2002 年 5 月の高原日記

    
2002-05-01(水)       曇          ヒュッテ

 昨夕、東京からヒュッテにやって来た。
 今では、スッカリと僕の第二の故郷になってしまっている6ケ月振りの小海。
 国道141号線から右折して、県道を松原湖の方に登り始めたら、目に入るもの全てがとても懐かしかった。

 ・・・・・・ところで、
 今朝、起きてトイレに行ったら、温水洗浄器から少し水漏れが生じていた。
 そこで、8時半過ぎに、納入業者に連絡を取り、事情を話したら、
 「・・・・同じ様なトラブルがアチコチでおきているんです。それで、メーカーさんがその対応に乗り出していますので、連絡をとり、メーカーさんに来て貰います」
 ・・・・・・との事。

 一方、中学校脇の青空駐車場に置いてあった愛車のジムニーは、バッテリーが上がってしまって動かない。
 それでは・・・・と、VWを持って行って、バッテリーコードで繋いでエンジンを掛けようとしたが、全くウンともスンとも言わない。
 仕方が無いので、帰り掛けに新和オートに立ち寄り、オチャオ社長に事情を話したら、
 「それは、ジムニーのバッテリーが完全に上がっちまってるからですよ。 そんな時は、ワーゲンとジムニーのバッテリーは、プラス同士をコードでつなぎ、ワーゲンの電池のマイナスと、ジムニーの車体のアースを繋げばいいんですよ! じゃないと、ワーゲンの電池の電気がジムニーの電池に吸い取られてしまって、エンジンの回転にまで、エネルギーが回らないんです・・・・・」
 との事!
 ・・・・ナルホド!・・・・・また新しい事を勉強しました。

 社長の曰く。
 「分りました。 それじゃあ・・・・・・ついでがありますから、レッカー持ってって、ウチに引き上げて来て、全部調べときますよ」
 との事。
 ・・・・・全く、あり難い話である。
 ってな訳で・・・・そんなこんなの対応やヒュッテ内外の点検や整頓に追われていたら、本当にアッと言う間に今日の一日が過ぎてしまいました。


 ところで、今年は東京も暖かったが、驚いたことに、こちらの気温も東京に負けないくらい暖かい。
 ・・・・夕方、ヒュッテの近くを散歩したら、なんと星見ケ池の近くでカエルが鳴いているのにはビックリ!!

 本当に、地球はどうかしちゃったんじゃないんですかね〜?

    

     
2002-05-02(木)        快晴         ヒュッテ

 今回、ヒュッテにやって来たのは、今年になって全く初めての事。
 ・・・・お陰で、昨日に引き続き、今日の一日も、ヒュッテ内外の点検や掃除に追われてしまいました。

 ところで・・・・昼過ぎに、玄関のチャイムがピンポーンと鳴ったので 外に出てみたら、新和オートのオチャオ社長が、ニコニコ笑いながら
 「・・・・・車を引き上げて来て、ぜんぶ点検したけど、バッテリー以外は全部OKでした。 バッテリーが古かったので、新しいものに交換しときましたけど、もうビンビン動きますよ! ・・・・それから・・・・ついでがあったから、持って来ちゃいましたよ・・・・・」
 ・・・・・との事。
 「エーッ、ホントオ・・・・・いいのかよ、そんなにして貰っちゃって!!」
 と大声で言ったのは、オッタマゲーション3乗の僕!!
 彼の修理工場は、ヒュッテから一番近くにあるので、いつも色々な事をお願いするけど、それでも、ヒュッテまでは 6km は離れているはず・・・・・
 それなのに・・・・こんな風に届けて貰って、占めて 6,000 円少々だと言うのだから、全く、有難い話!

 その後、10分くらい立ち話をした後、オチャオ社長は明るく
 「じゃあ、これで失礼します。有難う御座いました!!」
 と言って、帰って行ったけど、
 ・・・・あり難いのは、本当はコチラである。

 本当に、彼って、素直で素朴で正直で、楽しい男である。

    

      
2002-05-03(金)         晴            ヒュッテ

 今日は、最近ヒュッテにやって来た、新しい家族の一員を紹介することにしましょう。
 もともと我が家の家族は、僕と家内と長男の3人だけでしたが、つい最近、ヒュッテの家族が一人増えました。

 ・・・・・その名は、Guardian Gnome
 要するに、家を守ったり管理をしてくれる小人のノームなんです!!
 彼の居場所は、ヒュッテの玄関を入った正面の階段の居心地のいい片隅です・・・・・・・

      

       

 ・・・・・・どうです?
 この写真は、真夜中の午前1時過ぎに撮ったので、光が足りなくて少し見にくいかも知れませんが、この小さな小人のノームは、こうして、夜も寝ないで、私共のヒュッテを守っていてくれるんです!!
 ね!・・・・・可愛らしくて、素敵でしょう!!
 お陰様で、わがヒュッテでは、誰もが夜はグッスリと眠れますし、我が家は決してお金持ちではありませんが、心の中だけはどうにかこうにか豊かな生活をしているようです。

 ・・・・・・ところで、
 真夜中の光は、写真を撮るのに充分ではないので、この小人さんの顔が見え難いかも知れませんね?
 それでは、もう少し近付いて撮った写真をおみせしましょう・・・・・・・・

      

     

 どうです?
 これだけ近付けば、真夜中の光が少なくても、この可愛らしい幸せのメッセンジャーの表情をご覧頂けるでしょう!!

 今、ヒュッテの時刻は午前1時半ですが、彼は、今でも階段の下の曲がり角のコーナーに陣取って、我が家の隅々に目を光らせています。

 ・・・・・・・
 この小人のノームの感覚は、とても鋭敏です。
 家のドアや窓の隙間は勿論の事、心の隙間からでも、
 「自分さえよければ、それでいい・・・・・!!」
 という貧乏神がチラとでも、顔を覗かせようものなら、即座に飛んでいって、その貧乏神を追い出そうとして呉れます。

 僕はこの小人さんが大好きです!!

 このサイトのトップページに載っている Ptylitza といいますのは、このノーム (Gnome) の事です。
 ・・・・と言いますのは、Gnome という単語は人間の言葉ですが、Gnome 達が使っている Gnome 語で Gnome 達自身の事を Ptylitza と言うからです。
 ・・・・詳しい事は、全て、Ptylitza のページに書いてあります。
 ご興味のある方は、是非共、Ptylitza のページをご覧下さい。

    

     
2002-05-04(土)        曇ときどき晴           ヒュッテ

 昨夜撮った Ptylitza の写真は、薄暗くてチョット見難いので、今朝、もう一度ノームの写真を撮ってみました。
 ・・・・そしたら、どうでしょう?
 このノームさんは、昨夜と同じ姿勢で、「寝ずの番」をしてるじゃありませんか!
 もう、僕は可笑しくなって、思わず笑ってしまいました。(失礼!)

        

    

    

 ・・・・とにかく、このノームったら、やけに大真面目なのが、メッチャ可笑しいですよね!!!

 ねえ? 貴方だって、そう思いますよね!!

    

      
2002-05-05 (日)        快晴           ヒュッテ

 午前中、冬の間、下水管の凍結を予防していた青いビニールシートと防寒マットを庭一面に干し、きれいに乾燥したやつを物置に仕舞い込んだ。
 ・・・・これは春が来たら、一番最初にしなければならないヒュッテの例年の行事である。

 毎年の事だが、このシート干しが終わると、何故かホッとする。
 ・・・・って言うのは、早いとこ、整理をしないと、地面の湿気と太陽の熱で、防寒マットに黴が生えてしまうからである。
 本当にヤレヤレでした。

 ・・・・でも、まだ、この他に、Jimny のタイヤ交換、キクイムシの薬剤散布が残っている。
 これら全部を一日や二日で終わろうなんて事は、とても無理・・・・・・!!

    
 という訳で、今日の午後は一家三人で、Jimny に乗り、茨沢林道に山菜摘みに出かけました。
 山菜とかキノコには、メッチャ弱い僕達だけど、それでも、コゴミ、ヨモギ、タラの芽、クレソン等が本当にたくさん獲れたって訳。

 お陰様で、ヨモギ、タラの芽の天婦羅、コゴミのおひたし、クレソンのサラダで、本当に美味しい晩ご飯を頂く事が出来ました。

 なるほど・・・・・・今迄、土地の人達が、山菜取りに夢中になっているのを見て、
 「何んで、あんなものに、夢中になるんだろ????」
 と思っていたけど、今夜の晩ご飯の美味しさを味わったら、もうホント!・・・・・病み付きになりそう!!!!

