2002 年 4 月の高原日記



2002-04-01(月)           晴           自宅

 今朝、家の周囲の掃除をした後、郵便箱を覗いたら、今朝の新聞が届いていない事に気が付いた。
 「えーっ、どうしたんだろ? 今日は、新聞少年の日だったっけ?」
 ・・・・・等々、色々な理由を家内と話し合ったが、どうしても、今朝の朝刊が来ていない理由が分らない。

 「それじゃ〜、新聞屋さんに電話を掛けて聞いてみたらいいよ?」
 という訳で、家内が新聞屋さんに電話をしてみたら
 「昨夜の落雷で、読売サンの本社のコンピューターがダメージを受け、復旧に時間が掛かり、まだこちらに新聞が届いていないんです!! でも、まもなく、こちらに届くそうですので・・・・・・・」との事。

 結局、朝刊は4時間ほど遅れて、我が家に着いたけど・・・・・・・・
 まったく・・・・・・
 「へえ〜? そんな事ってあるんだあ〜!!」
 ・・・・・・・と、沁み々々と感心してしまいました・・・・・・・・

 チョン!!

   

     
2002-04-02(火)           晴            自宅

 本当に忙しく大変な一日だった。

 午後2時。
 その大変な一日は、母親がお世話になっている特別擁護老人ホームからの一本の電話で始まった。

 「お母様が、今日、緊急入院されました・・・・・」
 「えっ? 緊急入院ですか・・・・・?」
 僕は鸚鵡返しに、こう聞いた。

 ・・・・・受話器の向こう側で話している、聞き慣れた声の、A氏は次のような内容の事を話した。

   ●2〜3日前から、母親が、右足の痛みを訴えていた事。
   ●昨日までは、湿布をすると痛みが取れていたので、大した事はないと思われていた事。
   ●昨日、介護入浴したときも、別段、何んの異常も見られなかった事。
   ●・・・・・ところが、今朝も、右足の痛みを訴えたので、職員さんがさすろうとして右足を
     見ると、右足の色が変わっていたこと。
   ●早急に、医師に来院して貰い、診てもらったところ、右足の動脈が血栓で詰まっている可能性がある事。
   ●その為、緊急入院の必要があった事。

 「分りました。 すぐに伺います・・・・・・」
 こう言うと、僕は家内に事情を話すと、愛車に飛び乗り、老人ホームに直行。
 ホームで、母親が入院をしている K 病院への道を聞くと、K 病院に急行。
 病院に着くと、担当医の先生から、次のような母親の状況を伺った。

   ●レントゲン写真によると、母親の右足の動脈がかなり上(根本)の方で、血栓により詰まっている事。
   ●この様な上部の血栓を除去するのは、大変に難しい事。
   ●しかし、この血栓を除去しない限り、右足が死んでしまう事。

 先生から、説明を受けた後、僕は、幾つもの質問をし、本件に関し、さらに概ね次のような説明を受けた。

   ●血栓を除去するためには、血管の中に造影剤を注入して、詳細な写真を撮らなければならない。
   ●その上で、手術をしても、この部位の血栓を除去できる可能性はかなり低い事。
   ●この病院には、手術の施設が無いため、手術を行う事は不可能である事。
   ●手術を行える病院は、比較的近くにある事。
   ●・・・・先方の病院の受入状況に余裕がないと、転院は難しい事。
   ●転院をして、手術をしても、よい結果が得られない可能性の方が高い事。

 この答えを聞いたトタン、僕は、先生に次のような事を話し、転院のお願いをした。

   ●何もせず、あとで後悔をするのがイヤなので、出来うる限りの手をつくしたい。
   ●・・・・それと、成功する可能性がどんなに低くても、やってみないと、結果は分らない事。
   ●だから、是非とも転院をして、手術を受けさせて欲しい。
   ●そこ迄やった後でなら、よい結果が得られなくても諦めはつく。

 僕の言う事を、一生懸命に聞いて下さった先生は、
 「・・・・・お気持ちは、よく分りましたので、直ぐに先方の病院に連絡を入れてみます・・・・・・!!」
 と、仰ると、早速、先方の病院に連絡をとって下さった。

 ・・・・20分後、看護婦さんが僕のところに飛んで来て、
 「先方の病院から、受入が可能との連絡がありました。 30分くらいしたら、救急車でそちらに向かいます」
 と、僕に伝えて呉れた。

   

 それから小一時間ほど経った、午後5時ころ、僕は S 医大病院の担当医の先生から、次のような説明を受けていた。

   ●手術をする為には、血管の中に細いチューブを入れ、血栓の近くに造影剤を注入し、写真をとる事。
   ●その結果を見て、どのような手術をおこなったらいいかを考えさせてほしい。
   ●この検査は、麻酔をキチンとかけるので、患者さんには苦痛は伴わない事。

 勿論、僕は一も二も無く、検査をして下さるように、即座にお願いをした。
 そして待つこと50分ほど!!
 僕は、担当医の先生から、撮ったばかりの写真を見ながら次のような説明を受けていた

