2001 年 7 月の高原日記

     

2001-07-01(日)    快晴     ヒュッテ → 自宅

  
 相変わらずの汽車旅を楽しみつつ帰宅。
 中野に帰ってみると、いや暑い、暑い。

 家に着いたトタン、
 「松原湖はいいな!!」 と呟いてしまった僕チンでありました。

  

   

2001-07-03(火)    快晴     自宅

   
 連日、真夏日と熱帯夜の連続の日々。
 ・・・・今日は、メチャ忙しい一日だった。

 ・・・・まず最初に、あさひ銀行に出掛けたあと、今度は三菱信託銀行に行き、それがすむと今度は、早稲田通りの「しのとめ」に行って、ドアストッパーとヒートンを買い、やれやれと思うまもなく、このクソ暑い中 JR 田町のヤナセ本社に出掛け、車検を受けた愛車「ゴルフ・カブリオレ」を引き取って帰宅。

 ・・・・午後5時、駐車場に車を入れると、今度は新宿のヨドバシカメラまで出掛けて、re-writable CD を買って来た。

 僕は CD-RW なんて初めて手にしたが、パックから出して、沁み々々と眺めてみると、ダークブルーグリーンに輝いた表面がメッチャ奇麗である。

 「ふーん、この一枚に 700MB も書き込めるんだあ〜!」 

 僕は沁み々々と感心してしまった。
 ・・・・だって、今迄使っていた Mac の HD でさえ、350MB だったからである。

 凄い、凄い!! 

     

  

2001-07-04(水)   快晴      自宅

  
 きのう買って来た CD-RW を使おうと思ったら、ドッコイ、全く使い方が分からない。

 とにかく、フォーマットをしないと・・・・と思って、市販の参考書を見ると、FD のフォーマットの仕方がのっていたので、その通り真似をしてやってみたが、全くうまく行かない!!
 ・・・・どうやら、CD-RW のフォーマットの仕方というのは、FD のフォーマットとは、だいぶ違っているようである。

 それならば・・・・と思って、先刻の参考書を見たが、CD-RW のフォーマットなんかは、どこを探しても全く見当たらない。

 「オーヤオヤ」

 僕は思わず、ぼやいてしまった。

 ・・・・しかも、泣きっ面に蜂・・・・とは、こんな事を言うのだろうか?

 今日初めて FD を使ったこの機械・・・・FD を取り出さないで終了しようとしたら、突然、画面が真っ暗になって、半分フリーズ!!

 全く、この機械、どうなっちゃっているんだろ?

 「ああ、面倒臭い。Macintosh のように、FD が入ったまま終了しようとしたら、自動的に FDを自動排出してくれればいいのに・・・・」と又々ボヤイテしまいました。

   

    

2001-07-05(木)    快晴     自宅

   

 富士通に電話をして、CD - RW のフォーマットの仕方を聞く。
 そしたら・・・・全く、何んちゅーこっちゃい????

 フォーマットをするのに、また一つ別のソフトが要るんだと・・・・!!

 ・・・・テヘヘヘヘヘ、分かんねえ訳だよ、こりゃあ!!




2001-07-06(金)     快晴      自宅 → ヒュッテ

 ・・・・今日は、中野からヒュッテに帰る日・・・・!!
 ・・・・そして・・・・今日も、小海まで普通列車の旅。

 カタン、カタン・・・・とノンビリ走る普通列車は、本当に旅をしている・・・・という淡い旅愁みたいなものを、沁み々々と感じさせて呉れる。

 僕は鉄道が大好きである。
 ・・・・そして、八ヶ岳の山麓を走る小海線が、特に好きである。

 ・・・・今日も、小淵沢で小海線に乗り換えてから、信濃川上駅に着くまでの約40分間、列車の一番前・・・・運転手席のすぐ隣に立って、前から迫って来る景色を眺めながら、ズーっと立ちっぱなしだった。

 初夏の緑の中、次から次へとカーブの続く単線の上を走る小海線は本当に素晴らしい。
 その美しさは、将に筆舌に尽くし難い。

 列車がカーブを曲がって、新しい景色が見えてくる度、僕は何回

 「いいなあ〜!!」

 って、心の中で感嘆の呟きをもらした事だろう!

 そのせいだろうか?
 ・・・・今、こうして今日の日記を書きながらも・・・・最近、時折、チラホラと耳にするこの美しい高原列車の廃線の噂を思い出すと、
 (本当だったらどうしよう?)と心から沁み々々と、淋しく思ってしまう。
 ・・・・
 ・・・・
 ちなみに、ここのところ、立て続けに知り合いになった JR小海線関係の方々に聞くと、
 「ここ暫くの間は、そんな事は無い筈ですが・・・・」
 という返事が返って来るが、それとても、聞きようによっては、ここ暫くの間の話の事なのかも知れない。
 ・・・・
 ・・・・こんな時、僕は
 「こんなにも美しい鉄道が、そのうち無くなってしまうかも知れないなんて・・・・」
 と、淋しい思いに包まれるが、その淋しさが嵩じると・・・・
 「よーし、そんなら、この素晴らしい高原鉄道の保存運動さ、今のうちから始めてみべえかい?」
 と、糞マジメニ考え始めている今日この頃でありんす。

 ウヒャ、ウヒャ・・・・!!


