2002-11-02(土) 晴 ヒュッテ
・・・・・・今日は、Maki ちゃまと Yoko ちゃまがヒュッテに遊びに来ている。
・・・・・・Maki ちゃまは、今年8月の Special Olympics の時に、卓球とバドミントンの表彰関係のボランティアとして参加したお嬢さん。Yoko ちゃまは Maki ちゃまのお友達である。さてさて、話は今朝の9時半に戻るけど・・・・・・JR 中野駅で2人をピックアップしたあと、僕達はヒュッテに向ったが、あいにくと今日からの3日間が連休の為、関越に入ったトタン、高速道路は渋滞に継ぐ渋滞・・・・・・・午後も1時を過ぎてからヤットコサットコ横河の SA で遅い昼食・・・・・・・結局、午後も3時をすこし回ってから、やっとヒュッテに到着したって訳!!
ウヘー、片道6時間近くも掛かってしまった計算になります・・・・・・皆さん、本当にご苦労様でした・・・・・・・・
今日ヒュッテにやった来たYoko ちゃまと Maki ちゃま
横河 SA まで5時間近くも掛かった大渋滞の旅
本当にご苦労様でした!!
後ろの車は当家の車ではアリマセン・・・・念の為!
・・・・・・さて、
ヒュッテに着きひと休みすると、暗くならないうちに・・・・・・と、我々3人は愛車 VW カブリオレの屋根を開いてオープンにし、国道299号線方面に走り出したが、元気な2人のお嬢様達は・・・・・・車が標高を上げて、凍った道の両側に、つい最近降った雪が見え始め・・・・・・パラパラと雪が降り始めても、寒さには一向に無頓着。
心配した僕が・・・・・
「・・・・・・ねえ、風を惹いたら大変だから屋根を締めようか・・・・・・・?」
と訊いても
「大丈夫・・・・・・面白いから、このままでいい! 何んか、トーーーッテモ素敵・・・・・・・!!」と、小さな女の子よろしく興味津々・・・・・・
・・・・・・最後にはハンドルを握っている僕の手がカジカンデキテ・・・・・・・
「ウワ〜〜、このままだったら・・・・・・手が冷たくて、事故起こしそう!!」
と言って、屋根にホロを張ったほど・・・・・・
それにしても、黄金色のカラマツの黄葉に歓声を上げ、屋根が無いので空がキレイと、大喜びをしている2人を見ていると・・・・・・若いって、何んて素敵なんだろ・・・・・・と沁み々々と羨ましく思いました。・・・・・・・・
夜7時過ぎ、天体望遠鏡の操作方法のコピーを届けてくれた山口さんを交えて4人でお茶。
・・・・・・そのあと、Maki-Yoko 2人の女の子達が作って呉れた、野菜の具が沢山入ったライスカレーと美味しいサラダを沢山戴く・・・・・・。
・・・・・・そして、更にそのあと・・・・・・真夜中過ぎまで薪ストーブを囲んで、色々な話に花を咲かせた静かな夜・・・・・・
・・・・・・そして最後に、2人の女性達が寝てしまったあと、ウラのカラマツ林を吹く寒々とした風の音を聞きながら入った暖かいお風呂。湯船の縁に頭を載せ、静かに目を閉じていると、今日一日の色々な事どもが思い出され、改めて、人と人との出会いの不思議さと人生の素晴らしさを感じさせられた次第である。
2002-11-03(日) 晴 ヒュッテ L = 00 ℃ H = 00 ℃
僕は、女の子達がヒュッテに来ると、晩ご飯を彼女達に作って貰う代わりに、朝ご飯は僕が作ることにしている。
理由は簡単である・・・・・・ようするに、カリカリに焼いた高原のパン屋さんのバゲットと、自分なりのサラダを食べたいからである。・・・・・・今朝もそう・・・・・・僕が毎朝たべている朝食を作ってあげたら、Maki ちゃまと Yoko ちゃまは、喜んで食べてくれました。
カリカリに焼いてバターをつけた僕が大好きなバゲットは、彼女達にも美味しいらしく
「これ本当に美味しい・・・・・!!」
と言いながら、カリカリと食べていたのが、とても印象的でした。
・・・・・・それから、味付けが丁度よく出来たと思ったサラダも
「サラダもとても美味しい・・・・・・!!」
と言って呉れたのが、とても嬉しかったです・・・・・・・ハイ!
午前10時、カブリオレのエンジンをかけ、2人を中央高速バス「小淵沢」のバス停まで送って行く。
・・・・・・エンジンが温まるのを待って、ヒュッテの山を下り、国道141号線に出ると、一路進路を南にとり、小淵沢まで南下する。
途中、南牧村の小海線沿いの谷の黄葉のキレイな事・・・・・・毎年、今頃の時期になると、その美しさはホント目を瞠るばかりである。
Maki ちゃまと Yoko ちゃまも、大喜び・・・・・・自動車がカーブを回って、目の前に新しい景色が見えて来るたびに
「ウワー、キレイ・・・・・・!」
「こんなにキレイなの初めて見た・・・・・」
「ホントにいろんな色があるのね〜」
「あの緑が混ざっているのが、とても素敵よね〜!!」
・・・・・・等々と、周りの景色にスッカリと夢中になってしまっている。それから、小一時間後・・・・・・僕は2人の女の子を乗せて、中央道を東の方向に小さくなって行く高速バスを見送っていた。
「・・・・・・・・・・・」
いつもそうだけど、このバス停から人を見送ったあとに感ずる、あの甘酸っぱいような気持ちに、今日も襲われていた。
「・・・・・・・・・・・」
高速バスが見えなくなると、僕は静かにバス停の階段をおりて、自分の車に乗り、急に思い付いて屋根を畳んでオープンにすると、キーを捻ってヒュッテ目指して一目散に走り出さした・・・・・・・・
そして、更に1時間のち・・・・・・僕は、小海町高原美術館の事務室で、学芸員のNさんと夢中になって、パソコンのフリーズ多発のトラブについて、話し合っていた。
「・・・・・・・っていう訳でサ、兎に角、フリーズの多さには参ったよね・・・・・・・」
と、僕。
「そうですか、実は、今わたしが使っている、この機械も滅茶苦茶にフリーズしてたんですよ・・・・・・・!」
