2002 8月 の高原日記

     
 
       

2002-08-01(木)           晴時々曇           自宅

 「エーッ、もう 8月ウ〜〜?」
 昨日が7月31日だったのだから、今日が8月1日だという事は分っていた筈なのに・・・・・・改めて、8月の声を聞くと、
 「エーッ、もう8月・・・・・?」
 の声が、どうしても出てしまう・・・・・・・・!!

 午前中は、溜まった郵便物を整理して、ユックリと時間を過ごした。
 こんなに、ユッタリとした気分になったのは、本当に久方振り。
 家の中は暑いけど、愛用のペーパーナイフで郵便物を開け、電話代の受領書・プロバイダーからの月間使用料の受領書・友人からの暑中見舞い・・・・・・等々。 お定まりのものばかりだけど、一通一通整理が出来て行くのが、実に楽しい!
 いつもの事だけど、僕は、物を整理するのが、とても好きである。
 ・・・・・・とても素晴らしい午前中だったと思う!

 午後は、自転車で新宿のヨドバシカメラまで、コピー用紙を買いに行って来た。
 外は相変わらずクソ暑いが、MTB で走ると、前から風が当たるので、比較的楽である。
 青梅街道沿いを走って行くと、最近、送電線がドンドンと地中に埋まって行くためか、通るたびに町の中がスッキリとキレイになって行く。
 やっと、日本の町々もヨーロッパ並に、キレイになって来た感じがする!
 ・・・・・・ところで、今日は、ペダルを踏んで走っていると、何んとなく、心がウキウキする。
 午前中も、とても明るい気分だった・・・・・・!!!!!!
 (どしてかな・・・・・・?)
 と考えてみたら、「線と現在と色即是空」の再々校正が、昨日で全部終わったせいだという事に気が付いた。

 嬉しい!
・・・・・・今迄、何冊かの本を書いたけど・・・・・・
 ・・・・・・生まれて初めて、誠心誠意、嘘をつかず、ホントに大真面目に書き上げた本。
 人に認められようと、認められまいと・・・・・・そんな事は、殆ど問題ではない!
 先達の本を何冊読んでも、どうしても分らなかった「色即是空」の空相。
 仕方無しに、自分独りで考えに考え、いつの間にか到達した、自分なりの「空」の解釈。
 ・・・・・・その解釈に導かれて、毎日毎日の一瞬一瞬に全力投球出来る、この幸せ!!
 その・・・・・・過去のシガラミと未来への不安から解き放たれる、この開放感!!

 それが、こんなにも嬉しいのかも知れない・・・・・・

    
 夕食後、夕立が降り、物凄い雷に見舞われた。
 お陰でパソコンを使うことが出来ない。
 そこで、シャワーを浴びようと思ったら、息子に先取りされてしまった。
 仕方が無いので、冷蔵庫からアイスキャンディーを持ち出して、雷の音を聞きながら、カリカリと甘い氷を噛み砕いた。
 ・・・・・・そしたら、どうだろう?
 青い山脈に出て来る、手相見の親父がアイスキャンディーを食べながら、シン子の手相を見ている場面を思い出した。
 僕は天上の蛍光灯を見詰めながらクスリと笑いながら、フト思った。
 「俺って、何んて幸せなんだろう・・・・・・!」って・・・・・・

     

      
2002-08-03(土)        曇ときどき晴           自宅

 午前中、本当に久方振りに刀の手入れをした。

 ・・・・・・他界した親父が大切にしていた7振りの刀のうち、2振りが我が家に来ている。

     
 


 その内の1本が、上の写真の備前長船春光作の鎧貫し(よろいどうし)である。
 鎧貫しは特殊な短刀である。
 ・・・・鎧に身を包んだ武者同士が組討になった際、組み敷いた敵武者を鎧の上から刺すという、特殊な目的の担当である。
 その為、日本刀の短刀としては珍しく両刃(もろは)形式となっている。

 しかも、今迄の保存状態が良く、殆ど研ぎ減りがない肉厚のままの状態。
 ・・・・・目利きの人の話に依ると、その作り{つくり・・・・最下段の柄(つか)と鞘(さや)}の美しさから見て、大名クラスの所持品だったに違いない・・・・・・との事。

 親父の遺言で、この短刀は、普段は金融機関の貸し金庫に収納されており、年一度、このようにして三日間だけ、自宅に戻って来るが、どちらかと言えば保管管理に暇と費用がかかる代物ではあります。

 まあ、親父が大事にしていた物なので、別に売りもせず、我が家に残っているが、さもなければ、とうの昔に我が家から無くなっていたものではないかと思う。

 真夏の午後、左手に裸の刀身を持ち、右手に持った打ち粉でポンポンと砥石の粉を打ち、スッカリ刀身を磨いてから、最後に丁子油(ちょうじゆ)を塗る1時間半ほど・・・・・・久方振りに、頑固でカチカチ頭の親父に会ったような気がした次第である。


2002-08-05(月)          曇のち晴          自宅

 午後、縁側で小豆アイスを食べていたら、庭のアンズの木の上で、アブラゼミがジリジリと鳴きだした。・・・・・家内は、もう何回も、同じ木の上でアブラゼミが鳴いているのを聞いた事があるといっているが、僕が、このようにアブラゼミが鳴いているのを聞いたのは,今日が初めてである。

