2001 年 10 月の高原日記



筆者は、9 月末日を以て、過去 4 年間ほどお世話になった
観光案内所の受付のお手伝いを辞めさせて頂きましたが
後任の方への諸事項の引継ぎに追われて
10 月の高原日記の執筆が、スッカリと滞ってしまいました。
今日からは、手帳のメモを頼りに、鋭意、日記のキャッチ・アップに
励んで、参りたいと思います。 (2001-10-13)





2001-10-03(水)    快晴      ヒュッテ

 ・・・・ここの所、観光案内所の受付のお手伝いを辞めさせて頂く為の引継ぎ・・・・ホームページの更新の仕方のレクチャーに追われている。
 今日も、案内所が休みなのを利用して、誰も居ない事務所で、デジカメの解像度に関する資料を大型の大学ノートに書き溜めて置いた。

   

     
2001-10-04

午前中、Hito, Masa ちゃまにメールを打電。

コンニチは! 10月6日もあさってになってしまいました。 ところで、あさっては何時頃、こちらに着くのかな? ついでの時にでも、連絡下さい。 それから、こちらで、何か特別にしたい事がありますか? もし、あったら教えて下さい。 ・・・・無かったら、適当なスケジュールを考えて置きます。 (中略)・・・・・・・ 近くまで来たら、電話下さい。 車のナンバー何番だったっけ? ンじゃあ、又ねっ!

寝る前に、メールボックス覗いたら、Hito ちゃまからメールが届いていた。

Masa ちゃんと会って話をしたんだけど… 何も決まらずハハハハハ帰って来ちゃったョ。 晴れるかなぁーっとか寒いかなぁっとか。。何にも計画できなかったよー 笑えるでしょ(>_<) 土曜日仕事から帰ってきたら少し仮眠、寝れるかどうか・・夜中の2時に出発の予定です。 できるだけ高速を使わないで地図を見ながら日曜の朝到着の予定です。 日曜と月曜の予定は決まってないけど、白駒池は行きたいと思っています。やっと会えるんですね。楽しみですね。たーくさん話をしましょうね。車のナンバーは ** **** **-** でーす。




2001-10-05(金)       ヒュッテ L = 2 ℃  H = 16 ℃

 公民館報に連載して掲載中の「小海町の蝶」の原稿を午前中に書き上げ、午後、総合センターに提出して来た。 

 ・・・・・・真夜中過ぎ・・・・・の6日、午前1時、メールを覗いてみたら、Hito ちゃまからチョット長めのメールが届いていて、最後に、こんなひと言が、付け加えてありました。

いよいよ明日。やっとやっと八岳さんに会える時がやってきたよ。あっっメールしてたら・・もうこんな時間たいへん・・早く寝なきゃ。ワクワクして眠れないけど明日、仕事だから寝ます。いよいよ明日だぁぁぁぁぁぁぁぁぁオヤスミサイ

 「ハハハハハ・・・・・・」
 この3行を読んだトタン、僕は笑い出してしまった。
 ・・・・・僕よりも5cmも背が高いのに、何だか、ホントに小さな女の子のような彼女!!

 去年、初めてヒュッテに来た日の前の晩、3っつも「テルテル坊主」を作って、窓に吊るしたといってた彼女!!

 ホントに、彼女も、Masa ちゃまも、可笑しくて、キュートで、可愛らしい友達でありんす!!

   

    
    
2001-10-6(土)       ヒュッテ        L = 7 ℃  H = 19 ℃

 明日は、Hito, Masa ちゃまの二人が1年振りにヒュッテに遊びに来る日。
 そんな事を考えながら、家の中を整理していたら、英語と料理の達人の佐藤さんから電話があった。
 「あ、八岳さん? 佐藤です! ・・・・今、軽井沢に来ていて、これから東京にかえるんですけど・・・・八岳さんチに寄って、お昼ご飯を一緒に食べようかと思って・・・・いや、昼食は、勿論、僕が作りますから・・・・」
 瞬間、(どうしよう? このまま、脇目も振らずにズーッと片付けを続けても、やっとこさで片付けが終わる時間しか無いのに・・・・! 佐藤さんと食事をして、話をし始めたら、アッという間に時間が経っちゃって、片付けが終わらなくなってしまう!!)と、思ったけど、僕の口から出た返事は、
 「明日、お客さんが来るんで、片付けをしてたんですけど・・・・どうぞ、どうぞ・・・・お待ちしてますから!!」
 のひと言。
 (ア〜ア、俺ってダメな奴! 佐藤さんの料理が食べられるって考えただけで、これなんだから!!)