   ●右足の動脈は盲腸の付近で、(血栓があるため)血液が止まっている。
   ●左足には細々ではあるが、正常に血液の還流がある。
   ●手術の方法としては、足の付け根を 5cm ほど切り開き、細いチューブを上方に向かって動脈に指し込み、血栓となっている血の塊りを吸い出す。
   ●上記の方法がうまく行かない場合は、左足の動脈から、バイパスを作り、右足に血液を流す。
   ●この場合、懸念される事は、たとえ手術が成功しても、右足のつま先の、半分死に掛かっている血液が心臓に還流され、改めて、体の中に送られた場合、肺・肝臓・腎臓などが正常に機能しなくなる事態が発生するかも知れない。
   ●場合によっては、脳梗塞が再度発生するかも分らない。
   ●手術をするのなら、一刻でも早く手術をした法がよい。
   ●今夜は、2人のヒトの手術が入っているので、母親は、3人目の手術になる予定。
   ●現在の予定では、母親の手術は8時頃にスタートする予定。
   ●この手術が成功する確率はかなり低いため、手術をしても、満足の得られるような結果が得られない場合がある多々ある事を、前もって充分に承知置き頂きたい。

 ここでも、僕は、なんら迷うことなく、手術をお願いした次第である。

    
 母親が手術室に入ったのは午後9時05分だった。
 誰も居ない待合室に靴を脱いで入ると、僕は、急に自分がひどく疲れているのに気が付いた。
 ・・・・午後2時に電話を貰ってから、可哀想な僕の脳味噌は、休むことなくフル回転のし通しである。
 僕は倒れるように、壁際に並んでいた合成樹脂製のイスの上に横になると、暫くの間、目をつぶって休んでいた。
 ・・・・が、固いイスの凹凸が背中に食い入る様に、痛く当たる。
 僕は待合室に誰も居ないのを、これ幸いと、床の絨毯の上に横になると、
 「・・・・先生方は、今、一生懸命に手術をしていて下さるのに・・・・!!」
 と、思いつつも、疲れていた所為だろうか、丸太ン棒のように、アッと言う間に寝入ってしまった。
 どの位、眠っていたのだろう?
 ふと、目がさめ、時計を見ると、10時40分。
 気が付くと、これまた、ひどくお腹が空いている。
 待合室を出ると、廊下ですれ違った看護婦さんに聞くと、一旦、病院の外に出て、車で5分程の所にあるコンビニに出かけ、オニギリ3個と熱いお茶を買い、病院の駐車場に戻ると、暗闇の駐車場で、お星様を眺めながら、遅い晩ご飯を口にし、又、待合室に戻ると、今、買って来たばかりの雑誌を読むこと10分程。

 ふと、人気を感じたので、廊下を見ると、顔見知りの看護婦さんが
 「今、手術が終わりました・・・・」
 と、言うと、急ぎ足でナースステーションの方に帰って行った。

 それから10分程してから、担当の先生が通り掛り
 「・・・・それでは、説明をいたしますので・・・・・」
 と言われたので、先生について会議室に入り薦められたイスに腰掛けると、もう一人の先生の立会いのもと、次のような説明をされた。

    ●一番心配された盲腸付近の血栓はキレイに除去が出来た。
    ●しかし、開口部からひざ小僧にかけての動脈は、細いチューブが入らないほどに血栓が固まっていた事。
    ●この下部の血栓は以前から少しづつ少しづつ形成されていた可能性がある事。
    ●それは、つま先方向にかけて、細い血管が、みな少しづつ太くなるように変形されており、この細い血管によりつま先方面に血液が送られていた可能性があるから・・・・との事。
    ●すでに、足が温かくなり始めている由。
    ●足のつま先までが生き返るかどうかが分るまでには2〜3日、時間が掛かるかも知れないとの事。
    ●・・・・これから先の関心事は、足が完全に生き返るかどうか・・・・・という事と、足の先の血液が心臓に還流された後、肺・腎臓などに何か副作用が発生するかどうか・・・・・の2点の由。
    ●これから、面会をして頂いてもいいですが、まだ、麻酔がきいているので、多分、分らないでしょう、との事。

 僕は先生に、厚くお礼を申し上げると、母親の足先の色がかなり、旧状に復しているのを確かめると、ナースステーションの皆様にお礼を述べ、荷物をまとめると、外に出て車に乗り、エンジンキーを右に捻った。

    
 ・・・・要約すると、手術の結果、最善の結果が得られたのである。
 「あきらめないでよかった・・・・!!」
 「最後の最後まで、やってみた価値があった」

 そんな事を考えながら、僕は、関越自動車道を東京に向かってハンドルを握っていた。
 真夜中の深夜、高速道路の両側に立ち並ぶオレンジ色のブンゼン灯の色は淡く、オープンにした車の中を流れる夜気が、両の頬にとても気持ちよかった。

 帰宅、午前2時半。
 午前3時、就寝。

 ・・・・本当に、物凄く忙しい一日でした。

 ファーッ、疲っかれた〜〜!!

 チョン!!