 ふと、籐椅子に坐ったままアンズの木の方を見ると、シジュウカラの給餌器を釣っている棕櫚縄にアブラゼミの抜け殻がブラ下がっていた。

     
 
       

 もしかすると、先刻鳴いていたアブラゼミは、この抜け殻から出たのかも知れない。
 そう思うと、何んとなく、とても嬉しい気がした。

 夜、仕事から帰って来た長男と、高田馬場の山手卓球場に、卓球の練習に出掛けた。
 冷房の効いていない卓球場は、中に入るとムッとしたが、それでも準備体操をして、練習をはじめると、スポーツってホントにいいな!・・・・・・って、思ってしまう。

 1時間半ほど練習をすると、もう2人とも、上半身はグショグショ・・・・・・
 練習を終わって、乾いた着替えに衣替えをして、卓球場を後にした。

 窓口で代金を払った時、卓球場のオバサンが言った。
 「息子さん、上手ですよね〜」
 「ええ、お陰様で・・・・・・!」
 「いつも、スペシャル・オリンピックで、練習に来てる方でしょう・・・・・・?」
 「ええ、そうです・・・・・・」
 「お父さんより、球が速く走ってますよ!」
 「有難うございます」
 「あの球質だと、お父さんは・・・・・・ウカウカしていられませんよ!」
 「いや、今日も試合をして、やられましたよ・・・・・・!」
 「そうかも、知れませんね〜! ・・・・・・これからは、もっともっと大変になりますよ!」
 「いや〜ホント! 最近では、息子に自分の練習の相手をしてもらっているような具合です!」 
 「・・・・・・でも、嬉しいじゃないですか・・・・・・! 見てて、とても素敵だと思いますよ!」
 ・・・・・・との事。
 ・・・・・・帰途、コンビニに寄って、今日2本目のポカリスエットを2人共飲んだが、全く、アッと言う間に、お腹の中に入ってしまいました。
 ・・・・・・でも、親子で卓球を夢中になって出来るなんて、何んて幸せなんだろう!

      

      
2002-08-06(火)           晴・猛暑            自宅

 朝食後、紅茶を飲みながら新聞の将棋欄を読んでいたら、庭から家内が声を掛けた。
 「アジサイの葉っぱの上に、蝉の抜け殻があるわよ・・・・・・知ってて?」
 「ウウウン・・・・・・知らない・・・・・・ホントかよ・・・・・・どれどれ?」
 と言って、廊下に出て見ると、成る程、アジサイの下葉の上に、新しいアブラゼミの抜け殻がチョコナンと載っているではないか・・・・・・!
 「オヤオヤオヤ、ホントだよ・・・・・・今すぐ、写真を撮るからね・・・・・・!
     

  
 そう言って撮ったのが、上の写真である。
 ・・・・・今日もアブラゼミがジリジリと鳴いて呉れると、いいんだけど・・・・・・

 友人達は、みな笑うけど・・・・・・
 僕は、夏は暑い方が好きだし、冬は寒い方がいいと思う。

 「暑い、暑い!」
 と言いながら食べる冷やした西瓜の味は格別だし・・・・・・
 「寒い、寒い!」
 と言いながら熱い紅茶を何杯もお代わりする楽しさも格別だからである。

     

     
2002-08-07(水)            晴・猛暑          自宅

 昨日の最高気温は、36度・・・・・・家の中の温度計は35度を指していた程だった。
 今日も、一日中、それに劣らぬ猛暑ぶり!
 ・・・・・・とうとう、家の外には、殆ど出なかった一日だった。

 ところで、夕方、廊下の籐椅子で涼もうとしたら、頭の上のアンズの木の上のほうで、アブラゼミが鳴きだした。

 オヤオヤと思って、アンズの木を見上げると、何ント・・・・・・アブラゼミが2匹、アンズの幹にとまって鳴いているではないか・・・・・・・

 僕は、アッと言う間に 2階の自分の部屋に駆け上がって、デジカメを持って来ると、早速、その 2匹の蝉の写真をとりました。

     
 

     
 ・・・・・・・どうです?
 ちょっと見え難いけど・・・・・・チャント2匹いるでしょう?
 もしかすると、この2匹は、昨日と一昨日見付かった2ケの抜け殻から出て来たアブラゼミかも知れません・・・・・・!!
 まさに、夏本番の我が家の庭です。

 いいな! いいな! ・・・・・・将に、夏本番の我が家の庭です・・・・・・!!

     

     
2002-08-08(木) 立秋          快晴・暑し           自宅

 今朝も、縁側の籐椅子で休んでいたら、アンズの木にアブラゼミが3匹とまっているのに気が付いた。

     

     
 
 午後の3時過ぎになると、今度は、見える所に4匹、上の茂みの中で2匹がジリジリと鳴いていたので、6匹以上はいたことになる。

 ところで、気温のほうは今日も室内で35度を記録したが、風の方は、カラリと乾燥した秋の風。
 お陰様で、今日は、過ごしやすい一日を過ごさせて頂きました。

 ホームページの方は、「色即是空」の執筆が終わったので、とても気持ちが楽・・・・・・2〜3日前から、今迄、ズット放っておいたページを少しづつ書き直したり、整備をしたりしています。