 1時間後、ヒュッテに着いた佐藤さんは、料理の素材が入った大きな包みを下ろすと
 「じゃあ、もう、お昼の時間だから、さっそく作り始めるからね!!」
 と、言うと早速、キッチンで調理を始めた。
 (・・・・・・・僕は、どうしたらいいんだろ?)
 瞬間、戸惑った僕は佐藤さんに聞いた・・・・・
 「・・・・何か、お手伝いすることはありませんか?」
 「あ、いいですよ。僕が全部やりますから・・・・・」
 と佐藤さん。
 「それじゃあ・・・・明日来るお客様って、三重県から来る女の子が二人なんですけど・・・・そのコ達に、メール書いて送って来ていいですか?」
 「あ、八岳さんの日記に書いてあったあの子達?」
 「はい、そうです・・・・・」
 「あの子達かア・・・・いいですよ!・・・・ここは、全部、僕がやりますから・・・・・」と佐藤さん。
 「じゃあ、スイマセン。ちょっと打って来ちゃいますから・・・・・」
 ・・・・そう言うと、僕は二階に上がって、Hito ちゃまと Masa ちゃま宛にメールを発信した。

ヒト・マサちゃま、お早よう! 二人がヒュッテに来るのも、いよいよ明日になっちゃったよね! 楽しい二日間を過ごしましょう。 こっちの天気予報は、明日は、「晴、朝晩は曇」です。 あさっての予報は、夕方にならないと電話では聞けないの・・・・ そんで、今、ダッチオブンいつやろうか考え中。 明日のお昼か、夜が、いいと思ってるんだけど。 今日現在は、余り寒くないけど・・・・セーターとかジャンパーとかを念の為に持って来た方がいいとおもうよ・・・・ 今、下の部屋では佐藤さんという (つづく)

英語の達人が昼ご飯を作っています。 この人は、昔の僕の上司だった人だけど、料理の名人で、こないだも軽井沢の別荘に僕を呼んで晩御飯に招待してくれました。 今朝も、突然、電話があって、「八岳サンチに寄って昼ご飯を作るから、一緒に食べない?」との事。 勿論、来て頂くことになりました。 ・・・・今、少し前、佐藤さんに貴女達にメールを送りたいからとお断りして、今、メールを書いています。 彼は、貴女達の事をホームページで読んで知っています。 ・・・・本当に、ヒュッテには(続きのつづき)

色々な人が訪ねて来て呉れるので、とても嬉しいです。 ・・・・それでは、明日、気を付けて来て下さい。 それから、途中から連絡チョーダイよね! それにしても、なんで、高速に乗らないで町の中を走って来るのかな・・・・・??? そんな話も、着いたら聞かせてよね! じゃあ、気を付けてねっ!! もしかしたら、この後もメールを書くかも知れないけど・・・・・  ンじゃあねっ!!

 ・・・・このメール、こんな風に3通のメールに分かれているのは、このメールを彼女達の携帯電話に送っているからで、携帯宛のメールには、250字という、文字数の制限があるからである。

 それから、更に 1 時間後、僕と佐藤さんは、ダイニングテーブルを挟んで、美味しいイタリア料理の食事(前菜、サラダ、固茹でのスパゲッティー・・・・などなど・・・・)を戴きながら、色々な話に花を咲かせていた。
 Second house life, 自然、料理、宗教、アフガン問題、イスラエルの建国・・・・・
 こんな話をすると話がいつまでも続いてしまう。

 途中で、ふと気が付いて時計をみると
 「ウヘ〜〜〜、もう3時過ぎだあ!!」
 と、僕。
 「あ、ホントだ。私もこれから東京に帰るので・・・・急いで、片付けなくちゃ!」
 と佐藤さんは立ち上がると、サッサと料理に使った調理器具を洗い始めた。
 「アワワワワ・・・・佐藤さん、いいですよ! 洗うのは、僕がやりますから・・・・」
 ・・・・いくら何んでも、食事を作って頂いた上に、我が家の食器まで洗って頂く訳には行かない!
 でも、佐藤さんは
 「・・・・でも、明日のお客様の準備をしていたんでしょ・・・・?」
 ・・・・と涼しい顔。 一向に食器洗いの手を休めようとはしない。
 「・・・・いや、まだ、掃除はやりかけだし、片付けも、まだまだ、これからなので、大丈夫。・・・・ついでに、やっちゃいますから! ・・・・それに、佐藤さん、これから東京にかえるんでしょ? そんな事やってたら、家に着くのがホントに遅くなっちゃいますよ・・・・・・」
 と言うと、佐藤さんはやっと手を止めて
 「じゃあ、お願いしちゃおうかな・・・・・」
 と、お手拭で濡れた手を乾かされた。