・・・・・・Nさんは、 そう言って肩をすくめて見せた・・・・・・・
「たしか、この器械・・・・・・・ Win 98 だったよね?」
「ええ、そうです・・・・・・・でも、あんまりフリーズが多すぎるので、OSを変えてしまったんです・・・・・・!」
「ホント・・・・・・????」
僕は、思わず大きな声で鸚鵡返しに、、こう訊いた。
・・・・・・・以下は、彼、Nさんと筆者の会話である。
「ええ、ホントです。・・・・・・ Win XP に変えたんです。兎に角、フリーズが滅茶苦茶に多かったもんですから・・・・・・でも、OSを変えるなんて、兎に角、怖かったですよ・・・・・・・・」
「そりゃあ、そうだよね・・・・・・・安定している器械だったら、ホント、狂気の沙汰だもんね・・・・・・」
「そうです。 ホラ・・・・・・・もう、この器械・・・・・・兎に角、膨大な資料が入っているでしょう? ですから、何かがあったら大変なことになるからです」
「ホントだよね。 でも、バックアップは取ったんだろ?」
「ええ、勿論そうです。 だから、少しづつ、少しづつ・・・・・・・時間をかけてやりました」
「・・・・・・それで、どうだったの・・・・・・変えてみて?」
「・・・・・・かなり安定しています・・・・・・」
「そう? フリーズの回数は、大分減った・・・・・・?」
「そうですね、かなり違いますよ・・・・・・」
「・・・・・・そんじゃあ、OS を XP に変えてから、何回くらいフリーズを起こしているの、この器械・・・・・・・」
「エ〜ト・・・・・・」
Nさんは、視線を脇にそらすと、自分の記憶を辿るような目付きで、暫く考えていたが、やがて、ユックリとこう言った。
「エ〜ト・・・・・・そうですね〜・・・・・・イヤ、1回もフリーズは起こしてませんね〜・・・・・・・」
「何? 1回も起こしてない〜〜〜〜〜〜?」
僕は、思わず、大声で叫んでしまった。
「ホントです。 XPに変えてから、確かに、まだ1度もフリーズを起こしていません・・・・・・・ホントです」
「ホントかよ〜? オイ!」
「・・・・・・ホントです・・・・・・」
「ね〜、この器械どこの器械なの・・・・・・?」
「HP・・・・・・・ヒューレット・パッカードです・・・・・・・」
「そうそう・・・・・・そうだったよね! 前に聞いた事があったよ・・・・・・!」
「・・・・・・・・」
「ところで、XP を変えた時だけどさァ・・・・・・・リカバリするように、中身を全部消去してからやるの???」
「イイエ・・・・・・ Win 98 をそのままにしておいて、XPをそのままインストールしちゃうんです・・・・・・」
「・・・・・・・」
「八岳さんのパソコン・・・・・・ Win Me ですから、アップグレード版を買ってインストールすればいいンだと思いますが・・・・・・」
「でも、パソコンの状況が当てはまるのかなあ? 僕の器械 Fujitsu だけど・・・・・・メモリは 128M, ハードディスクの容量は 18GB・・・・・・だぜ〜?」
「大丈夫ですよ! だって、八岳さんのパソコンの方が、このパソコンより、ずっと新しいンですから・・・・・この器械だってメモリは 128M ですし・・・・・・その他の条件は、八岳さんのパソコンの方が、ずっといい筈ですから・・・・・・」
「そう? 分った!・・・・・・・でも、スムースにアップ・グレード出来るのかなァ・・・・・・・1発で・・・・・・?」
「・・・・・・インストールを始めると、後はパソコンが全部教えてくれるんです・・・・・・・たとえば、何々のソフトは Win Me に対応していません・・・・・・・なんて形で・・・・・・・」
「エ? ・・・・・・・・そんなコメントがインストール中に出てきたら、どうしたらいいの?」
「インストールを中断してから、そのソフトを削除すればいいんです・・・・・・・」
「エ〜ッ? そんなのオッカナくないの?」
「いやあ、オッカナカッタですよ・・・・・・・もう・・・・・・・いつ又フリーズするかも知れないって・・・・・・・」
「そりゃ〜、そうだよね? でも、失敗はしなかったの?」
「・・・・・・いえ、大丈夫でした・・・・・・結構、スムーズに行っちゃいました・・・・・・」
「よーし、それじゃあ、オレもやるかな〜???」本当です!
目の前が、本当に明るくなるよな感じがしました。だって、今、現在・・・・・・・このパソコンの状況といったら、ホントに悲惨な状態だからである。
学芸員のNさんの話をきいてから・・・・・・僕の気持ちの晴れ晴れしていた事!・・・・・・そして、今・・・・・・ベッドに入る前、暖まった手で寝室の窓のカーテンを開けて外を覗いて見たら、僕はビックリ・・・・・・思わず
(・・・・・・ああ、雪だ・・・・・・・!!)
と、心の中で叫んでしまいました。
2002-11-05(月) 晴 ヒュッテ L = - 3 ℃ H = 3 ℃
6時半、トイレに行きたくて、目が覚め窓のカーテンを開いた瞬間、僕は、ビクリと体を震わせた。
・・・・・・今日の天気がとてもよくて、間もなく、朝日が上りそうな気配を感じたからである。と言うのは、朝日が昇る前に、今朝の雪景色の写真を撮って、ホームページにアップロードしなくちゃいけないと思ったからである。
・・・・・・・そして、撮ったのが、この写真です!
ヒュッテの雪景色(2002-11-04 6:50am)
それから、もう1枚、別の写真をとりました。
筆者の寝室から撮った隣家の手作りのログハウスの写真です (同日 07:05 am)
今日の1日は、公民館報用の蝶の標本の写真撮影に追われました。昨日と一昨日の日記を夢中でかいていたら、いつの間にか午前 1時半になってました。
今朝も、雪景色の写真撮影のため、寝不足だったので、もうフラフラです。
・・・・・・・それでは、今からお風呂に入って寝る事にします。皆さん、オヤスミナサイ!!
