20026月 の高原日記



2002-06-01(土)         晴          中野

 午前中、近くに住んでいるマリを僕の大好きな喫茶店 Gザック に連れて行った。
 マリはとても可愛らしいキュートな女の子である。
 そして・・・・・・・明るくて屈託が無くって、物凄く性格がいい。

 Gザック で1時間半ほど、ママ達と話して来たけど、帰り掛けに
 「・・・・・・な?  いい喫茶店だろ?」
 と、聞くと
 「うん、凄く楽しかった・・・・・・・!!」
 と言ったあと
 「ねえ?・・・・・・・どうして、今まで、あの喫茶店のことマリに教えて呉れなかったの?」
 と言った。
 「エッ、どうして〜?・・・・・・・・オレとマリは、そんなにしょっちゅう会っちゃいねえじゃねえか・・・・・・・オタンコナスめえ!!」
 と言うと
 「アハハハハ・・・・・・そうかあ!」
 と屈託無く笑った後
 「八岳さんちの車・・・・・・・さっき聞いたけど、VWのオープンカーだったんだあ!」と言ったので
 「うん、そういう事になるかな?」と言うと
 「ネエ・・・・・・今度、乗っけてよ・・・・・・」とマリ
 「ああ、いいよ・・・・・・そのウチネ」と言うと
 「でも、何んで今まで、私に黙ってたの・・・・・・これで、もう、今日、私に黙ってたの二ツ目だよ・・・・・・」と言う。
 「・・・・・・さっきも言ったろ、俺達、そんなにショッチュウ会っちゃイネエ・・・・・・って!」
 と言って、拳骨を作り、殴る真似をすると
 「アハハハハ・・・・・・・ごめんなさい・・・・・・・」
 と全く屈託が無い。
 「もう・・・・・・・・ッタク!」
 と言って、チッと口を鳴らすと・・・・・・・
 「でも・・・・・・・八岳さんの奥さんて、今朝会ったけど、とってもキレイだよね〜・・・・・・・!!」
 と言って、戦法を変えてきた。
 「ダメダメ・・・・・・今更、お世辞を言ったって・・・・・・」と言うと
 「嘘じゃないよ・・・・・・・ホントだよ・・・・・・」とマリ
 「駄目だ、駄目だ・・・・・・その手には乗らない・・・・・・!!」
 「それに、トッテモ若いし・・・・・・」と言ったので
 「うん、それは、よく言われるな!」と、ついウッカリ口を滑らせると・・・・・・・
 「・・・・・・ねえ、こんなに大事なこと、どうして今まで教えて呉れなかったの・・・・・・これで、もう三ツ目だよ・・・・・・!!」
 ・・・・・・とマリ
 「バカモノ・・・・・・何んで、俺がマリに何ンデモカンデモ言わなくちゃならないんだ・・・・・・・」
 といって睨むまねをすると、急にしおらしく
 「ゴメンナサイ」
 と、小さな声で言った。
 ・・・・・でも、そのあと、すぐに
 「ねえ、今度、奥様のところに遊びに行っちゃいけないかしら・・・・・・?」
 と言って、僕の目をじっと見詰めた。
 「いいよ・・・・・・遊びに来てよ、マリだったら、うちの奥さん歓迎すると思うから、きっと・・・・・・・」と言うと
 「ア〜、ヨカッタ。 ンじゃあ、今度、ケーキ作って持って行こうっと!・・・・・・それに、奥様の旅行の写真も、とっても見たいし・・・・・」 
 ・・・・・・こう言うと、丁度、我が家の前に差し掛かったのに気が付いたマリは
 「それでは・・・・・・今日は、ゴチソウサマでした。では、奥様にヨロシク仰ってください・・・・・・・・」
 と丁寧に言ったあと、若い女の子らしく、
 「・・・・・・でも、ホントに奥様のところに遊びに行きたいな・・・・・・!!」
 と言って、手を振りながら帰って行った。

     
 ・・・・・・・マリを見送ったあと
 ・・・・・・・「タダイマ!!」と言って、勝手口で靴を脱ぎ、家の中に入ると
 「あら、お帰りなさい・・・・・・・」と、奥の居間から家内が出て来たので
 「ねえ、マリが、今、そこで言ってたよ・・・・・・・そのうち、あなたの所に遊びに来たいんだって! 何でも、旅行の写真を見せてほしいんだって・・・・・・・・さ!」と言うと
 「あら、前もって連絡して呉れれば、いつでもどうぞ・・・・・・・って言って上げて・・・・・・・!!」
 と家内。
 「あ、それと、もう一つ・・・・・・・何んだか知らないけど・・・・・・・その時にケーキを作って持ってくるとか言ってたよ!!」
 と言うと
 「あら、ホント・・・・・・どんなケーキかしら?」
 と、家内は嬉しそうに言ったのが、チョット印象的でした。

 2人が、いい友達になってくれるとイインダケド・・・・・・・・・・・サ!!!!!!!

       

       
2002-06-02(日)           晴           中野

 一家3人で、新宿スポーツセンターから帰って来たあと、気になっていた、庭のアンズの実とりを 1 時間ほどした。

 つい 2ヶ月半ほど前に、ピンク色の花を美しく咲かせていたアンズなの木には今日見ると、けっこう沢山の実がなっていました。2

    

 3月11日には、こんなにキレイに花が咲いていたのに・・・・・

      

今日(6月3日)見ると・・・・大きな実が沢山なっていました!!

     

・・・・・・そして・・・・・・・
今日は、こんなにも沢山のアンズの実がとれました。

      
  ご覧の通り、アンズは笊(ざる)に二つほどあつまりましたが、まだまだ、高い梢上の方には、沢山の実が残っているので、これからが楽しみと言うところです。

 夜になると、家内がこのアンズを煮てジャムを作り始めましたが、大小あわせて8壜(びん)ほどのジャムが出来たのには、少なからず驚いた次第です。

 我が家の初夏の風物誌です。

      

       
2002-06-06(木)       曇時々晴            自宅

   

「アンズ獲(と)り」

   

 今日、家内と2人でアンズ獲りをした。 

  

 僕が庭の大きなアンズの木に登って、

 高枝切りでアンズの実を取ると

 家内が長い柄をつけた捕虫網で、アンズを受け取って呉れる

     

 アンズの実は、

 地面の上に立っている家内のほうが、自由に位置を変えられるから

 不自由な枝の上に跨(またが)っている僕よりも、ずっとよく見える筈!

