・素直で暖かい文章!僕は、その読後感を、彼女の掲示板にかんたんに纏めて書いておくことにした。
そしたら、翌日の夕方、僕のカキコに対する Res が書かれていたのである。
・・・・・・その返事を読んでみて思ったのであるが、三千子さんという人は、どうやらとても素直な感じの人らしい !
僕は、まだ彼女の顔も知らなければ、歳も知らない・・・・・・・
知っているのは、バドミントン・コーナーに書かれていた、彼女の住んでいる県名と町の名前くらい・・・・・・・でも、もしかしたら、長い間、沁み沁みとした友達でいられるかも知れない・・・・・という様な感じの人なのである。
正直な話し・・・・これから先、お互いに友達になれ、その先も長い間、いい友達でいられればイイナ・・・・と希うことしきりであるが・・・・
それは神様(筆者はクリスチャンです・・・・・・煩悩にまみれてますけど!・・・・・・)だけが知っている事ではないかと思います。
・・・・・・だから・・・・・・矢張り・・・・・・・・・・・・そう・・・・・
ホームページ作りをしていて、一番たのしいことは
素晴らしい友達が出来ることである!・・・・・・・・という事だけを、胸の中で暖めつつ、素直にHPをつくり続けるのが、一番の幸せである・・・・・・
そんな事を沁み沁みと感じている今日この頃です・・・・・・!!
2002-01-07(火) 晴 自宅(都内) 気温 (最低=1度 最高=7度)
今日、生まれて初めて、息子のKRと一緒にジョギングをして来た。
このジョギングを始めた切っ掛けは、今年6月、アイルランドのダブリンで開かれる、スペシャルオリンピックス世界大会の卓球部門に出場する息子の脚力が強くなるようにと、世界に名を知られた往時の名選手の中西コーチが、スペシャル・メニューとして私ども親子に下さったものである。
今日のコースは我が家の南西1kmほどの所にある、蚕糸の森公園までの往復。
午後3時、我が家のサザンカが咲く塀のまえで、息子と2人して軽い準備体操をしたあと、ユックリと2人で走り始めた。走り始める前までは、まかり間違っても、息子に引けをとることはないと思っていた僕は、準備体操が終わると
「・・・・・・ヨーシ、行くぞ・・・・・・!!」
と、大声で檄を飛ばしたのだが・・・・・・・
ものの 300m も走らない内に、もう15m程も水をあけられてしまう始末。それでも・・・・・・何んとかしようと頑張ってはみたけれど、兎に角、脚力がまるきり違うのである。
「こん畜生め〜!」
と思って、足を前に出そうとしても、思った歩幅の半分くらいしか脚が伸びないのである。大通りの信号待ちの所でヤット息子に追いつく、この自分・・・・・・
それでも、どうやらこうやら、蚕糸の森公園に着いたのはいいが、兎に角、もう息が上がってしまっていて、トテモジャナイケド、公園の中を一周する余裕なんかありません・・・・・・!!
・・・・・・そこで・・・・・・
「パパはここで待ってるから、お前、一人で一周して来いよ・・・・・」
と言って、息子が帰ってくるまで、兎に角、一休み!!こんな調子だから、帰り道だって、全く話しにならないような状態!!
家に帰って、家内に今日の話しをしてみると
「歳の所為だわよ、だって、66歳と28歳じゃ、40歳近くも年が離れすぎているんだもの・・・・・・」
そう言って彼女の笑うこと、笑うこと笑うこと!・・・・・・次回からは、MTB(マウンテンバイク)に乗って伴走することにしようか・・・・・・・ナ?
2002-01-08(水) 曇 自宅(都内) 気温 (最低=●度 最高=●度)
今日、初めてカタオカスポーツの水曜日の卓球教室に出掛けてみた。
他の日は、多球練習が主となっているが、水曜日はオールラウンドの練習がある。
今日、行ってみたら、このオールラウンドの練習がとても面白かったので、これからは水曜日に出掛けることにしたいと思う。帰宅、午後3時。
遅い昼食を食べてから、パソコンに PaintShop Pro7J をインストールした。
全て、インストール・マニュアル通りなので、とても気持ちがいい。
インストールした後、この日記を書いているけど、依然としてフリーズは全く発生しない。
・・・・・・時折だが、あるソフトをインストールすると、トタンにフリーズを起こし易くなるソフトがある。
この PaintShop Pro7J はインストール後、まだ、全く使用してないので、まだ、全てOKという訳ではないが、何んとなく、感じはよさそうである。この PaintShop Pro7J のほかにインストールしたいものは、あと2ツ・・・・・・・
Cakewalk Music Creator と Master Clip 51,000 の2ツである。
この2ツをインストールしても、フリーズ・フリーだといいんだけど・・・・・・・
2003-01-10(金) 晴 自宅 気温(最低=1度、最高=12度)
午前中、チョットした用事があったので、家内を2人ででかけ、サンモールの裏のボナペーティート・パパで石釜焼きのピザを食べて来た。 勿論、僕がたべたのはピザ・マルゲリータ・・・・あのトマトが一杯入ったヤツである。
僕はピザが大好きである。それを知っている家内が、この店に僕を誘って呉れたのである。
店に入ってみると、明るいイタリア風の感じが好ましい。お客さんは、殆どが女性で、そう・・・・男性は僕の他に2人ほど・・・・あとの15人程は全部が女性である。
家内は、キノコと野菜のピザを注文した。
僕と家内は、食事をしながら、よく話をする。
・・・・程なく焼きあがってきた、ピザの味も結構おいしい。
ペチャクチャと話をしているうち、ふと、家内が言った。
「ここだったら、お友達と来られそう・・・・」
「うん、いいね。 友達と一緒に来たら・・・・?」
食事が終わり、家内が会計を済ましている間、僕は、調理人がその奥にある石釜の中のピザを、長さ 1 メートル半ほどの柄のあるヘラを使って焼き具合を調べているのを、興味深く見守っていた。
店を出ると、次の角まで一緒に歩いて来てから、お互いに言った。
「じゃあね・・・・」
「うん、じゃあね・・・・気を付けてね!」
二人とも、次のスケジュールが待っていたからである。
夜、10時。
・・・・パソコンの大チョンボをやってしまった。
パソコンを使っている時、チョット居眠りをしている間、どれか分からないけどキーを押しっぱなしにしていたらしいのである。
カーカカッカカカカ・・・・!