   
 話は全く変わるけど、昨夜9時過ぎ、沼袋の卓球教室から帰って来た息子が、帰ってくるなり、僕の顔を見ていいました。
 「パパ、今日はK君とN君の2人に、両方とも、3 対 0 で勝ちました!」
 ・・・・・・N君とK君は、今迄、我が家の息子がなかなか勝てなかった相手である。
 その2人に、3−0 で勝って来たなんて・・・・・・
 「ホントかよ・・・・・・よく、頑張ったネエ! サーブはどんなサーブを出したんだい?」
 ・・・・・・僕は、ホントに嬉しかった。
 「色々なサーブを出しました」
 「長いサーブも出したの?」
 「エートネエ! 長いのも短いのも、ストレートもクロスも・・・・・・・・」
 「それで、ロングサーブの時、相手は打って来たかい?」
 「半分位、打って来ました。
 「その球を、今度は、打ち返したんだろ?」
 「はい、打ち返しました」
 ・・・・・・・等々。
 息子も、少なからず嬉しそうである。

 ・・・・・・でも、このストーリーの陰には、我が家の息子の成長を我が子の成長のように喜んでいて下さる、往時の日本卓球界屈指の名選手、中西義治先生の存在がある。
 ・・・・・・僕は、暑さにうだりながら、この息子との会話を先生宛のハガキに認め、お礼の言葉を書き添えてポストに投函して来た。
 ・・・・・・それにしても、我が家の一家は、何んと多くの心優しき人達に支えられて、生きている事だろう。
 思えば、本当に、有難いことである。

      

       
2002-08-09(金)          快晴            自宅

 義父が他界した。
 ・・・・・・享年 93 歳。
 若いとき、”イタリア人” と綽名された彫りの深い顔。
 往時の NHK 札幌管弦楽団のコンサートマスターだった、義父とのやり取りは思い出に深い。
 ヤッシャ・ハイフェッツを ”ヴァイオリンの神様” といっていた義父。
我が家の息子の幼かった日、札幌の家で、義父の弾くヴァイオリンの音に惹かれた息子が傍に近付いて行くと、
 「ドリャドリャ、僕は、ヴァイオリンが好きかい? よしジジが何か弾いてやろうか・・・・・・?」
 と言ったあと、僕の方に向いて、
 「この子は、どんな曲が好きなの?」と、聞くので
 「バッハの無伴奏パルティータをよく聴いてますが・・・・・・・・」と言うと
 「そうかい!・・・・・イイ曲が好きだよね〜」と言って。
 「じゃあ、この曲は知ってるかな〜?」
 ・・・・・・と言いうと、いきなり、パルティータの中の 2〜3 曲を、息子の為に弾いて呉れた義父の力量に、僕は全く唖然。
 その時の息子の笑顔と、義父のテクニックの素晴らしさに対する驚きは今も消えない。
 ・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・
 それに、僕が小海町に寄付した、1,000 枚以上の貴重なシェラック盤の SPレコードは、この義父のコレクションになるものだし、その他にも、貴重な楽譜や音楽関係の知識と共にこの義父から譲り受けたものは実に大きい。

 今、静かに生前の義父を思い返して見ると、この義父から学んだ音楽的知識は、想像以上に、多岐詳細にわたっていたと、改めて沁み々々と感じさせられる次第である。

 ・・・・・・そうです・・・・・・ホントに、そう・・・・・・!
 ・・・・・・分ってはいるものの、親しかった人が、この世から居なくなると・・・・・・
 そこはかとない寂しさに包まれるものです・・・・・・!!

     

     

2002-08-10(土)          晴           自宅

 藤沢駅近くのカルチャーBOX藤沢にて、義父のお通夜。
 義父宅の宗派は曹洞宗だが、僕は曹洞宗の通夜に参列したのは、生まれて初めての事。

 老師が席に着かれると、一番最初に、木魚を叩きながら、般若心経がとなえられた。
 ・・・・・面白かったのは、老師が息をつかれる時、その間に叩かれた木魚の音の数だけ、飛ばして、老師はその続きの経文をとなえていた事だった。
 例えば、

 摩可般若波羅蜜多心経。観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見・・・・・・・

 の途中で息をつくと、次のようになる訳である。

 摩可般若波羅蜜多心経。○○在菩薩行深般若波羅蜜多時照見・・・・・・・

 ・・・・・・即ち、上の○○の箇所は、「ポク、ポク」と木魚の音が聞こえるだけなのである。
 これは、皆で読経をする際、皆がマチマチに、何処で息をついても、全員が唱和できる為の慣わしから、来たものではないかと思う。

 更に、面白かったのは、通夜の法要が終わったあとの講話で・・・・・・・
    ● 曹洞宗の教える所
    ● 死後の世界
    ● 義父の戒名「空天楽院没弦法音居士」の説明
 の中・・・・・・・・、
    ● 我々が生きている、この現在の瞬間に全力を注いで生きるべき事
    ● お釈迦様は、死後の霊魂については、殆ど、何も話してはおられない事。
    ● 没弦琴・・・・とは?
 に、触れられたが、今夜の講話で一番感動したのは

 ・・・・・・死後の世界について説明された時、老師が引用された良寛和尚の辞世の句

        形見とて
        何は残さん
        春は花
        夏ほととぎす
        秋はもみじ葉

 ・・・・・・がとても素晴らしかった事でした。

 流石、良寛である。

     