2002-11-05(火) 晴 ヒュッテ L = -3 ℃ H = 5 ℃
イライラした詩
きのうの朝、ヒュッテに雪が降った。
・・・・そして夜になるとメチャ冷え込んだ為だろうか
今朝の天気は、起きがけからビカビカの快晴
・・・・お陰で、きのうの雪はあらかた溶けてしまって
白樺の根本や、雑木林の林床に僅かにへばりついているだけ・・・・・・・
斜めの低い日差しが、静かに差し込んでいる食卓の上に、淡い日影が盛んに揺れている・・・・・・・・。
「何んだろう?」
・・・・・・そう思って、揺れる影を目で追っていくと
遠い所に植わっている白樺の梢だ気が付いた。
・・・・・・でも、どうしてだろう?今朝の気持ちを、この紙の上に書こうとしても
どうしても、気持ちが落ち着かない・・・・・・!
だって、次の一行を書こうとしても、全てが上の空になってしまうからだ・・・・・・
・・・・・・もう本当にイライラして「どうしてだろう・・・・・・?」
と・・・・・もう一度、考え直した瞬間、僕はビクリと身を震わせて
心の中で、こう叫んだ!
「・・・・・・そうだ、あしたは東京に帰るんだっけ!」
「そうか・・・・・・だから、気持ちが落ち着かないんだ・・・・・・」
・・・・・・そう気が付いたら、もう気が気ではない。心の中で、今日中にしなくちゃイケない事が暴れ出した。
・・・・・・四駆のジムニーのタイヤをスタッドレスに履き替え
草刈機の油をキレイに抜き取った後、山を下りて灯油を買いに行き
雪掃き用の道具も、物置から出して置かなくちゃならない・・・・・・etc. etc.!
こんな事を考え始めると・・・・・・もう駄目!飲み掛けの紅茶を一気に口の中に流し込み・・・・・・
慌てて、 Ending の一行を書こうとしたが、
言葉が全て空回りしてしまう・・・・!
「早く、何んとかしなくちゃ!」・・・・・・と思えば思う程、次の一行がますます心の中から遠のいてしまう!
そんな事をしてるから・・・・・・・
ホラ・・・・・・もう全てが目茶目茶・・・・・・
そんな事をしてるから
ホラ・・・・・・壁のポッポ時計が、10時を鳴いちゃったじゃないか・・・・・・!
(・・・・・・こんな作品でも、詩って言えるのかな・・・・・・?!)
忙しかった今日の一日。
・・・・・・それでも、どうにかこうにか、全てのスケジュールをこなして、一日を元気に過ごせました。・・・・・・それにしても、今日、改めて聞いたK子さんの話。
彼女の両親が辿ったドラマチックな人生に、僕は聊かショックを受けてしまった。 あのロシアの文豪トルストイは、小さな田舎の駅で、淋しく人生を閉じたが・・・・・・彼女の両親の人生には、全然異質ではあるが・・・・・・同じ様なドラマチック性がある。 思い出すと・・・・・・何んとなく淋しい、身につまされる話である・・・・・・・
・・・・・・それから、もう一つ・・・・・・
最近、NHKの総合ラジオで、五木ひろしの「千曲川」を聞いて以来・・・・・・僕の心の中で、この歌がいつも鳴り響いている。 ・・・・・・以前から、この歌を美しい歌だと思っていたが、こうして千曲川の傍に住んでいると、ますます、この歌の美しさが沁み々々と分って来るような気がする。 八ヶ岳と千曲川に挟まれて過ごすヒュッテの生活・・・・・・本当に、僕は何んて仕合わせなんだろう・・・・・・・と改めて感ずる今日この頃である・・・・・・・
2002-11-06(水) 曇 ヒュッテ → 自宅
今日は東京に帰る日。
昨日までに、Jimny のタイヤを冬タイヤに換えたり、物置の整理など、大まかな冬対策は終わっているので、今日は庭の下水溝の点検孔の防寒対策をした。
・・・・・・暖かい保温材を点検孔に被せ、その上からビニールシートを掛けて濡れないようにする。
毎年、やっている事であるが、この作業をしていると、(ああ、もう冬だな!)という気がして、何んとなく淋しくなってくるから不思議だ。
作業を始めてから小一時間、下水の凍結対策を終わってひと息・・・・・・!!
・・・・・・それが終わると、いよいよ今冬初めての水落とし・・・・・・
給水栓を止めて水落としバルブを開き、家の中に入ってから全てのカランを開き・・・・・・カランの中の水を全部抜き取り、シャワーヘッドの中の水も全部きれいに流し・・・・・・それからトイレの水タンクを空にして・・・・・・それから〜・・・・・・・それから・・・・・・この一連の作業が終わると、僕は1時間以上パイプの中を乾かすことにしている。
・・・・・・その間、時間があったので、今年最後の晩秋のヒュッテの写真をとることにした。
山間(やまあい)の谷にある、ヒュッテの日暮れはとても早い・・・・・・・
まだ4時過ぎだと言うのに、もう日暮れになりかかっている。
ヒュッテの北側にあるカラマツが真っ赤に焼けているのが、とても美しかった。
午後5時。
冬支度をスッカリと終えた僕は、戸締りをして外に出た。
玄関のドアを閉める時に、フィンランド製のドア・パイプがリンリンと涼しげな音を立てた。
・・・・・・いつもだと、この音がとても明るく元気に聞こえるのだが、スッカリと冬支度の終ったヒュッテを閉じるせいか、今日は、その涼しげな音がヤケに淋しく聞こえ・・・・・・思わずシンミリとした気持ちに襲われてしまった。・・・・・・ガチャガチャとキーを回して、外に立つと晩秋のヒュッテはとても静かだった.
耳を澄ましても、何ひとつ音はしない。
僕はヒュッテの周りをひと回りして、戸締りの最終確認をしてから、もう一度、耳を澄まし音の無い音に耳を傾け、カラマツに燃える夕日をじっと眺めたあと、静かに車を発進させた・・・・・・・・・・・・・・そう、今度はいつ来るのだろう?
今の僕には、それすらも全く分らない・・・・・・
でも、そんな事はどうでもいい!!
僕にとって大切なのは、今のこの瞬間の目の前の景色を、何も考えないで無心に眺める事だけである。
・・・・・そう・・・・・そうする事が本当な意味で、素直に生きる事に他ならないと、最近の僕には思えるのである。
2002-11-07(木) 晴 自宅
午後1時半。
東京駅八重洲口の団体集合場所に、息子の思い荷物を持って、高知県で開かれる「よさこいピック」に出掛ける息子を見送りに行ってきた。東京駅に着いてみると、代田君、小野寺さんなど・・・・・・もう顔馴染の人達が、ニコヤカに迎えて呉れたのが、とても嬉しかった。・・・・・・でも、今日は、陸上、水泳、サッカー、バスケット等々、全種目のアスリート達が集まっているので、70〜80人くらいの若い人達がいたのではないだろうか?
