2001 年 1 月の高原日記
   

I wish you a Happy New Year

from Huette

on the very 1st day

of the 21st Century ! !

    

2001-1-1(金)     晴       ヒュッテ    L = -10°C,  H = 1°C

 2001 年!! ・・・・そして 21 世紀!!
 明けまして、お目出度うございます!

 いよいよ、新しい世紀の始まりです!!!

 まずは・・・・何はともあれ・・・・新しい世紀に届いたメール第1号を紹介します。

はっぴーにゅういやぁー。\(^O^)/21世紀の始まりダー。これからもよろしくネ(^^)v

 このメールが三重県の Hitomi からヒュッテに届いたのは、年が開けたばかりの、今朝の0時15分。
 ・・・・僕が、諏方神社の初詣でから帰って来たら届いていました。
 諏方神社では、近くの吉松(JAL のジャンボ・ジェットのパイロットさんです!)さん一家と一緒に神主さんのお払いを受けて来ました。
 神主さんは、何んと去年の近隣の中学生のスケート大会の時に、色々と連絡を取りあった、鷹野さん・・・・全く、オッタマゲーションの3乗でした!!
 03:30 就寝。

  
 07:30 起床。
 午前中、長湖に出掛けてワカサギ穴釣の写真をとって、HPにアップロード。   
 長湖には、今日も「少年探偵団」の大ボス昆野さんがいて、立花屋さんに、あと一泊して、あした東京に帰るとの事。

    
 この人も、少年らしさが抜けきらない人らしい!!
 こう言った人に出会うと、何んとなくホッとするから不思議である。

    
 午後、案内所でHP用の写真を整理していたら、井坂夫妻が可愛らしいフランス人の女の子を連れて、犬の写真を見に来た。
 聞いてみると、その女の子はカリーヌという11才の子で、タヒチから一人で日本にやって来たという事である。
 本当に久方振りにフランス語を話したが、以前、ソニーにいた時は、仏語で工場見学案内などをしたものだったが・・・・今日、久方振りに、話してみたら、いい加減、フランス語が錆び付いてきたのを感じさせられた。・・・・オヤ、オヤ、オヤ、である。
 井坂夫人は、
 「いきなりフランス人に会っても、とっさにフランス語でキチンと話しをされてるじゃないですか・・・・!」
 と言っていは下さったけど・・・・

 

   

 井坂夫人はフランス語がとても上手である。
 聞いてみると、長野オリンピックの時に、通訳としてカナダの選手の世話を色々としていたそうな・・・・!!

   
 ・・・・今日は天気が良かったが、気温がやけに高くて、いまひとつピリッとしない。
 僕は寒さに非常に弱い人間だけれど、
 「矢張り、冬は寒くなくっちゃあ!」
 と呟いているのが、自分ながら、とても可笑しい・・・・
 いつの間にか、僕は感覚的に小海の人間になってしまっていたのだろうか?

    

    
2001-1-2(月)    曇ときどき雪     ヒュッテ     L = -11°C,   H = -1°C

 荒寥とした感じの一日。
 追加の年賀状書き、未発表の散文詩の整理・・・・などで、一日がアッと言う間に過ぎて仕舞った。21世紀になっても、忙しさだけは、相変わらずのようである。
 ・・・・昨夜の火事のニュース。

 火事があったのは、卓球の仲間の新津理髪店の向かいの一角・・・・三軒ほどが全焼して、二軒ほどに延焼したとか・・・・・

 お正月、元旦の夜の火事なんて、ホントに気の毒な事です。
 ・・・・焼け出された人達は、どうしているのだろうか????

   

2001-1-3(火)    曇のち雪       ヒュッテ      L = -5°, H = 5°

 兎に角、忙しい一日。
 明日、東京に帰るので、今日は洗濯・掃除・家の中の片付けなどに追われる。
 真夜中に、受け取ったメールの返事数本を書いた。

   
    
2001-1-4(水)    快晴       ヒュッテ       

 起床6時半。
 洗濯、朝食,片付け、水落とし・・・・

 11時、総合センターで、新年祝賀会。
 ・・・・会場で、去年6月に結婚相談員になったという、若い女性に合い、色々な事を話しあった。 僕も、今度、結婚相談員に委嘱されたからである。

 13:23 小海駅発。
 14:32 小淵沢駅着。駅の蕎麦屋で昼食をとる。
     このおそば屋さんのオバチャンとも、大分、顔見知りに成ってきた。
     「時々、顔を見るけど・・・・」と言うので
     「八ヶ岳の山麓で、町興しのボランティアなんかをしてるの・・・・」
     「おや、まあ・・・・ご苦労さんです・・・・」
     話してみると、気さくなオバチャンである・・・・また、こんど、食べに来よう!
 15:35 中央高速バスにて小淵沢発。
 18:25 新宿着。
 18:40 帰宅。
 夕食後、パソコン・デスクの組み立て・・・・深夜、組み上がる。

       

    
2001-1-5(木)    晴        自宅

 藤沢の義父宅に、新年の挨拶に出掛ける。
   
 帰宅後、昨日組み立てたパソコン・デスクの上に、真新しいパソコンを置き、中野シティー・テレビ(CATV)のインターネットに繋ごうとしたが、設定が上手く行かない。

 シティー・テレビからは、Win95, Win98用の接続マニュアルを貰っていたが、このパソコンの OS は Win Me(ウインドウズ・ミレニアム)なので、CTN から送られてきた設定画面が全くパソコンの画面と違っているため、最終的に真夜中過ぎにギブ・アップしました・・・・!!