 佐藤さんが帰られた後、僕は、暫くの間、大好きなシューベルトの弦楽四重奏のCDを聞きながら、部屋の片付けをしていたが、突然、ビクンを体を震わすと
 「あ、イケネエ! 明日のダッチオブンの食材の買出しに行くのを忘れてたよ・・・・・・!!」
 とスットンキョウな叫び声を上げた。

 さあ、こうなると大変である。
 兎に角、豚のばら肉などは、42km も離れた佐久市の触れ合い市場迄行かなければ、手に入らないのである。
 (・・・・・さあ、急げ! ウッカリすると、市場が閉まっちゃうかも知れねえぞ!)

 てな訳で、慌てて飛び出し、初めて出掛けた「触れ合い市場」・・・・・・

 行ってみると、まあ、品物の豊富な事・・・・・しかも、値段だって、どちらかと言えば、かなり安め・・・・・・
 今夜の夕食の材料も手に入れ、帰り道、高野町の喫茶店「アンクル・ケン」に立ち寄って(こんな道草を食っちゃうなんて、何んとオバカサンな僕!!)、マスターと暫くの間駄弁り、ヒュッテに帰ってくると、大急ぎで晩御飯を作り、食べ終わったのがドウデショウ・・・・・驚くなかれ、何んと夜中の12時!!

 それから、又、玄関や部屋の片付けを始めたが、途中、パソコンの傍を通りかかったついでに、メールをのぞいてみたら、Hito ちゃまからメールが届いていた。

なかなか眠れなくて。。でも寝ます。あと二時間後には家を出て雅ちゃん家に行って出発だぁぁ。予定では、朝の9時ぐらいには着きたいと思ってます。八岳さんも、明日にそなえて、ゆっくり眠ってね。着く頃に電話しますね。それでは一旦おやすみなさいzzz

 発信時間をみると、つい今しがたの午後11時23分。
 「アジャパー、これじゃ、去年と同じで、一睡もしないで来ることになっちゃうじゃん!! ・・・・・・ったく、ドーナッチャテルンダローネー、あのお嬢さん方は・・・・・・!!」

 ・・・・ってな事をブチブチ言いながら、どうやらこうやら、玄関周りを片付け、台所の食器をキレイに片付け終わって時計を見ると、何んと午前2時半。

 「アーッ、もう、あの二人は、ヒュッテに向かって出発した後だよ!! さあー、寝ろっ!!」
 こんな独り言をいうと、大急ぎでパジャマにきかえるとベッドに飛び込んだ僕!
 いつものように、アッと言う間に、バタンキュ〜〜〜〜〜!! 
 ・・・・・のようでした。     

              

2001-10-07(日)        曇               ヒュッテ         

 Hitomi, Masayo 来訪。

 ・・・・・・・・
 「ファ〜〜〜〜ッ!」
 ・・・・大きなアクビをして、手足を思いっきりギューッと伸ばし、寝返りを打つと僕は片目を開けて、壁の時計を見・・・・
 (ン? 7時半かあ・・・・・!)
 と、覚めやらぬ意識の奥で言ったトタン、僕は上半身をガバと起こして、スットンキョウな声を上げた。
 「あ〜〜〜〜っ、ヤバイ! スッゲエ寝過ごしちゃったよ〜!」

 言うが早いかベッドから飛び出すと、僕はパジャマ姿のまま着替え一式を胸に抱え、ダダダダーッと階段を駆け下り、
 「アワワワワワ〜・・・・・Hito ちゃまと Masa ちゃまが付く前に、片付けが終わらないよ〜!!」
 と大きな声でわめくと、慌ててトイレに飛び込み、出てくると、今度は身に着けていたものをバッバッバッバッっとカナグリ捨て、一度、スッポンポンになると、選択したての下着に手足を通し、上着を羽織って
 「フウ〜〜ッ!!」っと、ひと息をついた。

 何んせ、昨日は滅茶苦茶に時間が無くて、片付けが終わらなかったので、これから1時間近くの間に、何んとか形を付けなくちゃ!
 ・・・・ってな訳で、朝食の準備はソッチノケ!
 早速、カッ散らかッテいた洗濯物を洗濯機の中に押し込み、ヒュッテ全体に掃除機をかけ、玄関の叩きを刷き・・・・・
 ・・・・っと、
 (あの二人・・・・今頃どの辺りを走ってるんだろう・・・・?)
 と気になったので、

