2000 年 9 月の高原日記

  

2000-09-04(月)     曇      ヒュッテ

 鷹野道子さんに、花村先生作曲の「プティリッツァのメヌエット」の譜面を渡し、ピアノで弾いて下さるようお願いをする。

 道子さんに
 「花村先生は、”この曲はヴィヴラフォンが一番合うのじゃないかな”と言ってたんですが・・・・この町にヴィヴラフォンなんかあるのかしら・・・・」
 と言うと、驚いたことに道子さんの手許にはヴィヴラフォンも在るという話。
 「・・・・それでは、ヴィヴラフォンで録音してみましょうか・・・」との事!!
 ・・・・すごく嬉しい。

   
 夜、気温が 18 度を下回ったので、ことし初めてストーヴを焚くことにした。

 NHK ラジオ第一放送によると、富士山で初めて初冠雪を記録したとの事・・・・いよいよ秋だあ・・・・!!

 でも、今年はまだ薪の用意はまだ出来ていないよ・・・・

 サア、慌てろっ・・・・!!

  

2000-09-06(水)       ヒュッテ

 キュートな Yoshimi ちゃまよりメールが届きました。

 何故か知らないけど、この Yoshimi ちゃまからメールが来ると、僕は物凄くホッとする。

 ・・・・もともとは、英語学校のクラスメートの Masami のお姉さんなんだけど、素敵な女性です。   

 八岳さん、いかがお過ごしですか?
ずーーーーーーーーーーーーーーっとHPがストップしていたので、ちょっと心
配してたんですけど、今日見たら大っ嫌いな蛇の写真じゃなかったので、
「あ、更新してる!!」
と思って見てみたら、またまたパソコントラブルだったんですね。

 更新されていない最初の1週間ぐらいは“八岳さんは忙しい方だから・・”と思
っていたんだけど、もう、1ヶ月も更新されていなかったので“八岳さんの体調で
も悪いのかしら”と思ってかなり心配になっていたのでした。(そして毎日蛇の
写真で確認する私は具合が悪くなっていた。なんのことはない、大の蛇嫌いなの
だ。)(×_×;)

よかった。なんでもなくて。八岳さんのパソコンさんのご機嫌が悪くなったのね。

 先月末、私にもパソコントラブルがありました。
私のパソコンは全然平気なんだけど、会社のパソコンのDBがぶっ飛びました。
データがデータがデータが・・・・・。
1か月分全部飛んだ。1か月分の仕事が・・・・・。

☆..:*:・゜'☆,。・:*:・゜'☆..:*:・゜'☆..:*

いらないからDELLしたデータが「やあ!」と帰ってきた。(@o@)
せっかく登録したデータが「さようなら」と一瞬にいなくなった(;_;) 。
悲しかったというか呆然とした。( ̄□ ̄;)

あ、あと、旦那さんに本社転勤がきまりました。
東京に住むことになりそうです。
ショック。
私は東北の都会で十分なのに・・・・・

しくしくしく・・・・・。

 あらら、ながながと書いてしまいました。
それではトラぶった日々の日記楽しみにしています。

            ではでは。by Yoshimi




     

2000-09-07(木)   快晴       ヒュッテ

 町からの帰り道、いつものように、高原野菜の畠の真ん中に車を止め、澄み切った八ヶ岳をながめていたら、突然、こんな詩が心の中から湧き上がって来た。

     
      
           突然の秋

   

モクモクと盛り上がる入道雲が、

     どんなに銀色に輝いていても

日向(ひなた)を飛ぶオニヤンマの目玉が、

     どんなに緑色に光っていても

或る朝、一陣の風が

     道端のコスモスをサッと揺らすと

もう! ・・・・・・高原は既に秋声・・・・・・!

     気が付くと、空がずっとずっと深くなっていた。

       

   
夏の真昼、あんなに威張りくさって

     微動だにしなかった銀色の入道雲も・・・・・・

今では、透き通った青空のキャンバスに

     白い絵具でサッと描いた巻雲に姿を変え

力強い羽音を立てて飛んでいた

     黄色と黒の、真夏のドロボーヤンマ (*) も

気が付けば・・・・・・竿先にとまった

     弱々しくて静かな赤トンボになっていた。

     

   

そう・・・・秋風に吹かれて、ひとり高原に立てば

    爽やかな風が過ぎ去った熱い夏を思い起こさせ

夕暮れの草むらにすだく秋の虫達が   

    夏虫の喧騒の挽歌を弱々しく奏でている。

    

    

「秋は淋しい!!」 と人が言うと

    「然り、その通り!」と、心から僕もそう思う・・・・

だが、人々は知らない!・・・・・・

    秋の本当の美しさは、この寂しさの中にある事を。

   

    

(・・・・・・この詩を読んで、

    皆さんはどう思われますか・・・・・・?)