 話は変わるけど、夕方、散歩から帰って来たら、門前のシモツケが奇麗に咲いているのに気が付いた。

 ・・・・とても奇麗だったので、デジカメで写真を撮り、Top page にアップする事にした。


   

    

2001-07-07(土)      晴        ヒュッテ

 前から気になっていた Jimny の掃除をする事にした。
 今日もビカビカの上天気。
 ・・・・でも、ヒュッテの庭には高原の爽やかな風が吹き、将に自動車の化粧日和。
 2時間ほど掛かって、細かい溝の中の垢までも奇麗に削ぎ落としてピカピカに磨き上げた。

 余りにも奇麗になっちゃったので、車を門の入口に止め、デジカメで写真撮影をした。

  

 どうです? 奇麗でしょう!

 ・・・・こうやって、手を掛けてキレイにすると、今迄以上に、我が車に愛着が湧いて来るから不思議です・・・・!!

    

 洗車が終わり、ホッと一息ついた時、玄関前の岩の間に、ナデシコの可憐な花が咲いているのに気が付いた。

 どうです? このナデシコ・・・・とても可愛らしいでしょ!!

 ナデシコは、僕のとても好きな花の一つです。

 

    

 夜、寝る前に気が付きました。
 「あれ〜、今日は七夕さまの日だったんだ〜!!」って・・・・!!

  

  
  

2001-07-09(月)      快晴       ヒュッテ


今年も又、ヒュッテの門の大きな石の上に
ハナイカダの実がなりました。
ハナイカダは不思議な植物で・・・・・・・・・
花も実も葉っぱの真ん中に付くのです。

筆者がハナイカダを初めて見たのは
もう20年程も前の事ですが、
一家で富士山麓忍野村の近くの林の中を歩いていた時
たまたま、この植物を目にした筆者が
「不思議な植物がある!」と言ったら
そばに来た家内が
「あら、ハナイカダだわ!」と言って
その名を教えて呉れた思い出の植物です・・・・・


  
  ・・・・・・・・・・
 話は変わるけど、ここのところ毎日 Windows 版 GoLive 5.0 の習得に夢中になっている。
 今迄は Macintosh 版 PageMill 2.0 で、このホームページを構築してきたが、前にも書いた通り、マックちゃんが古くなってきたので、パソコンを富士通の FM Biblo に換え、HP ソフトは PageMill の流れを汲んでいる GoLive にしたって言う訳!!

 ところで、この GoLive なんだけど、最初のうちは、PageMill とは、大分使い勝手が違っているため、大分苦労をしたが、段々、こうして馴れて来ると、えらい強烈なソフトだと言う事が分かって来た。

 なにしろ、サイト管理がメッチャ扱い易いのが、とにかく有難い。

 Internet Explorer を使ったこともあるが、サイト管理に関しては、遥かにこちらの方が優れているように思われます。

 ・・・・・よーし、これから、このホームページをもっと楽しいホームページにしようっ・・・と!

  
2001-07-11(水)        快晴        ヒュッテ

 昨日、留守電に、おばあちゃんの声で、こんなメッセージが入っていた。
 「馬流△△のKですけど、きのう大きな蝶を2匹捕まえました。・・・・多分、オオムラサキだとおもいますが、よく分かりません。 ・・・・・それで、電話をしました。 蝶は籠の中に入っています」
 ・・・・このメッセージを聞いたトタン、僕は慌ててしまった。

 ・・・・って言うのは、連絡先の電話番号も入っていないし、名前も苗字のKしか分からないからである。
 と言っただけでは、大都市の読者の方々には、その辺りの事情がよくお分かり頂けないかも知れない。
 ・・・・大体、この小海町には、同じ苗字の家が沢山あり、その中でも特に、SとかKという苗字の家が特に多い。 ちなみに、ある集落に行くと、ほとんどの家がSであり、別の部落に行くと、100軒以上ある家の80%近くの家の苗字が、みな同じ K なのである。