皆が、グリーンと白のユニフォームを着て、元気に話をしているのを見ると、本当に楽しそうで・・・・・・
「スポーツっていいな・・・・・・!!」
と改めて思ってしまう。やがて、団長さんの挨拶、総務担当の人からの注意事項、同行医からのお願い・・・・・・などの一連のセレモニーがあり、アスリート達は、見送りに来たファミリーに
「行ってきま〜〜〜す・・・・・・!!」
元気に挨拶をして、新幹線の改札口を通って、フォームの方に消えて行った。
帰途、今回、息子のKRと共に、東京の青年クラスの代表選手となった松本君のお母さんと一緒に、JR中野駅までズ〜ッと話をしてきた。・・・・・・そして、
「来年度の Special Olympics Tokyo の練習が始まったら、一度、息子さんと一緒に高田馬場の山の手卓球場に来ませんか?」
と誘ったら、
「是非、お願いします・・・・・・・」
と言って下さったのが、とても嬉しかった。また一人、友達が増えちゃうよ・・・・・・・!!
2002-11-09(土) 曇 自宅
今日も一日中、パソコンのフリーズ対策に追われてしまった。
・・・・・・兎に角、パソコンを立ち上げたあと、ものの5分も席を外すと、もうフリーズしてしまうという有様・・・・・・!
全く処置なしである。
・・・・・・でも、何んとかならないものだろうか・・・・・・?
その思いに駆られて、富士通の人達も、Adobe の人達も・・・・・・本当に親切に相談に乗って呉れる。
その親切さが、本当に身に沁みる思いである。・・・・・・でも、皆さんが一生懸命に対応して下さっているのに、その改善結果は、余りはかばかしくない。
それと言うのも、僕のこのホームページ(サイト)が40メガ程の、バカデカイ サイトになってしまっているのが、原因の一つであるらしいのだが・・・・・・正直な話し・・・・・・最近の僕は
「・・・・・・かくなる上は、OSをXPに変更しちゃおうか・・・・・・」
と考え始めているようである。
2002-11-10(日) 快晴 高知 〜 2002-11-11(月) 晴のち曇
この二日間の日記は、添付写真が多くなりそうなので、別のページを設けて、書き込むことにします。
ご覧になりたい方は、この行をクリックなさって下さい。
(ページが出来次第アップロードします・・・・・・)
2002-11-12(火) 曇のち雨 自宅
パソコンのフリーズ対策・・・・・・いよいよ、OSを Win XP にグレードアップする事を、真面目に準備する事にした。
・・・・・・でも、Win Me → Win XP の変更は普通の Version Up とは、全く性質を異にするようである。と言うのは、Win Me, Win 98 あたりまでは、昔のDOSの面影を引き摺って来たのだが、Win 2000, Win XP からは、DOSの影響から全く関係の無い、新しいシステムになってしまったからである。
という事は、そのグレードアップについては、シッカリと準備をして置く必要があるという事である。
・・・・・・ってな訳で、今日からは、XPの資料を読み始める事にしました。
幸い、富士通では、ユーザー向けのHP 「Azby Club」 に、その変更方法に関する情報を載せているので、今日から少しづつ、関連資料をよむ事にする。
2002-11-13(水) 曇 自宅
昨日から、Win XP へのグレードアップの関連情報に目を通し始めたが、驚く無かれ、40〜50ページにもわたる、物凄い遼の資料に遭遇した。
「ウヘ〜、こりゃあ大変だ〜・・・・・・!!」
そう気がついた僕は、その資料のうち、自分のモデルに関係のある部分だけをプリンターで、プリントアウトする事にした。
今日、印刷しただけでも20数ページくらいあった筈である。全部、プリントアウトしたら何ページくらいになるのだろう・・・・・・・・????
2002-11-15(金) 快晴 自宅
午前中、余り天気が素晴らしいので、フラリと川公園に散歩に出かけた。
足の向くまま、歩いて行くと、兎に角、気持ちがいい。
環状7号線を渡って、歩いていくうちにフト気が付いて「そうだ、 Arxxx に行ってみよう・・・・・・!!」
と思って、こちらの方にやって来た時に、よく行く住宅地の角ッコにある、喫茶店 Arxxx のガラス戸を開けて中に入った。「あら、八岳さん、お久し振り・・・・・・お元気でしたか・・・・・・?」
僕の顔を見るなり、心の優しいママが、こう言って、カウンターの前の席をすすめて呉れました。・・・・・・何故だか分らないけど、僕が行きつけの喫茶店のママやマスター達は、僕が顔を出すととても喜んでくれのが、僕にはとても嬉しい限りである。
今日もそうである。
僕は、コーヒーや紅茶を、次々にやって来るお客様に、忙しそうにサーブしているママと・・・・・
(・・・・・・仕事の邪魔にならなければいいけど・・・・・・)
と思いつつ、頼んだ紅茶を飲みながら、ズ〜ッと話し続けていたが、
話が一段落ついたところで
「・・・・・・ところで、ご主人はお元気ですか・・・・・・?」
と聞こうとした丁度その時、ママの方から
「・・・・・・実は・・・・・・主人なんですけど、ことしの夏、大変だったんです・・・・・・」
と小さな声で、静かに言ったのである。その言葉を聞いた瞬間、僕は何か胸騒ぎを感じて
「エッ、どうかしたの・・・・・ご主人・・・・・・?」
と思わず耳をそばだてたが
「ええ・・・・・主人は急性○○病で・・・・・・・」
と、小さな声で言ったママの言葉を聞いたトタン
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
僕は、愕然として話す言葉を失ってしまったが
・・・・・・急に黙り込んでしまった僕を見て、ママもハッとしたのだろうか、暫くの間、2人の間に沈黙が流れていた。・・・・・・その間、僕は4年ほど前に、ママがご主人と一緒に、或る日突然、八ヶ岳山麓にあるヒュッテにやって来て、ひどく僕を驚かせた事などを思い出していたが・・・・・・
「・・・・・・でも、仕様が無いよねえ・・・・・・もう過ぎ去っちゃった事だから・・・・・・」
と言った僕の言葉に
「・・・・・・そうよねえ・・・・・・ホントに・・・・・・・」
と答えたことから、又、会話が続けられたが・・・・・・
・・・・・・それから、小一時間ほど話をしてから僕は Arxxx を出て家に帰って来た。でも・・・・・帰り掛けに、つり銭を渡しながら、何気なくママが言った言葉
「主人の事、話すまいと思ってたんだけど、とうとう話しちゃったわ・・・・・・」
が、オメデタイかも知れないけど・・・・・・何故か、
「・・・・・・これからの人生を大切に生きて下さい・・・・・・」
と、彼女が僕に言っている様な気がしてならなかった。本当に、彼女も僕の人生の素敵な友達である・・・・・・
・・・・・・そして、彼女じゃないけれど・・・・・・人生って、どうして、こうも色々な事が起きるんだろう・・・・・・?????
