2002-09-01(日) 快晴 ヒュッテ L = 13 ℃ H = 27 ℃
午前10時、一家三人で御射山原に出掛ける。
昨日のお祭の続きを見る為である。・・・・・・御射山に着いてみると、楠本さんをはじめ、大勢の顔見知りの人に出会ったので、あれやこれやと雑談をしながら、暫くの間まっていると、間もなく、昨夜のお祭の続きが始まった。
・・・・・まず、鷹野神主さんの司祭で、氏子一同が、茅ごしらえの上社に向って色々な神事の儀式を行ったあと、今度は、下社と山宮にたいしても同様の神事を行う。
この間、神主さんがあげる、祝詞(のりと)の声が、高く低くユックリと歌うように流れるのが・・・・・・とても長閑(のどか)である。
ウッカリすると、チョット眠くなっちゃう感じ・・・・・!!
・・・・・そして、挙式1時間余。
・・・・・最後に、昨夕、山ノ下の松原湖湖畔の諏方神社上社から駆け上がって来て、この御射山原に一泊した子供達が、再度、諏方神社上社に向けて出発したところで、ここでのお祭の儀式は全て終わり、あとは氏子一同が、お神酒とご馳走をたしなんで、山と集落の無事を感謝する・・・・・・という昔から続いてきたお祭が、この御射山祭である。
本当に、夏の風物詩のひとコマともいうべき、爽やかな昔からの慣わしである。
・・・・・・また、出来れば、来年も参加したいものである。
午後・・・・・・爽やかな初秋の風が吹く中、中央道小淵沢のバス停から、高速バスに乗って家内と長男が東京に帰って行った。
いつもの事であるが・・・・・・2人が居なくなると、この年になっても、暫くの間、ヒュッテ全体が、何か落ち着かない居心地の悪さみたいなものを感ずるから不思議である。
2002-09-02(月) 快晴 ヒュッテ L = 13 ℃ H = 28 ℃
午後、佐久市まで出掛けた帰り道、いつもの様に、佐久町の 「アンクルKen」に寄って来た。
店に入り、顔なじみの女の子にミルクティーを注文した後、お気に入りの席に腰を下ろし、お茶を運んできた女の子に
「マスターは?」と聞くと
「裏にいます。・・・・・・すぐ戻って来ると思いますが・・・・・・」との事。そこで、ふと思い出して、いつもの様に、ノーマン・ロックウエルの作品集を取りに、本棚の所にいってみると・・・・・・今日は、「Hills of Home」というタイトルの・・・・・・初めて目にする、白黒の英文の写真集が置いてあるのに気が付いた。
パラパラとめくってみると、昔のアーカンサス州の農家の生活を白黒写真と絵日記で綴った、心温まる素晴らしい写真集である。
・・・・・・これは面白い!
お茶をそっちのけにして、夢中になって、その写真集を読んでいると・・・・・・
「いらっしゃい! ・・・・・・しばらく、お見えになりませんでしたね・・・・・・」
とマスターの声がした。
「やあ、今日は・・・・・・お邪魔してます。ホントに久し振りだよね〜」
等々、二言三言あいさつをしたあと、今まで読んでいた写真集の表紙を彼に見せて・・・・・・
「これ、素晴らしい本だよね〜!」
と言うと、マスターの曰く。
「あ、それ・・・・・・その本は、向こうに居た時に買った本なんです・・・・・・」
と前置きした後
「でも・・・・・・よろしければ、お持ちになってもいいですよ・・・・・・!!」
と、事も無げに言ったのである。
「エーーーッ? いいの? こんなに素晴らしい本?」と言うと・・・・・・
「ええ、いいんです。 誰も、その本読まないから・・・・・・」
と、言ったあと
「時たま、お客さんが手に取る人は居るんですが・・・・・・殆どの人が、パラパラって中の写真を2〜3枚見るだけで、すぐに、元にもどしちゃうんです・・・・・・なにしろ英文なもんですから・・・・・・誰も読まないんです・・・・・・ホントです。・・・・・・よろしければ、どうぞ、お持ちになっても構いませんから・・・・・・」
と、付け加えた。
「ウヘーーー・・・・・・いいのかな・・・・・・ホントに?」
・・・・・・・と言うと、
「ええ、どうぞ、そうぞ・・・・・・」
って言うので、この本・・・・・・貰って来ちゃいました。夜、も一度読み直してもたら・・・・・・ホントに素晴らしい本なんです・・・・・・この本は!
ウワ〜〜〜〜イ・・・・・得しちゃったーーーーーーーーい!!
2002-09-03(火) 快晴 ヒュッテ L = 16 ℃ H = 27 ℃
御代田町のKさん宅に、長い間、置かせて頂いたいた荷物を、いよいよ処分する事にした。
・・・・・・といっても具体的にどのようにしたらよいのか、よく分らない。事情を細かく話して、地元の人に聞いてみたら、
「そりゃあ、八岳さん、リサイクルショップに頼むのが一番いいじゃねえだかい?」
という事だったので、黄色い表紙のタウンページで探してみたら、御代田町に2軒のリサイクルショップがある事が分った。
そこで、その2軒に電話を入れてみたら、何んと2軒とも
「現在、この電話番号は使われていません」
という返事が返って来た。
「何んじゃい、こりゃあ・・・・・・?」
とボヤいてはみたものの、いくらボヤいても事は始まらない。
そこで、番号案内に電話を入れてみたら、リサイクルショップは、現在 2 軒の登録があるという。
・・・・・・そこで、その中の1件の電話番号を教えてもらって、電話をかけ、今度の日曜日に、見積もりをとって貰うことにした。
・・・・・・そんなこんなで、半日以上もの時間をこの為にとられてしまった。
全く、オヤオヤオヤである。夜、久方振りに、町の公民館に卓球の練習に出掛けた。
行って見ると、新しい卓球台が3台も入っていた。
「ヘエ〜凄いじゃんかい、この卓球台は! 新しく買っただかね?」
・・・・・・と聞くと、事業を解散したC電子から貰って来たのだと言う話である。
「フーン、そうなの?」
と返事はしたあとで、
(こんな所にも、不況の波は押し寄せているのか?)
・・・・・・と一抹の寂しさを、沁み々々と感じさせられた。でも、一たびラケットを握ってしまうと、一瞬の中に、そんな事は忘れてしまった。
・・・・・・自分に向って飛んでくる直径 40mm のピンポン球に夢中になって飛び掛っていく自分。
その無心さの、何んと爽やかな事。もともと球技には、本当に自身がなかった僕だったけど、いつの間にか、こんなにも夢中になれている僕自身。
今から18年前、都内の自宅近くのバー「ラムプ」で、左腕カットの名選手・・・・・・大谷選手に出会った事を考えると、沁み々々と因縁の素晴らしさを感じさせられる。・・・・・・本当に
因縁は、生かすも殺すも、生き方ひとつ!