   

 ってメールを入れてみると、間もなくリターン・メールが届いて・・・・・・・

   

  

 ってな訳で、ガタガタと走り回っているうちに、フト気が付くと
 (アチャ〜いけねえ・・・・8時半を回っちゃたよ・・・・まだ少し

 9時過ぎ、 ダッチ・オブン料理、大失敗。

 米、アフガン攻撃開始。

    

    
2001-10-08(月)        曇               ヒュッテ

 朝食準備。

 白駒の池散策。

    

     

2001-10-09(火)        曇               ヒュッテ           L = 7 ℃  H = 15 ℃

パソコンレクチャー(Io. data)

冷蔵庫の修理

    

        
2001−10−10(水)      雨            L = 6 ℃  H = 12℃

パソコン・レクチャーのノートを作るために、水曜日を選ぶ。

    

     
2001−10−11(木)      快晴           ヒュッテ           L = 00 ℃  H = 00 ℃

パソコン・レクチャー(プリンターの使い方)

    

    
2001−10−12(金)        快晴         ヒュッテ            L = 6 ℃  H = 12℃

PCレクチャー(新着情報掲載依頼!!の発送方法)

Jimnyのエアクリーナーの交換をする。

宮本屋旅館にて、楠本さんと二人で夜食。

           

        
2001-10-13(土)         快晴のち曇         ヒュッテ       L = 6℃  H = 16℃

 終日、薪割りの一日!

 午前中、隣家との境界近くにあるカラマツの切り株に、キノコがかたまって生えているのに気が付いた。
 ・・・・と、いっても、これが食べられるのか、毒なのかは全く僕には分からない。
 っていうのは、キノコを見ると、どんなキノコでも、皆んな毒キノコに見えてしまうほど、僕は、キノコ音痴だからである。
 ・・・・・去年も、これと同じようなキノコが沢山、ヒュッテの庭に出てきたけど、
 「えーい、毒キノコめ〜!!」と、
 片っ端から、長靴で蹴飛ばし
 「ザマーミロ・・・・・!!」と、
 威勢のいい啖呵を切ったくらいだからである。

 ・・・・・でも、今年は、もう少し自然に親しもう・・・・・・と、思っていたので、恐る恐る、親指と人差し指で根本から切り取り、全身に毒が回らないうちに!・・・・・愛車のジムニーを駆って、大至急で山を下り、宮本屋旅館の久紀キノコ大先生に見て貰ったら、これが、何んと、すべてクリタケという食用キノコ・・・・・!!
 「今夜の味噌汁にでもしてみたら・・・・・?」
 との、大先生のひと言に、もう大切に大切に、ヒュッテに持って帰り、早速、新聞紙の上に広げて陰干しにし、晩御飯の時に、味噌汁に入れ、ミョウガを刻んで飲んでみたら、結構イカス味・・・・・・!!

 ・・・・・なんか、去年の秋、威勢のいい啖呵を切っちゃったのが、チョッピリうらめしく感じられました。

      

ヒュッテの庭のカラマツの切り株に生えていたキノコ
「これって、毒キノコじゃないの?」と
・・・・・疑心暗鬼の筆者の心中・・・・・・・!!

           

・・・・でも、これが食用のキノコだとは!!
・・・・ってな訳で、これが、生まれて初めて自分の手で採って
味噌汁にして食べたクリタケでした・・・・チョン!
 

          

          
2001−10−15(月) 快晴              ヒュッテ         L = 0℃  H = 16℃

 終日、薪割り。


2001-10-16(火)     快晴          ヒュッテ

 今冬の準備の為の薪割りは全て終了する!!

       

      
2001-10-17(水)     曇            ヒュッテ

 今迄、薪割をしてきた間に、随分と木っ端(こっぱ)が出て来たので、今日はその整理。

 ヒュッテの薪の長さは、45cm とほぼ統一されている。
 ・・・・これは、薪を収納するのにも、又、暖炉ストーブで燃やすのにも、一番、いい長さだからである。
 ちなみに、過去10年ほどの間に、30cm, 40cm, 45cm, 50cm, 55cm, 60cm の6種類の長さの薪を使ってみたのであるが、最終的に、45cm の長さの薪が、一番使いやすい事が分かったので、昨年から、ヒュッテの薪の長さは、余程の例外が無い限り、45cm となってしまっている。 