     
2002-08-11(日)         快晴           自宅

 正午過ぎより、昨日のカルチャーBOX藤沢にて、義父の告別式。
 ・・・・法要は、昨日の老師が司って下さり、清々しく終了。

 今日は、その後、当該老師と30分ほど、話をする機会を得たが、老師との話は本当に面白かった。
 人生の生き方について、僕が書いた「線と現在と色即是空」の内容に沿って、色々と話をしたところ、老師と共鳴するところ多々。
 ・・・・・もしかすると、僕の著書の大まかな内容は、ひどい間違いを犯していないのかも知れない。

 最後に、昨日の良寛の辞世の句について、
 「・・・・・あれは素敵でした!」
 と、僕が言うと
 「あの歌には、道元禅師の本歌(もとうた)があるんです・・・・・・」
 と仰って、次の歌を紙に書いて下さいました。

   
      本歌 道元禅師

        「本来の面目」

          春は花
          夏ほととぎす
          秋は月
          冬雪冴えて
          冷(すず)しかりけり

   
 今回の老師に出会い、色々と話をした事について・・・・・家内が
 「でも・・・・・私、ホントにビックリしちゃったわ・・・・・だって、「空」の話に、色即是空でしょ・・・・・それに良寛さんでしょ! もう、私、ホントに驚いちゃったわ・・・・・!!」

 どうやら、家内は、僕の「線と現在と色即是空」の内容と、老師の話の内容が、非常に共通性がある事を言っているらしいのだが・・・・・
 家内以上に、驚いたのが、この僕だったのである。

 世の中って、ホント素晴らしいと思います・・・・・!!

    

     
2002-08-12(月)         曇          自宅

 経堂の F 先生に、電話。
 F 先生は日本甲冑協会の重鎮で、親父の友人だった方。
 「春光」の鎧貫しの短刀を、刀剣関係の美術館に寄贈して、出来れば展示して頂ければ・・・・・と考えている旨を告げる。
 ・・・・・・先生は、それならば・・・・・・と、ひと息入れたあと、参宮橋にある刀剣保存協会が一番いいのではないかと思いますが・・・・・・との事。
 「・・・・・・そこでしたら、専務理事を存じておりますので、ご紹介出来ると思いますが・・・・・・」
 と仰って下さった。
 ・・・・・・親父が大事にしていた刀剣だった事を考えると、そうするのが一番いいような気がする。
 ・・・・・・先生の声も、心なしか嬉しそうだった。
 だって、刀屋さんに売っちゃうと、その後、その刀は何処に行っちゃうか分らないし、多分、もう2度と見る事は出来ないからである。
 刀剣美術館なら、キチンと手入れはされるだろうし、展示されている時は、見学にも行けるからである。

      

    
2002-08-14(水)         晴           自宅

 午前9時、新宿スポーツセンターに息子と2人で卓球の練習に出掛け、2時間ほど、ユニフォームが汗でグショグショになるほど、2人で動き回って来た。
 息子の出場する、スペシャル・オリンピック・アジア大会がいよいよ明日開幕するからである。

 今、この大会を前にして、もう思い残すことは何も無い。
 ・・・・・もう唯、唯・・・・・感謝あるのみである・・・・・・!
 今年の初めに、卓球界の大御所の中西義治先生にお会いして以来、中西先生も、林コーチも、SOの方々も、LYPPの皆さん方も・・・・・・皆さん方が、知的障害をもつ息子とその父親の僕を温かく受け入れて下さり、一生懸命に明日からの大会に備えて来て下さった。
 ・・・・・本当にあり難い事である。

 そんな思い出が、頭を過(よぎ)った為だろうか、僕は自分のHPと敬愛する寂庵先生の掲示板に次のような書き込みをした。


明15日、午後5時から、スペシャル・オリンピック・アジア大会の開会式が代々木の国立競技場で開かれます。

スペシャル・オリンピックというのは、知的障害の人達を対象にした国際オリンピックで、国際オリンピック協会から、正式に認められた名称です。

そのアジア大会の開会式には、米国からやって来た、ディズニーのアトラクションが出たり、小錦関が応援をしたりするそうです。

・・・・・知的障害を抱える、我が家の一人息子も、大会に参加(種目:卓球)しますが、驚いたことに、明日の開会式で、トーチ・ランの最終ランナーを努めることになりました。

・・・・開会式の模様は、どこかのTV局で放映されると思いますが、お時間がございましたら、見てやって下さい。

・・・・尚、小生の氏名、八岳晴耕(やたけ せいこう)はペンネームですので、息子は別の名前(本名)で出場すると思います。

ヨロシクね・・・・・・!!

labelspeoly

2002-08-15(木)           快晴            自宅

 午後5時、代々木国立競技場第一体育館にて、第3回スペシャルオリンピックス日本の開会式が始まった。

 今日の開会式のスケジュールは下記の通り。

プレオープニング
高円宮殿下、同妃殿下ご入場
オープニングアクト
選手団入場
スペシャルオリンピックス旗入場
KONISHIKI ソング合唱
開会宣言
主催者挨拶
高円宮殿下のお言葉
祝辞・メッセージ
聖火セレモニー
高円宮殿下のお言葉
聖火セレモニー
選手宣誓
閉式
アトラクション:ディズニーパフォーマンス
高円宮殿下、同妃殿下ご退場
選手団退場

 今回の開会式では、我が家の長男KRが聖火のトーチランの最終ランナーに選ばれていた。

 ・・・・伴走をして下さったのは、バルセロナ五輪、アトランタ五輪の女子マラソンで、2位と3位を獲得された有森優子さん・・・・

    
 

 聖火台の脇に立つ有森優子さんと我が家の長男KR
 ・・・・この瞬間、フラッシュが一斉にたかれました。

   
 
 

聖火台に火をともす有森さんとKR

       
    
 

無事、点火を終わり聖火台を降りる二人
・・・・筆者は、思わずホッと胸を撫で下ろしました。
 有森さん、アリガトウ!!