である。
2002-09-04(水) 曇のち雨 ヒュッテ L = 18 ℃ H = 26 ℃
ここ暫くの間、この高原日記に出てくる僕の名前を本名からペンネームに変更することにかなりの時間を費やして来た。
理由は簡単である。★ 最近では、僕の名前を本名ではなくペンネーム「八岳晴耕(やたけ・せいこう)」で呼ぶ人が、かなり増えて来ている事。
★ 以前の高原日記には、周囲の人達が、僕を呼んだ通りに、本名とペンネームの両方を使って、日々の出来事が記されて来たが・・・・・・そうすると・・・・・初めて日記を読んだ読者は、少なからず混乱する事が分って来た事。
★ この混乱を避ける為に、これからは投書・投稿・寄稿などの著作物には、全て、ペンネームを使用する方向に変更しつつある事。
・・・・・・この3ツが、その主なる理由である。
ところで、この変更は、今迄、各ページのファイルを開き、全頁に目を通し、本名に行き当たる度に、ペンネームに入力し直していたが、つい最近、HPソフト 「GoLive 5.0」では、ファイルを開いたあと
編集 → 検索 → 置き換えられる単語・置き換える単語を入力する
→ 全て置換・・・・・・の方法で、一挙に変更できることが分って来たので、非常に効率がよくなって来ている。
この方法を使って、今日は一挙に何年間分もの変更をする事が出来たので、全くヤレヤレである。何事も色々と勉強してみるものである。
・・・・・・という訳で、今日の日記はこれにて幕を引きます。
チョン!
2002-09-05(木) 曇のち晴 ヒュッテ L = 17 ℃ H = 25 ℃
昨夜、HPの名前の書き換えに夢中になっていて、気が付いたらナント午前5時。
・・・・・・慌てて寝床に入りはしたものの、今朝、目を覚ましたのは、アッタリマエで健康的な午前10時少し前。
・・・・・・遅い朝ご飯を食べた後、ゆうべ少し読み掛けた高見沢今朝敏著の「天文少年物語」を読み始めたら、これまた、もう駄目・・・・・・マタマタ面白くて時の経つのも忘れてしまう始末。
全く、どうしようもない僕でありんんす!!ところで、この本の著者の高見沢今朝敏さんは、近隣の臼田町に在住の方。
小海線沿線では、彗星探索家として、有名な方である。
サテ・・・・・・この本を読んでいくうちに、オヤと思ったのは・・・・・この本の中に、何回か出て来る「篠原敏令」という名前の著者の友人の事である。
この名前を呼んだ時、
「ハテ? 何処かで聞いた名前だけど・・・・・・」とクビを傾げたが、更に読んで行くと
・・・・・・この友人の紹介で、著者自身が対物レンズ径 12cm の漁船用の双眼鏡を購入し、彗星探索にこの大型双眼鏡を使い始めた・・・・・という話になった瞬間
「あ、この篠原敏令さんて、馬流のヤナショーのガソリンスタンドのトッちゃんだ・・・・・」
と気が付きました。
・・・・・・って言うのは、僕はトッちゃんが、素晴らしい漁船用の双眼鏡を天体観測に使っているのを知っていたからである。そんなこんなで、この本を読むのに夢中になっていた僕・・・・・結局、目が少し疲れて、一休みしたのは午後の3時を少し回ったところ・・・・・・
・・・・・・ホントは、今日の午後は、五箇の火の見櫓の水彩画を画きに行こうかと考えていた事を思い出して、思わず
「オヤオヤオヤ」と、ボヤいてしまいました。(それじゃ、これから、今日の午後は何をしよう・・・・・・?)
と思ったけど、すぐに前述のトッちゃんの事を思い出して
「そうだ・・・・・・トッちゃんから貰った釣竿で、魚釣りに出掛けてみよう・・・・・・・まだ一度も使ってないから・・・・・・!!」
と、急遽、絵描き屋さんの予定を魚屋さんに変更した後
・・・・・・宮本屋旅館の久紀さんからミミズのいる場所を教えてもらい、ミミズ数匹を捕まえてから、S集落の農業用水池に行って来ました。釣果は、体長 10cm くらいのヤマメ 1匹。
何の稚魚か分からないが、兎に角、体長 6cm ほどの小魚3匹。これらの稚魚は、小さすぎて今夜のオカズにも、チトなりそうもないので、全て池にかえしてやりました。
それにしても、昔、「釣気違い」の名前で呼ばれていた僕が、独りポッチで・・・・・・釣竿を握ったのは、何んと50年振りの事。ビビビビビビビ・・・・・と、魚が釣竿に掛かったときの、あの釣竿の振動は、ホントに何とも言えないくらいに素晴らしいなア・・・・・・と、正直な話・・・・・・心から、そう思いました。
「イイナア! ・・・・・・釣って!!・・・・・・」
何だか、50年前の「あの釣キチ」に戻っていまいそうです。
チョット心配です・・・・・・!!
2002-09-06(金) 雨 ヒュッテ L = 15 ℃ H = 18 ℃
今日は朝から、一日中、少し肌寒い一日だった。
お陰様で、夕方から、今秋はじめてストーブに日を入れた。時は、少しづつだけど、着実に季節を刻んでいる。
間もなく木々の葉が色づき、紅葉が散ると、あの寒くて長い冬が来る事だろう!
僕が生まれ育った東京の感覚で考えると、この辺は、一年のほぼ半分が冬である。
・・・・・・でも、その約半年間の冬の素晴らしい事!
いつの間にか、人々が嫌がる、この地の冬の大ファンになっているのを知って、とても驚いている。
・・・・・・地元の人の大半の人が、冬はイヤだと言うのに・・・・・・!
朝、テレビを見ていたら、今夜と明晩、前編と後編に分かれて、倉本聡が純を演ずる「北の国から」の放映があるという。僕は、慌てて、総合センターの知美ちゃまに電話を入れて、2晩続きの番組の録画をお願いした。
ヒュッテのテレビの受信状態は極めて悪いからである。
・・・・・・電話をすると、彼女の曰く。
「ホントですか? ・・・・・・私も、”北の国から”って大好きなんです」だって!よかった!!
2002-09-07(土) 雨 ヒュッテ L = 15 ℃ H = 20 ℃
夜、久方振りに、八千穂村の卓球の練習に顔を出した。
・・・・・・小海町卓球クラブの山口さんから
「大勢の人達が来るけど、卓球台が14台くらいが出るもんだから・・・・・・」
と聞いていたからである!