 面白い事に、この間、別荘地内の道端で、仲間の人4人で、大きなヤマハンノキの木を伐採している民宿「たばた館」の実さんに会った際、薪の消費量の多い「たばた館」さんでも、「薪の長さは 45cm が一番使いやすいですよ・・・・・」と言っていたのには、本当にビックリ!! オッタマゲーションの3乗でした。

 話は、元にもどるが、色々な長さの倒木から、長さ 45cm の薪をとって行くと、殆どの場合、ハンパな長さの木屑がでてしまう。 また、薪を割る時も、振り下ろした鉞(まさかり)が変な風に、薪に当たると、
 「カン!!」
 とかいって、変な形の木屑が飛び散ってしまう事があります。

 今日の仕事は、今年一年間の間に、あたりに飛び散った木っ端を整理すること!!
 ・・・・・一日掛かって、整理して集めた木っ端の量は

       砂防袋に 11 袋と
       背負い籠、大小各一杯・・・・・・
       それに・・・・大バケツに 4 杯の木っ端でした。

       どうです?
       この木っ端だけでも、一週間ほどはつかそうじゃないですか?

       整理して、ホントによかったと思います。

       ・・・・・って言うのは、

      余計なゴミは出来るだけ出さないで、最後まで使い切る事!

       これが、ヒュッテの基本方針だからでアリンス!  エヘン、エヘン・・・・!!

     

      
2001-10-18(金)        雨のち曇        ヒュッテ        L = 00 ℃  H = 00 ℃

 今朝は、朝食後、時間があったので、この日記をつけています。

 パソコンが置いてある机の前の窓から見える、シラカバとカラマツの葉は、かなり黄葉して来て、霧が少しかかった景色は、とても素敵。
 ・・・・耳を澄ますと、ポツリ、ポツリと屋根を打つ雨の音がして、本当に
 「いいなあ・・・・・!!」
 と、心の中で、感嘆の声を上げてしまいます。
          

      
 

 ・・・・今日の日記、今日は10月19日だと思って、

      2001-10-19(金)       雨         ヒュッテ    ・・・・・・・・

 と書いてアップロードしたら、

      「日付が一日間違っていますよ」

 ・・・・・・一人の読者から、ご指摘を受け、調べてみたら何んと今日は10月の18日・・・・・!!
 慌てて、再度、アップロードのやり直しをしました。

 それにしても、一日、儲かっちゃったような気がして、やけに嬉しい感じがしてます。

 タン子さま・・・・・ご指摘、有難うございました!!

     
 午後。
 遅い昼ご飯を食べてから、下水の点検孔に凍結防止の保温マットを被せる。
 ・・・・ヒュッテの下水管は流し・洗面台・風呂場の排水口から地下 50cm まで真っ直ぐ下りており、そこから、ほぼ水平の緩やかな横管を通って、 浄化槽に流入するようになっている。

 ・・・・が、この地中の横管の水の流れや詰まり具合を見る事が出来るように、横管の曲がり角ごとに、点検孔が開けてあるのである。
 ただ、ご丁寧なことに、この点検孔ごとにトラップが設けてあるのが、気になって、このトラップが凍結しないように、点検孔の蓋の上に枯葉を盛り、その上にビニールで出来た マットを敷き、さらにそのマットが雨などで濡れないようにビニールシートを被せ、そのシートが風で飛ばないように重しを載せたものが、この凍結防止システムなのである。

    
  

 開発公社の畑さんの言葉によると、点検孔が凍結する事は、まず無いとの事であるが、今冬は東京に帰っている期間が長くなりそうなので、万が一の事を考え、この処置を施すことにした・・・・・・!! 

 ・・・・・兎に角、寒さ対策に関しては、念には念を入れる事!!

 これが、この地で 3 回冬を越した結果に得た、最大の教訓でありんすでありんす。

         
        

    
2001-10-19(金)          快晴          ヒュッテ         L = -2 ℃  H = 11 ℃

 ・・・・・・・・冬支度!! 冬支度!!

 標高 1,300m の高原・・・・9月に入り、ヒュッテに秋が来ると、いつも耳の奥で響き始めるのが、この言葉である!!
 昨日の地下下水管点検孔の凍結防止処置を終わり、
 「やれやれ・・・・・これで、冬対策は全部終わりかな?」
 とホッとしたのも束の間・・・・・・・

 今朝、突然、草刈機の燃料タンクの中に、燃料の混合油が残っているのに気が付いた。
 「あ、いけねえ! ・・・・あの混合湯を残しておくと、機械を傷めちまア!」
 2種類の油を混合して出来た、草刈機の燃料は、長期間使用しないで居ると、油が分離して、使い物にならなくなり、しかも、草刈機のパイプを詰まらせたり、悪さをするからである。
 「よし、それなら油を使い切るまで草刈だ・・・・・!!」
 ・・・・・という訳で、急遽、草刈りが始まったという訳け!!