 ・・・・・・だから、家内の言葉に合わせて、

 僕は、高枝切りの長さを調節する

    

 「あ、その枝の先の、細い枝の先に、も一つあるわよ」と、家内

 「エーッ、どれえ? こっからじゃ、よく見えねえよ・・・・・・!」

 「そうかなあ、高枝切りの刃のすぐ下にあるんだけど・・・・・・」

 「どれどれ? ・・・・・・あ、こいつ・・・・・・・?」

 「そう、それそれ・・・・・・それよ、それ・・・・・・・・・!!」

 家内の声が、子供の声のように下から聞こえてくる

     

 小一時間もすると、目の届く範囲の熟した実は 

 ほとんど全部取ってしまった。

 「あとは木のテッペンの方に残ってるヤツだけど、

 ・・・・・・こいつは、木を揺するしかないよ!

 いいかい? 木を揺するよ・・・・・・・!!

 エーイ!  ヤケノヤンパチ・・・・・・!!」

    

 少年時代の掛け声を掛けて、木を揺すると・・・・・

 アンズの実は、バラバラと地面に落ちた。

     

 木を揺すりながら、僕は空を見上げた。

 ・・・・・・・晴れ上がった空に、白雲が流れて行く。

 僕は、フト、学校から帰ると

 いつも、庭の大きな柿の木に登り

 歌を歌ったり、笛を吹いていた

 小学生の頃を思い出した。

     

 午後。

 思わず欠伸(あくび)が出そうなほど、静かで退屈な居間で

 ソファーの上に腹ばいになって昼寝をしようとしたら、

 午前中、家内が床の上に置いたアンズの実が目にとまった。

     

 「・・・・・・・・・・?」

 見ているうちに、フト、思いついて・・・・・・・

 笊(ざる)の中に、オレンジ色のピンポン球を入れてみた

 そしたら、何んと見事に、ピンポン球がアンズに化けてしまった。

    

 「家内のヤツ、早く帰って来ないかな?」

 そんな事を、フト、思った僕・・・・・・・・

 ピンポン球を摘み上げた時の

 家内の驚く顔が、早く見たかったからである。

      

       

     
・・・・このアンズの中に、ピンポン球が 1 ケ混ざってます・・・・
 それが何(ど)れだか、分りますか?

 

 (後記)
   木の上には、まだ、青いのが残ってるけど・・・・・・・・・
   それは、又、別の日に取る事にしよ〜〜〜っと!!


 ・・・・・・・ところで、
 今日は夕刻、東京商船大学6回生の同窓会があった。

 6回生の6に因んで、毎年6月6日を6回生の日(6回生とは6期生の意味であるが、6期生というと東京高等商船学校の6期生と混乱するので、大学に昇格してからの卒業生をナン回生・・・・・・・と呼んで、区別しているようでありんす)となっていて、毎年麹町(こうじまち)の海事センターに集まって、ワイワイと交歓会をやっている次第である。

 ・・・・・・・ところで、僕達が卒業した、この東京商船大学は、とても小さな大学で、4年生までの全校生徒をあわせても、たったの640人・・・・・・・しかも、その全員が、寮生活をしていたので、兎に角、皆んなの性格、癖、人柄・・・・・・は、全てお見通しという間柄・・・・・・・・・

 僕が8階のネプチューン(海王)に入って行くと、
 「おや〜、こりゃあ又、珍しいヤツが来たもんだ・・・・・・!!」
 ・・・・・・と何人かが、寄ってきて
 「お前、確かヨット部だったよなあ!!」
 「今でも、バイオリンを弾いてるんかい・・・・・・?」
 「お前、昔とゼンゼン変わんねえよな〜!!」
 等々、デッキ(航海科)、エンジン(機関科)の連中から色々と質問攻めにさらされてしまう見世物同然の有様・・・・
 ・・・・でも、本当に懐かしい、昔の仲間達である。
 特に、話がはずんだのが、エンジン(機関科)2クラスの鈴木明氏との将棋の話・・・・・!
 「あの筋違い角(カク)には、参ったぜ・・・・・!!」
 と僕がいうと、周りにいたヨット部の連中が
 「うん・・・・・・あれには俺もやられたよ・・・・・・・でも、あれが通用するのは、4回目くらい迄だぞ・・・・・・5回目になったら、もう通用しねえよ・・・・・・なあ!」
 等々、話はいつの間にか、45年ほども昔のの学生時代に戻っている。
 ・・・・・・・・・
 いつ迄たっても、昔のままの仲間達である。
 ・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・

     
 閑話休題
 ・・・・・・こんな事を話していると、予定の2時間もアッと言う間に過ぎ去ってしまったが、交歓会が終わると
 「お〜い、デッキ(航海科)2クラス!!・・・・2次会にチョット寄って行かんか・・・・?」
 ・・・・・・と声が掛かって、夏の夜のように暑い、夜の麹町に繰り出して、近くの飲み屋に陣取ると、またまた、昔の思い出、最近の笑い話に花が咲き、兎に角、笑いっ放しの時間が過ぎて行く!!

 いつも思うけど、このデッキ2クラスの常連というのは、心の優しい連中が揃っていいるのが、とにかく嬉しい!!

     

(左より)
ラグビー部の猛者だったけど気持ちの優しい健ちゃん
船酔いに弱くて有名だったヒョウキンな佐藤ちゃん、
 学生時代いつも海岸のカッター小屋にいた木曜会の大久保ちゃん、
大柄の体を持て余し気味に話をする心の温かい及川ちゃん、
 一人称を「わしゃ〜なあ」で話し始める海の男まる出しの松健ちゃん
この連中が集まると、話はいつもゴミネタ(罪の無い笑い話)ばかり
いつ迄も笑いが絶えません・・・・・・!!

 話の中身は、どれをとってみても、兎に角、笑いを誘うようなネタばかり・・・・・・・
 自分の手柄話や自慢話をするヤツは一人もいない!
 ・・・・・・・この仲間の間では、兎に角、仲間を笑わせた奴が一番偉いのである・・・・・・!!