      
2002-04-03(水)          快晴          自宅

 午後、S 医大病院に出掛け、入院手続きをして来る。
 手続きが終わったあと、母親に面会して来たが、足のつま先の色は昨日よりずっとよくなっていた。
 担当のO医師の手術前の説明では・・・・足のつま先の血液が循環せず、その部分が死んでしまった場合は、その部分を切断しなければならなくなる・・・・という事であったが、この調子で行くと、何んとか無事に済むのではないかという気がする。

    

    
2002-04-04(木)          快晴          自宅

 毎朝、家の周囲の道路を掃いた後、郵便受けを覗いてみると、必ずといっていい位に、僕宛の郵便物が 2〜3 通届いている。 だから、数日間、手を抜いて放って置くと、十数通の未読の手紙が溜まってしまう。

 ここ一週間ほどの間、母親の受洗や緊急手術などで、僕のスケジュールがごった返していたので、いつの間にか僕宛の郵便物が 20通ほど溜まってしまっていた。

 という訳で、今日は、郵便物整理の一日になってしまった。
 アラビア風の鞘つきのペーパーナイフで、手紙を開き、目を通し、封筒の使用済みの切手を切り取って水に漬け、不要なものは再生ゴミの容器に入れるという単純作業!

 普段は、すぐに飽きてしまう、この郵便物整理も、今日は懐かしいくらいに、シンミリとした気持ちで楽しむ事ができ、素敵な一日を過ごす事が出来ました。

 お陰様で、今のテーブルの上に山のようにあった僕宛の手紙の山がスッキリと無くなってしまいました。

   

    
2002-04-05(金)         快晴           自宅

 午後、S 医大病院に出掛ける。

 4 階の西病棟のナースステーションで挨拶をしたあと、母親に面会・・・・・・
 気になっていた右足の足先も、今日あたりは、スッカリとよくなって来ている。

    

    
2002-04-06(土)          快晴           自宅

 まだ4月だと言うのに、ここ2〜3日、もう初夏を思わせる日が続いている。
 つい、この間まで、きれいな花を一面に咲かせていたアンズの木も、今は美しい新緑に覆われている。
 その佇まいが、とてもよかったので、デジカメでパチリ!

 ただ、再生画像を開いてみると、写真の上部の電線があり、何んとなく不細工!
 そこで、写真の上部をトリミングして、電線を削除したら、なんとなく寸詰まりの写真になってしまいました。
       

    
 

 午後、久方振りに、十条の The 21 の卓球の練習に長男と2人で出かけた。

 今日は、全員がシングルスの練習試合。
 福原さん、ボランティアの女性、埼玉の松本君、ヘッドコーチの山元さん・・・・・などが、長男のKRと対戦してくれた。
 KRは全敗したけれど、試合となると、物凄く嬉しそうな顔をして相手に向かって行く。

 試合が面白くて仕方が無いらしい!

 幸せな事である。

 ・・・・最近は、足の方もかなりよく動くようになって来ている。

 あと、フォアのラリーをする時、腕全体をふるのでなく、肘を充分に使って、二の腕の遠心力を利用して、打球する事が出来るようになるといいのだが・・・・


2002-04-09(火)          曇         自宅

 兎に角、暖かい今日この頃。
 今朝は朝から曇っているので、何んとなく梅雨のような気がする。

 午前中、前から気になっていた小海町公民官報に掲載している「小海町の蝶」の原稿を速達で発送した・・・・原稿の締め切りが明日だからである。
 ・・・・本来ならば、もっと早く原稿を送っていた筈なのだが、母親の緊急手術が入ったりして、身動きがとれなかったのが本音。

 でも、母親の退院日の連絡もあり、原稿の方も、発送できたので本当にホッとしている今朝のひととき。
 時刻は、只今、午前11時40分。

 遠くの方で、豆腐屋さんのラッパの音が聞こえ、だんだんと我が家に近付き、横丁を曲がって、ラッパの音は遠くの方に消えて行った。

 なんと長閑(のどか)なひと時なのだろう!


2002-04-10(水)         曇のち雨          自宅

 家内が、Microsoft : Word 2000 の使い方を教えて欲しい・・・・・と言って来た。
 珍しい事があるもんだと思っていたら、彼女が属している絵のサークルの連絡所を作りたい・・・・という事らしい。

 教える・・・・と言っても、別段、僕自身が Word 2000 を使った経験がある訳では全くない。 ただ、以前に、 Excel 5.0 を 2〜3 年の間、使ったことがあるだけである。
 「Excel が使えれば、Word 位は何んとかなるだろう!」
 と、思いつつ机に向かったが、以前持っていた、Excel の知識だけで、何んとか役に立ったようである。

 お陰様で、この俄仕立ての先生の役も、ほんの30〜40分で終わってしまったが、最近のソフトは以前に比べると、桁違いに使い易くなっている!!

 それに、Word 2000 の日本語変換能力は、本当に見事である。

 ・・・・・その内、今度は、僕も使ってみる事にしよ〜っと・・・・・・!!

 

 
2002-04-12(金)          雨のち曇          自宅

 今日は母親の退院の日。
 入院期間はたったの9日だったから、退院は思ったより早かった。
 ・・・・・血栓が取れてしまうと、回復は、こんなにも早いのだろうか?
 全く、驚きの一語につきるほど・・・・・!!
 でも、元の状態に戻れて、本当にヨカッタ思う。

 帰園した母親に昼食を食べさせてから、サヨナラを言う。

    
 帰途、気がつくと、午後3時。
 まだまだ明るい時間なので、フト思い出して、急に電話をして Kei の家に寄って来た。
 ・・・・この前逢ったのは1年くらい前だったと思うけど、相変わらずの彼女。
 いつものように、長い脚を持て余し気味なのが、兎に角、彼女らしい・・・・
 そして、髪の毛を、少し、ブルネットに染めたのが、似合っていて可愛らしい。
 小一時間の間、僕たちは、夢中になって話しっ放し・・・・・・
 ・・・・・でも、Kei は、今では一児の母親・・・・・・!!
 時々、話を中断して、2歳の女の子の面倒を見ている。
 Nori ちゃんは、背が高くてとても穏やかな感じ!!
 母親の Kei の遺伝子を受け継いでいるのでしょう・・・・・!!