      

     
2002-05-06(月)          快晴          ヒュッテ

 今日はゴールデンウイークの最終日。
 ・・・・・・朝、家内に言われて気が付いたけど、庭の林の陰にエンレイソウが咲いていた。
 エンレイソウは家内の好きな花である。

    
 

     
 緑色の大きな葉に、白い素朴な花が絶妙なコントラストを醸し出して咲いている何んとも言えない清々しい花である。

 ・・・・・それから・・・・・家内が東京から持って来たユキヤナギの白い花も、雪が降り積もったように、フンワリと咲いていました。
 「成る程、ユキヤナギとはうまい名前を付けたものだ・・・・・・!!」
 と、沁み々々と昔の人のセンスのよさに感心してしまいます。

     
 



 ・・・・ところで
 ・・・・今日は心機一転。
 一家三人で、星見ケ池に釣りに出掛けました。

 中学〜高一時代、釣り気違いだった僕は別として、家内も長男も、長男のボーイスカウト時代以来、もう十数年以上、釣竿などは握った事が無い筈。
 勿論、2人とも、どうやって針にエサを付けるのか?・・・・・なんて事も、殆ど忘れてしまっている感じ!
 ・・・・そこで、僕が、2人の仕掛けにエサをつける、「エサ付けボーイ」の役を買って出る。

 その次が、「ウキの役目」と「ヒキと合わせ」の説明。

 それが終わって、やっと、三人で釣り糸を垂れること暫し!!

 ・・・・先ず最初に、僕が、ニジマスを2尾釣り上げたが、家内と長男は、ウキが沈んでも、どうも「引き」を、うまく合わす事が出来ない!!
 ・・・・・・・・・・・
 僕が釣り上げたあと、長男の竿に何回か当たりがあったが、どうも、うまくタイミングが合わない。
 そのうち、大きな当たりがあったと思ったら、今度は針を取られてしまった。
 オヤ、オヤ、オヤ・・・・・・

 それでも、何回か失敗しているうちに、今度は家内の竿に当たりがあり、20cm くらいのイワナを釣り上げ、暫くすると、マタマタ家内が同じくらいの大きさのヤマメを釣り上げた。

 ・・・・と言っても、釣った魚をどうしていいのか家内にはテンデ分らないらしい!!
 「ヒャ〜大変、釣れたわよ、釣れたわよ!!」
 と大騒ぎをして、魚の掛かった竿を持って、右往左往しているだけである。
 ・・・・・・・
 「オイオイオイ、魚が逃げちゃうよ・・・・・!!」
 僕は自分の竿をオッポリ出して、家内の所に馳せ参じ、魚を捕まえて針を外しに掛かったが、2回とも「合わせ」が遅かったせいか、針を喉の奥のほうまで飲み込んでしまっていた。
 「ウヘ〜・・・・こりゃ〜大変だ!」
 と、僕がお魚さんと格闘していると、隣のオジサマが
 「これを使ったらいいですよ・・・・・・!!」
 と釣り糸外しを貸してくれました。
 そんなこんなで、大騒ぎをしている間に、アッと言う間に時間は12時過ぎ。
 ・・・・早いとこヒュッテに引き上げて、食事をしないと、家内と長男は高速バスに乗り遅れてしまう。

 「チェッ、もう時間だよ・・・・!」
 「あら、もう時間? アッと言う間に時間が過ぎちゃうのね!」
 「エ〜ッ、もう帰るの?」
 ・・・・と三人三様のボヤキのプーさん!!

 でも、お陰様で、釣ったばかりのお魚さんの塩焼きで、美味しいお昼ご飯を戴く事が出来ました。

 ・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・
 そして・・・・・
 午後3時半過ぎ、小淵沢から高速バスで東京に帰る家内と長男を見送った僕は、バスが見えなくなると、高速バスの駅を降り、愛車の VW カブリオレに乗ると、屋根をオープンにして軽快に走り出した。
 先刻の往路もそうだったけど、初夏の八ヶ岳山麓を、オープンカーで走るのは、本当に素敵である!
 ・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・
 ・・・・・でも・・・・・この景色のいい八ヶ岳山麓の鉢巻道路を暫くのあいだ走っていた僕は、突然、ハンドルを握りながら大声で笑い出してしまった。
 「ハハハハハハハハ・・・・・・ありゃ〜可笑しかった!!」

 ・・・・・というのは、星見ケ池の釣からの帰り道・・・・・車の中で、家内が
 「これから、ヒュッテに来たら、毎回、釣りに来ようかな・・・・・?」
 と、言ったのを思い出したからである。

 僕もそうだったけど・・・・・・もしかすると、家内も魚が釣れたときの・・・・・・・あの、ビビビビビビッ!・・・・・っと腕に来る当りの感触に目覚めちゃったのかも知れない!
 ・・・・・と思ったからである。

 「・・・・・・・あの、ビビビビビビッ!・・・・・っと腕に来る・・・・・あの感じがいいんだよねえ!! ・・・・・あの感じに惹かれて、皆〜んな、釣り気違いになっちゃうんだモンね〜・・・・・・!!」
 ・・・・・このひと言は、ずっとずっと昔の昔・・・・・・・僕達、腕白釣天狗達が、お互いに言い交わした言葉だったからである。

 今日は、本当に素晴らしい一日でした!!

 チョン!!

  

     
2002-05-07(火)         晴           ヒュッテ

 本来なら、僕は昨日、家族と一緒に東京に戻る筈だったけど、観光案内所に所蔵されている蝶の標本のリストを12日までに作成しなくてはならないので、僕一人だけがヒュッテに残ることになったのでありんす。

 ・・・・・ってな訳で、午後になってから、案内所に出掛け
 「サ〜テ、じゃあ一丁始めるか・・・・・・?」
 と、腕まくりをし、今日の当番の K 夫人と、どんな形で整理するのがいいのかと話し合ったら、彼女の曰く
 「パソコンの中に整理しておいて下さると一番いいのですけど・・・・・・」
 との事。
 「成る程! いいアイディアですね・・・・・分りました!」
 と返事をしたものの
 (サ〜テ、じゃあどのソフトを使おうか?)
 ・・・・・の所で、僕は
 「ウーン!」
 と唸ってしまった。
 本来ならば、Excel を使うのが一番らくなのだが、僕が Excel を滅茶苦茶に使っていたのは、もう 7〜8年も前の Excel 5.0 の時代。
 今、案内所のパソコンに入っている Excel 2000 などは、一度も開いたことは無い!!

 「ヨ〜シ、じゃあ Word 2000 を使ってやってみるか?」
 と腹をくくって、初めてはみたものの、矢張り、データの整理には、Word 2000 の使い勝手はヒドク悪い!!
 ・・・・・・午後5時の閉館まで、データの整理を続けていたが、この後も Word を使い続けるかどうかは、あした考える事にした。

 午後8時、K 工業の T さんから、
 「あしたの朝、10時過ぎに、メーカーの人と一緒に、トイレの水漏れの修理にお伺いします・・・・・!!」
 と連絡があった。
 ・・・・・この連絡は本当に有難かった。
 っていうのは、当初、ホンの少しづつしか漏れてなかった便座の温水システムは、いつの間にか、一晩で小さな洗面器の半分ほどまで、水滴が溜まるようになっていたからである。

    

     
2002-05-08(水)          晴          ヒュッテ

 午前10時過ぎ、K 工業の T さんがメーカーのサービスエンジニアを連れて、ヒュッテに来て下さった。
 ・・・・修理所要時間、約40分。
 水漏れは、無事、補修されたが、その後で、今回の補修費用が有償か無償かで、少し話し合いが持たれた。