 ファー、疲れた・・・・!!!!

   

   
2001-1-6(金)    曇       自宅

 10 時、CTN (シティーテレビ中野)に電話 ( 0120 - ) を入れ、約 30 分程かかって設定を教えて貰い、一発でインターネットに接続。

 今まで、2回、アナログとデジタル回線で、プロバイダーに接続した事があるが、それにくらべると、CATV プロバイダーへの接続は遥かに複雑だった。

 インターネットを毎日のように使っている僕でも、電話で指示を受けながら30分程も掛かったのだから、ズブで素人の女性や子供達だったら、ホントにどうなっちゃうんだろう?・・・・と、マジに心配してしまった。

 昼食を挟んで、川越の母の所に出掛ける。

 帰宅、18:30。




    
2001-1-8(月)     晴        自宅 → ヒュッテ

 ヒュッテに帰って来て驚いた。
 一面に20cm 程の雪である。
 ヒュッテの玄関までのアプローチに乗り入れようとしたら、深雪に足をとられて、途中でエンスト!!
 そこで、4WL にして、
 「ウィーン」
 とエンジンを吹かしてやっと「只今!」である。
 ・・・・明日の雪掃きを思うと、チョッピリ憂鬱である・・・・!

    

    
2001-1-9(火)      晴のち雪      ヒュッテ

 起床6時半。
 朝食後、必要最小限の雪掃きをして、10時からの結婚相談委員会に出席。
 ・・・・席に着いてみると、僕の正面に町長と助役が坐っているのに、僕は驚いた。
 その他、やすらぎ園の方々、結婚相談委員会の方々、相談員の方々、全部で15名ほど。

 この席上で、僕は結婚相談員を正式に委嘱された訳であるが、その後の約2時間、幾つかの議題につき話し合いが持たれ、午後1時少し前に閉会となりました。

 この話し合いの席上、僕が特に面白いと思ったのは、町長さんが
 「独身の人達を集めて、”皆さんが、どのような生き方をしたいのか・・・・と言うあたりの話し合いをする事は、とても大切な事だと思うけど、どうじゃろうか・・・・?」
 と、何回か仰言っていたが、全く同感である。

 町長さんて、面と向かって、話した事は余りないけれど、ユックリ話してみたら、面白い人なのかも知れない。
 ・・・・今度、チャンスがあったら、是非、話してみたいと思います。

    
    
2001-01-11(木)      晴       ヒュッテ      L = -6°, H = 4°

 今朝、松原湖に向かって山を降りる途中、
 右手の八ヶ岳を見たら、山がとても澄んでいた。

 「キレイだな・・・・!」
 僕はハンドルを握りながら、心の中で呟いた。

 確か、ヘルマン・ヘッセの水彩画の中に、
 「澄んだ日」という美しい絵があったが、
 その絵が大好きだった僕は、案内所のドアーを開くと、
 急いでとって返してデジカメで山の写真を撮って来た。

 僕は八ヶ岳が大好きである。
 ・・・・特に雪に覆われた「ヤツ」を美しいと思う。

 何時の事だったろうか?
 凍てついた町の中から、夜遅く帰って来たときに見た
 青白い月の光を浴びて、ゾッと身震いするほどに
 冷たく冴え亘っていた八ヶ岳。
 ・・・・あの時の山の美しさを、僕は死ぬまで忘れないだろう!

 今夜も、八ヶ岳は・・・・
 あの夜のように、ヒッソリ閑と凍てつく事だろう・・・・

 ・・・・・
 そうだ、こんな夜は、夕食に温かいスープを作ってみよう。
 大切りのジャガイモとキャベツとブロッコリーを
 深鍋でコトコトとじっくり煮込んたあと
 コンソメのもとで味を付け、
 塩、コショーをした美味しいスープを・・・・!

 ・・・・そして・・・・
 ・・・・深皿によそったスープを
 ふうふう言いながら、
 汗を掻き掻き、口に運ぶころ
 八ヶ岳は、イスラム寺院の尖塔にあるような
 月と星に照らされて、
 青白く押し黙っていることだろう・・・・!!

 ・・・・・・・
 ・・・・・・・

 それにしても、この山あいの小さな町は
 どうして、こんなに美しいのだろう?

 ・・・・・・・
 ・・・・・・・

 そして、この町に住んでいる僕は
 どうして、こんなに幸せなのだろう?

  

    
2001-1-13(土)     曇時々小雪     ヒュッテ      L = -7°, H = -2°

 午前中、パソコンを立ち上げたら、佐久市の村松さんからメールが届いていた。
 一昨日、大ケヤキの傍の喫茶店「白樺」の直子さんの所に寄ったら、後から彼がやって来たので

「ああ、あたりまえに生きたい、ささやかでいいから
ああ、前のめりに生きたい、ひたすらに生きたい
鳥は空で生まれて、魚は海に生まれたのなら
時間と呼ばれる長い長い河の中で、きっと私は生まれた
・・・・・・
・・・・・・
っていう歌詞の「さだまさし」の歌の題名知らない?」

 ってきいたら、
 「僕の後輩で、さだまさしのファンがいるから、聞いて教えて貰って、メールしますよ」
 と言って呉れたが、メールを開いてみると、正に、その返事だった。

喫茶「白樺」の常連で、私の高校の後輩である
H君から、下記の情報が寄せられました。

〔シングル〕
・生生流転:1曲目(5:28)

