2002 年 2 月の高原日記

     

     

2002-02-02(土)       晴          自宅

 兎に角、親子で卓球に夢中になっている今日この頃。
 ・・・・・・昨夜は、区立十中の区民開放の卓球の練習に一人で出掛け、今日は小田急沿線に親子で出掛けた。

 十中の区民開放に出掛けたのは、昨夜が初めてだが、面白かったのは、着いた早々、中野区卓球連盟の役員をなさっている小山恭英さんがいらしたので
 「小山さん、今晩は・・・・・・・」
 と声を掛けると、小山さんは僕の顔を見て破顔一笑
 「アレ〜、八岳さん・・・・・・丁度いいとこ・・・・・・・見せたいものがあるんですよ!!」
 との事。
 「な〜に、見せて見せて・・・・・」と言うと
 先生はニヤニヤ笑いながら・・・・・・
 「さ〜て、これは何んでしょう?」
 と言って、卓球のバッグの中から小さなプラスチックのケースを取り出し、蓋を開けて僕に手渡した。

 そのケースを手に取った僕は、中を覗いたトタン、オドロキの声を上げた。
 「うわ〜、ギフだあ!!」
 ・・・・・・そう、プラケースの中のパラフィン紙の中でガサゴソと動いていたのは、紛れもなく、春の女神と呼ばれているギフチョウだったのである。

 次の瞬間、僕は小山さんに色々な質問を浴びせ掛けていた。
 「このギフの産地は何処〜?」
 「いつ羽化したの?」
 「食草は、何を使ったの?」
 「累代飼育をやっているの?」
 「卵は産卵させたの?」
 「何卵育てたの?」
 ・・・・・・等々

 僕達の会話が不思議だったのかも知れない。
 何人かの卓球仲間が回りに集まって来て
 「何んの話をしているの? ・・・・・・ウスバサイシンとか、ルイダイとか、ウカとか   ・・・・・・・分らない言葉ばかり話して〜?」
 ・・・・と言ったので、小山さんが卓球仲間達にギフチョウを見せたら



 「ウワ〜、綺麗・・・・・・!!」
 ・・・・・・と、皆さんがビックリ。
 暫くの間、蝶の話に花が咲きました。

    
 話は変わるけど、今日お目に掛かった人たちの中に、時折、勤労福祉会館で姿を見掛けた M さんというカットマンが娘さんと練習に来ていました。
 ・・・・・・練習を終わり、帰り際、玄関の所で、その娘さんと一緒になったので
 「貴女は、何人兄弟なの・・・・・・?」と訊くと
 「一人っ子なんです」と娘さん。
 「じゃあ、貴女は箱入り娘なんだ〜」
 と謂い掛けたとき、お父さんのM氏が出て来たので
 「ねえ、この可愛らしい娘さんって、一人っ子なんですって? ・・・・・じゃあ・・・・・」
 (大事な箱入り娘なんだ〜・・・・・)
 と言おうとしたら、このカットマンの髭大先生の曰く。
 「一応、一人っ子という事になっています」との事。
 ・・・・・それを聞いた僕は思わず耳をそばだてて言ってしまった。
 「何〜に、それ? どういう意味?」
 「・・・・・いや、他にもアッチコッチに子供がいるかも・・・・・・っていう事になるかな?」
 ・・・・・・僕は、我が耳を疑いながら言った。
 「え〜、ホント〜?」
 ・・・・・・すると、娘さんが明るく笑いながら言った。
 「ンもう〜・・・・・・・又あ〜!!」
 ・・・・・・娘さんの笑い声を聞いた瞬間、それが冗談だという事に気が付いて、僕もつられて笑い出してしまった。

 一見すると、何かグラフィック・デザイナーのような雰囲気をもった髭のカットマン大先生・・・・・・・
 チョッピリ怖い人かと思っていたら、案に相違して、茶目ッ気のある御仁のようでありました。

   
     