      

 週間佐久平掲載の取材記事について。

   

2000-09-08(金)   快晴       ヒュッテ

 美術館にて、「プティリッツァ 物語」の試写会が行なわれる。

  

2000-09-10(日)   曇    ヒュッテ

 朝御飯を食べている時、急に思い立って、美術館の中島さんに電話を入れ、今夜おこなう予定だった「プティリッツァ物語」のナレーション取りを、午前中に変更して貰い、10 時迄に済ましてしまった。

 午後 2 時、勝っちゃん、美代治さん、公男さん、三石さん、松本さん・・・・の面々が、プティリッツァのTシャツを着て美術館に集まり、プティリッツァ物語のための写真撮影をする。

 ・・・・それが、終ると、勝っちゃん、公男さん、松本さん、中島さんの 4 人が、すぐに P物語の最終編集にとり掛かった。
 ・・・・コンテスト提出の期限 9 月 20 日が迫っているからである。

 僕が山を下りる用事を終え、午後 6 時頃、再度、山を上がって来て美術館の作業室に顔を出すと、技工士の松本さん、看板屋の公男さん、デザイナーの勝っちゃんの 3 人が口角泡を飛ばして、編集作業に夢中になっていた。
 ・・・・その様子を見ていると、もう 3 人とも子供のように夢中になってワイワイやっている。
 ・・・・松本さんは編集機のノブを握りっぱなしで、画面と睨めっこ!!
 その横で公男さんが、画面のアチコチを指差して、
 「ナ!・・・ほれ・・・それそれ、そっちの方がずっといいずらい・・・・!!」
などと、丸出しの小海弁で大声のコメントを入れ・・・・
 二人の後ろに陣取った、勝っちゃんが二人のしている事をじっと見ていて
 「おいおい・・・さっきの方がヨカッタンジャネエノ・・・?」
 などと、自分の意見を二人にぶつけている。

 僕も、あとから事務室からやって来た中島さんと一緒に三人の仲間に入ったが、
 「もう、これ以上いじくっても仕様が無えよ・・・」
 ・・・・と、五人が異口同音にそう言って、事実上、P物語の完成を認めたのは 9 時半を過ぎてからの事であった。

 これで、あと 9/17 に最終の試写会をするだけになったのだが
 ・・・・作業室を出る時、皆んなが
 「一銭のお金にもならなかったけど、この 5 ヶ月間、ホントに楽しかったよなあ!!」
 と言っていたのが、とても印象的でした。

 そして・・・・別れ際
 「うへえ、いま気が付いたけど、腹が減っていたよ・・・・!!」
 と、誰かが言うと皆が相槌を打った。
 「うん、俺もだ・・・」
 「そうだ、オラホもだ・・・・」
   
 ・・・・皆、何んてイイ人達なんだろう・・・・!!

   

2000-09-11(月)  大雨    ヒュッテ

 朝から物凄い雨。

 午後、役場まで用事があって出掛けたが、楠本さんに頼まれた葉書の投函をするため、郵便局の前の通りで車が途切れるのを待っていたら、大型トラックがきて水をバサッ!!
 「バッカヤロー、糞っ垂れえ!!」
 瞬間、大声で怒鳴ったが、運ちゃんに聞える筈もない・・・・
 お陰で、僕の全身はバケツで水をぶっ掛けられたように、濡れ鼠。
 キャリフール・センターに戻る前、ヒュッテに寄って、着ているものを全部取り換えたが、ホントに
 「糞っ垂れえ!!」
 である。
    

 夕方、
 「ベラマッチャ、松原湖高原」のトップページのフレームワークが、どうやらこうやら出来上がったようである。
 ・・・・思えば・・・今年の春、このHP作成手伝いの話しがあった時
 (Windows マシンがマックと違うと言ったって、どうせ、大した事ではないだろう・・・)
 と考え、
 「いいですよ・・・・」
 と、ついつい口を滑らせたのが運の尽き!!
 ・・・・
 いざ、手を付けてみると、使い慣れたマックに比べると、Windows マシンの使いにくい事・・・・

 「 Window って奴は、何んだって、こう・・・・一々確認を取りたがるんだ!!」
 と、キーボードを叩きながら、何回こう思ったことだろう!!