 ・・・・・・・たとえば、
 話がたまたま・・・・・・・ 及川ちゃんが、奥さんが入院(?)をしたとかで、自炊を余儀なくされて、
 「手が荒れて困ったよ・・・・・・・・・!」
 ・・・・・・・という話をしたら、ラグビー部の健ちゃんが、すぐにその話を引き取って・・・・・・
 「それだったら、いい事教えてやるよ! 介護用品屋に行くと、介護用の使い捨てのビニール手袋があるから、アレ使ったらいいんよ! 50枚で500円だから、1枚10だぜ・・・・・・1回しか使えないけど・・・・・・・! でも、いい事教えてやろうか? この使い捨てのビニール手袋を2回とか3回とか使う方法があるんよ! いいか? こうしてだね・・・・・・・な・・・・・・・・こうしてはめたら、こうやって手袋をはずして、いいか? 2回目使う前にはだね、こうやって、手にシッカロールをつけたあと、こうやって手に嵌めるンよ・・・・・・・・ナ?」

    

     
 ・・・・・・・・と手真似で実験して見せる・・・・・・・!!
 この健ちゃんの仕草が、とにかく可笑しくて可愛らしい!!
 ・・・・・・・・この河野健ちゃんは、ラグビー部の猛者だった学生時代も、いつも仲間を笑わせるような話をしていたが、授業のノートはいつもキチンと取り、成績もよかった男・・・・・・・・!!
 しかも、人の心の痛みがよく分る男で、仲間がやっている将棋を見ていても、絶対に横口を出さない心の優しさを持っていたため、
 下手の横好きの将棋が好きだった仲間の渋江ちゃんなどは、彼を評して
 「河野は本当に偉いよ・・・・・・! 人の将棋を見ていても、絶対に口をはさまないもの・・・・・・ 本当に偉いよ!!」
 と、何回も繰り返していたような男なのである。
 でも、その彼が話すと、まっとうな話も、とにかく噴出すような話になってしまうから、不思議である。
 ・・・・・・もう、僕は、健ちゃんの真面目くさった顔が可笑しくて笑いが止まらない!

    

     
 「うん・・・・・・・そうか、そうか・・・・・・・ナルホド!」
 と、僕の右隣に坐っていた松健ちゃんが感心して相槌を打つと、もう笑いすぎた及川ちゃんがメガネを外して涙を拭き出す始末・・・・・・・!!
 この及川ちゃん・・・・・・笑いすぎて涙を流す前は、どんな顔で笑っていたかと言うと、こんな顔で豪快に笑っていたんでありんす。
 ネエ・・・・・・本当に可笑しそうでしょう?

      

     

 ・・・・・・・・でも、この及川ちゃん、とても心の温かい人なんです。
 それが証拠に、今日、久方振りに会ったら、彼がこう言ったんです。
 「ねえ、八岳(やたけ)ちゃん・・・・・・・オレ、あなたの「空」の話、全部読んじゃったんだけどさ・・・・・・・あれ、物凄く分りやすいよね・・・・・・・・道元の碧眼碌より、ずっと分りやすいもの!!」
 その言葉を聞いた僕は、勿論
 「どうも有難う・・・・・・!!」
 と、感謝の気持ちを表すと同時に、
 (・・・・・・及川ちゃんって、ヤッパリ、そう言った人だったんだ・・・・・・・・!!)
 って、改めて、思った次第である。
 ・・・・・・・って言うのは、碧眼碌やこのサイトの ”「空」のはなし” なんかに興味を持つ人というのは、どちらかというと、地位とか名声とか金銭とかを夢中になってを追い求めるタイプではなく、人生のある時期に、何らかの形で、人生の意義や人の生き方というものに深い関心を寄せた事のあるタイプの人が多いからである。
 そう言えば、この及川ちゃん・・・・・・・学生時代は、自分の指導教官に、哲学の佐々田教官を選んでいた位だから、昔から優しいタイプの人だったに相違ない。

 でも、その一方で、及川ちゃんの隣に坐っていた松健(まつけん)先生のように
 「おい、八岳君よ〜・・・・・・!」
 と、声を掛けて来たので
 「んん、何んだい?」
 と、振り返ったら
 「ワシも、あの「空」のページ読んだけど、ワシにゃあ、どうも気に入らんなあ・・・・・・・・」
 ・・・・・・・と、磊落に言ってのけた男も居る・・・・・・・・・!!
 「うん、いいんだよ・・・・・・・それは、それで・・・・・・・・!!」
 僕は、瞬間的に、本当に、そう思った通りに返事をした。
 だって、一冊の本の読み方なんていうのは十人十色だし・・・・・・・皆が同じ様に感じてしまったら、それこそ人生なんてチットモ面白くない!
 ・・・・・・僕は、彼が「空」の話のどの部分を読んでそう言ったのかは知る由も無いが、多分、彼は文中時折り出てくる良寛の詩あたりを読んでそう言ったのではないかと思う。
 ・・・・・・・って言うのは、硬派で骨ッポイ松健ちゃんの事だから、あの良寛の詩あたりを読んだなら
 「何んじゃあ、コリャ〜・・・・・・・?」
 と、言う事になってしまうのは、至極当然の事だからである。

     

     
 ところで、僕がこのクラスメート達に会ったのは、数年ぶりの事ではないだろうか?
 皆んなは、毎月第二月曜に、及川ちゃんと河野ちゃんの呼びかけで、定期的に集まっているというのに・・・・・・・・!!
 ・・・・・って言うのは、僕は一年のうちの大半を八ヶ岳の山麓で過しており、特に、ここ3〜4年ほどの間は、1年のうちの10ケ月ほどを、山の中で過ごしていたからである。
 でも、こうして久方振りに会ってみると、クラスメートって、どうして、こんなにイインダロウ!・・・・・・・って思ってしまう。
 たとえば・・・・・・上の写真の、学生時代の思い出を沁み々々と語り合っている、河野の健ちゃんと佐藤ちゃん・・・・・・・それから、仲間の近況を話し合っている、下の写真の佐藤ちゃんと大久保ちゃん・・・・・・・こんなクラスメート達の姿を見ていると、
 「生きてるって、どうして、こんなに素敵なんだろう・・・・・・・・?!」
 ・・・・・・と、どうしても、ついつい思ってしまう。
       

   
 ・・・・・・・って言うのは、とにかく船酔いに弱くてユレノメーターと綽名されていた佐藤ちゃんの学生時代の姿・・・・・・・真面目な議論をしていても、どこかヒョウキンなところがあって、思わずクスリと笑わせられてしまった青春時代。
 それから・・・・・・・今では、ゴマ塩頭にメガネをかけた大久保ちゃんが・・・・・・学生時代は、いつも、作業服のズボンにセンニットで編んだ縄のバンドを締め、その腰に皮製の鞘に入った刃渡り15cm程のシーナイフをブラ下げて、カッターやピンネースが収めてある海岸の艇庫のあたりをウロついていた姿を、昨日のことの様に、鮮やかに思い出すことが出来るからである。

 1年の間に、たった2回しか笑ったことのない数学の三木教授の授業を受け、八代教官のもとで手旗信号や発光信号の練習を積み、背丈の小さな喜六のオヤジに頭を刈ってもらい、
 「総員起こし! 総員起こし!」
 ・・・・・・の声に、眠い目をこすりつつ、海岸に駆けつけたカッター訓練。

 果ては・・・・・・
 卒業前6ヶ月間の、夢にまで見た帆船による遠洋航海・・・・・・!
 ・・・・・・毎朝のように、デッキを這いずり回ったタンツー!
 何百本もある、帆を操作するブレース(帆綱)の名前の多さに面食らい!
 水平線の上に、太陽をコロコロと転がす六分儀の使い方と天測計算!