 「え〜、どうしよう?」
 瞬間的に僕はそう思ったけど、折角連絡をして下さった方の気持ちを考えると、何んとかしなくては・・・・と、どうしても思ってしまう。

 幸いヒュッテには、南佐久郡、佐久市、小諸市・・・・全戸の住宅地図がある。
 ・・・・・・・早速、小海町全戸の地図を引っ張り出して調べてみると、幸いなことに、馬流△△にはKという苗字のいえが、たった2軒しか無いことが分かった。
 「ラッキー!!」
 ここまで分かってしまえば、あとは簡単である。
 「電話帖、電話帳・・・・!」
 とばかりに電話帳で、その2軒の家の電話番号を探し当てると、今度は
 「エイヤッ!!」とばかりに、その中の1軒の電話番号を選び出し・・・・
 早速、に電話をして、事情を話すと・・・・ラッキー!!・・・・
 「・・・・・それは、私どもです・・・・そう・・・・今朝ほど母が電話を差し上げました」
 との事。
 ホントニ何んて間(ま)がいいんでしょ〜
 ・・・・・・・
 ・・・・・・・そこで今度は・・・・・・・
 「・・・・分かりました。 それでは、差し支え無ければ、これからお邪魔してよろしいでしょうか?」
 と聞いてみると・・・・・・・・・・・
 「まあ、どうぞどうぞ・・・・・ご遠慮なく・・・・・・!」との事!!

 ・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・
 20分後、Kさん宅に着くと、おばあちゃんは僕に言った。
 「まあ、どうぞどうぞ! よろしければ・・・・・・・上がらっしゃい・・・・・」

 ・・・・という訳で、遠慮なく上がらせて頂いた僕は、件の蝶を見せて頂くと、すぐに言った。
 「奥さん、間違いありません・・・・これはオオムラサキのオスです・・・・!!」
 ・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・
 この一言が切っ掛けになって、それから30分ほどの間、僕達は蝶のこと、蛾のこと、野鳥のこと、Kさん宅の大きな家のこと、町の歴史のこと等等を話し合って、僕はヒュッテに戻って来た。
 ・・・・お土産に、そのオオムラサキを戴いて・・・・!!

 こんな風にして・・・・・・・今日も僕は新しいKさんと知り合いになってしまった。

 ・・・・・・・そして・・・・・・・3日前には、ツノトンボの問い合わせを受けて、違う苗字のKさん親子と僕は知り合いになったばかり・・・・・・・・・・!!

 ・・・・・僕は、本当に何んて幸せな男なのだろう・・・・・・!!
 こんなにも多くのこの町の人たちと知り合いになれて・・・・・・・・・・・・!! 

 これも、僕が、3年前から、町の公民館報に写真入りのシリーズもの”小海町の蝶”を書かせて頂いて来たためなのかも知れない。

 本当に有難いことである。


2001−07−12(木)        曇        ヒュッテ

 午前6時、ふと目が覚めてトイレに行ったあと、僕は暫くの間、書斎の窓から外を眺めていた。
 もう、あたりはすっかりと明るくなって、気持ちのいい朝である。
 と、林の陰から、男性が一人元気よく歩いてくるのが目に映った。
 「ン・・・・? 誰だろう・・・・・? こんなに朝はやく・・・・・・・」
 僕は、大きく目を見開いた。
 その人影は元気よくスタスタと歩いてくる。
 ・・・・・・・手に棒切れを一本持っている。
 「へえ、こんなに朝早く散歩をしている人がいるんだあ〜?」
 僕は、改めて感心をした。
 でも、その人影は隣家の陰に隠れて見えなくなってしまった。
 ・・・・ふたたび、その人影が見えて来たのは、それから2分後、僕が寝室に戻って、家の反対側の窓から、先刻の隣家とは反対側にある隣家の前の道を見たときのことである。

 くだんの人影は、後姿となって、棒切れを振り回しながら、どんどんと道を下がっていく。
 その後姿が、とても少年っぽい・・・・・
 よく見ると、グレイの髪の毛に、豊かなグレイの髭、気がつくと見覚えのある姿である。
 「あ、そーか・・・・尾山さんだ〜、あれは〜!」
 僕は、思わず微笑んでしまった。
 「そうかあ、こんなに朝早く散歩をする人なんだ、あの人は・・・・・」
 ・・・・・そんなことを、こころの中でゴニョゴニョといった僕は、大きな欠伸を一つすると、また、ベッドの中に潜り込んで寝てしまった。

 午後、芦平の中島建設の奥様から電話があり、
 「オオムラサキを捕まえて家の中に離してあるから・・・・・もし、よろしければ、いらっしゃいませんか?」

 との事。
 僕は早速、中島さん宅に出掛けた。
 行って見ると、見事なオス・・・・・」
 僕は、有難く、そのオオムラサキを戴いて来ました。

 今、町のコレクションには、4匹の小海産のオオムラサキがいるけど、僕が捕まえた蝶は一匹も居ない。・・・・・みな一昨夜のKさん、今日の中島さん、の様に、町の皆さんが捕まえて下さったものばかりである。 本当に、皆さん、優しい方ばかりである。

   

 夕方、ピクシーに買い物に行ったら,依田さんに出会い

 「うわあ、ビックリしたあ!」

 と、僕がいうと、彼女も
 「ほんとにビックリ、でも、お久しぶり〜!!」
 と言って僕の顔をマジマジと見たので、二人共ゲラゲラと笑い出してしまった。
 ・・・・そこで・・・・暫く、話していたら
 こんどは・・・・彫りの深い顔立ちの女性が近づいてきたので
 「・・・・?・・・・あれ〜・・・・?」
 と思って、よくみると
 「うわあ〜、バンビだあ・・・!」
 僕は、またまたオドロキの声を上げた。