    Windows machine 操作の基本。
    Home page builder の使い方。
    Up load ソフトは何を使うか?
    ・・・・・等々

 やって見ると、全く腹が立つほど、 ウインドウズ・マシンは使いにくい・・・!
 しかも、周囲にはホームページ・ビルダーの先輩が殆ど皆無なため、最初から最後まで、市販の本一冊が頼り・・・・と言う有り様。

 だから・・・今夕・・・5 ヶ月の悪戦苦闘の末、あの面倒臭かった画面のフレーム分割とリンクをヤットコサットコで終え、・・・・アップロードに成功したときは、正直言って、本当にホットした次第である。

 フウーッ・・・・疲っかれたあ・・・・!!

 ・・・・とボヤきながらも、楽しかった思いでイッパイって事は・・・・僕はやっぱりパソコン・オタクなのかなあ・・・・!?

  

2000-09-14(木)    晴      ヒュッテ

 今年の春から手掛けていたホームページ「ベラマッチャ松原湖高原!!」が、完全装備されてアップロードされました。

 

 ・・・・どうです、素晴らしい記念写真でしょう?

 ・・・・だって、アクセス・カウンターが ”1”だもの!!!!!!

  

2000-09-15(金)     快晴       ヒュッテ

 台風 14 号が奄美大島から北西方向に逃げた為、昨日まで降り続いた雨が上がって、今日はビカビカの上天気。
 ・・・・今まで、プティリッツア物語の制作などの為、長い間、筆が進まなかった「色即是空」の原稿書きに、久方振りに取り掛かった。

 ・・・・このように天気のいい日は、本来ならば薪割りをしたいのだが、今まで長いあいだ頭の中でモヤモヤしていた「色即是空」の説明構想が、ここ 2 〜 3 日の間、非常に鮮明にまとまって来たので・・・・どうしても原稿書きがしたくなり、二階の窓際の勉強机で、キーボードを叩く事にした。

 清々しい秋の日の一日、近所の素晴らしい景色を明るい窓から眺めながら、長い間自分が考えてきた事をパソコンのテキスト・ファイルにまとめる事の面白さ・・・・本当に僕って仕合わせな人間だと思ってしまう・・・・!!

 「”空”って何んだろう?」
 ・・・・こんな事を考え続けてきた 44 年間・・・・
 そんな或る日、
 「あっ、そうか・・・・そんな事だったのか?!」
 と、心の中で叫んだ僕。
 ・・・・その日から、僕の人生が大きく変わり出した事の不思議さ・・・・!!

 クリスチャンの僕が

   

   

2000-09-16(土)    雨       ヒュッテ

 雨の一日。
 ・・・・天気だったら、薪割りをしようと思っていたのだが、生憎の雨。
 それをいい事に、読書の日とする。
 ヒュッテの中の掃除をしたあと、二階に上がり、窓際の大好きな読書机に坐って、読みさしのトルストイの「戦争と平和」を読み始めた。

 トルストイは大好きな作家!
 今、読んでいるのは 44 年前の第一回に引き続いて、2回目の読書。
 何しろ、とても長い小説なので、ジックリ腰を落ち着けて読んでいる・・・・
 有難い事に、巻末に、各章のサマライズした内容が載っているので、以前読んだ個所を忘れてしまった場合は、それを参照しながら、読み継いでいるが、本当に映画を見ているように面白いと思う。
 ・・・・ただ、厄介なのが、登場人物の名前である。
 ロシア人の名前というのは、自分の名前・父姓・名字の三つがある上、同じ名前に対する愛称が三つ程ある場合もあり、そのうえ、爵位でその人を呼ぶ場合があるので、本当にコンガラガッテしまう事がある次第。
 ・・・・従って、前回もそうであったが、今回も、登場人物の一覧表をつくって読み進んでいます。
 その一覧表には、本名・父姓・名字・愛称(複数ある場合は、その全て)・爵位・家族関係・縁戚関係・始めて登場した編/章・・・・などが記入されているという訳である。