 そんな事を同じ様に経験してきた仲間達・・・・・・・
 その中でも、ゴミと言われてきた、デッキ(航海科)2クラスの面々・・・・・・・
 ・・・・・・・今、思うと、本当に涙が出るくらいに、いい仲間達である。

 だから・・・・・・・
 「よう、八岳君よ、去年 Y が死んじゃったの知ってるかい?」
 ・・・・・・と言われた時の、何んとも言えぬ哀しさ・・・・・・
 いつも、ニコニコして、チョット不良っぽいけど可愛いらしかった彼!

 こんな仲間達に恵まれた、東京商船大学6回生デッキ2クラスの仲間達!!

 ・・・・・・今、僕は、一年の大半を、八ヶ岳山麓の小さな山間の町のヒュッテで過ごしているけれど・・・・・・僕は、本当にこの大学を卒業してよかったと思っています。 

     

     
2002-06-07(金)           快晴           中野

 今日、久方振りに、家内と2人だけで葛飾区の水元公園に出掛けて来た。
 ・・・・・空は、ビカビカの上天気だったけど、初夏の陽射しが強くて、木の多い公園内も真夏さながらの天気でした。

 ・・・・・・・公園に着くと、家内は、前から菖蒲を画きたかったというポイントを見付けると、イーゼルと油彩の道具を用意をしはじめたので、僕は、その場を離れて、散歩をしたり、大好きなアイスクリームを食べたり、釣をしている人のバケツの中を覗いたり、木に繋がれているワン公と睨みあいをしたり、アチコチの景色をデジカメに収めたりして、ノンビリと時を過した次第である。

    
 

美しい菖蒲の大群落
・・・・その向こうに大きな池が見えているのが素晴らしい・・・・・・!!

        
 

美しい白サギもノンビリと散歩中をしてました

   
 

それから・・・・ハスの花も見事に咲いていました

   
 

・・・・・家内の絵を覗き込む観客・・・・・・
皆さんは、家内の画と実際の景色を見比べているようでした

         
 広い公園の中を2時間ほど散歩をして、家内の所に戻ってみると、どうでしょう?
7 〜 8 人の人が、家内の油絵を覗いているじゃありませんか・・・・・・・

 一体、どうしちゃったんでしょうね〜?!
 ・・・・・・家内は、その事には全く気付いていない様子。
 僕は面白半分に、その場の雰囲気をデジカメに納め、あとで、その写真を家内にみせたら、
 「あら、こんなに沢山の見物客がいたの?」
 と、ビックリしていました。

       

          
2002-06-09(日)          晴             中野

 横浜にて FID の全日本卓球選手権大会があった。
 我が家の長男 KR も参加。
 予選は KR を含む、4人のリーグ戦。
 驚いたことに、仙台市から参加した M 選手は、ペンラケットのラバーを、”イボ高” に代えていた。

 ・・・・ ”イボ高” は KR にとっては鬼門のラバー!
 去年の大会では、鹿児島の X 選手にメロメロに負けた苦い経験がある。
 そんな事があった為、僕自身のラケットのバック側を ”イボ高” に取替え、過去3ヶ月ほど KR と練習を積んできた。

 その甲斐があった所為か、そんなに苦労することなく、この M 選手との試合を 3 - 1 で勝つ事が出来たのは、練習の成果!
 ・・・・・お陰で、予選は 1位で通過できたが、決勝トーナメントに上がった最初の試合がの相手が、神奈川の Y 選手。
 昨年秋の全日本順位決定リーグ戦では 0 - 3 で敗れた強豪である。
 その回転のかかったドライブと、滅茶苦茶に切れた下切りサーブには強烈なものがある。

 ただ、今回の KR が前回と異なるのは、中西先生の指導により、右腕でドライブが掛けられるようになっている事と、足が少しづつではあるが、動くようになって来ている事である。
 結果は 1 - 3 で敗れてしまったが、KR が勝ったセットは、ジュース・ジュースが続いた 16 - 14 !
 結果的に、敗れはしたものの、前回に比べると、KR の卓球は一段と進歩している事は確実である。

 頑張れ、KR !!!!


2002-06-12(水)          晴             中野

 牧師先生より電話があった。

     

    
2002-06-13(木)          快晴            中野

 Finland Village の「火起こし」を購入。

 今夜、”W-32 Bad Trans” に感染したファイルを添付したメールが送られて来た。
 送信人はローマ字で Nukui と書いてあったけど、一体誰だろうか?
 ・・・・・・以前、僕が勤めていた S 社に抜井さんという人がいたが、彼は僕のメールアドレスを知らない筈。 彼である筈がない。
 勿論、このメール早速、削除してしまったけど・・・・・・・・

     

     
2002-06-14(金)          曇時々雨          中野

 Finland Village 用のラムプを購入。

 サッカー、韓国 vs 戦

      

     
2002-06-15(土)          雨           中野 → ヒュッテ

 Finland Village 夏至祭の準備のため、ヒュッテにやって来た。

 今夜も”W-32 Bad Trans”に感染したファイルを添付したメールが送られて来た。
 今夜の差出人は、ローマ字で書き損なったような名前の差出人。
 一体、何んの為に、こんな事をするのだろう?
 当該メールは、即刻、削除・・・・・・・・・・・!!

    

      
2002-06-16(日)           曇            ヒュッテ

 今朝起きて、改めて庭を見てみると、物凄い雑草である。

       
 

      
 ・・・・・・この雑草を全部刈らなくちゃいけないのかと思うと、全くウヘ〜である。

 「オヤオヤ・・・・・・!!」
 と溜息混じりに、辺りを眺めていると・・・・・・・・・
 「おっ、これは凄い・・・・・・・!!」
 一昨年、植え替えたピンクのヤマボウシ花が咲いているの気が付いた!!

 しかも、2ツも、花が咲いているじゃありませんか・・・・・!!
           


家内と2人で心待ちにしていた紅色のヤマボウシの花
光線の加減で白ッポク見えるけど・・・・・
実物はもっとピンク色をしているんです・・・・・・!!
 ウワーイ、咲いちゃったよ!!