 メーカー側は、今回の修理は保障期間の 1 年を過ぎているので有償になります・・・・・・との事。
 それに対して、設置業者の K 工業の T さんは、同様のトラブルがアチコチで発生しているという事なので、無償になるんじゃないですか?・・・・・と言って下さった。
 すると、メーカーさんのエンジニアは・・・・・・
 「それでは、水落としをする時に、いつも、このバルブに指を突っ込んで、この部品を上に上げ、また、このスイッチを押して、水切り運転をなさいましたか・・・・・?」
 と僕に訊いた。
 「いいえ、そんな事はしませんでした」
 すると、メーカーさんは僕に言った。
 「これをなさって頂かないと・・・・・・」
 そこで、僕は言った。
 「チョット待って下さい。なるほど、保障期間の1年以上が経過をしているので、有償になると言うのであれば、お代金を支払うのはやぶさかではありません。 ・・・・・でも、今、あなたが仰った2ツの工程に関しては、そんな事はしませんでした。 ・・・・・と言うのは、この2点に関しては、今ここにいらっしゃる設置業者の T さんも、そんな事をするように言わなかったし(T さんは”ハイ、言いませんでした”と同意してくれました)、T さんが”後で目を通しておいて下さい”と言って下さった、この取扱説明書のなかにも、そんな事は書いてありません!!」
 と言って、赤のマーカーとボールペンで、こまごまと色々な事が記入されている取扱説明書を見せると、
 「・・・・・・・・・」
 メーカーさんは、黙ってしまいました。
 そこで・・・・・・
 「あなたが先程おっしゃられた2ツの工程が、凍結防止の正規な工程だとするならば、この2点が書いてないこの取扱説明書は欠陥のある説明書になってしまいます。 だって、そうじゃないですか? だって、当方は、このマニュアル通りにキチンと対応しているのですから・・・・・・・」
 と言った所で、今日の話し合いは終わりになり、一応、僕が修理代金を支払う・・・・という形で、今日の話し合いは終わりとなりました。
 ・・・・・あとは野となれ山となれ・・・・・ダヨ!!
 だって、言いたい事は全部言っちゃったんだモン!!

    
 午後、案内所に出掛け、蝶の標本データの整理の続きをした。
 ・・・・・・でも、昨日の日記にも書いたけど・・・・・矢張り、データの整理には、この Word 2000 はどうしても使い難い!!
 「エーイ!! かくなる上は、ヤケノヤンパチ!!」
 と、心の中で喚くと(わめくと)、僕はいきなり、Excel 2000 を立ち上げて、昨日と今日、整理したデータをこの Excel 2000 に写し始めたら、どうでしょう?!
 ・・・・・むかし使っていた Excel 5.0 の知識で、どんどんとデータの整理ができてしまうじゃありゃせんか!!

 全く、
 「ウッヒッヒッヒ・・・・・・!!」
 と笑いが止まらない状態でありんす!!

   
 午後5時。
 閉館と同時に案内所を飛び出した僕は、佐久市の蔦屋書店まで足を伸ばし、 Excel 2000 の参考書を買って着ました。
 「ヨ〜シ、面白れえ・・・・・・この Excel 2000 が使えるようにナッチャオ〜・・・・・・っと!!」

 ア〜、何んて忙しい一日だったんでしょ〜ね〜!!」

 チョン!!

     

       
2002-05-09(木)        曇のち晴            ヒュッテ

 NHK の天気予報によると、天気がもつのは、今日一杯とあしたの午前中くらいまでとの事。
 昆虫標本の整理もやらなくちゃいけないけど、雨が降る前に、Jimny のタイヤ交換とキクイムシの薬剤散布は済ませとかなくちゃいけない。

 ・・・・という訳で、前から気になっていた Jimny のタイヤ交換から片付ける事にした。

 「よーし、それじゃあ、左の前輪からおっ始めるか・・・・・」
 と、独り言を言いながら、僕は作業服に着替えると、左前輪のホイールナットを外しに掛かった。
 先ずは・・・・・・19mm のクロスレンチをホイールナットの一つにはめ、左足をレンチの下側の枝に掛け、反対側のレンチの枝を両手で手前に引っ張ればいい。
 ”ギギギギ・・・・・・!!”
 苦しそうな音を立てて、一本目のナットがゆるめられた。
 続いて2本目・・・・・!!
 クロスレンチの威力は物凄い!!
 アッと言う間に、2本の緩められてしまった。

 「よーし、次っ! これで3本目だっ・・・・・・・!!」
 と鼻息も荒く、三本目のナットを緩めにかかった。
 だが・・・・・・
 「・・・・・・・・・・・・・??」
 これは、どうした事だろう・・・・・・??
 3本目のナットは、クロスレンチで左に回す事が出来るのに、いくら回してもナットを緩める事が出来ないのである。
 「・・・・・%&#O・・・・・・??」
 僕は、もう一度同じ事を繰り返せて、やってみた・・・・・・・
 「”#$%&””$&&・・・・・・??」
 ・・・・・結果は同じ事・・・・・・??
 クロスレンチで、そのナットを回そうとすると、
 ナットは確かに左回りに回るものの、いつまで立ってもナットは緩くならないのである。

 「ウヘーーーーッ、何ンだいこりゃあ? ・・・・・・そうだ、オチャオ社長にきいてみよう・・・・・!!」
 僕は仕事を一時中断し、家の中に戻ると、新和オートに掛けて、オチャオ社長に事情を話してみた。
 ・・・・すると、社長は別に困った様子もなく
 「あ、それはですねエ・・・・・・ホイールボルトが基板から外れてるんです。 ・・・・・エート、それはですねえ」
 と前置きをして、その状態を説明して聞かせて呉れ、
 「・・・・・・車をお持ち頂ければ、エアードライバで一挙に、強く回転して、外しちゃいますよ・・・・」
 と、事も無げに説明をしてくれた。
 「ウン、成る程、ヨーシ分った・・・・・・ンじゃあ、外のタイヤを取り替えたら、直ぐに持って行くからネッ・・・・・・!!」

 ・・・・・と言うと、大急ぎで、ほかの3本のタイヤをスタッドレスから夏タイヤに取替え・・・・・・・
        

     
 「アラヨッ・・・・・・!!」
 とばかりに、Jimmy を新和オートに持ち込んだ!!

 すると、別の乗用車の大型修理をしていたツナギ服姿の社長は、仕事を中断すると・・・・・・
 「あ、これですか・・・・・・ドレドレ・・・・・・これはですねえ、エアーでやると、すぐに外れるんですよ」
 と言ったかと思うと、いきなり、エアードライバーを持って来て・・・・・・
 バリバリバリッ・・・・・と、5ツのナットを緩めると、次に、大きなジャッキを持って来て、左前輪を持ち上げると、左前輪をアッと言う間に外してしまい・・・・・・・
 「いいですか、これが、イザという時に、命を守って呉れるディスクブレーキなんですよ・・・・・!」
 と言いながら、鉄の円盤を外し、
 「そら・・・・・いいですか・・・・・・コイツが、今、緩くなって外れているボルトなんです。いいですか、こういうのはですね・・・・・こうして、この工具で、こうして正しい角度にとめてから・・・・・・いいですか・・・・・こうして、電気溶接をしちゃえばいいんですよ・・・・・・・」
 と言ったかと思うと、バチバチバチッ・・・・・・と溶接をすましてしまい、今迄の逆工程で、全てをもとの通りにもどす(この時、この左前輪のスタッドレスを夏タイヤに取り替えてくれました!!)と・・・・・・
 「・・・・・・ほかに、もう一本、右前の車輪のボルトが緩んでるって、言ってましたよね・・・・・・」
 と言いながら、右前の車輪の所に歩いて行き
 「あ、これですか・・・・・・・?」
 と、言ったかと思うと、これも、アッと言う間に、溶接を済ましてしまい
 「ハイ・・・・・・・オシマイです!! ・・・・・・そうだなあ、これかあ、2000円でいいです!」
 との事。
 ・・・・・・・・あとは、事務所にいって、女性の事務員さんに2000円を払い、領収書を切って貰って、
 「ンじゃあ、社長、ホントにお世話になりました・・・・・・」
 と、言って、ヒュッテに飛んで帰り・・・・・・・・
 ・・・・・・・夕方までに、無事、物置の片付けなども、全部済ますことができました。

 メデタシ、メデタシ!!!!!!!!

 ・・・・・・・・
 それにしても、あの手間賃が2000円とは、何んと安い事!!

   
 後で分ったことだが、この話を、今日の夜、たまたまヒュッテに電話を掛けてきた、カーキチの東京の友人に話したところ、そのカーキチ氏の曰く。
 「ヘエーーーーー、そんな事、その値段で、よくやってくれるよね〜!! 大型店だったら、そんな溶接なんかしないで基板ごと取り替えて、もっと、高いお金を払わなくちゃいけないのにサア!!」
 ・・・・・・・との事でした。

 ホントに、オチャオ社長って、面白い男です!!