「あ、ヤバイ・・・・・!!」
パソコンの異常音に気がつき、ビクリと目を覚ました僕は、慌てて、キーボードから手を引き払い、そのあと不安な気持ちで、オッカナビックリ・・・・いくつかのキーに触ってみた。
・・・・何せ、この Win XP は、まだよく馴れていないので、何が起こるかわからないからである。
「ナーンダ、大丈夫じゃないか・・・・・!」
2〜3分、キーボードを触っていた僕は、別に普段と何んの変わりもないパソコンの状態に安心して、高原日記の続きを打ち始め、20分ほどして、その日記も打ち終わり、パソコンをADSLを介してサーバーに繋ぎ、書き上げたばかりのファイルをアップロードしようとしたそのとき、
・・・・あれ程、調子の良かったパソコンが突然、フリーズしたのである。
「あれ、オカシイ・・・・・!」
ドキンとした僕は、30秒ほど様子を見ていたが、
(こりゃ〜、イカンワイ・・・・まあ、シャーナイから、ソフトを強制終了してから、再起動をかけようか・・・・)
Win Me 時代にやりなれていた通り、ctrl + del + alt のキーを押してみたら・・・・なんと、フリーズ状態が一層悪くなったじゃありませんか・・・・
「アリャリャリャ・・・・?」
そう、口の中で呟くと、僕は、今度は電源キーを2〜3秒押し続け、パソコンを強制終了して10秒ほど待ってから、パソコンのスイッチを ON にしてみた。
Win Me だったら、この後、ディスクチェックの横棒進捗グラフが出て来る筈である。
・・・・と思っていたら、突然、物凄い分量の英文の注意書きが、パソコンの下から競り上がってきたのである。
「ウワ〜、こりゃ〜大変・・・・!」
僕は、次々にスクロールアップされて来る英文に瞳をこらした。
曰く。
このパソコンは、強制終了されたので、どこかディスクに問題があるかどうか、チェックしなければなりません。このチェックは、しない事も出来ますが・・・・・
そういったコメントが、数ページにもわたってスクロールアップされて、読み終わらないうちに上の方に消えて行くのである。
そのうちに、
「%’&?=#$(英文、読み取れなかった)・・・・を行います」
と表示が出て、カウントダウンの数字が表示された。
見ていると、8,7,6,5,4,3,2,1 と数字が減って行く。
何か分からない%’&?=#$の部分の英文は、とうの昔にスクロールアップされて、全く読むことが出来ない。
「アチャー、どうしよう?」
(何か訳の分からないものをされても困るし・・・・・)
パソコンに、未確認の事をされる事にアレルギーになっている僕は、
(どっちにしても、Cancel のボタンだけは押しておこう)
と思いつつ、キャンセル・ボタンを押してみた。
そして、再再度、PCを再起動して様子を見る事にした。
・・・・そしたら、状況は更に悪化されているじゃありませんか・・・・!
(これは、オカシイ・・・・絶対に!)
そう思った僕は、早速、F 社のテクニカルサポートに電話をかけてみる事にした。
話は変わるけど、F 社のテクニカルサポート陣は、本当に素晴らしい!!
何故かといくと、『24時間・土日なし』の体制で、ユーザーに対応して呉れるのである。
しかも、その対応が実に懇切丁寧なのである。
・・・・だから、我が家のパソコンは2台とも、F 社だし、友達に聞かれた時も、その事を理由にして・・・・F 社のPCを薦めている。
話は横道にそれてしまったが・・・・・
夜中の12時近くだというのに、応対に出てきた男性は、実に辛抱強く30〜40分ほど、一緒に色々と考えて下さったのである。
・・・・そして、その結果は・・・・
「機械の方ですが、かなり致命的なダメージを受けています・・・・・」
とのご託宣!