 僕は体を動かすのが大好きである。
 ・・・・中でもすきなのが、薪割りと草刈の二つ・・・・・

 今日も、夢中になって草刈機をブンブンいわしていたら、アッと言う間に、夕方になってしまいました。

 夜は、町興しの「こうみ塾」の会合。
 ・・・・・今日は、草刈で疲れてしまったので、夕食は外で食べ、先刻、午後11時半に帰宅。

 ひと休みしてから、パソコンを立ち上げ、メールボックスを覗いてみたら
 「ありゃりゃりゃりゃ・・・・・こりゃ、何んだい・・・・・・こりゃ〜?」
 ・・・・・僕は、思わず、スットンキョーな声を上げてしまった。
 ・・・・・と言うのは、こんなメールが目に飛び込んで来たからである・・・・・・・!!

突然ですが、
高原日記の10月18日が金曜日になっています。

いつも楽しく拝見させていただいています。

てるお

2001.10..19

 「えっ、ウッソー・・・・・きのう、チャンと直したじゃん・・・・・!」
 ・・・・・と、独り言を言って、昨日の高原日記を見てみると
 このメールのご指摘の通り、
 ・・・・・チャーント、

    2001-10-18()        雨のち曇        ヒュッテ

 って、書いてあるじゃありませんか?

 「・・・・・・はははははは・・・・・!! 俺って、何んてバカな奴!」 

 あんまり可笑しくて、僕は、この間違いを、記念の為に、訂正しないで、そのままにして置くことにしました・・・・・・

 何故、しないかって?
 それは、昨日の日記をお読み頂ければ、すぐに分かります・・・・・・・

    てるお様
    ・・・・ひと時の笑いを有難うございました・・・・・・・!!
    

    
 閑話休題
 ・・・・・今夕、アルルの月華で食事をする前、コメリに行ったら、45cm x 45cm のミニ電気カーペットが¥1,770.- で売ってたので、一枚、買って着ました。

 今、この行を打ちながら、そのミニ・カーペットの上に足を載っけてますけど・・・・・ポカポカと足が温かくて、とても気持ちがいいです!!

神様!
・・・・冬の準備も、出来ました!!
素晴らしい冬を有難う御座います・・・・
                    アーメン!!

    

 サア、寝ろっ・・・・・・!!


2001-10-20(土)        晴         ヒュッテ

 アルニコにて、小池純子 Quintet の演奏会

 2次会を経て、帰宅午前1時

     

      
2001-10-21(日)        雨         ヒュッテ         L = 6℃  H = 11℃

 ご機嫌の一日。
 何んつったって、もう何百回となくCDを聴いたクラシック・ギタリストの Tita Avendan~o に会えたんだから。

 ホントの事を言うと、昨夜の午前様で今朝はひどい寝不足。
 しかも、午後はヴァイオリンとギターの音楽会が2ツ重なっている。

 ・・・・・・両方の音楽会とも行きたいのであるが、今日の体調ではとても無理。 本音は、ヒュッテで、両手両足を思いっきり伸ばして、グースカグースカ眠りたいのだが、あの親しみの持てる演奏をする Tita の演奏は、どうしても聴いておきたい・・・・
 「・・・・それに、Tita は立科町のリタさんとトミーのお陰で日本にやって来たけど、この次、彼女が日本にやって来るのはいつの日の事になるか、まったく分からない・・・・それから・・・・あのトミーにも久方振りにも会いたいし・・・・・」
 ・・・・そう思ったトタン
 「ティタの演奏を聴きに行こう・・・・・・・っと!」
 と一発で今日の予定が決まってしまいました。

    
 午後7時、会場の立科町の光徳寺という禅寺に着いて見ると、なんと、本堂脇の大きな座敷には、何んとまあ200人ほどの人が所せましと座っているじゃありませんか・・・・・!!
 ・・・・っと言っても、イスがある訳じゃないので、男性は畳の上にアグラをかき、気温が低い事もあってジャンパー姿の人もかなり居り、女の人達は正座や横座りをして膝掛けを掛け、厚手のコートを着ている人達も沢山いる。

 正面の演奏者の位置には、イスが一脚とマイクスタンド、それにストーブが一つ置いてある・・・・・・・
 ・・・・・待つこと15分。
 トミーとスペイン語の通訳に先導されて Tita がギターを抱えて入って来た。
 ティタは写真で見るよりも、ずっと日本的な感じのする女性である。