 チョン!!

    
 追伸:
 夜、8時半くらいに、きのうトイレの修理に立ち会って呉れた K 工業の T さんから電話が入り、
 「・・・・・・八岳さん、朗報です。 昨日のトイレの修理代ですが、アレ、無料になりましたよ! ホラ、自分が申し上げた注意事項を赤い字で細かく記入された取扱説明書を、メーカーさんにお見せになったでしょう・・・・・!! あれを見て、メーカーさんも、何も言えなくなっちゃったようですよ・・・・・・・ ホントによかったです・・・・・」
 と、嬉しそうに言って呉れました。

     

       
2002-05-10(金)         曇のち雨         ヒュッテ

 午前中、雨の降らないうちに、キクイムシの薬剤散布を終わって、ホッとする。

 あと、蝶の標本データの整理が終われば、当面、やらなくちゃいけない事は全て終わりである。
 このデータ整理は、明日と明後日で、何んとか仕上がりそうである。

 全く、ホッである・・・・・!!

 昼食後、案内所に出掛ける前、パソコンを開いてメールを覗いたが、その時、窓の外の緑がとてもキレイだったので、部屋の様子をパチリとデジカメに納めました。

    
 

     
  どうです?
  窓の外の新緑が清々しいでしょう・・・・・・・・!!

  それから、窓の外を覗いたら、林の中の隣家の手作りのログハウスの佇まいが、とても素敵だったので、これも、パチリとデジカメに収めました。

     
 

     
  ねえ!
  この林の中の佇まい、とてもロマンチックだと思いませんか・・・・・・・・!!
  僕は、この景色が大好きなんです!!


2002-05-12(日)        曇のち晴            ヒュッテ

 ついに小海町所蔵の蝶の標本の整理が終わった。
 標本箱の数は 121 箱。
 標本数は 5,177 頭だった。
 ・・・・要した日数は丸4日。
 昨日などは、朝から晩まで、パソコンの入力をやっていたら、左手の小指を酷使していたのだろうか、真夜中近くになって、突然、その小指が痛み始めたのである。
 「あ痛ッ・・・・・・!!」
 余りの痛さに、左手の小指をさすってみると、小指の付け根の所が、太く腫れている・・・・・・・

 以前にも、こんな事が一度あったので、僕は、すぐに左手の小指を使い始めるのを辞めてしまったが、こうなってみると、兎に角、大変なのがキーボード操作である。
 ・・・・今迄のように・・・・・自分の指とキーボードを見ることなく、10本の指でバラバラッと文字を打てたのと違い、今では、打とうとするキーを自分の目で探してから、ポツリポツリとキーを叩く有様・・・・・お陰様で、文字を打ち込むスピードは、今迄の十分の一くらいになってしまった・・・・・・いささか憂鬱である。

    
 話は変わるけど、標本の整理を終えたあと、案内所からヒュッテに帰る途中、高原野菜の畠の近くをとおったら、空気が澄んで、遠くの畠と空の雲がとてもキレイだったので、パチリとデジカメに収めて来た。

     
 


 このアングルから眺めた高原野菜畠の景色は、とても素晴らしい・・・・・・!
 とくに、遠くの畠の陰に消えて行く迂回道路のカーブが美しい!!
 ・・・・僕は、ここの景色が大好きである。
 
 そう言えば・・・・・確か、家内も、このアングルの油彩画を描いた筈である。
 ・・・・と言う事は、彼女も、この景色が大好きなのかも知れない。

 そんな事を考えていたら、ふと、東京にいる家内の事を思い出してしまった。
 ・・・・今頃、彼女は何をしているだろうか・・・・・・・??

 クシュン・・・・・・!!

  

      
2002-05-13(月)          快晴          ヒュッテ → 中野

 午前11時、 愛車 Golf Cabrioret に乗ってヒュッテ発・・・・・・・
 夏のように暑い一日。
 車をオープンにして爽やかなドライブをする。
 素敵、素敵・・・・・・!!
   
 川越 IC にて高速を降り、中央病院の母親を訪ねる。
 脈も、体温も、呼吸も入院時より落ち着いてきているとの事。
 N 先生と、20分ほど、お話をする。
 N 先生は、心の温かい、チャーミングな女性である。
 ・・・・色々と、母親の事を考えていて下さるのが、とても有難い。

     

       
2002-05-14(火)         晴          中野

 午後 Exel 2000 の参考書を買いに出掛ける。
 中野の明屋、ヨドバシカメラを回ったが、気に入った本が中々見付からず、最終的に紀伊国屋書店で

 「ひと目で分る Microsoft Excel 2000 」

 を買って帰って来た。
 ・・・・・・これで、Excel を勉強する手掛りが出来た。
 さあ、この本を勉強すると、またパソコンの世界がまた広がるぞ・・・・・・・!!

     

      
2002-05-15(水)         晴のち曇           中野

 母親がお世話になっているホームから電話があり、母親の体調が急変し、体温が38度、心拍と呼吸が不規則になっているので、もともと転院する予定だった南病院に急遽転院することになった・・・・と連絡があった。

 午後6時、南病院着。
 I 先生から、母親の様態を聞く。
 ・・・・・ I 先生も、前の病院の N 先生と同様、チャーミングで素敵な女医さんである!!
 午後10時半、母親の様態が安定してきたので、帰宅させて頂く事にする。

 真夜中少し前に帰宅。
 ・・・・・とても疲れていたので、ユックリと風呂で暖まり、就寝。

 何んか、物凄く疲れた・・・・・・・!!

    

      
2002-05-16(木)          曇            中野

 午前中、ヨドバシカメラにスキャナーと食卓の上に載せるカラーテレビを買いに出掛けた。

 スキャナーは Epson の GT-8200UF を、CTV はソニーの KV-10R に決め、大きな荷物を両手にぶら下げて、町の中を歩いて帰って来たら、
 「・・・・・・こんなに重い荷物を二つも・・・・・・・!!」
 と、家内の驚くことシキリ・・・・・・!!
 「いや、別に大した事じゃないよ・・・・・・それに、送って貰おうかと思って聞いてみたら、カラーテレビだけの送料が 2,100 円もするって言うから・・・・・・じゃあ、持って帰りますって言って、もって来ちゃったって訳サ・・・・・・!!」
 「・・・・・そうか〜・・・・・でも、体の方が大事よ・・・・・もし何かあったら大変よ!! ・・・・・それに・・・・・・若い子だって、こんなに大きな荷物二つも持って町の中を歩いているの見たこと無いわよ・・・・・・・!!」
 「そっか〜?? それで分ったよ・・・・・・」
 「何が?」
 「・・・・・・いや・・・・・・中野駅から我が家に帰って来る途中・・・・・・・何人かの年配の人と、すれ違ったんだけど、皆さん・・・・・驚いたような顔をして、僕の顔をじっと眺めて通り過ぎたから・・・・・・・・サ!!」
 「そうよ・・・・・・皆さん、きっとビックリなさったのよ・・・・・・・!! でも、これから気を付けてね・・・・・!!」
 「ウン、分った。 どうも有難う・・・・・・!! これから気を付けるよ・・・・・・」

 ・・・・・という訳で、この会話は終わったが、家内の言う通り、これからは・・・・・・66歳という自分の年齢にも、気を付けるようにしましょう・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・
 午後、川越まで足を伸ばし、母親を見に行く。
 母親の主治医の I 先生の話を伺ったところ、母親の様態は、転院当初より大分落ち着いて来ているとの事
 ・・・・・もしかすると、明日、小海に行けるかも知れない!!

      
      
2002-05-17(金)         曇のち雨           中野 → ヒュッテ

 午前中、荷物のまとめ・・・・・・・
 午後、中野を出発・・・・・・途中、入院中の母親の様態を見てから、午後8時、小海着。

 今日は第三金曜日なので、町の公民館の将棋クラブに顔を出し、一番戦ったが、普通に指していれば、別にどうという事もない将棋を、つい、余計な事を考えた為に、大ポカの必死を食らって敗退。

 升田名人じゃないけれど・・・・・・・・全く
 「・・・・・・錯覚イケナイ、ヨクミルヨロシ・・・・・・・!!」
 である。
 ・・・・・・それにしても、弱いなあ・・・・・・お前ってヤツは・・・・・・・全く!!