〔アルバム〕
・昨日達:1枚目10曲目(5:26)
・書簡集:6枚目8曲目(5:45)
・さだまさしシングルス全集第4巻(さだまさし編 その3):1枚目1曲目(5:27)
・一人百歌:9枚目11曲目(5:25)

http://www.sada.co.jp/songwww/data/data234.htm

詳しくは、上記アドレスで調べることができます。

 ・・・・っていうメールである。
 僕は、このメールはとても嬉しかった。
 だから、その後で、すぐに彼宛ての返信メールを発信した。

村松様:

早速の連絡、有り難う御座いました。

この間の晩、白樺を出たあと、CDのツタヤに行って、店員に手紙の歌詞を見せ
「こういった歌詞のさだまさしの歌のタイトルが分ったら教えて下さい」
って、聞いてみましたが、貴男の言われた通り、若い店員さん達は「お手上げ」でした。....ですから、今日のメールは大変に助かりました。

この間の手紙の主から、あの手紙を貰ったとき(去年の3月頃でしたか・・)の僕は、さだまさしは全く好きではありませんでした。

ところが、昨年暮れ、休みの日の朝、ボンヤリとさだまさしの曲を聞いていたとき、突然、僕は彼の曲がとても美しいことに気が付いたのです。

その後、今年にはいって・・・・そう言えば、あの手紙の主が
「さだまさしさんのこんな歌が好きです」
なんて言っていたのを思い出し、古い手紙を引っ張りだして、あの歌詞の歌を探し始めたという訳です。

勿論、あの手紙の主には、
「これ、何て言う歌なの?」と、聞いてみましたが、
「知らないの・・・・うちの高校生の子供がよく歌っていた歌だから・・・」
ということでした。

こんど、チャンスがあったら、是非、この曲を聞いてみたいと思います。

どうも、有り難うございました。

白樺の直子さんにも、よろしくね・・・・・

では、又・・・・・・

   この手紙の主というのは、明るくて無邪気な、あい子ちゃまである。

彼女は、今ごろ何をしているだろうか?

  

    
2001-1-14(日)     小雪      ヒュッテ     L =
-15°C,  H = -6°C

 テレビの天気予報によると、この冬一番の寒気団が昨夜から明後日くらいまでの間、日本の上空を覆っている模様とか・・・・
 ・・・・その影響で、今日は朝から小雪が舞い、ベランダにやって来る小鳥達は、雪の中からヒマワリの種をほじくり出して食べている。

 野鳥達もなかなか大変である。

 

雪の中からヒマワリの種をほじくり出しているアトリと
自分の順番を待つゴジュウカラ

  
 午後11時。
 ・・・・とにかく物凄い寒さだ。

 部屋の中で、石油ストーブと薪ストーブを焚いても、足が可成り冷えるのだ・・・・
 面白半分に外に出て、屋外の寒暖計を見てきたら、マイナス15度である。

 「マイナス15度って、こんなに寒かったかなア〜?」

   

    
2000-01-18(木)      晴        自宅

 おととい中野に帰って来てみたら、東京も結構な寒さである。
 珍しいことに、もう三日も最低気温がマイナスになっているそうな・・・・

 一日の最高気温がマイナス2度とか3度とかというヒュッテとは、まるで寒さの桁が違うが、東京ってえのは、もっと暖かいものだと思い込んでいたために、僕はこの寒さに、ちょっとビックリしたものである。

 さて、今回の帰京の目的の一つに、免許証の更新があったが、ちょっとしたハップニングがあったので、その事を今日の日記に書いて置きましょう。

 ・・・・そのハップニングの切っ掛けは、(去年の12月4日に、ナンタルチア・・・・この僕が、スピード違反で捕まってしまったからでしょうか・・・・)、今回の更新には、講義を含め、2時間近くの時間が掛かるという・・・・案内が警察から届いていた事でした・・・・・

 だから、今日は朝から何んとなく心がブルーで
 「ア〜ア、憂鬱、憂鬱・・・・二時間もかかるなんて・・・・!!」
 と、しょげ返っていたのである。

 ところがである・・・・
 今日の午後・・・・鮫洲の試験場に行き、目の検査などのイツモノ手続きが終ると、
 「貴方は、3階の34号室に行って下さい」
 と、突然、係の女性に言われたのである。
 「え、どして・・・・?」
 ・・・・と思って、あたりを見回すと・・・・3階への階段を登ってくる人は、僕以外には誰もいないじゃないですか・・・・・
 「えーっ、僕だけジャン、3階に上がって来るのは・・・・!!」
 「アア、錯覚イケナイ。・・・・ヨク見ルヨロシ!!」
 「ああ、ビックリ下谷(したや)の高徳寺、オソレ入谷(いりや)の鬼子母神(きしぼじん)」
 などと、訳の分らない事を心の中で呟き、チト不安な気持ちに襲われること暫し・・・・!!

 ところが、34号室に入って書類を見せると
 「いや、ご苦労様です・・・・」
 と、やけに丁寧な挨拶をされたかと思うと、
 「エー、こちらは、高齢運転者の受付でして・・・・・・・・!」
 と、僕は、突然、聞きなれない言葉を耳にしたのである。
 「エエッ、高齢運転者ってオレの事????」
 ・・・・僕は、余りにも突然の単語をきいて、暫くの間、口を開けてポカンとしていたようである。

 でも、よく考えてみると、僕も今度の誕生日で65才になる・・・・!!
 「そうか、オレもいよいよ、高齢者の仲間入りをしたって訳か?」
 ・・・・と、何か、新鮮な気持ちになったから、僕っていうのは、よっぽどお目出度いのかも知れない・・・・

 「そうか、面白れえっ!! 高齢ドライバーの更新ってえのは、どんなんだろ?」
 そう思ったとたん、気持ちが楽になって、案内された隣の映写室に入り、あたりを見回すと、成る程、イスに坐って交通事故とその原因のビデオを見ているのは、確かに60〜70才台の人ばかりである。
 「ふーん、成程ねえ・・・・!」
 と、感心の面持ちで、そのビデオを見る事約10分。
 ・・・・その後で、今度は、ちょっとした解説のあと、運動と反射神経のテストを受ける事、約15分。
 そのテストも、普通点の3点で、通過すると
 「・・・・それでは、ご苦労様でした。35番の部屋で、間もなく免許証が出来上がりますので、受け取ってからお帰り下さい。本日は、ご苦労様でした・・・・」

 ・・・・で、一件落着・・・・!!!!