夜8時10分。
体育館に行ってみると、もう山口さんは、盛んに見知らぬ女性とフォア打ちをしていた。
卓球台の数は、6台ほど・・・・・・・
あとで山口さんに聞いてみると、
「今日は佐久町の連中が、何か予定があって来られない・・・・・・という事が分ったので、台数を減らしたらしいですよ・・・・・・」
との事。別れ際に、彼は
「これ食べて下さい!」と言って、持って来た色々な野菜を僕の車に積み込んだ後
「・・・・・・今日は一緒に出来なかったですね・・・・・・!」
と、残念そうに言った。彼と僕は、カットマン同士の好敵手である。
試合をすると、いつも
「クソッ!」
「こん畜生!」
とばかりに、カットマン同士の試合に有り勝ちな組んずほぐれつの試合になる。「うん、残念だけど・・・・・・まだまだ、いくらでもやるチャンスはあるよ!」
と僕が言うと、彼は
「・・・・・・そうですね! じゃ、又お願いします・・・・・」
と言ったあと、オヤスミナサイとひと言付け加えてから、車のドアをそっと閉じた。兎に角、静かで優しい性格の男である。
2002-09-08(日) 快晴 ヒュッテ L = 14 ℃ H = 21 ℃
午前10時、御代田町のKさんの持ち家の前に、K夫人・リサイクルショップのTさん・僕の3人が集まり、Tさんに母親の持ち物を見て貰い、見積もりを取ってもらうことにした。
Tさんは、一通り、全体の荷物に目を通したあと、
・・・・・・半襟だとか古い着物などは、そのままではリサイクル商品としての価値が無い為、全体を廃棄処分にするより他なく、その費用が約5万円ほどではないかと思う・・・・・・
との事。当方としては、他に引き取り手が無い上、その部屋をなるべく早く開け放して、Kさんに返却しなければならない為、その見積もりでお願いをする事にした。
引き取り日は明朝午前・・・・・・で、3者合意。
この打ち合わせが終わって、僕は心からホッとひと息をついた。
・・・・・・もう長いこと、気になっていた事だからである。
御代田町を後にすると、僕は、佐久市のビバホームに向った。
ビバホームは、佐久市に来ると、よく立ち寄る大型店である。
・・・・・・というのは、この店の壁際に並んでいる天体望遠鏡に、暫く前から興味を持っていたからである。
小海町の空は、東京の空に比べたら、比較にならないほど澄んでいる。
・・・・・・だから、
(この町の星を天体望遠鏡でのぞいたら、どんな風に見えるんだろう?)
と、ここ暫くの間、思い続けて来たのである。きょうもそうである。
ビバホームの天体望遠鏡のコーナーに立つと、僕は、カタログやパンフに目を通し・・・・・・女の店員さんに色々と質問をしたり・・・・・・・
どんな風に見えるんだろ?
ああだろうか?
こうだろうか?
と、考えていたら、瞬く間に小一時間が過ぎてしまっていた。・・・・・・友人知人の言葉によると、僕は、とにかくガキンチョよろしく、好奇心が旺盛だという事である。 そして・・・・・・この言葉を不意に思い出した僕は、クスリと心の中で笑うと、思わず呟いてしまった。
(ホント、俺って、どうしようもないガキンチョみたい・・・・・・!)
・・・・・・って!
午後4時過ぎ。
ビバホームを出てから、2〜3ヶ所を廻った僕は、八千穂村のカフェ・レストラン「ハーモナイズ」で、卓球仲間の山口さんとお茶を飲みながら話をしていた。
・・・・・・山口さんは、昨夜、卓球の練習が終わったあとで、色々な野菜を下さった方である。
・・・・・・ところで、僕は、兎に角、喫茶店が好きである。
今日の午後も、高野町の近くまで帰って来た時に、未だ時間があったので、ふと思い出して、山口さんに電話をいれ
「・・・・・・時間があるんだけど、何処かでチョット、話をしない・・・・・・?」
と言ったら、
「・・・・・・じゃあ、ハーモナイズで・・・・・・」
という事になり、こうして、2人で話をする事になったのである。話題は、どうしても卓球の事になってしまうが、その他にも、僕達は小海町の自然の美しさとか・農作物の事・町の行事のこと・仕事のこと・・・・・・等々、色々なことに就いて話の花を咲かせたが・・・・・・話題が、たまたま趣味の話になった時・・・・・・
「ホラ、僕ってサ・・・・・・下手の横好きで、何ンにでも興味を持っちゃうから、いつも忙しくってショーガナインダヨネ!」
と言うと、
「・・・・でも、八岳さんが色々な事をホントによく知っているのは、その為じゃないんですか〜〜??・・・・・・ところで最近の八岳さんは、どんな事に興味を持ってるんですか?」
と、彼。
「・・・・・・エーとねえ〜。今は、3ツの事に興味を持っているんだよね。まず、一番最初が釣、二番目がラジコンのグライダー・・・・・・エート、それから三番目が天体望遠鏡かな・・・・・・?」
・・・・・・と言うと、山口さんは突然、真顔になって・・・・・・
「天体望遠鏡に興味があるんですか?」と言った。
「エ? ウン・・・・・・興味あるね〜・・・・・・ホラ、こっちって空気がキレイじゃんかい! だから、天体望遠鏡で覗いたら、どんなにキレイかと思ってさ・・・・・・」
「・・・・・・?」
「いや、実は今日もね・・・・・・ここに来る前、佐久市のビバホームに寄って、長い事、天体望遠鏡のコーナーを見てきたんだよね・・・・・・!」
と言うと、彼の曰く。
「ネエ、八岳さん・・・・・・うちに天体望遠鏡があるんですけど、宜しければ使って頂けませんか? 差し上げますから・・・・・・」
「エーッ?」
僕は、聞き違えじゃないかと、わが耳を疑った。
すると、普段から早口の彼は、一層早口で僕にこう言った。
「いや、自分の家に、天体望遠鏡があるんですけど、仕事がケッコウ忙しいし、ユックリと星を眺めている時間も無いので、誰か使って呉れる人がいないかな〜・・・・・・って、ズ〜ット前から考えていたんです。 ホント・・・・・・差し上げますから、使ってみて下さい。 そうすると助かるんです。 だって、ケッコウ部屋の中の場所ふさぎになっちゃってるもんですから・・・・・・」
「エーーッ、本当? 貰っちゃっていいの?」
「ええ、いいです。 差し上げますから?」
「いいのかな?・・・・・・ホントに?」
「ホントにいいんです。 よければ、今すぐオレんち来ませんか? 差し上げますから」
・・・・・・もう、これは紛れも無く夢のような話である。
「でも・・・チョ、チョット・・・・・・話をきかせてよ・・・・・・」
と前置きして、僕は色々と質問をして、その天体望遠鏡の事をきいてみた。彼の曰く。
その天体望遠鏡は、ケンコー社製の 12cm の反射式望遠鏡で、倍率の違った接眼レンズが3ケついている。 取扱説明書は見当たらないが、仕事が忙しくなってしまったので、買ってから今迄に数回しか使ってないという。追尾は手動で行う・・・・・・との事。
・・・・・・取扱説明書が無い、という所で、今迄、天体望遠鏡に触ったことのない僕は、瞬間的に
(使いこなせるだろうか?)