 バンビこと、小郷ちゃんの奥様は、近づいて来ながら
 「あ、又、八岳さんが素敵な女性と話をしているな・・・・と、思ったら依田さんじゃない! 二人は、どうして知ってるの〜〜??」
 と、僕たちの顔を見比べるようにしながら、彼女は言った。
 ・・・・すると、僕の手帳に、自分の住所を書き込んでいた依田さんは、その声に気が付いて、バンビの方に振り向くと、彼女に言った。
 「あら〜、小郷さん・・・・!!」
 ・・・・・・・余りの偶然に、依田さんもビックリしららしい・・・・・!!

 僕達は、レジの近くで・・・・そのまま・・・・・5分ほど立ち話をした。

 すると・・・・途中で、バンビが僕に言った
 「最近、ちっともギャラリーに来ないんだもの〜!」
 と、僕をなじったので
 「えーっ、ドシテエ〜? 僕は何回も黒澤ギャラリーに行ったよ〜! でも、何回行っても、いつも居ないんだもの〜!」
 と切り返すと
 「あ、そ〜か?」
 と、バンビ。

 ・・・・そこで、僕は彼女に言った・・・・
 「そんな日の晩、僕がどうしたか分かってんのかよ〜!」
 「・・・・・・・?」
 彼女は僕の顔を覗き込んだ。
 「そんな日の晩、僕は悲しくて悲しくて、夜になると、マクラを頬張って、泣いてたんだぞ〜〜!!」
 と、言ったら、二人とも大爆笑・・・・・!!

 ほんとに、のどかな女性たちです・・・・・・!!

    

  


2001-07-14 (土)           晴のち曇           ヒュッテ

 最近、ヒュッテにやって来るお客様の間で、意外に人気があるのが、居間のテレビの上に飾ってあるCDケースホルダーである。

 これは・・・・・・室内に入った時・・・・・・ドデカフォンで再生しているCD が、何んというタイトルのCDかが、すぐ分かるように、『ただ今、演奏中』のCDケースを飾って置く為の、可愛らしい展示台なのです・・・・・・・
   
 ・・・・・ところで・・・・・この CD Case Holder を作って下さったのは誰かと言うと、わがヒュッテと同じ別荘地に住んでおられる、心優しき I さんなのであります。   

 どうです、素敵でしょう!

     

   

 話は変わりますが、今年はオオムラサキの当たり年のようである。
 ・・・・・・・と言うのは・・・・・・・
 最近、小海町に住んでいる色々な人から
 「今朝、変わった蝶を捕まえましたが、種類がわかりません・・・・・・・」
 というような連絡を、頂戴することがあるからである。
 (勿論、最初から
 「今朝、オオムラサキを捕まえましたが、必要でしたら差し上げます」
 とおっしゃる方もいますが・・・・・)

 ・・・・そして、こんな時・・・・そのお宅を訪問してみると、これが揃いも揃って、オオムラサキなのです。
どうです? ・・・・面白いでしょう?

 ・・・・今年は・・・・・今迄に、次の方々から連絡を戴きました。

    ● 7/11 馬流本町 : 小池ともさん
    ● 7/12 芦平    : 中島さん
    ● 7/13 七尾    : 池端寛さん
    ● 7/14 松原    : 畠山久紀さん 

 戴いてきた蝶は、すでに展翅を済ましてありますが・・・・・・

 何れ、展翅を外して標本箱に入れる時には、上記の方々の名前を、キチンと、ラベルに記入する積もりでいます・・・・!   


     

2001-07-15(日)     晴のち曇       ヒュッテ

 午後、案内所の窓から外を眺めていると、突然、諏方神社の森の上に、真新しい入道雲がモクモクと立ち上がっているのに気が付きました。

 勿論、僕がオットリ刀で、デジカメを手にして、外に飛び出したのは言う迄もありません。

   

     

 ねえ・・・・見て、見て・・・・!!

    如何にも、夏らしい入道雲でしょう・・・・・!!