 イヤア、スピーディで素敵、素敵!!

 ってな訳で、なんとまあ、40分ほどで、更新手続きが終ってしまったではありませんか・・・・!!!!

 高齢者っていうのは、何んて素敵なんでしょ・・・・

**********************************************

 ・・・・・・・
 ・・・・・・・
 「いやあ、思ったより、ずっと早く終ってしまった・・・・愉快、愉快!!・・・・そうと分れば、コリャア、丁度いい機会だ・・・・チョット、古巣のソニーの広報センターに顔を出してみるか・・・・??」
 ・・・・・・
 ・・・・・・
 「鮫洲」駅から京浜急行に乗ったあと・・・・・・
 次の駅の、むかし懐かしい「青物横丁」に停車中、突然、気が変わった僕は、そのまま五反田のソニー本社に足を向ける事にしたのでありんす。

(つづく)

   

   
2000-01-21(日)    雪のち曇      自宅 → ヒュッテ

 (中野の自宅でも 8cm 程の雪が降ったくらいだから、ヒュッテでも沢山降ったんじゃないの?)
 ・・・・とオッカナビックリ、ヒュッテについて見ると
 「ウヘエ、こりゃ大変・・・・!!」
 25cm 程も積もった雪を見て、僕は、溜め息をついた。

 それから、雪掃き、水通し、部屋の整理・・・・等々、で 2 時間ほどがアッと言う間に過ぎてしまった。

 気が付くと、すでに、あたりはすでに薄暗くなっている。
 ・・・・・そして、何んだか、疲れてしまったような感じ。
 流石に、今日は、夕食を作る気にならず、町に下って、晩ご飯を食べてくる。

 夜、ホームページを更新しようとしたら、パソコンの調子が突然、おかしくなって、言うことを聞かなくなってしまった。
 「えっ、どうしちゃったの・・・・?」
 ・・・・いろいろと調べてみると、どうやら、高原日記の容量がひどく大きくなっているらしい事に気が付いた。
 そこで、高原日記のフォルダーを開いてみると、
 「うへえ、まあ、これはどうでしょう・・・・?」
 仕様済みの画像までが、後生大事にとってあるものだから、まあ、中には腐るほどの画像が入ってるじゃありませんか・・・・・・・!!
 ・・・・しかも、HP作成ソフトが古いものだから、どの画像に、リンクが張ってあり、どの画像にリンクが張ってないのか、よく分らない・・・・のである。
 「ヨーシ、それならば・・・・・」
 と、目次ページから、古い20世紀(この間の大晦日までは20世紀でした・・・・よね?)の日記に張ってあるリンクを全部外し、全部の画像ファイルを整理し、不要なものは、すべてゴミ箱にポイすることにした。
 ・・・・でも、ズボラでいい加減な僕の事である。
 まあ、これから、何カ月掛かりますことやら・・・・・・
 ・・・・・オーッホン・・・・・!!

   

2000-01-22(月)     曇       ヒュッテ      L = -13°C, H = -1°C

 何かとても疲れたので、今夜の日記はお休み・・・・
 真夜中過ぎ、暖炉ストーブの火を見詰めながら、カモミール・ティーを飲む、
 疲れた脳に、ほのかな香りとかすかな甘さが、とても心地よかった。

 外は、バリバリの冬である。

 先刻、屋外の最高最低温度計を見に行ったとき、空を見上げたが、今夜はお星様が見えなかった。

      

2000-01-23(火)     曇ときどき雪    ヒュッテ   L = ??°C, H = ??°C

 昨年2月に行なわれた第一回松原湖氷上ラジコン・カー・フェスティバルに続き、今年も第二回フェスティバルが、2月18日に行なわれる事になった。
 この程、そのポスターが出来てきたが、如何にも勝っちゃんらしいポスターなので、とても可笑しかった。

(実物 60cm x 85cm)

 4年前に、
 「僕も、ラジコンヨットを1隻作るから、皆でヨットレースをやろうよ・・・!」
 ・・・・と、憲一郎さんや、圭太さんに声を掛けた、あのラジコン.レースがこういった展開を見せた事にひとしおの感慨を感じる。
 それと・・・・もっと嬉しかったのは、今日の午後、今回のフェスティバルに参加するため、4人の宿泊客の申込があった事である・・・・・しかも、名古屋からだとは・・・・・!! 
 バンザイ!!

 今夜、7時から、ラジコン・フェスティバルの準備会議が開かれるから、早く、ご飯を食べなくちゃ・・・・!