     
 お陰様で、我が家のKRは、無事、この大役を果たすことが出来ました。

 ・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・このあと暫くして、40分程かかった開会式が終わると、子供達が楽しみにしていた、小錦関の司会で始まった、今日最大の呼び物のディズニーのパフォーマンス・・・・・・!

    
 

「ハーイ、皆さん、コニちゃんで〜す!!」
 の掛け声で始まった小錦関の紹介によるディズニーのパフォーマンス
 ・・・・もう、アスリート達は大喜びでした。

    
   
 

ミッキーマウスは出て来る、ドナルドダックも手拍子で踊りだす!
もう、あたり一面、「ワー」「キャー」という掛け声と
拍手の洪水でした。
    
    
 
絵のように美しい英雄ヘラクレスも登場・・・・・・

      
   

まあ、舞台が明るくて可愛らしくて・・・・
その元気なエネルギーがアスリート(選手)達に乗り移るようです!

   
   
 

ウヒャ〜〜〜!!!!
軽快な音楽に合わせて、カウボーイは来る、人気キャラクターは飛び出して来る!

     
     
 

どうです? ・・・・・・この元気!

      
    

一転して、物静かになったコオロギの歌!

     
      
 

パフォーマンスの最後に
今日、出演したキャラクターが勢揃い・・・・・・!

     
      

金銀の紙吹雪の中で・・・・・
 「皆さん、明日から、頑張ってね〜〜!!」
 その声援に応える、選手達の元気な後姿・・・・・・・・
 楽しい、ひと時も、もう終わりです。
 サア、明日から頑張るぞ〜!

     

 ・・・・・・もう、子供達はホントに大喜びでした。
 さあ、明日・明後日は、いよいよ、過去10ケ月の猛練習の成果を問う予選と決勝のリーグ戦である。

ヤルゾーーッ!!

      

    
2002-08-16(金)          快晴           自宅

 午前中は練習。
 卓球の試合会場は、NTT東日本研修センター。
 ・・・・・・午前中から気温はウナギ上りの為、試合会場のホールの中は、熱気ムンムン!
 NHKのラジオ体操に引き続き、競技委員長の反畑さんの開会宣言。
 ・・・・・・午前中は30〜40分ほど、軽く汗をながしてウォーミングアップ。

 午後、1時半より・・・・・・いよいよ試合である。
 今日のKRの試合は・・・・東京・京都・福岡・高知の代表選手で争われた予選リーグ。
 KRは3人の選手と戦ったが、まあまあ順当な勝利を収めて、予選を1位で通過。
 ・・・・・明日は、今日1位で予選を通過した、東京・京都・石川の代表選手3人の間で、決勝が争われることになる。
 この中の1人、京都のM君は、前回のスペシャルオリンピックス卓球部門の優勝者で、圧倒的な強さで評価の高い選手である。
 ・・・・・ここまで来たら、もう、兎に角、全力で当たるより方法がない。
 今夜はKRをよく寝かせることである。

   
 話は変わるが、今日、僕がS社に勤務していた時の、広報室長の遠藤明さんご夫妻と企画室に勤務されていた宮崎正義さんに、卓球会場で出会った。
 ・・・・・・僕は、何故、遠藤さんがこんな所にいるのか分らなくて、思わず訊いてしまった。
 「ねえ、ねえ・・・・・遠藤さんが何故、こんな所に居るの?」
 と訊くと、彼は僕に自分の名刺を差し出して
 「いやあ、実はねえ・・・・・・」
 と、前置きしてから、
 2005年に長野県で開かれるスペシャルオリンピックス冬季世界大会の副理事長をする事になっちゃったんだよ!・・・・・・と、いつもの静かな調子で説明して下さった。
 「エエッ? ・・・・・・本当?」
 僕は、その言葉にビックリすると同時に、この温厚で勉強家の遠藤さんなら、こういった役に本当に適任だと、沁み々々と思った次第である。
 「・・・・・・だから、ニューヨークの本部から、分厚い郵便物の束が毎日のように来るんだけど、色々と法律の勉強もしなくちゃいけないから・・・・・・もう、本当に大変なんだよネ!!」
 ・・・・・・との事。
 でも、大丈夫・・・・・・この人なら、僕みたいにチャランポランでいい加減な男と違うから・・・・・・この大役を見事に果たす事が出来ると思います。

 ホント、太鼓判を10ケも20ケも捺しちゃうよ!!!!