 4時、少し過ぎに、Nori ちゃんと Kei にサヨナラを言って、帰宅の途に着く。

 帰り際に Kei が言った。
 「八岳さんて、ワイン飲む?」
 「ウウウン、今は、アルコール全然飲まないよ・・・・・だって、飲み過ぎて体こわしちゃったもん・・・・・・」
 「そうだったわよね〜! じゃあ、奥様は?」
 「家内? ウン、時たま飲んでるみたい・・・・・ほんの、少しだけど・・・・・」
 「じゃあ、これ、奥様に持って行って下さらない?」
 ・・・・そう言って、Kei は2本のワインを僕に手渡した。
 「いいの?」
 「うん、いい・・・・・」
 「じゃあ、有難う・・・・・・」
 「奥様によろしくね! まだ、会ったことないけど・・・・・」
 「じゃあ、又ね! あ、Nori ちゃん、バイバイ!」
 ・・・・僕が少しかがんで、Kei の隣にたって僕を見上げていた Nori ちゃんに右手の人差し指をさしだすと、彼女は、小さな手で僕の人差し指を握って、ほんの少し上下に手を振った。

 本当に自然な会話・・・・・・
 いつも思うけど、女でも男でも、友達ってホントにイイナって思う・・・・・!!

 チョン!

     

       
2002-04-13(土)         曇           自宅間

 いつも思うけど、僕って、どうして、いつもこんなに忙しいんだろう?
 ・・・・・そして、色々な事に夢中になるのが、どうして、こんなに楽しいんだろう?
 ・・・・チョット考えただけでも・・・・・・
 Special Olympic に向けて、長男との卓球の練習(週5回。毎回2時間)。
 家族との話し合い。
 依頼された原稿書き。
 小海町の人達との連絡のやりとり。
 いろいろな国籍の人達、とくに北欧の人たちとの連絡。
 毎日、送られてくる、雑多な郵便物の整理。
 現在、進行中の案件の、4つのグループの話し合いの場の環境作り・・・・・
 メールのやりとりと返事書き。
 ホームページの素材作り。
 読書、自分の生活の・・・・・指針作り
 パソコン・ソフトの整理。
 部屋の片付け。
 庭の整理。
 ・・・・その他に緊急に発生する母親の入退院や手術。
 ...... etc. etc. etc.
 全く、思い出すとキリが無い・・・・・・!!
 中には、正直な話、「ああ、大変!!」と思うこともあるけれど、それでも、そういった事に全力で当たるのが、とても面白い・・・・・・
 そして、そんな生き方をしている自分をとても幸せだと思ってしまう!!

 そう・・・・・今夜も、ホームページにアップロードする予定の 「小海の蝶」 の原稿の整理に追われている。
 だから・・・・・今夜も寝るのは、午前2時過ぎになっちゃうかも・・・・・・キャー!!

    
 話は変わるけど、今夜9時過ぎ、The 21 (Twenty-one) の卓球の練習から帰って来たとき、中野駅で電車を降り、住宅街の薄暗い路地に入ると、僕はいつものように口笛を吹き始めた。
 ・・・・・・暫く歩いて行くと、横丁の角を曲がって姿を現れたスタイルのいい女性が僕に声を掛けた
 「あら、八岳さん・・・・・?」
 逆光でよく分らなかったけど、そばに近付いてみると、ジャズヴォーカリストの K さんである。
 僕は嬉しくなって、立ち止まると、大きな声で言った。
 「やあ、貴女かア・・・・・」
 ・・・・・・
 ・・・・・・すると、僕の側で立ち止まった彼女が、不意に僕に言った。
 「ねえ、とっても素敵よ・・・・・!!」
 「えっ? 何が?」
 ・・・・・・瞬間、僕は彼女が何を言ってるのか、訳が分らなかった。
 すると、彼女は、僕の目を覗き込むようにして、言葉を継ぎ足した・・・・・
 「今、私、向こうから歩いて来たでしょ! ・・・・・そしたら、とっても澄んだ口笛の音が聞こえて来たの・・・・・・! 東京に来てから何年にもなるけど、初めてよ・・・・こんなに素敵な口笛を聞いたの・・・・・だって、東京の人って歩きながら余り口笛って吹かないじゃない・・・・・・!! ・・・・・・だから・・・・・・・」
 「・・・・・・・・・?」
 僕は、何んて返事をしていいのか分らなかった。
 「・・・・・素敵よ!」
 ・・・・・彼女は、そう言うと、踝(くびす)を返して駅の方に歩き始めた。
 「有難う・・・・・・!」
 僕は、慌てて、10メートルほど先に行った彼女の後姿に声をかけた。
 ・・・・・すると、突然、彼女は僕の方を振り返り、うしろ足で駅の方に歩きながら、もう一度、こう言った。
 「ホントよ! とっても素敵!!」
 それだけ言うと、彼女は、再度、踝を返して駅の方の暗闇の中に姿を消して行った。
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 僕は、暫くの間、彼女が消えていた暗闇の方をボンヤリと見詰めていた。
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 そう・・・・・・たった、これだけの会話だったけど、何んか、とても思い出に残りそうな言葉の遣り取りだったような気がします。