その言葉を聞いた瞬間、僕は思わず大きな声を上げてしまったほどである。
・・・・・
それから、僕は15分ほど、そのサポート担当者に色々な質問をして、次のような事を学んだのである。
その内容たるや、Win XP という OS は、下記の通り、Win Me 時代の通念とは、かなり違った特性を持った OS である・・・・・ということであった。
● XP は Me のように、DOS の上に構築されていない。
● したがって、Me の時には、OS に何かが起きても、DOS の部分は生きていたので、全てが駄目になるという事は、無かったが、XP の場合は、その DOS の部分が無くなってしまったので、一度、何か不具合が起きると、根幹の部分から OS が壊れてしまう可能性がある。
● XP の良い点は、DOS のように、余計なものが無いため、当然の結果として・・・・動作がずっとスムースで、フリーズなんかは、Me に比べると圧倒的に少なくなっている。
● XP 使用中に、フリーズが起きたときは、Me の時のように簡単に強制終了を書けずに、とにかく、パソコンを10分〜15分、そのままにしておき、様子を見ることが肝要。どうしても駄目な場合には電源を切るより仕方が無いが、それは出来るだけ、避けること。
● 特に ADSL に接続状態の時に、電源を切る事は、最後の最後まで避けることが肝要。もし、ADSL に接続中に、電源を切ると、OS が駄目になる確率がかなり高くなる。
との事であった。
ここまで、説明を受けた僕は、本当にただひと言。
「よく分かりました。 本当に有難うございました・・・・・!」
と、心からお礼を言った次第である。
そうと分かれば、もう後に思い残すことは無い・・・・!
「よーし、じゃあ、又、リカバリをやり直そう・・・・!!」
次の瞬間、僕は、そう考え始めていた・・・・。
問題点は、ただ一つ・・・・・
Me でリカバリをかけたあと、そのまま Me で使うのか?
Me でリカバリをかけたあと、再度、XP にアップグレードするのか?
・・・・・である。
2003-01-11(土) 晴 自宅(都内) 気温 最低=5度、最高=11度)
午後、千歳船橋の卓球の集まり LYPP に出掛ける。
年が明けてから初めての練習とあって、ほぼ全員が出席した。
何人もの人が、お正月を挟んで体重が増えて、動き辛くなったと言ってたけど・・・・そう言われると、成るほどと言う感じがしないでもない。
でも、皆さん、元気そうだったので、とても嬉しかった。
練習後の、話し合いも済んでから、中西先生のお宅にお邪魔しました。
用件は、パソコンの使い方の説明に・・・・・
先生の PC の OS は Win XP なので、幾つか説明できない事があったけど、先生とPC を囲んでのやりとり・・・・・楽しいひと時を過ごさせて頂きました。
それにしても、先生は僕と同年代なのに、パソコンに夢中になるとは・・・・先生も、好奇心旺盛なガキンチョみたいな所があるようだ・・・・・イイ事、イイ事!!
2003-01-12(日) 晴 自宅(都内) 気温 最低=2度、最高=11度)
午後2時。
一昨夜の PC クラッシュの復旧作業が始まった。
まず・・・・リカバリをかけ、それから各種ソフトのをインストールする。
スタンダードのプレ・インストールのソフトのインストールから始まって、PC Card ドライバー、GoLive 6.0 、Quick Time 4.0 やら 5.0 ・・・・全部終わったのは、真夜中過ぎでした。
いつも思うけど・・・・インストール方法の説明書が分かり難いと、本当にイライラさせられるものがある。 要するに、どれだけ利用者の立場に立って、物事を考えているのか・・・・という事になると思うが、自分たちが分かっていれば他人も分かっている筈だ・・・・という気持ちが見える、取扱説明書には、本当に腹が立つものである!!
2003-01-13(月) 晴 自宅(都内) 気温(最低=3度、最高=11度)
何年ぶりかで、上野動物園に息子と2人で出掛けてみた。
今日は、成人の日の休日のせいか、来園者が多いため、どの檻も人だかりが多く結構見るのが大変だったけど、動物園はいくつになって来て見ても、それなりに楽しむ事が出来るものである。・・・・・・その中でも、見ていて面白かったのが、王様ペンギンで・・・・・・
眠るときには一様に突っ立ったまま眠るのは知っていた僕だったけど、写真のペンギン達が、足元のコンクリが冷たい所為か、足の指が冷えないように、カカトで立って、つま先を上にあげている姿が、とても可笑しかったです。
・・・・下の写真でそれが分かるといいんだけど・・・・
・・・・ところで、動物園で動物をみるのは勿論とても楽しかったが、今日は、もう一つ、とても愉快なオミヤゲがついていたのである。
それは・・・・・・去年から、東京都で始めた大道演芸プロのパフォーマンスが見られた事である。
・・・・・・場所はタマタマ、僕たち二人が通りかかった動物園前の広場・・・・余りの可笑しさに、息子と二人でゲラゲラ笑いながら見物しました。
もうご存知の人もいるかと思いますが・・・・・・これって、都知事からキチンと鑑札(たしか50人だったと思います)を貰った正規の商売・・・・なんでです!
だから、こうした広場なんかでも、ご覧のようにパフォーマンスが出来るという訳です!この事を知ったのは、だいぶ前のTVのニュースでしたが・・・・・・その時から、ホントに長いこと、見たい見たいと思っていたものだったので、こうして見られたのが、とても嬉しかったです!
観客の中の有志に手伝って貰い、
3本目の青竜刀を受け取ろうとしている演芸師
この後、この3本の刀を一人で上手に宙に投げ上げては
上手に受け取る芸を披露するのである。
ちなみに、ショーが終わったあとの帽子の中には、沢山の硬貨とお札が入りました。
それが、とても、嬉しかったです。
・・・・そして・・・・
その後で、石原都知事って面白いヤツだって思いました!