 午後10時、ヒュッテ着。
 着いてみたら、ヒュッテの中は以外に寒い。
 屋外の寒暖計を見たら、たったの 5℃ !!
 ・・・・・・これって、東京の冬の温度である。

 そのあと、落ち着いてから、東京の家内に電話したら
 「・・・・・・・こっちも、とても寒いの・・・・・・・ストーブ点けてるわ・・・・・・・!!」
 との事、
 「・・・・・・・え、ホント? ・・・・・・それじゃ、風邪をひかないように注意してね!!」
 といったら
 「パパも気を付けてね・・・・・・・!!」
 と家内。
 ・・・・・・・結局、いつもの通り
 「それじゃ、お互いに、気を付けなくちゃね・・・・・・・」
 「そうね、お互いに気を付けましょうネ・・・・・・!!」
 ・・・・・・・で、オヤスミナサイになりました。

 チョン・・・・・・・!!

    

        
2002-05-18(土)         雨(濃霧)         ヒュッテ        L = 4 ℃  H = 10 ℃

 今朝の最低温度は4度。日中の最高気温は10度だった。
 これって、東京の真冬の温度にほぼ近い気温なんでありんす。
 お陰様で、今日は一日中ストーブを焚きっぱなしでした。

 ・・・・・ところで・・・・・
 午前中は、公民館報に連載中の「小海町の蝶(32)」の原稿書きに没頭する。
 今回のテーマはゼフィルスのジョウザンミドリシジミ・・・・・・・
 ・・・・・キーボードを叩きながらフト気が付いたのだけれど、間も無く、ゼフィルスの季節になる。
 そう・・・・・今年は、もう少し真面目に採集に精を出してみようかな?・・・・・・と思いました。

     
 4:00pm
Finnoj and Koumianoj assembled at domo finna and discussed about "Mid-summer".
And as for "Mid-summer", the following articles on the "If possible" basis have come to mutual agreement.

●"Mid-summer" will be celebrated on the consecutive two evenings this year.

●On the 1st evening bon-fires will be set on the shore and on the water of the lake.
Barbecue and drinks will be prepared by finnoj at finna domo, and koumianoj will be invited to their "Mid-summer".
Muziko finna and some other performances will be prepared by finnoj.

●On the 2nd evening, "Mid-summer" will be celebrated by koumianoj and other japanoj at Re-ex, and finnoj will be invited to "Mid-summer japana". Some finnoj will read lecture about real "Mid-summer" in Finnio. Along with the lecture, some muziko finna and also some video soft will be reproduced on a video projector prepared by koumianoj.
Finna barbecue corner will be prepared by finnoj, mingled with barbecue corners japanaj.
Bon-fire will be prepared by koumianoj.

●From next year, finnoj , koumianoj and other japanoj will celebrate "Mid-summer" at "finna domo" together on the same evening.

(当日の会議への出席者は下記の通りです)
フィンランド側 : Mr.Bxxxxx, Ixxxx 建設社長、
こうみ塾側   : Kxxxxxxxx 氏、Ixxxx 氏       
司会・通訳   : 八岳晴耕                

★ 当日のその会議場には
上記 5名のほかに、あと一人の人が
居ましたが、会議の正式メンバーではないので
上記のリストには記載致しません。

   
 4 年越しの夢が、こういった形で実現するなんて、本当に信じられない気がする。
 ・・・・・・・だって、大使館時代の Herr. B と会ったのは、もう、10年以上も昔の事。
 ・・・・・・・しかも・・・・・その彼と、こういった形で、又、再会するなんて・・・・・・・!!
 本当に、人生って、何んて不思議で、そして何んて素晴らしいんだろう!!!!!

Bravo ! !

 夜、今朝書き上げた蝶の原稿を届けに行った際、この結果を久さんに話したら、例の「飲み会」に集まる150人は、当初、 Mid-summer を祝おうという事で、集まる予定だった・・・・・・・との事。
 そんな事を全く知らなかった僕が
 「えっ? じゃあ、僕がやった事って、少しはお役に立てたんだ・・・・・・!!」
 と言うと、
 「お役に立てた・・・・・どころの騒ぎじゃないですよ! それは、殆どあきらめかけていた事を、八岳さんが正常な軌道の上に載せてしまった・・・・・・という事なんです。 だから、H ちゃんなかは、とても喜んでいると思いますよ!!」
 ・・・・・・との事。

 それにしても、2 時間近くに亘って司会をしたり、通訳をしたりするのって、結構疲れるみたい!!
 ・・・・・・・サア、寝よう〜っと!!

       

    

2002-05-19(日)       曇         ヒュッテ

 朝食後、庭に出てみたら Bay window の前に、数年前に家内が植えたライラックが爽やかな薄紫色の花をつけていた。
 ・・・・・・・まだ、六分咲きの感じだけど、花の感じがとても匂やかなので、デジカメに収めることにした。
 このライラックは、たしか新宿の京王デパート屋上の花屋さんで、ビニール・ポットに入った苗木を家内が求め、このヒュッテに持って来て、自分で植えたものだったと思う。

 あれから数年、2年ほど前から小さな花房をつけるようになり、今年はこんなに見事な房を付ける様になりました。 ねえ、ホラ、見て下さい・・・・・・・とても清々しい花でしょう?!

 ・・・・・・ライラックの左側に少し見えているレンゲツツジの蕾も、大きく膨らんで来ているんです!!

 素晴らしい春!
 ・・・・・間も無く、ヒュッテも素晴らしい初夏の緑に包まれます・・・・・・!!

     

     
 ところで、今回、ヒュッテにやって来た最大の目的は、昨日の ”Mid-summer” のうちあわせである。
 その打ち合わせが終わってしまった今は、一刻も早く、東京にもどらなければならない。
 母親がいつまた危篤状態になるか分らないからである。

 午後1時、ヒュッテ発、東京に向う。
 横河 SA で遅い昼食を摂る。
 ・・・・と、ここまでは順調であったが、藤岡で関越自動車道に入ったトタン、道は渋滞に継ぐ渋滞。
 川越 IC 付近までやって来たのは、午後の6時過ぎ。
 ・・・・当初、行き同様、帰りも川越で高速を閉じ、霞ヶ関南病院に母を訪ねる予定であったが、兎に角、物凄い渋滞なので、真っ直ぐ自宅に戻ることにする。

 午後8時過ぎ、自宅着。

 フ〜〜〜ッ、疲ッカレタア〜〜〜!!

    

      
2002−05−21(火)          晴           中野

 今日は午後になったら、母親の所に出かける積もりでいたら、午前10時少し前、霞ヶ関南病院から
 「お母様の様態が、非常に覚束ないです。 至急、病院にお出掛け願います・・・・・・!!」
 と連絡が入った。

 「アチャ〜ッ、これは大変なことになっちまったよ・・・・・・!!」
 僕は心の中でそうボヤクと 兎に角、どうしてもしなくてはならない事だけを大至急片付け、30分後には、母親の入院している霞が関南病院に向う車の中で、ハンドルを握っていた。

 でも・・・・・・・午前11時15分、病院の近くの大きな交差点を曲がった時、突然、携帯電話のベルがなったので、道端に停車して、携帯電話の受信ボタンを押すと、受話器から家内の声で・・・・・・
 「・・・・・・今、ホンの少し前、病院の先生から電話連絡があり、11時10分、お母様は本当に眠るようにお亡くなりになりました・・・・・・って、連絡があったわ・・・・・・・でも、注意をして病院まで行ってね・・・・・・・」
 と、連絡があった。
 「どうも有難う。もう、あと5分位で、病院に着くから大丈夫・・・・・・事故なんか起こさないよ・・・・・・!!」
 僕は言葉少なにそう答えると、シフトギアを Drive に変えて、もう直ぐそばまで来ている病院に急行した。

 病院に着くと、僕は先生や婦長さんや看護婦さんに挨拶をし、先生から説明を伺ってから、母親の病室に入り、ベッドに寝ている母親に対面した。
 ・・・・・すると、どうだろう?
 母親は、本当に、スヤスヤと眠っているように目をつぶっているではないか・・・・・・・!!
 僕は、瞬間、自分の目を疑った程である。
 ・・・・・・と言うのは、今迄の人生の中で、これほど穏やかな母親の寝顔を見た事が無かったからである。
 そして・・・・・その寝顔は、正直な話、穏やかと言うのを通り越して、本当に美しい!!・・・・・・とでも言えるような表情をしていたからである。

 ・・・・・・・・
 ・・・・・・・・
 それから暫くの間・・・・・・・病院の方々が、僕達を2人だけにして下さったので、僕はベッドの脇に置いてあったイスに腰掛けると、ベッドの柵の上に両腕を平らに載せ、更に、その手のひらの上にアゴを載せて、母親の顔をボンヤリと眺め始めた。
 そう・・・・・・僕は母親の顔を、本当にポカンと・・・・・よく分らないけど、10 分くらいの間、眺めていたのではないだろうか・・・・・・?
 が、そのうち、ふと気が付いて
 「・・・・・神様、こんなにも安らかに母親を眠らせて下さった事を感謝致します・・・・・!!」
 というような事を、ムニャムニャと心の中でお祈りをすると、ユックリと病室を出て、ナースステーションの方に歩いて行った。
 ・・・・・・お腹がペコペコな事に急に気が付いたからである。

    
 さて、それからの半日の忙しかったこと・・・・・・・!!
 ・・・・まず最初に、僕は昼食をとりながら、これから何をしなくちゃいけないかを、考え始めた。
 母親の遺体の引き取り。
 葬儀の事。
 火葬の事。
 ・・・・えーと、それから・・・・・?