         

               

2002-04-14(日)          晴           自宅

 今日の日記はお休み・・・・・と言うより、掲示板にこんな書き込みがあったからである。

 高原日記勝手補追 投稿者:百二十翁  
        投稿日: 4月14日(日)09時51分06秒

八ケ岳松原湖高原にも、遅い春。国道R141は、いま桜の盛りです。

 4月12日:夜来の雨が、夜明け前、粘度を増してやがて霙まじり、と見るうちに午前8時、ついに雪となる。さすがに、積もるほどもなく午後、雨、雪降り止むも、高原の春色いまだしの寒。

 4月13日:朝寒、庭先のバケツの水は凍る。朝のPASEARは、霜柱ザクザク踏みしめての行軍となる。空気は清透にして、八ケ岳連峰はもとより、遠く浅間の白嶺も陽光に輝くを見ゆ。

 4月14日:うす曇なるも、暖日。ダンコウバイの新緑色の花のみが、この山で先駆けの春を歌う。落葉松、瓜肌楓をはじめ木々はようやくその蕾を膨らせ始めたばかり。

 4月始めの、山でも夏日をおもわせる暖日をはさんで、この数日は冬日の厳しさ。寒暖を繰り返して季節は確実に冬衣を脱ぎ、春化粧をすすめています。いまPASEARの楽しみは、土筆とフキノトウ。CENAの酒をすすめる収穫があります。庭先の楽しみは、栗鼠と、シメ、カワラヒワ、アカゲラ、シジュウカラ、ゴジュウカラ。タラの芽、独活、蕨の楽しみはこれからです。

     

    
2002-04-17(水)          雨          自宅

 母親の老人ホームから連絡があり、また、熱が出て、足の痛みを少し訴えている由。
 ・・・・だから、又、いつ何が起こるか分からない状態・・・・・・・
 ここ暫くの間は、いつでも僕に連絡が取れるようにして置かなくては、と思う。
  
    

     

2002-04-18(木)          曇          自宅

 今週の月曜の午後、中野駅前の横断歩道を渡ったところで、私共の長男がお世話になっていた小学校時代、よく一緒に試合に出た事のある PTA 卓球クラブの M さんに出会い、ほんの2〜3分明るい立ち話をしたが、
 「ねえ、明日の夜7時から、桃園地域センターで練習するから来ない?」
 ・・・・・・と誘われたので、次の日の火曜日の夜、ラケットとシューズをリュックに詰めて、地域センターに行ってみた。

 僕が地域センターに着いて間も無く、次々と以前のメンバーのMさん・Yさん・Kさん・Tさん達がやって来た。
 ・・・・・・が、皆さん、僕の顔を見ると、一様に
 「アラ、珍しい人が来てるわ・・・・・・今、こっちに帰って来てるの? 元気〜??」
 と、本当にビックリしたような顔できくので、僕は何回笑った事だろうか?
 「ウン、冬の間だけね・・・・・・・」
 そう、前置きした後、僕は、自分が中野に帰ってきているのは、ヒュッテの冬の寒さに音を上げたのではなく、ヒュッテの近くに耳鼻科が無いからだという事を、後からやって来たメンバー達に、何回か繰り返して説明をした。

 さて・・・・・・そのあと暫くしてから、皆で、ダブルスのゲームをやり始めたら・・・・・・僕とO氏が組んだ男性チームが、どうした事か、女性ペアのチームに全勝したので、腕に自信のある「お嬢様」達をチョッピリ悔しがらせた次第・・・・・・・

 「んもう・・・・・・Oさんと八岳さんたら・・・・・・球が素直じゃないんだから〜!!」
 彼女達は、笑いながら僕たち二人を睨む真似をした・・・・・・・

 でも、もう、10数年も一緒に卓球をやって来た気心の知れた仲間だから、本気になって怒るわけがない・・・・・・・・!!

 明るくて、健康で、輝やくように卓球台の周りを飛び回る彼女達は、とてもチャーミングで素敵な卓球仲間である・・・・・・・
 それに・・・・・・・当然ポイントを取れそうな球をミスった時の、彼女達の悔しさと爆笑の混った、あの独特の笑い声といったら・・・・・!!

 そんなこんなで・・・・・・3時間のプレーも、本当にアッという間に終わってしまいました。

 ところで・・・・・・
 帰り際、ホールを出たところで、Tさんのヘアスタイルが以前と少し違うことに気が付いた僕が
 「ねえ、ねえ、何んだかヘアスタイルが変わって、可愛らしくなっちゃったみたい・・・・・」
 と言ったら、彼女の曰く
 「アラ、昔からよ・・・・・失礼ね〜!!」
 ・・・・・・と言ったので、慌てた僕が、
 「そんな事分ってるよ〜! だから、以前にも増してって・・・・・いう意味だよ!」
 と、付け加えると、
 「・・・・・ンなら許してあげる!!」
 と言ったので、皆が爆笑!