と思ったけど、
(・・・・・・兎に角、まず、触ってみることである。触ってみて分らない事があったら、誰かに聞けばいいだけの事。 昔、船乗り時代に六分儀を使って船の位置を計算していた経験があるから、まあ、ある程度までの事は分るだろう・・・・・・!)
と思った瞬間に、僕の心は決まっていた。再度、山口さんが
「ホント、八岳さん・・・・・・よければ、これからオレんち来ませんか?」
と言って誘って下さったとき、僕は迷わずに返事をした。
「ウン、有難う! ・・・・・・その天体望遠鏡、僕に使わせて下さい。 一生懸命、自分で使い方を勉強してみるから・・・・・・」
そう言うが早いか、僕達は勘定をすませると・・・・・・それぞれ自分の車に乗り込み、山口さんの家に急行した。山口家に着くと、上がりがまちの所で出迎えて下さったお父様に挨拶をしたあと、僕達は2階の彼の部屋に上がり込み、部屋の中にセットされていた天体望遠鏡の説明を聞いたり、望遠鏡を畳んで箱の中に入れたり・・・・・・果ては、将棋を一番戦わしたりして、楽しい2時間ほどを過ごさせて頂いた。
・・・・・・
気が付くと、時間は7時過ぎ。
僕は慌ててお礼を言うと、戴いたばかりの天体望遠鏡を車に積み、見送って下さった山口さんのお父様と山口さんに、再度、お礼を言って、ヒュッテに帰って来た。
・・・・・・別れ際に、お父様の仰った
「今日は、おんな衆がいなかったので、何んもお構い出来ませでしたけど、今度また、おんな衆がいるときにお出掛け下さい・・・・・・!」
という挨拶がとても印象的でした。
・・・・・・何んの前触れも無く、突然、お邪魔した僕の方が、本当は恐縮しなくちゃいけないのに・・・・・・!!
さて、ヒュッテに戻ると、僕は大急ぎで晩ご飯を作って食べ、後片付けもそこそこに、こんどは今さっき山口家から戴いて来たばかりの天体望遠鏡の組み立てに取りかかった。
・・・・・・取扱説明書が無いので、先刻、山口さんの部屋で見た姿を思い出しながらの組み立てである。
ああでもない・・・・・・こうでもない・・・・・・と、試行錯誤を繰り返しながら、望遠鏡が組みあがったのは午前1時少し前。嬉しくなった僕は、大きなマグカップに熱い紅茶をなみなみと注ぐと、天体望遠鏡の前の椅子にドカリと腰掛け、薫り高い紅茶を飲みながら、食い入るように天体望遠鏡を眺め始めたのである。
・・・・・・というのは、この天体望遠鏡という代物は、昔、使い慣れていた六分儀とは、可なり様子の違った機械だったからである。
・・・・・・ところで、今日は、この天体望遠鏡の他に、アッと驚くようなものを、山口さんから拝借して来たというビッグニュースが、もう一つ、あったのである。
それは、小一時間ほど掛かった将棋が終わった時、ふと、脇にあった本箱の中をみると「長野県の歴史」「長野県の文学」という分厚い2種類の全集があったので、
「ウワ〜〜、これは凄いね〜!」
と僕が、大きな声で言うと、山口さんは
「こんな本もあるんですよ・・・・・・」
と言って、厚さ数センチの緑色の A4 版ほどの緑色の表紙の本を棚から引っ張り出して、見せてくれたのである。その本を見たとき、
「アーーーッ、大変! その本、永ーーーいこと、探していた本なんだ・・・・・・それ!」
と、思わず、僕は叫んでしまった。
・・・・・・というのは、その本こそ、永い間さがしていた小海町公民館報縮刷版の第一巻だったからである。
色んな人に声を掛けても、どうしても手に入れる事が出来なかった公民館報の第一巻が・・・・・今、目の前にあるのである。
永いこと手許に置いておきたいと願っていた
公民館報縮刷版の第一巻を
やっと手許に置いて随時閲覧出来る様になりました。
・・・・・・山口さん、どうも有難う・・・・・・!!
僕の声に驚いた山口さんは言った。
「え? これですか? よければ、持っていって読んで下さい! ・・・・・・今は、仕事が忙しくて、読む時間が無いもんですから・・・・・・」
「え? いいの?」
・・・・・・僕は、半信半疑で彼の顔を見つめた。
「・・・・・・いいですよ! ホント・・・・・・」
山口さんは、至極、当然というような表情で、こう言った。
「じゃあ、暫くの間、読ませて下さい。 ・・・・・・そして、必要なときがあったらいつでも連絡をして下さい。 コチラにいる限り、大至急、すっ飛んで返却に上がりますから・・・・・・」
・・・・・・という訳で、もう5年越しに探していた、公民館報の第一巻を手許に置いて、いつでも参照する事が出来るようになったのです。これで、小海町公民館報の全巻(3巻)が、手許に揃ったという訳・・・・・・
本当に嬉しいです。
山口さん、どうも有難う!!
2002-09-09(月) 快晴 ヒュッテ L = 13 ℃ H = 22 ℃
午前中、昨日に引き続き御代田行き。
小井戸宅を訪問して、永らくお世話になったお礼を言って来た。今度、信ちゃんのお姉さんの小井戸夫人にお目に掛かるのは、いつの事だろうか?
・・・・・・皆さん、ホントに優しい方達ばかり・・・・・・
何んとなく、淋しい気持ちがしないでもない。
自分で言うのも可笑しいけど、僕は本当に幸せな男だと思う。
御代田からの帰り道、小諸に抜ける大きな交差点を右折して、今日は、ホビーショップ「とみおか」に寄って来た。
目的は、電動のグライダーについて、社長の大旦那から、色々と話を聞く事である。
・・・・・・電動のグライダーと言うのは、モーターとプロペラを使って、高度をかせぎ、ある程度の高さまで舞い上がったら、モーターを止める・・・・・・すると、プロペラが空気圧で、機体の中に折り込まれ、今度はグライダーとして空中を滑空するという、聞いただけでも、気持ちがワクワクするようなラジコンである。
そして、それから30分後・・・・・・その模型屋さんを出てから、ヒュッテに着くまでの小一時間の間、カブリオのハンドルを握りつつも、僕の頭の中では、真っ青な空に、ユックリと弧を描いて飛ぶグライダーの姿が鮮明に描かれていた。
「ヨーシ・・・・・・そのうち、2m くらいの大きなヤツを飛ばしてやろう・・・・・・!」
いつの間にか、グライダーの夢が、僕の心の中で、大きく膨らんでいた・・・・・・・・!!