 僕は、小さい時から、何回か見聞きしている葬儀の場面を思い出しつつ、色々な手筈を考えたが、どうもよく分らない。
 「・・・・・・・????」
 ・・・・食事が終わると、僕は早速、家内に電話を入れ、アアデモナイ・コウデモナイ・・・・・・と2人で話し合った末、母親の遺体の置き場所を我が家の和室とだけ決め、あとは牧師先生と葬儀社の方達に一切をお任せする事にした。

 ・・・・そうと決まれば、あとの道程は一本道である。
 僕は牧師先生に電話を入れて事情を話すと、大変に驚かれている先生から、先生がご存知のキリスト教関係の葬儀社の連絡先を頂戴し、続いて同社に連絡を入れると、まず最初に遺体の移動をどのようにしたら一番いいのかを伺った。

 ・・・・・その結果、午後4時過ぎ、病院で手配して下さった寝台車で、我が家の和室に遺体が運び込まれると、僕は再度、葬儀社の「栄光社」さん宛に連絡をとり、30分程してから、駆けつけて下さった K さんと、家内共々いろいろな事柄の打ち合わせをさせて頂いた。

 ところで、僕はナンヤカヤと余計な手間や時間が掛かったりするのは、どうも肌に合わない性格の持ち主のようである。
 ・・・・・だから、あの訳の分らない戒名だとか、葬儀の際に(ハテ、何回、お香を上げたらいいんだろう?)と考えさせられるお焼香などが無いキリスト教の方が、何んとなくサッパリして肌に合っている様な気がしてなりません。
 さて、このような自分の性格もあった所為か、全ての打ち合わせが終わってみると、

● 前夜式(お通夜)は行わず、葬儀のみを行う。
● 供花、お供物などは全てお断りをする。
● お花料(お香典)も、一切お持ち頂かない。

 ・・・・・・という単純明快な葬儀になっていました。
   
 それ迄の間、K さんは、私共夫婦2人が発する色々な質問に丁寧にお答え下さり、心配事があると、分り易く説明して下さるので、僕と家内はどんなに気持ちが楽だったかは、読者の皆様には、お分り頂けないのではないかと思います。

 K さん、本当に有難う御座いました。
 ・・・・・この場を借りて、お礼を申しあげます・・・・・・!!

 さて、夜が来て、寝る時間になった時、今夜と明晩は僕が母親と同じ部屋で寝ることにしました。
 そう・・・・・僕が母親と同じ屋根の下で眠るのは、数年前、母親がヒュッテに遊びに来て、四日ほど泊まっていった時以来のことである。
 ・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・
 僕は、母親が休んでいる布団と並べて自分の寝床を敷き、風呂から上がると・・・・・一、二分、母親の静かな寝顔を眺め・・・・・ユックリと自分の寝床に潜り込むと、アッという間に眠り込んでしまいました。

   

       
2002-05-22(水)         曇          中野

 朝食後の紅茶を飲んでいるときに、フト、家内が思い出したようにこう言った。
 「ゆうべパパったら大きな鼾(いびき)をかきながら、物凄くよく寝ていたわよ・・・・・・!!」
 その言葉を聞いた僕は、すぐに家内にこう聞き返した。
 「エッ? ・・・・・・じゃあ、ウルサクテよく眠れなかったんじゃない・・・・・・・?」
 「ううううん、そんな事無かったわ・・・・・大丈夫・・・・・でも、お母様、久し振りに親子で一緒に寝られて、喜んでるんじゃないかしら・・・・・・・??」
 「エーーッ、母さんが? ・・・・・・・まさかあ・・・・・・!!」
 ・・・・・と言ったところで、息を呑んだ。
 と言うのは・・・・・・僕は、その言葉のあとに、
 (そんな事ないよ・・・・・・だって、母さんは、死んじゃったんだもの〜!!)
 という言葉を続けようと思っていたからである。

 ・・・・・でも僕は、そのあとで、その言葉とは全く関係の無い別の言葉を継ぎ足していた。
 「でも、僕は、母さんが苦しまないで、とても静かに死んだのが、とても嬉しいよ・・・・・・」
 その言葉を受けて家内は言った。
 「そうよねえ・・・・・ホントに眠っているような、穏やかな顔をしてるわ!!」
 「・・・・・そう、ホント!! 今迄、オレさあ、色々な母さんの顔を見てきたけど、こんなにキレイな母さんの顔を見た事ないよ・・・・・」

 そんな会話をしたあと、僕はもう一度、母親の顔を覗きに行った。
 ・・・・・そして・・・・・もう一度
 ・・・・・そう・・・・・本当に・・・・・・こんなに素敵な顔をしている母親の顔は見た事がない!!・・・・・・と思った。
 そして、その寝顔をデジカメに収めた。

    
 

トッキー(右)とノンキー(左)の
2 匹の縫いぐるみに見守られて休む母親・・・・・
 生前、母親はこの 2 匹の縫いぐるみを
有袋類のように、いつもパジャマのズボンの中に入れて
車椅子に腰掛けていた・・・・・・・

     
 もしかすると、この様な母親の写真をインターネットの日記に載せるなんていう事は、とても不謹慎な事なのかも知れない。
 でも、その反面、ベートーヴェンの石膏のデスマスクが、新宿の世界堂や東京駅近くの東急ハンズで、販売されている事を考えると、別段、どうと言う事でもないのかも知れない・・・・・とも、ついつい思ってしまう。

 と、いうのは・・・・・・・今の僕にとっては、眠るが如く他界した母親が、こんなにも穏やかな顔をして休んでいる事が、本当に嬉しくて仕方がないからだ!!

 そして、僅か50日にしか過ぎなかったけれど、母親がクリスチャンとして生きられた事を、神様に感謝せずにいられない・・・・・・

 僕が 7 才の時に、父親と離婚をし、そのあと他界するまで、僕と別姓のままだった母親・・・・・・その一生は、筆舌に尽くせないような苦しみと悩みに満ちたものだったけれど、最後の最後に、本当に静かにイエスさまのもとに召されて行ったことを、今の僕は本当に神様に感謝せずにはいられない・・・・・・!!

まったく

Das Ende gut, alles gut ! !

・・・・・・である!!

     
 午前11時、栄光社さんがやって来て、納棺をして下さった。
 納棺後の仏教の祭壇(父親の葬儀は仏式でした)は、白ずくめ・・・・・・お花も菊とか白系の花が多いため、部屋の中には何か清楚というよりは冷たい感じが漂いますが、キリスト教の場合は、花の色も、棺の覆いの色も大分異なるため、部屋の中にいても、それほど違和感を感じないのが不思議である。

     
 

   
 午後、静かな居間のソファーに腰掛け、一輪だけ咲き残った庭の白ボケの花を、小一時間ほども、何も考えないで、ボンヤリと眺めていた自分自身が、何故か不思議に思えて仕方がなかった。
 ・・・・・今迄、いつ病院から呼び出されるかも知れない・・・・・・と思い続けてきた、ここ暫くの間の緊張感が、不意に無くなったせいなのだろうか?
 それとも、クリスチャンとしての母親の人生が余りにも短かったのが、チョット淋しかったのか・・・・・・僕には、よく分らないけれど・・・・・・とにかく、小一時間ほども、何も考えないで、ボンヤリと眺めていた自分自身が、とても不思議に思えてならなかった・・・・・・!!