 ・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・
 でも、後で分った事であるが、そのTさんのご主人(心の優しい横切りカットの名手でした)が、僕がヒュッテに行っていた去年の夏に、心臓の疾患で他界されたという事実を知らされたときの僕の気持ち・・・・・・は
 「・・・・・・・・・」
 本当に懐かしさと淋しさの混じった複雑なものでした。

 ・・・・・・・・・
 しかし、ご主人が逝去されたあと暫くしてから、そのTさんが、我々の卓球仲間の、或る女性の友達に・・・・・
 「わたし卓球をやってて、ホントによかったと思うの! ・・・・・・だって、卓球をやっていると、楽しくて体をウンと動かすでしょ! ・・・・・・だから、お陰様で、主人がなくなった後ひどく落ち込まないで済んだし・・・・・・それに、卓球のお友達って、皆いい人達ばかりで、色々と心の支えになって下さったから・・・・・・・」
 と沁み々々と言っていたそうである。

 そう!
 ・・・・・・・今日の日記を書きながら、僕も沁み々々と思うけど、このサークルは、とても素敵なサークルだと改めて思い、それと同時に、このサークルだけでなく、本当に色々と楽しい時間を過ごさせて下さった沢山の人達と私達親子を結び付けている卓球を、本当に素晴らしいスポーツだと思います。

 Viva Table Tennis..........!!!!

 卓球、バンザイ・・・・・・・・・!!!!

   

      
2002-04-20(土)          快晴           支度

 今日は、長男と一緒に、千歳船橋に LYPP の卓球の練習に出掛けた。

 午後1時。
 いつもの通りのウォーミングアップの体操が済んだ所で、中西先生から、壁際にたっていた背の高い男性の紹介があった。
 「・・・・・・新しいお客様を紹介します。 カットマンの名手で、中国の方です。 もともとの名前は呂さんといいますが、現在の日本名は馬場さんです・・・・・・・」
 先生の紹介のあと、馬場さんは簡単な挨拶をして、
 「・・・・・・ヨロシクお願いします・・・・・・」
 と、きれいな日本語で挨拶をした。
 目の涼やかな優しそうな男性である。

 その後、いつもの通りのフォア打ち、今日の練習課題のロング・サービスの練習、それに続いてダブルスの試合などをしたが、新しく来られた馬場さんのカットは物凄く切れているような感じである。時折見せるスマッシュも、強烈なスピードを持っている。
 (こりゃあ凄い!)
 僕は、流石は、中西先生がカットマンの名手と紹介した馬場さんの技量に目を瞠った。
 (・・・・・・一体、どういった経歴を持った人なんだろう?)
 そのうち、チャンスがあったら、是非、伺ってみたいものである。

 ところで、今日は、練習が終わったあと、女性のSさん、Oさん、男性のSコーチ、Nさん、僕の5人で、1階の喫茶室でお茶を飲んだ。
 いつもの通り、僕とNさんがクリームソーダ、Sコーチと女性2人は、今日は珍しくコーヒーフロートを注文をしていた。

 ・・・・・さて・・・・・・話はいつもの通り、今日の練習の事から始まり、前回の総会の話、映画やマンガの話を経て、最後はインターネットや Yahoo の話。
 この頃になると、いつもは、どちらかと言えば静かな S さんが色々と興味をもって、インターネットの質問をして来たので、Sコーチ、Nさん、Oさん、それから僕の4人が、ああでもない・こうでもない・・・・・と、入れ替わり立ち代り答弁の席に立った。

 勿論、僕には、皆の話がとても面白かったが、それよりも僕が特に興味を惹かれたのは、Sさんがインターネットについて色々と質問をしたことである。

 今、今日の日記のキーボードを叩いていても、あの時のSさんのキラキラと輝いていた瞳が思い出されて、何かとても不思議な気持ちにさせられます。

 ・・・・・・ホントに・・・・・・

 僕の周りには、どうして、いつも、こんなに爽やかな人達が居るんだろう????

     

     
2002-04-23(火)          曇          自宅

 JR 高円寺駅から歩いて1分の所にある、河北病院の検診総合センターで、以前勤めていたソニー健保指定の半日ドックを受けて来た。

 全般的には、分った範囲では、特に異常は無かったが・・・・・・問題は、いつも苦しむオプションの胃の内視鏡検査!!
 ・・・・・・・でも、これは不思議・・・・・・!!
 今日は初めて、胃の中を撮影している内視鏡の映像を見ながら検査を受けたが・・・・・どうでしょう?!・・・・・・この方が、目をつぶっているより、検査を受けるのがズット楽なのである。
 ・・・・・・それは、多分、ファイバースコープが喉に当たるあの不愉快な感触から、自分の意識が画面の方に惹かれるからではないかと思うが、何れにせよ、次回からは、内視鏡のモニター画面を見ながら、胃カメラの検査を受ける事にしよう・・・・・・!!!!!!!