夕方、ヒュッテに帰ると、僕は昨夜、真夜中に組み立てたばかりの天体望遠鏡をベランダに持ち出すと、色々とアチコチに触りながら、天体望遠鏡という器具は、どのようにしてお星様を観察するのかを、ジックリと考え始めた。
まず、驚いたのは、この天体望遠鏡という代物には、目盛りのついた3ヶ所の回転部分があるという事である。●1. 三脚のすぐ上に見られる水平方向の回転軸の目盛りには 0〜90までの数字が刻み込まれいる。
●2. 更に、その上方には、午前0時から午後12時までの目盛りの入った回転部分があり、
●3. 最後に、0 ℃ 〜 90 ℃の目盛りが入った望遠鏡の本体を傾けるような作用をする回転部分がある事も分って来た。
「さあ、明日からは、この3ツの回転部分と目盛りがどんな働きをするのかを考えてみよう!」
そう思ったら、何か、生きている事が、とても素晴らしい事のように思えて来ました。さあ、又あしたから頑張るぞ〜!!
2002-09-10(火) 曇 ヒュッテ L = 14 ℃ H = 23 ℃
朝ご飯の時、食卓の反対側に天体望遠鏡を置き
朝食を食べながら、昨日に引き続き、今日もまた天体望遠鏡の仕組みについて、色々と考えてみた。
・・・・・・そしたら、おおよそ次のような事が分ってきた。
● 三脚のすぐ上にある、水平方向の回転軸では、観測地点の緯度を設定する。
● その上の回転系では、北を基点とした、天体の方角(時角)が設定される。
● そして最後の回転系では、赤道面と天体の方角(赤緯)が設定される。
多分、思考結果は、正解だと思うけれど、若しそうだとすると、天体望遠鏡という観測器具は、実にウマク考えられた機械であることが分って来る。
・・・・・・こんな事を考えていると、今回、この望遠鏡を山口さんから戴いた事は、想像以上に、素晴らしい事であることが、よく分って来ました。
午後7時半、町の公民館にて卓球の練習。
・・・・今日も卓球会場で山口さんと顔を会わせた。
相変わらずの彼・・・・・・9時半の終了近くなってから、彼と試合をする。
1セット目は、 8 - 11 で僕の負け。
2セット目は、ジュースが8本続き、20 - 18 で僕の勝ち。
そこで、試合を次の人と交代したが、相変わらずのカットマン同士である。夜、知美ちゃまが撮ってくれた「北の国から」を見る。
・・・・・・僕は、このドラマが大好き。
前編を通して流れる心の温かさが素晴らしく、見ている最中に、何回も何回も涙が流れて仕方がなかった。
明日は、東京に帰る日だから、ビデオに撮った後編を見る事は出来ない。
東京に帰ってから、ユックリと見る事にしよう。
2002-09-11(水) 曇 ヒュッテ → 自宅久方振りに東京に帰ってみると、熱いこと。
堪らないので、夜、寝るときに1時間クーラーの「おやすみタイマー」を入れて寝床に入った。
ヒュッテと我が家では、こんなに気温が違うものなのだろうか?
2002-09-12(木) 晴のち曇 自宅朝一番で、カブリオレをヤナセの宮園オートに持って行った。
この間から、エンジンルームの中で、カタカタと音がしていたからである。
週末から来週にかけて、色々とスケジュールが詰まっているので、カブリオに大きな問題が無ければいいのだが・・・・・・
2002-09-13(金) 曇のち雨 自宅宮園オートの熊谷さんから電話があった。
車は、どうも余りいい状態ではないらしい。
彼の言葉によると● フレームの上で、エンジンを支えているゴム・パッキンがかなり疲弊している。
● エンジンの振動のアブザーバーが、大分劣化しているので、交換が必要。
● エンジンの回転を伝える、前輪駆動のギアボックス・カヴァーにヒビが入っている。・・・・・・という事なので、修理が終わるまで、車には乗らないほうがいいとの事。
今週末と来週は、色々なスケジュールが詰まっているというのに、
「・・・・・・ったく、何んてえ事だ!」
思わず僕は舌打ちをしてしまった。・・・・・・ったく!
夜、8時過ぎに、SO 東京事務局より FAX が届き、
KRが、来年アイルランドで開かれる、Special Olympics 世界大会の卓球部門の日本の代表選手に決定されたと連絡があった。「ウアーイ、ヨカッタネ・・・・・・!」
我が家では、家族全員で大喜びをしました。やったぜ・ベイビー!!
アイルランドなんて生まれて初めてだよ〜〜!!
2002-09-14(土) 曇 自宅
ピッ、ピッ、ピピッピッピ
デーンデーン、デデンデンデン
ピッ、ピッ、ピピッピッピ
デーンデーン、デデンデンデン
テレツク、テレツク、テンテテン
テレツク、テレツク、テンテテン我が家の近くの、横丁の防災公園の神酒所では、今日は、朝から、祭のお囃子の音がしている。
毎年9月の14,15日は、我が家界隈の地域のお祭である。
夕方、郵便局に郵便物を出した帰りに、神酒所の前を通りかかったら、
祭半纏(まつりばんてん)・捻り鉢巻姿の正明ちゃんに出会った。
「やあ!」
「やあ!」
・・・・・・どちらからともなく、お互いに声を掛け合って立ち話を始めた。
「その姿、よく似合うじゃないか?」と僕が言うと
「うん、まあ、いつの間にか、オレも祭・・・・取り仕切る年になっちゃたから・・・・・・」
と言って、正明ちゃんはあたりを見回した。
・・・・・・そこで、僕が
「でも、オレもお祭、大好きだったけど・・・・・・正明ちゃんも、好きだよね〜!」
「ウン、そうだ、そうだ・・・・・・」
「でもさあ、オレとか正明ちゃんとか・・・・・・祭り好きなヤツって、皆〜んな勉強出来ないヤツばっかだったよね〜〜」
と、僕が言うと正明ちゃんは
「ウン、そうだ、そうだ・・・・・・大体、ウチに帰っても宿題なんかチットモしないで遊んでばっかだったモンね〜?」
と言って、大きな声でワッハッハと笑った。
「そうそう、そうだった、そうだった!・・・・・・でもさあ・・・・・・」
「ン・・・・・・?」
「ここらへんに、こんなに子供達が沢山いたかね〜?」
・・・・・・僕が、あたりを見回しながら言うと
「うん、いるんだよね、それが・・・・・・でも、昔にくらべりゃ、ずっと少ないよ!」
「そうか〜・・・・・」
「そうだよ・・・・・・ところで、八岳さん・・・・・・何か飲んでかない・・・・・・どう? ビールでも?」
「いや、駄目だ、駄目だ! オレ飲みすぎて体壊しちゃったから飲めないんだよ!」
「アレ、そうだったっけ・・・・・・じゃあ、ラムネなんか、どう?」
「ラムネね〜、それよか、綿菓子の方がいいな〜・・・・・・綿菓子ひとつ買っつくらあ」
・・・・・・と言って、綿菓子を買ってくると
「アレ、ホントに買って来ちゃったヨ・・・・・・オッドロイタねえ、こりゃあ!」
と正明ちゃん。
「いや〜、俺達子供の頃って、こんなものが美味しくってねえ〜?」
と言うと
「そうだったよねえ!」
と相槌を打つ正明ちゃん。・・・・・・それから、5分程、正明ちゃんと立ち話をしたあと、僕は綿菓子を食べながら、我が家に帰ってきたが、その綿菓子が悲しいくらいに美味しかったのが、とても不思議な気がしました。
真夜中の午前1時過ぎ。
寝る前に雨戸を閉めようとして、窓を開けて外を覗くと、我が家の先の小路の入口の所に掛かっている祭の提灯が、風に揺らめいているのが、何かとても暖かくて平和な感じがしました。
2002-09-16(月) 雨 ヒュッテ L = -- ℃ H = --
℃
愛車のVWが1年点検で入庫しているため、一家三人、新宿発 08:15 の中央高速バスで、雨の中をでヒュッテに向う。
小淵沢着 11:15.