2002-02-03(日)          雨           自宅

 今日は終日雨の一日。
 ・・・・・・僕は、皆に
 「変わってるね〜!」
 と言われるけど、雨の日がとても好きである。

 特に、何をする当ても無い日曜日の午後なんかだったら、本当に幸せである。

 チャポチャポと鳴る雨音を聞きながら、ガラス窓越しに雨に濡れた庭木を眺めていたら、もう何も言うこともありません。
 ・・・・・・もう、何時間でも、じっと耳をそばだててしまいます。

 そして、思います。
 (いいなあ〜!!)って・・・・・・・・


2002-02-04(月)           曇             自宅

 今日は卓球をやり過ぎたのだろうか?
 右腕が腱鞘炎に罹ってしまったようである・・・・・!!
 ・・・・・・考えてみたら・・・・・・・・日中4時間ほど、カタオカスポーツで卓球をやり、夜、勤労福祉会館で2時間ほど、息子と二人で卓球をやったので、知らず知らずのうちに計6時間もの間、右腕を酷使していたようである。

 ・・・・・・シマッタ!!・・・・・・と思ったけど、もうどうしようもない。
 又、暫くの間、卓球が出来ないのだろうか?
 チト残念な事をしてしまった。
 少しは、65歳という自分の歳も考えなくては・・・・・・と思うけど、いつも夢中になると自分の歳を忘れてしまう悪い癖がまた出てしまった。
 全くオヤオヤオヤである。

 テレビでは、ここのところ連日のように田中真紀子外相の更迭のニュースが報じられている。
 ・・・・・・これで、外務省の改革は、頓挫してしまうのではないだろうか?
 真紀子大臣関連のニュースが流れると、僕も家内もテレビに釘付けになってしまう。

 僕達もそうだけど、国民の大多数はNGO問題で、悪いのは鈴木宗男と野上事務次官であり、真紀子さんはただ当然の事をしただけである・・・・・・・それなのに、何故、真紀子さんが更迭されたのか、どうしても納得が行かない・・・・・・と腹を立てているようである。

 そんな為だろうか、今まで80%前後の支持率を保って来た小泉政権の支持率は一挙に30%ほど急落をしてしまった。
 ・・・・・・一体、これから、政治改革はどうなるんだろう?

 それにしても、どうして官僚というのは、自分達の私腹を肥やす事ばかりしか考えないのだろうか?

 でも、本来、一番わるいのは、自民党の橋本派などの議員連中に投票する国民なんだけれども・・・・・・・

     

        
2002-02-05(火)           曇のち雨             自宅

 春のように暖かい一日。
 ・・・・・・午前中、川越の母親の所に行く時、あまり気持ちがヨカッタので、車をオープンにして出掛けた程である。
 園では、近くの幼稚園児たちが見舞いに来て呉れ、豆まき大会が開かれた。
 そう! ・・・・・・・考えてみたら、ちょうど節分の季節である。
 季節は、間違いなく、一歩一歩と春に近付いているようである。

 夕方、自転車で新宿のヨドバシカメラまで、誕生日のプレゼントの「パソコンミュージック」を買いに行ってきた。
 ・・・・・・こんなソフト一つを買って貰うのも、僕に収入の無い現在では、我が家にはチョットした出費である。

 本当は、僕が何か仕事を見付けてお金を稼げばいいのだろうが、身の周りの自然が素晴らしくて、どうも、その気になれない。
 ・・・・・・友人達に言わせると
 「何んて贅沢なヤツだ・・・・・・!!」
 という事になるらしいが、その為に、自分のポケットマネーが少なくなる事は止むを得ない事情である。

 ・・・・・・ところで
 こんな事を言うと、人から笑われるかも知れないが、
 現在の我が身の上は、良寛様にほんのチョッピリだけど、似たところがあるようである。

嚢中 3升の米
炉辺 一束の薪
・・・・・・
・・・・・・
野雨 草庵の裡
双脚 等閑に伸ばす

 比ぶべくも無いが、今の僕には、この漢詩の素晴らしさが実によく分ります。

 ・・・・・・この詩を読む度に思うことだけど

 お金が無い事も、結構、楽しい事じゃないか・・・・・・・って!!