   



2001-07-16(月)        快晴        ヒュッテ

 小諸市在住のフィンランド人女性Rさんを訪問、2時間ほどかけて、色々な事を伺って来た。

 今回の訪問の最大の関心事は、何んと言っても、Ptylitza ならぬフィンランドの小人さん達・・・・・
 Rさんの話によると、フィンランドの小人 "Tonttu" は、クリスマスが来ると、サンタクロースのお手伝いをするのだそうで、フィンランドでは、子供達に非常に親しまれている小人さん達とか・・・・・・・
 ・・・・・・・一説によると、この"Tonttu" (トントゥ)があの有名なノームの原型である・・・・とかいうような話を何処かで読んだような記憶があります。

 さて・・・・その一方では、フィンランドには、この"Tonttu" の事を大真面目で研究している大学の教授もいるとかで・・・・・・・Rさんの話によると・・・・・・・比較的最近の事だが、その教授が知っている"Tonttu" (トントゥ)の家が火事になり、火傷をしたその小人さんを、その教授が、"Tonttu" (トントゥ)の怪我や病気を治すことが出来るもう一人の大学教授の所に連れて行き、その火傷を治して貰ったそうで、この話は、フィンランドではかなりよく知られた話らしい・・・・・

 Rさんは、
 「もし、興味があれば、教授に連絡をとってみては・・・・・?」
 と言って、その教授宅の住所を教えて呉れました。

 嬉しかった。
 僕は、その住所の書いてあるコピー用紙を、後生大事に、抱えるようにしてヒュッテに帰って来た。

 ヒュッテに着くと、その紙切れをなくさないうちに、"Ptylitza" (プティリッツァ)のファイルに仕舞い込んでしまったのは、勿論である。

 その外、フィンランド語で書かれた"Tonttu" (トントゥ)の絵本の事、そういった絵本が日本語に訳された翻訳本の話、訳者の日本人女性の事、夏のフィンランドのお祭り "Johannus" のお話、etc. etc. etc. ・・・・・本当に、盛り沢山の2時間でした。

 「よーし・・・・・兎に角、その大学教授に連絡をとってみよう・・・・・」

 その夢のような話に、今日の日記を書いている今、僕の心は高鳴り続けているんであります・・・・ハハハハハ!!

   

    

2001-07-18(水)    曇りのち雨     ヒュッテ

 本来ならば、今週は東京に帰る筈だったけど、草刈、薪割、薪運びなど・・・・余りにも沢山のやり残しがあったため、とうとうヒュッテに居残りになってしまいました。

 そんで、今日とあしたは草刈だってえ事。
 ・・・・僕は草刈が、どちらかと言えば好きな方。
 午前中一杯、ホントに夢中になって、草刈機をブンブン回していました。

 午後4時。
 山を下りて、[満天星の会」に出席。
 皆で子ども達の事を考えつつ、楽しいひとときを過ごし、午後7時帰宅。
 ヒュッテに着いてみると、今朝刈った庭草の匂いがとても素敵!!
 思わず、何回も深呼吸をしてしまいました。

 それにしても、「満天星の会」開催中に降った雨は物凄かったなあ〜!!
 土砂降りもいいトコロ・・・・まさに車軸を流す・・・・という表現がピッタシの雨でした。




2001-07-20(金)    快晴     ヒュッテ

 朝食後、愛車ジムニーの補修個所の錆落しをした。

 ・・・・昨年6月に中古でこのジムニーを買った時、左側後車輪上方の車体に、錆でペイントが少し浮き上がっているのを見付けたが、あれから一年、錆の範囲がひときわ大きくなったのに気が付いたからである。

 勿論、板金屋さんに頼むことも考えてみた。
 ・・・・だけれども、小さな錆を直すのに、車を何日間か預けて代車を乗り回したりするのもチョット気が重いし、第一、お金だって一万円近くかかってしまう。
 そこで・・・・それならば自分でやってみようか?
 と、素人考えで、今回のプロジェクトを始めたってえ訳である。

 ・・・・でも、これは、まったく前例が無いわけじゃあありません!!
 と言うのは、筆者が以前つとめていたソニーに、プロはだしのこの道のマニアがいたってえ訳でありんす。 ・・・・それは、1995年位まで、広報センターの商品企画部の部長さんをしていた森さんという人。

 ・・・・なにせ、この人は、ボロボロのポルシェのオープンカーを友人から貰い受けた後、そのポンコツ車を新車同然のピッカピカにしてしまったという猛者なのである。

しかも、その森大先輩が、筆者に、よくこんな事を言っていたからであります。
 「八岳さん、八岳さんも車の修理やりませんか?」
 「えーっ? クルマのシューリ?」
 「そう、車の修理。 ・・・・楽しいですよ!!」
 「でもさあ、そんなの出来っこないよ・・・・」
 「いやいや、八岳さんだったら絶対に大丈夫! 何せ、天下の凝り屋だから・・・・」
 「そんな事ないよ」
 「・・・・そんな事あるよ! いやあ、惜しいなあ! 八岳さんだったら、絶対に上手になるんだけどなあ・・・・!!」
 ・・・・ってな事を何回も言われていたからであります。

 そんな事があった所為でしょうか、つい先週のことですが
 「あ、そーだ、アレ、やってみよーかな?」
 と思い立った訳であります。

 さて、思い立つと、すぐに行動に移さないと気がすまない筆者のこと。
 その日のうちに、山を下りてヤナショーまで出掛け、ワイヤーブラシとタッチアップペイントを買って、ヒュッテに飛んで帰り、愛車の脇に座り込むと、すぐにゴシゴシと始めたってえ訳け!!