(ここまで、午後5時半記)

 何んだって、こう忙しいんだろう?
 ・・・・夕御飯を食べながら、ヒュッテから親沢の数学者井出敏章さんに電話を入れ、土村の数学者N氏宅に近々僕がお邪魔をしてもいいかどうかを訊いて下さるようにお願いをする。
 敏章さんは、気持ち良く、僕の申し出を引き受けて下さった。
 ・・・・80才を越す高齢なのに、この人の考え方は、とにかく柔らかい。
 失礼な言い方かも知れないが・・・・その、素直さが、僕には兎に角ウレシイ!!

 今夜の晩ご飯は、時間が無いために大きな丼のお茶漬けノリとちょっとしたオカズ。
 そいつを、大急ぎで掻き込むと、我が愛車、四駆のジムニーを駆って、山を下りる。
 松原部落の集会所に行ってみると、青年団の連中が7〜8人集まってラジコン・カー・フェスティバルの打ち合わせの真っ最中。

  
 たった今、気が付いたのだが10分ほど前から、我がパソコン愛機のHDのモーターが
 「ウィンンンン、ウィンンン・・・・・」
 と耳障りな音を立て始めた。
 こんな事は、購入以来初めての事である。
 ・・・・・もしかすると、いよいよパソコンの寿命かも知れない。
 兎に角、ここまで書いた、今夜の日記をインターネットにアップロードしておこう。

 だから、ここで、一度、日記を中断することにします。 プチン!

 ・・・・・・・
 ・・・・・・・

 パソコンのHDモーターのイヤな音はまだ続いているが、パソコンはまだ正常に動いている。
 でも、モーターの音は、いよいよ大きくなって来ている。
 本当に、いつ壊れてもおかしくない状態のように思えるけど・・・・・・

 読者の皆様方、

 もし、この高原日記が中断されることがありましたら、その時は、我が愛機

 Mac, Power Book 540C

 の寿命が来たと、判断下さいませ・・・・!!

 話は、もとに戻るけど・・・・
 暫くすると、デザイナーの勝っちゃんがやって来た。
 ・・・・僕は、この心優しきヒゲ達磨が大好きである。

 彼が来て、座が一段と賑やかになったが、8時半ごろ、無事、打ち合わせも終りました。

 ・・・・部屋の外に出てみると、ホールの方から、卓球の球(たま)の音がするので、中を覗いてみると、ムっちゃん、GSの女性などなど地元の奥様4人が卓球にきょうじていた。

 「八岳さん、私達に教えてよ・・・・」

 ムッちゃんが、僕に声を掛けたので、卓球が大好きな僕は、喜んで10分ほど彼女達と一緒に遊んでから、Re-ex  ホテルの Cow Bellに出掛けた。

 
 行ってみると、ホテルの小林さん、川股さん、上松さん、三浦康子さん・・・・などがワイワイやってるじゃありませんか!

 僕も、すぐに仲間に入れてもらって、楽しい2時間をすごして、先刻、帰宅。

 家の中に入る前、空を見上げると、今夜は星がとてもキレイだった。

   

   
2000-01-24(水)    晴のち雪     ヒュッテ     L =
-12°C, H = -2°C

 今日は、手伝いがお休みの日。
 起床6時45分。 朝一番で洗濯をし、洗濯機の水を流そうとしたら、水が流れない。
 「・・・・・?」
 ・・・・・調べて見ると、ナント・・・・縁の下の下水管が凍っているらしい!

 トタンに、我が家では緊張が走った。
 もう朝食などは、そっちのけ・・・・・色々と手を尽くした揚げ句、協友工業さんにSOS を発信した。 有り難い事に、いつものように、女性の友野さんが手際よく手配をして呉れ、午後4時ころ、東条さんがやって来て下水管を調べて呉れました。
 結果は、縁の下の水平な配管が凍結しているとの事。

 東条さんは色々と調べた後、凍結防止帯を使って、凍結している下水管の解凍に掛かったが、うまく行かず明後日あたりに、改めて、修理に来て呉れることになった。

 夜、お風呂をわかして、体を洗ったあと、湯船で、今朝ほど「すすぎ」をする事が出来なかった洗濯物のすすぎをし、湯船に洗濯物を漬けたまま、ひと晩寝かせて置く事にした。
 ・・・・潮出しならぬ、石鹸出しである・・・・!!

   

2000-01-25(木)     曇のち雪     ヒュッテ    L = -12°C, H = 2°C

 起床後、朝一番で、昨日、湯船に漬けておいた洗濯ものを、キレイに濯(すす)いで干してから、朝食の準備。
 大奮闘をしたが・・・・結局、時間がないために、バゲット4切れに紅茶という、手抜き朝食になってしまった。

 午後1時半、案内所の小ホールで「キャリフールを考える会」の月例会が開かれた。
 出席者は全部で12人。
 今年1年のおおまかなスケジュールの見当が行なわれ、4時過ぎに閉会。

 打ち合わせが行なわれている間に降り始めた雪は、いまでも静かに降り続けている。

 もう 8cm ほども積もっただろうか?
 明日の朝までには、30cm くらい積もるかも知れない。
 ・・・・あした、協友工業の東条さんが、洗濯機の下水配管の修理に来て呉れるというのに・・・・!! 

  

2000-01-26(金)    雪のち曇      ヒュッテ

 起床6時。
 窓から覗いてみると、25cm 程の積雪。
 「ウワー、こりゃあ大変だ!!」
 ・・・・僕は、心の中で、こう叫んだ。
 というのは、夕べはとても暖かかったからである。
 暖かい夜にふった雪は、水を含んでいて、とても重いからである。

「あーあ、門にも、こんなに積もっちゃってえ・・・!!」

  

庭に回れば、こんな具合です・・・・・!!
    