 席に就くと、西語の通訳とトミーの簡単な挨拶があり、その後で、Tita の演奏が始まった。
    「涙」、「アデリータ」、「アルハンブラの思い出」、「セレナーデ」・・・・・・等々、今迄、CD でもう何十回、何百回も聴いた数々の曲が中心となった第一部。
 第二部は、南米のクラシックギター曲が中心となっていたが、全曲、初めて聞いた曲ばかり!
 ・・・・・でも、その殆どが、兎に角、美しい曲だった。
 中でも素晴らしかったのが、「パラグアイの踊り」、「マリア・ルイーザ」、「ジュリア・G」等の曲。

 嬉しくなって、販売係のリタさんから、「南米のギター・クラシック」のCDを買うと、Tita の所に行き、CDを彼女の前に出して、危やふやのスペイン語で
 ”?No escribe usted su nombre aqui, por fabor?、a
 ・・・・・と言うと、Tita はビックリして僕の顔を眺め
 ” Espan~ol ! ? Habla Vd. espan~ol ? ” (あらスペイン語だわ! スペイン語話すの?)
 と言った。
 ” ! Un poquito ! ・・・・・No bien・・・・・・” (ほんのチョッピリ・・・・・上手じゃないけど・・・・・)
 こんな下手糞な会話だったけど、余程、嬉しかったのかも知れない・・・・・
 僕達は、暫くの間、会話を続けた。
 ・・・・・彼女が、サインをして呉れたのは勿論のことである。

 通訳の若い男性も
 「エーッ、こんな所にも、スペイン語を話す人がいるなんて〜・・・・!」
 とオドロキの表情。
 ・・・・・と、その時、トミーがそばを通りかかったので、
 「あ、トミー、丁度いいとこ! Tita と写真を撮りたいんだけど・・・・いいかな!」
 と言うと
 「あ、いいですよ! 僕が撮りましょう・・・・」とトミー。
 そこで、彼女に
 ” Me gustaria tomar foto con usted ・・・・・・ ” (貴女と一緒に写真を撮りたいんだけど・・・・・)
 と言うと
 ” ! Con mucho gusto ! ”
 と言って、一緒に写真を撮って呉れました。
      

(写真を探すこと)

    
 ・・・・・さて・・・・・・
 コンサートがお開きになって帰ろうとしたとき、トミーとリタさんから
 「・・・・・これから、女神湖で打ち上げがあるんだけど、八岳さんも来ない・・・・・?」
 と声が掛かったので、僕はビックリ・・・・・・
 でも・・・・勿論、僕は、二つ返事で行く事にしました。

 さて、女神湖のペンションに着いて、打ち上げの席に着こうとすると、Tita の左隣の席が空席になったままである。
 「え、どして、ここ空いているの?」
 と聞くと
 「あ、八岳さん、そこに座ってよ」とトミー。
 (ラッキー!)
 僕は、喜んで、その席に座ることにした。
 ・・・・でも、その席が空いていたのは、どうも、皆、スペイン語を話さなくちゃいけないのが敬遠されたみたい。

 お陰様で、僕は、Tita と本当に色んな話が出来たって訳・・・・・!
 途中、僕が
 ” Tita, ? Escucha usted la musica classical ? ”(ティタ、貴女はクラシックを聞く?)と聞くと
 ” Si, esduco. ca
 ” Entoncez, ? Cual composar gusta a usted ? Beethoven ? ”(それじゃ、どの作曲家が好きなの? ベートーヴェン?)
 と聞くと、意外や意外!! 僕も大好きな・・・・・
 ” Bach espesialmente y la musica baroque ・・・・・・ ”(特にバッハそれからバロック音楽が好きなの)
 ・・・・・これは、本当に嬉しかった。
 「ああ、バッハ・・・・・僕もだよ」
 僕は、思わず、彼女と握手をしてしまった程である。

 その後で、リタさんのご主人の及川さんの申し出で、彼女は今日のプログラムにあった3曲の曲を、もう一度奏いてくれました。
      

(写真を探すこと)

  
 奏いてくれたのは、僕が今夜、一発で大好きになった「ウルグアイの踊り」、「ジュリア・G」、それから「揺りかごの歌」でした。
 ・・・・・演奏が終わり、又、静かな雑談が始まった時、僕は彼女に言った。
 ” Tita, ahola yo pienso que me gustaria estudiar la lengua espan~ola mucho. Y cuando usted volviere a Japon , ! talvez yo hablare espan~ol mechor que esta noche ! ” (ティタ、何だか、僕はスペイン語がウンと勉強したくなっちゃったよ。 そしてさあ、貴女がまた日本に帰って来たときは・・・・・多分、僕は今夜よりスペイン語が上手に話せるようになっているよ!)
     