小海線、小淵沢発 11:40 -- 小海着 12:40.
駅前アルルの月華で、昼食。
13:15 小海駅発のバスで高原美術館下車。
雨上がりのアルタイル通りを、美術館からヒュッテまで、一家三人でテクテクと歩いたが、その清々しい事と言ったら、本当に素晴らしい。ヒュッテに着き、玄関のドアをガチャガチャと開ける時の鍵の音!
・・・・・・いつ聞いても、とても懐かしく、暖かく、そしてホッとする!一休みをしたあと、一家三人でユックリとお茶を飲みながら耳にする、シジュウカラやゴジュウカラの声・・・・・・
家の周囲を取り巻く、雨に洗われた新鮮な緑!ヒュッテは本当に素晴らしい・・・・・・とツイツイ思ってしまいます。
2002-09-17(火) 雨 ヒュッテ L = 9 ℃ H = 19 ℃
今回、一家三人でヒュッテにやって来たのは、明後日から始まる地元と別荘の人達の合同展に家内の作品5点を出品する為である。
・・・・・・という訳で、午後から、家内と2人でキャリフールセンターに出掛け、奥のコーナーに家内の作品5点を展示してきました。
飾り終わって、周りを見回すと、他にも、楽しく素晴らしい作品が沢山!!小池さんのパステル画。
青木千代子さんの100号の油彩の大作。
伊藤律子さんの藤細工。
等々、本当に素晴らしい力作揃いでした。
・・・・・・
午後6時からは、Re-ex ホテルで今回の作家展のリセプション。
集まったのは、地元と別荘地の作家達・・・・・・20人程。
井出教子さんご夫妻のボーカル・ギターのアトラクションを中心にしたパーティは、和やかで、とても楽しかったです。
2002-09-18(水) 曇のち晴 ヒュッテ L = 8 ℃ H = 20 ℃
家内と長男が東京に帰って行き・・・・・・僕は 20 日の 「こうみ塾」 に出席の為にヒュッテに残る事にした。
僕はいつものように、小淵沢まで2人を送って行ったが、2人が乗った高速バスをバス停で見送るのは・・・・・・これもいつもの様に、チョットしんみりして一抹の淋しさを感じさせられてしまった。
帰途、ジムニーを運転しながら、2人が無事、東京に着いて呉れる様にと、心の中で祈ることしきりでした。
2002-09-19(木) 晴 ヒュッテ L = 6 ℃ H = 20 ℃
午前中、2階の本棚の修理。
この本棚は、どちらかと言うと、華奢な造りな上、ロマン・ロラン全集のようにバカ重い本が入っている為、何枚かの棚板の中央が下に撓(たわ)んでしまい、いつの間にか、下の棚の本を引っ張り出すことが出来なくなっていたのである。やった事と言えば、各棚の中央部にツッ変え棒の役目をする板をはめ込み、棚板の中央部が下にさがらないようにする事である。
昼過ぎまでかかって出来たのは、全作業量の半分程にしか過ぎなかったけど、今日の午後は、千曲川に初めての渓流釣に出掛けるので、残りの作業は明日に延期する事にしました。
午後4時。
馬流の橋本屋旅館に中久木さんを訪ね、渓流釣の基本の講義を1時間ほど受け、小海線のガード下の千曲川に出掛け、これも小1時間ほど、あたりが暗くなるまで、中久木さんから釣の実技のレッスンを受けました。でも・・・・・・何匹かの手応えはあったものの、いつも僕の不手際で魚を逃がしてしまい、最終的には、20cm ほどの鮠(はや)を1匹だけ釣り上げた次第。
中久木さんは、
「一匹しか釣れなくて・・・・・・」
と、大変恐縮していましたが、僕の方は、何十年振りかの釣りの感触に、スッカリと興奮気味・・・・・・本当に楽しいひと時を過ごすことが出来ました。何んだか、ホントに引き込まれそう・・・・・・な気がします!!
2002-09-20(金) 晴 ヒュッテ L = 5 ℃ H = 22 ℃
昨日に引き続き、本棚の修理。
正午過ぎに、ご覧の通り、全面的な改修を終わりました。
どうです、立派でしょう?
・・・・・・誰も褒めて呉れないもんですから・・・・・・アワワワワワ!!・・・・・・自分の作品を自分で褒めることにしました。
午後7時半、高原美術館にて、「こうみ塾」の定例会議。
議題は、小海町PRの応募作品の最終骨子案をどうまとめるか?・・・・・・の件。
・・・・・・回りくどい言い回しはやめにして、
「森の小人 Ptylitza の住む町に来て見ませんか?」
を素直に訴えよう・・・・・・という結論にて一件落着でした。チョン!