 僕は、この小説の中に出てくる主人公ピエール・ベズーホフが大好きである。

 ヒュッテでの読書時間は本当に楽しいひと時である。

   

2000-09-17(日)    晴       ヒュッテ

 美術館にて、P物語の最終検討会。

   

    

2000-09-18(月)    晴       ヒュッテ → 中野

 Jimny にて川越経由で中野に帰る。
 途中、自宅に電話を入れたら、応募作品のあらずじを考えて欲しいと電話があったとか 
 ソフトボール、昨日、中国に勝った女子ソフトボールが今日は、2 - 1 にてアメリカに勝った。これで 2 勝 0 敗。 

   

2000-09-19(火)    晴       中野      

  P物語のHVソフトコンクール応募用紙記入用紙の記入。

 ソフトボール、2 - 1 でオーストラリアに勝利。 3 勝 0 敗。
   

   

2000-09-21(金)     晴       ヒュッテ

  ソフトボール、4 対 3 でカナダにかった。 4 連勝。
 このあとトーナメントで全敗しても、銅メダルは確定。

   

      

2000-09-22(土)     晴のち曇     ヒュッテ

 シドニーオリンピック
 ソフトボールは、イタリアに 2 - 0 でかった。
 5 戦連勝。
 トーナメント1 位は確定。 次にもう一度オーストラリアと対戦。
 勝ったら金。

 柔道 100kg 以上で、篠原選手はフランスの選手に判定負け。
 しかし、最初、ビデオの再生では、明らかに篠原選手が一本取っているのに、主審と副審の一人は、相手のフランス選手に有効と判定した。
 この為、日本の山下監督が、判定に重大な疑義があると講義をしたが、現在の方式では、一度判定されると、講義は受け入れられないシステムなため、篠原選手は銀メダルが確定され、そのまま表彰された。

 一時間後、日本柔道委員会は、国際柔道委員会に対して抗議文を提出する事を決定したとか。
 ・・・・この結末はどうなるのだろうか?

 その抗議文の内容を是非、知りたいものである。
  

2000-09-23(土)     雨       ヒュッテ

 9/6 に好美ちゃまから貰ったメールに、時間が出来て、今日やっと返事を書きました。

 好美ちゃま、長いこと返事を出さなくてゴメンナサイ!
 ・・・・貴女の事、いつもいつも考えていたけど、余りにも、しなくちゃイケない事が多くて、ついつい今日まで延び延びになっちゃって・・・・

 勿論、頂いたメールは、当日の日記にアップロードしました。

 ・・・・八ヶ岳の山麓は、今日は、シトシトと雨が降っています。
 こんな日は、何か、チョット淋しくて、哀しくて、Yoshimi ちゃまの事を、どうしてもかんがえちゃいます。
 天気の日は、明るい高原に咲いているルドブキアのように、チャーミングな貴女の事を思い出して、気もそぞろになってしまいます。

 いつもいつも、僕の心に影を落としている貴女が大好きです。

 ・・・・又、メールを下さい・・・・

    僕の貴女へ、貴女の僕より・・・・・!!

        ウヘー、凄っげえドキザ・・・・・・チュッ!!

   

2000-09-26(火)    晴     ヒュッテ

 ワイワイ倶楽部の登録。

   

2000-09-27(水)    晴     ヒュッテ

 庭の片付けをしていたら
 「八岳さーん」
 と呼ぶ女性の声がした。楠本さんである。

  カラカサダケを戴く。炒めて食べたら美味しかった。

 夕食は、楠本宅でキノコ汁を戴く。  

  

2000-09-28(木)    晴     ヒュッテ → 中野

17 : 10 愛車 Jimny で、小淵沢へ。
 町の無料駐車場に車を於て、高速バスのバス停へ。
 ・・・・愛車にイタズラをされなければいいが・・・・
 駅まで 7 分。下り線の駐車場まで 15 分。バス停まで 7 分。

   

2000-09-29(金)    晴     中野

 家の修理の打ち合わせ。

 午後。
 ガス台の奥のタイル壁をキレイにする。灯油。

   

2000-09-30(土)    晴のち雨    中野

 お墓参り

 色即是空の原稿書き。