       

     
2002-08-17(土)          曇            自宅

 大会の試合二日目。
 ・・・・・・今朝、小田急線の成城学園前駅で電車を降り、駅前の2番のバス停でバスに乗ろうとしたら、いつも、千歳船橋の卓球愛好会LYPPで、お世話になっている安積さん・鈴木さん等々・・・・・・と一緒になった。
 彼女達は、今日、卓球会場でボランティアをして下さる方々である。 

 そして・・・・・更に・・・・・・バスが動き出す直前に、バスに飛び込んで来たのが、中西先生の奥様。
 「あら!」
 「あらまあ!」
 「あら、あら!」
 異口同音に、挨拶をすると、皆さん元気にお喋りを始めたが・・・・・・バスはこの元気な一行を乗せて、卓球会場のある「東日本研修センター前」 方面に動き出した・・・・・・・

    
 15分後。
 ・・・・・・卓球会場に着くと、今日は、曇っているので、昨日よりは体育館の中は過ごしやすい。
 朝の準備体操を済まし、15分程練習打ちをすますと、すぐに9時の試合開始時間になってしまった。

 今日のショッパナの対戦相手は、前回の大会チャンピオンの京都のM選手である。
 思わず、親父の僕も、ギューンと緊張をした程!

 相手は、中国製の表ラバー・ペンホルダーの前陣型の選手である。
 第1セットの試合が始まってみると、フォアクロスをガンガンと打ってくる攻撃型。
 おまけに、横回転の入ったバッククロスのサービスは、かなり威力がある。
 ・・・・・・お陰で・・・・・・第1セットは、 6−11 で相手に先取されてしまった。

  
 さあ、こうなると大変である。
 昨日、試合会場内が余りにも暑いので、選手の健康状態を心配した事務局が、各試合のセット数を公式の5セットから3セットへと、急遽変更した為、第2セットは絶対に落とす訳には行かない。
 ・・・・・・セットの間の休み時間に、73歳の林コーチが、KRを呼んで、紙に鉛筆で図面を描きながら説明し・・・・・・・
 「いいかい・・・・・・だから、この斜めの方向のフォアロングのサーブは、出したら駄目だよ!」
 と、ワンポイントの指示を出している。

 こんな指示が出たあと、第2セットが始まってみると、京都のM君は、自分がレシーブを得意とするフォアロングサービスをKRが出さなくなってしまったので、少しやりにくそうである!
 しかも、KRが出して来るのは、フォアストレートとバッククロスのロングサービスに、台上でスリーバンドする位の左右の小さなサーブだけ。
 試合は、少しずつバッククロスラリーの安定性を中心にした、打ち合いに変化して行った為、バックハンドラリーの安定度が高いKRが、第2セットを奪還して、ゲームスコアが 1 - 1 。

 続く第3セットは、僕を通してKRに伝えられた、大先輩のアドバイス。
 「バッククロス・ロングサービスを控えて、バックはショートサービスだけにした方がいいよ・・・・・・」
 ・・・・・・を守って、サービスをフォアロング・ストレート、フォアクロス・ショート、バッククロス・ショートの3種類だけに絞り、その3種のサービスをKRなりに考えて、相手の受け難いように出し続けた所為だろうか、この点数取り合いのシーソーゲームを 11 - 9 のスコアで、相手を倒す事が出来ちゃいました。

 そして、KRのバックエンドを狙った相手の球が、卓球台をオーヴァーして、KRの勝ちが決まった瞬間、
 「京都のM君の方に分がある・・・・・・!」
 という大方の予測が強かった観戦者の間から、思わず
 「ウオーーーッ!!」
 と、声が上がった次第である。

 KRが相手の選手や審判員と握手を交わし、応援席の方に戻って来ると、もう大変!
 高田馬場のSO教室の、林コーチ、細田コーチ、野沢コーチ等々の手が何本も出て、口々に
 「よくヤッタよね〜!」
 「よかったね〜!」
 「オメデトウ!!」
 ・・・・・・と、お祝いの言葉を言って下さるのが、とても嬉しく、又、とても印象的でした。

 ・・・・・・暫くすると、遠くの方で観戦していた高田馬場教室の中西先生が、KRの所にやって来て
 「よく頑張ったね。 オメデトウ・・・・・・! 凄い、凄い・・・・・・!」
 と、静かに・・・・・・でも、とても嬉しそうに言って握手をして下さいました。
 KRも、只ひと言
 「有難う御座いました・・・・・!」
 と言って、握手をしながら先生の顔を覗き込む。
 ・・・・・・KRは、今日の自分の優勝の陰には、この人の過去10ケ月程にわたる素晴らしい技術指導があった事を、百も承知しているのである。
 ・・・・・・僕は、思わず涙ぐんでしまった程である。


 そして、10分後の第2試合は、今回のリーグ戦の最終試合・・・・・・!
 今度の対戦相手は、石川県のK君である。
 ・・・・・・KRは、SO高田馬場教室の中西先生(今回の大会の競技副委員長)から戴いたグリーンのユニフォームに着替えて卓球台に向った。

       

石川県のK選手(手前)と戦うKR(奥)

     
 ・・・・・・この試合は、第1試合に比べると、かなり戦い易く、ゲームカウント 2 - 0 で、勝つ事が出来、勝った瞬間に、我が家のKRの優勝が確定した次第である。 

     
 午後3時から、授賞式。
 ・・・・・・一番高い表彰台に上り、大会の反畑競技委員長に金メダルを掛けて貰ったKRはとても嬉しそうだった。

    

卓球競技の最高責任者
 反畑競技委員長に金メダルを掛けて頂いたあと
同委員長と握手をするKR・・・・

       
        

Special Olympics 高田馬場教室のコーチと選手達
試合に出たKR、技能コンテストに出場した日野君、メグミチャンの
3人全員が揃って、金メダルを貰いました。 

      

わずか数ヶ月で、KRの打球フォームをスッカリと変えてしまった、
Special Olympics 高田馬場教室の中西先生。
日本卓球界の重鎮、ループドライブ打法の創始者として・・・・
国内はおろか、世界中にその名を馳せた同氏は
兎に角・・・・・・ KRにとって、神様に近い存在の人!
その先生から戴いたユニフォームを着て最終戦を戦ったKR・・・
ユニフォームと金メダルがとても眩(まぶ)しいです!