2002-09-21(土) 晴 ヒュッテ L = 9 ℃ H = 20 ℃
午後、久方振りにボートハウスの鍵を借りて、松原湖でラジコン・ヨットの帆走練習1時間。
練習後、鍵を返しに言ったら、憲一郎さんの奥さんが
「今夜のヤルビーホールの語りの件が1枚あるけど、上げるから行ってみない?」
との事。
有難く頂戴して、1時間余の語りを楽しんで来た。帰途、E59 の有森さんと憲ちゃんに出会ったら、憲ちゃんから、有森夫妻と一緒に憲ちゃんちの夕食に誘われた。
・・・・・・憲ちゃん夫妻を交えて5人で、食事をたのしみつつ、駄弁ること2時間余。
11時近くになって、お開きとなりました。別れ際に、有森さんより、
「明日、庭に作った、石積みの焚火起こしを見学かたがた、昼食に来ない?」
と誘われた。
2002-09-22(日) 曇 ヒュッテ L = 10 ℃ H = 15 ℃
正午、有森宅に出掛ける。
着いてみると、成る程、玄関の下の庭先に大きな焚火起こしがある。一見して、以前から、ヒュッテにも一つ欲しいと思っていた代物!
このファイヤープレイスと共に、庭の石垣もスッカリと整備されていました。昼食は奥様お手製のパエリヤ。
有森さんがお世話になっているという弁護士さん夫妻と共に、食卓を囲んで3時くらいまでダベリング・・・・・・
チョット興味を持ったのは、世田谷区の赤堤に住んでいらっしゃるという、弁護士さんの奥様が赤堤の自宅で、ケーキ教室を開いていらっしゃる・・・・・・との事。実は、ヒュッテに定着以来、仕方無しに始めた料理に、去年あたりからヤケに興味を持つようになり、4〜5ヶ月前あたりから、
「・・・・・・そのうち、どこかの教室にでも通って、自分でケーキを作ってみたい・・・・・・!」
と、思い始めていたからである。午後3時過ぎに有森邸をおいとまして帰宅。
夕方、玄関のチャイムが鳴ったので、出てみると吉松さんがリコボーを持って立っていた。
「Re-ex の方に行って取って来たものですから・・・・・・」
そう言って、彼は可愛らしい籠に入ったリコボーを下さった。
「ゴメンナサイ。 ホントは上がって頂きたいンですけど、家の中の片付けをしているんで坐る場所も無いもんですから・・・・・・」
と、お詫びをしたあと15分程、外で立ち話をした。
吉松さんはジャンボ・ジェットのパイロットである。
・・・・・・僕も、昔は商船のナビゲーターだったから、同じ様な思考回路を持っているのかもしれない。
いつもそうだけど、彼と話を始めると、話の種がつきない。
何か爽やかな性格の持ち主である。
ところで、今日のリコボー・・・・・・例によって、湯掻いて大根おろしで食べようと思ったが、冷蔵庫を覗いてみたら、大根が無いじゃありませんか・・・・・・
「それじゃあ、味噌汁にして食べようかな?」
と、独りごとを言いながら、東京に電話をしたが、生憎と家内は出掛けて留守らしい・・・・・・
それでは・・・・・・と思って、楠本さんに電話をして
「リコボーって、味噌汁に出来るのかな・・・・・・?」
って聞いてみると・・・・・・
「出来るわよ! とっても美味しいのよ、それ・・・・・・」
と、言って作り方を教えて呉れました。● まず・・・・・水でキレイにキノコを洗ってゴミを取る。 但し、ヌメリは取らない。
● お鍋に少し水を沸かしてから、キノコを入れて、30秒くらいグラグラっと茹でて、虫を出す。
● お湯を捨てて、キノコを水洗いし、適当な大きさに切る。
● お鍋に水を沸かしてからキノコを入れ、1分弱キノコを茹でる。
● 味噌を入れて、味をつける。(味噌を入れたら、絶対にお湯を沸騰させない)
● 刻んだネギを入れて、熱いうちに戴く。と言う訳で、晩ご飯の時に、言われた通りに味噌汁を作って食べたら、本当に美味しい味噌汁が出来ました。
(こんなに美味しいんだったら、僕もキノコ取りをやってみようかナ?)
・・・・・・晩ご飯を食べながら、フト、そんな事を考えてしまいました。
晩ご飯を経て、午後10時過ぎまで、明日、家内が藤沢の義父宅から持ってくる、ソファと女王陛下の椅子を置き場所を作る為、シッチャキになって家の中を駈けずり回った。午後11時、就寝。
今日は、家の中の片付けの為、チト疲れました。
2002-09-23(月) 曇 ヒュッテ → 自宅
お昼過ぎ、赤帽宅急便の小型トラックに乗って、家内が藤沢より到着。
今年7月に他界した家内の父親が、生前、使っていたソファと女王陛下の椅子などを戴いて来た為である。
・・・・・・驚いた事に、今まであった座椅子と絨毯を取っ払って、上記の椅子二つを入れてみると、本当に、リビングの中がスッキリとして、居心地がスッカリと良くなってしまいました。
部屋の中のセッティングが終わったところで、赤帽さんに一休みして貰って、お茶を飲みながら30分ほど、赤帽さんという仕事について色々と話を伺った。以前、中堅の会社の人事部長をしていたという、サラリーマン前身の赤帽さんの話は本当に面白く
「負け惜しみじゃなく、今の仕事の方がずっと楽しくて健康的・・・・・・!」
の言葉が本当にズッシリと心に響きました。本当!
人の幸せなんて、何処にあるか、全く分からないと、沁み々々と思いました。
午後3時50分、家内共々ヒュッテ発。
16時13分、小海発の列車 → 17時46分、小淵沢発の中央高速バスと乗り継いで、午後9時少し前に自宅着。藤沢経由で、ヒュッテまでの日帰り往復をした家内は、本当に疲れたと思います。
本当にご苦労さまでした・・・・・・!!
2002-09-25(水) 曇 自宅
過去2日間、ヒュッテに行っていた間の高原日記を書くのに追われてしまった。
・・・・・・今回のヒュッテ行きには、パソコンを持って行かなかったので、向こうで日記を書くことが出来なかった。
こんな時、日記をどうするかと言うと、手帳の日記欄に・・・・・・天候、最低気温・最高気温、その日にしたこと・・・・・・それから、デジカメには面白いと思った事を撮影しておくなど、後で日記を書く時に必要なデータを記入しておくのである。
・・・・・・そうすると、面白い事に・・・・・・これだけのデータを記入しておくだけで、かなりの細かいところまで、高原日記をつけることが出来るから不思議である。
2002-09-26(木) 曇 自宅
スペシャル・オリンピック・アジア大会が終わってから初めて、息子と2人で中野体育館に卓球をしに出掛けた。
・・・・・・すると、どうだろう?
入口の所に、わが家の向かい側の小川さんのご主人が入口のところに立っているじゃありませんか・・・・・・!