2003-01-16(木) 晴 自宅(都内) 気温(最低= - 1 度、最高= 6 度)
今朝は、今冬で一番の冷え込み・・・・・・我が家の最高最低温度計は、マイナス 1 度を記録した。
ところで、昨日、McAffee のアンチウイルスをインストールして、僕のパソコンがヤットの事で、過日のクラッシュから復旧したと思った途端、今度は、家内のパソコンが、これまたアッと言う間にクラッシュしちゃったのである。
全く、何んてえ事・・・・・・!!
マタ、マタ、マタ、マタ・・・・・・リカバリをしなくちゃ〜〜〜〜!!
2003-01-18(土) 晴 自宅(都内) 気温 (最低= 2 度、最高= 14 度)
最近、・・・・・・グラフィックや音楽(パソコン)の事を、もっと勉強しなくちゃ・・・・・・としきりと思うようになって来ている。
・・・・・・その切っ掛けとなっているのは、お隣の三千子ちゃまや彼女のお友達のホームページを見ていて、色々な刺激を受けている所為ではないかと思うが、人間、色々な刺激を受けて、新しい事に興味を持つことはとても素晴らしい事・・・・・・幸い、僕のパソコンは PaintShop Pro 7 と Music Creator のインストールも済んで、完全なフル装備状態・・・・・・
これからは、本当に色々なことに挑戦して参りましょう・・・・・・
2002-01-19(日) 曇り時々晴 自宅(都内) 気温 (最低=2度、最高=9度)
午前11時。
東京駅の待合場所「銀の鈴」で、 SON (Special Olympics Nippon) の村上さん、世田谷区の H さん親子、それから我が家3人の計6人が初顔合わせをした。
去年、2回ほど行われた事前説明会に、我が家ではどうしても都合がつかず、2回とも出席することが出来なかったからである。・・・・・・その後、近くの喫茶店に入って6人で話すこと小一時間。
村上さんから、今までの経験談を伺う事が出来、本当によかったと思う。
話を聞いているうちに、6月のアイルランドで開かれる世界大会が一層、身近なものに感じられるようになって来た。そして、僕が初めて経験する9日間のホームステイ・・・・・
本当に、この年になって、初めて知る膨るる思いの憧れと幸せである!KR・・・・・・どうも有難う!
2002-01-21(火) 雨のち晴 自宅(都内) 気温(最低=3度、最高=9度)
四、五日前に家内のパソコンがクラッッシュした。
・・・・・お蔭様で、今日は朝から家内のパソコンのリカバリに取り掛りっきり!
真夜中までやったけど、全体の 60% が終わったという所だろうか?
まだまだ、時間は掛かりそうである。プロバイダが Angel になってから、掲示板に書き込みが多くなって来ている。
書き込みを読むのも面白いし、返事を書くことも楽しい・・・・・!!
何んとなく、この輪が拡がって行けばイイナって、心から、そう思います!あ、それから・・・・・メールとホームページの URL が変わった事を、皆さんに連絡しなくてはいけない事を、たった今、思い出しました。
ウワ〜、大変だア・・・・・・!!
2002-01-22(水) 晴 自宅(都内) 気温(最低=2度、最高=9度)
今日も終日、家内のパソコンのリカバリに追われる。
・・・・午後2時、どうやらこうやら、家内のPCは、買ってきた状態まで復旧したようだ。
でも、ここからが、まだまだ道程は長い。LAN Card のドライバをインストールして、Explorer / Out Look Express の設定をして、McAffee をインストールしてから、やっと周辺機器の接続である。
まだまだ、チョット時間は掛かりそう〜〜!!
夕方、Angel.ne.jp に電話をして、OutLook Express のトラブルを解決して貰った。
・・・・・・でも、電話で話すこと、約1時間。プロバイダのサポート担当者には、本当にご迷惑をお掛けしてしまった。
今後は、2度と、このようなトラブルを起こさないように注意をしたいと思う・・・・・・・・・・・
ところで・・・・・・
・・・・・・・
このトラブルの発端は、こんな具合であったのである。
僕のメールボックスには、時折、アダルト商品を紹介するメールが届く事がある。
・・・・つい、昨夜もそうだった。モザイク無しの素晴らしい写真。
ピントも抜群です。http://www...................