そんな事を、沁み々々と考えさせられた今日の一日でした。
2002-11-16(土) 晴 自宅
昨夜から、体がひどくだるく、頭も重いし、肩から首筋にかけて筋肉が痛んでいるのが続いている。
今朝11時頃になると、あの時々視界の中に見える、黒い馬蹄形の影の中にギラギラと光った鋸歯状波のようなものが見え始め、一時期・・・・・・ほんの30分程の間だったけど、目の焦点が合わず、何か口が重くなって口が回らなくなったような気がした。
・・・・・・兎に角・・・・・・何かこう、とっても気分が悪くなったので、かかりつけの福田先生に診て貰うことにした。早速、先生の所に出掛けて、見てもらったところ、先生は色々と所感を話して下さったあと
「・・・・・・目の中に、何か異常なものが見えたのなら、最初は眼科にいらした方がいいと思うけど・・・・・眼科の方で、何も異常が無かったら、内科に来ても遅くないから・・・・・・」
との事。
・・・・・・という事なので、その足で真っ直ぐ北口のクマノミドー眼科に出掛け、診察を受けて来た。そして・・・・・・色々な検査をやった後、眼科の先生の曰く。
「黒い馬蹄形の影の中にギラギラと光った鋸歯状波のようなものが見えるのは、特に問題は無いと思います。・・・・・それは、眼球の中のゼリー状の球体の中に、水の粒が出来た場合、境界の線がそのように見えるからです。 ・・・・・・それよりも、もっと心配なのは・・・・・・一時的であるにもせよ・・・・・・目の焦点が合わなくて、口の回りが余りよくなかった、という事の方で・・・・・・そのような症状は脳梗塞の初期の段階で見受けられる事がありますから・・・・・・なるべく早く病院の脳外科に行ってCTスキャンで調べて貰った方がいいとおもいますよ・・・・・・」との事。それから、あと一つ・・・・・・
「・・・・・・左目の方に、緑内障の初期の状態になるかも知れない微かな兆候が見受けられます。・・・・・・これは、10年前くらでしたら、全く問題にされなかった兆候なのですが、最近の医学の進歩で、出来れば検査をして置いたほうがよいかも知れませんが・・・・・・」
との事。
・・・・・・僕の考え方はこうである。
もし、必要なことがあれば、ドンドンと(勿論、経済的な面も考えての事だが・・・・・・)検査でも何でもしておいた方が良い・・・・・・!
・・・・・・だって、
「・・・・・・あの時、検査をして置けば良かったなあ・・・・・・!!」
と、あとで後悔するのがイヤだからである。何れにしても、CTスキャンは週明けに・・・・・・緑内障の検査は、12月に入ってからする事にしましょう。
2002-11-17(日) 晴 自宅
小田急線、千歳船橋の卓球同好会 LYPP の、混合ダブルスの試合の第一日が始まった。
まず初日の今日は、Aグループ、Bグループの各5チームづつがリーグ戦をやり、それぞれのグループの上位2チーム計4チームが来週の日曜に優勝決定戦を、残る6チームが順位決定戦を行う予定との事。「ねえ、負けてもいいからさあ・・・・・・ガンガン戦っちゃおうよ・・・・・・!!」
・・・・・・と相棒の Y さんに言って、2人で夢中になって戦ったら、ナント、全勝しちゃったじゃありませんか?
まったく、オソレイリヤノキシボジン(恐れ入谷の鬼子母神)!・・・・・・あ〜、ビックリシタヤノコウトクジ(吃驚下谷の高徳寺)!・・・・・・でした!そんなこんなの日曜日。
・・・・・・夕食後、気が付いてみたら、昨日の体調の悪さは何処へやら・・・・・・!
全く、いつもと変わりませんでした。
それを見た家内の曰く。
「ホラ、やっぱりソーデショー! 運動不足だったのよ・・・・・・キット!
・・・・・・ですって!!!!
2002-11-18(月) 曇 自宅
家内と2人で、総合病院にインフルエンザの予防注射をして貰いに行って来た。
・・・・・・本当に、ワクチンの注射なんて何年振りの事だろうか?「何故だろう?」
と考えてみたら、過去数年の間、今頃の時期はズ〜ッと、ヒュッテで生活をしていた事を思い出した。・・・・・・そんな事を考えていたら・・・・・・今頃は、もう何回か雪が降り、あと2週間ほどもすると、そろそろ根雪が出来始める頃になるヒュッテの冬を、フト思い出した。
「イイナ・・・・・・早くヒュッテに帰りたいよ・・・・・・!」
そんな事をフト考えた今日の午後でした。
2002-11-19(火) 晴 自宅
午前中、中野総合病院の脳神経外科に出掛け、診察をして先生に診て貰った。
そして・・・・・・今迄の経緯を話すと、先生は
「・・・・・・眼科の先生が言われたように、心配なのは・・・・・・一時的であるにもせよ・・・・・・目の焦点が合わなくて、口の回りが余りよくなかった、という事で・・・・・・今から至急、一階に下りて、CTスキャンを撮って来て下さい」
との事。そして・・・・・・40分後、撮ったばかりのX線写真を持って、脳外科に戻り、先生に写真を見てもらうと、先生の曰く。
「この写真で見る限り、特に問題は無いようです・・・・・・!」
・・・・・・と言われた後、次のような説明をして呉れました。● CTスキャンの写真で見る限り、特に問題は見受けられない。
● ・・・・・・でも、ウント小さい梗塞はCTスキャンでは分らないので
来週にでも MRI の検査を受けてみて下さい。
● これからは、脳梗塞の原因となる動脈硬化を起こさないように、
次の事に気を付けて下さい。
高血圧
タバコを吸わない(・・・僕は今は煙草をすわないけど)
コレステロール
ストレス
肥満ですって!!