 「パソコンミュージック」を大事に入れたリュックザックを背負い、自転車で中野警察の近くまで帰って来た時、サワサワと雨が降り始めて来た。
 ・・・・・・その時、また別の良寛様の別の詩を思い出しました。

荒れ寺に一夜の宿を借り
独灯のもと胸の内は滅入る
濡れた衣を誰が乾かてくれよう
・・・・・・・・
・・・・・・・・

 この詩を読む度に、
 「何んて素晴らしい詩なんだろう・・・・・・!!」
 って思ってしまいます。

         
2002-02-07(木)         晴          自宅

   Happy birthday to you.
   Happy birthday to you.
   Happy birthday dear Papa.
   Happy birthday to you.

 長男と家内が歌って呉れた Happy birthday song.
 自分の誕生日に、この歌を聞いたのは本当に何年振りだろうか?

 過去、4年間ほどは厳寒の真冬もヒュッテにいた僕。

 ・・・・・・だから、こんなに素敵な誕生日を過ごせたのは
 本当に5年振り位なのかも知れない。

      


    
 歌が終わると
 「フッ・・・・・!!」と
 息を吹き掛けてローソクを消し、ケーキを6ツに切って、
 苺のショートケーキの大きな塊りを2ツづつ・・・・・・

 「美味しいね」
 「さっき出来たばかりのケーキだから・・・・・・」
 「美味しいよね・・・・・これ・・・・・・」
 3人三様、思い思いの感想を口にしながら
 しんみりと味わう Birthday cake ・・・・・・・
 ・・・・・・「家族って、何んていいんだろう!」
 と改めて思ってしまう静かな冬の夕べ。

 ・・・・・・
 ところで、今年の誕生日のプレゼントは
 パソコンの作曲ソフトの ”EDIROL”

 今迄に作曲した 15 〜 16 曲の歌を
 この作曲ソフトでキチンと整理をして
 可能ならば、パソコンから音が出るようにしたいからだ・・・・・

 そんな事を考えていたら
 (パソコンって僕の兄弟みたい・・・・!!)
 って、ふと、心の中で独りごとを言ってしまいました。

     

 夜、今さっき、今日の日記をアップロードし、メールを覗いたら、三重県の Masayo と Hitomi から誕生日オメデトウのメールが届いていました。
 ・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・
 僕の歳の半分もないお嬢さん達が、いつ迄も僕の誕生日を憶えていて呉れた事が、僕には、とても嬉しかった。
 ・・・・・・そう、ホント・・・・・・二人から届いたメールを何回か繰り返して読んでいたら、思わず、ハラリと涙が出て来そうになって仕舞いました。
 Masa ちゃま、Hito ちゃま、本当に有難う!!
      

「八岳さん、誕生日オメデトウ!!」
『〓ハッピバァ〜スデイ八岳さん〓』おめでとう!素敵な誕生日を過ごしてね! Masayo

「今日は何んの日でしょう?」
答え\(^_^)/ 八岳さんの誕生日です。 八岳さんハッピーバースディo(^-^)o 今日は素敵な一日でしたか?朝起きて、あっ八岳さんの誕生日だーっておもいながら、こんな時間になっちゃいました。昨年よりも、ビックなハッピーが八岳さんに訪れますよーに。

PS
インフルエンザには気をつけて下さいね。どーしてかってゆうと 昨日まで彼は寝込んでました。今日から仕事にいったけど。なんかまた寒くなるそうなので風邪には気をつけてくださいね。それではまた。 Hitomi でした。


2002-02-10(日)        曇          自宅

 昨日と今日、横浜郊外は新子安の日産スポーツセンターで、全日本FID(知的障害者)卓球選手権大会が行われました。
 ・・・・・・前回の大会で9位だった我が家の長男も出場するので、家内と二人で応援に出掛けたが、このリーグ戦、何しろ、二日間で5セットマッチを14試合もこなさなければならないハードな大会。
 ・・・・・・僕なんかは、6試合もすると、いい加減バテてしまうのだから、結構、大変な試合なのであります。