というような内容のメールが届いたのである。
普段、この種のメールが届くと、僕は、内容をロクスッポ読みもせずに、削除してしまう。
でも、この日のメールには今後、メールの配信をご希望で無い方は、
「ここ」をクリックして、あなたのメールアドレスだけを書いて返信して下さい。・・・・・・という一文があったので、
(ああ、そう? ・・・・・・・それでは、このフォームを利用しましょう・・・・・)
と心の中で呟いて、「ここ」という文字をクリックして、自動的に表示されたメールフォームに、自分のメールアドレスだけを書いて、送信ボタンを押した。
と・・・・・・その瞬間である。
僕のパソコンのメール機能が、一瞬のうちにフリーズしてしまい、一切の機能が停止してしまったのである。「・・・・・・・?」
僕は、慌てて、OutLook Express を閉じ、再度、起動しようとしたら、一応の画面が出て来ることは出てくるのであるが・・・・・そのあと、突然
「ポ〜〜ン!」
と音がして、黒いビックリマークが入った黄色い三角形が画面に表れ、エラー(5xxx)が発生しました。 ナントカカントカ(忘れました!)をチェックして下さい。
というようなコメントが出て、再び OutLook Express が仕様不能になってしまうのである。
時間をみると、午前1時過ぎである。
プロバイダに連絡しようにも、この時間では、連絡不能である。
「チェッ・・・・・クソッ!」
と、舌打ちしたものの、現実には、手の施しようが無い。
仕方なく、一夜が明けるのを待って、今日の午後・・・・・僕は、最近変わった、新しいプロバイダ angel.ne.jp に電話を入れ、相談をした。
・・・・・・ところで
今までの avis.ne.jp のサポート担当者もそうだったけど、今度の angel.ne.jp のサポート担当者も、とても親切である。
・・・・・・電話でトラブルの相談をすると・・・・・
パソコンを起動させた後・・・・・お互いに電話で話し合って、どうしたら良いかをアドバイスして下さる。
・・・・・・
僕は言われるままに OutLook Express のアチコチを20箇所くらい開いたり閉じたりして、全ての文字やパスワードを新しく再入力し・・・・・・1時間近く掛かって、やっと、OutLook Express が再起動できるようになったのである。
この復旧が終わったとき、僕は、思わず受話器に向かって
「イヤ〜、本当に有難う御座いました・・・・・・!」
と、大声で叫んで、頭を下げてしまった程である。
今度、この様なアダルト・メールが届いた場合・・・・・・僕は、2度とメールアドレスだけの返信をせず、ウインドウズ>送信者を禁止する
・・・・・を利用する積もりである。
今日の日記をお読みの皆様方に於かれましては、この種のメールにはくれぐれもご注意下さい!!
これで、今日の日記を終わります!
フゥ〜〜〜、疲っかれた〜・・・・・!!
2002-01-24(金) 晴 自宅(都内)
午後2時。
桃三小で、集団疎開の集まりがあった。昭和19年、戦火が激しくなって来たため、子供達を爆撃の目標とされている大都会から地方に分散させるという目的で行われたのが、学童の集団疎開であるが・・・・・・今日の集まりは・・・・・・当時の桃園第三国民学校から集団疎開をした経験者が集まって、皆で話し合いをしようというを目標にしているものである。
当時、桃三から集団疎開をした疎開先は、伊那谷の九つのお寺さんが中心となっているが、今日、集まったのは、その中の七つのお寺に集団疎開した13人で、その内訳は・・・・・・昭和19年当時の6年生が9人、5年生が1人、4年生が1人、3年生が1人、2年生が1人という顔ぶれである。
・・・・・・さて・・・・・・こういった所に人が集まると、大体、思い出話がその大勢を占めることになるが、今日の集まりもその例外ではなく、あんな事があった、こんな事があった・・・・・・というような話が殆どだった。
・・・・・・ところで 皆さんが話をしている内容に耳を傾けてみると・・・・・・今日のこの集まりの切っ掛けとなったのは、無量寺に疎開した5年生の西村さんが、「集団疎開の会」の副理事長をしている事と、2年生の平野さんが当時の日記を本にして発行された事によるものらしい。
・・・・・・そして・・・・・・最後になったけど・・・・・・
今後のこの会の具体的な活動は、各寺ごとの自主企画に任せる・・・・・・という事になった。
僕が当時、疎開したのは長野県上伊那郡東箕輪村南小河内の臨済宗の寺、普済寺だったが、今日の出席者の中で、普済寺に疎開したのは、僕と長島の栄ちゃん・・・・・の2人だけ・・・・・・
栄チャンは
「普済寺の事は、アッキューさん(当時の筆者の綽名)のホームページに載せたらいいと思うけど・・・・・・」
との事。
これにたいして、僕は、
「いいですよ・・・・・でも、どういった形にするのが、一番いいのか・・・・チョット考えさせてみて下さい」
と返事をした。・・・・・・集団疎開と普済寺のこと・・・・・・
僕の心の中では、いつか・・・・・・そのうち、普済寺で過ごした1年3ヶ月の集団疎開生活をまとめて、このサイト上にアップ出来たらと考えて来たので、栄チャンの提案に反対する理由は全くない!・・・・・・この話、これから・・・・・・このホームページ上で何ができるか?