 「ラッキー、ラッキー・・・・・・・・!!」
 僕は、心の中で小躍りして喜んだ・・・・・・・!!

 これがラッキーじゃなくて、何がラッキーだ・・・・・・・・・?!

 「そうだ、ママに見せてやろう・・・・・・・・!!」

 僕は、フト、そう思った!!

 今回、息子の仕事の関係で来られなかった家内が、いつも・・・・・・・
 「ネエ、植え替えたピンクのヤマボウシは、いつ咲くのかしら・・・・・・・?!」
 と溜息混じりに言っていたのを思い出した僕は、2輪も咲いているピンク色のヤマボウシの花を、早速、パチリとデジカメに収めた・・・・・・・

 「ねえ、ママ、見て見て・・・・・・・・ヤマボウシが咲いたよ!!」

 彼女が喜ぶ顔を想像しながら、僕は今、この写真を今日の日記にのせています。

 それにしても、まったく、想像もしていなかっただけに、僕も本当に嬉しいかぎりです。

 ・・・・・・・春は美しい新緑、初夏はアメリカハナミズキのような美しい4弁の大きな花、夏にはサクランボくらいの大きさの赤くて甘い実、そして、秋の紅葉の素晴らしさ・・・・・・・!!

 この木が・・・・・・・以前、ここに植わっていたヤマハンノキくらい大きな木に早く育って、真夏に、この木の木陰でお茶を飲む事が、僕達2人の夢です・・・・・・!!

 ウワーイ、バンザーイ・・・・・・・!!

     

      

2002-06-17(月)             曇              ヒュッテ

 一日中、草刈に没頭する。、

     

     
2002-06-18(火)           曇りのち雨          ヒュッテ

 今回のヒュッテの来訪の最大の目的の「こうみ塾」企画の「フィンランド夏至祭」のスケジュール作成が意外と手間取っている。
 「どうしてかな?」
 ・・・・・・と思っていた矢先、たまたまの機会があったので、フィンランド大使館側と話してみると、われわれ「こうみ塾」の連絡担当者が、外出だったり、休日を取っていたりで、先方としては思うように連絡がとり難く、少なからずお困りのご様子。 ざっくばらんに言うと・・・・・フィンランド側と共同でスケジュールを作らなくてはイケナイのに、こちら側の担当者が休日で連絡が取れなかったりする事が、スケジュール作成遅延の原因になっているようなのである。
 「こりゃあ、いかん・・・・!!」
 ・・・・・・こう呟くと、僕は、フィンランド側との窓口になる事を申し出て、大使館との連絡役を買って出た。

 各国大使館との連絡は、S 社時代に30年以上にわたって経験してきた歴史がある。
 僕は、連絡役を引き受けるとすぐに、東京の自宅・ヒュッテ・携帯など全ての電話番号、メールアドレスなどを大使館側に知らせて、いつでも自分が捕まえられる様にすると同時に、今までの遅れを取り戻すために、長いメールを直ぐに書き始めた・・・・・
 なにせ、22日の夏至祭までに、あと、たったの3日しか残っていないし、21日は夏至祭の国民の休日で、大使館は休館になってしまうので、実質、明日と明後日の2日しか残っていないからである。 (6/23 記)
 

     

    
2002-06-19(水)           快晴              ヒュッテ

 一日中、「こうみ塾」企画の「フィンランド夏至祭」のスケジュール作成に追われる。

 連絡相手は、「こうみ塾」の拓ちゃん・ハーちゃん、フィンランド大使館、フィンランド・ヴィレッジの B 社長の諸氏。
 ・・・・内容自体は、そんなに難しいことは無いのだが、連絡を取ろうとしても、こちら側の仲間が不在だったりすると、どうしても手間取ってしまう・・・・・・・・(6/23 記)

     

      
2002-06-20(木)            曇のち雨           ヒュッテ

 今日、たまたま東京に出張中することになっていた拓ちゃんとハーちゃんが、午前中にフィンランド大使館を訪問し、例の「フィンランド夏至祭」の最終打ち合わせをする事が出来、 その結果を電話で知らせて呉れたので、ようやく最終スケジュールを完成することが出来た。
 午後4時過ぎ、フィンランド大使館から、最終スケジュールを確認したという連絡が入ると、僕は本当にホッとして、思わず体中から力が抜ける感じがした。そして、沁み々々と
 「あ〜、本当にヨカッタ〜・・・・・・!!」
 と、口走ってしまったほどである。
 ・・・・・明日は大使館が休みだから、余すところ1時間と言う・・・・・・Narrow escape !
 全く、冷や汗三斗だったでありんす!
 でも、本番の当日は明後日に迫っている。

 これから、今夜と明日の一日をかけて、ほかに手落ちのものがあるか無いかを、皆と力を合わせて、チェックしなければならい。

 あ〜忙しい・・・・・・・・!! (6/23 記)

     

       
2002-06-21(金)            晴のち曇             ヒュッテ

 夏至祭の前日、役場、消防署、美術館、開発公社、夜、Finland Village で Clas に会う。
 兎に角、一日中メッチャ忙しい一日だった。
 いよいよ明日は、楽しみにしていた夏至祭である。 (6/23 記)


2002-06-22(土)            曇               ヒュッテ

 素晴らしい一日。

 夏至祭は大成功!!
 参加者全員がとても喜んでくれました・・・・・・・
 そして、皆んなが・・・・・・・フィンランド人も、地元の人も
 「・・・・・・来年もフィンランド・ヴィレッジで楽しく過しましょう・・・・・・!!」と
 言ってくれました・・・・・・・

     

Juhannus Kokko (夏至祭の大焚火)の周りに次々に集まって来る人々・・・・!!
勿論、この大焚き火をする事は、消防署に届けてあります
ご心配なく・・・・・・・!!