・・・・・・ソッカ〜、僕も、もう・・・・・・そんな年なんだ〜〜!!チョン!
2002-11-21(木) 晴 自宅
真夜中過ぎ、メールボックスを覗いてみたら、小海町Sセンターの I サンから、「次号の公民官報に載せる蝶々の原稿を大至急送って下さい」というメールが届いていた。
いつもお世話様です。
先月お願いしましたが、館報の原稿を大至急いただきたいです。
今回試しに、メールでやって見ましょう。
明日、一度原稿を入れる予定です。
確認しましたら返事をください。
このメールを読んだトタン、僕は
「ぎぇ〜〜〜〜!!」
・・・・・・と叫んだかと思うと・・・・・・大至急、I さんあてに返信をキーインして発信した。エ〜〜ッ?
前回、小海に行き、Sセンターに顔を出して伺った時、12月分と1月分の2回分の原稿を11月30日までに・・・・・・と伺った様に記憶してました(この辺の記憶は余り定かではないのが・・・・・・チト心配!)ので、23〜24日の土曜と日曜に書こうと思っていたのですが、違ったのですか?
今日は、土浦まで往復し、明日は埼玉県川越市まで往復しなくてはいけないのですが、大至急って明日中にって事ですか?
・・・・・・兎に角、明朝、大至急電話下さい!
電話は 03-33xx−xxxx
です・・・・・・・・・
右、取り急ぎ
その後で、
「・・・・・・ンもう〜ッ! 眠いから・・・・・・もう寝る時間と思ってたのに〜・・・・・!」
と、ひとしきりボヤイたが、急に思いなおして
「・・・・・・って、ボヤイたところで、仕様がネエ・・・・・・一丁、これから書き始めるか・・・・・・?」
と言って、パソコンの前に坐り直したら、僕の後ろで・・・・・・自分のパソコンでインターネットの画面を覗いていた家内が、笑いをコラエナガラ言った。
「・・・・・・そうよ、そうするのが一番手っ取り早いわよ・・・・・・!!」
ですって・・・・・・・サ!ンもう〜〜〜ッ!! ニャロメ〜〜〜ッ!!
2002-11-22(金) 晴 自宅
・・・・・・昨夜・・・・・・って言うより今朝か?
どうやらこうやら原稿を書き上げて、寝床に入ったのは、午前3時前。
・・・・・・だから、今日は少し寝不足気味・・・・・・!と、言っても、起きて衣服を着替え、外に出て、家の前から横手・・・・・・それから裏の遊歩道までをスッカリ掃き終る頃になると、体の調子はもういつもの通り・・・・・・気持ちは清々しく、体調もシャキッとしている。
・・・・・・それにしても、昨夜は風が強かったのだろうか?
落ち葉の量が、いつもの何倍の多さである。
でも、落ち葉を掃き集めるのは、とても気持ちがいい。
カサカサという、あの音がナントも言えず素敵なのだ・・・・・・!
・・・・・・ところで・・・・・・話は代るけど・・・・・・
昨日は茨城県土浦市迄・・・・・・今日は埼玉県川越市迄、自動車で往復した。
今年の5月、僕の母親が他界した後の残務整理の為である。・・・・・・でも、何んてえ事!!
今日は、当然、持って行かなくちゃならない鍵を忘れた為、残務整理が半分ほど残ってしまいました。全く・・・・・・この忙しいのに、何んていうドジ!!
ホントにバッカだね〜・・・・・・?!
2002-11-24(日) 曇 自宅 L = 8 ℃ H = 11 ℃
今日から、東京の自宅の最高温度と最低温度を記録することにした。
・・・・・・その第一日めの今朝の最低温度は8度というところ。
例年に比べると、かなり暖かい朝の気温である。
・・・・・・さて、話は変わるが
今日の午後は先週に引き続いて、LYPPの男女ダブルスの卓球の試合。
試合の割り振りは、先週のリーグ戦の結果を受けて・・・・・・
僕とYさんは上位4チーム。
息子のKRは、Sさんと組んで、その他6チームで戦うことになっていた。結果は、僕達のペアは、決勝戦でB〜M組みにゲームカウント 2 - 1 で破れ、2 位。
KR〜S組は、その他6チーム中で全勝して優勝した。誰かさんの言じゃないけれど、親子共々の優勝はなりませんでした。
試合が終わったあと、いつもの仲間達8人でお茶をしに行ったけど、話題は今日の試合と卓球技術、それから中西先生が関わっている Special Olympics の話で持ちきり・・・・・・
・・・・・・中でも、中西先生が
「ダウン症の子供達って、とても人懐こい(ひとなつこい)んだよね・・・・・・だから電車の中なんかでダウン症の子を見掛けたら話し掛けてみてよ・・・・・・きっと、楽しい話が出来るから・・・・・・」
と仰って下さったのが、とても嬉しかった。・・・・・・
・・・・でも、時間が経つのは早いもの・・・・・・!!
気が付くと、時間はもう4時半近かったので、皆で外に出てサヨナラを言い合った。
すると、カットマンの吉岡さん(女性でもカットマンっていうのかな?)が僕に言った。
「八岳さんは、12月8日の忘年会に来られないのよね・・・・・?」
「え? 僕? ウン、来られない・・・・・・母親の埋葬式があるもんだから・・・・・・ゴメンナサイ!」
というと、彼女の曰く。
「じゃあ、これで・・・・・・・良いお年を!・・・・・・に、なっちゃうのかしら・・・・・・?」
「エ〜〜〜ット・・・・・・そうだ、そういう事になっちゃうんだよね!」
と、言ったら、皆がゲラゲラと笑い出した。・・・・・・そして、駅の傍の広い通りまで来た時、駅の方に向う僕と佐藤さんに皆さんが声を掛けて呉れました。
「サヨウナラ・・・・・」
「サヨウナラ・・・・・」
・・・・・・そこで、佐藤さんがサヨウナラと言うと、皆が僕に向って一斉に言いました。
「・・・・・・サヨウナラ・・・・・・良いお年をね!」
「良いお年をお迎え下さい!」
・・・・・・だから、僕も大きな声で言いました。
「皆さんも、よいお年をネッ・・・・・・!」そしたら、付近を通る通行人が僕達を驚いた顔をして見詰めていました・・・・・・
でも、皆んな何んていい人達なんだろう?