 淋しさとも、疲れとも、ホッとした安堵感とも違った・・・・・・何かポカンとした、この気持ち!!
 たとえ小一時間ほどだったにせよ、こんな気持ちに襲われるなんて、今迄の僕には本当に想像出来ないことだっただけに・・・・・・何か、とても不思議な気がします。

 チョン!! 

     

      
2002-05-23(木)         曇時々晴          中野

 午前11時過ぎに早めの昼ご飯を食べた私共一家三人は、正午少し前に教会に着いた。
 ・・・・・・栄光社さんの K さんに、その頃までに教会に入るよう連絡を戴いていたからである。

 教会に入ってみると、K さんのほかに栄光社さんの方が2人ほど・・・・・ K さんに挨拶をして、少し話をしていたら、すぐに牧師先生が奥から出て来られたので、先生にも挨拶をし、礼拝堂の中に入ってみると、今朝9時過ぎに我が家を出棺した母親の遺体の祭壇は、もう、すっかりとキレイに飾られていて、あたりには素晴らしい花の香りが漂っていた。
 ・・・・・・今日も、その瞬間感じた事だけど、親父の仏式の葬儀の時に比べると・・・・・・飾られている花の色合いから柩(ひつぎ)の覆布の色に至る迄、全てのものがかなり違っている為、部屋に入った時の第一印象はまるで違った感じを受けるような気がしてならない。

 僕の感じでは、父親の葬儀の時の感じよりも、今日の母親の葬儀の飾りつけの方が、何かこう暖かい感じがしてならなかったが、その事は、あとからやって来た、友人知人の何人かの口からも同様の意見を聞かされたので、あながち僕一人の個人的な印象ではないのかも知れない。 (・・・・・・残念ながら、この葬儀会場の写真をとっておかなかかったのに気が付いたのは、翌日の事でした・・・・・・)

   
 閑話休題
 ・・・・・そうこうする中(うち)に、ピアニストの U さんがやって来て、オルガンの奏楽の指慣らしを始めたので、礼拝堂の中は、一層、暖かい空気に包まれた感じがしだした。
 家内と長男は、牧師夫妻と話をしているし、全体の準備は、栄光社さんの手で全て整えられているようだ・・・・・・
 窓を眺めると、薄日が射して来たので、僕はお天気具合を見るために、教会の玄関から外に出てみた。
 ・・・・・外に出ると、空は、きれいに晴れ上がっていた。
 僕は、青空の下で胸一杯に深呼吸をした。
 ・・・・・と、その時
 「八岳さんは、S 社にお勤めだったんですか?」
 と、女性の声がした。
 振り向くと、一昨日からお世話になっている K さんである。 K さんの笑顔はとても素敵である。
 「エッ、どうしてご存知なんですか?」
 と、少し驚いて聞き返すと、
 「・・・・・先程、先生の奥様からチョット伺ったものですから・・・・・・」
 と、Kさん。
 「・・・・・・ナルホド・・・・・アハハハ・・・・・・そうです・・・・・・・・仰る通りですが・・・・・・」
 と言うと
 「それでは、XX課長の T さんをご存知ですか?」
 と、Kさん。
 「えーーーーっ!! どうして彼をご存知なんですか? 知ってるどころの騒ぎじゃないですよ。 彼はホント、物凄く気さくな男でね・・・・・・・以前、僕達は同じKK室の課長同士で、本当によく色々な事を話し合ったものですよ・・・・・・・そうですか、彼をご存知なんですか? ・・・・・・アハハハハ・・・・・・彼は、ホントにイイ男ですよ・・・・・・・!!」
 という会話が切っ掛けになって、それからの数分間、話は T 課長の事、彼の趣味の無線のこと、山歩きの事、彼の年賀状のマンガの自画像の事・・・・・などなどに花が咲き、K さんの趣味の一つが山歩きである事も分った次第である。
 ・・・・・本当に世の中は狭いものである。

 ・・・・・・・・
 と・・・・・・この時、教会の外階段を、教会員の T さんが上がって来られるのに気が付いた K さんが受付に戻られたので、僕も家内と長男がかしこまって坐っている礼拝堂の最前列に戻ることにした。

 ・・・・・・・その頃から、ボツボツと参列者の方々が集まって来て下さり、午後1時の葬儀の開始時刻には、30人程の人たちが集まって下さったのは、本当に感謝である。
 ・・・・・・というのは、母親が、この中野区に嫁いでいたのは、もう六十数年も昔の事。
 ・・・・・・その後、父親と母親が60年前に離婚をした為に、母親は実家のある川越市に戻ってしまい、それ以来、彼女はこの中野区に生活した事がなく・・・・・・今回の葬儀に関して、僕自身も、ごく少数の友人・知人・縁戚にしか連絡をしなかったので、これだけの人達が貴重な時間を割いて集まって下さるなんて、とても想像出来なかったからである。
 これが、感謝でなくて何んであろうか?
 本当に有難いことである。

   
 11時になると、内田さんが演奏する素晴らしいオルガンの前奏が礼拝堂に鳴り響いて、告別式が始まりました。

 今回の告別式の式次第は下記の通りでした。

   
前      奏

聖      書    詩篇 23 : 1 − 4

讃  美  歌    217                         一   同

聖      書    コレヘトの言葉 3 : 1、 9 − 11

祈      り

讃  美  歌    312 (故人愛唱)                 一   同

式      辞

祈      り

讃  美  歌    405                         一   同

祝 福 の 祈 り

後      奏

   
遺 族 挨 拶

告      別  (献  花)

    

 この一連のスケジュールの中心となっているのは、牧師先生のお話による式辞です。
 仏式の場合、お坊様の役割というのは、殆どお経を上げる事に集中されていて、式の中でお坊様がお話をするという事は殆どないようですが、キリスト教の式典の中心は何んといっても、牧師先生の式辞(説教)であることも、大きな違いの一つになっていると思います。

 その外の大きな違いは、お経の代わりに聖書の一部分が読み上げられる事、参列者全員で讃美歌を歌う事、お焼香の代りに献花(ひとりひとり渡された一本の白いカーネーションを柩の前にお供えすること)があること、参列者は礼拝堂のイスに腰掛けて告別式に参列する事などではないかと思います。

   
 午後2時過ぎ、教会から出棺した柩は火葬場に向った。
 火葬場に着くと、一同、柩の周りに集まり、牧師先生と一緒に讃美歌を歌い、牧師先生のお祈りの後、遺体は火葬に付された。 この讃美歌の斉唱や牧師先生のお祈りなども、仏式の火葬の場合は行われないが・・・・・火葬後の遺骨の拾い方も、仏式とキリスト教の場合は違うようである。
 仏教の場合は、遺骨を拾う時は、2人が一組になって一片の遺骨を拾うのが普通のようだが、キリスト教の場合は、特にその様な慣わしが無い為、今回の火葬場の担当者は
 「お一人でなさって頂いても結構です。 お2人一組でなくても結構です・・・・・・」
 を、何回か繰り返していたのが、とても印象的でした。

    
 午後4時過ぎ、母親は遺骨となって我が家に帰宅。
 ・・・・・遺骨の帰宅と共に、数人の縁戚関係者が遺骨に付き添っていらして下さった事が、とてもあり難くて嬉しかったです!
 ・・・・・・・・・・
 ・・・・・さて、遺骨は栄光式典社の方が、床の間の前に、早速、安置して下さったが、遺骨を覆っている化粧布が正面に白い十字架をあしらった黒色なのも、白色の布の仏教の場合と対照的でした。
 ・・・・・・・・・・
 遺骨が安置されると、皆さんは早速、お参りをして下さったが、
 お参りを済ませた一人の縁戚が、居間に戻って来ると、ソファーに坐りながら
 「ねえ、ご遺骨って、黒い飾り布の方が、白よりも何んとなく親しみ安い感じがするわよね・・・・・・・!!」
 と言っていたのが、とても印象的でした。

   

   
 午後6時、先刻まで賑やかに話をしていた縁戚の人達が帰ってしまうと、家の中は急にヒッソリとしてしまい、改めて、何かこう心の中にポッカリと穴が開いたような気がするのが、とても不思議でした。

 昨日の午後もそうだったけれど・・・・・・・それは、淋しさとも、(もう緊急に呼び出されないで済む!)という安心感とも違った、何んとも言えない不思議な気持ちでした。
 ・・・・・もしかすると、それは・・・・・・いつも心の中の何処かで、ピーンと張り詰めていた何かが、急に無くなってしまった為に起きた、緊張の欠如感のようなものだったのかも知れません。

 変なの・・・・・・!!