 いざ、会場に着き、試合が始まってみると、各選手の一年間の精進には、本当に目覚しいものがありました。

 我が家の長男は、7位のM選手には勝ったものの、新しくリーグ戦に加わった15位のY選手に破れ、結果として、Y選手に続いた昨年と同位の第9位。

 家内も僕も、この9位を守る事は、殆ど出来ないだろうと思っていたし、場合によっては、このリーグから脱落してしまうのではないかと思っていた程だったので、本当に驚いてしまいました。

 「エ〜ッ、オッドロイタネ〜、こんな結果になるとは・・・・・・!!」
 「ホント、もう私、絶対駄目だと思ってたの・・・・・!!」

 これが全試合が終わった後の二人の偽らざる感想でした。

 ちなみに、前回1位だったS選手は7位に転落。

 今回の優勝は前回2位だったイボ高ペンのT選手。
 素晴らしかったのは、前回8位だったM選手!
 同選手は見違えるような正統派の卓球で2位に昇格。
 ・・・・・そして、今回3位に上がったのは変則サウスポーのH選手。
 (ちなみに、2位、3位のM、H両選手は裏ソフトを使用)
 という波乱含みの試合結果。

 帰宅後、我が家の長男に就いて家内が漏らしたひと言がとても印象的でした。

 「去年に比べたら、見違えるくらいに腕がよく振れてたわよ・・・・・・」

 ・・・・・・実は、この腕の振りこそ、我が家の長男に欠けていた事だったのです。
 ・・・・・・でも、正直な話、もっともっと練習をしないと、理に適った卓球はなかなか出来にくいのではないかと思います。

    

     
2002-02-12(火)        晴           自宅

 息子の試合が終わってホッとした一日。
 ・・・・・・この数日間、兎に角、僕がひいてしまった風邪を息子にうつさない様にする事に気を配っていた僕。

 無事、選手権大会が終わったので、ホッとしたのでしょうか、久方振りに川公園を散歩して来ました。

 川公園は、我が家のすぐ脇を流れる桃園川の暗渠を利用した、市民の為の遊歩道です。
      

     
 かかりつけの福田医院で風邪の診察を受けた後、午後3 時過ぎに散歩に出掛けてみると、今日はいつもより寒いせいだろうか、冬の夕方の川公園は人影もまばら・・・・・・

 そんな中、本当にユッタリとした気持ちで、散歩を楽しんで来ました。

 ところで、この川公園の敷石の所々に、誰が描いたんでしょう?
 ・・・・・・・・こんな絵が嵌め込まれています。

    

    

    
 僕は、この絵がとても好きです。
 今日も、いつもの様に、遊歩道の真ん中に立ち止まって、この絵を見ていたら、散歩をしていた人が何人か、不思議そうな顔をして傍を通って行きました。

 とっても、素敵な絵だと思うんだけど・・・・・・・

 僕って、ヤッパ、どっかがオカシイのかな〜・・・・・???

  

      
2002-02-16(土)        晴          自宅

 夕方・・・・・・・
 「ハト時計が直りました・・・・・」
 と、深野時計店から電話があった。

 「ウワー、素敵素敵・・・・・!!」
 ・・・・・・・僕は大喜びで、時計やさんまで出掛け、ハト時計を受け取ると、大急ぎで我が家にとって返し・・・・・・早速、ハト時計を玄関の柱のいつもの場所に掛けてやりました。

    

我が家の一員のハト時計・・・・
筆者は、このハト時計が大好きです・・・・・・・!!