 閑話休題
 ・・・・・・KRの金メダルの授賞式が終わり、人垣が散り始めた時、千葉県のコーチの一人が私達の傍にやって来て言いました。

 「いやあ、オドロキました。 去年の試合でお会いした時の息子さんと、今日の息子さんとでは、全く別人のように打球フォームが違うじゃないですか・・・・・・!!」

 ・・・・・・ホントに、中西先生ってスゴイと思います・・・・・・・・・!!!!!!!

      

 午後5時。
 会場を代々木の陸上競技場織田フィールドに移して閉会式。

選手団入場
オープニンガアクト
司会者挨拶
スペシャルオリンピックス旗入場
大会会長挨拶
講評
閉会宣言閉会式イベント
閉式

 フィールドに燃え続けていた聖火の

   

2人のボランティアが守る、消火寸前の聖火・・・・・・

   
火も消えると、晩夏の風が涼しくなったように感じられ・・・・・・・・・・

     

サヨウナラ、サヨウナラ・・・・・・サヨーナラーーーッ!!

     
 全員が、手を繋ぎ合って、次回大会での再開を祈りつつ、お別れすることになりました。

 サヨウナラ、サヨウナラ・・・・・・・・サヨーナラーーーッ!!

     

      
2002-08-18(日)         曇           自宅

 久方振りに、千歳船橋の卓球教室LYPP (Love Your Ping Pong) に顔を出す。
 ・・・・・・最初に、皆さんにお願いをして、KRと一緒に写真を撮らせて頂きました。

    
 

中西先生から戴いたユニフォームと金メダルを身に着けたKR
 千歳船橋のLYPP(Love Your Ping Pong)の皆さんに囲まれて・・・・!!

     
 ・・・・・・KRの今日があるのは、このLYPPの皆さんが、私達父子を優しく受け入れて下さったからだという意識が、僕の意識の中では物凄く強い!!

 僕達父子は、何んて幸せなんだろうと・・・・・・沁み々々と感じさせられてしまう!
 ・・・・・・皆さんアリガトウ!!

     
 その後で、いつものように、ジャンケンでミックスダブルスを組んで試合を楽しむこと1時間。
 どうした弾みでしょうか、僕たちのチームが全勝してしまいました。
 全く、オドロキ、モモノキ、サンショノキ!
 ・・・・・・それにしても、皆さん、何んて気持ちのいい人達ばかりなんでしょう・・・・・・ねエ!!

      

      
2002-08-19(月)          雨          自宅

 今月始めの大雨で、庭のアンズの木の下に直径 30 〜 40cm の大きな穴があいてしまった。
 ・・・・・・それで、(これは大変!)とばかりに、区の下水道局に電話をしたら、あしたの午後2時に見に来てくださるとの事。
 ついでに
 「大きな穴なので、中を覗く胃カメラのようなものがあれば、是非、中を覗いてほしいんですけど・・・・・・」
 と言うと
 「分りました。それでは、カメラも持って行きますから・・・・・・」
 との事。
 有難いことである。

     

     
2002-08-20(火)           晴           自宅

 下水道局のひとが5人ほどやって来て、色々と調べてみたあと、川の岸のコンクリ壁には、特に損傷はみられない・・・・・・との事。
 理由は下記の通りである。

●穴の中に、先に鏡のついた竿を入れ、上から懐中電灯で鏡を照らし、その反射光で穴を調べたところ、穴の中は砂で埋まっている由。
 従って、今回ファイバースコープを持参して来たけど、穴の中にファイバースコープを入れて中を覗くことは不可能との事。
●暗渠のマンホールを開け、腰まであるゴム製の長靴を履いたに男性2人が川の底に降り、黙視による検査を色々とおこなったが、特にコンクリの損傷はみうけられなかった。
●また、庭の穴ボコの中に青色の染料の入った水を、四角いドラム缶2本ほどを流し、川の中に滲み出るかどうかを調べてみたが、15分程待っても(本当は30分程、待たなければ・・・・・という意見もあったけど)川の中への滲み出しは無かった。
●以上をもって、水道局としては、当面、この辺りの河岸には、特に問題はないと判断します。

 ・・・・・・との事。
 上の全工程の検査に立ち会っていた僕は、皆さんに厚くお礼を述べ、皆さんが次の検査箇所に向われたあと、考えた

 「こりゃ〜、又、穴に砂を流し込まなくちゃ、いけないよね〜!」って。

   

    
2002-08-22(木)          曇・涼しい         自宅

 世田谷区のF先生に、認定書のコピーを発送する。

 これで、あとは先生からの指示に従えばよいと思うと、とてもホッとする。

 有難いことである。

    