   

      
2002-05-24(金)          曇時々晴            中野

 母親が他界したせいだろうか?
 今日は、何か、一日中ポカンとしていたような気がする・・・・・・!!

 普段、やりたい事がゴマンとある僕の事だから、こんな風に一日中、何をするのも気乗りがしない・・・・・・・なんていう事は、自分ながら本当に信じられない事である。
 

 午後、フト気が付いたのであるが、兎に角、体全体が何か物凄く体がダルくて、疲れている感じがする。
 ・・・・・・家内に話すと
 「・・・・・・きっと、疲れていたのよ! だって、お母様、何回か入退院を繰り返していらしたし、病院から連絡があると、その度にパパは何回も病院に急行していたし・・・・・・・」
 「そうかなあ・・・・・・だって、忙しいのはメッチャ忙しかったけど、そんなに疲れているなんて感じてなかったぜ!!」
 「たぶん、物凄く、気持ちが張り詰めていたんだと、思うわ・・・・・・」
 「・・・・・・そうかなあ? ・・・・・・・そうだとすれば、今度は貴女が気を付けなくてはいけないぜ・・・・・・・」
 「うん、どうも有難う! ・・・・・・気を付けるわ・・・・・・・!!」
 家内は静かに言った。

 ・・・・・・と言うのは、彼女も一生懸命、入院中の病人の世話をしているからである。

    

    
2002-05-26(日)           晴           中野

 今日の午後、某所で、知人の I さんという若い女性に声を掛けられた。
 「え? 何んだい? 何か用?」
 ・・・・・・ブッキラボウに、僕がこう聞くと、
 「あの〜、お願いがあるんですけど・・・・・・」
 と、改まった調子で、彼女は切り出した。
 「何んだい? また、やけにカシコマッチャッテ・・・・・・」
 というと、
 「実はですね・・・・・・」
 彼女は、こう前置きして、今年の秋、お友達と2人でヒュッテに2泊ほどお邪魔をしたいのですが・・・・・・と小さな声でいった後、その時もしくはその前後に、もし都合がつけば、僕の知り合いのカトリックの修道女の K さんとおっしゃる方にも、是非、お目に掛かりたいのですが、と、更に小さな声でこう言った。
 「えーっ? どうして貴女は彼女を知っているの? 僕、Kさんの事を、貴女に話したかなあ・・・・・・・?」
 と言うと、彼女は
 「いいえ、その方のことは、八岳さんのホームページに載っていていたんです・・・・・・」
 「エ〜〜ッ、そうだっけ・・・・・・まあ、いいや・・・・・・でも・・・・・・・どうして、彼女に会いたいのサ?」
 ・・・・・と言うと、I さんは
 「・・・・・私の、そのお友達というのは、外国の方なんですけど、とっても真面目な方なんです。・・・・・それで、そのお友達が日本に来たら、八岳さんにもあって頂きたいンですけど・・・・・・その外に、そのカトリックの修道女の方にも是非、会わせてあげたいんです・・・・・・・」
 と、 I さんは考え考え、言葉を継いだ。
 ・・・・・・その I さんの言葉に刺激された僕は、彼女に色々な質問をしたあと、10分ほどしてから、僕はこう言った。
 「うん、いいよ! そういった事情なら、K さんに、話してみるよ・・・・・・・!」

 ・・・・・・・・
 ・・・・・・・・
 話は、現在、ここまでしか進んでいないけど、僕は、この話を、とても素敵な話だと思った。

 ・・・・・・・・・って、言うのは、僕が I さんと K さんという2人の女性を知っていた為に、 I さんのお友達と修道女の K さんが、お互いを知り合い、その2人の方たちの世界が広がったとすれば、僕にとっては、こんなに素晴らしい話はないからである。

 僕は、僕の友達の中に・・・・・・・僕のホームページの中の K さんのような献身的な方の価値を見つけて呉れた・・・・・・・・ I さんという素晴らしい友達がいる事を誇りに思うし、K さんという献身的な方が長い間、僕というツマラナイ男と年賀状を交換していて下さったり、また時折り連絡をとっていて下さった事を、本当に嬉しく思ったからである。

   
 チョット話は大げさになり過ぎてしまうかも知れないけど・・・・・・・お陰様で、僕は、今日まで生きていて、本当によかったと思います。

 今日は、本当に素晴らしい一日でした。

 I さん K さん、それから大勢の皆様、本当に有難うございます。

 オヤスミナサイ・・・・・!!!!!!!

     

      
2002-05-27(日)          曇りのち晴            中野

 僕は喫茶店が好きである。
 チョット、暇が出来ると、散歩の途中に、フラリと立ち寄って来る事が多い。
 ・・・・・今日もそうだった。

 ほとんど何することもなく、ブラブラと半日を過ごしてしまったので、夕方近くに散歩に出かけ、そのついでに、Gザック に立ち寄って来た。

      

 喫茶店 Gザック は閑静な住宅街の真ん中にある。
しかも、その入口は小路より1メートルほど引っ込んでいるので、入口の真ん前まで行かないと、そこが喫茶店だなんんて、全くわからない。

 それでは、看板が無いのかというと、店の前にはチャント看板があるのである。
 でも、その看板は周囲の雰囲気を壊さないようなセンスのいい看板なので、よく見ないと、そこに看板があるなどと気が付かないほど、辺りの静かな家並みに溶け込んでしまっている。

    

     
  店の中の雰囲気も、とても落ち着いていて、中に入ってお茶を飲んでいていると、本当に気持ちがユッタリとする。

       

      
 僕は、この喫茶店が大好きである。
 でも、僕がこの Gザック が好きな理由は、外にもう一つ、大きな理由があるからである。

    

    
 それは、この Gザック のママが素敵な人だからである。
 なにが素敵かと言うと、自分の周りに垣根を築かない事である。
 ・・・・・・・正直な話、この人と話していて、筆者は金銭、地位、名誉、知識、優越感、差別・・・・・などに彼女が特別な意識を持っている事を感じた事がない。

 だから、他人の事を批評する事も殆どないし、他人のやっている事にいちいちケチを付ける事もない。
 ・・・・・・・と言うと、何んとなくなりゆき任せの人のような気がするかも知れないけれど、決してそんな事はありません。
 筆者と話している時、彼女は自分を取り巻く社会や物事や人々に対して、本当に色々な事を話して呉れます。
 場合によっては、相当、強烈な事を言う事もあります。
 ・・・・・・・でも、その何れをとっても、批判や文句や愚痴などに聞こえる事がないのである。
 ただ、淡々と、実際の物事について、自分が感じるままを話しているように聞こえるから不思議です。

     
 (・・・・・・・どうして彼女って、そうなんだろう・・・・・・・?)
 ・・・・・・或る日のこと、そんな事を、ふと、考えたことがありました。
 そして・・・・・・・暫くの間、考えていた筆者は、突然・・・・・・・・
 「そうか・・・・・・・分った・・・・・・・そうなんだ・・・・・・・・!!」
 と、言ったあと心の中でこう思ったものです。
 (この人は、他人を見たときに・・・・・”自分と相手の何処が違うのだろう?”というところに関心が行くのではなく・・・・・”自分と相手の何処が同じなのだろう?”というところに関心が行く、数少ない人の一人なんだ・・・・・・・!!)
 と・・・・・・・・

 そうです!
 他人を見たときに、
 ”自分と相手の何処が違うのだろう?”というところに関心が行く時、人々の心の中に巣食い易い感情は、えてして・・・・・差別、優越、軽蔑、批判、嫉妬、怨恨・・・・・・・などの心理的要素が多いのに対して
 ”自分と相手の何処が同じなのだろう?”というところに関心が行く人々の心の中に湧き上がる感情は・・・・・殆どの場合、共感、同情、労わり、慈(いつく)しみ、愛情・・・・・・・などだからである。

     
 世の中には、本当に色々な喫茶店があります。
 ・・・・・・でも、環境、雰囲気、心持・・・・・・・の三つが揃った喫茶店は、そんなに多くはありません。
 そのような意味からも、この Gザック は、筆者の大好きな喫茶店の五指の中の一つに数えられる喫茶店だと言えるのかも知れません。