 そして、今日は、きのう買ってきたパテを塗りつける作業の日。

 まず、自動車を涼しい木陰に移動すると・・・・
 過日塗ったタッチアップペイントに錆が出ていないかを念入りに調べ
 パテと硬化剤を板の上で混ぜ合わせ
 製品についてきたヘラでキズの個所に塗るのだが
 いざ、自分でやってみると、これが中々の難物
 何回も、傷口から流れ出したパテをヘラで掬い上げて、傷口に塗りつけること小一時間。

 やっとの事で、塗ったあとが下の写真。


 この後、一週間ほどして、パテが乾いたら、水砥ぎで凹凸を滑らかにし、ペイントを塗ったあと、表面を滑らかにするのだが、上手く行くのでしょうか・・・・ねえ?

  

      
2001-07-21(土)    快晴     ヒュッテ

 観光案内所では、以前買って貰ったスキャナーの取り付け作業が進行中。
 何せ、僕自身がスキャナーなんてえ代物は、生まれて初めて触る代物。

 ・・・・説明書を夢中になって読んでいる僕。
 スキャナーが使えるようになったら、ホームページに又、新しい世界が開けてくる。
 そう思うと、とてもワクワクする。

 いいな、いいな、いいな、いいなっ!!



  

2001-07-22(日)    快晴     ヒュッテ

 昼間、我が家の庭に咲いていた、最後の一輪のワスレナグサを尾山さんの家に届けた。

 ・・・・理由は簡単である。

 一昨日、たまたま「羊小屋」で尾山さんの奥様に出会って話をした際、談たまたまワスレナグサの話になり、奥様から
 「うちのワスレナグサは、もうスッカリ花が枯れてしまったけど、お宅もそうですか?」
 と聞かれたので
 「いえ、きのう見たら、白樺の木の根元に生えている株に、まだ4ツほど花が残っていましたが・・・」
 と答えたら、大変、驚いておられた為である。

 ・・・・さて
 尾山家の玄関に近づくと、僕に気づいた将棋仲間のご主人が出てきたので
 「これ、奥さんに渡しといてよ・・・・」
 と言ったあと、一昨日の経緯を話し、なぜ、この小さな青い花がたった1輪だけ咲いているワスレナグサの茎を持って来たかを説明した。

 「・・・・それは、どうも・・・・わざわざ・・・・」

 とヒゲ面の彼。
 ・・・・先を急いでいた僕は、早々にサヨナラを言い、愛車のジムニーの方に歩いて行ったが、ふと気が付いて、後ろを振り返ると、大きな声で彼に言った。
 「そのワスレナグサ(勿忘草)を渡したら、奥さんに言っといてね・・・・”僕のことを忘れないでね”って・・・・」
 すると、反射的に、玄関がある階段の上の方から、ヒゲ大先生の大声が戻って来た。
 「一体、亭主持ちのオンナを口説いて、どうする積もりだい・・・・?」
  
 「ワハハハハハ・・・・!!」

 その言葉を聞いた瞬間、僕は思わず大声で笑い出してしまった。
 ・・・・だって、その言葉には、カラリとした少年のような明るさと軽快さだけが感られたからである。
 僕は、彼のこんな爽やかさが大好きである。

 

 閑話休題
 ・・・・・・
 ところで、今日の夕方・・・・・午後7時少し前のことである。
 ・・・・・・アルルで買い物を済ませた僕が、駐車場に停めてあるジムニーの方に歩いて来た時、僕はドキッとして、途中で足を止めてしまった。

 ジムニーのボンネットの上に一羽の小鳥が止まっていたからである。
   


 (えっ・・・・なぜ?)
 僕は、心の中でこう呟くと、そっとその小鳥に近づいた。

 驚いた事に、その小鳥は、僕が1メートルくらいの至近距離に近づいても、別段、逃げる風もなく、僕の顔をジット見上げているのである。
   


 

  
 よくみると、それは、明らかに何かの野鳥の雛鳥である。

 僕は、ジムニーの中から、デジタルカメラをそっと取り出すと、その雛鳥の写真を何枚か撮影した。

 その後で、カメラを地面の上に置き、その雛のすぐ傍に近づくと、
 (これは、何んの雛なんだろう・・・・?)
 と改めて観察した。

 ・・・・僕は、野鳥のことは余り詳しくないが、その雛鳥の装いが、何んとなくカワラヒワに似ているので、その小鳥をカワラヒワの幼鳥ということにしてしまった。

 でも、その後で、僕はハタと困ってしまった。
 と言うのは、その幼鳥はジムニーの上からチットモ飛び去らないからである。
 「ねえ、君のお母さんは何処にいるんだい・・・・?」
 と小さな声で聞いてみたが、その野鳥に人間の言葉が分かる訳がない。
 ・・・・あたりを見回しても、近くの電線の上に、キイロセキレイが一羽とまっているだけである。