 その中でも 観光協会長の次のひと言が最高・・・・・・・・!!
 「・・・・・・・うん、やれや、来年はフィンランド・ヴィレッジで・・・・・・・・もっと大きなヤツを!・・・・・・・ン?・・・・・・・・なに?・・・・・・・・長湖の岸辺で Kokko ?・・・・・・・・いいじゃんかい、やったら・・・・・・・町の人にも、松原の人にも、オレから話しとくよ!・・・・・・・こんな、素晴らしいことだもン・・・・・・・とてもいい事だよ!・・・・・・・・で、ドラム缶もいいけど・・・・・・・・花火を打ち上げる浮かべる台があるじゃんかい!・・・・・・・あれ使えば、いいだよ・・・・・・・・それから、な、オイ、晴正!・・・・・・・・これからは、この「夏至祭」、毎年やるだから、ほー、岸の水辺に生えているヨシを刈ってさ、恒久的な台を作ったらいいだべ!・・・・・・・・じつはな、今朝、町長にも、来るように声を掛けただけど・・・・・・・・町長も忙しいずらい・・・・・・・まだ、オレもまだ見た事が無えから、説明をしようとしても、説明さ出来なかっただよ・・・・・・・でも、こうして見ると、皆さんが・・・・・・・・ナ・・・・・・・・フィンランドの人達も、地元の人達も、こんなに喜んで楽しく過ごしている・・・・・・・・・これは、本当に素晴らしい事じゃんかい・・・・・・・・・こんな素晴らしい事は、どんどんやりゃあいいだよ・・・・・・・・・」云々。
     


「フィンランドの夏至祭と人々」の楽しいお話をして下さった
フィンランド大使館の Hilvo 一等書記官・・・・
漢字も読んでしまう Hilvo さんの日本語は本当に見事です・・・・・・!!

      

「尚登はこんな事やるだかい?」と聴衆を驚かせた三石建設社長・・・・・

     

美声とハーモニーで満場を沸かせた元プロの井出夫妻!!

    

地元の人達から
「何か歌って・・・・何か歌って・・・・!!」とせがまれて
ビール片手に、楽しく飲みながら歌う
Hilvo 一等書記官と Kristina ・・・・
歌い終わったら、満場が大喝采でした・・・・!!

     
 あと片づけが終わったのは、午後10時過ぎ。
 ・・・・・それから、貸し別荘の「硫黄」に移って、打ち上げ会!
 そこで、又、盛り上がっちゃったから、結局、ヒュッテに辿り着いたのは午前2時!

 メチャ楽しかったけど・・・・・それにしても・・・・・ツッカレタなあ・・・・・・!!

 (以上、6/24 記)

 (この夏至祭に就いては・・・・・・後刻、項を改めて、
大々的に皆様にご紹介致します!!)

      

     
2002-06-23(日)           晴            ヒュッテ

 2〜3日前から冷蔵庫の様子が何ンかおかしいと思っていたら、とうとう本当に壊れてしまった。
 ・・・・・・それで、今日は佐久市のヤマダ電機に出掛け、冷蔵庫を注文して来た。
 配送は明日お昼頃の予定との事ある。
 ヤレヤレ!!
         

 ・・・・・・・話は代るけど・・・・・・
 夜、高校時代のクラスメートの大楽兄から電話があった。
 7月8日のクラス会の出欠の確認の電話である。
 「・・・・・・勿論、僕は出席するよ・・・・・・・!」
 僕は、懐かしさに駆られて、思わず大きな声でそう答えた。

 と・・・・・・どうだろう?
 彼は
 「うん、有難う・・・・・・」
 と言ったあと、急に声を落として
 「ところでさあ・・・・・・」
 と、小さな声で言った。
 「え? 何んだい・・・・・?」と僕。
 「いや・・・・・・さっき、あんたの中野の自宅に電話をいれたらサア・・・・・」
 「え?  うん・・・・・!」
 「そしたら、声の若い女性の声がしたんだけど・・・・・」
 「え〜?」
 「あれは、僕が前に、君の家に行った時に会った奥さんかな・・・・・?」
 「エーッ? どうしてえ〜? アッタリマエジャン・・・・・・!」
 「・・・・・・って言うのはさ、オレ、相手の声が聞こえたトタン・・・・・・開口一番に・・・・・”あ、お久し振りです!”って、言っちゃったんだけど、相手の女性の声がとても若かったもんだから、”アチャー、オレ間違えちゃったかな”って思ったんだよ・・・・・・・」
 「オイオイ、何んだよ・・・・・・それ? ・・・・・・・って言う事は、僕が再婚をしたとでも思ったんか・・・・・・?」
 「ン? まあ、そう言う事だ・・・・・・・」
 僕はあきれ返って、思わず笑ってしまった。
 「・・・・・・・アハハハハハハ・・・・・・ありゃ〜、紛れも無く、あなたが会った家内だよ・・・・・・!! アハハハハハ・・・・・・・」
 「・・・・・・でも、物凄く若い声をしていたぜ・・・・・・・!!」
 「よく、そう言われるけど、あれは間違いなく以前と同じ家内だよ・・・・・・」
 「アハハハハハ・・・・・・・よかったよ、オレ、てっきり間違えちゃッたかと思ってサ」
 「アハハハハハ・・・・・・・可笑しいよね〜・・・・・・・アハハハハ・・・・・・・・!!」
 ・・・・・・ってな会話がありました。

 家内は、よく若いって言われるけど、こんなに傑作なやりとりは、ホントに初めての事だったでありんす・・・・・・・・・!!

 チョン!

     

2002-06-24(水)           曇           ヒュッテ

 この頃、山を下りて、町の中に行くと、色々な人達から
 「この間の フィンランドの夏至祭は大変素晴らしかった・・・・・・是非、来年も亦、やりましょう」 ・・・・・・と、声を掛けられるのが、とても嬉しい!!

    

     
2002-06-25(火)           雨          ヒュッテ

 静かなヒュッテの2階の窓際で、雨の音を BGM に、ホームページの高原日記をかきながら、ラジオで 韓国 vs ドイツ のワールドカップ・サッカーの淳決勝戦を聞く。
 ・・・・・・目の前の、窓の外には、隣家のカラマツの林が黒々と静まり返り、部屋の中では、静かではあるが、どことなく温か味があるあのラジオの音が鳴り響いている。

 自分で言うのは可笑しいけれど、本当にロマンチックな雰囲気である。
 ・・・・・・こうやって聞くと、ラジオの音というのは、本当に風情がある!

 試合の結果は、 1 - 0 でドイツの勝ち。

 悔しいけれど、これでアジア勢は、全て敗退したが・・・・・・・・韓国はベスト4、日本はベスト16・・・・・・・両国とも、過去の歴史に無かった快挙である!!

   

      
2002-06-26(水)     雨         ヒュッテ     L = 10.0 ℃  H = 12.4 ℃

 寒い一日。 終日、ストーブを焚き通しだった。

 午後、 佐藤さんが通訳をしている、Re-ex のメトロポリタン音楽教室の練習風景を見に行って来た!