 打ち上げ会が終わったのは真夜中近く・・・・・・
 誰かが
 「あ、もう明日だ〜!!」
 と言ってからでした。

 素晴らしかった夜。
 ティタと、トミーと、リタさご夫妻と、通訳さんと・・・・・・皆さんにお別れしたあと、僕は唯ひとり、近道をするために標高 2,100m の麦草峠を越えてヒュッテに帰って来た。

 途中、ペンションのオーナーが画いてくれた危やふやな地図を頼りに、人家がまったく無い初めての真っ暗闇の道を、たった一人でドライブして帰って来たけど、ホントにホントに楽しい夜でした。

 ・・・・・って言うのは、ハンドルを握っている間、ティタのギターがずっと耳の奥の方で鳴っていたからです。

    

         
2001-10-22(月)        雨         ヒュッテ        L = 4℃  H = 14℃

 折りたたみ机の修理をお願いした井出正さんとジャズの話をした。井出さんは、バンドを組んで、ギターを担当していた人である。 ・・・・だから、彼の話は僕にはとても面白かった。
 中でも面白かったのは、ジャズというのは、いくつかの決まりがあるだけで、あとは順番にテーマを自分でアレンジして、交代で演奏する・・・・のだそうで、一人のプレーヤーが前のプレーヤーの演奏からバトンを渡された時、
 「・・・・よし、お前がそう来るのなら、俺はこう行くぞ・・・・!!」
 と、いうような気持ちで演奏する事がよくあるそうで
 「・・・・そんな事をいったら、同じ演奏というのは二度と演奏される事は無くなっちゃうんじゃないですか?」
 と聞くと
 「そうですよ・・・・まったく仰るとおり・・・・・!!」
 との事。
 「へえ?」
 僕もCDでジャズを聞くのが好きで、何回も同じCDでジャズを聞いてきたけど、僕の聞き方なんていうのは、邪道もいいとこっていうワケ・・・・・!!

 正さん、本当に有難うございました。

    

      
2001-10-23(火)        快晴        ヒュッテ       L = 6℃  H = 21℃ 

 素晴らしく爽やかな秋の一日。
 ・・・・家の中で朝ご飯を食べるのが勿体なくて、テーブルをベランダに持ち出し、食事をとった。


   

 朝ご飯が終わってから、ティタのギターを聴きながら、紅茶を飲んだが、もう駄目・・・・・・
 お尻に根っこが生えちゃって、お茶を何倍もお代わりをしながら、いつまで経っても腰を上げるのがイヤになってしまう・・・・・

 そしたら、いつの間にかメモ帳に、こんな散文詩を書き連ねていました・・・・・

 (後日、記入予定)


 午後になっても、暖かくて爽やかな陽気は変わらないまま・・・・・
 そしたら、急に、水彩絵の具をズックのカバンに詰めて、ヒュッテを飛び出していた・・・・
 前から画きたいと思っていた八那池の景色を思い出したからである・・・・・!!

     
 

   
 この風景は、以前から画きたい画きたいと思っていた風景である。
 ・・・・・・秋の午後のひと時、
 何事も忘れて、絵筆を動かせるなんて、何んて幸せな事だろうか・・・・・!!

 生きてるって、どうして、こんなに素敵なんだろう・・・・・・!!




2001-11-27(土)     晴       ヒュッテ →  自宅

 本当に久方振りに中野に帰って来たけど、我が家って、こんなにいいものなのかと、改めて感心した。
 ・・・・・兎に角、家内の作るご飯が、メッチャ美味しい事である!!

 それに、家内がいて、息子がいて・・・・・
 ・・・・どうでもいいような話題に花を咲かせ、たわいも無い会話をしては楚々と笑い合う・・・・

 人間のホントの幸せなんて、本当に単純なものである。

    

     
2001-11-31(日)      快晴       自宅 → ヒュッテ

 高速を下仁田でおり、内山峠を越えて佐久に入る。
 ・・・・この鄙びた街道筋をドライブするのは、本当に素敵である。

 小海町に入ると、あちこちで声を掛けられる。
 会う人達と色々と話をしていたら、いつの間にか辺りは真っ暗。
 急いでヒュッテに入り、夕食を作り、食後はユックリと片付けものをした。

 明日は、ハイビジョン・フェスタの為、岐阜行きである。