 階下に下りると、大急ぎで朝食を作る。
 ・・・・今朝の献立は、大好きな高原のパン屋さんのバゲットが3切れ、キャベツ・プチトマト・セロリ・ピーマンのサラダに、オリーブオイル・リンゴ酢・塩胡椒をかけた野菜サラダ、野辺山のヨーグルト、それに大きなマグカップにたっぷりと注いだカモミール・ティー。
 そして・・・・ストーブが静かに唸っている室内から、ガラス戸の外で降っている雪を眺めながらユックリと楽しむ朝食は、ヒュッテならではのごちそうである。

 ・・・・しかし、今日は、協友工業の東条さんが洗濯機の下水管凍結の修理に来る日である。そのことを思い出した僕は、食事が済むと、俄然、猛烈な勢いでラッセルを始めた。
 ・・・・そして10時・・・・1時間近くの雪掃きが終るころ、東条さんが修理に来訪・・・・僕は修理をお願いして、山を下った。

 松原に着いてみると、28日の氷上トライアスロン大会の準備の為に役場の人達が次々に町から上がってきた。
 ・・・・ここでも、僕はまたまた案内所の周囲の雪掃きに没頭!!
 気が付くと、何時間も、水っぽい雪と戦ったため、いい加減、クタクタになっていた。

 ・・・・・・・
 夕方、東条さんが僕を訪ねてきて、凍結の原因と修理の結果を説明して、帰って行った。
 東条さんは優しくて心の暖かい男である。
 ・・・・彼は・・・・いつも・・・・修理が終ると、故障して悪かった部分を持ってきて、こちらが納得出来るまで、十分に説明をしてくれるし、兎に角、仕事が丁寧で、あとの事を考えて工事をしてくれるからです。

 ・・・・・・・
 ・・・・・・・
 夜、7時からの将棋クラブの練習に出掛けた。
 ・・・・大雪の為、出席者は大人が3人、子供達が6人と、少なかったので、僕はM三段と対戦。 辛うじて2勝したが、終ってみると、何故か分らないけど、とても疲れていた。
 今夜は早く寝ることにしましょう・・・・

 明日は、中嶋さんに録画して貰った、今夜の NHK 総合(19:00 〜 20:00)の番組に目を通さなくては・・・・・

  
 気が付いてみると、3日ほど前、あんなに「ウイイイイーン、ウイイイイーン」と大きな音を立てていた、わが愛機「Power Book 540C」のHDのモーター音は、いつの間にか、静かに収まっていました。
 ・・・・あの音は、一体、何が原因だったのでしょう・・・・????
 ・・・・
 お蔭様で、まだ、こうして元気に日記を書き続けていられる毎日が続いています。

   

   
2000-01-27(土)   雪     ヒュッテ     L =
-11°C, H = -2°C

 起床6時半。
 リビングのカーテンを開いたトタン、僕は呟いた・・・・
 「うへえ、またヒドイ雪だ・・・・」
 ・・・・今朝もまた 27 〜 28cm の積雪である。

 と、言ったところでどうなる事でもない。
 早めに朝食を終えた僕は、早速、雪掃きに取り掛かった。
 昨日の朝と今朝との二日続きの雪・・・・合計の積雪は、おおよそ 60cm である。
 ・・・・しかも、いま現在も、雪はどんどんと降り続いている。
 

 外に出て、家の周りを歩き回った僕は、積雪の多さにいささかビックリした。
 このままで行くと、今日の夕方までに、あと30cm くらいは積もるかも知れない。
 ・・・・・・・
 そうしたら、雪は出窓に届いちゃうかも知れないし
 ・・・・門の傍にある赤いポストが、雪の下に沈んでしまうのも時間の問題である・・・・・


もう少しで、出窓に届きそうな積雪・・・・




 

門の傍にある高さ 1m ほどのポストも、ご覧の通り・・・・!!

    

 

家の近くの道もこんな具合です!

  
 
 でも、雪掃きはやるっきゃない・・・・
 「よーし、やるぞ〜〜」
 ・・・・そう息まくと・・・・
 僕は小一時間ほど、ヒュッテの周りの雪掻きをした。
 ・・・・そして・・・・
 それが終るころ、時計を見ると、もう10時近く。
 「あ、いけねえ! もう、皆んなは集まってるぞ・・・・ 早く行かなくちゃ」
 僕は慌てて・・・・キャルフールセンターに出掛けた。

 センターに着いてみると、役場の人達が大勢やって来ていて、明日開かれる「氷上トライアスロン」の受付の準備にオオワラワである。
 ・・・・このトライアスロンは・・・・スキー 2.5km、マラソン 14km、スケート 10km を一人の人が走って、その所要時間を競う競技であるが、今回の大会が第12回で、参加者は約200名、何んと鹿児島県からの参加者もいるそうである。
 ・・・・その選手達に渡すヘルメット・スケート靴・・・・等を取りそろえたり、受付に必要な各種のチェックシートの最終点検など・・・・を、役場の人達が手配しているのであるが、見ていると、本当に大変な準備作業である。

 12時、選手のエントリー受付開始。
 ・・・・この頃から、事務所の電話に次々と電話が入り、
 「大雪のため高速道路が通行止めになって、全く動きが取れないんすけど・・・・明日の大会は、そのまま実行されるんですか?」
 「小海線が普通になってしまっているが、どうしたらいいでしょう?」
 などの問合せが、ひっきりなしに寄せられるようになって来た・・・・・
 が・・・・その間にも、雪はどんどんと降り続け、夕方までに、僕は自分の自動車を3回も雪の中から掘りだした程である。