 見学したのは語学の教室と、発声の教室だったが、その授業風景は本当に迫力があるものだった。 
 語学の教室で厳しく指導を受けるのは主として発音上の注意。
 筆者がたまたま覗いたのは、歌劇「こうもり」の中の一曲の指導。
 言語は勿論、ドイツ語である。
 英語の st- と、ドイツ語の st- の違い。
 英語の s と、ドイツ語の s の違い。
 その他、ウムラオトの付いた母音の発音。
 r の発音の仕方・・・・・・・等々。

 僕は学生時代に、ドイツ語を夢中になって勉強したので、教授が何を言おうとしているのかが、よく分ったが、普段、ドイツ語などに全く触れていない人が、いきなりドイツ語の歌を歌う羽目になったらかなり面食らうのではないかと思います。

    
 次に覗いたのが、発声の教室。
 ・・・・・・その光景には筆者は本当に唖然とした次第です。
 兎に角、教授は「人間の体」という楽器から、どうしたら素晴らしい音が出るかという事・・・・・・・その一点にのみ神経を集中させて、生徒に対峙しているのが、とにかくビンビンと伝わって来るような授業!!
 ・・・・・・・ある時は、生徒(筆者が見学したのは、たまたま日本人の女生徒の授業でしたが・・・・・・)
 兎に角、口や鼻先から、音がそのまま前方に出るのではなく、喉から出た声が、一旦人体の後方・・・・・延髄の辺りから後頭部を経て頭頂に至った後、一気に前方に押し出すように響かせるのだと盛んに、繰り返し、繰り返し説明している。
 何故、そんな事を言うのだろうかと・・・・・・不審に思った筆者が、夜の10時過ぎ、ヒュッテの2階で自分で実験してみたら、何んと・・・・・・自分の声が頭蓋骨全体を震わせ、頭蓋骨という共鳴箱に共振して前に押し出されるように感じた次第である。

 要するに、教授は人間の体という楽器からでた音が、劇場の隅から隅までにビンビンと響くような音にする為に、心血を注いでいるように見受けられるのである。

 ・・・・・・それは、そうだろう!
 オペラという舞台で、フュージョンやジャズの様にマイクを使ったら、オペラそのものが打ち壊しになっちゃうし、ましてや、エコーの聞いたカラオケ用の音響設備を使うなんていうのは、もう本当に狂気の沙汰!

 だからでしょう・・・・・・・!
 ある場合には、女生徒の膝のところに、弾力のある箍(タガ)状のものを挟ませ、高い音をシッカリと発音するためには、両膝で、その箍を押し潰すように両脚をシッカリ閉じるようにして、発声をして見なさい・・・・・・・等とアドバイスをしている。
 そうかと思うと、生徒が歌を歌っている最中にお腹の辺りをチョン・チョンと指で突いて
 「・・・・・・ダメダメ・・・・・・こんなに腹部を緊張させては! もっとリラックスさせなくちゃ・・・・・・・リラックス、リラックス!!」
 と注意し、またある時は
 苦し紛れに、前かがみ気味になる体を起こしてやったり、うつむき加減になる頭部を垂直に支えてやるなど、なんとかして、伸び伸びとした音を人体楽器から出るようにと、一生懸命なのである。

 でも、読者の皆さんには決して誤解をしないで頂きたい。
 今、授業を受けている女生徒の声は、我々素人が聞いたら、もう、本当に豊かなボリュームの素晴らしい声なのである。
 でも、教授は、そんな事には一向に無頓着・・・・・・・・!!
 ある場合には、大きな敷物を敷いて床の上に仰向けに寝させて歌わせ、ある時は壁に背中を付けたまま立位で歌わせ、更には、中腰のまま背中を壁に付けて歌わせてみる。

 ・・・・・・・・とにかく、その凄まじさ・・・・・・・と言ったら、絶句!・・・・・・・の2文字!
 僕なんかだったら、あの大きさの声で歌を歌ったら、ものの10分ももたないだろう!・・・・・と思うけど、驚いた事に、その女生徒の声は、少しも衰えることもなく、逆に少しづつよくなって行くのには、本当にビックリした次第である。

 「凄い! 本当に凄い!」
 そのレッスンが終わったとき、僕が心の中で呟いていたのは、こんな言葉でした。

 ここで、時計を見ると、もう時間は4時過ぎ!
 4時半に人と遇う約束になっていた僕は、佐藤さんと教授に挨拶をして、霧雨の降る中、町へと山を下ったが、もし時間があれば、もっともっと見ていたかった・・・・・・と言うのが正直な気持ちであった。

******** * * * ********

  さて、町に下りた僕は、約束の友人に会い、小一時間ほど話をしたあと、ヒュッテに戻ったが・・・・・・・・帰宅後、時間の許すまま、家の中の片付けをしていたら、ベランダの手摺の野鳥のエサのヒマワリの種をリスが食べに来ているのに気が付いた。

 今日、ヒマワリの種を食べに来ていたのは、下の写真の様に、耳の先が丸みを帯び、尻尾が背中の上にピタッとくっついているリスであるが、よく見かけるリスは、耳の先がもっと尖っていて、尻尾もどちらかと言えば、いつも後の方に伸びているような種類である。
 「・・・・・・・??????」
 ヒュッテにやって来るリスには、どうも2種類が居るようである。
       

 
 午後6時過ぎ、昼間、Re-ex の音楽教室で、通訳をなさっていた佐藤さんがヒョッコリ訪ねて来られた。 
 「まあ、どうぞ、どうぞ! さっきは有難う御座いました・・・・・・・・」
 と・・・・・・佐藤さんに、上がって頂いたあと、僕たちは小一時間ほど、今日の午後の教室の事を話し合ったが、話題は専ら(もっぱら)、教授たちが教える態度の物凄さについてであった。

 でも、話しているうちに、僕はフト、気になることに気が付いた。

 ・・・・・・・・・それは、アメリカ人の教授が使った、”Sit bone” という言葉を、僕が ”Shit bone” と聞き誤っていたことである。

 英語の達人の佐藤さんは、僕が聞き間違えた事に気が付くと、(・・・・・・こんな基本的な単語を聞き間違えるなんて・・・・・・・・以外!!)という表情を顔に表して僕に言った・・・・・・
 「あれは、教授は Sit bone って言ったンだぜ〜! だって、Shit て言ったら ”糞(くそ)” っていう意味だもの・・・・・・・」
 「たしかに、そうですよね〜! Shit bone. だったら、”クソ骨” になっちゃうもんね〜!! アハハハハハハハ・・・・・・・」
 「アハハハハハ・・・・・・・・」
 佐藤さんも、心なしか、僕につられて少し笑ったが、何ンとなく心配そうな表情が顔にコワバリツイテイル!
 「・・・・・・・・???」
 ・・・・・・僕は何ンとなく、不安な気持ちに襲われていた。