 ところで、内視鏡担当の女性の先生は、
 「多分、何も無いと思いますが、念の為、組織を取って置きます」
 ・・・・・と、言いながら、胃の中の一番大きなヒダの2箇所から組織を取って生体検査の方に回してくれました。

 人間ドックの結果は2週間くらい後に、本人宛に連絡がある由。

 胃カメラはイヤだけど、こういった取り組みをしていて呉れる、会社の健保には、心から感謝をしています。

     

      
2002-04-24(水)           晴           自宅

 朝食後、前から気になっていたトップページの写真を、ヤットコサ変更する気になった。
 ・・・・・・と、言うのは、ここ暫くの間、色々な事が重なって、トントその気にならなかったからである。
 この高原日記を読んでいる限りでは、卓球の日記がかなり多いので、読者の皆様から
 「八岳(やたけ)のやつは、卓球をして遊んでばかりいる・・・・・・!!」
 と、思われ勝ちですが、決してそんな事はありません!
 (・・・・或る程度は、そんな事はあるかも!・・・・反省ッ!・・・・ウヒヒヒ、陰の声!!)

 そこで、今日は本当に久方振りにデジカメを持って外に出てみました。
 ・・・・・でも、近くを歩き回っても、なかなか、いい被写体が見付からなかったので、我が家の玄関先に咲いていた、お花さんを撮る事にしました。
       

       

   
 ・・・・・・ってな訳で、上の写真が、今回のトップページの写真でありんす!!

    
 ・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・
 ところで、外に出たら、空気がとても爽やかだったので、急に,MTB (Mountain Bike) に乗りたくなり、JR 阿佐ヶ谷駅前の Hello Accademy まで足を伸ばし、本当に久方振りに 01GAH のクラスで授業を受けている H 氏に会って来ることにした。

 彼は、4年程前の10月、Masami や Keika 達と一緒にヒュッテに遊びに来た、昔懐かしいクラスメートで、心優しき昔の仲間である。

 12時20分、Hello Accademy 着。
 暫く待つと、授業が終わったので、僕と H 氏は連れ立って駅の南口のレストランまで出かけて行き、昼食を一緒に食べたが、途中、E-mail に関するこんなワンダフルな会話が交わされたので、記念の為、ここに掲載して置くことにしよう・・・・・・

 ・・・・・・・
 ・・・・・・話は、いきなり、E-mail の話題になってしまうけど・・・・・
 「・・・・・僕宛のメールは、このアドレス宛に、打ってよ・・・・・」と言って僕が自分のメールアドレスを H 氏に渡すと。
 H 氏は
 「八岳さん、携帯はもってないんですか?」と僕に訊いた。
 「持ってるけど、あまり使わないから、パソコン宛に、打ってくれればいいよ・・・・!」
 「ええ、でも、携帯で打つのに慣れちゃったもんですから・・・・・・」
 「いいよ・・・・それで!・・・・だから、貴方は自分の携帯から、僕のパソコン当てにメールを打てばいいじゃない・・・・・・」
 「え? 携帯からパソコンにメール打てるんですか?」
 「エーーッ? 当ッたり前じゃん・・・・・ 知らなかったの?」
 「ええ・・・・・・・」
 「だって、貴方、さっき、毎日のようにパソコン使ってるって言ってたじゃん・・・・・」
 「ええ、ワードを毎日バリバリと使ってますよ・・・・・・でも、メールが受信出来ないんです」
 「出来ないって? じゃあ、パソコン壊れているの?」
 「いえ、チャンと動いてますが・・・・・・」
 「でも、インターネットには繋がるんでしょ?」
 「ええ、見ようと思えば、色々なホームページが見られますから・・・・・・・」
 「じゃあ、そのパソコンでメールを打った事ある?
 「ですから、携帯で打つの慣れちゃったから、パソコンで打った事がないんですよ・・・・・・」
 「・・・・・そんじゃ、パソコンでメールは受信できるの?」
 「出来る事は出来るんですけど、スムースに行かないんですよ・・・・・・・!!」
 「どうしてサ?」
 「だって、友達に言わせると、(パソコンを使っているときに、メールが届くと、”ポーン” と音がして、メールが届いた事を教えて呉れる・・・・・・!!)って言うんですけど、今までに、”メールが届いてますよ! ポーン”って教えて呉れたことが一度も無いんです・・・・・・」
 「オカシイナ!・・・・・・・我が家のパソコンは、きちんと教えてくれるけど・・・・・・どうしてかな?」
 ・・・・と僕。
 「ね! 可笑しいでしょ!」っと彼。」
 「うん、おかしいね?!  じゃあ、も一つ質問するけど・・・・・・パソコンは、そういった時、何に使っているの?」
 「ですから、ワードを使っているんですよ・・・・?!」
 「・・・・・じゃあ、その時、パソコンは電話線に繋がっているよね〜!」
 「いえ・・・・・・つながってませんよ! どうしてですか?」
 「えーーっ? 繋がってないの〜? じゃあ、いくらパソコンを使っていても、パソコンはメールが来た事を教えてくれないよ〜!! だって、メールはパソコンに届かないんだもの〜!!」
 「え? そうなんですか〜?」
 「そうなんですか?って・・・・・・ ウワッハッハッハッ!! オレ、こんな会話初めてしたよ! ウワッハッハッハッ・・・・・・・!!」
 ・・・・・と、爆笑すると、何んの屈託もないH氏も
 「アッハッハッハ! あ〜、そうなんですか〜? アッハッハッハ・・・・・・」
 ・・・・・と大笑い!!