    
 僕はハト時計が大好きである。
 ・・・・・正時が来る度に、文字盤の上にある、小さな扉が

     「パタン!!」

 と開くと、中から白いハトが顔を覗かせ、頭と尾を上下させながら

     「ポッポー、ポッポー、ポッポー・・・・・・・・」

 と時を知らせ・・・・・それが終わると、白いハトはまた時計の中に入り、

     「パタン!!」

 と扉が閉じて静かになってしまうのです。

 ・・・・・・・
 ・・・・・・・

 ところで、僕が、この時計を大事にしているのは、このハト時計が機械時計だからなんです。
 ・・・・・・時計の下には、大きな松ボックリの形をした鋳物製の、分銅が二つブラ下がっていて、この分銅の重さは2ケを併せると 5kg 程にもなるのです。
 ・・・・・・そして、この分銅の重力が、この時計を動かず動力源となっているのです。
 だから、丸一日、この時計が時を刻むと、この二つの分銅はやく 30cm ほど下に下がり、一週間ほどすると、この分銅が床まで下がってしまい、床に分銅が触れると、そこで分銅の重さが無くなる為に、このハト時計は止まってしまうのです。

 そうすると、時計の下部中央部にみえる2本の鎖を引っ張って、この分銅をいま見えているあたりまで引っ張り上げて、振り子をチョンと指で押してやると、また時計は チクタク、チクタク と元気に動き出すのです。
      

 話は変わりますが、僕がこんな風にに大喜びをしたのには、訳が(わけが)あるのです。
 ・・・・・・それは、どんな事かと言いますと、このハト時計・・・・・・実は、今回、時計屋さんで修理をして貰う前は、2年程の間、この柱の上で止まっていたからなんです。

 皆様のお宅に、このような機械時計がありますと、すぐに、お分かり頂けるのですが、機械時計と言いますのは、何年間か動いていますと、油が切れたり、ホコリが溜まったりして、止まってしまうのです。

 そんな訳で・・・・・・・それまで数年間、元気に動いていた、このハト時計が止まってしまったのは2年ほど前のこと。
 「オヤオヤ、ハト時計ちゃん、動かなくなっちゃったよ・・・・・・・!!」
 ・・・・・ブツブツと、独り言を言いながら、このハト時計をいつもの通り、近くの時計屋さんに持って行ったら、何んと、顔なじみのオジイチャンのお店が閉まってるじゃありませんか!!
 そこで、近所の人に、
 「時計屋さんは、どうしたんでしょう・・・・・・??」
 と聞いてみますと
 「・・・・・・・時計屋さんのオジイチャンは、年を取ったので、お店を止めてしまいました」
 との事。
 「・・・・・・・サーテ、これは困ったぞ!! ほかに何処か、時計屋さんって無いのかな?」
 そんな事を考えて、時計屋さんをアチコチと探してみましたが、僕が子供の時から知っていた時計屋さんは、皆んなお店を閉じてしまっていました。

 という訳で
 ・・・・・・・今回の深野時計店が見付かるまでの間、我が家のハト時計チャンは2年ほどの間、この柱の上で止まっていたのであります。

 ・・・・・・ネ?
 ・・・・・・分るでしょ?
 ・・・・・・僕が何故、こんなに大喜びをしているかが・・・・・・!!!!!  

 そうなんです!
 それで・・・・・・・この時計を分解掃除に出したのが2ケ月前。

 だから・・・・・・こうして、このハト時計が元気に動いているのを見ますと、長いこと留守にしていた家族が戻って来たような感じがして、とてもホッと致します。

    
 ところで、話は又々変わりますが、この時計を見ていると、こんな光景をフッと思い出します。
 ・・・・・・このハト時計を近所の T 時計店で見つけた筆者は、どうしても、この時計が欲しくなり、家内と相談をして買うことにしたのですが、いざ、この時計が我が家に来て見ると、僕以上に、この時計に夢中になったのが、我が家の長男のKRでした。

 と言いますのは・・・・・・ハトがドアを開けて顔を出しポッポ、ポッポと鳴くのが、よほど面白かったのでしょうか・・・・・・時間が来て、ハトがポッポと鳴いた瞬間、当時4歳くらいだった長男のKRは、家の中の何処にいても、ドアをバンバンバンと開けると、バーーーッと物凄い勢いで玄関までスッ飛んで来て、時計の下に立ち止まり、羽を広げ尻尾を上下してポッポ、ポッポと鳴いているハトを見上げていたものでした。

 その当時の光景が、今、こうしてキーボードを叩いている間も彷彿として、脳裏に浮かびます。

 遠い昔の幼き日の一コマです!!