・・・・・・を真面目に考えてみたいと思う。
2003-01-25(土) 晴 自宅(都内)
午前10時。
王子の東京都身体障害者スポーツセンターに着くと、すぐに受付に行って、今日の身体障害者新春卓球大会のエントリーの手続きを済ませると、僕と息子の KR はロッカールームで、揃いの卓球ウエアに着替えた。
・・・・・・毎年、恒例の新春卓球大会であるが、僕と KR が親子でチームを組んで出場するのは、去年に継いで今年で2回目。
・・・・・・試合会場に入ろうとすると、入り口の所で、カットマンの川上さんに出会った。
「やあ、今日は!・・・・・・元気だった、一年間? 」
・・・・・・大きな声で言って、手を出すと
「やあ、・・・・・・今年も会いましたね・・・・・・!」
僕の声に、こちらの方を向いた川上さんは破顔一笑。右手を差し出して、僕の手をギュッと握ると、懐かしそうに元気な声で返事をした。・・・・・・川上さんと僕・・・・・・この二人は、去年の大会で、運命的な出会いをしているのである。
というのは・・・・・・僕の人生で初めて親子で出場した僕と KR のペアは・・・・・・3回戦で当たった、この川上さんと、そのパートナーの車椅子のプレーヤー山村選手のペアに、1−2 で敗退していたからである。 負けた理由はただ一つ・・・・・・要するに僕達親子が弱かったからである。話は変わるが・・・・・・僕と川上さんは、2人ともカットマンである。
去年の試合では、シングルスで当たった彼との試合は、1−2で僕が敗れているから、彼の方が優秀なカットマンだという事になる。
・・・・・・カットマンというのは、その戦法が特殊な為に、他のカットマンを見ると相手の技術に興味を持つものらしいが・・・・・・正直な話、僕はこの川上さんという男に出会えた事をとても幸せだと思っている。
と、いうのは・・・・・・川上さんと僕が共にカットマンだという近親感以外に・・・・・・彼が車椅子のパートナーのコーチになり、そのパートナーと一緒に試合に出て来るという・・・・・・本当に人間らしい、彼の心の温かをとても美しいと思っているからである。その彼と、今日の試合で、再度当たるかどうかは予選と、その後のトーナメントの結果如何である。
当たった時は、当たった時・・・・・・お互いに全力で戦うしか道は無い・・・・・・
「・・・・・・今年も元気一杯、頑張りましょう・・・・・・!」
「頑張りましょう」
二言三言(ふたことみこと)話した後、僕たちはもう一度、大きな声で挨拶をしてから別れた。
僕達親子がエントリーした C グループの試合が始まったのは、それから1時間ほどした11時過ぎから・・・・・・B グループの予選が終わってからの事だった。
C グループの出場チーム数は25チーム・・・・・・僕たちは、その中の何処まで上がって行けるだろうか?
予選リーグは、3チームづつの8リーグ・・・・・・各リーグの上位2チームが決勝トーナメントに勝ち進む事が出来・・・・・・・決勝トーナメントは16チームの間で争われる。今年のチーム戦も、去年と同様・・・・・・一番手が息子 KR のシングルス、2番手が親子で組むダブルス、3番手が僕が戦うシングルスである。
予選リーグは、第1ゲームを 2 - 0、第2ゲームを 2 - 1 のスコアで、1位で通過。
続く決勝リーグは 1 回戦を 2 - 0、2回戦を 2 - 1 のゲームカウントで勝ち上がったが、3回戦の準決勝に進んだときに当たったチーム「シュワッチ」の主選手が以前よく、一緒にプレーした強敵の K 選手。
「・・・・・イヤ〜、こんな所で会うとは、全くオドロキだね〜!!」
「ホント、ホント・・・・・驚いたね〜、コリャ〜・・・・・!」
と、お互いに挨拶をして、卓球台の彼我に分かれてゲームを始めたが・・・・・・
この戦いも、息子の KR がよく戦い、第1ゲームを 3 - 0 で、第2ゲームのダブルスも 3 - 1 で勝ち、2ゲームを先取して、我々が明日の決勝に進む事になったが、もし、どちらかのゲームを落として、第3ゲームを K 選手と戦ったら、もしかしたら明日の決勝に進むことが出来なかったかも知れない。
・・・・・・その事はゲームが終わった後、K 選手が何回か
「・・・・・・今日の試合、八岳さんと戦いたかったな〜!!」
と、何回か言っていた事からも、分かる所である。今日の試合結果は、5チームと当たり全勝したが、数えてみると・・・・・・息子の KR が戦ったゲーム数は10ゲーム、僕の戦ったゲームはいつの間にか7ゲームにもなっていた・・・・・・これをセット数にしたら、息子の KR は30数セットも戦っているのである。
そして、7ゲームの僕でさえ、こんなに疲れているのだから、KR はどれほど疲れていることだろう・・・・・・?
そんな事を考えつつ、帰りの電車の中で・・・・・・
「今日・・・・・・疲れた・・・・・・?」
と訊いたら
「・・・・・・・うん、疲れた・・・・・・!!」
と本当に疲れたような声で言ったのが、いささか不憫に思えて仕方が無かった。
「でも・・・・・・明日は、団体の決勝戦の他に、シングルスのトーナメントがあるから、今日は早く寝ようね・・・・・・明日は、もっと大変だよ・・・・・・!!」
と言うと、
「うん・・・・・・でも、一生懸命にやるよ・・・・・・・ボク!」
と KR は返事をしたが、その声には、明日の試合を楽しみにしている気持ちが溢れていたので、僕は思わず言ってしまった。
「よし・・・・・・ファイト!」
「はい・・・・・・僕、頑張ります!」その声を聞くと、疲れきっていた僕は両目を閉じて、電車の音に耳を澄ませた。
新宿に向かう埼京線は、夜の池袋〜新宿間をノンストップで疾走している。
(でも・・・・・・どんなに疲れても、ヤッパリ、負けるよりは勝つ方がいい!)