 ネエ〜、H氏って、何んの屈託も無くって、本当に素晴らしい仲間でしょう・・・・・・・!

 勿論、僕は、大爆笑の後、電話線を通して、メールを受信する方法を説明しましたけど・・・・・

   

     
2002-04-25(木)          曇           自宅

 母親がKC病院に入院した。
 ・・・・・脳梗塞後遺症、前回の大腿部血栓手術後、などのため体力が衰え、脱水症状を起こしたようである。
 お世話になっている園からの連絡により、病院に出掛け、先刻、入院手続きを済ませ帰宅したところである。

 主治医のN先生や看護婦さんにもお会いして来たけど、皆さん、優しくて素敵な方達で・・・・・本当に、あり難いと思う。

 夜、いつもなら長男と一緒に区の体育館に卓球の練習に出掛けるのだが、この間からひいている風邪の為、体調が本調子でないので、昨日に引き続き、今夜の練習もお休みをする事にした。

 今夜は、溜まっている郵便物にユックリと目を通すことにしよう。

    

       
2002-04-26(金)           曇            自宅系

 風邪が愚図ついていて、なかなか体調がスッキリしない。
 今日も、一日中、ほとんど家の中にいたけど、大した事はしなかった。
 ・・・・・という事で、その延長線上にある、今夜の卓球の練習もお休みすることにしました。
 アーア、詰まらない!

 やった事は只一つ、自分の名刺を自分で作ったこと。
 ・・・・・今迄、名刺は「「こうみ塾」の拓ちゃんや中島さんが作って呉れたものを使わせて頂いていたけど、東京にいると、皆さんのご好意に甘える訳にもいかず、とうとう自分で名刺を作る事になったのでありんす。
     

     

    
 ・・・・・・どうですか?・・・・・・この出来具合は?

 作った枚数は24枚。
 使ったソフトは、コーパス社の「名刺ぷりんと」でした。


2002-04-27(土)          晴           自宅

 今日も風邪気味。
 お医者さんから貰った薬を服用しているが、どうも、今ひとつ体調がハッキリしない。
 ・・・・・それと言うのも、気温の寒暖の差が激しいのも原因の一つらしい。
 昨日あたりは、3月初旬くらいの寒さだったのではないだろうか?
 思わず、長袖の下着と股引をはいたほどだった。

 今日の午後は、比較的、気温も高く、天気もよかったので、本当に久方振りに倉庫の中の物を全部出して、中を整理した。
 お陰様で、空の大きな衣装箱を二つも中に収める事が出来、何んとなくユッタリとした気分になった。

 僕には、どうも・・・・・・何んでも物を整理するのが面白い・・・・・・・という、変な癖があるらしい。
 本箱の中の本の並び方、パソコンの中のフォルダーとファイルの並び方は言うに及ばず、物置の中の工具類・庭の整理道具・・・・・中には、ヒュッテのたんすの中の下着類の位置までが、キチンとしていないと、何か落ち着かない・・・・・・という変な癖である。

 友達に言わせると、大変にイイ習慣だと言うが、本当にそうかな?・・・・・・と首を傾げたくなるような事もあるからだ!
 ・・・・・その端的な例が、一枚の紙を手にして、5分程、家の中を(ああでもない、こうでもない)と考えながらウロウロしている事がある程である。
 全く、オヤオヤオヤと言いたくなる様な性格の持ち主ののようである・・・・・・この僕は!!

   
 ところで、整理で思い出したけど、今日は、久方振りに、”馬でも分る「空」のお話” のページを開き、5時間ほど掛かって「色即是空・空即是色」の章を大幅に書き変えてしまった。
 ・・・・・と言うのは、この章をユックリと読み直してみたところ、話がアチコチに飛びすぎて、僕自身と読者に大きな混乱を招きかねるかも知れないと思ったからである。
 ・・・・・・と言うのは・・・・・・この「色即是空」のコーナーは、このホームページの中で、僕の生きかたの最も根幹をなしている「僕自身の人生観を支えている基本理念」を、僕自身に分り易く説明するために、ごく平易な単語と文章を用いて、素直に書き表したページだからなのである。

 文章の形式としては、一応、僕が読者の為に筆を執っている・・・・・と言う形にはなっているが、それは文章の上だけの事であって、本心は、忘れッポイ僕自身が自分自身の生き方の根本を忘れて仕舞わないように・・・・・・また、たとえ忘れたとしても、この文を読むことに依って、僕自身が自分の生き方を直ぐにでも思い出せるようにした・・・・・・僕自身にとっては、本当に一番重要なページなのであります。

 今日は、本当に、有意義な一日でした・・・・・・!!!

     

      
2002-04-29(月)           晴            自宅

 暖かい一日、風邪の調子も大部よくなって来た。
 今日は一日中、動き回っていたが、午後、舞い戻ってきた暖かさに釣られて、川公園の散歩に出掛けた。

 ツツジは盛りを過ぎてしまったが、それでもまだ元気に咲いている。
 木々の緑は、少しづつ深さを増し、明るい春の陽射しを反射させて、キラキラと輝いていた。

    

     

 緑のトンネルを抜けると、ご覧のとおりオオムラサキの大株。
 ・・・・・この川公園は、本当に楽しい散歩道である。
 もし、お近くにお住みでしたら、一度、散歩なさってみて下さい。