2002-02-17(日)           曇のち雨          自宅

 最近、時間があると ”馬でも分る「空」のお話” の原稿を書いて、ホームページにアップロードしている。

 何故、こんな事を夢中になってやっているのか自分でもよく分らないが、兎に角、夢中になって書いているのだから、自分でも何が何だかよく分からない。
 ・・・・・兎に角、自分の考え方を纏めるのが面白くて仕様が無いのである。

 昨日から今日にかけて、”第 7 章 受想行識亦復如是” の章を書き上げ、先刻、アップロードしたばかりである。

 一体、これから先、色即是空のページはどうなって行くんでしょうねえ??

    
 話は変わるけど、先刻、ハト時計が9時を指していたので、昨夜の分銅の位置と今夜の位置を比較する為に、写真を撮ってきました。

    

       
  昨夜の写真と今夜の写真を見比べて、分銅の位置の違いをご確認願います。

      

      
2002-02-18(月)         曇         自宅

 昨日の日記に古いハト時計の話を書いていて思い出したのですが、我が家には使い古したものが沢山あります。
 ・・・・・・それは、思い出の品を、いつ迄も後生大事に取って置く所為(せい)だと思いますが、下の写真の振り子時計もその一つです!!

     


 この振り子時計も、今でも元気に動いている我が家の家族の一員です。

 この時計の御年(おんとし)は筆者より1歳下の丑年(うしどし)!!
 もう半世紀以上も、元気に動いている現役のネジ巻き時計なのですが・・・・・・・もともとは、家内の両親が結婚された際に贈られた、結婚祝の時計だったそうです。
 ですから、家内の兄弟姉妹達は、皆、この時計を見て育ったとの事。
 ・・・・・・・古い古い懐かしい時計です。

   
 ・・・・・・・この振り子時計が我が家にやって来たのは、今から20年程前。
 我が家の新築後、間もなくの事でした。
 ・・・・・・・・・・・・
 それ以来、この時計も、我が家のダイニングルームで、チクタク、チクタクと素敵な音で、時を刻み続けております。

    
2002-02-21(木)       晴           自宅

 昨日、高原日記の愛読者だと自称して下さるヤングの兄妹からこんな電話がありました。
 要約すると、
 「我が家には電池で動く電動のハト時計があるけど、時計の下にブラ下がっているマツボックリ(分銅のこと)が、本当の機械時計では時計を動かす動力だったんだとはチットモ知りませんでした。 アレって、今の今迄、ただの飾りだと思ってました。 アレは時間が経つと、どの位まで下がるんですか・・・・・?」
 との事。

 それでは・・・・・・と思って、今日の分銅の位置を見てみると、けっこう下までさがっているじゃありませんか!!
 ・・・・・・それでは・・・・・・・と言う訳で、早速、写真に撮って、載せることにしました。

 写真を撮る時、ピントがよく合ってなかったので、少し画面が見にくくなってしまいました(ゴメンナサイ!!)が、雰囲気は分って頂けると思います。


   
 今夜の分銅の位置はご覧の通りです。 5日も経つと、こんなに下まで下がってしまうのです。 ・・・・・・でも・・・・・・もう間もなく、床に着いてしまうので、クサリを引っ張って上まで引き上げなくてはなりません!!

 ・・・・・・が、まあ、雰囲気としては、こんな感じなのです・・・・・・・

 ポンタとピパちゃま、これでお分かりかな????