意識が半分朦朧(もうろう)としている頭の中で、フト、僕はそんな事を考えていた。
2002-01-26(日) 晴 自宅(都内)午前10時、身体障害者新春卓球大会C級シングルスのトーナメントの火蓋が切って落とされた。
今日、シングルスに出場するのは息子の KR だけである。
エントリーしている選手の数は57名。
それぞれ勝ち上がって来た選手に6連勝・・・・・・6回戦まで勝ち続けないと優勝にはならないのだ・・・・・・
しかも、勝ち上がれば勝ちあがるほど強い相手に当たるのである。1回戦は、無事通過したが、2回戦が物凄い熱戦になってしまった。
・・・・・試合後、改めてトーナメント表を眺めてみると、この2回戦で当たった聴覚障害のM選手(女性)は、ベスト4以内のシード選手だったようである。
兎に角、何処に球を打っても確実に帰って来るのである。
1セット目は、彼女のバックを狙ったロングサーブから、バックラリーへと展開するケースが多く・・・・・彼女が、バック側によったところで、フォアへのスマッシュが得点に繋がるケースが多く、第1セットは KR が先取。
第2セットは、KR が相手選手を左右に振っても、相手選手はこの打球を粘り強く受け続けた結果、微差で KR がこのセットを落としてしまった。
・・・・・・この2セットを見ていて感じたことは、お互いに相手の球を確実に返球することに神経が行っていて、強打をしていない事に気が付いた。
そこで・・・・・・
「いい球が来たら、兎に角、打って行け・・・・・・いいか肘を使って、遠心力で力一杯打って行くんだ・・・・・・!! 1球や2球、失敗しても構わないから、兎に角、いい球が来たら打って行くんだ・・・・・・」
と指示を出したところ
第3セット以降は、KR の強打に対する相手の返球が、オーバーミスになる事が急に多くなり、第3〜第4セットを KR が連取して、3回戦に進む事になった。
でも、家内の言葉によると・・・・・・ゲーム終了後、息子が家内に言ったそうである。
「今の人、物凄く上手かった〜〜!!」って・・・・・・3回戦は、余り苦労することなく勝ち上がり、続く4回戦がチョット変わった試合になってしまった。
・・・・・・と言うのは、バックのラリーになると、物凄い勢いでスマッシュして来るのである。これには、バックラリーに自身のある KR もいささか押され気味。 辛うじて、第一セットを先取したが、第2セットは、相手のバックスマッシュに押されて、落としてしまった。
でも・・・・・・
「・・・・・・??」
気が付くと、相手選手のバックは実に素晴らしいのだが、フォアのラリーが何んとなく不安定である。
第3セットでは
「バックサーブだけじゃなくて、フォアサーブも混ぜてみろ・・・・・・」
とアドバイスしてみたら、バックラリーに比べるとフォアラリーがかなり不安定で、このセットは少し余裕をもって取ることが出来た。
こうなると、もう第4セットの指示は次の一点である。
「サーブは、全部フォアに出せ! そして、何が何でも、フォアラリーに持ち込むんだ・・・・・・!」
このアドバイスがきいたのだろうか?
第4セットは、大差で勝つことができました・・・・・・
・・・・・・でも、フォアラリーとバックラリーの安定度に、これほど差のある人は、そんなに多くない筈である。
何んか、とても不思議な気がしました。そして迎えた準決勝の5回戦・・・・・・!
今や・・・・・・57人いた選手が、4人だけ勝ち残っているだけである。
ここで、勝ち上がれば、いよいよ晴の決勝戦である。ところで、ここ迄に至る間、実は昨日の続きの団体の決勝戦が、途中で入ったのである。
その為、他の選手よりも2ゲームを余計に戦っているKRの疲労はかなりのものである筈である。
・・・・・・でも、そんな事は言っていられない!
「兎に角、力一杯戦って来い・・・・・・!」
と言って、息子を送り出した。この準決勝で当たった相手選手は、毎年シード選手として出場しているベテラン選手(女性)だという事である。
・・・・・・相手より2ゲーム多く戦っている KR が、どこ迄くらい付いていけるか・・・・・・やってみなくては分からない・・・・・・さて、試合が始まってみると・・・・・・準決勝まで勝ち上がってきた選手である・・・・・・成る程、上手である!
KRもかなり良く戦っているのだが、相手の切れているバックサーブをネットに切っ掛けてしまう。
1セット目は、8 - 11 、2セット目も、9 - 11 と連取されてしまった。
・・・・・・あと1セット取られたら、それで、この試合は終わりである!
「・・・・・・いいか、あの下切りサーブ・・・・・・ラケットをもっと平らにして返すんだ!!」
と指示を出して KR をコートに送り出す。
・・・・・・ところで、下切りサーブというのは、強く回転を掛ければ掛けるほど、回転の強い下切りの球が返って来る。
そのせいだろうか、今度は、KR の返球に相手選手が苦しむようになり、3〜4セットは、KR が連取。
とうとうフルセットに持ち込んでしまったのである。
・・・・・・こうなると、残りは両者双方にたったの1セット。
と・・・・・・突然、このセットになると相手選手は、ナックル系の下切りサーブを KR の右わき腹を目掛けて出して来たのである。
この回転の変化に KR はついていけない!