 「どうしよう・・・・?」
 僕は、半分、途方に暮れてしまった。
 ・・・・と言うのは、あたりは少しずつ暗くなり始めて来たし、まわりの商店も殆ど閉まってしまい、誰とも相談すら出来なくなってきているからである。

 ヒュッテに連れて帰って、育てるか?
 ・・・・以前、目の開いてないオナガの幼鳥を成鳥まで育てた経験があった事を思い出して、僕はフトそんな事も考えた。・・・でも、あの労力は今の僕には、かなりの負担になる。

 僕は、その幼鳥に改めて囁いた。
 「ほら、段々暗くなって来たじゃないか・・・・もう、お母さんのトコロに帰らなくっちゃ!!」
 「・・・・・」
 僕が何を言っても、その幼鳥は僕の顔をじっと見つめているだけである。

     


  

 (仕方がない・・・・親鳥に見えやすい近くの木の枝に、この幼鳥をとまらせて帰ろうか?)
 そう思って、左手でそっと幼鳥を掴むと、その幼鳥は
 「ピッ!」
 と鳴くと、左手の中でもがいたので、僕は改めて、その幼鳥を自分の右手の人差し指にとまらせて、近くにあったヒメリンゴの枝にとまらせようとした。

 すると、その瞬間、その幼鳥は改めてピッと鳴くと、羽を広げてパタパタと弱々しく飛んだかと思うと、10メートル程さきの線路の上にとまってしまった。
 (・・・・・どうしよう?)
 と思っていると、先刻まで電線の上にとまっていたキイロセキレイの成長が、その幼鳥の近くに舞い降りたかと思うと、 「ピピッ、ピピッ」と、尻尾を上下に振らしながら、鳴き始めたのである。

 すると、どうだろう?
 今まで、あんなに不活発だったその幼鳥が、突然、
 「ピピッ、ピピッ」とキイロセキレイの声に合わせて一生懸命に鳴きながら、小さな尻尾を上下に振り始めたのである。
 (あ、そうか・・・・この雛鳥はカワラヒワではなくって、キセキレイの雛だったんだ!)
 その事に気が付くと、僕の心はイッペンに明るくなってしまった。

 暫くすると、そのキセキレイ親子は、連れ立って線路の向こう側の民家の脇の木まで飛んで行き、そこで一休みしてから、更にその先に飛んで行ってしまった。

 (ああ、よかった。 もう、これで安心・・・・・・・!!)
 この二羽のキセキレイ親子の安全を見届けてから、僕は、ジムニーの運転席に入り、エンジンのキーを捻った。

 ・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・
 それから 10 分ほどあと、僕は高原野菜の一本道の農道を、小さなジムニーに乗ってトボトボと走っていた・・・・・

 でも、でも・・・・僕は、とても嬉しかった。

 と言うのは・・・・・・・とても小さな雛鳥だったけれど、無事、母親に会えたからである。

 そんな事をぼんやりと考えながら、暫くの間、僕はハンドルを握っていたが、そのうち・・・・ふと、右前方を見た僕はハッと息をのんでしまった。

 ・・・・遠くのカラマツ林の上に素晴らしい雨雲が掛かっていたからである。
   


    
 ・・・・・・・余りの美しさに、僕はこの写真を、今日のトップページにアップロードしたが・・・・・・
 その余白に、知らず知らずのうちに、僕はこんな感想を書き込んでしまった。

   
今日の夕方
町からの帰り道、高原野菜の一本道の農道を
小さなジムニーでトボトボと走って来ると
彼方のカラマツ林の向こうに
とても素敵な雨雲が見えました・・・・・・・

僕は雨が大好きです。
ですから、こんなにキレイな雨雲を見ていると
とてもホッとして
泣きたくなるような気がして来ます。

静かな静かな夕暮れのひととき
「生きてるって、何んていいんだろう・・・・・!!」って・・・・・
フト思ってしまいました。

(7月22日 午後7時過ぎ・・・)


2001-07-24(火)     快晴       ヒュッテ

 9 時過ぎに電話が鳴った。
 「はい、八岳ですが・・・・」
 受話器を取ると、杉尾の池端さんのソフトな声が聞こえてきた。
 「八岳さん?・・・・池端です。今、オオムラサキを家ン中に閉じ込めてあるんだけど、採りに来ない・・・・?」
 「うん、行く、行く・・・・すぐに行きますよ!」
 ・・・・そう言うが早いか、僕は子供用の捕虫網を引っ掴むと、杉尾の部落に急行し、池端さんの家の仕事場のガラス戸の所でバタバタとやっているオオムラサキを捕虫網に収めて帰宅した。

 可笑しかったのは、僕が持って行った子供用の捕虫網を見たときの彼の言葉である。
 「何んでえ・・・・そんなチャチな網でいいのか? それだったら、僕ンちにもあったよ!」
 ですって・・・・!!