瞬間、我々は、殆ど同時に・・・・・・
「いやあ〜、これはこれは、今晩は・・・・・・!」
「いやあオドロキましたね・・・・・・」
・・・・・・と、異口同音に挨拶をしたあと、
「ところで今夜は、何故、こんな所に・・・・・・?」
と聞いてみると
「いやあ、秋のPTAの卓球大会の参加申し込みに来たんですよ・・・・・・!」
との事!!・・・・・・よく聞いてみると、小川さんのご主人は、昔、中学生から高校生の頃にかけて、卓球をなさっていたとか・・・・・・!
これは朗報である。
「・・・・・・じゃあ、これから、一緒にやりませんか?」
と言うと、
「・・・・・・いいですな、それは! よろしければ、一緒にやりましょう!!」
という事になって仕舞いました。いやあ、それにしても、お向かいの小川さんのご主人が、卓球が大好きだったとは・・・・・・!
世の中って、ホントに面白いと思います!
2002-09-27(金) 曇のち雨 自宅
午後6時半から、渋谷の Amway ビルで開かれた「スペシャル・オリンピックス・ボランティア大会」に家内と共に参加する。
その責で、事務局で仕事をなさっている神谷さん(往時のバスケットの名選手)、ソニー生命の何人かの人達・・・・・・など、何人かの方達との知己を得たのは、とても嬉しかった!
家内も、とても楽しそうだったのが・・・・・・とても嬉しかった!!
・・・・・・それにしても、夜の渋谷の賑やかな事!
余りの人の多さに、家内共々、本当にビックリ!考えてみたら、あの界隈を夜歩いたのは、15年振り位じゃないだろうか?
あの若い人達の間にいると、何んだか、我々の中にも、そのエネルギーが流れ込んで来るようで、何んか我々自身が若くなって行く様な気がするのが、とても面白かった。
また、そのうち出掛けて見ることにしたいと思う事しきりである・・・・・・!!!!
2002-09-28(金) 雨 自宅
雨の中、家内共々、家内の父親の遺品の幾つかを戴きに藤沢まで往復した。
・・・・・・義父は、生前、謙虚ながらも優秀な音楽家だったので、色々と音楽関係の遺品が多く、大のクラシックファンの僕は、義父の存命中から・・・・・・彼が普段の練習用に使っていたチェコ製のストラディヴァリウスのコピーのヴァイオリン(そんじょそこらのヴァイオリンより、遥かにいい音がします・・・・・・ホント!!)をはじめとして・・・・・・色々と貴重なものを譲りうけて参りましたが、本日いただいて来たものの中に、一つ面白いものがあったので、その写真をここに載せておくことに致しましょう。・・・・・・それって、どんな物かというと・・・・・・こんな物なのです・・・・・・!
どうです? ・・・・・・ 面白いでしょう?
それは、何んと高さ 30cm ほどの石の上に残った蛇の化石なんです。
この蛇が何んという種類の蛇なのか、はたまた、この化石自体が、本物の蛇の化石なのか・・・・・・筆者には分りかねますが、兎に角、家内の両親の家の守り神として長い間、義父母の家にあった事だけは確かなようです。
でも、家内の言葉に依りますと・・・・・・「魔除け」「守り神」等々のオドロオドロしい代物が、余り好きでなかった義父は、上の守護神をどちらかと言えば敬遠していたようですが、今回、誰も引き取り手が現われなかった為に、以前からこの化石に興味を持っていた僕の手許に、このヘビ大明神は文字通り、転がり込んできたようです。
ハイ!
2002-09-29(日) 晴 自宅
午前中、桃園協会の礼拝に出席。
米海軍牧師の Alfred と、ほんの少しだけお話をする。午後、千歳船橋の LYPP に出掛ける。
卓球を2時間練習したあと、喫茶店で皆さんと小一時間ほど駄弁リング・・・・・・
いつもながらの気持ちのよいメンバーの皆さん。
ホントに楽しいひと時を過ごすことが出来ました。
話は変わるが、昨日、義父宅から戴いて来た本の中に、昭和17年に交政同志社発行の海軍技術中将 澤 監之丞著
海軍七十年史談
・・・・・・という、一冊の古い本があったが、
昨夜、この本を開いたトタン、僕は
「アッ・・・・・・!!」
と驚いてしまった。
というのは、この本の中に
” 国家「君が代」の歌詞選出の由来”
・・・・・・という一章があったからである。今まで、「君が世」の歌詞がどのようにして作られたに、非常に興味を持っていた僕だったけど、この本にはその辺りの事情がこと細かに書いてあるのを知って、本当にビックリ。
近いうちに、この章の全文を、「お話ビックリ箱」のページに登録しようかな・・・・・・なんて考えているこの二日間でありんす!
2002-09-30(月) 台風21号 自宅
台風21号の影響で、終日雨模様の一日。
一昨日見つけた「君が代の歌詞の選出」のページを独立した項目として作ることにする。
・・・・・・お陰で、今日は、そのページの作成にかなりの時間を取られてしまった。夜、高田馬場のSON(卓球競技)に出掛けた。
新しいアスリート・メンバーが二人増えた。
アスリート達は、毎回、少しずつだけど確実に伸びているのが、とても嬉しい・・・・・・練習後、中西先生と林コーチ、僕の3人でいつもの中華料理屋で、話をした。
中西先生の言葉によると、来年6月のアイルランド行きは直ぐにその時期になってしまう。
・・・・・・これからは、KRの良い点だけをドンドンと伸ばし、悪い点は、目をつぶる事にしましょう・・・・・・との事。
そして、試合の運びを、得意なコースに相手の球が来るように試合を組み立てればいいのではないか・・・・・・との事。
成る程、そう言われてみれば、確かにそうである。
・・・・・・それと、「なぜ、小さなサーブを出そうとするのか? その目的は何なのか?」をKRとよく話し合ってみて欲しいとの事。
本当に有難い事である。午後10時、話したい事があると言うので、ロイヤルホストでM子と話をする。
・・・・・・話を聞いてみると、彼女の悩みは・・・・・・彼女自身が自分自身の気持ちに素直になれない為に・・・・・・起きてくるものだとしか、どうしても僕には思えない!
・・・・・・だから・・・・・・
「もっと、自分の気持ちに素直になればいいのに・・・・・・自分をよく見せようとするから、相手に気持ちが通じないんだよ・・・・・・おバカさんだね、全く、貴女は!!・・・・・・」
等々、ケッコウ僕も言いたい事を言って来たけど、別れ際にM子は
「・・・・・・八岳さんと話してて、私って、どうしてこんなにプライドが高いんだろ? って、正直思いました。 これからは、もっと自分の気持ちに素直になるようにします・・・・・・」
って言って帰って行ったけど、オレは何を話したんだろ?
大した事は、何も話さなかったような気がするけど・・・・・・・・????
・・・・・・まあ、いいか・・・・・・?