今、時刻は午後10時10分。
・・・・・・キーボードを無心に叩いていたら、今日の午後、喫茶店で皆で話していた時、隣に坐っていた鈴木さんが、こんな事を言っていたのを、フト思い出しました。
「・・・・・・ネエ、今日帰ったら息子さんに ”どうも有り難うございました・・・・・・!”ってヨロシク仰って下さいませんか? ・・・・・・ホント、今回、コーチャンと組んで良かったのは、1回目より2回目・・・・・・2回目より今日の3回目・・・・・・って、ドンドンやり易くなって来たんです! 今日なんか、彼がドンドン打って呉れたから変な球が私の所に殆ど来なかったの・・・・・・! ホラ、私って打つのが上手じゃないから、コーチャンが打って呉れたから、ホントに助けられたの・・・・・・!!」
・・・・・・ですって!
あのスマッシュの上手な鈴木さんが・・・・・・そう言って呉れたのである。この言葉を聞いて、僕は、どんなに嬉しかった事だろう!
・・・・・・事実、今日の午後、試合の合間合間にKRの方を見ると、KRが、結構、よくスマッシュをしていたのを目にしていたから、ホントにそうだったのかも知れない・・・・・・でも、鈴木さんがそう言って呉れたのは、ホントに嬉しかった・・・・・・です!
2002-11-25(月) 雨 自宅 L = 8 ℃ H = 12 ℃
台風が来ているとかで、今日は終日雨模様の一日だった。
その性だろうか・・・・・・今日も一日中、とても暖かい一日だった。今日は、今迄、気になっていた喪中のハガキを印刷した。
僕の分だけで、141枚ほどあったが、パソコンで宛名を書いたら、2時間ほどで終ってしまった。
早い早い・・・・・・!!あした投函することに致しましょう・・・・・・
2002-11-27(水) 曇時々晴 自宅 L = 6 ℃ H = 15 ℃
今日は、総合病院で MRI の検査の日。
MRIというのは、造影剤を血管の中に注入しなくても、血管の状態を撮影できる機械だとかで、1台3億円ほどする器械なんだそうな・・・・・・・お陰様で今朝は朝食抜きで、9時半に病院に入り、10時半くらいから検査。
・・・・・・ベッドの上に寝かされて、検査が始まると、前以って説明を受けていたように、ガガ〜〜〜〜〜と頭の周囲で音がする。 ・・・・・・暫くすると、その音にもなれてくると、何んだかとても眠くなり、暫くの間ウトウトしていたら
「ハイ、終りましたよ〜〜」
という、技師さんの声。・・・・・・その後で、脳外科に移動して先週の水曜日に顔馴染となった A 先生の所見を聞く。
先生の言葉に依ると● 今回のMRI見ても、血管の異常は特に認められなかった。
● ・・・・・・それでも、先週のような症状が出て来たという事は、
コレステロールなどが高い・・・・・・という事があるのかも知れない・・・・・・・・・・・・という事で、至急、血液検査をする事になり、その足で今度は一階の採血室に・・・・・・
結果がわかってみると、ひどく心配する程ではないが、ガンマーGTPともう一つナントカの数値が高い・・・・・・
という事が分り、最終的に、来週に入ったら、一応、内科の先生の診断を受ける事になった。
家に帰ってみると、時刻は3時少し前・・・・・・
遅い昼食を済ましてから、ダイニングルームのストーブを焚いて、美味しい紅茶を戴きながら、書棚の中から、昔なつかしい「日付の無いラブレター」と「世界一周自転車旅行」の2冊の本を持って来て、静かな読書を楽しんだ。
読書というのは、本当に楽しいものである。そう言えば、ここ暫くの間、暇があると道元の「正法眼蔵」の現代訳を読んでいるが・・・・・難解と言われているこの本が、けっこう面白い。
・・・・・・以前だったら、こんな本は、ホンの数ページ読んだだけで、放り出してしまっただろうが・・・・・・このHPにもアップロードした「馬でも分る「空」のお話」の知識があると、結構、この本を面白く読むことが出来るのである。全く、予想だにしなかった事が起きて、
「・・・・・・フーン・・・・・・?」
という気持ちの、ここ数日間でありあます・・・・・・でも、そんな事は別にして、本腰をいれて Win XP へのアップグレードに取り掛からなくっちゃ〜〜〜!!
2002-11-28(木) 晴 自宅 L = 5 ℃ H = 15 ℃
午後1時過ぎに川越市に出掛け、夕方、日が沈んでから家に帰って来た。
用件は、母親が他界した後の事後処理のためである。
・・・・・・今迄、戸籍謄本だとが、その他の書類を揃えるのが、結構大変だったが、今日の書類の提出で、一応、これで書類関係の全部のケリがついたのではないかと思う。あとは、遺骨の埋葬が終れば、全てが終わりである。
・・・・・・午後4時過ぎ・・・・・・
川越市の銀行で全ての手続きが終わって、ドアを開けて外に出た時、フト・・・・・・
「今度、川越にやって来るのは、いつの事だろうか・・・・・・?」
と、知らず知らずのうちに考えていた。川越は、母親(田中登貴江)が生まれ、育ち、僕の父親と離婚をしたあと、人生の後半を、一人で過ごした土地である。
僕達子供達が小さかった時、よく母親に連れられて手広く商売をしていた母親の実家に遊びに来たものだったが・・・・・・母親が父と離婚してからは、僕が育てられた父方の家からは、母親の所に出掛けた人は、僕を覗いては殆ど皆無だったらしい。
・・・・・・母親の言葉によると
「S子が一回だけ来た事があるけど・・・・・後は、お前だけだよ・・・・・・中野から何回も来て呉れたのは・・・・・・」
という事であった。・・・・・・ところで
フトした事が切っ掛けで・・・・・・僕が母親の所にやって来たのは、あれは確か僕が49歳の時ではなかったかと思うが、たたみ6畳の一室に台所という小さくて古い長屋に済んでいた母親が、僕が行くととても喜んでくれたのが面白くて、段々と彼女の家に出入りをするようになったように記憶している。
母親が人生の最後の13年間を過ごしたのは、特別養護老人ホーム「真壽園」であったが、彼女は毎月1〜2回、僕が行く日を心待ちにしており、その為だろうか、行く度に3〜4時間ほど、僕を帰してくれない日々が続いた。
・・・・・・そして・・・・・・
「死んだら、お前と同じ墓に入れておくれ・・・・・・!!」
と言って、僕の教会の牧師さんから洗礼を受けて、クリスチャンとなってしまった彼女。そんな母親が残した遺産は、ほんの僅かな預金だけだったけど・・・・・・
・・・・・・その僅かな預金を、
「あの子達は・・・・・・一度も私の所には来なかったけれど、それでも、私の孫達だから・・・・・・少しでいいから、私が死んだら渡して上げて頂戴・・・・・・」
と言い残して、ホントにひと言も口を利いたことの無い孫達にも、オミヤゲを残して他界した母・・・・・
そんな事を考えつつハンドルを握っている僕を、低く輝いている夕日が正面から照らした。
・・・・・・気が付いて、あたりを見回すと、周囲の町並みが夕陽で真っ赤に燃えている。
ここに立ちて、さらばと別れを告げん
山の彼方の故郷よ、静かに眠れ
夕陽は落ちて黄昏れたり、さらば故里
さらば故里、さらば故里、故里さらば
・・・・・・ホントに突然、、あのドイツ民謡の「故郷を離るるうた」の3番が、耳の奥のほうで鳴り出したのである・・・・・!!