       

      

2002-02-23(土)         晴のち曇          自宅

 兎に角、春のように暖かい一日。
 千歳船橋の LYPP (Love your ping pong) 卓球教室に KR と出掛けた。
 今日はサービスの練習をしたあと、ダブルスの試合をする。

 ●KRのサービスについて、N 先生から指導を受ける・・・・・・・
  下切りのサービスは、腕の振りが全体的に緩慢である。ラケットに球が当たった瞬間にインパクトがあった方がいい。 バックのロングサーブの練習をする事。
 感じは掴めているので、後は、うんと練習を積んで下さい・・・・・・との事。

 帰途、駅で N 先生と一緒になったので、代々木上原迄、話をしながら帰って来た。
 「M君、腕がかなり動くようになって来たんだけど・・・・・・バックスイングをとる事に気が行き過ぎて、力が入りすぎて何かギクシャクした感じになりすぎていますね。  あの動きがスムースになるといいんですが・・・・・・・」
 との事。
 明日からは、その事にも少しづつ気を配って行きましょう。

 先生が、色々とアドバイスをして下さるのが、物凄く嬉しい。
 先生が仰って下さった事に気を付けて少しづつ治して行けばいいからである。

 余談だけれど、先生はカトリックのクリスチャンの由。
 そう言われてみると、今迄の先生の優しさが分るような気がします。

     
 ・・・・・・話は変わるけど・・・・・ここ二三日、アルチュKさんに引き取って頂くマックのパソコンの整備に時間を取られて、日記をつけるのが疎かになっていました。

 明日は、そのパソコンの引渡し日です。


2002-02-24(日)         快晴          自宅

 午後5時少し前、アルチュK氏が Jr. と一緒にパソコンの引き取りに来て呉れました。

 Jr. は大学で電子通信工学を専攻しているとか・・・・・・・・
 兎に角、Jr. のパソコンの知識が広いので、パソコンやインターネットの説明を随分と端折らせて頂く一方で、幾つかの新しい知識を学ばせて頂きました。

 時間が立つのは早いもの・・・・・・・
 パソコンのこと、LAN のこと、松原湖のこと等を話していたら、アッと言う間に小1時間が過ぎ、二人は暮れなずむ如月(きさらぎ)の夕べ・・・・・・・車のライトを点けて、大田区のご自宅に向けて帰って行かれました・・・・・・・

 ・・・・・・・それにしても、この旧モデルのマックのパソコン
 アルチュK宅のお荷物にならず、少しでもお役に立てば・・・・・・!!
 ・・・・・・・と、願うことしきりです。

 
2002-02-26(火)         晴           自宅

 昨日の午後、大通りのマーちゃんの所に、自転車のサドルの位置を直して貰いに行ったら
 「アキちゃん、知ってる? 軍ちゃんのお父さん亡くなっちゃったの?」
 と言われて、ビックリ仰天!!

 ・・・・・・昨日は、スケジュールが一杯に詰まっていたので、今日の夕方、軍ちゃんチにお線香を上げに行き、オバチャンと軍ちゃんの奥さんと色々話して来たけど、僕達三人はオジチャンの思い出話を小一時間ほども喋りっぱなしでした!!

 ところで・・・・・・軍ちゃんの家はお米屋さん!
 ・・・・・・時たま、お客さんの合間を縫って、軍ちゃんも話しに入って来たけど、四人になると、オジチャンの思い出話にはますます種が尽きなくなる有様。

 7時を回って暫くしたところで、突然、気が付いて、僕は慌てて引き上げて来たけど、今、こうしてキーボードを叩いていても、親切で優しかったオジチャンの事が思い出されて、何んかこう妙に淋しい気がします。

 僕でさえ、こんな気持ちになるのだから、オバチャンはどんなに淋しい事でしょう・・・・・・・

 人生って、ホントに色んな事があるんだと思います・・・・・・・・・・

    

       

2002-02-27(水)         曇          自宅

 午後、牧師の 塚田先生と一緒に、母親のところに出掛けました。t

 母親の所に着き、先生に母親を紹介すると、先生は小一時間ほど、母親と殆ど二人だけで話をしていましたが、驚いたことに母親は何んの抵抗も無く先生の話に相槌を打って、話にジット耳を傾けていました。