本当は・・・・・・
「・・・・・・ラケット少し斜めにして小さく返すんだ・・・・・・!!」
とアドバイスしたいのだが、ラケットを「平らにしろ!」と言ったり「斜めにしろ!」と言ったりしたら、却って、混乱すると思い、そのまま試合を続行させたが、結果は、6 - 11 で相手選手に軍配が上り、KR の銀メダルが確定したのである・・・・・・
息子 KR が団体戦に継いで、シングルスで貰った銅メダル
・・・・・・試合終了後、暫くしてから、
「サーブをバック側に打って返せ・・・・・!」
って、声を掛けてやればよかったのに!・・・・・・と、気が付いたが、その時は、もう既に遅し・・・・・・
僕は、ただひと言・・・・・・
「・・・・・・ゴメンネ! ・・・・・・うまくアドバイス出来なくて・・・・・・!」
と KR に謝ったしだいである。試合が終わった瞬間、相手選手は、タオルを抱え、倒れこむように KR の所にやって来ると
「・・・・・・有難う御座いました・・・・・・!」
と言って、KR と握手をすると、ホールの壁際まで歩いて行き、そこで崩れるように床の上に座り込んでしまった。
見ると、KR 同様、相手選手も汗ビッショリである。
・・・・・・ KR は普段、余りあせをかかない性質だから、この試合が双方にとって、どれだけ激しい戦いだったかが、窺い知れるというものである。KR は僕の所に来ると、ただひと言
「パパ、ご免なさい・・・・・・僕、負けちゃった・・・・・・」
と、小さな声で言った。
・・・・・・
それに対して、僕は只こう言えただけである。
「分かってる! ・・・・・・でも、あれだけよく戦った。 エライッ・・・・・!!」********************
話は変わるが、KR のシングルスのトーナメントの 2 回戦と 3 回戦の間に、昨日おこなわれた団体戦の決勝戦が行われた。
・・・・・・対戦相手は、The 21 でいつも一緒に練習している小岩井・須永ペアである。 2人とも、素晴らしく素直な性格の持ち主で、僕の好きな人達である。
・・・・・・でも、試合になったら話は別・・・・・・兎に角、自分の力を出し切る事が、勝手も負けても、この試合を素晴らしい試合にする、たった一つの路なのである。
団体の決勝戦(対小岩井・須永ペア戦)での一コマ・・・・・・
今まさに下切りサーブを出そうとしているKR
・・・・・・まず、一番手の KR が、フルセットの末、第5セットのデュースに継ぐデュースを制して1勝をしたが、つづくダブルスでは、親父の僕が結構ミスを連発して 1 - 3 でこのゲームを落とし、須永さんと戦った第3ゲームも相手の技量が勝っていたため、1 - 3 で落とし 結果は 1 - 2 で、僕達親子が相手チームに敗れ、銀メダルとなった。
生まれてから初めて親子で貰った銀メダル
僕にとっては、生涯の宝物である!
・・・・・・それにしても、今日の KR も実によく戦い続けたものである。
ホント!・・・・・・今や、息子 KR は、スタミナの上でも、Fighting spirit の上でも、僕を上回っているのかも知れない。********************
2003-01-27(月) 雨 自宅(都内) 気温(最低=4度、最高=11度)
今年、第1回の SONT の高田馬場教室の練習が始まった。
今回の主任コーチは林コーチである。いかにも理論派の彼らしく、8回のスケジュールのプリントを皆さんに配布してから練習が始まった。
・・・・・・いつもニコニコして練習をするメグちゃんがお休みだったのがチョット淋しかったが・・・・・・今日の練習では、日野君が上手になって来たのが目立った。
あんなに球のコントロールが苦手だった彼が、フォアボレーを10回近く続けられるようになったし、フォアとバックの切り返しも少しづつであるが出来るようになって来ている。子供達が上手になって来ると、コーチ達は本当に嬉しそうだ・・・・・・
頑張れ、頑張れ!
心から、そう応援をしたくなる・・・・・・
2003-01-28(火) 雨 自宅(都内) 気温(最低=3度、最高=10度)
夜、コーチの伊藤さんから、SON-Tokyo の URL のお知らせのメールが届いた。
昨夜、練習の後、中西コーチ、林コーチ、伊藤コーチ、僕の4人で中華料理屋に行った時、談たまたま SON-Tokyo のインターネットの話が出たので、
「URL を教えてよ・・・・・!」
と、彼にお願いしておいたからである。伊藤さんは、もともとがジャーナリスト畑の出身。
その腕を買われて・・・・・・ SON-Tokyo の広報を任されている!この様に、色々な人に出会える・・・・・・って、何んて素晴らしい人生なんだろう!
・・・・・・沁み々々と、そう感じさせられる今日この頃である。
2003-01-30(木) 晴 自宅(都内) 気温 (最低= - 1 度、最高= 7 度)
朝食前、日課となっている我が家の周囲の掃き掃除をしたら、今朝はやけに寒い。
家の中に入る前、勝手口のところにつるしてある最低最高温度計を見たら、やはり、今朝の最低気温はマイナス1度だった。
家内に言われて、庭を見てみると、地面に霜が降りている。
・・・・・・ご飯を食べ終わってから、早速、デジカメを持ち出して、霜柱の写真を撮って来た。
夜、家内のPCのリカバリで、大幅に遅れていた高原日記を書き続ける。
今日かいたのは、25日の卓球の試合の模様である。あと、もう少しで、遅れを取り戻せそうである。
なんとなく、ホッとした今夜である!
チョン!