 ・・・・さて、話は変わるが、
 毎年、恒例になっているこの氷上トライアスロンの為には、僕自身を含め、150 人近くのボランティア達が長野県内の市町村から参加しているが・・・・一行は本当に楽しい連中である。
 ・・・・このお互いを信じあう気持ちは、ボランティア活動に参加した者でないと、絶対に分らないと思うが・・・・地位、名誉、権力、財産、等々・・・・おおよそ、自分の欲得の事ばかりしか考えていない徒(やから)には、おおよそ理解できない事のようである。

 話は変わるが・・・・今回の大会の裏では、当然の事ながら、地元の小海町の町興しの会「こうみ塾」の連中が、色々と参加しているが、こんなに大雪が降っている今夜は、前夜祭を適当に切り上げて、明日の準備に取り掛からなければ・・・・ならないのである。
 ・・・・なにせ・・・・
 レースの出発点になるリエックス・ホテルのあたりは 70cm 程の雪が積もっているという事である。
 ・・・・その雪を、明朝までに 14km にもわたってラッセルをしておかないと、200名の選手達はマラソンが出来なくなるし、スケートリンクだって、明日の朝までに、何100トンという雪を除雪して、氷面を鏡のようにして置かなければならないのだ。

 夜8時。
 拓ちゃんに言い付かって、スタッフ用のシーツと枕カバーを、宿舎となっているコテージに届けに行ったが、帰途、車が深い雪に捕まってアウト。
 1km の道を歩いてスコップを取りに戻り、悪戦苦闘してジムニーを掘りだすこと1時間。
 ・・・・それでも、なかなか上手く発進できず、とうとう、何処かの町のボランティアの人達3人に助けて貰って、やっと脱出。
 全く、ヤレヤレの一幕でした。

 午後 9 時。
 ・・・・全てのラッセル車が、レース・コースの整備に出払っている為、別荘地の道路には、50cm 程の雪が、そのまま放置されている。
 夕方、拓ちゃんが
 「八岳さん! 八岳さんは、今夜、家に帰えれねえだよ・・・・」
 と言うので、
 「オラっとの家の前の道は、除雪されて無えだかい?」
 と訊くと
 「うん・・・・どうしても、レース・コースを先にやっちまわねえと・・・・全国から来た人達が、明日のレースが出来なくなっちまうだで・・・・」
 と、如何にも申し訳なさそう・・・・
 「それじゃあ、シンペエしねえでいいだよ・・・・寝るところはナントかなるだから・・・・」
 ・・・・・・・
 と返事をしたが、その陰には、 ・・・・宮本屋旅館の久紀さんが
 「八岳さん、今夜の大雪で、もし何んかあったら、ヒト部屋キャンセルが入ったから、遠慮しないで、使って下さいよ・・・・」
 と言って下さった安心感があったからである。
 ・・・・
 当初、僕は、今夜は、絶対にヒュッテに帰って、我が家で寝ようと考えていたのであるが・・・・・
 先刻、ジムニーが雪に捕まってしまった怖さに怖気付き、今夜の宿泊は、素直に宮本屋さんのお世話になる事にした・・・・

 午後11時。
 ・・・・久紀さんの所で、美味しい晩ご飯を戴き、ユックリと大きなお風呂に入れさせて頂き、部屋に戻ってお茶を戴いた僕は、気持ちのよいシーツの敷かれた蒲団の中に体を滑り込ませると、今日は一日中、雪掃きばかりしていた為でしょうか、僕はアッと言う間に、眠ってしまいました。

    

   
2001-01-28(日)      晴      ヒュッテ     L = -7°C, H = 1°C

 6 時15分、宮本屋旅館の「赤岳」の部屋で、目を覚ました僕は、急いで身支度を整えると、奥さんの比佐子さんとご主人の久紀さんにお礼を言い、山の上のコテージ「硫黄」に向けて、愛車のジムニーで急行した。・・・・選手の皆さんのオニギリを握るためである。

 コテージについて見ると、もう男女6〜7人が、炊きたてのご飯でオニギリを作り、野沢菜の漬物と一緒にパック詰めをしている真っ最中。
 僕も、早速、そのグループの一員になって、パック詰めと出来上がったパックをキャリア箱に詰めるのを手伝うことにした。

 「はて、この皆さんは、何処かで見た人達だが・・・・」
 と考えていたら、去年の11月、大町市で開かれた「やまびこフォーラム」で一緒になった人達だと、不意に気が付いた・・・・
 逆に、皆さんは、僕の事をよく憶えていたらしく、色々と気さくに話掛けて呉れるのが、とても嬉しかった・・・・・

 ・・・・・と、そのときである。
 突然、・・・・
 「イヨー、皆んな、元気に作ってるかい・・・・?」
 と、大きな声を掛けながら、60才くらいの男性が入って来たが、その人の顔を見たトタン、僕はハッとした。
 「・・・・・・・!」
 ・・・・・浅科村のKさんだったからである・・・・・
 Kさんは、僕に気が付かないまま、僕の傍を通り過ぎようとしたが、その瞬間、僕が彼の肩をチョット突くと、
 「・・・・・?」
 瞬時、僕の顔をじっと見詰めたKさんは驚いて、突然、大きな声を上げた・・・・
 「アアーッ・・・・気が付かないで! 失礼しました・・・・」
 「いやあ、貴方を見てビックリしましたよ・・・・」と僕。
 「いやあ、こちらこそ・・・・・お元気でしたか・・・・その節は、どうも・・・・!」
 ・・・・等々と、こんな挨拶を切っ掛けに、僕達は、話を始めたが・・・・僕達二人が出会ったのは、つい3ケ月ほど前の事だったのである。