 ・・・・・・多分、母親は先生の人となりに安心し、リラックスしたまま、先生の話を素直に聞く事が出来たのだと思います。

 話が終わりに近付いた時、先生が
 「・・・・・・・それでは、最後に賛美歌を一緒に歌いましょう!」
 と言われて、賛美歌のコピーを配られたので
 「じゃあ、僕が歌詞を読むからね・・・・・」
 と言って、僕が
 「いつくしみ深き友なるイェスは
      罪とがうれいを取り去りたもう
  ・・・・・・・・・・・
  ・・・・・・・・・・・」
 と読み始めると、88 才の母親が、とつぜん小さな声で、この賛美歌にメロディをつけて歌いだしたのです
 「・・・・・・・・・????」
  僕は、本当にビックリしてしまいました。
 「母さん、この歌を知っていたの?」
 と聞くと、
 「うん、知っていた・・・・・・」
 と言うじゃありませんか・・・・・・・
 ホントに僕は、オッタマゲーションの3乗でした・・・・・・!!!

 ・・・・・・・僕が歌詞を読み終わると
 「じゃあ、皆んなで一緒に歌いましょう・・・・・・・」
 という牧師先生の言葉で、僕達3人は歌を歌い始めました。
 1番は斉唱。
 2 〜 3 番は牧師先生が低音部を歌われ、僕と先生が2重唱を歌い始めますと、僕達の声が結構よくハモっていたせいもあったのでしょうか、母親は、歌うのを止めて、僕達の歌にじっと耳を傾けていました。 

 歌い終わると、先生が
 「・・・・・・では、お祈りをさせて下さい」
 と仰って、今日の私達の出会いを祝福して下さい・・・・・・とイェス様に祈って下さいました。
 ・・・・・・・と、どうでしょう?
 母親があんまり静かなので、顔を覗き込むと、母親の目が真っ赤になっていました。

 きっと、とても嬉しかったのだと思います。

 ・・・・・・・それから、暫くしてから、
 「・・・・・・じゃあ、又、10日くらいしてから、僕が来るからね・・・・・・・!!」
 と言って、先生と二人で帰って来ましたが、今日は先生と一緒に出掛けて、本当にヨカッタと思います。

 イエスさま、素晴らしい一日を送れました事を、心から感謝致します!!

     

     
2002-02-28(木)          晴           自宅

 今日付けの週刊新潮(2月28日号)のグラビア P. 174 〜 175 に題して「湘南ボーイのときめきフィギュア」という記事が載っている。

 この写真の中央付近に移っているのは、ご存知の石原都知事と今をときめく藤崎詩織のフィギュア・・・・・・・!!
          

     
 藤崎詩織とは、今皆さんがご覧になっている、このサイトのホームページ(トップページ)にも写真が載っている恋愛シミュレーション「ときめきメモリアル」の女主人公の詩織のことである。

     

     
 筆者は、この詩織ちゃまの大ファン・・・・・・・!!
 長野県は小諸市の模型屋さんに置いてあった彼女のミニチュアに一目惚れをして、その人形をヒュッテに連れて帰り、本棚のヘルマン・ヘッセ全集の隣に坐って貰っているのが現況・・・・・・・この詩織のフィギュアが、筆者と同世代の慎太郎先生の目にとまった・・・・・・・という、この記事に、何故か分らないけど、筆者は思わず大笑いをしてしまいました。

 ちなみに、この記事の内容は下記の通りでありんす・・・・・・・・!!

    
 「これ一つ、お持ち帰りね」 と言ったかどうかは定かではないが、等身大フィギュアを前に表情が緩んでいるのは石原慎太郎・都時事。 都主催のアニメフェアでのヒトコマだ。
 関連グッズが並ぶ出展企業の各ブースを足早に回り、恋愛シミュレーションの人気ゲームソフト 「ときめきメモリアル」 のブースでキャラクター人形を鑑賞。
 それから一旦は別の場に移動したが、また踝を返して、同じブースに舞い戻ったのである。
 何故のご執心?
 激務に追われる石原都知事。
 湘南ボーイとして鳴らした昔を思い出し、恋愛シミュレートに挑戦したくなったのだろうか。
 ちなみに、知事がときめいたフィギュアのお値段は45万円だそうだ。