 (若しかすると、池端さんは、蝶屋(・・・・蝶マニアのことです)がミドリシジミ類を採るときに使う、あの直径 60cm 深さ 1m20cm 位の大きな網と、5本継ぎ 6メートルのバカ長いゼフ竿でも、僕が持って来るのかとでも思ってたのかしら・・・・あんな網を持って行ったら、却って足手纏いになっちゃうのに〜!)

 そんな事を考えていたら、とても可笑しくなって、高原野菜の農道を走るジムニーの中で、僕は思わずカラカラと笑ってしまいました。

  チョン・・・・・!

2001-07-25(水)        快晴         ヒュッテ        L = 15 ℃  H = 31 ℃

 「ひまわり」作業所で「餃子」のk昼ご飯を戴いてくる。
 僕が食べたのは、餃子18ケ、おにぎり2ケ、サラダ1鉢、スイカ2切れ、味噌汁。
 ・・・・とても美味しかった。

 それに、子供達と一緒に食事をするのも、とても楽しかった。
 ・・・・・・それと、
 僕が町に下りた時、郵便局の前で、よく見掛ける男の子は宮下にすんでいるとか・・・・等々。
 色々なことがわかった。
 食事後、後片付けを手伝ってから帰宅。

 ・・・・・・・・・
 テレビを見ると、あちこちで、今日の最高気温が36、37℃・・・・・・だとか言っている。
 夜・・・・・・
 (ちなみに、ヒュッテの今日の最高気温はどのくらいなんだろう?)
 と思って、屋外の最高最低温度計を見てくると、31度だった。

 ちょっと、面白いと思ったので、これから暫くの間、冬季と同様、最高裁低温度を掲載することにしあた。

 


2001-07-27(金)          曇          ヒュッテ     L = 13 ℃  H = 29 ℃

今日は比較的涼しかった。

 ナデシコの中で、僕が一番好きなカワラナデシコ・・・・・余りキレイなので、写真をとって来ました。
 このカワラナデシコは近くで見ると、下の写真のように、とても可憐な花なんです。
 ネッ・・・・・素敵でしょう!!!

      




2001-07-28(火)        曇のち晴         ヒュッテ      L = 12 ℃  H = 24 ℃

 町の子供達と一緒に、稲子、ばら澤リンドウ、大月川に蝶の採集に出掛け、蝶々の採集。
 午後は、子供達と一緒に、標本作り・・・・

 結構、楽しい一日でしたが、正直な話・・・・・少し疲れました。

  
 帰途、同じ別荘地内のAさん宅に、キツツキが屋根の下側にあけた穴を見に行きました。
 ・・・・見ているうちに
 (へえ、あんあ所に、どうやって穴をあけるんだろう・・・・?)
 と、とても不思議に思えました。


2001-07-29(水)         快晴          ヒュッテ        L = 12 ℃  H = 30 ℃

午前中、10日ほど前にパテ詰めをしたジムニーのボディーの修理箇所の水研ぎをした。
 

 
 実際に研いで見ると、パテが流れ落ちてしまった部分が凹んでしまったため、滑らかにはなっていない。だから、もう一度、パテの詰め直しをしなくては、いけない。

 何せ初めてのことだから、ユックリと時間を掛けて楽しみながら修理していくことにしよう!!
     

 ヤッター!!
 南相木村の上原徳治さんの別荘で、美味しいダッチオブン料理をご馳走になって以来、欲しい、欲しいと思っていた、ダッチオブンを手に入れることが出来ちゃった〜!!

 買ってきたのは、佐久市のホームセンター・ビバ・・・・・・値段は 3,980 円でした。

 よーし、今度は、自分でワイルド料理を作ってみよう・・・・・・っと!!



2001-07-30(月)         晴          ヒュッテ     L = 12 ℃  H = 29 ℃

 第2回縁台将棋大会が、開かれた。

 場所は、去年と同じアルルの前の駅前通り。
 僕は午後3時に出掛けて行ったが、みや書店のご主人と清水屋さんまでビールの空き箱21ケを一緒に取りに行ったり、町の公民館から座布団14枚を借りて来たり、将棋版と駒を用意したり、賞品の代金を受け取りに行ったりしているうちに、アッと言う間に6時になってしまった。

 6時から10時半迄の対戦成績は4勝敗。
 試合をやっていても次から次へと、色々な事を聞きに来るので、聊か気が散るが、それでも結構たのしむ事が出来た。・・・花火が終わったのが9時。歩行者天国の解除が10時。結局、10時半から片付け始めて、終わったのが11時過ぎ。ヒュッテに戻って晩御飯を作り始めたのが11時半。
 食事が終わったのは、午前1時少し前でした。
 フウーッ、疲れたア!!

 寝る前にHPを覗いてみたら、掲示板にぶーちゃんのカキコがありました。
 それによると、ぶーちゃんは女の子だとか・・・・・・!!

 テヘッ、今まで悪いことをしちゃったな!