 ・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・
 その後、私達2人は、今の政治の事どもを暫くの間、話し合っていたが、途中で、
 佐藤さんはフト腕時計を覗くと
 「あ、もうソロソロ Re-ex ホテルに帰らなくっちゃ!」と言い残して、帰っていかれました。

 ・・・・・・が、そのあと、たった一人になった僕は、暫くの間、本当に考え込んでしまった。

 「・・・・・・又か・・・・・・・??!%&・・・・・・・????・・・・・!!」
 それは、去年の秋頃から、僕が盛んに聞き間違えをするようになった事を思い出したからである。
 最初の中こそは、何回か、家内に誤聴を指摘された程度だったが、最近では、僕が通っている教会でも・・・・・・・誰かが言った冗談を周りの人が笑っているのに、僕にはその意味が聞き取れず
 「アレ? 皆ンなは、どうして笑っているんだろ?」
 と、思うことが時々あったからである。

 そこで、よく気を付けてみると、僕は、シバシバ、子音を聞き間違える事に気が付いたのである。

 分り易く、今日の午後の話で言えば

 sit - shit

の違いが聞き取れなかったと同様のことである。

   
 この事を敷衍すると、次のようになるのではないかと思う!!

 気を付けてみると、最近のぼくは、次のような単語の子音の違いをシバシバ聞き間違える・・・・・・・と言う事なのである。

 fit - hit, hit - sit , sit - shit, bit - pit, kit - pit, knit - mit, it - lit,

 それを裏付けるように、今年の春の健康診断の半日ドックの診断では
 「今回の検査では、聴力の劣化が目立っています・・・・・・!!」
 という、レッテルまで貼られていたのである。

 (全く、一体、どうしよう??)
 ・・・・・・・・この聴力の劣化は、語学に興味を持ち、また或る程度は、言語活動に自信のあった僕にとっては、決定的な疾患なのである!!

 それを、今日は、またイヤと言う程、認識させられた!!・・・・・・という訳である!!

 全く、オヤオヤオヤのオヤ・・・・・・・・でありんす!!


 午後8時半キックオフのワールドサッカー準決勝は 1 - 0 でブラジルの勝ち!
 ・・・・・これで、決勝戦は ドイツ vs. ブラジルとなりました。

   

       
2002-06-28(金)      曇時々晴       ヒュッテ     L = 10 ℃  H = 20 ℃

本当は今日東京に帰る筈だったが、テレビを見ていたら今日の降水確率が一日中 0 %だという事なので、急遽、予定を変更して、今日の帰京を明日に延期し、今日は一日中草刈をすることにした。
 (草刈は 17 日の日に、半分ほどやってあるので、今日は残りの半分をやればいい・・・・・・・簡単、簡単!)
 ・・・・・・とたかをくくって初めてみたが、隣家成松邸との境界線付近に掛かったら、卯の花・野苺・ウドなどが蔓延っていて、なかなか捗らない。
 30分ほど、ああけもない・こうでもない・・・・・・と、色々とやってみたが、思ったように、ウマク行かない。
 段々とストレスが溜まってきて
 最後には
 「エーイ面倒臭え! 全部キレイにしちまえ・・・・・・・・!!」
 とばかりに、業を煮やし、辺りをスッカリと綺麗にすることにしたので、もう〜大変!
 鋸・太枝切り・枝落とし・・・・・・・等々を動員し、大車輪の藪開き・・・・・・・
 本当に大変な作業だったけど、お陰様で、辺りがスッカリと暗くなる7時すぎくらいまでには、どうやらこうやら片付けが終わりました。

     


 どうです?
 スッキリしたでしょう・・・・・・・・・
 6月16日の雑草が生え放題の写真と比べてみて下さい。

      

      
2002-06-29(土)      曇のち雨       ヒュッテ → 中野

 最近、携帯電話なるものを本格的に持ち始めた。
 ・・・・・・・と言っても、東京は中野の小さな携帯電話屋さんで、0円の最新型のモデルを買い、幾つかの設定をして貰ったヤツを持ち歩いているだけの話しである。

 ところで、今日の午後、ヒュッテから中野に帰って来る途中、上里のSAでSAインフォメーションの女の子に
 「渋滞はありますか?」
 と聞いたら、所沢の近くで事故の影響で 14km 程の渋滞があると言う。

 「あ、これはヤバイ・・・・・・・ママに連絡をしなくちゃ〜!」
 と思って、例の最新型の携帯電話を取り出し、2ツ折になっている電話機を開き、
 ・・・・・・・・ 03−33XX-XXXX
 と、ボタンを押した後、電話機を耳に当てて見たが、ウンともスンとも言わないではないか・・・・・・・・
 「・・・・・・・??」
 (これって、電話番号を入力した後、何かボタンを押すんだろうか?)
 と考えて、いい加減にボタンを押したら・・・・・アチャ〜!!・・・・・変な画面に変わってしまって、全然通じないではないか?

 (普通の電話機なら、電話番号を入れた後、受話器を耳に当ててれば、プルルルル〜・・・・・と相手の電話番号を呼び出してくれるのに・・・・・?!!)

 と思ったけど、どうしようもない!!

 でも、直ぐ傍に・・・・・・・ラッキー!
 携帯電話をつかっている男の子がいたので、
 「あの〜、スイマセンが携帯電話って、どうやって電話をかけるのか教えていただけませんか・・・・・・・・?」
 と、聞いてみると、気軽に
 「ああ・・・・・・・いいですよ!」
 と、言って呉れたのはいいけれど、色々といじくってみた後
 「自分の携帯と機械が違うので、どのボタンをおしたらいいのか・・・・・・・よく分かりません!!」
 ・・・・・・・と、このお兄ちゃまもギブアップ・・・・・・・!!

 ・・・・・・・という訳で・・・・・・・結局、公衆電話を利用する事にしたのはいいが、電話ボックスの中に入って、財布を覗いてみたら・・・・・・泣きっ面に蜂とは、この事!!・・・・・・10円玉が一つも無いために、わずか1分の電話を掛けるのに、100円玉を電話機の中に入れてしまいました。

 (オヤオヤオヤ、何んたるお馬鹿さん・・・・・・・!)

 と思いつつ、午後8時、中野に着いたあと、取扱説明書を読んでみたら、ナント・・・・・・!

 03-33XX-XXXX

 と10桁の電話番号を入れた後、一番大きくて目立つ楕円形のボタンを・・・・・チョン!!・・・・・押せばいいだけの話し・・・・・・・・!!

 携帯電話を持ちながら、30秒の電話をするのに100円も払ってしまった!・・・・・・という嘘みたたいな、オバカな話でした!!

 チョン!