 ・・・・それは、去年の11月、大町市で開かれた「やまびこフォーラム」の夜の事だった。
 僕達「こうみ塾」の仲間は、なんとかネットというグループの部屋で、そのメンバー達と飲むことになったが、この時、初めてフォーラムに参加する僕は、当然の事ながら・・・・その部屋の人達の事は何も知らなかった・・・・
 でも、余り人見知りをしない僕は、このメンバー達と比較的自由に話をしていたが、どうした弾みか細かい事は忘れてしまったけれど、兎に角、気が付いた時には、僕はいきなり見ず知らずのKさんと激論を交わしていたのである。
 確か、その時の論題は
 「ホームレスの存在をどう思うか?」だったと思うが、僕達二人の議論を聞いていた7〜8人の男性達は、僕達の論調に刺激されてか、活発に意見を交換したような気がする。

 そして・・・・・
 ・・・・一時間ほどの激論の末、全員が話し疲れて、この議論に終止符を打った時の事である。
 このKさんが、やおら一升瓶をもって、僕の前にデンと胡座(あぐら)をかいて坐ると、
 「いやあ、貴方と二人だけで話がしたいですよ・・・・」
 と言ったかと思うと
 「いや、何んです・・・・私の言うことにあんなに真面目に言葉を返して来た人は、貴方が初めてですよ・・・・ホントですよ!・・・・ですから、ホントに貴方が気に入った! ・・・・これを機会に、また、お会いしたいですなあ!」
 ・・・・と改まって挨拶をしたが、そのあと暫くの間、僕達二人はお互いの過去の人生のことをも盛り込んで、シンミリと話あったものである。
 ・・・・ごく、かいつまんで言うと、これが、僕とKさんとの最初の出会いだったのである。

   
 ・・・・さて、
 話はもとに戻るけど、我々が 400個のオニギリを作り終ったのは、午前 8 時半を少し回った頃のように記憶している・・・・
 それから後の我々のボランティア・ワーク(・・・・スケート・センターで煮込みウドンを作り、選手・観客・スタッフ達に食べて頂く・・・・豚汁・蜂蜜レモン等々のコーナーは、別のボランティア・グループが担当していた)・・・・も、無事終了し、午後3時の大会終了と共に、僕はアタフタとヒュッテに戻って来た。
 ヒュッテの周囲の雪掃きの仕事が残っていたからである。

 午後10時。
 家の周囲の雪掃きで、もう何もしたくないほどクタクタに疲れている。
 ・・・・今、丁度、お風呂が沸いたところなので、お風呂に入って今夜はもう寝ることに致しましょう。
 また、明日も一日中、雪掃きの予定です。
 ・・・・ちょっとウンザリだけど・・・・

  

    
2000-01-29(月)    晴       ヒュッテ    L = -12°C, H = 1°C

 終日、雪掃きに追われた一日だった。
 一昨日、40cm ほど積もった雪の中に、普段の生活に困らないようにキチンと雪道を掘ったのに、けさ家の外に出てみると、昨日降った雪でその雪道がぜんぶ埋もれてしまっている・・・・!
 「まあ、性が無えか・・・・!」
 と、ひと言つぶやいて、また、最初から雪道を掘り始めたが、南の低気圧がもたらした今回の雪は、水気をタップリと含んだ、とにかく重い雪であった。

 ところで、 アルタイル通りに面したヒュッテの門の所にある赤い郵便受けと表札看板は、とうの昔に雪の中に埋もれてしまっている・・・・


表札看板も郵便受けも、とうの昔に雪の中です・・・・


玄関(写真奥)から薪小屋(写真手前)に通ずる雪道・・・・
一番少ない所でも、雪は筆者の腰くらいあります!

   
 薪小屋に通ずる道もご覧の通り・・・・・
 ・・・・今日の雪掃きも、どうにかこうにか、雪道が整って来たのは、午後の 4 時過ぎだった・・・・・
 ・・・・・
 ・・・・・
 もう、疲れきって、何もする気が起こらない、
 ベランダと物置の屋根は、明日することにしよう・・・・・・

  

2000-01-30(火)      晴       ヒュッテ     L = -12°C, H = -1°C

 朝ご飯を食べ終って
 「さあ、今日はベランダの雪下ろしをするかい・・・・?」
 と、ぶつぶつと心の中で呟いて、長靴をはき、ベランダの方に行ってはみたものの
 ・・・・ベランダに 50cm 近くも降り積もった雪を見た時の僕の気持ちは、本当に
 「ヤレヤレ・・・・!!」
 でした。

「ウヘー、この雪を全部おろすのかよう・・・?」


雪を全部おろすのに、1時間半もかかってしまいました・・・・
ああ、シンド・・・・!!

 
  今日は、とても疲れたので、この辺で日記は終りにします・・・・・プチン!!

   

2000-01-31(水)     曇       ヒュッテ → 自宅

 中野の家に帰って来る途中、いつものように小淵沢の駅から中央高速のバス停まで歩いたけど、
その途中で、フト気が付くと、遥か彼方の JR の線路の上をコンテナ専用列車が走っていました。

   カタン、カタン・・・・・・・カタン、カタン・・・・・

 その乾いた音が、とても懐かしく、心の中で響きました。

   
 それから、もう一つ・・・・
 途中で行きあった小学校の子供達が、見ず知らずの僕の顔を見ると、
 「今日は!!」
 と、元気に挨拶をして行くのが、とても素敵でした。
 ・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・