その瞬間・・・・・・
「ああ、これで、この町とは当分の間、お別れになってしまうのかも知れない!」
・・・・・・突然、そう思った僕は、急遽、関越高速に向う道からそれて、思い出の場所を一巡することにした。今は、マンションとなっている、大きかった母の実家。
昔は、池に鯉や金魚が沢山泳いでいた製氷会社の跡地。
今は瀟洒な住宅が並んでいる、母親の古い長屋があった場所。
往時、物凄い数のホタルが群れ飛んでいた小川に掛かる橋。
・・・・・・その脇には、一軒の茅葺の家があった筈。・・・・・・そういった景色全体が、真っ赤な夕日に燃えていた。
そして、僕の心の中では、相変わらず「故郷を離るるうた」が鳴り響いていた。
こんなにも美しい人生のひと時。
こんなにもはかない人生のひと時。
こんなにも甘く悲しい人生のひと時。・・・・・・このひと時の事を、僕はいつまで憶えている事だろうか?
・・・・・・いつ迄も憶えているかも知れないし
・・・・・・すぐに忘れてしまうのかも知れない!そんな事は、今の僕にはどうでもいい事である。
そして、それはそれで・・・・・・いいのだと思う。だって、全ては、色即是空だから・・・・・・
そして、今のこの一瞬にだけ、僕は生きているのだから・・・・・・!
2002-11-29(金) 晴 自宅 L = 6 ℃ H = 14 ℃
午後、天気が良かったので、ブラリと散歩に出掛けた。
・・・・・・手にはデジカメをぶら下げて。
何んか、初冬のいい写真が無いかと思ったからである。歩いていくうちに、ふと気が付いて喫茶店ザックに寄って来た。
・・・・・・ザックのママと話していたら、後から、I さんが入って来て、僕の横に坐って、コーヒーを注文した。
I さんは、目鼻立ちがハッキリとした胸が豊かな美人である。
この I さんとは、一度だけ、ほんのチョット話したことがあるだけである。I さんとママが話しているのを聞いていると、I さんは明日、飛行機で熊本に出掛けるような話をしている。
「どうしたんですか・・・・・?」
と聞くと、明日、熊本で息子さんの試合があるとの事。
・・・・・・興味をもって、話を聞いてみると
高校3年生の息子さんと相手のお嬢さんが、今年の社交ダンスの全国大会で優勝をしたとか・・・・・その関連の大会が明日、熊本で行われ、そこに出場するので・・・・・・との事。
長いことお休みしているけど・・・・・・昔は、僕もダンスが大好きでした(そんな事は、I さんの前で、大きな声では言えないけれど・・・・・・)。
そんな事もあって、色々、話をきいてみると、I さんには、息子さんが3人いて、その3人共がダンスをなさっているとか・・・・・・・・・・・・すると・・・・・・僕達の話を聞いていたママが、店の書棚にあったダンスの雑誌を開いて見せて呉れたけど、いやはや、どうも大したものである!
・・・・・・それからの話は、世界のダンス界の話題、日欧の芸術に対する評価の格差・・・・・・等々。
話していて、本当に面白かったです。気が付くと時間は4時少し前。
パソコンの Win XP のアップグレードの事を思い出して、急いで、帰って来たけど・・・・・・又、全く新しい人に知り合いました。
I さんは、又、お話をしてみたい人です。・・・・・・
話は変わるけど、散歩の道々、何枚かの写真を撮ったけど、一番よかったのは、我が家のセンリョウとサザンカの写真でした。
我が家の塀にサザンカが咲き始めると
冬がやって来ます。
・・・・・・それから、我が家のセンリョウが赤い実を付けると
お正月がやって来ます。
ご覧の通り・・・・
我が家では、お正月が来てもセンリョウを買った事がありません。
2002-11-30(土) 晴 自宅
昨日、川越市に出掛け、今年初夏に他界した母親関係の事後処理を全て整理してきた。
本当に長い時間が掛かったけど、ヤット全ての事務手続きが終わり、本当にホッと一息である。
・・・・あとは、来月8日の埋葬式が終われば、本当に全部終わり・・・・・である。ところで、パソコンの方は、その後もトラブル続き・・・・・・・
Win XP へのアップグレードも、一度は、現状のまま XP へのアップグレードをかけたけど、どうも満足がいかず、とうとう Win Me のリカバリをかけ、その後で Win XP へのアップグレードをかける事にした。
・・・・・・まったくオヤオヤである。ついに来る所まで来た! ・・・・・・という感じである。
話は変わるけど、明日はもう12月・・・・・師走である。
ホントに色々な事があった今年という年、その今年も残すところあと一ヶ月である。
・・・・・・これからの一ヶ月も「空」に生きる・・・・・・与えられた一瞬一瞬を素直に伸び伸びと生きることに致しましょう。