    
2002-08-26(月)        快晴・暑し           自宅

 地下鉄東西線の日本橋にて、卓球の中西先生にお会いし、近くの喫茶店で小一時間ほど話しをする。
 ・・・・・・あのあたりの喫茶店に入ったのは初めてであるが、本当にシックな感じのドッシリとした感じの喫茶店で、何か僕が学生時代の昔に戻ったような気がした。

   

     
2002-08-27(火)        快晴・蒸し暑し          自宅

 川越に、母親の入院代の清算に行こうと思ったら、自動車のバッテリーに殆ど、エネルギーがのこっていないのに気がついた。
 「エッ、何故?」
 僕は、瞬間ポカンとした。
 ・・・・・・だって、カブリオレの電動幌を外し、いざ走ろうとして、キーを捻ったら、
 「ブルルルル・・・・・・スカ、スカ、スカッ・・・・・・シュ〜!」
 っと、止まってしまったからである。

 こうなると、自動車なんてホントに鉄の塊りになってしまう。
 「・・・・・・仕方が無い」
 僕は舌打ちをすると、いつもお世話になっている近くのTモータースに電話を入れてみた。
 すると、幸いな事に
 「分りました。すぐ、伺います・・・・・・」
 との事。

 10分後、社長の弟さんの専務が、スクーターに大きな電池を積んで、駆けつけて呉れました。
 「一体どうしたんだろう?」
 と訊くと
 「バッテリーが古いんじゃないですか?」
 との事。
 「いいや、半年前くらいに変えたばかりだぜ・・・・・・」と言うと。
 「・・・・・・じゃあ、最近、夜、クーラーを使いながら走った事はありませんか?」と言われて気が付いた
 「うん、あるあるある。 この間、藤沢の家に行って来たとき、あまりにクソ暑いので、クーラーを最高にして、夜道を往復したよ・・・・・・そう言えば・・・・・・・」
 と言うと
 「ヘッドライトを使って、クーラーを最高にすると、多分、ダイナモで充電していても、消費量の方が、かなり上回っていると思いますよ・・・・・・」
 との事。

 すぐに、バッテリーを使って、エンジンをかけ、川越に向ったけど、今日の運転は神経を使って本当に大変でした。

     

     
2002-08-28(木)         快晴          ヒュッテ

 夕食後、ヒュッテに向う。
 我が家を出たのは、午後8時20分だったけど、佐久インターを降りてから、喫茶店「白樺」で小一時間ほど駄弁って来たので、ヒュッテに着いたのは、午前0時20分でした。
     

     

2002-08-29(金)         快晴          ヒュッテ

 午前中、10:55 小淵沢着の中央高速バスで到着する家内と長男を出迎えに行く。

 帰途、大泉の石釜焼きのピザ屋で昼食をとる。
 非常に美味しかった。
 しかも、値段もてごろである。
 ここのピザは、今迄食べたピザの中で一番美味しかったのではないかと思う。

    

      
2002-08-30(土)         快晴          ヒュッテ

 終日、草刈。
 前回、庭の草を刈ったのは6月末の「フィンランド夏至祭」の時だったから、もうかれこれ2ヶ月が経つ。2ヶ月も経つと、庭の草は、もうかなりボウボウ!
 お陰様で330坪の庭の草刈をするのに、ほとんど一日掛かってしまった。

 ところで、ショックだったのは、今年の夏は雨が少なかった為だろうか、真っ赤な葉のモミジ(直径 3cm)が枯れていた事である。
 ・・・・・・あんなに楽しみにしていたのに、聊か残念である。
 ・・・・・・まあ、仕方が無い。多分根っ子は生きているだろうから、又、出てくるまで気長に待つことにしよう。

 それから、もう一つショックだったのは、あんなに大きく育っていたフシグロセンノウが何者かに依って盗まれていた事である。
 伸びきった草を刈るときに、間違って刈ってしまわないように、プラスチック棒3本で掛かっておいたのに、フシグロセンノウの株が無くなっていて、代わりに大きな穴がポッカリと口を開けていたは、ただただビックリ・・・・・・!!

 あとで、通り掛かった管理事務所の畑さんに話したら、ほかにも盗難にあった家が何軒かあったそうな・・・・・・!
 敷きは7月上旬あたりだったとの事。
 そう言えば、我が家でも6月の夏至祭の時には、この株があったのを確認しているので、やはり、その時期に盗難にあったのかも知れない。
 ・・・・・・でも、キチンと棒で囲って置いたのを持っていくなんて、これはもう、盗難以外の何者でもない。

 何んか、とても淋しい気がします・・・・・・!!

    

      
2002-08-31(土)          快晴           ヒュッテ

 午後5時。
 一家三人で、御射山原に御射山祭を見に行く。

 今迄、観光案内所の手伝いをしていた時、この時期になると、長い幟を持った子供達が案内所の前の通りを上がったり下がったりしていたのを何回か見た事はあるけど、こうして、祭そのものを見学したのは、今日が初めてである。

 午後五時、山ノ下の、松原湖諏方神社上社を出た子供達が、御射山に着くと

     

   
大人たちが子供達を出迎え、神主さんが幾つかの神事を奉納した後、子供達は、御射山原の小屋で一夜をあかし、翌日、午後10時から始まるお祭に参加するのである。